2004年5月1日土曜日

28 越境した学問(2004年5月1日)

 自分の目指すべき学問への道、あるいは学問の方法論について、いつも悩んでいます。何か新しいことをはじめたいときに、新しい分野の学問について、学ばなければなりません。そんなとき、特に強くこのような悩みがわいてきます。

 ある分野の学問の歴史や進歩の程度によって、初学者がその分野に入りやすいどうかが左右されます。つまり、適切な教科書やわかりすい学問体系、教育体系などがあるかで、大きな違いがあります。もちろん、体系立っていたり、適切な教科書がある分野の多くは、長い歴史があったり、研究が進んでいたり、多くの研究者がいたりします。
 もしそのような分野の研究者を目指すには、教育体系もありますから、そこもで学べばいいのです。ただし、すぐれた研究者になるには、なかなか大変です。学ばなければならないことも多いし、ライバルもたくさんいます。しかし、他の分野の人間がその分野の基礎知識を学びたい場合には、このような学問体系は便利です。数学や物理学、化学、生物学などの大きな体系は、その好例でしょう。
 ところが、まだ始まったばかりの分野や、研究者が少ない分野では、教科書や体系がなかったり、相談すべき専門家も見つかりにくかったりします。すると、初学者は、そのような体系を学ぶのには苦労します。苦労はするでしょうが、いったん基礎的な体系や視点を身につけると、その分野では、やるべき仕事がたくさん見つかり、いろいろなアイディアのもとに、自由で面白い研究ができるでしょう。環境学や複雑系などの分野がそのような例となるでしょう。
 私は、地質学を専門としています。ですから、地質学の分野の論文や動向などは、ある程度把握しています。また、少々その分野を離れていても、論文を読んだり専門家の人的ネットワークを利用すれば、最先端や最新の動向はつかむことができます。これがある分野で長年培ってきた財産でもあるわけです。
 でも、地質学から他の分野を目指そうとすると、なかなか大変です。そんなときは、まず、自分は別の分野の専門家であるということを、鮮明にして他の分野に乗り出すことがひとつの採るべき方法です。
 私は以前、廃棄物に関してあるめぐりあわせで関与することがありました。廃棄物は、環境学の一部で、工学の分野の人がその研究の中心となっています。ですから、廃棄物学会も、工学部や関連の企業に多くの会員を持つ学会となっています。私は、廃棄物に関して、一時研究をして、他の分野への関与する経験をしました。そのときの話を少ししましょう。
 ある企業が、焼却灰を還元的条件で溶融して固体化する試験的プラントを作っていました。ある時、その溶鉱炉の溶融物を出す出口が詰まって壊れてしまいました。溶鉱炉を停止しましたが、自然冷却をするしかありませんでした。冷えた後、壊れた溶鉱炉を解体すると、中から石のようになった焼却灰が溶けて固まったものが出てきたのです。その固形物がどのようなものかという鑑定を依頼されました。
 その固形物をよくみると、まるで火山岩のような見かけをしていました。考えてみると、融けた焼却灰はマグマと同じで、溶融物が自然冷却するというのは、マグマが地表で固まるようなものです。つまり火山岩のでき方と同じでした。もちろん、自然のマグマと焼却灰を還元的条件での溶融物とは、まったく化学成分は違っています。でも、マグマが冷却して、どのような結晶が、どのような順番でできるのか、というようなことは、私の岩石学の知識がそのまま使えるのです。
 私は、顕微鏡観察や、各種の化学分析をして、その固形物を調べました。そして、そのような石は、天然のものと化学組成は違っているのですが、溶融物が冷える条件を探ることが定量的に解明できました。またその固形物に似ているものが天然にもあり、安定していることや、鉱業製品として利用価値があることを示しました。そしてそのような固形物を、均質に作るには、ある組成を範囲であれば、少々の変化がおこっても、ある冷却方法をとれば、同質のものができることがわかってきました。
 また、固形物は、有害物質のチェックさえ通れば、自然物と同じですので、そのまま捨てることも可能ですし、商品としての使い道も出てきます。焼却灰の処理としては有望な方法であることがわかりました。
 たった1年ほどの間にでてきた成果です。私は、地質学という分野に立脚して、別の分野に乗り込んだのですが、廃棄物の専門家にとって、私のアプローチは新鮮に感じられたのでしょう。廃棄物学会で私が発表をしたときも、議長は、「演者は理学的背景で研究されています。工学的、あるいは応用に関しては、廃棄物学会のそのような分野のものたちが責任を果たすべきでしょう」という意見をくださいました。
 しかし、議長が会場に質問を求めたのですが、質問がなかったので、「ああ、やはり別分野の人間は発表は興味をもたれないのか」と思って講演を終わりました。その講演会場では、私の講演が最後でしたので、講演会は終わりました。すると終わったと同時に、多くの企業や関係分野の研究者の方々が私のところに集まってこられて、つぎつぎと質問されました。もしかすると、営利的な目的があったのかもしれませんが、内容がこの分野の人に興味をもたれていたようでした。
 もちろん、このような発表するために、私は廃棄物の勉強をしました。しかしまだ、学問の歴史が浅く、工学的な分野の集大成はいろいろありますが、理学的、あるいは純粋に理論的な部分は、まとまっていないように見えました。ですから、私のような初学者が、発表する場があり、関心もあったのでしょう。
 その後、この成果は、廃棄物学会の雑誌に査読を受けた後、学会誌に掲載されました。つまり、その成果が認められたのでした。環境地質学などの自分の専門に近いところでも発表しました。そして、2年ほどにわたるこの研究を終わりました。このような越境ともいえる学問を通じて、私は、他の研究分野へ、このような関与の仕方もあるのではないかという教訓を得ました。
 私は、地質学を背景として未だに研究をおこなっています。これからもそのような立場で研究をおこなおうと考えています。そしてできれば、誰もやったことのない地質学的成果を挙げたいと考えています。
 しかし、理学的な研究をおこなうだけではなく、地質学と他の分野を融合した学問を、2つ展開したいと考えています。ひとつは科学教育(あるいは地質学教育)、もうひとつは地質哲学です。
 科学教育は、もうすでに学会がいくつかあり、学問として体系が作られつつあります。私も地学教育学会に参加し、そこで共同研究などもしています。こちらは、はじめて、5年ほどたちます。ですから、専門家というべきなのかもしれません。
 一方、地質哲学は、まとまった体系も歴史もありません。地質学者で哲学的観点で、それを専門として仕事をされている方は、私は、知りません。過去には何人かの研究者がおられましたが、現役ではおられないようです。地質哲学は、私が自分で作る分野だと威張っています。そして、地質学という理学的背景を常にもって、関与したいと考えています。でも、これは目指すべき夢であってまだ、成果は出ていません。でも、今後の生涯をかけておこなってもいいほどの面白いものだと考えています。
 私は、地質学という科学も専門としておこない、さらにその学問に関する最適の教育方法を確立し、そして科学や教育、地球、自然、倫理などのすべての考え方の根本として地質哲学を作りたいと考えています。つまり、私がめざす理想の研究者像が、これなのです。ですから、これはライフワークになるのです。

・ゴールデンウィーク・
 今年のゴールデンウィークは、大型連休だそうです。確かに、休みだけを考えても、5月1日から、5日ほど休みが連続します。我が家でも、この大型連休を利用して出かける予定です。つまり、このメールマガジンは、事前に予約をして発行していますので、このメールマガジンを皆さんが読まれるころは、私は、旅行に出ています。
 ただし、大型連休ですから、観光地は混んでいることでしょう。混むところは大変なので、北海道でも、あまり人が行かない場所を選びました。道北地方です。
 自家用車を使って、海岸線を留萌から宗谷岬からサロマ湖あたりまで巡ります。もちろん、私は調査が目的です。海岸線で調査もします。川も、留萌川(再訪)、天塩川、渚骨川、湧別川を調査する予定をしています。
 天候や山の雪が心配ですが、行く前から悩んでいても、仕方ありません。行くしかありません。じっとはしていられない季節となりました。長く雪に閉ざされた北国の春は、格別です。やはり冬を乗りこえたものだけが感じる春のありがたさを満喫してこようと思っています。5月の北海道は花の季節を迎えます。
 皆さんの大型連休の予定はどうなっていますか。