2004年8月1日日曜日

31 地層の記憶は、なぜか少ない(2004年8月1日)

 地層は、多くの人がどこかで見たはずです。でも、それを詳しく見た記憶はあまりないと思います。実際には、目を近づけて見ていることがあったとしても、記憶にあまりに残っていません。それはなぜでしょうか。そんなことに思いを巡らしました。

 「地層」を思い浮かべてください。ある人は海岸で連続して重なるものを想像するでしょうか。またある人は、山の崖にでているものを思い浮かべたでしょうか。それとも、道路わきにある切通しを思いついたでしょうか。どれも地層に違いありません。
 「地層」を思い浮かべてくださいというと、見たことがある人は、いちばんよく記憶に残っている地層を頭に思い浮かべたはずです。見たことない人は、教科書さ図鑑で見たものを思い浮かべたかもしれません。
 では、地層を見たことがある人は、もう少し思い出してください。その地層の色はどのようなもので、地層のひとつひとつはどのような成分からできていたかを思い出してください。いかかでしょうか。多分、多くの人は、なかなか細部を思い出せないと思います。もし思い出せたとしたら、それは、よくその地層を見て、なにか記憶に残るような出来事があったからに違いありません。
 地層は、すぐに思いつい出せるものですが、その中身をどうも詳しくは覚えていないようです。どうしたことでしょうか。概略は簡単に思いだせるのですが、詳細はなかなか思い出せない。これは、記憶においては、ごく当たり前に起こることなのですが、地層の場合は、もう少し違った側面があります。それについて、もう少し詳しく考えていきましょう。
 市民にとって地層をよく見ることは、そうそうないでしょう。普通の人は、眺める程度で、地層を調べている研究者や地層を相手にしている技術者でない限り、それほど詳しくみることはないでしょう。
 ところが、市民でも、地層を詳しくみている経験があっても覚えていないこともあるのです。それは、地層は良く見ているはずのですが、興味が他にいっている場合です。化石探しがそのいい例です。
 私自身の化石探しを思い起こしてみると、小学校高学年のころ、誰かに連れられて、山の小さな崖で化石を取った記憶があります。壊れた二枚貝の化石をいくつか掘り出した記憶がかすかに残っています。本当にかすかな記憶です。誰に案内にしてもらったのか、誰と一緒に行ったのかも思い出せません。そして化石を見つけたときの感動すら思い出せません。このような程度ですから強く記憶に残っていないのかもしれません。少なくもと私が地質学者になったのは、この化石採集がきっかけでないことは確かです。
 ところが、私の知り合いの地質学者には、子供のころ誰かに連れられて化石を発見したときの感動が忘れられずに、自分で化石をいろいろ探しにって化石少年となり、地質学の研究者となった人もいます。ですから、人によっては、化石採集が、まるで宝探しで宝物を発見したような感動として、記憶に残っていることもあるようです。
 もちろん市民にとっても、地層を詳しく見みているきっかけとしては、化石採集のような場合がいちばん多いはずです。最近では、学校ではなかなか化石採集には出かけませんから、博物館などの行事として、化石採集をすることが多いかもしれません。
 普通の市民は、化石採集でどう地層を見ているでしょうか。私が地質学者になって、市民を地層観察会で化石のでるところに連れた行った時の様子は、おおむね次のようなものです。
 最初は、だれでも闇雲に地層の中の化石を探します。自分でいくつか化石を手に入れると、その化石を確保しながら、よりいいもの、珍しいものを探すようになります。場所にもよりますが、よりいいものや珍しいものは、なかなか見つかりません。
 よりいいものとは、壊れてない完全なものや、より大きなものです。よりいいものは自分で判断できます。ですから、励めばいいものを自力で掘り出すことは可能です。
 一方、珍しいものとは、種類が少なく、なかなか見つからないものです。同行した地質学者が、これは珍しいといったようなものの中には、学術的に価値のあるというものも含まれます。そのような珍しい化石は、完全でなくても重要性があるということになります。
 珍しいものは、もしかするとほんのちっとした違いが見分ける決め手となることがあります。そんなときは、誰かが見つけた珍しいものをみせてもらい、覚えて、探しはじめます。そして、珍しいものが見つかろうとも、見つからなくても、一生懸命探しはじめます。まさに宝探しの醍醐味です。でも、ある程度探し続けると、たいていの人は、化石探しに飽きてきます。
 ひとつの場所で、化石採集が続けられるのは、せいぜい2、3時間でしょうか。化石採集にいったほとんど人は、この2、3時間の間、熱中して化石探しをしています。このとき、いい化石や珍しい化石を見つけた人は、大きな感動を得て、よく記憶に残ることでしょう。
 さて、熱中して化石探しをているとき、顔をくっつけるようにして地層を見ているはずなのです。化石を探すときは、それになりに地層を見ているはずです。地層のどこからたくさん化石はでるのか、いい化石や珍しい化石は、地層のどこから出てのか、などを考えながら探しているはずなのです。ところがどうでしょうか。化石を見つけた記憶はあるのに、なかなか地層は記憶に残りません。その理由は、興味の対象が化石にあるからです。
 自分一人で化石探しに出けるときのことを考えましょう。
 化石は地層からでます。ですから、化石は探しは地層のあるところではじめます。でも、どんな地層からも、化石が出るわけでありません。化石の出る地層と、まったく出ない地層があります。同じ地層でも、化石が出やすいところと、出にくいところがあります。
 例えば、ノジュールとよばれるものがあります。地層の中に、石灰分などが溜まって、丸く固くなっている部分があります。ノジュールの芯にあたるとこに化石が含まれていることがよくあります。同じ地層でもノジュールの多いところと少ないところがあります。化石を探すなら、地層のノジュールの多いとこから探すことになります。
 どんなところに化石が出やすいかを考えながら、そして経験をつみながら、化石について学んでいきます。そのようにして、やがて、化石少年へとなっていきます。
 いいたいことは、いい化石や珍しい化石を自力で探そうとするとき、まず地層を見ることからはじまるわけです。化石がどのようなところ見つかるかを知りたければ、地層についても思いを巡らすことが大切になってきます。観察会でも単に化石採集をするだけでなく、地層のことをもっと知ったもらいたいと考えています。ところが、化石採集を加えることによって、地層への記憶が消えていくのです。
 化石を発見したいという気持ちは誰もが持っています。観察会では、化石を採集を通じて地層を考えることが目的ですので、講師は化石のたくさん出る地層の場所に連れて行きます。講師は、化石を導入にして、化石だけなく地層を見て欲しいと思っているはずなのに、よく化石が出る地層に案内したために、地層をよく見れなくなるとジレンマが発生します。
 自力で化石を探そうとする場合だと、地層をよく見ることからすべてがスタートしてます。基礎として地層をみることを、化石をたくさん取るという代償のために払ったことになります。さてさて、化石採集は地層を観察するために、本当にいい方法なのでしょうか。化石という宝探しは、楽しいものですが、楽しいがゆえに、大切なことを忘れてしまうようです。困ったものです。でも、化石を自分で探したことがない人たち、実際に触ったことない人たち、肉眼で見たこともない人たちも増えています。自然の神秘を感じさせてくれる素材が身近にあるのに残念です。

・子供の集中力・
 我を忘れることは、大人にはなかなかありません。いや、我を忘れることがなかなかできなくなっているのかもしれません。それは、理性が抑えているのかもしれません。そのために、時々お酒を飲んで羽目をはずすしたり、祭りで集団的にハイの状態で我を忘れるのかも知れません。
 ことろが、お酒を飲まくても、子供は、瞬時に我を忘れるほど、のめりこめます。私の次男は4歳ですが、面白がことがあるトイレに行くことも忘れるほど、我を忘れて熱中してしまいます。そして、時々、手遅れになり、下着をぬらして、私や家内に怒られています。
 でも考えてみると、そこまで集中してものごとに取り組める子供をみていると、うらやましい限りです。
 ところが6歳の長男は、そんなことはあります。生理的な理由もあるのでしょうけれども、どうも人間は、成長するにつれて、ものごとにのめりこむための集中力が低下していくような気がします。ひとつのことだけでなく、他のことへも注意を払っているのです。その分、集中力は分散していきます。
 これはなにも人間だけでなく、動物にも通じることかもしれません。このような注意力を分散する能力は、生きていくためや社会生活を営むために必要なことなのでしょう。でも、どうも、重要な能力を、加齢と共になくしていくような気がします。これは成長でしょうか。少なくとも集中力においては、歳とともに衰えていくように見えます。
 生きていくということは、さまざまなことに対処する能力を持たなければなりません。でも、本来持っていた優れた能力をなくしていくのは、どうも納得できません。これは、私の思い過ごしでしょうか。

・キャンプ・
 今年の北海道は暑いです。私がきてから2回の夏を過ごしたのですが、冷夏で涼しい夏しか味わっていませんでした。私には久しぶりに暑い夏です。
 皆さんは暑い夏をアウトドアなど野外へ出かけられるでしょうか。我が家は山や川が好きです。でも、人の多いところかは苦手です。幸い北海道は広いため、場所さえ選べば、そんなに人の来ないキャンプ場もたくさんあるようです。そんなところを探すのも楽しみになりそうです。なんといっても、自然が一番の魅力ですから。
 キャンプは、私自身がしたいことでもあります。若いときからキャンプは、野外調査のたびにしてきました。それも自然の中で一人でするようなキャンプが多かったのです。私もしばらくキャンプはしていませんので、久しぶりにキャンプがしたくなってきました。
 今までは子供が小さかったのでできなかったのですが、次男がやっと外でトイレができるようになったので、今年からキャンプも可能になりました。
 大学は、今、試験期間です。冷房もない暑い条件で学生たちは試験に励んでいます。でも、彼らには試験の後は、待望の暑い夏休みが待っています。教員には採点の地獄が待っています。
 私は採点の合間を見つけて、家族でキャンプに行こうと思っています。今日(7月30日)、私の担当の科目の試験が終わったら、家族で近くのキャンプ場に出かけるつもりです。