2026年7月1日水曜日

298 時間の作品:一般と個別の博物誌

 ビュフォンは「博物誌」で、その正式な書名はあまり知られていませんが、そのタイトルにこそ、ビュフォンの意図がありました。著作では、意図を実践し、普及しようとしていました。「博物誌」はその結果だったのです。


 フランスの博物学者のビュフォン(Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon, 1707 - 1788)は、「博物誌」の著者として有名です。「博物誌」と呼ばれているのですが、正式な書名は、ラテン語で
 Histoire naturelle, générale et particulière
 (博物誌:一般と個別)
となっています。
 1749年から1767年にかけて、何名かの協力者とともに、最初の15巻が刊行されました。続く7巻は、1774年から1789年にかけて編纂されました。ビュフォンは、1788年に死去しているので、彼が直接関わったのは36巻になるのですが、没後にも続編が出版されました。すべて含めると全44巻になります。しかし、それでもまた完成ではありませんでした。ビュフォン自身は、全50巻を予定していたそうです。
 ところで、この書名にある、「一般と個別」とは何を意味しているのでしょうか。これは、博物誌をどのような視点で編纂していくかという方法論を直接表しているタイトルとなっています。
 「一般(générale)」とは、個別を超えた自然界全体の仕組みや歴史を意味しています。地球の理論や、生命の根源などを自然を貫く大きな物語(歴史)として、一般論を第1巻から第3巻で展開しています。
 「個別(particulière)」とは、世界中から集めた標本や情報を、個々の種を精査して、膨大な図版とともに具体的に記述しています。第4から15巻では四足獣(哺乳類)を、第16から24巻は鳥類を記述しています。これら21巻を使って、膨大なる個別の記述をしています。
 そして、補遺(7巻)でも、個別の記載の追記(補遺第3、4、6、7巻)をしていますが、再度、一般(générale)への回帰しています。補遺第1巻の「自然に関する諸事象」として、光、熱、空気などについての理論を、補遺第2巻の「地球の理論への補足」として初期の「地球の理論」をさらに深く考察しています。
 「博物誌」では、出版の順番な入り組んでいますが、多くの個別の記載(つまり証拠)をもとに、そこから「一般」を抽象して普遍的な法則を見出していくという方法論をもちいています。非常に科学的な態度だといえます。「博物誌」が目指すところは、地球と生命の歴史を、膨大な証拠から、普遍的な理論体系をつくろうという壮大なる構想でした。
 補遺の第5巻で「自然の諸時期(Les Époques de la Nature)」がビュフォンの死亡した1778年に出版されています。彼の思想が最も凝縮されているため、有名な巻となっています。この書に冒頭で、
「世界のアーカイブ(古文書保管庫)を捜索し、大地の内懐から古いモニュメント(記念物)を引き出し、その破片を集めなければならない。」
といっています。ここで、地層や化石などの破片は、過去を記録したArchives du monde(世界のアーカイブ)と見なし、それを集めで過去のモニュメントを構築していこうという意図を述べています。そして続けて、
「自然のさまざまな時代へと我々を遡らせてくれる物理的変化のあらゆる形跡を、一つの証拠体系へとまとめ上げる必要がある。これこそが、空間の広大さの中にいくつかの地点を定め、永遠なる時間の道筋の上に、ある程度の数のマイルストーンを置くための唯一の方法なのである。」
 「物理的変化のあらゆる形跡」たる「個別」が、長い時間の中で、証拠となります。それらが膨大な「個別」の中で、重要なマイルストーンを見つけて、体系化し「一般」化していきます。それこそが唯一の方法だとしています。
 ビュフォンはこの書で、地球の歴史を7つの時期(Époques)に分けました。旧約聖書を模しながらも、その中身は科学的に物理的な変化を記述しています。
 第一時期:太陽への彗星の衝突で地球や惑星が形成
 第二時期:物質が凝固し灼熱の地球の核を形成
 第三時期:冷却後、水が地表を覆い最初の海洋生物が誕生
 第四時期:水が引き、火山活動の活発化
 第五時期:熱帯性動物はかつては温かかった北方にいた(化石の証拠より)
 第六時期:大陸が分離し現在の配置へ
 第七時期:人間が登場し自然を支配・利用
「自然の諸時期」では、各時期の中で、太陽系や地球の起源や年齢(7万5000年と推定)など、宗教にとらわれることなく、科学的に仮説を進めています。
 そして有名な
 La Nature est elle-même un Ouvrage de temps.
 (自然それ自体が、時間の作品である。)
という言葉が記されていきます。これは、自然は、時間が作り上げたもので、神の創造物ではないと宣言しています。さらに、生物は環境の影響を受けて変化(変異)すると考えていました。これは、80年ほど後のダーウィンの進化論(1859)へと繋がる考えにもなります。
 地球創成のシナリオやその時期、また生物の変化(進化)など、教典の示しているものとは明らかに異なって見解をもっていました。つまり、科学を宗教的束縛から切り離そうと意図していました。
 ビュフォンの「博物誌」を用いて、個別から一般という科学的方法論を、実践して示しています。この方法論を用いることで、自然は長い時間が作り上げたという自然観も打ち立てました。その構想は、壮大で、膨大で、一生をかけても終わらず、死後も共著者たちの協力をえて出版されましたが、完結をみることはありませんでした。しかし、ビュッフォンの志は、著作に残っていました。

・科学的方法論・
現在の科学的方法論とは、
データをもとに規則性を帰納していきます。
この規則を作業仮説を演繹して、
他のデータで検証していきます。
これら帰納と演繹を組み合わせた方法は
仮説演繹法と呼びます。
現在、すべての科学は
この方法を用いて進められています。
帰納法には創造性、新規性があり、
演繹法には検証性があります。
ところが、欠点もあります。
帰納法による規則は、
自然界すべてを対象(全称命題)にしているはずですが
実際には一部しか用いていないので
調べていないデータに
規則に合わないものがあるかもしれません。
つまり普遍的に適用できないので仮説にしかなりません。
演繹法には、新しいことを見いだせず、
確かめるしかできません。
ですから、すべての科学の説は仮説でしかありません。

・危険視された思想・
ビュフォンは、科学革命が起こり、
啓蒙思想が起こりはじめていたのですが
まだ宗教的権威はありました。
ビュフォンは、地球誕生の時期は聖書より遥かに古いことや
生物における進化も主張していました。
そのため発言を撤回させられました。
キリスト教がまだ力をもっていた時代だったので
ビュフォンの思想や発言は危険視され
実際に糾弾もされました。
そのため撤回声明を出さざるえませんでした。
しかし、信念を変えたわけではなく、
慎重に発言をしていくことになってきました。