2004年4月1日木曜日

27 時間旅行者(2004年4月1日)

 私は、最近、GISというものをかじっています。GISというのは、Geograhic Information Systemsの頭文字をとったもので、地理情報システムと訳されています。私は、まだ入り口付近で、うろうろしていますが。

 私がGISをかじろうとしているのは、GPSがそもそものきっかけでした。またまた、アルファベットですが、GPSとは、Global Positonig Systemというもので、カーナビに使われている位置を知るためのシステムと同じものです。人工衛星の電波をキャッチして、位置を正確に求める装置です。この装置を、私は、昨年の夏から地質調査に導入しました。
 ポケットに入るほどの小さな装置で、誤差15mほどの精度で位置を求めることができます。緯度、経度、標高などの位置情報を、GPS装置が作動中は連続的に記録していくことができます。つまり、自分がもって移動すれば、歩いたルートや車で走ったルート、飛行機で飛んだルートなどに沿って、ある時間間隔で位置情報が自動的に記録できるものです。このGPS装置のデータを、パソコンに送り読み取ることができます。
 もちろん欠点もいろいろあります。人工衛星のデータを取り込むのですから、空が見通せるところでないと作動しません。屋内、森の中など空の見通しのわるいところでは、人工衛星を捕捉することができずGPSは位置情報を正確に求めることができません。また、位置の精度が15m程度ですから、それより詳細な精度を要求する調査では利用できません。GPSは電源が必要です。私の使っているGPSは、単三電池2本で3日ほど作動します。ですから、3日以上連続して電池がなくなると記憶ができません。まあこれは予備の電池を持てば解決できますが、問題は、1台のGPSに記憶できる情報には、容量の限界があります。ですから、パソコンでそのデータを取り込む環境がないと長期の調査には利用できません。したがって、電気の供給ができないような地域では、発電機やパソコンなど大量の設備が必要となります。とても個人では、利用できません。
 でも、日本のように電気がどこでも自由に利用できる地域では、大いに重宝します。なんといっても、位置情報をデジタルで自動的に記憶しておけるので、非常に便利です。そして、そのデジタルデータをパソコンに取り込めれば、手間をかけずに、位置情報をパソコンで利用できるようになります。
 パソコンでは、GPSの位置情報を有効に使うために、地図をデジタル化した数値地図というものを利用します。この数値地図には標高データを加えることもできます。このような仕組みを統一的におこなっているのがGISというものです。私は、まだ、GISを扱うソフトは使っていません。数値地図とGPSのデータを扱えるソフトを使用しています。
 数値地図とGPSデータを一緒に表示すれば、デジタル化された位置情報が地図と一緒に扱い、表現することもできます。これは、私とっては画期的なことでした。まさに目からうろこが落ちた思いでした。
 今まで私は地質調査というと、アナログ地図を必要に応じて、使いやすい縮尺のものを用意し、その地図にどこを調査したか、どこで試料を採集したのかなどを手作業で記入していました。限りなくアナログ的な作業でした。
 そして、位置のデータを地図から読んで、数値化するときには、読み取り誤差ならまだいいのですが、読み取りミス、入力ミスをすることが起こります。このようなミスは、致命的でした。調査した人ならは、そのミスを修正することは、かつての調査資料や記憶を頼りに、何とか修正可能ですが、一人歩きしたデータは、もはや修正することはできません。破棄するしかありません。いずれにしても、人の手作業で大量の情報を処理するときには、ミスが起こりえます。これは、どうしようもないことです。
 私自身そんなことをいろいろ試行錯誤しているうちに、数値地図とGPSに出会いました。これらを用いることによって、今までの苦労から嘘のように開放されたのです。その使用した方法や考え方を論文に書いて、その効用を地質学者に知らせました。
 さらに余禄というには大きく過ぎる利益もありました。手作業によるミスからの開放だけでなく、ルートマップや位置のデジタル保存や、断面図をパソコンで作画したり、位置データの地図上で可視化もできます。また、共通のファイル形式で保存すれば、他のソフトでデータベースとして利用できます。そして、パソコンの得意とする複雑な計算や表示、修正や更新など自由に、たちどころにできます。
 GPSと数値地図は、位置(緯度と経度)の2次元情報だけでなく、標高データも持っているといいました。ですから、地形の3次元描写も可能となります。空から見たような図、いわゆる鳥瞰図を簡単に作成することができます。また、3次元描写の位置、つまり視点を少しずつずらしながら、作画していき、連続的に見せれば、それは動画となります。まるで、鳥が空を飛びならが地上を見ているような動画を、仮想ですがコンピュータ内で生み出すことができます。鳥の目だけでなく、飛行機や人工衛星からみたものも、同じ原理で作り出すことができます。
 さて、今までGPSのすごさと、地質学者の手作業の不便さを述べてきましたが、じつは、そんな手作業にも実は重要な側面があるのではないかと考え始めました。地質学者は、地質調査から地質図を手作業で作りながら、もっと高度のことをやってのけているのではないかと思い至ったのです。
 地質調査で、ある地点を調べたとしましょう。そこには、特徴のある火山灰層があったとしましょう。その調査位置は、地図の上では、点にしかなりません。しかし注意深くその火山灰の層を調べて、どのような広がりを持っているかは、地層面の面情報を詳しく読み取ることで、連続性を予測することができます。このような地層の面情報は、地質学では、走行と傾斜という測定値で示すことにしています。
 地質調査を、ルートにそって続けていくと、それは曲線として、2次元の線情報となっていきます。先ほどの火山灰が、一つ尾根を越えたところにあると予想でき、そしてその予測を現地調査で確認することができれば、他の地層も同様に広がっていることがさらに予測できます。ルート調査を周辺に広げていくと、調査していないところも、連続的に地層が続いているということを、火山灰のような証拠から正確に予測できるようになります。
 このような地層の連続性を精密に調べるために、地質図学という数学的根拠に基づく図学的手法を使うことによって、線的な情報を2次元でも面情報へと広げることができます。これは、完全な2次元情報として意味をもってきます。このようにして地質図はつくられていきます。
 地質図は、地層の面的な広がりだけでなく、3次元的な情報として読みとっています。ですから、地質図とは地表面だけの情報だけでなく、3次元的な表現も可能です。つまり、地下を考慮した断面図も作成することが可能です。ただし、あまり深くまでは、地層の連続性が保障されませんので、ある程度の深さまでしか断面は描かれません。
 ここまでなら、地質図も3次元表現をしているということで、話は終わってしまいます。パソコンにも当然できることです。ところが、地層には、時間も情報として持っています。地層からは、いつできたのかという情報を化石や年代測定から得ることができます。そして、その時間軸にそって時間を巻き戻したり、できた順に地層を付け加えていったりして、その地域の地質学的な歴史を知ることができます。このように考えていくと、地質調査とは、4次元世界を再現する作業だといえます。
 ただし、これを図示できるかどうかは、研究者の描写能力も必要です。また、連続的に時間経過を動画として表現することは難しいものです。文章でしか再現できないこともあります。その良し悪しは、科学とは違う個人の表現能力という別の問題となっていきます。あるいは、描写能力の不得手の研究者は、淡々とした論文を書いていきます。しかし、彼の頭の中では、すばらしい過去の情景が展開されているかもしれません。
 地質学者は、そんな他の人には見ることをできない時間旅行のようなことを楽しんでいるのです。もしかすると地質学者とは、科学という舞台で、時間旅行をするのが好きな旅人なのかもしれません。こんな楽しみは、コンピュータでは、今のところ味わえないものです。

Letter
・節目の季節・
 多くの組織では、4月は変わり目です。4月1日を境目にして、組織を離れる人、新しく加わる人、いろいろなドラマがあります。組織自体は変わらないとしても、構成員の入れ替わりがおきると、もともといた組織構成員も、やり気持ちが変わってきます。
 我が家でも、この節目に、長男が幼稚園を卒園して小学校に入学し、次男が幼稚園に入園します。私が属する組織では、自身の身分に変化はありませんが、大学とは学生が出入りするところですから、否応なく年度の変わり目を感じさせます。そんな変わり目の季節を、人それぞれに感じているのでしょう。
 こんな変わり目を、自分自身の目標達成のために、一つの区切りに利用することもは、誰でもしていることでしょう。意識しないでおこなっているかもしれません。新しく来た人にはこんなことをしてみよう。この1年は何をしようか。何ヶ年計画の何年目だから、どこまで進もう、新しい年度からはこんな取り組み方をしてみようなどということを考えていることでしょう。
 そんなことを、この3月末に、エッセイを書きながら考えていました。

2004年3月1日月曜日

26 少ないものと多いもの:シニョール・リップス効果(2004年3月1日)

 このごとを調べるには、調べているものの性質をよく理解しておく必要があります。「何を、当たり前のことをいっているのか」と思われるかもしれませんが、これが、難しい場合もあるのです。そんな話をしましょう。

 こんな調査をしたとしましょう。一般の道路を通る車の調査です。朝の7時から9時までの時間帯をビデオ撮影して、その映像から、どのような車が通ったかを調べるのです。たくさんの車(全部で4,000台とでもしおきましょうか)が、この道路を通ったのをビデオに記録されていました。統計量としては、十分な量でしょう。
 その結果は、乗用車、トラック、バイク、自転車、「その他の車両」の順で多かったとしましょう。「その他の車両」とは、救急車、パトカー、消防車、霊柩車としておきましょう。
 ある人が、このビデオを見ていて、「その他の車両」が気になりました。そして、よくビデオを見てみて、統計をとったところ、つぎのようなことに気が付きました。救急車とパトカーは、7時から9時までの間に、時々通りました。ところが、消防車は、7時から8時までは何度か通ったのに、8時以降は一台もとおりませんでした。逆に、霊柩車は、8時までは通らなかったのが、8時から9時までの間には通りました。
 このような結果から、その人は、「この道路は、消防車は8時まで通り、霊柩車は8時からしか通らない」という説を出しました。あなたはどう思いますか。この説は変だ、と思われる方が多いと思います。
 この説は、上で説明したようなデータに基づいて述べられたものです。どこがおかしいのでしょうか。それは、調べている個々のデータが、一般道を走る車であるという性質を考慮に入れなかったからです。車というものは、特殊なものは台数が少なく、統計的に十分な数を得られないせいでしょう。
 では、どうすればいいのでしょうか。時間帯を限定しているため統計量が少ないのあれば、何日も、たとえば1ヵ月間同じ時間帯の記録をして統計をとれば、十分な数になるでしょう。時間帯を区別してないなら、何時間も、たとえば、48時間記録をとれば、いいのではないでしょうか。このような調査をすれば、たぶん、上のような間違った結論は出ないのではないでしょうか。
 でも、このような調査を実際におこなうとなると、非常に大変です。よっぽどの目的意識がないとできない作業です。もしかすると、思い通りの結果が出ないかもしれません。それに、上で変だと思った説と同じ結果がでるという確率も、ゼロではないのですから。
 ものの性質を考えるべきだということを冒頭で述べましたが、上の例を、次のように展開してみましょう。ビデオテープを地層に、車を化石に置き換えるとどうなるでしょうか。同じような結果を素直に信じてしまいませんか。ものの性質を十分考慮に入れているでしょうか。
 恐竜は、白亜紀の終わり(K-T境界といいます)に絶滅したということを多くの人は、信じています。その絶滅は、K-T境界に向かって、少しずつ種類を減らしていたのでしょうか。それとも、白亜紀の終わりまで生きていて、K-T境界でいっせいに絶滅したのでしょうか。現在は後者だと、多くの研究者は考えています。その原因は、隕石の衝突によるものだとされています。恐竜の隕石による大絶滅は、多くの人が知っていることです。ところが、隕石衝突による絶滅説にいたるまで、ものの性質を考えなければならないという問題が生じたことを知る人はあまりいません。
 恐竜の化石は、どの地域でも、どの時代でもたくさん出るというものではありません。まして、白亜紀の終わりの地層が連続してある地域で恐竜の化石がでるところは限られています。世界でもいくつかの地域でしか見つかりません。恐竜の化石は、最初の例でいうと「特殊車両」なのです。ですから、白亜紀の終わりよりだいぶ前から恐竜の化石がみつかならないとしても、それは、上の「特殊車両」の効果の可能性があります。
 化石における「特殊車両」の効果を、そのようなことを調べたふたりの研究者、シニョールとリップスの名前を取って「シニョール・リップス効果」と呼んでいます。いいかえると、突然の絶滅があったとしても、化石の証拠からは少しずつ絶滅していく(漸進的といいます)ように見えることがある、ということになります。
 それと、もうひとつ重要なことは、「ない(不在)」を証明することの困難さです。特に、頻度の少ない特殊車両や珍しい化石は、ある時間以降「ない」ということを証明することは、論理的には不可能となります。
 もし、存在と不在の関係が方程式化されていれば、「ない」は証明できるかもしれません。確率で表されていたとしても、確率がゼロでなければ、「ない」は証明できないのです。ところが「ない」の否定、つまり「ある(存在)」の証明は非常に簡単です。一個の「ある」という証拠を見つければいいのです。特殊車両、珍しい化石を、一個でも、ある時間以降にみつければ、「ない」という説を否定することができるのです。
 「ない」派がすべきことは、確率的に可能性をできるだけ下げるということしかないのです。たとえば、たくさんある車両や化石で、時間の境界の事件を調べて、その事件の実態を明らかにすれば、特殊車両が通らなくなることや恐竜の絶滅も、同じ事件で説明できるかもしれません。
 白亜紀の終わりに絶滅したもので、たくさん出る化石でそのようなことに、挑戦されたことがありました。恐竜以外にも白亜紀の終わりに絶滅した化石として、アンモナイトがあります。アンモナイトはタコやイカの仲間(頭足類といます)で、古生代のデボン紀にオウムガイの仲間から進化したもので、白亜紀の終わりに絶滅するまで生きていたものです。約3億年間も栄えていたことになります。その間に、1万以上の種が生まれました。ところが、このアンモナイトは、白亜紀の終わりに絶滅するのです。
 アンモナイトの化石は、ヨーロッパの大西洋岸の崖などで、大量の化石が地層からみつかります。アンモナイトの化石がたくさんでるスペインのビズケー湾とそれにつづくフランスの海岸にもよく出ました。その地域を調べていたピーター・D・ウォード(Peter Douglas Ward)は、アンモナイトの研究の一人者でありました。彼の今までの研究をまとめて、最後のアンモナイトは、K-T境界より、10mも下からみつかったと発表しました。つまり、アンモナイトは、K-T境界より前に絶滅していたのです。アンモナイトの化石からは、隕石衝突説が否定されたのです。
 彼の偉いところは、「証拠の不在は、不在の証拠ではない」といっていることです。化石が見つからないからといって、その生物がいなかったとはいえないということを、彼は知っていました。ウォードにとって、化石が「ある」ことにならないかぎり、この研究には終りがないのです。彼は、自分の研究成果を証明することはできませんが、自分の結論の確率を上げることはできます。論理的に「ない」を証明できなくても、確率を上げることによって、研究者を納得させれば、成果となります。また逆に、アンモナイトの化石が時代境界で見つかることは、自分が前に出した結論を否定することになります。どちらにしても、忍耐つよい野外調査が必要になります。彼は、それを続けたのです。10年間、アンモナイトの化石探しの調査をつづけました。
 その結果、1994年に「最後のアンモナイトはK-T境界粘土層の直下で回収された」と報告しました。アンモナイトは、K-T境界まで生きていたのです。彼は、偉大でした。自分の名誉よりも真実を求めることを選んだのです。
 特殊車両にあたる恐竜でも、同じようなことが行われました。確率の低いものは、広範囲を大人数で調査することによって、確率の低いことを補うことができます。そのような調査は各地でなされました。
 その結果、K-T境界の地層の中から恐竜の化石が見つかったのです。インドのデカン高原では、K-T境界の地層の中から、恐竜の卵の化石が発見されています。多分これが最後の恐竜の化石でしょう。また、コロラド州のレートン層では、時代境界の下37cmで、ハドロサウルスの化石が発見されています。これは、K-T境界の2000から3000年前まで恐竜が生息していたことを示しています。中国でも、K-T境界のすぐ近くで、恐竜の化石発が見されています。
 ここまで、各地で調べられると、K-T境界まで恐竜が生きていたのことの確かさがでてきます。そして、多くの研究者も納得するようになってきたのです。
 このように、恐竜の隕石衝突による絶滅説が科学的に根拠をもって語られるようになったのは、ある種の化石が稀なものであるという性質を知った上で、それを努力と知恵で補ってきった結果であるのです。

・統計学・
 統計の勉強をしています。集めたデータの確かさ、不確かさを如何に論理的に理解するかということを知るためです。そして、あわよくば、目では見えない何かを統計から導き出せないか、という下心もあります。
 統計学は、自然科学の基礎として重要です。自然界にある目的のものすべてを調べることは不可能ですから、ある代表的なものをサンプリングします。そのサンプルから全体を「推測」したり、調べているものの中で違いを「検定」することによって「相違」があるかどうかや「関連性」があるかどうかを知ることは重要です。1つや2つの変数なら、直感的に感じ取ることも可能かもしれません。しかし、もし感じ取れたとしても、定量化しないと、人は説得できません。
 また、変数や関連性が多数になってくると、もはや直感には頼れません。多変量解析となります。このような手法を知っているということは、重要な武器となります。
 まずは理屈さえわかれば、今はいろいろなソフトウェアがあるので、それを使えばいいのです。その理屈を知るために勉強をしているのです。
 統計学は一般化、定量化していきます。抽象化の極致として、「推測」、「検定」、「相違」、「関連性」などが数値として示されます。統計が示していることは、あくまでも、数値化された一般的なことです。一般化のときに、個々の個性は剥ぎ取られます。統計の結果は、一般化されたものであって、その結果を個々に当てはめるときは注意が必要です。統計値は、個々を語るためのものではないからです。これは大きな落とし穴です。
 統計をとるための調査、統計処理の結果をどう判断するか、あるいは仮説として提示し、自然で検証すること、そんないちばん大切なことは、やはり研究者自身がすべきことでしょう。それに、心のどこかで、統計よりも自然への直感が大切だろうなという気持ちもありますから。

2004年2月1日日曜日

25 大英自然史博物館(2004年2月1日)

 ロンドンのハイドパークのすぐ南側にある自然史博物館を2003年秋に見学した。科学教育担当の人と、鉱物の研究者に館内の案内を頼み、いろいろ見せてもらいました。そんな自然史博物館で感じたことを紹介しましょう。

 大英博物館のはじまりは、サー・ハンス・スローン(1661~1753)が集めた8万点のありとあらゆるコレクションが、彼の遺言によって国に寄贈されたことでがはじまりでした。その遺言に基づいて保管する場所として、モンダギュー・ハウスが購入され、1759年に一般公開されました。
 その後も各種のコレクションや収集物が集まり、手狭となった建物を、バガート・スマークの設計によって大増築工事が行われました。その結果、現在の大英博物館となりました。
 収集資料はその後も増え続け、何度かの増築と、新聞や図書、人類などが、別の場所へ移転されました。移転した中に、自然史分野もあり、1880年、自然史博物館が独立しました。
 ハイドパークの南側のアルフレッド・ウォーターハウスが設計した壮大なラインラント・ロマネスク様式の建築物がそれであります。骨組みは鉄骨で、内装も外装も表面は灰色と黄褐色の2色の素焼きのテラコッタで仕上げられています。幅200メートル以上ある巨大な建物です。
 1909年には、自然史博物館から科学博物館が、独立しました。現在も、自然史博物館は改修中であります。アースギャラリー(Earth Galleries)が新しくつくられ、ダーウィンセンター(Dawin CentreのPhase 1)が現在公開されています。
 自然史博物館では、1920年から集めた資料数が2200万点で、総資料数4億点で、毎年30万点ずつ増えているそうです。かつては代表的な生物標本は、世界中からすべて大英博物館に入っていました。今でも、標本は送り続けられています。
 人類の知的な蓄積がここには面々と続いています。長い歴史と知的資産を集め続けた歴史の重みを感じさせます。30万点という資料数は、日本の大規模な博物館の総資料の何割かにあたります。それが1年間に収集されているというのは驚きです。そんな資料点数を処理できる能力にも驚かされます。
 現在の自然史博物館は、従来の古典的な分類展示と新しい現代風の展示が混在しています。地質関係では鉱物の展示が圧巻です。広い部屋に累々と鉱物の分類展示がなされています。その展示点数は1万2000点です。現在見つかっている4000ほどの鉱物種の内、2000点が展示されているのです。4000種の鉱物の中には、顕微鏡で見なければならないような小さな鉱物もたくさん含まれています。ですから、目で見える主な鉱物は、ほんとんど網羅的に展示されていることになります。実物と物量の迫力です。
 そしてこの広い一般向けに展示されているのは、全鉱物資料の10%に過ぎないということです。気の遠くなるような量です。そして収蔵庫には、ダーウィンの液浸標本、南極探検のをしたスコットの岩石標本、歴史に名を成した研究者たちの標本がつぎから次への出てきました。それらの貴重な資料が、公共の施設にきっちりと保存されています。圧倒的な時間の重みと科学をリードしてきたイギリスならではの知的財産でしょう。
 世界最大のダイヤモンドの原石カリナンのレプリカ、そこから作り出された宝石のレプリカもあります。世界最大の金のナゲットのモデルも展示されています。世界一がさりげなく展示されているのです。宝石類も原石とカットしたものをたくさん展示してあります。もちろん、イギリスの各地の鉱物も展示されています。
 隕石の展示物は少しですが、分厚い本ができるくらいのコレクションも持っています。見えるところで展示されているのは、博物館の持っている資料のほんのごく一部にすぎないのです。ですから収蔵庫にある資料を想像すると、その量に圧倒されます。
 地質関係の展示は、Earth Gallerisで新しい展示がされています。資料の質は申し分なく立派です。教育に配慮された展示です。アトラクティブにするために、動く装置、操作できる装置などが、各所においてあります。ストーリーを説明するために、資料を量ではなく、重要なものを少数それも効果的に演出して見せています。このような展示は効果絶大です。「見た」という印象を強く与えます。
 でも、これは私には、どうもいただけません。できてすぐならよかったかもしれませんが、時間がたつとあちこち動く装置が壊れています。それに、ストーリー中心の展示は、一度見れば満足します。一方、膨大なる物量をもって展開された展示は、面白みは少ないかもしれませんが、あきが来ません。
 自然史博物館は、2つの方式が混在しているので、全体としては統一にかけます。ですから、全体を見た人は、混乱を起こします。私としては、自然史博物館は大量のすばらしい資料を持っているのですから、それを淡々と分類展示しているだけで、十分迫力のある展示なっていると思えます。
 そのような分類展示は、100年以上にわたって人々に見せるということを実践してきた歴史、実績があるのです。しかし、新しいタイプの展示が長い目で見たとき、それが維持できるかという保障がありません。短期間なら効果があるという実績はあります。しかし、せいぜい10年もすると陳腐化して、みすぼらしいものにあるという失敗例は各所にあります。なぜ、大英自然史博物館ともあろうものが、このような展示に切り替えつつあるのか不思議です。
 鉱物の研究者に研究室を見せてもらったのですが、そのときに新しい展示室は展示業者が考えたのだといってました。新しい展示を暗すぎるし、ディズニーランドのようだと批判していました。展示を作る人と資料を管理している人、研究者がそれぞれ考えが違うのだといってました。
 そんな批判もあってか、展示場が当初より明るくなっていました。5時を過ぎると急に展示場の明かりが暗くされました。それは、そろそろ閉館時間であることを知らせるためでしょうか。しかし、おかげで、もともとの設計どおりの明かりで展示を見ることができました。するとやはり当初の意図された展示効果はあります。代表的な資料が薄暗い展示場で効果的に浮かび上がってきます。しかし、鉱物や岩石が良く見える明るさではありません。
 ダーウィンセンターは、収蔵庫を公開して、研究者がライブで講義をおこなっています。これには感心しました。液浸標本のために、8階建ての収蔵庫を建てているのです。Phase 2では、昆虫と植物のために、地下1階、地上7階の巨大な収蔵庫が、2007年には完成させるそうです。
 収蔵庫の公開として、ガラス張りにされた収蔵庫が見られるのと、収蔵庫のツアーがあります。ライブは、300人以上いる研究者が毎日午前と午後の2回、公開で講義をしています。私は2つの講義に参加しましたが、ひとつは海の微生物の研究者と海洋環境の研究者が出演していました。別のところにある海洋博物館にきている小学生とインターネットでつないで双方向のライブ講義をしていました。もうひとつは鳥の研究者で鳥の調べ方を講義していました。
 多くの研究者がいるので、ノルマとしては、1年に1回講演をすればいいわけです。それほど負担ではないはずです。もともと研究者の研究成果を発表するのも仕事の一部ですから。市民向けであると必ずしも慣れていない人もいるでしょうが、それもしかたないことです。でも、これは非常にいいことだと思いました。

・イギリス・
 イギリスは、面積が24万4000km2(日本の約2/3)、人口が6000万人(日本の約半分)、ロンドンの人口は700万人(東京の約半分。)、緯度が北緯50~60度(日本の北海道稚内の45度より北)で、ロンドンは北緯51度(樺太の中央部あたり)です。しかし、メキシコ湾流がきているため、冬も温暖で夏も涼しい気候で、雨が年中一定量降ります。でも、天気がめまぐるしく変化します。今年の夏は、ロンドンは猛暑だったようですが、私がいった9月上旬は気持ちのよい秋の初めの気候でした。

・アッテンボロー・
 自然史博物館を見学しているとき、入り口付近に人が行列をつくっていました。博物館にアッテンボロー氏が新しく著書を出して、サイン会をするという広告が博物館のショップにありました。もしかしたと思って、よくみると、やはり、アッテンボロー氏が新しく出した著書のサイン会をしていました。さすがに自然史博物館です。有名人がサイン会を開くのです。本には興味がなかったのですが、アッテンボロー氏には興味があってので、しばらく見ていました。写真も撮らせていただきました。

2004年1月1日木曜日

24 一流の研究者(2004年1月1日)

 新年にあたってある研究者の話をしていこうと思います。私が尊敬している研究者です。そんな研究者とのやり取りを私のメモと先生への手紙から再現したいと考えています。
 ある日、自宅に帰るとO先生から別刷り(雑誌に掲載された論文のコピーのこと、抜き刷りともいいます)と挨拶の手紙が届いていました。以前から、一緒に地層境界について、論文を書きましょうという話をしていたのです。
 それは、今考えると2年前のことです。中国の調査に2度一緒に行くことになり、そのときに、私の考えている地質の哲学に関する考えと、そのはじめの取り組みとして、地層における時間と境界に関することを取り組むという話をしていました。その考えに先生も共鳴いただき、一緒の研究しましょうという話をしました。私は、概念的な部分を論文にし、そして先生は現実の先カンブリア紀とカンブリア紀境界(V-C境界とよばれています)の境界についての考えをまとめ、できれば新しい境界を提唱するという約束でした。
 先生は、昨年は体調を崩されたのですが、復調なされ、また研究を始められました。もう70歳はとうに過ぎておられます。そんな高齢にもかかわらず、こつこつと研究を続けられ、約束の論文を書かれたのです。その報告の別刷りが送られてきたのです。
 正式版は、近々学会の雑誌に投稿される予定だと書かれていました。この別刷りと手紙を読んで、自分自身のふがいなさを思い知らされました。目標としていた地質哲学に関する研究が進んでいないのです。データは集め、アイディアは漠然と持っていました。しかし、なんの形にもまだまとまっていないのです。
 高齢の先生は、大学も定年されて、研究室も持たないのに、しかも大病の後なのに、あきらめることなくこつこつと研究を続けられたのです。すばらしいことです。研究者の目指すべき真の姿を見せ付けられたような気がします。一流の研究者とは、O先生のような人のことをいうのではないでしょうか。一流とは、こういう不屈の精神力、継続性をいうのではないでしょうか。そして目指したものは、ものにしてしまうのです。
 研究条件や体調がよくなくても、その環境に応じて研究を継続されているのです。このような精神性の高さが一流の証ではないでしょうか。この別刷りのお礼と、私の近況と約束がまだ守られてないお詫びと、そして約束の履行のための決意を込めて、次のような手紙を先生に書きました。

Oさま

拝啓
(時候の挨拶は略)
 昨夜、論文の別刷りを頂戴いたしました。ありがとうございました。早速読み始めましたが、大作なので、読むのにもう少し時間がかかりそうです。ところで、昨日の北海道新聞の夕刊で、カンブリア紀の生物たちのイラストつき解説が2面の見開きカラーで展開され、O先生やTさんの名前を見かけました。なんという偶然でしょうか。また、すでにご存知かも知れませんが、8億年前の氷河期に関して、かなりの科学的な進展がおこっています。「全地球凍結」"Snowball Earth Model"というものについてです。ナミビアが舞台となっています。Paul Hoffman博士を中心に研究が大きな展開を見ています。その様子に関して、川上紳一氏が「全地球凍結 」(集英社新書)という本を書かれました。ご参考になれば。
 約束の論文に関してお詫びします。まだ、私が書くといっていた部分ができていません。この大学に来て、2年目で、その間に書いた論文が、2編しかありません。自分の環境の変化というのは、言い訳に過ぎませんが、昨年投稿して今年の春に掲載されたのが、博物館時代の長期科学教育に関する仕事で書いたものです。また、こちらに来て一人ではじめた科学教育に関する仕事は、途中経過ですが、論文を紀要に書き、昨日渡したばかりです。あと2編ほど科学教育に関する論文を、この半年ほどで書く予定をしています。
 「地層境界」に関する論文に関しても、気にはしていますが、なかなかはかどりません。O先生は大病をされたのに、仕事をされているので、頭が下がります。私も、忙しいという言い訳をすることなく、O先生を見習って、こつこつと仕事をこなしていきたいと思います。
 私の近況をお話します。言い訳ではなく、このような仕事も大切であると考え、多くの労力を注いでいるということです。
 私は、この1年半に、カナダのニューファンドランドのV-C境界をみました(2002年7月)。その他に、イギリスのスコットランドの古生代(2002年9月)、ウェールズの古生代をみました(2003年9月)。どれも、アパラチアンのIapatus海の両側の古生層を見ることになりました。私は、現地にいっても、本格的な地質調査をするというより、その地層にじかに触れ、なにか感じるものがないか、あるいは地質の典型とされるところを、現代風の地質学を身につけた私が見たとき何を感じるか、ジェームス・ハットンがみたものと同じ地層を今の私が見たらどう感じるか、そんなことに注目してフィールドワークをしています。
 これは科学ではないというそしりを受けそうですが、これには私なりの理由があります。今まで還元主義的に科学が進んだおかげで、多くの自然の真理を解明しました。しかし、還元主義的に自然を見すぎたせいで、総合的、総括的、全体的あるいは感覚的に自然をみるという姿勢を、現代の科学者がなくしてしまったような気がします。科学者全員がそんな姿勢をとれというのではありません。誰もする人がいないから、だれかがそんな姿勢で自然、地質をみる研究者がいてもいいのではないかという気がしています。
 もしそんなことをしたとき、その地質学者はいった何を見るのでしょうか。そんなことを還元主義の弊害や限界が議論されているときにこそ、そんな総合的視点でみることが必要な時期が来ているのではないでしょうか。
 しかし、現在の業績至上主義の風潮な中にあって、このような悠長なことをしようという奇特な研究者がいるはずもありません。ですから、あえて、私がやろうと考えています。もしかするとそこからなにか新しい、地質哲学の芽が生まれるのではないかと考えています。
 このような経験を伝えることは、市民にとっても非常に新鮮ではないでしょうか。そんな考えの下に、ERSDACという組織が管理するASTERという地球観測衛星の画像と、私が撮影した地表写真、そして地質紀行文をあわせてホームページで公開するということを、今年の1月から、月一回のペースでおこなっています。これも、12月で区切りになります。
 大学の教育に関しても、生涯学習に関してもっと寄与すべきであると、私は考えています。大学の教養をもっと公開すべきだと考え、こちらに赴任してすぐに、私が担当している講義を、市民向けに公開する方法論に取り組みました。2年計画で、4コマ分の講義を毎週メールにして公開しています。これは、現実の大学の講義と同時進行しています。大学の講義で行った内容をテキストにして、メールで配信しています。大学の講義1回分が、テキストにすると2週分くらいの量になります。ですから、休みなく毎週メールを送り続けると、ちょうど半期で現実の講義と同じ分量を送ることができます。現在、このメールを約2500名の人が読んでいます。このような試みを昨日投稿した論文では方法論として提示しています。これも、毎週欠かさず継続し、来年3月で区切りとなります。
 もうひとつの試みは、視覚障害者の方とメールを交換し、障害者との協力によって、科学教育の方法論に何らかのフィードバックをするという試みを行っています。これは、まる3年ほどになりますが、毎週メールで雑誌を配信しています。その間、相手の視覚障者は、別の人に代わりました。100名程度の方がこのメールを読まれています。これもそろそろ区切りにしようと考えています。こんな内容を、終了後、論文にする予定でいます。
 さらに、北海道の地質について新しいテーマに取り組んでいます。それは、上で述べた内容とも関係があるのですが、どうせやるなら誰もやってないものを目指しています。誰もやってないことで、やっている自分が面白いもの、そして誰もが私がやっていることを面白いものと思え、自然科学でもちゃんとした科学になるようなものがないか考えています。
 贅沢な目標ですが、そのためには、今まで地質学者が素材にしてこなかったものを取り扱おうと思っています。それは、川原の石ころや砂です。堆積学や水理学ではある程度扱ってきましたが、自然科学として地質学者が取り組みは、最近みかけません。市民にとって川原の石や砂は、無条件にわくわくさせられるものです。動植物と同等の面白さがあり、市民にも魅力があるものです。この面白さを損なうことなく、科学にできないかということです。
 岩石の薄片はみんながきれいだと思いますが、同定や岩石鉱物の説明となると、とたんにつまらなくなる。星座や惑星は見ていて楽しいのですが、詳しい説明となると、とたんにつまらなくなる。そんなつまらなさをなんとか乗り越え、面白いまま伝えることができないかという挑戦です。
 そのために、素材は北海道の1級河川(13あります)すべての砂と石を系統的に収集するつもりです。3年計画で進めています。まだ、今年の春からはじめたばかりです。5つの1級河川を今年は調査しました。その実物データを収集し、デジタルデータをホームページで公開しています。問題は、それが科学にできるかどうかです。これには、今、知恵を絞っています。
 こんなことを、大学の講義以外に取り組んできたため、忙しくしています。でも、楽しくやっています。地質哲学の序章にあたるところは、大学の講義で取り組み、メモができています。それだけで、本4冊分くらいの量になりそうです。
 長々と私の近況を書いてきましたが、「地質境界」について、興味はまだ続いています。ですから、なんらかのまとめを早いうちに行いたいと考えています。
 これから寒くなってきますが、ご健康にはくれぐれもお気を付けください。
敬具

・謹賀新年・
 私はO先生に、上のような手紙を書きました。この手紙から2ヶ月ほどたちましたが、残念ながら、まだ「地層境界」の論文は書いていません。しかし、この手紙のあと、予定の論文を一つ投稿し、もう一つは論文も書き上げ、現在共同研究者に回覧中です。あと一つは、半分ほど書きました。予定通り、研究は進んでいます。
 でも、私は残念でなりません。自分自身の不甲斐なさをつくづく感じています。私自身が誰もやっていないことをやろうと考え、私の考えに共鳴されたO先生が、それにあわせて貴重な時間をこの研究に捧げておられています。申し訳ない思いでいっぱいです。しかし、これは中途半端にやっつけ仕事のようにこなすことは、O先生にもっと失礼だと思います。時間がかかっても、私なりに満足のいく内容に仕上げたいと考えています。これは、私の新年の決意でもあります。
 皆さんの新年の思い、一年の計はありますか。別に一年の計をもって計画がスタートするものばかりではありません。でも、なんとなく改まった気持ちで行うときには、元旦のような「きっかけ」を利用するのも手かもしれません。要はなんとか計画や夢を実現させることです。そのためには、それに向けての気持ちや集中力、モチベーションを高めることです。
 では、この一年もよい年になるように。

2003年12月1日月曜日

23 軽石から危うい普遍的認識へ(2003年12月1日)

 石狩川の河口に砂をとりに、家族でいきました。場所がわかりにくいところだったのですが、なんとか河口にたどり着きました。そこは、釣りの人が何台かの車を乗り入れていましたが、昼前には釣れなくなったのか、みんな引き上げていきました。私は砂の採集のために、家族は石狩川の河口の砂浜で遊ました。そのときに思いは巡りました。

 石狩川の河口で、漂着物の中に多くの軽石を発見しました。いろいろなものが混じっているようでしたが、もはや転石となっているので、その由来は定かではありません。軽石は、産地から移動することによって、その由来が不明になってしまいます。その由来がもし確定できるとなると、軽石自身に由来を示す何か強烈な個性、特徴、つまりは情報が記録されていることになります。このようなことは、当たり前に起こるのことなのでしょうか。
 もし、由来が記録されているとしても、人間が読む努力をしなければ、読み取れないでしょう。そのような努力を費やすからには、なんらの目的が必要でしょう。その目的が大きければ大きいほど、ささやかな情報でも読み取られる可能性があります。当たり前のことかもしれませんが、目的があると、軽石自身は何の変化もしませんが、軽石から読み取れる情報は、多くなってくるのです。
 情報とは、目的によって量や価値が変動するのです。軽石は軽石として語りはしません。人が読み取る努力をどの程度するかによって、読み取れる情報量が違うだけなのです。これは、人間の認識のレベルが目的によって自由に変化させることができるからなのでしょう。
 だから、私が、この軽石に由来だけではなく、なんらかの目的で情報を読み取る努力をすることによって、軽石に対する私の認識のレベルが上げられることになるのです。もしその認識において、他の人があまりなさないが、面白い認識があるとすれば、私の軽石に対する認識を他の人に伝えれば、それは価値ある認識となるのではないでしょうか。目的とその到達認識の価値、これが重要です。
 では、軽石をきっかけとして、より普遍的な認識が得られたとしたら、もはや目的すらその普遍的認識の前には重要性をなくしているということだって起こりえます。すると、軽石と目的も、たんなる普遍的認識へのきっかけにしか過ぎないのかもしれません。では、その普遍的認識となんでしょうか。多くの人がその重要性を認められるものであるはずで、なおかつそれは一朝一夕にはたどり着けないようなものであるはずです。
 そんな目で、もう少し、軽石に目を向けてみましょう。
 地質学も科学技術の進歩によって、化学分析の技術も上がってきています。最新の技術を使えば、元素によっては、n(ナノ)のレベルの成分量でも認識する精度に達しています。ナノとは、1グラムの石の中に、10億分の1グラムの量の成分も分析できるということです。
 このような、微量の元素や化合物までを正確に測ることによって、もしかすると、その軽石しか持たない情報ににたどり着けるかもしれません。あるいは、んもっと一般的に石ころごとの個性を記述することができるかもしれません。そのような個性を見つけることは可能かもしれません。つまりは、それぞれを個体識別ができるかもしれないのです。
 では、そのような個体識別に番号をつけたら、どの程度の番号の数が必要でしょうか。すべてのものに個体識別番号をつけるとしましょう。すべてのもとは、さまざまなものがあるでしょうが、平均1グラムであると仮定しましょう。もっと小さいもの、もっと大きいものがあるかもしれません。問題があるようなら、この平均質量を変えてやり直せばいいのです。桁数を考えてみるのです。これで、問題はいった何グラムくらいのものがあるだろうかという問いに変換できました。
 ここで、指数というものを使うことになります。指数とは10の2乗とか3乗とかいうもので、10の2乗とは100のことで、10の3乗とは1000のことです。つまり、乗(じょう)とは、1の後ろにいくつゼロがつくかということを意味しているわけです。ここでは、テキストだけで記述する必要があるので、10の2乗を10^2、10の3乗を10^3と書くことにしましょう。
 では、地球について考えていきましょう。地球の質量は6×10^24キログラムです。これをグラムであらわすと、6×10^27グラムとなります。つまり、6×10^27個の個体識別番号があればいいことになります。
 次に、地球よりもっと大きな存在である太陽系について考えてみましょう。太陽の質量は、2×10^33グラムです。太陽系には惑星やその衛星、彗星、惑星間物質などもあります。でも、太陽系物質全体として、太陽の質量の0.1%くらいにしかなりません。ここでの話は、個体識別番号がどれくらい必要かという問題なので、多めに見積もって太陽の2倍ということにしておきましょう。太陽系の質量は、4×10^33グラムとなります(ここでは桁を考えていますので有効数字を1桁で考えます)。太陽系には4×10^33個の個体識別番号が必要となります。
 さらに広げましょう。私たちの銀河はどれくらいの質量をもつのでしょうか。銀河には、数千億個の恒星があるとされています。だから多い目に見積もって一桁多く1兆個としましょう。また、まだ見つかっていない暗黒物質もあるようですから、さらに一桁増やし10兆個の恒星分の質量があるとしましょう。指数で書けば、1×10^13個となります。太陽は、ごく普通の平均的恒星とされています。でも、多い目に見積もり、太陽系の10倍が平均的な恒星の質量としましょう。4×10^34グラムの質量となります。私たちの銀河には、4×10^34グラム×1×10^13個で、4×10^47グラムとなる。つまり、私たちの銀河には、4×10^47個の個体識別番号があればいいことになります。
 さて、最後に宇宙全体に、この話を広げておきましょう。宇宙には、銀河が多数あり、それが模様をなしていると考えられています。その銀河の数は、やはり数1000億個とされています。ここでも、多い目に見積もり、1兆個としましょう。すると宇宙の質量は、銀河の質量×銀河の数でから、4×10^47グラム×1×10^12個、つまり4×10^59グラムとなります。宇宙、つまりこの世の個体識別には、4×10^59個の数があればいいのである。
 このさい、徹底的に増やしていきましょう。つまり、個体識別番号をの最大値を考えておき、その数がとてつもなく大きくて扱いきれないようなものなら、私たちには、この世のすべてを個体識別して記述する術はないということなります。では、そんな最大値を推定しておきましょう。
 この個体識別の話は、もともとは、1グラムの石に細分することからはじめました。しかし、石ころには、多くの鉱物があり、鉱物は原子のきれいに並んだ結晶である。だから、この際、原子ひとつずつに個体識別番号をつけ、その数と並びを記述すれば、鉱物が記述でき、そして鉱物の集合が1グラム石ころとなります。
 つまり、宇宙のすべての原子ひとつずつに個体識別番号をつけてしまえばいいのです。宇宙には何グラムの物質があるかは上の話でわかった。次にすべきことは、1グラムの石が何個の原子からできているかという問題なります。
 ここでも、多い目の数を見積もっておきましょう。一番軽い原子は、水素です。その重さは、6×10^-24グラムほどです。マイナスのついた指数は、小数をあらわし、ここでもゼロの数を意味しています。0.1は1×10^-1、0.01は1×10^-2となります。
 したがって、1グラムの石の中には、1グラム÷(6×10^-24グラム)で、2×10^25個となります(ここでも桁数しか考えていません)。これを、先ほど求めた宇宙の質量にかければ、4×10^59グラム×2×10^25個で、答えは、8×10^84個となります。つまり、10^85個ほど個体識別番号を用意しておけば、この世のすべてのものに対して個体識別が可能となります。
 この世のすべてにものについて個体識別番号は85桁の数があればいいいのである。これは、私たちが馴染みある数字で考えました。つまり10進法です。もし、アルファベット(26文字)と数字(10文字)とをあわせて36文字を使用すると、つまり36進法にすると、55桁ですみます。
 もしこれを二進法であらわすと282桁となります。これくらいの大きな桁になると、少々の見積もりに誤差があっても、大きな違いとは見えなくなってきます。だから、コンピュータで扱いやすい二進法にすればよいのです。
 282桁の数は、考えてみれば、少ない数のように思えます。技術計算や暗号など、コンピュータがあつかっている数は、もと大きなものもあります。だから、現状のコンピュータでも十分処理可能なものといえます。
 私が拾った軽石すべてに個体識別をつけるの簡単です。そして、技術の進歩によって、その由来もわかったとしたら、個体識別番号にその氏素性をいっしょにして記録することも可能でしょう。しかし、問題は最初の話に戻ります。目的、つまり何のためにそれをするのかということです。
 私は、今回拾ってきた軽石は標本として、試料番号をつけました。それは、石狩川河口で2003年11月1日に見つけた試料として、他の軽石と識別するためにでした。他との識別のために番号をつけるのです。それは、アルファベットと数字の入った11桁の数であす。55桁の数と比べたら少ないものです。でもその識別番号がないと、情報と試料が一致しなくなります。試料と結びつかない情報は、私の場合、価値がなくなります。
 さて、ここで次の問題が出てきました。試料から情報を読み取ることができます。しかし、その情報は試料を扱っているものにとっては、実物から遊離しては価値のないものとなります。したがって、実物と情報はつねに対応しておかなければなりません。
 ところが、普遍的認識にいたるとき、たとえば、石ころをつかって、地質学の論文を書くとき、研究者自身は試料と情報は決して遊離させていけなのですが、普遍化するとき、情報の素性さえ確かであれば、情報は試料から遊離していいのです。あるいは、試料の個別の存在が薄ければ薄いほど普遍性が大きいともいえます。
 「情報の素性の確かさ」は、研究者の良識、あるいは倫理が保証しているものです。これがなければ、普遍的認識は崩壊してしまいます。じつは、こんな危ういものに私たちの認識が依存しているということになります。いってみれば、研究者の性善説に乗っかった上での普遍化なのです。
 この研究者の性善説という神話のごときものは、何度も崩壊しています。最近の日本で誰もが知っている例では、考古学の石器偽造事件です。この事件は、ひとつの事件ではなく、日本の考古学全体の体系に疑問視されるようになったのす。あるいは、科学者の自体の倫理も問題にされるべきであるとうことになのです。
 さてさて、インターネット時代になり実物をもってない情報発信、倫理感をもたない人からの情報発信がはじまっています。こんなとき認識を深めるためには、なにをよりどころにすればいいのでしょうか。問題です。
 軽石の話題は、まだまだ巡りそうですが、ここまでにしましょう。多くは「名もなき」軽石なのでしょう。そんな名もなき軽石のささやきから、聞こえたのは、こんな人類の危うい認識への警鐘であったのです。

2003年11月1日土曜日

22 災害と倫理:北海道の被災地を調査して(2003年11月1日)

 紅葉真っ盛りの10月上旬に、日高山脈を横断してきました。行きは西から東に日勝峠を越えていき、帰りは東から西に狩勝峠を越えてきました。横断の目的は、河川の地質調査でした。いろいろ考えたすえの調査行でした。

 今年、2003年の北海道の夏は、冷夏でした。それに加え、日高や十勝地方は、8月10日の台風10号、9月26日の十勝沖地震がありました。この地域は、繰り返し、大きな災害にみまわれたのです。そんな地域を調査することに、私は、躊躇していました。
 災害は誰にとっても嫌なことです。そんな災害を防いだり、事前に予測したるするために、科学、あるいは学問は重要な役割を果たします。
 地震はなかなか正確な予測できません。1993年の北海道南西沖にしろ、1995年の兵庫県南部にしろ、2001年の芸予にしろ、2003年の宮城県北部にしろ、予想してないところで地震が起き、大きな被害を出しました。今回の十勝沖では、マグネチュード8.0という大きさに比べて、専門家も驚くほど、被害が少なかったのです。それは、予想外の幸運でした。
 火山噴火は、日本ではかなり予測できるようになりました。そして、人災がだいぶなくなってきました。人が火山噴火で直接死ことは、かなり減ってきました。そして、火山噴火に伴う防災も進んできています。
 台風も同様に、かなり精しく予測できるようになってきました。ですから、ある程度台風には備えることができます。
 ところが、北海道のようにほとんど台風の被害を受けることがないような地域では、どんなに人間が防災を知っていても、滅多にないことなので防災の効果を発揮できないこともあります。これは明らかに人災です。
 また、数年あるいは10年に一度の台風が襲来すると、今まで自然物があまり受けたこと状態におかれるため、予想以上の被害を受けることがあります。沖縄など、台風が年に何度も来るようなところでは、台風で大規模な自然災害は起こりません。ところが北海道では、同じような台風でも今回のような大災害になります。そんな時、自然が受けた被害が、そのまま人間の生活に被害を与えることもあります。今回の台風で、北海道にはそんな被害が多く見られました。
 そんな被災地である日高と十勝地域を10月10日から13日まで4日間、調査してきました。調査の目的は河川の地質調査でした。私のここ数年の研究テーマとして、北海道の一級河川、13個をすべて調べることにして予定を組んでいました。その一環でした。
 計画では、今年の秋には、日高の沙流川、鵡川を調査する予定でいました。ところが、台風10号の襲来で、両川は大きな被害を出しました。沙流川では、行方不明者1名がまだ見つからないまま、約2ヶ月たった10月6日に捜索が打ち切られました。台風の被害から復旧してない道路がありますし、漁業ではいまだに被害が出ています。
 沙流川と鵡川はそんな被災地なので、私は予定していた調査を来年に延期するつもりでいました。被災者に対して、学術的調査とはいえ、自分の興味で調べることは、失礼だと思っていたからです。実は、同じ思いを有珠山でしたことがありました。
 2000年11月に、私は個人的に有珠山を訪れました。2000年3月の有珠山の噴火から、7ヶ月くらいしかたっていないころでした。7月末には避難指示の解除がなされ、8月末には避難所がすべて閉鎖されました。しかし、噴煙がもくもくと立ち上がる中、やはり洞爺湖温泉も、温泉街特有の華やかさもなく、どこか落ち着かないような不穏さがありました。
 そして、忙しく復興や冬の準備をしている人たちを見ていると、いくら研究のためとはいいながら、自分自身の興味の延長で被災地を見ることに羞恥を覚えました。そんな気持ちをもって有珠山の噴火の被災地に赴いた自分が恥ずかしくなり、何もみずに、すごすごと引き返した経験がありました。
 多くの火山学者は、自分が研究してる火山の噴火は、一生に一度も経験できないような現象です。ですから、火山学者は、自分の研究地域の火山でなくても、自分の研究の参考にするために、火山が噴火を起こすと調査に行くことがあります。そして、研究者は研究者のネットワークで、一般の人が立ち入れないところも入り調査することができます。もちろん研究をして、火山予知や防災に役立つようにすることは必要不可欠です。そして、研究者として経験を積み、知識を増やすことも大切です。
 それもすべて了解した上で、研究者としての倫理を問いたいのです。研究者としてというより、人間としての最低限のモラルといっていいかもしれません。研究とはいえ好奇心に基づく行動と、人間としてモラルの間のどこで線を引くかという問題です。研究者といえども人間です。自分に興味があるから、出かけていくのです。でも、研究のために必要なことと、興味本位、いってみれば野次馬根性の間のどこに一線を引くか、越えてはいけない一線がどこかにあるはずです。私自身、その整理をせずに有珠山にでかけ、引き返す羽目になったのです。
 今回も、台風の被災地である鵡川と沙流川の調査は、8月中はやめるつもりでいました。それは、自分の心の整理ができなかったからです。9月中旬くらいまで迷いながら、やっと結論を出しました。調査に行こうと決心しました。
 被災地を、自分の地質学者としての目でみて、何らかの形でアウトプットする必要性を感じたからです。その決心のきっかけとなったのが、北海道の地質学者ためのメーリングリストでのあるメールでした。
 十勝沖地震では、札幌でも液状化現象がおこり、傾いた家がでたこともあり、ニュースになっていました。だれか専門家が調査しているだろうと、みんな思っていたのでした。しかし、だれも調査していないことに産業技術総合研究所北海道センターの地質学者のOさんは気づかれました。液状化現象を、Oさんが記録するために、急遽現地に赴き、調査されました。そして緊急の調査の内容は、地質学者にメーリングリストとホームページを使って公開されました。
 これは、非常に重要なことだと感じました。直後でないと収集できない情報を、専門家でないと収集できない情報を、記録として残すことは大切です。公的機関の人間としてOさんが、それを責務と考え、急遽調査され、報告されたことは、素晴らしいことだと思います。このような情報は今度の対策に不可欠なデータとなるはずです。
 このメールとホームページをみて、私がもっている地質学者としての能力を使うべきであると考えました。そして、地質学者として、自分のできる方法で記録を残すべきではないかと考えました。今回の被災地には、他の地質学者が入っていはずです。しかし、私のような見方で被災地を見ている地質学者がいないかもしれません。そうならば、私しかとれないデータがあるかもしれません。
 もともと、私は、その周辺を調査するつもりでした。その機会を利用して、地質学者として、記録に残すことが大切だと思い直したのです。もちろん、公式に行くわけではありません。個人の研究というレベルで行きます。いってみれば興味の延長線です。でも、その記録をしっかりとデータとして残し、公開していけば、その情報は、どこかで、だれかの役に立つ可能性があります。
 もし、誰も調査していない地域や情報、見方がそこに含まれているのなら、その情報は重要な意味を持つかもしれません。ですから、被災地の人に配慮しながら、専門家の目で、記録することが大切だと思いました。
 私は、沙流川と鵡川を河口から最上流まで、十勝川を中流から上流まで、川沿いの地質学的調査をしました。私は、人と川のかかわりにも興味があります。そんな視点で、被災地の川と人、そして人の営みを駆け足ですが見てきました。
 そして感じたことは、2ヶ月たったいまでも、思った以上に台風の爪あとは残っているということでした。
 河川沿いの道路や遊水地の施設は、まだ破壊されたままものがかなりありました。道路では鵡川中流域の川沿いにある富内から福山間を通ろうと予定していたのですが、まだ復旧されないまま通行止めになっていました。遊水地はひどいままでした。遊水地ですから、洪水時には水没し、破壊される可能性があります。覚悟の上の施設だからそれはそれでいいのですが、やはり、その被害の状況をみると、水害の恐ろしさ、威力に恐怖を覚えます。河川内の木々は、なぎ倒され、流木がからまっていました。河口付近やダム湖にたまった流木は、周辺に山積みされたままになっていました。そんな生々しい災害現場を見せ付けられました。海に流れ込んだ流木が魚網にかかり、目的のシシャモより流木のほうが多くかかるという事態も起きています。
 しかし、人々はたくましく生きていました。これが救いでした。
 私が泊まった宿泊施設では、被災地であるにも関わらず、通常の営業をしていました。十勝では芽室町に泊まったのですが、チェックインをした後、一枚の紙を渡されました。余震がまだ多発しているために、地震があった時の注意が書かれていました。私が住んでいる江別でも、震度1程度ですが、未だに余震を感じることがあります。被災地の宿泊施設では、大きな地震があれば余震は当たり前というように通常の営業していました。
 でも、この宿泊施設は、地震前は連休のため満室で予約できなかったのです。地震が起こってから予約を入れると空き室が2つも出ていたのです。顔には出してなかったのですが、かなりのキャンセルによる被害があったと思われます。台風でも同じような被害があったでしょう。
 観光地は、すでに観光地の顔を取り戻していました。その裏には、まだ被害さめやらぬ現場を見て見ぬ振りをしている観光客、被害を当たり前として受けて止めて営業をしている観光業の人々、そして懸命に復旧をしている土木業の人々、さまざまな顔が見えました。
 みんな災害以前のような昨日を取り戻すために、今日を働き、明日のために復旧をしていました。そんな人々たくましさを、見せ付けられました。

・倫理ということ・
 この文章は、実は別の目的で書いたものです。しかし、ある公的組織は、この文章の内容は、その組織と共同でおこなっている研究者を批判しているという意味にも取れるというので、「検閲」にかかり却下されました。
 私は、もちろん彼らの公的立場というものもわかります。そして担当の人も、私が主張しているように、良識ある研究者ばかりだけでなく、自分の興味が講じて、ついつい被災者に対して配慮を怠る研究者もいることも理解しています。お互いわかった上での立場の違いが現れた結果、「却下」となりました。
 でも、この原稿を没にするのは癪なので、このメールマガジンで紹介することにしました。私は、今でもこの文章の立場は間違っていないと思っています。
 実はこの文章、かなり自制して書いています。研究者とはいえ、意図してはしないでしょうが、無意識に被災者への配慮を怠っていないかという、自分自身の自戒をこめた文章なのです。たとえばアンケート調査で、被災者に立ち入ったことを聞いてはいないか。災害の様子を記録するために、個人の土地や家屋を配慮なく調査、撮影していないか。もしかするとそんな行為に対して、被災者は、いやな思いをしているのではないか。そんなことを配慮しているだろうか。
 その地を訪れる人はだれであれ、被災者には配慮するというのは、倫理などという難しい言葉を出さなくても、常識の範疇ではないでしょうか。でも、研究、仕事などという大義名分ができた時点で、そんな配慮がどこかへいってしまってないでしょうか。もともとは好奇心に発する研究心もあるはずです。もしちろん、公務としてしなければならない研究、あるいは研究者もいます。でも、直接その公務に近い研究ではない人は、好奇心のほうが勝ってないでしょうか。
 それを考えたとき、私は、有珠山から逃げ帰って、今回はあえて出かけてという経緯があったのです。それをこの文章では、自戒として紹介したのです。研究者でもこのような倫理が問われるのですから、マスコミに従事するする人は、もっと配慮が必要なはずです。多くの人が加熱したマスコミの無礼さ、無配慮、被災者の困惑すらネタにしてしまう傍若無人さ、こんなこんな報道はみていて不愉快になります。それは、私からいまさら言うべきことではなく、多くの人が感じていることでしょう。
 ここまでにしましょう。これ以上いうと愚痴になってしまいそうです。

・写真・
 このエッセイに対しては、ホームページで写真を公開しています。これは、上でいったホームページで公開する予定だったものです。興味ある人は、
http://www1.cominitei.com/monolog/terraincognita/22.html
をのぞいてみてください。
 写真は、鵡川上流の紅葉、鵡川河口の流木、沙流川河口近くの陥没した道路、沙流川河口近くの樹木、沙流川中流二風谷ダムの流木、沙流川中流のなぎ倒された木です。

2003年10月1日水曜日

21 自然を守る心:北アイルランドにて(2003年10月1日)

 北アイルランドの地質調査をしてきました。アイルランドは独立した国ですが、島の北東部が北アイルランドとしてイギリスに属しています。宗教上問題によるためです。
 北アイルランドへ行ったのは、世界遺産として有名なジャイアンツ・コーズウエイ(Gaint's Causeway)を訪れるためでした。そこは、アイルランドの北部の小さな田舎町、ブッシュミルズ(Bushmills)の郊外にありました。ブッシュミルズからジャイアンツ・コーズウエイまでかつては鉄道が走っていました。現在は、夏場は観光用として、小さな蒸気機関車が客車を数台引いて、数kmの道を走っていました。
 ジャイアンツ・コーズウエイは、柱状節理が有名で、世界遺産になっています。そのため多くの観光客が訪れます。
 柱状節理とは、石の規則正しい割れ目のことです。マグマが冷え固まるとき、少し縮みます。その収縮によって、節理とよばれる割れ目ができます。熱い溶岩が流れて固まるところでは、柱状節理ができることがあります。溶岩の上側と下側は早く冷えるため不規則な割れ目のとなりますが、中心部ではゆっくりと冷えるので、柱状節理ができます。
 柱状節理は、鉛筆を束ねたような角柱状の柱を並べた形になっています。また、水平方向にも割れやすくなっていて、その水平方向に6角形の断面を持っています。柱状節理のあるところでは6角柱状のサイコロような石がころがっています。ジャイアンツ・コーズウエイの節理の柱は、30から50cmの直径のもので、人には少々大きいですが、巨人の敷石としてちょうどいいのかもしれません。コーズウエイとは、石ころなどを敷いた昔の舗装道路のことです。
 ジャイアンツ・コーズウエの柱状節理は、海岸沿いで、人が訪れやすい状態で広がっています。もちろん自由に登ることもできます。昼間は多くの人が訪れます。私は、人の多い夕方と、人のまったくいない朝の二度訪れました。そして、巨人の柱状節理を満喫しました。
 イギリスは、日本と似たスケールの国土で、それほど大きくありません。しかし、国全体が牧草地化されているため、大きな森林地帯があまりありません。そんなイギリス国内を見ていると農業、牧畜の国であると思えます。そしてなにより、国民が、がつがつすることなく、儲けることより、可能な限り自給が前提で、労働の楽しみ、生きることの楽しみ方を彼らは知っているのではないかという気がします。金銭的より精神的豊かさを感じます。
 ただし、これはベルファースト(北アイルランドの首都)のような都会ではなく、北アイルランドの田舎の話ですが、ちょっと考えすぎでしょうか。
 ジャイアンツ・コーズウエ周辺の海岸線をいくつか調査したのですが、きれない砂浜は、地質が堆積岩に変わっているところにあります。火成岩のところは、岩場です。現状の海岸の状態と地質とか対応して、非常にわかりやすくなっています。
 広い砂の海岸があるところでは、大きな駐車場があって、トイレやシャワーなどの施設があり、海遊びができる環境が整っています。もちろん、施設のないところもあります。どこでも共通しているのは、海岸には、海の家も、防波堤や護岸などの人工物がなにもない、きれいな砂浜が広がっていることです。なんだかほっとします。でも、日本にも、かつてはこんな砂浜がいたるところにあったのです。今では人工物で作り変えられたコンクリートの殺伐とした海岸線となっているところが多すぎます。北アイルランドでは、多くの海岸線は自然のまま守られているのです。
 観光用として保存されている古城のビジターセンターの脇の小さな土産物屋に、変わったパンフレットがありました。それは、風力発電の施設を作ることに反対するパンフレットでした。日本だと環境に配慮したいいものという先入観で、風力発電はいいことだと思ってしまうでしょうが、こちらでそんな施設にも反対するひとがいるのです。
 反対の理由は、風力発電の施設自体が、景観や自然環境を変化させるからです。コンピュータで現在の景色に風車の乱立する景色を合成してパンフレットに示し、こうなっていいのですかと問いかけています。風力発電の是非はともかく、今のままの自然を維持しようとする努力が、地元の人たちが継続的に行っているような気がします。これは、見習うべき点ではないでしょうか。
 イギリス人は、牧畜をするためにかつては広がっていた森をすべて切ってしまいました。ですから、今では、もともとイギリスの自然は、あまり残っていません。そのせいでしょうか、「今」の現状の自然を守るために、彼らは常に努力をしています。そして、そんな「今」の自然を、心から楽しんでいます。
 イギリスでは、自然道を歩く人がたくさんいます。私も調査で海岸沿いの8kmほどの自然道を歩いているとき、何組も、長距離を歩いている人たちをみました。また、海岸線沿いを車で順番に止まりながら調査をしていると、延々と歩いているのグループを何組か見かけました。しかも彼らの多くは驚くほど軽装です。二人で歩いてるときも、小さなリュックをどちらかが持っていて、もう片方は手ぶらというような軽装なのです。それで、朝から夕方まで歩くのです。信じられないほど長距離を、身軽に歩いています。疲れたら、B&B(Bed and Breckfastという朝食つきの宿屋)がいたるところにあるので、そこで泊まればいいのでしょう。朝食を宿でしっかりと食べ、昼食は軽くすまし、夕食は町で食べればいいのです。2、3日の散策すら軽装で可能なようです。
 ナチュラル・トラストの地図をみたら、イギリスのいたるところに、そのような自然道があります。イギリス人は、自然の中を一日歩くのです。自然道は、PathとかWalkなどと呼ばれています。ナチュラル・トラストが、中心となって整備していて、わかりやすいルートになっています。自然の中を、あるいは民家の敷地の中を、牧場の中を、道路わきを、街中を縫って歩きます。わかりにくいところには、人が歩いているマークとwalkという文字が看板として立っています。車で道路を走っていると、路地や牧場など、驚くほどたくさんの看板を見かけます。
 観光名所、観光施設もなにもないところにも看板はありました。彼らは、ありのままの自然、田舎を満喫するのです。そんな休日を楽しんでいるのです。だから、そんなすばらしい「今」の自然を、イギリス人は守りたいのでしょう。
 イギリスには住んだことがないのですが、この国の田舎には、短期間でも、のんびりと滞在することは、いいことかもしれません。都会生活で汚れた心を洗い、忘れていた自然とのかかわりを教えてくれるような気がします。

・街の色・
 昨年と今年のイギリス訪問で、イギリスのイングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドの4つの国(Nation)を駆け足で巡ったことになります。そして、国ごとに、やはり個性があり、よさも違っていました。
 ひとつ面白ことに気づきました。
 イギリスの家は石がその建築材料として使われています。石は重い建築材料なので、手近なところからとってきて使われます。ということは、その地域の石の性質を石材はあらわしています。
 スコットランドは、旧赤色砂岩なので赤系統の町。北アイルランドの北部は、玄武岩とチョークなので、黒と白系統の町。ウェールズはスレートなので、灰色系統の町。イングランドは、金に任せていろいろな石が使われていますが、砂岩や素焼きレンガ(テラコッタ)などが多く多様な色をもっています。
 石は似た色あいで同じ岩石名をついていても、よく見ると個性があり違いがあります。たとえば、スレート葺きの屋根は、みんな同じようにみえますが、近づいてよく見ると、ひとつとして同じものがありません。街全体が似たような素材でつくられていると、それ自体が街の色合いとなり、落ち着いた感じを与えます。
 こんな石造りの町の中にあって、コンクリート造りの建物は味気なく見えます。やはり、伝統や歴史だけでなく、その街をじっくり眺めると、その町のありようとして、どのような建物がふさわしいかは、だれもがなんとなく感じるような気がします。
 そんな中にマクドナルドなどのけばけばしい看板はふさわしくありません。もちろんマグドナルドは、イギリスの都会でもたくさん見かけますが、その町の雰囲気を壊さないようにおとなしい色になっています。規制されているせいでしょうが、それは当たり前のことをしているような気がしました。

・平穏と不穏・
 北アイルランドでは、IRA(アイルランド共和軍)がゲリラ戦をしていると不穏なところだという先入観がありました。また、イラク戦争においてはイギリスも参戦していたので、テロの対象となるのではないかと心配していました。
 外務省の資料によれば、今は一応平穏になっているようです。1997年7月にIRAはテロ活動を停止を宣言し、1998年4月に北アイルランド和平合意(グッドフライデー・アグリーメント)が成立し、1999年12月には、英国からの権限委譲を受け北アイルランド議会が発足しました。
 その間、IRAの平和路線を不満として、過激派グループが活動しており、いろいろトラブルがあったようですが、2001年5月には、北アイルランド自治政府の権限が再開しました。2001年9月11日に、米国で同時多発テロ事件が起こりましたが、イギリスで具体的なテロ事件は起こっていません。しかし、IRAの過激派グループはテロ活動を放棄したわけではないようです。
 そんな北アイルランドにいったわけですが、物騒なところはありませんでした。町でも警官やパトカーを見かけることがほとんどありませんでした。でも、そんな先入観を持ってみているせいでしょうか、いくつか目に付くことがありました。
 ひとつは警察署の物々しさです。金網の柵に囲まれた中に警察署があります。そして監視カメラや夜間照明がついて、物々しい、異様な景観となっています。田舎の警察署でもそんな状態でした。
 もうひとつは、人々のサイレンに対する過敏な反応です。レストランで昼食をとっているとき、パトカーのサイレンがなりました。すると店にいた人が、ひどく驚いて、きょろきょろしていました。ロンドンや日本ではよくあることなで、たいして気にしませんが、ここでは、みんなびっくりする出来事なのです。

・アイルランドの食・
 アイルランドには、スタウトとよばれる濃厚な黒ビールの生産地です。なかでも一番有名なのがアイルランドのダブリンに本社のあるギネス(Guinness)ビールです。グラス一杯を1パイント(pint、568ml)といいます。
 いちど注ぎ、泡が一段落したら、グラスに満たします。表面にきれいな細かい泡が1、2cmの厚さで覆い、飲み終わるまでその泡が消えないようなものがいいようです。
 私は、日ごろはお酒は飲まないようにしていますが、イギリスにいるときは、毎日1パイントのギネスを夕食前に飲みました。それからイギリスの料理を味わいました。これはなかなか病みつきなってしまいます。
 昔からアイルランドの朝食には、さまざまな料理がならぶようです。わたしが、泊まったところでは、どこでも、ベーコン、ソーセージ、ベークドトマト、卵、揚げパン、トーストなどなかなかボリュームがありました。ほかにも、フルーツ、ヨーグルト、ジュース、シリアルなどが自由にとれるようになっていました。
 朝から、重たい朝食ですが、私は、もともと朝型の生活をしていますので、重たい朝食でも、問題はありません。私は、朝5時から6時に起きていますので、8時前後に食べる朝食ですから、空腹です。日本から行くと時差ぼけにもあまりならずに、すぐこの生活パターンになれます。
 しかし、最近は、こうした朝食をとる人は少なくなり、軽い朝食がこのまれているようです。