2011年12月1日木曜日

119 独学者

autodidactという単語をご存知でしょうか。多分、知っている方は少ないと思います。独学あるいは独学者という意味です。大学では、学問を身につけるために、多くの教員がいます。しかし、教えてくれる先生がいなくても、独学はある程度は可能だと思います。近年ほど、独学のチャンスは増えているように思えます。私の体験を交えて紹介していきます。

 先日、旧友と飲んだ時のことです。ある友人が、「もし戻れるなら、大学生時代に戻りたい」といいました。その時私は、「いまさら大学で学びたいことはない」といいました。話が噛み合っていないのは、友人と私の考えている立場の違いだと思います。友人は、大学時代のノスタルジーにかられて、そのような発言をしたと思います。現在大学の教員をしていますから、私にとって大学は身近な存在です。しかし、学問や学ぶことにおいて、大学だけがすべてではなく、自力で学ぶことは可能だということを主張したかったのです。酔っぱらい同士の会話ですから、たわいもないことなのですが、それをふと思いだして、エッセイをしました。
 新しい技術や学問などの知的体系を習得するには、学校で先生(師匠)について学ぶのが普通です。時には、それが最短コースにもなります。習得にかかる時間はいろいろですが、学校教育では、所定のプログラムに基づいて、所定で年月をかけておこなれていきます。小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年、16年間という学びの期間を経ることが普通になりました。研究者を目指す人は、さらに大学院(博士課程まで)5年が追加されます。なんと長い学びの期間なのでしょうか。
 現在の若者は、9割以上が高校へ進学します。そして5割ほどが大学へと進学します。高校卒業までの12年、大学卒業までの16年という期間をかけて学ばなければ、現代生活が営めないのでしょうか。そんなことはないと思います。大学で学んだスキルを活かしている卒業生は、果たしてどれくらいの比率になるでしょうか。案外少ないような気がします。
 現代社会において、新しいことを学びたいときは、学び方さえ身に付けていれば、案外独学をすることは可能です。そのために、高等学校や大学の学びが必要なのかもしれません。技術や道具を要するものは別として、基礎を学ぶのには、入門書のたぐいは多数ありますし、専門書も出まわっています。今では専門書もネットを使えば、高価ではありますが、簡単に入手でききるようになっています。時には、ネットに存在する情報だけでも、基礎から専門的内容まで学ぶことも可能かもしません。
 一人で学ぶことを「独学」といいますが、独学をする人を独学者といいます。英語で独学あるいは独学者は、autodidact(autodidacticismともいいます)といいます。autoとは「自身の」、「独自の」、「自己の」という意味で、didactとはギリシャ語を語源とする「教えるのが上手な」という意味の名詞「didactics」に由来する言葉で「教える」ということです。自分自身で教える、つまり先生なしに学ぶということから、独学や独学者になります。
 独学には、2つレベルがあると思います。先人の知識とまったく交わることなく、まったく独自に体系だったものを構築する場合です。これのレベルを「第一レベル独学」と呼びましょう。稀ですが、前例はあります。古代の思想家や芸術家には、独学者というべき人は何人か思いつきます。まったく新しい学問体系、思想体系、芸術体系などを構築した人たちも、このレベルの独学者というべきでしょう。
 大多数の人は、先人の知恵や知識、技術に依存して、新しい分野を開拓していきます。それが次のレベルで、先生につくことなく、独力で学問体系を身につけて、一人前になっていく独学です。もちろん、その時、先人の知識の体系である書籍は利用しています。このような先達から教わることにない独学は「第二レベル独学」となります。「第二レベル独学」は、多くの人が経験していることでしょう。
 いろいろな独学があるでしょうが、体系を身につけることから、それを活用してモノになるレベルに達し、やがては先生として人に教えることができるでしょう。なかなかそこにまで達するのは難しいでしょうが。なかりそのようなことを達成されている人もいます。
 私にも独学の経験があります。現在専門としている科学教育や科学哲学は、先生について学んだことはありません。私は、理学部で、地質学の専門教育を受けたのみで、「教育学」や「哲学」を教養科目として学んだことはありますが、その時の内容は、まったく頭に残っていません。ですから、後年、そのような分野に転身するときは、学問体系は独学で身につけることとなりました。
 また、一時的に取り組んだ廃棄物に関わった研究での独学もそうでした。あることがきっかけで、廃棄物処理の関係者から焼却灰を高温にして溶融したものができたので、調べて欲しいという依頼がきました。固まったものは、石のように固く、結晶が多数形成されています。その石と結晶の化学分析をしました。まったく知らない世界ですが、溶融と固結は、マグマと岩石の関係に類似しています。岩石学の知識を利用すれば、焼却灰の溶融から結晶の過程を復元することが可能であることがわかりました。相図というものを示しながら廃棄物学会で発表をして、論文も投稿して査読も通過しました。引用している文献も、廃棄物関連のものは少なく、岩石学や冶金などの文献です。しかし、発表ではそれなりの反応もあり、手応えを感じました。非常に面白い経験でした。ただ、その後は廃棄物に関わることはなさそうなので、論文を公表して1年で脱会しましたが。
 私が独学をする時、多数の入門書、教科書、専門書、データなどは、利用しました。今では、多数の本や情報があるため、なんらかの学問体系を独自に学ぶことは、昔よりずっと楽になりました。そして必要に迫られて学ぶ時が、一番身につくときでもあることを身をもって体験しました。そしてなにより大事なことは、独学が可能であるという自信を持ったことかもしれません。
 科学教育も科学哲学も人文科学です。もちろんそれぞれに深みある学問内容がありますが、私が今まで専門としてきた地質学をバックボーンとして取り組んでいけば、新しい視点が導入できることも体験しました。独りよがりではなく、廃棄物や科学教育の学会での発表や査読のある論文公表を通じて、それなりの成果があげられることがわかってきました。
 地質学という独自のアプローチだからかもしれませんが、他分野からの独学での参入もできることを体験的に知ることができました。ただし、学問の正統派としての参入は、なかなか難しいでしょうが。私以外の研究者でも、一つの学問に専念しているつもりでも、他の分野との交流、境界領域への参入は当たり前に行なうようになっていると思います。そんなとき、独学をしながら境界領域へ歩んでいきます。
 現代の多様化、高度化した科学技術に立脚した社会では、本当の意味の「第一レベル独学」は、もはやありえないかもしれません。でも、「第二レベル独学」の可能性は、広がっているようにみえます。むしろ必要に迫られているのではないでしょうか。飲み屋のたわいのない会話から、独学について考えました。

・現代風の学び・
私のような世代になると
師事した先生が
他界されることも多くなります。
直接の師弟関係であれば
どこからか連絡が届きます。
しかし、師弟関係が薄い時や
こちらが恩師だと思っているだけだと、
訃報が遅れて届くこともあります。
そんなときは、離れた地で恩師のことを
一人追悼することになります。
独学には、そのような心の通った師弟関係が欠如します。
独学とは、もしかするとドライな
現代風の学びの様式なのかもしれませんね。

・師走・
今年も残すところあと1月となりました。
大学の講義も半分を終えました。
まだまだ先は長いのですが、
大学での通常のペースを保って
過ごせるようになって来ました。
とはいっても、12月にはひとつの区切りなので
締め切りに追われていきます。
これも師走の風物詩と言いたいところですが、
12ヶ月間、いつもで走り回っているような気がするのは
私だけでしょうか。

2011年11月1日火曜日

118 不便さの中の一貫性:経験の断絶

 ひとつのことを、最初から最後まですることは、今ではあまりないのかもしれません。ことが複雑になればなるほど一貫した経験は、減ってくるのだと思います。ものづくりだけでなく、実験や研究でも起こっています。最初から最後までの一貫した経験は、ばらばらの経験では得られない何かを与えれくれるのではないでしょうか。途絶する経験の問題を考えていきます。

 肉体的な経験、リアルな経験は、人間が生きていく上で重要な素養です。しかし、時代が進み技術が発展してくると、機械やコンピュータに任せることが多く、実体験が減少してきます。その結果、どのような問題が起こるのでしょうか。会社や教育現場での問題は、多くの識者がすでに指摘するところでしょうが、あまり顕在化していませんが、研究の場で起こりつつあるのでないかと危惧しています。はっきりとした統計は示せないのですが、感じていることを紹介します。
 もう、30年ほど前になりますが、私が学生や修士課程の大学院の時代の話です。映画に出てくるような昔風の怪しい実験室のごくと、ビーカーやフラスコ、ガスバーナーなどが並んでいるところで、実際に実験をしていました。今では研究室も綺麗になったのですが、一昔まえの実験室は昔の映画のセットそのままのようでした。また、地質学特有の作業ですが、グラインダーや岩石用カッターなどが並んだ作業場で薄片製作をすることも、重要な研究の一環でした。昼間は、そのような場で肉体的作業をして、夜になるとデータから考えたり、薄片の記載をしました。研究にかかる時間が長く、研究室や大学にこもる時間が生活の体部分を占めることになりました。それが研究にのめり込む環境にもなっていました。
 研究者を目指す学生や大学院生は、その分野特有の手法、あるいはその研究室の保有する各種装置の操作法や実験方法を身につけることが、重要な基礎素養となります。それらの素養は、研究者になるための手順として必要なのですが、実験プロセス自体は研究成果には直接関係があるものではありません。欲しいのは、実験結果というべきデータなのです。
 私は、昔ながらの実験室で分析の仕方、薄片の作り方を、習いました。授業でもざっとはやりますが、自分の研究としてデータが欲しいときは、先輩の大学院生に手取り足取り教えてもらっていました。厳しい先輩、優しい先輩、頼りになる先輩、それぞれの特技と共に個性を持っておられました。先輩を選り好みできることなく、ある技量はある先輩に習うことになります。そして気の合う先輩とは、親しい付き合っていくことになります。
 自然科学のデータは、技術や熟練を要することが多く、肉体的にも疲れる修練を積まなければ、精度の良いデータを出すことはできませんでした。多数の薄片を短時間で失敗することなく作成したり、精度のいい分析値を出したりする先輩は、尊敬に値するものでした。自分自身が熟練する頃には、後輩ができて、彼らにその技術を伝承することになります。こんな繰り返しが伝統として、それぞれの大学にはありました。多分、今もあるのでしょう。
 時代と共に実験室も変化してきました。大学院生の頃当たりから、高価な分析装置が急速に導入されはじめます。分析装置も、当初は手動で操作するものが多く、それなりの熟練を要するものでした。分析装置の精度や操作性は著しく向上し、コンピュータの進歩や普及と相まってコンピュータ・コントロールされた分析装置につぎつぎと改良されていきました。
 大学院からOD(博士の学位取得後にまだ職がなく研究生として大学に滞在している人たちのこと)、学術振興会の特別研究員の時代へと、そのような革新的な進歩が次々と起こりました。時代はバブル景気で、高価な分析装置も大学に多数導入できるようになりました。その変化は、激しいものでした。
 多くの大学の研究室に分析装置が普及し、操作さえ間違わなければ、だれでも同じ精度のデータを大量に出せるようになったのです。若手の頃の私は、そのような変化の渦中にいて、激動を目の当たりにしました。私より若い世代の研究者は、苦労した時代を知ることなく、分析装置の出す結果やデータを、簡単に手にすることになります。一方、年配の教授たちは装置の進歩やコンピュータには適応しきれませんでした。しかし、能力ある教授たちは、大学院生や若手研究者と組んで、実績を積み上げていました。時には若手を手足のごとく使いこなす人もいます。教授のデータを出すことに専念する若手研究者、コンピュータやそのプログラミングにのめりこ込んでいく若手研究者もいました。
 理想からいえば、研究者は、装置の操作を知らなくても、必要なデータを手に入れれば、研究自体は成立します。私が駆け出しの頃、欧米の恵まれた研究室で修行された先輩の話を聴きました。設備の整った欧米の研究室では、テクニシャン(技術補佐員)が多数いて、装置の維持管理、時にはデータも出してくれることもあるということなどを聞いて、羨ましく思ったことがありました。研究者は、試料の採取、吟味をして、必要なデータは指示すれば得られる環境があるというのです。それなら、研究者は簡単に論文を多産できるだろうと思っていました。
 時代と共に、分析装置や実験装置の完成度が上がり、高機能化、高精度になりながらも操作性は良くなってきます。データも昔と比べれば、大量にそれも熟練度に関係なく精度の保証されたもの、精度も格段に上がったデータが得られるようになります。もちろんプログラムも進化していて、初心者でも簡便に操作でき、精度のいいデータが出せるようになってきました。それなりの訓練も必要でしょうが、マニュアルを読めば、だれでも操作が可能になりました。
 かつてデータを得る作業自体が大変だったころは、試料を渡したらデータがでてくればどんなに楽だろうと思っていました。それが技術の進歩のお陰で達成されつつあります。古い時代の研究風景を知るものからみると、データの理想郷の出現です。
 では、今の若手の研究者は、大量のデータを出して、良質の論文を量産しているでしょうか。どうもそうではなさそうです。確かに論文一編当たりに使用されるデータは大量です。そして、一人あたりの論文数も増えました。論文数の増加は、社会状況からの要請によるもので、質の低下は否めないでしょう。さらに、データの理想郷が出現したから、成果が増えたわけでもなさそうです。
 多分、一流と呼ばれる研究者は、データの桃源郷の住民になることは可能だと思います。彼らも一流になるために、さまざまな修行や経験をしてきたはずです。調査、試料採集、試料選択、分析、考察という一連の経験によって、得たデータの重要性や有用性を体感できるから、データの桃源郷で論文が書けるのではないでしょうか。彼らも生まれながら住人ではないから、データの桃源郷のありがたさや危なさも知っているのだと思います。
 現在の科学は、何十人もメンバーによる巨大な実験装置や複雑な分析装置の開発や運用をすることも増えました。地質学でも、専用の調査船や先端施設に付属する分析装置なども利用します。先端で研究している人は、装置の開発やプログラム自体の作成もおこなっているので、創造性は遺憾なく発揮できるでしょう。
 一方、普及した装置を使って分析をしているその他多数の研究者は、データを出すことが簡単になった分、それ以外の部分に創造性を発揮しなければなりません。創造性は、どのようなデータを出すか、何のためにデータが必要かなどの分析以前の場に求めるか、データをどう使うのか、データで何を証明、検証するのかなど、分析後に発揮することになります。しかし、創造性の発揮は、だんだん困難になってきているのではないかと思えます。簡便化が、経験の断絶を生み、生産性を妨げているのではないかと感じています。
 データをだす作業は簡便にこしたことはありません。しかし、ブラックボックスのような簡便な分析装置を導入することになります。本来データを得るためにすべき経験が欠如していきます。このような経験の断絶が、研究の生産性に影響を与えているのではないでしょうか。もし、野外調査とき見えている試料から欲しいデータが取り出せたら、あるいは試料を入れて欲しいデータのキーを押せばデータが出てくるとすると、どうでしょう。ベテランの熟練した研究者にとっては、それは桃源郷になるでしょう。しかし、初学者にとって、それは経験を奪い、試行錯誤を繰り返しを奪い、苦労の末結果を得る喜びを奪い、データの貴重さの実感を奪うことになります。データの桃源郷はこんなチャンスをすべて奪ってしまったのです。便利さを追求していった究極にたどり着いたデータの桃源郷は、不毛の地になりかねません。
 これは、私がいた地質学のだけの世界の話ではありません。経験の断絶だけではなく、経験自体の不足が警告不足を招くこともあるのではないでしょうか。人類が快適さ便利さを求める本能と、それを満たしてきた文明が、時間と共に創り上げた桃源郷なのです。桃源郷では消えてしまった、快適さや便利さの背景にある危険、不安、不便から学ぶことがあったはずです。いや、それらのマイナス面からこそ、私達人類は学んできたはずです。昔の戻れとはいいません。不便になれとはいいません。でも、手作業やゆっくりさ、不安定さなど、マイナス面をもったものを愛し、大切にする心が、そしてなによりもそれを経験することが必要ではないでしょうか。そのような経験こそが、桃源郷を味うために必要なものではないでしょうか。
 地質学では、幸いながら今もまだ、泥臭い野外調査、非効率な試料収集や、手間のかかる試料の前処理が、分析にいたるまで必要です。まだまだ手作業で修行のような繰り返しがあります。そこでは経験を積み上げています。ところが、データを得た後の処理は、昔は手作業でしたが、今ではすべてコンピュータでおこないます。データを十分吟味していく経験が途絶しそうです。特に初学者には危険な落とし穴になりそうです。考えるという作業は継続してありますが、あちこちで経験の途絶が進行しています。このような経験は、論文に書かれない、研究者自身の心に関わる問題ですが、それが致命傷にならないことを願っています。

・象徴の事件・
地質学は野外調査をしながらも、
研究室では高度の分析装置を駆使して
データを得て論文を書きます。
しかし、最近では一人の人間が
あれもこれもすることがだんだん大変になってきました。
野外で調査をして論文を書く研究者。
野外では試料採取だけをして
分析に主眼を置く研究者。
それぞれの得意な面を持ちながら
研究を分業していかねばならない時代になったのかもしれません。
しかし、人からもらった試料を高精度の分析をして、
最古の生命の痕跡を発見をしたという論文が書かれ、
話題になったことがありました。
しかし、その試料はマグマが固まった
火山岩であったことが後に判明して、
その結果が否定されたことがありました。
どのような経緯があったかは知りませんが、
分析の複雑化、高度化などがあり、
一人の研究者があれもこれも出来ない時代になったことを
象徴する事件なのかもしれません。
しかし、その背景に経験の断絶があるのかもしれません。

・冬間近・
いよいよ11月になりました。
今年の残すところ2ヶ月なりました。
とはいっても、大学では後期が始まって
1月少々しかたっていません。
ですから、まだまだ後期はこれからという思いです。
でも、北国では、もう冬が間近にせまっています。
里でもいつ初雪があっても不思議ではありません。
北国の短い秋が終わろうとしています。

2011年10月1日土曜日

117 科学の再現性と歴史性:因果律の尻尾

 科学では、いいえ人間の考え方において、因果律は当たり前の前提として受け入れられています。ところが、因果律は、科学的に検証もされていませんし、論理的にも正しさを証明することは、なかなか困難なようです。科学は、そんな因果律の尻尾を捕まえる挑戦をしています。

 先日、光速を越えたニュートリノが観測されたというのニュースが流れました。その真偽のほどは、今後検討されていくでしょうが、もしこれが本当であれば、物理学だけに留まらない大きな課題を提供することになります。因果律が敗れる可能性があるのです。
 このニュースを聞いて、因果律と科学の方法について考えが及びました。
 因果律とは、過去の原因によって結果が生じるという因果関係が成り立つという考え方です。当たり前すぎてだれも疑問を感じないほどのことです。因果律とは、非常に一般化された概念で、常識ですし、一種の信念ともいうべきものになっているのかもしれません。ところが、少なくとも科学の世界では、因果律は検証された論理ではありません。今のところ、因果律を破るものはないという経験則によってのみ、保証されているものです。今回の実験によって、覆される可能性があというのが、このニュースの重要性です。
 以下のエッセイでは、因果律は一般的な概念に対して用い、因果関係は個々の事象に起こっている原因と結果を関係を示すものとして、区別して記述していきます。
 人は、因果律を前提にしてすべての物事を考え、生活しています。逆に、因果律を破るような考え方は、できないようになってます。それほど、因果律は、私たちの考え方において不可分で絶対性をもつものです。自然科学の研究も、因果律のもとに営まれています。
 自然科学とは、個々の事象に見え隠れする因果律を、それぞれの因果関係として方程式や法則、規則などに、個別に定式化することといえます。
 科学のある分野では、実験が非常に重要になります。今回のニュースも実験によるものです。実験にもいろいろなものがありますが、その目的は、ある事象間における因果関係を、定性あるいは定量的に実証することだといえます。あくまでも個々の事象の因果関係であって、因果律総体を検証、論証するものではありません。
 自然現象には、固有の時間に制限を受けない因果関係もあります。物理現象や化学現象の多くは、それにあたります。物理学や化学では、ある因果関係を見出した実験結果が提示されると、その検証のために、別の実験装置(場)、別の研究者(人)、別の条件(環境)による再現実験が非常に重要な役割を持っています。ある時、ある所で、ある人だけが見出した因果関係は、普遍化できません。もしかしたら、その研究者の思い違いやミスかもしれません。そのような誤謬が混入することを、再現性の確認実験によって排除できます。再現実験によって検証された現象は、時空を越えた因果関係によるものと保証されます。このような自然科学を、このエッセイでは再現的自然科学と呼びましょう。
 抽象的な話しばかりですから、例を上げておきましょう。
 振り子を考えましょう。だれもが小学校や中学校の実験でやった思いますが、振り子の周期(一往復の時間)は、振り子の長さだけに依存しています。正確には長さの平方根だけに比例(周期=2π√(長さ/重力加速度)という公式)します。振り子時計を思いうかべていただければ、理解できるのではないでしょうか。
 ある再現性が、ある因果関係によって「実証」されれば、原因を人為的に変化させ、さまざまな条件でその因果関係が成り立つことを「検証」できます。二番煎じではありますが、科学における「検証」という重要な役割となります。再現的自然科学では、因果関係の「実証」が重要な目的となります。
 振り子の例でいえば、振り子の錘の重さや、振れ幅を変化させても周期は一定であることがわかります。振り子の等時性と呼ばれているものです。一見常識に反するようにみえますが、実験すれば、だれもが同じ結果を得られます。
 因果関係の証拠をいくら大量にそろえても、因果律の正しさを証明することは、残念ながらできません。そこには、帰納法の論証と同じ困難さがあるのです。因果律を証明するためには、すべての事象における因果関係を調べていき、因果律が破られていないことを検証するしかありません。現実的には不可能な検証です。因果律の破綻は、たった一個、確実な反例が示せればいいのです。今回の光速を越えるニュートリノの発見は、その因果律の反証になりえるのです。重要な報告なので、再現性を検討する必要があるのです。
 一方、歴史性のある現象では、因果律に則ってはいるのでしょうが、再現性が原理的に検証できません。例えば、生物の進化や地球の歴史などは、実験不可能ですから、因果関係を抽出することは困難でしょう。このような不可逆な時間の流れよる事象における科学を、ここでは歴史的自然科学と呼びましょう。
 歴史的自然科学では、どのような研究手法がとられているのでしょうか。いくつかのアプローチがありますが、最近、高速のコンピュータを用いた計算機実験(シミュレーション)がいろいろおこなわれています。要素還元的に抽出した初期条件を前提に、デジタル空間での擬似的な計算機実験を行うことになります。まさに仮想実験です。要素還元的ではありますが、因果関係を推定するには、有効な研究手法であります。しかし、シミュレーションでは、現実の現象を再現しているわけでもなく、「検証」したわけでもありません。あくまでも、仮想です。
 もう一つの歴史的自然科学のアプローチとして、過去の生物起源物質や岩石や鉱物を分析や記載する方法があります。特別な化学成分の分析をすれば、形成年代や変化を受けた年代などを調べることも可能です。歴史的自然科学では、時間ラベルは非常に重要です。時間ラベルは因果関係の前提となるものだからです。ところが現実には、時間分解能はそれほど高くなく、古い時代(地質時代)の因果関係の時間差を示すほどの精度はありません。
 ただ、地層の上下関係で、順序を読み取ることができます。それにより、順序に基づいた事象の配列ができます。順序は、因果関係を保証するものではありませんが。
 さらに、分析データから、その物質の属性を詳細に記載することができます。それらの属性から、因果関係を限定したり、推測することになります。しかし、その物質を形成した事象を、再現して再構成することは不可能です。
 振り子と同じように、貝化石を例としましょう。
 ある種類の貝の化石がたくさん産出する地層があるとしましょう。地層の上下関係が判明したら、下位ほど古い時代に形成され、上位ほど新しくなります。地層ごとに出た化石を並べていけば、順序に基づいた配列になります。似た化石で形態に系統的変化が見られたら、そこに因果関係があった可能性があります。もし同時代の近隣地域でも、同じよな結果がみられたとすれば、因果関係があるという傍証になりそうです。
 歴史的自然科学では、真実は藪の中です。もし別種なのに、たまたま似たものが混じっていたとすれば、誤認が必然的に生じます。意地悪に考えれば、別種が混入する条件が常に存在するというようなことがあれば、決して取り除けない間違いが出現します。極端な例かもしれませんが、歴史的自然科学では、そんな不確かさは常につきまといます。
 因果関係の保証されない事象における規則性は、論理的に正しいという保証はありません。これは、いくら記載データを増やしても、正さにはたどり着けませ。時間は不可逆な流れなので、その流れの中で起こった現象は、再現することができないからです。簡単にいえば、過去の事象は二度と繰り返されない、ということです。
 今まで述べてきたことから、歴史的自然科学が目指すべきものは、「再現性のある因果関係」の追求ではなさそうです。では、何を目指しているのでしょうか。
 歴史的自然科学のどの結果も、因果律や因果関係を否定するものではありません。再現的自然科学では因果関係が検証できますが、歴史的自然科学では検証できません。歴史的自然科学では、因果関係を保証するものすらほとんどありません。時には、因果関係がない似た事象が混入しているかもという不安もあります。ただ順序だけが確かな事象があるだけです。
 徹底した分析、順序のある膨大な記載によって、「見かけの因果関係の連続」が見出せるでしょう。「見かけの因果関係の連続」から、あわよくば「因果律の尻尾」が発見ができるかもしれないという希望です。
 うまいいい方はできませんが、ぱたぱたマンガを高速でみると、動くアニメーションとして連続的な動きに見えるように、長く延びる破線も遠くから見れば実線にみえるように、因果関係が浮き出るのではないでしょうか。多数の記載を並べ、遠目でみると、過去の一連の事象にストーリー(見かけの因果関係の連続)があるかように見えるのではないでしょうか。そのストーリーを確認するのが、シミュレーションです。
 さまざまな時代、さまざまな地域のストーリーに乱れがないのなら、その歴史絵巻(因果律の尻尾)は成立していると見なせるかもしれません。そのストーリーを読み取り、シミュレーションによって仮想検証を振り返すことが、歴史的自然科学の役割ではないでしょうか。順序だった大量の事象を、今よりもっともっと大局的に眺めると、歴史の必然性と偶然性、そして因果律の尻尾が見えるのではないでしょうか。
 ニュートリノの超光速のニュースから、こんなことを考えてしまいました。

・本来の姿に・
もう10月です。
大学の夏休みもの終わり、
校内に若者のざわめきが復活してきました。
大学の後期の授業のスタートです。
同じよう見える学生群も
個々にみれば言動に違いがあり、
個性があることがわかります。
一方、学生の経年変化を教員は語りがちです。
それも、上の例でいうと歴史的事象の大局になるのでしょうか。
それとも、因果律の外のことでしょうか。
まあ、いずれにしても学生で賑わうキャンパスが
本来の姿なのです。

・北国の秋・
いよいよ北海道の秋も深まってきました。
初雪の便りも聞きます。
里の木々も少しずつ色づいてきました。
深まる秋の中で、北海道では
今年最後の収穫の季節を迎えます。
東北の被害を補えるような収穫があのでしょうか。
そんな不安要素を伴う秋です。

2011年9月1日木曜日

116 崇高なる深みを目指して

 今回のエッセイは、前身から数えてちょうど10年目にあたります。10年というのは、10進法で数るえから意義があるのであって、他の進法では、全く意味を成さないものでしょう。でも私たちは10進法を採用しているので、10年目はひとつの区切りになります。10年目を迎えるにあたって、このエッセイの目指すものを再確認しておきます。こんな区切りの利用は行こうではないでしょうか。

 スティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould、1941年9月10日生まれ)は、月刊「Natural History」誌にエッセイ"This View Of Life"(1974年1月からスタート)を連載していました。グールドのエッセイは、発刊から25年目の2001年1月に300回(10冊のエッセイ集になっている)の最終回を迎えました。
 その最後のエッセイが掲載された待望の翻訳「ぼくは上陸している:進化をめぐる旅の始まりの終わり」の上下巻が、2011年8月15日に発行されました。これで、グールドのエッセイ集は、10冊に達しました。8月初旬に発刊のアナウンスを聞いたので、早速予約しました。オリジナル版のエッセイ集は、2002年に発行されています。それが約10年の期間を経て、やっと日本語で読めるようになりました。手元に届いたので、さっそくいつもの長い「はじめに」を読みました。すると「はじめに」のはじめに、「はじめにの前置き」がありました。
 現在、感慨深く、この本を読み始めました。まずは1章だけ「ぼくは上陸している」を読みました。一気に読むのがもったいなくて、じっくりと時間をかけて味わいながら読んでいこうと決めています。もう、グールドの著作は、これ以上増えそうもないからです。以下で、グールドとこのエッセイの関係について述べて、志を新たにしたいと思っています。
 2001年は、9.11の事件が起こった年としてアメリカ合衆国だけでなく世界中の人にとって重要な意味があるはずです。9.11はテロでしたが、グールドにとっては、2001年は別の意味がありました。彼の祖先が移民としてアメリカに上陸したのが1901年でした。ですから祖先がアメリカに移民してきて、ちょうど100年目にあたる年でした。さらに9.11は、移民当時14歳の祖父が、英文法の教科書に最初に書き込んだ言葉が「1901年9月11日、ぼくは上陸している」(I have landed. Sept. 11th 1901)というものでした。その100年後、同じ日に、9.11が起こました。また、孫のグールドが、25年間続けてきたエッセイの300号、最終号のタイトルを「ぼくは上陸している」(2001年1月号)にしました。そしてエッセイ集も同じタイトルでした。
 300、100、25などというキリの良い数字は、10進法を採用しているためであって、7進法や11進法を採用していたら、半端な数字になっていたことでしょう。また年月の符合も偶然でしょう。しかし、多くの人は、キリの良い数字を何らかのきっかけにするのは、よくあることでけっして悪いことではないでしょう。ですから、私もグールドのキリの良い数字にあやかって、この文章を書くことにしました。
 さて、このエッセイ「地球のつぶやき」は、今回で116号となります。2002年2月7日が第1号の発刊ですから、9年6ヶ月が経過したことになり、キリの悪い数字です。でも、私にとっては、あるキリのよい数字になるのです。
 「地球のつぶやき」が月刊メールマガジンとしてスタートしたのは2002年ですが、2001年9月20日から発行していた非公開のエッセイがありました。それがこのエッセイの前身となります。非公開だったのは、限定100名(当時使用していたプロバイダーのメールマガジンの機能が100名まででした)に対して、特別に書いたエッセイを発行していました。2000年9月20日から発行しはじめた週刊「地球のささやき」の読者向けのものでした。メールを下さった方に対する私の感謝の気持ちとして始めたものでした。「地球のつぶやき」は、不定期の発行でしたが、7号まで発行しました。半年後の2002年2月からは、月刊として公開の場で発行してきました。そして現在に至っています。ちなみに、それらのバックナンバーは、ホームページで見ることができます。
 ですから、2011年9月は、エッセイ「地球のつぶやき」がスタートして10周年にあたります。そんなとき、グールドの最後のエッセイ集の翻訳版が、出版されました。
 週刊「地球のささやき」は、地質学のトッピクスを短かい文章(原稿用紙2、3枚程度)でわかりやすく紹介することが目的でした。一方、「地球のつぶやき」は、グールドの連載エッセイを多分に意識してました。グールドは私が尊敬する科学者です。幸いなことに、彼は地質学者(古生物学や進化生物学を専門としている)であったので、彼の書く題材は、私にとっても身近なものが多々ありました。しかし、その内容は高度で、地質学の範疇を越えた非常に広い教養、博識の上に成り立っているものでした。「地球のつぶやき」では、グールドにはおよばないまでも、グールドを目標にして、少々長め(原稿用紙10数枚程度)で、地質学のテーマを少々掘り下げたものを書くことにしていました。グールドを目指して。
 2002年、10冊目のエッセイ集と共に、グールドのライフワークともいえる「進化理論の構造(The Structure of Evolutionary Theroy)」が同時に発行されました。原書で1500ページにもなる大著でした。さすがグールドです。このようなライフワークが、私に書けるのでしょうか。私のライフワークの目標だけはできています。
 何度か書いたことがあるのですが、つぎのような経緯でライフワークの目標はできました。私は、大学と研究所から地質学で研究者人生をスタートしました。博物館では、地質学に加えて科学教育へも興味をもちました。
 博物館時代、父の死を契機にして、理性と感性の兼ね合い、自分にとって仕事や研究とはなにか、などなど、いろいろなことについて悩み、将来についても考えるようになりました。それは父の残した宿題として深く考えるきっかけになりました。
 その結論の一つとして、自分の理想の研究者像についても考えるようになりました。理想の研究者像として考え至ったのが、三位一体の必要性でした。三位一体とは、一人の研究者に、研究、教育、哲学の3つが融合しながら内包されているのが理想ではないかというものでした。私の場合なら、地質学を中心に、科学的な探求をしながら、そこで得た地質学の知見や素材を科学教育として活用し、地質学が取り扱う特徴的属性を哲学のテーマとして掘り下げ地質哲学としようと考えました。そして、いずれの分野でも一般化できれば、成果(論文)になるではないかと考え実践してきました。非常に大胆で大きなテーマですが、これは自分「ひとり」で行うライフワークと位置づけました。
 そんな思いをもって、2002年4月に、現在の大学に転職しました。大学では地質学と科学教育、特に地質哲学に力をそそぐことになります。世界中で私が考えているような地質哲学をおこなっている先達として、グールドがいました。当然、地質哲学においても、グールドが目標になりました。
 グールドの著作はよく知っていましたが、面識はなかったので、知り合いの先生に紹介を頼もうと思っていました。大学の研究休暇を利用して、あわよくばグールドのところに、1年間滞在させてもらおう考えていました。
 その矢先、2002年5月20日、グールドは脳まで転移した肺線腫によってこの世をさりました。訃報を知った時、私は大きなショックを受けました。手持ちの彼の書籍を整理しました。何度もの引越しで手放したり、博物館の図書館に大量の書籍を寄贈してたので、かなりの著作は欠けていました。改めて買い集めしました。翻訳書がないものは、原書でも集めました。エッセイで翻訳されたものは大部分読んていたのですが、まだ読んでいないものもありました。読んでないエッセイを読み始めました。そして、やはりグールドが偉大であることを再確認しました。
 グールド亡き後、私にとって「地球のつぶやき」のエッセイは、地質哲学のアイディアを展開する上で、非常に重要な場となりました。今では、インターネットのメールマガジンを利用することで、自分のエッセイを発表の場を持つことできます。さらにありがたいことに、メールマガジンの購読者という明確な読者を持つことができます。そんな場や人は、私にとっては、非常に有効なものとなっています。
 私のこの「地球のつぶやき」は、内容も深みも、グールドの足元にも及びません。グールドは、すべての論拠やデータを一次文献にあたっています。そして、「一般向け」でありながら、「専門書でも一般書でも概念上の深みに差があるべきではない」という妥協しない姿勢で、エッセイを書き続けました。それは、崇高なる「深み」のあるエッセイでした。知性に妥協しない姿勢は見習うべきものでした。
 私の「地球のつぶやき」も、それを目指していますが、まだまだ「深み」が足りません。それでもグールドの「深み」を目標として、10年間続けてきました。内容はかなり劣りますが、継続に関しては25分の10にやっと届きました。長ければいいというものではありません。しかし、継続は努力なくしてできません。少なくとも目標に向かって、努力を怠りなくやっているという証にはなるでしょう。グールドまでは、まだまだ先は長いですが、継続もさることながら、よりよき崇高なる「深み」を目指して、心新たにエッセイを続けようと考えています。
 私の歩みはのろいですが、一応進み続けています。「ひとり」ですので何かと大変ですが、苦労も成果もすべて自分のものです。失敗しても誰にも迷惑をかけないという気楽さもあります。そして、なんといっても、誰もいったことない「深み」への興味は尽きません。そんな「深み」が、このエッセイで今後も紹介できればと思っています。

・科学エッセイ・
グールドに考えが至った理由は
エッセイ集の発行の他にもありました。
それは、9月1日おこなわれる2時間ほどの講演会での話しで、
自分の研究を振り返ることにしました。
そのとき、地質哲学を目指した背景には
グールドの一連の著作がありました。
また科学エッセイについては、
アシモフの科学エッセイシリーズ、ガモフ全集、
米山正信の「化学のドレミファ」シリーズ
ロゲルギストの「物理の散歩道
ブルーバックスなどの本
からいろいろと影響を受けました。
本は、重要な影響力があります。
娯楽やスキル養成だけでなく、
時には人生の指針や指南書となます。
癒しや慰めにも、励まし、活力源などにもなります。
本は一生の伴でしょうか。

・グールドの著作・
以下ではグールドの著作をまとめておきます。
・エッセイ集
01 Ever Since Darwin (1977)/ダーウィン以来:進化論への招待 (1984)
02 The Panda's Thumb (1980)/パンダの親指:進化論再考 (1986)
03 Hen's Teeth and Horse's Toes (1983)/ニワトリの歯:進化論の新地平 (1988)
04 The Flamingo's Smile (1985)/フラミンゴの微笑:進化論の現在 (1989)
05 Bully for Brontosaurus (1991)/がんばれカミナリ竜:進化生物学と去りゆく生きものたち (1995)
06 Eight Little Piggies (1993)/八匹の子豚:種の絶滅と進化をめぐる省察 (1996)
07 Dinosaur in a Haystack (1996)/干し草のなかの恐竜:化石証拠と進化論の大展開 (2000)
08 Leonardo's Mountain of Clams and the Diet of Worms: Essays on Natural History (1998)/ダ・ヴィンチの二枚貝:進化論と人文科学のはざまで (2002)
09 The Lying Stones of Marrakech: Penultimate Reflections in Natural History (2000)/マラケシュの贋化石:進化論の回廊をさまよう科学者たち (2005)
10 I Have Landed: The End of a Beginning in Natural History (2002)/ぼくは上陸している:進化をめぐる旅の始まりの終わり (2011)
・単行本
1 Ontogeny and Phylogeny (1977)/個体発生と系統発生(1998)
2 The Mismeasure of Man (1981)/人間の測りまちがい差別の科学史(1990)
3 Time's Arrow, Time's Cycle: Myth and Metaphor in the Discovery of Geological Time (1987)/時間の矢・時間の環(1987)
4 Urchin in the Storm (1987)/嵐のなかのハリネズミ(1991)
5 Wonderful Life: The Burgess Shale and The Nature of History (1989)/ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (1993)
6 Full House: The Spread of Excellence from Plato to Darwin (1996)/フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説 (1998)
7 Questioning the Millennium: A Rationalist's Guide to a Precisely Arbitrary Countdown (1997)/暦と数の話 グールド教授の2000年問題 (1998)
8 Rocks of Ages: Science and Religion in the Fullness of Life (1999)/神と科学は共存できるか? (2007)
9 The Structure of Evolutionary Theory (2002) /(邦訳未刊)

2011年8月1日月曜日

115 時の流れを漂う因果律

 原因と結果の密接な関係、因果律は、日常的に当たり前として使っています。しかし、因果律が成立するためには、時間の存在や属性が前提となっているようです。そこには不思議な関係が存在します。少し長くなりますが、因果律と時間の関係を考えていきます。

 原子力発電所に続き、北海道や中国の列車事故、航空大学校の飛行機墜落事故など、つぎつぎと事故が報道されています。事故が起これば、警察やメーカーなどによって、原因究明がおこなわれます。原因が究明されることによって、再発の防止や、責任追及がおこなわれます。事故の原因が、一つのこともありますし、複数のことも、あるいは複雑にからみあった原因によるものもあるでしょう。
 いずれにしても、なんらかの原因があり、その原因によって事故が引き起こされたとして事故処理は進められます。原因がわかれば、責任の所在が明らかになり、賠償や処罰も客観的にできます。さらに、対処しなければ、同じ条件がそろえば同じ事故を起こすはずです。だからこそ、原因究明は必要なことです。
 原因究明をするということは、原因と事故が密接に結びついているという前提があるからこそできることです。普遍化して考えると、何らかの結果(事故)が起こったならば、必ず原因が存在すると考えています。また、原因が出現したら、必然的に結果が生じることになります。原因と結果は必然性によって結びついています。
 そこに必然性がないと、結果から原因を追求することができません。法則や規則も一種の原因とみなせ、初期条件から結果を予測できるのです。そこにも必然性が保証されないと、研究や技術の成り立ちません。その必然性が保証されないと、研究や技術を進める動機すら湧かないかもしれません。
 科学や技術において、何らかの目標を設定したとします。例えば、ある火山活動を起こしたマグマの成因を探る、あるいは鉱物内の極微量の成分を精度よく測定できるようにすることを目標にしたとしましょう。今までなかった知見や技術を見出すことが目標です。
 マグマが固まったものが火山岩ですから、マグマの多様性を網羅するために火山岩が採取しなければなりません。採取した火山岩で必要な化学分析をしなければなりません。それらがすべて満たされたとしましょう。あとは、岩石学で今まで蓄えられてきた知的資産を使えば、マグマの成因を見極めることができます。
 こういう手順で進めれるる研究論文が多いのですが、個々の論文の評価として、その火山のそのマグマにおける新知見かもしれませんが、科学的な貢献度は低く、実例が一つ増えたという程度にしかなりません。ただし、量が質を生むことや、基礎データは科学の進歩には不可欠ですので、このような地道な研究も必要なものです。一人前の研究者への訓練として、このような過程を多くの人は経てきています。私もそうでした。ですから、地道な研究を否定するものではありません。必要な研究だと思います。しかし、今までにないマグマの成因や特徴、特異性などを見つけたり、それが広く敷衍できるものであれば、ひとつの研究成果の重要性が増します。つまり、オリジナリティのある研究成果といえます。
 その点、今までできなかった鉱物内の微量成分を分析できる技術、あるいは今までより一桁精度の高い分析ができるという技術は、汎用性、普遍性が大きくなります。高精度の分析ができるようになるためには、成分抽出過程の改良、新しい装置の開発、検出器の改良、標準試料の更新、測定プログラムの改善、補正計算の改良など、さまざまなアプローチがあるでしょう。今まで誰もできなかったものにチャレンジすることになります。いろいろなアプローチで一番効果のあるところから手がけられていくはずです。もしその技術が達成されれば、重要な成果となります。技術はいったんできると、多くの人が恩恵を被り、いろいろな応用もできるようになり、利用価値は高くなります。
 科学や技術を進める上で、原因を突き止めれば、結果を得、目標を達成できる、できそうだ、という予測を背景にしています。目標を達成するために、必要な試料やデータの入手、クリアーすべき技術的問題などが見極められていくはずです。試料やデータが入手不能、技術的問題が解決不能ならば、その目標は早々に諦められるはずです。多少困難であっても解決の見込みがあれば、努力しだいで目標を達成できることになります。それはチャレンジする価値あるものとなります。
 このようなプロセスは見方を変えると、原因(問題解決)と結果(目標達成)という関係が存在するはずという前提をおています。その前提があるため、研究や技術開発に取り組むことができるのです。原因と結果が存在するという前提が、研究動機を支えています。この前提による動機が、目標を達成するというかけ声のもと、科学や技術は進められてきましたし、そして、多分これからも進んでいくでしょう。
 原因と結果の関係を、因果律、因果関係、因果性と呼びます。
 科学や技術は、因果律のもとに進められています。因果律を前提とするのは、なにも科学や技術の世界だけではありません。私たちは因果律を、無意識に常識として受け入れています。多くのモチベーションは、因果律を前提にできています。
 しかし、よくよく考えると、因果律は、本当にすべての事象において存在するのでしょうか。また、因果律に組み込まれている必然性の存在は、本当に確実なものなのでしょうか。そもそもそのような因果律の存在は、証明されているものなのでしょうか。因果律は、もちろん誰も証明していません。多分、証明は難しいでしょう。では、因果律を用いることなく、科学的論証を進めることができるでしょうか。それも、難しいでしょう。
 そんな不確かさの上に現在の科学、あるいは現代社会は成立していることになります。あるいは私たちの文明は、因果律の上で展開、発展できたものだけから成り立っている楼閣なのかもしれません。
 因果律の成立には、いくつかの前提が必要です。その前提に基づいて因果律は構成されています。因果律の前提をみていきましょう。
 まず因果律は、時間の存在を前提とします。もちろん時間の存在を否定する人はいないでしょうが、時間の属性を完全に把握することはなかなか難しく、古くから哲学の重要課題として扱われてきました。ここで議論するには紙面がたりません。時間が存在するとしましょう。
 時間には、流れがあり、一方向に、途切れることなく連続しているということ、そしてその連続の中に「現在」が設定できるという前提も必要です。「現在」が設定できれば、「現在」を基準に時間を「過去」と「未来」に区分できます。
 次に、時間の流れにおいて、「原因」は前(先、上流)に、「結果」は後(下流)に起こるという前提が必要です。当たり前のようなことですが、原因と結果の前後関係も、因果律における重要な前提となります。この前提も存在しないと、因果律は成り立ちません。
 ただし、私たちが何かをしたり、認識できるのは「現在」という微分的な時間においてだけです。「過去」は、「現在」に残留する記録、記憶にのみに内在されます。残留の痕跡は、時間ととも薄れていきます。記録は古いものほど減って行きます。岩石や地層でも同様です。もちろん、「現在」は「過去」の多大な影響の基に存在します。「過去」の積分的総体が「現在」といえます。
 「未来」は「現在」の延長でありながら、不確実、未確定なものです。深くていながら、明らかに「過去」や「現在」にも影響されます。「現在」にしか存在できない私たちは、「未来」をすごく意識します。夢とは「未来」を想像ことです。よき「未来」を望むから、「現在」の苦労に耐えられます。「未来」の目標を達成するために、つらい努力もできます。それらはすべて「未来」が私たちに与える影響です。まだ来ぬ「未来」を見つめて、私たちは「現在」を生きているのです。それこそが「未来」が私たちに与える影響、属性といえます。
 私たちは、「現在」のみに存在します。「過去」も「未来」も私たちに直接関与できません。「過去」をいじったり、「未来」を事前に知ることことはできません。それをすることは、因果律を破ることになります。タイムマシーンは、因果律を破る存在になります。過去も未来も、概念上、頭の中だけの存在ない泡沫(うたから)の存在なのかもしれないという気もします。
 因果律は時間の流れの中に存在します。
 もし因果律が正しければという仮定に立てば、ほとんどの物理法則も成り立ちます。たとえば、ニュートンの運動方程式やマクスウェルの電磁気方程式(いずれも微分方程式)によって記述できる世界は、すべて決定論的に結果を予測できます。それらの微分方程式を、ある時刻の初期条件を決めて解けば、ある時刻の状態を解くことができます。時間に制限はありません、過去や未来の状態さえも知ることができます。
 ただし、熱力学は統計学的な要素、量子力学ではそれに加えて観測者の影響なども加味しなければならないため、古典的物理学に比べると不確実性が混入しています。しかし、その不確実性は、因果律を破るものではありません。因果律の確度を変動させる程度の範疇に収まるものです。
 因果律を認め、物理法則を認めると、過去の原因によって導かれる現在の結果はすべて決定論的に知ることができます。物理法則には、過去や未来などとういう時間の制限はつきませんから、未来も一義的に予測可能となります。どんなに複雑なものであっても、法則性が解明されていれば、遠くの未来を見通すことができるのです。因果律によって、未来が保証されているのです。
 私は、ここに不可思議を感じます。時間の流れの中で、未来は確定されたものではないはずです。なにの因果律は、未来を予測可能にし、未来の結果を保証します。時間の流れの上に因果律は成立しています。しかし、因果律は、時間の流れを先取りするのです。
 因果律による未来予測に基づき私たちは、行動を律していきます。そして、望ましい未来を出現させる努力します。結果として、未来の結果を左右させることになります。流れに漂っているのにその行き先を知っているのです。考えると頭が無限ループに飲み込まれそうです。

・地質学的素材・
研究の方法や研究者になるための
修行について書こうと
エッセイを始めました。
前回もこのようなパターンでした。
書きはじめると因果律について話が進んでいきました。
実は時間と因果律については興味があり、
以前から論文にまとめようと考えていました。
まだ考えが整理されていなかったので
少しずつ文献は集めていました。
ですから、論文にはまだ着手していませんでした。
今回このエッセイを書きすすめる過程で
少し方向性が見えてきた気がします。
なぜ、地質学者が因果律や
時間について考えるのかというと、
素材がそれらと深い関係があるからです。
地質学とは、過去に形成された地層や岩石を素材します。
素材の中に時間軸を見出し、素材の属性を記載します。
素材の持つ時間軸にそって
過去の変化や変遷を記述していきます。
広域が対象の地質や、
微小部分の鉱物内が対象になることもあります。
しかし、地質学とは、過去に形成された属性のうち
現在に残された過去の記録の断片を読み取っていくことです。
そこから過去を復元していきます。
その復元では因果律は不可欠です。
因果律は時間の流れの中を漂っているのです。

・夏休み・
8月、夏休みです。
皆さんの予定はどうでしょうか。
我が家は、2泊3日で旅行に出かけます。
田舎です。襟裳岬周辺の海岸で遊びます。
磯に行きたという子供たちのリクエストです。
天気次第ですが、
もちろん私が見たいとろこがありますが、
天気次第でどうなるかわかりません。
いつもよく行くところですから
宿泊施設も何度も泊まっています。
そんな行きつけのところをのんびりとまわります。

2011年7月1日金曜日

114 心のビタミン:数学的論理不足

 人にはそれぞれ心にちょっとした満足感を与えてくれるビタミン剤のようなものが必要なのかもしれません。長期にわたってビタミンが不足すると、いつしか心に不調や飢餓感が生まれてくるのかもしれません。そんなときビタミンが欲しくなります。私とってビタミンは、「数学的論理」なのかもしれません。

 小学校で習う算数。そして中学校からの数学。小学校や中学校の間に、苦手意識をもってしまうと、以降、あるいは一生、数学アレルギー、あるいは数字にすら嫌悪感を持つ人もいるようです。幸いなことに、私は苦手意識を持つことなく、数学の問題を解く楽しみ、解けたときの快感などを感じることができ、好きな科目となりました。そして、大学入試でも、数学は得意な科目でした。ただし、数学を専門にするほど興味も能力もないことも、その途上で感じていました。
 その後私は、地質学を研究する道を選んだのですが、野外調査や分析に多くの時間を割くようになり、数学を用いる機会はかなり減りました。ただコンピュータを用いてプログラムを作成する時期が何年かありました。当時は今のように便利なアプリケーションなどない時代で、BASICで必要な計算を自作をプログラムでする時代でありました。
 電卓ではすぐにはできないよう標準偏差や回帰直線を求める計算でも、ササッとプログラムを組んで、即座に結果をみて、検討するようになっていました。ただし、大量のデータ処理や複雑な処理は、多くの時間をかけてプログラムを作成していました。岩石や鉱物の化学分析値を処理したり、年代測定値の計算、重みをつけた最小二乗法や線形計画法による計算、対数軸のグラフや三角図などへのプロットの作画など、ややこしい計算をしなければならないプログラムも作成をしていました。
 複雑な処理において、計算式自体はどんなにややこしくても一度で書き上げて完成してしまえば、プログラム上ではまったく修正することはありません。ただ、コンピュータを操作する上で、データ入力や画面表示、印刷形式などの別の部分のプラグラム作成や修正、改良に多くの時間と労力を割くことになりました。ただプログラム自体は論理的で、0(ゼロ)とO(アルファベットのオー)の間違いや、小数点の位置、入力間違いなど、少しでもミスがあると、正常な動きはしません。複雑になればなるほど、そのデバック作業に多くの時間を費やしました。そして、プログラムがうまく作動したときには、数学の難問を解いたときと同じような快感を得られました。
 しかし、プログラムも、ほとんど作成しなくなってきました。そんなデータ処理作業が減ってきたこともあるのですが、なによりアプリケーションの性能がよくなり多くのことが処理できるようになってきたこと、パソコンの性能もよくなりアプリケーションでも大量処理が可能になってきたこともあります。
 私が作成した最後のプログラムは、もう6年ほど前になります。地形の数値標高データの用いて計算するものです。計算自体はそれほど難しくありません。ただ大量の処理することと、久しぶりのプログラム作成作業だったので手間どりましたが、なんとか仕上げました。そして実際に処理をしました。作業は大量のデータファイルを繰り返しで処理していくので、全部を処理するのに、パソコンを動かしっぱなしで数日ほどかかりました。サブのパソコンに処理をさせていたので、余計に時間がかかりました。
 データ処理を終わって感激はありましたが、それほどではありませんでした。むしろプログラムの完成の時の方が、感動が大きかった覚えがあります。そのデータは一度できると、同じ処理はもうしなくてもよくなります。ですから、そのプログラムは二度と使うことはないでしょう。
 研究者が作成するプログラムというのは、明確な目的があります。プログラムによる結果が欲しいのです。プログラムとは、その結果を得るための手段にすぎません。そのプログラムで得られた結果、私の場合は処理された地形データが必要なのです。研究の目標は、その先にあるのです。ところが、その先の目標達成を達成しても、満足感が少ないのです。時間をかけて、議論して文章を書き進めれば論文という成果は得られます。なのに満足感が少ないというのは、どういうことなのでしょうか。目標への手段作成に感動し、目標達成にはさほど満足感を得られないという主客転倒の状態は、少々不思議な気がします。これは、私だけの問題でしょうか。
 今では、プログラムを作成して計算をすることもなくなりました。今後もあまりなさそうです。データの管理は専用データベースのアプリケーションで、データ処理は表計算アプリケーションで、グラフの作成はグラフ用アプリケーションで、作図は作図用アプリケーションがあります。表示も印刷もそれぞれのアプリケーションで自由自在に、そしてきれいに処理できてしまいます。
 そのような目的毎のアプリケーションの使用によって、今まで苦労していたプログラム作成の作業から開放されたわけです。喜ぶべきことなのでしょう。今や研究上の作業を、手作業でもどるには、もはや不可能なほど、アプリケーションに依存した複雑な作業をこなしています。明らかに生産量は増えています。
 プログラム作成における計算式以外の部分は、本来の研究からすると、枝葉末節の部分だったはずなのですが、実際には多くの時間を割いていました。その完成に、なぜか快感を覚えていました。今やそんな不要な労力はなくなりましたが、その感動も同時になくなりました。
 今まで接したことない画像処理でも、その原理も手法、計算法もよくわからない分野の方法論でも、結果だけ見て納得のいくものであれば、よしとして利用するようになりました。深入りするにはあまりに複雑な世界です。ですから、アプリケーションの中身は、ブラックボックスですませて、結果だけを客観性のあるデータとみなして利用しています。デジタル写真画像は、本当に現実を記録しているのでしょうか。あるいはすべてデジタル化された仮想の世界なのでしょうか。私が用いている画像には、どの程度の仮想が侵入しているのでしょうか。ブラックボックスとなっているため、現実と仮想の割合も分からなくなりました。
 地形データを処理して、景観に反映されている地質や、地形の由来などを題材にしてエッセイを6年以上書き続けて発行しています。かつてプログラムを作成して処理したデータも、この目的のためでもありました。もちろん何本かの論文にも使用しましたが。現在では計算やプログラムもすることもなく、以前処理したデータを地図用ソフトで表示し、いい画角の画像を切り取り、画像の形式変換するだけでルーティン化してしまっています。なん日もかけて大量のデータ処理をした時代が、6年ほど前が、大昔のように感じてしまいます。
 私には今や個人レベルでプログラムする機会はほとんどありません。これからもないでしょう。私が得ていた満足感の根源は、数学的なあるいは論理的な問題に接っし、対峙し、解消することで得られるものだったのでしょう。そんな機会が現在では極端に減った、あるいはなくなってしまったのが現状です。あの快感はもう得られないのでしょうか。その満足感の不足が、潜在的な飢餓感になっているのかもしれません。
 先日、中学2年生の長男が数学検定を受けて、その問題をもって帰りました。数学検定には、計算問題(1次検定)と数理応用と呼ばれる証明や幾何学の問題(2次検定)があります。長男がもって帰った問題を答え合わせを兼ねて解いていきました。計算問題は簡単に解けるのですが、証明問題の方がなかなか手ごわい問題があります。証明問題の途中で疲れて投げ出しましたが、久しぶりに数学を解く苦労と快感を味わいました。
 ここ数年、プログラムをしなかったせいか、どうも数学や論理的問題を解く快感に飢えているようです。一種の頭や心の栄養失調のようです。その快感は私にとっては、体におけるビタミンのようなものでしょう。
 ビタミン補給のために、数学、趣味として数学の勉強をしようかと考えました。そこで、高校数学や整数論、巨大数などの本をデジタルで入手しました。ところが、どうも正面きって取り組む気持ちが湧いてきません。デジタルのせいかと思い、手元にある紙の本を見てみましたが、それなりの興味があるのですが、続けて読み進める気になりません。やはり必要性がないと、なかなか時間をかけて、心を傾けて向き合えないようです。それらの本は開くことはなくなりました。
 数学の問題以上に、私にはこの「論理不足」がなかなか難問です。どう対処していいかは、まだ未解決なのです。

・夏・
いよいよ7月です。
北海道も暑さを感じるようになりました。
例年の夏とは違いますが、
こんな夏もあるのでしょう。
ただここ数日は、湿度が高く
少々蒸し暑い日々が続いています。
大学では、7月一杯が授業で、
8月はじめに定期テストです。
一番暑い時期に定期テストをするのは
いかがなものでしょう。
北海道の大学教室には冷房などありません。
本末転倒のような感じもしますが。
定期テストの後、学生は授業からは解放されます
夏休みは、9月下旬まで続きます。
ただし、教員は定期テストの直後から
採点と成績評価をしなければなりません。
お盆前後は忙しくなります。
まあグチをいっても始まりません。
淡々と与えられた仕事をこなしていきましょう。

・本末転倒・
このエッセイは、当初
ゲーデルの不確定性原理について書くつもりでした。
それについてデータも集め、読み込んでもいました。
しかし、実際に書き始めていくと、
前書きのつもりで書き始めた文章が
ついつい違う方に話が進みだして、
止まらなくなりました。
気づいたら、前書きの何倍もの分量になっていました。
そこで、前書きを本論にして
今回のエッセイを仕上げてしまいました。
これも本末転倒の例なのでしょうね。

2011年6月1日水曜日

113 凡庸性原理

 凡庸さとは、ありふれたことですが、本当に凡庸な存在など存在するのでしょうか。かつて、太陽系や地球、生命、知性に対し、凡庸性が適用されました。その適用は正しかったのでしょうか。今では地球の特異性がみえてきました。凡庸性の行き過ぎた適用だったのでしょうか。凡用性原理について考えていきましょう。

 「凡庸(ぼんよう)」とは、ありふれた並(なみ)のことで、目立つことのない、平凡、平均的なことです。凡庸に当たる英語として、「mediocrity」という言葉があります。この「凡庸さ」が、科学の世界では、重要な意味をもつことがあります。
 凡庸さを原理とした「Principle of Mediocrity」というものがあります。「凡庸性原理」という呼び名はなく、「月並み原理」という訳語が使われることがあります。「月並み」という言葉には、否定的意味がありますが、凡庸にもそれほと肯定的ではない意味合いがあり、同じようなことなのでしょう。私は、タイトルにした「凡庸性原理」が気に入っているのですが、このエッセイの中では、「メディオクオリティの原理」(仮説と呼ばれることもあります)ということにしましょう。
 「メディオクオリティの原理」は、「Principle of Indifference」(平凡の原理)や「Copernican Principle」(コペルニクスの原理)とも呼ばれることもあります。「Principle of Indifference」は、mediocrityを同義のIndifferenceに言い換えたもので、同じ意味になっています。
 注意が必要なのが、「コペルニクスの原理」です。「コペルニクスの原理」は、「コペルニクス的転回」とは違います。「コペルニクス的転回」は、有名な言葉ですが、天動説(地球が宇宙の中心)から地動説(太陽の周りを地球などが回る)という説を提唱したコペルニクスが起こした認識の大転換をいいます。哲学者のカントが用いた言葉だそうで、一種のパラダイム転換を意味する言葉です。
 コペルニクスが地動説で示した重要な意義は、地球は太陽系では特別な天体ではなく、多数ある惑星のひとつに過ぎないということです。この考えを敷衍すれば、地球は、太陽系は、銀河系は特別なものではなく多数のうちのひとつにすぎず、生命は、ほ乳類は、人類は特別な存在ではないことになります。この考えは、「メディオクオリティの原理」そのものです。
 「コペルニクスの原理」という表現は、混乱を招くので、「メディオクオリティの原理」を用いるほうがいいでしょう。
 さて、メディオクオリティの原理とは、その「凡庸さ」を逆手にとって、論理をすすめる方法です。手がかりがまったくない状態でも、「凡庸さ」を根拠に論理をとりあえず展開していくことができます。少々強引なところがありますが、なんとかして、見通しや結果が欲しい時に、まったくお手上げになるよりは、「メディオクオリティの原理」で進むほうがいいわけです。凡庸さ故に、前進できるのかもしれません。
 メディオクオリティの原理が利用された例として、知的生命の存在確率の計算が有名です。知的生命の存在の可能性を、銀河系の天体数(天体の誕生率×文明の存続期間とすることもある)と、知的生命が存在するための様々な要因の可能性(1から0の値)の積としてを求めるものです。要因として、恒星が惑星をもつ確率、生命が存在できる領域(ハビタブルゾーン)に惑星がある確率、生命が発生する確率、生命が知的生命体にまで進化する確率、知的生命体が文明持つ確率、などが挙げられています。これらの要因は、いずれもて不確かで、桁数くらいしかわからないものも、見当すらつかないものまであります。
 銀河には、数千億(我々の銀河は2000億~4000億程度と考えられています)個の恒星があると見積もられています。この恒星には、生命が生存できる可能性の天体はどれくらいあるかを見積もります。ところが、地球外の生命についてはまったく情報はありません。地球外生命や人類以外の知性などの中には、現状の知識では推定不能なもの、信頼のできるデータもないものがいくつかあります。その時、地球や地球の生物、ヒトを参考にしていこうというのが、メディオクオリティの原理です。
 太陽系の形成モデルでは、原始太陽系分子雲から恒星や惑星が必然的に形成される、どこにでも適用してもいい普遍性のあるモデルでした。コンピュータのシミュレーションでも、同じ結果が得られていました。ですから、太陽系での惑星形成は、ごくありふれたプロセスだと考えられました。
 地球生命は、惑星系で水が長期間安定して存在できる環境を前提に発生し、進化し、そしてやがて知的生命であるヒトが生まれ、文明が誕生し、現在の科学技術に基づく社会を生み出しました。この条件を「メディオクオリティの原理」として受け入れ、可能性を推定していくわけです。
 太陽系には大きな惑星は10個ほどあり、そのうち水が存在できそうな天体は2個(地球と火星)ですから、確率は0.2です。そのうち、水惑星の環境が維持できたのは、地球だけで、0.5です。
 生命の誕生の可能性は不明ですが、環境が整えば生命が発生できると考えれば、1になります。そうすると火星でも生命が発生できた可能性があります。もし火星には発生せず、地球にだけ発生したとするのなら、0.5になります。今のところ火星の生命の確実な証拠はありません。慎重派なら0.5を、火星生命誕生の可能性を信じる人(楽観主義的立場)なら、1となります。
 このような推定をしながら、知的生命の存在の可能性の概数を求めていくわけです。
 このプロセスにおいて一番重要なことは、残念ながらメディオクオリティ原理を適用してとりあえずの結果がでたとしても、その数値には確かさの保証がないということです。とりあえずの方便(ほうべん)のような手法をとっているので、結果に科学的、論理的に根拠がないのです。
 さらにいえば、そもそも我々の存在が、本当に凡庸さの中にあるのかという疑問です。私たちの太陽系は、本当に当たり前の惑星系なのでしょうか。地球は本当に惑星の中で典型な惑星としていいのでしょうか。
 新たな観測事実によって、私たちの「凡庸さ」の評価が変わりつつあります。近年、太陽系以外の恒星で、惑星がいくつも発見されてきました。いろいろな手法で探査されてきましたが、その中で、多様な惑星系があることが判明してきました。
 最初に見つかったのは、ホットジュピータ(熱い木星)と呼ばれる惑星でした。ホットジュピターとは、公転半径が小さく公転周期が短い木星程度の大きさで、太陽に近いところを回るため非常に熱くなっていると予想される惑星です。
 ホットジュピターの他にも、離心率の大きい、つまり長い楕円軌道をもつ高温期と低温期を繰り返す巨大惑星(エキセントリック・プラネット)も発見されています。ホットジュピターとエキセントリック・プラネットの比率は、これまでに発見された系外惑星で大半(百数十個のうち百個ほど)といっていいほどを占めています。つまり、どうも太陽系のような惑星系はありふれたものではないようなのです。
 現在も探査は継続され、NASAの探査機「ケプラー」は、太陽系外惑星を探す目的で、2009年3月に打ち上げられ、6月には運用が始まりました。10万個の候補から、惑星系、特に生命が存在できる領域(ハビタブルゾーン)での地球型惑星を見つけることが最大の目的となっています。つまり、第二の地球、そして生命や知的生命の可能性が考えられるような惑星を探索することです。
 その惑星の発見は、2010年1月に最初の惑星が報告されて以来、続々と発見されてきました。2011年5月23日までに、11個の惑星系の存在が確認されています。ケプラー探査機以前にも見つかっていた地球外惑星の多くはホットジュピターやエキセントリック・プラネットでしたが、ケプラーによる最初の発見も、ホットジュピターでした。
 ケプラーが発見した惑星の半分は、ホットジュピターです。ただし、生命が存在できる領域にある地球型惑星も6個、発見されています。また、1000個以上の惑星候補があります。そのうち300個ほどが地球程度の大きさの候補だと考えられています。
 見つかっているいずれの地球型惑星も、地球とは似て非なるもので、大きかったり、寒かったり、暑かったりで、そっくりというものはまだ見つかっていません。地球型惑星があまり見つから理由は、遠くの小さな惑星を見つけるのは難しいこともあるでしょうが、もしかすると、地球型惑星は凡庸ではなく、特異な存在なためかもしれません。
 ハビタルゾーンや生命誕生には、それなりの許容範囲があるでしょう。ですが、条件や環境が違えば、たとえ生命が誕生してもタイプが異なったり、違った進化をしたり、全く異質な生態系になっているかもしれません。そんな条件では知性や文明は出現しないかもしれません。
 現在のところ、発見されている惑星には、多様さが目立ちます。もしかすると、多様さこそが惑星系の本質なのかもしれません。そうなると、太陽系という特異な惑星系の中の、特異な惑星として地球が位置づくのかもしれません。地球は、「凡庸」ではなく「特異な」天体であったのかもしれません。我々生命も、ヒトという知的生命も、我々の文明や技術も、特異な存在なのかもしれません。地球外知的生命は、さらに特異で、知的コミュニケーションができるような存在は、同時期には存在しえないのかもしれません。我々は今現在の宇宙では、孤独な存在なのでしょうか。凡庸と特異が間(はざま)が、まだまた埋まりそうにありません。

・運動会・
6月になりました。
北海道は5月中は肌寒い曇天が続きましたが、
5月の最下旬になって、やっと暖かくなってきました。
ただ、からりとした天気がなかなかきませんが。
いよいよ北海道は、運動会のシーズンになってきました。
若葉の頃の運動会でから、天気さえよければ、
清々しくて気持ちのいいものになります。
しかし、天気ばかりは心配しても仕方がありません。

・凡庸と特異の間・
平凡であることがいいのか。
特異であることがいいのか。
2分法で考えるべき問題ではないでしょうし、
現実は折衷てきなものが多いはずです。
ある時は平凡で、別の時には個性的で
あるべきなのかもしれません。
平凡である続けることも、個性的であり続けることも
「特異な個別」ではないでしょうか。
平凡と特異を行き来することこそが、
「凡庸な一般」の特性ではないでしょうか。

2011年5月1日日曜日

112 帰納法と権威

 人は、無意識に帰納法を実生活で適用しています。帰納法が緩やかに働いていると、それが作用していることも気づきません。帰納法の適用の結果、権威が形成されていきます。もしかすると、帰納法的考え方とは、脳の生理に叶っているが故に、無意識に使っているのかもしれません。

 このエッセイでは、科学における帰納法について何度か取り上げたことがあります。数学的帰納法は、厳密に限定、定義された世界では、帰納法から得られたものは正しいと判断できます。しかし、自然界や現実の社会では、対象が厳密に定義された世界ではなく、観測しきれない広さ、測定でしきれない複雑さをもっています。そんな複雑さをどう回避しているのでしょうか。今回は帰納法の人間的な側面をみていきましょう。
 科学において、帰納法という手法は、有効なものとしてごく普通に利用されています。帰納法を用いれば、多数の事実(データ、観察、事例、・・・)から、今までない新たな法則を見出すことができます。非常に魅力的で、そして有効な手法です。
 ただ、問題は、論理的に結果の正しさを保証されていないことです。これが数学的帰納法との違いです。ある結論を支持する証拠が、どんなにいっぱいそろっていたとしても、たったひとつの否定的証拠(反証)で、その結論は否定できてしまうという弱点があります。これが自然界、社会における帰納法の限界です。それは、母集団のすべての事例を網羅的にチェックすることができないという非常に現実的な制限があるからです。
 今までどんなにいろいろなに証拠が積み上げられていたとしても、論理的には崩壊します。例えば、つぎのような場合です。恐竜は中生代の古生物で、中生代の終わり(K-T境界と呼ばれている時代です)に絶滅した動物です。もしネス湖で生きている首長竜(ネッシー)が発見されたとしたら、恐竜の絶滅という論理は破綻します。光速がこの世で一番早いとされていますが、もし光速より速い「もの」が実測されたら、相対性理論は破綻します。氷が水に沈む現象が発見されれば、水が上流に流れたら、ひとつの水槽の中で温かい水と冷たい水に分かれたら・・・。まあ、論理のどこかを修正すれば、とりあえずはなんとかなるかもしれませんが。
 今まで「ある理論」を支持する証拠しかみつかっていないからといって、その理論が正しいとはいえないのです。論理的には不完全で、完全にするにはその理論が適応できる範囲のすべてを網羅的に調べて、正しいことを示さなければなりません。そうでなければ、たった一個の反証で崩壊する不完全性を持っているからです。
 帰納法の限界は、論理学ではよく知られ、科学哲学でもよく問題にされているテーマでもあります。帰納法の限界があることを、科学者は理解しておくべきです。ところが残念ながら、理学や自然科学の学部や大学院の専門教育の授業で、論理学や科学の運用について講義を受けることは殆どありません。ですから、科学者でも、帰納法の限界を知らずに科学をしている人も、多数いるかも知れません。もしそんな科学者が反証に出会うと、保身的本能が働いて、ついつい感情的に反論したり、時に反証を提示した人への嫌悪感を募らせることがあります。これは、科学の土俵をはみ出ています。
 しかし、たとえ帰納法の限界を知っていたとしても、反論に対しては嫌悪感が沸き起こるでしょう。科学者なら理性的に対処したいものですが、なかなか難しいものです。科学者も人間ですから、人の性(さが)に左右されるものだからです。
 というのが今回の前置きで、次に人と帰納法の話になります。
 先入観のない人との付き合いを考えましょう。顔を見ずに付き合いが始まるとしましょう。
 科学の世界では、新人が論文を投稿するときは、審査(査読といいます)を受けます。新人の論文であれば、査読者はその道の先輩になります。査読者は、新人の論文を読むとき、内容の吟味をするのはもちろんですが、教育的配慮もこめていろいろと注意や指摘をすることがあります。内容がレベルに達していなければ問題外ですが、内容がある程度よくても、いくつか難しい指摘をしていくことがあります。
 これは、私の経験ですが、その分野ではだれもが知る共通の問題で、なかなか解決できないもの(オフィオライトの化学組成における元素移動の問題)がありました。査読者ももちろんその問題について熟知していたはずです。私が最初に投稿した論文では、その問題についてどう対処したのかが、査読から指摘を受けました。私は、その指摘を、厳密には解決をできない旨を示して、変化を受けにくい成分、受けたとしても結論を左右するほどの変動をしていないことを前提にして議論している、と回答しました。これは、当時のそして現在でも、多くのその分野の研究者の態度です。
 あとで、査読者がわかったとき(よく知っている先輩でした)、その論文の件について聴きました。彼は、答えられないのは分かってきたが、教育的配慮として指摘したと言っておられました。今思えば、ありがたい指摘であったと思います。
 ここまでは理解できます。私の似たようなことを、後輩にしたことがありました。私がある論文を査読した時、その論文が英文だったので、英文で査読結果を書いたり、より良いタイトルの変更を指示しました。もしかすると、不要な英文や変更要求だったかもしれません。よりよくなればと思ってしたことです。論文の中身と関係がありませんから。
 学会というのは、共通の利益を求める同業者のコミュニティで、善意に基づいたボランティア集団ですから、新人を育てる姿勢も強くあります。新人は感謝をすべきかもしれません。何編か論文を書いてい一人前になってくるとると、本質的な指摘で、初歩的な指摘は減ってきます。
 さて、問題はその先です。研究者として一人前から一流と評価が上がってくると、その権威が周りの人を威圧することがあります。ある研究者(当時の私の専門としてた分野の権威)が、もう定年をされ一線を退いていましたが、研究心は旺盛で、論文や書評なども書いておられた頃の話です。明らかに、一昔前のレベル、新規性や独創性のない論文が、単著で掲載されたことがあります。つまり、学会のレベルからすると掲載に値しないはずの論文です。通常なら査読者が、掲載拒否してしかるべき内容でした。明らかに、その研究者の権威によって掲載された論文です。
 掲載のレベルのぎりぎりの内容でも、新人や若手の研究者の論文なら却下でも、熟練の研究者なら少々不備があっても、掲載されることがザラにあります。これは、ある意味で、仕方がないことかもしれません。
 同じ内容でも、ベテラン研究者の言であれば、周りの人にとっても意義を見出せ傾聴に値し、駆け出しの研究者がいえば、戯言にされてしまうことがあります。特に、学術論文ではなく、主張や意見記事などのようなものは、新人にはなかなかハードルが高くなります。しかし、権威のある研究者では、ほぼ無条件で掲載されることが多くなります。
 そんなベテラン研究者も、若手の頃は、今の若手と同じよに切磋琢磨して実力をつけ、実績を積み上げてきたはずです。コミュニティでも彼の実績を、見守ってきたはずです。これは、研究実績おける帰納的評価というべきものです。このように研究者は、自分の言の重さを増やして来たのです。権威とは、このように帰納的に作り上げられるものでしょう。若い時に失敗したらなかなか取り返しはつきませんが、ベテラン研究者は大きなミスもしないでしょうし、少々のミスはコミュニティも多めに見てくれます。一種の今までの貢献のお返しかもしれません。論文も、背景にあるそのような実績や権威も同時に読み取るべきなのかもしれませんね。
 本当に人類の知的蓄積だけを考えるのであれば、無記名での論文の審査し、掲載をすれば、本当に価値のある論文だけが掲載されるでしょう。でも、それは夢物語です。なぜなら、科学は人間がするもので、人間には何をするにも、やる気、動機、集中、ねばりなどが必要です。その一端を、名誉や権威などのさまざまな欲への志向が担っているはずです。
 人の活動は、記憶の蓄積(経験)として作用します。蓄積された記憶のパターンは、繰り返し使われるほど、そのパターンは強固になります。脳における帰納的活動です。パターンが完成すると、逸脱を嫌います。頭の中で作り上げた人間像、固定観念、判断基準で、すべて判断をしがちになります。新人はまだそのパターンを構築しされていない人なので、公平な判断を適用されます。ベテランは出来上がったパターンで判断されるので、少しぐらい逸脱しても、強引にいつものパターンで判断されます。
 このような人間への帰納的適用は、決して悪いことばかりではありません。適応する人がブレない人であれば、少々言い回しが稚拙でも、そこには経験に裏打ちされた聞くべきものがあることを、前例は示しているはずです。そんな実に人間的な結果を帰納法は生み出します。
 ただ、そこに前例にない誤りがあったとき、今まで帰納的に気づいてきた価値判断をすべて否定するか、というとなかなかそうはいきません。多少は「おおめ」に見るでしょう。論理的、科学的ではありませんが、もしかすると、この論理から外れた「おおめ」は、失敗を許し、再起を与えることなのかもしれません。ただ、2度、3度繰り返すと、論理的判断が出るかもしれません。「ああ、あの先生はもう終わりだ」と。

・若者・
帰納法は、無意識に適用する傾向が人間にはあります。
それは、いい面、悪い面の両方があります。
それをわかって使えばいいのですが、
無意識に運用してしまいます。
ですから、なかなか難しいものです。
でも、人間生活では、この運用は何年もかけて築くものです。
ですから、意識して利用しているわけではありません。
無意識、つまり人間の性として利用しているのでしょう。
固定観念の不備に気づくものは、
その固定観念をもっていない人たちです。
若者です。
若者は、年配者たちに立てつくのは、
そのような帰納がまだ働いていないので

・帰納的観念・
ゴールデンウィークになりました。
私は予定はありません。
適当に思いつきで過ごすことになりそうです。
まあ、家族で団欒といきましょうか。
まあ、疎まれない程度にしておく必要がありますが。
このへん兼ね合いは、
家族の年齢構成に変化してきます。
それをうまく察知しないといけないのですが、
なかなか難しいものです。
帰納的観念ができているので、
それを修正しながらですから、
まずは心理的抵抗があります。
それに打ち勝つのはなかなか大変です。

2011年4月1日金曜日

111 まろうど として

 「まろうど」として、私は、愛媛県西予市城川町で1年間すごしました。そこでは、研究目標の達成を目指しながらも、地域の人ととのかかわりを育んできました。私が城川でなしたこと、「まろうど」として果たしたこととは、いったい何だったのでしょか。1年を振り返りながら考えてみました。

 「マロウド」という言葉をご存知でしょうか。外国語のような響きがありますが、実は日本語です。「客」という漢字があります。「客」の音読みは、「きゃく」とか「かく」ですが、訓読みをご存知でしょうか。音読みしかないと思っている方も多いのではないでしょうか。実は訓読みもあります。それが、「まろうど」という読みです。「客人」と書いて「まろうど」と読むこともありますが、「客」一文字で「まろうど」と読みます。
 漢字の辞書の「漢字源」によると、「客」は、会意文字でもあり形声文字でもあります。「客」のつくりの「各」は、四角い石うえに足でつかえてとまった姿を示す会意文字です。その「各」を音として、かんむりの「宀(やね、いえ)」をつけて、他人の家にしばし足がつかえてとまるいう意味になったそうです。訓読みは、古くから日本で使われてきた大和言葉の「まらひと」から由来していて、「まれに来る人」から「客」という漢字にあてられました。
 さて、私は、2010年4月1日から今年の3月31日まで、1年間、愛媛県西予市城川町に滞在しました。野外調査に出ることも、周辺の行事や名所などもいろいろ見にもでかけましたが、それ以外は城川総合支所で仕事をするという生活をしてきました。まあ、起きているときの大部分は支所で執務していたことになります。
 一日の生活は、単調な繰り返しをしていました。朝起きて、朝食を食べて自宅を6時前後にでます。歩いていても、ほとんど会う人はいませんが、まれに散歩する人に会うことがあります。何度か会えば顔見知りに会話もすることもありました。夕方は5時過ぎに支所を出て、帰宅したらご飯をセットし、すぐに温泉プールに向かいます。プールでも同じ時間帯に毎日いってますから、何人かの顔見知りもできます。プールの職員や何人かの顔見知りとは、会えば笑って挨拶をかわすだけでなく、挨拶以上の会話もするようにもなりました。プールから帰ってきたら7時過ぎで、それから夕食をとって、片付けが終わったら布団に入ります。そして眠くなるまで本を読み、寝ます。そしてまた、朝を迎えます。その繰り返しの毎日でした。
 こんな生活でも、少ないながらも、町の人達とも付き合いもし、ネットワークが築きながら暮らしてきました。身分も聞かれない限り明かすこともなく、生活していました。しかし、滞在が長くなる従い、講演会や町の広報に写真入で出たりしたので、素性も知られるようになってきました。そんな生活も、3月いっぱいで終わりました。
 1年間の城川暮らしを振り返り、引越し前に少々整理していこうかと思いました。そのまとめを今回のエッセイにしました。
 まとめようと思ったとき、まずは、「まろうど」という言葉を思い浮かべました。滞在当初、地域の人々が、非常に深い絆で結ばれているため、お互いに氏素性を熟知する関係です。そこで生活をしはじめると、自分が「旅人」であるということを強く感じました。四国では、巡礼者など旅人もてなす「接待」風習が今もあり、旅人には親切です。
 時間がたち、顔見知りの増え、私の素性を知る人も増えてくると、「まろうど」としての扱いを受けるようになりました。私の素性は知っているが、外から来た人でやがて出て行く人という扱いです。ただし旅人とは違って、1年間という期間住み着いている人という扱いです。「旅人」と「まろうど」の違いは、微々たるものですが、相手の笑顔や会話の機微として微かに感じます。
 ここに定住しない限り、「まろうど」を超えることはできません。それは仕方がないことで、それはそれでいいと思います。ですから、私は、「まろうど」としての生活を楽しみました。
 研究の面ではどうだったでしょうか。滞在期間での研究目的は、いろいろとありましたが、申請したときの研究題目は「西南日本外帯の地質調査とその教材化による科学教育の手法開発-西予市周辺地域の地質によるケーススタディ-」でした。
 研究としては、地質学と教育学における目的がありました。地質学では、研究データの収集のために地質調査と私が目指している地質学における哲学的な思索の野外での実践でした。教育学では、地域固有の地質素材を集めることと、それを利用した教育実践としての応用でした。
 研究において調査やデータ収集、分析は必要不可欠な作業です。しかし、研究とは、その成果を公表、公開することによって完結します。公表、公開とは、学会で発表したり、論文を専門誌に投稿して印刷物として出版することです。科学教育においては、実際に実践をすることが重視され、そこから抽象化できることがあれば、論文となります。ですから、科学教育では、まずは実践した実績をつくることとなります。
 研究の結果は、昨年9月に半分経過したので一度整理し、先日1年間の整理をしました。私の当初の目標は、月一本ペースで論文の草稿作成と月一回の野外調査を目指すことでした。もちろん目標ですから、少々高めに設定して、実際はその半分も出来ればいいかなと思っていました。調査不足、書けなかった草稿、やり残したテーマなどがまだまだあります。もっと頑張れたのではないか、という思いもあります。目論見通りにはいきませんでしたが、それなりの成果もありました。
 研究で成果を出すということは、知的資産の蓄積、人類への貢献といったことが大義名分になります。でも、個人のレベルで考えると、自己満足の延長でしかないのかもしれません。一方、科学教育は、人を相手にします。教育を受けた人は、そこから何をえ、何を学ぶかは、講師には予測不能です。ただ、可能なかぎり周到な準備をし、少しでもよりよく分かってもらう努力をすることしかできません。
 地元の小学生や先生、住民とは、町でみかけると挨拶をして、時には話しかけてくれます。そして多分ですが、私の身分を知って話している人の何人かは、地質学者が1年間住み着いていることから、自分たちの地域の地質が重要だということに思いはせてくれるていると思います。そう願います。そのような期待も、自己満足でしょうね。
 私は、1991年の城川町立地質館の構想、建設以来、毎年のように城川町に通っています。その間に、2004年4月1日には市町村合併で西予市が誕生しました。それによって私の地質に関わる科学教育の実践の舞台も、城川町から西予市に拡大しました。そして2010年4月から、私は西予市城川町の一員として1年暮らすまでの関係ができました。
 たとえ20年間毎年通っても、たとえ1年間住み着いても、やはり私は「まろうど」です。そこで生計を立ててるわけでもないし、家族と離れての単身赴任で、やがて北海道に帰る「まろうど」です。でも、「まろうど」が城川に興味を持っている、西予市に長期滞在するという意義はあったのかもしれません。私が、「まろうど」であるが故に、より多くの人に、私の声が届いたかもしれません。
 「まろうど」に対して、地域の人は暖かく接してくださいました。そのおかげで、充実した1年間が過ごせたという思いがあります。それは受け入れてたいただいた西予市と城川総合支所の関係者の方々、そして地域の住民の方々にお世話になりました。充実した一年を過ごせました。本当にありがとうございました。

・お見舞い・
東北地方太平洋沖地震に
被災された方々、お見舞い申し上げます。
微力ながら復興に支援していきたいと思っています。
ただし、多数の人が力を合わせてこそ意味にある寄付と、
地質学者、科学教育者としての私ができる
研究やこのエッセイのような科学普及のように
その分野で続けてきたことが
間接的な支援として、役立つと信じています。
一刻もはやい普及をお祈りしています。

・自己満足・
研究とは、広い意味では自己満足かもしれません。
でも、これは研究だけでないかもしれません。
でも掘り起こせは、どんな仕事や責務にも、
自己満足的な部分があるような気がします。
なくても遂行している本人が見つけ出しているかもしません。
もしかすると、それが人が動くための重要な
モティベーションになっているかもしれません。
本音から動かないと一生懸命にはなれないはずです。
自己満足は、本音の琴線にふれるのかもしれませんね。
ですから、自己満足は悪い面だけでなくよい面もあるわけです。
自己満足、結構ではないでしょうか。
その自己満足が個人の利益ではなく、他者の益となれば、
そしてそんな力が集まれば、
社会にとっては、大きな力となるはずです。
復興にもそんな力が必要なはずです。

・成果・
エッセイも書きませんでしたが、
2つのテーマでサバティカルの申請をしました。
それに基づいて、私の城川での1年間は
以下のようにまとめられます。
▼地質学の成果
野外調査:28日
投稿論文:2編
論文草稿:6編
▼科学教育実践
小学校での授業実践:2校時×2日
普及講演:3回
(今年の秋に出版予定)
西予市の地質図
西予市の地質解説書

2011年3月1日火曜日

110 ヒジの形の肱川:地理認識能力の喪失

 今回は、私が住む西予市の主河川である肱川がテーマです。肱川を鳥瞰的に眺めることができるでしょうか。肱川を遡上していくと、必ず錯覚してしまいます。昔の人も錯覚をしたかもしれませんが、正しい地理を認識をする能力を持っていたようです。そんな能力は、今の人がなくしたものの一つなのでしょう。

 今回のエッセイは、城川から発信する最後のものとなります。つまり滞在期間があと一ヶ月になったということです。この一年間に、いろいろな人との出会いがありました。いろいろなところへも行きました。いろいろな行事にも参加しました。つらいこともありましたが、過ぎてしまえば、すべていい思い出となります。いい一年を過ごさせていただいたと思っています。この一年間の経験を、将来に如何に活かしていくかが重要なのでしょう。ただし、あと一ヶ月ありますので、やり残したことをいろいろやるつもりですが。
 今回は、私が暮らす西予市の話をしましょう。西予市は、肱川(ひじかわ)の上流にあります。西予市の主河川(メインリバー)は肱川です。
 じつは、肱川は、不思議な川なのです。肱川を遡ってみるとわかります。
 肱川の河口は大洲市長浜の伊予灘にあります。肱川は、長浜から大洲までは、三波川変成帯の中を流れます。周囲は山間地で険しいですが、川は下流域なので広くゆったりと流れています。大洲の市街地はいくつかの河川が、肱川に合流するところで、氾濫原の盆地となっています。大洲の街をぬけて遡ると、山合を流れる川に変貌します。くねくねの山間地を縫う流れになります。肱川が西予市野村町に入っても、険しい景観は続き、より山奥の上流の様相になります。肱川は、小さな屈曲を繰り返しながら、大局的には時計回りに曲がり、西予市の中心地の宇和盆地の達します。さらに時計回りに曲がりながら、西予市と大洲市の境界の山並に達します。西予市宇和町久保の奥の溜池のあたりが、肱川の源流になります。
 上流域の開けた宇和盆地は、野村より海に近いのです。盆地を囲む山並みは分水嶺でもあり、海のすぐ近くになります。海は川の最後の到達点です。なのに分水嶺のすぐ近くに海があります。奇異な感じがします。
 肱川(大洲市肱川町)から野村(西予市野村町)にかけては、上流域の景観を持っています。その間には、鹿野川ダムや野村ダムもあり、肱川の上流部といえます。なのに上流域に開け宇和盆地があります。このようなことは、地図をみれば、頭では理解できるのですが、感覚的には混乱します。特に肱川沿いを車で遡上すると、そんな不思議な感覚、錯覚が起こります。
 野村や城川は全域が山地で標高も高く、宇和盆地のほうが標高は低くなっています。私が住んでいるところは、肱川の中流に注ぐ黒瀬川、その支流の三滝川流域です。家は、町内でも低い山裾にあたり、標高200m以上あります。宇和盆地も標高は200mほどです。一番上流の標高が、中流域とそれほど標高差がないのは、奇異な感じがします。
 源流部に降った雨が肱川の最初の一滴になります。源流部の尾根が分水嶺ですが、尾根の向こうに降った雨水は、肱川の下流部に流れ込みます。これも奇異な感じがします。
 もちろん川ですから、常に低いところに向かって流れています。肱川の流水面も、宇和盆地からは、標高のより低いところを流れているはずです。ですから奇異な感じというのは、錯覚です。でもこの錯覚は、私だけでなく、肱川の川沿いを走れば、だれものが感じるものだと思います。
 このような不思議な感覚は、西予市の地質に依存しています。西予市は、大部分が秩父帯の分布域です。秩父帯の中には、黒瀬川構造帯とよばれる岩石が、城川から野村にかけて狭い範囲で分布します。これらの岩石が分布する周辺域は、地形が険しく深い谷となっています。岩石の硬さや侵食への抵抗力に依存するのでしょう。
 ところが、宇和盆地では、黒瀬川構造帯が途切れ、秩父帯の岩石だけとなります。秩父帯の岩石でも、玄武岩類や石灰岩などを含むところは侵食に強く、砂岩や泥岩の堆積岩のところは侵食を受けやすいようです。もちろん他にも地質構造などの影響もあるでしょうが、西予市では岩石の分布と地形がいい対応をしています。西予市と大洲市の分水嶺付近は玄武岩類や石灰岩の多いところとなっています。宇和盆地の南の分水嶺は仏像構造線で盛り上がっていますが、仏像構造線沿いには、石灰岩や玄武岩類が点々と分布しています。
 さて、肱川という名称は、いくつかの由来があるそうですが、肱のように屈曲しているという説があるそうです。肱川を地図でみると、ひらかなの「つ」のような形になっています。それを肱の形と見なすことができます。
 地図もない時代に、川の全体の形状を、肱のようだと理解していたとすれば、すばらしい地理的な認識力です。これは、ある特別な能力を持った人が、たまたまいたからでしょうか。多分違うと思います。昔の人には、すばらしい地理的感覚があったのではないかと思います。そしてその能力は、今の人にもそもそもは備わっているものだと思います。ただ、現代生活の便利さのために、その能力が使われず、錆びつき退化しているのではないでしょうか。
 地図を持たなかった昔の人は、生活や旅をするために、地理的感覚は必要な能力だったのかもしれません。地図やカーナビもない時代の人にとって、どの方向に、どれくらい移動したのかということを、大局的につかまえる能力がなければ、長期にわたって旅をするのは、なかなか大変だったことでしょう。
 江戸時代に鳥瞰図を絵図を書いている絵師がいたり、西洋でも歪んではいますが形状は捉えている古い世界地図があります。今では、コンピュータを使って計算して鳥瞰図を作成していますが、昔の人は、空から眺めるような地理感覚をもっていたのでしょう。それは、特別な人の能力ではなく、地図のないところ旅をする人は、みんな持っていた能力ではなかったでしょうか。もちろん現代人の私たちにもその能力は秘めれていると思います。ただ、使う必要がないため、眠った能力にすぎないのです。
 渡り鳥、鮎や鮭などの魚類、草原を大移動する動物たちは、長距離移動しても、同じ場所に戻ってきます。他の生物が持っている能力を、人がもっていてもおかしくありません。かつて人も、アフリカから南アメリカの南端まで移動したり、コンパスもも持たず、大海原に漕ぎ出したりした人たちもいました。砂漠や草原を旅する人もいました。
 現代の漁師たちも、海原の上で海底下の漁場を正確に見つけるとができる人もいます。彼らも、自分はどの辺にいるのか、海底の様子を鳥瞰的にみることができるのだろうと思います。
 パソコンばかりで文章を書いていると、漢字が読めるけれど書けなくなってきます。計算も電卓や表計算ソフトばかりでしていると、暗算や筆算ができなくなります。ルートの筆算の方法を昔は知っていましたが、今では全く忘れてしまっています。ルートも累乗も、電卓ではキーを押せば、たちどころに答えがわかります。そんな便利さの陰で失われた能力があります。地図やカーナビが、地理的認識の能力を奪ったのかもしれません。
 もちろん、電卓、パソコン、地図のない世界に戻れとはいいません。しかし、そんな人が本来持っていた能力を維持する方法はないのかなと思います。もちろん、使わなければ退化するでしょうし、使わない能力を維持する努力は無駄です。でもそんな消え行く能力に、一抹の寂しさを覚えてしまうのは、私だけでしょうか。また、便利さによって消え行く能力は個人ものですが、これが過疎化によって失われゆく田舎の風習・行事、工業化によって失われゆく民族の文化などに連結しているような気がします。しかし、私には、現代人(私も含めて)の行為は、今の便利さ、今の快適さという個々の益、目先の得ばかりを最優先にして、周りを顧みない振るまいにみえてしかたがありません。その裏に、亡くしてはいけないものがあるのではないでしょうか。

・サラとの対話・
このエッセイを書いていて、
一番最初に書いたエッセイ
「サラとの対話(2001.09.20)」
を思い出しました。
このエッセイは、失われゆく文化を嘆いている
イヌイットのサラの話でした。
時代の流れなのだから仕方がいないのかもしれません。
異国で感じたことを書いた最初のエッセイと
1年間の滞在で感じたことに結びつきがあるのは、
不思議な因縁を感じます。

・うろうろ・
2月中旬から暖かくなりました。
晴れの日は、春を感じさせる陽気となります。
最近は天気のいい日は、出歩くようになりました。
寒いときは、天気が良くても
出歩く気にはなりませんでしが、
今のよな暖かい陽気になると
動きたい気になります。
あとひと月、うろうろしていきたいと思います。

・ルートの計算・
ちなみにルートの計算の仕方ですが、
ネット調べれはすぐに見つかります。
簡単に紹介しましょう。
ルートの中の数を、小数点の位置から2桁ずつ区切ります。
上の二桁から、平方で最大の数を見つけます。
引き算をして、余りと次の二桁の数字をつづけた数にします。
その数に対して、(先程の商の数)・(ある数)×(ある数)
を考え、最大の数をさがします。
その数を計算して、引き算して余りを求めます。
この操作を繰り返します。
文章で書くと分かりにくいですが、
実際は操作自体はそほど難しくなく、
計算が面倒なだけです。
この方法を思いついた人はすごいと思います。
今更これでルートを計算しようとは思いませんが。

2011年2月1日火曜日

109 酒造りとモデル造り:感覚と論理

 造り酒屋さんを見学に行きました。そのときご主人と話をしました。酒造りには、科学的な手法を用いておられます。しかし、感覚的なものも織り込まれています。そんな話を聞いたとき、科学にもそんな側面があることに気づきました。感覚と論理について考えます。

 かつては、日本各地、どこにでも造り酒屋がありました。ところが、現在では、その数が少なくなっています。田舎の過疎化、大手の酒造メーカーの寡占、日本酒の低迷、輸入の酒類の台頭など、いろいろと理由はあるのでしょう。日本が豊かになり、消費者が酒の質を問うようになり、それに応えるためには酒造りに手間がかかりるようになり、結果として造り酒屋の淘汰が起こっことも原因でしょう。消費者の要求に合う酒が造れ、ブランドとして流通に乗れた造り酒屋が、生き残っていきます。このような淘汰の現象は、酒業界だけでなく、多くの業種でも、起きていることなのかもしれません。
 先日、愛媛県西予市城川にある地元の造り酒屋の見学に訪れました。1月の寒い時期、酒の寒仕込みが行われていました。小さな造り酒屋で、家族総出(4名)でも手が足りず、数名の人を雇って仕込みが行われています。酒づくりは、雑菌の繁殖が少なく、コウジ菌と酵母のみが成育するような微妙な条件の違いみきわめて、寒い時期におこなわれます。ですから、本来なら外部の人の出入りをあまり好まないはずです。でも、快く見学させていただきました。ありがたいことです。
 ざっと酒の作り方を紹介しましょうた。米(酒に適した米:山田錦など)を精米(酒の種類によって80%も削って捨てることも)して、良く洗い、蒸します。蒸した米を冷まし、3回(4日にわたる)に分けて、麹(こうじ)と酒母(後述)、米、水をいれていきます(仕込み)。そして毎日かき混ぜなら様子を見て発酵させます。一月ほどすると酒ができます。できたら搾って清酒と粕に分けます。清酒は、濾過して、殺菌のために65度くらいに熱し、しばらく熟成させます。その期間はいろいろなようです。味を見てきめるようです。
 麹とは、米に麹菌がたくさん繁殖したものです。麹菌は米のデンプンを糖化させます。麹は、大量に必要になるので、種麹を蒸した米にふりかけ繁殖させ増やしていきます。酒母は、米に酵母(真菌類)がたくさん繁殖したものです。酵母によって、糖をアルコールにし、雑菌の繁殖を抑える乳酸もつくります。麹も酒母も微生物です。酒造りの過程で、たくさん必要になるので、自前で量産します。
 酒造り関して、その過程の多くは科学的に解明されています。ただし、その過程で多くの種類の微生物が関与しています。その組み合わせによって、微妙に、時には大きく、味の違いが生じるようです。その違いを、酒好きの人は、味覚で感じ取ります。私には、無理なのですが。
 さて長くなりましたが、本題はこれからです。造り酒屋のご主人とお話をしていて感じましたが、非常によく勉強されています。そして、毎日状態のチェックをして、その結果を詳しく記録されています。ご主人いわく、科学的な条件はすべて整えた上で、実際に実践してみないと、いい酒になるかどうかはわからないとのことです。酒造りには複雑な要因がからんでいるようです。
 麹や酒母は良質のものが販売されていますし、麹菌や酒母に適した条件(温度や湿度など)もほとんどわかっています。条件を揃えるための機械化もある程度なされています。でも、うまくいくかどうかは、つくってみないとわからないようです。
 杜氏でもあるご主人が話してくださった中に、こんな話がありました。仕込みの時、働く人たちが、和気合い合いとしている時は、いい酒になり、ギスギスしていると、よくないというのです。ご主人も、それは科学的ではないと思っているようですが、酒の酸度に違いがでるといいます。感覚的で主観的なものが、数値という客観的なものに現れるというのです。
 つけ加えて、「だからといって、クラシック音楽を流す気はありませんが」と苦笑いしながらおっしゃっていました。ある造り酒屋では醸造中クラシックを流すと、いい酒になるというのです。それは科学的根拠がなさそうなので、ご主人はしないということなのでしょう。
 しかし、人の感覚的な状況の違いが、数値として現れるのは信じているようです。これは多分、人の和が酒の酸度を直接左右しているわけではなく、和に伴う何かの要因が、条件を変える遠因となっているのでしょう。その因果や影響の程度がわからなければ、和を保って作るしかありません。酒造りは、非常に複雑な因果を操る作業となるようです。
 科学でも似たようなことが起こっています。因果が多段階のステップを経ていたり、原因や結果が複数であったり、因果の関連が分からなかったりすることは、多々あります。そんなとき科学は、どう対処すればいいのでしょうか。
 オーソドクスな方法としては、思いつく限りの原因を抽出して、ひとつひとつ原因を制御して、そして求める結果にどのような影響を与えるかを虱潰しにみていきます。そこから、因果の緒(いとぐち)を見つけようとします。手間がかかりますが、各自な方法でもあります。実験系ではよく用いられる方法です。
 しかし、このような方法で因果の追求ができるのは、原因を人為的に変化させられるもの、その結果を実験的に得られるものだけです。
 地質学は、解明しきれない複雑な因果が背景にある素材を扱います。歴史性のある地質現象や生物進化などは、過去の事象を相手にしています。過去の事象は、再現できませんし、因果を見極めることがもできません。いってみれば、検証不能であります。検証不能なものから、因果を抽出することは、困難な作業です。そんな複雑な因果、検証不能の因果を学問として追求するとき、どうアプローチすればいいのでしょうか。
 ひとつの方法は、モデルをつくることです。モデルとは、事前にあってもいいですし、結果としてあってもいいのですが、ある研究者から提示されるモデルは、一応の科学的な論理性は持たされています。その論理性は、今まで得られた事実を一番うまく説明できるかどうかの正当性です。過去の事象に対しても、モデルを導入して、観察や情報収集、あるいは模擬実験などをします。
 同じ情報から、まったく別のモデルを提示することも可能です。特に地質学のような学問では、同じ露頭群を見ても、百人いれば百通りの地質図ができると言われています。それほど、モデルとは、いろいろなものができうるわけです。
 そのようなモデル(地質図)の良し悪しは、真偽の程は、なかなか判定できません。ひとつの目安として、より上位のモデル(地質学ではプレートテクトニクスやプルームテクトニクスなど)に、いかに適合しているかという判定がなされます。モデル自体が、因果律を満たしたものではないので、経験的に良し悪しを判断することになります。その上位モデルが正しいという保証はないのですが。
 ですからはじめから、上位モデルありきで情報収集がなされ、問題なく下位の事実が説明できるか下位モデルが作成されます。現在の研究の多くはこのようなトップダウン方式でなされています。これでは、新しいタイプのモデルは生み出されません。新しい突破口は、やはりボトムアップです。
 ですからもうひとつのアプローチは、経験あるいは感覚的に新しい道を見つけることです。そのためには、淡々と事実あるいは情報を積み重ねていくことです。そのような基礎的な情報収集の訓練、あるいは精度の高い情報から小さな因果を見つける訓練を、初学者は経験を積んでいきます。そのような経験が、突破口になると考えられます。
 経験を積んだ研究者は、ある時ある事実を見たとき、「ちょっといつものとは違うぞ」とか、「なんか変だぞ」、というような違和感を感じることがあります。その違いをもとに、再度今までの上位モデル自体を考えなおしてみることをおこなえます。すると、全く新しい何かが見えてくることがあります。これを見つけられるかどうかは、経験的、感覚的なもので、その発想の誕生に因果はありません。
 若者が伝統を打ち砕くと思われがちですが、実は、研究の世界(複雑な因果の世界)では、ある程度の知識や経験をもった研究者こそが、今までの常識(上位モデル)を疑うことができ、破壊できるのです。破壊の仕方にも、経験が必要です。初学者は、どこまでがその学界での動かし難い基礎で、どこからが破壊可能かすらわかりません。破壊にも経験がものをいいます。
 ひとりの研究者が、地道な情報を出し続けて、上位モデル改築への突破口を見つけることができなかったとしても、精度の高い事実や情報が増えていけば、それは科学の進歩を下支えします。やがては、量が質を生みます。あるいは、別の誰かが、それらの大量の情報から、新しい上位モデルを生む可能性があるはずです。
 このような経験というのは、因果では捉えることのできない「なにか」でしょう。因果では捉えることのできない経験を、複雑な因果、検証不能の因果の突破口にしようということです。その突破口は、もちろん科学ですから、論理性は吟味されます。しかし、地質学の多くは、モデルの比べっこです。モデルとは、因果が完全に解明されていないものに対して、有効なアプローチです。
 酒造りとモデルづくりは、論理と感覚を駆使する点で、どこか似たところがあります。

・中城本家酒造・
今回おじゃましたのは、
城川では唯一清酒を居つくっている
中城本家酒造さんでした。
先祖代々つくらきた相生(あいおい)、
そして今、力を入れらている城川郷がつくられています。
城川郷には、吟醸、純米吟醸、純米大吟醸、大吟醸、雫酒大吟醸
などいろいろなものがあります。
大吟醸をのみましが、なかなかいけます。
次は、相生をいただく予定で冷蔵庫にいれてあります。
2月になったら、搾り(しぼり)があります。
それも見学に良く予定です。

・帰省・
帰省中で、京都にいます。
発行は予約で行っています。
一番寒い時期の京都です。
独居の母を今年で3回訪ねました。
近所に息子や親戚、そして本人は野良仕事があるので、
それを励みに一人暮らしをしています。
4月以降は、なかなか帰れなくなります。
遠隔地での独居の母に対応するために、
見守りポットや携帯電話での連絡を
絶やさずおこなっています。
でも、やはり顔を合わして話すのが一番でしょう。
じっくりと話してきます。

2011年1月1日土曜日

108 大地を思う心

 明けましておめでとうございます。今年最初のエッセイでは、大地をみる私たちの視点をどう変えるかについて考えます。大地を慈しむ心が大切ですが、それは、大地を理解することからはじまるのでしょう。そのとき科学教育が重要な役割を果たすはずです。

 身近な自然には、だれもが親しみを持っています。そこに大きな変化が起こったり、ある日突然変貌していたら、だれでも気づき、そして気になるでしょう。その変化が、小さいもの、限られた範囲であっても、気にかかるでしょう。
 自然の変化の中には、自然の営為として起こるものと、人為によるものがあります。最近は人為変化も多く起こっています。年の初めですが、今回のエッセイは、自然と人為の違いを、少し考えていきたいと思っています。
 自然の営為による変化とは、もともと自然の中に組み込まれている営みの一つともいえます。つまり、変化自体も自然といえます。自然の中で、変化も必然として起こるわけです。たとえ人に大きな被害を与える災害でも、それは自然の営みとなります。
 人は、自然の変化のうち、自分たちに被害を与えるものを、長年にわたって押さえ込もうしてきました。人の生活圏の拡大によって、自然を変化させてきました。一部では大きな成功を挙げましたが、自然に太刀打ちできない場面も多々あります。
 災害への対処、生活圏の拡大の結果として、自然の変化を阻止したり、自然では起こりえない変化をさせてきたりしました。これは、人為による変化となります。
 人為による変化は、「不自然」な変化で、自然の規則性をはずれた変化となります。自然状態では起こりえない場所、速度、変位、改変、変異などを起こすことになります。さらに、人為による変化の後に起こる自然の営為による変化は、前提が異なっていますから、基本的には本来の自然の変化とは違ってきます。
 人為変化は、日本や先進国では20世紀後半以降、途上国でも近年、急速にその範囲や規模を拡大しています。昔の日本の変化と比べ、近年は人の居住圏周辺では、激しい人為変化の場となっているのは、多くの人が知るところでしょう。
 そのような人為変化の一環として、生物種の絶滅や生態系の破壊などが起こってきました。そんな変化に気づいた人たちによって、自然保護や環境保護の重要性が唱えられるようになってきました。
 多くの人は、自然の大切さ、自然を守る必要性についての教育を受けたはずです。教育という前提がないとしても、自然の一部である人類が、自然の変化に敏感であるのは当然かもしれません。ですから、多くの人は、自然や環境の意味、大切さを、基本的に、感覚的に知っているのかもしれません。
 ところが、社会に出ると、保護意識から遠ざかる人も多くなります。自然保護や環境保護に加わる人が、少数派であるのが現実です。それは、ある人にとっては、破壊側に関わったり、利害が発生したり、生きるためであるかもしれません。あるいは、単に学校で受けた教育の成果が薄れてきたのかもしれません。
 しかし、心のどこかに自然破壊に対して、後ろめたさを感じることがあります。あるいは、親となって、子供たちが自然保護、環境保護について、話したり、行動したりすると、ついつい心のどこかに日ごろの自分の行動に、子供にはいえない反省の気持ちを持つ人も多いのではないでしょうか。
 大人にとって自然や生態が不要かというと、それはありえません。やはり人が生きていくために、不可欠な存在です。もちろん、多くの人は、それを理解しています。自然の必要性を知りながら、破壊側にまわっているということに、忸怩たるものを感じているのです。そこに多くの人がジレンマを抱いているのではないでしょうか。
 ジレンマを感じる心こそが、自然に対する慈しみの気持ちをもっている証ではないでしょうか。その心こそが、重要だと思います。
 自然保護にジレンマに感じるような心があるのに、大地の変化に関しては、それほど多くの関心が払われることがありません。たとえば、ある山を崩し宅地造成するとき、そこにあった緑や生きていた生物などが特別なものであれば、注意が払われたり、保護を訴えられます。あるいは、緑が削られ、土がむき出しになっていくと、そこに自然破壊が起こっていると心穏やかではなくるでしょう。
 ところが、同時に山からなくなっていく地層や岩石に注意を払う人はほとんどいないはずです。これは、大地に対する慈しみの心をもってないからでしょう。なぜ、大地には関心がないのでしょうか。
 考えればすぐにわかることですが、生物は種が滅びない限り、似た環境があれば、ほとんどは再生可能です。特に日本のような植生の豊かなところでは、放って置けば、緑にもどります。何十年もすれば、もとの自然に近いものが回復するはずです。ところが、大地は、いったん壊れると二度と再生はできません。大地の変化は、不可逆の変化なのです。失われた大地には、重要な化石や鉱物、岩石などの重要な資料もあったかもしれません。それらは、注意を払わないと、だれも気づかないうちに消えていきます。なのに、大地には関心がないのです。
 もちろん、大地の変化も、自然の摂理として起こるものです。たとえば、浸食や風化などは定常的に起こっていますし、土砂崩れや火山、津波、地震などで、突発的に大規模に起こる大地の変化も、自然の営為によるものです。しかも、それを人は止めることはできません。
 人為変化にあたって、大地は、今までほとんど保存、記録されることなく、消失していきました。自然保護や環境保護を公教育では教え、児童、生徒、学生は、その重要性を理解し、運動などもします。しかし、その自然の中には、大地はふくまれることはほとんどありません。大地の変化に注意は払われることが少ないのは、大地の相手にしているものにとっては、悲しいことです。
 関心の低い人々に、大地の保護を訴えるのは、非現実的です。まずは、関心をもってもらうことです。そのためには、大地のことを、だれもがわかる常識にまでしなければなりません。きれいな結晶であれば、だれもそのよさ、重要性を理解できます。これは、きれいな花が誰もから好かれるのと同じことです。
 でも、化石が貴重なことは、その意味を理解しなければわかりません。そんな前提を構築することが重要ではないでしょうか。化石が恐竜であれば、守らねばという前提は形成されました。そんな前提構築こそが、科学教育の重要な役割だと思います。そこに至るステップが必要です。回りくどいかもしれませんが、そのような教育プロセスを繰り返しおこなう必要があると思います。
 まずは、研究者の存在の必要性の理解です。見えないような小さい化石、取るに足らない岩石にも、大地の生い立ちや営みを知るために重要な情報が隠されていることを研究者は解き明かしています。地層の出ている崖にへばりついてデータを採取している人、汗まみれになって川や海、山を歩いている人が解明してきました。そんなことに興味を持っている研究者がいること、そんな研究者が社会にいることを理解してもらうことが必要です。彼らの多くは税金を利用して研究しています。
 そして、次には、大地を愛おしく思って研究している人のいっていることに耳を傾けてもらう必要性です。研究成果の蓄積によって、学界で常識なってきたことを、今度は世間の人たちが常識になるように聞く耳を持ってもらうことが必要です。もちろん研究者からの発信は不可欠ですが、聞く人がいなければ発信システムは機能しません。そんな送受信の積み重ねによって、地震のメカニズム、津波予想、恐竜絶滅の原因、プレートの運動などとして、多くの人が知るところになりました。
 このようなステップの繰り返しが必要です。
 そして彼らの発した知識の上に、大地への慈しみの心が構築されてくるのだと思います。保護を訴える以前に、まずは大地に関心を持ってもらい、その重要性を理解してもらうことです。
 このようなステップを踏むために、いろいろな仕掛け(科学教育)が必要でしょう。そこでいくつかの新しい方法を提案することが、私の昨年までの研究目的となっていました。成果の上がった部分、上がらなかった部分もありますが、私一人で現在できることは、いろいろ試行し、報告もしてきました。昨年一年間いろいろ考えてきたのですが、一段落したと思えるようになってきました。ですから、今年から、新しいテーマを見つけて、次なるステップへ向かおうかと考えています。これを見つけることが、今年の私の抱負です。

・新しいレース・
新年明けましておめでとうございます。
今年も皆様にとってよい年でありますように。
私は、今回のエッセイで書いたように、
新しいレースのスタートを切ろうと考えています。
スタートする前に、どこに向かうレースするからを
考えようと思っています。
次のレースも10年ほどの長丁場になるはずです。
ですから、研究者として最後のレースになるもしれません。
もしそうなら、悔いのないレースにしたいものです。
たとえゴールできなくても、
そのレースに参加すること事態を
楽しめるようなものにしたいものです。

・新しいテーマ・
今年、3月まで愛媛県にいます。
1年間あったサバティカルイヤー(研究休暇年)も、
あと残すところ、3ヶ月となりました。
通常の大学での環境とは違い、
なかなか充実した日々を過ごしました。
しかし、まだまだやり残しているような
飢餓感が心のどこかに残っています。
それを満たすことはできないかもしれませんが、
少しでも飢餓感を減らし
満足感に転換していきたいと思います。
その最初の目標が今回書いた新しいテーマを探すことです。
どんなものになりそうかまだわかりません。
やりたいことと、できることの狭間で
思案していきます。

・年末年始・
このメールマガジンも
12月末に事前に配送予約していたものです。
私は、正月には自宅に帰省しています。
帰省中は家族サービスに専念するので、
メールマガジンを忘れることがありえます。
特に、1月1日はばたばたしそうです。
ですから、事前予約です。
ただ、年末年始の長距離移動の費用は
割引がない分、なかなかたいへんですが、
いたし方ありません。
暮や正月は家族とともに過ごしたいですからね。