2013年9月1日日曜日

141 ユグドラシルの泉:オージンの苦悩

 インターネットの世界はまるで世界樹(ユグドラシル)のような多種多様、玉石混淆、是非善悪不明、混沌の世界です。そんな世界を利用して渡り歩くには、オージンのようにミーミルの泉を飲んで知恵を得ても、多大な苦労をして答え見つけなければならないのでしょう。

 「ユグドラシル」という言葉を、聞いたことがあるでしょうか。あまり聞いたことがない言葉だと思います。私も最近知りました。
 ユグドラシルは、英語では「Yggdrasil」と表記し「イグドゥラスィル」と発音しますが、もともとは古ノルド語の「Yggdrasill」に由来する言葉です。古ノルド語の「Yggdrasill」は、ここでは「ユグドラシル」と表記しますが、「ユッグドラシッル」や「イッグドラシッル」などと発音することもあります。古ノルド語とは、スカンジナビア半島周辺に8世紀から14世紀にかけて入植した人たち言葉だとされています。古い北欧の言葉です。
 ユグドラシルとは、古ノルド語で書かれた北欧神話にでてくる架空の巨木です。ただの巨木ではなく、木の枝に、世界のすべて(この世もあの世も、神や妖精、邪悪なものなどのすべて)が存在するという架空の樹です。日本語では「世界樹」や「宇宙樹」と訳されています。
 ユグドラシルは、9つの世界を支えています。アースガルド(アース神族の住む世界)、ヴァナヘイム(巨神のヴァナ神族の住む世界)、アルフヘイム(妖精族の住む世界)、シュヴァルツアルフヘイム(地に住む精霊の世界)、ニダヴェリール(小人たちが住む世界)、ムスペルヘイム(火の巨人族たちが住む世界)、ミッドガルド(人間界)、ヨツムヘイム(霧の巨人たちの末裔が住む世界)、ニブルヘイム(最下層の凍った冥府の世界)です。それぞれの特色をもった世界で、そこのに固有の歴史をもった住人たちが住んでいます。それぞれが複雑な関係をもっています。人間は根の下に住でいます。
 ユグドラシルには、いくつかの動物も住んでいます。頂に大鷲が、駆け回るリス、泉に棲む蛇、そして4匹の牡鹿(ダーイン、ドヴァリン、ドゥネイル、ドゥラスロールという名で樹皮を餌とする)の4種、7匹です。それぞれが役割をもっています。大鷲のフレースヴェルグは、頂の北端にたたずみ、羽ばたきが世界の風とないます。リスのラタトスクは、幹を駆け回り、情報を伝えるます。蛇のニーズヘッグは、フヴェルゲルミルの泉に棲み、根をかじっています。4匹の牡鹿、ダーイン、ドヴァリン、ドゥネイル、ドゥラスロールは樹皮を餌としています。
 ユグドラシルには、3つの世界(ミッドガルド、ヨツムヘイム、ニブルヘイム)に根をおろし、根本には一つずつ泉があります。それぞれウルドの泉(運命の3女神が住む)、ミーミルの泉(知恵の神ミーミルの住む泉)、フヴェルゲルミルの泉(ニーズヘッグの住む醜悪な泉)と呼ばれています。ミーミルの泉の水を飲むとあらゆる知恵を授かるとされています。
 壮大な世界観を一つのユグドラシルという樹に託しています。当時の人たちが想像しえた、ありとあらゆるものを、そして願いも、絶望も、このユグドラシルに盛り込んだのでしょう。各地の古い文明には、それぞれにこの世の創世の物語があります。そこには創世の話だけでなく、現在の世界の成り立ちも示されていこともあります。ユグドラシルは、世界の成り立ちを示すもので、その世界観を樹で表しています。
 ユグドラシルの世界観には、多くの神話にはない樹を用いたイメージと、樹の下の泉と、動物が特徴です。私には、このユグドラシルの姿がインターネットのイメージに、重なります。
 樹に住むリスのラタトスクは、インターネットを駆け巡る生き物のようなデジタルによって伝えられる情報に見えます。梢にいる鷲のフレースヴェルグと根元に住む蛇のニーズヘッグは犬猿の仲で、お互いを罵り合っています。その言葉を、ラタトスクを伝えることで、喧嘩を煽り立てています。
 インターネットの世界にも、実際の生活や営みなどをデジタルにした現実に接する世界もあります。インターネットを通じた株や金融取引、買物もできてしまいます。手紙代わりのメールも現実に人が、言葉を文章にして送ります。現実の背景にしたデジタル情報です。
 インターネットは、文字だけでなく、画像、音、映像、デジタイ化できるありとあらゆる情報、そして芸術さえも送り届けます。それをパソコンやスマートフォンで手軽に検索でき、利用できるということは、私たちの膨大な知識の泉を手元に持つことになります。
 ただし、現実と結びついた便利さのすぐそばには、知識や便利さだけでなく、悪意や憎悪も潜んでいます。
 インターネットの世界には、個人レベルで情報を発信するため、不用意なミスやウソ、いろいろな感情も簡単に心から外に紛れ込みます。今までの書物の世界では外に出ることがありえなかった心の奥底の負や闇の情報が、ラタトスクのように即座に伝達します。その負の情報は、インターネットの巡回するうちに、さまざなま個を巻き込みながら、連鎖し拡大していきます。やがて、現実の人が傷ついたり、事件となります。
 ユグドラシルには、幸いなことにミーミルの泉があります。ミーミルの水を飲めば、あらゆる知恵を授かるのです。アース神族の最高神であり世界の創造主でもあるオージンもこの知恵を欲しがりました。ただし、その代償として、右目を差し出して水を飲んだとされています。知恵は、大きな対価を払って手に入れなければならないという教えでしょう。
 私たちミッドガルドに住むものは、インターネットでの知恵を得るためにどのような対価を払わなければならないのでしょうか。毎日インターネットを用いた負の連鎖がニュースを賑わしています。この程度の事件は、鷲のフレースヴェルグと蛇のニーズヘッグの罵り合いに過ぎないのでしょうか。対価を払ったことにならないでしょうか。もっと大切な何かを犠牲にしなければならないのでしょうか。
 そして、もしミーミルのを水飲めたとしてもそのままではなダメなのです。知恵は答えではなく、答えを導く手段なのです。知恵となったオージンでさえ、ルーン文字の秘密を解くために、ユグドラシルで首をくくり、自らに槍を突き刺して9日9晩、自らを自に奉げるということまでしました。そこまでしてオージンは、ルーン文字の意味とその呪文を理解しました。
 私たちも、インターネットという道具を通じて大切なことを理解するためには、もっと苦労をし、犠牲は払わなければならないでしょう。
 インターネットは、まだ発展途上の世界です。若者たちはスマートフォンを四六時中触っています。それがなければ生きていけないほどの必需品になっています。一方、年配の人にはインターネットなど無縁の生活をしています。どちらがいいとか悪いとかではなく、両者とも普通に生活しています。
 ただし、インターネットを用いる限り、利便性と共に危険性も覚悟する必要があります。インターネットは知恵にもなるし、毒にもなります。インターネットの世界を渡り歩くには、犠牲を払って知恵を身につけ、さらに答えを得るために苦労を続けななければなりません。素晴らしい道具とは利便を得るだけでなく、常に苦労をしながら使う努力を怠ってはならないのです。私は、ユグドラシルとインターネットの類似性から、そんな戒めを読み取りました。
 私たちは、いつまでたってもミッドガルドの住人なのでしょうか。ユグドラシルの樹皮をかじるだけの牡鹿にすぎないのでしょうか。あるいは、いつの日にかオージンのような知恵者になれるでしょうか。それとも永遠になれないのでしょうか。

・秋・
いよいよ9月です。
暑くて天候不順であった8月も
下旬には秋めいてきました。
北海道の長いようで短かった夏も
もう終わりそうです。
私は、世間が夏休みのころも
校務や夏の集中講義もあり落ち着かなかったのですが、
それらもやっと終わったので、ホッとしています。
大学のAO入試が8月下旬からスタートしたので、
それに関連する校務も始まりました。
AO入試や校務に伴う出張も定期的に入るので
少々落ち着かない日々が続いています。
でも、やっと時間作れそうなので
自分でやりたかったこと、今すべきことを、
少しずつこなしていこうと考えています。

・調査・
私は、9月の中旬に1週間ほどの調査に出ます。
久しぶりに野外調査で
気分転換をしてこようと思っています。
夏バテもひどく、どうも最近、
運動不足でさ体力が落ちているようです。
調査中バテそうで少々気がかりです。
でも、やはり野外調査はわくわくします。