2008年12月1日月曜日

83 ベリンガー事件と造形力説:化石の認識(2008.12.01)

 化石が昔の生き物の一部というのは、当たり前の考え方に思えます。ところが、その考え方にいたるまでには、紆余曲折がありました。その紆余曲折の原因として造形力説があります。造形力説を象徴するようなべリンガー事件が起こりました。それらを紹介しながら化石の認識に関する歴史をみていきしましょう。

 化石とは、字のごとく「石に化けてしまう」ことです。何が石に化けるかというと、もともと石でないものです。化石の代表として上げられるのが、貝の殻や歯、骨などがあります。
 化石は、英語でfossilと書きますが、ラテン語のfossilisがその語源となっています。ラテン語のfossilisは、「掘り出されたもの」という意味で、現在の化石の意味とはかなり違っています。
 もちろん現在では、化石やfossilを「掘り出されたもの」という意味に使われることはありません。今では、小学生でも、化石は昔の生物が石になって発見されたものだ、ということを知っています。その考え方は、直感にあっています。
 たとえば、山奥の地層の中から貝化石がでてきたとしたら、どうして山で貝化石が見つかったと考えましょう。貝化石が、今は海に住んでいる貝が持っている殻に似ていることは、誰でも一目見ればわかります。その類似性に注目すれば、この地層自体が海でたまったものであること、そしてその中に海に住んでいた貝も一緒に埋もれてしまったこと、体の身の部分は腐って硬い殻だけが残ったということを、容易に連鎖的推測ができるはずです。この話を子供にしても、十分理解できるでしょう。
 昔の人も、同じような発想を持っていました。
 中国では、顔真卿(がんしんけい、709~786)や朱子(しゅし、1130~1200)の書いた書物の中に、「化石は過去の生物の遺骸である」という意味の文章があります。ですから、今の同じような化石の認識を持っていたのです。
 ギリシア時代にも、タレス(Thales、BC640~546頃)やその弟子のアナクシマンドロス(Anaximandron、BC615~547)は、化石が過去の生物の遺骸であるという考え方をしていました。また、クセノファネス(Xenopanes、BC570~475頃)は、山の地層から見つかった貝化石から、そこがかつて海であったと考えていました。
 このように過去の知識人たちは、上で述べたような素直な発想で化石をみて、妥当な推測をしていました。
 ところが現在の科学の源流となっている西洋では、そのような認識が長く失われていました。その原因の一つとして、西洋の宗教的背景が挙げられます。化石への間違った認識に至ったのは、宗教の呪縛ともいうべきものがあったためです。
 アリストテレス(Aristoteles、BC374~322)は、化石の起源として「造形力説」という考え方を示しました。造形力説は、神秘的な特殊な力によってつくられたという考え方です。化石は、「自然のいたずら」や「神のたわむれの作品」などとする説が中世のヨーロッパでは主流となってのです。
 宗教の教義は聖書、それ以外の学問はアリストテレスの考え方が、キリスト教に取り入れられました。この化石の起源の造形力説も、宗教的な背景を支持するものとして、キリスト教が勢力を持っていた間、西洋で主流の考え方として信じられていました。
 西洋社会が宗教の呪縛から解き放たれつつあったルネッサンスころには、少しずつ化石の認識が変わってきました。レオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci、1452~1519)は、陸で発見した貝化石を、かつて海にすんでいた海生生物が地層にうまり、地殻変動で陸地に上がったという推定をしていました。彼の手記には、その記録が残されています。また、「鉱物学の父」と呼ばれたアグリコラ(G. Agricola、1494~1555)は、1546年に「化石の本性について」を出版して、化石を生物の遺物としていました。
 さらに時代が進んで18世紀になると、西洋では産業革命が起こります。それに伴って大規模な土木工事がおこなわれるようになり、各地で化石が発見されるようになりました。それに興味を惹かれる研究者もでてきました。多くの観察事実から化石の正しい認識への道を歩む一方、造形力説を信じている人たちはまだたくさんいました。そんなとき、造形力説の衰退を象徴するようなベリンガー事件がおこりました。
 ドイツのヴュルツブルク大学の教授ベリンガー(J. B. A. Beringer、1670~1740)は、三畳紀の石灰岩層に含まれている化石を研究していました。同大学の地理と数学のロデリック教授と大学図書館の司書のエックハルトは、ベリンガー「我々に対しあまりにも横柄で見下した態度をとった」ため、腹を立てたていました。そこで彼らは、ベリンガーに復讐するために、3人の青年を使って、石灰岩を削って偽の化石をつくりました。偽化石をベリンガーが調査で調べそうなところに埋めておきました。
 偽化石の中には、クモ、カエル、ハチ、カタツムリ、トカゲや鳥、ナメクジやミミズなど、およそ化石になりそうにないものや、輝く太陽や月、星、彗星の化石、ヘブライ語の文字の化石など信じられないものも含まれていました。
 ところが、ベリンガーは、これらすべてを本物と信じて疑問を持たなかったのです。化石の一部は生物の遺骸に由来すると考えていましたが、残りの多くは、「神の気まぐれないたずら」という「造形力説」で解釈していました。また、化石に明に残っていたノミの跡さえ、神がふるったノミの跡と信じていました。一方、ロデリックとエックハルトは、贋作という悪戯が行き過ぎたので、偽造の過程を示したり、偽造した石を送って贋作を知らせたのですが、それすら、自分の手柄を妬んで、貶めるためだと考え無視しました。
 彼は、その成果を、1726年に「リトグラフィエ・ヴュルセブルゲンシス」(Lithographiae Wirceburgensis、ヴュルツブルク産化石の石版図集と呼ばれることがあります)を出版しました。
 その後すぐに、この贋作事件は発覚し、べリンガーは名誉毀損の訴え、裁判沙汰になりました。ロデリックはヴュルツブルクを離れ、エックハルトも司書をやめざる得ませんでした。べリンガーの名誉は失墜したでしょうが、その後も大学で教鞭をとり続けたようです。
 ベリンガー事件の犯人は裁かれ処分を受け、べリンガー人も名誉を傷つけられました。しかし、この贋作事件のそもそもの犯人は、化石が造形力説によって形成されるという考え方がではないでしょう。ある考え方を信じ、それに基づいて行動していくと、たとえその考えが間違っているという証拠が一杯あったしても、見えなくなってしまうのです。「あなたは間違っていますよ」という助言があったとしても、それすら疑ってしまうのです。思い込み、あるいは思い入れには、注意が必要です。常に冷静に、そして公平に周りをみる目が必要です。心しなければなりません。
 このような贋作事件は、造形力説が生み出したものですが、18世紀には、斉一説やそれに基づく進化論の登場によって、造形力説が終焉を迎えます。その話は、別の機会にしましょう。

・日本の化石・
日本は、中国の影響によって本草学が
古くから伝わっていてました。
本草学の対象に、化石も含まれていました。
しかし、本草学の中には、現在の化石という認識はありませんでした。
ですから、日本では、化石に対する認識はなかったのです。
日本語の「化石」は、平賀源内などによって用いられ、
木や葉の石になったものの俗称だったそうです。
明治初期より鉱山関係者で化石という言葉や認識が
普及し、定着してきました。
日本の化石の認識は、西洋より遅れていたのです。

・師走・
11月の週末に我が大学の推薦入試が行われました。
もうそんな季節になったのです。
大学では、来春のための準備が着々と進んでいます。
そして、大学を目指す若者は、
必死で入試に臨んでいるわけです。
そんなひたむきな若者の姿をみると、
教員の心に響くものがあります。
応えるべき教員も誠意をもって
入試に当たらなければなりません。
そんな忙しさを感じる師走です。
このエッセイが今年の最後の号となります。
今年一年このメールマガジンの購読ありがとうございました。
来年も継続していきますので、よろしくお願いします。