2004年11月1日月曜日

34 試される日本(2004年11月1日)

 今年は台風や地震など自然災害が多発しています。そんな自然災害を間近にで体験したり、報道番組で見たりして感じたことは、どうも私たちが試されているのではないかということです。

 自然災害は避けることができません。台風や地震は自然災害なので、その地に住む限り、台風が来ること、地震が起こることを避けられません。そんなときは、ただじっと、自然の猛威の去るのを耐えて待つしかありません。
 昨年、北海道の日高や十勝地方は十勝沖地震と台風10号によって大きな被害を受けました。昨年の台風10号が四国を襲う直前まで、私は愛媛県西予市城川(その当時は愛媛県東宇和郡城川町でした)にいて、台風に追われるように北海道に戻りました。その後、地震と台風10号によって被害を受けた沙流川と鵡川沿いの日高と十勝地方へあえて調査に入りました。その結果は、「地球のつぶやき」の「22 災害と倫理:北海道の被災地を調査して(2003年11月1日)」で紹介しました。
 昨年滞在していた城川で、私が去ったあと襲った台風10号で2人の死者を出しました。そのうちの1人は、城川に住んでいる友人の同級生でした。
 今年は、台風がたくさん日本に来ています。10月までに日本に上陸した台風は10個にもなり、史上最高だそうです。上陸した台風は、多くの被害を出しました。
 私は今年も9月2日から9日まで、愛媛県西予市城川に滞在しました。そのときに台風18号に遭遇しました。その直前に襲った台風16号の被害も収まらぬうちに、台風18号の来襲でした。その後台風18号は北海道にも大きな被害を与えました。私がいった数日前まで城川は停電していたそうです。山に調査に入ったのですが、植林された木がいっぱいなぎ倒されていました。16号による道路の倒木が片付けられた直後にまた多数の倒木が道路をふさぎました。周辺は林業の町なので、その被害は大きかったと想像されます。
 台風18号で北海道で一番の被害があった積丹に9月10日から12日訪れました。そこでも、自然の猛威の爪あとを目の当たりしました。その様子は週刊メールマガジン「地球のささやき」の「4_46 積丹半島1:災害の直後に(2004年9月16日)」で紹介しました。
 さらに、先日10月の23日から24日に、今年の台風18号で大量の木が倒れた支笏湖周辺に行きました。道路の倒木は処分されていましたが、大量の倒木が森の中には倒れていました。そうして道路も一部不通のところもありました。
 本州では、台風23号の被害がさめやらぬうちに、新潟中越地震です。余震が長く続いています。この地震は直下型で被害も大きく、度重なる台風で地盤の緩んだ山間部では地すべりなどの土砂災害が起こっています。地震と台風は何の関係もなく起こるものですが、地表に住むものには、台風による大雨と地震が重なると、災害が大きくなります。
 ライフラインが切れた状態で、被災者が長期間孤立すると、体力のない人には、自然災害に次ぐ二次災害が起こります。北海道では初雪が平野部でも降りました。暖房装置がないと、この寒さの中では、生きていけないかもしれません。積丹の浜辺の人たちは、隙間風に苦しめられていないでしょうか。新潟の被災地でも、どう寒さを凌いでいるのか気にかかるところです。余震が怖くて外にいて、夜は車のエンジンをかけて過ごしている人も多いと聞きます。
 何度もの台風の襲来と新潟の地震は関連はないのですが、天災が重なると多くの人は疑心暗鬼になり、デマや迷信、風聞などが起きるかもしれません。それを面白おかしく取り上げるマスコミがあったりするとますます不安が広がるかもしれません。被災地ではそんなデマに惑わさせれずに、復旧作業を続けていくしかないでしょうし、被災していない人は復旧作業を応援するしかありません。離れている私たちは、せめて現地のためになるように、義捐金を送ったり、暖かい眼差しで支援を続けるしかありません。
 北海道も含めて日本各地が、今、自然災害にあえいでいます。日本中が、もがき苦しんでいるような気がします。自然災害は、なにも日本だけでないかもしれませんが、とにかく去年から今年にかけて、日本は、災害が続いています。
 そんな状況をみていると、私は、日本がそして日本人が試されているのではないか思いました。金銭的な繁栄を求めている日本が、これでいいのかということを問われているのではないかと思いました。金や技術、科学を信奉している日本が、その頼りにしているもので、この災害にどう立ち向かうのか試されているのではないでしょうか。この試練に、間違った答えるすると、日本は取り返しのつかない方向に進んでいくような気がします。
 営利や技術より、その日の食べ物、その夜の暖、復旧のための人手、心のケアをしてくる人たちが求められています。今までの日本が置き去りにしてきたことが、本当にそれでいいのかと試されているような気がします。この試練にどう立ち向かえばいいのでしょうか。
 今までのようにマスコミの報道が終われば、被災地以外の人たちは災害を忘れ去っていき、日々の営利、技術の世界に戻っていくのでしょうか。それでいいのか試されているような気がします。
 災害を復旧するのにお金や技術はもちろん必要でしょう。他人の支援どころではない人、自分が生きることに精一杯の人もたくさんいるでしょう。それでも、必要な何か、しなければならない何かがあるような気がします。それは今の日本が、日本人が、どこかに忘れてきてしまったものです。昔から日本のどこにでもあって、日本人なら誰でも持っていたものです。心とか思いやりなどという正体のない、得体の知れないものです。でも、だれもが、それを感じることかできるものです。それを今の日本は忘れ去ろうとしています。
 そんなどこにでもあった心を忘れていいのかのと、度重なる自然災害によって、日本が、日本人が、試されているような気がします。救援に向かえといっているのでありません。営利を求めること、技術的進歩を求め進むこと、それのみを最優先していいのかということが問われているような気がします。営利、進歩を望むあまり、心を亡くしていいのかと問われているような気がします。立ち止まって考えることを求められているような気がします。
 一人の被災者にとって自然災害の大小は関係ありません。自分の生死が問題です。メディアや行政は、一人一人の人命が大切なことは承知しているでしょうが、多くの被害者のある方に精力を傾けます。それは、予算、人材、効率を考えるとそうならざる得ません。でも、四国台風の災害では、近所の助けあいが、老婆を救ったという報道がありました。そんな気持ちは、少し前まではあふれていました。お金のない家でもある家でも同じだけ持っていたものです。そんな一人の被災者を救えるのは、近所の人の温かい心ではないハイでしょうか。それは、ある日突然生まれるのではなく、そこに生活することによって育まれていくものです。その絆が強ければ、頼り頼られる関係が成立すると思います。
 そんな近所の心のつながりが、都会生活では消えつつあるような気がします。時代の流れだからしょうがないのかもしれませんが、それをなくしていいのか問われているような気がします。このようは日本が過酷な状況にあるからこそ、皆で考えなければならないのではないしょうか。

・知恵と人との和・
 私の住む北海道の町では、10月27日に初雪が降りました。先日雪虫が飛び交ったと思ったら、やはり虫たちの予測どおりに、初雪が降りました。被災された人たちがこの寒さの中、どのように過ごされているのか心が痛みます。
 北海道では、冬用の靴やタイヤがあります。防寒着も厳冬期用の分厚いものを持っています。長靴も暖かいものがあります。もちろん暖房も大きなストーブを焚いています。
 今までその地で暮らしてきた人たちが蓄えてきた知恵を総動員して、この災害に立ち向かうしかありません。災害時には、今まで使えた電気やガスなどが使えなくなるかもしれません。水道も出なくなるかもしれません。ライフラインがなくても、立ち向かう知恵を出さなくては生きていけません。
 私は、初雪の降った日の寒さには、電気や灯油を使うことでしか、対処できません。昔からこの地で暮らしてきた人たちには、きっと自然の恵みを利用して、この寒さから身を守るすべをいっぱい持っているはずです。そんな昔からの知恵も、金で買える技術によって、今忘れ去られようとしています。
 緊急事態に対処できるのは、そのような昔からその地にあった知恵ではないでしょうか。そしてなによりも、そこに住む人たちの協力、共同が最大のものではないでしょうか。老人が持っている知恵を若い人たちが実現していくことによって、緊急事態を乗り切ることができるのではいでしょうか。
 昔からその地に出育まれたきた知恵と人との和ともいうべきものが、どんなときでも一番頼りになるものではないでしょうか。そんなことをつくづく考えています。