2026年5月15日金曜日

295 仏教哲学 3:口頭伝承

 人の記憶には、曖昧なところが多々あります。記憶は、変容したり、脚色されることもあります。一方、鮮明に覚えていることもあります。記憶には不確かさと、確かさがあるようです。


 仏教は、釈迦(しゃか)が創始したとされていますが、これまで一次史料がなく、釈迦が架空の人物という説もありました。紀元前6世紀(あるいはそれ以前)に、存命していたという文献がありましたが、その真偽も不明でした。ところが、その文献に記載された史跡が発見されたことから、実在していたと考えられるようになりました。没年も確定していないのですが、紀元前486年とする説が有力なようです。ここでは、釈迦の存命期間を、紀元前565年から紀元前486年だという説に従いましょう。
 釈迦は、シャカ族の王子として生まれたのですが、29歳で突然出家しました。6年間の苦行をして、35歳の時に、菩提樹の下で瞑想をしているとき、解脱して「ブッダ」となりました。その後、満79歳までの45年間、教えを説き続けました。
 釈迦自身は、何も書き残しておらず、自著の文献はありません。多数の弟子がいたのは確かで、釈迦の行動や教えは、人を惹きつけるものがあったようです。釈迦は、何を悟り、何を語り、何を伝えようとしたのでしょうか。それを、どう探っていけばいいのでしょうか。
 釈迦が弟子たちに語ったことを、弟子たちが教えとして覚え、代々口頭伝承で伝えていました。古代インドでは、教えを丸ごと聞いて覚え、人に伝える時も、覚えたままを唱えて伝えるという口頭伝承の形式で残されました。そのため、釈迦の教えは、論理的な形式を持っていませんし、体系だってもいません。中村元訳の「ブッダのことば:スッタニパータ」の解説によると、弟子たちは、釈迦の教えを「簡潔なかたちでまとめ、あるいは韻文の詩のかたちで表現」しました。暗誦しやすい形にすることで、「そのまま」「後世に伝えられた」としています。
 釈迦の死(入滅)の三ヶ月後に、500人の弟子たちが教えを保存するために集まりました。これを第一結集(けつじゅう)と呼んでいます。師の教えを、弟子は詩の形式にして、一語一句すべてを記憶していました。第一結集で、全員で釈迦の言葉の記憶を確認して、教えを固定しました。
 第一結集の約100年後に第二結集があり、さらに約200年後に第三結集がありました。そして、紀元前1世紀頃(紀元前29〜17年頃)に、スリランカでパーリ語(サンスクリット語に近い中期インド語)で文章化されました。それまで、350年という長い期間を、口頭伝承として伝えられたものが、文章化され、教典となっていきました。
 パーリ語の仏典として、上座部仏教の「南伝大蔵経」があり、日本語訳されています。南伝大蔵経は、経蔵、律蔵、論蔵の「三蔵」からなり、全65巻(70冊)からなります。「経蔵」は、釈迦の説法や弟子との対話が記録されています。「律蔵」は、戒律や規則の記録です。「論蔵」は、後の人によって、経典の内容を体系的、哲学的に分析され整理されたものです。
 さて、西洋でも、古くから、師の思想や信念は、弟子たちが口頭伝承の形態で残すということはされていきました。ソクラテスは何も書き残さなかったのですが、プラトンが著書として残しました。プラトンの記憶と言語化というフィルターを通していますが、ソクラテスの存在や思想が、後世に伝わりました。プラトンの著書から、後世の多くの人が、ソクラテスの思想を学ぶことができました。
 他の宗教でも、口頭伝承が用いられています。例えば、ムハンマドの死後、クルアーンの文書化まで20年ほどの期間があります。イエス・キリストの死後、最初の福音書(マルコ)ができるまで、40年ほど口頭伝承の期間があります。その後、パウロ、アウグスティヌス、アクィナスたちがキリスト教の体系を構築していきました。
 いずれも、師(神)の考えや教えを弟子(預言者)たちが記憶し、後に教義や思想として体系化するという過程を経ています。口頭伝承が古代の教えの伝承として、当たり前の方法でした。
 字を持たない文化では、人の記憶が社会的制度、あるいは記録装置として機能していました。例えば、日本の古事記も、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた内容を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録・編纂したとされています。ただし、古事記の場合は、稗田阿礼が卓越した記憶力を持つとされていました。数万行にわたるホメロスの叙事詩や、インドのヴェーダも何千年もの間、一語も間違うことなく暗唱され伝えられています。口頭伝承の内容が、記録文章と一致することは確認されています。現在でも、イスラム教のクルアーンの暗誦が実践されています。
 口頭伝承は、記憶に、間違いや覚え違いが生じないのでしょうか。また記憶は、時間が経てば、多くの人を経由することになり、伝言ゲームのように、信頼性が落ちていくのではないでしょうか。しかし、これまで見てきたように、いろいろな思想や宗教、多様な文化で、口頭伝承が実践されてきました。口頭伝承には確実性のあることが実証されています。
 文字としてなんらかの物質を記録媒体(粘土板、石、皮、布、紙など)していくほうが、より広く、多くに人に、手軽に確実に伝えることができます。しかし、人の記憶を媒体にすれば、他の記録媒体と比べても、検索や提示が非常に高速におこなえ、身体と情報が一体化しているので、使う人には非常に便利です。
 さらに、口頭伝承ができるようになるためには、教える人が、長い期間、学ぶ人に付き添っていく必要があります。それも、対面での教授と学習という師弟関係を、長期間保持しなければなりません。師匠も弟子も、教育に専念しなければなりません。そこには、深い人間関係が介在していることになります。優秀な師匠には、多くの弟子が、多くの弟子の中には優秀な弟子もいるでしょう。優秀な弟子には、より深い思索に入っていくこともあるでしょう。人を介さない物質媒体ではえられない、深い思想の掘り下げも起こりそうです。
 その結果、多くの優秀な弟子たちが、長年に渡って、釈迦の思想を整理し、深化し、実践方法も洗練してきました。それが仏教哲学として構築され継承されています。それがさらに記録され、残されてきました。
 釈迦の語った言葉が正確に残されていたとしても、釈迦自身による思想の体系的に説明はありません。残された仏教哲学が、釈迦の真に意図したものであったかどうかは、もはや復元することはできません。

・確かな記憶・
昨日、何をしたか、何を食べたか、
すぐに思い出せないことがあり
記憶の低下を日々感じています。
かたや、昔、暗唱したものや、昔の歌や詩などは、
何年経っていても、思い出せるものもあります。
記憶とは、不思議なものです。
九九や小学校の校歌もすぐに思い出せ、
いつでも使え、すぐに歌えます。
方言も何年も使っていなくても
故郷に帰ると、問題なく話せます。
記憶には確かなものも、
不確かなものもあるようです。
確かな記憶は、文字にされた媒体より
便利で確実で使いやすいものです。

・記憶のメカニズム・
多くの人は、短期記憶から長期記憶へと
移すことに苦労します。
いったん長期記憶になってしまえば、
時々利用していれば、
非常に正確に残っていきます。
そんな記憶のメカニズムも
現在の脳科学が明らかにしてきました。
長期記憶の保存量は、
人が一生かけて、大量に記憶しても
満杯になることはありません。
可能な限り覚えていきましょう。