2013年6月1日土曜日

137 ジレンマ:岩石の自然分類を求めて

 ここ数年、分類について考えています。次の論文のテーマが岩石の自然分類にかんするもので、このエッセイで述べるような内容を考えています。なかなか悩ましい問題をはらんでいます。そんな分類について考えていきます。

 地質学では、岩石が重要な研究素材となります。野外調査をするとき、ひとつの露頭が、記載における基本的な単位となります。露頭は、いろいろな岩石がからみ合ってできいます。露頭では、岩石の産状を記録していきます。産状とは、岩石がどのような様子で露頭に現れているかのことです。そのために、岩石の種類を見分け、岩石が形成された時の様子や構造に注目します。岩石の構造とは、地層面、断層面、線状の割れ目などのことで、3次元的に記載するために走行と傾斜を測定します。さらに、それぞれ岩石ごとの地質学的関係を調べていきます。他にも気づいた露頭の特徴を記載していきます。このような記載が、露頭の産状を調べていくことになります。
 記載において、なにより前に、「いろいろ」な岩石の種類を見分け、その素性(岩石名)を決めることが優先します。つまり、岩石の区分が記載のはじまりともいえます。
 名前をつけるためには、岩石をどう分類するかが重要です。地質学者は、学生時代に岩石の成因や組織の特徴などを体系に学び、典型的な岩石を詳しく観察、記録して、経験を積んでいきます。ただし、岩石は自然物ですので、習ったとおりの典型的な岩石ばかりが野外で出てくるわけではなく、まったくわかならいもの、知っている2つの岩石の中間的なものなどもあります。
 たとえ迷ったとしても、調査は進めなかればなりません。そんなときは、自分しかわからなくてもいいから、特徴を表すような名称(愛称といってもいいです)をつけて調査を続行します。要は岩石を見分け、仮の名称があればいいのです。そのような非公式な個人的な分類名を、「野外名」と呼びます。個人のレベルの名称であれば問題はないのですが、時には野外名を、多くの人が「共通語」として使っていくと、普及し定着することがあります。
 「緑色岩」や「キナコ」などの名称は、もともとは野外名あったのが、論文に使用され定着したものです。もちろん公式名称ではないですが、学術的には通用するものとなっています。
 そのような野外名称が増えてくると、混乱が起こります。時には、ひとつの岩石に、歴史的背景の違う多数の名称が付けられることも起こりえます。あるいは、複数の定義があり、同じ岩石に定義の違いによって、別の名称を使う研究者も出てきたりすることもあります。ある岩石名が使用されていたとしても、その定義が示されていないと、どの岩石を指すかわからなくなり、混乱すこともがあります。
 このような問題は、岩石の分類が場渡り的なされたもので、体系的になされていないためでしょう。
 ここで話題が変わります。分類には、人為分類と自然分類とよばれるものがあります。
 人為分類とは、人が自分の都合や必要性に応じて、なんらかの定義して分類していくことです。まさに上で述べた岩石の分類が、人為分類に相当します。
 一方、自然分類とは、個物そのものがもっている「本質的属性」に基いて分類されるものです。これは、すべての体系が目指すべき分類ではないでしょうか。ただし、人智が及ばなければ間違った分類になります。科学が進むほど、自然分類へと近づくことになります。自然分類は、よりよいもので、目指すべき方向性で、「真理」ともいえるかもしれません。
 では、岩石の分類に、自然分類は導入可能でしょうか。
 岩石の重要な部分を占める火成岩は、ひとつの素材(マグマ)から形成された鉱物の集合体です。一部、非晶質物質(ガラス)やマグマ以外の物質も取り込まれていることもありますが、大半はマグマ由来のものからできています。大雑把には、マグマは、鉱物からできているといえます。
 鉱物は、結晶構造と化学組成という本質的属性によって、一義的に定義できるもので、自然分類がなされています。そんな自然分類可能な鉱物からできている火成岩なら、自然分類が可能でしょうか。
 一見、可能のように見えますが、なかなか困難なのです。鉱物の自然分類をそのまま延長することはできません。なぜなら、岩石は、鉱物の混合物であるからです。さらに、鉱物は、結晶化する条件によって組成が変化します。同じマグマからでも、条件によって岩石のつくり(組織)もかわってしまいます。同じマグマからできた火成岩でも、ゆっくり冷えれば深成岩(例えば斑レイ岩や花崗岩)に、急激に固まれば火山岩(玄武岩やデイサイト)になります。条件が違えば、「見かけ」の全く違った岩石になり、当然それに対応して岩石名を違ったものになります。
 「見かけ」というと本質的ではなさそうですが、鉱物の組み合わさったつくり、岩石の組織となれば、そこには岩石の本質的属性がありそうです。実際に岩石学では組織から結晶化の順序や冷却過程を推定しています。岩石の本質に迫る重要な属性となっています。でも、分類にその属性を用いようとすると、どうしても模様の判別や形態の判断など人為による属性区分、つまり人為分類が混入してきます。その点が悩ましいのです。
 岩石の本質的属性として、まず挙げられるのは成因です。つまり、火成岩、堆積岩、変成岩の3つです。しかし、ここにもややこしいものがあるのですが、今回はそれには触れないで置いておきましょう。
 成因による分類は、最初の区分段階として必要ですが、あまりに大雑把で実用上もっと細分したものが必要になります。
 成因によって区分基準が違ってきますが、火成岩では、深成岩と火山岩という区分(半深成岩は今ではあまり使われません)になります。これは、マグマの固結条件を反映しています。地下深部でゆっくり冷えたのか、地表(海底)で急激に冷えたのかというものです。
 岩石には、「ゆっくり」と「急」がまじったような組織もあります。かつては半深成岩としていたのですが、そのような火成岩は、貫入岩でみられることが多く、もとの火成岩が火山岩か深成岩のどちらかで区別されます。かつての半深成岩で用いられたような、ドレライト(粗粒玄武岩ともよばれます)やポーフィライト(ヒン岩)、ポーフィリー(斑岩)などがそれに相当します。岩石名称として今でも使われることがあります。
 単に組織の名称であればいいのですが、古くから使われている術語には、用いられていた当時の成因や使い方などのニュアンスが残ってしまいます。それがさらなる混乱をもたらします。
 火成岩では、素材(マグマ)の化学組成が、重要な属性となります。深成岩でも花崗岩と斑レイ岩、火山岩でもデイサイトと玄武岩は明らかに違っています。これも本質的な属性といえます。
 マグマの化学組成に基いて分類しようとしても、人為分類が必要になってきます。マグマが冷却してきて結晶を出していくと、マグマの化学組成は連続的に変化していきます。それが固まれば別の岩石に、さらに結晶化が進むと・・・、というように連続的に岩石の種類が変化していくことになります。
 化学組成が本質的属性だとしても、連続的に変化する個物の境界は、人為的に引くことになります。花崗岩と斑レイ岩の境界、デイサイトと玄武岩の境界です。区分範囲が広ければ、間に閃緑岩や安山岩を入れることもできます。その境界も、やはり人為的になります。
 火成岩の細分には、たとえ本質的属性に着目していても、境界は人為的になるというジレンマがあります。
 同じジレンマが実は鉱物にもあります。鉱物は自然分類が導入可能です。しかし、多数の鉱物が記載されてくると、体系化が求められます。体系化も科学の目指す方向性です。体系化も、その多くは人為分類です。もちろん本質的属性を求めているのですが、鉱物は、ある物理化学的条件ではある鉱物(A)ができます。同時にできた他の鉱物(B)との関係はできますが、別の条件の他の鉱物(C)とは関係はありません。AとBは関連するので体系化可能でしょうが、AとCは関連はありませんが体系化しようとすることになります。人が鉱物を分類する時、体系化したほうがわかりいいというだけで、体系の中には、鉱物の本質的属性があるわけでないからです。そのため、研究者によっていろいろな体系が生じることもあります。
 自然分類とは、自然の摂理に基づいた個物に対する位置づけだとしたら、そこに至る道は、あまりに人為的です。人為分類の道の先に、自然分類があるのでしょうか。その道は、もしかするともとも存在しない幻のゴールを求めて進んでいるのかもしれません。真理とは、人為の果てに見つけるものでしょうか。それとも真理とは永遠に先にあるもので不可知のものなのでしょうか。それが私の今の悩みです。

・幻の道・
論文が構成上、いき詰まっているので、
このエッセイを書いて頭を整理しようと考えました。
あわよくば、論文の内容に関わるヒントでも
出てこないかをと思っていました。
いい答えは出てこなかったのですが、
道はなんとなく見えてきたような気もします。
とりあえずは、その道を進もうかと考えています。
まあ「幻」なのかもしれないのですが。

・めぐる季節・
今年は天候不順で晴れ間も少なく、
気温もそれほど上がってなかった北海道です。
さすがに、5月下旬ともなる
暖かい日が出てきました。
今年は春の花もぱっとせず、
知らないうちに次々と終わっていくようです。
先日森を通って帰ったら、
もう春の花も終わりのようです。
季節はめぐるのですね。