2009年12月1日火曜日

95 観察に真理が宿る:ダーウィン生誕200周年

 早いもので、もう2009年も終わろうとしています。今年最後のエッセイとしてダーウィンを取り上げることにしました。実は、このエッセイを書こうか、書くまいか、かなり迷いました。なぜなら、今年はあちこちでダーウィンが取り上げられているに違いないからです。でも、今回を書かないと、チャンスがないかもしれないので、書くことにしました。私の身近な視点で、ダーウィンについて述べていけばいいのではないかと思いました。それが今回のダーウィンに関するエッセイです。

 2009年は、ダーウィンに関する2つの周年記念にあたります。ダーウィン生誕200周年(1809年2月12日生まれ)と、「種の起源」出版150周年(1859年11月24日初版発行)の年に当たります。世界のいくつもの博物館でダーウィンに関する特別展が開催され、日本でも2008年ですが東京や大阪で開催されました。また、2008年9月、イギリス国教会は、発表当時進化論を誤解していたことを謝罪する記事を発表しています。生物や進化に関する分野では、今年は、ダーウィンについて、いろいろニュースになったことだろうと思います。
 さて、私とダーウィンとのかかわりを、手元にある本から話しましょう。手元には、かなり古いものから新しいものまで、ダーウィンの著作が4種あります。同じ著作でも、発行時期と出版社の違うものもあります。
 まず、ダーウィンといえば「種の起源」です。だいぶ以前に古本で購入した岩波文庫の「種の起源」(1988年発行の第30刷)全3冊があります。もともと「種の起源」は読みづらいものなのに、翻訳では文章がこなれておらずさらに読みづらいものとなっています。しかし、今年出版された光文社古典新訳文庫「種の起源」上巻は、渡辺政隆氏(S.J.グールドの著作を分かりやすいに翻訳されている方)の読みやすい新訳となっています。12月8日に発行予定の下巻が待たれます。届いたら読んでいきたいと思っています。
 次に有名な著作として、「ビーグル号航海記」が挙げられるでしょう。私は岩波文庫の全3冊(1994年発行の第37刷)を持っています。進化論は、ダーウィンにとって重要な業績です。しかし、ダーウィンが博物学者として、いろいろなものごと、特に地質学的現象に興味をもっていたことが、この本からうかがい知ることができます。
 私は地質学を専門としていますので、「種の起源」より、「ビーグル号航海記」の地質学的な記述に興味がありました。たとえば、航海に発見した多様なサンゴ礁が、沈降によって形成されていくことをまとめました(1842年)。それが正しいことが後に証明されています。
 そして次は、ちくま学芸文庫「ダーウィン自伝」(2000年初版)です。この本は、残念ながら現在は絶版のようです。この本はダーウィンの死後、残された遺稿をもとに出版されたものです。
 これら3冊のダーウィンの著作は、非常に有名なので、地質学者でなくても、ダーウィンに興味がある人なら、持っているものではないでしょうか。しかし、私は、もう一つ別の著作を持っています。それは、たたら書房から発行されている「ミミズと土壌の形成」(1979年第1刷)という本です。これも現在絶版ですが、平凡社ライブラリーの「ミミズと土」が購入可能となっています。
 「ミミズと土壌の形成」(1881年)出版の1年後(1882年4月19日)に、ダーウィンは亡くなっています。この本が、ダーウィンの手がけた最後の著書となったのです。
 「ダーウィン自伝」は、ダーウィン自身が数ヶ月の間にこつこつと書いたもので、その後も思いついたときに走り書きを書き加えていたとのことです。その走り書きを、死後まとめて出版されたものが、「ダーウィン自伝」なのです。出版年代でみると「ダーウィン自伝」の方が後に出ていますが、最終的にダーウィン自身が、原稿をまとて、出版をしたものではありません。
 ミミズの研究が、生涯の最後の研究となりました。進化論の提唱者のダーウィンが、ミミズのような小さな生物に着目し、そして行動を観察しているのです。有名なダーウィンにしては、地味な研究にみえます。私が、なぜ、「ミミズと土壌の形成」を持っているかというと、ダーウィンの科学者としての研究姿勢の象徴、そして研究するということへの強い意思をそこに感じているからです。
 ダーウィンがミミズに興味を持ったきっかけは、1837年、28歳のときでした。当時ダーウィンは、体調がすぐれず、田舎に療養にでかけていました。その時、おじのジョサイア・ウェッジウッド2世が、燃えかすが地面に沈み込んでいくのはミミズの働きである、といったことを発端としてました。それから研究をはじめ、11月にはロンドン地質学会で、その成果を報告しています。しかし、ミミズの働きに関する論文は、あまり評価されなかったようです。
 「ミミズと土壌の形成」のはしがきの中で、
「書斎で、なん月も、土をいっぱいいれたポットのなかにミミズをかっているうちに、わたしはミミズに興味をもつようになり・・・」
と書いています。
 ダーウィンは何ヶ月も書斎でミミズを飼っていたのです。それは、最初は研究を目的にしたのではなかったが、後に興味をもったかのような口ぶりですが、上で述べたように、以前から興味を持っていたのです。「ダーウィン自伝」の1881年5月1日に書かれた部分では、こう述べています。
「私はいま、小さい著作 "The Formation of Vegetable Mould through the Action of Worms" (「ミミズと土壌の形成」のこと)の原稿を印刷所に送ったところである。これは、わずかな重要性しかもたない問題である。その問題が読者におもしろかどうか私は知らないが、私自身にはおもしろかったのである。読者には興味がないかもしれないが、自分にはおもしろかったのである。」(168ページ)
 つまり、ダーウィンは、観察や実験の重要性よりも、興味を優先していたのです。生涯最後の仕事として、若いころ興味を持ち、そして今も興味をもっているミミズの研究をしたのです。その結果、ミミズと土壌の関係を解き明かしています。私は、研究の内容や成果より、ダーウィンが動植物の飼育や栽培などの実験と観察を重視して、長く研究をおこなってきた点において、研究者としての魅力を感じます。その原動力が興味に基づく自然観察だったのです。
 「ミミズと土壌の形成」のはしがきの中で、
「それは、四十年以上もむかし地質学会で発表した短い論文を完成したものであり、以前の地質学的思考を蘇生させたものである」
と書いています。ダーウィンは、若い頃にはじめたミミズの研究を、「ミミズと土壌の形成」としてまとめ、晩年最後の仕事としたのです。まるで自分の生涯の研究を完結すかのような仕事ぶりです。そして、その仕事が「地質学的思考を蘇生」させることだったのです。
 進化は、目に見えない現象です。過去に起こったことを、現在に生きる研究者が解き明かさなければなりません。ダーウィンは、現在の生物を観察し、実験することで、進化の証拠を見出そうとしていました。過ぎ去った時間の中の出来事の検証を、現在の出来事から窺い知ろうという姿勢です。一種の斉一観に基づく姿勢かもしれませんが、過去の現象に客観性を持たせる有効な手法であることは今でも変わらないと思います。
 ダーウィンにとって、進化論の検証の一つが、ミミズの観察であったのかもしれません。昔畑に撒かれた石灰などの層を掘り起こしてどくらい深くに達しているかや、重い石や古代の建築物が沈んでいくことを観察したりしています。そんな一見地味な観察の集積に、自然の真理を見抜く方法が宿っているのかもしれません。ダーウィンは、自然の真理を見つける方法を悟っていたのかもしません。そしてその方法を、生涯を通じてやり通したのかもしれません
 やはり、ダーウィンは偉大だったのです。

・卒業研究・
いよいよ後一月で、2009年も終わります。
大学では、今4年生が卒業研究の真っ最中です。
私もその対応に右往左往しています。
彼らにとって4年間の集大成です。
その力の入れ方、あるいは成果は
人ぞれぞれのように見えます。
私が卒業論文を書いたときとは時代も違います。
手書きとワープロ、
模造紙での発表とパワーポイントでの発表、
などなど違いは大きいのです。
でも、どれだけ熱意をもって望むかは
比較可能かもしれません。
まあ結局比較していっても、
年寄りの繰言になりそうです。

・博物学者・
ダーウィンの業績は、地理学や生物学、地質学という範疇では
なかなか収まらないような研究者だという気がします。
ダーウィンが興味の対象としたのは、
自然史"Natural history"の記述で、
その向かっていた方向は
自然哲学"Natural philosophy"だったのでしょう。
はやりダーウィンは、博物学者と呼ぶべきだと思います。

2009年11月1日日曜日

94 帰化生物:タイムスケールの違い

 タイムスケールが変わると、見え方も違ってきます。タイムスケールは非常に重要な視点です。その視点を、科学者すら忘れてしまいます。ついつい自分の分野の固有の時間で、自然を見て、判断し、結論を出してしまいます。その結論が、その分野だけに閉じているなら問題はありません。しかし、その結論が社会問題へ関与するとなると、科学的な判断として重要性を持つことになります。そんな例を紹介しながら、タイムスケールの多様さを考えていきましょう。

 地質学を学んでいると、壮大なる時間の流れ、タイムスケールを感じずにはいられません。地質年代を議論するときは、数万百万年を「誤差範囲」といったり、数万年前のことを「つい最近」といってしまいます。野外で調査をしていても、長い時間の隔たりを見てしまいます。断層を境に、何億年もの年代差がある地層が並んでいたり、連続的にたまっている地層が実は数百万年かかって形成されたなどという実例をみせつけられるのです。このような時間の流れが、身近な自然の中にあることを、地質学者は思い知らせれます。
 皆さんの町を流れる川原に転がっている石が、何億年前、何千万年前にできたものだということが当たり前にあります。多くの人は、その時間の長さを知ることなく、ただの石ころにしか見えないはずです。
 たとえその石ころの年代が1億年前のものだと聞いても、「古いものだなあ」と思うだけで、タイムスケールの違いを感じないでしょう。でも、地質学者は、そこに時間の流れの悠久さを見てしまうのです。そのような訓練を受けてきたのです。それが地質学者の地質学者たる所以でもあります。
 地質学者は、他のどのような科学の分野より、長い時間を研究対象としています。石の中に見え隠れする時間や期間、時代を見つめています。その時間、期間、時代は、地質学者にとっては、実在し、実感できるものとなっています。
 地質学者の扱う時間は、非常にゆっくりとした流れです。その雄大な流れの中に、ダイナミックさ、激烈さ、速さ、さらに一度限りと繰り返し、変化と不変、消滅と生成などを見つめています。
 地質学者がみる自然に流れる時間と、他の自然科学の分野の研究者の感じる時間の流れは、違っています。その結果、地質学者がみる自然と、他の分野の自然科学者の見る自然は、違っていることがあります。地質学者は、大気や海洋、あるいは生物の営みを考えるときに、地質学的タイムスケールでみてしまいます。それぞれの分野の研究者は、地質学はよりずっと短いタイムスケール、早い時間の流れで見ています。そのような研究者によるタイムスケールや時間の流れの見方の違いが、時に自然の見方に大きな違いをもたらすことがあります。
 あることで社会的な問題が発生したとき、研究者の意見が重要性を持つことがあります。その問題を研究している一番中心の分野の研究者たちが、一番よく知っているはずですから、彼ら発言を、重視するのは当たり前です。研究者の成果や意見が重要になり、彼らからの回答が世間への答えとなります。流布すれば、常識となるはずです。
 その当たり前や常識も、ある見方という前提を置いていることに注意をすべきではないでしょうか。私たちは人間として、生物として、時の流れの中に暮らしています。ですからどうしても、生物学的時間の流れでものごとをみてしまいます。しかし、ものごとにはそれぞれ固有の時間の流れがあるはずです。せっかく知恵ある人類として生まれたのですから、違った時間の流れを認識しておく必要があるのではないでしょうか。別のタイムスケールでものごとをみていくと、違ったものが見えてくることも、認識しておく必要があるはずです。
 ある島の例を考えましょう。
 太平洋のど真ん中、見渡す限り、いや周囲数百キロメートルには、他の陸地は見当たりません。まさに絶海に、ある時、島が誕生しました。その島は、火山活動で、海面上に顔を出してきたものです。その後も火山活動は繰り返し起こり、島は成長していきます。やがて、火山活動もいつとはなく終焉し、その島には穏やかな日々が訪れます。数百年が経過します。その日々は、地質学的には長くはないのですが、通常の自然においては長い時間となります。
 あるとき、海鳥がこの島に訪れ、羽を休め、数日過ごします。鳥の糞にたまたま含まれていた種がそこに根付きます。そんな出来事が何度が繰り返され、植物の種類が増えてきます。ある時、嵐に巻き込まれて昆虫が数匹、この島にたどり着きます。幸いその島にあった植物が、その昆虫の住処と餌になりました。またある時、流木に乗ったトカゲが流れ着きます。
 そのような偶然が重なって数千年後、その島には、小さいながらも生態系と呼ばれるものが形成されていきました。数万年後、その島にはうっそうとした森と多様な昆虫や両生類、爬虫類、鳥、そして淡水魚すら住み着くようになりました。
 さらに数十万年後、小さく粗末な船、数艘がたどり着きました。長く船で旅をしてきた人々にとって、その島は楽園でした。水も食料も家や船の材料にも事欠きません。やがて人々はそこに住み着き、豊かな暮らしを始めます。自分たちの島の豊かな産物を、他の島々に持っていき、逆に自分たちの島でとれないものを持ち込んできました。いろいろな野菜、穀物、家畜などなど。農業や牧畜もはじまりました。
 やがて、人の手を離れた生物たちは、野生化して、もともとあった動植物よりたくましく生き、生息域を広げてきました。
 ある時、人々は、自分たちが持ち込んだ動植物を外来種と呼び、もともとあった動植物を絶滅危惧種と呼ぶようなりました。外来種は捕まえ、駆除(殺され)されました。一方、死にそうになっていた絶滅危惧種は手厚く保護され、人工的に繁殖、栽培され、自然に帰されました。
 これは、ある架空の島の話です。しかし島を国や地域に置き換えれば、似たような事例は、よくある話ではないでしょうか。そもそもの発端は、人が生物を不注意に扱ったことや、人の移動、定住などの活動、あるいは開発が、他の生物への大きな変化を強いたのです。人や物流に伴って生物も移動してきたのです。人の行動こそが、告発されるべきことになるはずです。
 もっとタイムスケールを広げてみれば、またまた違うものが見てきます。
 地球表層には、大地と海洋が存在し、地形や緯度の違いによって、さまざまな環境が形成されます。ある時、海に生命が誕生しました。生命は、進化という武器を利用して、多様な環境に進出していきました。生物は、その環境に適応したものや何らかの長所を持つものが、他の種を追いやって自分たちが繁栄するという宿命を持っていました。それが、生命にそもそも組み込まれている進化、あるいは適応と呼ばれる仕組みです。新しい環境があれば、生物はそこに進出するという宿命を背負っているのです。
 人という種は、今や、いたるところに進出しています。通常では住めない環境も技術と知恵を使って進出しています。先に住んでいたい生物からすれば、人類だって外来種です。いや、人類こそ、外来種の最たるものでないでしょうか。すべての生物は「外来」しています。「外来」こそが、生物の生存戦略なのです。
 ところが、人の移動や物流を利用して、勢力拡大の戦略としてきた生物たちは、なぜか、外来種として人から敵対視されています。人の身勝手なタイムスケールでみると、外来種や危惧種などという分類ができてしまうのです。
 人は、なぜ、いつから、他の生命に対して、価値を与えるようになったのでしょうか。人は、今日も、他の生物種に対して生殺与奪権を持っているように行動しています。私には、そのような見方は、まるで神が、生物を扱うような振る舞いにしかみえません。
 タイムスケールを変えると、外来種も絶滅危惧種も自然の営みの一環となり、今までの扱いも変わるはずです。こうみてくると、外来種や危惧種も、ぱっと割り切った答えの出せる問題ではなくなり、人ぞれぞれ意見が分かれるところでしょう。
 でも、そのような答えの出ない状態では、人は行動できません。そこで使われるのが、生物に詳しい専門家の意見です。つまり生物学者です。人のタイムスケールで付けられた外来種と絶滅種というレッテル貼りが、生物学者の手によってなされます。そうなると、生命に、保護されるものと駆除されるものいう明暗ができます。そのレッテルに基づいて、それぞれの生物の運命が、決せられるわけです。これでいいのでしょうか。
 生物学、あるいは生物学者、あるいは自然科学を非難しているわけではありません。視点を変えると違ってみえ、そこには難しい問題が発生するということ、を私はいいたいのです。
 ある一つの視点であるタイムスケールだけを変えても、自然がこのように違って見えました。地質学者である私は、ついつい長いタイムスケールでものごとを見てしまいます。そこから見る景色のあまりの違いを見て、複雑な思いとなります。しかし、いろいろな視点があるはずです。そしてそこからでてくる考え方も多様です。それらの多様性を議論の俎上に上げて後、重要な結論を下すべきではないでしょうか。

・視点の変更・
北海道は新型インフルエンザが猛威を振るっていました。
最近は少し下火になりましたが、
まだ完全に終わったわけではありません。
大学でもいくつかのグラブや同好会が
活動休止になりました。
我が家の子供たちが通っている学校も
学級閉鎖、学年閉鎖が相次いで起こっていました。
近所の小・中学校で閉鎖のニュースが流れました。
幸いに我が家には今のところ感染者は出ていません。
しかしいつ、家族や私が発病するか気が気ではありません。
私は、通常のインフルエンザの予防接種を受けましたが、
新型の予防接種はワクチンが足りなので、
優先順位がつくので、私は無理のようです。
でも、かかってしまったら、抵抗力をつけるという視点で考えれば、
それほど悪いことでもないかもしれません。
上のエッセイで述べたように、視点の変更が重要です。

・親孝行・
11月になりました。
母を京都の実家から呼んでいます。
実は、子どもたちの学芸会が
今日ある予定だったのですが、
新型インフルエンザのために、
学級閉鎖が相次ぎ、練習ができなくなったので、
早々と延期の決定が出ました。
しかし、母にはすでにチケットを送っていたのと、
安いチケットなので、
キャンセルや変更ができないものでした。
ですから、行事はないのですが、
母が来ています。
せめて温泉にでも連れて行って
親孝行しましょう。

2009年10月1日木曜日

93 科学は道具にすぎないのか:道具主義

 科学は論理的に進められます。そして、何より多数のデータ(証拠)に基づいて、検証されています。もちろん間違いが見つかれば、修正できる機能も組み込まれています。しかし、科学の自明と思われている論理性のなかに、曖昧さがあります。それも土台となる部分に曖昧さがいくつも見つかっています。もはや科学は道具として便利なので手放すことはできません。そんな科学の曖昧さと道具と便利さをみていきましょう。

 秋めいてきました。秋の夜長をどう過ごしていました。大地や科学に思いを馳せみませんか。今回は、科学の曖昧さと便利さについてです。
 科学は論理的で、筋道が通っているので信じるに足るものだと、誰もが思っています。その証拠に、20世紀以降の科学技術進歩は、人類に多大な便利さ、利益、文化、情報、豊かさを与えてきました。身の回りを見れば、いたるところに、科学の恩恵があります。日本に住んでいる人は、科学の恵なしに一日たりとも暮らしていけないのではないでしょうか。
 多分、大半の人は、科学が長い時間をかけてつくりあげてきた体系を正しいと信じているはずです。でも、よくよく見ると、科学の一番の根っこの部分が、実は曖昧だということを知っていましたか。
 一番論理的だと考えられる数学の例をだしましょう。
 幾何学を体系化したユークリッドは、誰もが当たり前だと思っている点や線などを定義して、誰もが当たり前だと思う性質を公理(共通概念)とし、まただれもが受け入れられる前提を公準(postulate、仮定と呼ぶべきもの)として定めて出発します。
 定義では、点、線(曲線)、線分、直線、面などの23個の概念を示しています。5つの公理として、等しいものと全体と部分の性質を示しています。公準も5つで、線分、直線、円、直角、平行線の特徴、あるいは示し方、描き方を示しています。それらすべては、だれがも自明と思えるものです。
 ユークリッドは、それらの定義、公理、公準を基礎として、多数の定理を証明しています。それが、ユークリッド幾何学の「原論(Elements)」として残されています。
 ところが、この自明とされる定義、公理、公準が、本当に「自明」かというと必ずしもそうではありません。「自明」とされているだけであって、いずれも証明されているものではありません。
 一番怪しいのは、公準の5番目、「平行線の公準」と呼ばれるものは、「直線が2直線と交わるとき、同じ側の内角の和が2直角より小さいなら、この2直線は限りなく延長されたとき、内角の和が2直角より小さい側において交わる」というものです。三角形を意味するように見えますが、平行線の公準と呼ばれています。
 三角形を意味するといいましたが、三角形の内角の和が180度(2直角)なら(直角仮定)、平行線の定義になります。しかし、三角形の内角の和が180度以外は考えられないので、これいいことになります。
 しかし、三角形の内角の和が180度より小さい場合(鋭角仮定)や大きい場合(鈍角仮定)が想定できるとすると、同様の幾何学の体系が成り立つことが分かってきました。このことに最初に気づいたのは、ガウスで、1824年の手紙で、鋭角仮定でも幾何学が成立するのではないかと述べています。現在では、それぞれ3つの仮定のいずれでも、幾何学の体系が成立することがわかっています。この平行線の公準が、正しいとすると、ユークリッド幾何学となり、それ以外は、非ユークリッド幾何学となります。
 鈍角仮定の世界では、凸面(あるいは球面)空間で平行線できません。このような幾何学を、発見者の名にちなんでリーマン幾何学と呼んでいます。鋭角仮定が成り立つとする、それは凹面空間で、平行線は2本以上定義できることになります。
 非ユークリッド幾何学は非現実的な架空の世界の話ではなく、現実の世界はむしろ非ユークリッド幾何学的であると考えられます。鈍角仮定の世界とは、凸面(あるいは球面)空間のことです。地球の表面はまさに、鈍角仮定の世界です。ユークリッドの定義による平行線は存在できません。鋭角仮定の世界は、それは凹面空間です。現在の宇宙を記述するときに不可欠な一般性相対性理論をアインシュタインが作り上げるとき、リーマン幾何学を用いていました。そして現在の宇宙空間も非ユークリッド空間ではないかと考えられています。
 ここでは数学の世界を例にしてきましたが、論理の根源に探っていくと、必ずしもすべて根拠があるものから成り立っているのではなく、「自明」とされている「曖昧さ」からスタートしていることがあるのです。実は、自然現象を記述する物理でも、同じようなことが多々あります。
 ニュートンによる力学は、物質の運動を記述しています。力学の理論体系は、日常的に利用されています。また、学校の物理の実験によって得られたデータでも、力学の法則に則っていることが確かめられます。力学のどこに「曖昧さ」などあるのでしょうか。
 それは、力学の根源となっている重力や引力です。重力や引力は、運動や現象としては確認できていますが、そのものの実態は何なのかは不明なのです。そこに曖昧さがあります。重力は、何がどのように伝えるのでしょうか。重力を伝える素粒子(重力子、グラビトンと命名されています)、あるいは空間のゆがみによって形成される重力波があるのではないか、などと考えられています。科学者は、重力の根拠を見つけようとしていますが、いまだに未発見です。
 そもそも科学の方法自体が論理的には正しいとは証明できないのです。科学が当たり前に用いている帰納法は、データから法則性を導き出すというものです。しかし、帰納法は、仮説を立てるには便利ですが、論理的には、データが増えたとしても、正しさが増すわけではありません。帰納法で正しいと示すには、この世のありとあらゆる場合を調べ、例外はないというしかありません。ところが調べ残しがあり、そこに一つの反証があれば、今までの説は崩壊してしまいます。
 つまり、物理の基礎中の基礎ともいえる力学は、未知の原因、根拠に基づいて理論体系が組み立てられているのです。帰納法も論理的に正しさを保障するものでありません。論理を重んじるのであれば、こんなあいまいな物理学などを信じてはいけないとなります。もし一つでも根拠が否定されたら、今まで安心、大丈夫とされていたものが、すべて崩壊するのかもしれないのです。そのような不安があるとすると、おちおち日常生活が送れないことになります。
 実は、数学や物理のいたるところで、このような根拠が危うい部分、根拠のないところなどが知られています。でも、科学者は、それを承知で、見て見ぬ振りをしながら科学を続けています。なぜなら、その根拠を突き詰めても、つぎつぎと同じような問題が生じるからです。
 ですから、「まあまあそこまで深刻にならなくても」、あるいは「論理に厳密にならなくてもいいのではないか」という考えもあります。たとえ根拠がなくても、ニュートン力学はいたるところで実用されていて、なんの不都合もないわけです。また、多くの実験もなされ、多くの場面で正しいというデータが出されています。実用という点でみれば、根拠があろうがなかろうが、使える、すでに使っているということなのです。足元の深みに嵌るよりは、実用的な点だけをみて進んでいこうという姿勢です。
 科学とは論理体系でもあるのですが、もうひとつの役割として、技術と結びついた実利的な側面もあります。ある程度実証された法則や原理があれば、そこから予測が導きだせ、その結果に信頼性がもてます。つまり、道具として、科学は十分、役に立っているのです。
 科学は人間の生み出したものです。ですから科学も、使えればいい、役に立てばいいのではないかという立場があります。このような考えかを、道具主義、あるいは広い意味でのプラグマティズム(Pragmatism)と呼ばれています。
 論理を重んじれば信じられないし、実用を重んじれば論理性の不備に不安が生じます。科学は、論理と実利の間を行き来しているようです。科学が論理と道具の間で価値を行き来させているのは、人間の考え方によるものなのです。人間が論理を求めながらも実利を必要とするから、科学にその両面が転写されているのではないでしょうか。科学は、実は人間の心を映しているです。

・ガウスとリーマン・
リーマンは、ガウスの教え子でもあります。
ガウス(1777.4.30-1855.2.23)は、19世紀を代表する
天才的数学者で、天文学や物理学など非常に広い分野で活躍しました。
小学校のころから天才的な数学の才能があり、
1から100までの足し算を計算方法を工夫することで、
すぐに答えを出して、教師を驚かせたという逸話があります。
15歳では素数定理も発見しています。
19歳には、ギリシア時代から定規とコンパスで作図できるのが
正三角形と正五角形だけと考えられて生きた正素数角形に
正17角形が作図できることを証明しました。
ガウスは、若い数学者をあまり評価しなかったのですが、
リーマンを高く買っていたようです。

・最後のあがき・
いよいよ10月です。
北海道は秋めいて初雪の便りもききます。
日中は穏やかですが、
朝夕は涼しくなりました。
まだ、暖房には早いようですが、
時期的には、もうそろそろ
暖房の用意も考えなくてはなりません。
私は、雪が降る前に、野外調査に出たいと考えています。
しかし、土・日曜日にしかチャンスがなにのですが、
なかなか時間が取れません。
でも、なんとか一度は隙をみて
出かけられないかと考えています。
夏の最後のあがきでしょうか。

2009年9月1日火曜日

92 身近な不思議:カプレカ数

 身の回りには、不思議なことが、いっぱいあります。そのいくつかは、すでに解明されています。しかし、私たちは、まだまだ知らないことがいっぱいあります。もちろん、科学が進んだ現代ですから、最先端の分野は、深い専門知識がないと、理解できないものも、たくさんあります。でも、それだけではありません。もっと、身近な不思議があります。そんなことを、カプレカ数が教えてくれました。

 世の中のたいていのことは、専門家が調べつくしていて、なにもかもわかっているように思っています。ですから、大抵の疑問や不思議は、誰かがすでに調べていたり、とっくに分かっていると思い込んでしまいます。でも、それは誤解です。私たちが知っていることは、ほんの少しで、まだまだ分からないことが一杯あることを知っているべきです。
 数には、いろいろ面白い性質があります。最近知った面白い数があります。その数には、不思議な性質があります。たとえば、6174です。6174だけでなく、3桁や、4桁以上の数にも、同じ性質を持ったものがたくさん見つかっています。
 どんな性質があるか、紹介しましょう。一番簡単な例として、3桁の数字を挙げましょう。どんな数でもいいので、3桁の数を選びます。例えば、857という数字にしましょう。
 857を、8、5、7に分けて、3つの数を一番大きなものから順に小さなものへと並べ替えます。875になります。今度は、857を小さいものから順に大きなものへと並べ替えると、578になります。つくられた大きな数から小さな数を引きます。すると、
  875-578=297
となります。
 得られた結果の297に対して、同じ操作をします。297を大きな数にしたものは972、小さな数にしたものは279です。
  972-279=693
 今度も、693に対して、同じ操作をします。このような操作を繰り返していくと不思議なことが起こります。やってみましょう。
  963-369=594
  954-459=495
  954-459=495
わかりましたか。例からわかるように、一度495がでたら、何度同じ操作をしても、495になります。
 別の数を例にしてみましょう。102としましょう。もし、数の中に0ができてたときは、小さい数は、012として計算を続けていきます。
  210-012=198
  981-189=792
  972-279=693
  963-369=594
  954-459=495
 しつこいようですが、もう一つ例を出します。555としましょう。
  555-555=0
  000-000=0
となります。3桁の数で、495以外に0も同じ操作で出てくる数です。これは、111や111の倍数(222、333、444など)を選んだ場合は、0になってしまいます。まあ、0になる場合は、例外としていいでしょう。こんな数の性質を知っていましたか。私は知りませんでした。
 まだ、納得できない人は、他の数で試してください。同じことになることがわかるはずです。
 上で述べたように、このような性質を持った数は、3桁の数だけでなく、4桁では6174になり、5桁では549945になります。以下、631764、63317664、97508421、554999445、864197532、6333176664、9753086421、9975084201、86431976532、555499994445、633331766664、975330866421、997530864201、999750842001、8643319766532、63333317666664・・・と見つかっています。見つけるのは簡単です。好きな数で、この操作を繰り返せば、その数はすぐにでてきます。
 このような数を、カプレカ数(Kaprekar Number)と呼びます。
 1949年、インドの数学者カプレカ(Shri Dattathreya Ramachandra Kaprekar、1905-1986)によって発見されたもので、彼の名前をとって、カプレカ数と呼ばれるようになりました。
 1949年の論文「もうひとつのソリティア」("Another Solitaire Game")や1955年の論文「6174の不思議な性質」("An Interesting Property of the Number 6174")では、4桁の6174を発見していました。カプレカは4桁の6174だけを発見しましたが、今では、コンピュータを使って多くの桁まで求められています。論文タイトルからもわかりますが、彼は、ゲームの中から、魔法陣や循環小数などで面白い数の性質を見つけ出していました。
 身の回りにある、当たり前に存在する数の中に、このような不思議で、誰もが驚くような性質が隠れていたのです。それが、ほんの50年ほど前に発見されているという事実に注目すべきです。数学のような、多くの研究者が、調べつくしているような自然数や整数に中に、不思議な性質をもった数が埋もれていたのです。多分、他にもいっぱいこのようなものがあるはずです。
 カプレカ数は数字という抽象性が強い数学の分野での発見でしたが、いろいろな分野、さまざまな対象でも未知の不思議があるはずです。
 たとえば、複雑さの中の単純さとして、1963年に気象学者のエドワード・ローレンツ(Edward N. Lorenz)が見つけたカオスがあります。ローレンツの発見がきっかけとして、複雑系は、宇宙、天体や気象などの物理学が扱う自然現象だけでなく、経済や社会にも、複雑系が関与していると考えられるようになってきました。今では、学際的で広大な学問分野となっています。
 複雑すぎて理解できないような現象の中にも、ある不思議な性質があったのです。複雑さにも規則性があることがわかってきました。それが、ほんの50年ほどの間に一気に発展した分野です。
 大地の営みとしてプレート・テクトニクスが証明されてきたのは、1950年代1960年代になってからです。また、プレート・テクトニクスをその中に取り込んで、プルーム・テクトニクスが唱えられたのは1990年代です。地球の営みにも規則性や原理があったのです。ただし、自然現象ですから、数学のようにはっきりと数字で示せないこともありますが、地震波トモグラフィなどの技術で、だれでもプルームというものが、見えるようになりました。
 火山の噴火の予知は以前と比べると非常に精度があがってきました。しかし、地震の予知はまだまだです。やはり、そのメカニズム複雑だからでしょう。
 身の回りの現象や、自然の中にも、規則性が見つかり続けています。でも、もっともっと不思議なことが隠れているはずです。私たちは、きっとそれを見つけていくでしょう。自然は、私たちに隠し立てをしているわけではありません。私たちが自然の中の規則性を見つける力、読みとる力、認識する力が足りないだけなのです。
 人類は2000年以上にわたって読み取る努力をしてきました。でもまだまだです。自然はもっと奥深いものです。
 カプレカ数は、私にそんな思いを起こさせてくれました。もしかすると、その不思議を発見をするのは、あなたかもしれません。ただし、不思議を感じる心は、いつも開けておかなければなりませんが。

・もう一つの定義・
カプレカ数には、もう一つの定義があります。
整数を2乗し、前と後ろの部分に分けて和を取ったとき、
元の値に等しくなる数のことです。
たとえば、279の2乗は88209で、
前の88と後ろの209に分けて足すと、
88+209=297
となります。
このような297は、カプレカ数といいます。
今回のエッセイで取り上げたのとは、全く違った定義です。
この定義にある数は、
1桁の数では、1、9、2桁では、45、55、99、
3桁では、297、703、999と、各桁で複数個あります。
小学生でも、体験でき、理解できる不思議さが
まだまだ隠されています。

・宮崎調査・
いよいよ9月です。
学校もはじまり、秋めいてきました。
北海道は8月下旬から秋のような涼しさが
朝夕始まっていました。
私は、9月4日から1週間、
宮崎に調査に出かけます。
北海道が涼しいので、
九州が暑かったらバテてしまいそうで、
少々心配です。
まあでも、野外調査は、肉体的には大変ですが、
精神的には、リフレッシュします。
その内容は、別の機会に紹介しましょう。

2009年8月1日土曜日

91 諦めない:日食

 7月22日は、46年ぶりの日食でしたが、皆さんは、ご覧になれたでしょうか。メディアが散々騒いたのですが、天気が悪く見ることができなかった地域も多かったようです。私は、幸い観察することができました。日食を見ながら、諦めない気持ちが大切だと思いました。

 2009年7月22日は、皆既日食が日本の南の海上で起こりました。本土の多くの地域でも、部分日食が見ることができるはずでした。日本の陸地で見られる皆既日食としては、46年ぶりの出来事だったからでしょうか、メディアが大きく取り上げていたので、多くの人が皆既日食を知っていました。
 私は、皆既日食が見られる(皆既日食帯)ような南方に出かける余裕はないので、地元で部分日食を見るつもりでした。幸い、1校目の講義が10時40分に終わるので、その直後から観察すれば、最大の食には間に合うはずです。前日までに、撮影する場所の候補を、2箇所ほど考えて、撮影の準備をして、当日に臨みました。
 私は、天文観測を趣味にしていません。ただ、日食という天文現象を観察したいとは思っていただけでした。天文写真を撮る趣味もないのですが、ある撮影をしようと考えていました。木漏れ日を撮影するつもりで準備をしていました。天気さえよければ、ピンホール効果で、変わった木漏れ日がとれると期待していました。以前、部分日食のときに、撮影に挑戦したことがあたのですが、なかなか気に入った写真が取れずに、今回、再度挑戦しようと考えていました。
 ところが、当日は朝から天気が悪く、空全体を、雲が覆っていました。小雨もぱらぱらと降っていました。わが街での日食観測は、今回はだめかと半分あきらめていました。
 この日は、日本列島全域で天気が悪く、日食を見れた人は少なかったのではないでしょうか。まして、わざわざ皆既日食帯に高い料金を払って出かけていった人にとって、天気が悪いときの落胆は大きさは、私どころではなかったでしょう。
 さて、日食とはどうして起こるかご存知でしょうか。メディアでいろいろ解説されているので、知っている方も多いはずです。科学教育として考えると、このように宣伝された天文現象は、効果絶大です。
 地球と太陽、月が、一直線に並んだ状態になったとき、日食が起こります。太陽は離れているので、常に直線の端に位置します。ところが、地球と月は、どちらも端になりえます。
 月が端になって太陽-地球-月として一直線になると、月食が起こります。端にいった月は満月になり、大きな地球の影に入ることがあります。これが月食です。ですから、月食は地球の夜の側では、すべての地域で見ることができます。
 皆既月食は1年に1回程度起こる現象なので、多くの人に見るチャンスがあります。そして、その継続時間も結構長くなります。月の半径(1738km)と比べて地球の半径(6378km)は約4倍もあり、大きな影になるからです。皆既月食の場合では、月は1時間40分ほど消え、前後の部分月食も含めると最大で3時間40分の天文ショーとなります。月食な毎年のように起こり、夜の時間帯にあたった地域の人はすべて見るチャンスがあります。
 日食は、太陽と地球の間に月が入り、太陽-月-地球と一直線に並ぶことです。一直線に並べば、月の影が地表に落ちることがあります。地球は、月の影より大きいので、影が地表を横切ることになります。ですから、その影の下だけで、日食が見られることになります。つまり、日食は、地球では一部の地域でしか見られません。
 月と太陽の大きさは、地球から見たとき、ほぼ同じになります。太陽(半径70万km、距離15000万km)は月(1738km、38万km)より、400倍ほど大きいのですが、400倍ほど遠くにあるために、見かけ上ほぼ同じ大きさに見えます。これは、偶然の賜物です。
 ただし、「ほぼ同じ」であって、正確には違いがあります。月の軌道は楕円軌道で、地球から見たときの大きさは、14%も変化します。ちなみに太陽の大きさの変化は2%です。ですから、月の位置が重要になります。大きさが同じか月の方が大きくなると、太陽が完全に隠れ皆既日食になります。太陽の方が大きくなると、太陽の光が漏れる金環日食となります。
 ところが、月食と比べると、日食を見るチャンスは、かなり少なくなります。皆既日食は100年間に66回、金環日食は77回、金環皆既日食(金環から皆既に変わるもの)11回となっています。なおかつ月の影に入った地域だけでしか見ることができません。ですから、皆既日食や金環日食は珍しいものとなります。
 ところが、部分日食は100年間に84回も起こります。また、皆既日食帯や金環食帯の周囲では部分日食になります。あわせると、毎年のように日食は起こっていることになります。もちろん、限られた地域ですから、珍しいには違いありませんが、一つの地域にいたとしても、部分日食なら、一生のうちに何度か見るチャンスは訪れることになります。
 私は、今まで2度、部分日食をみています。いずれも、たまたまその地に居合わせただけなのですが、一つはカナダで、もう一つは、神奈川で見ました。
 カナダでは、地質調査に出かけていたとき、偶然出合った部分日食でした。その時期、ロッキーで大規模な山火事があり、何日もにわたって燃え続けました。その煙で、カナダの内陸部の大気がうっすらと黄色っぽく霞んでいました。黄色い空で、太陽を直接見ても、それほどまぶしく感じないほどでした。
 一緒に調査をしていたカナダの地質学者が、「日食だ」というので、空を見上げると太陽が欠けていました。普段の気象状態なら気づかなかったはずです。しかし、煙で光量が落ちていたため、目で見て太陽の形が確認できたのだ幸いしたのです。私は、あわててカメラを向けて、何枚かの写真をとることができました。これは、私の最初の日食との出会いでした。
 2度目は、予報によって事前に部分日食が起こることを知っていました。当日は晴れていましたので、部分日食とはいえ、直接太陽を見ることも、撮影することもできません。そこで、ピンホール効果を利用して木漏れ日を撮影することにしました。
 ピンホール効果とは、ピンで開けた穴から光が入ると、焦点距離が合ったところに、景色が写ります。この原理を利用したのが、ピンホールカメラです。太陽光がピンホールを通ると、太陽の円い形がそのまま映ります。木漏れ日の光が、すべて丸くなっているのは、このピンホール効果よる太陽の形だったのです。もし部分日食であれば、欠けた円、つまり三日月形の木漏れ日が多数できるわけです。
 神奈川の部分日食では、小さな丸い穴を開けた紙を用意して、ピンホールの映像を撮影し、木立の木漏れ日を撮影しました。でも、背景がよくなかったり、ピントが合わせづらかったりで、思うような写真がとれず、残念な思いをしました。
 今回は、私にとって3度目の部分日食との出会いでした。2度目の部分月食でうまく撮影できなかったので、三日月の木漏れ日を、今回は撮影したかったので、準備していました。小さな丸い穴を開いたお菓子や紙を用意して、程よい木立のあるところで、アスファルトに木漏れ日が落ちるところで撮影する予定だったのです。
 残念ながら、当日は、曇り空でした。半分あきらめながらも、撮影予定の場所に向かいました。最初の候補地は草刈をしていたので諦めて、第二の候補地で撮影をすることにしました。二箇所予定していたので、それが効を奏しました。
 曇り空だったのですが、見上げると、太陽のあたりは雲が薄くなり、雲越しに太陽を見ることができました。諦めずに撮影するつもりで、出かけたのがよかったのです。直接太陽を長く見ることはできませんでしたが、撮影する瞬間だけは覗くことはできました。曇りが幸いして、カメラで直接太陽を撮影することができました。同行した家内は、ビデオで撮影することができました。
 途中、2度ほど、雲が晴れたので、ピンホール効果を撮影しようとしたのですが、光が弱く、肉眼でかろうじて欠けた円の木漏れ日を確認できたのですが、写真が取れるほどではありませんでした。
 今回、残念ながらピンホール効果の撮影できませんでしたが、欠けた太陽を直接撮影することはできました。でも、諦めることはありません。チャンスは生きている限り何度もあります。2011年6月2日には、北日本を中心に部分日食があります。2012年5月21日には、金環日蝕が、今回より北側の、トカラ列島、屋久島、種子島、九州地方の一部、四国地方の一部、近畿地方南部、中部地方南部、東海地方の大部分、関東地方の大部分、東北地方南部でみることができます。もちろん、その他の地域では部分日食が見ることができます。
 諦めることなくチャンスを待っていればいいのです。雨や曇りはだめですが、かすんでいるようなら直接撮影、晴れていれば木漏れ日を狙えばいいのです。特別な天文撮影の道具がなくても、私は、このような写真を楽しんでいます。皆さんも、このような楽しみ方も体験されてはいかがでしょうか。

・撮影・
木漏れ日の撮影の予定だったので、
標準レンズと広角レンズだけを準備していました。
家内はビデオ撮影用に三脚を用意していました。
そしてズームを最大にして撮影していました。
結構はっきりと撮影できていました。
私は、太陽を直接撮影できるとは思っていませんでしたので、
望遠レンズも三脚も用意していませんでした。
ズームレンズで最大の望遠側の100mmで撮影をしていました。
トリミングをすれば、けっこうきれいに映っていました。
たくさん撮影したので、
日食の時間変化を示せると思うのですが、
手持ちで撮影したので、中心がずれています。
それを補正しながらトリミングしたいのですが、
なかなかうまく重なりません。
現在、その作業をどうするか思案中です。
まあ、終わってからもいろいろ楽しませてもらっています。

・旅行・
今年度から、8月に定期試験がずれこみ、
採点と集計作業で、お盆明けまで忙しくなります。
お盆開けには子供たちの小学校がはじまります。
そのため、家族旅行がなかなかできないので、
講義の終わりと試験の隙間をぬって、
今日から4日ほど、道内を旅行します。
ただ、エルニーニョの影響で、
北海道は天候が悪く、どうなるか心配です。
今回の目的は、海と川で遊ぶこと、そして山登りです。
観光地ではないので、もし天気が悪いと
やることがなく困ってしまいますが
天候ばかりはどうしようもありません。
4日間、のんびりとしましょう。

2009年7月1日水曜日

90 類似性と同一性の迷宮:差異の言語化

 雨の日に葉の上にできている多数の雫を眺めると、類似性ばかりに目がいきます。どんなに似ている雫でも、どれも別物で、似て非なるものです。累々とした地層があるとき、そこに類似性をみるのは簡単ですが、そこに差異を見出し記録することは、なかなか大変です。なぜなら、人はものごとに類似性を見出すようにできるからではないでしょうか。差異は言語化して、はじめて記録され、そして記憶となります。類似性と同一性の迷宮は、なかなか抜け出せないもののようです。

私は、自宅から大学まで、毎日、徒歩で通っています。朝、写真を撮りながら歩るいています。晴れの日はもちろん、雨の日も、雪の日も、歩いています。雨の日や雨上がりのとき、葉や草についている雫を、ついつい撮ってしまいます。
雫は、丸く幾何学的に見えますが、多様性があり、さまざまな表情を持っています。葉の先端から垂れ下がっていたり、葉の上で多数の玉となっていたり、葉の茎に雫が並んでいたりするのが、不思議で魅力を感じてしまいます。それぞれの雫は、真球ではないのですが、水の表面張力よって丸くなっています。それが光を浴びて輝いていると、ついつい写真を撮りたくなってしまいます。
先日も、雨の中を傘をさして歩いていたのですが、雫の写真を撮りながら、考えてしまいました。
コブシの葉っぱの上にできた雫が、多数の球になっています。そこに、光があたり、反射して白く輝きます。私が歩いているとき、いつも見ている葉っぱなので、朝はいつもある角度で反射していることも知っていました。ところが、その日は、雨で光量が足りなったのでしょうか。光のさす角度が違っているためでしょうか、それとも傘の陰になっていたためでしょうか、雫が輝いていませんでした。雫は、こぶしの葉っぱの上で、いつも「同じ」ように光っているはずのところが、その日の雫は、いつもと「同じ」雫ではありませんでした。
そこで、ふと気づきました。そもそも、前に見た雫と今回の雫は、別のものであることを。
以前見ていた雫と目の前の雫は、まったく別のものです。詳細に見れば、大きさ、形、水の微量成分も、水の由来も違っているはずです。このコブシの葉っぱだって、毎年のようにこの木に茂っていますが、去年のものとは全く違っています。そう、すべて「同じ」ようにみえても、別のところから由来した物質によって、世代を交代していて、時間を経過してここに至った異質なものなのです。あらゆる点、いろいろな階層において、「同じ」ものではないのです。つまり、似て非なるもの、今だけここだけに存在する特異性をもったもののはずなのです。
ところが、別の時間であっても、「同じ」ような条件で、「同じ」ような場所で、「同じ」ようなものを見せられると、以前見た既視感でしょうか、「似た」ではなく、ついつい「同じ」、同一と判断してしまいます。抽象化された以前の記憶と、今、目の前にあるものの類似点が多数あれば、「同じ」と判断してしまいます。記憶と実在との対比は、類似性を強調してしまうのではないでしょうか。
そのような類似性の強調は、記憶と実在の対比においてだけでなく、記録における実在間の識別においても起こっているようです。
土石流や海底地すべりなどによって生じたタービダイト(混濁流とも呼ばれます)によって、土砂が運ばれ、海底に堆積します。タービダイトによって、土砂が堆積するとき、粒径の大きなものから小さいもの、つまり砂岩から泥岩へと粒度変化したものが、ひとつのセットとなって堆積します。これが地層のでき方となります。そのようなタービダイトが頻繁に起こる環境の海底があれば、砂岩から泥岩のセットが、同じような周期で繰り返される地層の並び(互層と呼ばれています)が形成されることがよくあります。日本列島でみられる多くの地層は、このようなでき方で形成されています。
互層は、遠目でみると、「同じ」地層が累々と連なり重なっているように見えます。しかし、近づいて見ると、それぞれの地層は、厚さも、砂岩や泥岩の割合も、中の構造も、二つとして「同じ」ものはありません。もちろんできた時期、条件、物質も、地層ごとにまったく異質のものです。やはり、似て非なるもの、類似してはいますが同一のものではないのです。
そもそも人の目によるものの識別能力は、非常に優れています。特に並べて比較するときには、その威力を発揮します。高性能の分析装置に匹敵するほどの能力を持っています。それが、いつでも、どこでも使えます。目は、その識別能力の高さゆえに、比較することによって、類似性よりも、特異性や差異が強調されるはずです。なのに、人は、なぜか、対象間に類似性を見出してしまいます。
これが、先ほどの雫の話と対応します。昨日の雫と今日の雫は、「同じ」ものではありません。これは、隣り合った2枚の地層が、全く時間も由来も素材も、別物で「同じ」ものではないのと通じます。2つの似たものに類似性を見出すという点において、共通するものがあります。昨日の雫は実体のない記憶なのですが、地層は実体として実在するものです。
ところが、記憶であろうが、記録であろうが、実在しようがしまいが、そこに類似性を見出すことに違いはないようです。高度の識別能力があるのにかかわらず、類似性ばかりを見つけてしまいます。人は、簡単に見分けられる差異を持つ類似物が多数あると、そこに差異より類似性を、特異性より普遍性を見出してしまうようです。そこには、人の抽象化能力が働いているのではないでしょうか。
差異は、個性につながり、固有性や独創性につながるはずです。ですから、類似性を探るより、本来なら特異性や差異に注目すべきはずです。しかし、漠然とものごとを見てしまうと、抽象化が行われて、記憶や記録がなされます。そもそも抽象化とは、そのものごとの特徴を抽出すること、特異性を取り除き共通性を見出したものです。その作業過程で、かならず自分の記憶との比較をしています。つまり類似性を探るという作業を脳内で無意識におこなっていることになります。個性や特性性を記録しているつもりが、記憶の中の類似物との対比がなされていき、最終的に類似性のひとつとして処理されてしまいます。そして、その類似性の記憶は蓄積され、次なる類似性の対比へと利用されていきます。
特異性や差異を見出すためには、時間をかけて、言語化し、記録していかないと、差異として後の対比に使われるような記憶になりません。差異を言語化することです。それがなかなか困難な作業になります。その困難さを克服するために、意図や目的を持つことが重要になります。意図や目的がないと、特異性や差異を言語化できないかもしれません。なぜなら、人には強力なる識別能力があるので、非常に些細な差異さえ見分けてしまうからです。その膨大な差異から言語化すべき順位付けが、意図や目的があれば、可能となります。差異は意図しなければ生み出せないのです。
私は、今日も漠然と雫を眺めます。上で述べたようなことを考えても、また、類似性と同一性への迷宮へと入り込んでしまいます。そこに言語化すべき意図や目的もないし、必要性もないからでしょう。雫の類似性と同一性の迷宮は、私にとってこれからも心地よい所となっていきそうです。

・迷宮への誘い・
繰り返される地層に、私は魅力を感じます。
そこには、雫に魅力を感じるのと
共通したものがあるのかもしれません。
地層は見れば、それぞれの個性、差異は見分けられます。
しかし、目的がないために、
繰り返される地層として記憶に残されています。
そんな地層の各地の記憶が、私の中に残されています。
そして、新しい地層の情報があると、
ついついそこを見てみたくなります。
類似性の迷宮への誘いでしょうか。

・北海道の初夏・
いよいよ7月です。
本州は梅雨の真っ只中でしょうか。
北海道も6月下旬からやっと、
晴れ間がのぞくようになりました。
6月は、日照率も低く、曇りの日が多くなりました。
でも、下旬から晴れ間がのぞきだし、
やっと夏らしい日が訪れるようになりました。
梅雨のような蒸し暑い日もありますが、
からりとした北海道らしい初夏かきました。
北海道で私が一番好きな季節がきました。

2009年6月1日月曜日

89 2が8を制する:冪乗則

 全体の2割を制すれば、全体の8割を制することがあります。サッカーの司令塔やエースストライカー、野球のエースピッチャーや強打者などが、試合の趨勢を支配することもその例でしょう。このようなことは、多くの人が漠然と感じています。誰もが漠然と感じていることを、視覚化、あるいは定量化することは重要です。2が8を制するというのは、冪乗則というものが隠されています。

 アメリカの名門証券会社で投資銀行のリーマン・ブラザーズが、2008年9月15日に事実上破綻したことで、世界中に経済的衝撃を与えました。リーマン・ショックと呼ばれているものです。それ以来、現在にいたるまで、世間では「100年に一度」の不況と騒がれて、世界各国、日本でも巨額予算による景気対策がとられています。
 何を基準に「100年に一度」といってしているのでしょうか。多分、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」と呼ばれる「世界大恐慌」に匹敵するものなので、比喩として「100年に一度」と呼ぶのでしょう。今回の不況は、まだ進行中であるため数値化されていないので、「100年に一度」の規模かどうかは不明です。もし「世界大恐慌」に相当するとしても、本当に「100年に一度」なのでしょうか。たった2つの例だけからいっているのなら、あまりにも不用意すぎる気がします。
 残念ながら私は、経済学に詳しくないので、この「100年に一度」が正しいことかどうかは、判断できません。それでも、今回は経済学の話からはじめます。
 人間の歴史は、似たようなことがあったとしても、時代が違えば条件が変わり、全く同じものは再現しないものです。経済に不案内だとしても、単純な比較は難しいことは予想できます。ところが、今回の経済不況だけでなく、「100年に一度」のような歴史を引き合いに出す表現は、よく使われます。これを単に比喩として捕らえるのか、数字は正確ではないが、だいたいの桁数は合った話と捕らえるのかで、事情は違ってきます。
 歴史上の経済現象をみても、たとえ条件が違っていても、似たようなものが出来事が、似たような規模で起こるとことはあります。大恐慌のような規模の大きなものは稀ですが、バブル崩壊のような規模の不況の頻度は多くなります。このような景気の変動は周期的に起こり、小さい不況はしょっちゅう起こっています。景気の周期性は、経験的に合っているように感じます。
 より一般化して歴史全般を見ると、周期性や規則性がありそうに見えても、経済よりは不規則でしょうし、条件の変動も大きいため、規則性を見出すことは困難でしょう。歴史の中で、経済に規則性が見出せれば、株や相場は予測可能になりそうですが、こんなに学問が進んでも、なかなか難しいようです。ところが、経済学のデータを結果として眺めると、そこに法則化できそうな規則性が、どうもあるようです。
 全体の2割程度の高額所得者が社会全体の所得の約8割を占める、という法則があります。イタリアの経済学者であるパレート(Vilfredo Federico Damaso Pareto)が発見したもので、パレートの法則と呼ばれています。高額所得者は少ないけれど、金額が多いため、社会全体の所得の多くを占めるというものです。大規模な不況の頻度は少ないがその被害は大規模である、ということに通じるものがあります。
 パレートは、統計的に所得配分の研究をして、経済・社会体制が違っても、違う時代でも、ある一定以上の所得を持つ人の数は、所得金額は指数関数で表現できることを示しました。その分かりいい例として、8:2という値が示され、経験にあうので、普及しました。
 パレードの法則を、別のいい方をすると、ある物事で一部が全体の主要部分を占めてしまう、という関係になります。このようなことは、経験的に思い当たることが多々あります。
 たとえば、サッカーやバスケットなどのチームプレイにおいても、一人か二人のエースと呼ばれるキープレイヤーが完全にマークされ押さえられると、チームとして機能しなくなることがあります。野球でも、エースピッチャーや主力打者が、試合を決定づけることがあります。その他のメンバーは多数いるのですが、多数より少数の影響力が強いことがあるのです。少数の人が体勢を決めてしまうというのです。
 一部の主力商品がその企業の大部分の収入を担っていたり(パレート原則)、文章で使われる単語の大部分は頻出単語である(ジップの法則)、なども同じような関係といえます。
 ハウツー本などでも、似たことが述べられています。あることを習得しようとすると、すべてを学ぶのは大変だが、重要な部分の2割程度なら学びやすく、それで実用の8割程度がまかなえるということが書かれています。だから、重点部分を集中的に学びなさいというものです。
 全体の2割が本質の8割を占めているということから、80:20や8:2の法則などともいわれています。8:2という比率でなくても、一部が全体を代表するようことが、経験的にも認められます。
 さて、大きな出来事の頻度が少ないというのと、パレートの法則あるいは8:2の法則は、一見、無関係のように見えますが、実は冪乗則と呼ばれるものの別表現ともいえます。
 冪は「べき」と読みます。もともとは、おおいかぶせるという意味です。隠れて外から見えないことから、小さな数へと転用され、ルート(根(こん)とも呼ばれています)を意味する述語になりました。ルートのことを冪根(ベキコン)とも呼びますが、一種の同義反復の語となっています。
 数学では、冪乗といういい方があります。これは同じ数をかけるという意味で、累乗ともいいます。冪乗や累乗は、「2の3乗」のように表現されるものです。2の部分を基数といい、3の部分を指数といいます。
 累乗則という言い方もあるのですが、冪乗則といういいかたの方が、よく聞きますので、ここでも冪乗則を使うことにします。
 冪乗則は、正確には数式で表現されるものですが、少々ややこしくなりますので、分かりやすく説明しましょう。
 指数の値を普通の数のように演算できるように変換(対数といいます)したものを使い、グラフにすると冪乗則の判定ができます。縦軸も横軸も対数を目盛りにしたもの(両対数グラフといいます)を使い、データをプロットしていくと。データが直線の関係になるもの(線形といいます)を、冪乗の関係があるといいます。このような冪乗関係を冪乗則と呼びます。
 冪乗則は、ある出来事や現象において、ものごとが平均的にまんべくなく起こるのではなく、ばらつきや偏りがあり、一部分が全体の大半を占めることがあるということです。その偏り具合が指数の関係になっているということです。
 指数で示される関係は、物理法則でも見つかり、法則化されています。重力は、距離の2乗に反比例します。静電気力(クーロン力)も、距離の2乗に反比例します。放射性核種の崩壊は、時間の指数関数となります。数学の分野でも、円の面積、球の体積、球の表面積では、半径との関係が、それぞれ2乗、3乗、2乗となります。このような指数の関係が、冪乗則となります。
 一見、規則性が生じようがないような自然現象にも、冪乗則が見つかっています。
 地震の大きさと発生頻度についても、冪乗則があることが見出されています。地震の大きさ(マグニチュード、Mで示します)と起こる頻度の関係は、小さいものは頻度が多く起こり、大きいものは稀にしか起きないことは、多く人が経験的に知っています。
 Mが1大きくなると頻度は10分の1になっていました。日本の例でいうと、M6(M6.0から6.9)は1年に10数回程度起こり、M7(M7.0から7.9)は1年に1、2回になります。M8は、10年に1回程度となります。小さい方でも、正確に観測できるM4までは、この冪乗則が成り立っています。長期間のデータをとって、関係を調べると、冪乗則が見えてきました。このような関係は、グーテンベルグ・リヒター則と呼ばれています。
 雪崩の頻度とその規模にも冪乗則が認められます。砂を落としていって砂山をつくり、崩れるときの規模と頻度をみていくと、やはり冪乗則になることが分かりました。不確定要素が支配しているような現象、偶発的な出来事にも、冪乗則は隠れていました。
 生物の分野でも、体重と代謝量、骨格とその強度、寿命と心拍数などなど、いろいろレベルで冪乗則が見つかっています。これらの冪乗則を、生物学ではスケーリング法則と呼んでいます。生物は、どうも冪乗則に則ってデザインさているようです。
 今まで紹介したような科学的に見出された冪乗則だけでなく、数学的、科学的には証明されていないが経験的にそうなるというものもあります。単にそう見える程度のものもあります。まだわからないだけで、そこには冪乗則が隠されているのかもしれませんが。
 ブキャナンは、「歴史の方程式―科学は大事件を予知できるか」(ISBN978-4-152085283)という本で、自然や歴史において冪乗則が、大きな役割を果たしていることを指摘しました。
 多くの物事には、冪乗則が隠れていそうです。もしかしたら、この世は、2が8を制している世界なのかもしれませんね。

・実習指導・
教育実習中の学生に指導のために小学校を回っています。
地域によっては、多数の実習生を受け入れていることもあります。
一方、実習生をほとんど受け入れないところもあります。
今回、実習生を初めて受け入れた小学校を2箇所回りました。
先生たちは、熱心に実習生に取り組まれています。
学校を挙げて取り組まれています。
頭が下がる思いです。
なんといっても実習生が大変だけれども
いい経験をしています。
学生をみると、短期間ですが、
一回りたくましく、熱意にあふれてた目になった気がします。
若者は、いい環境、刺激があれば成長します。
そんな現場を見せ付けれるのは、いいものです。
一方で、教師として、人間として
こちらも身の引き締まる思いがします。
私もがんばらねばと、指導された気がします。

・運動会シーズン・
いよいよ6月です。
北海道も、春から初夏へと季節は巡ります。
小学校では運動会のシーズンとなります。
我が家の子どもたちの小学校も、6月中ごろに運動会です。
今年は、長男が小学校最後の運動会なので、
母を古里から呼びました。
残念ながら私は講義がある日なので、
運動会には参加できません。
もし雨で一日延期になれば、
参加できるのですが。
しかし、運動会で雨を望んではいけませんね。
関係者が苦労しますから。

2009年5月1日金曜日

88 自然の斉一性:自然は信頼できるのか

 自然は斉一的に振舞っているように見えます。斉一的に自然を見なすということは、帰納法に基づいて論を進めることです。斉一説のの正しさを、帰納法を用いては証明できません。自然は、本当に斉一的に振舞ってくれるという前提が成り立つのでしょうか。地球の歴史を、聖書の創世記の記述通りと信じることと、自然の斉一性による科学の成果を信じるとの間には、どんな違いがあるのでしょうか。斉一説と帰納法について考えました。

 ヨーロッパでは、18世紀まで、多くの人が、聖書の創世記こそが、地球の始まりからの歴史を記述したものであると信じてきました。創世記の中には、ノアの箱舟の話として、大洪水が記載されています。この天変地異ともいうべき大洪水によって、自然界には大改変が起こり、一組の種以外のすべての生物や環境が、すべてリセットされた状態になったと考えられていました。当時の多くの科学者たちも、聖書に書かれた天変地異の考えに基づいて、自然を見て、歴史を記述していました。
 実際の自然現象をみると、そのような一度限りの天変地異では説明できない現象も見つかっていました。しかし、天変地異を信じている人は、大洪水でなんとか、説明しようと考えていました。
 たとえば、実際の地層を調べていくと、化石の種類が、地層ごとに大きく異なることがわかってきました。もしそのような生物相の変化が大洪水の天変地異によるとすると、何度かの天変地異が起こらなければなりません。ところが聖書では、ノアの箱舟の記述は、一回の出来事として記述されていました。
 聖書を信じている科学者たちは、天変地異でなんとか生物相の変化を説明するために、聖書にはノアの大洪水が「一度限りの出来事」とは、どこにも書かれていないことに気づきました。ですから、何度も同じような大洪水があってもいいのだ、と考えました。
 今にして思えば、このような考え方は、こじつけにしか見えません。これは、ある考えを信じて疑わないという立場にたってしまうと、その考えに基づいて、なんとか辻褄をあわせてしまうという行為にでてしまった結果でした。当人たちは、間違ったことをしている意識などなかったははずです。
 キリスト教が支配的な社会であっても、素直に自然をみることのできた人もいました。スコットランドのジェームズ・ハットンもその一人でした。ハットンは、現在自然の中で起こっている現象は、過去にも同じように起こっていたと考えました。そこには、神が介在する必要はありませんでした。その考え方で、過去の自然現象を解き明かそうと考えました。これは、斉一説と呼ばれる考え方です。
 斉一説を受け入れれば、現在の現象を調べることによって、過去の現象をも解き明かせるという方法論を手に入れることになります。これは、非常にありがたいし、強力な方法論で、多くの科学者は斉一説を受け入れました。おかげで、地球の歴史を、証拠や根拠をもって、再構築することができるようになりました。
 今では、子供までも、だれも見たこともないはずなのに、白亜紀にはティラノザウルスなど多くの恐竜たちが大地を闊歩していたと信じています。他の時代でも、当時の様子をイメージできるようになりました。
 自分はもちろん誰も見たこともないのに、科学の出した結論を信じることと、聖書の記述を信じること、との間の違いは何でしょうか。聖書を科学というものに置き換えただけなのでしょうか。
 科学と聖書の違いにおいて、実証性あるいは論理的であるかどうかが、重要となるはずです。
 現在の自然現象から、ある規則を発見したとします。たとえば、「雪は白い」という規則だったとしましょう。これを仮説として進めましょう。「昨日降った雪は白かった」、「去年降った雪も白かった」、「自分が記憶している限り、降った雪は白かった」、「お父さんやおじいさんの見た雪も白かった」・・・。このように、その仮説を裏付ける証拠を、つぎつぎといっぱい見つけることができます。ですから結論として、「雪は、いつ降っても白い」、「雪はいつも白い」という一般法則が成り立ちます。これは、多くの科学がとっている手法でもあります。
 さて、この論理は正しいでしょうか。聖書の記述と違って、証拠というべきものが多数あります。証拠があるという点において聖書の記述とは違っています。この論理の進め方は、枚挙的に証拠を挙げて、正しさを証明しようというとする一種の推論の方法です。
 しかしこの推論は、いくら証拠があっても、その説の正しさを保障するものではありません。枚挙的に示すには限界があります。地球上の雪のすべてが、あるいは、過去に降ったすべての雪が白いことを、ひとつひとつすべて正しいことを検証しなければ、終わらない論理手法だからです。その検証過程で、もし一個でも反証、反例が見つかれば、この法則は根底から否定されてしまいます。検証が完結するまでは証明されないという危険性をはらんでいるのです。
 この枚挙的手法の意味するところは、自然をそこまで信頼していいのかということです。信じれば成り立ち、疑えば成り立たなくなります。最終的に、自然を信じる、聖書を信じるという似たような結論になります。
 本当に、明日、赤い雪は降らないのでしょうか。10億年前には赤い雪は降ってなかったのでしょうか。いずれも、証明することは、困難です。未来の雪も過去の雪も、見る、検証することができないのです。
 このような斉一説の背景に流れている論理は、帰納法的な思考です。斉一説は、実は、帰納法の手法を用いて証明されています。帰納法が論理的に正しい方法であれば、斉一説も正しいことが証明されます。帰納法が通用するのは、裏切ることのない、信じることができる数学のような世界です。それ以外の世界では、帰納法は論理的に正しいことが証明されていません。もちろん自然界でもです。
 過去に起こった現象で、見ること、あるいは検証できない現象は、もはや証明できないのです。「1億年前に降った雪も白かった」ことを、だれも確かめようがないのです。
 斉一説は、論理的に正しいことは証明されていませんが、自然科学は、このような枚挙的帰納法を正しいものとして進められています。つまり、現在の科学、科学者は、自然を数学のように裏切らないものだと信じているのです。
 物理学の例を考えて見ましょう。ある実験をして、ある規則性を見つけたとしましょう。たとえば、「振り子の周期は、重さや振幅に関係なく、長さによって決まる」という規則性を見つけたとしましょう。検証するために、振り子の長さを変える、錘の重さを変える、ふり幅を変えるなど、いくつも条件を変え、実験をしてみます。実験の結果、「振り子の周期は、重さや振幅に関係なく、長さによって決まる」ということが正しいと検証されたら、規則性は自然界の一般的な物理法則として受けいれられます。これは、いつでもどこもで、振り子は同じように振舞うのだという前提があります。つまり自然現象の斉一性を信じているのです。
 何も、物理学の世界だけではありません。化学も生物学も地質学も、すべて自然の斉一性が正しいことを前提に、学問体系が構築されています。これは、自然の斉一性原理ともよばれている考え方です。枚挙的な帰納法が正しいことを示すために必要な前提として、18世紀の哲学者デヴィッド・ヒュームによって用いられた考え方です。
 自然界は、でたらめに振舞っているのではなく、人間がみつけられるような規則性があり、その規則性のもとに営まれているという、一種の仮定(あるいは願望というべきかもしれません)の上に、現在の科学は成り立っています。今のところ、自然は、裏切ったことがありません。一見裏切ったように見える場合でも、人間の浅はかさで、自然界の規則性の奥深さを理解していなかったのだということに落ち着いています。現代の科学者は、信じるべきものを、聖書の記述から、自然は斉一性原理を内在しているということへ変えました。
 今まではいいともして、今後これが継続するという保障がありません。そのなあやふやに基盤の上に科学が成り立っているのです。
 斉一性原理は帰納法を前提にしています。一方、自然の斉一性原理は、帰納法によって正しさを証明できません。帰納法では、すべてを網羅しなければ証明が完結できないからです。自然の斉一性原理は証明不能なのです。ここに、論理矛盾、あるいは循環論法、パラドックスがあることを、ヒュームは見抜いていました。
 重要な点として、自然界における帰納法は、論理的には完結できませんが、帰納法には間違いを発見する機能を持っていることです。もし、帰納法を適用中に、反例が見つかれば、前提としていた仮定は棄却されます。つまり、科学には、自分自身で間違いを発見し、代替の道を探るという機能をもっています。その代替の道も帰納法で検証すれば、少なくとも今のところ反例はない、一番もっともらしいというものを見出すことができます。これが科学の進歩、発展を生み出すメカニズムともいえます。
 聖書では、書かれた記述を、ただ信じることだけでした。科学は、新しい仮説を唱えるときには、一歩一歩それを検証しながら、歩をすすめることになります。時に、それはまどろっこしく思えることもあります。しかし、そのまどろっこしさが、信頼に足るものを生み出しているのです。
 数学が「不完全性定理」を抱えながら、進められているように、自然科学も斉一性原理という不完全性を持っていることを、理解して進めていくしかありません。現代社会では、科学はなくてはならないものとなっています。今さら科学なしの世界には戻れません。もし自然が斉一性原理を裏切ることがあったとしたら、などという疑問は、そのときなってから考えましょうか。

・知っているということ・
上で述べてきたように、科学の最大の弱点は、
自然の斉一性原理を前提としていることです。
これは、避けることのできない難問です。
しかし、科学は、そんなことを気にしてないかのように
今日も進められています。
科学者で、その論理的欠陥を意識している人、
あるいは知る人は、案外少ないのではないでしょうか。
逆、そんなことを気にしていては、
科学は進まないのかもしれないのですが。
でも、心のどこかにそんな不安があることを
知っている必要はないでしょうか。

・振り替え・
いよいよゴールデンウィークになりました。
わが大学は、曜日の調整のために、
5月2日土曜日は、水曜日の振り替えの授業をすることになっています。
水曜日には、1講目と5講目に講義があります。
もちろん学生も、授業に出てくることになります。
私が学生のころは、このような時期の講義は
休講になっていたような記憶があります。
今では、15回の講義をこなすことが求められています。
授業料にみあった、規定どおりに
講義を提供しなさいということです。
それが本当に学生の教養や能力を
どの程度高めているのかよく分かりません。
現在、教員をしている私たちは、
大学で、のびのびと緩やかな教育を受けてきました。
それが今の学生には、規約どおり、杓子定規に授業をしています。
きっちりと行われた授業分、学生が成長してくれればいいのですが。

2009年4月1日水曜日

87 イメージの中の地層(2009.04.01)

 人はイメージするという素晴らしい能力をもっています。その能力は、時に効果的は判定を下すことができます。でも、それに現実に適用するには、検証が必要です。私たちが何気なくみている景色から、岩石、堆積岩、地層などに対する、結構正確なイメージを作り上げているようです。そんな例と検証を紹介しましょう。

 尾根や山頂付近に向かう山間のハイウエイや観光道路、切り立った海岸の道をゆくと、急な斜面には崖をよく見かけます。多くの人は、そんな道を行くと、崖とは反対の景色をみてしまいます。なぜなら、崖と反対側は、山の裾野や海に向かって開かれ、眺望のよいところになっているからです。
 ところが地質学者は、崖を興味深く見ています。なぜなら、崖には、その大地をつくっている岩石が顔を出しているところだからです。慣れてくると、車で走りながらも、岩石の種類や特徴を見分けることができます。
 では皆さん、崖というと、どのようなイメージを持たれるでしょうか。私と同じ山道の崖でしょうか。それとも、海岸沿いの崖、郊外の工事中の道路の崖、ダム工事で剥がされた山肌の崖でしょう。いろいろなところで崖を見かけたことがあるはずです。
 では、海岸沿いの道路の切り通しで、削り取られたままの崖があるとしましょう。その崖は、どのようになっているでしょうか。想像してみてください。
 私は、何層にも連なった堆積岩が傾斜している崖をイメージしました。このような崖のイメージを持った人も多いかもしれません。私は地質学者ですから、日本各地の岩石をみています。岩石が出ているところの多くは、崖になっています。ですから、普通の人よりは、たくさんの崖を見ていることになります。そんな私が、崖というと地層を思い浮かべてしまいました。
 さらに、続けていきましょう。堆積岩というと、どのようなイメージが浮かぶでしょうか。皆さんは、崖の地層を思い浮かべたでしょうか。私は、先ほどと同じような崖にでている地層を思い浮かべました。私は、いろいろな堆積岩も見ているのに、地層を思い浮かべてしまいました。堆積岩というと、礫岩や砂岩、泥岩が代表で、それが層を成している状態を想像してしまいました。つまり、私がイメージした堆積岩は、地層という産状を示しているものです。もちろん、地層は、堆積岩の代表的な産状といっていいものです。
 この崖と地層に関する私のイメージは、2つの問題があります。「崖といえば堆積岩」と「堆積岩といえば地層」という点です。2つの問題の本質は、その「○○ならば△△」という論理構成が、きっちりとした統計の裏づけがあるのかということです。もちろん、イメージですから、統計なんかに基づいているはずがありません。でも、統計的ではなくても、そのイメージが可能性としてありえるのか、そしてありえるとすると可能性の程度はいかほどかということが問題となるはずです。今回は、人がイメージすることとは、どの程度確かのかを、崖、岩石、堆積岩、地層などを手がかりに考えていこうというわけです。
 崖を構成している岩石は、堆積岩以外のものの可能性もあるはずです。たとえ堆積岩であったとしても、その産状が地層をなすとは限りません。この点に少しこだわってみましょう。
 まず、崖についてです。崖とは、土や植物などがなく、岩石がむき出しになっているところです。岩石とは、大地、つまり地殻の構成物です。「崖といえば堆積岩」ということは、言い換えると、地殻の構成岩石は堆積岩を主と考えもいいのかということです。「岩石=堆積岩」になっている点が、問題がありそうです。もし、岩石の種類の中で、堆積岩が一番多い種類であれば、近似的に正しいことになります。
 では、「岩石=堆積岩」を確認していきましょう。
 岩石の種類は、そのでき方によって、火成岩、変成岩、堆積岩に区分できます。
 火成岩とは、地下深部でマグマが発生して、そのマグマからできた岩石が、火成岩です。マグマの成分や冷え方、噴出様式などによってさまざまな火成岩ができます。
 変成岩とは、他の何らかの岩石(もちろん変成岩でもいい)が、熱や圧力で変化を受け、溶けることなく(溶けるとマグマができ火成岩になります)、別の岩石に変わったものです。ですから、最初から変成岩は、存在できません。別の岩石(もちろんそれが変成岩でもいいのですが)が、変成岩になっていきます。量を考えるときに、変成岩の位置づけが、少々ややこしくなります。大陸にみられる古い岩石は、さまざまな程度の変成作用を受けていることが多くなっているからです。そして、変成岩は、もとをただせば、堆積岩起源か火成岩起源になります。その点に注意が必要です。
 堆積岩は、もともとあった何らかの岩石(どんな岩石でもいい)が、砕かれて移動して、堆積し、固結したものです。このようなできかたの堆積岩は、砕屑性堆積岩といいます。砕屑性堆積岩は、堆積岩の起源のすべてでありません。その他に、化学的沈殿によってできたものや、海水の蒸発によってできたもの、生物起源のものなどもあります。また、火成岩と区別が難しいのですが、火山噴火によって飛び散り固まったもの(火山性砕屑岩と呼ばれます)などもあります。
 では、火成岩と堆積岩の2つの起源による岩石が、地殻に占める割合は、どれくらいでしょうか。圧倒的に火成岩が多くなります。古い時代の岩石分布している大陸地域では、火成岩およびその変成岩が、8割ほどを占めます。堆積岩起源の変成岩を堆積岩に入れて考えても、2割に満たないほどしかありません。ですから、「岩石=堆積岩」は、間違いであったことになります。
 ところが、視点を変えると、違った見え方がしてきます。
 まず、大陸全体あるいは面積多い部分だけでなく、イメージをする人が住んでいる日本列島を考えるとどうなるでしょうか。日本列島のデータをみますと、堆積岩は6割弱まで多くなっています。これは、列島の形成プロセスが、堆積岩が多くなる場所だからです。プレートテクトニクスでいうと、日本列島は沈み込み帯にあたり、堆積物がたくさん形成され、それが陸地となっていく場でもあります。日本列島だけでなく、同じような環境で古い時代に形成された地域(カレドニア造山帯と呼ばれている)のデータを見ると、やはり5割強が堆積岩とその変成岩からできていることがわかります。ですから、日本列島で育った私たちの感覚からすると、「岩石=堆積岩」はあながち間違ったものではないことになります。
 もうひとつ別の視点から眺めてみましょう。実際の大地を見ていると、岩石がむき出しのところは少なくなっています。では、地表はどうなっているかと考えると、植物が覆っていたり、土壌あるいは砂、土、礫などが覆っています。地球の表面の3分の2を占める海底でも、岩石がむき出しのところは少なく、プランクトンの遺骸が積もってできた泥、陸からの火山灰や細かい泥なからできた堆積物が覆っています。
 これらは、固まっていませんから、岩石とはいません。しかし固まれば、すべて堆積岩に分類されるものとなります。現在覆っている堆積物が、実際に固まって岩石になるかどうかは不明ですが、堆積岩の重要な候補が現在形成中であることになります。私たちはそれが大量にあることを見ているのです。たとえ薄くても、地表を覆っている比率(被覆面積)でみると、その量は9割を超えると見積もられています。
 以上のように、視点を変えれば、「崖といえば堆積岩」あるいは「岩石=堆積岩」は、あながちでたらめともいえなくなってきました。
 次の問題点である「堆積岩といえば地層」について、みていきましょう。これは、堆積岩にはいろいろな産状があるにもかからわず、地層がその主要な産状であるという見方、つまり「堆積岩の産状=地層」が正しいかどうかです。
 堆積岩の地層というと、私たちが連想するのは、土砂や泥が固まったものです。これは堆積岩の分類でいうと砕屑性堆積岩になります。たしかに砕屑性堆積岩が地層をなしているのをたくさん見かけます。その量は、堆積岩全体からするとどれくらいでしょうか。
 実は、起源の違いによる正確な推計データはないようです。地域によって、つまりその大地の生い立ちによって、堆積岩の種類が変わってくるせいかもしれません。
 たとえば、ハワイのような火山活動が活発なところでは、堆積岩といえば、火山性砕屑岩が多くなります。また、乾燥地帯では蒸発岩が形成されていきます。サンゴ礁の発達した海では生物起源の石灰岩が形成されます。急激に大地が上昇しているヒマラヤでは、そこから流れでる川は、大量の土砂を海に運び、厚い地層を形成します。日本のような列島では、火山、地形上昇、沈み込み帯などの地質学的条件から、火山砕屑性堆積岩や砕屑性堆積岩がたくさん形成されます。
 地域によっていろいろ地質学的環境を反映して、特徴的な堆積岩からできていそうです。では、産状としては、地層をなすものは、どの程度あるでしょうか。
 種類でいいますと、層をつくりやすいのは、砕屑性堆積岩だけでなく、火山性砕屑岩や、沈殿によって出来た堆積岩、蒸発によってできた堆積岩も、層をなすことがよくあります。また、海底にたまった堆積物も固まれば、層をなします。
 もちろん、層をなしにくい堆積岩もあります。たとえば、炭酸塩岩の多くは生物起源の石灰岩や、石灰岩から変わったドロマイトと呼ばれる岩石が主となります。しかし、その量は、堆積岩のうち2割程度になると見積もられています。一つの岩石種としては、割合は多いのですが、それでも堆積岩の2割にしかならないわけです。
 炭酸塩岩以外の堆積岩には、上で述べたように、層をなす堆積岩が多くなっています。日本列島の堆積岩は、火山性堆積岩や砕屑性堆積岩が多くなっていますから、堆積岩の産状として層になっているのは、比率はわかりませんが、半分以上を占めていると推定されます。つまり、「堆積岩の産状=地層」の可能性としては大きいと考えられます。
 以上、「岩石=堆積岩」と「堆積岩の産状=地層」という直感や記憶によるイメージが、根拠があるのかどうか、本当に正しいのか、ということをみてきました。いずれも可能性も、過半数は超えそうで、私たちが抱くイメージはあながち間違っていないようです。
 私たちが持つイメージは、どこかで見た見た記憶に基づいてできているはずです。上で見たように岩石や堆積岩、地層に関するものは、その例だったのかもしれません。人は、無意識に情報収集と情報の取捨選択、そして記憶によって情報の総量を経験的に割り出すという、プロセスをとっています。そのプロセスは、かなりの複雑で、手間を要することを、一瞬のうちに行っています。イメージにすべてを依存するのは、危ないのですが、今回のように、かなり有効なときもあるります。その見極めがなかなか難しいところです。
 私のような地質学者が車で移動するときは、景色を楽しみながらも、かならず、崖の岩石も観察しています。どんな岩石なのか、岩石の出来た時代はいつか、なぜそこにあるか、次にはどのようなが岩石がでてくるのか、などなど大地の生い立ちに思いをめぐらしています。
 私が学生や大学院生の頃は、自分が培いはじめた岩石の鑑定能力と知識を動員して、未知の地域の地質を、ちょっと見ただけでどの程度推定できるかを、結構楽しんでいました。そして、その能力がある程度使い物のになることがわかり、うれしくもありました。
 ところが、残念なことに、最近では岩石がむき出しになったままの崖は、非常に少なくなりました。安全や管理上の理由でしょうが、コンクリートで固められたりネットがかかった崖が多くなり、石をみるのもなかなか厄介になりました。でも、むき出しの崖が皆無になったわけではありません。地質学者には、まだ楽しみは残されていますが。

・新学期・
大学は、進級、卒業、入試など、
2008年度末の恒例行事がすべて終わりました。
あとは、教職員の送別会だけです。
4月から新入生を迎えて、新学期が始まります。
また、新しい人々と新しい時間を迎えることになります。
進級して成長した人々と新たな接触を持つことになります。
学校にいると、4月を大きな変わり目と感じてしまいます。
北海道は、桜にはまだ早いですが、
大学ではいち早く春を迎えることができます。

・紀伊半島へ・
北海道では、今年の冬は暖冬で雪も少なく、
春の訪れも早くなっているようです。
私は、3月下旬に紀伊半島へ、1週間出かけます。
とはいっても、実際には、出かける前に原稿を書いて、
4月1日に発行予約する手続きをしています。
ですから、このエッセイを発行する頃は、
まだでかける前になります。
まあ、帰ってきたら、その報告を別のエッセイで紹介します。
興味ある方はそちらを参考してください。

2009年3月1日日曜日

86 バウマ・シーケンス:本質から眺める多様性(2009.03.01)

 自然の営みでできた地層は、一見整然と同じものが積み重なっているようにみえます。でも、個々の地層をよくみていくと、二つとして同じものはありません。地層の中に見えた多様性は、実は単純な本質によって形成されていることがわかってきました。多様に見える自然も、本質から眺めると、違った景色にみえてくるかもしれません。

 現在、私は、堆積岩と堆積作用について、いろいろ文献を読んでいます。地層の形成過程と時間との関係を考察するという目的です。そのために、最近の堆積学について勉強しなおしています。堆積作用で注目しているのは、タービダイトと呼ばれるものです。
 ダービダイトとは、英語のturbiditeをそのままカタカナ書きしたものです。日本語では、混濁流とよばれています。私は、乱泥流と呼んでいたのですが、これは、古い呼び方で、今では使われなくなったようです。タービダイトは、混濁流だけでなく、混濁流によって形成された堆積岩の産状の名称にも使われています。
 かつて、深海は、陸や沿岸域が活動的であるのに対して、変化のない穏やかな場所だと考えられていました。しかし、深海底でも、激しい変化が起こることがわかってきたのです。その原因がタービダイトだったのです。
 発見のきっかけは、1929年11月18日に起きたグランド・バンクス地震でした。グランド・バンクス地震は、カナダの大西洋にあるニューファンドランド島の南の海底で起きたものです。その地震によって、海底にあった大西洋を横断する海底ケーブルが切断されたのです。原因を究明していくと、地震で発生した混濁流が丈夫な海底ケーブルを切断してしまったのです。
 1952年のハーゼンとアーウィンの研究によれば、地震が起きた急傾斜では、混濁流が発生し、そのスピードは時速99km(秒速28m)でした。海底での現象としては信じられない驚異的なスピードです。また、640kmも離れた緩やかな斜面では、混濁流が134時間17秒後に達しています。そこでの混濁流のスピードは、まだ時速21.6km(秒速6m)もあったと推定されています。640kmというと、東京-広島や東京-函館にまで達する距離になります。そこまで、混濁流がかなりの勢いをもったまま達しているのです。
 タービダイトとは、大量の土砂が深海底まで流れ込み、そこに土砂がそのまま移動して、たまるものです。時には、すでに深海にたまっていた堆積物を侵食することもあります。ダービダイトは、そのスピード、規模、到達範囲を考えると、深海底を改変する営力として、非常に大きなものといえます。
 タービダイトは、多くの土砂がたまっていて構造的に不安定になっている場所で発生します。不安定な場所の多くは沿岸域ですが、発生のきっかけは、例で示したような地震だけでなく、台風やハリケーンなどの暴風雨、土砂で飽和した河川流の流入、河川の土石流などです。
 海底でたまった地層も、長い時間の経過と大地の営みによって、地層となって、陸地に上がり大地の構成物になります。そのような地層を観察することで、ダービダイトの実体がわかってきました。
 地層のでき方の実験で、よく行われるものとして、ペットボトルに土砂と水を入れ、それを振ってよく混ぜ、静かにおいて置くと、粒の大きな礫が先に沈み、粒の小さい砂が次に、もっと細かい粘土がさらに上にたまっていきます。このような粒子の大きさに応じた並びを、級化層理(gradding、グレーディング)と呼んでいます。
 このペットボトルの地層ができ方と同じようなものが、タービダイトでも形成されます。ただし、タービダイトにはペットボトルと違って、流れがあります。その流れの作用によって、級化層理と上の泥岩の間に、複雑な堆積構造ができます。
 ダービダイトを詳しく調べて、最初にダービダイトの概念を整理したのは、バウマ(Arnold H. Bouma)です。1962年に発表した論文では、タービダイトの典型的な堆積構造を示しました。このような典型的なタービダイトは、バウマ・シーケンスと呼ばれています。バウマ・シーケンスは、下から、級化部、下部平行葉理部、斜交葉理部、上部平行葉理部、泥質部という順に並んでいます。
 最下部の級化部と最上部の泥質部は、ペットボトルと同じようなでき方です。両者の間にある下部平行葉理部、斜交葉理部、上部平行葉理部が、他の成因の地層とタービダイトとの違いともいえます。
 葉理とは、一つの地層(単層といいます)の中に形成されている構造です。細粒の砂やシルト(砂より細かく、粘土よりは粗い粒子)などが並んでいる目に見えるサイズの層構造のことをいいます。その葉理の特徴によって、タービダイトの内部がいくつかに細分されます。
 葉理が、地層の面(層理面といいます)と平行なとき平行葉理といい、葉理が地層の面と斜交している場合を斜交葉理といいます。葉理は、その地層を形成した流れの特徴を反映しています。ですから、葉理を調べることによって、タービダイトの形成時の流れの様子を知ることができます。
 典型的なバウマ・シーケンスのタービダイトでは、斜交葉理を挟んで上下に平行葉理が形成されてます。
 ところが、実際に野外で地層を調査していると、バウマ・シーケンスをもったタービダイトが非常にまれであることがわかります。なぜ、まれにしかないものに、典型的なシーケンスなど成立しえるのでしょうか。それは、タービダイトという流れの特徴を考えれば理解できます。
 ダービダイトは、土砂混じりの密度の大きな流体として、重力によって流れていきます。ダービダイトの到達範囲は広く、堆積場が非常に巨大になります。流れの主軸にあたるところでは、混濁流の本体が流れていきます。主軸であっても、流れるにしたがって、礫や砂などの大きな粒子から沈降していき、減っていきます。流れの主軸でも、タービダイトの発生場から離れると、級化層理をつくるような大きさの粒子はなくなっていきます。タービダイトから離れた遠方や、タービダイトの周辺域では、密度の小さい、細かい粒子だけの混濁流になってしまいます。
 一つのタービダイトでできた堆積物であっても、級化層理をもったもの、つまりバウマ・シーケンスをもった地層は、混濁流の主軸のある限られた範囲の堆積物だけとなります。それ以外の場所では、下部の級化部の欠けた地層が、広く堆積しているということになります。むしろそのような不完全なタービダイトの方が広く分します。
 タービダイトから形成された地層は、連続して積み重なっていても、それぞれの混濁流の流れる方向や規模は、毎回違ってくるはずです。ですから、同じ場所を掘って積み重なった地層を見たとしたら、完全なバウマ・シーケンスを持った地層はまれで、不完全なタービダイトの方が多くなっているでしょう。これが、自然界でバウマ・シーケンスが完全なものが見られない理由です。
 タービダイトは、堆積物がたくさん供給され、斜面が埋まって浅くなってしまうことなく、常に深みであるところた厚くたまります。そのような常に沈降する作用が働いているような場所であれば、タービダイトはよく発達します。たとえば、日本列島のような、海溝に沿うようにできている上昇の激しい地域の沿岸が、タービダイトが形成されやすい場所となります。日本列島の西南日本の太平洋側では、かつてのタービダイトでできた地層をたくさん観察することができます。
 ある崖でタービダイトの地層を見るということは、過去の海底の断面をみるということになります。たとえ同じ場所だったとしても、その断面は、タービダイトの主軸部だけをみてるとは限りません。あるときは主軸だったとしても、次には主軸から外れていることもあるでしょう。ですから、崖の地層は、どんなに似ているように見えても、二つとして同じものはないのです。
 バウマ・シーケンスは、多様性の本質の重要性を示す好例です。もし、バウマ・シーケンスという本質を知らないで、多様な様相を示す地層を見たとしましょう。すると、その地層の多様性に惑わされて、本質を見抜くことが困難になることでしょう。地質学者たちが、バウマ・シオケンスたどり着くまでに長い時間が必要でした。しかし、ある原理や成因に則った本質が理解できれば、一見多様に見える自然現象も、その本質の演繹によって解明できるのです。

・典型的実例・
私は、地層を詳しく見るようになったのは、ここ1、2年です。
また、バウマ・シーケンスの詳細について
知るようになったのも最近です。
思い返してみても、
典型的なバウマ・シーケンスを持つ地層を
野外でみた記憶がありませんでした。
今までの記録をひっくり返してみても、
見た記録もありませんでした。
つまり、バウマ・シーケンスの実物を
少なくとも意識してみたことがないのです。
そうなると、典型的なバウマ・シーケンスを見たいのが人情です。
どこにあるか、これからいろいろ探してみたいと考えています。

・早い春・
いよいよ3月です。
北海道は、2月になって雪は結構降りました
しかし、例年の比べれば明らかに少なく
暖かい日が多いです。
ですから、今年は冬はすごしやすく感じます。
そして多分、春の訪れも早くなりそうです。
北国の人間にとって早い春の訪れはうれしいものです。

2009年2月1日日曜日

85 激変説と斉一説:宗教の呪縛と開放(2009.02.01)

 地球に流れた時間は如何ほどのものでしょうか。その検証はどうすればいいのでしょうか。科学者たちも悩み、議論しました。その背景には強い宗教的呪縛がありました。宗教から科学が解放されるために、多大な苦痛を伴いました。そのような苦労を、歴史の激変説と斉一説の論争から眺めていきましょう。

 17世紀後半から19世紀にかけて、ヨーロッパでは、産業革命がおこりました。特に、18世紀には、イギリスでは、石炭運搬のために各地に運河が掘られ、地下の様子を知る機会が増えました。ヨーロッパ各地でも、化石が多数見つかって、知識も蓄積されてきました。そのような知識から、地層の違がっていると、産出する化石も違うこともに気づかれるようになりました。なぜ、地層ごとに違った化石が出てくるのか、という疑問に対する答えが必要になりました。
 その答えを出すのは、当時の自然哲学者(今の科学者)たちでした。答えを出すためにいくつもの解釈がなされます。その解釈の違いによって論争が起こります。科学とは、証拠や論理に基づいてなされるはずです。しかし、所詮、人間の営みですから、どうしても、常識や宗教的背景の影響を受けます。そのような影響を物語る論争が18世紀のヨーロッパでで起こりました。
 地層ごとの化石の変化をめぐって、激変説と斉一説という2つの説で論争を起こりました。この論争は、地球の創世、あるいは過去の歴史認識に関わるもので、進化論への道を拓いたともいえます。
 激変説とは、天変地異説とも呼ばれ、英語ではCatastrophismといいます。この説は、地層の形成や化石の起源を、天変地異によって説明しようとする立場です。
 当時のヨーロッパでは、聖書に書かれていることは、絶対的なものだと考えられていました。生物は、聖書よれば、神が最初の一週間に一気につくったものです。もしそうなら、ヒトも含めて、どの時代にも同じような生物種がいたことになるはずです。ところが、化石が地層ごとに違っているという事実は、当時のキリスト教的考え方では、説明が困難な問題となります。
 そこで登場したのが、激変説です。聖書の創世記に書かれている事件によって、ある時代の生物種を入れ替える(絶滅させる)ことができれば、新たに生物が誕生させることができます。つまり、その事件を契機に、違う生物種を再構成すれば、化石種の変化が説明できます。
 幸いなことに、聖書にある「ノアの洪水」がそのようなことを起こせる天変地異になりえます。ただし、問題は、聖書によれば「ノアの洪水」は一度だけの異変であったことです。
 そのような異変が何度も起こったと考えたのが、フランスのキュビエ(G.D. Cuvie、1769~1832年)でした。「ノアの洪水」が最後の大洪水とされていました。キュビエは、「ノアの洪水」のような天変地異によって多くの生物は死に絶え、あるものが土砂に埋もれて化石になっていたと考えました。
 キュビエは、各地から産する動物化石、とくに脊椎動物化石を研究し、激変説によって古生物種の変化を説明していました。キュビエは、「比較解剖学」の手法を確立したような大御所で、脊椎動物古生物学の祖ともいわれています。化石から、古くから犬や猫、人間はいることがわかっていますが、その骨格には、変異も進化もないし、変種でさえ骨格は近似しています。これは、生物が進化しない証拠だと考えました。また、生物は種として分類され、分類間の中間的な種が存在しないことも、進化の反証となると考えていました。天変地異によって、すべての種が絶滅するのではなく、箱舟に乗って生き残った個体がいたと考えていました。化石の中に現在と同じ種も見つかることも、聖書の記述と矛盾をなくすことができます。
 当時の市民は、聖書の信じていました。もちろん、当時の科学者たちの多くも聖書を信じていました。そして、激変説も信じていました。ですから、当時のヨーロッパでは、激変説が主流派となってました。
 一方、斉一説(niformitarianism)は、聖書を否定する、いわば異端的な考え方です。
 斉一説は、過去の自然現象も、現在みられるものと同じ作用がおこっていたとする考え方です。この説は、18世紀末にハットン(J. Hutton、1726~1797年)が唱えた説です。ハットンは「地球の理論」(1788年)の中で、「自然法則は地球が太陽の一員であるかぎり、過去現在をとおして不変である」と述べています。その考えは、「現在は過去鍵である」で象徴的に表現されています。
 斉一説の原理である現在の自然現象は、非常にゆっくりしたものです。少なくとも、生物の進化は観察されません。また、化石がつくられている過程も見ることもできません。ただし、「ノアの洪水」ほのではなくても、大雨が降れば、大洪水が起こります。その洪水によって、大量の土砂が海まで押し出され、その中には生物が閉じ込められることがあることは、経験できます。これは、一枚の地層とその中の化石というものを形成すメカニズムの基本といえそうです。これが、現在に起こっている作用です。
 ただし、そのような大洪水は、非常にまれな現象で、各地でみられる大量の地層の連なり、あるいは、地層の侵食、褶曲などを考えると、そこには膨大な時間が介在しなければなりません。
 聖書にかかれてている地球誕生は、せいぜい6000年前、最大に見積もっても26万年前です。これくらいの年数では、どう考えても、多数の地層、多様な化石、地層の侵食や褶曲などを起こすには、あまりにも時間が足りなすぎます。
 斉一説と激変説の論争は、地球誕生して以来、どれくらいの時間が経過しているかが最大の論点となります。地球の年齢は、年代測定の技術が発展する20世紀後半を待たねばなりませんが、論争の決着はもっと早くみました。
 激変説は、当初多くの支持を受けていたのですが、いくつも不都合な点が見つかってきました。化石種だけに見られる絶滅種が、多数見つかってきました。中生代の恐竜のように、今ではまったく見られない種があまりに多く存在しました。また、ケルビン卿(ウィリアム・トムソン、William Thomson、1824~1907)は、灼熱の地球(当時地球はそのような起源を考えていた)から現在の温度まで冷めるまでの時間を計算すると、とてつもなく長い時間(2000万年から4億年)が必要だとしました。などなど、多くの化石、地層、データなどの集積によって、激変説ではどうにも説明できない事実が増えていきました。
 1830年代には、ライエル(C. Lyell、1797~1875年)が「地質学原理」という本を出版して、そのような斉一説をまとめました。やがて、斉一説が世に広まり、主流派へと転換していきます。「地質学原理」は科学が目指すべき方向を示していました。斉一説は、地質学のみにとまらず、近代的な科学の確立に重要な役割を果たしました。
 「地質学原理」を、若きダーウィンはビーグル号の航海中に携え読んでいました。地球には、十分な時間が流れていたという確信を持ちました。その地球に流れた長い時間を利用して、生物が進化したとする考えが、1859年、ダーウィン(C.R. Darwin、1809~1882)の「種の起源」によって唱えられました。
 科学とは、事実から仮説を立て、それを実証するものです。仮説に基づいて、新たな事実を積み重ねていきます。そして、仮説を修正したり、まったく新たな仮説をつくる。科学は、データが少ないときは、常識や従来からの考え方で説明しようとされます。しかし、データが増えてくるとともに、従来の考えの修正や追加では、どうにもならないことになってきます。そして、やがてパラダイム転換が起こります。この18世紀のパラダイム転換は、科学と宗教と分離ということも成し遂げました。以降、科学が科学として独立して独自の道を歩むことができたのです。
 こんな繰り返しが、科学の営みといえます。科学のすばらしさは、かつての説を否定するという、自己修正機能を持っていることかもしれません。

・宗教の呪縛・
現在の日本にいると宗教の呪縛の意味をあまり感じることはありません。
しかし、日本でも、キリスト教や仏教を命を懸けて信じ、
その信念を貫いた庶民が多数いた時代もありました。
ですから、日本人が宗教の呪縛がないというわけではありません。
ただ、現在そういう時代に生きているというに過ぎないのです。
今も、宗教に殉じ、命を賭して戦っている人も多数います。
これが人間の性というには、あまりにむなしい気がします。
人類は科学という非常にすばらしい考え方を手に入れました。
宗教の教義自体の真偽を問うのではなく、
宗教と社会、宗教と科学などのあり方に対して
もっとよい考え方は生まれないでしょうか。
誰が何を信じても、共存できる社会は生まれないのでしょうか

・今時の学生気質・
大学は講義は終わり、定期試験が行われています。
2月から3月にかけて入試のはじまります。
大学入学は選り好みしなければ
必ず入れる時代になりました。
ただ、就職は非常に大変になってきています。
大学を卒業しても必ずしも望む職に就けるとは限りません。
せっかく決めた職も内定取り消しも起こりました。
入るに易く出るに難く。
そんな時代になりました。
それでも、職に執着せず、
職を見つけず卒業していく学生も、
かなりの数見かけるようになりました。
人それぞれですが、若い貴重な時間を
有意義に使ってもらいたいと願っています。

2009年1月1日木曜日

84 私は進化しているのか:進化の進化(2009.01.01)

 明けまして、おめでとうございます。今年も引き続き「Terra Incognita 地球のつぶやき」をよろしくお願いします。2009年最初のエッセイとして、ついついやってしまいがちな物言いについて考えていきます。これは自戒の意味をこめて書いています。

 誰もが思い当たると思いますが、「近頃の若い者は・・・」とか「自分の若いときは・・・」という物言いをすることがよくあります。そのような物言いは、年齢を経ると共に多くなっていくように思えます。しかし、よくよく思い返してみると、年をとってから、そのような物言いをしはじめたのではなく、ずっと以前からやっていることのような気がします。
 現役の大学生との会話の中で、大学生からも、「最近の小学生は・・・」や「自分が子供のころは・・・」という物言いを聞くことがあります。自分もたぶん大学生のころも、同じような物言いをしていたのでしょう。ですから、ある程度年齢を経ると、人はだれでもこのような物言いをしてしまうものなのかもしれません。ただ、年齢と共にそのような物言いの頻度は確実に増えている気がしますが。
 さて、「近頃の若い者は・・・」という物言いの問題点は、経験や年齢という年少の者には決して勝ちようがない土俵で、美化した自分自身の記憶と比べています。このような比較は、身勝手なもので、卑怯な手法ではないでしょうか。これを議論の手段とするのは、公正ではありません。
 「自分の若いときは・・・」という物言いは、身勝手な比較になることも多いのですが、別の場面で使われることもあります。自分を貶めて語る場合です。たとえば、「私も若い頃はこんな失敗をよくしたんですよ」とか、「私も若い頃は、無茶なことを・・・」とか「私は若い頃はバカで・・・」などと、自分の失敗例を出して語ることがあります。本音では、粗暴やバカだと思っているわけではなく、そのような物言いで、自分も「そんな弱点をもっていた人間」ということを表出しているのではないでしょうか。
 過去の自分自身を出して自虐的に、誰にもなじみやすい一般論を述べる方法です。でも、自分を本当に卑下しているわけではなく、話を聞いてもらいやすくするという無意識の配慮でしょう。そのような物言いに文句のつけようがありません。もし文句を言うと、相手の昔の所業を責めることになりますし、自虐的な物言いを否定しても険があるだけです。
 このような本音とは違う物言いをして場面がよくありそうです。言葉のあやで、本音は別にあるというといってしまえばそれまでです。しかし、そのような物言いもほどほどにしておかないと、時には本音を忘れ、間違った物言いだけが残っていくこともあります。
 今回の議論は、このような物言いとは逆で、もともとは別の意味だったものが、無意識に本音に近い物言いになってしまう場合の話しです。そのような変移する物言いに含まれる本質について考えていきます。
 科学の世界で、意味がすり替わった例を紹介しましょう。
 生物学では、「進化」は重要な概念です。生物学者の大部分は、進化が自然界で起こっていると考えています。もちろん科学者でない市民も、生物の進化を知っています。しかし、巷間では、進化という言葉は生物界の変化だけでなく、いろいろなものの変化に対して適用されています。文明の『進化』、コンピュータ技術の『進化』、宇宙の『進化』、革新的『進化』、などなど、例を挙げればきりがありません。
 本来、生物学における進化という述語は、一般に使われているものとは違った意味合いで使われます。進化という言葉は、もともとは生物学から転用されたはずです。しかし、進化が使われている場面は、もともとの意味とは違ったものになっています。生物学者も、同様の間違いを犯していることがあります。
 進化とは、英語でevolutionです。もともとはラテン語「evolutio」から由来する言葉で、「(巻物などを)開くこと」という意味でした。そこから、英語のevolutionでは、「(劇などの)時間的な展開」という意味に使われるようになりました。ですから、もともとは、現在の「進化」という意味合いはありませんでした。
 ダーウィンは、「種の起源」の中で、「evolution」という言葉を、最初は使っていませんでした。彼が「進化」の意味合いで使ったのは、「descent with modification」という言葉です。「descent」とは、「家系、系図、血統」とか「世襲、相続」という意味です。ですから、「descent with modification」とは、「変化を伴う系統」という意味となります。翻訳としては、「変化を伴う継承」が使われることが多いようです。
 ダーウィンが「evolution」という言葉を使わなかったのは、ホムンクルス説というものがあり、そこから派生したの前成説の中で使われていたからです。
 「ホムンクルス説」とはもともと、錬金術の一種で、人工生命体を作る方法があるという考えです。その概念を、生物学が、「前成説」の一部として用いていました。「前成説」とは、精子(あるいは卵)の中にヒトの形をした「ホムンクルス」がすでに入っていて、それが成長してしていくのが生物の誕生であるとするものです。そして成長した個体の精子や卵子にはホムンクルスがいる、という生命が入れ子状になっている考え方です。「evolution」とは、生命とは、精子の中の小人が入れ子状に、次々と世代交代していくという意味の言葉だったようです。
 ダーウィンは、「前成説」で使われていた言葉を、「種の起源」で使うという発想にはならなかったのでしょう。
 ダーウィンが「種の起源」の中で語った「descent with modification」、つまり「進化」とは、個体の変化がどのように蓄積し継承されていくかということです。「進化」の原因を、「自然選択」だと考えました。
 ここで注意が必要なのですが、個体は適応も進化もしません。ただ、自然選択されることで、生き延びやすい個体と生き延びにくい個体が生じるだけです。また、種は淘汰や競争をしません。生き延びた個体の変化が継承されていき、それが新たな種へと導きます。
 「evolution」という言葉を、現代風の使い方で世間に広めたのは、社会学者のスペンサーです。スペンサーは、「社会はどんどん複雑なものになる」という考え方で「evolution」という言葉を使いました。そこには、明らかに進化が進歩や発展という意味を持っていました。現代よく使われている『進化』と同じ意味です。
 「survival of the fittest」(適者生存)や「struggle for existence」(生存競争、生存闘争)という用語も、スペンサーが用いたものです。ダーウィンは、「種の起源」の後の版で、「自然淘汰」より「生存競争」の方が、「正確な表現」で、「時には同じくらい便利」としています。しかし、スペンサーが用いた「evolution」という言葉には、当初、抵抗を示していました。それは、生物の「進化」には、「進歩」という意味合いはまったく含まれているないはずなので、ふさわしくない用語だからです。
 一方、当時のキリスト教的世界では、ヒトは、神に似せてつくられた生き物で、他の種に比べて、もっとも『進化』した種という位置づけでした。この考えは、キリスト教を信じる限り、無意識に受け入れられていた考え方です。ダーウィンの時代の科学者も、ヒトは万物の霊長であると考え、ヒトはその生物種より『進化』していると考えていました。この考えは今も、私たちには心地よい響きを持っています。そして実際、スペンサー流の『進化』は、現在も広く流布しています。
 ヒトは他のどの生物より、高度で進歩しているという考えは、ヒトという種にとって、都合のよいものです。多く人は意識せず、「進化」を進歩しているという意味で使います。科学者でも、意識しないときは、「進化」と進歩を区別せず使ってしまうことがあります。
 ある時代の社会背景は、すべての思考に影響を与えます。この背景からは、科学者でも、逃れることができません。その背景から逃れるためには、常識に対して強い問題意識を持ちつづけないとなりません。私は、大学で、「生物学で使われる進化には進歩という意味ない」と講義しています。でも、気を許すとついつい背景に飲み込まれます。もともとの定義を知っていて、定義に反する術語の使用は、重要な間違を犯しているわけです。教える立場で、たとえ無意識であろうと誤用するのは、講義で悪癖を流布させていることになります。注意が必要です。生物学を専門にしていない先生の物言いの中に、進化ということばが、進歩という意味合いで使われていることがよく見受けられます。
 科学の世界でもこのようなことがおこるのですから、普段使いの語り口におておや、です。無意識に本来の意味からずれてしまうことがよく起こります。気をつけないと、そんな繰り返しが、ずれたままの使用を定着させてしまいます。まして、それが本音に近いずれであったりすると、ますますその傾向は強くなるはずです。
 最初に示した例のように、勝ちようがない比較での非難や自虐的な物言いなどは、結局は、自分の本音を棚に上げて語っているのです。「自分のことを棚に上げる」物言いは、褒めらない方法であることは、だれもが知っています。そのような物言いは、決して自分の人間性が良く見えるようにするものではありません。でも、無意識についつい「自分の棚上げ」は行われています。これは、個人レベルでは、自分が賢いと思っていることや、もっと大きなレベルでは、人類は他の生物種と比べてどこかで勝っていると思っていることなど、いろいろなレベルで起こっています。そのような無意識の思い込みを、他人から指摘されると、嫌な思いをします。これは、「自分の棚上げ」がよくないことだと知っているためでしょう。「自分の棚上げ」をなくすことが『進化』となるはずです。
 さてさて、このエッセイの内容も「自分の棚上げ」を注意を促しながら、「自分の棚上げ」して語っている節があります。もしそうなら、年頭から物言いで失敗していることになります。今年は、こんな失敗や誤用にくれぐれも注意していきたいと思っています。

・白い正月・
明けましておめでとうございます。
北海道は、白い年明けとなりました。
12月下旬まで雪は積もらず、
まるで秋のような景色の年末を迎えつつありました。
しかし、年末に寒波が押し寄せ、
やっと北海道の冬らしい雪景色になりました。
しかし、余り急激だと生活に支障をきたします。
私の母が暮れに来て25日に飛行機で帰ったのですが、
その翌日の26日から大荒れの天候となり、
交通は大いに乱れ、飛行機も欠航が相次ぎました。
ほんの少しの差で、母の移動は無事できました。
しかし、この激しい寒波は多く人に影響を与えました。
穏やかな正月になるといいのですが。

・ものは考えよう・
昨年、我が家は、誰かが体調不良の時期が次々とあり、
ぱっとしない年となりました。
今年こそは、体調に気をつけて、
無事に過ごしていきたいと思います。
どんなにやりたいことがあっても、
体調不良ではなにもできません。
ですから、まず健康でいることが大事です。
そんな単純なことを気づかされた昨年1年でした。
もし、体調不良がなければ、
健康のありがたさを忘れていたかもしれません。
前向きに考えれれば、病気がちの1年も意義あるものとして
振り返ることができそうです。
今年も、現在の私の健康法である
通勤のための7kmのウォーキングと週末の水泳をかかすことなく、
健康維持に努めていきたいと考えています。

・母の携帯電話・
年末は、子供たちが次々に風邪を引きました。
母が滞在中も、どちらかの子供が風邪で寝ているという状態でした。
残念ながら、母をあちこちに連れて行く予定が
すべてキャンセルになり、母に残念な思いをさせました。
滞在中、母に専用の携帯電話を渡し、
自宅でも持ってもらうことにしていました。
携帯電話は、主として我が家との連絡用です。
それと母が田畑にいるときの緊急連絡用です。
母は、滞在中にかなり練習をしていたのですが、
なかなかその操作は覚えられないようです。
何度も失敗をして、メールを送るつもりが
電話を間違ってならしてしまいます。
帰宅して翌日の朝6時に突然、
携帯電話がなり、驚かされました。
でも、孫たちと連絡を取るために、
なれない携帯電話の操作に毎日四苦八苦しています。
突然の携帯の呼び出し音も、
70歳を過ぎた母の元気な知らせと考えましょう。