2007年3月1日木曜日

62 信頼と信念:ピグマリオン効果(2007.03.01)

 人は信頼され、そして自分を信じると、通常以上の苦労をしても、ものごとを達成できます。そこには、ある心理的効果が働いています。

 私が大学生の4年生で卒業論文として野外調査をしている時のことでした。枕状溶岩という形態の岩石が、広く分布している地域を調査していました。このような岩石のできた時の状態、分布状況を産状と呼んでいます。
 枕状溶岩とは、玄武岩質のマグマが海底で噴出したときにできる特有の産状でした。溶岩は高温ですが、海水は低温です。マグマが海底で噴出すると急激に冷やされます。マグマが冷えると岩石になります。岩石は断熱効果が高く、外側が冷たい海水に接していても内側は熱いマグマのままでいます。マグマが噴火で後から後から続いて押し上げてきます。すると、表面の岩石は内圧に負けて割れます。その割れ目からマグマが海水中に流れだします。流れ出すマグマは、チューブに入った歯磨きが押し出されるようにでてきます。もちろん海水中ですからすぐに表面は固まります。そのような繰り返しが、海底火山では起こっています。
 できた岩石は、丸い円柱状の石として積み重なります。まるで枕が並んでいるようなので、枕状溶岩と呼ばれています。海底を形成している岩石は、すべてこのような海底火山によって形成されたものです。海底での火山噴火は、ほとんど枕状溶岩の産状となるのです。
 過去に海洋地殻を構成した岩石が、陸地に化石のように残されていることがあります。そのような化石の海洋地殻を、オフィオライトと呼んでいます。私が卒業論文で調査していたところは、オフィライトの内、海底に近い枕状溶岩がたくさん出てくる地域だったのです。しかし、地殻変動の激しい地域で、その枕状の形が非常に分かりにくくなっていました。
 毎日悩みながら、露頭にへばりつくようにしてみていくと、その形がなんとなく見えるようになって来ました。
 私の調査地域は中心部に、ダム工事の現場がありました。工事で山が削られて崖になったところが、ひときわ見事で、誰がみても枕状溶岩と認められるようなものでした。しかし、それ以外のところでは、大半が産状が分かりにくく判別の困難なところでした。
 最終的には、試料を持ち帰り、光が通るほど薄くして(薄片と呼びます)、顕微鏡で確認するまで、溶岩かどうかも確信できないものもたくさんありました。そのため100枚以上の薄片を作成していき検討しました。
 そのような努力の背景には、指導教官がすぐれた野外調査の持ち主で、励ましてくれたことがありました。誰でも、訓練を積めば、枕状溶岩を見抜くことができるのだということを強調していました。そして私にもそれはできるんだということを期待してくれていました。
 私は、枕状溶岩を判別することが困難な地域で苦労したために、他の地域で枕状溶岩を見る時は、かなり判別する能力ができていました。他の人が見分けられないところでも、枕状溶岩が見分けることができ、それの他の人に説明できるほどになりました。
 さて、話はいったん中断して、一見関係のないギリシア神話の話をします。
 ギリシア神話にキプロス島のピグマリオン(Pygmalion ピュグマリオンとも書かれます)という彫刻家が出てきます。その腕は超一流でした。しかし、結婚もせずに過ごしていました。結婚をしなかったのは、彫刻家として彼の目で見ると、どの女性も欠点があり、美的に満足できないためでした。
 そこで、自分が満足のできるような女性の彫刻をつくることにしました。彼が作ったその像は、完璧ですばらしく、生きた女性で足元に及ぶようなものはいないできでした。あまりの素晴らしさに、ピグマリオンはその彫刻に恋をしてしまいました。そしてその像に、服を着せたり、アクセサリーをつけたり、寝椅子に横たわらせたりして、まるで生きている女性のよう遇したのです。
 キプロス島の祭りの時に、祭壇に現われたアフロディーテ(愛と美の女神)にピグマリオンは、「像の乙女を私の妻として下さい」と願い出ました。その願いは叶えられ、像は生きた女性になり、二人は結婚しました。(以上ブルフィンチ作のギリシア・ローマ神話より)
 この神話は、西洋では結構有名で、人形偏愛症を意味する用語ピグマリオン・コンプレックスやピグマリオン効果などの用語を生み、いまでも使われています。
 ピグマリオン効果とは、心理学者ローゼンタールが、アメリカで実験したことが起源となっています。その実験とは次のようものでした。
 小学校である検査をしたところ、特定の児童たちの成績が、今後数ヶ月に延びるという結果が出たことを、新しいクラス担任だけに知らせました。そして数ヵ月後、成績を見てみると、本当にそれらの児童の成績は伸びていたというものでした。
 これだけなら何の問題もないのですが、実は、その検査はウソで、成績が伸びるとされた児童も、無作為に選ばれたものでした。どうしてこのようなことが起こったのでしょか。
 ウソの情報を教えられた担任が、伸びるとされた児童たちに期待をし、児童たちも期待されていることを意識した相乗効果ではないかと考えられています。このような効果をピグマリオン効果と呼んでいます。
 現在ではこのローゼンタールの実験には不備があったことがわかり、彼の実験結果自体は信じられていません。しかし、子供の能力に期待してその能力を信じるという指導者の態度は、重要で効果があるという認識はできました。それをピグマリオン効果と呼んでいます。
 私の枕状溶岩を見分ける能力を身につけたもの、実は指導教官のピグマリオン効果かもしれないと思います。
 卒業論文の他の同級生たちは、石を見分けるのに苦労をしていませんでした。私も、最終的には見分けられるようになりましたが、そこに至るまで他の人と比べると、かなりの努力を要しました。思い起こせば、人並み以上の努力をしていたことになります。しかし、私にはできるという根拠のない期待と、私はできるはずというこれも根拠ない自信がありました。それを支えに、人並以上の努力をすることを苦労と思わないでいました。そして最終的に枕状溶岩を見分けることができました。これは、ピグマリオン効果といえます。
 私の枕状溶岩には、後日談があります。卒業研究を終えた私には、枕状溶岩に対する異常なまでの執着と自信がありました。修士論文でまったく違う地域の枕状溶岩を研究することになりました。そこで実は同じ苦労をすることになったのです。
 私は、枕状溶岩の産状判別には、だれにも負けないほどの能力をもっていると自負していました。しかし、所変われば石も変わります。新しい調査地域で初夏に調査を始めたら、まったくといっていいほど見分けることができませんでした。たくさん薄片を作ってみたのですが、野外で見たものと一致しません。
 しかたなく、近くの大学で先生をした先輩のWさんにお願いして、顕微鏡を見てもらい、指導を仰ぎました。本当は野外で指導をしてもらいたかったのですが、そうもいかず、顕微鏡での指導でした。顕微鏡で石の種類は分かりますが、産状まで見分けることはできません。しかし、その時Wさんからは、野外調査の心得を教えていただきました。
 その心得とは、努力さえすれば産状は野外できっと見分けられるはずだというものです。もし見分けられなかったら、数cm間隔でもいいから、違うと思う石があればすべてとってきて顕微鏡で確認しなさいというこでした。Wさんも、野外調査をして最初は分からなかったときに、そのように詳細に調べることで分かるようになったとのことでした。ですから私にも、そのようにすれば、産状が分かるようになる、ということを教えてくださいました。
 その教えどおり私は、調査地域のメインとなるルートを決め、そのルート石は絶対に見分けて見せるという決意のもと、野外調査に戻りました。最初はなかなか分かりませんでしたが、後になるにつれて判別できるようになりました。Wさんのいうことは本当だと思いました。これもピグマリオン効果でしょう。
 この話にはオチがあります。調査の結果分かったことですが、調査地域の南側には大きな花崗岩が貫入しています。その花崗岩の熱によって玄武岩が変成作用を受けたため、初期の産状が見えにくくなってたのです。その影響を最初気づかなかったため、産状の判別が混乱して、分からなくなっていたのです。
 二人の指導者には、いい経験をさせていただきました。あなたならできるという信頼、私はできるという信念があれば、人以上の苦労をしていても、それは苦労ではなくなり、やがて目標にたどり着けるということです。自分ならその先にあるものが手に入れられるという信念こそが、そこまで至る苦労を苦労と思わなくさせる効果があります。指導者の信頼とそれに応えるようとする人の信念があれば、大きな効果が生まれることを身を持って体験しました。

・役割変更・
いよいよ3月です。
学校では年度の終わりとなります。
2次入試、採点、卒業式など、3月は何かとあわただしいのですが、
私にとっては、一番まとまった時間が取れる時期でもあります。
この時期でないとできないこともあるので、それを今一生懸命やっています。
たまった試料の整理、新しいプロジェクト2つのスタート
来年度の講義の再構築など、考えるとできること以上を
成そうとしているような気もします。
しかし、どれもやらなければならないこと、やりたいことであります。
励ましてくれる指導者や信頼してくれる指導者は、
今は周りにはいなくなりました。
師が自分の周りからいなくなるということは、
自分もそれなり高齢になったということです。
そして私の周りのいるのは、同輩や後輩たちです。
彼らも今では学生たちの指導者となっています。
私がそのような指導者にならなければいけないのです。
そんな年相応の役割の変更が起こっているのですね。

・ピグマリオン・
ギリシア神話にはピグマリオン(Pigmalione)という同姓の人が二人います。
一人は、今回紹介したキプロス島の彫刻家です。
もう一人のピグマリオンは
ティルス(Tyrus、レバノンの南西部の地中海に面する都市)の王です。
このピグマリオンは、女王ディドネ(Didone、カルタゴの建設者)の兄です。
いくつかの資料では、この二人が
ごっちゃになって混乱しているものもあります。
ピグマリオン効果のピグマリオンは、もちろん前者です。
バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』は、
この神話を題材にしたものです。
そしてこのバーナード・ショウをモチーフにして
映画「マイ・フェア・レディ」がつくられました。