2011年8月1日月曜日

115 時の流れを漂う因果律

 原因と結果の密接な関係、因果律は、日常的に当たり前として使っています。しかし、因果律が成立するためには、時間の存在や属性が前提となっているようです。そこには不思議な関係が存在します。少し長くなりますが、因果律と時間の関係を考えていきます。

 原子力発電所に続き、北海道や中国の列車事故、航空大学校の飛行機墜落事故など、つぎつぎと事故が報道されています。事故が起これば、警察やメーカーなどによって、原因究明がおこなわれます。原因が究明されることによって、再発の防止や、責任追及がおこなわれます。事故の原因が、一つのこともありますし、複数のことも、あるいは複雑にからみあった原因によるものもあるでしょう。
 いずれにしても、なんらかの原因があり、その原因によって事故が引き起こされたとして事故処理は進められます。原因がわかれば、責任の所在が明らかになり、賠償や処罰も客観的にできます。さらに、対処しなければ、同じ条件がそろえば同じ事故を起こすはずです。だからこそ、原因究明は必要なことです。
 原因究明をするということは、原因と事故が密接に結びついているという前提があるからこそできることです。普遍化して考えると、何らかの結果(事故)が起こったならば、必ず原因が存在すると考えています。また、原因が出現したら、必然的に結果が生じることになります。原因と結果は必然性によって結びついています。
 そこに必然性がないと、結果から原因を追求することができません。法則や規則も一種の原因とみなせ、初期条件から結果を予測できるのです。そこにも必然性が保証されないと、研究や技術の成り立ちません。その必然性が保証されないと、研究や技術を進める動機すら湧かないかもしれません。
 科学や技術において、何らかの目標を設定したとします。例えば、ある火山活動を起こしたマグマの成因を探る、あるいは鉱物内の極微量の成分を精度よく測定できるようにすることを目標にしたとしましょう。今までなかった知見や技術を見出すことが目標です。
 マグマが固まったものが火山岩ですから、マグマの多様性を網羅するために火山岩が採取しなければなりません。採取した火山岩で必要な化学分析をしなければなりません。それらがすべて満たされたとしましょう。あとは、岩石学で今まで蓄えられてきた知的資産を使えば、マグマの成因を見極めることができます。
 こういう手順で進めれるる研究論文が多いのですが、個々の論文の評価として、その火山のそのマグマにおける新知見かもしれませんが、科学的な貢献度は低く、実例が一つ増えたという程度にしかなりません。ただし、量が質を生むことや、基礎データは科学の進歩には不可欠ですので、このような地道な研究も必要なものです。一人前の研究者への訓練として、このような過程を多くの人は経てきています。私もそうでした。ですから、地道な研究を否定するものではありません。必要な研究だと思います。しかし、今までにないマグマの成因や特徴、特異性などを見つけたり、それが広く敷衍できるものであれば、ひとつの研究成果の重要性が増します。つまり、オリジナリティのある研究成果といえます。
 その点、今までできなかった鉱物内の微量成分を分析できる技術、あるいは今までより一桁精度の高い分析ができるという技術は、汎用性、普遍性が大きくなります。高精度の分析ができるようになるためには、成分抽出過程の改良、新しい装置の開発、検出器の改良、標準試料の更新、測定プログラムの改善、補正計算の改良など、さまざまなアプローチがあるでしょう。今まで誰もできなかったものにチャレンジすることになります。いろいろなアプローチで一番効果のあるところから手がけられていくはずです。もしその技術が達成されれば、重要な成果となります。技術はいったんできると、多くの人が恩恵を被り、いろいろな応用もできるようになり、利用価値は高くなります。
 科学や技術を進める上で、原因を突き止めれば、結果を得、目標を達成できる、できそうだ、という予測を背景にしています。目標を達成するために、必要な試料やデータの入手、クリアーすべき技術的問題などが見極められていくはずです。試料やデータが入手不能、技術的問題が解決不能ならば、その目標は早々に諦められるはずです。多少困難であっても解決の見込みがあれば、努力しだいで目標を達成できることになります。それはチャレンジする価値あるものとなります。
 このようなプロセスは見方を変えると、原因(問題解決)と結果(目標達成)という関係が存在するはずという前提をおています。その前提があるため、研究や技術開発に取り組むことができるのです。原因と結果が存在するという前提が、研究動機を支えています。この前提による動機が、目標を達成するというかけ声のもと、科学や技術は進められてきましたし、そして、多分これからも進んでいくでしょう。
 原因と結果の関係を、因果律、因果関係、因果性と呼びます。
 科学や技術は、因果律のもとに進められています。因果律を前提とするのは、なにも科学や技術の世界だけではありません。私たちは因果律を、無意識に常識として受け入れています。多くのモチベーションは、因果律を前提にできています。
 しかし、よくよく考えると、因果律は、本当にすべての事象において存在するのでしょうか。また、因果律に組み込まれている必然性の存在は、本当に確実なものなのでしょうか。そもそもそのような因果律の存在は、証明されているものなのでしょうか。因果律は、もちろん誰も証明していません。多分、証明は難しいでしょう。では、因果律を用いることなく、科学的論証を進めることができるでしょうか。それも、難しいでしょう。
 そんな不確かさの上に現在の科学、あるいは現代社会は成立していることになります。あるいは私たちの文明は、因果律の上で展開、発展できたものだけから成り立っている楼閣なのかもしれません。
 因果律の成立には、いくつかの前提が必要です。その前提に基づいて因果律は構成されています。因果律の前提をみていきましょう。
 まず因果律は、時間の存在を前提とします。もちろん時間の存在を否定する人はいないでしょうが、時間の属性を完全に把握することはなかなか難しく、古くから哲学の重要課題として扱われてきました。ここで議論するには紙面がたりません。時間が存在するとしましょう。
 時間には、流れがあり、一方向に、途切れることなく連続しているということ、そしてその連続の中に「現在」が設定できるという前提も必要です。「現在」が設定できれば、「現在」を基準に時間を「過去」と「未来」に区分できます。
 次に、時間の流れにおいて、「原因」は前(先、上流)に、「結果」は後(下流)に起こるという前提が必要です。当たり前のようなことですが、原因と結果の前後関係も、因果律における重要な前提となります。この前提も存在しないと、因果律は成り立ちません。
 ただし、私たちが何かをしたり、認識できるのは「現在」という微分的な時間においてだけです。「過去」は、「現在」に残留する記録、記憶にのみに内在されます。残留の痕跡は、時間ととも薄れていきます。記録は古いものほど減って行きます。岩石や地層でも同様です。もちろん、「現在」は「過去」の多大な影響の基に存在します。「過去」の積分的総体が「現在」といえます。
 「未来」は「現在」の延長でありながら、不確実、未確定なものです。深くていながら、明らかに「過去」や「現在」にも影響されます。「現在」にしか存在できない私たちは、「未来」をすごく意識します。夢とは「未来」を想像ことです。よき「未来」を望むから、「現在」の苦労に耐えられます。「未来」の目標を達成するために、つらい努力もできます。それらはすべて「未来」が私たちに与える影響です。まだ来ぬ「未来」を見つめて、私たちは「現在」を生きているのです。それこそが「未来」が私たちに与える影響、属性といえます。
 私たちは、「現在」のみに存在します。「過去」も「未来」も私たちに直接関与できません。「過去」をいじったり、「未来」を事前に知ることことはできません。それをすることは、因果律を破ることになります。タイムマシーンは、因果律を破る存在になります。過去も未来も、概念上、頭の中だけの存在ない泡沫(うたから)の存在なのかもしれないという気もします。
 因果律は時間の流れの中に存在します。
 もし因果律が正しければという仮定に立てば、ほとんどの物理法則も成り立ちます。たとえば、ニュートンの運動方程式やマクスウェルの電磁気方程式(いずれも微分方程式)によって記述できる世界は、すべて決定論的に結果を予測できます。それらの微分方程式を、ある時刻の初期条件を決めて解けば、ある時刻の状態を解くことができます。時間に制限はありません、過去や未来の状態さえも知ることができます。
 ただし、熱力学は統計学的な要素、量子力学ではそれに加えて観測者の影響なども加味しなければならないため、古典的物理学に比べると不確実性が混入しています。しかし、その不確実性は、因果律を破るものではありません。因果律の確度を変動させる程度の範疇に収まるものです。
 因果律を認め、物理法則を認めると、過去の原因によって導かれる現在の結果はすべて決定論的に知ることができます。物理法則には、過去や未来などとういう時間の制限はつきませんから、未来も一義的に予測可能となります。どんなに複雑なものであっても、法則性が解明されていれば、遠くの未来を見通すことができるのです。因果律によって、未来が保証されているのです。
 私は、ここに不可思議を感じます。時間の流れの中で、未来は確定されたものではないはずです。なにの因果律は、未来を予測可能にし、未来の結果を保証します。時間の流れの上に因果律は成立しています。しかし、因果律は、時間の流れを先取りするのです。
 因果律による未来予測に基づき私たちは、行動を律していきます。そして、望ましい未来を出現させる努力します。結果として、未来の結果を左右させることになります。流れに漂っているのにその行き先を知っているのです。考えると頭が無限ループに飲み込まれそうです。

・地質学的素材・
研究の方法や研究者になるための
修行について書こうと
エッセイを始めました。
前回もこのようなパターンでした。
書きはじめると因果律について話が進んでいきました。
実は時間と因果律については興味があり、
以前から論文にまとめようと考えていました。
まだ考えが整理されていなかったので
少しずつ文献は集めていました。
ですから、論文にはまだ着手していませんでした。
今回このエッセイを書きすすめる過程で
少し方向性が見えてきた気がします。
なぜ、地質学者が因果律や
時間について考えるのかというと、
素材がそれらと深い関係があるからです。
地質学とは、過去に形成された地層や岩石を素材します。
素材の中に時間軸を見出し、素材の属性を記載します。
素材の持つ時間軸にそって
過去の変化や変遷を記述していきます。
広域が対象の地質や、
微小部分の鉱物内が対象になることもあります。
しかし、地質学とは、過去に形成された属性のうち
現在に残された過去の記録の断片を読み取っていくことです。
そこから過去を復元していきます。
その復元では因果律は不可欠です。
因果律は時間の流れの中を漂っているのです。

・夏休み・
8月、夏休みです。
皆さんの予定はどうでしょうか。
我が家は、2泊3日で旅行に出かけます。
田舎です。襟裳岬周辺の海岸で遊びます。
磯に行きたという子供たちのリクエストです。
天気次第ですが、
もちろん私が見たいとろこがありますが、
天気次第でどうなるかわかりません。
いつもよく行くところですから
宿泊施設も何度も泊まっています。
そんな行きつけのところをのんびりとまわります。