2026年10月1日木曜日

304 自然に学べ:Study nature, not books

 自然科学は、自然を対象にしています。そのため、自然科学では、自然物をよく見ることから、自然から学んでいくことになります。そのような簡単なことが、もっとも重要な姿勢ではないでしょうか。


 自然科学は、自然やその中の事物を対象にしています。地質学では、野外で露頭や地層を観察し、記載することからはじまり、その過程を探求していきます。自然科学では、自然そのものを扱っているため、自然を重視しなければなりません。しかし、研究に深く入り込んでいくkと、ついついそんな当たり前のことを忘れてしまいます。
 地質学者のアガシー(Louis Agassiz、1807-1873)は、1837年、スイスアルプスで見られる過去の(山岳)氷河の痕跡から、現在よりずっと巨大が氷河があったことを発表しました。迷子石や氷河擦痕、モレーンなどの痕跡、U字谷などの地形的な特徴を、氷河の証拠としました。現在は存在していない過去の現象を、現在に残された証拠から検証していきました。
 1840年「氷河の研究」では、氷河期がアルプスだけの現象ではなく、少なくとも北半球の広い範囲に及ぶ、地球規模の気候変動とだという仮説を示しました。1847年の「氷河期の体系」では、より広範な地質学的根拠を集めて、「氷河期」を体系化していきました。
 アガシーは、1846年にアメリカ合衆国に渡りました。アメリカでは、ハーバード大学に、比較動物学博物館を設立し初代館長を務め、科学の普及と教育制度の発展にも尽力しました。実物教育(Object Teaching)を重視していて、観察することの重要性を体験させる教育方法でした。その考えは、アガシーの教える教室の黒板の上に
 Study nature, not books
 (自然に学べ、本ではなく)
と書かれて掲げられていたということでした。
 アガシーは、ダーウィンの進化論にもっとも反対した人物としても知られていました。19世紀の科学界における知的なライバルになっていました。氷河が地球を覆ったことで多くの生物が絶滅し、その後に新しい創造されたと考えました。その証拠と考えたのは、氷の中に閉じ込められた状態で発見されるマンモスの遺骸でした。
 le silence de la mort s'étendit sur la nature entière
 (英文:The silence of death spread over all nature)
 (死の沈黙がすべての自然を覆い尽くした)
と書きました。
 アガシーは、氷河が地球を覆ったことで「死の沈黙」の時代となり、その後、新しい創造があったと考えました。アガシーは、信仰を重んじており、生命誕生は神に創造によるもので、種は不変で静的で秩序だったものだと考えました。化石の記録は断続的になっていると考えました。ダーウィンの進化論の批判は、宗教的背景もあったのでしょうが、自身の化石研究にもどつく観察がありました。
 ダーウィンは、生命はひとつの共通の祖先から連続的に変化(進化)してきたもので、生物種は動的で、変化には偶然(自然選択)が作用すると考えました。化石記録に断続性があるのは、「記録が不完全」であるためとしました。
 魚類化石を研究していたアガシーは、化石記録には、種と種の中間的なものが見当たらないこと(ミッシングリンク)を重視しました。それは、氷河期など地球規模の天変地異が起こり、その後、神が新しい種を創成した証拠だと考えました。
 同じ情報を、ダーウィンは記録の不完全さ、アガシーは種の不在とその後の神による創成と考えました。化石記録の断続性が、両者の大きな論点となっていました。
 アガシーが提示した、中間化石がないこと、化石種の急激な変化は、古生物学や生物進化において、現在でも大きな問題になっているものです。断続平衡説なども提唱されていますが、まだ解決されていません。
 アガシーは、最後まで、進化論は誤りだと主張していました。ダーウィンもアガシーを「非常に優れた観察者」として尊敬していたようで、アガシーの地質学や魚類学のデータを多用していました。ところが、アガシーの教え子たちの多くは、ダーウィンの進化論を受け入れ、アガシーの元を去っていきました。アガシーの信仰による生命誕生や生物進化への考えは、現在では受け入れられていません。
 アガシーの自然への向かい方として、Study nature, not booksという姿勢は重要だと思います。本に書かれていることは、既知のことです。新たな発見は、本にはなく、自然から生まれてきます。
 学生時代、岩石を顕微鏡で観察する授業がありました。1枚の薄片(1×2cmほど)を、何日にもわたって顕微鏡で観察していくことになります。ひとつひとつの鉱物を見分け、鉱物同士の関係(組織)から、その鉱物がどのようにしてできてきたのかということ推定していきます。いろいろなことを考えながらスケッチしていました。連日、目がしょぼしょぼするほど顕微鏡を覗いていました。時間かけたお陰で、代表的な岩石の組織や鉱物を見分けられるようになりました。
 ここでスケッチをするという行為は、線画で描写をしていくことになります。色も白黒の線画となります。スケッチの時には、常に何を省略し、何を重視するのかを考えています。重要な部分は詳細に描いていきます。実際に見ているものとは似てはいるのですが、考えが反映された一種の思索図になっていきます。同じようなことが、野外調査での露頭のスケッチにも起こります。
 この時、自然からの学びが起こっていると思えます。鉱物を見分けること、組織の特徴の学びは、本からの知識が必要です。しかし、スケッチとして取捨選択している時、自然からの学びが反映されていきます。日々、多くの研究により新知見が蓄積され、体系化されいる時代になっています。本から学ぶこと
 Study nature, study books
も重要です。しかし、学んだあとには、既知の知識である本から逸脱して、自然から新しいことを見出していくことこそが重要でしょう。ですから、最後には本から離れて、創造性を発揮しなければなりません。やはり、
 Study nature, not books
となるのでしょう。

・証拠の不完全さ・
アガシーは、スイス出身で、スイスで実績を残した後
1846年にアメリカ合衆国に渡りました。
アメリカでも偉大な科学者として
発言力も大きくなっていました。
そのため、ダーウィンの進化論への反対論者として
大きな発言力をもっていました。
アガシーのような自然観察者が
地層からえられる証拠の不完全さに
気づかなかったのでしょうかね。

・術後の回復期・
9月中は、術後の回復が芳しくなく
体調もすぐれず、安静にしていたの、
ほとんど自宅内で過ごしました。
幸い、妻が元気でいたので
家事や身の回りのことを
すべてやってくれていたので
ゆっくりと養生できました。
感謝しています。

2026年9月15日火曜日

303 仏教哲学 7:縁起

 よく使う「縁起」という言葉には、仏教哲学で深い意味が込められています。縁起は、西洋的あるいは科学的因果関係を、より深く解明していきます。縁起は、固定された実体も否定していきます。そこから何が見てくるのでしょうか。


 「縁起(えんぎ)が悪い」などとして日常的に使っている「縁起」は、仏教哲学で用いられているものです。本来は異なった意味を持っており、仏教哲学では、重要な概念となっています。
 縁起とは、すべての事象は、多数の条件が相互依存の連鎖しあいながら起こっていることを意味しています。詳しく見てきましょう。
 仏教経典には、つぎのような形で繰り返しの言葉で表現されています。
  これがあるとき、あれがある imasmiṃ sati, idaṃ hoti
  これが生じるとき、あれが生じる imassuppādā, idaṃ uppajjati
  これがないとき、あれはない imasmiṃ asati, idaṃ na hoti
  これが滅するとき、あれは滅する imassa nirodhā, idaṃ nirujjhati
わかりやすく、書き直すと、
  Aが存在するとき、Bが存在する
  Aが生成するとき、Bが生成する
  Aが存在しないとき、Bは存在しない
  Aが消滅するとき、Bは消滅する
となります。この内容を、原文の「ある」と「ない」を、「存在する」と「存在しない」に、「生じる」と「滅する」も「生成する」と「消滅する」に置き換えていきましょう。すると、
  原因Aが存在するとき、Bが結果として存在する
  原因Aが生成するとき、Bが結果として生成する
  原因Aが存在しないとき、Bは結果として存在しない
  原因Aが消滅するとき、Bは結果として消滅する
という当たり前の内容になります。Aが原因でBが結果という西洋的な因果関係として言い換えたことになります。
 ところが、このような表現では、仏教哲学でいわんとすることからは、ずれていきます。置き換えとともに、AとBを因果として、一方向的で、線形的な関係と見なすことになります。
 仏教哲学では、AとBの「ある」の関係を、単純化せず、Aが「ある」を、ある時、ある条件がたまたま整っていたために、Bが「ある」になったと考えます。「生じる」も「ない」、「滅する」も同様に、変化する条件の中で一時的に成立した関係と捉えます。つまり、因果の間に、変化する条件を考えることで、相互依存する関係を示してことが読み取れます。
 似た文章を繰り返すことで、条件が常に変化していることや、変化が一方的でなく、相互に影響を与え合うこと、非線形で複雑で、なおかつ現在見えている関係が一時的なこと、と捉えていきます。
 もう少し詳しく見ていきましょう。
 仏教哲学では、直線的な因果関係があるはずという科学的方法論の見方を否定していきます。
 ただし、因果関係を否定するのではなく、複雑な関係を「縁起」の概念を導入して包含してしまいます。因(hetu)と果(phala)を包み込むように、縁(pratyaya)と起(samutpāda)が関与していると考えます。「縁」は、「因」を助け、現象を成立させる条件や契機となるものです。「起」は、生起することで、現象が立ち現れる動的状態を意味します。「縁」とは条件群が静的で、「起」とは条件群によって現象が現れる動的な生成運動となり、異なった意味を持っています。
 仏教哲学では、因果や縁起では、双方向や多方向な関係で、なおかつ相互依存や共起するような、複雑な「網状」構造となっています。因果と縁起も、相互に常に関係しながら変化し、時に生起し消滅していきます。
 仏教哲学のある派(アビダルマ仏教)では、複雑な因果を六因・四縁・五果に分類して詳細に分析していきました。結果を生み出す直接的な原因を六因(能作因、倶有因、同類因、相応因、遍行因異熟因)に分け、因が果を生む際に作用する縁を四縁(因縁、等無間縁、所縁縁、増上縁)に、因と縁によってもたらされ結果を五果(異熟果、等流果、離繋果、士用果、増上果)に分類しました。このような因果に関する考察は、西洋科学では見られない精緻さです。
 変化する条件や関係ができると、「実体」が成立することになります。ところが、実体とは、条件や関係から生み出される二次的なものにすぎず、常に変化している「縁起」の中にあります。独立した実体(自性 じしょう、と呼ばれます)は、否定(無自性)されていきます。自性の否定は、固有の本質となる実体も、変化しない永遠不変や独立した存在(例えば、私の本質など)もないことになり、すべての固定された概念を否定し「無我」や「無常」へとつながります。
 単純な因果関係を否定し、変化し続ける関係であり、変化が先行するので自性(実体)ないことになります。「有か無か」「生か滅か」といった二項対立や分析的な視点を否定することになります。
 自性の否定から、実体は「空(くう)」であることを意味します。条件依存によって成立する「縁起」と、固有の本質(自性)を欠く「空」とは、同じこと意味しています(詳細は、別のエッセイで紹介します)。
 苦の認識からはじまった考察が、複雑な縁起を認めることで、苦が自性がなく空であることにたどり着きます。苦も最終的に空であることを理解するために、実践していくことが、解脱への道となります。
 縁起の論理を、苦の誕生の解明に適用したのが、十二支縁起と呼ばれるものです。苦の連鎖として、無明(根本的な無知・誤認)、行(無明に基づく意志的形成作用)、識(識別する意識)、名色(心と身体の複合体)、六処(六感覚器官)、触(感官と対象の接触)、受(快・不快・中立の感受)、愛(渇愛・欲求)、取(執着・固執)、有(存在への傾向)、生(誕生・再生)、老死(老い・死・苦しみ)を考えました。
 なんらかの条件によって生じた「苦」は、条件を変えることで変化させられるという論理が、解脱の可能性を提供します。特に、無明→行→識の連鎖を断つことが、解脱においては重要になります。
 この縁起の考えを、冥王代前期に転用していくと、次のような展開になるのではないでしょうか。
 宇宙誕生、銀河の誕生、恒星の誕生など、さまざまな因果や縁起によって、地球誕生へとつながっていきます。さまざまな「因」により「起」として地球誕生に至ります。さらに、誕生直後の地球を「因」として、縁や起がからみ合い、冥王代前期の地質学的変化が進行していきます。地球誕生まで、そして冥王代前期が、たとえ不可知の領域であっても、因果と縁起の概念の適用というメタ的論理が導入可能ではないでしょうか。
 地球誕生までの条件は変動していますが、他の学問分野の知見やモデルなどを導入することで、ある程度把握できます。それぞれの条件が異なれば、さまざまな地球が誕生していきますが、その中で「現在の地球」が「起」として固定されていきます。そして、その「起」とした地球を「因」として、「縁」と「起」が作用することで、検証可能な太古代の地球へと達します。このような考えを進めていけば、不可知領域を攻めていけるのではと考えています。まだまだ思索不足なので、もっと深く考えていこうと思っています。

・仏教用語・
仏教用語は、日本の日常語に多数入っています。
因果も縁起という言葉も、よく使われています。
「縁起が悪い」は、何が出来事があった時、
不幸や災いなどをもたらす
前兆や予兆に思えることで、
日常生活における不吉なジンクスです。
今回紹介したように、
縁起とは因果に深く関わった
複雑な内容をもった概念でした。

・防災・
最近警戒レベルが5段階に整理されました。
9月になって日本各地で大雨での
警戒レベル4や5の警報が
何度も出されることになりました。
河川や道路など整備が進められ
かなりの災害は防止できるはずなのですが
それでも災害は起こります。
これは、いたちごっこのようです。
自然は人間の想像を越えてきます。
防災は費用がかかります。
費用の限界が防災の限界となります。
現在の警戒は、早めの避難を促すものなっています。
災害からの最大の対処は、
可能な限り危険からは離れるしかありません。
それが最大の防災となるのでしょう。

2026年9月1日火曜日

302 岩石は嘘をつかない

 地質学の格言に「岩石は嘘をつかない」というものがあります。この言葉には、地質学が宗教的呪縛から逃れるための歴史がありました。この言葉が生まれるまでの背景をみていきましょう。


 西洋の科学の歴史と宗教の関係を考えています。近世ヨ―ロッパでは、ルネサンスや宗教改革を経て、ベーコンの帰納法やデカルトの演繹法などの科学的方法論が確立されてきました。自然科学、特に物理学の発展、そして生物学では進化論がでてくるような科学革命が起こってきました。
 同じ時期、地質学でも重要な発見が起こっていました。聖書の記述とは異なった長い時間の経過があったことを野外観察から気づいた地質学者たちがいました。例えば、18世紀後半、スコットランドの地質学者ハットン(James Hutton)は、現在起こっている自然現象は過去にも起こっており、その積み重ねが過去の地質学的変化を起こしてきたと考えました。
 例えば、現在の川が氾濫して、100年に一度の大洪水が起こると、河原の景色や川の形が大きく変わることがあります。洪水が持ち去った土砂は海に流れ込んでいったはずです。大量の土砂が海底に流れこんで、一層の地層になるはずです。長い年月を経れば、何層もの地層ができ、やがて固まり岩石になります。さらに長い時がたてば、場所によっては、地層が持ち上げられ、陸になり、山となることこともありました。山となった地層は、侵食を受けて、露頭となって目に触れるようになります。
 このようなシナリオを、多くのひとは当たり前だと思えます。その背景には、現在起こっている自然界での作用が、昔も同じように起こっていたという、「現在は過去を解く鍵」と呼ばれるに考えに基づいてなされています。このような考え方は斉一説(uniformitarianism)と呼ばれるものでした。
 西洋で斉一説が認められるに当たり、宗教との激しい論争がありました。聖書では、ノアの洪水のようは短期間に起こった天変地異が書かれています。それで大地での大きな現象は説明されてきました。また、聖書には、地球や生命のはまりの物語として創世記があり、そこでは地球や生命の創世にかかった時間が記されています。
 その創世の時期は、現在までは、聖書の記述に基づいて計算できます。アッシャー大司教のものが有名で、キリスト誕生から 4004年前とされており、他にも何人かの人が計算しています。長い計算でも、1万年に満たない年代となっていました。
 ところが、地質学の斉一説で自然現象をみると、地層の形成から陸地での地層の侵食までの時間として、1万年程度の時間では、決してできそうもありません。ハットンは、1788年の論文に、
The result, therefore, of our present enquiry is, that we find no vestige of a beginning, - no prospect of an end.
(したがって、我々の現在の探究が導き出した結果は、はじまりの痕跡も見当たらず、終わりの見込みもない、というものである。)
と書きました。そこで述べたかったことは、地層(地球)の形成がいつはじまったのかの証拠すら見つからないほど古く、地層形成プロセスが、いつ終わるともわからず、未来にも続いてくように見えると、ということでした。
 その後、この論文は、1795年に2巻の書籍として出版されました。ところが、このハットンの論文も著書も、文章が難解で回りくどく、長文であったため、重要性が多くの人には伝わっていませんでした。それを残念に思ったプレイフェア(John Playfair)は、ハットンの思想をわかりやすく解説した書籍を1802年に書いたことで、その内容が広まっていきました。
 プレイフェアは本の中で、地球の歴史の考察は、宗教教義に基づくべきないと主張し、
The record of the past is written in the rocks; it is a history which we are to read, and not a fable which we are to invent.
(過去の記録は岩石の中に書かれている。それは、我々が読み解くべき歴史であって、我々が捏造すべき寓話ではない。)
といいました。続いて、
In the language which nature employs, the characters are indeed plain and intelligible, but the grammar is yet to be fully understood; and it is from the study of the phenomena themselves, that we are to learn the rules which they obey.
(自然が用いる言語において、その文字は実に明快で理解しやすいものであるが、その文法はまだ完全には理解されていないし、我々が従うべき法則を学ばなければならないのは、現象そのものの研究からである。)
これは、自然のcharacters(文字:地層の重なりや特徴のこと)は観察すれば、わかりやすいものです。しかし、表面に出ていないgrammar(文法:自然法則でここではハットンの示した地質法則)はまだわかっていません。法則は、現象そのものを研究(the study of the phenomena themselves)をしなければならないといっています。
 ハットンもプレイフェアも、地質学現象の法則は、過去の歴史は岩石の中に書かれているので、それを研究していくべきであると、主張したのです。そこから、「岩石は嘘をつかない(Rocks do not lie)」という言葉が生まれました。
 アメリカの地質学者マッキー(Edwin D. McKee)は、地層が地球の歴史を記録していることを、「人間は嘘をつくが、岩石は嘘をつかない。ただ、人間がその読み方を誤るだけだ」として説明していました。同じくアメリカの地質学者のスピーカー(Edmund Maute Spieker)も、いくつかの論文で、この言葉を用いています。
 アメリカの地質学者モンゴメリー(David R. Montgomery)は、2012年に著書のタイトルで、"The Rocks Don't Lie: A Geologist Investigates Noah's Flood"(岩は嘘をつかない:地質学が読み解くノアの洪水と地球の歴史)を出版しています。この中で、岩石が語る真実を聞き入れれば、人の物語の背景にある「現実の驚異」を知ることができる、といっています。そして、科学と信仰は必ずしも敵対するものではないとも考えています。
 斉一説は、過去の現象を探る上で強力な武器ですが、それより優先すべきは岩石に書かれた文字を、読み取ることです。なぜなら、岩石は嘘をつかないからです。

・涼しい夏・
いよいよ9月になりました。
今年の北海道では、
夏の暑さをあまり感じることは
ありませんでした。
昼間暑い日があっても、
夜になると涼しくなりました。
夜も暑て窓を開けていたのは2、3日。
また、エアコンをつけたのも2、3日。
北海道以外では、
猛暑や酷暑の話題が多かったのですが、
今年の夏は過ごしやすくて助かっています。

・術後・
8月上旬に手術を受けてから、
そろそろ1ヶ月がたとうとしています。
人によって治癒の時間は
異なっているそうです。
1ヶ月から長ければ3ヶ月かかるとのことです。
今後も体調が戻るまで
無理せずに過ごすしかないようです。
9月中旬に出かける予定でしたが、
それも中止しました。
健康にもどることを優先しましょう。

2026年8月15日土曜日

301 仏教哲学 6:無常と無我と涅槃

 仏教哲学の重要な概念に「三法印」というものがあります。三法印を知ることは、仏教哲学の方法論と論理構造の理解にも通じています。多様で深い思索が巡らされています。三法印を紹介していきましょう。


 ここまで仏教哲学の全体像をみてきて、苦からはじまる理由と、苦からどのように解脱していくかの考え方を紹介してきました。次に、仏教哲学の教えの正しさを証明していく、三法印(さんぼういん)と呼ばれる方法があるので、その内容を見ていきましょう。
 まずは、「三法印」の意味をみていきましょう。「三」とはもちろん3つあるということで、「法」とは教えや論理(ここでは仏教哲学の思考法)のことで、「印」とは論理の正しいさの証明や保証のことです。つまり3つの論理で正しいことを証明しているというこです。これは、仏教と他の宗教とを区別する基準となり、仏教哲学におけるもっとも重要な概念ともなります。
 その3つ「法印」とは、諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)と、簡潔に表現されています。順番にみていきましょう。
 まずは、「諸行無常」からです。「諸」は「あらゆるもの」で、「行」はすべての「因(直接的な原因)」と「縁(間接的な条件)」が組み合わさって形成されたもので、この世のあらゆる現象を指します。行には、「変化」自体が本質的に含まれていることになります。「諸行」とは、この世や宇宙のあらゆる現象や物質的、精神的(感情、思考、経験など)な存在と、その変化していく存在となります。
 「無常」とは、すべての存在は固定した実体を持たず、絶えず変化し続けるということです。変化は刹那(せつな)ごとに生滅を繰り返しているため、永遠に変わらないものは何一つなく、「常(永続するもの)」などないという意味になります。
 抽象的でわかりにくいかもしれません。ある「行」(Aとしましょう)が存在するとします。その行Aは、なんらかの条件によって形成され、存在していることになります。これを「縁起」と呼びます(その詳細は次のエッセイで紹介します)。しかし、条件は永続することなく、変化しても、見方(時期、期間、場所、価値観など)を変えても、行Aも変化し続けていきます。これが「無常」ということになります。無常を認めることで、固定した状態・本質・実体は存在しないという考えが生まれ、「永続」という概念が解体されます。有為法(ういほう)とも呼ばれます。
 次に、「諸法無我」です。「諸法」では、「諸行」が拡大されていきます。「諸行」では、条件によって形成された行(有為法)をみていきました。「法」とは、「行」よりもっと広く、この世に存在する有形や無形のすべて、さらに形成されていない法へも適用される概念です(無為法 むいほう)。
 変化しない永続する自己(アートマン)、他に依存しない独立した自己、制御の主体としての実体のある自己などを、法では否定します。これは、ウパニシャッドのところで述べた、自己の否定につながります。ただし、自身の経験そのもの、因果が連続しているということは否定しません。それが、「無我」の概念になります。
 自己を五蘊(うん)として、色(しき)、受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)という要素に分解してきます。「色」とは肉体・物質的要素、「受」とは感覚・感受作用、「想」とは概念・表象・知覚、「行」とは意志・心の形成作用、「識」とは意識・認識作用のことです。五蘊はすべて条件に依存して変化しています。自己とは、一時的に集合したの中心にあるものなのですが、「変わらぬ自己」などというものはなく、「無我」になります。
 「無常」と「無我」は、独立したものではなく関係しています。あらゆる行が無常なら、行Aが変化するのも無常です。変化するものは固定された本質を持たず、固定した本質がなければ「永続する自己」もないので、無我もないということになります。
 最後に、「涅槃寂静」です。「涅槃」とは、苦しみを生み出す原因(煩悩)が消滅し、解脱した状態を意味します。苦しみを生み出す原因となる渇愛が消え、欲しいものへの執着がなくなり、嫌いなものへの嫌悪がなくなり、無知や迷いの無明であることもなくなり、安らかな涅槃に至ります。
 涅槃に至ると、静かで、安らぎや平和な「寂静」になります。寂静は、虚無の状態や死を意味するのではなく、感覚・知覚・思考・経験などは保たれます。苦しみの原因となる執着から完全に自由になった状態を表しています。涅槃寂静は、仏教が目指す究極の状態で、目標としています。
 仏教哲学は、苦の認識からはじまります。苦の観察から、条件に依存して変化していく「諸行無常」と捉え、固定した実体となる自己も存在しないという「諸法無我」へと洞察を進めていきます。
 これらの三法印の過程を、実践的に体感することで、自己への執着が消え、渇愛の根拠が解体され「涅槃寂静」が現れてきます。この実践によって体得することこそが、仏教哲学の方法論になっていきます。
 仏教哲学は実践をともなうので、基本的に個人で成し遂げるべきものです。それを重視したものが上座部仏教になります。一方、悟った人が、他人の苦の救済していくことが大乗仏教になります。その思想をわかりやすく体系化したものが、いろいろと生まれてきて、いくつもの宗派となっていきます。
 仏教哲学では、自身の経験(苦)から課題設定(諸行、諸法)をはじめ、課題の探求(無常、無我)して、解体(解脱)するという実践的方法論を示すことによって自己解決(涅槃寂静)していきます。論理的で、実践まで含んだ哲学的方法論は、稀なものでしょう。
 冥王代は、直接的な物質的証拠が失われ、固定的な実体を捉えることが不可能な時代です。実体を求めて苦悩していくことになっていきます。仏教哲学の三法印という諸行無常、諸法無我、涅槃寂静への方法論は、冥王代の不可知領域に対しても適用できそうです。
 多様な条件が提示された状態(行)が過去にはあり、その時々に自然が繰り返し選択してきた結果(行)が、「現在」をつくっています。また、太古代から現在までの可知領域も、変化しており(行)、可知領域にも不可知が混入しています。そんな不可知が混在している時代は、地球表層環境の変化や流転のプロセスを「無常」と捉えられます。
 固定された起源モデルや、可知という前提でつくられた科学的方法論(諸法)への執着を「無我」として解体していく視点も必要でしょう。そのような視点に立てば、不可知は、無数の条件が織りなすシステム全体への「縁起」と捉えていくことができます。
 すべてを解き明かすことに執着するのではなく、不可知、つまり知の限界を受容していく必要もあります。仏教哲学は、科学的方法論の限界に立った時、その立ち位置を考えていく指針となりそうです。

・仏壇・
お盆となりました。
我が家には、仏壇が備え付けでありました。
しかし、仏壇内には仏像も位牌はありません。
我が家で亡くなった人はいないからです。
ただし、母と義母の遺影が
置いてあります。
お盆になると仏壇に
遺影の前に
花をお菓子をお供えします。

・お盆・
お盆には、長男が
会社の休みをとって
帰省することが恒例になっています。
ただし、帰省には、
夏フェスにいくという目的もあります。
毎年のことなので、
こちらもそのつもりでいます。

2026年8月1日土曜日

300 帰納法のカノン:科学と人間

 帰納法は、現在の科学的方法論として、当たり前に使われています。この方法は、誰がどのようにして思いついたのでしょうか。その方法は、現在の科学が使っているのと同じでしょうか。


 アリストテレス(Aristotelēs, 前384 - 前322)は、個別の事例から普遍的な結論を導くことを、エパゴーゲー(epagoge)と名付けました。これは帰納法の概念となりますが、アリストテレスは三段論法(演繹法)の「前提」を見つけるための補助手段としました。
 イギリスのベーコン(Francis Bacon, 1909 - 1992)は、「新機関(Novum Organum)」(1620)によって、観察による事実(経験)の収集の重視する帰納法を提案しました。観察をすれば、そこから自ずから規則性が見えてくると考えました。
 イギリスでは、経済学でベンサム(Jeremy Bentham, 1748-1832)の「最大多数の最大幸福」という「功利主義」の考えが生まれました。ミル(John Stuart Mill, 1806-1873)は、功利主義を継承しながらも、量より質を重視する「質的功利主義」を提唱しました。功利主義を洗練させただけでなく、自由主義(危害原則)や民主主義(女性の参政権や権利の平等)の基礎も築いていきいました。
 ミルの「論理学体系(A System of Logic)」(1842)において、帰納法を方法論として洗練させました。
 これまで、アリストテレス以来の伝統的な論理学は、三段論法を代表とする普遍的な前提から結論を導く「演繹法」が重視されていました。しかし、ミルは、演繹法には限界があると考えました。なぜなら、演繹法は、「記憶の整理」に過ぎず、既知の内容しか生まれず、新知見はえられないとしました。創造性や新規性は、個別のデータから法則を導き出すという「帰納法」から生まれるとしました。
 ミルは、現象の原因を特定するために論理的な方法を提案しました。ミルは、みずから「帰納法のカノン」と呼んでいます。カノン(Canon)とは、音楽用語にもあるのですが、もともとギリシャ語で「ものさし」や「基準」という意味があります。ミルは、この方法は、「踏み外してはならない厳格な規律」と考えました。
 自然界には「同じ原因は同じ結果を生む」という自然の斉一説があり、それを探るために、帰納法には、客観性があり、科学的厳密性をもっているとしました。帰納された法則性(仮説)を演繹する(仮説演繹法)ことで、検証することができます。そのため演繹法より帰納法が、有効だと考えました。
 ミルは、仮説を発見した後、その仮説を証明していくプロセスとして、カノン(規律)として、5つの方法が示しました。一致法(Method of Agreement)、差異法(Method of Difference)、併用法(Joint Method of Agreement and Difference)、剰余法(Method of Residues)、共変法(Method of Concomitant Variations)です。少し詳しく見ていきましょう。
 一致法とは、共通の要因を見つけることで、原因となる必要条件を探すことです。差異法とは、相違点を見つけることで、原因となった十分条件を探すことで、ミルはこの方法を「最も強力な方法」と考えました。併用法とは、一致法と差異法を併用することで、因果関係の信頼性を高めていきます。剰余法とは、既知の原因を除外して、残った現象の原因を調べていきます。一種の還元主義的な方法ともなります。最後の、共変法は、変化の相関を探していきます。因果関係の有無ではなく、因果の程度を調べていきます。
 こうしてみていくと、現在科学的方法論とされているものが、「帰納法のカノン」に要約されているように見えます。しかし、帰納法のカノンにも限界があるとの指摘もされています。
 例えば、現象に実は複数の原因があった場合、最初に適合した原因を単一のものと見誤ってしまう可能性があります。また、観察に基づいているので、観察されない隠れた要因は発見できず、不完全な結論になる可能性があります。相関関係が見えたら、それを因果関係と見なしてしまい、相関と因果を混同した誤認を起こすこともあります。
 このような限界は、現在の科学にも起こっている問題となります。多変量解析などの統計学や実験計画などを厳密に立てて、このような問題を起こらないように進められています。ただし、定量化、統計的扱いができない対象やテーマもあり、すべて解決されるわけでもありません。
 現在の科学的営みを遂行していく上で、科学的方法論は、なくてはならないものです。その方法は、帰納法と演繹法を長所を組み合わせた仮説演繹法になります。この方法は、両者の弱点もそのまま引き継いでいます。
 帰納法では「真偽」を完全には示せません。なぜなら、自然界には調べられたない領域や場所もあり、すべて網羅して真とは示せないからです。演繹法は、法則の正しさを検証で示したり、適用範囲を示すことはできますが、それ検証された範囲外までの正しさを示すものではなく、「すべて」を示したわけでありません。そして、その法則以外ものを新規に創造することはできません。ですから、仮説演繹法でえられた結果は、どんな法則、原理と呼ばれるものであったとしても、「仮説」にすぎません。仮説を否定するような反例がでてくれば、修正が必要になります。
 「帰納法のカノン」で生じる問題は、人間が犯しがちな過ちでもあります。科学者も人間ですから、ア・プリオリな特性として、犯してしまうのです。なかなか回避できないものです。つまり、すべての科学は、不完全な人間による、不完全なる方法による仮説の上に成り立っていることになります。

・涼しい7月・
8月になりました。
北海道は、7月は比較的涼しい日がつづきました。
夏に備えてエアコンを準備していたのですが、
結局7月中は使うことはありませんでした。
せいぜい、夕方、扇風機を使う程度ですみました。
夜は、窓を開けていると寒いので閉めて
肌がけをかけて寝ている日が多かったです。

・入院中・
月曜日から、入院して手術を受けます。
手術時間は短いのですが、
術後の様子を見るために、
1週間ほど入院することになります。
急ぐ手術でもないので
いつでも予定を組むことができました。
授業のない夏休み期間にすることにしました。
少し、のんびりしてこようと考えています。

2026年7月15日水曜日

299 仏教哲学 5:苦からはじまる

 仏教には宗教的側面だけでなく、哲学的側面があります。この哲学的側面に大いに刺激を受けました。非常に奥の深い思索が繰り広げられ、緻密な論理が構築されています。


 仏教(哲学)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が、一人で創設したものです。体系化は後の弟子たちが進めていきましたが、紀元前6から5世紀ころに、このような深い思索体系や方法論にたどり着いたとは驚きです。以下では、仏教の思索を、西洋哲学に対比するために、仏教哲学と呼びましょう。
 西洋では、ユダヤ教を源流とするキリスト教が、主流の宗教となっています。キリスト教において、神の存在が出発点となります。神が存在し、与えられた啓示を真理として信仰していきます。一方、西洋では、古代ギリシアの時代から、理性を重んじる思索の潮流もありました。両者が相まって、神を理性で基礎づけるため、神の存在を論証しようともしてきました。啓示を前提として、神の存在を証明していく探求は、信仰と理性の境界のせめぎ合いとなり、解決されないまま残ってきました。
 近世になると、デカルトの合理主義による近代的な哲学が生まれてきました。デカルトは、疑わしきものをすべて排除して、最終的に残ったのが「我思う故に、我あり(cogito ergo sum)」となりました。cogito ergo sumを公理として、演繹的論理を重ねて、体系を構築していこうという姿勢です。デカルトには、「経験」は疑わしく、「理性」こそが信頼できるものと考えました。
 イギリスでは、ベーコンが観察、実験、感覚など「経験」を重視する哲学的立場をとりました。人とは、「白紙」の心をもち、感覚的な経験から帰納していくことで、知が形成されるとしました。
 近世になっても神に存在証明は大きな課題となっていました。17世紀のパスカルは、場合分けで合理性を追求して信仰が選ぶことが確率論的に正当だという論証を示しました。カントは神の存在を批判し、理論や理性による神の証明は不可能だと主張しました。ただし、道徳的実践の条件として神へ存在が要請されるとしました。
 西洋の思索では、いろいろな論争がありましたが、正しいもの、あるいは真実が存在していると考えて、そこに向かって進んでいることは一貫していした。帰納法と演繹法、それを組み合わせた仮説演繹法という科学的方法論を用いて進められました。ただし、結論をえやすくするため、還元主義という因果関係を単純化していく方法をとりました。この方法では、真理には誰もがたどり着けると考えました。神の存在証明も、その方法論を用いていました。
 仏教哲学は、「苦」を出発点とします。仏教哲学が苦からはじめるのは、すべての人が苦を経験していることから、確実に存在し、否定できない事実として認識できます。これは、デカルト的理性の公理とも、経験論的ともみなせます。苦は、普遍性を持ち、因果関係を持っているので、その関係を明らかにすることで、苦からの解放を目的とします。苦の解放は、すべての人に適用でき、最優先すべき目的となり、解決のための論理体系や過程も普遍的になります。
 仏教では、苦を階層化して区分しています。基本的な苦として、生まれること、老化、病気、死への恐怖という「四苦」があり、身近で表層的な苦(苦苦、くく)があり(第一層)、次に楽しみや幸せが失われという変容によって起こる苦しみ(壊苦、えく)として、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)があり(第二層)、そしてもっとも深層にある根源的な苦(行苦、ぎょうく)があるのですが、自覚しにくいものになります(第三層)。
 これらの苦から脱却するための方法として、四聖諦(ししょうたい)というものがあります。苦を滅するための実践法(八正道)が「道諦(どうたい)」となります。「聖」とは、「聖者」や「超えた者」という意味で、「諦」とは日本語では「諦(あきら)め」ですが、本来の意味として「審(つまび)らかに見る、観察する」などの意味を持ちます。四聖諦とは、苦という事実を認める苦諦(くたい)、「執着(渇愛)」が苦の原因と知る集諦(じったい)、執着をなくせば苦は消滅する「滅諦(めったい)」となり、それこそが「悟り」となります。
 「苦」というだれもが経験して認識できる課題を出発点にして、「集」として苦の原因を特定し構造的に解体していき、「滅」という解決法を提示し、「道」という解決のための実践の手順を示し、実践すれば悟りに至れるという方法論を示しています。実践過程で、仏教哲学として新しい概念を生れてきます。「自己」を「縁起」の中で、「無常」や「無我」への境地へと向かい、苦からの「解脱」となり、「悟り」、涅槃に至ることになります。
 仏教哲学では、苦から悟りへという手順が示さ、それぞれの人がそれを実践をしていくことが重要になります。仏教哲学の他の宗教と異なる点は、論理的方法論であるだけでなく、実践によって課題解決まで至るところです。このような世界観や方法論は。西洋哲学、西洋宗教にはない特徴だといえます。
 仏教哲学の思考法は、地質学や自然科学の不可知領域へ、どのようにして適用できるのでしょうか。冥王代前期は「証拠の欠如」のため「検証不能」になりました。「証拠の欠如」や「検証不能」は、現時点での状態にすぎす、今後「証拠の存在」や「検証可能」へと変化が起こるかもしれません。さらには、自然科学の不可知領域は、科学の方法論自体の欠陥というより本質なものかもしれません。これについては、今後考察を深めていこうと考えています。

・悟りから宗教へ・
仏教は、非常に人に身近なものを
中心テーマにしており
それをどのように解消していくのかの
方法を提示しています。
ただし、方法の提示であり、
だれもがそれを実践でき、
解消できるとは限りません。
そこで、実践によって克服できた先達の
指導を受け、教えを請うなどという
宗教的色合いが生まれてきます。

・今年の夏は・
本州や九州では、暑い日が続いているようですが、
北海道は、どんよりとした日が続いています。
なかなかスッキリとした夏空にはなりません。
毎日のように、いずれかの時間帯で
曇ったり、雨が降ったりで、
湿気も多い日が続いています。
気温は25℃を越える夏日となっていますが、
朝晩はひんやりとして
比較的快適に過ごせています。

2026年7月1日水曜日

298 時間の作品:一般と個別の博物誌

 ビュフォンは「博物誌」で、その正式な書名はあまり知られていませんが、そのタイトルにこそ、ビュフォンの意図がありました。著作では、意図を実践し、普及しようとしていました。「博物誌」はその結果だったのです。


 フランスの博物学者のビュフォン(Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon, 1707 - 1788)は、「博物誌」の著者として有名です。「博物誌」と呼ばれているのですが、正式な書名は、ラテン語で
 Histoire naturelle, générale et particulière
 (博物誌:一般と個別)
となっています。
 1749年から1767年にかけて、何名かの協力者とともに、最初の15巻が刊行されました。続く7巻は、1774年から1789年にかけて編纂されました。ビュフォンは、1788年に死去しているので、彼が直接関わったのは36巻になるのですが、没後にも続編が出版されました。すべて含めると全44巻になります。しかし、それでもまた完成ではありませんでした。ビュフォン自身は、全50巻を予定していたそうです。
 ところで、この書名にある、「一般と個別」とは何を意味しているのでしょうか。これは、博物誌をどのような視点で編纂していくかという方法論を直接表しているタイトルとなっています。
 「一般(générale)」とは、個別を超えた自然界全体の仕組みや歴史を意味しています。地球の理論や、生命の根源などを自然を貫く大きな物語(歴史)として、一般論を第1巻から第3巻で展開しています。
 「個別(particulière)」とは、世界中から集めた標本や情報を、個々の種を精査して、膨大な図版とともに具体的に記述しています。第4から15巻では四足獣(哺乳類)を、第16から24巻は鳥類を記述しています。これら21巻を使って、膨大なる個別の記述をしています。
 そして、補遺(7巻)でも、個別の記載の追記(補遺第3、4、6、7巻)をしていますが、再度、一般(générale)への回帰しています。補遺第1巻の「自然に関する諸事象」として、光、熱、空気などについての理論を、補遺第2巻の「地球の理論への補足」として初期の「地球の理論」をさらに深く考察しています。
 「博物誌」では、出版の順番な入り組んでいますが、多くの個別の記載(つまり証拠)をもとに、そこから「一般」を抽象して普遍的な法則を見出していくという方法論をもちいています。非常に科学的な態度だといえます。「博物誌」が目指すところは、地球と生命の歴史を、膨大な証拠から、普遍的な理論体系をつくろうという壮大なる構想でした。
 補遺の第5巻で「自然の諸時期(Les Époques de la Nature)」がビュフォンの死亡した1778年に出版されています。彼の思想が最も凝縮されているため、有名な巻となっています。この書に冒頭で、
「世界のアーカイブ(古文書保管庫)を捜索し、大地の内懐から古いモニュメント(記念物)を引き出し、その破片を集めなければならない。」
といっています。ここで、地層や化石などの破片は、過去を記録したArchives du monde(世界のアーカイブ)と見なし、それを集めで過去のモニュメントを構築していこうという意図を述べています。そして続けて、
「自然のさまざまな時代へと我々を遡らせてくれる物理的変化のあらゆる形跡を、一つの証拠体系へとまとめ上げる必要がある。これこそが、空間の広大さの中にいくつかの地点を定め、永遠なる時間の道筋の上に、ある程度の数のマイルストーンを置くための唯一の方法なのである。」
 「物理的変化のあらゆる形跡」たる「個別」が、長い時間の中で、証拠となります。それらが膨大な「個別」の中で、重要なマイルストーンを見つけて、体系化し「一般」化していきます。それこそが唯一の方法だとしています。
 ビュフォンはこの書で、地球の歴史を7つの時期(Époques)に分けました。旧約聖書を模しながらも、その中身は科学的に物理的な変化を記述しています。
 第一時期:太陽への彗星の衝突で地球や惑星が形成
 第二時期:物質が凝固し灼熱の地球の核を形成
 第三時期:冷却後、水が地表を覆い最初の海洋生物が誕生
 第四時期:水が引き、火山活動の活発化
 第五時期:熱帯性動物はかつては温かかった北方にいた(化石の証拠より)
 第六時期:大陸が分離し現在の配置へ
 第七時期:人間が登場し自然を支配・利用
「自然の諸時期」では、各時期の中で、太陽系や地球の起源や年齢(7万5000年と推定)など、宗教にとらわれることなく、科学的に仮説を進めています。
 そして有名な
 La Nature est elle-même un Ouvrage de temps.
 (自然それ自体が、時間の作品である。)
という言葉が記されていきます。これは、自然は、時間が作り上げたもので、神の創造物ではないと宣言しています。さらに、生物は環境の影響を受けて変化(変異)すると考えていました。これは、80年ほど後のダーウィンの進化論(1859)へと繋がる考えにもなります。
 地球創成のシナリオやその時期、また生物の変化(進化)など、教典の示しているものとは明らかに異なって見解をもっていました。つまり、科学を宗教的束縛から切り離そうと意図していました。
 ビュフォンの「博物誌」を用いて、個別から一般という科学的方法論を、実践して示しています。この方法論を用いることで、自然は長い時間が作り上げたという自然観も打ち立てました。その構想は、壮大で、膨大で、一生をかけても終わらず、死後も共著者たちの協力をえて出版されましたが、完結をみることはありませんでした。しかし、ビュッフォンの志は、著作に残っていました。

・科学的方法論・
現在の科学的方法論とは、
データをもとに規則性を帰納していきます。
この規則を作業仮説を演繹して、
他のデータで検証していきます。
これら帰納と演繹を組み合わせた方法は
仮説演繹法と呼びます。
現在、すべての科学は
この方法を用いて進められています。
帰納法には創造性、新規性があり、
演繹法には検証性があります。
ところが、欠点もあります。
帰納法による規則は、
自然界すべてを対象(全称命題)にしているはずですが
実際には一部しか用いていないので
調べていないデータに
規則に合わないものがあるかもしれません。
つまり普遍的に適用できないので仮説にしかなりません。
演繹法には、新しいことを見いだせず、
確かめるしかできません。
ですから、すべての科学の説は仮説でしかありません。

・危険視された思想・
ビュフォンは、科学革命が起こり、
啓蒙思想が起こりはじめていたのですが
まだ宗教的権威はありました。
ビュフォンは、地球誕生の時期は聖書より遥かに古いことや
生物における進化も主張していました。
そのため発言を撤回させられました。
キリスト教がまだ力をもっていた時代だったので
ビュフォンの思想や発言は危険視され
実際に糾弾もされました。
そのため撤回声明を出さざるえませんでした。
しかし、信念を変えたわけではなく、
慎重に発言をしていくことになってきました。