2026年6月1日月曜日

296 深淵なる時間:Deep Time

 地球には、「深淵なる時間」が流れています。「深淵なる時間」を想像しようとしても、想像力の及ばないほどの長さです。ところが、地質学者には馴染みのある「深淵なる時間」です。


 科学的学術論文と文学とは、文体は異なっています。学術論文には、基本的に文学的表現は不要で、客観性をもって記述されていきます。学術論文の読者は、同業の研究者となります。演出として文学的表現も用いられることはありますが、ほんの少しでしょう。一方、文学には、学術的表現のような厳格で無味無臭の文体は、ほどんど使われません。文学の読者は一般市民です。感情や心が動かされる表現となります。
 両者の中間に位置するのがノンフィクションの分野になるでしょう。ノンフィクションは、一般人も研究者も読みます。ここでいう研究者とは、専門的な教育を受けて、専門的な成果を公表している人を考えています。ノンフィクションのテーマの中には、学術的な内容を一般市民にわかりやすく説明するというものもあります。
 ノンフィクションのライターとしては、研究者のこともあり、ジャーナリストのこともあります。研究者にも文章の上手い人がいるので、実際に自身が携わっている研究を紹介していくので、その臨場感がよく伝わり傑作もあります。一流のジャーナリストには、学術的に難しい専門的な内容を、一般市民にわかりやすく説明できる人も多くいます。そのような著書は、多く人に感銘を与えます。
 アメリカのノンフィクション作家にマクフィー(John McPhee)がいます。世界的に影響力を持つ「ザ・ニューヨーカー」誌の看板ライターの一人で、50年以上も寄稿しています。多様なテーマを扱いながら、緻密な取材をして、多数の事実を用いて、小説のように物語を展開していくスタイルのノンフィクションを執筆していました。文学的にも素晴らしい名文となっており、文学作品として高く評価されています。
 マクフィーは、地質学に関するノンフィクションも書いています。その中に、1981年出版の「Basin and Range(盆地と山脈)」があり、1982年には「地殻をたどる旅」として日本語版が出版されています。この著書は、地質学的な叙事詩として「Annals of the Former World(前の世界の年代記)」という一連の作品の第1巻に当たるものです。残念なが、もう入手できませんが。
 マクフィーの文章では、「構造の円環」と呼ばれる特徴があります。「Basin and Range」では、現在の進行している話の中に、突然三畳紀の過去へと飛び、再び車内の会話に戻ったりします。ひとつも物語を、地質学的なデータ、歴史的なエピソード、個人的な描写など、多様なものが、円環ながらか積み重ねられていきます。
 「Basin and Range」は、地質学者デフェイエス(Kenneth Deffeyes)と共に、アメリカ大陸を旅していく物語となっています。
 ニューヨークからサンフランシスコまで続く横断する州道80号線(Interstate 80)を、デフェイエスが運転する車で、西向かって旅をしていきます。道路の露頭に見える地層を、デフェイエスは「地球の歴史を横切る深い切り込み」といい、そこには、数億年前の地層がでていることを説明していきます。地質学の見方は、石ころから、数億年前の火山噴火や海の底を空想する4次元的思索をしていると紹介されます。
 ネバダ州では、現在、東西に引き伸ばされた、脆い部分が壊れ盆地(Basin)に、残った部分が山地(Range)になっています。これが著書のタイトルとなっています。やがて、盆地のある大地(ソルトレイクシティ)は、新しい海が誕生していくことを知ります。プレートテクトニクスによる大地のメカニズムの説明と、それが示す未来像を述べていきます。
 そして、話題は18世紀のスコットランドのハットンに円環していきます。ハットンは不整合を発見して、地球の年齢が聖書の記述より遥かに古いことを示したことを紹介します。その時、マクフィーは
 Numbers that specify shell depths in the abyss of time
 (時間の深淵に沈んだ貝(化石)の深奥さを示す数値)
という表現をしています。この文章の中で、shell depthsとは、貝殻の厚さだけを意味するのではなく、厚い地層に埋もれた貝化石の長い時間(abyss of time)を意味しています。続いて、
 The mind may checkmate itself at the thought of a thousand years, but it quickly yields to deep time.
 (精神は1000年という時間を考えるだけでチェックメイトに陥るかもしれないが、深淵なる時間に対してはすぐに屈服してしまう。)
という説明をしていきます。
 ここで、「deep time(深淵なる時間)」という言葉を使っています。人間は1000年という時間を考えると、その長さに思考停止してしまいます。ところが、もっと長い「deep time」は、想像をはるかに越えているため、理解することを諦めてしまう、ということです。「deep time」は素晴らしい表現です。つまり、地質学の対象には、人間の想像力の及ばないほどの長時間が流れていることを述べています。
 「deep time」の感覚は、ハットンが1788年に発表した論文の結論部分に、
 The result, therefore, of our present enquiry is, that we find no vestige of a beginning, - no prospect of an end.
 (したがって、我々の現在の探究が導き出した結果は、はじまりの痕跡も見当たらず、終わりの見込みもない、というものである。)
という文章があります。この文章では、地質学がもっている長い時間を象徴的に表現しています。地質学で流れる長い時間は、想像もできないようなものという意味でもあります。
 さらに著書では、当時、提唱されてまもないプレートテクトニクスという学説がパラダイムシフトを起こしていることが示されます。最後に、地質学的な視点によると、日常に見ている風景が、ダイナミックな変化の中では、一時的なものでしかないことを示します。何億年という時間スケールの中では、人間の小ささを感じます。
 マクフィーの著書では、人が自身で体感できる数十年を越えて、1000年になると体感不能になり、思考停止(checkmate)してしまうとしています。さらに、地質学的な時間になると、理解すること、想像することすら諦めねばならず、屈服(yields)してしいます。それを、「deep time」と表現しました。短い単語ですが、その背景を詳しく述べた上での文学的表現での「deep time」はインパクトのある美しい表現です。
 私にはこんな素晴らしい表現はできません。でも、わかりやすく、自身が感動した自然や地質の背景で生じた思索を伝えられればと思っています。ただ、マクフィーより優位に立てる点があります。それは、私が地質学者デフェイエスの側にいる点です。この「deep time」には馴染みあります。露頭の前では、常に感じるている身近な思いになっています。日々、地層と向き合っているということは、常に「deep time」とも向き合うことになります。ただ、マクフィーのような表現はできないのですが。

・最適語探し・
マクフィーの書籍は入手できません。
古本でも探したのですが、入手不能でした。
ただ、大学の図書館に
「ノンフィクションの技法:ピュリツァー賞作家が明かす」
があったので、借りて読みました。
英文タイトルは
「DRAFT NO. 4: On the Writing Process」
(ドラフト第4稿:執筆プロセスについて)
となっていました。
原稿も第4稿までくれば、ほぼ完成ですが、
マクフィーは「最適語探し(mot juste)」を
最後まで続けていきます。
mot justeとは、フランス語の単語です。
そんな最適語探し中で
deep time(深淵なる時間)
も発見したのでしょうね。

・登別・
6月になりました。
北海道は、花が一杯咲く、いい季節です。
以前、チラシ広告で安いパック旅行を見つけました。
一泊だけですが、
夫婦で登別にでかけることにしました。
何度も訪れて宿泊しているところですが、
地獄谷で火山を見るだけでなく、
水族館やウポポイなども興味深い施設もあります。
好きな観光地です。
観光客がどの程度いるかわかりませんが、
のんびりと、無理せず見て回ろうと考えています。