2013年12月1日日曜日

143 ルクレチウス的直感

 年の瀬は、いつもせわしなく感じます。今年のはじめに考えたことと、達成したことの差を考えると、忸怩たるものがあります。そんな年の瀬には、寺田寅彦がいいかも知れません。100年近く前の知恵ですが、示唆に富んがものがいろいろあります。

 今年も、早、師走を迎えました。私にとって、この1年はあっという間のような気がします。まだひと月も残されているので、いろいろできること、すべきことがあるので、年末までを区切りに、取り組んでいきたいと思っています。でも、この時期になると、どうしても落ち着かなくなります。それでも落ち着いて、我を忘れることなく、淡々と進むべきなのでしょう。そんなとき、寺田寅彦は、どうでしょうか。
 興味を持ったものには、それなりの関心をそそぎ、納得し、なんらかの知識や経験をえることは重要です。何事にも、能動的に取り組むことです。身についた知識や経験は、思わぬところで役立つこともあります。私は、高校の頃、宇宙の起源や海洋学に興味があり、関連の科学普及書をいろいろ読み漁っていました。その後、地質学研究に進んで、高校時代の興味と全く違った方向に進んだのですが、地質学から、科学教育、地質学的素材を用いた哲学などに興味が移っていくと、以前のもっていた広く浅い知識が、役立ってきました。
 多くの人は、このような経験を、多かれ少なかれもっていると思います。寺田寅彦の「科学に志す人へ」(1934年)というエッセイにも「一見雑多な知識が実に不思議な程みんな後年の仕事に役に立った」という一文があります。
 その言葉通り、寺田寅彦は、非常にいろいろなことに興味を持ちました。「X線の結晶透過」という当時の最先端をいっていた研究や、「潮汐の副振動の観測」など地球物理学の「正統派」の研究もしていました。しかし、「金平糖の角のでき方」や「割れ目のでき方」、「椿の花の落ち方」、「墨流し」、「タンポポの実が空中を浮遊する機巧」、「尺八の音響学的研究」(博士論文)など、正統派の物理学で取り上げられないテーマにも興味をもっていました。寺田寅彦の姿勢で一貫していることは、自然への興味と、それを科学にできるまで高めていく姿勢でしょう。それこそが、寺田寅彦の真骨頂ではないでしょうか。一見ヘンテコなテーマですが、その中には先見性のある研究が、いくつも含まれていました。身辺の現象に関する研究は「寺田物理学」と呼ばれるようになりました。
 さて、話しは変わって、LSKです。LSKをご存知でしょうか。売り出し前のアイドルグループでしょうか。それとの危ない薬でしょうか。残念ながら、アイドルグールプでも薬の名称でもありません。LSKを知る人は少ない思います。LSKは、寺田寅彦が名づけたものです。
 「ルクレチウスと科学」(1929)の中で、寺田寅彦は、科学者として持っているべき能力について論じています。古代ローマの詩人であり、哲学者でもあったルクレチウスは、暗いところに差し込む光の中に、ホコリが舞う様子をみて、物質の原子が無秩序な運動をしていると解釈しました。寺田寅彦は、ルクレチウスのこのような直感的な能力が重要だとしています。科学者には、ほかにどのような能力が必要なのかをも論じています。
 科学者として持っているべき能力として、LSKの3つがあるとしました。Lとは、ルクレチウスが持っていたような直観の能力のことです。Sは数理的分析の能力で、Kは実験によって現象を系統化し帰納する能力です。
 LSKを3次元の軸と考えて、定性的にみて能力の高いものが大きな数値を持つ(原点から遠ざかる)とします。研究者は、その能力や業績によって、どこかにプロットされるはずです。LSK空間で、個々の科学者がどこにプロットされるかと考えるものです。
 原点や軸から離れるほど、優秀な科学者であることになります。凡庸な多数の科学者は、原点近くにプロットされます。ただし、、LS面上(K=0)、つまり実験し帰納する能力がなくても、ボルツマン、プランク、ボーア、アインシュタイン、ハイゼンベルク、ディラックのようは理論系の科学者には偉大な人がいます。LK面上(S=0)、数理的分析の能力がなくても、ファラデーやラザフォードやウードなどのように、実験系の偉大な科学者はいるとしています。
 ところが、SK面上(L=0)の研究者には偉大な人はいないと、寺田寅彦はいいます。つまり、直感力がないと、すぐれた科学者にはなりえないということです。「一見雑多な知識が実に不思議な程みんな後年の仕事に役に立った」と寺田寅彦が述べたのは、このような直感力に由来するものでしょう。セレンディピティ(serendipity)や「ひらめき」とも呼ばれているものに通じているのでしょう。
 雑多に見えるかもしれませんが、いろいろ興味から得た知識は、あるとき直感に姿を変えて、思わぬ成果を得られるのです。あるとき、その直感は、実験や観察の方法に反映され、またある時は法則や理論の発見につながるのでしょう。LSKは、もしかすると、科学者だけの能力評価だけでなく、創造的な仕事全般にいえることかもしれません。
 さてさて、皆さんは、原点からどれくらい離れているでしょうか。
 私の場合を見ていきましょう。実験はしなくなりましたが、野外調査を主として、そのデータや資料を整理を行なっています。一流の地質学者の野外調査と比べると見劣りはしますが、テーマに基づいた調査を、細々とながら継続しています。Kは0ではなさそうです。Sの数理的分析はどうでしょうか。優れているわけではありませんが、数値を扱うのは好きです。図表を用いて見えないものを見つけることが好きです。だいそれた理論を生み出すことはありませんが、0ではなさそうです。ルクレチウス的直感力はどうでしょうか。ひらめいたこともかつてはあります。今でも、少しだけひらめくことがあり、幸福感に浸ることもあります。しかし、その成果たるやささやかのものです。つまり、原点ではありませんが、それほど遠くは離れてはいない、多数の凡庸に一つにすぎないようです。
 「一見雑多な知識」も、もしかすると、そのうち「実に不思議な程みんな後年の仕事に役に立」つこともあるやもしれません。だから、歩みはのろいかもしれませんが、継続することが重要なのでしょう。

・寅彦に続け・
今回のエッセイを、
寺田寅彦に関するものにしようと思ったのは、
寅彦の没した日が、
1935年12月31日だということ、
その年齢に私も達したことを知ったからでした。
もう78年前も前のことです。
一月も早い命日ですが、
今年最後のエッセイは、寅彦の知恵にすがりました。
彼は、日清、日露戦争も経験しています。
45歳のときには関東大震災を経験しています。
今よりもっと動乱の時代を生きていました。
そんな中で寅彦は、科学をおこない、
社会に向けて科学啓蒙をしていました。
彼に勝てはしませんが、
見習って研究を遂行していきたいと思っています。

・師走に思う・
11月の北海道では、
突然の大雪に驚かされました。
その後、暖かい日を挟みながらも
冬が深まってきました。
ただ思いのほか、
快晴の日は少なかったように感じます。
今年、後半の天気の特徴でしょうか。
いい天気があっても、長続きがしません。
残された12月はどうなるかわかりませんが、
穏やかに暮れていって欲しいものです。
そんなことを師走の始まりに思いました。

2013年11月1日金曜日

142 タンバー数とアレン曲線

 人間のコミュニケーションを規定するものとして、ダンバー数とアレン曲線と呼ばれるものがあります。これはネット社会が出現する前の考え方でしたが、今の時代に通じるものでしょうか。私の場合を例にして考えていきます。

 11月になると年賀状の販売がはじまります。先日も郵便局の人が個別の訪問で予約を取りに来ていました。そんな知らせがあると、1年の終わりが近いことを意識してしまい、心が急いて落ち着かなくなるものです。年賀状による挨拶も、最近はメールで済ませる方も多いのでしょうか。皆さんは何枚くらい年賀状を出されるのでしょうか。
 私の分は、職場の人や学生などの数は含めることなく、50枚程度です。少ないほうでしょうか。この枚数は、私の恩師、友人や親戚など、常に居場所を知らせておきたい、連絡を取り合っていたい人の数という意味です。
 年賀状の話は少々気が早かったのですが、今回考えたいのは、一人の人間が、対面でコミュニケーションするのは、どれくらいの距離で、どれくらいの人数か、メールや手紙など手段を選ばず、どの程度の人数と常に連絡を取り合える関係も持ちうるのかということです。あるいは、本心から関係を望む人数はどれくらいなのか。その規模に目安があるのかどうか、ということです。
 イギリスの進化人類学者ダンバー(Robin Ian MacDonald Dunbar)は、霊長類の脳の大きさと平均社会集団の大きさには相関関係があることを、1992年に見つけました。38種の霊長類で、グルーミングなどの個人の接触に関するデータを用いて回帰直線を引きました。その直線を人類の脳サイズで考えると、100-230人程度、平均で150人(正確には148人)であることが推定されました。つまり、人間が安定した関係を維持できる上限は150人程度であると述べています。社会集団の規模、あるいは限界の数を、彼の名前をとって「ダンバー数」と呼んでいます。人間の脳のサイズから、社会集団のサイズの限界を、ダンバー数で150名となります。
 ダンバー数は、いくつかの仮定の元に得られた数字で、私たちの社会集団の大きさが150人というのは、実感にあっているでしょうか。私には少々大きすぎるような気がします。私がいる世界は、大学であること、教員という職種の特殊性があるためでしょうか。まあ、感覚的な感想ですから根拠はありません。
 ただし、ダンバー数は、社会集団のサイズに関するもので、離れている人間との関係を示すものでありません。でも人間が常にコンタクトをとれる状態で、少なくとも1年に一度は連絡しあう人の数は、どれくらいかを考えることは重要でしょう。その目安の1つが150名が上限となるいうものです。
 対面での直接コミュニケーションという面で考えると、常に対面でコミュニケーションをとっている数は、どの程度でしょうか。
 私は大学にいますので、学生との対面でのコミュニケーションを考えてみましょう。受け持っているゼミ(1年生、3年生、4年生)の学生数だと合計で50人程度になります。ゼミの学生とはかなり対面のコミュケーションを取ります。
 学科の一学年は50名定員で、4学年あります。私は、学科の講義をいくつか担当しているので、各学年50名とは常に挨拶をするほどのコミュニケーションはとっています。また、少人数の講義でも、対面のコミュニケーションはあり、講義が終わった後も、挨拶はします。これらの講義の学生は、学科の学生の範疇に入れていいかもしれません。50から60名の間でしょうか。
 全学的な定員150名の大人数の講義もいくつかもっています。一部の学生とはコミュニケーションをすることはありますが、あとはほとんどコミュニケーションはありません。コミュケーションをした学生は、挨拶程度はしますが、深いコミュニケーションは講義が終わるとともに消えます。
 大学の学生と対面で深いコミュニケーションをとる学生は、50から70名の間となるでしょうか。大学の教職員を考慮にいれると、深い付き合いは10から20名程度加わって、60から90名程度になります。教職員で軽い付き合い(会話とちゃんとする人で挨拶程度は除く)は、50名程度になるでしょうか。
 私の場合、深いコミュニケーションを取るのは階層ごとに50名程度、ついで広く浅い対面コミュニケーションを考えると150名程度という数値が目安になりそうです。タンバー数の150名が上限というのに符合しています。
 大学を離れてのコミュケーションを考えます。私の場合、家族以外の対面のコミュニケーションは、極端に減ります。ある時期深い付き合いがあり、今では連絡は少ないですが、いつでもコミュニケーションを取れる状態にしておきたい人という意味で、年賀状などの挨拶状で近況報告をしあっている人は、それにあたりそうです。
 一般に、年賀状や移転通知などの挨拶状は、儀礼的、商的なものも多分にあります。ですから、対面ではないコミュニケーションとして、儀礼的、商的なものを除いてどれくらいの数があるでしょうか。私は、対外的な職務あったときや、何度も転居、転勤など移動している時期は、挨拶状は150枚以上ありましたが、今では落ち着いて年々数を減らしています。意図的に減らしていることもありますが、今では50枚程度になっています。ここでは、学生や大学の同僚は除いています。
 少々古い(1970年後半)考えですが、「アレン曲線」というものがあります。アメリカの工学システムの研究者アレン(Thomas J. Allen)が考えたものです。革新的な思考を促進するために適切なスペースを、グラフで示しました。技術者のコミュニケーションの頻度とオフィス間の距離には指数関係があるということを示しました。距離が近いと頻繁にコミュケーションがとられるが、離れると急激に減少するというものです。毎週コミュニケーションをとるには、その距離は50mが限界であるというものです。
 アレン曲線は、技術者がものづくりをするときに必要なコミュニケーションという観点に限ったものですが、現代人、あるいは私のようなデスクワークを主として生活をしているものには、どの程度の距離でしょうか。
 私の場合を考えると、大学のメインのキャンパスには、ざっと10個の建物があります。私はそのうちの1つの最上階の5階に研究室があます。私は、休日以外は、基本的に大学にいて、講義や校務のないときは、研究室にいます。講義や仕事などで、10個のうち5個の建物には、頻繁に行き来しています。直線距離で、半径150m程度になりそうです。距離は組織や建物によって違ってくるでしょうが、デスクワークをする人に共通する鼓動パターンの特徴となるのではないでしょうか。ただし、通勤の経路や自宅は含めていません。
 私が頻繁に対面のコミュニケーションをするのは、学生以外の同僚とは、同じ階の人が多くなります。とすると50mという数字は当てはまりそうです。離れている建物の人には、電話かメールで連絡することが多く、必要な時な交互に行き来することになります。近ければ対面でのコミュニケーションをとり、離れるほどの対面でのコミュニケーションは減ります。対面でのコミュニケーションに限定すると、50mというはいい数値のような気がします。
 アレン曲線はかなり古い時代もので、実社会での人間関係を元にした考察です。また、ダンバー数もアラン曲線も、インターネットの普及や、現代の携帯電話やスマートフォーンの普及を考慮していないものでした。上の話でも、前提の条件をいろいろ付けましたし、私の立場の特殊性もありますので、数値がそのまま適用できるかどうかはわかりません。しかし、なんとなくある数や距離にコミュニケーションが規定されるという考えは、当てはまりそうに見えます。そして、その値も大きく外れてはいないように思えます。
 コミュニケーション人数として、密接にできる人は50名程度、常に付き合える限界は150名程度(ダンバー数)、コミュニケーションの距離もアラン曲線があてはまり、50mが対面コミュニケーションの限界(アラン曲線)というものも、適合しそうです。

・秋の調査を断念・
秋に調査に出たかったのですが、
講義の関係で調整ができませんでした。
ですから、3月になってからに
出かけることになりそうです。
予算の執行上の都合で
早めに予定を決めて、
チケットを事前に手配しておく必要があます。
そして残金処理をできるようにしておくことになります。
まあ、大学や組織の会計年度の都合があるので、
実際に動けるのは、限られた時期になるのを
3月に行動するとなると
このような事前の手配が必要になります。
まだ、だいぶ先ですが、
あれよあれよという間に時間が過ぎていくので
心して置かなければなりません。

・卒業研究・
11月になると卒業研究のために
4年生と空き時間につぎつぎと
添削校正の打ち合わせが入ってきます。
まあ、大切なことなので、付き合いますが
11月はかなりの時間が、ここに割かれます。
私も努力しますから、
学生の努力にも期待したいものです。
最後には、いい卒業研究ができたと思えるものになることを
願うしかありません。

2013年10月1日火曜日

141 道具をつくる人:心は自由に

 シリアの化学兵器使用が国際問題になり、一時は戦争の危機もありました。悪意を持った道具の使用は、使用者が罪問われるのは当たり前ですが、道具を作った人は罪に問わません。少々複雑な思いがしますが、それが健全だと思います。今回は地質学から離れて、道具と作者の関係について考えていきましょう。

 Winny(ウィニー)というソフトウェアをご存知でしょうか。インターネットをよく利用される方、ITに詳しい方は、聞いたことがあるかもしれません。また、ニュースをよくご覧になられる方も、知っているかもしれません。
 Winnyとは、コンピュータのソフトウェアで、インターネットを介して、ファイルを交換するためのソフトです。サーバーを経由することなく、ネットにつながったパソコン同士でファイル交換できるので、効率よくデータのやり取りができます。コンピュータ上のファイルは、すべて交換可能になります。Winnyは無料のソフトであったため、非常多くに人が利用しました。「すべてのファイル」には、音楽や映画などのデジタル・コンテンツと呼ばれるものも含まれます。さらに、通信の暗号化もでき、匿名性の高いという特徴ありました。
 デジタル・コンテンツは著作権で保護されているものなので、コピーは違法な行為となります。また、著作権法違反や個人情報保護法に触れるようなコンテンツの交換を、匿名性をもったWinnyでおこなえば、違法行為がわかりにくくなります。Winnyは違法行為をするための道具としても、よく利用されていました。
 京都府警は、蔓延する違法コピーを取り締まるために、何人かを逮捕をしました。そのとき、ソフトの作者も著作権法違反幇助の疑いで、一緒に逮捕しました。逮捕は、2004年5月10日のことでした。Winnyの作者は、金子勇さん(当時東京大学大学院情報理工学系研究科助手)でした。
 Winnyは、コンピュータ用のソフトで、ネットワークを用いたファイル交換の手段、道具です。その道具を使って、違法行為がなされたとき、その製作者を逮捕したのです。そのニュースを聞いた多くの人が、疑問に感じたと思います。実際に識者も、いろいろな論点で抗議しました。
 最終的にこの事件は、2006年に京都地方裁判所で有罪判決が下りましたが、2009年の大阪高等裁判所では無罪判決、そして2011年に最高裁判所が検察側の上告を棄却し、無罪が確定しました。つまり、道具の作者は無罪となりました。
 この問題には、いくつかの論点がありそうです。著作権に関する問題はもちろんのことですが、手法・道具を作成した人が罪を問われるべきか、違法行為のための道具をどう取り締まるか、複雑化するネット犯罪の手段にどう対処するのか・・・。どれも重要な問題です。ここでは道具と犯罪とその作者について考えていきます。
 違法行為を取り締まりたいがために、利用された道具の作者を取り締まるべきでしょうか。もし、その道具が犯罪のためだけにしか使用しないものであったら、取り締まるべきでしょうか。Winnyの事件は、結論を出さない前に、逮捕がありました。
 Winnyが多くの人が利用していたのは、便利だからです。広範囲の利用目的があった道具の作者が、犯罪の共犯者にされたのです。著作権侵害の取り締まりに、Winnyの作者の金子さんが、スケープゴートとなったと読み取れます。一般化すると、道具が犯罪に使われた時、それを作った人を逮捕したという構図です。そう考えると、この逮捕は、明らかにおかしいものと思えます。
 通常、道具は、使い方しだいで、毒にも薬にもなり、益も害も与えます。銃や刀剣は、犯罪や戦争など人を傷つけるために使われます。一方、身を守るため、狩猟や生活のためにも利用されます。ですから、すべての道具は自由に発想し、発明し者、作成することは、罪に問われることがありません。もっといえば、人の発想、その発想を具現化する自由を守らなければなりません。この姿勢は重要です。
 では、悪意を持ってつくられた道具の作者は犯罪に問われるのでしょうか。例えば、コンピュータウイルスは明らかに、悪意あるいはマイナスの結果をわかっていて作成、流布させます。現状では、考えただけ、作成しても実行しなければ、犯罪とはなりません。実際に実行したら、実行者が犯罪者となります。発想することや作成することには、罪を認めないという原則です。コンピュータウイルスの例では、少々理解し難い部分のある考え方ですが、この原則は重要だと思います。
 化学兵器や生物兵器、原子爆弾は、使用したら、敵以外の人々も傷ついたいり、死ぬことも起こります。利用されれば、大きな被害でます。悪意の明らかな道具ともいえます。化学兵器や生物兵器、原子爆弾などは、使用に関しては、よく監視されていますが、研究すること、保持することは、取締まられていません。
 使えば、悪い状況、避難を受け、使用者は罪に問われることがあっても、発明者や作成者は罪に問われることはありません。やはり、発想や作成には制限をかけないという原則が適用されているためです。
 どんな発想であっても、それを抑えること、そんな環境を生むのは、よくないことです。発想や創造は、心の働きがに大きく依存します。心を自由にさせることが重要で、心を縛り付けたり、萎縮させるような状態は、よくないことです。
 原子爆弾の開発であっても、そこから原子力への平和利用への道が生まれます。その原子力の平和利用も、現在、福島第一原発の事故で、岐路に立たされています。原子力関係者は、自由や発想はなかなかできないでしょう。もちろん、社会的責任や倫理の問題がよく考える必要がありますが。
 しかし、原子力の技術や知恵を、根絶やしにしてしまえというのも危ない考え方だと思います。すべての研究は開発は、原子力の含めて常に自由に進めておく必要があります。もちろん、大掛かりな実験であれば、それなりの監視も必要でしょうが。発想や開発に制限をかけることは、たとえ原子力発電であっても、上で述べた原則からも、よくないことです。
 誤解をされそうなので、注意が必要ですが、私の立場は、現状の原子力発電は停止すべきだと思っています。今までの反省を踏まえ、政府のいう安全性ではなく、科学的に安全なものであれば、将来稼働の可能性を残すべきでしょう。ただし、現状の技術では科学的に安全なものは難しいと思います。また、核廃棄物の処理技術もできていなので、それが完成してからでないと、商業発電を考えるべきではないでしょう。
 現在、日本は、拡散してしまった核汚染の除染や、大量の核廃棄物処理して行かなければならない立場に立たされいます。そこに叡智と国費を集中すべきでしょう。今のように世論で原子力への圧力は、研究にも制限を加えることになりかねません。もっと確かな安全技術、廃棄物の処理技術が生まれることすら捨て去ることになりかねません。商業的運用ではなく、研究・開発は続けるべきだと思います。これは、原子力だけにかかわらず、すべての分野で徹底されるべきだと思います。将来、安全性や信頼性が向上し、核廃棄物の処理技術が完成できるかもしれないからです。その時、商業的原子力発電をする、しないの判断をしてはどうでしょうか。まだ、不安が残るのであれば、さらに研究を続ければいいのです。その選択を子孫に託すべきではないでしょうか。研究開発をやめるということは、それに関する知恵、知識の途絶、断絶を意味し、将来の選択肢をなくすということにもなります。
 このように原則にそった考え方は、現在の原発事故への心情とは相反する答えがでてきます。心情は重要なファクターです。親が子を思う心、子が親を思う心、家族への愛情、そのような心情は抑えがたいものがありますが、理性や知恵の示す方向も重要です。知恵をもった人として、理性的にものごとを考えていきべきでしょう。
 Winnyの作者の金子勇(当時現在東京大学情報基盤センター特任講師)氏が、2013年7月6日午後6時55分、急性心筋梗塞で死去されました。享年42歳でした。少々遅くなりましたが、ご冥福をお祈りします。彼の死は、発想へはどんな制限を加えてはいけない、制限は悪意の行使のみにすべきということを、私に教えてくれました。

・抑止力・
原子爆弾を保有することで、
核の抑止力を発揮するという、
非常に特異な論理が用いられています。
詭弁に見えます。
抑止力とは使用しないという前提で成り立ち、
使用しないと決まると抑止力が消えます。
人の行動は理性を逸脱することもあります。
ですから、道具があり悪意があれば、
危機が常につきまといます。
私たちの技術や科学がそのレベルに達したのです。
しかし、いつもどこかに悪意があるのは
私たちの心情や理性が、
そのベレルに達してはいなのでしょうか。
もしそうならそんな危険なものを発想レベルから
抑止するのがいいという発想もわからなくはないのですが、
それこそ人の可能性や知性の力を貶める気がします。
難しい問題です。

・ストーブ・
北海道は涼しくなりました。
18日には大雪山の黒岳で初雪が観測されました。
私の街でも、初霜が降りました。
まだストーブはつけていません。
我が家は、2年に一度、ストーブのメインテナンスをしています。
我が家では、部屋ごとの個別暖房はなく
家全体を温めるために、
大きなストーブが2台あります。
それを寒くなる前に業者に清掃してもらいます。
今年は少々遅いのですが、
先日、お願いすることにしました。
その間にさらに寒くならなければいいのですが。

2013年9月1日日曜日

141 ユグドラシルの泉:オージンの苦悩

 インターネットの世界はまるで世界樹(ユグドラシル)のような多種多様、玉石混淆、是非善悪不明、混沌の世界です。そんな世界を利用して渡り歩くには、オージンのようにミーミルの泉を飲んで知恵を得ても、多大な苦労をして答え見つけなければならないのでしょう。

 「ユグドラシル」という言葉を、聞いたことがあるでしょうか。あまり聞いたことがない言葉だと思います。私も最近知りました。
 ユグドラシルは、英語では「Yggdrasil」と表記し「イグドゥラスィル」と発音しますが、もともとは古ノルド語の「Yggdrasill」に由来する言葉です。古ノルド語の「Yggdrasill」は、ここでは「ユグドラシル」と表記しますが、「ユッグドラシッル」や「イッグドラシッル」などと発音することもあります。古ノルド語とは、スカンジナビア半島周辺に8世紀から14世紀にかけて入植した人たち言葉だとされています。古い北欧の言葉です。
 ユグドラシルとは、古ノルド語で書かれた北欧神話にでてくる架空の巨木です。ただの巨木ではなく、木の枝に、世界のすべて(この世もあの世も、神や妖精、邪悪なものなどのすべて)が存在するという架空の樹です。日本語では「世界樹」や「宇宙樹」と訳されています。
 ユグドラシルは、9つの世界を支えています。アースガルド(アース神族の住む世界)、ヴァナヘイム(巨神のヴァナ神族の住む世界)、アルフヘイム(妖精族の住む世界)、シュヴァルツアルフヘイム(地に住む精霊の世界)、ニダヴェリール(小人たちが住む世界)、ムスペルヘイム(火の巨人族たちが住む世界)、ミッドガルド(人間界)、ヨツムヘイム(霧の巨人たちの末裔が住む世界)、ニブルヘイム(最下層の凍った冥府の世界)です。それぞれの特色をもった世界で、そこのに固有の歴史をもった住人たちが住んでいます。それぞれが複雑な関係をもっています。人間は根の下に住でいます。
 ユグドラシルには、いくつかの動物も住んでいます。頂に大鷲が、駆け回るリス、泉に棲む蛇、そして4匹の牡鹿(ダーイン、ドヴァリン、ドゥネイル、ドゥラスロールという名で樹皮を餌とする)の4種、7匹です。それぞれが役割をもっています。大鷲のフレースヴェルグは、頂の北端にたたずみ、羽ばたきが世界の風とないます。リスのラタトスクは、幹を駆け回り、情報を伝えるます。蛇のニーズヘッグは、フヴェルゲルミルの泉に棲み、根をかじっています。4匹の牡鹿、ダーイン、ドヴァリン、ドゥネイル、ドゥラスロールは樹皮を餌としています。
 ユグドラシルには、3つの世界(ミッドガルド、ヨツムヘイム、ニブルヘイム)に根をおろし、根本には一つずつ泉があります。それぞれウルドの泉(運命の3女神が住む)、ミーミルの泉(知恵の神ミーミルの住む泉)、フヴェルゲルミルの泉(ニーズヘッグの住む醜悪な泉)と呼ばれています。ミーミルの泉の水を飲むとあらゆる知恵を授かるとされています。
 壮大な世界観を一つのユグドラシルという樹に託しています。当時の人たちが想像しえた、ありとあらゆるものを、そして願いも、絶望も、このユグドラシルに盛り込んだのでしょう。各地の古い文明には、それぞれにこの世の創世の物語があります。そこには創世の話だけでなく、現在の世界の成り立ちも示されていこともあります。ユグドラシルは、世界の成り立ちを示すもので、その世界観を樹で表しています。
 ユグドラシルの世界観には、多くの神話にはない樹を用いたイメージと、樹の下の泉と、動物が特徴です。私には、このユグドラシルの姿がインターネットのイメージに、重なります。
 樹に住むリスのラタトスクは、インターネットを駆け巡る生き物のようなデジタルによって伝えられる情報に見えます。梢にいる鷲のフレースヴェルグと根元に住む蛇のニーズヘッグは犬猿の仲で、お互いを罵り合っています。その言葉を、ラタトスクを伝えることで、喧嘩を煽り立てています。
 インターネットの世界にも、実際の生活や営みなどをデジタルにした現実に接する世界もあります。インターネットを通じた株や金融取引、買物もできてしまいます。手紙代わりのメールも現実に人が、言葉を文章にして送ります。現実の背景にしたデジタル情報です。
 インターネットは、文字だけでなく、画像、音、映像、デジタイ化できるありとあらゆる情報、そして芸術さえも送り届けます。それをパソコンやスマートフォンで手軽に検索でき、利用できるということは、私たちの膨大な知識の泉を手元に持つことになります。
 ただし、現実と結びついた便利さのすぐそばには、知識や便利さだけでなく、悪意や憎悪も潜んでいます。
 インターネットの世界には、個人レベルで情報を発信するため、不用意なミスやウソ、いろいろな感情も簡単に心から外に紛れ込みます。今までの書物の世界では外に出ることがありえなかった心の奥底の負や闇の情報が、ラタトスクのように即座に伝達します。その負の情報は、インターネットの巡回するうちに、さまざなま個を巻き込みながら、連鎖し拡大していきます。やがて、現実の人が傷ついたり、事件となります。
 ユグドラシルには、幸いなことにミーミルの泉があります。ミーミルの水を飲めば、あらゆる知恵を授かるのです。アース神族の最高神であり世界の創造主でもあるオージンもこの知恵を欲しがりました。ただし、その代償として、右目を差し出して水を飲んだとされています。知恵は、大きな対価を払って手に入れなければならないという教えでしょう。
 私たちミッドガルドに住むものは、インターネットでの知恵を得るためにどのような対価を払わなければならないのでしょうか。毎日インターネットを用いた負の連鎖がニュースを賑わしています。この程度の事件は、鷲のフレースヴェルグと蛇のニーズヘッグの罵り合いに過ぎないのでしょうか。対価を払ったことにならないでしょうか。もっと大切な何かを犠牲にしなければならないのでしょうか。
 そして、もしミーミルのを水飲めたとしてもそのままではなダメなのです。知恵は答えではなく、答えを導く手段なのです。知恵となったオージンでさえ、ルーン文字の秘密を解くために、ユグドラシルで首をくくり、自らに槍を突き刺して9日9晩、自らを自に奉げるということまでしました。そこまでしてオージンは、ルーン文字の意味とその呪文を理解しました。
 私たちも、インターネットという道具を通じて大切なことを理解するためには、もっと苦労をし、犠牲は払わなければならないでしょう。
 インターネットは、まだ発展途上の世界です。若者たちはスマートフォンを四六時中触っています。それがなければ生きていけないほどの必需品になっています。一方、年配の人にはインターネットなど無縁の生活をしています。どちらがいいとか悪いとかではなく、両者とも普通に生活しています。
 ただし、インターネットを用いる限り、利便性と共に危険性も覚悟する必要があります。インターネットは知恵にもなるし、毒にもなります。インターネットの世界を渡り歩くには、犠牲を払って知恵を身につけ、さらに答えを得るために苦労を続けななければなりません。素晴らしい道具とは利便を得るだけでなく、常に苦労をしながら使う努力を怠ってはならないのです。私は、ユグドラシルとインターネットの類似性から、そんな戒めを読み取りました。
 私たちは、いつまでたってもミッドガルドの住人なのでしょうか。ユグドラシルの樹皮をかじるだけの牡鹿にすぎないのでしょうか。あるいは、いつの日にかオージンのような知恵者になれるでしょうか。それとも永遠になれないのでしょうか。

・秋・
いよいよ9月です。
暑くて天候不順であった8月も
下旬には秋めいてきました。
北海道の長いようで短かった夏も
もう終わりそうです。
私は、世間が夏休みのころも
校務や夏の集中講義もあり落ち着かなかったのですが、
それらもやっと終わったので、ホッとしています。
大学のAO入試が8月下旬からスタートしたので、
それに関連する校務も始まりました。
AO入試や校務に伴う出張も定期的に入るので
少々落ち着かない日々が続いています。
でも、やっと時間作れそうなので
自分でやりたかったこと、今すべきことを、
少しずつこなしていこうと考えています。

・調査・
私は、9月の中旬に1週間ほどの調査に出ます。
久しぶりに野外調査で
気分転換をしてこようと思っています。
夏バテもひどく、どうも最近、
運動不足でさ体力が落ちているようです。
調査中バテそうで少々気がかりです。
でも、やはり野外調査はわくわくします。

2013年8月1日木曜日

139 refugiaは何処に

 今回は、「refugia」というものについて考えていきます。refugiaは、特殊な用語ですが、「避難所」という訳になります。専門的な用語として、単なる避難所とは違った意味での使われ方がしています。避難所は、楽園ではなく、過酷な場所でもありました。

 サバイバルは、危機や災難から生き延びることです。自然の災害からサバイバルの重要性を、2011年3月11日の震災は思い知らせてくれました。3.11は、個人、あるいはその地域の住民、日本人としての重要なサバイバルでした。
 過去の生物のサバイバルを考える時、化石が重要な証拠となります。化石から見えるサバイバルは、自然現象で、その規模も大きなものに限られます。サバイバルも、個々の個体だけの問題ではなく、種全体の問題となります。さらに大きなサバイバルになると、地球規模の環境変化や気候変動になり、個々の種の絶滅ではなく、大量絶滅ということも考えなければなりません。
 大きな気候変動は、長期間、広範囲で地球規模にもなります。このような危機からサバイバルするためには、危機をしのげる場への避難(シェルター)、自分自身の体での適応(進化)、自分で工夫した対応(人類では道具や火の使用など)などでの対処が必要になります。
 さて、「refugia」(レヒュージア)という言葉をご存知でしょうか。英語の辞書でもほとんど見かけない単語で、もともとはラテン語です。似たつづりで「refuge」という単語があります。refugeは辞書にあり、ラテン語の「refugium」に由来しているとあります。refugiumは「後ろに逃げる」の意味で、refugeは「避難所」という意味になります。
 地質学や考古学などの専門分野で、refugiaという用語を稀にですが、見かけることがあります。意味は「避難所」と同じです。地質学でrefugiaは、氷河期に関する用語として使われています。refugiaが使われる氷河期には、第四紀のものと原生代末のものの2つがあります。
 まず第四紀のrefugiaについてです。最終氷河期(約9万年前~1万2000年前)に、人類のrefugiaはどこかで、どのように生き延びたのかという議論のとき、使われています。
 氷河期のとき、人類はアメリカ大陸にまだいませんでしたので、ユーラシア大陸とアフリカ大陸が中心になります。人類にいた地域はアフリカ大陸でも氷河期の影響をあまり受けませんでした。ですから、ユーラシア大陸それも人類が広く分布していたヨーロッパでの問題となります。
 氷河期のヨーロッパには、ネアンデルタール人が住んでいました。もともとアフリカにいたクロマニオン人がユーラシア大陸に移動していき、ヨーロッパにも進出してきました。3万5000年前ころに両者は出会います。3万年前ころにはクロマニオン人がヨーロッパのほぼ全域に広がります。その頃に、ネアンデルタール人は絶滅したと考えられていました。
 2005年に、イベリア半島南端のジブラルタルの沿岸の洞窟から、2万8000年前から2万4000年前のネアンデルタール人のものと考えられる遺跡が見つかりました。もしこれが本当にネアンデルタール人のものであれば、最終氷期の最も寒い時期(2万1000年前)ころまで、2種の人類がヨーロッパには住んでいたことになります。refugiaが限られていたためでしょうか、両者の生活圏は重なっていたと考えられています。となれば、両人類は共存したのか競合したのか、混血はしたのかなど、いろいろな議論がありますが、まだ結論はでていません。
 氷河期を生き延びる場として、refugiaがどこだったのかということが議論になります。限られた地域で、両者は過酷な氷河期を生き延びていたはずです。ネアンデルタール人もクロマニオン人も、石器などの道具を作り、火も利用し、死者の埋葬などもおこなっていました。いずれの人類もすぐれたすぐれた知性によって過酷な氷河期を生き抜いていました。refugiaでの生活は、耐え忍ぶだけでなく、壁画や装飾品などにみられるような楽しみも生み出していたようです。
 それでも氷河期は厳しかったようで、氷河期が終わると、クロマニオン人だけが生き延びて、ネアンデルタール人は姿を消していました。その理由はわかっていません。厳しい環境からなんとか退避しrefugiaにいたとはいえ、その後に復活することはできになかったようです。
 もうひとつの氷河期は、原生代のものです。
 原生代の氷河期のいくつかは、非常に大規模な氷河期で「全球凍結(全地球凍結)」や「スノーボール・アース」とも呼ばれるものがあります。時期としては、原生代初期のヒューロニアン氷河時代(24億5000万~22億年前)の最後の時期と、原生代末期のスターチアン氷河期(7億6000万~7億年前)、それに続いてマリノアン(またはヴァランガーとも呼ばれています)氷河期(6億2000万~5億5000万年前)の3度あったことが知られています。
 全球凍結とは、スノーボール・アースとも呼ばれるように、地球が雪球(スノーボール)のように氷に覆われてしまう状態をいいます。地球の表面の水はすべて氷か雪になってしまいます。海も凍ってしまいます。海の氷の厚さは1000mにも達したと推定されています。
 これは、生物にとって大変な事態を引き起こします。
 生物は、35億年前には、すでに化石に残るほどに、繁栄していました。原生代(25億~5億4200万年前)には、もっと多様な生物が出現していたはずです。ただし、化石にはその多様性があまり残されていません。
 生物は確実に地球表層に大繁栄していました。地球の酸素は、20億年前ころに光合成をする生物が大量生産をしました。その名残はストロマトライトという岩石に残されています。20億年前ころの大量のストロマトライトがそれを物語ります。生物の陸上への進出は、シルル紀(4億3730万~4億1600万年前)だと考えられています。ですから、原生代の生物にとって、陸のrefugiaは存在しませんでした。
 原生代の生物は多様であったとしても、すべての生物は海洋に暮らしていたことになります。その海洋が、全球凍結では1000mの厚さまで凍ってしまったのです。生物は氷の中では暮らせません。ですから、1000mの厚さの氷の下でひっそりと生き延びるしかありません。そのようにして生き延びた生物もいることでしょう。
 1000mの厚さの氷は、光を通すことができません。大気中の二酸化炭素が海水に溶けこむこともできません。20億年前に光合成を達成していた生物は、どこに避難したのでしょうか。氷の下は光と二酸化ん炭素がないので絶滅します。全球凍結のあと、ゼロからあるいは氷の下に逃げ込んだ生物から進化をやり直せるかというと、あまりに時間が短すぎます。現実には、カンブリア紀の爆発的進化が起こります。
 原生代末には、2度の全球凍結があったとされています。ですから、凍った海のどこかにrefugiaがあり、タフで多様な生物群がそこにはいたはずです。そんなrefugiaは、どこにあったのでしょうか。
 答えは案外簡単でした。火山です。現在も火山活動はたくさんおこなわれていて、1500個ほどあります。過去にも似たような火山活動は継続的にあったはずです。海の上に突き出た火山、ハワイのように溶岩が流れ出るようなところも多数あったはずです。そこでは、火山の熱によって、狭いながらも海が開いていたはずです。海の火山が100個ほどあれば、それまでいた生物の多様性が保てるというシミュレーションもあります。
 refugiaがまるごと地層の中に化石として残っていれば、生物の多様性の実態が明らかにできるでしょうが、今のところ見つかっていません。
 過酷な環境で生き延びるためのrefugiaは、必ずしも快適ではなかったでしょう。狭いところに押し込まれて、生きなければなりません。餌や場所の奪い合い、食うか逃げるかなど激しい生存競争をしながら生きていかなければなりません。それがrefugiaの実態なのです。
 全球凍結は、1000万年以上継続したと考えられています。それだけ長く一つの火山が活動することはありません。ですから、refugiaもやがては消える運命にあります。ですから、今いるrefugiaがあるうちに、他のrefugiaへ子孫を送り込むすべを持っていなければなりません。そんな生存能力をもったものだけが全球凍結を生き延びることができたのです。
 refugiaは、決してパラダイスではないのです。refugiaはサバイバルの場、一時しのぎのシュルターにすぎません。種としての生存戦略が問われるのでしょう。ネアンデルタール人のように再起できなかった種も多数あるはずです。3.11で引き起こされた放射能汚染は、日本人にとって、被災者にとって、refugiaをどうするのか。これからどう立ち向かいのか。これから長い戦いが続くのです。クロマニオン人のようになんとか再起したいものです。

・夏休みはまだまだ・
いよいよ夏休みです。
北海道も夏です。
晴れた日には、セミも鳴きだし、
暑さもそれなりに厳しくなります。
大学はまだ定期試験中で
夏休み休みではありません。
教員はその後採点、入力、評価が控えています。
一番暑い時に試験や集計作業とは・・・

・家族旅行・
家族のありようは、年月ととともに変化していきます。
子供が小さいうちは、
子供に合わせて楽しめそうなところへ
思い出づくりに出かけました。
子供が大きくなると、子供自身の世界もでき、
クラブや講習などもあり、
なかなか家族全員がそろって行動することができません。
しかし、親は子離れできず、昔の記憶のまま、
夏休みには家族旅行をしたいと思っています。
私はもう諦めているのですが、
家内は諦め切れないようです。
主婦にとっても夏休みは
自宅という現実から離れて
のんびりしたいのでしょう。
なんとか実現したいものですが、
どうなることやら。

2013年7月1日月曜日

138 眼の識別と表現:踊るスピネル

 私たちにとって眼は、日々、非常に重要な役割を持っています。そもそも眼が使えないと大きな不自由が生じ、多くの人は生活できなくなるでしょう。今回は、眼の持っている能力とそれをどの程度活かしているのかについて考えていきましょう。

 人にとって眼は非常に重要なものです。人だけでなく陸上の生物にとっても重要な器官で、眼が生存戦略において重要な役割を担っています。生物が、光を認識し、識別する能力を持つにいたった経緯は、必ずしもよくわかっていません。そして、知能が、その能力を活かしきることも、なかなか困難なようです。
 「カンブリア大爆発」と呼ばれる生物進においては、眼の発達が重要な役割を果たしたという「光スイッチ」という説があります。捕食は獲物と見つけ捉えるの眼が役立ちます。一方、被捕食者も、捕食者をいち早く察知し逃れるために、眼は有効な器官なります。
 「光スイッチ」説は、眼の進化における役割を説明しています。しかし、眼の誕生については、説明していないようにみえます。「眼ありき」であれば進化の説明が可能ですが、多くの種(捕食者や非捕食者など)に眼ができるのは、どういう要因でしょうか。一つの種から、あるいは動物共通の器官が特殊化していけば理解できるのですが、本当はどうなんでしょうか。現在のところ、無脊椎動は皮膚の細胞が、脊椎動物では脳の細胞が、眼にへと変化してきたとされているようです。
 なぜ、眼ができたのでしょう。植物では光合成をするために、光の当たる場所を見つけることが、生存や繁栄に大きな差を生じます。葉緑体や光合成の器官が新たな進化をして、眼という器官が生まれたのなら理解できます。葉緑体のような仕組みを事前にもっていれば、光への受容器への変化は理解できます。生物種ごとに、多様な由来をもつ眼があります。動物において、光に対してどのような必然性があったのでしょうか。なんの前触れもなく、いろいろな生物種に眼ができるのは腑に落ちません。眼は複雑すぎるので、自然にできるのが不思議だと、ダーウィンは考えていました。私も同感です。
 由来に次いで、人の眼の能力について考えていきましょう。人の眼は、単にものや形を見分けるだけでなく、もっと高度な能力をもっています。例えば、明るい時と暗い時には違う受容器を用いて、対応しています。明るい時には、錐体(すいたい)という受容器が働き、色に対して非常に高分解能を持っています。暗い時には、桿体(かんたい)が働き、高感度で少ない光を捉えます。
 人が知覚できる光を可視光といいますが、波長の範囲は380~780 nmです。人が識別できるもっとも感度のよいところでは、2 nm程度も離れた波長であれば区別できます。したがって、人の目は、約150種の色(色相や色調とも呼ばれます)が区別できることになります。さらに、それぞれの波長の色に対して、鮮やかさ(彩度や飽和度と呼ばれます)や明るさの差を区別できます。
 つまりは、人は膨大な色の区別できるのです。
 150色×(彩度の見分けられる段階)×(明るさの見分けられる段階)
の色を、眼は見分けているはずです。コンピュータでは、24ビットで表現できる色を「トゥルーカラー」と呼んでいますが、1600万色ほどを表現できます。そして、人の眼はこれを、見分けることができるわけです。
 このような光の識別能力は、人が生きていくため、生存競争において有利に働いたために生まれたはずです。どのように働いていたかは、詳しくは知りません。
 ところで、脳はこのような光の識別の能力を生かしているのでしょうか。
 現代を生きる人にとって、視覚は非常に重要です。高速で動くものや色で識別すべきこと、大量の文字情報も身の回りにあふれています。それを眼がすべて識別して、脳が情報処理をしています。
 文字情報は、限りある文字(漢字はかなり多いですが)を区別すればいいですし、そのような教育も受けてきました。しかし、上の述べた色の名称や色に関する語彙は多くありません。さらに、運動、行動、動作など動きに関する表現はもっと少ないです。ソムリエがワインの味を表現する時のように、動きを表すことももあまりも少なく得意でもなさそうです。
 実は、私が感動した動きに関する表現があります。金沢大学の石渡明(現在は東北大学)が、ある科学雑誌に、「踊るスピネル」という表現を用いられたことがありました。「踊るスピネル」とは、岩石学者ならだれもが見たことのある岩石の組織の一つのシンプレクタイト(symplectite)を表現したものです。
 シンプレクタイトは、冶金や材料工学などの分野でも使われています。地質学では、地下深部で安定にあった結晶が、地表に持ち上げられた時には不安定になり、もとの結晶の外形を残して(仮晶といいます)、他のいくつかの鉱物に変わってしまったものをいいます。多くは、高温高圧で安定であった結晶が、全体の形態と全体の化学組成をほぼ維持しながら、溶けることなく固相反応として別の結晶に変わったものです。2つか数種の結晶になるのですが、固体のままの反応なので、元素の移動距離が最小になるように、小さい結晶が入り組んだ状態になります。
 規則性がありそうなのに、不規則な形態となっています。元の結晶形と化学組成、そしてできる結晶の性質に大きく左右された形態になります。そしてあるとき、「踊るスピネル」が生まれます。
 石渡さんが見たのは、カンラン岩の中にあった、もともとはガーネット(ざくろ石)が、シンプレクタイトに変わったものです。ガーネットが、別のいくつかの鉱物(クロムスピネルや単斜輝石、斜方輝石)に変わってしまったもので、その中にあったスピネルが踊っているように見えたのです。石渡さんは「アラビア文字あるいは草書体の漢字のような複雑な形のクロムスピネル」とも表現されています。
 赤みを帯びた黒いスピネル、小さなニョロニョロしたスピネルが、石渡さんには「踊っている」ように見えたのでしょう。私は、この表現をみて、スピネルの形態がすぐに頭に思い浮かびました。以前私が見たシンプレクタイトと似ていたので、この表現が腑に落ちたのでしょう。動き、あるいは形態の新たな表現は、新しい言葉をつくるのは難しいでしょう。地質学者にとって、ソムリエのような既存の言葉を駆使して豊かな表現をすることも難しいでしょう。あるとき、腑に落ちる表現に出逢うと、その言葉は強く心に残ります。

・symplectite・
「踊るスピネル」を見たい方は
symplectite
で画像検索をしてください。
いろいろな結晶のダンスがみることができます。
岩石を顕微鏡で見た微細な世界での様子ですが、
こんな躍動した結晶もあるということ
ひいては自然界の不思議さが見えてきます。

・多忙につき・
今年は、校務がいろいろあって忙しいです。
一つの校務だけでなく、
いくつかの校務が重なっている時期が
6、7月にあり、つらいです。
そして7月中旬締め切りの論文も抱えています。
こなせるでしょうが。
特の論文は、6月上旬以降ストップしています。
まだ、初稿ができていません。
新たに考えながら、
書き足さなければならないところがいくつかあります。
愚痴言っても進まないので、
隙間時間をみて、やるしかないのでしょう。
辛い日々が7月も続きそうです。

2013年6月1日土曜日

137 ジレンマ:岩石の自然分類を求めて

 ここ数年、分類について考えています。次の論文のテーマが岩石の自然分類にかんするもので、このエッセイで述べるような内容を考えています。なかなか悩ましい問題をはらんでいます。そんな分類について考えていきます。

 地質学では、岩石が重要な研究素材となります。野外調査をするとき、ひとつの露頭が、記載における基本的な単位となります。露頭は、いろいろな岩石がからみ合ってできいます。露頭では、岩石の産状を記録していきます。産状とは、岩石がどのような様子で露頭に現れているかのことです。そのために、岩石の種類を見分け、岩石が形成された時の様子や構造に注目します。岩石の構造とは、地層面、断層面、線状の割れ目などのことで、3次元的に記載するために走行と傾斜を測定します。さらに、それぞれ岩石ごとの地質学的関係を調べていきます。他にも気づいた露頭の特徴を記載していきます。このような記載が、露頭の産状を調べていくことになります。
 記載において、なにより前に、「いろいろ」な岩石の種類を見分け、その素性(岩石名)を決めることが優先します。つまり、岩石の区分が記載のはじまりともいえます。
 名前をつけるためには、岩石をどう分類するかが重要です。地質学者は、学生時代に岩石の成因や組織の特徴などを体系に学び、典型的な岩石を詳しく観察、記録して、経験を積んでいきます。ただし、岩石は自然物ですので、習ったとおりの典型的な岩石ばかりが野外で出てくるわけではなく、まったくわかならいもの、知っている2つの岩石の中間的なものなどもあります。
 たとえ迷ったとしても、調査は進めなかればなりません。そんなときは、自分しかわからなくてもいいから、特徴を表すような名称(愛称といってもいいです)をつけて調査を続行します。要は岩石を見分け、仮の名称があればいいのです。そのような非公式な個人的な分類名を、「野外名」と呼びます。個人のレベルの名称であれば問題はないのですが、時には野外名を、多くの人が「共通語」として使っていくと、普及し定着することがあります。
 「緑色岩」や「キナコ」などの名称は、もともとは野外名あったのが、論文に使用され定着したものです。もちろん公式名称ではないですが、学術的には通用するものとなっています。
 そのような野外名称が増えてくると、混乱が起こります。時には、ひとつの岩石に、歴史的背景の違う多数の名称が付けられることも起こりえます。あるいは、複数の定義があり、同じ岩石に定義の違いによって、別の名称を使う研究者も出てきたりすることもあります。ある岩石名が使用されていたとしても、その定義が示されていないと、どの岩石を指すかわからなくなり、混乱すこともがあります。
 このような問題は、岩石の分類が場渡り的なされたもので、体系的になされていないためでしょう。
 ここで話題が変わります。分類には、人為分類と自然分類とよばれるものがあります。
 人為分類とは、人が自分の都合や必要性に応じて、なんらかの定義して分類していくことです。まさに上で述べた岩石の分類が、人為分類に相当します。
 一方、自然分類とは、個物そのものがもっている「本質的属性」に基いて分類されるものです。これは、すべての体系が目指すべき分類ではないでしょうか。ただし、人智が及ばなければ間違った分類になります。科学が進むほど、自然分類へと近づくことになります。自然分類は、よりよいもので、目指すべき方向性で、「真理」ともいえるかもしれません。
 では、岩石の分類に、自然分類は導入可能でしょうか。
 岩石の重要な部分を占める火成岩は、ひとつの素材(マグマ)から形成された鉱物の集合体です。一部、非晶質物質(ガラス)やマグマ以外の物質も取り込まれていることもありますが、大半はマグマ由来のものからできています。大雑把には、マグマは、鉱物からできているといえます。
 鉱物は、結晶構造と化学組成という本質的属性によって、一義的に定義できるもので、自然分類がなされています。そんな自然分類可能な鉱物からできている火成岩なら、自然分類が可能でしょうか。
 一見、可能のように見えますが、なかなか困難なのです。鉱物の自然分類をそのまま延長することはできません。なぜなら、岩石は、鉱物の混合物であるからです。さらに、鉱物は、結晶化する条件によって組成が変化します。同じマグマからでも、条件によって岩石のつくり(組織)もかわってしまいます。同じマグマからできた火成岩でも、ゆっくり冷えれば深成岩(例えば斑レイ岩や花崗岩)に、急激に固まれば火山岩(玄武岩やデイサイト)になります。条件が違えば、「見かけ」の全く違った岩石になり、当然それに対応して岩石名を違ったものになります。
 「見かけ」というと本質的ではなさそうですが、鉱物の組み合わさったつくり、岩石の組織となれば、そこには岩石の本質的属性がありそうです。実際に岩石学では組織から結晶化の順序や冷却過程を推定しています。岩石の本質に迫る重要な属性となっています。でも、分類にその属性を用いようとすると、どうしても模様の判別や形態の判断など人為による属性区分、つまり人為分類が混入してきます。その点が悩ましいのです。
 岩石の本質的属性として、まず挙げられるのは成因です。つまり、火成岩、堆積岩、変成岩の3つです。しかし、ここにもややこしいものがあるのですが、今回はそれには触れないで置いておきましょう。
 成因による分類は、最初の区分段階として必要ですが、あまりに大雑把で実用上もっと細分したものが必要になります。
 成因によって区分基準が違ってきますが、火成岩では、深成岩と火山岩という区分(半深成岩は今ではあまり使われません)になります。これは、マグマの固結条件を反映しています。地下深部でゆっくり冷えたのか、地表(海底)で急激に冷えたのかというものです。
 岩石には、「ゆっくり」と「急」がまじったような組織もあります。かつては半深成岩としていたのですが、そのような火成岩は、貫入岩でみられることが多く、もとの火成岩が火山岩か深成岩のどちらかで区別されます。かつての半深成岩で用いられたような、ドレライト(粗粒玄武岩ともよばれます)やポーフィライト(ヒン岩)、ポーフィリー(斑岩)などがそれに相当します。岩石名称として今でも使われることがあります。
 単に組織の名称であればいいのですが、古くから使われている術語には、用いられていた当時の成因や使い方などのニュアンスが残ってしまいます。それがさらなる混乱をもたらします。
 火成岩では、素材(マグマ)の化学組成が、重要な属性となります。深成岩でも花崗岩と斑レイ岩、火山岩でもデイサイトと玄武岩は明らかに違っています。これも本質的な属性といえます。
 マグマの化学組成に基いて分類しようとしても、人為分類が必要になってきます。マグマが冷却してきて結晶を出していくと、マグマの化学組成は連続的に変化していきます。それが固まれば別の岩石に、さらに結晶化が進むと・・・、というように連続的に岩石の種類が変化していくことになります。
 化学組成が本質的属性だとしても、連続的に変化する個物の境界は、人為的に引くことになります。花崗岩と斑レイ岩の境界、デイサイトと玄武岩の境界です。区分範囲が広ければ、間に閃緑岩や安山岩を入れることもできます。その境界も、やはり人為的になります。
 火成岩の細分には、たとえ本質的属性に着目していても、境界は人為的になるというジレンマがあります。
 同じジレンマが実は鉱物にもあります。鉱物は自然分類が導入可能です。しかし、多数の鉱物が記載されてくると、体系化が求められます。体系化も科学の目指す方向性です。体系化も、その多くは人為分類です。もちろん本質的属性を求めているのですが、鉱物は、ある物理化学的条件ではある鉱物(A)ができます。同時にできた他の鉱物(B)との関係はできますが、別の条件の他の鉱物(C)とは関係はありません。AとBは関連するので体系化可能でしょうが、AとCは関連はありませんが体系化しようとすることになります。人が鉱物を分類する時、体系化したほうがわかりいいというだけで、体系の中には、鉱物の本質的属性があるわけでないからです。そのため、研究者によっていろいろな体系が生じることもあります。
 自然分類とは、自然の摂理に基づいた個物に対する位置づけだとしたら、そこに至る道は、あまりに人為的です。人為分類の道の先に、自然分類があるのでしょうか。その道は、もしかするともとも存在しない幻のゴールを求めて進んでいるのかもしれません。真理とは、人為の果てに見つけるものでしょうか。それとも真理とは永遠に先にあるもので不可知のものなのでしょうか。それが私の今の悩みです。

・幻の道・
論文が構成上、いき詰まっているので、
このエッセイを書いて頭を整理しようと考えました。
あわよくば、論文の内容に関わるヒントでも
出てこないかをと思っていました。
いい答えは出てこなかったのですが、
道はなんとなく見えてきたような気もします。
とりあえずは、その道を進もうかと考えています。
まあ「幻」なのかもしれないのですが。

・めぐる季節・
今年は天候不順で晴れ間も少なく、
気温もそれほど上がってなかった北海道です。
さすがに、5月下旬ともなる
暖かい日が出てきました。
今年は春の花もぱっとせず、
知らないうちに次々と終わっていくようです。
先日森を通って帰ったら、
もう春の花も終わりのようです。
季節はめぐるのですね。

2013年5月1日水曜日

136 信頼度:誤差の背景

 分析データについている誤差には、統計処理以外にいろいろな背景があります。単純にデータのばらつきを表す精度、真の値とのズレを考える確度、さらに総合的な誤差の評価としての再現性があります。正統派な手順を踏んでいれば、誤差は精度のみと考えればいいのですが、もしかすると、そこに落とし穴があるかもしれません。

 数値と感覚には、ズレることがあります。
 いくつかの対象に名称と数値がついて示されていると、数が少ないいと全体像がわかるため、個々の値が吟味をしてしまいます。そして、それぞれの値の大小に注目されます。一方、対象の数が多くなると、飛び抜けて大きものや小さいものには注意をしますが、その他多数は、平均的なものとみてしまいます。つまりは平均値ですまします。そして次に似たデータが与えられたら、前回やそれまでの平均値の大小、つまり変動や変化に注目されていきます。
 抽象的でわかりくい表現だったかもしれませんが、毎日の気温を調べているとしましょう。月ごとに平均を出していきます。月ごとの平均とともに月の最高気温と最低気温も示すとしましょう。以下は架空の話です。
 月ごとの気温をみていきます。月の平均気温ですから、ある月のデータは、その年の別の月の平均気温や前年の同月の平均気温、あるいは観測されたすべての同月の平均気温(平年というのでしょうか)との比較がされていくはずです。
 「今年の4月は寒かったなあ」という印象があったしましょう。昨年や全4月平均とくらべてみれば、本当に寒かったかどうかわかるでしょう。つまり、印象や感覚で捉えたものと、数値による対応がなされ、印象が確かめられることになります。
 もちろん印象や感覚と実際の数値が、一致しないこともあるでしょう。
 例えば、寒く思えた4月も、平年と今年の4月の最後の1週間が、平年よりかなり寒かったのですが、4月の中旬まで例年並か、少し暖かいくらいの気温となっていたのです。したがって、月の平均をすると平年並になったというわけです。月の最低気温も平年並みでした。月の最高気温、最低気温は、4月下旬にしてばすごく寒かったのですが、4月上旬ではよくある最低気温だったのです。
 上で述べたように、人の感じたものと数値のズレは起こりえます。4月末の1週間は確かに寒い日だったのですが、つい最近のことなので強く記憶に残ったのでしょう。さらに、その記憶が4月全体の印象まで影響したことになります。そのため、感覚と実際のデータにズレが生じたことになります。
 別の見方も可能です。感覚は正しかったのですが、数値処理が感覚を反映していないため、起こったずれともみなせます。月平均ではなく、週平均を見たら、4月最後の週の平均をみれば、例年よりかなり低かったかもしれません。今年の4月末の1週間は、観測史上もっとも寒い年となることもあるでしょう。それを、4月全体で平均をしたため、寒いことが見えなかったのです。
 数値を出してものごとを議論したり、説明するとき、感覚とずれることがあります。それは上述のように、単純に感覚のずれか、それとも統計の取り方による間違いなのか、本来であれば、はっきりとさせるべきです。そもそも数値データとは、感情を排除して、ただ示され、その値のみが議論されるべき性質のものです。ただし、値の誤差あるいは精度には注意が必要です。
 さて、ここから本題です。
 私は以前、化学分析をしていた時期がありました。古くからある分析で、海外では有名どころの研究室では、分析されていました。ただし昔と比べ格段に精度は向上しています。しかし、日本では、まだだれも精度のよい分析ができていませんでした。それを私はやろうと挑戦したわけです。後発であれば、その分析の精度は、先行の研究室に少なくとも匹敵するものを目指して挑戦するわけです。では達成した精度を、どのように表していくのでしょうか。それが今回のテーマです。
 化学分析やそのデータを見る時、注意すべきは、その誤差です。例えば、次のような2つの値があったとしましょう。
20±20
20±2 (±は誤差の範囲を示しています)
分析して得た値は、どちらも20で同じですが、誤差が違っています。20±20は、40から0の範囲をばらつきが、20±2は22から18の範囲のばらつきがあるといえます。20±2を20と表現することは可能でしょうが、20±20を、20というには抵抗があります。40から0の値、あるいは二桁の前半の値とでもいうべきでしょう。そもそもこのようなデータを、意味を理解できない市民向けには公開すべきではないかもしれません。
 誤差の範囲は、標準偏差に基づいたものを用いることが多いのですが、統計的に信頼できる範囲を示しています。ですから、誤差のついているデータは、その意味をある程度理解しておくべきでしょう。
 数値が提示されると、たとえ誤差がつけられていたとしても、その数値のみが一人歩きしてしまうと、危険なこともあります。先ほどの20±20と20±2の例です。データ提示者も、注意が必要です。少なくとも、原理がわかっている人には、その誤差をチェックできる情報は、示されるべきでしょう。
 私は分析する側だったので、誤差や精度に大いにこだわりました。いかに誤差を小さくするか、ということに精力を傾けていました。誤差が小さくなれば、値の信頼性も高くなり、より微量、より微小なものを分析しても、意味のあるデータを示せることを意味します。
 ある岩石のある成分を装置で分析するとしましょう。その成分を抽出すために、いろいろな化学的手続を踏んで成分を抽出していきます。抽出した成分を装置にかけて分析していきます。装置の分析も、かつては手作業でいろいろ工夫をして、人の「腕」が分析精度を左右していたのですが、今では装置の性能があがり、コンピュータで自動化されているので、だれが分析しても、それなりにいいデータをだすことができるようになっています。
 装置は、誤差を小さくするために、何度も分析を繰り返すようにプログラムされています。例えば、100回の分析をして、そのときの各回の分析のばらつきがプログラムで処理され、誤差となります。統計処理も人手をへることなく自動で出てきます。
 ここに、注意が必要です。いい分析装置で、誤差が小さいとしましょう。そのような繰り返し測定による誤差の程度を、「精度」(precision)といいます。「精度」は小さいほど分析データはいいものとなります。ただし、分析データが、真の値を示しているという保証はありません。
 装置にクセがあり、いつもある程度の偏りがあるかもしれません。そのような偏りのチェックのために、標準試料を用います。標準試料にもいろいろなものがあるのですが、天然物や合成物、あるいはあらかじめ値がはっきりわかっているもの、不明だが多くの研究者が同じ試料を分析していて値が求められているものなどがあります。いずれにしても、値がわかっている標準試料を用いて、その装置で分析した値と比べるわけです。
 わかっている値と装置の分析値とのずれを、「確度」や「正確度」(accuracy)といいます。わかっている値がでるように、事前に調整作業をしておかなければなりません。そうでないと、その分析装置によるデータは、他の研究者のものと比べることができません。自分一人、間違ったデータを出しているのかもしれません。そんなデータであることが発覚すると、混乱を与えますし、その人の出したデータをだれも信用しないことになります。慎重になるべきです。
 「精度」と「確度」は、わかりにくいかもしれません。自動装置で矢を的(まと)に向けてたくさん打ったとき、高い「精度」とは同じ所(場所は問いません)に集まることで、高い「確度」とは、真ん中に集まることです。高「精度」、高「確度」が理想ですが、調整ができていない装置では、低「精度」で低「確度」や、高性能の装置なら高「精度」で低「確度」という状態になるかもしれません。
 装置の調整の段階で、高「確度」になるように調整されていれば、問題は「精度」だけになります。もちろん「精度」の誤差内に「確度」の誤差が収まっていなければなりません。そうでないと、値の誤差の信頼性は保証されません。
 じつは、もうひとつ、私は、気にしていた誤差に関わるものがありました。それは、再現性(reproductivity)というものでした。再現性には、いろいろな意味合いがありますが、私が気にしていたのは、総合的な誤差のようなものでした。
 岩石を処理して、分析データになるまで、どこに誤差が混入するかは不明です。予期できない後さがあります。偶発的な誤差であれば、繰り返すると出たり出なかったりします。未知の必然的な誤差であれば、毎回測定値にばらつきとして出てきます。
 もちろん再現性における誤差が小さくなるように努力をします。同じ試料、できれば値のわかっている天然の標準試料を、抽出作業から繰り返しおこない、その分析データのばらつきを調べます。すると、分析手順全体の誤差を総合的にみることができます。このようなものを再現性と呼んでいます。
 再現性がよければ、常に同じ状態で分析手順がおこなわれていることになります。実験手順にたいする信頼度が高いことを示しています。再現性も「精度」の誤差内に収まっているべきです。
 「精度」は装置の能力に依存します。研究者はそれ以外の見えない部分(確度と再現性)が、「精度」内におさまるようにして精力注ぐことになります。まさに見えない努力になります。
 確度と再現性は、分析の準備段階でおこなわれるものです。分析する人で、その誤差を小さくできると「腕がいい」ということになります。私の腕も「なかなかのもの!?」でしたが、残念ながら、今は分析はしていません。
 そしてやっと、数値につけられる誤差は、「精度」に関する誤差だけが示されることになります。確度も再現性も精度内にあり、そのデータは示された誤差で、信頼できることを意味します。研究者はそれをする努めがあります。
 最初に述べたように、調整されていて、いい装置であれば、誤差は小さくなり「精度」は高くなります。しかし、上述の確度と再現性が保証されなければ、精度以上の誤差がそちらにあれば、「精度」の信頼性は示されないことになります。
 分析するのも科学者ですが、彼らは良心のもと、そのような調整を経たのち、分析値を公開しているはずです。少なくとも科学者のコミニティでは、その信頼の上で、データを扱うことになります。
 ところが、時代が進み、装置が発展してくると、そのような背景を知らずに、メーカーに「確度」や「再現性」はおまかせで、ただ装置を使って分析をするような世代もいるかもしれません。そうなると、誤差の意味が違ってきます。そんな事態になっていないことを祈りますが。

・信頼・
今回のエッセイで実例をいろいろあげようかと思いましたが、やめました。
地震の発生確率の誤差の扱いは
今回の話題の最っともいい例だったかもしれません。
まあ、その誤差計算に関しては、詳しくないので、
評価すべき立場ではありませんので。
自分の行なってきた化学分析の話にしました。
近年、装置よくなっているので、
分析精度をいちいち吟味する必要もない
完成度の高い装置もあります。
でも、新しい分析などに挑戦し手法を確立する時、
初歩的な分析データの扱いの経験があるかないかは
大きいな差となります。
へんなデータを出すと、データの信頼度だけでなく、
研究者としても信頼も落としかねません。
なにせ研究をしているのは人で、
データを吟味するのも人なのです。
最終的に信頼度は、人に付与されるものかもしれませんね。

・ゴールデンウィーク・
ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。
北海道のゴールデンウィーク前半は荒れ模様で、
気温も低く、出歩く気にならない天気でした。
大学も、月曜日は通常の講義があったので、
ゴールデンウィークという気持ちになりませんでした。
しかし、今日から大学は振替休日で連休になっています。
そして月曜日から講義がスタートします。
ゴールデンウィークの後半が天気がよければいいのですが。

2013年3月1日金曜日

135 知性を信じるということ

 信じられないことも、信じるようになるのは、理論よりも、事実に裏付けられいるかどうです。事実があれば、信じられない理論も、今の私たちなら理解し、信じることができます。これが、今まで継続的に積み上げてきた知性の成果です。私を知性を信じるべきでしょう。

 世の中には、信じられないことが、多々あります。特に3.11以降、政府や多くのメディア、ある大企業が、その対象に加わったのは、嘆かわしいことです。信頼すべき政府が、情報を操作したり、故意に間違ったあるいは誤解を招く情報を流しました。多くのメディアも、生死に関わるような重要な情報を、検証もせず垂れ流したり、中立公平であるべきなのに政府発表を鵜呑みにして報道ました。ある大企業は、自己保身のために、虚偽の報告やデータの隠匿をしてきました。
 そんな経験して以来、政府やメディア、大企業の広報、報道、発言には、まずは不信感を持ってみるようになったのは、私だけではないでしょう。私にとって、その傷はなかなか癒えがたいものとなっています。すべての政府やメディア、大企業の情報に不信感を抱いたり、素直に信じられず、裏がないか考えてしまいます。
 ところが、政府や行政は、政策だけでなく、教育にまで、上意下達での影響力を出し、メディアがそれに追従しています。そうなると、多くの人は、なすすべもなく従うしかありません。そして、繰り返し同じことをいい続けられ、従って行くとと、あたかもそれが真実と思ってしまいます。「権威」から繰り返し情報が発信されると、ついつい正しいように思ってしまいます。注意すべきです。でも、これも世の常なのかもしれません。
 以下では、信じることとは、どういうことか、考えていこうと思います。まずは、簡単にするために、自分自身が信じていることからスタートしていきましょう。もちろん他人も自分も、嘘はつかないという前提の上での議論ですが。
 よく挙げられる怪しげな例として、怪奇現象やUFOなどがありますが、ここでは恐竜を例としましょう。
 恐竜がまだ知られていない時代、はじめて恐竜を発見した人の話です。仮の話なので、恐竜はティラノザウルスの頭骨化石だったとしましょう。現在のようにITやメディが発達していない、写真もなかった時代です。
 以下架空の話です。
 ティラノザウルスの頭骨化石を発見した人は、たいそう驚きました。自分自身が実物を見ていても、信じられませんでした。頭骨だとしても、あまりに巨大で、現在生きているどんな生物にも、似ていないからです。巨大だとはいえ、その歯は明らかに、肉食動物のものです。彼は考えた末、今は絶滅してしまっている大昔の大型の肉食動物だと推定しました。
 その恐竜の話を、ある学会で発表した。タイトルは「絶滅したが、超巨大肉食動物が存在した」というものです。彼が化石をみせて、自分の考えを示しました。すると、多くの人は、「絶滅動物」説に疑問をもっていたのですが、化石の存在によって信じるようになってきました。なぜなら、目の前に化石が存在し、厳然たる事実だからです。さらに、彼の指摘した化石の特徴を考えると、彼の推定がもっともらくし見えます。発表の終わりには、学会の参加者の多くが、彼の恐竜がいたという仮説を信じるようになっていました。
 さて、学会で話を聞いた人が、「恐竜という、信じられないような生き物がいた」ことを、他の人に伝えたとします。多くの人は、そんな荒唐無稽の話を信じないでしょう。なぜなら、また聞きの人は、化石を見ていないからです。
 以上の話から、「信じること」とはどういうことが考えていきます。
 「自分の目で見ないと、信じない」と多くの人がいいます。逆に、どんな不思議で、ありえないと思えることも、見たものであれば信じられます。自分が見た「信じられないようなこと」は「信じている」のに、他人が見て「信じていること」は「信じない」ということになります。一見、矛盾していますが、重要な点は、事実に接しているかどうかです。上で述べた恐竜はその例です。経験したことは、自分にとって疑いようのない事実になります。事実は、信じることに直結します。これが事実(一次情報)の重みです。
 自分の経験を信じて欲しいというのであれば、他人の経験も信じてあげなければならないはずです。でもそこに事実が介在しないと、どうしても「信じがたい」ことは、信じられません。そんな人や伝達のステップが多くなるほど、情報の質は劣化していきます。それをC. E. シャノンが理論化しました。伝達が経路が長くなると、誤謬が混入する危険性が増大します。シャノンは情報伝達にエントロピーという考えを導入しました。
 情報のエントロピーに対抗するには、事実、あるいは正確な一次情報の発信もしくは受信が重要です。どんなに情報が加工されたとしても、変質していない一次情報にアクセスできる手段を、常に設けておくのです。
 もし、一次情報の解読が難しいのであれば、経験や知識、見識をもった人たちが、それぞれの解釈をして、それを二次情報として自由に公開することです。組織やコミュニティの判断で、どの解釈(二次情報)を採用して行動するかを決めればいいのです。その判断の根拠も公開の場ですれば(この議論自体も一次情報となります)、公正ですし、間違いの修正もたやすいと思います。
 いつでも、だれでも一次情報に接触でき、二次情報への解釈が可能にしておけば、最小限の間違いですむことになるはずです。
 人は、十分な情報があれば、簡単にはパニックになりません。情報がなかったり、不信感をともなう情報によって、パニックが発生します。今や、人は、情報を適切に処理でき、情報に基づき独自の判断で行動できるほど、教育を受け、賢くなっているます。
 3.11の時、公表されていた情報に関する問題は、この点にあると思います。日本は、高度に情報化された社会で、それなりに訓練を受けた国民がいます。そんな教育を受けた賢い国民に対して、前時代的な情報統制、情報操作は、墓穴を掘ります。墓穴も3.11以降、枚挙にいとまがないほど見てきました。
 なぜ、政府やメディア、大企業が、情報を操作したり、ウソの情報を流したのがわかったのでしょうか。
 そこには、多様な、そして賢い人たちが介在したからです。真実の情報、一次情報を発掘した人。正確な一次情報を公開しようとした人。正確な一次方法から新たな解釈で二次情報を発信した人。間違いを犯した人を糾弾しようとする人。多数の多様な賢者がいたからです。そんな多様で賢い人たちは、政府にも、メディア、大企業にもいました。
 政府やメディア、大企業を画一的に「悪」という書き方をしましたが、そのようなさまざまな考えを持った人を、組織内に多様性として持っていたことは、まだ組織が健全である証拠です。そのような多様性が消えた時、最悪の事態、時代となるでしょう。今は、最悪ではありませんが、予断は許せない時期でもあります。心しなければなりません。
 日本人は、充分に訓練を受けた賢い国民です。その知性を信じて、一次情報の公開、知性をもった二次情報への加工と公開を自由化していはいかがでしょうか。それこそが本質的に重要で、次なる時代へのステップではないでしょうか。そろそろ日本人の知性を信じては、どうでしょうか。

・残雪の春・
北海道も3月末になる
だいぶ気温も緩んできました。
今年は、まだたくさん残雪があります。
また、あちこちの脇道で、ぬかるみが残っています。
気をつけないの、車が埋もれそうです。
しかし、着実に春は来ています。

・退官・
先日、退官されたC先生が退職辞令ために出校されたので
最後に昼食一緒にとりました。
二人だけのお別れ会です。
我が家の近所のレストランで、
そこの奥さんのお父さんがC先生の友人で
よくいくそうです。
ただ、お互いはその店では会ったことがなく、
今回初めて会い、私も挨拶しました。
今後もC先生と連絡はするでしょうが、
会う機会は少なくなりそうです。
第二の人生についていろいろ話を聞きました。
ある大学のデータベースのプログラミング作業を
依頼されているようです。
それに関する研究会も定期的あるようです。
あとは別荘で農作業をするとのことです。
お元気過ごされることを祈っています。

134 いろいろな時間

 同じ事象、対象、次元でも、見方を変えると違ってみえることもあります。今回は、時間について考えていきます。学問分野で、時間や時間の流れをどうとらえているのでしょうか。ちなみに、地質学では、「歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない」と考えています。

 以下の議論は一般論めかしていますが、あくまでも個人の意見ですので、ご了承ください。では、時間について考えていきます。さまざまな学問の分野では、時間をどのように捉えているのでしょうか。私は、自然科学での捉え方を、とりあえず、こう要約します。
   数学には、時間はない
   物理学には、理想的時間があるが、特徴のない可逆的時間
   化学には、可逆的時間と不可逆時間のはざま
   生物学は、不可逆時間と歴史的時間のはざま
   地質学では、歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない
 この要約は、独善的で説明しないとわからないと思います。これを説明してきましょう。
 学問も多様化しており、ひとつの分野でも学際化していて、異分野の研究者が入ってきていることもあり、上の要約のように一概にいえない面もあるはずです。でも、時間は非常に重要なテーマで、学問領域において、時間に関する見方には特徴があります。
 哲学においても、時間は重要なテーマです。根本的な疑問として、物理的に定義される時間と実感できる時間とはズレがあることは、多くの人が感じています。感じる時間は、物理的時間とはズレています。楽しい時は時間の流れが早く、つまらない時は時間はゆっくりと流れます。若い時は一日は長く、年齢とともに時間の流れは早くなります。
 哲学でも、感じる時間と物理的時間のズレは大きな問題としています。他にも、現在に生きる自分にとって過去や未来は実在するのか、変化のない世界で時間は存在しうるのか、などと重要な問題があります。
 カントは、刺激を外的感覚器官によって空間的に受け取り、それを内的な感覚器官で時間的に受け取り時間が認識されるとしました。空間的感覚を通じて時間を感じとるということです。ベルクソンやバシュラールは、自然科学で用いられる「空間化された時間」は人が経験しているものではないといいます。ベルクソンは「純粋持続」が時間、バシュラールは「瞬間の連続」が「現在」という時間であるとしています。人間が感じる時間は、常に「現在」の瞬間でしかないからだそうです。いずれも興味深い考察ですが、少々難解で、形而上すぎる考察にみえます。
 ところが、日常生活や社会の営み、自然科学では、時間は、上述の哲学者たちが否定している物理的時間を用いています。物理的時間は、時計や天体運動などの現象、運動を手がかりにして、計測可能なものにしてます。その結果、時間に、客観性や再現性をもたせている。
 時間は、厳密に定義もされています。1秒とは、「セシウム133の原子の基底状態で電子が遷移によって放射する電磁波の周期の91億9263万1770倍の継続時間」とされています。この定義は、SI基本単位として国際度量衡総会で決定されたものです。世界のすべての時間は、この定義が用いられています。
 時間とともに、時間の流れも、なかなか難しい問題をはらんでいます。時間は、過去から未来へ流れているのか、それとも未来から過去へ流れているか。意表をつく問いですが、考えようによってはどちらもありそうです。
 自然科学では、時間は過去から未来へと流れていると考えています。
 自然現象には、可逆なものと、不可逆なものがあります。不可逆とは、一度起こった現象が元に戻れないことで、可逆とは元にもどれることです。理想的な状態、条件を仮定すれば、可逆な変化は存在します。しかし、理想的な状態は、現実にはあまりなさそうです。摩擦や拡散熱伝導などによるロスが必ず生じるので、厳密に、あるいは微視的にみれば、現実の現象では、ほとんどが不可逆は変化ということになります。
 熱力学によって、エントロピーというものが定義されています。エントロピーとは「乱雑さ」を定量的に示す物理量とされていますが、不可逆な変化が起こるとエントリピーは増大します。現実のすべての系では、エントロピーが増えています。つまり、不可逆な変化が進行しつづけいていることになります。可逆の変化にしても、現実にはエネルギーを供給しなければ、継続しないことが多くなります。一見可逆でも、実はエントロピー増加をエネルギーを供給を補って抑えていることなります。
 宇宙全体をみると、どの瞬間をとっても、過去はエントロピーが小さく、未来に向かってエントロピーが常に増大するということになります。これを「時間の矢」といっています。さて最初の
   数学には、時間はない
   物理学には、理想的時間があるが、特徴のない可逆的時間
   化学には、可逆的時間と不可逆時間のはざま
   生物学は、不可逆時間と歴史的時間のはざま
   地質学では、歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない
に戻りましょう。
 まず、数学ですが、数学には、論理の世界、理想状態の世界なので、時間というものは、定義可能です。その時間は、どこをとっても同質で、ひとつの次元に過ぎず、現実の時間があたるものが存在するようには見えません。それが「数学には、時間はない」という意味です。
 物理学では、時間を扱い、その理論体系の中に存在しています。ただし、流れている時間はあるのですが、体系化された法則に基づく時間です。論理的時間ともいえます。理想的時間ですから、論理的に可能であれば、可逆的時間も存在しえます。物理学では、特定の歴史的特異性(時代)をもった時間は扱いません。物理学では、「理想的時間があるが、特徴のない可逆的時間」となります。
 化学は、分子レベルの化学反応を扱いますから、不可逆性という方向性をもる「時間の矢」があります。化学のあつかう化学反応には、エントロピー増大の法則が大きな束縛条件となります。化学は再現性を重視しますから、歴史性をもった時間の流れはありません。理想化すると物理的な時間になり、現実に即すると時間の矢が明瞭になります。化学は、「可逆的時間と不可逆時間のはざま」にいるようです。
 生物学では、時間の矢が、「過去」を生みだします。つまり、不可逆な時間ん矢が流れています。その典型が、生物進化です。進化は、生物の変化が過去から生じ、現在にいたっていることをいっています。進化の原理はかなりわかってきましたが、一般化はなからずしも成功していません。なぜなら進化論は、いまだに論理的に証明されていないからです。生物学は、「不可逆時間と歴史的時間のはざま」にあるようです。
 地質学では、過去から歴史を編んでいます。一過性の再現性のない歴史的時間を扱っています。一般化していますが、時代や地域の特性に大きく左右され、一般化の信憑性もなかなか証明が難しいものです。地質学では、「歴史的時間があるが、一般化可能な時間はない」となります。
 うまく説明できませんが、時間の流れの特徴をみていくと、それぞれの学問の個性が現れると思います。ここで述べたことは、よしあしではなく、学問の特徴でもあります。さてさて、みなさんはここで紹介した説明を、どう思いますか。それも、時間が解決することでしょうか。でも、そこには、時間の矢があり、エントロピー増加の法則はあります。

・めぐる春に・
いよいよ3月です。
寒く、積雪の多い2月も終わりました。
2月末には、天気がいい日は、
路面の雪も溶けるようになって来ました。
長く厳しい冬も終わりそうです。
季節はめぐるのですね。
近づく春に、長く厳しい冬のあとは
期待が大きくなります。

・アイディア紹介・
このエッセイで、私は時間を、
理想的時間(可逆的時間)、不可逆的時間、歴史的時間
に分けました。
それぞれの自然科学では、
扱っている時間に違いがあることになります。
このような見方は重要だと考えています。
まだ、充分に考えをまとめきれていませんが、
今後も継続して、考察を深めていくつもりです。
ここでは、まずはアイディアの紹介をしておきます。

2013年2月1日金曜日

133 科学で戦った女性:3度目の被曝

 地球化学の分野で、一流の分析技術をもっていたのに、敗戦国日本だから、女性だからという理由で、その成果を否定されました。彼女は、科学を舞台に、たったひとりでアメリカに対決を挑みました。彼女の戦う心は、今も日本に受け継がれています。

 日本では2011年3月11日の地震により、福島第一原子力発電所で事故が起こりました。地震による不可抗力もあるでしょう。原因追求も重要ですが、今後どのような事故処理をするのか、原子力発電に対する方針などが、問われるところでしょう。世界に対して、日本の原子力への姿勢を示すときでもあります。日本は世界でも多くの被曝経験をもつ国だから、その発言力はどこよりも大きいはずです。
 日本は、放射性物質による被曝では、いろいろな試練を受けました。第二次大戦末期の広島と長崎での2度の原爆投下による被曝、そして3.11による福島第一原発事故での被曝。しかし、その間に3度目の被曝がありました。
 1954年3月1日に起こったビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、第五福竜丸が被曝した事件です。この3度目の被曝では、女性地球化学者である猿橋勝子さんが、戦勝国アメリカを相手に、化学分析でたった一人で立ち向かいました。
 猿橋さんは、戦後、中央気象台研究部(現在の気象庁気象研究所)で研究をされていた地球化学者です。女性の科学者が少ない時期、それも理系の地球化学ではさらに少なかったと考えられます。彼女がアメリカの大物化学者を相手取って大きな戦いを勝ち抜きました。その後も研究者としていろいろな活動を続けられてきました。こんな若き頃の華々しさとは裏腹に、2007年に87歳でお亡くなりになるまで、女性研究者の地位向上たの社会的な活動を、縁の下で支えられてこられました。
 1945年からはじまった米ソの冷戦によって、宇宙開発や航空技術の開発競争にともなって、核兵器の開発の競われました。アメリカは、1946年から1958年までの間に、67回の原水爆の実験を、太平洋のビキニ環礁でおこないました。そして、最初の水爆実験が、第五福竜丸の事件を起こしました。
 第五福竜丸は、アメリカが定めた危険区域より外、160kmも離れたところで操業していました。危険区域外にいたのに大きな被害を受けたということは、アメリカの科学者も水爆の威力を予測しえなかったことを意味します。米ソ冷戦によるアメリカの焦りが、なりふり構わない強引な実験をさせたといわれています。
 第五福竜丸の乗組員は23名で、被曝が原因で死亡した人が14名、生存者でガンを発病した人は7名。ガンの発病率90%というひどいものでした。
 当時、34歳の猿橋さんは、すでに微量成分の精密分析では第一人者で、第五福竜丸の船員が採取していた貴重な「死の灰」を分析しています。分析結果は、日本の学会ですぐに発表されました。
 アメリカは原水爆実験の影響を調べるために、アメリカのカリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所のセオドア・フォルサム博士(Theodore Robert Folsom)らは、南カリフォルニアの海水中のセシウム137(放射性物質のひとつ)の濃度を測定しました。1960年、その結果をイギリスの一流の科学雑誌「ネイチャー」に報告しました。原爆実験で放射性物質は放出されたが、彼らの値(海水1リットルあたり、0.1×10^12キュリー)は、海水が大量で海流もあるので、放射性物質の濃度も薄まる(希釈といいます)ので核実験は影響はない、安全だと主張しました。
 一方、猿橋さんと恩師の三宅泰雄たちは、日本でも独自に海洋汚染を調査していました。日本近海で海水のセシウム137を測定したところ、フォルサムらの値より10~50倍も高い濃度(海水1リットルあたり、0.8~4.8×10^12キュリー)を検出しました。核実験による放射性物質が、遠く離れた日本の海まで、北赤道海流によって運ばれているという汚染の実態を示していきました。
 相反する結果に対し、アメリカの化学者たちは、猿橋らの「日本側の分析の不備」として、測定が誤りや改竄だと批判しました。三宅や猿橋さんたちは、分析に絶対の自信をもっていました。三宅さんは、アメリカ原子力委員会に、日米の相互検定を申し入れました。同一の海水を用いた分析技術がどちらが確かか競おうという申しいれでした。日本の地球化学者がアメリカの科学者たち対して分析技術の優劣を競う「果たし状」を送りつけたことになります。アメリカの化学者側は、それを受け入れました。
 1962年から1963年の間、猿橋さんはアメリカ原子力委員会の要請を受けてというかたちで、放射能分析法の比較でスクリップス海洋研究所にいきました。機材や試薬は日本から送られましたが、猿橋さんは単身アメリカに乗り込み、自分たちの主張の正しさを示すために、孤軍奮闘することになりました。猿橋さんは、当時42歳でした。
 化学分析による日米対決という構図でした。対決は、50リットルの海水にセシウム134が少量溶かしてあります。濃度の違う海水を4種を、猿橋用とフォルサム用にそれぞれ準備されました。難易度の高い、微量の放射性物質を含む分析で、同一の試料を用いて、精度を競うことになりました。ところが、猿橋さんの試料は、2割ほど濃度が低いものが配られていたようです。分析の場所も汚い木造の掘っ立て小屋のようなところだったといいます。アウェイで孤立無援で、しかもフェアでない戦いが強いられました。
 どちらがより高く放射性物質を回収できるか、分析精度はどちらが良いかを競われました。猿橋さんの回収率は4種すべてで90%を上回り、平均でも94%でした。データのばらつきも少なく、精度のよさをうかがわせます。一方、フォルサムの回収率は、1つだけ90%を超えるものがありましたが、それ以外は80%台で、平均で87%でした。データにばらつきがあり、精度が良くないことがわかります。猿橋さんの圧勝でした。気難しいフォルサムも、猿橋さんの分析技術の高さに納得しました。
 猿橋さんの勝利は、日本の化学分析精度の正しさも裏付けました。結果、「核実験は安全」という主張は覆されました。日本の近海にまで、放射性物質の汚染が広がっていることを決定づけました。
 猿橋さんは、女性科学者の権利を確立し守るために、1958年に「日本婦人科学者の会」の創立者のひとりとして尽力されてきました。その後も、1980年には「女性科学者に明るい未来をの会」を設立されました。「女性科学者に明るい未来をの会」は、毎年5月に自然科学分野で顕著な研究業績をおさめた50歳未満の女性科学者に猿橋賞を与えることになりました。
 科学者に対する賞はいろいろあるのですが、女性への猿橋賞は、それなりの意義があります。女性として、社会、特に研究界ではいろいろな苦労があるはずです。この賞を受賞することで、多くのメディアに取り上げられ、社会的ステータスが少しでも向上することができれば、彼女らの研究生活にプラスに働くことになるでしょう。そんな目的をもって猿橋賞は与えられています。
 1981年に1回目の授賞式があり、2012年で32回目となります。第32回の猿橋賞の受賞者は、東京大大気海洋研究所の阿部彩子さんでした。研究テーマは「過去から将来の気候と氷床の変動メカニズムの研究」でした。
 彩子さんとは、直接お話しをしたことはほとんどないのですが、ご主人をよく知っているので、間接的ではありますが交流をしています。彩子さんのご主人は、東京大学地球惑星科学の阿部豊さんで、惑星の進化や大気や気候の研究をされてます。その関係でお付き合いがあったのですが、近年は大病をされているので、年賀状だけのやり取りだけになっています。彩子さんは、女性研究者としてだけでなく、3人の子育てをしている母として、そして妻としても豊さんの看病、介助もなされています。そんな苦労が、猿橋賞の受賞で少しは報われればと思っています。
 今の日本の社会でも、大学や研究施設の研究者、会社の幹部、行政や政治の上層部の女性の比率は、多くないはずです。意図されない圧力や無意識の差別もあるはずです。戦っている女性研究者は多数おられるはずです。そんな戦っているにエールを送ります。

・米沢さん・
今回のエッセイは、
米沢富美子著の「猿橋勝子という生き方」
(ISBNISBN978-4-00-007497-1 C0340)
を参考にしました。
猿橋勝子さんは全く面識のない方ですが、
著者の米沢さんは一度ある学会でお会いしたことがあり、
少し話させて頂きました。
著書も何冊か読ませていただいています。
目上の人ですが、非常にチャーミンで
なおかつシャープな方という印象があります。

・猿橋賞・
猿橋賞の存在は以前から知っていました。
2001年、第21回の永原裕子さんの受賞から
気にするようになりました。
永原さんは隕石の研究をされていることから
よく知っていました。
猿橋賞の背景の物語はよく知りませんでした。
以前テレビの番組で背景の物語見た記憶があります。
番組の詳細は覚えていないのですが、
化学分析で単身アメリカに赴き、
分析の実力で勝ったという話を覚えています。
それ以降、猿橋賞の受賞のニュースには気にかけていたのですが、
あまり知っている人の受賞はなかったのですが、
昨年、阿部彩子さんが受賞されたことでより気になりました。
そして米沢さんの本を読んだことで
今回のエッセイを書くことにしました。

2013年1月1日火曜日

132 因果と経験の敗退

 明けまして、おめでとうございます。今年最初のエッセイは、当たり前と思っていること、経験的に正しいと思っていることへの疑問です。3.11の地震を教訓として、科学があるべき姿を考えていきたいと思っています。

 科学が完全でないこと、科学には無力な場合があることは、科学者なら誰もが知っています。しかし、その事実を、2011年3月11日、そしてそれ以降に起きているさまざまな場面で見せつけられました。そこには、人や社会、政治の要素も加わっていますが、ここでは、科学と科学者自身のありようを考えていきたいと思います。科学的結果に、大きな瑕疵(かし)が見つかった時、問題の所在をどう見出し、問題にどう処するか、その後に向かうべき方向は、そんなことを考えています。
 私は、自然を対象にする科学(地質学)に興味をもち、科学の奥底にある特性(地質哲学)を深く考えています。そして職務上、科学を伝えるための手法(理科教育)も教えています。科学すること、科学を考えること、科学を伝える方法に興味があります。重要なことは、それらすべては、「科学的手法」から逸脱することはできません。その手法とは、「証拠」と「論理」に基づくべきものと考えています。そこから逸脱したら、科学的ではありません。
 「証拠」のない「論理」は、仮説というべきもので、その正しさが検証されてもいませんし、保証されてもいません。実用性は少ないと思えます。一方、「論理」のない「証拠」は、いくら大量にあったとしても、その規則性や系統性がわからないままでは、データを活用できないことになります。両者が関連をもって存在することで、はじめて科学が成り立っているはずです。証拠に基づく理論構築、あるいは理論の証拠による検証が、科学の基本的な方法といえます。
 証拠と論理の背景には、「因果関係」が存在するという前提が暗黙のうちにあります。因果関係とは、ある原因が発生すれば、論理に基づいた結果が起こる。あるいは、ある結果は、必ずやある原因に由来していることを意味します。因果関係は、証拠を整理した後にできた理論ともみなせます。これは、科学をおこなうための大きな前提となっています。
 因果関係を決めるとき、可能性の大きなものが優先されます。可能性99%のものと、1%ものがあったとしたら、だれでも99%の可能性のものを原因、もしくは予測される結果として選ぶはずです。もし、あえて1%の可能性を選ぶのであれば、そこにはさらなる証拠と論理が必要となります。因果関係の強弱は、可能性によって評価されています。
 さて、一般的な場合の話をしましょう。人災がでたような事故があったとしましょう。なにはさておき、原因究明がなされます。原因が判明したら、その原因に対処して、今後の事故、再発防止に努めるはずです。これも因果関係の事例といえます。事故が結果であれば、その最大の原因を究明して取り除けば、事故の再発は、かなりの可能性で防げるということです。
 事故だけでなく、原因究明はいろいろな場面に適応されています。
 コンパクトな製品(例えば携帯電話)をつくりたい時、サイズを小さくし、軽くするために、電源装置が一番の課題だったとしましょう。電源を小さくするために、さらに問題を突き詰めていくと、電源装置の効率化による小型化、全体の消費電力を減少させることで小さなサイズにできるとしましょう。電源の小型化を図りながら、システム全体で小さな電力しが使わないように再設計をして問題解決することになるでしょう。どちらか一方でも成功すれば、小さくなります。もし両方とも成功すれば、もっとも効果的に小さくなるでしょう。ひとつひとつ問題点を解決して、目的を達成するという方法は、事故のとき因果関係にもどついた考え方です。
 原因究明という方法は、一般的な対処法です。何かの目標があったとき、前に立ちはだかる問題点をひとつひとつ解消していくことで、目標を達成していきます。この手法は、実績があるものなので、「経験的」に多くのことに適応可能だと考えられます。科学的根拠がありませんが、目標達成のために原因を追求していくという方法は、「経験的」に使えると感じられます。
 次に、3.11の地震を例にしましょう。3.11の地震が「結果」とすれば、事故調査と同様に、地震を起こした「原因」を追求すべきでしょう。予測の失敗により、従来の地震予測は白紙に戻りました。少なくとも利用できるという根拠が消えました。従来の理論に基づいた、新たな地震予測も無効になってしまったはずです。実際の大きな事故では、原因追求が最優先で、対応はその後です。地震の予測も、そうなるべきでしょう。
 地震の発生メカニズムとその原理(プレートテクトニクスという理論)から、なぜ3.11の地震が起こったのかという原因を追求されていくべきでしょう。3.11という惨劇の現場は、地震の発生の可能性が特別に高い地域とはみなされていませんでした。これは明らかに科学の敗退でした。
 一番大きな可能性が原因になるという「経験」がくずれたのです。この予測は、地震発生に関するプレートテクトニクスという理論から導かれたもので、その理論の確からしさは、今回の予期できなかった地震によって、少なくとも万全ではないことが露呈しました。謙虚にスタート地点に戻って、理論の点検をすべきでしょう。
 理論における原因とは、つまり予測できなかった理論のどこが悪かったのか、それとも理論ではなく扱う研究者のミスだったのか、そもそも地震予測が可能なのか・・・などを原点にもどって見極めるべきでしょう。原因究明がなされない限り、今後の理論に基づく予測には、大きな不確実さがあるはずです。
 その原因は、それなりに追求されています。しかし、プレートテクトニクスの不備、地震予知の不可能性など、理論の原点にもどって追求されているようには思えません。
 根本的追求がなされているのなら、学界で多くの研究者がそれぞれの研究領域で再度検討して、問題点の洗い出し、それらの解決がなされ、その結果の報告があり、公開の場(論文や学会など)で議論され検討されなければなりません。そのような場や機会は、震災が多く設けられています。ただし、結論を出すには、長い時間が必要なはずです。
 ところが、「従来の方法により仮に作成された全国地震動予測地図2012年版を付録として添付」とはされていますが、地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課)から「全国地震動予測地図・全国を概観した地震動予測地図」が、2012年12月21日に公開されました。これは、問題解決の方法においても明らかに勇み足です。市民を混乱させるだけでしょう。予算を使ったから、その証拠に成果とを出したといわれてもしかたがありません。
 根本的な原因究明として、科学的方法である「因果関係」に対しても適応しましょう。科学は、因果関係に依存しているのですが、因果関係という考え方が正しいかどうかは、実は科学的に証明されていませんし、科学の対象である自然現象が因果関係に基づいて営まれている検証もありません。因果関係については、以前、何度かこのエッセイでも紹介しましたが、因果関係は科学的理論ではありません。経験的に正しいと思っているだけのものなのです。
 経験的に大きな可能性を選ぶと上でいいましたが、小さな可能性も起こりえるから可能性となっているはずです。その可能性を無視すること、重きを置かないことは、本当に正しいのでしょうか。リスクにおいては、小さな可能性であっても、その被害が大きければ、十分検討に値するはずです。小さな可能性も、見逃してはいけない場合もあります。まして、理論が破綻したとなれば、可能性の見積りも白紙になるはずです。予測が市民の安全、安心の指標になるのなら、破綻した論理での予測を提示することは、大きな誤解を生むことになります。
 自然現象に対しての因果関係の究明は、まだまだ不十分です。科学は、依然として不完全な体系なのです。その不完全な体系に基づいて、私たちの社会は動いています。そこから生まれる予測や予想は、その限界と危険さを理解しておく必要があります。
 因果関係は有力で方法であることは確かです。その信頼は、それが一番もっともらしいという「経験」に基づいているからです。地震予知では、その経験が当てにできないことがわかりました。では、経験を超える「想定外」の現象に、私たちはどのように対処すべきでしょうか。真摯に考え、取り組みべき課題です。
 天気予報のように日常的に、予測の確率を実感できるものであばいいのですが、地震のように実感できないものを、「経験」的な評価に基づくのはあまりに無謀な気もします。
 3.11は、科学の限界を教えてくれました。3.11は、科学的手法の限界を再確認させてくれました。3.11は、予測は可能性であって大きな不確かさを含んでいることを教えてくれました。3.11は、科学者の研究における姿勢を問い直しました。3.11は、人の大局観のなさを露呈させました。
 3.11から、まだまだ学び、実践すべき点があります。

・試練をチャンスに・
因果関係、因果律は、知性を持った生き物に
固有に悩みではないでしょうか。
原因と結果の関係を論じるなど、
明らかに感性に反すものです。
感性が当たり前に思うものに対して
異を唱えることができるのは理性だけです。
ただし、理性も大所高所の視点をもたないと
重箱の隅の論理で動いてしまうでしょう。
3.11の地震は、あらゆるところに批判や、反省をもって
見直すきっかけを与えてくれました。
「想定外」の試練ともいえます。
ただし、その試練を活かせるかどうか、
日本人、あるいは人類の知性の問われるところでしょう。
まだまだ知性をもった取り組みが
足りないように見えるのは、私だけでしょうか。
試練をチャンスにできるかどうかが問題です。

・身近な思い・
昨年は、社会状況も芳しくなく、
今年もあまり期待できそうにありません。
願わくは、自分の身の回りは健全であって欲しいものです。
政治や社会は、一人の思いではなかなか通じませんが、
身の回りの家庭や職場など小さい世界であれば、
叶えられることもあるでしょう。
そんな思いで、身近な思いを健全にしながら
今年は過ごしていきたいと思っています。