2014年12月1日月曜日

155 岩石と弁証法

 自然科学と哲学の結びつきは、一見すると不思議かもしれません。しかし、思想の歴史をみると、古代から自然科学と哲学は密接な関係がありました。現代社会だからこそ、科学と哲学の結びつきが重要であると考えられます。

 今年の10月に出た私の論文のタイトルは、「岩石の多様性形成の要因とその弁証法的意義について」というものでした。自然科学の一分野である地質学に関する「岩石の多様性形成」という用語と、哲学の「弁証法的意義」というものが、どう結びつくのでしょうか。これが今回のテーマです。
 科学と哲学の結びつきは、現在は希薄になっているように見えます。科学哲学というものがありますが、哲学者がおこなっているもので、自然科学に従事する人が哲学をしているわけではありません。現代では自然科学が複雑化、細分化したことで、自然科学と哲学の乖離が起こってきたのです。これは決していい状況ではないと思います。改善するための実践例となるのが、今回の私の論文になると思っています。
 かつて自然科学と哲学は、ギリシア時代から近世まで、密接な関係がありました。科学者が自然科学をおこなっていませんでした。そもそも、科学者という職業もなく、科学者と呼ばれる人もいませんでした。科学は自然哲学として、自然哲学者たちが取り組んでいました。
 たとえばデカルトは、1644年に出版した「哲学の諸原理」という本の中で、微粒子が集まり元素ができ、そこに渦が生じてやがて太陽系が形成されたいう、太陽系の起源に関する仮説を提示しました。もちろん当時は思索の一貫として考えられていたので、科学的な証拠、つまり観測や実験などの根拠となるものを示すことなく、仮説を述べるにとどまっていました。説得力のある仮説には論理性が必要で、そこに哲学的な緻密な考え方が色濃く出ていました。
 自然哲学がもっていた、自然の事物、事象に関する疑問を、なんらかの論理的な仮説で説明しようという姿勢は、今も変わらず自然科学に踏襲されています。哲学の実証性の不足部を補うために、証拠による論証、検証、再現性などをもとに、科学の方法が生まれてきました。哲学の論理性と証拠に基づく実証性を基本原則として自然科学が進んできました。ただし、深い思索の部分は薄れていきたような気がします。
 哲学は先人の思考や歴史を背景に、新しいものを加えて思索が組み立てられていきます。哲学者は先人の知性を経由して物事を考えていくことになります。哲学者は、自然科学者にない多様な対象に広い視点で、深い思索をおこないます。
 エンゲルスの「自然の弁証法」は未完の草稿ですが、以前岩波文庫にあったものを読みました。断章でしたが、自然科学の広い範囲を横断的に概観していこうという姿勢、構想を感じました。現在のように専門化、細分化している科学で、このような大領域に挑戦できる人はいるのでしょうか。そんなことをできる人は、まずは博覧強記でなければなりません。科学を網羅した上で深い思索、独自の視点も持つことができる人でなければなりません。なかなか難しい挑戦ではないでしょうか。理由は知りませんが、エンゲルスの「自然の弁証法」は未完でした。
 現在では、細分化された自然科学の専門家が多数います。自然科学に従事する科学者が、哲学を論じることは非常に稀なことです。その専門の範疇で深い思索を進めている人は、何人もいるのではないでしょうか。そのような研究者の発言は重要だと思います。
 私は学生時代、井尻正二の「科学論」を読んで地質学の範囲であれば、それを目指す人もいたのだということを思いました。都城秋穂の「科学革命とはな何か」にも非常に感銘を受けました。両者はタイプも思考も違いますが、地質哲学の巨人でもありました。生物学の分野でも「生物哲学の基礎」という大部の名著があります。多分、どの自然科学の分野でも、そのような知の巨人はいるはずです。
 さらにいうと、科学者で深い思索に興味ある人は、もっと哲学的見解を語っていいのではないかと思います。科学者は、自分が興味をもっている対象や事象に、深く考えているはずです。狭くてもいいから、科学者だからこそ語れる自然観や時間の見方などがあったいいはずです。地質学者は、嫌というほど過去の時間に関わっています。そこで感じ、考えてきたものを、もっとアウトプットしていいはずです。領域の狭さ、対象の特異性などに関係なく思索の結果を出すべきです。自分の見方や概念を抽象化させ昇華させていけば、狭くてもそれなりの哲学になっていくのではないでしょうか。
 もちろん誰もが深い思索ができるわけでもないし、興味を持っていないかもしれません。なかには異質な見方、変な考え、トンデモナイ理屈などもあるかもしれません。それも考えの多様性を育むために必要な土壌なのかもしれません。本流になりえない思索は、淘汰されていくでしょう。科学者の考えたものの中には、きっと今までにない斬新な見解、重要な考えなども、多数あるはずです。
 それぞれの分野の巨人が、多数の専門的思索を、総括的、網羅的にまとめていくときの素材なるはずです。自然科学の分野ごとの哲学があれば、科学哲学者あるいは哲学者が分野ごとの哲学を素材により大きな体系系をしていくことになるはずです。科学者による自然科学の思索は、現代の「自然哲学」として、新しい哲学的潮流が生まれるのではないかと思っています。
 井尻氏や都城氏のような高みにはたどり着けなくとも、だれもが、もちろん私自身も含めて、興味があれば思索を深め、アウトプットすることは重要だと考えています。自然科学、特に地質学と哲学の結びつきを考えていくことを、私は、現在の職についてからのライフワークにしようと思っていました。現在の職についてもう12年半が経過しました。少しずつですが、思索を深めた結果もアウトプットしてきました。この論文もその一環でした。ただし私の「大きな野望」からすると、本来の目的ではなく、その前段階の産物で、数年前に考えたものをやっとまとめたものです。
 最後に私の論文をの内容を紹介しましょう。岩石の多様性の本質を突き詰めていくと、どこにたどり着くのか、というのが論文のテーマでした。多様性を突き詰めるというのは、多様性を生み出している本質的な要因を見極めていくことです。岩石の多様性では、起源や成因がもっとも重要だと考えられます。岩石の成因を突き詰めていくということは、時間を遡っていくことになります。結果として、どのような成因に達したかというと、地球でできた岩石では火成岩で、それも地球初期に存在したといわれるマグマオーシャンに由来した岩石にたどり着きました。その岩石とは、マグマオーシャンが固化した「地球最初の火成岩」になります。
 今度は、「最初の火成岩」から時間を進めていくと、火成岩を起源物質(固体)として、マグマ(液体)を経由して、別の火成岩(固体)に変わっていきます。この過程は、弁証法的発展過程を内在しているように見える、というのが論旨でした。
 弁証法とは、ある命題(テーゼ、正)と、それを否定する命題(アンチテーゼ、反)、それらを本質的に統合した命題(シンテーゼ、合)になるというものです。新旧の命題は、対立し合いながら関係しています。反から合へ止揚(アウフヘーベン)となり、より発展した命題となります。この弁証法的発展過程によって、火成岩の進化発展過程を説明できるのではないかということです。
 これがいい思索はどうかはわかりません。このような「小さな考え」を出しあいながら、地質哲学の素材になればと思っています。私の思索が、本当に素材なるか、残るかは時代が決めていくのでしょうが。

・手本の巨人・
井尻氏は32歳で「科学論」を書いたそうです。
こんな深い考えを進めていました。
若い時の頭の柔らかい時に
斬新な思索に至ることもあるでしょう。
一方、都城氏は大家になってから
「科学革命とはな何か」を書かれたものです。
学問を極めた後に深い思索に至ったのでしょう。
いずれもいい思索のアウトプットの手本となると思います。
私は、地質学の先端の研究からは外れましたが、
かろうじて地質学につながっています。
地質学の素材をもとに考えを深め、
アウトプットすることは重要だと考えています。
なにより野外調査をしながら、そして露頭を見ながら
地質学や自然の本質に迫ることは面白いです。
野外で壮大な自然に思いを馳せることを楽しんでいます。
まあ、私は手本にならないので気楽に進めています。

・成功体験・
いよいよ今年もあとひと月となりました。
私は10月あたりから、忙しない日々を過ごしています。
今年は特に忙しなさが強く感じます。
いくつもの校務と論文締め切りなどが
重なったためでもありますが、
学生の数の多さと、長文を書く基礎的能力が
少々足りない気がしています。
学生は真面目で、優しいのですが、
どうも拙い、幼い感じがします。
ぜひ卒業研究で基礎力や成功体験を
味わってもらいたいものです。
そのためには、きつい先生になっていようと思います。
社会にでると、切って捨てられることもあるのです。
失敗、やり直せるのは大学までです。
頑張ってもらいたいものです。

2014年11月1日土曜日

154 まつろわぬ心

 例外は、稀なものであまりないものです。多数の現象が起これば、時として例外に接することがあります。その多くは、何らかのミスによるものでしょう。しかしその中に、真実を含む例外もあるかもしれません。それを見抜きアウトプットするには、「まつろわぬ」心が必要なのかもしれません。

 自然の事物や現象を調べるときに、計測、計量などの測定をして数値化していきます。得られたデータは、いろいろな単位を用いて示されます。この単位ですが、いろいろなものをはかるとなれば、多数の単位が必要になります。でも、すべての単位が必須ではなく、基本となる単位を組み合わせることで、できる単位もあります。例えば密度は、質量を体積、つまり長さの三乗で割れば求められるので、より基本の単位として、質量と長さがあればいいわけです。そのような単位を基本単位、基本単位からできているものを組み立て単位と呼びます。
 自然界の規則性でも、同じようなことが起こっています。いろいろな規則、法則がありますが、それらの規則を導き出せる、あるいはより基本的な、原則、原理ともいうべきものもあります。基本原則を見つけ出すことも、自然科学、いや人類の知的活動で、大きな目標ではないでしょうか。
 そこには大きな落とし穴があります。
 多数の法則や基本的な原則があったとしても、そこには少数の例外が存在することがあります。そのような例外は、単純に測定ミス、装置の欠陥、人的ミスなど、さまざまな要因があるはずです。そのようなミスは、どんなに科学技術が進んでも起こりえます。
 最近の有名な例として、CERN(欧州合同原子核研究所)で観測され、2011年9月23日に発表された、光速より速いニュートリノが見つかったというニュースです。OPERAという研究者グループから実験によって光より速いニュートリノが見つかったと発表されました。これは相対性理論、つまり科学の常識を覆す結果なので、OPERAの多数の共同研究者で慎重に議論して、検証も繰り返して公表に至りました。ところが、再度チェックをしところ、GPS(衛星利用測位システム)時計をつなぐ光ケーブルに接続不良があることがわかりました。その結果、時間同期に問題が発生していたため、測定精度が不十分だったことが判明しました。研究者たちは、2012年6月に結果を取り下げました。この例外の発見は、人為的ミスによるものでした。
 とろが、自然は面白いもので、人為的ミスではない、本当に存在する例外からみつかることがままあります。その例外は、当然、従来の説を変更して説明すべきです。時には、基本的原理や原則が覆ることもあります。これは、科学革命やパラダイム転換などと呼ばれるものです。古くは天動説から地動説への転換、ニュートン力学から相対性理論への転換、地向斜論からプレートテクトニクスへの転換などが、パラダイム転換に当たります。
 パラダイム転換のような大発見は、天才、秀才、偉大な者によってなされることのように思えますが、その発端は、予想外、想定外の出来事、ときにはささやかな出来事の発見からです。重要なことは、そのようなささやかな規則性の破れを見つけられるかどうか。そしてその例外を信じられるかどうか。その疑問を口にし、真摯に取り組めるかどうかが重要になります。先ほどの例に出したOPERAの人たちのことは、残念な結果に終わりましたが、謙虚に事実を受け入れ、勇気を持って発表をしました。これは、科学者として素晴らしい姿勢であったと思います。
 原則を信じている人たち、原則から生まれる研究の牽引者、つまりはバリバリと研究をしている多くの主流派の研究者は、原理、原則に反するささやかな規則の破れを、例外と無視したり、失敗と見なしたりして、取り上げないことも多いでしょう。これは先入観、あるいは常識というべきもので、だれもが陥ってしまう大きな罠でもあります。そんな罠から逃れるのは、たやすいことではありません。
 ここで話は全く変わります。
 「まつろわぬもの」という言葉をご存知でしょうか。「まつろわぬもの」とは、漢字表記すると「服わぬ者」あるいは「奉ろわぬ者」と書きます。「服従しないもの」という意味です。「まつろわぬ」は、もともとは大和時代や奈良時代の上代の言葉で、第二次大戦中にも使われていたようですが、今ではほとんど聞かない言葉です。
 大和時代には、各地の地域国家の中で、近畿地方の奈良盆地を中心として、いくつかの有力氏族が連合して大和朝廷が成立しました。渡来系の人たちも朝廷側に加わっていきました。ところがまだ日本が完全に統一されていたわけではないので、大和朝廷に従わない者や批判的な勢力がありました。例えば、地方の豪族や迫害され大和を追われた出雲にいった一族などは、「まつろわぬもの」なりました。また、東北や北海道など大和朝廷の勢力が届かない地域に住んでいた人たちも、「まつろわぬもの」となりました。
 特に、年貢や税金など利害がにかかわる政策、もともと持っていた自分たち固有の風習や習慣を否定しされて中央集権的な仕組みを押し付けられる、などがあれば、反感を持つ人は少なからずいたはずです。
 「まつろわぬ」とは、中心勢力や主流派に対抗するときに用いられる言葉です。このような変化は、大和時代だけでなく、大きな政変、変革、価値観の転換などがあると、いつでも起こることなのかもしれません。ところが、時間がたち、主流派が勢力を増し続け、支配が継続すると、「まつろわぬもの」たちは、反対勢力、批判派から、時間とともに傍流、少数派になっていきます。やがて「まつろわぬもの」も、強制的にあるいは無意識に「まつろうもの」たち ですから、そして殆どの人たちが「まつろう」ものなっています。
 主流派は、それなりの知力(学力、学歴)、地位(職、栄誉)、財力(給与、研究資金、先端の研究装置)をもって、成果を上げ続けられるプラスのスパイラスを形成します。そして、その立場から、ものごとをみていくことになります。主流派は常識をつくり続け、常識の中核をなします。
 大きな変革、改革の芽は、常識の破れ、つまりささやかな例外からはじまります。そんな例外を「まつろわぬもの」は、見ぬくことができるはずです。そんなささやかな「まつろわぬ」ことを見ぬく眼力を備えること。「まつろわぬ」現象を見つけた時、「まつろわぬもの」となり、常識に反することにも真摯に取り組み、アウトプットする勇気を持つことが、人類の大きな一歩になるでしょう。それは、大きな転換につながるでしょう。
 「まつろわぬ」心もつことは、大変ですが、大切でもあります。そんなことをふと考えました。

・エール・
今回のエッセイの裏話を。
もともと「まつろわぬもの」については
いつか書く予定がありました。
もうひとつ、私は、以前から、政府の原子力政策への
方針、姿勢に疑問を感じていました。
そこに、先日、原子力政策の中心に位置するポストへ就いた
人から挨拶状がきました。
古くから付き合いのある知人で、
何度か共著論文を書いたこともあります。
人格的にも信頼している人物ですし、
反骨、批判精神のある人でもあります。
挨拶状をみて、その人の今後、
そのポストでの大変さを思っていました。
その思いと、今回のエッセイは、
間接的、あるいは隠喩的ですが
私の心のなかで大きく連動しました。
これは、その知人への私からの
エールになればと思っています。
届かないかもしれませんが。

・冬到来?・
先週末は暑かったのですが、
一気に寒くなりました。
そして、近郊の山々が白くなりました。
初冠雪でした。
里にもミゾレやアラレが降りました。
また、積雪まで至っていませんでが。
もう、寒い日には当たり前にストーブをたいています。
里の積雪も、いつあってもおかしくないほどの寒さです。

2014年10月1日水曜日

153 斉一説の破れ:多様な未来の選択

 過去の地層や岩石には、その時代にしか見つからない、固有のものがあります。その原因の多くは科学的に解明され必然性がありますが、それは斉一説に基づかないものです。化石からみている生物の進化も、斉一説を破っているのです。

 今回は、斉一説(uniformitarianism)というものを考えていきます。斉一(せいいつ)とは、整い、そろっている、一様であるいう意味です。斉一な考え方をすることが斉一説でが、歴史的な意味合いを持った言葉です。斉一説は、地質学で生まれてきたものですが、その後自然科学や社会に大きな影響を与えたものです。
 科学における斉一説とは、物理化学的な原因に基づいた自然現象は、起こった時間、時期、時代に関係なく、今も昔も同じ原因が出現すれば同じ結果が起こっていたという考え方です。
 少々難しい言い方をしましたが、水が凍るのは、気温が0℃を下回った時です。その現象は、どの時代でも同じように起こっているというものです。斉一説をとらない考えだと、過去の現象は「今とは違った条件で起こった」という考えで説明してしまえます。
 例えば、過去に氷河期があっということが、地質学的証拠から判明したとしましょう。氷河期の原因は地球の平均気温が低かったからだと考えるのが、斉一説の考えです。斉一説を採らない考えでは、かつては水の凍る温度が今より高く15℃だったとか、地球の表層は水以外の凝固点の高い液体の海があったとか、条件にこだわることなく、原因を示すものです。昔は今とは違うとか、偶然、超自然の作用、神の力など、自由に前提をもうけて説明していくことになり、科学的とはいえません。
 氷河や氷の例を挙げると、科学的でない方の説明は不自然だとか、荒唐無稽なと思えますが、日常ではめったに経験しない非常に稀な自然現象であれば、このような考えが普通におこなれていたことがありました。例えば、火山噴火や大規模な地震や巨大津波、大災害などはまさに天変地異というべき現象、さらに地球形成や生命誕生、化石の形態変化などは、神のなしたことなどと説明されてきました。心情的に理解できる原因でもあります。
 地層から出てくるある種類の化石(例えばアンモナイト)は、地層の種類が違うと、形が異なった化石がみつかるということがわかってきました。このような現象は、今の考えでは、時代が違う地層なので、進化した別の生物だという考えで説明されています。ところが、宗教的な考えでは、生命の誕生は神様がおこない、生物の進化や生物の種類の違いは、聖書に書かれているノアの大洪水のような天変地異が何度か起こったためだという考えで説明されていました。地層形成も天変地異として説明されてきました。
 天変地異説(あるいは激変説、catastrophism)はキリスト教社会では普通の考えでしたが、17から18世紀には産業革命にともない、土木工事や鉱業採掘がヨーロッパ各地でおこなわれ、化石や地層に関する知識が増えてきました。その結果、それまでの化石や地層に関する激変説では説明できない証拠や現象がいろいろ見つかってきました。ハットン(James Hutton、1726.6.14-1797.3.26)は、地層の形成メカニズムを斉一説の考えで説明しました。その考えを整理して広めたのが、ライエル(Charles Lyell、1797.11.14-1875.2.22)でした。
 斉一説の出現により、地層の形成メカニズムや化石の意味が理解されてきて、近代の地質学が確立されてきました。近代地質学により地層と化石が理解され、地球が経てきた時間が長いことがわかってきました。その時間が、ダーウィン(Charles Robert Darwin, 1809.2.12-1882.4.19)の生物進化の根拠となりました。
 西洋の科学は、キリスト教の呪縛から逃れ、斉一説に基づいた考え方で、自然界の理解がされるようになってきました。それが今の科学や技術の進歩につながっています。ですから、現代の科学では、激変説、あるいは不可知の原因は、極端に忌諱(きい)してしまう傾向が現代でも残っています。
 斉一説というひとつの考えが長く使われてくると、多様な自然現象のなかには、激変説で説明すべきこと、つまり斉一説の破れも見つかってきました。
 その好例が、恐竜の絶滅です。今では、中米のメキシコのユカタン半島に隕石が落ちたため、地球規模の大絶滅が起こったというものです。この時も地質学者から激しい反論がありましたが、今ではほとんどの地質学者は隕石説を支持しています。このことは、斉一説の現代科学に、激変説が組み込まれたことになります。
 斉一説の破れは、意識されることはありませんでしたが、地質学ではいろいろな事例がありました。限られた時代だけに産出するストロマトライト(化石の一種)や縞状鉄鉱層、堆積性ウラン鉱床、赤色砂岩などの堆積岩があることが知られています。これらの岩石は、時代を特徴づけるものとして認識されていました。時代固有の岩石の存在は、その時代になんらかの環境変化が起こったことを意味します。その変化は、その時代にだけで不可逆なものです。実はこのような岩石は、斉一説を破っているという重要な意味があったことに、気づかれていませんでした。
 例えば、太古代から原生代にかけてだけに見つかるアノーソサイト、太古代に特徴的に産するコマチアイトは、いずれも火成岩の一種です。アノーソサイトもコマチアイトも、今よりも高温のマントルでマグマが形成されたとされています。ある時代に達成された条件で不可逆な変化が起こり、ある現象(この場合マグマの形成)が起こったものです。現代では決して起きない現象です。これは、斉一説の破れといえますが、その原因は納得できるものです。できたての地球は高温であったのが、時間とともに地球が冷却し、マントルも冷却しています。この地球の冷却が、ある時代固有の岩石を生み、斉一説の破れをもたらしているのです。それてその破れは連鎖して、不可逆な変化が地球に行き渡ることもあるでしょう。
 宗教的な原因は否定をしているのですが、生命の誕生、生物の進化は斉一説を破っているのです。すべてはある条件が整った時の一度限り、あるいはその時期、その場限りの不可逆な出来事だったのかもしれないのです。どこか重要なポイントで条件がそろわなかったら、今とはまったく違った世界になっていたかもしれません。
 しかし、斉一説の破れは、予定調和ではない、その時、その場でいろいろな選択や組み合わせが起こり、多様な未来を生み出すことになります。
 もうひとつ地球の同じ条件の惑星があったとしたら、生命の誕生、生物の進化は、起こったのでしょうか。現在の地球生物と同じような自然体系が出現したでしょうか、それとも想像も出来ないような奇異な自然体系になっていたでしょうか、あるいは不毛の惑星でしょうか。その答えは、斉一説の破れの彼方にあるのでしょう。
 斉一説は、宗教の呪縛から逃れるため、激変説に対抗するためだけでなく、科学の進歩に重要な役割を果たしてきました。しかし、その考えにこだわり過ぎるのは、逆に後退をもらたすかもしれません。現代のように斉一説の存在を意識せず、無意識にその破れを見つけ、真の因果関係を探ることの方が重要なのでしょう。

・アイディア・
斉一説は、以前にもこのエッセイでも
何度か取り上げたのですが、
夏に論文書いている時に、
斉一説の破れということを思いつきました。
斉一説は地質学において重要な考え方です。
激変説の復活としてK-T境界の隕石説が有名になったのですが、
激論を交わすことなく知られてきた、
ある時代固有の地層は岩石、生物進化、そして生命誕生すらも
斉一説の破れとみなすことができます。
そんな思いつきをしたことが、今回のエッセイとなります。
なかなか面白いアイディアだと思いませんか。

・生きるということ・
今年の夏休みはあっという間に終わった気がします。
私の夏休みは通常は前期の成績提出(お盆明け)から
後期の講義がはじまる(9月下旬)までです。
しかし、今年は、気付けば、9月の後期の授業がはじまっていました。
そんな年もあるかもしれませんが、
年々大学の校務が忙しくなっている気がします。
これは、大学だけでなく、どの会社、組織、社会でも
同じことが起こっているのかもしれません。
経済発展が滞るということは、
このようなガンマンをすることなのかもしれません。
それは必要なことだと思えます。
生きるために必死なること、失敗すると生活に支障をきたし、
時には生死にかかわるという生き方が必要だということです。
すべての生物が日々直面していることでもあります。
私たちも生きることに切実になるべきなのでしょうね。

2014年9月1日月曜日

152 そゞろ神と柵

 人の心には、旅に誘うそゞろ神が住んでいるようです。いつもで自由に旅にでられる人は、そうそういないでしょう。それなりの「しがらみ」もあり、簡単に旅には出れないようです。そゞろ神としがらみの話題です

 私は、例年9月上、中旬には野外調査にでています。場所はさまざまですが、自分の研究の一環として、野外で岩石を観察するような調査を毎年計画しては出かけています。北海道ではお盆が過ぎて、秋風が吹く季節になると、旅に出たくなる気持ちが強く湧いてきます。私にとっては、野外調査が旅にあたります。
 さて、「柵」は「さく」と読むことが一般的ですが、「しがらみ」という読み方もります。「しがらみ」とは、流れを堰き止めておくための杭で竹や木をを渡したもので、そこから「さく」という意味も生まれたようです。もともとは堰き止めるためのものという意味のようです。
 「さく」は外から入るものを拒むように思えますが、外に出ようということを制限するという機能もあります。その機能に着目すれば、「しがらみ」という意味も理解できそうです。
 ここで、また話はかわり、柵から奥の細道へと話題は移ります。
 松尾芭蕉の「奥の細道」では「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」という出だしの文章は、有名です。「奥の細道」は、松尾芭蕉が、元禄2(1689)年3月27日に江戸を出発して、東北から北陸をまわり、9月6日に美濃の大垣を出るまでの約150日間の紀行文を俳句をまじえて記したものです。その後も、芭蕉は旅を続け、元禄4年(1691年)に江戸に帰ってきました。
 「奥の細道」の冒頭から少し後段にあたることに「そゞろ神の物につきて心をくるはせ・・・」という文章がありますが、ご存知でしょうか。ここの「そゞろ神」とは、心を惑わし、誘惑する神様のことです。「物につきて」とは、そゞろ神が自分にとり憑いて「心をくるわせ」るのです。そゞろ神が誘惑するのは、旅へのいざないです。旅にでるように、芭蕉にとり憑いてきたのです。そして芭蕉は「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」といって旅にでるのです。
 人は、同じ所にじっとしていると、体を動かしたいとか、外に出たいとか、自然の中に出たいという気持ちが、ふと湧くことがあるようです。このような不思議な気持ちを、昔の人は、そゞろ神に憑かれたといったようです。うまい喩えです。芭蕉だけでなく、私にも旅に出たくなるような気持ちになることがあるよくあります。そんな時は、私もそゞろ神に憑かれたのでしょう。
 そゞろ神に取り憑かれることはあったとしても、実際に旅に出るという行動に移れるかどうかは別です。置かれている社会的条件、人間関係などによって、旅にでたい気持ちがあったとしても動けない人もいると思います。いや多くの人が、思い立って旅にでれるような状態ではないでしょうか。そんな現状に縛ることを「しがらみ」というのでしょう。
 でも、そゞろ神の力が強ければ、そんな「しがらみ」すらも断ち切って、旅立つ人もいるのでしょう。芭蕉もそんな一人だったのかもしれません。要領のいい人は、「しがらみ」の目をくぐり抜けて、旅に出ても、同じ居場所に何事もなく戻ってくるのでしょう。私も、後者を心がけています。そのため事前に根回しや準備をして、「しがらみ」をくぐり抜けて出かけます。でも、こんな準備を整えているようでは、そゞろ神が入り込む余地がないのではと思ってしますが。
 科学技術が進み、大抵のことは、ネットで知ることができるようになりました。テレビ、スマートフォーン、パソコンなどでみる世界は、あくまでも間引かれた情報であって、二次元の画面を通じての間接的体験にしかなりません。そこには実体験が欠如しています。生(なま)や実物、現実などによる実体験は、何事にも代えがたいもであることは、誰もが知っています。ですから、いつか、どこかでリアルな実体験をしなければな、精神のバランスが取れなくなります。
 私は、研究のために石や砂を系統的に収集し、日々の通勤路でも自然を記録し自然回帰を心がけています。これも、リアルへの渇望を埋めるための行為なのかもしれません。そのようなリアルへの接触を心がけている私のところにも、そゞろ神は現れます。リアルへの接触体験だけでは満たされない気持ちが強くわき起こる時、そゞろ神が出てくるのです。
 最近、校務で泊りがけの旅もよくします。与えられた仕事の旅では、そゞろ神は納得しません。そのような「しがらみ」にまみれた旅ではなく、心から自然に入り込める自発的な旅をしなければ、そゞろ神は治まりません。現代のそゞろ神とは、バーチャルからリアルへの離脱では決して埋められない、旅による実体験を促す神なのかもしれません。
 ですから、私は、少なくとも一年に一度は「旅」に出るようにしてます。調査と称して、石や露頭を見ながら、自然の中へ非日常への旅をするのです。今年も、9月3日から1週間、野外調査にでます。この旅に早く行きたいと、私のそゞろ神は強く誘います。そゞろ神は、日常の実体験では得られない非日常の「旅」での体験を要求するのです。「そゞろ神の物につきて心をくるはせ」て旅に出ます。

・旅を終えても・
旅に出たらで出たで、それなりの苦労はあります。
芭蕉も「奥の細道」の最後の「大垣」の段でも述べているように
「旅の物うさもいまだやまざる」という気分になり、
早く帰りたくなったりします。
ところがです、旅から疲れて戻っててき、
自宅でほっとすると、またそゞろ神が顔を出して、
別の旅に出たくなります。困ったものです。
これも含めて旅の楽しみなのでしょうね。

・天気ばかりは・
月はじめの台風に
先週からの低気圧と、
日本各地で大雨の被害がでました。
幸い私はいろいろ行事があったのですが、
雨には降られたのですが、
大過なく雨をやり過ごすことができました。
問題は9月の調査なのですが、
天気ばかりは、
そゞろ神も頼みにもできませんからね。

2014年8月1日金曜日

151 演繹時代での理念の崩壊

 科学の世界では、理念は帰納により構築されます。理念は尊重され、理念に沿った法則の体系が構築されていきます。演繹の時代になり、時が進むと、最初の基本理念は忘れられ、乱用がはじまります。そんな姿を日本の政治に見ました。

 現行憲法は、占領国であったアメリカが、日本のそれまでの天皇制のもとの軍国主義を、新たに象徴天皇と民主主義という体制に変えるために生まれたものです。憲法を順守して、為政者を規制しながら主権者である国民の権利を守ることが、立憲的民主主義の本来の姿といえます。
 憲法自身には、改定する方法も内包されていました。それに則ることで変更も可能だったのですが、日本では、憲法を変更することなく使ってきました。70年近く修正することなく使ってきたためでしょうか、改憲を望む声はいつもあるのですが、改憲することがタブーになっているかのようです。
 改憲がタブーなのでしょうか、憲法の解釈を変えてきました。そして2014年7月1日には、集団的自衛権が行使できるという解釈を、内閣の方針して決定されました。今後、国の方針になっていきそうです。将来、ことがあった時、違憲判決がでそうですが。
 この解釈で考え方を変更するという方法は、だれがみても憲法9条に反するものであることはわかります。憲法9条の改憲論者も、この解釈には反対する人も多いようです。何より問題は、書かれていないことは、自由に解釈していいという姿勢です。憲法の基本理念を踏みにじり、逸脱しているのではないでしょうか。一部の権力者によって憲法を自由に解釈していくことを「外見的立憲主義」といいます。明治憲法(大日本帝国憲法)やドイツのビスマルク憲法などがその典型です。現行憲法もそうなっていきそうです。
 さて、ここから科学の世界の話になります。考えたいのは、ある原則や理念が導かれる時と、時間が経過して、その原則や理念がさまざまな場面で運用されになっていくときの、原則や理念の変容についてです。
 まずは、原則や理念が導き出される時の話からです。多数の事実、データがあるとき、そこから何らかの規則性、法則を導くことを、帰納といいます。帰納といっても、見方、解釈によって、いくつもの法則が生まれることもあるでしょう。
 帰納したばかりの法則は、すべてのデータを上手く説明できず、例外もいろいろ出てくることもあります。初期の法則は、いずれも未成熟で、いろいろ不備な点も多々あるでしょう。法則ごとに長所、短所もあるでしょう。しかし最終的に、ある法則に収斂したり、選択されていきます。選択にあたっては、よりよいもの、あるいはより使いやすいものなど、いろいろな理由があるでしょうが、最終的にその法則の根底にある基本的な考え方である原則や理念が、受け入れられるかどうかにかかっています。
 受け入れやすい法則とは、シンプルでわかりやすい、そして美しいものではないでしょうか。複雑で難しいものもなかにはありますが、やはり人にとってわかりやすさが一番でしょう。複雑なものは、一部の専門家しか利用できなくなるでしょう。
 より多くの賛同者に選択された法則は、その基本的な考え方である理念を受け入れられたことになります。短所や不備は、理念に基づいて、修正、補正されていくことになります。このような状態に達すると、その法則は発展していくことになります。多くの賛同者や初学者も、この理念を学ぶようになります。
 その分野の全体が理念を受け入れ、利用するようになります。理念を構成しているいくつもの法則が、色々なとろこで演繹的に利用、応用されていくことになります。条件や場合にあわせて、法則も幾通りの方程式や規則、条件が付随してくることもあります。理念は、より厳密に、より精密に、より使いやすく、そして強固なものへとなっていきます。
 やがて、その理念は他分野にも利用され、研究され、広い分野での常識となっていくことになります。ここで示したような基本的な考え方である原則や理念を、トーマス・クーンはパラダイムと呼びました。
 パラダイムの初期であれば、例外的なデータも、法則や条件を修正、変更することで吸収することができ、より良い法則をつくるための助けとなっていきます。しかしパラダイムの晩年には、法則の修正の効かないほどの例外がでてくることになります。やがて科学者たちは、辻褄の合わない法則がひねり出したり、例外には目をつぶったり、パラダイムへの反論を力でねじ伏せたりすることがあります。
 時代が進むと、より多くの例外的なデータや事実がでてきます。中には理念を否定しかねないような、重要な例外も出てきます。そんな時に、トーマス・クーンによれば、パラダイム・シフトが起こるとされています。パラダイム・シフトとは、今までのパラダイムとはまったく違った新しい考え方が出現して、従来のものでは説明できない致命的な例外をすっきりと説明できるものです。それが次なるパラダイムへと成長していくことになります。
 このようなパラダイム・シフトを含む科学の変革を、クーンは科学革命と呼びました。パラダイムを転換していくことが、科学の健全な姿ではないかと思えます。
 地質学でも科学革命がありました。地向斜造山運動論からプレートテクトニクスへの変更がその例となります。ただし、地向斜造山運動は、核となるような論理体系がないため、パラダイムとみなしにくく、パラダイム・シフトが適用できないという人もいます。でもわかりやすいので、ここでは地質学のパラダイム・シフトの例とします。
 地向斜造山運動論は、主に地上の情報によって構築されていました。ところが第二次大戦後、海洋調査が進み、海底の地形や海底の試料の入手、地磁気データなど、今までにないデータが大量にでてくるようになりました。すると、膨大な例外データがあり、地向斜論は説明できなくなりました。やがて海底が移動しているという事実も見つかりました。そして、一気にパラダイム・シフトが起こりました。
 1970年代以降、プレートテクトニクスは成長していき、完成度を増していきました。ところが、プレート運動の重要な要素であるマントル対流の実態が不明であったため、表層部の運動が精緻になったのですが、地球深部に不安を抱えていました。
 地震波トモグラフィの出現によって、地下深部の温度分布が推定できるようになり、プルームテクトニクスが生まれました。プレートテクトニクスが、より広義のプルームテクトニクスに取り込まれ、それまでの不備が解消されるようになりました。
 これはパラダイム・シフトではありませんでした。プレートテクトニクスを否定するのではなく、今まで不明であった深部を加えた、もと理念が拡大し発展させた、大きな帰納が起こったことになります。プルームテクトニクスは、若い理論で、まだ不明な部分もあります。現在構築中のパラダイムだといえます。
 ここまで見てきたように、パラダイムが演繹の時代になると、もともとの理念が変容していくことが起こります。注意しないと、パラダイムに反しない解釈をいろいろおこない、都合のいいように法則をつくっていくということも起こるかもしれません。そこでは、基本精神は消えて、辻褄合わせののみが横行していきます。これは、パラダイム崩壊の予兆となるでしょう。
 科学は事実と論理に基づくフェアーな世界に見えますが、人が行なう営みでもあるので、そうではないこともよくあります。感情や利害がからむと、人の行動には、科学的でない振る舞いが当たり前におこります。捏造、剽窃などはその現れです。
 帰納から生まれた理念がパラダイムとして成立し発展します。パラダイムが演繹の時代になると形骸化して理念がどこかにいってしまいます。この理念の崩壊が、日本の憲法にも起こっているように見えます。一票の格差に対する違憲判決、立法の暴走は、三権分立を蔑(ないがし)ろにしているようにみえます。三権を監視するはずのメディアが、権力に擦り寄っているいるように見えます。これは、憲法というパラダイムが終末にむかっているように見えるのは、私だけでしょうか。もしパラダイムの末期であれば、次に来るのは、革命になります。それが無血革命であればいいのですが・・・・

・忙しい夏休み・
いよいよ8月です。
暑い夏がになっていますか。
7月下旬には、北海道も暑かったり、涼しかったり、
はたまた蒸し暑かったりと
めまぐるしく天候の変わる日々が続いています。
大学は8月上旬まで前期があります。
教員はお盆明けまで仕事が続きます。
本来は暑いから夏休みがあるはずなのに
一番暑いときに重要な試験や採点などがあります。
もう少し、のんびりとしたいのですが、
なかなか難しいものでしょうね。

・校務で気分転換・
今年の夏休みも家族での予定はありません。
子ども達が、中・高校生でクラブや遠征で忙しいのと、
私の校務が多いためであります。
夏休みは講義がないぶん、
気持ちの上では開放感があります。
今までやりたくてできなかったこともいろいろあります。
それをやりたいのですが、
疲れてできなくなりそうなのが心配です。
また8月下旬からは、毎週土・日曜日に、
地方への大学のキャラバンがあります。
調査や家族旅行なら楽しいのですが、
校務だと、なかなか落ち着きません。
それでも気分転換と思うことにしましょう。

2014年7月1日火曜日

150 バーナム効果:心地よい言葉

 人は、自分には甘いとこがあるのですが、自分の欠点には厳しい面ももっています。そんな人の両面性をくすぐる罠があります。厳しさの中にも自尊心をくすぐるような言葉は、ついつい受け入れてしまいます。そんな誘い言葉には、心理学的は働きがあるようです。

 次に示した項目は、ある専門家に共通する特徴です。これらは、真剣に職務に取り組んでいる人に当てはまるのではないでしょうか。
・独自の考えを持ており、十分な根拠のない意見は聞き入れない。
・弱みを持っていても、普段は克服できる。
・使われず生かしきれていない才能をかなり持っている。
・他人から好まれたい、賞賛されたいと思っているが、自己を批判する傾向にある。
・外向的社交的で愛想がよいときもあるが、内向的で用心深く遠慮がちなときもある。
 あなた自身で、思い当たる項目があったでしょうか。何かにこだわりを持っている人には、当てはまるはずです。もう一度、読みなおして下さい。
 これらの項目が意味することは後で示しますが、ここには実は重要な本質が隠れています。
 さて、話題は変わります。今度は、人のタイプ分けの話です。
 日本では、血液型による性格判断、出身地による県民性のタプ分けなどをして、人を区分して会話の一助にすることがあります。まあ話しの短所や接ぎ穂としてはいいかもしれませんが、そんな単純な区分を嫌う人には逆効果のこともあるでしょう。
 でも例えば、「あえて言うと、あなたは、イヌ派ですか、それともネコ派ですか」というような他愛もない会話なら、あまり気にせずに対応する人も多いのではないでしょうか。そして、「ネコ派の人は・・・」、あるいは「イヌ派の人は・・・」と、それぞれの性格についてや性格の違いについて、話題にしてしまうのではないでしょうか。
 しかし、よく考えると、イヌ派ネコ派の区分は、人を2つのタイプに分けるだけの非常に単純な区分で、1億人を2つに分けて、その区分を話してどうしようというのでしょうか。どちらも嫌い、どちらも好きだいう人も、どのちらにも関心がない、などいろいろな心持ちの人もいるので、それをあえて二分するのは、あまりに乱暴すぎます。また、イヌ派かネコ派かというの背景には、好きか嫌いかという、漠然とした心の問題があります。気持ちを、好きか嫌いかの二分法的に答えを出せるとは限りません。
 二分法であるなら、客観的にはっきりと分けられる、男か女かのような区分であればどうでしょうか。性別は、生物学的にはっきりとしていますので、なんらかの違いが表われます。それをもとに、男だから、女だから、というカテゴリーで、性格づけ、特徴付けや二分法にそぐわない区分を、導入してしまうことは、無意識にやっているのではないでしょうか。ある場面では「女性だからそのような心遣いできたのだ」といったり、「力仕事はやはり男性だな」とか、性別を配慮しているようですが、人間の多様性には配慮されているようには見えません。男性でも細やかな心遣いができる人も、女性でも大雑把なの人もいます。男性でも力仕事が苦手な人もいますし、女性でも力仕事の得意な人もいます。明瞭な生物学的な違いに基づくものですら、このような状態なのですから、タイプ分けには注意が必要です。
 血液型は4種類ですし、医学的にもはっきりとした区分が存在します。それでも、そこで性格の区分を導入すると、そこには危うさが伴ってきます。
 4つの区分で少ないのなら、47都道府県なら多数の区分がありますし、そこに暮らしている人は、気候風土や食生活を反映した何らかの共通性を持つことや統計的な違いはあるでしょう。しかし、その差を人の性格まで延長して県民性にするのは行き過ぎではないでしょうか。
 人のタイプ分けは、ある第三者を想定して当てはめるということがなされています。限られた体験、事例からの類推は、判断を誤る可能性があります。性格や特徴は曖昧な表現でなされます。自分の虚栄心に訴えるような内容は、誰にでもついつい受け入れてしまいがちです。そのような危険性は、冷静に考えれば、誰でもわかることです。
 私が研究者として、最初にあげた項目を読むと、自分自身のこととして考えれば思い当たることがあります。実は、研究者だけでなくても、誰にでも当てはまることではないでしょうか。誰にでも当てはまる「当たり障りがなく」、「嫌な面も」もあるが「前向きな」内容であれば、ついつい信じたり、自分のことだと思ってしまいます。
 何らかの権威や先入観を入れて、自分自身のこととして考えるように導くと、ついついひかかってしまうのではないでしょうか。このような誰もが心当たりがあるような項目を、あなたのことですよと言いながら並べたらどうでしょう。それが上記の項目でした。
 上の項目は、アメリカの心理学者のフォアラー(Bertram Forer)が心理学の学生した実験を少し修正したものでした。
 フォアラーは、ある心理分析の結果であると伝え、その項目が自分に当てはまるかどうか尋ねました。すると、多くの学生は、自分に当てはまると答えています。フォアラーの実験は1948年ものでしたが、その後も何度も繰り返し行われ、今でも当てはまるという結果になっています。
 上の項目は、読者の皆さんも、自分に当てはまると思われたはずです。これらの項目は、フォアラーが新聞にでていた星占いから、星座を無視して適当に抜き出した文章だったのです。これは、何を意味しているのでしょか。
 項目は、だれにでも当てはまるものなのに、自分にだけ特別だと思えるような内容であること、長短両面を持っているものだが前向きにに捉えられる内容になっている、という表現になっています。つまり、誰もが、自分に当てはまると思えるように書かれているのです。さらに、これは専門職や真剣に職務に取り組んでいる人には当てはまるという先入観を抱かせるような文章を付けました。
 誰にも当てはまるのに、自分のことだと思ってしまうような心理学的な現象を、最初に調べた研究者の名前からフォアラー効果(Forer effect)と呼んだり、バーナム効果ともいいます。特に事前になんらかの調査をして、その後に調査に基づいているかのように装ってコメントすれば、誰にでも当てはまる曖昧な文言であれば、自分のことのように思ってしまいます。
 バーナム効果は、いろいろなところに潜んでいます。特にCMや営利目的、詐欺などでは、巧みに利用されています。権威や尊敬を集めたり、営業をうまくしたり、言葉で人を動かすことが得意な人は、意識しようがしまいが、悪意であろうが善意であろうが、このようなテクニックを使っているのかもしれません。星占いの言葉であったことからわかるように、人は、昔からこのようなテクニックを使ってきたのです。
 実害の有無が問題ではなく、今では、人には心理的にこのような誘導にかかりやすいことがわかってきました。あとは、自分がそのような誘導にかからないことですが、これがなかなか難しいのでしょうね。自分に心地よい他人の言葉は、注意が必要なのでしょうね。

・誰にでも当てはまるものがある・
バーナム効果のバーナムとは、アメリカの興行師でした。
バーナムはジョージ・ワシントンの元乳母という黒人奴隷の女性、
ジョイス・ヘス(Joice Heth)を引き取りました。
もし乳母であることが本当なら、
160歳を超えていることになります。
バーナムはヘスを見世物として、興行に利用しました。
他にも障害者を利用した興行をしていました。
ヘスのような存在に少し情報を付加して
巧妙な宣伝をすることで興行を成功に導きました。
心理学者のミール(P.E.Meehl)は、
バーナムがいった、「誰にでも当てはまるものがある」
という言葉にちなんで、命名したものだそうです。

・夏の青空・
6月中旬は天候が不順な日も多かったのですが、
下旬からやっと夏らしい青空が戻ってきました。
そして、いよいよ7月です。
北海道も暑くなってきました。
ただし、本州のような梅雨はないので過ごしやすいです。
先日、網戸を張り替えました。
初めての経験でしたが、
必要な道具をホームセンターで購入してきたら、
案外簡単に張り替えることができました。
破れたり汚れているものから、
新しい網戸にすると網戸越しでも
心地よい青空が見えます。

2014年6月1日日曜日

149 インテリジェンスの源泉

 現代社会はITの普及により、手間さえ惜しまなければ、大量の情報をえることができます。しかし、大量の情報の中から有用な情報を得るためには、見識や知性が必要になります。このような知の構造は昔からあるものですなのですが、身につけるのは難しいようです。

 2013年10月25日「特定秘密の保護に関する法律(秘密保護法と呼ばれています)」が制定されました。まだ施行されていませんが、制定後1年以内に施行されるはずです。この法案の制定にあたっては、秘密となにかということに関して、いろいろな議論がわき起こりました。国家として秘密はあるだでしょうし、国家政策上、秘密情報を守ることも必要なことだと思います。しかし、もっと重要なのは、秘密から抽出される国家の命運を左右するほど重要な情報が漏ないことです。そのためには、秘密保護も必要になるでしょう。
 一方、日本のような民主国家、あるいは立憲主義国家は、主権者である国民に対して、情報開示をする義務があります。そして一時的に秘密にすべき期間があったとしても、その期間が過ぎれば、すべての情報を開示されるべきでしょう。ところが、情報を開示するか秘密にするかの境界は、なかなか難しいものです。判断をするには、それなりの見識、知性が必要だと思います。
 情報を読取る能力や知性を持った人は、漏れてくるささやかな情報から、有用な情報を抽出して、秘密にされている重要な情報を読み取ってしまうかもしれません。隠す側と読み取る側は、情報の探りあいでイタチごっこになっていくでしょう。いわゆる諜報戦となります。
 国家の維持、情報管理だけ考えるのであれば、できるだけ情報は公開しない方がいいのはわかります。しかしそれは、現代の民主国家の姿には反する方向に向かっていくように見えます。その兼ね合いをきめるのにも知性が必要でしょう。
 アメリカの諜報機関である中央情報局のCIAは、Central Intelligence Agencyの略号です。CIAで用いられているintelligenceという単語は、通常は「知性」という意味で使われます。しかしCIAのような使用法では、intelligenceは、「諜報」や「情報」という意味で用いられています。「情報」は、英語ではinformationになります。
 informationとintelligenceの違いはどこにあるのでしょうか。なぜ日本語では、両者が混乱して使われているのでしょうか。
 informationは「情報」で、ただ単なる情報にすぎず、そこでは全く加工されていないものが大半で、ありとあらゆる情報をさしています。現代社会では道具やITの進歩により、労力さえかければ大量の一次情報の収集は可能となりました。一方、intelligenceは、「知性」という意味の他に、加工された情報という意味があります。行間(inter)を読む(lego)という意味合いがあるともされています。つまり、intelligenceは、informationから意味ある情報、抽出された重要な情報、選りすぐりの情報となります。情報抽出には、確たる「知性」が必要となります。本来、秘密保護法で守るべき秘密は、なんでもかんでものinformationではなく、intelligenceやそれに近いものだけのはずです。その境界は不明瞭ですが、境界を見極めるのが知性です。
 さて、話題は地質学の研究手法に移ります。
 地質学では、自然の中にある石や地層などを野外で調べて、そこから必要な情報を読み取っていきます。読み取るときに重要なことは、野外でしか収集できない情報を、もれなく読み取っておくことです。野外調査では、試料も採取します。試料は、実験室でさらに深く、野外では読み取れない情報を探っていくのに用います。試料を計測、測定したり、分析したりして、情報を読み取っていきます。野外から室内までの情報収集を通じて、自然から可能な限り情報を読み取っていきます。
 ある露頭を例して考えてきましょう。
 露頭を構成している岩石をみて、どのような種類の岩石があるかを見極めます。種類を決めるにしても、野外ですから、肉眼による観察、小さいものをみるときにはルーペを使用します。限られた手段ですが、肉眼と経験は、簡便さと迅速さはなかなかのものです。岩石の特徴から、岩石を区分し、分類していきます。区分されたそれぞれの岩石が、露頭内でどのよう特徴や構造をもっているのかを調べてきます。各岩石が、どのような関係をもって接しているのかを見極めます。そして、境界の関係や地層の構造を走行、傾斜などを測定することで、三次元的に記録していきます。
 ここまでは、加工されていない「生」の一次情報になります。一次情報から、室内実験に移ってきます。露頭毎の構造情報は、一枚の地形図に整理して、岩石や地層の分布を地形図上で表現してきます。それが地質図となってきます。見えている境界は実在のもの、見えてない境界は推定によって描かれ、地域全体の地層や地質の関係を考慮し、地下の分布までを考えた地質断面図が加えられた地質図が完成します。
 ここまで作業では、露頭からえた情報は一次情報で、地形図に集積され、実在の関係をしめされのが二次情報になり、推定が加えらた完成された地質図は、研究者の知性による抽出と解釈が加えられた一種の思想図となります。
 室内実験では、野外でえた試料に対して加工してきます。岩石の薄片を作成して顕微鏡を用いて詳細な組織を観察していきます。野外で決めた岩石名を、確認したり、細分していきます。鉱物が岩石内の組織の特徴から岩石に関する微小部分による特徴を記載していきます。さらに、岩石の化学組成の分析、鉱物の量比の測定、鉱物組成の分析、微量な成分、同位体組成、年代測定などをしていきます。より詳細な一次情報を加えてきます。
 これらの一次情報を、解析、統計などで、二次情報に加工、抽出していきます。その過程で統計値や分散図などので視覚的に情報を理解してくこともよくなされます。
 すべての情報の最終的な形として、地質図の解釈だけでなく、その解釈に整合的な岩石の形成プロセス、冷却過程、多様性形成メカニズム、起源物質の推定などの、より深い自然の秘密を解読していくことになります。地質学はこのようなプロセスを経て、研究目的を達成していきます。それが、自然の神秘を垣間見ることになります。
 さて、地質学の研究手続きとして、一次情報をえて、二次情報に加工していき、最終的な目的である自然の秘密を読み取るという作業は、informationからintelligenceを抽出作業になっています。ですから、意味あるintelligenceの抽出をできるかどうかが、研究の成否を決めるのです。そして、抽出されたintelligenceの価値が、研究の成果を決めるのです。
 地質学では、野外調査は人が額に汗して労力と忍耐力で一次情報を得ていきます。室内実験も多大な作業量を伴うことが多く、機械化もされているので力ではなく、気力と忍耐力さえあれば、大量の一次情報を得ることも可能になってきました。つまり一次情報は、人が労力を使って大量に集める必要があります。これは、時代を越えて必要な作業となっています。
 現代ではコンピュータやアプリケーションの発達で、ルーチンワークであれば、あまり頭を使うことなく二次情報は得ることができます。アウトプットである論文や作図などもコンピュータのアプリケーションで簡単になってきました。ですから、研究者の腕のみせどころは、最終的な研究目的であるintelligenceにおける価値の抽出にかかっています。
 informationからintelligenceを抽出作業は、労力と知性が必要です。秘密でも研究でも、一次情報は人の労力によって得られ、最終的なintelligenceの抽出とその価値は人の「知性」が成否を決めることになるのでしょう。これは今も昔も変わらない営みです。人の労力と知力が知の源泉といえます。

・折り返し地点・
早いもので、もう6月です。
北海道は、5月初旬は好天がつづいたのですが、
寒さが残っていました。
後半はあまり天気が良くない日が続きましたが、
気温は暖かく初夏めいてきました。
大学は、前期の講義も半ばになってきした。
新入生もやっと落ち着いてきたように見えます。
これからは私自身が落ち着いて研究に取り組みたいところですが、

・教育実習・
教育実習への訪問指導が毎週入ってきます。
先日、私には最初の訪問指導にいってきました。
これから、毎週あります。
それが実は問題で、休講を可能な限り少なくしながら
進めていく必要があります。
でも、これは誠意をもって
物理的にできる範囲でやるしかありません。

2014年5月1日木曜日

148 メンター:同行二人

 ギリシア神話のメントールと、四国の遍路が使っている同行二人は相通じる心がありそうです。メントールはメンターとなり、現代の役割分担された師弟関係を意味しています。そのような関係は、西洋にも日本にも、古くからあり、今も生きているのでしょう。

 メントールをご存知でしょうか。ギリシア神話にでてくる神様で、Mentorのことで、メントールの他に、メンテーあるいはミンターなどともして発音されることがあるようです。ホメロスの「オデッセイ」にも登場する神様です。
 オデッセイは、有名な古代ギリシアの長編の叙事詩です。物語は、イタケーの王であり英雄でもあるオデッセウスが、放浪の旅をするというものです。長いトロイア戦争(神話の中の戦争)での勝利の直前から、物語がはじまります。
 物語の最初、オデッセウスは、カリュプソーの島に囚われていました。その後島を出て、放浪の旅がはじまります。一方、オデッセウスの息子が、父を探す旅も語られていきます。
 実はオデッセウスは島に囚われていたのですが、イタケーの国民たちは、死んだものだと思っていました。そのため、オデッセウスの妻ペーネロペーには、財産目当ての男たちがいい寄ってきました。
 オデッセウスの2人の息子うち、テーレマコスは、母の苦境を救うべく、オデッセウスを探す旅に出ます。そこで、女神のアテナが、若きテーレマコスを苦境から救うために手助けをします。アテナは老人に姿を変えて、テーレマコスを導く為に登場します。アテナが姿を変えた老人は、オデッセウスの友人であるメントールでした。メントールは、テーレマコスと同行して、助けていきます。
 メントールのこのような指導者としての働きにちなんで、メンター(Mentor)という言葉ができました。メンターとは、単なる指導者より、対話や助言などをしながら、本人の自発的で自律的な成長を促す役割ももった人のことをいうそうです。現在では、メンター制度やメンターシップなどの役割が設けられていることもあります。
 私もある組織に請われてメンターに登録しています。その組織の若手が、メンターとして指名したら、私とメンターとしての役割を果たすことになります。金銭的な関係はなく、ボランティアで、手段もメールによるコンタクトとなります。残念ながら、まだ私をメンターとして指名する人はいません。ですから、私は、肩書だけの、指導をしていないメンターです。
 それはさておき、メンターと普通の指導者との違いは、指導を受ける側が、自ら考えて行動できることを目指すことや、メンターシップではかなり強い師弟関係を結ぶことがあります。そのような点が、普通の指導者や教育係とは違っているところでしょうか。
 さて、メンターです。私は現在のメンターの役割のことを考えながら、昔(私が学生や社会人の新人の頃)は、こんな役職はなかったなあと思いました。自分の周りの先生や上司、先輩(以下、指導者とします)で指導してくれる人は、全般的な指導をし、役割分担はありませんでした。指導者とは、公私に渡り師事することになりました。そこには指導者としての役割分担はありませんでした。ただ「指導者」でした。
 現在社会では、指導者には、役割分担があり、内容ごとに方法論が示され、必要な研修、マニュアルなどが用意されています。おかげで指導者としての役職に戸惑うことも少なくなります。指導者にやる気があっても役割に対するノルマ、成果、評価などが問われ、役割からの逸脱がなかなかできません。
 私が学生のころの先生たちは、個性的で、中には乱暴で粗暴な人もいました。あとで思えば、そんな人でも、先生とよばれる何かの秀でたところもありました。それは、研究者として修行を積んで、同業のコミュニティに立った時に、やっとわかることでした。その時、人とは奥深いものだと感じるときでもあります。
 師事する側は、先生を選択できる場合も、できない場合もあります。師事する側は、それを天命とあきらめ、その先生の個性を飲み込んでいく必要がありました。その過程で先生を理解し、対処法を学んでいくことになります。
 あるときは先生の言うがままに行動し、時に自分なりの変更、修正を試み、あるときは反論を試み、やがては共同で研究や仕事をこなすパートナーになっていきます。それが弟子としての成長になります。
 一方、先生側からいえば、弟子は優秀に越したことありませんが、優秀の尺度は感覚的でもあります。単に勉学、学力だけでなく、行動力、慎重さ、持続力など多様な面での評価になります。どれかに秀でていれば、それを伸ばすことで優秀な弟子になっていきます。戦線側からすると、弟子の足りない部分に対して、不満や欠点も湧くでしょう。しかしこれも個性だと、飲み込むしかありません。
 どんな弟子であれ、指導者となったからには、何らかの指導をしていかねばなりません。指導者の要求をどのようにこなすかが、先生側の本当の評価になります。
 初学者であれば、まずは先生の指示を受けて、そのような行動や対処するかが重視されます。研鑽を積んでくれば、自分なりに学び、新たな方法や考えで、同じこと、より良いことをなす弟子も出てきます。時に生意気にみえたり、あるときはいうことを聞かないようにみえるかもしれませんが、成果がでるのであれば、認めるしかありません。
 やがて弟子も一人前になり、共同研究者、ときには自分より優れた成果を出すこともあります。そんなときは、指導者という立場では嬉しくもあり、同業者としては悔しさもあり、思い半ばでです。でも総じて弟子の成長を喜ばしく思えるのでしょう。
 師弟関係の深まりは、一般論で上記のようになりそうです。時には、師弟関係も破綻することもあるでしょう。でも、多くの師弟関係は、なんらかの形で成立し、継続ししていくことになります。人それぞれで、多様な師弟関係が構築されていくはずです。
 指導者にはアテナが姿を変えたメントールのような要素をもった師弟関係もあったでしょう。日本にも古くからおこなわれている四国の巡礼の「同行二人」の言葉も、メントールのような存在を信じているいることになります。そこに新しくメンターという名称を与え、役割分担を明確化することは、やるべきこと、目指すべきことが明確化されます。無意識に行なっていたことを、意識的することは、効率的で公正なものになるでしょう。危険回避、役割責任の明確化は重要です。厳格化すること、限定をつけることは、失敗や危険性を避けるためにはいいかもしれません。
 しかし、私には、役割の明確化は、師弟関係の結びつきを狭めていくように見えます。自由度の低下は、大きな可能性の芽を摘むことになっていないでしょうか。このような厳格化は、メンター制度だけでなく、現代社会が抱える問題でもあるようにみえます。
 こんなことを危惧するのは、私にメンターの資質がないためでしょうか。それとも、私のメンターのイメージが違っているからでしょうか。師弟関係とは、個性と個性のぶつかり合いによって、その時その場で変化ながら成長していくもので、その変化への対応から学ぶことも多いのではないでしょうか。

・同行二人・
本文で使った「同行二人」という言葉は、
「どうこうふたり」とは読まず、
「どうぎょうににん」と読みます。
これは四国を巡るお遍路さんが
笠や首からぶら下げる袋に書いてある文言です。
一人で歩いていても、
共に歩いている人がいるという考え方です。
一緒にいるのは、弘法大師です。
弘法大師は見えませんが
メンターとして共に旅をしているように見えます。
日本には、精神的、宗教的に
このような自律的な考え方があったようです。
メンターや大師に対し
偽ることなく、本心で接しているはずです。
まさに、メントールとテーレマコスの関係ではないでしょうか。
そんな心持ちで、辛い旅を続けるのです。
そんなお遍路の姿を思い出すと、
私もまた旅に出たくなりました。

・ゴールデンウィーク・
ゴールデンウィークの中日ですが、
我が大学は、暦通りに授業は進みます。
しかし、うちの子どもたちの学校は、
29日から平日に代休を入れて連休にしています。
いいのか悪いのかわかりませんが、
長い休みには、新学期がはじまって一月後くらいには
いいのかもしれません。
新入生は、結構無理をしている人もいるかもしれません。
そんな人は、一息ついてリフレッシュできればと思います。

2014年4月1日火曜日

147 研究するということ:修行と知恵

 研究するということは、どのような資質、能力を持たなければならないのでしょうか。それを身につけるために、「修行」をしていきます。修業期間に研究者としての能力とともに、知恵も養っていく必要があるようです。

 STAP細胞の論文が大きな話題になりました。当初、その研究成果の重要性もさることながら、中心となったのが若い女性研究者であったことも、ニュースを盛り上げました。さらに、容姿や着衣が目を引くことから、ますますワイドショーやメディアが連日が取り上げ、彼女は、時の人になりました。
 その後、ご存知のように、状況が一変しました。画像や本文の類似性や実験の再現性に問題があるとして、一気に疑惑が浮上してきました。持ち上げられていたその研究者は、一転してメディアから叩かれるようになりました。
 私は、ニュースは、新聞とネットくらいしか見ていません。それも自分の関係しないところは、さらりとしか見ませんので詳しい内容は知りません。家内と話をしていると、ワイドショーを見ているので家内の方が詳しいでした。真実は、まだ藪の中でしょうか。
 真相はわかりませんが、研究者になるということはどういう過程(修行)を経るのか、研究者になるためにどのような技量(知恵)を身につけていくのか、などについて考えました。
 当然のことながら、一人前の研究者になるには、多くの努力と時間をかけて修行をしていきます。その修業を通じて、いくつか身につけなければならないことがあります。研究者としての「知識」と「技術」、そして「知恵」ではないでしょうか。以下では、この3つの点について見ていきます。
 ただし、私が学んできて、体験してきた、理系的な研究修行ですので、分野が違うと様相が異なることがあるでしょう。ひとつの例と思ってください。
 まずは、自分が興味を持っている分野で、必要となる基礎から応用まで、さらに最先端までの「知識」を、体系的に学ばなければなりません。
 その分野の経験が少ない初学者は、「基礎知識」で少なくとも2、3年かかります。これが学部の専門科目の修得になるでしょう。多くの大学では、最初の2年間は一般教養のような広い学問やスキルを身につけながら、専門分野の基礎となりそうな内容や実験などの講義あります。その後、専門分野を定めて、より深い専門の知識を学んでいきます。卒業論文や卒業研究では、テーマを定めて、1年以上の時間をかけて、専門知識をいかしながら、テーマを深めていきます。まあ、大学や学部、個人によって、その深まりはさまざなまでしょうが。
 「より高度な体系的知識」から「最先端の知識」を身につけるのに、さらに2、3年かかります。修士課程の時期となります。この期間に、その分野においてなんらかの成果を挙げられるようなテーマを進めてきます。ただし、成果の重要性よりも研究という過程を一貫してやり遂げるという体験が大きな目的となります。
 次に、実際に本格的な研究を行なう段階になります。最先端の知識を常に吸収しながら、その分野でそれなりの重要性を持った研究テーマを進めていきます。それが、博士課程です。この期間に、論文や学会発表をしながら、自分の成果を公開して、科学者コミュニティにデヴューしていきます。数回の学会発表や論文投稿などを経て、博士を取得します。
 最新の知識は、自分の指導教官だけでなく、同じ道を志している同輩や先輩との交流からも得られることも多いはずです。最先端の知識は、自分自身で見つけ出したり、科学の人的ネットワークからもギブアンドテイクしていきます。最新の知識の収集は、研究を続ける限り、努力を継続していかなければなりません。
 知識の修得や収集と並行して、研究を進めるための「技術」を身につけなければなりません。科学の分野では、データ収集の調査、分析方法、各種の装置を使用法、データ処理技術などを体験的に学んでいきます。これらをマスターして、装置を安心して使用させてもらい、データ精度の信頼性を持つためには、3、4年はかかりそうです。博士課程になると新しい装置の工夫や、新たな使い方などを考案するなど起こるでしょう。そんなとき基礎知識や体系的知識が役立ってきます。
 つまり、修士課程までの大学院生くらいの期間(3、4年)は、「知識」や「技術」を修得するための修行をして、研究の方法を身につけていきます。博士課程では、研究者としての予行演習を行いながら、一人前の研究者としてコミュニティ参加も含めて修行してきます。車の教習でいれば、教習所内での練習は修士課程で、仮免での路上練習が博士課程です。
 最後に、重要なのが、「知恵」です。知恵とは、定義の難しいものです。科学的な考え方や科学を行なうために姿勢、あるいは科学者の良心や倫理観にもどついた規範意識なども含むでしょう。意図して身につけていくものではないのかもしれませんが、教えられるものでもありません。講義も教科書もありません。修行という実践の中から学んでいくものです。つまり、自分自身が研究するということを通じて、研究というもの、研究者というものは、どういうものなのかということを、無意識に身につけていきます。
 これがなかなかやっかいなものです。考え方は自分の思想を、姿勢は生き方を、良心は個人の個性を、倫理観は社会などを、強く反映したものでもあります。一般論ではくくれない場面も多いでしょう。
 修士課程や博士課程では、指導教官が必要になります。先生の後ろ姿から、知恵を学んできます。ですから教え子には、指導者の個性が反映されることがあります。例えば、先生が、論文wp書くためにデータや成果を強く要求する人なら、教え子は多数の論文を書くことが研究者として重要な資質と思ってしまうでしょう。一方、論文の量よりデータの信頼性や再現性を重視したり、テーマの重要性や社会的貢献を意識するような先生なら、教え子もそのような点に注意するでしょう。
 だれが考えても後者のような指導者が優れているようにみえるこかもしれません。しかし、現実には、両方の条件を満たさなければ、「一流の研究者」として生き残れません。そんな研究者は、ほんの一握りの人たちだけになります。多くの研究者はどちらか(あるいは研究をしない研究者)にシフトしていきます。そして、現在、多くの研究者は、成果や業績を重視しなければならない前者になるべく追い込まれています。
 定期的にあるいは多数の論文を書くために、ついつい以前のデータを、さも新たに出したデータと繕ったり、同じ内容なのに見かけを変えて論文にしたりすることがあるかもしれません。
 最初の一歩は許される範囲であっても、繰り返しによってエスカレートしていくと、境界を越えていることがわからないまま、引き返すことにできないところに行ってしまうこともあるでしょう。ですから、最初の一歩へと良心や、客観的に見た時、境界線を越えているという倫理観が歯止めにならなければなりません。できれば、最初の一歩を踏み出さないことが重要になります。そのためには「知恵」が必要です。
 STAP細胞の中心となった研究者も、権威ある大学の研究者との共同しており、日本でもっとの信頼される研究組織で若手の研究リーダーとして過ごしていました。STAP細胞は、世界でも最先端の革新的内容でもありました。これを一流科学雑誌に公表できれば、すべての人を納得させられ、今後の道もすばらしいものとなるはずです。そして、その道へたどり着きました。その道は、間違いのないものだったのでしょうか。もしそうなら、本人が一番知っているはずです。どこで踏み外したのかを。
 どんな状況であっても、良心や倫理観のような「知恵」は必要です。しかし、その研究者だけでなく、多くの最先端の研究施設で追い込まれるような心境で、日々の研究を進めている人も多くいると思います。残念ですが、多くの若手研究者は、彼女の心境が理解できるのではないでしょうか。
 本来、研究とは、強いモチベーションを持った人が行なっていくはずです。そのモチベーションとは、好奇心だと思います。自分の好きなことをしているのだということが、厳しい修行期間を耐えさせ、厳しい成果ノルマを乗り越えるための一番の原動力です。研究者の心のなかで、好奇心が、研究環境や社会条件の重圧より優っている限り、良心や倫理が正常に機能するでしょう。
 幸い私は、今のところ好奇心が優っています。今のポジションが、文系私立大学なので、研究成果よりも、校務や講義をつつがなくこなすことが重視されています。まあ、これも経営上しかたがないことです。そんなんかで、私には、研究が仕事でもありライフワークでもあるので、毎年2編の論文を書くことにして、研究計画を立てています。研究条件はよくありませんが、追い込まれながら研究をする状況ではないという利点があります。
 問題は、研究する時間がだんだん削られてきていること、テーマの科学的重要性や社会的貢献度などがあるかという点です。私の興味を中心としたことが論文となっているので、役になっているかどうかはわかりません。ただし、一人で行う研究が多いので、周りや社会に影響されることなく、自分の良心や倫理に基づいて研究できます。それが一番の良い点かもしれません。貢献はしていないが、害もないというところでしょうか。

・四国の調査・
先日、四国の調査をしてきました。
多くのところは、以前巡ったところでした。
一部、新たに巡ったところもありましたが、
基本的には再確認の作業でした。
5泊6日だったのですが、中一日、
激しい雨と風で調査が殆どできませんでした。
それ以外は順調に調査できました。
まあ、満足のできる調査となりました。

・早い春と遅い春・
高知を調査している時、
高知城の桜が日本で一番最初に
開花宣言をしたというニュースをききました。
沖縄や鹿児島より早く咲いたのか少々不思議でした。
なにかの前提条件を聞き逃したのかもしれませんが。
到着時は、桜は満開ではありませんでしたが、
帰り、高知市に近づくと桜が沢山咲いていました。
山間ではウグイスの鳴き声もききました。
3月末に北海道に帰ってきました。
道路の雪ははとんど融けていますが、
畑や牧草地はまだ真っ白です。
風が吹くと、雪の上を吹き渡る風はまだ冷たいです。
今年の北海道の春は少々遅めになりそうです。

2014年3月1日土曜日

146 一次資料と心

 一次資料は、人が創作したり、自然から読み取った最初のものです。生み出した作家、抽出した研究者にとって、もっと密接な存在になります。そこに思い入れが生まれます。その思い入れは、本人のみにあるのですが、時には周辺にまで伝わることもがあるようです。

 小説家、特に文豪とよばれる作家の未発見の直筆原稿が見つかったとき、大きなニュースになることがあります。あるいは、有名な作家の生原稿が、紛失、破損した時などは、大きな喪失感を持たれます。しかし、多くの無名作家の原稿は、出版後、著者に戻ることなく、行方不明になっていることもあるでしょう。私も以前書いた本の原稿は、戻ってきていません。でも、あまり気しなりませんでした。本ができた達成感を優先していましたので。
 生原稿のような資料の貴重さとは、いったいどのようなものでしょうか。唯一無二の資料という貴重さは、理解できます。しかし、唯一無二の貴重さは、絵画や彫刻などの芸術作品のような一点しかないものに存在する属性です。生原稿は、少々違った側面をもっているようにみえます。
 生原稿は、熱烈なファンや一部の好事家、収集家、あるいは研究者にとって、重要性を持つでしょう。しかし一般の人にとっては、そのような資料を目にすることはほとんどないでしょう。あったとしても、作家の特集記事や資料館でみるくらいでしょう。こんな字を書いていたのか、などという感想を持つ程度ではないでしょうか。生原稿は本と比べれば読みにくく、読むためものではなく、あくまでも本をつくるための原稿なのです。生原稿は、「唯一の存在」という貴重さ以外の何ものかがあるのではないでしょうか。
 作家にとって、印刷物の本として出版されたものが最終的な完成形のはずです。編集やレイアウトにも、作家として指示を出すことがあるでしょう。校正段階で、文章にもいろいろと修正も入ります。したがって、本が最終的な形であって、原稿は最初の段階であるはずです。生原稿を大切にしている作家もいるかもしれませんが、多くの人が最終的な本が重要になるはずです。なぜなら、原稿ができてから本が出版されるまで、多くの時間と手間をかけているからです。
 地質学者が研究論文を書く時、基礎となるのは野外調査のデータです。地図に歩いたルートを記入し露頭の位置と最小限の記録をして、フィールドノートに詳しい情報を記載していきます。地質学者にとって、地図とフィールドノートは、生データの詰まった一次資料として非常に貴重なものになります。
 私も、卒業論文や修士論文、博士論文の調査や国内外の調査で使った地図やフィールドノートは、捨てることなく手元においています。重要な一次情報でもあるのですが、それらのデータは、清書され、整理され、限りなく一次資料に近い二次資料に加工されていきます。そこでは取捨選択が起こります。地図やフィールドノートのデータは、地質図や柱状図、ときには重要な露頭はスケッチとして論文に掲載されることもあります。それらも、加工され清書された二次的なものになっています。
 論文を作成したのちは、継続的に使用することもあるでしょうが、一次資料にあたることはめったになく、せいぜい二次資料です。ただし、研究の根拠になるデータですから、一次資料や実物試料は可能な限り残しておくという義務もあるのかもしれません。
 本も論文も、印刷物ですから、唯一無二のものではなく、多数の複製が存在します。それこそが本や論文を出版する目的でもあります。その背景にある一次資料は、著者にとっては、重要なものであっても、第三者にとっては必要ないものとなります。
 近年は、多くの原稿がコンピュータで書かれ、出版社や学会に添付ファイル、あるいはプリンターで印刷して送付されます。オリジナル自体が、紙ではなくデジタルになってきています。写真や図表でさえもデジタル化されています。他の研究者も作家者も、紙の原稿そのものに愛着はなくなってきているはずです。
 電子書籍での出版も進んできました。出版社が時間をかけて作成する書籍が今も主流ではありますが、ものによっては個人が手軽に電子出版をして、ヒットしたものが印刷物になっていく例もあります。
 先日、地質学の専門書を購入しました。分厚い2分冊の本ですが、印刷版は115$もします。この本には電子書籍版もあり、価格はどちらも同じく115$です。ところが、出版社の販売サイトをよくみると、印刷版とデジタイル版を合わせて購入すると、セット割引で138$となります。両方欲しかったので、これを購入しました。手続き後、書籍はアメリカからやっと配送されてきたのですが、電子版はすぐにダウンロードでき、パソコンで見ることができました。非常に便利になりました。しかし、やはり私は本の方がしっくりします。
 さて、一次資料です。研究者として、論文の根拠となるので、保存する義務があるといいましたが、これは非常に重要な論文の場合のみでしょう。多数の論文では、根拠を問われるような場面、特に古い科学論文では、そのようなことはないでしょう。ですから、保存義務は、大義名分にすぎないのかもしれません。
 私自身の論文は、手書き論文(卒業研究と修士論文)や印刷物だけしかないものも、すべてデジタル化しました。紙でしかない論文も、自分のパソコンで見れるようなっています。最近の論文は、紙の別刷りだけでなく、多くはPDFファイルでももらえ、大学や学会のホームページでも閲覧可能になっています。
 私の場合、一次資料も自分の過去の紙の論文もデジタル化したので、ほとんど出番はないでしょう。でも私は、一次資料を保存しておくでしょう。自分が苦労して調査した記憶が、一次資料には色濃く残っています。その思いが、私にとって一次資料を貴重にさせているのではないでしょうか。多分、私が研究者でいる限り、この資料は手元においておくでしょう。二度と使用することはなくても。
 著名な作家の生原稿は、著者以外の第三者にも、地質学者が一次資料にもっている愛着に似た思いが生じているのかもしれません。第三者にも、その作家を敬愛するあまり、一次資料にも価値を見出すのかもしません。これは、作家への深い思い入れという心の問題なのでしょうね。

・資料属性・
ある小説で、昔の著名な作家の生原稿を燃やす、
燃やさないというやりとりがありました。
作家にとって、原稿は本に至る通過点に過ぎず、
このようなやりとりが、どの程度意味をもつのかを
我が身の場合に置き換えて考えました。
すると、私にとって、失くしたくない重要なものは、
心に関する資料であることに思い至りました。
ただし残念ながら実物資料である岩石については、
移動のたびに廃棄してきました。
なぜなら、重くて搬送が大変で、置き場所もないからです。
仕方がありませんが、
これも資料の属性が生み出す、宿命なのでしょう。

・移動の季節・
3月は年度末で、学校は卒業、組織は退職など
人が移動する季節です。
3月は、出ていくための移動です。
我が大学でも卒業式があり、
退職される方もいます。
残る側にとっては、寂しさがありますが、
出て行く側には、寂しさのほかに、
新天地での期待感もあるでしょう。
そんなことを思う季節になりました。

2014年2月1日土曜日

145 ハーヴェイロードの賢者はいずこ

 かつて、イギリスのハーヴェイロードには賢者がいました。日本にも都のはずれの竹林に賢者がいたようです。賢者という言葉は、現代の日本では死語となっています。しかし、乱れた世の中だからこそ、賢者を待望します。そして、賢者の思索を活かす指導者も必要です。

 今の日本社会は、ひどく混乱をしているようにみえます。国民の気持ちや願いが、政治に反映されているようにはみえません。経済や金が重要課題として、政策がつくられています。一方で、拝金的な行為を蔑み、幸福や満足度などを重視している多くの個人がいます。社会的弱者や若者を守り育てる社会であるべきだとわかっていながら、しわ寄せがいく仕組みが、日本では徐々につくりあげられています。
 テレビや紙面ではコメンテータや評論家が、好き勝手な意見を述べますが、だれもその発言に責任は負いません。責任を問われるようなジャーナリズムは、横並びの報道や意見、あるいは社の方針に基づいた考えしか述べていません。発言に責任を持つべき政治家も、言葉尻やささやかな不祥事は追求され、ポストを追われます。しかし、政治生命を立たれることなく、発言力を持っています。国を危険に陥れるようなもっと大きな政策の誤りに対しては、だれも責任を取りません。みんなが、このような間違いに気づいているはずです。
 かつての世界には、賢者と偉大なる指導者がいました。偉大なる指導者が、賢者の判断に基いて、混乱した世の中を治めていたことがありました。日本でも、偉大な武将にはよい軍師が、革命の英雄には賢者の思想がありました。そのような賢者が存在したのは、明治維新から明治ころまででしょうか。その後、歴史に名を残すような賢者はみあたりません。現在の日本では完全に消えてしまったようです。
 国政にかかわるような場面では、多くの専門家がブレインとして意見を述べていると思います。しかし、政府の決定が賢明なものに見えてきません。そこには賢者はいないようです。これは私だけの見識不足でしょうか。
 もし、今の日本社会で賢者がいるとすると、科学の世界ではないでしょうか。例えば、iPS細胞の山中伸弥教授は、強い信念に基づき臨床への応用、人を救うことを第一の使命として、営利や利潤を求めない研究をされています。筑波大学の山海嘉之教授は、ロボットを弱者を支援する道具として、人のために研究されています。自然科学、工学などの分野の研究者には、賢者のような人はいるようです。いずれも重要な研究テーマですが、日本の国政や国民生活にすぐに影響を与えるような意志決定に結びつくものではありません。
 さて話しは変わって、「ハーヴェイロードの前提」という言葉をご存知でしょうか。ハーヴェイロードとは、イギリスのケンブリッジにある通りや住所の名称です。閑静な住宅地です。「ハーヴェイロードの前提」とは、地名に由来するものです。これは、政治判断をするときの前提のことを意味しますが、少々説明が必要となります。
 「ハーヴェイロードの前提」は、経済学者として有名なケインズ(John Maynard Keynes)にちなんでいます。ハーヴェイ・ロード6番地は、ケインズが生まれ育ったところです。経済学者のハロッドが、「ケインズ伝」の中で用いた言葉で、ケインズの政策提案、あるいは政治思想をあわらすものです。
 ハーヴェイロードは、イギリスの知識階級が集まり議論をしていたところでもありました。ケインズの考え方も、知識階級の議論で生まれてきたそうです。そこから、自由な立場で考える賢者たちの議論が重要性が指摘されました。ハーヴェイロードの前提とは、少数の賢人が合理性に基づいて判断するという意味で用いられました。
 「ハーヴェイロードの前提」を、経済学や経済政策にとどまらず、もっと広く意思決定の方法と捉えると、どうなるでしょうか。民主的に選ばれた人ではなく、考えるべきコミュニティーと関係のない自由な立場にある人たちであることが重要です。何にも束縛されない利害関係のない議論や判断が必要になるからです。そして、多数決などではなく、小数の賢者が、議論つくして決定を下すという流れになります。そのような議論を経て得られた結論は、用いるに値するものとなります。
 何事にも束縛されない自由な条件があるでしょうか。あるいは、このような人材が、今の日本にいるでしょうか。なかなか難しいかもしれません。現在のように、成熟し管理された社会では、利害の生じない自由な立場の知識人たちは、いないかもしれません。知識人は、単にもの知りであるだけではなく、賢者でなければならないのです。
 賢者とは、そもそも古代ギリシアの哲学者や日本の仏道の修行者のような人たちです。無私で大所高所から世の中を見て、合理的な判断を下せる人です。今の日本には、目的が明瞭で、その目的のためには世俗的なこと、金銭的誘惑に惑わされないような科学者に、かろうじて賢者の気配があるのかもしれません。しかし、彼らは目的を追求することが第一義で、目的以外のことには興味を抱かないはずです。彼らの専門は、世俗とかけ離れた自然科学の分野です。逆に、そのような名のある研究者が、知識もない専門外のところで、深い思慮もなく政治や社会に発言すると混乱を起こすかもしれません。
 ハーヴェイロードの前提は、そもそも理想的で架空のものだったのでしょうか。反ケインズ派の経済学者が、ケインズの経済理論を批判するとき、ハーヴェイロードの前提は、非現実的、貴族的、非民主的として攻撃の的にしました。このような批判がもっともであれば、ハーヴェイロードの前提は、空論に過ぎません。
 ハーヴェイロードの前提である、なにものに束縛されない条件など、現代のような情報化社会でありえるのでしょうか。信任を受けない人たちの議論による結論に、多数の市民が信頼を置くでしょうか。現代の日本には、賢者がいたとしても、住みづらいところなっているはずです。いたとしても、それこそ都を離れて竹林に隠遁してしまっているでしょう。
 イギリスのように長年にわたり貴族階層が存続し、彼らに対する英才教育が残っている国では、賢者が生まれるかもしれません。貴族階層の教育も、もともとはよき指導者育成を目指しているはずです。その階層の中で、努力をし、人徳を身につけた人たちが、賢者の候補になっていくのでしょう。
 日本のような平等教育からは、なかなか賢者は生まれないでしょう。日本で賢者が生まれる少ない可能性として、やはり研究者階層からではないでしょうか。ただし、前述のように自然科学や工学の分野では難しそうです。もし社会科学や人文学、特に哲学や倫理学、宗教学などを広く身につけた研究者で、人徳のある人がいるとしましょう。なおかつ、彼らのうち、俗世の金銭や利害から乖離しながらも、世情や日本の現状を把握しながら研究生活をしていたら、現代社会の賢者候補となりえるかもしません。これは単に理想論なのでしょう。現代の乱れた世の中では、そんな賢者がいることを、ついつい期待してしまいます。
 もし賢者待望論が実り、何人かの賢者が現れたとしましょう。次なる問題は、その賢者の意見を実行に移せる偉大なる指導者がいるかということです。彼らも、私利私欲があってはなりません。賢者育成のプロセスの中で、豪胆で指導力のある人が、偉大な指導者になっていくのではないでしょうか。つまり、賢者が生まれるような教育体制が必要ではないかということです。そのこには良き指導者も生まれてくるはずです。今の教育体制を改革するには、賢者と偉大なる指導者が必要なり、負のスパイラルへと落ち込みます。
 混乱した世の中だから、賢者を待望する気持ちも強くなりますが、現実の日本では、ないないづくしです。こんなエッセイを書いていると、ますます失望感が深まります。竹林に隠遁している賢者がいたとしたら、ぜひ日本が取り返しのつかないところに行ってまう前に、でてきてほしいものです。

・出張・
大学は、定期試験が終わり、
採点期間中です。
来週末には大学入試はじまります。
私は入試で出張になります。
冬の時期の出張はトラブルに備えて
余裕をある日程で出張が組まれていきます。
ですから、4日間の出張となります。
寒いのであまり出歩けないので、
どうなることでしょうか。

・校務と研究・
2月から3月にかけて、
大学は講義は終わっているのですが、
入試や卒業、新年度の準備などで
慌ただしくなります。
しかし、空き時間もできるので、
研究をする時間でもあります。
いくつかやりたいことがあるのですが、
今年は校務がいろいろあるので、
落ち着いてできるでしょうか。
それが心配です。

2014年1月1日水曜日

144 大局観をもった予防原則

 昨年は、いろいろな事件や事故がありました。周りに甚大なる被害を及ぼす事柄を考える時、因果関係が重要になります。しかし、因果関係が不明瞭な場合も少なくありません。そんな時、予防原則を用いて考える方法があります。ただし、大局観をもったものでなければなりません。

 正月早々から、暗い話題になりますが、昨年を思い起こしましょう。昨年は、身近に思えるところで、いろいろな事件や事故がありました。食品偽造事件、JR北海道の事故、2011年の3.11に端を発する福島第一原発の汚染水漏れ事故、天候不順など、世間をにぎわす大きな出来事が起こりました。記憶に新しいところでは、拙速にみえる特定秘密保護法(正式には「特定秘密の保護に関する法律」というもの)の成立もありました。また、原子力発電の可否を巡る議論はなおざりなり、どれを再開させるか、どう再開させるかなどと、どうも腑に落ちないことも進行しています。
 いつの時代にも、大きな事故や事件のニュースはあったはずです。しかしいずれも当事者以外は、時間が記憶を風化させていきました。過去の記憶は薄れやすいものなので、「今」を重視してしまうのかもしれません。穏やかならざる「今」は、つぎつぎと新しい事件の記憶を生み出していきます。
 事件や事故は、理屈の上では、原因が解明されれば、その原因への対策をすれば解決するはずです。現時点で解決は難しくても、解決する方向性は見えてきます。原因を克服するために、新しい技術を開発したり、合意を得るために、世論を調整したりすこともできるでしょう。
 ただし世の中は、そう単純にことが運ばないときも多々あります。因果関係や原因がはっきりしているのに対処できないものもあります。例えば、対処をする人間側に「原因」があったり、経済的、技術的な困難さが「原因」となる場合があります。時には、地震や火山噴火など対処できないほどの大きな原因があるでしょう。
 因果を巡る問題はなかなか難しいものです。一番の難しさは、因果関係が不明瞭な場合です。あるいは、因果関係の全く違った考えが提示されている場合、因果関係が不明だが重要な影響がありそうな場合、新しい技術を使用する上で大きな影響が予想される場合なども困難です。課題や技術を、因果関係が不明だから、あるいはまだ新しい技術で問題が発生していないから、などの理由で手をこまねいていていいのでしょうか。そんなとき、どう考え、どう振る舞えばいいのでしょうか。
 ひとつの目安になる考え方があります。予防原則、あるいは予防措置原則と呼ばれている考え方です。予想される危険性を「予防」という立場で考え、行動するというものです。「予防原則」(precautionary  principle)は、1970年代にドイツで使われたものだそうで、オゾン層破壊の問題でも用いられてきました。"precautionary"とは「予防」という意味ですが、"pre"は「予め」、"caution"は「注意、用心」です。因果関係の有無にかかわらず、予め用心して対処しておこうという意味です。
 ただし、運用には注意が必要です。予防措置を過度に適用すると「危険なものはすべて禁止」となり、ゆるく使うと「疑わしきは罰せず」となり、効力が発揮できなくなります。
 予防原則の運用は、人類の叡智、理性が問われることになります。科学には、因果関係を探るだけでなく、予測あるいは推定する力があります。人間には想像する能力があります。危険性が予想される場合、単に危ないと思えると場合も、もしものときの被害を最大限に見積もることも可能なはずです。そんな予想や想像をもとに、予防原則を活用すべきです。
 費用対効果を見積もることも重要でしょう。しかし、費用対効果より重要なのは、地域住民や利害対象者の局所的視点だけでなく、人として、あるいは地球に住まう一生物としての大局観も忘れてはいけないと思います。経済的な視点で考えると、短期的、局所的な収支を中心に考えてしまいます。数年の単位で経済的であっても、100年、1000年の単位で考えると、子孫や人類にとって大きな不利益を与えることもあるでしょう。他の生物、環境への負荷も考慮に入れなければなりません。当事者だけの経済的収支では、搾取されている場所、人、種などへの配慮が欠如することもあります。それをも考慮にいれるために、大局観をもった予防原則を適用すべきでしょう。
 祖先、先人、昨年までの私たちは、「自分たちのため」や「今の快適さ」を行動原理に動いてきました。ある時代、ある地域の人に、益をもたらす技術であっても、将来を見た時、発展よりも現状維持が多くの益を得ることもあるでしょう。そんな選択もあるかもしれません。あるいは、自分たちは負荷を負って将来のために我慢するという選択もあるかもしれません。そんな覚悟をもつべき時代になってきたのではないでしょうか。享受のみの生活ではなく、忍耐を伴った幸福を追求する生き方もあるかもしれません。それこそが大局観を持った予防原則ではないでしょうか。
 「おもてなし」の気持ちも大切ですが、日本人がつい最近まで持っていた気持ちで、ノーベル平和賞のワンガリ・マータイが思い出させてくれた「もったいない」は、実に奥深い言葉です。「ない」から不便、不幸ではなく、「ない」くても幸せ、「ある」ことに疑問をもつ生き方も必要でしょう。そんなことを、昨年を振り返りながら、新年に考えました。

・マネージメント・
昨年は、多忙で、精神的にも非常に辛かった1年でした。
今年以降、更に忙しさが増しそうです。
研究をしているときが、一番充実感を味わいます。
しかしマネージメントを時は
年齢とともに重荷になってきました。
若い頃は、マネージメントは好きではないが、
やればできたし、実際にやってきたものも多々ありました。
今思えば、若いから精神的負担に耐えられ、
充実感も味わえたのでしょう。
最近は、疲労感が増えています。
まあ、それが歳をとるということでしょうか。
愚痴をいわず、新年をはじめましょう。

・賀正・
明けましておめでとうございます。
このエッセイの前身は2001年からスタートしていますが
月刊のメールマガジンとしては、2002年から始めました。
もう13年目になります。
長かったかようですが、毎月のことですから、
ノルマのように書いてきました。
研究に直結しているもの、深く考えてきたもの、
時代に応じたもの、いろいろなものがあります。
私にとってこのエッセイは、
その時々の自分の考えをまとめたり、
新しいことを考えてみるきっかけにしたり
いろいろな背景のものがありました。
読み返すとその時の思いや状況とともに
思い起こすこともあります。
まだまだ、書きたいネタがあります。
次に書こうかと考えているとネタは、30個以上あります。
また、思いついたらネタを加えていきます。
気力が続き、事情が許す限り継続していきたいと思っています。
これかたもよろしければ、お付き合いください。