2025年3月末日をもって大学を退職しました。最後に大学での歓送迎会があり、そこで挨拶をしました。教職員の前では最後になるので、研究者としての気持ちを話しました。その内容と謎解きをしましょう。
【以下は、話した内容と異なるとことがありますが、話したかった内容です】
大学の学部から大学院を経て、地質学の研究者となりました。以降、テーマや手法の変更、領域の拡大などはありながらも、長きにわたり地質学に従事してきました。地質学をテーマにしたことに、後悔はありませんでした。そしてこれからも地質学には携わっていきたいと思っています。
大学の学部から附置研究所まで地質学者として「研究一路の旅なれど」(1)
、博物館に赴任したことで、科学教育も業務となりました。教育と入ってもこれまで自分自身が経験したことがないものでした。なぜなら、市民への科学教育の対象は老若男女、興味も、知的レベルもバラバラの人たちを一堂にして教育を進めていくしかありませんでした。そんな博物館での教育には、方法を示して教科書も参考書もありませんでした。自分で開拓していくことにしました。従来の方法に囚われる必要がないため、「コペルニクス的展開」(2)で進めていくことにしました。答えは簡単でした。できるだけ根本的なこと、最新のこと、実物や自然に接しながら、自分自身が面白いと思える方法や、新しいと思える手法の導入して、小学生にわかるような内容で進めていけば、すべての人が楽しく学べることがわかってきました。ただし、準備は大変でしたが。
博物館で働くまで、それまで地質学の研究だけを進めてきたのですが、博物館では新たに科学教育も加えていくことになりました。ただし、教育は、科学の"Antithese"や"Aufheben"(3)ではなく、共存すべき存在だと考えました。博物館の開設、そして運営開始に携わりながら、それなりの教育実践も実施してきました。
博物館に11年在籍しました。自身にとって全く新しい分野でも、10年ほど継続的に実績を積み重ねれば、「ものになる」という実感をえました。自身の能力と体験から、新たな挑戦をはじめてものにするには10年かかること、そして体力、気力を考えれば、自身の残りの人生の時間を考えると、転職して新たなチャレンジをする最後の時期だと気づきました。そして、新たな展開をするために、転職することを決意しました。
転職に当たり、場所は吟味しました。"Go to the North"(4)、そして家族の生活環境や自身の好みから、都市は避けて、自然の豊かなところを選んで応募しました。そのような条件を満たす転職先を選びながら、多数の大学に応募した結果、現在の職場に採用されました。
理系の私はあえて、人文系社会系のこの大学に応募しました。所属学部は社会情報系でした。所属している教員は、社会系と情報系の専門家がいました。そこでは、科学教育の実践に、情報技術を導入して展開していきました。しかし、大学の事情で、4年間で教員養成の学科に配置転換となり、人文系の学部に属することになりました。
そこでも歓迎会していただきました。その時の挨拶で、"I have a dream"(5)という言葉を使いましした。席に戻ると、その言葉の由来をすぐに話題にしてくださった方がいました。また、同じ時期に発行の学部の広報誌の巻頭エッセイを頼まれ「歩けど歩けどなお、わが調査終わらざり」(6)というタイトルで書きました。この時も、その言葉の原典がすぐに気づかれ、話題にされた方がいました。
-----Intermission-----
私が意図的に使った有名な語句に、すぐに気づかれ、その原典が話題にできることに、すごく幸福感を感じました。アカデミアにきたと実感した瞬間でした。大学は最高学府で、最高のアカデミアで、教員の皆様は、ぜひ研究を深めて議論の場をつくってください。学生は、そんな教員の熱に感化されるはずです。そして、この大学は、今までの理系の人は少ないですが、広い分野の人材が多数いて、コミュティが小さいので、深く多様なコミュニケーションがとりやすいのが特徴です。ですから、ここでの話でも、多数のキーワードを埋め込みました。ぜひ気づきてください。謎解き楽しんでください。
-----閑話休題-----
それまで、私は地質学という理系の領域でした。そして博物館で教育実践を実施してきました。人文系の学部にきて、私が目指そうとしてきたのは、理系と文系という対立でなく"The two cultures"(7)の融合でした。そして、そこに哲学も必要だと考え、科学、教育、哲学の"Trinity"三位一体(8)となるような研究者像を目指すことにしました。学問領域の区分ではなく、広く教養をもつことを目指しました。
大学に在籍している期間、社会情勢は刻々と変化し、大学、学部、学科の置かれている現状の変動していきます。それは、「時間の矢」(9)として変化していきます。そうはいっても、歴史には、どこか繰り返される条件、状況もあり「時間の環」(9)と見えるところもありまします。我が大学は、80年に及ぶ長い歴史をもった大学だからこそ、過去に学ぶべき教訓ももあるはずです。
ここ数年、これまで科学的手法、あるいは論理的と考えられる方法で、科学、教育、哲学に取り組んできました。ところが、専門としている地質学の領域においても、従来の科学的手法では達することができない時代、知り得ない領域があることも明らかです。そんな未知の領域(冥王代前期という時代)に取り組んでいこうと考えています。
そこにはきっと「言語化できない知」=「悟り」(10)が必要な領域です。その解明には、東洋哲学の思想が重要な指針になりそうです。現在、南方熊楠を参考にして、密教も勉強中です。
最後に、4月から、私は、大学という組織に所属からはずれます。今後は、在野の「野良」の研究者として研究を進めていこうと思っています。そんなときの心構えは、"Stay hungry. Stay foolish."(11)でいこうと思っています。
・Adaptation・
この話の中に、流れに違和感のある語句や
「」や””付きのキーワードが
散りばめられていました。
それは、Adaptation(翻案)でした。
あるいは本歌録り、引歌(ひきうた)、
最近では漫画などでは
二次創作は日本文化の伝統でもあります。
西洋でもパロディ、隠喩、オマージュなど
として扱われています。
ぜひ、その本歌を考えてください。
・適正規模・
今回のAdaptationの大半は
現在の大学の教員との会話で
実際のおこなったものです。
我が大学の規模で、
多様な分野の教員がいたので
深いコミュニケーションできました。
私が、この組織で属せたことで
非常に刺激的なものになりました。
【謎解き】
(1)「研究一路の旅なれど」
「真実一路の旅なれど」から引いている。山本有三「真実一路」を意識ましたが、大本は北原白秋の「巡礼」の一説「真実、鈴ふり、思い出す」より。
(2)「コペルニクス的展開」
カントの「純粋理性批判」第二版の序文に用いた言葉より。
(3)「教育は科学のAntitheseやAufhebenではなく」
AntitheseとAufhebenはヘーゲルの弁証法の用語で、この大学に赴任した時の学長が話した内容より。
(4)"Go to the North"
J・F・ケネディが1962年9月12日にヒューストンのライス大学での演説で
"We choose to go to the Moon"
「私たちは月へいくことを選びました」
と述べた。これまでソビエト連邦に先行を許していた宇宙開発で、逆転を目指して、アメリカは月に人類を目指すことを宣言した。この言葉は、理系人間には、次の"I have a dream"より強く記憶に残っている。
(5)"I have a dream"
1963年8月28日、Martin Luther King Jr.が、職と自由を求める行進に向かうとき、おこなった演説より。
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."
「私には夢があります。いつの日か、この国が立ち上がり、『すべての人間は平等に創られている、という真理を自明のものと考える。』というその信条の真の意味を実現することを。」
(6)「歩けど歩けどなお、わが調査終わらざり」
石川啄木の短歌集「一握の砂」の
「働けどはたらけど猶 わがくらし楽にならざり ぢつと手を見る」
より。
(7)"The two cultures”
Snow(1959)の「二つの文化と科学革命」の書名より。元学長は教養の必要性を説いていた。
(8)"Trinity"三位一体
キリスト教では、神は唯一神であるが、その姿は父(神)・子(キリスト)・聖霊の3つとなる。そこから、科学、教育、哲学の3つを自身で体現していくことが自身の理想の研究者となった。
(9)「時間の矢」「時間の環」
地質学者グールドがまとめた過去の地質学的時間の見方。
(10)「言語化できない知」=「悟り」
南方熊楠が土宜法竜との書翰の各所で述べたものを、私自身が自身で言葉にしたもの。
(11)"Stay hungry. Stay foolish."
Steve Jobsが、2005年のスタンフォード大学卒業式に招かれたしたスピーチでの最後の言葉。