2010年2月1日月曜日

97 暗黙の前提:常識を打ち破れ

 人は、ついつい常識的に考え、行動します。しかし、時には常識や暗黙の前提を打ち破ることが必要です。そこに大きな飛躍がうまれ、新しい創造の世界が生まれます。それには、まず、自分自身の可能性を信じ、広げる努力が必要でしょう。

 先日、研究室で原稿の内容や構成を考えてました。昼になったので、大学の生協に昼食にいきました。そして、帰ってきて、その原稿の続きに取り掛かりました。一段落して、ふと「今日、昼食を食べたのかな」と疑問が沸いてきました。なぜならお腹が、すいていないのです。でも、どんなものを食べたのかが思い出せませんでした。そして、夕方、自宅に帰って、夕食のメニューがカレーであるのをみて、昼食にカレーを食べたことを思い出しました。少々驚きました。自分に認知症が出たのか心配になりました。
 同じようなことが、私に常に起こっているのです。私は、毎日、片道1時間ほどの道を徒歩で通勤しています。日々の天候や季節の移ろいなどの違いがあるはずのですが、同じ繰り返しなので、特別なことがないと、その違いを意識せずに歩いています。
 同じことを繰り返しをしていると、無意識にその行動をしているこということです。これは、認知症ではなく、意識にあまり上ることなく行動すると、その行動が記憶にも残りにくいことを意味しています。多分、同じような経験が誰にでもあるのではないでしょうか。
 古いことはよく覚えているのに、つい先日やさっきのことが思い出せないことがよくあります。ですから、私にとって、今回はじまったことではなく、日ごろ起こっていることといえます。毎日繰り返している食堂で食べるという一連の行為のように、ほとんど意識に上ることなく、記憶にも残らないような状態で行っていることがあるはずです。
 複雑ですが、パターン化した行動を無意識にできることは、人間として重要な能力なのかもしれません。でも、そのようなパターン化されてしまった行動や思考が、思わぬ落とし穴にはまる危険性を持っています。それは、不注意による安全管理や事故防止などという、マイナスを生じないための対策のためではなく、生産的なプラス面を生むためにもそのようパターン化された行動や思考は、注意が必要です。
 次の問題を考えてください。
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問題
 下のAとBで、正しいのはどれちらでしょうか。
A 1+1=2
B 1+1=10
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 だれもが、Aを、正しいと答えるでしょう。小学校の1年生でも、同じ答えを選ぶでしょう。だれも、Bが正しいなどと考えることはないでしょう。これは、常識的な選択です。常識的な考え方は、決して悪いことではありません。最初にも述べたように、常識に基づいた行動、常識的な判断は、だれもが使っているものです。それは、生きていく上で欠かすことのできない、重要な能力でもあります。
 でも、その常識が足かせになる場合、あるいは害になる場合もあります。その例が、上の問題にも隠れています。
 上の問題のように、だれもが同じ答えを選ぶということは、それが本当に正解である場合も、もちろんあります。しかし、よく考えてください。皆が同じ考え方をするということは、皆が常識的でパターン化された思考に陥っているということでもあります。
 パターン化された思考とは、暗黙の前提、常識を自分で勝手に設け、その前提、常識に基づいて考えているということです。そんな状態に陥ると、創造的な考え方がなかなかできないのです。
 上の問題では、なんの但し書きもついていません。ですから、本来であれば、自由に考えていいわけです。問題全体に「もし、○○だとしたら」という但し書きをつけて、その上でAが正しいとすべきでしょう。それが論理的なやり方のはずです。
 論理的な考え方でいえば、但し書きをつければ、Bの方が正しい場合もあるはずです。たとえば、こんな但し書きをつけたとしましょう。
「数学の規則に従い二進法だとしたら」
 二進法とは、数字でいえば、0と1だけの世界です。1+1を計算すると、桁がひとつ繰り上がり、10という値になります。Aは二進法で考えれば、2以上の数がないので、Bの式は2という定義されない規則違反をした正しくない式となります。ですから、Bが正しい式となります。
 二進法はコンピュータが利用している単純な計算の仕組みです。ところがコンピュータは、今や人間にはとてもできない計算、作業、データ蓄積をこなします。インターネットでは世界中に膨大なデジタル空間が広がり、その大きさ、増殖率は想像を超えるものがあります。今では、コンピュータのない生活はできないほど、多くの現代人がその恩恵を受け、依存しています。
 0と1が築き上げている広大なデジタル世界は、二進法というアイディアを創造し、それを使ってきたから生まれたのです。このように新たな世界を創造しうるかどうか。そのためには、自由な発想が必要なのです。
 このエッセイで私がいいたかったのは、自分自身で、暗黙の前提、常識を設けてしまうと、その前提から逸脱することが困難になるということです。暗黙の前提が心にできてしまうと、創造性の空間が縮小されてしまいます。縮小された空間で新しいことを考えようとしても、どんなにがんばっても空間を逸脱できるアイディアはでてこないのです。
 では、暗黙の前提、常識から開放されましょう。
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問題 下の式の中で、それだけが正しい前提条件は何でしょうか。
A 1+1=2
B 1+1=10
C 1+1=11
D 1+1=1-1
E 1+1=0
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 いくらでも、解答は例をつくることはできます。たとえば、以下のような前提条件はどうでしょうか。その式だけが正しくなります。
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解答例(前提条件)
A 数学の規則に従い三進法以上の進法だとしたら。
B 数学の規則に従い二進法だとしたら。
C +と=いう記号が数学でいう加法と等号ではなく、=は+の両側のものを並べて書くという記号だとしたら。
D =という記号が数学でいう等号ではなく、別の記号で書くという記号だとしたら。
E =という記号が数学でいう等号ではなく、2進法の一桁目だけを示す記号だとしたら。
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 これは一つの例であって、これだけが正解ではありません。想像力を働かせれば、いっぱいの正解があるはずです。
 このような暗黙の前提、常識から開放の必要性は、生き方にもいえます。「自分は、こんな人間だから」とか、「自分は、こんな性格だから」といってしまって、あきらめたことがありませんか。
 「私は、文系だから、計算は苦手」という人がよくいます。しかし、そんな人が、ワリカンの計算がすぐにできたり、お釣りの計算が早かったり、昔の買ったものの値段をよく覚えていたりすることはありません。もしかすると、本当は計算ができ、数字に強いかもしれないのに、計算が苦手と思ってしまい、自分の可能性を閉ざしていることはないでしょうか。
 そこまでと思って挑戦をやめれば、それ以上成長できません。理系や文系などというとらわれた考えではなく、ものごと広く考えるトレーニングをすべきでしょう。自分で自分に枠をはめることは、自分で自分の成長や才能に、見切りをつけることになります。自分で、自分の可能性を引き出してやらないと、他人はやってくれません。そうしないと、大きな創造性は生まれません。自分で、自分の可能性を信じ、時と場合によっては、常識を打ち破る勇気が必要ででしょう。私もそうありたいと願っているのですが。

・落としどころ・
いよいよ1月も終わり2月です。
大学も後期の講義は終わり、
あとは定期試験です。
今年から大学の講義の時間数が15講と定期試験となりました。
なかなか大変です。
その分、採点、集計、評価の時間が短くなっていきます。
その講義時間延長と評価までの時間短縮は
教職員にしわ寄せがきます。
学生がそのように充実した授業を望んでいるのなら
教職員はそれに応える必要があります。
もちろんそういう学生もいますが、
たんに単位が取れればいいという学生も確かにいます。
そのあたりの兼ね合いが難しいところです。
実情に応じた対処、要求に応じた供給、労力と効率、
それらの落としどころが問題です。

・準備・
4月から1年間、単身赴任で四国に出かけます。
その準備を少しずつしています。
私の引越し準備もさることながら、
残される家族に対して、
今まで私がしていたことを
残された家族だけでもできるように
しておかなければなりません。
問題が起きたときの対処も重要ですが、
起きないようにする対処も大切です。
その準備が結構大変なのです。