2012年12月1日土曜日

131 盲した巨人がみた素数の大地


 欠陥はないほうがいいに決まっています。しかし、欠陥を承知の上で、あえて欠陥付きで示すことにも、もしか重要な意義があるかもしれません。その意義は、遠くの肥沃な大地が見える巨人にだけ、許された特別な能力かもしれません。オイラーは、そんな能力をもった巨人だったのでしょう。


 オイラー(Leonhard Euler)をご存知でしょうか。非常に有名な数学者ですので、多くの人は名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。数学でも多くの業績を残していますが、物理学や天文学でも業績を残しています。
 オイラーは、1707年4月15日にスイスのバーゼルに生まれ、1783年9月18日にロシアのサンクトペテルブルクで一生を終えました。若い頃に右目を失明して、以降片目だけで研究を続けていました。数学は片目でも支障がないので、能力を如何なく発揮しました。天才的な能力、なおかつ膨大な成果をあげ、それを論文に残していきました。数学の巨匠としての能力も実績があったので、ギリシア神話の片目の巨人サイクロプスの異名で呼ばれていました。
 オイラーは、若い頃から才能を発揮していました。20歳の時には、ロシア帝国のペテルスブルグ王立学士院で職を得て、以後、死ぬまで給料をもらい続けていました。1740年から26年間はプロシアに滞在していたのですが、その間も学士院から給料が払われ続けました。オイラーは、生涯ロシア皇帝あるいはエカチェリーナ1世や2世の寵愛を受けていたようです。
 59歳の時に左目も白内障で失い、全盲になってしまいました。しかし、全盲になって死ぬまでの17年間も、論文を書くスピードは変わらなかったといいます。論文の生産のスピードたるや、尋常ではありませんでした。
 スイス自然科学協会が、1909年、オイラーの著作全集の刊行を計画しました。当時、500篇ほどの論文があるといわれていました。ところが、調べてみると、ペテルスブルグから新たに400篇近くの著作が見つかりました。現在わかっているだけで、886篇の論文があるようです。
 著作量は、論文で800 page/yearになるといいます。単なる文章ではなく、数学的な成果を報告するものですが、数学者の一生分の研究業績を一年で書いていたことになります。その生産量を生涯にわたって継続していたのです。もちろん、全盲になった後の17年間も口述筆記で同じ生産量を保っていたそうです。オイラーの死後、未発表の論文が47年間もかかって公開されたそうです。
 まさに、巨人です。
 オイラーの名前のついたものが、数学の世界にはいっぱいあります。オイラー数、オイラー積分、オイラーの公式、オイラーの等式、オイラーの五角数定理、オイラーの定数、オイラーの定理、オイラー標数、オイラー法、オイラー予想・・・・などがあります。私の知らないものも一杯あります。
 そんな中でオイラーが見つけた一つの式があります。この式は、素数をつくる式(素数生成式)として有名なものです。
  f(n)=n^2+n+41
として示されています。ここで、nは0と自然数で、n^2はnの2乗を意味しています。
 この式で、実際に計算してみると、nが0のときf=41(以下→で示す)、1→43、2→47、3→53、4→61、5→71、6→83、7→97、8→113、9→131、10→151・・・と、確かに素数になっています。素数のすべてを網羅しているわけではありませんが、素数を作り出すには便利な式です。
 ところが、この公式は、n=39までは正しいのですが、n=40でだめになります。なぜなら40のとき、この公式は41×41と素因数分解できます。このような「欠陥」は、もちろんオイラーも承知の上でした。
 n=40、41、42は素数ではないのですが、42の先でもこの式は素数を次々と作られていきます。nが60までみていくと、素数でないのは、n=40、41、42、44、49、56、57で、あとのnではすべて素数になります。非常に面白く、素晴らしい式です。
 実は、オイラーは、
f(n)=n^2+n+q
という式で、qが素数の2、3、5、11、17、41のとき、nに0からq-2の値を代入すると、素数になることを知っていました。一番大きなqである41が、39まで素数を生成できる式となります。
 ですからオイラーの総数生成の式は、「欠陥」ではなく、n^2+n+41が一番効率のよいことを、オイラーは知っていたのしょう。そもそもこの式を、オイラーはどうして気づいたのでしょうか。この式は単純ですが、非常に不思議です。なぜこのような式が見いだせたのか、論文には書かれていないようです。
 私は、オイラーの論文も、この素数生成式誕生の経緯も知りません。単なる個人の当て推量として、以下述べます。間違いがあるかもしれませんので、ご了承ください。
 素数生成式として有効なのは39までで、これは大きな制限となります。暗算の達人オイラーは、q=41でもn=40で式が成り立たなくなることは、直感的にで見抜いたはずです。しかし、その先のnで、素数を効率良く生成していくことも気づいていたはずです。素数生成式としては「欠陥」があるのですが、素数を生み出すのには、非常に効率のよい式となります。オイラーは、そこに重要性を見出したのではないでしょうか。
 今では、この素数生成式が、1000万以下のnに対して47.5%の確率で素数を生成されることがわかっています。こんな単純な式で、これほどたくさんの素数を効率よく作れるということは、素晴らしいことです。そして、非常に不思議です。
 オイラーは、この式の「欠陥」より、n=40より先に広がる、素数の不思議な大地を見ることの重要性を示したかったのではないでしょうか。素数の謎を解く手がかりが、この式の先にあることにオイラーはうすうす気づいていたのかもしれません。すべての素数ではありませんが、素数の出現には規則性があるかもしれないことを暗示しているのかもしれません。この素数の規則性を手がかりに、後進たちが、数学の新しい世界を広げていくことに期待したのではないでしょうか。
 素数の出現頻度は、素数分布の研究となります。素数分布の研究を拡大してくと、いろいろなことがわかります。1859年にリーマンが書いた「与えられた数より小さい素数の個数について」という論文の中で、個数の予想を提示しました。それが後にリーマン予想とよばれる難問となりました。
 素数の分布密度こそが、素数生成式の先にあるまさにオイラーが見た大地ではなかったでしょうか。オイラーは、素数についていろいろな研究をしていました。素数(p)による関数
p^2/(p^2-1)
を次々とかけていきます。p=2なら2^2/(2^2-1)、3なら3^2/(3^2-1)、5なら5^2/(5^2-1)、7なら7^2/(7^2-1)、という項を次々とかけていきます。オイラー積といいます。すべての素数(無限個あります)による積をつくると、その答えはなんと、6/(π^2)という単純な値になります。すべての素数を用いた関数をすべての掛けあわせると、なんと円周率で表現できるのです。これが我々の住んでいる大地なのです。
 この関数の2乗をxにして表現したものが、ゼータ関数(ζ)になります。リーマンは、ゼータ関数が0になる点を4つ求めました。すると、それらが直線に並んでいることを発見しました。これ以外のまだわかっていない(自明でない)ゼロ点も多分一直線上になるのではないか、これがリーマン予想となります。数学の言葉でいうと、「ゼータ関数の自明でないゼロ点はすべて一直線上に存在する」という予想になります。
 オイラーは、すべての素数を用いた関数が円周率πと関連することを知っていました。オイラーの簡単な関数素数生成式は、素数の分布に規則性がありそうなことを示しました。リーマン予想が証明されれば、素数の分布に規則性、意味があることになります。これが、リーマン予想の重要な鍵となります。リーマン予想は、未解決のままです。やがて、誰によって解かれるのでしょう。
 リーマン予想の証明されれば、素数の分布が状況が判明し、もしかすると素数の効率的な見つけ方がわかるかもしれません。現代社会において、素数は重要な役割をになっています。今では、インターネットのセキュリティは2つの大きな素数とその積を利用して暗号化されています。大きな素数が簡単に見つけることができれば、もしかする今までのセキュリティが破られるかもしれません。リーマン予想の証明は、困ったことを招くかもしれません、セキュリティの欠陥も新たな地平を見せてくれるかもしれません。
 欠陥はあるけど、簡単で不思議な式。欠陥の先に広がる大地の肥沃さを感じることができるかどうか、それが重要なのでしょう。セキュリティの破れの先に、オイラーが見たような素数の豊穣の大地が広がるのではないでしょうか。盲(めし)した巨人には、豊穣の大地が「見えた」のかもしれませんね。

・ペレルマン・
リーマン予想はポアンカレ予想などとともに、
ミレニアム懸賞問題の一つとなっています。
賞金が100万ドル(約1億円)の懸賞がかけれられています。
ポアンカレ予想は、2002年に
ロシアの孤高の数学者グリゴリー・ペレルマンが証明しました。
数学のトポロジーという分野の問題として
多くの数学者が取り組んでいました。
ところが、ペレルマンは、
微分幾何学と物理学の手法を使って解きました。
その内容は検証され、正しいことがわかりました。
ペレルマンはフィールズ賞やミレニアムの懸賞も
その受賞を拒否したのです。
清貧で孤高の巨人ペレルマンには、
証明の先に、どんな大地が見えていたのでしょうか。

・オペラ オムニア・
オイラーの業績は、
「オペラ オムニア(著作全集)」として
全73巻が発行され、
そこでは866篇が公開されています。
オイラーは、ラテン語、フランス語、ドイツ語など
さまざまな言語で論文を書いています。
今では、オイラーの論文は
データベースとして公開されています。
以下のサイトにあります。
http://www.math.dartmouth.edu/~euler/
ここにはすべての原著論文が
デジタルで収納されています。
多様な言語でかかれていますが、
タイトルだけはすべて英語化されています。
大変な作業だったと思いますが、
それをだれでも閲覧できるように公開されています。
数学者や数学史の研究者にとっては、
得難いデータでしょうね。

2012年11月1日木曜日

130 定義をゆらす:ウイルスから学ぶ


 「生物と無生物の間」という有名な本がありました。このエッセイでは、ウイルスに用いています。生物とも無生物ともいえない存在であるためです。本来であれば、生物として扱うべきなのですが、定義にあわないので、このよな扱いを受けています。あまり注目されていませんが、その定義を揺るがす発見がありました。


 ひっそりとした行為のなかに、後々大きな反響、あるいは結果を及ぼすことがあります。行為をする人が、有名人、著名人、権威者であれば、本人は広報することがなくても、重要性を周りの人々がくみとって広げてくれます。もし、無名の人であれば、その結果はなかなか広がりませんし、まして本人が広報する努力をしなければ、成果の意味する重要性もなかなか広がらず、忘れ去られることもあります。
 そんな広報をしない職種として、研究者があるかもしれません。一部の研究者には広報の努力する人もいますが、多くの研究者は、広報する時間があれば、研究をしたいと考えるでしょう。それに、研究者の中でメディアへの登場が好きな人は、ほんのひとにぎりに過ぎません。研究者は、研究をするという職業を選んだ人たちですから。
 その例にあたるかどうかわかりませんが、2012年8月24日に、ナシャーと共同研究者たち(Arshan Nasir, Kyung Mo Kim and Gustavo Caetano-Anolles)が、「BMC Evolutionary Biology(BMC進化生物学)」という雑誌に、論文を報告をしました。BMC Evolutionary Biologyという雑誌は、生物医学研究論文を無料で公開するサイトです。
 論文のタイトルは、
"Giant viruses coexisted with the cellular ancestors and represent a distinct supergroup along with superkingdoms Archaea, Bacteria and Eukarya"
というものでした。
 訳すと、「巨大ウイルスは細胞を持つ祖先と共存していて、古細菌、細菌、真核生物などのグループとともに一つの別のグループをなしていた」となります。あまりピンとこない、地味でアピールの少ないタイトルです。研究者には、このような淡々とした、奇をてらわない、地味なタイトルを好む人も結構います。彼らもそのようなタイプに見えます。
 この論文の核心は、ウイルスがすべての生物と共通の祖先から進化してきたということです。私は、論文の意味するところは、重要だと思っています。なぜなら、ウイルスは生物に属することになるからです。しかし、この重要性あまり伝わっているように思えないので、このエッセイで紹介することにしました。
 今まで生物の分類には、3つのドメインがあったのですが、ウイルスもひとつのドメインとして加える必要ができたのです。それに加えて、生物の定義の変更も迫ることになります。
 今まで生物学では、ウイルスは「生物ではない」という扱いをしてきました。ウイルスは無生物でもないので、「生物と無生物の間」という曖昧な扱いをしてきました。もし、この論文が本当なら、生物とウイルスは同源、あるいは系統関係があることにあります。ウイルスは生物の一員とすべきだ、という根拠になるわけです。
 そもそもウイルスをなぜ生物にしてこなかったのかというと、ウイスルは、生物の定義からあまりに逸脱するからです。もし、ウイルスを生物にいれると、生物の定義自体を変更しなければなりません。大多数の生物の生物を特徴付ける「代謝機能」をはずさなければなりません。だからウイルスを生物にいれたくないという主張も理解できます。
 今回の報告が本当なら、生物の定義は、「代謝機能」は生物の必要条件でなりくなります。生物の定義は、個体、増殖、進化という3つのキーワードで済むことになります。生物の特徴として代謝をはずしていいのかどうか、重要な問題です。
 そもそも定義とは、事物を規定することです。論理や数学の世界では、定義ありきです。定義は、動かし難いもので、定義の上に学問体系がなりたっているともいえます。
 一方、自然科学は、事物ありきです。実体が優先すべきです。その事物を記述し、分類するために定義が生まれました。その後発見された未知のもの、未記載のものが、定義に基づき、分類体系に組み込まれていきます。しかし、自然界は人の思惑どおりにふるまうとは限りません。定義からはずれるものは、分類体系や定義に変更を求める存在になります。そんな存在に背を向けていては、学問の発展はありません。なんとか組み入れる努力が必要になります。
 今回の論文は、生物の定義自体の改定を迫ることになるはずです。これは生物学における発展の好機と捉え、真摯に対処すべきでしょう。
 生物の定義は、不完全であることを受け入れればいいのです。従来の生物もウイルスも同じ生物と扱えばいいのです。そしていっそのこと、もっと拡大のできる生物の定義を目指そうではありませんか。そもそも生物と何か、その答えが定義のはずです。
 生物の定義の完成のためには、多くの生物学者の知恵を集めなければならないでしょう。そして、生物とは何かを、生物の本質を再度問いなおすことになるはずです。
 まずは、実在する生物にあわせて特徴を記述し、そして生物らしく振る舞うのであればすべて生物学の対象と素直に考えればいいのではないでしょうか。ただし、鉱物の定義にも適用されていますが、明らかに人工的なものは除くことになるでしょう。そのすることでロボットやコンピュータ内の生物のようなものは排除できます。
 ただしそこにも、大きな問題が潜みます。この際倫理問題は考えないことにして、人工生物は除外するとして、人の生物への関与の程度を、どこまで許容するかです。クローン、遺伝子組み換えされたもの、大きく遺伝子操作されたもの、人以外のiPS化された細胞による生物、絶滅の生物のクローン・・・・。ここで示した幾つかは、すでに実用化されています。どこまでを生物の範囲とするのでしょうか。実在できればすべて生物に入れることも、どこかで線を引くこともできるでしょう。
 でも、せっかくですから、定義は汎用性のあるものにすべきです。そうすることによって、思わぬ福音が生じます。ウイルスルだけでなく、「ナノサイズの生物」、「あやしい生物」、「地球外生物」など、今後見つかるであろう生物に対しても、定義を「ゆらす」ことによって、生物の範疇として扱える可能性があるからです。
 現状の生物学は、じつは「地球生物学」です。当たり前のことですが、私たちは地球の生物しか知りません。他の天体の生物はまだ確認されていないですから、しかたがないのかもしれませんが、ウイルスの存在すら分類体系に組み入れられない「地球生物」が他の天体の生物を想像することはできません。定義を堅持するということは、そういうことです。どんな生物にも適用できる「汎宇宙生物学」になるような生物の定義にできればいいと思います。
 今後この論文の意義がどう変化するかわかりませんが、私には、地球生物学の適用性を拡大するいいチャンスだと思っています。
 ここで考えていた情報は、現段階のものです。ご存知のように、現在、火星でキュリオシティが生物の痕跡を探査しています。もしかすると、明日、生物の痕跡を発見するかもしれません。そうなれば、ここで展開してきた議論は、すぐに現実のものになるでしょう。もし、火星生物に、ウイルスのようなタイプも含まれていたら、生物学者はどうするでしょうか。今までどおり、「生物と無生物の間」などという言葉遊びではすまなくなります。現実の地球生物学にどう組み入れるかが、すぐに問われることになります。今回のウイルスの組み入れはいい教訓となるはずです。真摯に対処していくべきたと思います。そんな意味でも、重要な論文といえます。

・ドメイン・
ドメインは、現在、真核生物、真正細菌、古細菌の3つがあります。
以前は、モネラ、原生生物、菌、植物、動物界の
5界分類がなされていました。
1990年ころに、古細菌の遺伝子寄る系統解析によって
分類は、従来の界以上の違いがあることがわかり
界の上の分類体系としてドメインが導入されています。
今回、新しいドメインとして、
ウイルスが区分されるかもしれないのです。
ウイルスは以前からその存在や特徴は知られていました。
ですから新発見の生物ではなく、
大きな定義の改変を認めるかどうかの問題となりそうです。

・期待・
この論文の著者らが
どのようなタイプの研究者は知りません。
しかし、タイトルの付け方や
論文の書き方をみると、
広報が得意にはみえません。
ですから、重要な成果であるのに、
なかなかその意義が十分伝わらないかもしれません。
しかし、心ある人は、きっと注目しているはずです。
今後も彼らには、この周辺の研究を充実されることを望みます。
そして少しのアピールも。

2012年10月1日月曜日

129 自然は美しさを望むのか

(2012.10.01)  自然には、誰が見ても美しいものがあります。その自然を理解する学問の理論にも美しいものがあります。もちろん、すべての理論が単純で美しいとは限りませんが、驚くべき単純さと美しさを持つものも確かにあります。それは、自然がそのような特質を持っているのでしょうか。それとも人が、自然の中にに美しさを望んでいる結果なのでしょうか。
 自然科学において「美しさ」とはどんな意味を持つのでしょうか。たしかに自然には、目を見張る景色や、きれいな夕日、鮮やかな緑、澄んだ湖、整った結晶など、いろいろな「美しさ」があります。しかし、自然であれば、どんなに美しいものでも、近づいてみたり、解像度をあげたり、詳しく見れば、欠点もみえてくるでしょう。逆に、その欠点こそが、自然らしさでもあります。  宝石の鑑定の話です。鉱物の合成技術が進んできて、人工の純粋な結晶が安価にできるようになると、それを宝石に利用できれば、安上がりに高品質のものができます。しかし、うなぎのように、養殖物と天然物で価格が何倍も違うように、天然のものに人は価値を見出します。もちろん味や味わいの違いがそこにはあるのでしょう。宝石では、天然ものと人工ものを見分けるために、手っ取り早い方法として、不純物や傷があることが天然ものの条件でもあるという話を聞いたことがあります。まあ、伝聞ですので本当かどうかは定かでありません。  これは、天然のものに価値を見出し、そこに「美しさ」が加わると、その価値はますます上がることを意味しています。本来であれば、不規則、不揃い、傷や汚れがあるのが、自然状態でもあります。たまたま欠点が少なく、ある程度整ったものがあると、その「美しさ」が際立つのでしょう。  では、自然を調べる科学、自然科学における美しさとは、どうようなものでしょうか。自然の中の規則性を一般化したとき、得られた法則が、美しいかどうかは不明です。自然はあるがままで、そこには美醜の存在の余地はありません。読み取った結果に対して、人が美醜の判断をするのです。人のわがままを自然は反映することはないでしょう。非常に手前勝手な評価をしているに過ぎません。  地質学の例でいうと、プレートテクトニクスという理論があって、それによって大地の営みの多くが説明できます。しかし、自然は多様で複雑なので、すべてがきれいにプレートテクトニクスが説明できるわけではありません。いろいろな矛盾点や大小のズレ、多数の例外が出てきます。その多くは、自然の多様さ複雑さに由来するもので、それなりの理由や根拠がそこには存在します。そんな理論からのずれをつくろえば、より正確な説明になりますが、補足や例外的な理由など、つぎはぎが多くなり、見苦しくなります。現実の適用は、プレートテクトニクスの理論自体の美しさに比べると、あまりスマートではなく、泥臭いものに見えます。  地質学の対極にある数学は、抽象化された学問体系です。数学は、自然科学でなく、純粋な思索的学問である哲学や論理学などの範疇に入るべき学問です。そこには、数、数字、線、面、図形、立体などの数学の対象となるものがあります。それらはすべて、一見具体的なものにみえますが、実は高度に抽象化さた概念です。つまり、人の中にある数学の対象となる抽象概念の世界における規則性を見出すのが数学という学問です。そこには美醜があってもいいかもしれません。美しい方程式、素晴らしい定理、見事な証明などあるはずです。確かにピタゴラスの定理やオイラーの式(e^iπ=-1)など、素晴らしいものがいっぱいあります。  では、自然科学と数学の境界ともいうべき物理学は、どうなるのでしょうか。物理学では、自然の現象、運動、変化など、実際に存在し、起こる具体的な対象が存在します。その多くは、実験や観測、測定などが可能なものです。物理の法則や仮説、理論は、実験や観測によって得られた事実、数値、データと一致なければなりません。  測定値は、多少の誤差が混入するため、理論とは少しのズレは、何度も繰り返せば、ほぼ理論通りの結果が得られます。もしズレが収まらなければ、その理論は間違っている可能性があります。それほど、理論と実験の一致が物理学では必要になります。  ただそこには、理論と事実の一致と不一致が存在するだけで、理論の正否だけが問題となります。理論の美醜などの判断が入り込む余地はありません。美醜は、人の価値判断に過ぎません。  それでも、得られた理論に、美しく思えるものが確にあります。ニュートンの運動法則(F=ma)、ボルツマンの式(S=klnΩ)、電磁気学の式(c=1/(ε0μ0)^1/2)、プランクの式(E=hμ)など、いろいろな例が挙げられます。ここで示した例は、単純な式ですが、自然の仕組みに秘められたの重要性が、単純な式によって浮き彫りにされています。そんな式をみると、自然の重要な属性として、「美しさ」あると思いたくなります。  アインシュタインは「自伝ノート」の中で、物理学における理論(仮説)が満たすべき2つの条件を示しました。その条件とは、「理論は経験事実と矛盾してはならない」と「理論の前提の『自然さ』あるいは『論理的単純さ』」としています。あるいは、「理論の外的実証性」と「理論の内的完全性」と言い換えています。  これには、少し説明が必要でしょう。  一つ目の条件は、自然科学の前提でもあるのですが、実験結果(経験事実)と理論は、一致しなければならなということです。理論は、実証されなければならず、その実証とは実験(外的)によるものでなければならないということです。実験が先行しているときは、実験結果のすべてを理論は説明しなければなりません。一方、理論が先行しているときは、理論が予測する結果を、実験で得られなければなりません。  2つ目の条件は、理論は単純であり、なおかつ自然で(むりな操作や手続きなく)、そして1の条件とも重なりますが、その理論は、美しくなければならないという意味です。  確かに、E=mc^2 というアインシュタインが見つけた相対性理論に関する方程式は、単純で美しいものです。そして、エネルギーと質量が等質であること、その変換に普遍の速度をもつ光速が関わっているということ。この単純な式は、いろいろことを思い起こさせる美しさを秘めています。この式が正しいことは、いろいろな現象で確かめられてきました。  単純さや自然さ、美しさは、人の価値観、あるいは人それぞれの感覚にもとづいています。そのためには、自然が単純で美しい論理のもとづいて営まれているという前提が必要です。自然界の物理現象のすべてにおいて、そんな美しさが宿っているのでしょうか。もしそうなら、そこに「神の作為」が働いているとも考えたくなります。アインシュタインは、「神はサイコロ遊びをしない」といいました。  さてさて、自然は「美しさ」を望むのでしょうか。それとも、人が自然の中に「美しさ」を望むのでしょうか。 ・芸術的才能・ 「神はサイコロ遊びをしない」 (神はサイコロを振らない、とも訳されています) という言葉は、 1926年12月にマックス・ボルンへの手紙に アインシュタインが書いた言葉です。 統計的、確率的に記述される量子力学に対して 批判的に用いた言葉でした。 アインシュタインは、物理学の理論に美しさを追求しました。 しかし、すべての物理学の理論が 美しい式になっているわけではありません。 時々美しい式が現れるからこそ その美が際立つのでしょうか。 自然の理論に美を見出すのは、才能なのでしょう。 それは、科学的な才能の他に 芸術的才能も必要なのかもしれませんね。 ・秋到来・ 9月下旬から大学では 講義の授業が始まりました。 それと歩調を合わせるように 北海道にも秋が訪れました。 今年の夏は長く、暑かったです。 今年は北海道でも夏を長い間満喫できました。 そして、短いであろう秋の訪れは、 これからの冬の長さを思い起こさせます。

2012年9月1日土曜日

128 アンティキテラの高み

 100年以上前にアンティキテラ島沖の沈没船から不思議な装置が発見されました。その装置は、昔の人の営みも、今どきの人と変わらぬ高み達しうることを教えてくれました。砂上の楼閣の上から眺めた景色は、本当の高みを見失うことがあります。自分を高みに置くことなく、周りを見わたすべきでしょう。

 「今時の若いものは・・・」という言葉は、自分が若いころに聞かされ、うるさく思い、歳をとるにつれて自分が使っていることに気づきます。私だけではないと思います。誰もが使っている常套句ではないでしょうか。どの時代にも、年長者は、若年者にむかって、自分の若い頃と比べて、なにかが劣っているとみなしてきました。自分より秀でている若者がいても、ほんの一部にすぎず、大多数の若者は劣っているとみなしてきました。
 本当に劣っているかどうかは、怪しものです。また、違う時代を生きる人たちに対して、能力や学力を比較したり、成長途中の人に対して前を歩んでいる先達との比較など、本当の比較といえるでしょうか。まあそこには、多分に願望が含まれているのかもしれません。
 では、技術の進歩に関しては、どうでしょうか。昔より今、10年前より今、1年前より今、いや昨日より今日と、時代が新しいほど、技術は進んでいる。これは、多くの人が感じていて、異論はないでしょう。例えば、パソコンの処理スピートや記憶容量、携帯電話のサイズや機能など、まさに日進月歩で、あげればきりなく技術の進歩を示す例はあるでしょう。
 いったんできた技術は、後退することなく、前進があるだけです。ある新しい技術がある時誕生したとしましょう。その技術が社会に普及すると、次々と改良が加えられ、一定の完成度になるまで発展していきます。その過程で、時に、全く新しい技術が付け加えられ、それが以前の技術を乗り越えたり、書き換えたりすることがあります。蒸気機関からジーゼル機関や電気機関へ、ガソリンからハイブリッドや電気へ、プロペラからジェットへ、真空管からICへ、ブラウン管から液晶へ、電球から蛍光灯そしてLEDへ、これも例をあげれば、枚挙にいとまがありません。
 もし過去に信じられない技術があったとしたら、どうでしょう。それはエセ科学のような荒唐無稽の話題と無視されるでしょうか。それとも、科学史を書き換える努力をすべきでしょうか。そんな例を紹介します。
 ギリシア本土とクレタ島の間に小さい島が2つあります。ギリシア本土寄りに、比較的大きなキティラ島(Kithira)があり、それよりさら南東38kmクレタ島寄りに、アンティキテラ島(Antikythera)があります。
 アンティキテラ島は、南北10.5km、東西3.4kmで、南北に伸びた菱形をしています。北の辺には大きく凹んだ入江があり、そこに島の中心となる町、ポタモース(Potamós)がありますが、人口44人という小さい田舎の集落です。アンティキテラ島は、面積20km2しなかい、なんの変哲もない非常に小さい島です。観光地化もしているわけではなく、ほんの小さな田舎といえるでしょう。
 そんな島で、かつて大発見がありました。
 日本ではあまりおこなわれませんが、西洋では一攫千金をねらって沈没船探しがおこなわれていました。1901年に、アンティキテラの沖で沈没船が見つかりました。そこは、海流もよくなく、深く、当時の技術もあまりよくなかったのですが、潜水夫たちの献身的な努力で、いろいろな遺物が回収されました。
 青銅像や大理石の彫刻、土器(アンフォラと呼ばれる)、硬貨などが発見されました。中でも青銅製の「アンティキテラの青年」と呼ばれる像は有名です。遺物の中に、不思議な装置がありました。その装置は、アンティキテラの装置あるいは機械(Antikythera mechanism)と呼ばれています。
 アンティキテラの装置は、34×18cmの大きさで、厚さ9cmの木の箱にはいっていて、中には30ほどの青銅製の歯車がからできていると考えられています。木箱は腐食してなくなっています。また、装置もばらばらに壊れた状態で発見されました。大きな破片は6つあり、いくつかの小さなものまで含めると82個の破片が見つかっています。
 最大の破片は18×15cmの大きさで、重さは369gあります。その最大の破片の一番の特徴は、表面にみえる4つのスポークのようなものに支えられた大きな歯車です。腐食していて不明瞭ではありますが、歯車の周辺には細かい歯が一部残っています。内部にも歯車が見えます。今では、内部に27個の青銅製の歯車があることがわかってきました。
 この不思議な装置は、100年近くかかって、詳しく調べられてきました。一時は、エセ科学の格好の題材にされたため、科学者が近づかない時期もありあました。
 近年、アンティキテラ装置研究プロジェクト(Antikythera Mechanism Research Project)によって、装置の原理が解明されてきました。ここ数年、その成果が公表されるようになって来ました。成果は、主にイギリスの科学雑誌ネイチャー(Nature)に、2006年、2008年、2010年に論文が公表されてきました。
 2008年6月30日発行のネイチャーでは、高分解能X線断層撮影に基づいた研究が報告されました。機械は37個の歯車を持つ(30個が現存)ことがわかってきました。紀元前100年頃ギリシャで作られたものとされ、装置に記されている天文学、機械学、地理学の使用説明の言語が、コイネー(ギリシャ語の元となっているもの)で書かれていることから、古代コリントスの植民で作られたものであると考えられています。そこにはアルキメデスがいたことから、関係もあるかもしれないといわれています。アンティキテラの装置は、天体の位置を予測するためのアナログ天文計算機、もしくは太陽系儀と考えられ、惑星の運行を示す針もあったかもしれないとされています。復元模型も完成しました。
 2008年7月31日のネイチャーでは、4年周期を示す表示盤が発見され、オリンピックのような競技祭典を表しているのではないかとされました。月の名称が、コリントスの植民地(シラクサの可能性あり)で使われていたものなので、シラクサ人であるアルキメデスの関与の可能性がますますでてきました。
 2010年11月24日のネイチャーでは、バビロニア天文学の仕組みを含んでいることから、バビロニア天文学が古代ギリシアに影響を与えたことがわかりました。獣帯(zodiac)のダイヤルにはずれがあり、それが太陽の運行のずれに基づいているのではなかちされています。惑星の運行にはズレがあるため、惑星独自のダイヤルをもっていたと考えられています。
 現在も、X線画像から新たな文字が解読されています。まだいろいろな発見がありそうです。
 さて、アンティキテラの装置を詳しく説明したのは、あまりに今までの科学技術(時計や惑星の運行)から、かけ離れていた存在の例としてでした。通常の科学史からは、このような装置は存在しえないものとなります。しかし、現実には100年以上前にすでに存在がわかっていたのです。その精巧さ、完成度の高さ、背景の科学的蓄積、いずれをとっても、想像を超える装置でした。そんな超越するもの対して、科学は存在を無視し、思考を停止しました。
 こんな思考停止状態を打開するためには、まずその存在を受け入れることです。つぎに、その存在を現在の科学で解読し、理解していくことです。その結果、アンティキテラの装置の高みが見えてきたのです。
 なにより過去の人の、能力や技術、知恵を見くびっていたのです。ピラミッドや、古代の芸術品は、現在のものに見劣ることは決してありません。勝るものも多々あります。秀でた才能や卓越した技術、大いなる思索、そんな積み重ねは、時代を凌駕することがあるのです。アンティキテラの装置が教えるところです。
 このような経験を、エッセイの最初の話題とした「今どきの若者」に適用することが重要ではないでしょうか。
 まずは、彼らを受け入れることです。もし彼らと何かを比較する必要があるのなら、先入観なく比較すること、いろいろな尺度で比較することではないでしょうか。彼らの行動にはいろいろな思いや感情、願いが背景にあることなどを考慮して理解すべきでしょう。違いがあったとしても、それは個性の多様や時代背景によるもので、個々の人格を受け入れるべきでしょう。そこには、秀でた才能が生まれているかもしれません。そんな時、彼らを援助することが先人の勤めではないでしょうか。そんな蓄積が新たな高みを生みだすのではないでしょうか。
 私達もかつての今どきの若者で、今どきの若者は、今どきの若者なのです。ただ、それだけなのです。

・古代ギリシアのコンピュータ・
ジョー・マーチャント著
文春文庫「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ」
(ISBN978-4-16-765179-4 C0198)
を読んで、驚きました。
そして、このエッセイを書くことにしました。
古代の技術を解き明かす科学者たちの
いりいろな格闘が描かれています。
そして、科学者同士の格闘も描かれています。
この本は一読価値ありです。
そして科学は、成果の重要性と
だれがそれを公開したかです。
良心や裏切りもあるかもしれません。
そんな人間模様も描かれています。

・調査・
9月中旬から1週間、調査にでかけます。
忙しくて、本当はそれどこではないのですが、
出かけることにしました。
全く新しい講義の準備が必要なのですが、
でかけないとストレスが溜まり過ぎています。
気分転換が必要なのです。
もちろん、調査の目的はありますが。
今回は研究しが当たらなかったので、
少々懐が痛いのですが、
仕方がありません。

2012年8月1日水曜日

127 ニッポニテス:生命の内在力

近くの博物館で、アンモナイトの特別展がおこなわれています。できれば、見学にきいきたのですが、いく時間があるのでしょうか。博物館の化石のコーナーではおなじみのアンモナイト。今回は、異常巻きアンモナイトについてです。異端から生命の内在力に至る話題です。

 多数のものが、ある特性を持っていると、そこに多数派が形成されます。多数派とは違った特性を持ったものは、少数派としての扱いだけでなく、特異なもの、異分子、異端あつかいされることがよくあります。少数派は、異端とみなされると、多数派から阻害、除外、差別され、冷たい扱いを受けることがよくあります。
 でも、そんな異端が時には、重要な発見の鍵となったり、真相を教えてくれることもあります。そんな例として「異常巻きアンモナイト」を紹介しましょう。ここには、二重の異端が埋もれていました。
 1878(明治11)年、東京に生まれた矢部長克(やべ ひさかつ)少年は、小さい頃から化石が好きで、化石採取に熱中していました。その後、東大に入学し、化石の研究へとのめり込みます。東大の学部と大学院在学中にも、いろいろな化石を発見していて、北海道や北上、四国などのアンモナイト化石に関する論文を発表しています。
 1904(明治37)年、大学院生の時に、北海道の白亜紀後期の地層から発見されたアンモナイトの化石を記載しました。その中のひとつとして、不思議なアンモナイトの化石がありました。それが、今回取り上げる「異常巻きアンモナイト」でした。学名はニッポニテス(Nipponites mirabilis Yabe)と名付けられました。
 アンモナイトは、古生代から中生代の代表的な生き物です。巻貝に似た殻を持ちますが、貝の仲間ではなく、頭足類です。頭足類とは、タコやイカの仲間です。現在も生きているオームガイと同様にアンモナイトも、巻貝の形をした殻を持っているのが特徴です。ところが、白亜期末にあったK-Pg境界の異変で絶滅してしまい、今では見られません。
 アンモナイトは、巻いた殻を持っていますが、巻貝と違うのは、殻の中に、隔壁とよばれている仕切りが多数あることです。アンモナイトの体は一番外側の部屋に住んでいて、奥のほうは仕切りで空洞のままになっています。この隔壁の存在が、巻貝とは構造上の大きな違いとなっています。
 隔壁は、アンモナイトの成長とともに外に向かって増えていきます。古い殻を隔壁で区切り、そこに空気をためて、浮力を生み出していたと考えられています。浮力によって、殻が大きくなっても海中で移動でき、生活することができたようです。直径が2mに達するような巨大なアンモナイトも見つかっています。
 アンモナイトの本体(体の軟体部)の部分は、ほとんど化石として見つかっていません。吸盤があったらしいことはわかっていますが、足が何本あったのかもわかっていません。想像図では、タコやオームガイのような姿をとして描かれているのをみますが、本当のところはまだわかっていません。
 さて、「異常巻き」のアンモナイト、ニッポニテスです。
 論文には、発見された化石のスケッチがついているのですが、ニッポニテスの不思議な巻き方を言葉で説明するのは難しいのですが、やっていきましょう。
 化石は、全体としてサイコロのような塊になっています。ほぼ全体の殻がそろっていますが、いくつか欠けているところがあり、口のところも欠落しています。スケッチでは、なんといってもアンモナイトにも巻貝にも見られない巻き方が目につきます。殻は曲がりくねっています。殻の巻があちこちに曲がっていますが、全体として立方体におさまっているので、規則性らしきものありそうにも見えます。
 矢部が発見したニッポニテスの化石は、ひとつだけでした。ニッポニテスは他のアンモナイトと比べてあまりに「異常」でした。しかし、矢部は、その巻き方に規則性があり、アンモナイトの多様性のひとつではないかと考えていました。丁寧にスケッチしながら、そんなことを考えていたのかも知れません。
 化石(個体数)が1個だけなので、当時の地質学者は、「異端」とみなしました。あまりにアンモナイトの「多数派」から逸脱しているからです。ニッポニテスは、奇形の生物で、本来なら化石にならないほど稀なものであったのが、たまたま見つかったものと考えられていました。
 その後、1926年に同じ巻き方の化石が見つかったことから、「ある個体」だけの奇形ではなく、「種」として存在していたことが認識されました。それでも、当時の地質学者は、アンモナイトの系統の終わりに当る時代(K-Pg境界の時代)にみつかっていたので、進化の末期の奇形で、終わりを象徴するようなものであると考えられていました。当時、K-Pgの大絶滅は隕石説ではなく、地球内の何らかの原因、進化の袋小路に至ったせいとも考えられていました。つまり、一つの個体の異常から、種の異常に変わっただけで、「異常巻アンモナイト」という認識は残っていました。やはり多数派と違うことのハンディは、なかなか消えないようです。
 その後、いろいろな化石も見つかってきたこと、K-Pg大絶滅の隕石説の有力化などから、「異端」ではないことがわかってきました。
 その一つの突破口は、殻のある形成メカニズムが働くことで、このような形がつくることができることがわかってきたことです。海中に浮かんだ状態で、殻の入り口の向きが一定の範囲に収まるように成長させる、というシミュレーションがなされました。すると、成長の条件を変化させなければ通常の巻き方になり、成長の方向をふることで、いろいろな巻き方ができることがわかりました。左右に規則的に成長方向をふることで、ワインのコルク抜きのような開いて伸びた巻ができることもあります。ニッポニテスは、水平、右、左へと巻きの向きを環境にあわせてかえていったようです。コンピュータのシミュレーションで巻き方が再現されています。
 どんな環境あるいは条件が、ニッポニテスを選んだのかは、まだよくわかっていません。他の生物との共生関係、あるいは浮遊に特化していたとかの仮説はありますが、検証はまだなされていません。
 条件の範囲で変化するか、しないかが、見た目の異常と正常を分けることがわかりました。さらに、異常にみえる巻き方にも、同じ規則性がひそんでいることもわかってきました。その規則性こそが、アンモナイトの殻の成長の原理ではないかということが次第にわかってきたのです。アンモナイトは、住む環境によって、一定の成長条件を多様化することで、いろいろな場所に適応してきたのではないかということです。
 この考え方は、アンモナイトだけの原理ではなく、他の貝類、あるいは他の生物全般にも適用できるかもしません。生物には、自分の体の仕組みや体制が決めている原理をもっているようです。その原理はその種の多様性の源となり、環境や条件が変化すれば、許された範囲で自由に変動可能であるということです。その変動が、種としての多様性を生み、適応性を育むと考えられます。たとえ、人には異常にみえても、生物種として繁栄可能なのです。
 「異常巻き」アンモナイトは、成長の規則性の奥行きを悟らせてくれました。そして、「異端」に見えることに中に、原理や原則が隠されていることも教えくれました。
 矢部は、論文の中で「This formation of several U-shaped curves must be ascribed to the inherent power of the animal(いくつかのU字のカーブの形成は、動物に内在している力に由来するはずである)」と述べています。見たことのない特徴でも、特異性や異常性ではなく、生物には内在された力(inherent power)があるはずと看破しています。そんな生命力ともいうべき内在力を、人間の認識不足、浅見さによって、「異端」とするのは間違いであることを「異常巻き」アンモナイトは教えてくれました。
 そんな自然の教えを素直に聞くことができた矢部は、生命の内在力を信じられたのでしょう。私には、矢部の研究姿勢が、自然から学ぶべきこと、学ぶべき方法を気づかせてくれました。「異常巻き」は、生物がもっている多様性に過ぎないこと、生物の内在力だと見抜いた矢部、二重の絡み合った巻き方が見えました。

・矢部長克・
矢部長克は大学院を終了後、東大講師として、
地質学者の道を歩みました。
最初は北海道の石狩炭田で地層の研究をしていたのですが、
東北大学設立準備として、ヨーロッパに留学して、
1911年東北大学教授に任じられ、
1912年に帰国して東北大学で教鞭をとります。
その後も地質学のさまざまな成果をあげて、
学問の進歩に貢献されました。

・アンモーンの角・
アンモナイトはギリシアのアンモーンに
その名称は由来しています。
アンモーンは羊の角をもった神です。
その神話に基づいて、
「アンモーンの角」というものが古代地中海にはありました。
「アンモーンの角」とは、今でいうアンモナイトの化石でした。
ただし、羊の角は「異常巻き」アンモナイトになり
多数派のアンモナイト化石は違っていました。
でも、もしかすると最初の発見者は異常巻きアンモナイトを
見つけていたのかも知れませんね。

2012年7月1日日曜日

126 Walker Feedback:無意識のフィードバック

研究には、なんども繰り返し作業をしてデータを得るものが、たくさんあります。なかには、適切な結果を得るまで、何度も繰り返さなければならない実験もあります。実験の操作や初期値の選定、結果の取捨選択を繰り返すうちに、無意識のフォードバック効果が働くことはないでしょうか。

 世の中の事象は、単独で存在、挙動するものばかりではありません。多くの事象は、別の事象となんらかの相互作用をもちながら存在し、挙動します。人の振る舞いも、もちろん例外ではありません。相互作用に埋もれていることが、世の常ではないでしょうか。
 事象の相互作用のなかに、いろいろな一般則が見出されています。物理や化学の現象のように、一義的に記述できる法則や原理となるような相互作用もあります。一方、そう単純にいかないものも多々あります。自然現象にも、法則化できないものが、いろいろあることが知られています。また、私たちが暮らす社会も複雑なので、一義的な一般則が適用できません。単に多いや少ない、増加や減少の傾向がみられる程度のゆるい相互作用も多々あります。
 複雑さを増す要因として、相互作用において、結果が再び原因に影響をおよぼすことがあります。
 ある系を考えましょう。系とは、相互に影響を及ぼしあう要素から構成される、仕組みの総体のことです。その系に、何らかの刺激(入力という)を与えたとしましょう。そのとき、系はなんらかの反応(出力という)を示すはずです。この反応が、次の刺激に影響を与えることがあります。このような場合を、フィードバック(feedback)といいます。
 フィードバックを繰り返すと、反応が強くなる場合と弱くなる場合があります。強くなる場合を「正のフィードバック」(possitive feedback)、弱くなる場合を「負のフィードバック」(negative feedback)といいます。
 フィードバックには、最初の刺激(初期値)の違いが、のちのち大きな違いへと変貌したり(初期値の鋭敏性))、影響が拡大や縮小はしているのですがどこか似たパターンを繰り返すこと(自己相似)があります。これらは、カオスやフラクタルなど、複雑系と呼ばれる反応で、相互作用にはよく起こることも知られています。天気や気象現象には、カオスがあることがわかっています。
 もしカオスのような複雑系の反応が、知らないうちに系にまぎれこんでいると、長い時間経過すると、予測不能な部分も内在されることになります。そんな長期予測は、間違いを含んでいることが、認識されていない状態で提示されることもありえます。
 このようなフィードバックの作用は、いろいろな分野で見つかっています。
 1981年、ウォーカーたち(J. C. G. Walker, P. B. Hays and J. F. Kasting)は、負のフィードバックを見つけたという論文を書きました。タイトルは「A negative feedback mechanism for the long-term stabilization of the Earth's surface temperature」(地球表層温度における長期安定性のための負のフィードバック機構)というものでした。内容は、二酸化炭素と気候変動のフィードバックの関係を調べたものです。
 この論文は、セーガンとミューレン(Sagan and Mullen)が1972年にサイエンス誌に発表した、「暗い太陽のパラドクス」(faint young Sun paradox)という問題提起に対する、一つの答えを提供するものでした。
 「暗い太陽のパラドクス」とは、太陽光度に関するパラドクスでした。恒星における核融合理論によれば、太陽は昔ほど暗かったことになることがわかっていました。地球が誕生した頃は、今の75 %ほどの明るさしかなかったと見積もられています。その論理が正しければ、誕生からしばらくの間、地球の平均気温は、氷点下になっていたことになります。ところが、地質学のデータからは、38億年前以降、地表は氷点下になることなく、常に液体の水である海が存在していたという証拠がみつかっています。この矛盾を「暗い太陽のパラドクス」とよんでいました。
 このパラドクスは、核融合理論は間違っていて過去の太陽は実際には暗くなかった、あるいは地球の太陽光の反射率(アルベドといい太陽光を反射する能力で高いと地球は温まりにくい)が時間的に増大してきた、または地球の大気組成が時間的に変化してきて温室効果で解消してきた、などの可能性が考えられてきました。
 一般的な答えとして、今では、多くの研究者が支持しているのは、最後の大気組成の変化です。地球の表層の温度を保つために、大気組成が変化してきたというものです。地表の温度を一定に保つために、大気組成を都合よく変化させるには、偶然に頼るわけにはいきません。なんらかの必然性のある仕組みが必要なります。そのメカニズムを示したのが、ウォーカーたちの論文でした。
 ウォーカーたちは、負のフィードバックでパラドクスを説明しました。太陽の明るさが時代とともに増えるにともなって、地球の気温は上がります。気温が上がると、風化が進んできます。
 ここが少し難しいところなのですが、気温上昇があると、鉱物(正確には珪酸塩鉱物)が風化して、炭酸塩鉱物が沈殿します。この風化作用の程度は、気温に依存しているとされています。炭酸塩鉱物は、陽イオンと陰イオンの結合によってできます。陽イオン(カルシウムやマグネシウムのイオン)は、陸地の珪酸塩鉱物の風化から河川での海へ供給されます。陰イオンである炭酸は、大気中の二酸化炭素が海水に溶存することで絶えず供給されます。つまり風化が進むと、大気中の二酸化炭素が、堆積物となり除去されていいきます。その結果、大気中の二酸化炭素濃度が減少することになります。大気中の温室効果を担っている二酸化炭素が減っていくことで、気温が低くなります。これがウォーカーたちの負のフィードバックの概要です。
 太陽の明るさの増加によって、地球の気温がいったんは上昇するのですが、時間がたてば、負のフィードバックが働いで、気温低下が起こるというものです。この負のフィードバックを、シミュレーションによって一つの答えを出したのがウォーカたちの報告でした。その業績にちなんで、この気候変動のメカニズムを、ウォーカー・フィードバック(Walker feedback)と呼ぶことがあります。
 ウォーカー・フィードバックは、短時間の変化ではなく、地質学的プロセスが組み込まれているので、長い時間をかけて起こるものです。現在では多くの研究成果があり、より精緻なウォーカー・フィードバックのシミュレーションがなされています。
 でも、このフィードバックは、気候の予測でもあります。そこには、カオスあるいは複雑系が紛れ込んでいる可能性があります。また、初期値を少し調整すれば、大きな変化を伴う結果が出てくることもあるでしょう。例えば、鉱物の風化や炭酸塩の沈殿の組み合わせ、スピードはいろいろ変動可能です。それを上手く調整すれば、もしかすると、希望のデータが得られるかも知れません。もちろん、現在のシミュレーションでは、そのような場合への配慮がなされていることでしょう。
 実はもっと問題なのは、シミュレーションを操作する研究者の介在ではないでしょうか。研究成果を生むこために、何度も繰り返しシミュレーションをしていきます。そして研究者であれば、誰もが望む結果を得たいはずです。それが論文につながるわけです。そのとき、次の実験のためのデータの取捨選択、初期値の選定などの意思決定の際に、無意識な作為が紛れ込むことないでしょうか。人の意志の中に、フィードバック効果が含まれていないでしょうか。もしあったとしたら、研究を進めれば進めるほど、意図するところに向かっていってしまうことになるかもしれません。取り除くことのできない無意識のフィードバックは、人の行為すべてに混入しうるものではないでしょうか。この無意識のフィードバックは、希望を叶えるための原動力にもなりえます。一方、間違いを生む原因となります。これらは、切り離せない表裏一体の関係なのかもしれませんね。

・パラドクス・
科学は、客観的になされるべきですし、
科学者たるもの、常にそれを心がけています。
科学者も人間ですから、
期待する成果があり、
それを目標に研究をすすめます。
目標に向けて努力すればするほど、
目標達成に近づいていきます。
この努力なくして目標達成はありえません。
しかし、そこにフィードバック効果があったとしたら、
成果の客観性が保たれません。
目標を目指せば目指すほど
客観性が薄れることが起こるかもしれないのです。
困ったパラドクスです。

・快晴の贈り物・
北海道は心地よい初夏の日々が続いています。
深く澄んだ青空は、
なんとも言えない心地よさがあります。
北国ならではの青空です。
冬の寒さに耐えた贈り物なのかもしれません。
休み時間に、学生たちは半袖で、
ひなたぼっこをしています。
昼休みにはサークルの演奏が
大学の真ん中にある池の特設ステージで
毎日演奏されます。
少々騒がしいですが、
学生たちは演奏をひなたぼっこをしながら、
楽しんでいます。

2012年6月1日金曜日

125 金環日食のSense of Wonder


 5月21日の金環日食は、日本中に事前にニュースがながれ、当日もいろいろ話題になりました。私は残念ながら見ることはできませんでしたが、準備の過程や待っていること、その後のテレビ番組をみることで満喫しました。これは負け惜しみではなく、金環日食を通じて、さまざまなSense of Wonderを感じたからです。


 2012年5月21日は、金環日食で、日本中が大騒ぎになりました。日食をご覧になられた方もおられるでしょう。九州や首都圏では曇りのところがあり、せっかくのチャンスを逃した方もおられるでしょう。残念だったでしょうが、天気ばかりは、地上の人間には如何ともしようもありません。次のチャンスを待しかありません。熱烈なファンであったら、天気予報を見ながら移動されたかたもいるかも知れません。テレビ局では日食をとるために大きな精力を注いでいました。天下のNHKは、専用ジェットを飛ばして雲の上から撮影していました。
 すでにご存知かもしれませんが、そもそも日食とは何かということを紹介しておきましょう。
 太陽系では太陽が唯一の光源となります。太陽-月-地球が一直線に並んだとき、太陽の光が月に遮られて、その影が地球の落ちたときに日食が起こります。日食が見えるのは、地球に影が落ちている場所だけです。地球の影には、太陽に月が一部かかった状態(半影といいます)と完全に重なった状態(本影)があります。半影の中では部分日食となり、本影では完全な日食になります。
 完全な日食が起こるのは、地球からみて月と太陽の「みかけ大きさ」がほぼ同じためです。月が太陽を完全にぴったりと隠すため、日食が起こります。これは、太陽、地球と月の絶妙な比率になっているためです。「みかけの大きさ」は、太陽は月より400倍大きいのですが、400倍遠くにいるために、地球から見たときの大きさが、ほぼ同じになります。太陽と地球の間に月があるとき、その影の部分が、地球を横切ると、日食が起こります。
 大きさはほぼ同じ大きさにみえるのですが、多少は変化します。月は地球の周りを楕円軌道をめぐっているので、月と地球の距離は変化します。月が遠くにあると小さく見え、金環日食になり、近くにあると大きく見え皆既日食になります。
 余談ですが、太陽-地球-月が一直線に並んだ時、月が地球の影に入った状態が月食です。月食にも部分月食と皆既月食があります。皆既月食は、地球の夜の側であれば全域でみられます。また、地球の影は、月より3倍以上大きいので、その分皆既月食は長く続きます(1時間40分ほど)。年に一度くらいは皆既月食が起こり、多くの地域でみることができるので、ありがた味も少な目なのかもしれませんが。
 今回は月が遠くにある時に起こる日食だったので金環日食になりました。その本影が日本列島、それも関東付近を通りました。人口密集地で起こるものだったので、大きな話題になりました。私の住む北海道では部分日食ですが、80%以上欠けます。たいした日食です。北海道では、6時半ころから日食はスタートし、最大の部分日食の時間は7時50分ころです。めったにない天文ショウです。私も観察するつもりでいました。
 私は天文マニアではないのですが、日食は何度か見ています。1990年7月22日の部分日食(カナダにて)、1997年3月9日の部分日食(神奈川県にて)、2009年の皆既日食(北海道では部分日食を)でした。そしてそのうち、2回は幸運にもカメラで部分日食を撮影していました。
 1990年はカナダで地質調査をしていたのですが、カナダの地質学者が「日食だ」というので、見上げると部分日食を見ることができました。本来なら太陽を直接見ることができないのですが、カナダの西部で大きな山火事があり、その煙が流れてきていて、直接目で太陽をみれてカメラでも撮影することができました。
 1997年は晴れていたので、直接見ることはできませんでした。陽撮影用のフィルターも用意していませんでした。しかし、この時の目的は木漏れ日(あとで説明します)を撮影することでした。2009年のときも、木漏れ日を撮影することが目的でしたが、雲があり雲越しに部分日食を直接撮影できました。
 今回こそは、大きく欠ける部分日食をフィルターをつけて、直接撮影するつもりでいました。撮影のために、いろいろと準備していました。ただし、晴れ間を求めて遠くへ出かけるようなことはしませんでした。身近なところで観察して、部分日食を満喫するつもりでした。
 準備として太陽観察用の大きめフィルター板を購入しました。家族用にメガネを2個、撮影のレンズの前にはめるフィルターを3種作成して、残り部分で、自分と家内用の片目用のフィルターを作成しました。前日の日曜日に天気がよかったので、撮影の予行演習と撮影条件を設定して準備もしていました。
 前回の日食は、2009年7月22日で、北海道は部分日食の地域でしたが、カメラの用意をしていました。フィルターも用意していなかったので、カメラでは直接撮れないでしょうから、木漏れ日の撮影するつもりでいました。幸い薄い雲がかかっていたので、雲越しに部分日食を、カメラで直接撮影できました。
 日食の木漏れ日は各地で撮影されて公開されているので、ご存知の方もいるかも知れません。小さな穴を光が通ると、向こうの景色が映せるというものです。この原理を利用したものが、ピンホールカメラです。上下左右が反転した映像になります。木漏れ日は、葉っぱの間にできた小さな隙間がピンホールとなり、その穴を光が通りぬけると、太陽が被写体として地面に映ったものです。通常、木漏れ日のすき間がいびつな形をしているのに、丸い木漏れ日になるのは、太陽の形が映されているからです。ですから部分日食では欠けた木漏れ日、金環日食では丸いリングになります。
 今回、日食の現象だけでなく、できれば木漏れ日も撮影したいと考えました。人のあまりこなさそうな林がある近所の公園で、撮影することにし、準備をしていました。
 いよいよ、待望の当日を迎えました。ところがあいにくの曇り空です。天気予報では降雨確率20%でしたので、晴れることを期待していたのですが、霧が上昇したような低めの雲がかかっていました。6時過ぎに公園に到着して、9時過ぎまで寒い中でねばったのですが、まったく太陽の姿をみることはできませんでした。
 日食は見たかったのですが、見れなくてもよかったと思っています。自分の一連の行動を楽しめ、雲の向こうにある日食を感じることができたからです。準備をして、期待している私には、なにより「Sense of Wonder」があったからです。
 Sense of Wonderとは、直訳すると「驚く感覚」というのでしょうか。意味としては、自然や生命など対象はなんでもいいのですが、そのものに驚き、不思議がる感覚、そんな「こころ、気持ち」のことです。もしかすると日本人や現代人が忘れがちなものではないでしょうか。日食という不思議な現象に驚く心もSense of Wonderです。Sense of Wonderは、そんな小さいものではなく、もっと広大な概念を意味していると思います。
 Sense of Wonderは、身の回りのもの、できごとにみられる不思議さを感じ、興味をもつ心がスタートです。メディアが日食と騒ぐので、日食をみるのではなく、不思議なことが起こることにわくわくする気持ち、子どものような心を持つことです。写真をとるためにはフィルターを使えばいいこと。フィルターを使い明るさを数万分の1に減らしてやっと太陽ををみることができ、カメラで撮影できること。通常の太陽を撮影すれば、黒点もみることができること。日食の原理を考えたら、そこにある見かけの大きさと、太陽と月、地球の距離が400という絶妙の値になっていたこと。日食の原理の理解を通じて、月食もわかり日食と月食の違いがわかること。日食を生む奇跡的な偶然、その値のブレが皆既と金環の違いを生むという不思議さ・・・・・それらすべて、ありとあらゆるものに、Sense of Wonderを感じることが大切なのです。
 Sense of Wonderは、人しか持ち得ない非常に高度な精神活動なのかもしれません。今の人たちが与えられた驚きしかもてないとしたら、人としてのSense of Wonderが衰えているのかもしれません。もっと身の回りのものごとに敏感になるべきなのでしょう。

・フィルター・
今回作成したフィルターは
天文雑誌の付録についていたB5サイズくらいのもので
その雑誌込みで1000円以下で購入しました。
なかなか安い買い物でした。
レンズ用のフィルターをつくったので、
今度は丸い太陽をきっちりと撮影しようかと考えています。
できれば黒点をとりたいなと考えています。
予備的な撮影では露出があってなかったようで、
黒点は写っていませんでした。

・天まかせ・
もう6月です。
2012年も半分近く過ぎました。
短いような、長いような、よくわからない時の流れです。
6月は北海道にいい季節です。
今年は少々天候不順ですが、
晴れれば清々しい気持ちのいい日となります。
次男の小学校は今週末が父兄で学校の環境の整備をして
そのあとジンギスカンをします。
そして翌週は運動会となります。
いよいよ今年が最後の運動会になるので
私の母を京都から呼ぶことにしています。
天気が心配ですが、これも日食と同じで
心配してもどうしようもありません。
ただあるがままを受け入れるしかなく、
その日の天候に対処するしかありません。
まさに、天まかせです。


2012年5月1日火曜日

124 シンギュラリティは、いずこ

シンギュラリティ(Singularity)とは、特異点という意味で使われることがあります。21世紀はあまりいい世紀に思えません。大きなイノベーションを起こしてくれるシンギュラリティを求めているのかも知れません。シンギュラリティは、誰が、何が、もたらすかはわかりません。でもシンギュラリティを希求する気持ちは高まっているように思えます。

 21世紀になってもう10年以上もたってしまいました。20世紀後半、高度成長、Japan as No.1、バブル景気を背景に語られた21世紀の夢は、輝いていました。そんな夢を抱いていたのに、平家物語の「奢れる者は久しからず」さながら、バブル崩壊、その後も継続する低迷期、そして迎えた21世紀。ITバルブの崩壊と9.11のテロの象徴的幕開けから、さらなる経済低迷、金融崩壊、3.11の大災害・・・。夢はすぼみ、つらいことや嫌なこと、不甲斐ないことなど、マイナスのことばかりが目立つ時代になりました。
 20世紀後半を青春として生きた私のような世代にとって、現実の21世紀は、夢とのギャップがあまりに大きいものでした。20世紀の科学や技術の躍進で、機械化、自動化、電子化、そしてバブルの恩恵を受けた世代は、暗転時のギャップも増しているのではないしょうか。21世紀に生まれた子どもたちは、そんなコントラストを知ることなく、ギャップも感じることもないでしょうか。単なる年寄りの「昔は良かった」の語り草でしょうか。
 20世紀の科学技術は、指数関数的な成長をしてきました。以前紹介した「ムーアの法則(Moore's Law)」(2008年1月1日発行 72 進歩よ止まれ:ムーアの法則)では、トランジスタやICなどの集積回路度が、一定のスピードで進歩するのではなく、時間とともに速度が増して、加速度的に進歩しているとされました。正確な「指数関数」ではないにしても、「指数関数的」であることは、多くの人が実感していることでしょう。
 トランジスタやICなどの集積回路の進歩は、IT関連の技術、インターネット、電話通信などをも刺激し、大きく発展させました。ムーアの法則は、ITの世界だけでなく、いろいろな分野に適用、展開が可能かも知れません。
 ある分野で新しい発想や技術が生まれると、それに関連した成果が次々と連鎖して生まれることが、よく起こります。そのような見方を、ムーアの法則を、より一般化して「収穫加速の法則(Law of Accelerating Returns)」と呼ばれることがあります。
 収穫加速の法則は、重要な発想や技術が生まれると、既存のものと次々と連鎖反応を起こして、加速的、指数関数的に技術革新が起こったり、質的な変革が起こることをいいます。イノベーション(innovation)を促し、多くの益を得ることです。
 IC技術が多様な家電を、インターネットが情報の爆発を、携帯電話が通信革命を、宅配が郵政事業を変革させ、CDがレコードを駆逐し、MP3がCDを淘汰しました。
 しかし、限りなく続くイノベーションなどありえません。少し考えるとわかるのですが、ムーアの法則も、いずれ限界を迎えます。集積回路の例でいえば、回路では電子の動きをコントロールすることで演算していきます。回路である限り、サイズを原子1個分より小さくできません。原子のサイズが集積回路の物理的極限となります。その以上の集積は、同じ技術の改良では不可能となります。どんな成長にも、限界があるということです。
 一般化された「収穫加速の法則」にも、終わりを迎える時が来るはずです。同じ技術や発想では、やがて極限に達し、限界になるということです。「奢れる者は久しからず」。何においても突き詰めていくと、やがては到達点、限界に達するのでしょう。
 到達点に達した時でも、人は停滞を望みません。満足することなく、さらなる高み探し目指します。そのためには、全く別の発想、新技術、新素材などの導入によって、新しい突破口を見出すことがあります。そのような突破口を「技術的特異点(Technological Singularity)」といいます。技術的特異点は、手書きから印刷へ、電気の発明、真空管からダイオードへ、インターネット通信網などなど、大小さまざまなものがありました。そして技術的特異点が見つかると、急激な収穫加速の法則が起こりました。そして、次なる技術的特異点を求めます。
 技術的特異点の誕生には、一人の偉大な発明家、天才、秀才、あるいは偶然によるもの、企業や軍部の技術、集合知によるもの、いろいろなパターンがあります。技術的特異点の規模も様相もさまざまです。
 何が特異点になるかもわかりません。どんなに素晴らしい特異点的技術であっても、ビデオのベータやコンピュータ技術のTRONも、主流にならなければ、やがては廃れていきます。主流になるかどうかは、人や社会の潮流、時間の淘汰という過酷な試練があります。そんな主流派も、あるとき傍流や反骨など少数派から生まれたものです。だから、心や行動、公表・表明への自由さが必要でしょう。
 技術だけではなく、思想や社会、文化においても、特異点は存在すると思います。帝国主義から民主主義へ、開発から環境へ、発展から持続可能性へ、などいろいろな特定点がありました。21世紀の暗さ、マイナスを、明るくプラスに変える特異点は見つかるでしょうか。見つけることができない時、人々の不満が頂点に達した時、世界は恐慌、戦争などの泥沼に突入してきたという歴史が繰り返しました。
 閉塞的な資本主義、機能しない民主主義、弊害が目立つ技術。私たちは、物質や金銭ではない価値観を求めているのかも知れません。今までにないシンギュラリティ(Singularity、特異点)を待っているのかも知れません。停滞も是、マイナスも良し、我慢が美徳、消費が悪で「もったいない」が善、など、逆転とも思えるような価値観、イノベーションがもしかすると、シンギュラリティのトリガーになるかもしれません。今示した価値観は、ほんの少し前、私が子供の頃の貧しかった時代、20世紀中頃、あるいは江戸時代、多くの世界、社会が過ごした有り様でした。
 たとえどんな路傍の芽とはいえ摘むことなく、育み必要があります。そんな自由さを保証する必要があります。現代社会においては、成熟した民度があってこそ成し遂げられる条件でしょう。私たち人類、あるいは日本人は、そこまでの高みに達しているでしょうか。今がその時かも知れません。乗り遅れてはいけません。

・ゴールデンウィーク・
いよいよゴールデンウィークに突入です。
私は講義があるのでカレンダー通りに大学にでています。
教員によっては休講にする人もいるようです。
遠くから来ている学生は帰省するものもいるようです。
しかし、文部科学省は休講すれば
講義保障を要求します。
だから、教員は学生に嫌われようが
講義をしなければなりません。
補講をするくらいなら
講義をするほうがいいのです。
だから私も、講義をしています。

・嬉しいこと・
実は上のメモに関連して、
嬉しいことがありました。
先週の4年生のゼミで、
これからしばらくの作業内容を示しました。
その作業を数週かけて進めていく予定です。
今週のゼミのある日は
ゴールデンウィークの間の平日なので
作業をするのなら、就活もあるだろうから
ゼミを休講にしてもいいと学生にいいました。
ところが、学生は作業をすすめるために、
ゼミがあったほうがいいといいます。
教員として嬉しい限りです。
いずれにしても、私は他の講義や3年生のゼミがあるので
休むことないのですが。

2012年4月1日日曜日

123 Romer's Gap:不連続の悩み

連続性が途切れるところがあれば、そこでなぜ連続しないのかを知りたくなります。また、その不連続(ギャップ)を埋めたいと思う人も出てくるでしょう。人は不連続(ギャップ)を嫌い、連続性を好むからでしょうか。そんな不連続を埋めていく作業を紹介します。

 2つの測定値があるとします。その値を、X-Y軸のグラフの上に表示したとします。グラフ上に2点が離れてプロットされました。この2点を線で結べば線分になり、その線分の両側をのばしていけば、直線になります。直線は、XとYの関数として式を導くことができます。
 計測値は事実のみなすことできます。式は一般則とみなせます。ですから、このXとYに関する式は、最小限の事実から一般則化した規則といえます。科学的帰納法ではあります。最小限のものですが。このような最小限の一般則に、どの程度汎用性があるのでしょうか。
 データが個人の努力で増やせるのに少数のデータから一般化をしていたら、その一般則はあまり信頼性がありません。なぜなら、データを増やせば信頼性が増せるのに、その努力を怠っているのですから、研究の姿勢が疑われます。そんな怪しい姿勢の研究者の出した一般則を、あなたは信じますか。
 一般化は、小さな分野、社会、世界ならいいのですが、大きなコミュニティでの一般化は充分注意が必要です。
 信頼性を高めるには、データ、事実を増やすことです。2点では、信頼性は少ないでしょう。2点の間や大きく外れる測定点が演繹的に必要です。もしその点がその直線に乗れば、信頼性は増します。ただ、外れてはいないが、誤差が大きければ、もっと測定点を増やすべきでしょう。直線化であれば、少なくとも数個、できれば10個以上のデータが欲しいところです。
 もしデータが得がたいものであれば、少ないデータから類推することは起こりえるでしょう。また、少ないデータから素晴らしいアイデアを生み出すことも科学の醍醐味でもあります。
 では、多数のデータがある場合を考えましょう。多数のデータが、2つのデータ群になったとしましょう。それぞれのデータ群の特徴には、大きな違いがあります。そのデータ群のギャップを考えるとき、少数のデータに起こったものと同じような悩みが生じます。一連の一般則で考えるべきでしょうか、それともまだ時期尚早でしょうか。
 将来、技術や科学の進歩によって、2つのデータ群の間のギャップが埋まったとしました。するとそのデータは一連の規則か、2つの別々の規則かによって一般化されることでしょう。同じX-Y軸で広範囲でデータを増やしていいけば、やがて2つのデータ群が、消えて一群になるか、2つから3つへと増加するかもしれません。でも、ばらばらの規則は統一理論が望まれ、それを目指すでしょう。
 これは、最初に示した2点のデータから複数のデータへという話を階層を変えて展開しているように見えます。
 人はもしかすると不連続(ギャップ)を嫌うのかも知れません。連続を見つけたいのかも知れません。でも、連続性があったとしても、どこまで連続するのか知りたいのでしょう。やがては不連続(ギャップ)を発見してしまうこともあります。となれば、その不連続(ギャップ)を解消しようとします。
 この問題は、階層的に考えれば、つぎつぎと上の階層へとメタ的に起こりえます。つまり飽くなき不連続の発見へから連続化と至るのでしょう。これが科学のある側面かもしれませんが。
 では、信頼できる実績をもった研究者が、多数のデータを処理して、データ群の間にギャップを発見したとしましょう。さまざまな理由からそのギャップを埋めるデータを見つけるのは、現状では困難だとしましょう。そのギャップをどう考えるのか。実は難しい問題です。
 もしそのギャップが重要な意味を持つのであれば、個人の問題ではなく、その分野全体の問題として取り組むべき課題となります。そんなとき、その問題に名前をつけられます。
 そんな悩ましい問題として「ローマーのギャップ」(Romer's Gap)というものがあります。存知でしょうか。生物の進化において、重要な課題を含んだキーワードとなるものです。ギャップが必然なのか、それともデータの欠如、不足に由来するものなのか。
 まず、「ローマー」ですが、Alfred Sherwood Romer(1894年12月28日-1973年11月5日)というアメリカの生物学者の名前に由来しています。彼は、動物学で学位と取得したのち、動物学の研究職で生涯を過ごしました。一番の業績は、古脊椎動物の分類を整理し体系化したことでしょう。その研究のために、地質学や古生物学にも深くかかわっていきました。
 脊椎動物において、魚から陸上生物(両生類、爬虫類、哺乳類など)への進化は、基本的な構造や機能に大きな変化が起こっています。それらの進化を考えるために、比較解剖学や発生学などの生物学の分野だけでなく、化石を扱う古生物学や地質学などとの連携も不可欠でした。そのため、ローマーは古生物学者ともされることもあります。
 石炭紀の最初の1500万年間(3億5920万から3億4530万年前の期間、トルネーシアンと呼ばれています)は、化石において大きなギャップがあることが知られています。脊椎動物は、デボン紀の多様な魚類の時代から、石炭紀には陸上動物へと進化します。ところが、海から陸への化石には連続性を欠き、ギャップがありました。脊椎動物の進化を考えると、魚類から両生類の間には、海から陸に上がるという大きな進化が起こったはずです。なのに、その間の移行期を示すような化石がないことに、ローマーは気づいていました。
 この魚類から両生類の化石のギャップを「ローマーのギャップ」と呼んで議論されてきました。広くミッシング・リンク(missing link)と呼ばれているものです。それ後の研究者が、「ローマーのギャップ」と名づけました。
 ちなみにミッシング・リンクを科学的に用いたのは、イギリスの有名な地質学者のライエルでした。小学校用の教科書「地質学入門(Elements of Geology)」(第3版、1851年発行)で用いたので、現在の意味で普及しました。学術的な用語ではなく、不連続が限定されることなく、移行期の化石が未発見であることを広くミッシング・リンクとよんでいます。
 脊椎動物でいえば、いろいろミッシング・リンクがありますが、「ローマーのギャップ」が最大のもとなります。海から陸への進化は、生物にとって非常の大きな変化、飛躍となります。体の構造も仕組み、機能も大きな変化が必要です。そのような変化は、当然化石に残るような骨にも及んでいるはずです。なのに化石がない。
 データがないのは、未発見なのか、もともとないのか、それとも残らない何らかの理由があるのか。決着をみるには、十分な調査がおこなわれる必要があります。論理的には「ない」というには、すべての化石を網羅しなければ証明できません。現実的には不可能です。ですから、化石の不在証明は不可能となります。長きにわたって調査がおこなわれれば、少なくとも移行期の化石は稀な存在であることは証明できたといえます。つまり、進化は連続しているのですが、何らかのギャップはあるということです。それを前提は研究を進めることは可能です。
 グールドたちの唱えた断続平衡説もギャップを説明するものでした。断続平衡説とは、種の進化は、徐々にではなく、短期間に一気に起こるもので、化石に残るような連続的な変化は少なく、大きく飛躍すると考えました。だから移行期の化石は少ないのだというのです。
 研究が進み、あちこちのミッシング・リンクが埋まってくると、変化の大きさや移行期のスピード(期間)に関するデータも集まり、大勢が決まってくるかも知れません。
 「ローマーのギャップ」のミッシング・リンクが埋めれてきました。魚類から両生類の「ローマーのギャップ」に関しても、最近では手を持つ魚(ティクターリクと呼ばれてる種)の化石が見つかっていのですが、やっと今年の3月5日に、スコットランドで見つかりました。
 これで「ローマーのギャップ」は、一応埋まり一件落着でしょう。しかし、そもそもの問題である海から陸への進化とは、ひとつの種で起こったことなのでしょうか。その種がすべての陸上脊椎動物の祖先としていいのであれば問題は、ひとつの化石の発見で決着します。しかし、多様な生物群で海から陸への進化があったとしたら、なぜ、脊椎動物は陸へ向かったのかったのか、という疑問への答えはでてきません。
 もっといえば、海から陸へむかった種の変化(進化)の結果として化石が存在します。でも、化石の発見から、「なぜ、海から陸へ向かったのか」という原因がわかったことになりません。ですから、結果として「ローマーのギャップ」は化石から埋められましたが、原因の「ローマーのギャップ」はまだ残されています。もしかしたらこのギャップはミッシング・リンク全体に、あるいは生物の進化全体に及ぶものかも知れませんね。これは、不連続へのメタ的見方でなのでしょうね。

・思考の迷路・
ここの前半で述べたものは、
自然の階層化であり、一種の輪廻です。
後半の不連続の見方は、
自然の弁証法といえるかも知れません。
自然がそのような仕組みをもっているのか、
それとも人が自然をみるとき
そのような見方をしてしまうためでしょうか。
わかりません。
自然の不連続のメタ的見方を、
さらにメタ的にみているためでしょうか。
このような考えに囚われると、
思考の迷路に踏み込んでいきそうです。

・帰省・
今日まで京都にいました。
母のいる実家に家族を連れて帰省していました。
四国滞在中は私だけは何度か帰省し、
母も我が家には呼んでいるのですが
家族で京都にいくのは
2009年以来の3年ぶりとなります。
親族と会うことになります。
子どもたちは従姉妹と会うことになります。
このエッセイは、帰省前に書いて、
予約発行しています。
ですから、そのときの様子は
別の場所での紹介とします。

2012年3月1日木曜日

122 ラーゲルシュテッテンと価値観

ラーゲルシュテッテンとは、大地のある露頭に対するに対する地質学から与えた称号といえるものです。地球への感謝を込めて、地質学者が贈ったものです。ところが、地質学者の価値観は、ひとつの見方に過ぎません。立場が違う人には、別の価値観があります。そんな価値観の違いを、ラーゲルシュテッテンから考えました。

 だれもが、むやみに乱開発をすることは、よくないことだと思っています。悪意をもっておこなうことは、誰が見ても悪や罪といえます。しかし、行為者側にも「それなりの事情」もあっての開発、破壊なのかもしれません。開発者側にとっては「それなりの事情」とは、生活基盤、明日の糧のためかもしれません。
 開発者の「それなりの事情」とは、地質学者にとっては理解しがたい経済的事情かもしれません。どんなに重要な露頭であっても、守れないことによって、生活できなくなる地質学者はいないはずです。
 人類の知的資産を守るために、後世に残すために大金を使うのは、納税者や多数の利益を考えたとき、必要以上の負担を不利益を与えるかも知れません。納税に四苦八苦している人にとっては、露頭などに税金を使うのは、無駄遣いにしか見えないかもしれません。
 価値観は人によってさまざまです。全員の満足、同意を得るのはなかなか困難なことです。そんな場合、妥協的な解決が各所でなされます。仕方がないことなのもしれません。妥協案とは、価値観の違うものを「痛み分け」で解決することかも知れません。
 以前訪れたカナダの田舎で、町のゴミ捨て場であったところが、地質学的に重要な露頭であることがわかりました。それで、あわててゴミ回収をするということになりました。費用がどこから出たのかは知りませんが、もしその費用を、その地の住民が負担することになったら、反対する人がいたかも知れません。一部の者、外部の人しか利用しない、ほんの小さな露頭を守るために、関係のない自分たちの税金が使われるのです。余裕がある人の住んでいる豊かな町であったらいいのですが、その地域はそうはみえません。どうなったかはもうわかりませんが、考えせられた記憶がある。
 今まで、自由にもしくはある目的で使っていたものを、ある日突然、保護するということになれば、それなりの負担を関係者に強いることになります。このような負担の根源は、価値基準の違うものを比較して判断していることに由来しているのかもしれません。通常は、基準の違うものを、比較することはしません。今回の場合のように、社会では、強いてしなければならないことがあります。そんなことを、「ラーゲルシュテッテン」から考えたときでした。
 「ラーゲルシュテッテン」という言葉を、ご存じの方は少ないと思います。地質学者でも知らない人がいるかもしれません。ドイツ語のLagerstätteの日本語表記です。本来ならラーゲルシュテッテとすべきですが、複数形のLagerstättenを用いて、ラーゲルシュテッテンが用語となっています。
 LagerstätteのLagerは「大きい」という意味で、stätteは「場所」を意味します。地質学の用語では「鉱床」という意味で使われています。鉱床という日本語がありまし、英語でも「ore deposit」という用語を使います。
 地質学では、今でもラーゲルシュテッテンという言葉を使うことがあります。英語でも、Lagerstätteがそのまま使われています。同じ意味を、英語では、「exceptional fossil preservation(例外的な化石の保存)」、「extraordinary fossil completeness(異常に完全な化石)」などと表現していますが、定まった言葉ではありません。ニアンスも少々違う気がします。やはり、英語でも、Lagerstätteがふさわしいのです。
 ラーゲルシュテッテンの意味は、「化石が濃集している場所」です。ただ、化石が多いだけではなく、化石の保存状態がよく、個体数も種類も豊富でなければ、ラーゲルシュテッテンにはなりません。そのようなものにだけを、ラーゲルシュテッテンと呼びます。研究においても重要な場所という意味もあります。ラーゲルシュテッテンとは、地質学における、露頭に対する一種の称号といえるのかもしれません。
 保存状態のよい化石とは、生物の生前の状態を、よりよく残しているものです。ラーゲルシュテッテンでは、一つではなく、多数の化石が産出するところです。もちろん化石ですから、生きたたままの状態が保存されるということは、一部の例外を除いてありえません。化石だという前提での保存状態を意味します。ラーゲルシュテッテンというのは、稀なことです
 その稀さかげんは、例を挙げるとわかりやすいでしょう。
 恐竜が死んだとしましょう。通常であれば、肉は残ることはないでしょう。なぜなら、死後に他の生物に食いあさられるからです。ラーゲルシュテッテンでは、個体がそのまま残って化石になっているものでなければなりません。生き埋めになるような場合です。また、化石になっても、通常は微生物が肉を分解していき、骨だけになります。骨もやがては溶けて、ほとんどなくなってしまいます。さらに困難なのは、ラーゲルシュテッテンでは、一体ではなく多数、そして複数の種が残っていなければなりません。こんな条件は、非常に稀だと考えられます。
 どのような条件かを考えてみましょう。火山噴火や土石流などによって、大量の生物が、生き埋めに近い状態で埋没しなければなりません。生き埋めされた場所は、微生物などの分解や、骨や貝の溶融をまぬがれるところでなければなりません。そんな都合のよい条件が、本当にあるのでしょうか。
 そんな稀な条件を満たすところがあるのです。地球は偉大です。地球は広く長い時間が流れています。そんな広大さと長い時間を利用して、地球は各地、各時代にラーゲルシュテッテンを残してくれました。
 ラーゲルシュテッテンとして有名なのは、先カンブリア紀のオーストラリアのエディアカラやカナダ、ニューファンドランド州のミステイク・ポイント、カンブリア紀では、中国の澄江、オーストラリアのエミュ・ベイ、グリーンランドのシリウス・パセット、カナダのバージェスなどが有名です。また、ドイツのバイエルン地方のジュラ紀のゾルンホーフェン、同じくドイツのヴュルテンベルク地域のジュラ紀のホルツマーデンも有名です。
 ラーゲルシュテッテンというのは、厳密は定義があるわけでもありません。地質学者が、貴重さからそう呼んでいるにすぎません。もっと地球に感謝の意を込めて、ラーゲルシュテッテンを用いたほうがいいのかも知れません。
 地球は、さらに私達に素晴らしいプレゼントを残してくれました。上で、生きたたままの状態が保存される例外的だといいましたが、その例外とは、コハクの中の昆虫やタール漬けの生物、氷漬けマンモスなどがあります。そこでは、生物の肉の部分も、非常によく保存されています。
 タール漬けのラーゲルシュテッテンとして、新生代始新世のメッセル(ドイツ)や新生代鮮新世のランチョ・ラ・ブレア(カリフォルニア州)が有名です。このようなラーゲルシュテッテンには、生物の肉体をも残してくれているのです。地球に感謝すべきでしょう。
 そんな貴重なラーゲルシュテッテンを、私たちは乱獲することなく、慎重に採掘し、資料保存すべきでしょう。露頭自体も保存すべきです。現在の技術で採掘すると、将来新しい技術が開発されたとき、発掘という行為で貴重な情報を捨ててしまうことになるかも知れません。そんな、愚かな失敗をしてしまわないように、露頭の保存もおこなうべきでしょう。そんな重要性を忘れることのないように、ラーゲルシュテッテンという称号を与えるべきなのかもしれません。
 さて、これは地質学者、研究者の立場でラーゲルシュテッテンというものを考えたものです。利害のない人にも、ラーゲルシュテッテンの重要性は理解できるでしょう。今までその化石を商品として販売してた人、別の目的でその地を利用していた人、彼らは露頭の保護によって、実害を被ることがあるかもしれません。
 国際的なラーゲルシュテッテンでだれもの重要だと思えば、国の保証があるでしょう。しかし、国際的なレベルに達していないものは、保護か開発の選択を迫られるでしょう。少数の研究者が、自分たちの研究の便のために、重要などと声高に叫ぶ場合もあるかも知れません。もちろん本人たちは、人類のために、将来への遺産として行動しているのでしょうが。
 これは特別なことではなく、至る所で起こっている問題です。開発と保護は、よくある問題です。妥協的解決ができないとき、誰かが一方的に不利益を被ります。これは、学術と経済、生活、生存、権利などという違った価値観を比較していることによる悲劇なのかも知れません。
 もしかしたらラーゲルシュテッテンや化石に関しては、私の杞憂かもしれません。でかい地球です。私達がまだ採掘していないラーゲルシュテッテンを含む地層が、地下にはまだまだいっぱい埋もれているはずです。それらは、今後も時間さえ経れば、地表に顔を出すはずです。乱獲する無節操な人類がいなくなるまで、次の知的生命が必要とするまで、地球が保存してくれているのかも知れませんね。

・あっという間に・
もう3月になりました。
1月、2月、そして3月はあっという間に
過ぎ去る気がします。
1月は正月や冬休みで、
2月は28日(今年は29日)しかなく、
3月は卒業は春休みで、
短く感じるのかも知れません。
まあ、それをいい出せば、
多くの月で、それなりに
短く感じる理由をあげることができます。
過ぎ去った日々は、早く、短いのでしょう。
そんな日々の速さに負けないためには、
当たり前ですが、
一日一日を大切にいきることなのでしょう。
一日一日を大切に生きることは、
一生を大切に生きることにつながるはずです。
当たり前のことでした。

・教員免許・
私のいる学科の多くの卒業生は
教員のコースをとり、教員免許を手にします。
そのうちの何割かは教員になります。
ただし今春になる人は少なく、
数年かけてもなろうという人が
かなり多くなります。
それでも強い意志があれば
その夢は実現できるはずです。
問題は、強い意志がない人たちです。
彼らは4年生で就職活動ができなかったので、
免許を利用して非常勤や臨時採用の教員になります。
それでも、教員という職業に興味がでてくれば、
教員採用試験に数年かけて真剣に取り組めばいいのです。
もし教員が自分に会わないと思った人は、
別の職種に向かいます。
教員は非常勤や臨時採用でも、
単なるフリーターとは違う扱いになるようです。
それほど教員免許は重いということなのでしょう。
たくさんの講義、実習を経て手に入れた資格です。
有効に利用をしてくれればと思います。

2012年2月1日水曜日

121 乱世の生き方:隠遁者の教え

今の日本の世がどうみえますか。幸せでな世にはみえません。戦争はしていないので平和でしょうし、個人のレベルでも物質的にも恵まれているはずです。でも、幸せ感はどうでしょうか。庶民が幸せと思える時代とは、ほど遠い気がします。でも、人は過去から学ぶことができます。似たような時代を生きた先達から、乱世の生き方を学びましょう。

 日本社会は、3.11以前から乱れていました。こんな乱れた世の中を、あえて乱世と呼びましょう。でも、3.11を境に、乱世の度合いは深まっているように見えます。そんな乱世を、私たちはどう生きればいいのでしょうか。平安から鎌倉の乱世を生きた先人というべき鴨長明の世界観をみていきましょう。彼もまた、先達から学んでいるのです。鴨長明の世界観は、「方丈記」からさぐれます。
  行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
  よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
  世の中にある人とすみかと、またかくの如し。
(私訳:川は流れは絶えることなく、その水はもとのものではない。よどみに浮かんでいる泡は、消えてはできて長く留まることもない。世にある人と住みかも、これに同じようなものだ。)
 鴨長明の「方丈記」の有名な出だしの文です。高校時代に岩波文庫で原典を読みました。その内容は、正確ではありませんが、おぼろげに理解できました。昔読んだ「方丈記」の中で印象に残った内容は、もちろん上記の出だしの部分です。ほかにも、前半では次々と悲惨な出来事が、紹介されていたこと、後半の隠遁暮らしの様子も、なんとなく印象に残っていました。
 その後も、出だしの文は有名なので、聞くことも目にすることもあったのですが、原著に触れることはありませんでした。先日、「方丈記」を読み直しました。原文ではわからいところは、現代語訳を見ながら、読みました。
 なぜ、「方丈記」を再び読んだのかというと、長明が生きていた時代と、現代が、なんとくなく似ている気がしたからです。乱世を、長明は何を感じ、どのような生活指針を立てたのかを知りたいと思ったからです。長明の文章と私訳、そして私流の解釈をつけて、考えていきましょう。
 長明は、賀茂神社の高い身分の出で、7歳にして、従五位下という高い地位に叙せられます。教養(漢文、詩歌、楽器など)も身につけて、優雅な人生をスタートしました。しかしながら、晩年、神職としての出世の道を閉ざされて、50歳で出家し、隠遁しました。
 長明(1155年から1216年)が生きていたのは、平安時代末期から鎌倉時代にかけての動乱の時代でした。800年ほどの前の時代です。長明が生まれた頃には天皇家や藤原家の抗争が起こり、青年期には武士の台頭による平家と源氏の抗争による戦乱(保元の乱、平治の乱、治承・寿永の乱)が起こります。さらに、自然災害が連続し、疫病や大火も重なり、人心が乱れ、政治も乱れ、すさんだ時代、まさに乱世でした。
 方丈記にも描かれていますが、平治の乱のあと、1166年に京都で大火、1177年に再び京都で大火(安元の大火)、1180年につむじ風(竜巻、治承の辻風)、1181年から2年ほどは全国で飢饉(養和の飢饉)が起こり、京にも餓死者が多数でます。そのために京中には盗賊が横行しました。そして、疫病大流行が流行ります。さらに、1185年には京都で大地震(元暦の大地震)が起こります。20年ほどの間に、つぎつぎと災難が襲います。本当にひどい時代だったことがうかがわれます。
 戦乱、自然災害や人災などの凶事が続きます。それを一新するために、400年も続いた京の都から、兵庫県神戸の福原への遷都がおこなわれます。新しい都では、落ち着かない生活がスタートします。
  ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。
  元より此處に居れるものは、地を失ひてうれへ、
  今うつり住む人は、土木のわづらひあることをなげく。
(私訳:誰もかれも、みんな浮雲のような思いをしている。もともとこの地に住んでいた人は、土地を失くして悲しみ、移ってきた人は土木の煩わしさを嘆く。)
 そして、その年の11月には、再度京都へ遷都という政治の混乱が起こります。疲弊している人民に、さらなる苦労を強いります。今の日本の状況に似ていませんか。当時も現在も、政治も人心も混乱を極めます。長続きのしない指導者、約束を守らない権力者、重要度をわきまえない為政者、私欲に走る強者・・・
 長明も、このような乱世を嘆き、先人の賢者の政(まつりごと)に教えをみます。
  ほのかに傳へ聞くに、いにしへのかしこき御代には、
  あはれみをもて國ををさめ給ふ。
  則ち御殿に茅をふきて軒をだにとゝのへず。
  煙のともしきを見給ふ時は、かぎりあるみつぎものをさへゆるされき。
  これ民をめぐみ、世をたすけ給ふによりてなり。
  今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。
(私訳:伝え聞くところによれば、昔の賢き御代には、憐みをもって国を治めておられた。御殿の茅はふいても、そのすそを整えることはされず、市井に煙の立たないような貧しさをご覧になられた時は、税も徴収されなかった。民に恵み、世をお助けくださったためである。今の世のありさまは、昔に比べて知るべきだ。)
 まさに、今の世に通じる教えではないでしょうか。国の中枢の人たちも言葉だけでなく実のある行動をしてもらいたいものです。肝心の人材がでてこないのは国力の限界なのでしょうか。それとも時代なのでしょうか。知識や技術は明らかに平安時代より現代が勝ります。でも、犯している過ちは同じようなものです。そして、いずれの時代も、しわ寄せは庶民、弱者にいきます。そんな弱者の中においても、その心は正常に機能します。
  さりがたき女男など持ちたるものは、
  その思ひまさりて、心ざし深きはかならずさきだちて死しぬ。
  そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、
  いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、
  まづゆづるによりてなり。
  されば父子あるものはさだまれる事にて、親ぞさきだちて死にける。
(私訳:離れがたい男女をもっているものは、その愛情の強く、心が深いほうがからならず先に死んだ。それは、我が身を次にしてり、男でも女であっても、不憫に思って、たまに乞(こ)いてえた物を、まず譲ってしまうからである。だから、父子ではかならず親が先に死ぬ。)
 現代に置き換えても、似たようなことが起こっています。津波に追われながらも老いた母を助ける子供、子供を心配して学校に向かい津波に飲まれた親、自分の死を顧みず避難放送を続けた市の職員。語り尽くせないほどの事例があったはずです。
 母親が子どもを守るために必死になって放射能から逃れようする様を、利己的、不評被害という人もいます。被害者と加害者(津波、原発の放射能)を間違えている報道も多くあります。理性の通じない、まさに乱世という時代になっています。
 科学や技術がいくら進んでも、人の知性や行動は進歩していないようです。800年くらいでは生物は進化しないのでしょう。
 そんな乱世に、鴨長明はどう生きたのでしょうか。長明は晩年、隠遁(いんとん)生活に入ります。政争に敗れたためでしょうか、それとも世をはかなんででしょうか、京都の東山で隠遁生活をします。長明、50歳の時です。
 隠遁生活は、今の人には不可能かもしれません。方丈記によれば、従者もいず、蓄えもなく、小さな庵で暮らします。野山でその日の食料を調達しながら暮らしていたようです。採取による自給自足の生活だったのです。最低限の食料で一人で生きていたようです。豊かな山があったからこそ可能なことなのでしょう。当時、飢饉が起こること、人々は山に入って餓えをしのいでいたようです。
 長明の家の広さは、方丈(3m四方)、高さは七尺(2m余り)、東にひさしをつけてその下で柴を燃やして煮炊きをしていました。権勢を誇っていたころは、10倍、100倍の広さの家に住んでいたようですが、小さな小部屋のような庵で満足していました。葉を開いた蕨(わらび)を敷いて寝床としています。質素極まりない生活です。
 神職の出でありながら出家していますので、阿彌陀(あみだ)や普賢菩薩像、法華経をかざり、日々読経をして過ごします。農作はしなかったようです。経験がなく、土地もないためできなかったのでしょうか。方丈記の記述によれば、山菜や木の実をとって、時々托鉢(乞食とも呼ばれる)に出て暮らを立てていたようです。
 そんな質素な隠遁生活のなかでも、また文化人として楽しんで暮らしています。竹の吊り棚に黒い皮行李を3つおいて、和歌・管絃・往生要集などの抄物を入れ、箏(しょう)と琵琶もおいてあります。それらを楽んでいたのでしょう。
 時間があれば、あちこち散歩に出かけてたようです。近くの家にいた10歳の子供とも時々遊んでいたようです。孤独で質素ですが、豊かな時間が流れているように見えます。
  心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。
  今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。
  おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、
  かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。
  もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。
  魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。
  鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。
  閑居の氣味もまたかくの如し。
  住まずしてたれかさとらむ。
(私訳:心が安かでないのならば、どんな宝物でも意味がなく、宮殿楼閣も望みとはならない。いまのさびしい住まい、一間の庵を、私は愛している。時として、都に出ては、乞食をすることを恥じてはいても、帰ってここにいるときは、他の人が俗塵にまみれていることを憐れに思う。もし、人が私のいってることを疑うのなら、魚や鳥のことをみよ。魚は水に飽きないが、魚でないものにはその心はどうして知ることができよう。鳥は林を願うが、鳥でなければその心は知れない。閑居もまた同じだ。住まずして、だれが悟ることができるものか。)
 一人の質素な生活ですが、ただ生きるためだけでなく、精神の拠り所、そして生きがい(趣味)などをもって暮らしていることが想像できます。まさに、「人は食うために生きるにあらず 生きるために食うなり」を実践しています。そして、すさんだ世にあっても、長明には心の安らぎがあったようです。それこそが生きるために必要なもののようです。
 さて、翻って、現代の私たちはどうでしょうか。長明の生活と比べれば、物質的には恵まれています。便利さ、快適さ、安全さは比べるべくもないでしょう。現代人の自宅には、持てるものが多くあります。そんな持てるものを切ることができないのが、不幸の始まりかもしれません。欲というべきでしょうか。
 豊かさ、便利さ、快適さ、安全さを求めても、尽きることがありません。常に飢餓感が生じます。政治や乱世を批判しても、安らぎは訪れません。豊かさを追求してもキリがありません。最終的には不満が残ります。心の安らぎは、自分の心の持ちよう、心の置き方によるものです。豊かさや貧しさなどの比較ではなく、自身の心の安らぎを見つけることこそ大切だと、長明はいっている気がします。
  月影は入る山の端もつらかりきたえぬ光を見るよしもがな
(私訳:月の光が入る山の端も恨めしく思える。絶えぬ光を見つづけることはできればいいのだが)
 この歌の「月影」は「豊かさ」の象徴に、私には思えます。

(注)原文は、青空文庫から引用しました。また、その解釈は、私が独自にしているので、間違っているかも知れません。ご容赦ください。

・揺るぎないもの・
長明の生活は、自身にすれば、
本当に質素で慎ましいものであったのでしょう。
しかし、当時の庶民からすれば、
贅沢といはいえないまので、
豊かなものではなかったのではないでしょうか。
3m四方の家とは、6畳分ほどの広さです。
そこに書物や楽器をおき、読経をしながら暮らせるのは、
幸せだったのでしょう。
一人暮らしで、乞食をしてもそれなりに得るものが
あったのかもしれません。
長明からすると権勢を誇った頃と比べれば、
清貧の暮らしでしたでしょう。
そこで心の安らぎにたどりついたのでしょう。
当たり前の結論かもしれませんが、
苦労の末えたものは、揺るぎないものでしょう。

・人の無力さ・
寒波は全国的にあったでしょうが、
北海道も、何度も大雪と寒波に見舞われています。
北海道でも大雪には苦労します。
古い家では、雪下ろしをしないと
潰れることもあります。
また、一定量以上積もったら
除雪もしないと交通が遮断してしまいます。
昔と比べれば、家も除雪もよくなりました。
しかし、いまだに大雪にはとまどいます。
いくら技術は進んでも、
激しい自然の前には、
人は無力であることを
教えてくれているのかも知れませんね。

2012年1月1日日曜日

120 時間の淘汰

明けましておめでとうございます。本年もご愛読をいただければ幸いです。毎年、年頭には、それぞれ希望や決意を新たにすることがあるでしょう。ただ、私のように齢を重ねると、「正月や年頭がそれほど特別なものではなく、ただ人為的区切りとして過ぎ去る時間境界にすぎない」などという無常な思いを抱いてしまいます。そんな時間区切りであっても、ついつい淡い希望を抱いてしまうのが、風習として身についている正月なかもしれません。ただし、今年は少々違う思いをもった年頭になりました。前置きが長くなりました。私の年頭の思いのエッセイです。

 新たな年がはじまりました。新年が新しい年のはじまりであるがゆえに、新たなスタートラインに立って、すべてをリセットできるかのように思えてしまいます。日本にとって過酷な年であった2011年が終わり、2012年のはじまりに、私の年頭の思いを伝えたいと思っています。
 2011年のあまりに大きな出来事は、いまだに暗い影を残しています。この思いは、私だけではないでしょう。被災された方はより以上に、被災しなかった人たちも晴れ晴れした気持ちになれないでしょう。
 時間はめぐり、とどまることはありません。社会生活をする人は、時間に遅れないように、急かされて生きなければなりません。つらいけれども、それが社会人としての生き方でもあります。
 でも、時間に流されることなく、忘れてはいけないことや教訓として心に留めておくべきことがあります。今年の正月は、そんな思いを特に強く感じます。時間に流されながらも、人として、科学の発信、好奇心の発露をどのように持つべきかを考えていきます。
 人の行動において、好奇は、大きなモチベーションを生みます。好奇心がなければ、やる気も起きず、長続きがしません。一方、好奇心さえあれば、幾多の困難も乗り越えられます。科学でも、好奇心は不可欠な動機となります。ところが、実際の科学には、好奇心以外にも、いろいろなモチベーションがあります。
 例えば、社会の要請によって、科学や技術が果たすべき課題があります。そんな使命感によって科学が営まれることがあります。1950年代から60年代にかけての発生した公害によって環境問題解決のための技術が、1970年代のオイルショックにより省エネの家電製品が大きく発展し、社会的課題を果たしました。あるいは、時代や政治や軍事の要請もあるでしょう。権力の強い主導によって、科学者もその行動が左右されます。武器となりうる数々の技術は戦争や軍事が牽引してきました。コンピュータやインターネット、原子力、宇宙技術などは、軍事や政治がらみの創世記をもっています。企業としての要請もあるでしょう。営利を目的とする企業は、他者との熾烈な競争があり、それに勝ち抜かなければなりません。企業内の科学者や技術者は、営利を最終目標とし凌ぎを削ります。卓上電子計算機(電卓)や携帯電話、パソコンの発展は、ライバル会社との激しい競争があり、経済原理に基づいた要請がありました。時には、富や名誉などの利己的な欲もあるでしょう。一歩でも先に自分の成果を公表したい、人より良い成果を知らしめたいなどの要求は、純粋な好奇心とは少々違うものです。科学論文における同じ結果に対する優先権の激しい争いは、明らかに利己的な欲でしょう。科学の推進にもいろいろな動機があります。
 幸いなことに、科学の成果や結果には、研究動機による色はついていません。いい結果、役に立つで成果あれば、多くの人が利用し、広まります。悪い結果、役に立たない成果であれば、無視され、消えていきます。不純な動機、目的であっても、結果さえ有用なら、受け入れられるのです。研究動機ではなく、時間が科学の結果を淘汰するのです。
 科学の成果だけでなく、ありとあらゆるものに、時間の淘汰は働きます。時間の淘汰は、地質学を学ぶとよくわかります。時間の淘汰に打ち勝てるかどうかは、人知を越えています。時間の淘汰への人としての対応策は、ただひたすら結果を公開して、蓄積していくしかありません。多数の記録を残せば、そのうち一部のいいものが、時間の淘汰に耐えることがあります。そう、成果を公開し、残すことだけが、人としてなせることになります。
 もしそうであるなら、多様な場面で、多様な立場からの、多様な意見や成果を、できるだけ公開したほうがいいはずです。量が質を生むことになるはずです。多様性があれば、健全な選択ができる可能性が上がります。幸い、現代は、だれでも、意見を公開する場がインターネットと通じて各種あります。こんな便利な道具を利用しない手はありません。
 突然ですが、話は私事になります。私は、大学生、大学院生(修士課程と博士課程)、研究生、特別研究員、そして博物館学芸員、大学教員して、30年以上の長きにわたって、地質学を専門としてきました。しかし、博物館では、専門外のことでしたが、必要に迫られて科学教育の研究をはじめました。大学に移ってからは、さらに地質にかかわる哲学的思索(私は地質哲学と呼んでいます)を進めています。私は、地質学を常に中心に据えてはいますが、専門外の領域にも興味を持ち、研究を進めてきました。私がいくつもの分野に転身してきたのは、それに好奇心をもったからです。
 10年もその分野で研究を継続していれば、専門家の末席に入ることができることも体験できました。私の地質学以外の科学教育や地質哲学の成果も、学会や研究雑誌などで公表してきました。ある程度実績をつめばもともとの専門以外のことについては、それなりの専門性を持てることを体験しました。
 ただ、これは、専門家のコミュニティにおいての話です。その専門性を、外(市民)に対して公開するのには、慎重になるべきです。多くの専門家も同じように考えていると思います。不用意に専門外の問題に対して、意見を述べるべきでないと思っています。それが社会的に影響を持つことであれば、なおさら慎重であるべきだと考えています。専門分野であってもそうなのですから、自分の専門外の分野において、市民への意見の表出は、科学者の多くはしないはずです。
 今まで、専門外の地球温暖化問題、地震や異常気象などの自然災害などでも、深入りすることなく、意見もほとんど述べてきませんでした。もちろん、私にも、他の人たちと同様に、それなりの考え方や意見はあります。多くの人の目に触れる場で、意見を述べるのは、混乱を招く恐れがあります。私は、地質学や科学教育、地質哲学などいろいろ専門を持っています。ですから、専門ではない立場での意見であっても、知らない人にとっては、専門家の意見にみえるかもしれないからです。慎重にならざるえませんでした。
 では、専門家なら、本当に公平な、正確で、正当な判断かできているのでしょうか。専門の知識、経験、データをもっているのが専門家ですから、その意見は誰より説得力のあるものでしょう。しかし、専門家の意見だから、正当な判断、社会的に健全な意見であるとは限りません。人は、そのような過ちを繰り返しています。
 記憶に新しいものでは、裁判員制度でしょう。裁判の判決が社会常識に大きく反することがあり、それを是正するために導入された制度です。司法(裁判所)は、立法、行政、そして社会からも独立しなければならないという宿命をもっていました。ゆえに、裁判所という専門家集団のコミュニティが狭くなり、生じた問題でしょう。
 科学の世界には、社会制度に組み込まれた組織がないため、そのような制度を導入することはできません。そんなことをしなくとも、時間の淘汰が十分な役割を果してきました。
 科学も複雑化して、分野や専門が細分化されてきています。必然的に小さなコミュニティが多数形成されてしまいます。そこに、危うさが生じます。例えば原子力のように、小さなコミュニティとして、明らかに政治や社会制度に組み込まれているような科学もあります。そのような科学のコミュニティが、不全に陥ったとき、誰が諌めるのでしょうか。本来であれば、コミュニティ外の原子力の専門家が意見すべきでしょう。ただ、原子力のようにコミュニティが小さい場合、コミュニティ外の専門家はあまりに少数派です。
 コミュニティ外のその他多数が、意見を述べるべきではないでしょうか。たとえトンチンカンでも非常識でも、多様性が必要なのではないでしょうか。どうでもいい意見は、科学の成果のように、時間が淘汰してくれます。インターネット上の情報は、時間淘汰のスピードが速いです。まずは、だれでもいいから、人目に触れるところで意見を自由に述べ、それが誰かが見て、考え、必要なら関連した議論を発信すればいいのです。そんな自由さがインターネットの世界にはあります。
 ところで私ですが、科学者として結果への責任をどう果たすべきか、まだ判断できていません。発信者の個人責任で済むのであればいいのですが、一人の出した結果が、インターネットなどの早い媒体によって、被害が大きく、多くの人に影響をあたえるものであったとしたら、個人の責任では済まない問題になります。重要な内容ほど、発言を控えたくなります。専門性を持つほど慎重にならざるえません。意見があるのに言わないのは、奥ゆかしさ、謙虚さなのでしょうか。それとも、責任の放棄でしょうか。極端な例はわかりやすいのですが、その境界は不明瞭です。判断に迷うところです。
 今のところ、まだ自分の確たる立ち位置は決まっていませんが、自分の専門外のことでも、立場を示しながら、慎重に意見を述べるようにしていきたいと思っています。多様性の一翼を担っていきたと思います。それが、思わぬ議論を湧き起こすこともあるでしょう。それが、人々への刺激となれば、いいと思います。少しずつでもいいから、3.11からの教訓を活かしていけばと思っています。
 以上が、私の今年のいつもと違う年頭の決意です。

・今年の年頭は・
新年における私の決意を述べました。
多分、見かけ上はほとんど変わらないでしょう。
ただ、今後のエッセイで扱う内容も深め方も
少々変わってくるはずです。
今まで、東日本大震災に関してエッセイの話題にするのを
意図的に避けてきました。
私自身がまだ消化しきれないこともあったのですが、
専門が近傍なので、無責任な発言は、
関係者に迷惑をかけるかもしれないという配慮がありました。
今後は、慎重にではありますが、
専門の近傍、あるいは専門外でも
発言をしていきたいと思っています。
今年の年頭は、こんなことを思いました。

・快適さと意味・
別のエッセイでも書きましたが、
年末に自宅の書棚をすべて壁付けにする改修をしました。
もちろん専門の大工さんに入っていただいて、
1週間かけての作業をしていただきました。
収納ではあるのですが、耐震性を出すためのことでした。
しかし、一番重要なことは、棚を見るたびに、
家族全員が地震の怖さを忘れないためでもあります。
大人だけでなく、子どもたちにも、
なぜ、あちこちにあった棚を
壁付けにしたのをかを話しています。
それを覚えていれば、いくつになっても、
棚をみれば、3.11の記憶に結びつくはずです。
我が家の2011年の総括として棚があります。
もちろん、改修ですので、いい棚で、収納力もアップしました。
快適さも増しました。
快適さと棚の意味を忘れることなく、
よくよく味わって、これからも記憶していこうと思います。

・雪の違い・
今年の冬は雪が多いです。
昨年は正月は自宅で過ごしましたが、
ほとんどは愛媛での冬でした。
愛媛も山奥だったので、雪が結構降りました。
しかし、北海道の雪は、愛媛と違います。
雪の質から、北国を感じます。
今年の冬は雪が多いので、
除雪の大変さを痛感させられます。
そんな北国での越冬をかみしめています。