2026年8月1日土曜日

300 帰納法のカノン:科学と人間

 帰納法は、現在の科学的方法論として、当たり前に使われています。この方法は、誰がどのようにして思いついたのでしょうか。その方法は、現在の科学が使っているのと同じでしょうか。


 アリストテレス(Aristotelēs, 前384 - 前322)は、個別の事例から普遍的な結論を導くことを、エパゴーゲー(epagoge)と名付けました。これは帰納法の概念となりますが、アリストテレスは三段論法(演繹法)の「前提」を見つけるための補助手段としました。
 イギリスのベーコン(Francis Bacon, 1909 - 1992)は、「新機関(Novum Organum)」(1620)によって、観察による事実(経験)の収集の重視する帰納法を提案しました。観察をすれば、そこから自ずから規則性が見えてくると考えました。
 イギリスでは、経済学でベンサム(Jeremy Bentham, 1748-1832)の「最大多数の最大幸福」という「功利主義」の考えが生まれました。ミル(John Stuart Mill, 1806-1873)は、功利主義を継承しながらも、量より質を重視する「質的功利主義」を提唱しました。功利主義を洗練させただけでなく、自由主義(危害原則)や民主主義(女性の参政権や権利の平等)の基礎も築いていきいました。
 ミルの「論理学体系(A System of Logic)」(1842)において、帰納法を方法論として洗練させました。
 これまで、アリストテレス以来の伝統的な論理学は、三段論法を代表とする普遍的な前提から結論を導く「演繹法」が重視されていました。しかし、ミルは、演繹法には限界があると考えました。なぜなら、演繹法は、「記憶の整理」に過ぎず、既知の内容しか生まれず、新知見はえられないとしました。創造性や新規性は、個別のデータから法則を導き出すという「帰納法」から生まれるとしました。
 ミルは、現象の原因を特定するために論理的な方法を提案しました。ミルは、みずから「帰納法のカノン」と呼んでいます。カノン(Canon)とは、音楽用語にもあるのですが、もともとギリシャ語で「ものさし」や「基準」という意味があります。ミルは、この方法は、「踏み外してはならない厳格な規律」と考えました。
 自然界には「同じ原因は同じ結果を生む」という自然の斉一説があり、それを探るために、帰納法には、客観性があり、科学的厳密性をもっているとしました。帰納された法則性(仮説)を演繹する(仮説演繹法)ことで、検証することができます。そのため演繹法より帰納法が、有効だと考えました。
 ミルは、仮説を発見した後、その仮説を証明していくプロセスとして、カノン(規律)として、5つの方法が示しました。一致法(Method of Agreement)、差異法(Method of Difference)、併用法(Joint Method of Agreement and Difference)、剰余法(Method of Residues)、共変法(Method of Concomitant Variations)です。少し詳しく見ていきましょう。
 一致法とは、共通の要因を見つけることで、原因となる必要条件を探すことです。差異法とは、相違点を見つけることで、原因となった十分条件を探すことで、ミルはこの方法を「最も強力な方法」と考えました。併用法とは、一致法と差異法を併用することで、因果関係の信頼性を高めていきます。剰余法とは、既知の原因を除外して、残った現象の原因を調べていきます。一種の還元主義的な方法ともなります。最後の、共変法は、変化の相関を探していきます。因果関係の有無ではなく、因果の程度を調べていきます。
 こうしてみていくと、現在科学的方法論とされているものが、「帰納法のカノン」に要約されているように見えます。しかし、帰納法のカノンにも限界があるとの指摘もされています。
 例えば、現象に実は複数の原因があった場合、最初に適合した原因を単一のものと見誤ってしまう可能性があります。また、観察に基づいているので、観察されない隠れた要因は発見できず、不完全な結論になる可能性があります。相関関係が見えたら、それを因果関係と見なしてしまい、相関と因果を混同した誤認を起こすこともあります。
 このような限界は、現在の科学にも起こっている問題となります。多変量解析などの統計学や実験計画などを厳密に立てて、このような問題を起こらないように進められています。ただし、定量化、統計的扱いができない対象やテーマもあり、すべて解決されるわけでもありません。
 現在の科学的営みを遂行していく上で、科学的方法論は、なくてはならないものです。その方法は、帰納法と演繹法を長所を組み合わせた仮説演繹法になります。この方法は、両者の弱点もそのまま引き継いでいます。
 帰納法では「真偽」を完全には示せません。なぜなら、自然界には調べられたない領域や場所もあり、すべて網羅して真とは示せないからです。演繹法は、法則の正しさを検証で示したり、適用範囲を示すことはできますが、それ検証された範囲外までの正しさを示すものではなく、「すべて」を示したわけでありません。そして、その法則以外ものを新規に創造することはできません。ですから、仮説演繹法でえられた結果は、どんな法則、原理と呼ばれるものであったとしても、「仮説」にすぎません。仮説を否定するような反例がでてくれば、修正が必要になります。
 「帰納法のカノン」で生じる問題は、人間が犯しがちな過ちでもあります。科学者も人間ですから、ア・プリオリな特性として、犯してしまうのです。なかなか回避できないものです。つまり、すべての科学は、不完全な人間による、不完全なる方法による仮説の上に成り立っていることになります。

・涼しい7月・
8月になりました。
北海道は、7月は比較的涼しい日がつづきました。
夏に備えてエアコンを準備していたのですが、
結局7月中は使うことはありませんでした。
せいぜい、夕方、扇風機を使う程度ですみました。
夜は、窓を開けていると寒いので閉めて
肌がけをかけて寝ている日が多かったです。

・入院中・
月曜日から、入院して手術を受けます。
手術時間は短いのですが、
術後の様子を見るために、
1週間ほど入院することになります。
急ぐ手術でもないので
いつでも予定を組むことができました。
授業のない夏休み期間にすることにしました。
少し、のんびりしてこようと考えています。

2026年7月15日水曜日

299 仏教哲学 5:苦からはじまる

 仏教には宗教的側面だけでなく、哲学的側面があります。この哲学的側面に大いに刺激を受けました。非常に奥の深い思索が繰り広げられ、緻密な論理が構築されています。


 仏教(哲学)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が、一人で創設したものです。体系化は後の弟子たちが進めていきましたが、紀元前6から5世紀ころに、このような深い思索体系や方法論にたどり着いたとは驚きです。以下では、仏教の思索を、西洋哲学に対比するために、仏教哲学と呼びましょう。
 西洋では、ユダヤ教を源流とするキリスト教が、主流の宗教となっています。キリスト教において、神の存在が出発点となります。神が存在し、与えられた啓示を真理として信仰していきます。一方、西洋では、古代ギリシアの時代から、理性を重んじる思索の潮流もありました。両者が相まって、神を理性で基礎づけるため、神の存在を論証しようともしてきました。啓示を前提として、神の存在を証明していく探求は、信仰と理性の境界のせめぎ合いとなり、解決されないまま残ってきました。
 近世になると、デカルトの合理主義による近代的な哲学が生まれてきました。デカルトは、疑わしきものをすべて排除して、最終的に残ったのが「我思う故に、我あり(cogito ergo sum)」となりました。cogito ergo sumを公理として、演繹的論理を重ねて、体系を構築していこうという姿勢です。デカルトには、「経験」は疑わしく、「理性」こそが信頼できるものと考えました。
 イギリスでは、ベーコンが観察、実験、感覚など「経験」を重視する哲学的立場をとりました。人とは、「白紙」の心をもち、感覚的な経験から帰納していくことで、知が形成されるとしました。
 近世になっても神に存在証明は大きな課題となっていました。17世紀のパスカルは、場合分けで合理性を追求して信仰が選ぶことが確率論的に正当だという論証を示しました。カントは神の存在を批判し、理論や理性による神の証明は不可能だと主張しました。ただし、道徳的実践の条件として神へ存在が要請されるとしました。
 西洋の思索では、いろいろな論争がありましたが、正しいもの、あるいは真実が存在していると考えて、そこに向かって進んでいることは一貫していした。帰納法と演繹法、それを組み合わせた仮説演繹法という科学的方法論を用いて進められました。ただし、結論をえやすくするため、還元主義という因果関係を単純化していく方法をとりました。この方法では、真理には誰もがたどり着けると考えました。神の存在証明も、その方法論を用いていました。
 仏教哲学は、「苦」を出発点とします。仏教哲学が苦からはじめるのは、すべての人が苦を経験していることから、確実に存在し、否定できない事実として認識できます。これは、デカルト的理性の公理とも、経験論的ともみなせます。苦は、普遍性を持ち、因果関係を持っているので、その関係を明らかにすることで、苦からの解放を目的とします。苦の解放は、すべての人に適用でき、最優先すべき目的となり、解決のための論理体系や過程も普遍的になります。
 仏教では、苦を階層化して区分しています。基本的な苦として、生まれること、老化、病気、死への恐怖という「四苦」があり、身近で表層的な苦(苦苦、くく)があり(第一層)、次に楽しみや幸せが失われという変容によって起こる苦しみ(壊苦、えく)として、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)があり(第二層)、そしてもっとも深層にある根源的な苦(行苦、ぎょうく)があるのですが、自覚しにくいものになります(第三層)。
 これらの苦から脱却するための方法として、四聖諦(ししょうたい)というものがあります。苦を滅するための実践法(八正道)が「道諦(どうたい)」となります。「聖」とは、「聖者」や「超えた者」という意味で、「諦」とは日本語では「諦(あきら)め」ですが、本来の意味として「審(つまび)らかに見る、観察する」などの意味を持ちます。四聖諦とは、苦という事実を認める苦諦(くたい)、「執着(渇愛)」が苦の原因と知る集諦(じったい)、執着をなくせば苦は消滅する「滅諦(めったい)」となり、それこそが「悟り」となります。
 「苦」というだれもが経験して認識できる課題を出発点にして、「集」として苦の原因を特定し構造的に解体していき、「滅」という解決法を提示し、「道」という解決のための実践の手順を示し、実践すれば悟りに至れるという方法論を示しています。実践過程で、仏教哲学として新しい概念を生れてきます。「自己」を「縁起」の中で、「無常」や「無我」への境地へと向かい、苦からの「解脱」となり、「悟り」、涅槃に至ることになります。
 仏教哲学では、苦から悟りへという手順が示さ、それぞれの人がそれを実践をしていくことが重要になります。仏教哲学の他の宗教と異なる点は、論理的方法論であるだけでなく、実践によって課題解決まで至るところです。このような世界観や方法論は。西洋哲学、西洋宗教にはない特徴だといえます。
 仏教哲学の思考法は、地質学や自然科学の不可知領域へ、どのようにして適用できるのでしょうか。冥王代前期は「証拠の欠如」のため「検証不能」になりました。「証拠の欠如」や「検証不能」は、現時点での状態にすぎす、今後「証拠の存在」や「検証可能」へと変化が起こるかもしれません。さらには、自然科学の不可知領域は、科学の方法論自体の欠陥というより本質なものかもしれません。これについては、今後考察を深めていこうと考えています。

・悟りから宗教へ・
仏教は、非常に人に身近なものを
中心テーマにしており
それをどのように解消していくのかの
方法を提示しています。
ただし、方法の提示であり、
だれもがそれを実践でき、
解消できるとは限りません。
そこで、実践によって克服できた先達の
指導を受け、教えを請うなどという
宗教的色合いが生まれてきます。

・今年の夏は・
本州や九州では、暑い日が続いているようですが、
北海道は、どんよりとした日が続いています。
なかなかスッキリとした夏空にはなりません。
毎日のように、いずれかの時間帯で
曇ったり、雨が降ったりで、
湿気も多い日が続いています。
気温は25℃を越える夏日となっていますが、
朝晩はひんやりとして
比較的快適に過ごせています。

2026年7月1日水曜日

298 時間の作品:一般と個別の博物誌

 ビュフォンは「博物誌」で、その正式な書名はあまり知られていませんが、そのタイトルにこそ、ビュフォンの意図がありました。著作では、意図を実践し、普及しようとしていました。「博物誌」はその結果だったのです。


 フランスの博物学者のビュフォン(Georges-Louis Leclerc, Comte de Buffon, 1707 - 1788)は、「博物誌」の著者として有名です。「博物誌」と呼ばれているのですが、正式な書名は、ラテン語で
 Histoire naturelle, générale et particulière
 (博物誌:一般と個別)
となっています。
 1749年から1767年にかけて、何名かの協力者とともに、最初の15巻が刊行されました。続く7巻は、1774年から1789年にかけて編纂されました。ビュフォンは、1788年に死去しているので、彼が直接関わったのは36巻になるのですが、没後にも続編が出版されました。すべて含めると全44巻になります。しかし、それでもまた完成ではありませんでした。ビュフォン自身は、全50巻を予定していたそうです。
 ところで、この書名にある、「一般と個別」とは何を意味しているのでしょうか。これは、博物誌をどのような視点で編纂していくかという方法論を直接表しているタイトルとなっています。
 「一般(générale)」とは、個別を超えた自然界全体の仕組みや歴史を意味しています。地球の理論や、生命の根源などを自然を貫く大きな物語(歴史)として、一般論を第1巻から第3巻で展開しています。
 「個別(particulière)」とは、世界中から集めた標本や情報を、個々の種を精査して、膨大な図版とともに具体的に記述しています。第4から15巻では四足獣(哺乳類)を、第16から24巻は鳥類を記述しています。これら21巻を使って、膨大なる個別の記述をしています。
 そして、補遺(7巻)でも、個別の記載の追記(補遺第3、4、6、7巻)をしていますが、再度、一般(générale)への回帰しています。補遺第1巻の「自然に関する諸事象」として、光、熱、空気などについての理論を、補遺第2巻の「地球の理論への補足」として初期の「地球の理論」をさらに深く考察しています。
 「博物誌」では、出版の順番な入り組んでいますが、多くの個別の記載(つまり証拠)をもとに、そこから「一般」を抽象して普遍的な法則を見出していくという方法論をもちいています。非常に科学的な態度だといえます。「博物誌」が目指すところは、地球と生命の歴史を、膨大な証拠から、普遍的な理論体系をつくろうという壮大なる構想でした。
 補遺の第5巻で「自然の諸時期(Les Époques de la Nature)」がビュフォンの死亡した1778年に出版されています。彼の思想が最も凝縮されているため、有名な巻となっています。この書に冒頭で、
「世界のアーカイブ(古文書保管庫)を捜索し、大地の内懐から古いモニュメント(記念物)を引き出し、その破片を集めなければならない。」
といっています。ここで、地層や化石などの破片は、過去を記録したArchives du monde(世界のアーカイブ)と見なし、それを集めで過去のモニュメントを構築していこうという意図を述べています。そして続けて、
「自然のさまざまな時代へと我々を遡らせてくれる物理的変化のあらゆる形跡を、一つの証拠体系へとまとめ上げる必要がある。これこそが、空間の広大さの中にいくつかの地点を定め、永遠なる時間の道筋の上に、ある程度の数のマイルストーンを置くための唯一の方法なのである。」
 「物理的変化のあらゆる形跡」たる「個別」が、長い時間の中で、証拠となります。それらが膨大な「個別」の中で、重要なマイルストーンを見つけて、体系化し「一般」化していきます。それこそが唯一の方法だとしています。
 ビュフォンはこの書で、地球の歴史を7つの時期(Époques)に分けました。旧約聖書を模しながらも、その中身は科学的に物理的な変化を記述しています。
 第一時期:太陽への彗星の衝突で地球や惑星が形成
 第二時期:物質が凝固し灼熱の地球の核を形成
 第三時期:冷却後、水が地表を覆い最初の海洋生物が誕生
 第四時期:水が引き、火山活動の活発化
 第五時期:熱帯性動物はかつては温かかった北方にいた(化石の証拠より)
 第六時期:大陸が分離し現在の配置へ
 第七時期:人間が登場し自然を支配・利用
「自然の諸時期」では、各時期の中で、太陽系や地球の起源や年齢(7万5000年と推定)など、宗教にとらわれることなく、科学的に仮説を進めています。
 そして有名な
 La Nature est elle-même un Ouvrage de temps.
 (自然それ自体が、時間の作品である。)
という言葉が記されていきます。これは、自然は、時間が作り上げたもので、神の創造物ではないと宣言しています。さらに、生物は環境の影響を受けて変化(変異)すると考えていました。これは、80年ほど後のダーウィンの進化論(1859)へと繋がる考えにもなります。
 地球創成のシナリオやその時期、また生物の変化(進化)など、教典の示しているものとは明らかに異なって見解をもっていました。つまり、科学を宗教的束縛から切り離そうと意図していました。
 ビュフォンの「博物誌」を用いて、個別から一般という科学的方法論を、実践して示しています。この方法論を用いることで、自然は長い時間が作り上げたという自然観も打ち立てました。その構想は、壮大で、膨大で、一生をかけても終わらず、死後も共著者たちの協力をえて出版されましたが、完結をみることはありませんでした。しかし、ビュッフォンの志は、著作に残っていました。

・科学的方法論・
現在の科学的方法論とは、
データをもとに規則性を帰納していきます。
この規則を作業仮説を演繹して、
他のデータで検証していきます。
これら帰納と演繹を組み合わせた方法は
仮説演繹法と呼びます。
現在、すべての科学は
この方法を用いて進められています。
帰納法には創造性、新規性があり、
演繹法には検証性があります。
ところが、欠点もあります。
帰納法による規則は、
自然界すべてを対象(全称命題)にしているはずですが
実際には一部しか用いていないので
調べていないデータに
規則に合わないものがあるかもしれません。
つまり普遍的に適用できないので仮説にしかなりません。
演繹法には、新しいことを見いだせず、
確かめるしかできません。
ですから、すべての科学の説は仮説でしかありません。

・危険視された思想・
ビュフォンは、科学革命が起こり、
啓蒙思想が起こりはじめていたのですが
まだ宗教的権威はありました。
ビュフォンは、地球誕生の時期は聖書より遥かに古いことや
生物における進化も主張していました。
そのため発言を撤回させられました。
キリスト教がまだ力をもっていた時代だったので
ビュフォンの思想や発言は危険視され
実際に糾弾もされました。
そのため撤回声明を出さざるえませんでした。
しかし、信念を変えたわけではなく、
慎重に発言をしていくことになってきました。

2026年6月15日月曜日

297 仏教哲学 4:全体像

 仏教哲学のシリーズで、これまでの3編のエッセイは前置きでした。ここから仏教哲学の本題に入っていきます。仏教哲学の思索法の全体像を把握しておきましょう。これは、仏教哲学の概観をつかまえることもなります。


 仏教哲学は、何からはじまり、何を目標に、どんな方法で達成するのか、をみていきましょう。仏教哲学シリーズで展開していく概要の紹介ともなっています。
 仏教では、万人に共通する「経験」からはじまっていきます。「経験」とは、「苦しみ」を意味します。苦しみは、どの時代、どの地域、だれもが経験しているものです。そして、その苦しみからはだれもの解放を望んでいます。仏教哲学では、苦しみからの解放を、論理的に構築され、実践を通しておこなっていきます。
 苦しみからの解放までを、苦諦(くたい)、集諦(じったい)、滅諦(めったい)、道諦(どうたい)という「四聖諦(ししょうたい)」と呼ばれる過程で進めていきます。
 まず、「苦諦」では、苦しみという経験的事実を認定していきます。「集諦」は、その苦しみを観察していくことで、どのようなものかを判断していくことと同じです。
 苦しみも含めて、あらゆるものは変化し、相互作用をし、相互作用自体も変化していきます。すべてが変化し続けることを「縁起」といいます。縁起とは、あらゆるものは複雑な条件が相互作用することで起こり、固定されたものは何もないという考えです。縁起の概念は、不変の実体などないという「諸行無常」の気づきへとつながります。西洋的哲学では、真理の概念や科学的方法論において、不変の因果関係が存在するという前提があります。ところが、仏教哲学では、縁起を認めるので、不変性は否定されていくことになります。
 苦しみを「自己(アートマン)」という概念を導入して、さらに原因を深く追求し、その原因は、「執着(渇愛)」にあるという考えにたどり着きます。自己は、還元主義的分析によって、「五蘊」(身体・感受・知覚・意志・意識)へと分解されます。
 自分の意のままになるはずの自己で、苦しみが生まれることから、「諸法無我」という概念が生まれます。これはデカルトの「我思う故に、我あり(cogito ergo sum)」とは、明らかに異なった結果を導いています。
 執着をなくせば解決できる可能性として「滅諦」が生まれてきます。その道筋として「道諦(どうたい)」があり、戒(かい)、定(じょう)、慧(え)の「三学(さんがく)」で進めていきます。「戒」は道徳・規律のことでさらに3つに分けられ、「定」は集中・瞑想していくことで3つに分けれ、「慧」は知恵のことで2つに分けられています。三学は、8つに細分されることから、「八聖道(はっしょうどう)」と呼ばれています。
 戒によって生活が整い、定(瞑想)が可能になり、瞑想の中で真実の知恵(慧)が生まれるという連鎖構造になっています。これが苦しみを乗り越える滅諦のために実践の方法で、非常に緻密に考えられています。
 苦しみを乗り越えることを「解脱」といい、解脱により理解した全体像を「悟り」といいます。解脱すると、苦しみが解体されるため、安らぎの状態になり、「涅槃(ねはん)」の状態に達したといいます。
 悟りあるいは涅槃も、苦からの解脱という、論理や言語を超えた自身の経験となります。そんな素晴らしい経験なのですが、論理や言語では説明できないものです。なぜなら、そこには自分自身もなくなり(諸法無我)、因果関係も常に変動(縁起)している(諸行無常)ためです。ある人の悟りが、別の人の悟りと同じかどうかを、比べることができません。自身が悟った内容を、自分なりに解釈して、なんとか言語化しても、縁起のためある時点でのものに過ぎません。
 このような仏教哲学の方法論を、不可知領域の解明に利用できないでしょうか。冥王代前期が「不可知」であるということは確認しています。それを細かく解体していくことで、不可知への越境が体験できればと思っています。ただし、「可知」となっても、言語化できるかどうか、また他の「可知」と比較、検証は不能かもしれませんが。
 仏教哲学として、苦、無常と無我と涅槃、縁起、空と色、唯識、不立文字、無記、八正道などの重要な概念を、今後のシリーズで各論として紹介していこうと考えています。

・第二部について・
本エッセイででてきた、仏教固有の概念は
なかなか難しいものです。
それぞれの概念については、
以降のシリーズのエッセイで紹介していく予定です。
一通り仏教哲学の概要と概念がわかれば、
次は、より深い論理性について
考えていければと考えています。
それは仏教哲学シリーズの第二部として
無の論理を集合論的に見たらどうなるか、
仏教哲学にある四区分別から
龍樹の考えた四句否定についての
論理における矛盾と
そのねらいなどについても考えていきます。

・目的を忘れずに・
この仏教哲学シリーズでもっとも重要な目的は、
地質学の不可知領域解明にどう適用していくかです。
これが最終目的なので
見失うことなく、心に留めておきます。
その答えや方法論は、まだ手に入れていません。
今後、仏教哲学を参照して、思索を深めながら、
2、3年かけて考えていくつもりです。

2026年6月1日月曜日

296 深淵なる時間:Deep Time

 地球には、「深淵なる時間」が流れています。「深淵なる時間」を想像しようとしても、想像力の及ばないほどの長さです。ところが、地質学者には馴染みのある「深淵なる時間」です。


 科学的学術論文と文学とは、文体は異なっています。学術論文には、基本的に文学的表現は不要で、客観性をもって記述されていきます。学術論文の読者は、同業の研究者となります。演出として文学的表現も用いられることはありますが、ほんの少しでしょう。一方、文学には、学術的表現のような厳格で無味無臭の文体は、ほどんど使われません。文学の読者は一般市民です。感情や心が動かされる表現となります。
 両者の中間に位置するのがノンフィクションの分野になるでしょう。ノンフィクションは、一般人も研究者も読みます。ここでいう研究者とは、専門的な教育を受けて、専門的な成果を公表している人を考えています。ノンフィクションのテーマの中には、学術的な内容を一般市民にわかりやすく説明するというものもあります。
 ノンフィクションのライターとしては、研究者のこともあり、ジャーナリストのこともあります。研究者にも文章の上手い人がいるので、実際に自身が携わっている研究を紹介していくので、その臨場感がよく伝わり傑作もあります。一流のジャーナリストには、学術的に難しい専門的な内容を、一般市民にわかりやすく説明できる人も多くいます。そのような著書は、多く人に感銘を与えます。
 アメリカのノンフィクション作家にマクフィー(John McPhee)がいます。世界的に影響力を持つ「ザ・ニューヨーカー」誌の看板ライターの一人で、50年以上も寄稿しています。多様なテーマを扱いながら、緻密な取材をして、多数の事実を用いて、小説のように物語を展開していくスタイルのノンフィクションを執筆していました。文学的にも素晴らしい名文となっており、文学作品として高く評価されています。
 マクフィーは、地質学に関するノンフィクションも書いています。その中に、1981年出版の「Basin and Range(盆地と山脈)」があり、1982年には「地殻をたどる旅」として日本語版が出版されています。この著書は、地質学的な叙事詩として「Annals of the Former World(前の世界の年代記)」という一連の作品の第1巻に当たるものです。残念なが、もう入手できませんが。
 マクフィーの文章では、「構造の円環」と呼ばれる特徴があります。「Basin and Range」では、現在の進行している話の中に、突然三畳紀の過去へと飛び、再び車内の会話に戻ったりします。ひとつも物語を、地質学的なデータ、歴史的なエピソード、個人的な描写など、多様なものが、円環ながらか積み重ねられていきます。
 「Basin and Range」は、地質学者デフェイエス(Kenneth Deffeyes)と共に、アメリカ大陸を旅していく物語となっています。
 ニューヨークからサンフランシスコまで続く横断する州道80号線(Interstate 80)を、デフェイエスが運転する車で、西向かって旅をしていきます。道路の露頭に見える地層を、デフェイエスは「地球の歴史を横切る深い切り込み」といい、そこには、数億年前の地層がでていることを説明していきます。地質学の見方は、石ころから、数億年前の火山噴火や海の底を空想する4次元的思索をしていると紹介されます。
 ネバダ州では、現在、東西に引き伸ばされた、脆い部分が壊れ盆地(Basin)に、残った部分が山地(Range)になっています。これが著書のタイトルとなっています。やがて、盆地のある大地(ソルトレイクシティ)は、新しい海が誕生していくことを知ります。プレートテクトニクスによる大地のメカニズムの説明と、それが示す未来像を述べていきます。
 そして、話題は18世紀のスコットランドのハットンに円環していきます。ハットンは不整合を発見して、地球の年齢が聖書の記述より遥かに古いことを示したことを紹介します。その時、マクフィーは
 Numbers that specify shell depths in the abyss of time
 (時間の深淵に沈んだ貝(化石)の深奥さを示す数値)
という表現をしています。この文章の中で、shell depthsとは、貝殻の厚さだけを意味するのではなく、厚い地層に埋もれた貝化石の長い時間(abyss of time)を意味しています。続いて、
 The mind may checkmate itself at the thought of a thousand years, but it quickly yields to deep time.
 (精神は1000年という時間を考えるだけでチェックメイトに陥るかもしれないが、深淵なる時間に対してはすぐに屈服してしまう。)
という説明をしていきます。
 ここで、「deep time(深淵なる時間)」という言葉を使っています。人間は1000年という時間を考えると、その長さに思考停止してしまいます。ところが、もっと長い「deep time」は、想像をはるかに越えているため、理解することを諦めてしまう、ということです。「deep time」は素晴らしい表現です。つまり、地質学の対象には、人間の想像力の及ばないほどの長時間が流れていることを述べています。
 「deep time」の感覚は、ハットンが1788年に発表した論文の結論部分に、
 The result, therefore, of our present enquiry is, that we find no vestige of a beginning, - no prospect of an end.
 (したがって、我々の現在の探究が導き出した結果は、はじまりの痕跡も見当たらず、終わりの見込みもない、というものである。)
という文章があります。この文章では、地質学がもっている長い時間を象徴的に表現しています。地質学で流れる長い時間は、想像もできないようなものという意味でもあります。
 さらに著書では、当時、提唱されてまもないプレートテクトニクスという学説がパラダイムシフトを起こしていることが示されます。最後に、地質学的な視点によると、日常に見ている風景が、ダイナミックな変化の中では、一時的なものでしかないことを示します。何億年という時間スケールの中では、人間の小ささを感じます。
 マクフィーの著書では、人が自身で体感できる数十年を越えて、1000年になると体感不能になり、思考停止(checkmate)してしまうとしています。さらに、地質学的な時間になると、理解すること、想像することすら諦めねばならず、屈服(yields)してしいます。それを、「deep time」と表現しました。短い単語ですが、その背景を詳しく述べた上での文学的表現での「deep time」はインパクトのある美しい表現です。
 私にはこんな素晴らしい表現はできません。でも、わかりやすく、自身が感動した自然や地質の背景で生じた思索を伝えられればと思っています。ただ、マクフィーより優位に立てる点があります。それは、私が地質学者デフェイエスの側にいる点です。この「deep time」には馴染みあります。露頭の前では、常に感じるている身近な思いになっています。日々、地層と向き合っているということは、常に「deep time」とも向き合うことになります。ただ、マクフィーのような表現はできないのですが。

・最適語探し・
マクフィーの書籍は入手できません。
古本でも探したのですが、入手不能でした。
ただ、大学の図書館に
「ノンフィクションの技法:ピュリツァー賞作家が明かす」
があったので、借りて読みました。
英文タイトルは
「DRAFT NO. 4: On the Writing Process」
(ドラフト第4稿:執筆プロセスについて)
となっていました。
原稿も第4稿までくれば、ほぼ完成ですが、
マクフィーは「最適語探し(mot juste)」を
最後まで続けていきます。
mot justeとは、フランス語の単語です。
そんな最適語探し中で
deep time(深淵なる時間)
も発見したのでしょうね。

・登別・
6月になりました。
北海道は、花が一杯咲く、いい季節です。
以前、チラシ広告で安いパック旅行を見つけました。
一泊だけですが、
夫婦で登別にでかけることにしました。
何度も訪れて宿泊しているところですが、
地獄谷で火山を見るだけでなく、
水族館やウポポイなども興味深い施設もあります。
好きな観光地です。
観光客がどの程度いるかわかりませんが、
のんびりと、無理せず見て回ろうと考えています。

2026年5月15日金曜日

295 仏教哲学 3:口頭伝承

 人の記憶には、曖昧なところが多々あります。記憶は、変容したり、脚色されることもあります。一方、鮮明に覚えていることもあります。記憶には不確かさと、確かさがあるようです。


 仏教は、釈迦(しゃか)が創始したとされていますが、これまで一次史料がなく、釈迦が架空の人物という説もありました。紀元前6世紀(あるいはそれ以前)に、存命していたという文献がありましたが、その真偽も不明でした。ところが、その文献に記載された史跡が発見されたことから、実在していたと考えられるようになりました。没年も確定していないのですが、紀元前486年とする説が有力なようです。ここでは、釈迦の存命期間を、紀元前565年から紀元前486年だという説に従いましょう。
 釈迦は、シャカ族の王子として生まれたのですが、29歳で突然出家しました。6年間の苦行をして、35歳の時に、菩提樹の下で瞑想をしているとき、解脱して「ブッダ」となりました。その後、満79歳までの45年間、教えを説き続けました。
 釈迦自身は、何も書き残しておらず、自著の文献はありません。多数の弟子がいたのは確かで、釈迦の行動や教えは、人を惹きつけるものがあったようです。釈迦は、何を悟り、何を語り、何を伝えようとしたのでしょうか。それを、どう探っていけばいいのでしょうか。
 釈迦が弟子たちに語ったことを、弟子たちが教えとして覚え、代々口頭伝承で伝えていました。古代インドでは、教えを丸ごと聞いて覚え、人に伝える時も、覚えたままを唱えて伝えるという口頭伝承の形式で残されました。そのため、釈迦の教えは、論理的な形式を持っていませんし、体系だってもいません。中村元訳の「ブッダのことば:スッタニパータ」の解説によると、弟子たちは、釈迦の教えを「簡潔なかたちでまとめ、あるいは韻文の詩のかたちで表現」しました。暗誦しやすい形にすることで、「そのまま」「後世に伝えられた」としています。
 釈迦の死(入滅)の三ヶ月後に、500人の弟子たちが教えを保存するために集まりました。これを第一結集(けつじゅう)と呼んでいます。師の教えを、弟子は詩の形式にして、一語一句すべてを記憶していました。第一結集で、全員で釈迦の言葉の記憶を確認して、教えを固定しました。
 第一結集の約100年後に第二結集があり、さらに約200年後に第三結集がありました。そして、紀元前1世紀頃(紀元前29〜17年頃)に、スリランカでパーリ語(サンスクリット語に近い中期インド語)で文章化されました。それまで、350年という長い期間を、口頭伝承として伝えられたものが、文章化され、教典となっていきました。
 パーリ語の仏典として、上座部仏教の「南伝大蔵経」があり、日本語訳されています。南伝大蔵経は、経蔵、律蔵、論蔵の「三蔵」からなり、全65巻(70冊)からなります。「経蔵」は、釈迦の説法や弟子との対話が記録されています。「律蔵」は、戒律や規則の記録です。「論蔵」は、後の人によって、経典の内容を体系的、哲学的に分析され整理されたものです。
 さて、西洋でも、古くから、師の思想や信念は、弟子たちが口頭伝承の形態で残すということはされていきました。ソクラテスは何も書き残さなかったのですが、プラトンが著書として残しました。プラトンの記憶と言語化というフィルターを通していますが、ソクラテスの存在や思想が、後世に伝わりました。プラトンの著書から、後世の多くの人が、ソクラテスの思想を学ぶことができました。
 他の宗教でも、口頭伝承が用いられています。例えば、ムハンマドの死後、クルアーンの文書化まで20年ほどの期間があります。イエス・キリストの死後、最初の福音書(マルコ)ができるまで、40年ほど口頭伝承の期間があります。その後、パウロ、アウグスティヌス、アクィナスたちがキリスト教の体系を構築していきました。
 いずれも、師(神)の考えや教えを弟子(預言者)たちが記憶し、後に教義や思想として体系化するという過程を経ています。口頭伝承が古代の教えの伝承として、当たり前の方法でした。
 字を持たない文化では、人の記憶が社会的制度、あるいは記録装置として機能していました。例えば、日本の古事記も、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた内容を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録・編纂したとされています。ただし、古事記の場合は、稗田阿礼が卓越した記憶力を持つとされていました。数万行にわたるホメロスの叙事詩や、インドのヴェーダも何千年もの間、一語も間違うことなく暗唱され伝えられています。口頭伝承の内容が、記録文章と一致することは確認されています。現在でも、イスラム教のクルアーンの暗誦が実践されています。
 口頭伝承は、記憶に、間違いや覚え違いが生じないのでしょうか。また記憶は、時間が経てば、多くの人を経由することになり、伝言ゲームのように、信頼性が落ちていくのではないでしょうか。しかし、これまで見てきたように、いろいろな思想や宗教、多様な文化で、口頭伝承が実践されてきました。口頭伝承には確実性のあることが実証されています。
 文字としてなんらかの物質を記録媒体(粘土板、石、皮、布、紙など)していくほうが、より広く、多くに人に、手軽に確実に伝えることができます。しかし、人の記憶を媒体にすれば、他の記録媒体と比べても、検索や提示が非常に高速におこなえ、身体と情報が一体化しているので、使う人には非常に便利です。
 さらに、口頭伝承ができるようになるためには、教える人が、長い期間、学ぶ人に付き添っていく必要があります。それも、対面での教授と学習という師弟関係を、長期間保持しなければなりません。師匠も弟子も、教育に専念しなければなりません。そこには、深い人間関係が介在していることになります。優秀な師匠には、多くの弟子が、多くの弟子の中には優秀な弟子もいるでしょう。優秀な弟子には、より深い思索に入っていくこともあるでしょう。人を介さない物質媒体ではえられない、深い思想の掘り下げも起こりそうです。
 その結果、多くの優秀な弟子たちが、長年に渡って、釈迦の思想を整理し、深化し、実践方法も洗練してきました。それが仏教哲学として構築され継承されています。それがさらに記録され、残されてきました。
 釈迦の語った言葉が正確に残されていたとしても、釈迦自身による思想の体系的に説明はありません。残された仏教哲学が、釈迦の真に意図したものであったかどうかは、もはや復元することはできません。

・確かな記憶・
昨日、何をしたか、何を食べたか、
すぐに思い出せないことがあり
記憶の低下を日々感じています。
かたや、昔、暗唱したものや、昔の歌や詩などは、
何年経っていても、思い出せるものもあります。
記憶とは、不思議なものです。
九九や小学校の校歌もすぐに思い出せ、
いつでも使え、すぐに歌えます。
方言も何年も使っていなくても
故郷に帰ると、問題なく話せます。
記憶には確かなものも、
不確かなものもあるようです。
確かな記憶は、文字にされた媒体より
便利で確実で使いやすいものです。

・記憶のメカニズム・
多くの人は、短期記憶から長期記憶へと
移すことに苦労します。
いったん長期記憶になってしまえば、
時々利用していれば、
非常に正確に残っていきます。
そんな記憶のメカニズムも
現在の脳科学が明らかにしてきました。
長期記憶の保存量は、
人が一生かけて、大量に記憶しても
満杯になることはありません。
可能な限り覚えていきましょう。

2026年5月1日金曜日

294 科学と信仰への言及:ワインバーグの原典を求めて

 科学的な言説は、一次資料となる原著論文や著書にたどり着ければ、それを拠り所にできます。科学者自身が、信じていることや信条を述べるのは、学術論文ではありません。そのような言説には、俗説が生まれやすいようです。


 著名な科学者が述べたとされる俗説があります。他の科学者が引用していても、誤った俗説である可能性があります。科学者の引用が独り歩きしていくことがあり、やがて意味の異なった俗説となることがあります。原典が学術論文でない場合、次々と引用され、孫引きされ、時には言い換えられたり、意訳されたりすることで、やがて原典の意図や意味が不明になっていくこともあります。その例を紹介するため、今回は、話題が点々としていきます。
 まずは、科学の世界の話からはじめましょう。物理学の世界では、4つの力として、重力、電磁気力、弱い力、強い力があることが知られています。
 重力は、もっとも弱い力ですが、その及ぼす範囲に限りがありません。重力波は見つかっていますが、重力をグラビトンと名付けられた粒子は未発見です。電磁気力は、電荷や磁力をもったものの間や、電場や磁場のあるところで働く力です。重力より強い力となります。化学結合も、電磁気力によるものであり、フォトンが媒介します。
 弱い力(弱い核力、弱い相互作用ともいう)は、原子核の中で働き、短い距離だけで作用し、素粒子の崩壊を引き起こりします。W+、W-、Zボソンと呼ばれる素粒子が媒介します。弱い力と呼ばれていますが、重力や電磁気力より強く、次の強い力と比べると弱いためです。強い力は、原子核の中でも、陽子や中性子を構成しているクォークや、その他の核子の結につけるもので、短い距離でしか作用しませんが、もっとも強いものとなっています。媒介しているのは、グルーオンと呼ばれる素粒子です。
 これら4つの力を、ひとつに統一的に説明する理論が、現在の物理学の重要な目標になっていますが、まだ完全なものはできていません。
 アメリカの理論物理学者のワインバーグ(Steven Weinberg, 1933-2021)は、電磁力と弱い力を、「電弱統一理論」で統一的に説明しました。これは、ゲージ理論と呼ばれています。特別な条件(高エネルギー状態)になると、弱い力が電磁力として振る舞うことを、理論的に示しました。このゲージ理論の確立で、ワインバーグはノーベル物理学賞を受賞しています。その他の重力と強い力を加えた統一理論は、まだ完成していません。
 さて話題が変わって、科学者の宗教観についてです。このワインバーグが語ったとされる
【A】Science doesn't make it impossible to believe in God, it just makes it possible not to believe in God.
(科学は神を信じることを不可能にはするものではない。ただ、神を信じないことを可能にするだけである。)
という言葉が、ネット名言集の中にあることを知りました。なかなか意義深い言葉です。信仰や神を直接批判することなく、科学と信仰や神との関係を示しているようです。そのような意図を反映して、意訳をすると、『科学は、信仰や神を否定することはないが、信仰や神がなくてもいいようにした』という意味になりそうです。
 ワインバーグは、どのような文献や場で語ったのか、その出典や原典を探すことにしました。
 すると、ある著名な物理学者の文献で、ワインバーグの言葉として引用していました。科学者が引用しているので、かなり確実な情報といえそうです。しかし、これは原典ではありません。
 そこで、ワインバーグが科学と宗教に関する似た考え方が示されている原典、あるいは著作を探しました。多数あったのですが、そのうちの次の2つが近い表現となっています。
【1】To Explain the World: The Discovery of Modern Science(2015年)
“science has nothing to say one way or the other about the existence of God … its goal is to find explanations … that are purely naturalistic.”
(科学は、神の存在について、肯定も否定もなにもいうことはできない・・・科学の目標は、純粋に自然主義的な説明を見つけることにあるからだ。)
という表現が見つかりました。
【2】Cosmic Questions: American Association for the Advancement of Science(AAAS)(1999年)
"One of the great achievements of science has been, if not to make it impossible for intelligent people to be religious, then at least to make it possible for them not to be religious."
(科学の偉大な業績のひとつは、知的な人が宗教的であることを不可能にするまではいかなくても、少なくとも宗教的でなくてもよいことを可能にしたということだ。)
というものでした。探している言葉のそのままではありませんでした。以上のことから、【A】を直接語ったような出典は見当たらないようです。
 では、どうしてこの言葉が生まれたのでしょうか。【A】を詳しく見ていくと、最初の文章では、【A-1】「科学は、信仰や神を否定することはない」という主張が展開され、次では【A-2】「科学は、信仰や神がなくてもよい」という主張という2つの命題からできています。これら2つの命題の由来を見てきましょう。
 【1】で、科学は、肯定も否定もできない主張をしています。ここから、【A-1】の「神を信じること自体は排除されない」という命題が導かれます。また、後半では、科学の目標として、あくまで純粋に自然主義的な説明、つまり超自然的な力(神など)ではなく、物理法則で説明しようとすることであるという主張もしています。これは、科学の目標は自然現象に対して物理的な説明をしていくことです。ここでは、【A-2】の主張はありません。
 【2】では、科学(者)が宗教を否定することまではいかなくても、宗教的でなくてよいこと、つまり科学は宗教なしで成立することを主張しています。
 これらの言説から、【1】前半で「科学は、信仰や神を信じることは否定しない」という主張【A-1】ができ、【2】の「科学が宗教的でなくてよい」そして【1】後半の「科学の目標は自然現象に対して物理的な説明をしていくこと」とが結びつけ、2つの命題にして一文として統合し、わかりやすい文章にすると、
【A】Science doesn't make it impossible to believe in God, it just makes it possible not to believe in God.
となりそうです。この言葉は、ワインバーグが、直接語った出典は見つかりませんでしたのですが、科学は宗教とは独立しているが、自然の究極の法則に神秘性が感じている、という趣旨の発言を、各所でおこなっていたようです。
 ワインバーグのような著名な科学者は、思想信条を各所で述べていると、本人によって似た言説が多数生み出されていきます。学術的な原典ではないため、後世の人が、その言い回しを、伝言ゲームのように、もともととは異なったもの、より明確にされたものへと変化していくことがあります。信条的な言葉が、転々と引用されて、流布している言葉になっていったようです。後世の人が言い換えたり要約した「後世的パラフレーズ」だったのです。
 さらに検索していくと、「表現はオンラインで広く引用されていますが、その正確な一次出版物(書籍や論文のページ番号)まで示せる確証のある文献は見つかっていません。」という答えにたとどり着きました。
 インターネットでは簡単に調べることができて便利ですが、だれかがわかりやすくするために、変更して使ってしまうと、それが流布する危険性があります。そんなことが、身近な研究の場で起こったことなので教訓とすべてきでしょう。ネットを介して、簡単に風評やフェイクニュースが広まります。一次資料に当たることが重要だという戒めになります。自分自身が発信者になっていく可能性もあります。
 さてさて、もう一度立ち止まり、ここで示したワインバーグの原典は、本当に大丈夫なのでしょうか。ぜひ調べてみてください。

・知性や教養が試されている・
西洋の知識人や教養人は、
複雑な言い回しをよくします。
それが知性や教養の現れでもあるようです。
このような言い回しに慣れていないので
解読するのがなかなか大変です。
それを浅く理解すると
思わぬ罠にひっかかりそうです。
知識人の書く文章を読む側の
知性や教養が試されているのでしょうね。

・自転車整備・
北海道は、春の花が一斉に咲きだしました。
自宅の周辺の雑草も
一気に元気になりだしました。
先日、自宅の草むしりをしました。
また、久ぶりに自転車の整備をしました。
何年が使っていかなったのですが、
空気を入れて様子をみしてましたが、
大丈夫そうです。
天気のいい日に夫婦で
近場に自転車に乗って
花見にでかけてみようかと思っています。

2026年4月15日水曜日

293 仏教哲学 2:仏教は、宗教か、哲学か

 仏教は世界三大宗教のひとつで、多くの信者がいます。日本では、仏教を多くの人が信じています。仏教には宗教としての面だけでなく、哲学的側面も強くあります。このシリーズでは哲学側面をみていきます。


 世界の三大宗教とされているのは、キリスト教、イスラム教、そして仏教です。西洋から中東では、キリスト教やイスラム教の信者が多く、東洋では仏教の信者が多くなっています。キリスト教とイスラム教が一神教であるのに対し、仏教は多神教(?)となっています。それぞれの特徴をみてきましょう。
 ここで、仏教を「多神教(?)」と示したのは、仏教にはもともと神という概念がないのですが、仏を神扱いして布教していおり、大乗仏教では仏が多数存在するので、このような表現をしました。
 キリスト教は、ユダヤ教を源流とし、現在では世界で最大の信者をもつ宗教です。キリスト教は一神教なので、神は唯一神(一性・Unity、父とも呼ばれています)のみとなります。人であるイエス・キリストが敬われているのは、エルサレムで十字架で処刑されて死んだ後に復活したことから、神の子としてメシア(救済者)とされているためです。また、唯一神(父)の内在的な力を「聖霊」としています。神は唯一神だけなのですが、父・子・聖霊を三位一体(Trinity)として信仰されています。三位があるので、多神教にみえますが、あくまでも父だけを唯一神としています。三位一体についても、神学的問題として議論されてきましたが、キリストという人格をもった神を偶像として崇拝対象にしています。
 イスラム教は、預言者ムハンマドからはじまっています。アッラーを絶対的唯一神として、ムハンマドはその使徒になります。ムハンマドが天使ジブリールを通じて聞いた神の言葉を、アラビア語でまとめたものがクルアーン(コーラン)になります。クルアーンは、神の言葉(アラビア語)そのものになります。この点でキリスト教の聖書とは異なっています。五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)を実践していくことが信仰の中心となり、偶像崇拝は禁じられてます。
 仏教の源流はインド哲学にたどり着きます。インド哲学自体は、バラモン教において紀元前1500〜1200年頃から形成されたヴェーダ(Veda)と呼ばれる宗教文献群に端を発しています。ヴェーダは4つ(リグ、サーマ、ヤジュル、アタルヴァ)からなり、そこには宇宙を貫く秩序・真理・正義の原理があると考えられていました。
 祭祀中心のバラモン教から、紀元前800〜200年頃に、哲学的思索を重視するウパニシャッド(Upaniṣad)がでてきました。ウパニシャッドは、苦しみからの解放(解脱)のための方法を探ることを目的としました。その時、宇宙の根本的実在、究極的原理となるブラフマン(梵、Brahman)と、個人の内なる永続的自己や霊魂であるアートマン(我、Ātman)が重要だと考えました。
 その後、アルニ(Uddalaka Aruni)は、ブラフマンがアートマンと同一であるとし、ヤージュニャヴァルキヤ(Yajnavalkya)はアートマンがすべてであると説きました。そこから、ブラフマンとがアートマンが同一(一如)であるという「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という概念ができました。
 8世紀頃、シャンカラ(Śaṅkara)は、梵我一如をさらに進めた二元論的に分けることができないという「不二(ふに)」という哲学的概念を示しました。不二とは、「一つ(一元)」とはいわず、「二つではない」という否定的な表現を用いました。不二は、仏教、特に禅などに取り入れられ、広く東洋哲学の重要概念となっていきました。
 釈迦(ゴータマ・シッダールタ)は、ウパニシャッドの目的である苦しみから自己を解放(解脱)していく(涅槃に至る)ことを目指しながらも、異なった道を進みました。聖典や権威、祭祀主義、苦行などを否定し、出自を問うことなく目指せる思想としました。また、アートマンを否定して無我になること、縁起という相互依存的な因果などの概念を導入して、四聖諦や八正道という実践体系を構築して解脱を目指しました。
 苦しみは誰もが経験していることなので、始点は明確に存在しています。苦から解放(解脱)も、誰もが望むことなので、目標もはっきりしています。目標に達するために、聖典も苦行も不要で、出自も不問としました。ただし、苦は個人の経験に属するものなので、自身で実践していくことのみで解脱できるという方法論になります。筋道は、非常にわかりやすい体系となっています。
 仏教は、時代と経ることで、個人の修行によって解脱するという伝統的方法論を重んじる「上座部仏教」と、修行で悟りを開いた宗教家が衆生(生きとし生けるもの)の救済(利他的救済)を教義して展開する「大乗仏教」に、大きく分かれてきました。修行で悟りを開いた宗教家を仏陀(ブッダ、Buddha)や如来、縁覚(えんがく)など呼び、上座部仏教では阿羅漢(あらかん)、大乗仏教では菩薩(ぼさつ)と呼びます。ただし、上座部では完全な悟りをした人は釈迦のみを仏陀と呼び、それ以外のひとは阿羅漢を目指します。大乗では多数の仏を認めています。
 実践(修行)により解脱を達成した人が、自身の思想(教義)で民衆を導くために活動し、信頼を集めていくことで、人が集まることで宗教的行為へと移行していきます。
 日本は大乗仏教に属し、日本固有の多くの宗派があります。信者数は浄土真宗が多く、浄土宗、曹洞宗、日蓮宗が続きます。日本では、古くからあった神道と仏教が神仏習合という歴史的背景があり、キリスト教などの行事も取り込まれ、複合的な宗教文化が根付いています。冠(結婚)や年始行事は神道、葬(葬儀)や年末行事は仏教、またイベント(クリスマス、バレンタイン、ハロウィーンなど)としてキリスト教の行事も普及しています。日本は、宗教的には非常に特異な地域といえます。そのため、宗教の影響も受けにくいという国民性ともいえるかもしれません。
 キリスト教やイスラム教と、仏教では、一神教と多神教という大きな違いがあります。それだけではなく、本質的な違いがあります。
 キリスト教は信仰という行為を通じて神からの救済を受け、イスラム教では神への服従を行動として実践していきます。
 仏教では、基本的に神への祈りはありません。苦しみという自身の経験をもとに、実践的に(八正道や瞑想)で克服する(解脱)していく思考法をとっています。その過程で、諸法無我、諸行無常、縁起、空などの固有の概念が生まれ、さらに言語や概念の限界も自覚されていきます。仏教には宗教的側面もあるのですが、苦を深く考え、解脱を追求していく哲学的側面を強くもっています。そのような思考法や方法論が、科学と調和しやすいものだと考えられます。
 このシリーズでは、仏教の思索を「仏教哲学」と位置づけて、論理や思考法を、抽象化し普遍化していき、地質学や科学における不可知領域への方法論に転用できるのではないかと考えています。

・文献について・
このエッセイは、論文にしていくためのに
考えを整理していくことを目標としていました。
そのため、学術論文や文献は示していません。
本来の論文では、文献を引用しながら
自身の論理を進めていくことになります。
このエッセイではそのような書き方はしていません。
今後、主張にあった文献を集め、
文献の内容を確認して、論文を修正したり、
時には主張を変更していきます。
その作業は、論文作成において重要になります。
その作業を、今後、1年かけて進めていくことになります。

・葬儀・
葬式仏教とも呼ばれていますが、
このような儀式があることで、
悲しみの中でも淡々と葬儀という儀式が
進むという利点もあります。
当事者は、突然のことで右往左往していても
淡々と儀式として手順が進んでいきます。
父の葬儀は、田舎の昔ながらの方法で
1週間ほどかけて儀式が進みました。
母の葬儀は、コロナ禍の時期でもあったので、
私たち家族と弟家族だけの家族葬になりました。
我が家の両親は仏教で葬儀もしました。
家の先祖代々の墓もあり、
地元の親族が墓守をしてくれています。

2026年4月1日水曜日

292 無限への挑戦

 いいことでも悪いことも、印象に強く残ったものは、記憶されやすくなります。日々の出来事が、記憶に残らなくなりました。年齢とともに、物忘れが激しくなってきています。人間の記憶について考えました。


 妻との会話で、過去の思い出話しが、お互いに何度も繰り返しされています。いったん長期記憶におさまった思い出は、忘れることはないようです。そして、話すことでさらに記憶が定着していきます。
 年齢とともに、最近のことや、日々当たり前にしていることほど、記憶に残らず、忘れていきます。そして問題は、重要なことも、長期記憶になることが少なくなり、すぐに忘れてしまうようになってきました。記憶力の衰えは、老化なのでしょうか。
 さて、話題は変わります。科学には帰納法と演繹法という考え方があります。帰納法は、データを集め、そこから一般則を導き出していきます。演繹法は、未知の現象に法則を適用していくことで、その法則に則った現象か、それ以外の因果によるものか、あるいは法則を検証していくことができます。
 両方法には、それぞれに特徴があります。帰納法には、新たな法則を見つけられる創造性があります。演繹法は、法則の検証でき、因果関係を確定でます。利点だけでなく、弱点もあります。帰納法では、法則を導き出したデータの範囲では、法則の確かさが保証されていますが、範囲外では確かさは不明で検証されていません。演繹法では、法則がすでに存在していなければならず、法則が存在しないときは使い道がありません。そのため創造性や新規性がありません。
 それぞれ単独で用いるには、問題がありそうです。そこで、両者を組み合わせて、帰納法で法則(仮説)を導き、演繹法でその法則を検証するという「仮説演繹法」が用いられています。現在の自然科学では、すべて研究において、仮説演繹法が用いられています。自然科学で新しい仮説を提唱するとき、あるいは仮説の検証をするとき、この手法を用いないものは、科学論文としては、問題があることになります。
 では、仮説演繹法には、問題がないのでしょうか。実は、上記に示した帰納法と演繹法の弱点が、克服されたわけではありません。ですから、論理的正当性は保証されていません。
 仮説を演繹法で検証する時、検証できる範囲は、自ずから限定されています。可能な限り範囲を広げようとしても、装置や測定の限界、データ収集の範囲などには、限界があります。また、地球内であればデータや資料が収集でき、検証可能ですが、地球外、あるいは過去や一度限りの事象などになると、証拠をすべて入手することは不可能になります。そのため、仮説演繹法を用いた規則性、あるいはすべての自然科学の結果は、「仮説」の域は越えられないことになります。なぜなら、自然界ではデータが入手できるの範囲が有限で、「すべて」を調べることが不可能だからです。自然界は「無限」なのに、人間あるいは科学は、有限の中でしか営めないからです。
 広い視点で考えると、科学の方法論の限界とは、「無限」を相手にして、法則を「普遍化」していこうしている点でしょう。「普遍化」とは、すべてに対して適用できることを保証しているのですが、「無限」を相手にすべてを検証できないかたです。科学において、「無限」は不可知領域に存在しているといえます。
 話を人間の記憶に戻していきましょう。人間は、脳内で記憶をしてきます。記憶のメカニズムはかなり明らかになっており、情報を記憶(銘記)し、保持(維持)し、想起(思い出す)するというプロセスがあり、海馬が情報の重要性を仕分けし、大脳皮質へ長期的に保存していくことになります。神経細胞の結合(シナプスと呼ばれます)で、情報の伝達効率を高めたり(強化)、結合の数を変化させたりすることで、脳内に情報を定着させることで記憶されていきます。
 脳のサイズ、あるいは細胞、シナプスは有限なので、人間の記憶には限界があるはずです。しかし、シナプスの結び付きで記憶されていくのなら、数は有限でも、組み合わせは膨大な量なので、無限と呼べないでしょうか。さらに、シナプスの組み合わせだけでなく、結合にも26の異なった強さがあり、その変化も記憶に反映してできることがわかってきたので、ますます記憶量は増えていくことになります。そうではあっても、シナプスの数が有限であれば、組み合わせも有限でなので、記憶量も有限となるはずです。
 記憶の謎を考える時、いつもひとりの人間を思い浮かべてしまいます。キム・ピーク(Kim Peek、1951 - 2009)です。キムは、人類の記憶の限界を限りなく広いことを教えてくれた人です。
 キムは、1歳半のころから、読み聞かされた本を、暗記できたそうです。字が自力で読めるようになると、1ページを10秒ほどで、完全に記憶できました。直観像、あるいは写真記憶とも呼ばれている能力です。キムは、ほぼ毎日の午後を図書館で過ごし、ありとあらゆる本を見て覚えていきました。45歳頃の時には、12,000冊の本を記憶していました。
 単に覚えるだけでなく、その情報を検索し、自由に組み合わせて、答えることができました。尋ねると、記憶の連想が止まることなく、語りは永遠と続いていったようです。
 キムは、サバンあるいはスーパー・サバンとも呼ばれています。キムは会話でのコミュニケーションは可能ですが、行動や会話のコントロールがうまくいかず、能力を実験的に調べることも難しかったようです。
 キムの能力は、広く知られていて、脳の検査をうけて、脳が平均よりも30%ほど大きいのですが、左右の脳半球を繋ぐ脳梁と前後の交連がなく、小脳にも障害のあることがわかりました。脳の神経繊維レベルでは、連携があることがわかっています。脳梁がないことから、左右の脳が連携をとりずらいので、別々に機能していると想定されています。
 テレビ番組で茂木健一郎氏が、キムを訪問し、インタヴューしているものを見たことがありました。お父さんが、ひとつの図書館の本は覚えてしまったので、別の図書館に通いだしたといったのを覚えています。映画「レインマン」で、ダスティン・ホフマン演じるレイモンド・バビットのモデルにもなっていました。
 キムは、日常生活にも支援が必要で、父が補助していました。2009年12月19日、心臓発作のため58歳で死去したましたが、父の方が長生きだったので、最後まで支援をうけることができました。58歳の短い人生だったのですが、少なくとも、人間の脳には、図書館がまるごとはいるくらの記憶容量があることが示してくれました。現在のコンピュータがもっている記憶容量や検索能力を凌駕するほどの機能が、脳にあること、そしてそれはまだだれも満杯にできず、使い切っていないことを、キムは示してくれました。
 もし、キムがもっと長生きしていたら、彼の記憶能力、記憶の検索、連携、あるいは記憶量などはどのように変化したのでしょうか。老化と記憶の関係もわかったのかもしれません。

・努力すること・
人間の記憶は、不思議です。
私たち夫婦は、記憶ができなくなり、
物忘れが多くなったと嘆いています。
しかし、記憶する努力を継続すると、
高齢になっても記憶力が維持できるということを
渡部昇一氏がエッセイで書いていました。
渡部氏は80歳を越えても、
記憶することを実践されていました。
記憶する努力することが、重要なのでしょう。
容量は十分あるはずなので。

・新年度・
新年度がはじまりました。
4月が年度のはじまりの季節ということを、
退職とともに薄れてきていきます。
今年度も、大学で非常勤講師をしていくので、
年度のはじまりは、かろうじて感じています。
非常勤講師の仕事がなくなると、
年中行事が少なくなりそうです。
そうなると季節感が薄れないか心配です。

2026年3月15日日曜日

291 仏教哲学 1:不可知領域への方法論

【新しいシリーズをはじめるにあたって】
 今回から、仏教哲学シーリーズを加えることにしました。哲学的ではありますが、仏教という宗教的内容を解体しながら、地質哲学につながればと思って執筆します。一連の内容のエッセイとなっていますが、本編とは趣が異なっているので、異なった仏教哲学シリーズにして配信することにしました。期間限定となりますので、毎月15日に、配信していくことにしました。1年どの連載を考えていますが、伸びていくかもしれません。
 このシリーズの内容は、次の論文への腹案としてまとめはじめたのですが、書いていくうちに、内容が、複雑で大気に渡り長くなってきました。できる限り、これまでのMonologと同じように、わかりやすく書くように心がけていこうと考えています。
 そもそもこのエッセイでは、自身が考えていることで、まだまとまっていない萌芽的なアイディアであっても、書いていこうと思ってはじめたものです。ですから、まだ思索が完成してないものであっても、エッセイにしていくことは趣旨に反するものではないと思っています。ご了承いただければと思います。誰かの参考になれば幸いです。
 さて、いつものようにエッセイをはじめていきましょう。


【本編の開始】
 最近、冥王代前期への地質学的アプローチの方法論を探求しています。そこに仏教の哲学的思考法が、参考になると考えています。シリーズにして紹介していきますが、言語化不能な内容や領域があるのですが、言語化を試みてきましょう。

 地質時代として、もっとも古い時代は、冥王代(Hadean)と呼ばれています。地質年代区分は、国際層序委員会(ICS)によって定められています。冥王代は、「地球上でもっとも古い岩石よりも古い時代」と定義されています。そのため、定義上、太古代は地球最古の地質学的証拠が見つかっている時代以降となます。
 冥王代のはじまりは地球形成で、終わりは太古代のはじまりとなります。地球形成の証拠は、地球では見つかっておらず、確定できません。地球の材料と考えてよい種類の隕石の年代を適用して、45.67億年前とされています。
 冥王代の終わりは、最古の岩石の年代で、40.31億年前からとされています。この年代は、カナダ北西準州スレーブ地域のアカスタ片麻岩からえられています。他の地域からも40億から38億年前ころの岩石が見つかっているので、ほぼこの時代に最初期の岩石の痕跡が残りはじめたことになりそうです。
 冥王代は、地質学的証拠がないのですが、実は、冥王代の鉱物片は、各地から見つかっています。砕屑性ジルコンと呼ばれているもので、太古代の堆積岩の中の鉱物片として含まれています。多数のジルコン片で年代測定がされており、もっとも古いものが、43.74億年前となっています。それ以降の年代の破片も、同じ地層からも、他地域からも見つかっています。ですかが、地球全体として、ジルコンが形成されるような現象、そして砕屑物となって残るようなメカニズムが働いていたはずです。
 しかし、砕屑性ジルコンは、年代区分に用いられていません。地質学的証拠として、年代以外の情報がえられず、時代境界の地質学的位置が示せず、時代区分の指標には適さないからです。
 冥王代の地質学的細分は、地層がないので、本来ならできませんが、43.74億年前の最古の砕屑性ジルコン以降に、いろいろな時代のものが見つかるのは、意味があるのと考え、冥王代を前期と後期に分けることにしました。
 冥王代後期に砕屑性ジルコンが見つかる理由をアブダクティブ斉一説として仮説を立てて議論を進めてきました。しかし、冥王代前期については、仮説はできても、検証ができない時代となります。冥王代前期は、科学的方法論が適用できない不可知の領域となります。
 不可知領域は、地質学だけでなく、多くの自然科学の分野にあります。例えば、物理学では、物理定数(光速、万有引力定数、プランク定数、電気素量、宇宙定数など)がなぜ現在の値を持つのか、宇宙開闢以前の状態、開闢の原因、ブラックホール内部、現存する宇宙の外側などが不可知領域となりす。また、生物学では、なぜ4種の塩基対だけでDNAが、20種のアミノ酸だけでタンパク質が構成されるか、地球生物以外の宇宙生物の実態、DNA以外の遺伝機構、20種のアミノ酸以外の組み合わせの生物などが不可知です。このように、すべての科学の体系には、至るところに不可知領域が内在されています。
 不可知領域を探求しても、仮説ができても検証はできません。不可侵領域として触れないようにするのか、それとも仮説のままでいいとするのか、なんとか対処法を工夫するのか、大きな分かれ目となります。不可知領域への対処法を、現在、探すことを研究テーマにしています。
 これまで、冥王代前期への対処として、「科学的仮説構築」のために、冥王代前期の周縁領域からの外挿を試みてきました。地球の冥王代後期や太古代については素材があり、そこからそれぞれの時代の地球の状態や変遷が科学的方法論に基づいて読み取られています。地球史で検証されている時代の状態や変遷を、過去に外挿していきます。間接的ですが、外挿からのアプローチで、冥王代前期についての状態や変遷に関する作業仮説をつくることが可能です。
 隕石を対象にした研究成果を用いれば、地球や他の天体の素材の破片とみなせるので、地球の材料相当の情報がえられます。隕石の年代測定した素材から、同一時間軸をもった、形成場や状態の情報がえられます。太陽系の材料、太陽形成の情報、地球の素材に相当する隕石、地球と同時期にできた天体の素材の科学的情報もえられます。つまり、隕石学の知見を用いれば、太陽系形成、地球形成前、地球の材料(地球形成中)、同時にできた天体(太陽系形成中)など、多様な情報がえられます。地球外で冥王代以前の情報を、地球形成や冥王代前期に外挿していくこともできます。
 他にも太陽系の個別の天体に関する惑星科学、系外惑星の情報、惑星形成のシミュレーション(太陽系形成や地球初期過程、月形成など)の結果なども参照しながら、冥王代前期の概要を推定してきました。
 これらのアプローチは、科学の領域内での科学的対処でした。つまり、科学的方法論の則った手法で進めたのですが、最初に述べたように、検証不能、不可治領域となり、限界がありました。これまでと全く異なった視座でのアプローチでないと、不可知領域へは深く進入できないと感じました。
 現在、打開策として、科学ではない方法論の導入を試みています。哲学や、宗教学などの人文知の方法論です。
 これまで、西洋における科学と宗教の関係をまとめてきました。西洋において、宗教と哲学は異なった源流や系譜を持ちながら、互いに交わりながら、やがては異なった道を歩むことになってきました。西洋の歴史では、科学の成果が宗教的教義を修正、否定する場面が、度々起こりました。科学の越境に対し、宗教はどう対処してきたのかは、これまで研究されてきました。対立、独立、対話、統合などというキーワードで、いろいろと関係を変えてきたことがわかってきました。その考察は、主にキリスト教を代表とする宗教が中心となっていました。
 ところが、仏教を見ると、科学との対立もあまり起こってきませんでした。これは、重要な示唆だと感じました。仏教の思想には、哲学的要素があり、独自の方法論をもっています。仏教を中心とする仏教哲学の方法論が、もしかすると、不可知領域への対処法にならないかと、現在考えて探っています。
 このエッセイでは、今後シリーズとして、仏教哲学を学び、考えたものを、紹介していこうと考えています。

・シリーズ紹介・
仏教哲学のシリーズでは、
1年ほどの連続エッセイで紹介してく予定です。
回数や内容には変更があるかもしれませんが。
次回から、まずは導入として
仏教の哲学、口頭伝承、哲学の全体像
を書いていきます。
次に各論として、
苦、無我、縁起、空と色、唯識、
不立文字、無記、三学と八正道
について書いていこうと考えています。
現状で、かなり書き終わっているので、
毎月、配信していこうと考えています。

・環境変化に伴って・
このエッセイは、今回はじめて、
Monologでの別シリーズとして配信しました。
シリーズとしてエッセイは、
もうひとつの週刊エッセイ「地球のささやき」では
繰り返し使ってきた方法でした。
今回、このようなシリーズにしたのは、
現在、作成の論文をしており、
その思索の過程を示している内容に当たります。
教員をしている間は、時間が限られていたのですが
退職してからは、考える時間が増えてきたこと、
研究環境として自宅が中心になったことで
精神的に余裕ができてきたためでしょうか。

2026年3月1日日曜日

290 心機一転:環境変化と楽しむ

 3月から、新しい日常がはじまります。生活パターンや研究体制の変更があると、新しく考えるべきこと、行動すべきことがあり大変です。そんな環境変化も心機一転として、楽しんでいければと思っています。


 3月になったので、いよいよ大学と距離を置くことになります。2025年3月末の退職後も、今年の2月末までは、研究室の使用が認められていたので、毎日、徒歩で研究室に通っていました。厳冬期の吹雪の日などは大変でしたが、毎日、早朝に起きて歩いて来ることは、気分を切り替えるために有効でした。退職してから、研究だけに専念できる環境が1年間維持されたので、日々充実していました。
 3月からは、自宅で日常の暮らしをしながら、研究も継続することになります。大学には名誉教授室もあるので、何度か入ったのですが、冬場は寒くて長く滞在できません。また、私物を置くことはできないので、毎日ノートパソコンを持ち込んで仕事することになりそうです。近隣の図書館の自習室などの利用も考えに入れて、3月からは新しい日常のルーティンを構築していかなければなりません。
 せっかちに早め早めに考えて、作業は進めているので、研究室の明け渡しも、退職1年前から準備をしてきました。自宅には二室あった子供部屋は、もう使わなくなったので、一室を妻の作業部屋に、もう一室を書斎にすることにしました。自宅を建て、いつも面倒を見てもらっている大工さんに、改装をお願いしました。
 以前にも自宅の各所に書棚をつくってもらったのですが、そちらもすでに本で一杯になっていました。大学から、持ち帰れる本の量を考えると、新たにつくった書斎の書棚には、到底収まりそうにありませんでした。大半を処分するしかないことがわかりました。
 妻からも、自宅が書籍や大学からの荷物であふれるのは困るといわれているので、退職を期に、終活をかねて、大学と自宅の大量の書籍やモノを、計画的に、数年かけて処分することにしました。モノに関して、試料は以前いた博物館に引き取ってもらい、研究費で購入したものは大学に戻しました。問題は、私費で購入した大量の書籍の処分でした。そして新たな研究環境の構築もしていかねればなりません。
 まずは、書籍の処分問題です。大学には大量の専門書が、自宅は専門書と大量の小説類もありました。何人かの退職された先生が、研究室の書籍の処分で、札幌の古本屋に大量の書籍を買い取ってもらっている現場を見ました。ところが、売れるものは少なく、ほとんど値段もつかない状態でした。無料であれば、ある程度引き取ってもらっていました。昔ながらの方法として、古本屋さんに引き取ってもらうことでは、大量の本は処分できそうにありませんでした。
 送って買い取ってくれる古本屋をインターネットで探しました。以前から古本も購入していた書店もあったので、その中から選びました。選んだ古本屋さんは、値段のつかない本も送れば、引き取ってくれました。可能な限り再販売、再利用し、利用できないものは、紙として再生してノートにしていました。
 2023年2月から今年の1月まで2年かけて、段ボール数箱分ずつを、こつこつと送っては、買い取ってもらいました。段ボールの個数は記録していなかったのですが、送った本の総数は3097冊で、そのうち買い取られたのは1591冊でした。古い本や専門書の大半は値段がつかず、新しい書籍でもあまり値段がつかなかったのですが、引き取ってもらっただけでも助かりました。半数は買い取られなかったのですが、再生しくれるので、罪悪感が少なくなりました。
 そして、2月末が研究室が明け渡し期限となっています。3月からは、自宅の一室の書斎に、研究の場を移します。これから、少しずつ環境を整えていくことなります。まずは、2月から3月にかけて研究が途切れないことに注力しました。
 昨年末から進行していた論文3編の初稿や再校は終わっているので、投稿済みのものは手を離れています。現在執筆中の論文ですが、これもほぼ第1稿は完成しています。その状態でしばらく寝かしておける状態にまで仕上げました。
 自宅の書斎で研究環境を整えるのは、これからです。荷物はこつこつと書斎に運んだのですが、研究できる状態がなかなかできません。高齢になったせいか、体を動かして、環境を整備することが億劫で、気力が湧いてきません。3月からは、強制的に心機一転しなければなりません。とりあえずの環境を整えることを目指して、これからこつこつと進めていくことになります。
 今後、新しい日常の中で、読書の時間をもっと確保したいと思っています。その時間を、どうルーティンに組み込むかも考えていきましょう。
 早朝歩いて大学にいくという運動と気分転換を兼ねたルーティンがなくなります。体力維持をどうしていくかも考えなければなりません。
 朝の通勤のルーティンは、近所の散歩に変えようと思っています。これまで4時に起きて、5時に自宅をでて、大学の解錠に合わせて6時すぎに付くようにしました。それを自宅だと、もう少し遅らそうかと考えています。そして散歩で目的地はなく、周回するのですから、近所でいろいろなところを回りたいと考えています。ただし、通勤という必然性がなくなったので、雨や吹雪の日でも散歩おできるかは少々心配です。強い意志をもって、どんな天気であろうが散歩をしたいと考えています。
 現在、妻といっしょに市民プールに通っています。週に3日ほど水中ウォーキンを中心にして、コースが開いていれば少し泳きます。時間は、45分ほどですが、筋力の衰えを少しでも抑えられればと思っています。
 3月には、すべてが一新されるので、試行錯誤しながら日常のルーティンを作り上げていきたいと思っています。そんな試行錯誤も、楽しんでいきたいと思っています。

・試行錯誤・
このエッセイは、引き渡し直前に配信しています。
自宅での新しい環境構築や朝の散歩が
どうしていくかは、まだ不明です。
機会があれば、おいおいこの欄ででも
紹介していければと思っています。
時間的束縛がなくなったので
研究環境をどうしていくかは不明です。
すべては自身が決めることになるのですが、
試行錯誤していきましょう。

・最終日の天気・
3月2日に、研究室で大学職員の立会のもとで
研究室の鍵を返却して、退去が完了します。
いろいろ片付けてきて、
2月末まで必要最低限の
パソコン関係の機材を残しています。
すべて搬出をしてから、引き渡しとなります。
最終日の天気が心配ですが、
日程が決まっているので、
雨でなければいいのですが。
配信日が雨だったので心配ですが。

2026年2月1日日曜日

289 エイジャ―:斉一説の時代の激変説

 イギリスの地質学者のエイジャ―の説を、最近、知りました。そして彼の提唱した説が、これまで独自に考えていた自説に似ていることに興味が湧きました。調べると、彼が説を唱えた時代も特別でした。


 整然と重なった地層をみていると、その記録は連続的にみえます。その連続的に記録されてきたという考えの背景には、斉一説があります。斉一説は、西洋で近代科学の方法論が成立する時、重要な役割を果たした考え方です。
 科学的方法論が成立する以前、キリスト教社会では、聖書の記述が信じられていた時代でした。大地の変動は、聖書にあるノアの洪水のような天変地異によるものと考えられていました。これは「激変説」と呼ばれているものです。地球の創成も生物の誕生も、神によるものと聖書に書かれていました。そこから、生物種の絶滅も、激変説で説明されていました。
 近代科学が成立する時、地質学でも大きな意識改革がおこりました。地層のでき方も、化石のでき方も、現在起こっている現象と同じ作用が働いていると考える「斉一説」が生まれてきました。
 斉一説では、化石は昔の生物の遺骸で、地層は現在も時々起こる事象で説明されます。地層は、河川の大洪水や海底地すべりなどによって土砂が海底に運ばれ溜まって形成されたもので、当時の生物がも洪水や地すべりに巻き込まれて地層に埋もれたものが化石となるという考えです。
 斉一説では、地球には長い時間が流れていることが前提となっています。長い時間を背景に、生物の進化も起こっていくはずです。時間を遡れば、生物の誕生も地球の誕生も、神の関与や介在を必要としません。地球の創成も生命の誕生も、科学的方法論に基づき、過去のすべての事象、現象が、検証可能な科学の対象となることを斉一説は保証していました。
 西洋では、長い期間続いていた激変説、そして宗教の教義の呪縛が、斉一説の承認によって解放されることになります。その結果、現代の自然科学が成立してきました。もちろん地質学でも、斉一説が導入されてきました。
 ところが、斉一説が当たり前になっていた地質学の事象に、突然、激変説で説明される事象がでてきました。白亜紀と古第三紀の時代境界(K-Pg境界)で起こった恐竜などの大絶滅です。大絶滅が、隕石によるものであると、アルバレス親子(父のLuis Alvarezと息子のWalter Alvarez)によって、1980年に発表されました。学界には大きな衝撃が走り、激しい議論も起こりました。その後、世界各地で衝突の証拠も多数発見され、1991年にはメキシコのユカタン半島沖に衝突の証拠となるチクシュルーブ・クレーターも発見されました。K-Pg境界の大絶滅が、新たな激変説の承認ともなる出来事でした。
 激変説の導入は、単に科学的な論争だけでなく、大きな思想的変革も含まれていました。西洋では、斉一説としての科学的営みが、激変説と戦ってきました。宗教の支配の呪縛から逃れて、斉一説が使えるようになる時代を勝ち取ってきた歴史がありました。そこに突然、再度激変説が登場したのです。激変説は、科学の潮流に逆行する考えでした。隕石衝突による激変説の受け入れには意識革命が必要で、心情的にも反発があり、激しい論争になりました。現在では、隕石衝突による大絶滅は、定説になりました。
 イギリスの地質学者のエイジャ―(Derek Victor Ager、1923-1993)という地質学者がいました。ジュラ紀の腕足動物の化石を研究していました。その研究をもとに、地層と化石記録は不完全だとする概念を提唱しました。
 エイジャ―は、1973年の「層序的記録の本質(The Nature of the Stratigraphical Record)の目次(Contents)に、
More Gaps than Record
(記録より空白が多い)
という章があります。その章の中に、
The stratigraphic record is a lot of holes tied together with sediment. It is as though one has a newspaper delivered only for the football results on Saturday and assumes that nothing at all happened on the other days of the week.
(層序的な記録は堆積物とつながれた多数の穴である。それは、土曜日にサッカーの結果だけが載り、週の他の日には全くなにも起こっていなかったかのような新聞配達されたようにみえる)
と書かれています。
 エイジャーは、厚さ100mの地層が1000万年かけて堆積したタービダイト(混濁流堆積物)を例にしました。この地層は、計算上100年に1mmずつ堆積することになります。ところが、地層の形成メカニズムには、「たった一晩の嵐」で数cmの砂層が堆積したものが、多数含まれていることがわかっています。そのような現象が繰り返されれば、1000万年もあれば地層はエベレストより高くなっているはずです。
 ところが、1000万年で100mの厚さしか残っていないのは、地層の記録が「何も積もらなかった時間」か「積もった後に削られた時間」があることになるはずだとしました。
 著書の結論では、
In other words, the history of any one part of the earth, like the life of a soldier, consists of long periods of boredom and short periods of terror.
(言い換えると、地球のその部分の歴史は、兵士の生活のように、長い退屈と短い恐怖からできている)
と述べています。
 その前段では、
Though the theories of plate tectonics now provide us with a modus operandi, they still seem to me to be a periodic phenomenon. Nothing is world-wide, but everything is episodic.
(プレートテクトニクスの理論は、今、作用の仕組みを提供してくれるが、それでも周期的な現象のように思える。どれも世界規模ではなく、すべてが一過性である)
といっています。
 この著書の刊行当時は、プレートテクトニクスが学界で受け入れ、地質学ではもっとも華やかな時期でもありました。そこに、激変説的な現象を顧みて、短期間に起こる周期的現象が起こっているという考えを述べました。さらに広く捉えると、地質学的記録が、洪水や火山活動などの突発的な天変地異が繰り返されてできている重要性を強調したのです。
 また、エイジャーは、化石の記録から、上下の層で「化石の進化段階が数百万年分もスキップしている」ところが多数あることを示しています。連続して見える地層の境界線が、数百万年間の記録の欠落があること意味しています。「地層とは、ページの大半が破り取られた歴史書である」といい、ごくわずかな「残りカス」だけを見ているとも述べました。
 エイジャ―の「長い退屈と短い恐怖」の繰り返しの概念は、隕石衝突による激変説の登場前、プレートテクトニクスという斉一説のもっとも華やかな時期に述べられたものでした。整然と重なる地層は、斉一説の考えでは、均一で緩やかな変化の積み重ねに見えますが、多くの欠損を含んでいることも主張しました。
 地層の堆積のメカニズムが現在では明らかなってきたので、このような考え方は当たり前になりました。プレートテクトニクスという斉一説が華やかりしころに、地層形成メカニズムは激変説による事件の集積によるものという考えを、エイジャ―は示していました。
 エイジャーの考え方は、生物の進化が「停滞」と「急変」を繰り返すという「断続平衡説」へと繋がっていきます。それは、また別の機会にしましょう。

・大雪・
週末、わが町は大雪となりました。
近年稀に見る大雪でした。
明け方から昼間にかけて大雪になったので、
除雪がはいりませんでした。
道路が雪で埋もれ、1時間も車が入らなければ
スタックする危険性がある状態でした。
日曜日に歩いて帰る時、
車の入っていないところ、
人があまり歩いていないところは
深い新雪に埋もれていました。
ただし、除雪システムが整っているので
翌日には道路は通行可能になっていました。

・年度終わりに向けて・
大学は先週で後期の授業が終わり
今週からは定期試験になります。
来週には大学入試がはじまります。
来月末には、研究室の開けわたしになります。
それまでに、いくつか済ませておくべき
研究上の作業もあります。
大学は、年度末に向けて
慌ただしくなっていきます。

2026年1月1日木曜日

288 日本の習慣と宗教観:神道、儒教、仏教

 日本人は、暮れから正月にかけて、多くの人が恒例の年中行事となっている習慣がいくつもあります。そこには、日本に固有の信仰と呼ぶべきものがあります。それは、他国にはみられない、特徴的な宗教観となっているようです。


 明けましておめでとうございます。日本では、多くの人が、大晦日には、年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞き、気の早い人は、除夜の鐘の直後に、初詣に出かけるのでしょう。元旦の朝には、家族が集まり新年の挨拶をし、雑煮を食べて祝います。年長者が年少者にお年玉をあげ、届いた年賀状を読んだりします。
 最近は薄れているかもしれませんが、これが日本の年末年始の習慣といえそうです。それぞれの行事を信仰としてみると、除夜の鐘はお寺で鳴らし、初詣は神社へ、正月の挨拶は家族の和、序列の重視や恭順、先祖への敬意は儒教など、さまざまなものがあります。
 日本では、年中行事やひとりの精神的背景の中に、仏教、神道、そして儒教という信仰が混在し、それぞれを時と場合に応じて使い分けています。それに加えて、クリスマスやハロウィーンなどキリスト教の行事もおこなっています洗礼を受けていないのに、教会で結婚式を上げることもあります。熱心な信者からみると、このようないろいろな信仰が混在した宗教観に混乱を覚えるでしょう。しかし、日本では、家族、コミュニティ、社会、そしてメディアも、年中行事を、その背景にある信仰にまで考えが及ぶことなく、不思議とは思わず受け入れています。
 西洋には、ユダヤ教、キリスト教やイスラーム教などの一神教が、多くの信者を集めています。古代ギリシアの宗教やヒンドゥー教などは、多神教として、インドからアジアに多くの信者がいます。仏教(上座部)や道教は、神に概念のない非神論的宗教となりますが、東アジアに広がっています。日本には、神道という古来からある土着の信仰があります。人間関係や社会秩序のための倫理や思想として儒教があり、中国から韓国、日本にも信仰されています。
 このような日本の宗教的な背景をもった習慣が気になったのは、科学と宗教の関係について、最近は研究で進めているためです。日本の習慣と信仰について少し考えていきましょう。
 研究者も人間なので、日常生活や家族、地域やコミュニティ、国、民族との社会との関係の影響、生まれ育ち、その地域の文化、受けた教育などの影響を色濃く受けます。その影響は、研究者という人間にも反映されているはずです。科学的方法論に則っている研究活動にも、多かれ少なかれ影響があるはずです。研究の遂行や成果、そのアウトプットに、宗教的タブーになるもの、自身の人間関係や文化、そして信仰を否定することになった時、どう振る舞うのでしょうか。
 欧米では、科学は宇宙や地球の創成、生命の起源、生物の進化など、地質学と生物学の成果では、特にキリスト教とは反する成果を出してきました。そんな時、研究者も、個人のレベルでも、学界や研究者階層のレベルでも、信仰と向き合うことになりました。その向き合い方は、宗教組織が社会における力関係などに応じて、変化してきました。この状況を、現在、まとめています。
 今後、日本や日本人の精神や文化、信仰への特殊性に考察を進めていくつもりです。その時、多くの日本人の信仰あるいは倫理の基盤が、神道、儒教と仏教にあるので、その影響は一神教のキリスト教社会とは明らかに異なったものになっていくと予想されます。
 日本では、「儒仏道三教一致」もといわれ、役割分担しながら、重なり合いながら存在していることが前提となっています。その上で、それぞれ信仰を概観していきましょう。
 神道は、特定の開祖はなく、明文化された教典や倫理体系もありません。日本固有の古代から自然発生的に形成されたもので、自然との調和や秩序、先祖や土地との結び付きを重視しています。ほかの地域にもあるような自然崇拝といえる思想とも共通しています。日本の神道では、清浄と穢れなどの概念が生まれました。加えて、現世の人間関係(家族と社会など)の共同体への安定も重視していきます。初詣だけでなく、誕生、成人、季節行事や収穫祭など、多くの日本人の生活習慣の中に組み込まれた信仰となっています。
 儒教は、中国(紀元前6~5世紀)で孔子が創始しました。日本には仏教と同時期に伝わり、古くから導入されていました。特に江戸時代には、朱子学が幕府の官学となり武士道精神や、陽明学として幕末の志士の精神的な支えとなりました。儒教は、宗教ではなく倫理観を重視し、そして政治哲学、社会秩序に関する思想体系となります。現世での人間関係と社会の調和を重視し、徳を身につけた「君子」になることを理想としています。学問や礼儀の実践を重視しています。神道や仏教と対立することはなく、補完する関係となっています。
 仏教は、インド(紀元前6~5世紀)の釈迦が開祖で、6世紀に朝鮮半島(百済)から伝わった外来の宗教ですが、現在の日本の文化に深く結びついています。死や苦(四諦:苦・集・滅・道)からの解放のために、戒律(五戒:不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)や修行をすることで、悟りに到達すること(解脱)を目指します。煩悩や輪廻転生からの解脱を目指す実践的哲学体系でもありますが、現在の日本では、死から救済、死生観などを提供していくことで、日本の文化に深く定着しています。仏教には、創造神はない(無神論的)のですが、仏や多数の菩薩、あるいは解脱した人を信仰の対象とする宗教となります。
 神道は自然の中に八百万の神が存在し、仏教も多神教で、儒教は倫理観を重視しているため、いずれもゆるい信仰や信心となっています。それらが混淆し漠然と一体感をもった日本固有の宗教観を醸造しています。そんなことを感じています。

・年始には・
一富士二鷹三茄子がいいとされ、
かつては、枕の下に宝船の絵を
入れたりしていました。
現在はこんな風習は
ほとんどしなくなったでしょう。
暮れには年賀状を書いて送りました。
若い世代には、年賀状を送り合う習慣も
ほとんどなくなってきているようです。
時代は変化していきます。
年賀状だけでなく、手紙も
メールやSNSに代替されてきました。
便利さもありますが、
心や精神性が減ってきたように思います。
これは年寄の愚痴でしょうか。

・時代の趨勢・
私は大学からずっと親元を離れていましたが
特別な用事がない限り、
正月には帰省していました。
年末には恒例として次男が帰省してきます。
長男は夏にフェスを見るために8月に帰省しますが、
正月には帰省しなくなっています。
北海道という遠隔地でもあるのでしょうが
新しい時代の趨勢なのでしょう。
ですから、今回のエッセイの議論が理解してもらえるのは
私たちの世代だけなのかもしれませんね。

2025年12月1日月曜日

287 心の余裕:時間価値

 退職してから、校務が激減して、余裕ができました。研究にかけられる時間も増えました。時間のゆとりが、心の余裕になったような気がします。年末の整理として、心の余裕と時間価値について考えました。


 2025年3月末に退職してから、いろいろな余裕ができてきました。しかし、大学での1年間、研究室の使用が認められたので、これまで通り研究のできる環境が継続できました。おかげで、いつも大学まで歩いてきて、大学で仕事をするという生活パターンが維持できました。ありがたいことでした。
 退職後、講義が少なくなったのがなにより大きな変化となりました。現在でも非常勤として前期にひとつ、後期にふたつを担当させてもらい、いずれも午前中に終わるようにしています。それぞれの講義の準備にかける時間は、以前と変わりはないのですが、講義数が5分の1から4分の1に減っているので、その比率で講義の準備にかける時間も減っています。
 校務分掌にある校務やそれにともなう出張、担当する学生や保護者への対応などがかなりあったのですが、すべてなくなりました。それにかけている時間が解放されたことになります。退職前後の時間の使用に関する変化を整理してみました。
 教員として勤務していたときと、退職してからの時間の使い方を比べてみました。大学に滞在しているときにしている作業を、研究、校務、ボランティアに大雑把に区分しましょう。研究とは、学外にでている野外調査などの時間は除いて、研究室でデータ整理や論文執筆などに使っている時間となります。校務とは、現在では講義とその準備ですが、以前は校務分掌や対人関係など、さまざまなものがありました。ボランティアとは、以前から継続しているメールマガジンの執筆です。
 それぞれにかけている時間を計算してみました。
 教員として勤務していた時、大学にいる時間(土日も出勤していた)は平均すると56時間となります。それぞれの区分による比率は、研究 34.3%、校務 47.1%、ボランティア 19.7%となりました。退職後の現在は、大学にいる時間(土日も出勤)は48.5時間で、研究 48.5%、校務 31.8%、ボランティア 19.7%という比率となりました。
 ボランティアにかけている時間はあまり変わらないのですが、校務時間が大きく減少したのですが、その分が研究の時間へと割り振られたことになります。大学にいる時間が、56時間から48.5時間で、7.5時間に減りました。これは、健康や体力維持を考えて、夫婦で市民プールに通っています。プールにいくときは、妻に大学まで迎えに来てもらい、平均すると40分から45分ほど泳ぐので1時間ほど施設で過ごすことになります。週に3日から4日程度は泳ぎにいって、プールにいかないときは、帰りも歩くようにしています。健康のためにはいいのでしょうが、それでも体力の衰えを感じます。
 時間でみてきたのですが、時間では計れない変化があります。退職後は、校務としての対人関係が減ったことで、そこで使っていた精神的な力が解放されました。講義や学生や保護者への対応に臨むときの精神的な負担は、その以外の作業をしている時間にも、かなりストレスを与えていした。心の「ゆとり」がなくなっている状態となっていました。
 ストレスがなく、ゆとりをもって自由にできる時間の価値は、数値化できないものとなります。同じ時間を使っていても、心の状態によって価値が変わってくるということになります。時間価値がいい状態で作業に取り組めれれば、同じ時間数であっても、集中した内容や充実感へとつながっていきます。それは、研究の内容や、ボランティアとして取り組んでいるメールマガジンの発行にも反映されていると思います。
 時間価値の増加の効用として、年齢による衰えを補っているようです。体力だけでなく、集中力や記憶力も年々衰えを感じています。その衰えを時間価値が補ってくれているように感じています。
 その時間価値をつぎ込んで進めようと考えている研究プロジェクトがあります。その研究プロジェクトは、今年2025年からはじめて、あと3年(2028年まで)かけて、遂行してまとめていくと考えています。そのため、この時間価値の効果が維持できればと思っています。

・片付け・
今年は、定年退職という大きな節目を迎えました。
幸いなことに、エッセイも書いたように
研究環境が退職後も1年間継続できたので
ゆっくりと新しい研究条件になじむことができました。
ただし、2026年2月には引き払うことになるので
最後には研究室を空っぽにするので
機会がある度に片付けています。
荷物を出すために、根雪になる前に、
講義や研究を続けるのに使うのに
最低限必要なものだけを残しています。

・fade out・
いよいよ2025年最後のエッセイとなりました。
これまでも、退職に向けてサーバーやメールマガジンを整理し
退職後もホームページやブログも整理してきました。
1月には新たな整理を進めていくつもりです。
だんだん個人での発信を減らしています。
退職前から進めてきたfade outを
さらに一段階進めていきます。
その分、自宅の整備もしていきます。

2025年11月1日土曜日

286 再考:予防原則

 10年以上前のエッセイで、予防原則について書いたことがありました。当時と比べ、状況は全くよくなっていないように見えます。そして今、再度、予防原則について考えました。


 2014年1月のエッセイ「144 大局観をもった予防原則」で、予防原則について考えたことがありました。当時は、原発事故のあとの原発再開の是非、秘密保護法の制定などを元に、拙速な行政や施策が気にかかっていました。そこで高所かた大局的に見る必要性を考えていました。現在は、10年前とは状況が異なっていますが、より閉塞感が広がっているように思えます。そんな時期に、再度、予防原則を考えてみました。
 予防原則(Precautionary Principle)とは、どのようなものかを、まずは説明しておきましょう。科学は、論理性を重視しているので、証明や検証がされていない結論や方法は採用できません。現状のまま放置、あるいは現在の方法を継続していると、将来深刻な危険性が考えられることがあります。科学的に確実ではない場合時、予防的に措置を講じていこうという考えです。
 1970年代の西ドイツで環境政策として採用された原則です。その後、1992年の国連の「環境と開発に関するリオ宣言」では明記されました。環境問題を考える時の基本となっていき、生命や医療の倫理、食品の安全性などを考える時にも適用されるようになってきました。
 予防原則とは、安全が証明されるまで危険は避けるために「やめる」考えです。一方、危険だと証明されるまで「やっていこう」という「リスク原則」という全く相反する考えもあります。いずれの原則も、科学では対処しづらい場面での判断の仕方となります。
 予防原則は、危険性や被害を未然に防ぐための危険回避ができそうです。ところが、技術や経済の進歩を抑止たり活動を抑制したりすることになり、自由な発展を妨げるという短所もあります。発展と危険を天秤にかけ、判断を迫ることになります。この判断をするのに、今の日本が適しているのではないかと考えています。
 かつて日本は、経済発展が著しく進んでいる時、工業化によって公害問題が各地で発生しました。当時は、経済発展を優先され、公害への対処はなおざりにされていました。当時、公害は、人類として初めての経験でもあったので、人的被害を顧みることも少なかったようです。その結果、被害が拡大していき、人的被害が深刻になってきました。そして、遅ればせながら、政策的に公害へ対処が進められました。それはあまりに後手で、被害への対応の不十分でした。
 対処を懸命にやったことは、悪いことばかりではありませんでした。対処の産物として、世界に先駆けて公害防止や省エネ、再生可能エネルギーの活用などの技術で、新たな展開を向かえることができました。日本人の得意としていた複雑な技術や繊細な技術の組み合わせることが、この時、開花しました。
 経済発展している時は、ジャパンアズナンバーワン(Japan as No.1)ともいわれていたため、マイナスへの対処が遅れました。先端技術を開発し、売る側にいました。そんな時代は遠く過ぎ去り、日本の科学や技術のアドバンテージもなくなり、他国に追い越されてしまい、追いかける体力もなくなっています。現在の日本では、他国の先端技術を享受する側、後塵を拝することになり、不景気による停滞が続いています。
 生成AIやICTの先端技術が、世界中でもてはやされています。新しい技術で経済効果が生まれれば、科学技術は限りなく進んできます。そのため、膨大な資金や人材が注ぎ込まれていきます。先発したもの、体力のあるもの、資金力や人材があるところが、先頭にたっていきます。その先に何が起こるのかは不明です。今の日本は、その技術を利用する側、買う側に回っています。
 Japan as No.1で日本は栄華を享受した後、公害で手痛い教訓を経験しています。その後も、バブル崩壊で、現在も停滞が続いています。国際的には以前の力を持たなくなってきました。しかし、何事も考えようです。Japan as No.1の頃は、「一番」、「豪華」、「大いなる」などが満足に基準でしたが、今では、「耐久」すること、「ささやか」楽しみに満足できるようになってきました。日本は、耐久の時代、あるいは停滞の経済状態にあります。こんな時にこそ、予防原則を見直す必要があるのではないでしょうか。
 技術は物理的に限界がくるまで進んでいきます。それを止めることは無理でしょう。先端技術はやがて使い古された、枯れた技術は、安くなり普及してきます。先端でなくても、そんな技術の恩恵に浴することができるはずです。
 普及した技術を組み合わせたり、より繊細にしたりすることで、安価に安全に耐久性を持たせられるかもしれません。アップルでスティーブ・ジョブスがおこなった組み合わせ技術を、日本はもっています。現在の環境問題や温暖化など、忍耐を要する対処ができるのも、日本ではないでしょうか。
 経済性や競争のためではなく、立ち止まって対処を進めていく必要があります。世界規模の問題であっても、対処に専念すれば、そこには新たな活路が見出されるはずです。それが将来の糧になるかもしれません。現状の世界規模の問題に予防原則を進められるのは、日本ではないでしょうか。
 これは、日本贔屓すぎるでしょうか。

・冬仕様・
今年の北海道は、秋が短いようです。
里から見える山の冠雪も早いようです。
急激に寒くなり、紅葉から落葉へ
一気に進んでいるようです。
朝晩、ストーブがかかせなくなりました。
幸いも、里にはまだ雪は降っていません。
いつ降ってもおかしくない気候です。
コートも冬用、毛糸の防寒具も
身につけるようになりました。
すべてが冬仕様になっています。

・三ノ宮・
先日の帰省で神戸に一泊しました。
宿泊は三ノ宮でホテルをとりました。
神戸には、JR西日本の神戸駅や
新幹線の新神戸などがありますが、
三ノ宮が神戸市の中心地となり、
JR・阪急・阪神・地下鉄の駅があります。
以前にも神戸空港は使ったことがあるのですが
神戸に滞在するのは、はじめてでした。
三ノ宮の周りには異人館街があったり、
南京町とよばれる中華街、
港のメリケンパークなどがあります。
ただし、今回は異人館街だけを歩きました。
坂道なかりのところを歩くので、少々疲れましたが、
久しぶりに都会を散策を楽しみました。

2025年10月1日水曜日

285 コペルニクス的転回:意図したアブダクション

 現在の科学は仮説演繹法でなされていますが、意識的にすることを、カントは「コペルニクス的転回」と呼びました。最近、アブダクションという方法を導入して研究していますが、これもコペルニクス的転回になりそうです。


 現在進行中の論文で、科学や哲学の歴史を概観しています。科学は好奇心に基づいて進められているのですが、人の営みでもあるので、宗教や政治などの権力と大きく関わっていたことがよくわかります。
 ある時代に科学に携わっていた人たちは、その時代に翻弄されたり、迎合したり、回避したり、人それぞれのやり方で対処してきました。現在でも、科学者は、基本的に自身の好奇心に基づいて研究をしています。しかし、研究費の削減、過度の業績評価、研究以外の業務の増加など、現代という時代の影響を受けています。純粋な好奇心だけで進むことはできません。もちろん、科学だけでなく、すべての人の営みは、時代や世相の影響を受けているのでしょうが。
 人類の歴史において、科学的な考え方などないところから、科学は発展がしてきました。ここでは、17世紀から18世紀のかけて起こった科学革命という、現在の科学的考え方に至る歴史を概観していきます。当然、それはひとりの人によって達成されるわけではなく、多くの人の考え方、時に対立もしながら進められてきました。
 現在の科学の方法論は、帰納法と演繹法が基礎となり、それらを組み合わせた仮説演繹法が進められています。そこには、論理的欠点もあることもわかっているのですが、仮説演繹法が用いられています。そのあたりを詳しく見ていきましょう。
 帰納法とは、実験したり、観察したりして、具体的な事実を収集して、それらの事実をすべて満たした一般則を導いていきます。これら実験や観察など実施された事実が経験を通じて獲得されていきます。経験を重視しているので、経験論とも呼ばれています。フランシス・ベーコンを祖として、ジョン・ロックやジョージ・バークリー、デイヴィッド・ヒュームなど、イギリスの哲学者が中心になっていました。
 演繹法は、まず普遍的な原理があると考えます。普遍的な原理とは、フランスのルネ・デカルト「我思う、ゆえに我在り」という言葉で象徴されるように、私たちには、理性が平等に生得的に備わっているので、理性的に考えることから普遍的原理がえられると考えています。普遍的原理に基づけば、個別の結論も導き出されていきます。フランスのデカルトから、ドイツのゴットフリート・ライプニッツ、オランダのバールーフ・スピノザなど、大陸で発展していったので、大陸合理論とも呼ばれれます。
 両者は、経験論と合理論として、認識論の上で異なった思想体系となっていました。それを、イマヌエル・カントは統合していきました。これを天動説から地動説への見方を変えたニコラウス・コペルニクスにちなんで、「コペルニクス的転回」と呼びました。
 従来の経験論(知識)や合理論(理性)のいずれも、対象(客観)が人間(主観)に従うことで成り立っています。カントは、「内容なき思考は空虚であり、概念なき直観は盲目である」といい、両者を分けることはできないと考えました。いずれも認識の主体が人間となり、感覚的な経験なしには考えることができないし、逆に理性的な概念なしには経験を理解することができません。経験論の経験も重要で、合理論の理性も不可欠となります。
 認識は、感覚的な経験をもとに、それを理性的に構造化するという相互作用によって成立すると考えました。経験に根ざしながらも、普遍的で必然的な知識となるためには、人間(主観)が知識や理性などを対象(客観)にして従わせることが必要だと主張しました。これは、帰納法で抽出した法則(仮説)を、演繹して真偽を検証する仮説演繹法ともみなせます。
 帰納法と演繹法には、問題があることは知られています。
 帰納法では、事実から法則を導きます。その法則は、これまで知られていなかったもので、新規性、独創性が生まれてきます。一方、演繹法では、事前に存在している法則にもどついて、未知の事象の結果を推測していきます。その事象が法則が成立するための条件を満たしていれば真、満たさければ偽となるはずです。そんな真偽の結果を予測することができます。
 見方をかえると、欠点も見えてきます。
 帰納法だけでは、えられた事実は満たす法則です。ところが、未知の事実については、検証されていないので、法則が適用できるという普遍性はありません。法則の真偽が確定ができません。演繹法では、いくらでも検証ができ、既存の法則の信頼性の確認はできるのですが、法則が存在を前提にしているので、新規の法則を見出すことはできません。
 これらの両者の利点を活かし、弱点を補ったのが、仮説演繹法となります。帰納法のえられた法則を仮説として、演繹法で検証していくという方法になります。仮説演繹法では、法則の適用範囲をチェックすることができます。
 ただし、帰納法の法則の普遍性を示せないという弱点はつきまといます。そのため、帰納法や仮説演繹法でえられる法則は、仮説に過ぎません。仮説をつくるだけなら、必ずしも多数の事実をもとにした帰納法の頼る必要はありません。たくさんの事実を集めなくても、いくつかの事実だけを満たす仮説、あるいは事実がなくても思いつきを仮説としてスタートしてもいいのです。いかなる仮説であっても、「作業仮説」として、あとは検証のための演繹法に入ればいいのです。そして、検証作業を進めながら作業仮説を修正していくというサイクルを繰り返せばいいのです。
 このような帰納法によらない作業仮説のたてる方法を、チャールズ・サンダース・パースは「アブダクション」と呼びました。アブダクションは、アリストテレスの論理学の中でも述べられており、中世スコラ哲学でも「帰納と演繹の間にある推論」として、その存在は知られていました。
 アブダクションの導入も、一種の「コペルニクス的転回」といえるのではないでしょうか。実は、アブダクションは、多くの人、もちろん科学者も含めて、「おもいつき」や「作業仮説」として無意識に用いているものです。多くの人は、なんらかの事象が起こったら、特にいつもと違ったこと、はじめのことがあったら、もっともらしい説明をしていこうとします。そこには根拠も検証もないので、アブダクションとなります。
 科学では、アブダクションでえられた作業仮説から、検証を進めていきます。もし仮説に合わない検証結果が出てくれば、よりよい仮説に修正していけばいいのです。帰納法だと、多くの事実の縛りがあるので、仮説の修正は大変ですが、アブダクションでは事実の縛りがゆるいので、仮説の修正の容易にできます。
 そのようにアブダクションを軽快に使っていくことも、「コペルニクス的転回」ではないでしょうか。

・秋きたる・
9月中旬から、一気に秋めいてきました。
黒岳の初雪のニュースもすでに届きました。
これが例年の北海道の秋です。
9月下旬には、秋物のコートにして、
ストールを使いはじめました。
冷え込んだ朝には、もう必要になりました。
薄手の手袋も出したのですが、
まだ使うことはありません。
これから紅葉が一気に進んでいきそうです。

・リセット・
毎日、研究に集中しています。
主には論文を書くことに時間を費やしています。
データ集めや思索を、心ゆくまでできます。
在職中も、校務以外の時間を
すべてを研究に使っていたのですが、
退職して校務が激減したため、
論文執筆にほぼすべての時間が使えます。
しかし、問題があります。
集中力が続かないのです。
午前中で集中が切れてしまいます。
校務や講義があるときは、
その時間には、集中が分断します。
研究に戻った時、集中力のリセットができました。
そんなリセットのチャンスがなくなったのが悩みです。
まあ、贅沢な悩みでしょう。
このエッセイを書くものリセットになります。

2025年9月1日月曜日

284 初心の味わい:時間の流れの中で

 最近、地質学をはじめた頃を思い出しています。必要があって、新たな研究領域の文献を調べています。初心者になった気持ちで、文献を読んでいます。時間の流れの中で、知らない領域での「初心」を味わっています。


 2025年3月末で退職してから、5ヶ月が過ぎました。校務がなくなり、講義ノルマもほとんどなくなり、精神的に楽になりました。春からは、別のキャンパスでの講義という新たな体験もしましたが、それも無事終わりました。全く新しい生活パターンとして過ごしてきましたが、なんとか対応してきました。9月下旬から、現在いるキャンパスでの、一日で2つの講義をします。前期よりも、少々多くなりますが、慣れていくしかありません。
 人生にはさまざまな時間の区切りが設けれられています。それらは、時間軸の上につけられた区切りなので、必ず訪れ、必ず過ぎ去ります。最近もいろいろな区切りが通り過ぎていきました。例えば、8月が終わったので、退職最初の1年の3分の2が過ぎました。2025年なっているので21世紀の四半世紀が過ぎたことになります。
 自身にとって、人生の大半が過ぎ去りました。残された時間が不明なので、どこで終わってもいいように、やりたいことを優先順にこなしていこうと考えています。去りゆく時間を振り返ることも時には重要ですが、未来を見据えて淡々と過ごしていこうと考えています。
 退職したので校務はなくなったので、研究に主力をおいて興味のままに継続していこうと考えていました。体力維持に心がけながら、環境も整えてきたのですが、そんな矢先です。最近、一気に体調不調に陥りました。退職の1年ほど前から、体のあちこちに変調をきたし、治療を受け続けています。現在も不調が継続しています。
 集中力を維持するのがなかなか難しいのですが、ただ幸いなことに、好奇心は継続しています。4月以降、人生における時間的縛り、あるいは大きな区切りはなくなったので、日々、ワクワクしながら研究に臨んでいます。とりあえず、体と相談しながら、無理をしないで、現在の研究テーマの区切りまで進めて完結できればと考えいています。
 ただ、初心不可忘(初心忘るべからず)と思って日々励んでいます。そもそも「初心忘るべからず」とは、世阿弥の「花鏡」の中にある言葉です。物事をはじめた頃は、謙虚で真剣な気持ちでだったはずです。それを忘れていけないという教訓です。
 現在、初心状態になっています。なぜなら、退職後、初心になるような研究テーマに移行したためです。教員時代は、科学、教育、哲学という研究体系を目指して、科学それも地質学を中心に研究を進めてきました。退職後は、より学際的で哲学寄りのテーマに分け入っています。それは、退職前から考えていた構想に沿っています。
 ただし、教育実践は非常勤講師として前期1つ後期2つの講義をしていますが、主にはメールマガジンを使った配信による科学教育の実践だけにしました。3つあったものを2つにしました。教育実践にための大学の専用サーバも閉鎖しました。小さなレンタルサーバをもっていますが、個人用なので教育実践には用いていません。
 地質哲学を中心に、ここ数年は研究を深めていこうと考えています。現在、探求しているのは、地質学に端を発した疑問が、地質学では対処できず、宗教的な手法(密教の考え方や方法論)ならば、解決可能かもしれないと思いつきました。そんな手法を地質哲学に導入し、開拓していこうと考えています。
 現在、広く宗教全般における密教の位置づけをまとめていこうと考えました。広く宗教を考えると、西洋における宗教全般の変遷史を考えなければならず、それは世界史に直結します。また、密教には東洋史、日本史も深く関わってきます。さらにそんな宗教と科学の関係を整理して置かなければならないと考えています。現在の科学は西洋に端を発していますので、科学と宗教の関係、あるいは地質学と宗教との関係もどのように扱われてきたのかなども整理していくことになります。さらに哲学と宗教の関係・・・と、テーマが連鎖的に広がっています。
 おかげで当初1編の論文として書く予定の内容が、あれこれ調べていくと、それぞれに興味が湧いてきて、現在、数編(少なくとも4編)に膨らんでいきそうです。どこまで調べて、どのようにまとめていけるかは、まだわかりませんが、興味が継続していく限り、進めていこうと考えています。
 退職前後は、南方熊楠による密教の方法論を適用していこうという方針は考えていたのですが、冥王代にどのよう展開していくのかが、今後の課題となっています。その方針や方法論の全貌については、まだまだ未定です。まとまってきたら、このエッセイでも紹介していきたいと考えています。
 非常に広い学際的なテーマになってきていますので、知らないこと、わからないことだらけです。新たな文献を、次々と調べては読んでは知識をえて、見識が広まっていくことが楽しく、ワクワクしています。ただし、集中力は衰えてきているようですので、現在の自分に合ったスピードで進めていくしかありません。
 そんなときこそ、初心不可忘です。現在の興味の中心は、冥王代という地球最初の年代で、証拠のない時代へのどのような地質学的アプローチができるかということです。証拠のないため、科学的に不可知の領域へ、どのように科学的方法論を導入していくのか。検証不能の命題です。
 しかし、そんな不可知を探求する方法論を、仏教や密教では確立されています。その方法論を地質学に転用し、展開できれば、これまでになかった地質哲学の開拓になっていくのではと考えています。
 専門である地質学でのテーマを極めるために、新たな研究領域を学んでいます。そこでは、以前からはじめていた科学哲学だけでなく、歴史学や宗教学など、新たな分野へ興味が展開しています。しかし、地質学の初心を忘れることなく、進めていこうと思います。

・腰痛がまた発症・
先日、大学が全館計画停電だったので
この機会に、自宅で、いろいろ工作や
大工仕事をしていたら、
また腰痛がでてきました。
自宅で、体を使う作業をすると
よく腰痛を発症します。
今回は、痛みはあるのですが、
ひどくはなっていないので
無理せずに様子をみていくしかありません。

・例年の夏・
今年の北海道の夏は、
暑かった日はありましたが、
特別に暑くは感じませんでした。
例年のような夏と思いました。
本州では猛暑が続いたようですが、
北海道、あるいは私の体感かもしれませんが
エアコンを使った回数は
それほど多くはありませんでした。
また、寝室で扇風機をつける回数も
それほどではありませんでした。
例年の夏に思えました。

2025年8月1日金曜日

283 未来のために種を蒔く

 ベーコンは壮大なる学問の体系を考えましたが、死によって道半ばで終わってしまいました。自身が達成できなくても、未来の人が、その体系を育ててくれることに期待していました。


 ルネサンスから科学革命へと16世紀末から17世紀にかけて、新しい科学的方法論が生まれてきました。その代表となるのがイギリスのベーコンに端を発する経験論と、フランスのデカルトからの合理主義です。
 ベーコンは帰納法を、デカルトは演繹法を提唱し、これらは現在の科学では不可欠な方法論となっています。デカルトの演繹法は「方法序説」の中でまとめられ、それは有名な書となっており、このエッセイでも何度か取り上げました。
 一方、ベーコンの帰納法は、「学問の大革新(Instauratio Magna)」という著書でまとめられているのですが、あまり有名ではないようです。その理由は、未完であったためではないでしょうか。
 ベーコンの「学問の大革新」の構想は、非常に壮大なものでした。「学問の大革新」は、全体で6部からなるものでした。第1部は学問の区分、第2部は新機関、第3部は自然と実験の歴史、第4部は知性の階段、第5部は先駆あるいは予兆、第6部は第二哲学あるいは能動的科学、という構成になっていました。以下で概要を見ていきましょう。
 第1部は「学問の区分」として、既存の学問を批判的に検討し、人間の知的能力(記憶・想像・理性)に基づいて、学問全体を歴史・詩・哲学に分類し、それぞれの分野の現状と欠陥を分析していきました。知識の空白地帯を、探求すべき分野として、今後の学問の再構築の方針を示しました。この内容は「学問の進歩」として1605年に刊行されました。
 第2部は、「新機関、あるいは自然の解釈に関する指針(Novum Organum sive Indicia Vera de Interpretatione Naturae)」として有名な著書です。その内容も重要で、従来のアリストテレスの知識獲得の方法(オルガノンなど)に代わって、帰納法を提案しています。イドラ(偏見や先入観)を排除するために、経験に基づく観察と実験を重要視して、帰納法にて客観的な真理に到達することを論じています。この「新機関」は非常に有名です。この著書は1620年に発行され、前著から15年の歳月をかけて執筆されています。力の入れようが伺わられます。
 第3部は「自然と実験の歴史」といわれますが、「宇宙の現象、自然誌と実験誌(Phenomena of the Universe / Natural and Experimental History)」ともいわれています。Historyという単語を用いていますが、その意味は「歴史」とも「誌」(記録という意味)と両方に使われています。ベーコンは、自然界のあらゆる事実や現象、実験の結果を網羅的に収集し、整理していこうとしました。帰納的推論の基礎となる、体系的なデータ収集の重要性を示しました。
 その構想の一部は、「シルヴァ・シルヴァルム、あるいは自然誌の十世紀(Sylva Sylvarum, or A Natural History in Ten Centuries)」としてベーコンの死の翌年1627年に出版されました。タイトルのSylvaはラテン語で「森」や「森林」と意味し、資料の比喩とも捉えられます。Sylvarumは属格複数形で、「森の」という意味をもっています。ですから、「資料集の中の資料集」や「素材の集積」となります。それを10世紀(1000年分)の期間にわたって試みました。動植物、鉱物、気象現象、物理現象など、多岐にわたる事実が詳細に記録されています。データ収集の重要性を実践した著書となります。
 以降は未完ですが、その構想があります。第4部は「知性の階段」で、理論と実践を示そうとするものでした。実際に帰納法を用いて理論を見出し、理論の具体的な実践例を示そうと考えていました。
 第5部は「先駆あるいは予兆」で、ここでは帰納しても不完全な状態であったとき、どう研究を進めるかを「予備的な結論」(一種の作業仮説の提示)として示す予定でした。
 第6部は「第二哲学あるいは能動的科学」で、究極の目標となる実践的な応用科学の完成を示そうとしました。「第一の哲学」とは、従来の哲学(特にアリストテレスやスコラ哲学など)は、抽象的な議論や観念的な思弁になっており、現実に利益をもたらしていない、不毛だと見なしました。ベーコンの目指す「第二哲学」は、獲得された知識を人類のために応用するためのものでした。そこから彼の有名な言葉「知識は力なり(Knowledge is Power)」が生まれてきます。
 ここまで見てきたように、「学問の大革新」は壮大な構想の体系でした。完成できなかったのが残念です。その理由のひとつは、ベーコンは1617年に国璽尚書、1618年からは大法官という高位の役職に就いて、非常に多忙な時期がありました。1621年に失脚して以降は著作活動に入りました。1626年に死亡したのですが、その時までに第3部の一部までが書かれており、そこまでが出版されました。
 構想はあまりに壮大で、ベーコン自身も一人では完成できるとは思っていなかったようです。「新機関」の「諸学の大革新の緒言」に、
「たとえ私がこの道を切り拓く努力が、私の生前に実を結ばず、世間に認められなくとも、私は満足である。なぜなら、私は未来(後世)のために種を蒔いているのであり、やがて来るべき時が、これらの種を育てるであろうことを知っているからだ。」
と述べています。自身で完成できなとくとも、その意図や価値をわかっていれば、未来の世代が発展させてくれることを期待していたのです。ベーコンの死後、400年がたちました。私たちは、ベーコンが期待した種を育てているのでしょうか。

・長男帰省・
8月は特別なことはないのですが、
淡々といつものルーティンをこなしていきます。
長男がお盆に帰省します。
家に帰ることもさることながら
サマーフェスティバルにいくことが
重要な目的のようです。
昨年も、暑い中、
一人で2日間、見学にいっていました。
長男の帰省期間中に、
おいしい食事や温泉でもでかけましょうか。

・猛暑への対処・
北海道は、今年も暑い日が続きました。
エアコンを一昨年から設置したのですが、
我が家は大きなストーブで
家全体を温める方式なので、
建物全体が仕切りが少ない状態になっており
エアコンには不向きな作りになっています。
一番長く滞在するLDKにエアコンをつけました。
夜寝る部屋にはエアコンがなく
窓を開け、扇風機をつけることで
対応していくしかありません。
今のところそれでなんと対処しています。

2025年7月1日火曜日

282 不可知の探求と密教の悟り

 人の信念や宗教的悟りのようなものは、なかなか言語化できないものです。それぞれの人の信念や悟りが、同じかどうかを比べることができません。密教では、悟りの探求が、古くからなされてきました。


 現在、科学と宗教に関する論文の草稿を執筆しています。そこでは、両者の関係の歴史的変遷と現在の課題をまとめていこうとしています。日本(人)の宗教への寛容さと、多様な文化の受容性、その上での融合力が、対立を回避してきたのではないかと考えています。そんな日本的な宗教観から、不可知のものへの対処が見いだせるのではないかと考えています。
 まだ、執筆途中なので、今後、内容や結論は変化していくと思います。日本では、特異な宗教的背景や風土があり、大きな対立もなく、多くの宗教を受容してきことは確かです。
 前回のエッセイで書いたように、「冥王代前期」という科学的検証が困難な「不可知」の時代への方法論を模索していました。この論文では、「不可知」の探求が興味の中心となっているのですが、言語化できない真理(悟り)の探求に似ているのではないかと考えています。悟りにたどり着くためのアプローチとして、仏教の密教の思索の方法論が使えるのではないかと考えました。そんな経緯で、現在論文を書いています。
 今回のエッセイでは、宗教的「悟り」への興味を、若い時を振り返りながら紹介していこうと考えています。
 実家の宗教は、仏教(浄土真宗)の仏壇(金ピカ)があり、過去帳も置いてありました。そして、仏壇の中には、故人の位牌が多数ありました。また、別の部屋には神道の神棚もありました。母は、生前、毎日どちらにも水を変え、ご飯を供えて祀っていました。祖父が健在の時には、神道の儀式らしき、正月の飾りをしていました。いくつかの宗教行事が混在していることが、当たり前として立ち会っていた。
 調べると、浄土真宗では、金ピカの仏壇で過去帳をつけるようです。ですが、位牌は真言宗のものらしいです。その仏壇の前で、浄土真宗の僧侶は、檀家の我が家の仏壇でお教を上げて、法名も付けてくれていました。このような折衷が当たり前に存在するようです。
 高校生時代、禅宗への興味がありました。自力での「悟り」に憧れがありました。現在では、言語化できな真理への到達方法ということができるでしょう。悟りに至るための手段として、ヨガや坐禅を書籍を通じて、見様見真似で、自己流でやっていました。ヨガは健康のためでもありましたが、坐禅は精神統一やリフレッシュのためもあり、毎日続けていました。
 坐禅から、禅宗の悟りへの興味もでてきました。禅宗の曹洞宗では、悟りへの方法論として坐禅をしていたからです。その関連で、般若心経や鈴木大拙の著書などを読んでいました。禅宗には悟りへの方法として問答を中心とする臨済宗もあるのですが、一人で取り組むには、曹洞宗の坐禅による方法がよさそうに思えました。
 現在は、科学的探求の限界への対処として、密教の方法論がいいのではないかと考えています。これは、若い時の興味の持ち方とは、まったく別のアプローチからの発想でした。
 仏教には、上座部仏教と大乗仏教との2つがあり、上座部仏教が出家や苦行した者だけが救われ、大乗仏教は誰でも救われると説きます。大乗仏教には、顕教(けんぎょう)と密教があり、顕教は仏の教えを現世の言葉で顕せるとし、三密(身密・口密・意密)を通じで本人自身が悟っていこうとするのが密教です。
 地質学の研究の延長線で、前述の「検証不能」の「不可知」の時代への方法論と、言語化できない真理探求の方法論には、共通するものがあるように見えます。密教には、「縁起の法」などは、重要な考え方として、「検証不能」の「不可知」への手段として使えるのではないかと考えました。
 そもそも私は、自身の考えを言語化するのが苦手でした。口頭よりは文章のほうが、時間をかけてまとめられるので、まだ自分の考えに近いものになっていると思えます。知識や論理的内容であれば、客観性があるので、それなりに伝えたいことが表現できると思えます。
 ところが、主観的な内容については、言語として表現することが、今でも困難に感じていました。これは、当たり前なのかもしれません。なぜなら、言語化できない考え、感じ方があるはずです。それを言語化しても、完全に表現できてないように思えることも多々あります。
 それは、密教における悟りが言語化できないもので、それぞれの悟りが、同じかどうかもチックできません。言語化しても、本当の悟りとは、異なった表現になっているかもしれないからです。このエッセイも、本当に考えていることがうまく表現できていないなと思いを感じながら、書いています。

・自由な外出の幸せ・
さてさて、7月になりました。
今年も半分過ぎたことになります。
退職して3ヶ月が過ぎました。
前期は週1回の講義となり、
それ以外の6日間は、
研究室で、自分の好きな研究ができます。
時間に縛られることなく、
午前中に集中して、午後には読書
というパターンを作りつつあります。
何より、平日に旅行や街に
出かけられることがいいです。
夫婦で平日に街の施設や公園に
出かけられることに、幸せを感じています。

・のんびりとした旅・
これまで、自分の研究である地質を中心した
野外調査で各地に出かけていました。
春からは、妻も一緒に出かけることになったので
妻がいきたいところを
観光旅行として回っています。
4月は恒例となっている
横浜への帰省にいきました。
義母の墓まりと義父への面会、
ついでに次男とも会食しました。
5月末には沖縄へ、
6月末には羅臼へいきました。
9月には、道央にいきます。
いずれも、あちこち貪欲に回るのではなく、
のんびりと、ゆったりとまわることにしています。
そんなのんびりとした夫婦の旅もいいものです。

2025年6月1日日曜日

281 縁起の法:言語化できない真理

 地球誕生直後の冥王代のはじめには、さまざまな現象が起こったはずです。しかし、その実体は不明です。なぜなら、通常の科学的方法での検証が困難だからです。そんな時代を、どのように探っていけばいいのでしょうか。


 最近、仏教の密教について調べています。それには、二つの理由があります。
 一つ目は、検証不能な時代へのアプローチをするとき、未知、あるいは不可知のものへのアプローチとして、西洋の科学的手法が限界になっているように思えたからです。
 最近の研究テーマは、冥王代(45.6億から40億年前)の様子を探ることです。43億年前以降の冥王代後期から太古代のはじまり(40億年前)まで、岩石は見つかっていないのですが、太古代の地層に中の砂粒となった鉱物(砕屑性ジルコン)が、世界各地から見つかっています。ですから、冥王代後期は、かろうじて、検証の可能がある時代となっています。
 科学は、仮説を立てて、それを検証していく作業となります。その検証には証拠が不可欠になっています。しかし、43億年前より以前の冥王代前期は、地球上では証拠がえられない時代となっています。
 一般に自然現象には、何らかの原因が生じれば、それに対応した結果が生じると考えます。その因果関係を解き明かしていくことが、科学の重要な目的となっています。科学は、その因果関係の存在を前提として進められています。
 ところが、冥王代前期は証拠がないので、そのような科学的手法が使えない時代となります。そんな時代へのアプローチとして、かすかな手がかりや、他の情報からの外挿や類似、対比などから推定していくために、宗教的な方法論が使えないかと考えています。
 二つ目の理由は、これまでの科学では、検証過程や論理過程、あるいは因果関係、結果を、すべて言語化して示してきました。言語化できない内容は、科学にはなりえません。言語化できない真理もあるのではないかと考えたからです。
 人の知的営みとして、思考の過程には、ひらめき、思いつきなど、言語化できない過程を経ている部分あります。言語化しているのは、最終段階のアウトプットにすぎません。思考の言語化できない過程は、科学の成果や結果には示されることはありません。
 新しい思いつき、突飛な考えが、重要な方向性を示したり、無関係に見るものが連関したりすることで、課題解決の糸口になることがあります。しかし、そのような言語化できな過程は、科学者の訓練過程(大学院の学び)にも組み込まれていませんし、科学の結果としては示されていきません。そんな言語化できない過程を、研究者は経験することで、存在することを認識していきますが、いつ起こるかは不明なので手法にすることは困難です。
 そんな言語化できない思索の方法論については、仏教で追求している「悟り」にヒントがあるのではないかと考えています。一部の宗教では、いくつもの儀式を「悟り」を開く過程として用意しています。言語化できない「悟り」への過程は重要で、そこには考えるための技術や考え方などの方法論が参考になると考えています。もちろん科学の過程においては、そのようは儀式にはこだわりませんが。
 仏教の基礎に、発想へのヒントを探っていきましょう。
 仏教用語に「縁起(えんぎ)」という言葉があります。これは、「因縁」により事が起こることを意味し、仏教の基本的な考え方です。「因縁」の「因」とは直接の原因のことで、「縁」は間接の原因のことです。それらの「因縁」により、何かが生じることをいっています。
 「大蔵経中部経典」に、次のように書かれています。
  これあるとき、かれあり
  これの生じることによって、かれが生じる。
  これなきとき、かれなく、
  これの減することによって、かれが減する。
この短い文章は、「縁起の法」と呼ばれ、重要で深い意味があるとされています。その意味を考えていきましょう。
 「これあるとき、かれあり」とは、「これが存在するとき、かれが存在する」ということです。「これ」が存在するためには、関連する「かれ」(別の原因や条件)が存在している必要がある。全てのものは、単独で存在するのではなく、互いに関わり合い、支え合っているという「相互依存」を示しています。
 「これの生じることによって、かれが生じる」は「これが生じることによって、かれが生じる」ということです。「これ」(あること)が生じることによって、それと関連する「かれ」(別の結果や現象)が生じるということです。全ての現象には原因があり、原因が変化すれば結果も変化するという「因果の連鎖」を意味しています。
 「これなきとき、かれなく これの減することによって、かれが減する」は、「これが存在しないとき、かれも存在しない これが減することによって、かれも減する」ということになります。「これ」の原因や条件がなくなったり、弱まったりすれば、それによって生じていた「かれ」の結果や現象もまた消滅したり、弱まったりすることを示しています。永遠に変わらないもの、つまり「不変」のものはなく、全てのものは常に変化し続けているという「無常」を意味しています。
 すべては相互に依存し合って存在し、あるいは生まれ、あるいは滅びる、という関係があるということです。この言葉の中には、相互依存、因果、そして無常(不変はない)という仏教の重要な思想が凝縮されていることになります。この「縁起の法」がブッダの悟りの基本となっています。
 すべての存在は、移り変わり、常住不変のものはないことを、「諸行無常」といいます。すべては相依相関において存在し、固定的で永遠不変の実体(我)が存在しないことを、「諸法無我」といいます。この諸行無常と諸法無我が、ブッダの悟った真理だといいます。
 これらは、「普遍則」を目指す現在の科学とは、まったく異なった前提に立っています。
 ブッダの悟りには、他にも「一切皆苦」と「涅槃寂静」があります。一切皆苦とは、永遠の存在を求めて不変を願えば、不変など存在しないものを求めることになるので、それはすべてが苦しみとなります。えられるはずもない「不変」を求めるなということです。涅槃寂静とは、正しい智慧によって苦の原因を知り、煩悩の脱して悟りの境地(涅槃)に達する、という意味です。縁起をわきまえ、不変を求めず、ということです。
 冥王代前期へのアプローチの方法論を見つけるのには、まだまだ時間がかりそうです。涅槃に達するのは、なかなか難しそうです。しかし、不変を求めず、冥王代の縁起を少しでも理解していきたいと考えています。

・長期旅行・
このメールマガジンは予約配信しています。
久しぶりの5泊6日の長期旅行で
沖縄にでかけています。
家族連れで、2004年と2007年に訪れて以来、
久しぶりの沖縄滞在となります。
だいぶ、様変わりしていると思いますが、
都会から離れて、自然の中で、
のんびりとした滞在を
楽しんできたいと思います。

・退職祝い・
自身の退職祝いのつもりで
早くから沖縄への旅行の予定を立てていました。
4月下旬に、突然、眼の調子が悪くなりました。
以前にも2度ほど発症しており
その時は1年近く治療を続けていました。
そのため、一旦は旅行を諦めかけました。
幸い、少しずつ回復してきているので
様子を見ながらですが、
無理せずに、でかけることにしました。
久しぶりの沖縄ですので
のんびりと楽しめればと思っています。