2010年9月1日水曜日

104 Jupiter:一人じゃない

 今年の夏は暑かったので、時々高原に避暑にいきました。ただ涼みに行ったのではなく、まだ周ってないところを見てきました。そのときに、たまたま聞いていた音楽に心に残りました。音楽と心について、今回は考えてみました。


私は、現在、1年間のサバティカルで、愛媛県の山奥に滞在しています。そこでテレビもラジオもない生活を送っています。新聞もとっていません。土曜、日曜も関係なく、役場の総合支所内にある執務室に、朝から夕方までいます。
通常の生活を振り返ると、こんな一日を過ごしています。5時過ぎに起きて、朝食をとり、6時過ぎに自宅を出て、20、30分ほどかけて歩いて総合支所の執務室にいきます。そして一日、仕事をします。5時過ぎに執務室をでて自宅まで歩いて帰ります。帰宅したら、炊飯器をセットして、温水プールにいきます。7時くらいに帰ってきて、夕食の準備をして、食べます。食後しばらく休んだら、もうすることがないので、寝床に入り、眠くなるまで、本を読みます。
日常生活の時間と睡眠、プールの時間を除くと、24時間の大部分を研究に費やして過ごしています。淡々とした単調な研究生活を、一人で毎日繰り返しています。独身の研究者時代に戻ったようです。こんな生活に満足と幸せを感じています。
情報源や外部との連絡のために、インターネットにつながる環境だけは確保しています。そのインターネットを通じての各種の情報収集はできます。インターネットは使いようによっては、さまざまな使い方ができますが、現在の私のような一人の世界に篭って集中するという生活をしていると、情報を極力排除するという選択も可能です。自分の必要に応じて情報の入力量を調整できるのが、現在の環境の最大のメリットかもしれません。
ニュースはインターネットのニュースサイトのヘッドラインだけで充分で、必要に応じて詳細を見ればいいのです。テレビも北海道の自宅にいるときは、時間つぶしもかねて結構な時間、見ていましたが、こちらに来てまったく見なくなりなりました。
ただ娯楽として、音楽や映像を見たくなることがあります。そんな時、YouTubeなどの動画サイトをみます。検索すれば、たいていの見たいものがあります。このごろは、昔聞いていた懐かしい歌手の映像をみることが多いです。
話は変わりますが、先日、天狗高原というところにでかけました。天狗高原は、私が住む町にある大野ヶ原の東延長にある高原で、カルスト地形をみるにはいいところです。高知県(津野町)と愛媛県(久万高原町)の県境になります。ある朝、青空が蒼く、ついつい天気に誘われて、急遽、天狗高原に出かけることにしました。
数年前ですが、天狗高原にある天狗荘に、家族で泊まったことがあります。しかし、あまりじっくり見ることなく、そのまま四万十川の源流に向かって、山を降りてしまいました。今回は天狗高原をじっくりと見ようとしました。以前にはなかったセラピーロードという散策路が、新たに(2007年より)にできていました。その道を1kmほど歩いたのですが、なかなかいいコースで、山頂からの道とも交わっているようです。4km以上もコースがあり、ルートもいくつかあります。
下界は残暑がきびしいのですが、1000m以上の標高のところにくると、すがすがしい気候です。支所を出たときには晴れていたのですが、天狗高原に来ると、残念ながら、雲がかかってしまいました。山の天気は変わりやすいものです。少々残念で、心残りですがしかたがありません。
天狗高原は、ススキの穂が出はじめていました。そろそろ秋が始まっていました。非常に心地よいところなので、また来こようと思いました。秋が深まったら、今度はじっくり歩きに来くることにしましょう。
天狗高原を車で走っているとき、ある曲を流して聞きました。いい曲だと思いましたが、以前に感じたとの同じ心持ちには、なぜか、なれませんでした。そんな心持ちになりたくて、かけた曲だったのですが。
天狗高原に出かける1週間ほど前に、市内の最高峰の山に登るために大野ヶ原に出かけました。そのとき車で流れていた音楽が心に染みました。ついつい何度もリピートして聞いてしまいました。いつも車で流れる曲は、自分で選んだものです。ですから知っている曲ばかりで、その曲ももちろん何度も聞いたことがあります。なのに、その時、なぜかある曲にだけ、聞き入ってしまいました。
その時流れていたのは、平原綾香さんの「Jupiter」という曲でした。たまたま大野ヶ原の高原の心地よい道を走っているとき、その曲の出だしの「Every day I listen to my heart 一人じゃない」という歌詞が、どうしたことか、心に深く入ってきました。毎日一人で生活をし、一人で研究に向かい、一人で調査も出かけていきます。なのに「一人じゃない」という歌詞が、心に飛び込んできたのです。そうです。一人で生きているようですが、一人で生きているわけではないのです。
今まで、この曲の歌詞をあまり深く考えずに聞いていたのです。この曲は、数年前に流行ったので、多くの人が知っているはずです。私も聞いていました。しかし、フォルストの組曲「惑星」の「Jupiter」に歌詞をつけたということと、広い音域を歌っていること、などついつい話題の部分に注目してしまい、その音楽の中身を聴くことをしていなかったのでしょう。それまで歌詞をじっくりと聴いたことがありませんでした。
なによりそれを聞いていた私の心理状態が、その音楽の歌詞を聴く状態で、なおかつ受け入れる状態になっていたのでしょう。何度も繰り返し聞くうちに、その曲にはいい言葉がちりばめられていることに気づきました。もっと、はやく気づくべきなのかもしれませんが。
天狗高原は、大野ヶ原と連続していて、似たようなカルスト地形の高原です。景観としては、似ています。大野ヶ原以上にカルスト地形が広がっていて、壮大です。そんな天狗高原で、同じような気分を味わいたくて、その曲を聴いたのですが、なぜか同じような心持になれませんでした。
周りの環境を整えたしても、同じ心境に達せなかったのはなぜでしょう。
このエッセイを書くために、YouTubeで平原綾香さんの歌うJupiterをいく種類か聞きましたが、いい曲であることはわかるのですが、同じ気持ちにはなりませんでした。唯一似た気持ちになったのは、Jupiterの音楽を聴きながら、歌詞をディスプレイに表示して読んだときでした。その理由は、いまだに分かりません。
このエッセイでは、心の問題を何度か取り上げていますが、心はなかなか難解で、私の手に負えないものです。ちょっとしたことをきっかけに、心が大きく波打ったり、いつもと同じものが、心に大きく響いたりすることがあります。逆にどんなに努力しても、心が応えてくれないこともあります。今回もそんな経験でした。心とは、私にとっては、御しがたい不思議な存在です。
この1年間の目標としていることを達成するために、集中し、努力し、毎日、四苦八苦しています。そして、当初計画していたように、論文を書きだめること、四国の地質を広域調査すること、町内と近郊の調査をすることに精進しています。その目標を達成するために、可能な限りの時間を集中するために、一人で過ごすことが多くなります。傍目には、淡々とした単調な時間が過ぎているように見えます。一人で生活をしているように見えます。しかし、実は多くの人の影響を直接、間接に受けて生活しています。人が、生活をし、生きていくのは、「一人じゃない」ことを痛感させます。
そろそろサバティカルの折り返し点となります。サバティカルの目的を達成し、夢に近づきましょう。その遂行が、私の人生設計の中で重要な部分を占めていくはずです。自分の力を信じて、今日も淡々と生きていきましょう。
「夢を失うよりも
悲しいことは
自分を信じてあげられないこと」(Jupierより)

・ポータブル・カーナビ・
車は借り物で、カーステレオはついていますが、
カセットですので聞くことができません。
ラジオも付いていますが、山奥なので電波が入りません。
私の持っているポータブル・カーナビは
音楽も流すことができます。
8Gbのメモリースティックに
大量の音楽データ(MP3形式)を入れています。
ポータブル・カーナビは
SONYのnav-uシリーズのNV-U35です。
このカーナビは、なかなか便利で、
歩くときも自転車でも使えます。
地図も最新版が入っています。
なんといっても私が一番便利に感じているのは、
GPSのトラックデータをメモリーに
保存できることです。
そのデータをパソコンに取り込んで、
地図で表現することができます。
調査のときは一応ハンディGPSも車に置いて
併用していますが、
もう車では必要ないかと思っています。
このカーナビは、なかなか便利です。

・ノスタルジー・
私が子供の頃にはじめて聞いた音楽は
当時流行ってきた歌謡曲です。
そのころの歌手を映像として
YouTubeでみることもできます。
思春期を過ごしたころのアイドルの映像も
YouTubeで見ることができます。
フォークソングやロックも聴くこともできます。
そんな古い映像をみていると
ノスタルジーに浸ってしまいます。
ただ、私と同年代や前後の世代の歌手ばかりなので、
最近の映像をみると、その高齢化に驚いてしまいます。
もちろん自分も同じように年をとっているのですので、
お互い様です。
月日の流れは止めることはできません。
有効に使うのみです。

2010年8月1日日曜日

103 先見性:地質学の巨人

 夏休みになると、お盆近いせいでしょうか、この時期にに死んだ人をついつい思い出します。一人は指導教官の死、もうひとつは今回紹介する地質学の巨人、都城秋穂氏です。今回は、都城氏の業績の一部と私とのかかわりを紹介します。


 私は、大学院生の頃、DSDP(深海掘削計画:Deep Sea Drilling Project)のデータを集めていました(このような作業をcompileと呼ばれます)。DSDPの分厚い報告書が大学の図書室にあり、目的のデータがないか探すために、すべてに目を通しました。DSDPの初期のころは、火成岩のデータも少なく、苦労して本を見た割りにデータが少ないなという思いと、データ処理の手間はそれほどかからないで楽だなという相反する気持ちがありました。その後、海洋底の火成岩に関して大量のデータが出るようになったころには、データ収集はやめていました。
 では、なぜ、その頃データを集めていたのかというと、学生から院生のころにかけて、オフィオライトというものを研究テーマにしていたからです。オフィオライトとは、過去の海洋地殻を構成していた岩石群が、陸上に持ち上げられたものだと考えられていました。もちろん、最初からオフィオライトが、昔の海洋地殻だとはわかっていたわけではありませんでした。20世紀中ごろ以降になっ海洋底の岩石に関する情報がでてきたので、やっと認識されてきました。
 オフィオライトが岩石群だといったのは、一種類の岩石ではなく、何種類かの岩石からできているためです。まず一番下には、カンラン岩(オフィオライトでは蛇紋岩になっていることが多い)があり、斑レイ岩、岩脈群(玄武岩からできている貫入岩)、枕上溶岩(玄武岩)、そして一番上にチャートがセットになっているものです。このような岩石が、順番にきれいに重なっているのではなく、あちこちが断層で切られています。ひどくばらばらになったり、欠けている岩石があるものは、ディスメンバード(dismembered、分割という意味)・オフィオライトと呼ばれています。
 私が調査していた北海道の日高も岡山の井原もディスメンバード・オフィオライトでした。
 オフィオライト(Ophiolite)の「Ophi」は「蛇」のことで、「lite」は岩石につける語尾です。「Ophi」は、オフィオライトで一番特徴的な岩石は、蛇紋岩でした。蛇紋岩は、日本語ですが、岩石の表面が蛇の模様のように見えることからつけられた名前です。
 19世紀にブロンニャール(Brogniart, A., 1813)がアルプスの蛇紋岩や輝緑岩(変質した玄武岩や粗粒玄武岩のこと)に対して、用いた名称です。その後、20世紀初頭にシュタイマン(Steinmann, G., 1927)は、蛇紋岩、枕状溶岩、チャートを3つを含んだ岩石群をオフィオライトと呼びました。このような3種の岩石を「シュタイマンの三つ揃」(Steinmann's trinity)と呼ばれていました。
 そのようなオフィオライトが、世界各地から見つかっていました。私が学生のころ、日本で一番はっきりとオフィオライトであることが示されていたのは、石渡明さん(現在東北大学教授)が調べられた京都府の夜久野オフィオライトでした。私は、修士論文でその西の延長にあたる岡山の北の井原で調べることになりました。そして、対比するために、石渡さんの試料をいただいて、分析をして年代を決めて、共著の論文も書いたこともありました。
 その後、日本でも、いろいろなところからオフィオライトが認識されてきました。いろいろ研究が進むにつれて、オフィオライトの位置づけが変わり、オフィオライト=海洋地殻を強調されることが、あまりなくなってきました。
 私がオフィオライトの研究を始めたとき、都城氏の記念碑的な論文がでていました(Miyashiro , 1973)。
 私は、大学4年生から卒論に取り組むとき、卒論の野外調査の場所が、日高山脈西縁のオフィオライトだったので、重要な関連があるとして、指導教官に読むようにいわれた論文でした。都城氏の論文とそれに関連するものを、自分なりに総括して、ゼミで発表しました。ですから、非常に都城氏とトルードスが非常に印象に残っています。そして、都城氏の先見性にも、その科学に対する姿勢にも感銘を受けました。そしれ彼の書いた書籍や論文を注目して読むようになりました。
 当時世界でも研究が進み、典型的なオフィオライトとされていているものがいくつかありました。カナダ、ニューファンドランドのベッツ・コブ(Beds Cove)のオフィオライト、キプロス島のトルードス(Troodos)のオフィオライトなどは、有名で海洋地殻と対比もなされていました。
 ところが、都城さんはこの論文で、オフィオライト=海洋地殻という当時の常識にとらわれることなく、化学組成の観点から見ました。すると、トルードスのオフィオライトは、化学組成からは海洋地殻ではなく、列島(地質学では島弧と呼ばれています)周辺の火山活動、たとえば縁海(島弧の沈み込み帯とは反対側にある海)ようなとことでできたと考えた方がいいという主張をしました。
 化学組成は、マグマができた形成場の特徴を反映することが、現在では「常識」になっていますが、当時はまだそのような考えをオフィオライトに適用する研究者はあまりいませんでした。しかし日本列島の火山をよく知っていた都城氏は、トルードスのオフィオライトの火山岩の化学組成を見たとき、3分の1は島弧固有の化学組成(カルクアルカリ岩系と呼ばれている)を持っていたり、小笠原諸島のような出来たての島弧(未成熟島弧)にでる特異な岩石(ボニナイトと呼ばれている)が、トルードスでも見つかっていることに気づきました。
 化学組成で形成場を識別するために、いくつかの指標の成分を軸(三角形の頂点にすることもあります)にして、形成場の領域として区分されます。今では「地球化学的判別図」とよばれて、ごく普通に使われているものです。図の作り方は、現在活動中の地質学的に特長のある形成場(海嶺、海山・海洋島、成熟した島弧、未成熟な島弧、縁海、大陸内火山など)の化学分析値を集めてプロットして、典型的な区分ができる成分の組み合わせを見つけます。そして、そこにオフィオライトのデータをプロットして、どのような形成場になるかを見極め、その類似性からオフィオライトの形成場を判別するものです。
 都城氏は自分で独自の判別図を考え出し、トルードスのオフィオライトが、中央海嶺の火山岩ではなく、島弧のものに似ていることを主張しました。非常に論理的で、今でも当たり前の主張なのですが、世界中から反論が続出しました。しかし、都城さんは、それらに対して、孤高に反論をしました。10年近くにわたって(今も反対の人がいます)、多くの人が反論しましたが、徐々に都城説を支持する人がでてくるようになりました。
 現在では、トルードスは、未成熟な島弧でできたとされています。さらに、オフィオライトの多くは、沈み込み帯の上で形成された島弧に関係する火成活動によってできていることが、研究者の認識になってきています。都城氏は、その現世と過去の類似性によって成因を判別する手法を、世界に先駆けてオフィオライトに導入したのです。
 「地球化学的判別図」という方法論は論議学的には正しとはいえませんが(帰納法の真理保存性)、経験科学としては実用的な方法です(自然の斉一性の原理)。都城さんの先見性は、すごいものだったのです。そして、都城氏の科学に対する信頼、信じた結果に対する信念、そしてそれを主張する勇気は立派です。
 都城氏は、2008年7月22日に自宅のあるオルバニー市郊外のサッチャー公園を奥さんと散策中、写真を撮りに出かけたまま帰ってこられませんでした。捜索した結果、崖から転落してなくなっておられたことが、24日に明らかになりました。当時87歳でした。
 死後都城氏のパソコンから遺稿が発見されました。その遺稿は「地質学の巨人 都城秋穂の生涯」という3巻の本にまとめられます。3巻のうち2巻は既刊ですが、3巻目の「戦後日本の地質学の軌跡」が現在編集中です。
 都城さんは、1967年から、コロンビア大学そしてニューヨーク州立大学に勤務されました。オフィオライト以外にも都城氏の偉業は枚挙に暇がありません。詳細は、上述の本に譲ることにします。
 私は、都城氏にはお目にかかったことがありません。ある研究所にいたとき、都城さんも滞在されていたことがあったのですが、会うことなくすれ違っていました。今思えば残念なことでした。彼のような知性も能力もないので、まねをすることできませんが、せめて科学に対す真摯な姿勢だけは学び、実践したいものです。
 夏休みになると都城氏のことを思い出すようになりました。

・死を越えて・
都城氏とは面識もなく、
論文や著書を私が読むだけの一方通行でした。
2年の歳月が流れて、今彼の遺稿集を手にして、
この文章を書きました。
はじめに書いたもう一人の死とは、
修士課程時代の指導教官で
その後もずっと恩師であった田崎耕市氏です。
以前そのことについては、
エッセイで書いたことがあります。
田崎氏は、2002年8月19日に亡くなられました。
数えると22年に及ぶ付き合いでした。
家族づきあいをしていましたが、
今は、それも途絶えています。
死者を思い出すのはつらい反面、
彼らとの生前の思いでや生き方、
私との約束、そして私が心に誓ったこと
などをいろいろと思い出します。
そんな身近な人の死が、
歳を経るともに増えてきます。
彼らと培った多くの記憶が
私自身の経験の厚みとなっているのでしょう。
残された者は、彼らの死を糧にして
生きていくべきなのでしょうね。

・夏休み・
この文章が皆さんのお手元に届く頃、
私は、夏休みで北海道にいます。
移動は飛行機ですが、
夏休みは料金が高く、
好きに時期を選ぶことができません。
お盆をはずして、子供たちの夏休みの期間として、
7月末から8月上旬になりました。
この頃は北海道も暑く、
北海道のよさがあまり味わえないかもしれません。
電話やメールでは連絡していても、
久しぶりに家族と会うのは、楽しみです。

2010年7月1日木曜日

102 可能性と挑戦:心から石を楽しむ

 新たなことに挑戦するのは、結構、覚悟がいります。しかし、挑みさえすればなんとかなるという可能性が保障されていれば、挑戦する勇気がわきます。挑戦しなければ、成果も達成感、満足感もありません。たとえ失敗に終わっても、挑戦しない後悔より、結果への後悔のほうが諦めがつきます。私は、なんとかなるという可能性を信じています。それは、可能性を信じた挑戦の経験が何度かあるからです。


 6月上旬、吉野川の上流を調査しているとき、非常に心地よい川原がありました。
 吉野川の上流は、南から北に三波川変成帯を縦断して流れ、やがて中央構造線にぶつかり東に流れを変え紀伊水道の海に出ます。三波川帯を流れる吉野川は、険しい山の中を流れています。道路は切り立った崖の中腹を縫うように走っています。道路から川原まで、かなりの高さがあります。しかし、ところどころラフティングや生活のためでしょうか、川原まで降りる道ができています。そんな道を伝って降り立ったところにその川原はありました。そこは、昼食も兼ねて、調査をするために降りた川原でした。平日の昼間、快晴の川原は、日差しは強かったですが、川風がふき、非常の心地よいところでした。三波川変成岩の露頭に腰をかけ、きれいで心地より冷たさの水で手を洗い、2時間ほど前にコンビニで買ってきた、おにぎりと生ぬるい飲み物で昼食をとりました。そのおいしさは格別でした。
 同じような心地よさを、5月に四万十層群が出ている高知県の海岸ぞいでも味わいました。
 そこは、長い砂浜が広がる海岸でした。日差しが強く、5月だというのに、汗が湧き出るような暑さでした。砂浜の右手の方に、目指す四万十層群の露頭がありました。ウミガメが産卵をするようなきれいな砂浜を一人歩きながら、露頭に向かいました。歩いている途中で、小さい川が伏流したものが海岸沿いで再び流れができていました。そこでは、染み出した水が作る流れの模様や漣痕(リップルマーク)ができたりしていました。水の流れがつくる模様は、以前火星の河川の跡と似ているように思え、なかなか興味深いものでした。そして、磯の露頭にたどり着くと、直立した四万十層群の地層がありました。それを観察しながらも、足元のシェルサンド(貝殻砂)に目がいきます。そんな暑い海岸で非常に心地よい満足感を得ました。
 以前、地質学の成果を上げるために野外調査をバリバリと行っていたころは、興味の中心は、露頭の岩石であり、なぜそこにその岩石があるのか、その露頭から何が読み取れるのか、ここ地質学上の問題で何が重要なのか、などなど科学的興味を中心に考えることで頭が一杯でした。もちろん、それはそれで、私自身は、石に興味を持ち、石を見ることを楽しんでいたのです。
 そんなころの私が、この川原で昼食をとっていたとしたら、砂浜を歩いていたら、どんな気持ちでいたことでしょうか。多分、心地よさを感じるよりも、好奇心の方が勝っていたことでしょう。あれこれと地質学的興味に思いをめぐらしながら、昼食をとるのもまどろっこしく感じながら、あるいは長い砂浜と暑さに厭厭としていたことでしょう。一刻も早く露頭に張り付きたいと思っていたことでしょう。
 大学生時代、地質学を目指す前は、山登りが好きで、一人で山にはいっていました。難しい山を登るのではなく、人気のない低山を、一人で登ることを好みました。また、帰省すれば、神社仏閣などの観光地を一人で巡っていました。山に登りながら、観光地を巡りながら、いろいろと自然を眺めは楽しんでいました。
 地質学を目指すことを決めて、学部の専門教育を受け、野外調査の手ほどきを受け、実際に地質調査のために野山に入るようになりました。趣味の山登りから、目的をもった野外調査へと変わり、趣味で山登りなどしなくなりました。目的もなく山を歩くなどという余裕はなくなりました。卒業論文を書く4年生になると、テーマを持ちひとりで野外調査をするようになっていました。修士課程で研究を続けるころには、露頭は研究素材であり、地質学的情報を読み取るべき対象となっていたのです。それでも、山に入ると自分の居場所に来たように、ホッとするような心持になるようになっていまた。
 地質学に専念していたころ、山の崖っぷちの道で、片方に崖があり露頭があり、他方には雄大な景色が広がっていたとしら、興味はもっぱら崖に向かっていました。自分でも不自然な興味だなと思いながら、学術的好奇心には勝てず、崖の石を見ていました。
 そんな好奇心むき出しの志向を持つようになるまで、2、3年で歳月ですみました。そして、そんな好奇心を持って、研究者生活を長年続けていました。
 その後、地質学プロパーの研究テーマをやめることにして、現在の大学に職を選びました。自然をしっかり感じること、そこから深く考えていくこと、そして感じ、考えたことを人に伝えることをライフワークのテーマに定めました。そのために努力を重ねて、上で述べたような心持ちになるには、4、5年以上かかりました。それ以前は、博物館に11年間勤務していたのですが、そこで子供たちに素直に自然に触れるということが重要である説いていました。説きながら、自分にはなかなかできないという思いがあり、ジレンマも感じていました。そんな緩衝時間も入れると、自然回帰には、10数年の長いリハビリ期間が必要だったことになります。
 若い時代に新たな道を歩みだし、その道の専門家になるためには、数年で大丈夫でした。集中的にのめり込めば、心もそれに伴って比較的短時間で変貌できます。
 年をとるとともに、新たな道へ進み、その道の専門家になることは、要領を得ているせいでしょうか、決心さえすれば、数年でできます。
 自分の体験がいくつかあります。鉛の同位体分析ができる実験室を独自に作り上げるというというので、ゼロからスタートしたのですが、3年で非常に精度のよい実験システムを作り上げることができました。
 ある業者から廃棄物に関する相談を受けたことがあります。それを調べていく過程で面白いことがいくつか分かり、廃棄物学会に急遽入会し、学会での発表と雑誌への論文投稿をしたことがあります。まった違った分野ですが、今までの地質学の岩石学を利用したある廃棄物への考察となりました。それが真新しかったのでしょうか、発表後、いくつかの企業の方々が来られていろいろな質問を受け、名刺をもらいました。地質学の学会では発表への質問を公の場で受けることがありますが、企業の人から個別に質問を受けることはめったにないことで少々戸惑いました。しかし、それなりに関心を引いた内容だったのでしょう。これは、ほんの1年ほどの出来事でした。
 そのような経験から、興味が持ち、集中して取り組めば、ある程度の成果を出すようになるには、それほど長い時間は必要ないということがわかってきました。どんなに年をとっても、新たな道を志し、成果を上げることが可能であるということです。
 ただし、理性ではなく、心からそれが味わい楽しめるのには、もしかすると長い時間がかかるかもしれません。でも、それとても、時間さえかければ可能であるということです。
 このエッセイで私がいいたいのは、これなのです。興味を持てば、どんな道にでも、いくつになっても進むことができ、そして成果を上げることが可能であるということです。そして、少々時間がかかるかもしれませんが、それを心から楽しめるようにもなるということです。この可能性さえあれば、それをよりどころに、人は新たな挑戦ができます。もちろんそれは10年単位の作業となります。それなりの決意、決心で望まなければなりません。でも、可能性は誰にでもあるのです。
 ライフワークのように今後の生涯をかけて何かをしたいと願うとき、どのような姿勢がいいかわかりません。必死に死にもの狂いで、ライバルに負けないようにする人もいるでしょう。成果を上げること、名声・評価を得ることに、重点を置いている人もいることでしょう。私は、できるなら、仕事は、楽しんでやりたいと思っています。もちろんすべてが楽しいはずはなく、つらいことの方が多いことも分かっています。でも、楽しいと思える瞬間があれば、たとえリタイヤしても、ずっと続けられるはずです。そんなライフワークでありたいと思います。
 三波川変成帯の吉野川の川原で、心地よく、泥質片岩の露頭が見られました。また、川原には上流から来たであろう転石の緑色片岩、砂質片岩、まだ変成度の低そうな火成岩類、堆積岩類もありました。そんな種類の違う石を露頭の泥質片岩の上に置いて、楽しみながら写真を撮ることもできるようになっていました。
 また、少し上流の大歩危の川原で面白光景を見つけました。雨によって流れた小さな流木(地質学者は全く注目しません)が川原にあり、その向きが、増水したときの流れそってきれいに並んでいました。そんな流木の並びを美しい、面白いと思えました。
 私は、地質学を背景とした立場は守っていますが、いろいろな分野にテーマや興味を変えてきました。そしてそれぞれのところで、心から楽しさを味わえるようになるすべを学んできました。しかし、今回のライフワークへの道はなかなか険しく長いものです。やっと心は向いてきたのですが、成果がなかなかでません。そんなとき、地質学プロパーへの名残や憧憬が湧くことがあります。しかし、選んできた道ですから、後悔はありません。願わくは、選んだ道で成果を少しでも残したいと考えています。

・心地よかったところ・
今、その心地よいところを
写真でみてみると、
特別変わったところではなく、
どこにでもあるような川原、海岸でした。
私のその時の心持ち、天候、体調、
そしてその場所がなんらかの作用をして、
心地よいという気持ちを、生み出したのでしょう。
参考のために、ホームページにその付近の画像をつけておきます。
気になる方は覗いてみてください。

・帰京・
このエッセイが出ることは、
私は京都にいます。
里帰りをしています。
四国から京都は半日の行程です。
時間でいえば、北海道の自宅に帰るのと大差ありません。
しかし、料金は、半額以下で帰れます。
なかなか実家に帰る機会がないので、
今年ぐらいは、何度か帰ろうと考えています。
そして、学生時代にしたように、
観光地の神社仏閣を巡りたいと考えています。
もちろん、地質がらみになる部分は多々ありますが、
仕方がありません。
好きな道ですから。

2010年6月1日火曜日

101 田舎暮らし:実物と仮想

 現在、田舎暮らしをしながら、研究をしています。田舎暮らしの潤いの中で、ふと考えることがありました。おじさんバンドの懐かしい音楽をきっかけに、昔好きだった音楽の動画を見ました。そのとき、実物と仮想ということについて考えました。


 私は、今、田舎暮らしをしています。研究休暇ですから、田舎暮らしは手段であって目的ではありません。一番の目的は、研究することです。私は、この1年間の研究休暇にライフワークの骨子なるものを、つくり上げたいと思っています。そのために重要なのは、深く考える姿勢だと思っています。そんな気持ちで、私の日常生活を振り返ってみました。
 私の田舎暮らしは、日常的には自宅と職場(旧役場)の往復、そしひて夕方は、温泉プールで風呂を兼ねてひと泳ぎすることです。自宅では、寝ることと食べることなど、生活の基本的な部分だけをしています。まあ、日常生活といっても、研究を中心にするために、そぎ落としたものとなっています。大部分の時間は、職場で過ごしています。
 ちなみに、現在の生活ではテレビもラジオも持っていません。新聞も取っていません。自宅では、食事をして、あとは本を読みながら寝るだけです。夜9時には床に入っています。そして朝は4時か5時には目がさめて、また読書をしてから5時半ころ起きて食事をして6時過ぎに自宅を出るという、実に淡々とした生活をしています。でも、はこんな生活は、苦でもなく、快適です。私には、田舎暮らしが合っているようです。
 新聞はとっていないのですが、昼食が外食なので、そのとき店で読んだり、インターネットのニュースを見たりしているので、最新のニュースはそれなりに知っています。私は、テレビやラジオ、新聞がなくても過ごせます。逆にテレビやラジオをだらだらと見らり聞いたりしないので、時間が有効に使えるような気がします。
 でも、人間ですから息抜きも必要です。私の息抜きは、よく出かける野外調査と町の行事や、付近の名所を見て回ることです。
 先日行った祭の会場では、アマチュアのおじさんバンドのコンサートが行われていました。身内や友人は聴いていましたが、他の客は少し聞いては別のところを見に行ってました。彼らが歌っていた曲は、昔、よく聞いた曲で非常に懐かしい思いをして、私は長らく立ち止まって聞い入っていました。彼らをおじさんバンドと呼んだのですが、彼らと私は同世代で、自分も年をとっていることを感じさせます。
 音楽というのは不思議なものです。ある曲を聴くと、心が震えような思いがこみ上げたり、音楽があった時代の情景やその曲をよく聴いた友人などの記憶が沸き起こっています。音楽はいいですね。そんな昔の音楽や映像も、今ではYouTubeなどで見たり聞いたりすることができます。たとえそれがあまり上手でなくても、映像や音はそれほどよくなくても、心にしみることがあります。ふとした折にそんな映像を見ます。また、以前にデジタル化してあった音楽をパソコンやMP3プレイヤーで聞くことがあります。自宅と職場の間の山道の2km弱を歩いているのですが、そのときはMP3プレイヤーで音楽やPodcastを聞いています。アナログでもデジタルでも同じような感動を受けます。しかし、デジタルの便利さを田舎暮らしでは最大限に利用しています。
 今や電話回線(私はDOCOMOのデータ通信カードを使用)とIT機器さえあれば、都会でなくても、変わらない情報が手に入ります。買い物もインターネットを経由して、本も商品もたいていのもは手に入れることができます。外国からの買い物さえできます。最新の情報や商品が得られるとすれば、私のような田舎暮らしのほうがいいのかもしれません。
 ただ、問題は、実物を見ずに買うことになり、本などは思っていた内容と違っていたりすこと、あるいは以前購入していた本をタイトルをうろ覚えだったので再度買ってしまうということなどもあります。私の場合、本でよくあります。ひどいとき同じ本を3冊も買っていました。もうその本は読んでいたのにです。
 ですから、実物を見ずにバーチャル(仮想)だけの情報に頼りすぎるのもよくありません。特に自分の専門分野の地質学だけでは、野外の露頭で実物あるいは野外での体験、実感というものを重要だと思っています。そのために野外調査をしています。
 実物はすたれることのない重要性があり、仮想は非現実的で危ういところがあるのではないかと考えてしまいます。このような実物と仮想に対しする考え方は、多分、多くの人も持っているのではないでしょうか。
 でも、少し考えるとわかるのですが、言葉としては「実物と仮想」の対比は歴然としてあるのですが、実際はそんな単純ではないことが分かります。仮想と現実の境界がどこにあるのかは、非常に曖昧ではないでしょうか。
 たとえば石が出ている露頭は、実物です。それは人間の意志や意図とは関係なく存在します。では地質学者が露頭記録のために、試料を採取し、露頭をスケッチ、カメラで記録したとしましょう。試料は後に実験室で薄片にして顕微鏡でみたり、化学分析をしていきます。
 露頭は実物で、自然のままのものです。それを地質学者はある目的で調べているわけです。露頭こそ自然の実物そのものです。では標本は、露頭の一部ですが、すべてではありません。また、地質学者が採取するものですが、目的に基づいて標本をとります。ですから、自然そのものではなく、意図された切り取り方をされた実物となります。
 地質学者が行うスケッチは、手書きですからアナログ的ではありますが、実物ではありません。地質学的情報が中心となり、自分の目的にあったものをみて、それを中心にスケッチされます。目的になくても、大きな構造などは記入されるでしょうが、小さな構造、目的に沿わないものは、たとえ見えていたとしても、スケッチには残さないことがよくあります。こんな目的にそった間引きしたスケッチは、仮想の範疇に入りうると思います。
 デジタル写真はどうでしょうか。露頭を機械的に忠実にデジタル化したものです。最終的に、0と1に変換された情報となります。デジタル写真とアナログカメラでとった写真は一見すると違いがないのですが、もとをたどると違うものです。アナログ写真を拡大していくと、だんだん像がぼやけていきます。
 一方、デジタル写真は、パソコン画面で拡大していくと、最終的にぎざぎざの一つの色のついたドットとなります。ひとドットの色情報を0と1の連なりで記録しているわけです。そんなドットを見ていたら仮想にしか見えません。
 アナログ写真もデジタル写真も記録手法や原理は違いますが、自然から明らかに情報を抽出しています。抽出という点で言えば、スケッチも同じです。試料も、露頭からの抽出という作業を経ています。その試料から得た薄片、分析値は、非常に高度な抽出作業を加えたことになります。
 そんなことを考えていると、自然のもの、実物から少しでも抽出作業をすると、もはやそれは実物とはいえなくなる、という解釈ができます。その一線は重要でしょう。でも、地質学をするには、自然の中で自然を自然のまま受け入れてばかりいては研究は進みません。上のいったような抽出をして、抽出した情報から、その露頭はどのような起源、履歴があるのかなどを調べることができます。自然(露頭)から抽出した情報から、その自然の素性を調べることになります。そして、自然の深い理解につなげていくわけです。
 自然としての露頭は、厳然とした自然といえるます。そこから人間がなんらかの意図をもって情報を抽出したら、それは仮想化になるとみなせる。人間の能力が限られているので、抽出した情報からしか自然の本質が見抜けません。仮想化は、仕方がないプロセスなのかもしれません。
 実物は重要です。しかし、実物からの抽出の仕方や、抽出した情報も、実物の理解のためには、必要不可欠です。人間にとっては、両方とも優劣の付けがたい重要性があります。自然だけが大切で仮想はよくないという主張は、人間の本質を理解していない不自然なものといえるかもしれません。
 さて、私が接している田舎暮らしは限りなく実物的です。一方、IT化された生活も送っていますが、それは限りなく仮想的です。おじさんバンドのアナログ的な音楽に感動して、インターネットの動画やMP3プレイヤーから昔懐かしい音楽をデジタルで聞いて懐かしんでいるのです。どちらも私の日常生活です。そのんな日常生活を背景にして、いろいろなことを考えている日々です。

・臨場感・
このメールマガジンが届くころ
私は1週間ほど野外調査の最中です。
この調査も、実物からの仮想化作業となります。
しかし、私の野外調査において忘れてはいけないのは、
自然の中でしか味わえないもの、
臨場感、実感、体感を
実物や野外から味わうことです。
そんな繰り返しは、
自然から逃れることのできないはずの人間が
IT化の波に飲み込まれないための
ささやかな抵抗なのでしょうか。

・変わることを受け入れる・
私が若いころに聞いていた音楽は
フォークソングでした。
そのころの歌い手が今も歌っているのは
幸せなのかもしれません。
なぜなら、同じ時代の空気を味わったものとして、
共感できるなにかを
彼らから感じることができるからかもしれません。
長い年月のうちに、彼も変わっていきます。
あるときはその変化を受け入れることができず
離れたこともありました。
でも、何らかのきっかけに
また受け入れることができます。
彼らは、同じ曲でも、昔と今とでは違った歌い方をしています。
これは私が変わったからでしょう。
人間は変わるものです。
その時々で感じることも変わってきます。
その変化を受け入れ、
その変化を再度周りを見なおすると、
違ったものが見えてくることを
彼らから教わりました。

2010年5月1日土曜日

100 検証不能の過去を分ける:自然分類

 現在、論文を書いています。生物と石の分類についての論文です。この論文は、実は地層形成についての総説を書き進めていると、内容が多くなってきたので、いくつかのパーツに切り分けていったとき、生じたものです。石の分類と生物の分類は、このエッセイでも何度か取り上げたことがあるのですが、一見全く違った対象であるかに見えます。しかし、両者は同じ自然分類を目指すものです。その先にあるのはやはり人為分類なのです。

 石と生物は、無機物と有機物、生きてないと生きている、硬いと柔らかい、などなど、いくつもの違いを挙げることができます。しかし、分類を考える場合、なんといっても一番の違いは、各分類群に、明瞭な境界があるかどうかです。生物は種という明瞭な境界があるのに対し、石は境界が不明瞭です。
 生物はどんなに姿、形、模様が似ていようが、種が違えば別物(別種)になります。種の判定は、子孫を残せるかどうかで、確実に判別可能です。種こそが、生物における分類のための本質的な属性となります。
 種の判別のための基準(生物の種の定義)はあるのですが、それを適用するのは、栽培種や飼育種でない限りなかなか困難ですから、実際には、形質を利用して区分されていきます。
 生物の種を認定するとき、似た種と詳細に比較して、色や形態(形質といいます)を、顕微鏡をも使って調べていきます。その上で新種という分類が決定されていきます。まあ、これは分類にいたる便宜的な方法として活用されていますが、種は、人間が間違いを犯そうが、どんな分類をしようが、ア・プリオリに(a priori、先験的に)存在するものなのです。生物の分類において、種こそが、本質的属性として着目すべきものです。
 生物の色は、区別はなかなか難しいです。ただ、色だけを手がかりにすることはありませんし、色見本を使えば、なかり細かく識別して客観的な区分は可能です。形態も言葉では表現しづらいですが、スケッチや写真を利用すれば、その特徴を示すことは可能です。
 生物は、できるできないに関わらず、種の判別方法として、子孫を残せるかどうかという決め手があります。どんなに便宜的に形質によって分類しているといっても、定義の上での決め手がありました。本質的属性として種が、そもそも存在しているのです。人間には見分けられないかもしれませんが、同種同士の生物は見分けて、子孫を残しているのですから、種はあるはずです。
 石を分類するとき、一番目に付く特徴である形や色を手がかりにしようとするのは、あまり適切でありません。なぜなら、石の形や色は、形成後、変化してしまうことがあるためです。色や形は簡単に変化してしまい、石の本質的な属性とはいえないからです。分類するのであれば、石の本質を示しているような属性を見つけて、それを手がかりにして分類しなけばなりません。では、石の本質的属性とは、どのようなものでしょうか。
 本質的属性にたどり着くために、重要な属性があります。それは、つくり(組織)とそれを構成している鉱物だとされています。組織と鉱物は、その石がでたときに形成され、そのときのまま状態を保持しているはずです。組織や構成鉱物は、石が割れたり削れても、時間がたっても、もともとの石の部分さえ残っていれば、判別できるからです。これが石の重要な属性であると考えられますので、そこに着目する必要があります。
 石の組織は、言葉での表現は難しいですが、代表的な組織には名称が与えられています。そして、言葉で表現しにくいときは、スケッチや写真で示すことができます。私が学生のころは、1年かけて岩石専用に顕微鏡の使い方を習った後、岩石のスケッチを伴った記載をするための実習講義をいくつか受けました。今はどうなっているのでしょうかね。
 顕微鏡がなくても肉眼でも、鉱物の種類は、ある程度大きなものであれば、判別できます。調査にはルーペを持っていきますから、野外でも代表的な鉱物は、大体判別可能です。もちろんそれなりの訓練と経験は必要ですが。
 石の組織と構成鉱物が判別できれば、石の重要な属性を記述することができ、それに基づいた分類が可能となります。
 この重要な属性に基づいて、石の名前をつけることができます。しかし、詳しく調べれば、石のつくりや鉱物に基づいていても、いろいろな分類が可能なはずです。生物の種のように、石にはたどり着くべき目標地点はあるのでしょうか。それがなかなか難しい問題でもあります。
 大枠の目標はあります。それは、石の起源と形成プロセスに基づいた分類です。
 起源とは、火成岩(深成岩か火山岩か)、変成岩、堆積岩という基本的な石のでき方です。これは、比較的簡単で、だれも理解できる属性で、本質的属性というべきものです。
 さらに、それぞれの起源ごとに、詳細な区分が成されます。そこで注目されるのが、一連の形成プロセスになっているかどうかです。
 この形成プロセスはいろいろな時空規模で考えられます。たとえば、火山を例に取ると、ある火山活動で、一度の噴火で噴出したものかどうかが最小の単位となります。その噴火では、溶岩もあるでしょうし、火山噴出物もあるでしょう。それが一致させることはなかなか困難ですが、起源としてはっきりと時空をもったものであるはずです。次に、一連の火山活動(同じ時期)で噴出したものかどうか。さらに同じ火山体で噴出したものかどうか。同じような活動場(一連の火山列)で形成されたものかどうか。プレートテクトニクスにおいてある時期に一連の形成場(たとえば島弧や中央海嶺、ホットスポットなど)でできたかどうか。
 このような成因的な関連性がある形成プロセスこそが、本質的な属性となります。石の本質的属性で、形成プロセスは、なかなか見分けるのが困難な場合があります。時代が古くなるにしたがって、石からは、それらの情報が消えていき、読み取りづらくなるはずです。もちろん、それを見つけられるかどうは、生物の種と同じで、人間側の問題です。
 生物の種、石の成因と形成プロセスは、いずれも分類のために不可欠な本質的属性です。このような本質的属性は、それぞれのもの(生物と石)がア・プリオリに持っているですから、それに基づいた分類ができれば、人間の恣意が入ることのない「自然分類」といえます。
 でも石では、石の成因と形成プロセスだけでは、あまりに大雑把過ぎる分類であまり区分されたことになりません。同じ区分の中には、見かけの違う石がかなり入っています。それを細分する必要があります。その先は、人為分類となります。もちろん人為分類でも、客観性を持たせるために、定義を明確にして、だれでも再現して、適用できればいいのです。
 生物の場合は、種を階層化するときに問題が生じます。種は似た形態や遺伝子などの分子化学的データで、その類似関係を調べることができます。それらを近縁なものをグループ化して、種の上位の階層をつくり上げていきます。種の上の属から、科、目、綱、門、界、ドメインという階層のピラミッドが形成されています。
 それらの階層は、「進化」という形成プロセスによってつくられたきたと考えられています。しかし、それが問題なのです。生物の進化はあったのでしょうが、それを種の分類のときのように、決定づけるための方法論が用意されていないのです。階層化の定義も定かではありません。もちろん、階層化したときのデータと方法論はあります。そのデータと方法論が、進化を意味するという保障はないのです。
 過去に進化は確かに起こったのでしょう。しかし、それを検証する手がかりは、不完全です。それは石の形成プロセスを考えるときのハンディと同じものです。過ぎ去った時間という不可避の検証不能のハンディです。自然分類を目指して行われているはずの階層の体系化は、実は人為分類の可能性を秘めています。
 生物と石の分類について考えながら、私は、悩み多きゴールデンウィークにを過ごしそうです。

・定住者の視線・
愛媛にきて早、1月が過ぎました。
生活にもなれ、日常生活のパターンもできてきました。
なんといっても研究三昧の生活が送れる幸せを感じています。
そして、1年に渡って地域の祭やイベントを味わうことができます。
それは、観光客の視点ではなく、
定住者の視線で味わうことができます。
それも楽しみの一つになってきました。
都会では忘れられてしまった
風習、信仰などが、この地には息づいています。
それは、観光用ではなく、
実用物として今なお利用されているものがたくさんあります。
そんな人々にまじって生活しています。

・ものにすること・
論文は書いているのですが、
なかなか完成に至りません。
文章量は日々増えています。
頭も一杯使っています。
知的刺激に富んだ日々を過ごしています。
それをなんとかものにすること(論文化)が
当面のそして一番重要な目標です。
そして5月からは地質調査も進めていきます。

2010年4月1日木曜日

99 パスカルの賭け:期待値

 確率は、確実さの程度を表していて、確実さも不確実も意味します。確率が分かっても、そこには絶対がないため、不安がつきまといます。その不安が、ギャンブルのキケンな匂いや、不思議な魅力にもなっているのかもしれません。確率は、うまく利用すると、益をえることができます。自分の将来の意思決定を確率に頼るのは、いいことでしょうか、悪いことでしょうか。それは、その選択後をどう生きるかによるのかも知れません。今回は、そんな選択を期待値から考えました。

 「もし、○○だったら」とか「あの時、○○していたら」などという後悔を、多くの人はしたことがあるでしょう。もちろん私も、その一人です。このような後悔をいくらしても、過去は変えることはできませんから、無為なことかなかもしれません。
 では、未来はどうでしょうか。未来は、まだ来ていない未知ものでから、どうなるかわかりません。過去はもはや変えることはできませんが、まだ起こっていないからこそ、未来は、ある程度、変えることができるはずです。少なくとも、自分自身の選択は、自由に変えることができます。その選択をしても、思い通りの未来は、周りの状況や環境など、自分自身の選択だけでは変わらないものもあります。だから、未来は、不確実で予想しがたいものでもあります。でも、うまく選択をして、少しでも望ましい未来を迎えることができれば、もうけものです。
 そんな未来選択を、科学に基づいて選択し実践した人がいました。彼が選択の基準に用いたのは、「期待値」というものでした。
 期待値とは、統計学、あるいは確率論上で定義されているものです。それぞれの確率変数と確率をかけたものの総和のことです。といっても、なかなか分かりにくいですね。例を挙げて説明をしていきましょう。
 サイコロを振ったとき出る目の数は、いくつになるかということを例にして説明しましょう。期待値とは、出る目の数が、いくでなると期待できるかということです。サイコロをふったときにでる目の数は、1、2、3、4、5、6の6つです。それぞれの目の数が、確率変数になります。サイコロでは、それぞれの目の出る確率は等しくて、1/6となります。
  (出る目の数×確率)
を6つの目の数ごとに計算をすればいいわけです。期待値は、次の式で求めることができます。
  1×1/6+2×1/6+3×1/6+4×1/6+5×1/6+6×1/6
   =(1+2+3+4+5+6)×1/6
   =21×1/6
   =3.5
 3.5という期待値は、1から6の目の数のちょうど中間の値となり、常識とも合致します。トランプのポーカーなどでも、同じように期待値を計算できます。ルーレットも同じようにできるでしょう。もちろん、そこに作為やイカサマがないという前提はつきますが。
 確率は、早熟で多彩な天才ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623-1662)によって、学問化とされたといわれています。そもそもの始まりは、パスカルがシュバリエ・ド・メレ(Chevalier De Mere)から、サイコロ賭博に関する相談を受けたことでした。なお、Chevalierはフランス語で「騎士」という意味ですので、騎士のド・メレというべきかもしれません。
 ド・メレの相談は、次のようなものでした。
 「1つのサイコロを4回投げて、6の目が出れば自分の勝ち」という賭けをしたときは、自分が勝てた。次に、「2つのサイコロを24回投げて、6、6のゾロ目が出れば自分の勝ち」という賭けをしたときは、勝てなかった。ド・メレの考えでは、両方とも自分が有利な賭けのはずだったのになぜ負けたのかという質問です。
 ド・メレの考え方は、「6の目が出る確率は1/6」で、「6-6のゾロ目が出る確率は1/36」だから、それぞれ4と24回投げたら、
  1/6×4回=4/6=2/3
  1/36×24回=24/36=2/3
となり、同じ確率で起きるはずなのに、なぜ1つサイコロでは勝てて、2つでは負けたのか、という疑問でした。
 ド・メレの疑問は一見まっとうなものに見えます。これは、ギャンブルや統計学の歴史においては、非常に有名な質問となっていて、「ド・メレの2つのサイコロ(ダイス)」と呼ばれています。
 パスカルは、友人である有名な数学者のフェルマー(Pierre de Fermat、1601-1665)と手紙のやり取りをしながら、この質問を考えていき、やがて確率計算の基礎をつくりました。
 ド・メレの質問に対して、パスカルは、ある目が出る確率から計算するのではなく、出ない確率から計算するのだということを示しました。その答えは、以下のようなものです。
 1個のサイコロで、6が出ない確率は5/6で、それを4回やるのだから、4倍ではなく、5/6を4回かけること、つまり4乗になります。
  (5/6)^4=0.48225...
ですから、4回ふって1回でも6の目が出る確率は、
  1-(5/6)^4=0.5177...
となり、6が出る方が1/2より大きくなるので、出る方に賭けたほうが有利になります。
 一方、2個のサイコロで、6、6のゾロ目が出ない確率は35/36です。それを24回繰り返すので、24乗することになります。
  (35/36)^24=0.508596...
ですから、24回ふって6、6のゾロ目が1回でも出る確率は、
  1-(35/36)^24=0.49140...
となり、6のゾロ目が出る方が、1/2より小さくなるので、出ない方に賭けたほうが有利になります。
 ド・メレの質問に答えるだけでなく、天才パスカルは、もっと先へ進んでいきます。それは神の実在という問題に確率を導入します。そこで利用したのが、期待値です。
 パスカルは、理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増すという考えました。その背景には次のような期待値を求める計算があったはずです。
 神が存在するという確率をGとします。Gは1から0の間の値となります。存在しない確率は1-Gとなります。
 確率変数として、神の存在を信じる場合と信じない場合の数値を想定します。
 神存が在している場合、信じれば、天国にいけるはずですから、その確率変数は、利益が最大になるでしょうから、+∞となります。信じなければ、大きな罪を犯して地獄に落ちれば-∞、地獄へ至るほどの罪でなければ辺獄(へんごく)か煉獄(れんごく)にいきます。その確率変数を、-N2としましょう。
 神が存在しなければ、それほどひどくないでしょうが、何らかの有限の値となるでしょう。神が存在しないのに神を信じれば、損をしたことになりますので、その確率変数は-N1としましょう。逆に信じなければ、損することがありませんので、+N3としておきましょう。Nは、大きさはわかりませんが、有限の値となります。ややこくしなってきたので、確率変数の表にしておきます。

      神は存在する  神は存在しない
神を信じる   +∞      -N1
神を信じない -∞/-N2     +N3

 神が存在するか、しないかは、わかりません。神の存在や不在は、いまだに証明されていませんから、確率Gが1でも0でありません。となれば、期待値にを計算ができます。まず、それぞれの場合で期待値を計算すると、次のような表になるはず。

      神は存在する  神は存在しない
神を信じる   +∞      -N1(1-G)
神を信じない  -∞      +N3(1-G)

神は存在する場合、神を信じれば期待値は+∞、信じないと最悪のときは、-∞となります。存在しない場合、神を信じれば期待値は有限の損-N1(1-G)となり、信じないと有限の得+N3(1-G)となります。神の存在や不在が不明ですから、神を信じた場合と、信じない場合の期待値を計算しましょう。
 最終的に、神を信じるか信じないかは自分の未来選択として選ぶことができます。2つの場合の、期待値は、

神を信じる   +∞-N1(1-G)=+∞
神を信じない  -∞+N3(1-G)=-∞

となります。神を信じた場合、全体の期待値は、+∞となります。信じなければ、-∞です。だから、パスカルは神の存在を信じることにしました。
 これは、「パスカルの賭け」と呼ばれているものです。「パスカルの賭け」は、パスカルが書き溜めていた「パンセ」の中に書いているものから、後世に整理されたものです。
 さて、今回取り上げた「パスカルの賭け」の期待値には、確率変数に無限が入っていきました。確率変数に無限の値がどこかに入ると、他の項はあっても、その無限が最終的な値を決めてしまいます。これが重要です。
 確率や期待値の求め方は動かしがたいものですが、確率変数は人生の選択の場合、価値観が入ることがあります。その価値観は人ぞれぞれです。何に価値を見出すかで確率変数は変わります。
 私は、4月1日から愛媛県西予市城川町地質博物館に、大学のサバティカ(研究休暇)で、1年間滞在することになりました。ちょっと変わった地質調査とその成果を踏まえ科学教育の手法開発を、主要なテーマとしています。今までも、地質調査も年に一度だけですが行っていましたし、科学教育にも取り組んでいました。同じような研究テーマを今まで行ってきました。ですからわざわざ行かなくても、在宅(とはいっても大学の研究室ですが)で、いつものように研究してもという選択肢もありました。
 しかし、私は敢えて単身赴任を選択しました。それは、環境を変えること、少々の不自由があったほうが、刺激が大きくなり確率変数が上がるのではないかという期待をしたのです。もちろん確率変数が+∞とはいかないでしょうが、在宅でおこなうよりは、大きな値となると思っています。
 でも、所詮、期待値ですから、そうなるかは、自分自身の努力に負うところが大きいはずです。このように自分を追い込んで、1年間城川に篭ります。もちろん、このエッセイは、その間も継続していきます。

・私の期待値・
このエッセイは、今後も継続してきます。
地質学を背景にしたテーマを、
淡々と深く追求していきたいと思っています。
滞在中の様子は、またどこかで示していきたと思っていますが、
まだ未定です。
もちろん示すことが目的ではないので、
手短にできる方法を選びますが、
なんらかの形でお伝えできればと思っています。
次回にでも紹介しようと思っています。
まあ、その期待値は、「+」なるだと思っています。

・地質博物館・
愛媛県西予市城川町地質博物館に私は1年間
お世話になりますが、
実際の執務は、城川総合支所(もと城川町役場)の
2階に間借りするようになります。
そのわけは、地質博物館には電話回線がきていないことと、
DOCOMOの携帯電話網も使えないためです。
私にとってインターネットは重要な研究手段でもありますので、
ネットワークに繋がることが不可欠です。
そこで、DOCOMOのデータ通信カードを契約して
携帯電話網が繋がる総合支所で主な研究をすることにしました。
空き部屋の個室も借りことになりましたので、
落ち着いて思索に入ることできそうです。
到着したまずは、挨拶、そして新生活のために準備となります。
しばくは、ばたばたしそうですね。

2010年3月1日月曜日

98 一部から全体へ:化石へのバイアスの混入

 化石は、過去の生物や環境を探る上で重要な手がかりです。化石から、過去の生物の情報が読み取れるはずです。しかし、化石は過去の生物の「一部」にすぎません。一部から生物の個体「全体」を想像するわけです。一部になるときバイアスがかかっていると、全体に歪みが生じます。そんなバイアスについて考えていきましょう。

 以前の私は、野外調査をしていても、非常に専門に特化した研究をしていました。化石には興味もなく、そもそも化石が出るような地層ではなく、火成岩や変成岩を中心に調査をしていました。その後も、化石を採集したり、研究することもしていません。ただ、化石への興味が最近高まっていいます。
 きっかけは、市民の化石への興味の強さでした。以前勤務していた博物館では、観察会や講座を開催し、化石の産地に子供たちを連れて行くことがよくありました。露頭では、子供たちは、化石が採れるとなると喜びをします。大人も、ついつい興をそそられて採取をはじめ、最後には子供が飽きても大人が採取を続けているという光景を何度も見かけました。化石には、多くの人の興味をそそる何かがあるようです。
 現在も私は、化石を研究しているわけではありませんが、化石のでき方、化石が持つ地質学における意義、化石からどのような情報がいかにして読み取られるのかなどという、化石の本質ともいうべきテーマは気になっています。ですから、化石の本質に関する情報を気にしています。
 そもそも化石とは、昔の生物の体の一部や個体そのものが残ったものです。また、生物がなにかした跡、たとえば移動、住居、排泄などの生活していることによってできたなんらかの痕跡(生活痕)も化石とされています。
 これらの化石から得られた情報に基づいて、生物の系統や進化が構築されています。ですから、生物の歴史を語る上で化石はなくてはならない証拠となっています。特に保存のよいものは、過去の生物の情報だけでなく、その生物がすんでいた場所や環境の情報も与えてくれます。
 化石は時代を遡るにつれて減っていきます。それは、長い時間を大地の中で過ごすということは、喪失の危険性にさらされていることになります。さらに、古い時代の生物ほど、単純な体性であるため、化石になりにくいという条件も重なります。
 多くの化石が見つかりだすのは、カンブリア紀前後からです。ただし、カンブリア紀でも一部地域の保存のよい限られた化石によって、重要な情報を読み取るしかありません。では、その保存のよい化石は、当時の生物の情報を完全に保存しているのでしょうか。
 化石とは、字のごとく、石です。もちろん特殊な場合として、有機物を含む軟体部を残した化石が見つかることがあります。それは例外であって、まして古い時代にはそのような化石はありません。化石とは、一般に石化した生物の痕跡なわけです。もちろんカンブリア紀の保存のよい化石も石化しています。
 骨や歯、貝殻などの硬質のもの、あるいは種や花粉などの分解や腐敗に比較的耐えやすい部位で分類ができるようなものであればいいのですが、生物の初期のころ、カンブリア紀直前や古生代の初期の生物には、そのようなものがまだ形成されていませんす。ですから、軟体部が印象(形態が母岩にスタンプのように残っているもの)や、一部が石化して残っているにすぎません。いってみれば、非常に限られた情報しか見ていないわけです。
 古い化石では、生物を構成した生体物質はほとんど残ってなく、その形態や形質のみが手がかりとなっています。たとえ一部分であったとしても化石は、生物の進化を考える場合、重要な手がかりになります。いや、それしか情報はないのです。
 化石には、いくつかの不安が残ります。化石は、個体のすべてではなく、一部にすぎないということに起因します。一部から全体を類推するとき、その一部がどのような一部であるかが特定できないと、系統的なバイアスがかかることがあるからです。
 たとえば、大きな個体、種ほど化石に残りやすいという傾向(過程の本当ではありません)があったとしましょう。化石だけから昔の生物を見ると、昔の生物は小さいものより大きな生物が多くいたかのように見えてしまいます。そのような傾向を事前に知っていれば、間違った過去の様子を補正はできるかもしれませんが、知らなければ一部から構築した全体像は偏ったものになります。
 化石は、主として堆積岩の中で石化したものが産出します。石化するには、長い時間がかかります。堆積岩も、もともとは水をたくさん含む堆積物です。石化する前には、有機物などの軟体部の腐敗が起こっていきます。体の部位で、どのような順番で腐敗が起こるのかが問題です。部位によって腐敗には順番があるのか、それともばらばらに起こるかという点です。これが上で述べた一部から全体への不安の生み出しているものです。
 腐敗が組織や部位に関係なく、ばらばらに起こっているのなら、化石のデータも、統計的にランダムなものとして処理可能です。ところが、腐敗に系統的な順番や傾向があるとすれば、どちらかの方向に情報がシフトしているかもしれません。もしそうなら、私たちは知らないうちに、バイアスのかかった偏った部分の情報から、全体を類推して、系統図を構築しているのかもしれないのです。それは、真ではない歪んだ系統図です。
 そのような疑問を解決するために、イギリスのレスター大学のサンソン(R. S. Sanson)たちは、化石化作用(taphonomyといいます)に関する実験をおこないました。その結果は、Natureの2010年2月11日号に掲載されました。
 実験は、実際の生物を腐敗させ、時間とともにどのようなところが腐敗していくかを調べていくものです。2種の動物を使っています。ナメクジウオ(学名Branchiostoma lanceolatum)とアンモシーテス(学名Lampetra juviatilis、ヤツメウナギの幼生)です。その2種を使った意図は、脊索動物門に属していて、なおかつ両者とも形態がどことなく似ています。しかし、分類体系の門の下位の亜門のレベルで違っています。ナメクジウオは頭索動物亜門(ナメクジウオ綱ナメクジウオ目)で、アンモシーテスは脊椎動物亜門(無顎上綱頭甲綱ヤツメウナギ目)になり、かなり違った分類体系に属していることになります。系統的には、亜門を越えていますが同一系統で、ナメクジウオが共通祖先側に、ヤツメウナギがより後生側に位置しています。
 両者の分類学上重要な形質を選定して、腐敗でどのように消えていくかを調べる実験です。大量の個体を壊すことなく死体にしたあと、バクテリアによる分解がない環境で、25℃(比較のために15℃でも実験している)で最大200日間、保存して腐敗状況を調べています。時間ごとに個体を取り出し、その形質ごとの分解の程度を統計的に調べています。
 その結果、腐敗は形質によらずランダムに起こるのではなく、順序だって起こることがわかりました。その順序は、系統分類において重要となるような形質がもっとも不安定で、早く腐敗していきます。つまり後生の系統にでてきた形質がより早く分解するということです。祖先が持っていたような共通の形質は、腐敗に強いく最後まで残るのです。
 実験結果は、一般化して考えると、困ったことに、古い系統に見間違うように腐敗が進んでいくということを意味します。この実験では、2種類の動物を実験対象にしていますが、もしこのような傾向が全動物、あるいは全化石に起こっているとすると、私たちが現在もっている化石に基づいた系統図はシフトたバイアスがかかっている可能性があります。今までなされた化石による系統分類は、全体的に系統の根元方向にずれが起こっているかもしれないのです。
 このシフトが化石に起こっていることが分かったとしても、化石からそれを修正する手段は、今のところなさそうです。今後、現在の生物で、分解のスピード、順序などを調べて、なんらかの規則性が導き出されれば、補正をすればいいのかもしれません。しかし、腐敗の環境は多様でしょうし、もしかすると、今回の実験結果も、ある条件だったからそのような腐敗傾向が生じたのかもしれません。別の条件だったら、別の傾向が出てくることもあるかも知れません。これからも研究を進めなければなりませんが、サンソンは重要な指摘を実験からしたことには違いありません。
 生物が進化しているかは、小さな変化は確認できても、大きな変化(大進化)は、未だに実証しずらいテーマとなっています。大進化への重要な根拠となっているのが化石の証拠です。今回の研究によって、進化の順番は大きく変わることはないでしょうが、系統樹がかなり歪んで、古い方、先祖側にいくようにバイアスがかかっていることがわかりました。でも、バイアスを正確に取り除くことはなかなか難しいようです。化石によるものは、そのようなバイアス付系統樹であると知って使っていくしかないようです。

・悟れる日・
この間、新しい年がきたと思っていたら、
もう3月になりました。
4月も目の前になりました。
4月に向けて多くの人は動き出しています。
月日の流れるのは早いものです。
組織にいると、その組織の定例の行事はこなして、
歳時記のように季節の移り変わりを感じています。
なのに、やはり時間は早く流れていきます。
そんな流れに翻弄されないように
生きていたいのですが、
まだまだ修行が足りないようで、
日々時間との格闘をしています。
悟れる日はまだまだのようです。

・開き直った気分・
4月には愛媛県に単身赴任をします。
その準備を2月からしています。
家族、職場、研究の準備は大部済ませました。
ただ、身の回りの準備がこれからです。
まあ、研究の条件さえ整っていれば、
いざとなったら、身一つだけでいき、
あとは現地で調達してもいいのですから。
そんな開き直った気分にもなります。
まあ、まだ時間があるのですが、
準備を進めていきます。