2007年12月1日土曜日

71 テセウスの船:同時性と同一性(2007.12.01)

 地質学では同時性と同一性が、悩ましい問題となることがあります。そのような問題を表す言葉として同時異相というものがあります。今回は、同時異相について考えていきます。

 皆さんは、テセウスの船というものを御存知でしょうか。
 テセウスの船は、1世紀から2世紀にかけて活躍したギリシアの著述家プルタルコスが著したギリシアの伝説の中に、登場する話です。
 テセウスは、クレタ島にいたミノタウルスを倒し、アリアドネの糸を頼って迷宮から抜け出しました。そして、助けた若者と共に、船でアテネに引き上げてきました。そのときテセウスらが乗ってきた船が、後の時代まで残されていました。時がたつと共に、船をつくっていた木材が腐ってきたので、新しい木に置き換えられながら、船は保存されていました。このテセウスの船の木材が、順次新しいものに入れ替えられていって、もしすべて新しい木材で置き換えられたら、果たしてこの船は、テセウスの船と呼べるのでしょうか。
 プルタルコスは、全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものといえるのかという疑問を投げかけています。このテセウスの船は、同一性を考えるための一種のパラドクスとして知られるものです。
 地質学では、自分が調査している地域内に見つかった同じような地層があったとき、それが同一で連続した地層であることを示さなければならないことがあります。地層の同一性を示すには、いろいろな方法があります。
 例えば、地層を構成する岩石が同じであること、地層から産する化石が同じ種類のものであること、地層の時代が同じであること、上か下の地層で特徴あるものを見つけてそれを鍵にして対比することなど、いろいろな同一性の手がかりから証明していきます。
 しかし、これらの証明法は、間接的で傍証というべきものです。論理的には、同一であることを直接示しているわけではありません。一番確実な証明方法は、一つの地層を、比べたい地点まで、追跡していくことです。一つの地層が見える限り追跡しています。もし露頭が地下で見えなくても、現在の技術をもってすれば、ボーリングなどをすれば、見ることができます。もし断層などがなくて、大地が連続しているならば、地層を追いかけていけば、最終的に目的の地点まで地層が連続しているかどうか確認できるはずです。
 まあ、現実的あるいは技術的にはそのような追跡は困難ですから、両地点の間に露頭をできる限り見つけて、そこで連続性を追いかけることになります。追跡のときに手がかりになるのが、化石や特徴を持った地層です。このような特徴的な地層を、鍵層(key bed)と呼びます。
 鍵層にはいろいろなものが使われますが、一番有効なものとして、特徴的な火山灰層があります。特徴的な火山灰層とは、ある火山のある時代の噴火によって放出されたものという意味です。火山灰の堆積は、地質学的には同時とみなせる現象です。ですから、火山灰の鍵層は、同一時間面つまり同時性を示すものなのです。
 もし、2つの火山灰層に挟まれた地層があるなら、2つの火山活動の間に溜まったものですが、厳密には同時とはいえませんが、かなり限定された期間に溜まった地層とみなせます。ですから、同一性を証明するために、鍵層は非常に重要な手がかりとなります。
 2枚の鍵層があり、その2つの間の地層を比べたとします。地層には特徴的な化石も含まれているとしましょう。ただし、比べたい両地点の間の関係は、不明です。
 さて、2つの地点で地層を比べたところ、2つの鍵層が両地点から見つかりました。しかも、間の地層からも同じ化石も見つかりました。しかし、自然現象では、時々不思議なことが起こります。比べたい地層がみるからに違うものだったのです。さて、この地層は同一といえるのでしょうか。
 地質学的には、同一としていいような証拠があり、しかし同じとするには、地層の内容が違いするぎるという場合です。実は、このようなことは、距離が離れた地層の対比をする場合には、よくあることなのです。
 これは、テセウスの船のパラドクスと似ていると思いませんか。このパラドクスを解くには、地層のでき方を理解していく必要があります。
 一般に一つの地層は、土砂が海底に流れ込んでできます。土砂が流れ込むと、傾斜のゆるい海底では土石の流れは弱まり、やがては流れがとまり、一枚の地層ができます。地層の形成は、短時間に限られた範囲で堆積します。似たように時期に、別の川で発生した土石流が、同じ堆積場に流れ込んだ場合、上の例のような地層の関係ができます。これは、地質学においては、それほど特別な現象ではありません。なぜなら、堆積場がそのような環境であることが多いからです。
 一つの地層に注目すれば、周辺では薄くなってやがては消えていきます。逆に他方の地層が、だんだん厚さを増していくことがあります。このように地層がだんだん薄くなってやがてなくることを尖滅(せんめつ)と呼んでいます。時には、2つの地層が指を組ませたような入り組んだ関係(指交関係)になっていることもがあります。同時代に近くで溜まった地層で、両者の性質が違うものは同時性を持っていますが、同一性を欠いています。このような地層の関係を地質学では「同時異相」と呼んでいます。
 地層とは、無限に続いていくものではなく、どこかでやがては消えていくものなのです。しかし、両者を橋渡しをするような鍵層や化石があれば、同時性を手がかりにして、対比することが可能となります。
 このような地層の同時性と同一性の検証の繰り返しによって、その地域のある時代の特徴を編むことができます。それらの時代ごとの特徴を積み重ねていけば、その地域の地質学的歴史、つまり「地史」が出来上がっていきます。
 テセウスの船は、同一性を考えるためのパロドクスでした。同一性は同一律や自同律、同一原理などと呼ばれ、論理学では正しい思考をするために従うべき基本的な法則の一つとされています。
 同一性とは、AとBがあったとき「A=B」のことですが、古くから哲学では、重要な問題とされています。
 ライプニッツの考えによれば、識別できない2つの個体は存在せず、それを同一とするというもので、「不可識別者同一の原理」と呼んでいます。この原理は、Aの持つ全ての性質をBが持ち、またBが持つ全ての性質をAが持つとき、「A=B」が成り立つというものです。同一性は、神と人間を区別したり、実体を判別したりするために、非常に重要な役割をもってきました。
 一見当たり前のようにみえる同一性も、厳密に考えていくと、いろいろややこしい問題を含んでいることがわかります。テセウスの船のパラドクスへの答えも、考え方によって違ってきます。
 アリストテレスのテセウスの船に対する考えを紹介しましょう。アリストテレスは、事象の原因を4つに分け(四原因説)て考えました。その原因に基づいて解釈すれば、このパラドクスは解ける考えました。
 テセウスの船が「何であるか」(形相因)を考えるのであれば、設計などの本質が変わっていないため、「同じ」とみなされます。「何のためものか」(目的因)という点で考えれば、テセウスが使った船という目的は変わっていないので、「同じ」とみなされます。「誰がどのように作ったか」(動力因)とみれば、最初に船を作った職人と同じ道具や技法を使って修理(部品の置換)をしたのだから、「同じ」と考えることができます。ただ、「何からできているか」(質料因)と考えれば、時と共に材質が変わっているので、全部置き換われば、もはや「同一」とはいえなくなります。
 これが、アリストテレスの答えです。
 地質学では、「何からできいるか」という質料因や「何であるか」という形相因を問うものなので、同時性が保障されたとしても、同一性の証拠になりません。
 「同じ」というのは、一見当たり前のことに思えますが、よくよく考えると、そこには複雑な問題があるのです。

・心の余裕が必要・
いよいよ師走になりました。
今年も残すところ、あと1年となりました。
北海道は例年になく寒い冬を迎えています。
今年は、暑い夏と寒い冬でした。
特に原油の値上げという
北海道にはなかなか厳しい冬になります。
それでもなんとか私たちは暮らしています。
現状を、悲観的に捕らえてしまうのは、
私たちが経済に影響を受けすぎているためではないでしょうか。
経済にだけ極度に敏感になりすぎているようです。
季節の変化や自然の変化に
もっと目を向ける必要があるのではないでしょうか。
自然に目を向ける心の余裕が必要ではないでしょうか。
師走の初めにそんなことを感じています。

・困難さ・
今回紹介したのは、地質学でも地層だけの話です。
上で述べたように、地層においても、
同時性や同一性を厳密に認定するのは
なかなか困難な検証を必要とします。
火山岩や変成岩では、同時性や同一性は
もっと複雑な様相を呈します。
火成岩の同一性とは何なのか。
変成岩の同時性とはどの現象を指すのか。
なかなか判断できない
一筋縄でいかない困難さがあります。
大地の生い立ちを探るのは、一苦労です。
ですから、それを解いた感激は
何物にも変えがたいものなのです。

2007年11月1日木曜日

70 バウハウスの原則:アンモナイトの渦巻き(2007.11.01)

 アンモナイトの渦巻きには不思議な美しさがあります。かたや人間の作り上げた極地として人工の機能美があります。そんな関係を探っていきましょう。

 だいぶ以前ですが、オーストラリアに行った時、田舎の小さな土産店でオームガイの貝殻を見つけました。私は、それまでオームガイを博物館や本でしか見たことがありませんでした。値段もそんなに高くなかったので、すぐさま「そのノーチラスを下さい」(オームガイは英語でノーチラスといいます)といって買いました。そのオームガイは、自宅の居間に飾ってあります。オームガイは、今ではそれほど珍しいものではないようです。
 オームガイは、南太平洋からオーストラリア近海の水深100m~600mに棲んでいます。その祖先は古生代のオルドビス紀に誕生しましたが、それ以降ほとんど形態的には進化していない、「生きた化石」と呼ばれています。
 オームガイは絶滅したアンモナイトと近縁だと考えられていましたが、最近では、少し違った考え方が出ているようです。アンモナイトは、オームガイよりも、現在のイカやタコに近いとされています。しかし、オームガイと似た生活をしていたと考えられています。
 アンモナイトは、古生代のデボン紀から中生代の白亜紀末まで生きていた海棲の生物です。殻をもつ頭足類ですが、絶滅種です。殻は、オームガイではあまり多様性を持たないのですが、アンモナイトは多様な進化をとげ、1mを越える直径を持つ大きなものも発見されています。こんな大きくて重い殻をもっていて、本当に泳ぐことができたのか心配になるほどです。
 そこには、自然の巧みな仕掛けがありました。普通の巻き貝では内部が一つにつながっているのですが、オームガイやアンモナイトでは多数の小部屋に分かれています。一番外の小部屋を住みかとしていて、奥の小部屋はカラになっていて、その空き部屋が浮力を生み出していたと考えられます。その浮力によって、海中を自由に動き回れたと考えられています。
 さて、オームガイやアンモナイトの貝が巻き方は、規則的で非常に「きれい」に見えます。「きれい」とは、人をひきつける何かがあるということです。その「きれいさ」を科学することはなかなか難しいのですが、オームガイやアンモナイトの貝が巻き方は解明されています。
 オームガイやアンモナイトは成長するとき、常に同じ形(相似形)を保ちながら成長しようとします。うずまき状の曲線として、ある規則性が発生します。その規則性は、対数らせん(螺旋)と呼ばれるものです。対数らせんは、どこで切ってもすべて相似な曲線となります。対数らせんは、黄金比の長方形に内接するものです。
 黄金比とは、最も均斉のとれた美しい長方形といわれるものが持っている比率です。その比率は、長方形の短い方を1とすると、(1+√5)/2(約1.618)という値になります。これはギリシア時代から知られている比率です。少々ややこしい値ですが、詳しく見ると不思議な規則性があります。
 黄金比を持つ長方形は、短い辺を一辺とする正方形を取り除くと、残った長方形もやはり黄金比を持つ、つまり相似の長方形が現われます。それを繰り返していき、正方形の対角線上に滑らかな曲線を引くと、そこに対数らせんが現われます。
 黄金比や対数らせんの「きれいさ」は、多くの芸術家や建築家が無意識に使っています。ギリシャのパルテノン神殿やミロのビーナスには、いたるところに、黄金比が用いられています。また、葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」にはらせんの構図が用いられています。
 対数らせんは、生物の成長と重要なかかわりがあります。例えば貝の殻や爪、髪、角、甲羅などは、少し伸びても全体としての形が変わらない様に、常に相似形を保ちながら伸びていきます。このような自然界の「きれいさ」の規則性を解き明かせたのは、まだホンの一部にすぎません。
 もっともっと深い何かが自然界のいたるところにあるはずです。そんな自然界の機能美を見る時、私は「バウハウスの原則」というものを思い浮かべてします。
 「バウハウスの原則」というのを御存知でしょうか。バウハウスとはドイツ語のBauhausのことで、Bauとは「建築」という意味で、hausは「家」のことで、「建築の家」という訳になります。
 何のことかわからないと思いますが、バウヒュッテ(Bauhutte)をもじった言葉です。バウヒュッテとは、「建築の小屋」の意味で、中世の建築職人組合のことでした。それをドイツの建築家のヴァルター・グロピウスがもじって、バウハウスというものを用いました。
 バウハウスとは、1919年にドイツのワイマールに設立された美術学校の名前です。この美術学校では、工芸・写真・デザインや建築に関する総合的な教育がされた学校でした。しかし、学校として教育が続けられたのは、1933年まででした。たった14年間しか開校していませんでした。閉校に追いやったのは当時ナチスでした。
 建築は、一般にアーキテクチャーという言葉が使われています。しかし、庶民的な言葉であるバウ(建築)という言葉を使ってるところに、深い意味があります。つまり、芸術あるいは建築は、特権的階級に対してではなく、全ての人に通じ、利用されるものだという意思表示なのでしょう。
 たった14年ですが、バウハウスは、モダニズム建築に大きな影響を与え、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともります。そのようなバウハウスの芸術精神が「バウハウスの原則」と呼ばれるものです。
 「バウハウスの原則」とは一言でいうと、「形は機能に従う」というものです。特権階級が好むような贅を尽くしたような装飾や虚飾を取り去り、機能や構造を追及すれば、そこには自ずから美が生まれるという精神です。
 これは、何も芸術の世界だけではないように思えます。先ほどのオームガイやアンモナイトなどの生物の形態などは、その好例ではないでしょうか。生物の形態には、無駄で意味のないものはなく、何らかの必然性に基づいて生まれているのです。
 先ほど挙げたアンモナイトの対数らせんや黄金比の規則性は、成長しても形が変わらないために生まれた必然でした。それが黄金比というものを利用しているために、「きれいな」渦巻きに見えたわけです。
 自然界には、人が見ても「きれい」と思えるものはいろいろあります。詳しく見ると二つとして同じものはないはずなのに、そこには隠された規則性、機能美があるのです。私たちは、自然界の造形美を科学で解き明かすには、まだまだ時間が必要なようです。「きれいさ」、美とは奥深いものですね。

・オームガイ・
オームガイは、今では南国の日本の土産物屋さんでも
見かけることがあります。
海外から輸入しているのでしょうけれど、
その美しさには、なかなか目が惹かれます。
装飾用に栄えように、磨いて銀色していることがあります。
あるいは半分に切断して、
隔壁をよく見えるようにしているものもあります。
オームガイは自然物ですから、
その美しさはバウハウスの原則に則っています。
しかし、それを見栄えをよくためだけに磨いたり切断するのは、
虚飾の一種ですから、明らかにバウハウスの原則に反します。
しかし、手は加えていますが、
自然の美を強調しているだけという見方もできます。
美とはなかなか奥が深いようです。

・知的パズル・
黄金比は、ギリシアの彫刻家ペイディアスが
初めて使ったといわれています。
黄金比をレオナルド・ダ・ヴィンチも
発見していた記録が残っているそうです。
「黄金比」は1835年にドイツの
数学者マルティン・オームの著書でだったそうです。
美しさを多くの人が古くから知っているのに、
その美しさが数学的に解明されるには、
長い時間が必要だったようです。
アンモナイトの規則性を見ると、
美という、数値では非常に示しにくいものが、
いったん数式として解明されると、
そこには単純で「きれいな」規則性があったということです。
「きれいさ」を追求したら、そこに数学的美しさがあった。
これは、非常に不思議な気がします。
その意外な「きれいさ」を知った時、
多くの人が自然の奥深さに感心するでしょう。
美の解明とは、自然が人類に与えれくれた、
非常に難しい知的パズルのような気がします。

2007年10月1日月曜日

69 価値ある研究者(2007.10.01)

 研究とは本来好奇心に基づくものです。しかし、捻じ曲げられてきているような気がします。独創性を巡る優先権の争いも、そんな表れでしょう。素直に好奇心に基づく研究など、現在では、もはや夢の話なのでしょうか。

 なぜ、研究者は、研究をするのでしょうか。それはもちろん、自分の好奇心にかられて、好奇心を満たすために研究をするのでしょう。研究を続けるためには、好奇心を自分の心の中に持ち続けていなければなりません。
 ところが、職業として研究者になると、好奇心に導かれて自由に好きなだけ研究をすればいいというわけではありません。いろいろな「しがらみ」があります。まず、研究成果を出すことが求められます。その成果に対して、いろいろな評価を受けます。
 その成果や評価によって、研究テーマや手法、方向性が変わったり、好奇心が抑えられたり、捻じ曲げられたりすることが起こってきます。まあ研究者とはいえ、社会的生活を営んでいますから、これは仕方ないことでしょう。
 もちろん、研究成果を社会に反映することは重要です。今まで研究者があまりそのための努力をしてこなかったので、研究成果の社会への還元が重要であると認識されてきました。その成果の重要度を客観的に示すための方法がいろいろ公開されています。たとえば、他の人の論文にどれくらい自分の論文が引用されたかを示す指数(citation index)や投稿した雑誌のランク(impact factorなど)によって判断されます。
 研究者には、自分の意思と関係なく、論文数やその評価が出されます。誰でも、他人が自分のことをどうみているかは、それなりに気になります。できれば、いい評価を受けたいのは、誰でも同じです。そのような評価を良くするために、たくさん論文を書こう、どうせ論文を投稿するならランクの高い雑誌にしよう、などという配慮が働きます。
 もっといえば、いい評価がでるようなテーマ、いい評価のある指導者につく、有能な研究者を集める、研究資金を調達するなど、本来の研究動機とはかけ離れた目的で研究が進むことがあります。若手研究者でいいポストに異動しようと考えている人、先端の研究をする人、多くの研究費をとろうと狙っている人などの、論文数と共にそのような指数なども気にして研究しています。これは、当然の傾向といえるでしょう。そうしないと、仕事も見つからないし、いい研究者も資金も集まらないし、評価も良くなりません。
 研究とはもともと好奇心に駆られて行ったことですから、こんなに面白いことがわかったと、それを世間の人に知らせたい、という非常に単純で純粋な動機があったはずです。今までの好奇心の整理として、成果報告がなされてきたはずです。今や、このような好奇心に基づいた研究はなかなかしづらくなってきているようです。
 研究の評価におて一番重要なのは、その独創性とその優先権です。どんな研究でも、好奇心に基づいて行っていることであれば、その興味を持ったものに、すでに他の人が答えを出しているのであれば、その答えをみれば自分が手を下すことなく好奇心を満たすことができます。
 先行研究を調べることが研究のスタート、つまり好奇心を満たすためのスタートです。今までどれほどのことが知られているのかを、調べなかればなりません。もし、それを怠って、すでに誰かが行っているようなことを、自分の独創的成果として公表すると、自分にとっても人類にとっても無駄なことです。十分調べれはそのようなことはないはずなのですが、科学者が増えていること研究論文数も多くなり、先行研究をすべて調べるとこは不可能になります。時に、すでに成果を出している人がいると優先権を侵害することにもなります。もしその独創性に特許などの利害が絡んでいると、問題は複雑になります。
 最近私は、地質調査や記載における新手法の開発や、地質学や科学の教育にいろいろ工夫を加え、新しい手法や方法論を提示することを中心に研究しています。先月末にも論文を書き上げ投稿しました。その論文では、新しい電子機器の使用による地層記載の新手法を開発することが内容となっていました。
 論文には、先行研究の引用文献が不可欠となります。現在、多くの人が興味を持って研究している分野は、関連した多くの研究があります。今回の論文は、新しい視点での手法開発ですので、ほとんど先行研究がありません。自分自身が以前行った研究も重要な先行研究になります。自分の研究を引用しても、文献が少なくなります。それだけ独創性がある研究(?)のはずなのですが、引用文献が少ないと、「これで大丈夫かな」という不安な気持ちになります。
 自分が興味をもって行った研究の成果を、世間に公開するのが研究論文です。論文とは、人類の知的資産に今までなかった成果を加えることが重要な目的となっています。ですから、今まで誰も出してない独創的なものであるべきです。研究者とは新たな知的資産を加えることが重要な任務であります。
 でも、この独創性や優先権とは何かと考えると、非常に難しい問題になります。
 例えば、ある一人の地質学者が、今までだれも行ったことのないところで、だれも見たことがない化石を発見したとしましょう。誰も見たことのない化石を記載すれば、大発見の非常に高い独創性のある研究成果となります。この化石の記載報告には、先行研究は少ないでしょうから引用文献も、それほど多くないはずです。
 本当にその研究成果は、その研究者だけによるものでしょうか。その地域で地質調査するための経験、化石を記載するための技術、その化石が新発見であると識別する知識などは、彼の独創性によるものではないはずです。つまり、科学者として一人前になるために、多くの指導者の教育を受け、専門の知識や技術を身につけたはずです。そのような経験や知識は、彼自身が生み出したものではなく、人類が長年かかって積み上げてきた知的資産の上になり立っているのです。ですから、彼の独創性は多くの知的資産の元に成り立っています。彼の成果は、その化石を発見して、人類の古生物の知識に新たな化石を一つ付け加えただけにすぎないのです。大発見かもしれませんが、一つの成果に過ぎません。
 新たな知識や独創性に、高低や貴賎があるのでしょう。評価を気にする人にとっては、その高低こそが重要と考えるでしょう。しかし、評価は相対的なものです。長い目で見れば、時間が経過すれば、評価も変化するはずです。今は評価が低くても、後の時代に高い評価が出るものもあります。成果の高低よりも、新たな知識や独創性を一つ付け加えた事実を重くとらえるべきではないでしょうか。
 人類にとって価値ある研究者とは、好奇心を維持し、その好奇心によって新たな知見を得て、それを一つずつ公表し続けている人をいうのではないかと思います。さてさて、私は、そんな研究者といえるのでしょうか?私は、年に数編の論文を書いてますので、数を云々かんぬんいわれることはないと思いますが、好き勝手な研究ばかりしているので、評価は低いんでしょうね。

・秋・
いよいよ10月です。
先週の連休に北海道の最高峰の旭岳に登ってきました。
紅葉が始まっていました。
しかし、登山の翌日の夜には初冠雪があったとニュースで報じられていました。
もし、一日ずれていたら登山はできなかったでしょう。
快晴の天気にも恵まれ、旅館も連泊でき、幸運でした。
その紅葉は一気に平野に下りてきそうです。
近所のナナカマドも色づいてきました。
北海道は、9月中旬まで結構暑かったので、
9月下旬から急激に涼しくなり、一気に秋めいてきました。
体調を壊す人もでています。
我が家では家内と長男が風邪を引きました。
皆さんの地域は、もう秋めいてきましたか。
我が家では、今年の冬に備えて
先週ストーブをオーバーホールに出しました。
考えることは誰も同じなので、整備会社も混んでいます。
しばらく時間がかかりそうですが、今週には出来上がります。
厚着さえすれば、それほど寒くないのですが、北海道では
寒いと暖房が当たり前なので、季節にかかわらず暖房を点けてしまいます。
家全体を暖め凍結を防ぐということもあるのですが、それはいいわけでしょう。

2007年9月1日土曜日

68 知の集積:デジタル図書館(2007.09.01)

 古今東西の書籍、雑誌が、いつもで手軽に自由に閲覧できたらいいなと、だれもが思います。それは、まさに人類の知を、手に入れたと同じことになります。ただそこには著作権、営利、費用など、非常に人間的な配慮が必要な問題も横たわっています。今回は、デジタル図書館について考えてみます。

 ある研究者が、何か新しいことを思いついて、そのことについて詳しく調べたり実験をしたりしたとします。その結果、何らかの新しいことがわかったとしましょう。それを成果として公表しようとするのが、研究者としての重要な責務です。
 ただし、成果を公表するときには、いくつか注意すべきことがあります。その成果が、はたしてオリジナリティがあるのかどうか、他人の優先権を犯していないかなどを、よく調べておく必要があります。
 そのために研究者は、先行研究としてどのようなものがあるのか、自分の成果のどのような点が独創的で新しい成果なのかなどを明確にして示す必要があります。まずは、先行研究を十分調べる必要があります。
 先行研究を調べる時、図書館での調べものが重要になります。論文や書籍を実際に当たって、自分の研究に関連する情報を可能な限り集めていきます。そして、誰もそのような成果を出したことがない時、はじめてオリジナリティが生まれ、自分の優先権を示すことができます。
 実際に先行研究を調べることは、非常に労力が必要になります。時には、研究や実験以上に手間がかかることもあります。特に自分にとって新しい分野での研究を始めるときは、その手間は大変となります。
 文献を読む大変さはさておき、文献を手にすること自体に、私は非常に苦労した経験が何度かあります。まずはある重要な先行研究の論文をいくつか読みます。それらの論文に引用されている文献には、非常に重要そうなものが、たいていいくつかはあります。それは、次なる必読文献となります。そのような文献が、自分の属する大学の図書館ですべてそろえることができればいいのですが、どんな大きな大学の図書館でも、すべての文献をそろえるのは不可能です。
 ですから、どこか他の大学図書館が所蔵する文献で調べる必要が出てきます。。近くの図書館なら行けばいいのですが、同じ国内でも、遠くなら入手するのは大変になります。現在では、大学図書館同士の文献の借用、複写サービスがあり、時間はかかりますが、現地に行くことなく論文を手にすることができます。また、文献の豊富な他の大学の図書館で、閲覧するための紹介状も所属大学の図書館は発行してくれます。
 そのような便宜があったとしても、すぐにはそろえられない文献もあります。直接著者に別刷り請求をしたりできればいいのですが、古いものであれば、それを所蔵している図書館に行くしかありません。文献が古ければ古いほど、所蔵図書館は限定されます。優先権は非常に重要な問題ですから、研究の種類によっては、そこまでの努力をしなければならないこともあります。
 もし、世界中の図書館のもっている大量の文献が、デジタル化され、インターネットを通じて、どこからでも、いつでも、いくらでも閲覧することができれば、こんな素晴らしいことはありません。
 このような閲覧システムができたら、今回例にした個人の研究の優先権の確認のためだけでなく、人類の知を、すべての人類が共有できることになるわけです。
 少し前ですが、2007年7月6日、慶應義塾は、Googleが世界規模で展開している「Googleブック検索図書館プロジェクト」と連携するというニュースが報道されました。
 どういう意味があるのかという、慶應義塾図書館がもっている蔵書のうち、著作権保護期間がきれた約12万冊を、デジタル化して、Googleブック検索を通じて、世界に公開するということです。明治初期までの和装本と、明治・大正・昭和前期の図書が、デジタル化の対象となります。その中には、慶應義塾の創始者である福澤諭吉の数々の著書も含まれます。
 「Googleブック検索図書館プロジェクト」とは、Googleが資金と技術、公開の場を提供して勧めているもので、図書情報の集積とデジタル化です。このプロジェクトには、ドイツのバーバリアン州図書館、ハーバード大学、カタロニア国立図書館、ニューヨーク図書館、オックスフォード大学、スタンフォード大学、カリフォルニア大学、マドリード・コンプルテンセ大学、米国の12大学で構成するコンソーシアムであるCommittee on Institutional Cooperation(CIC)、ローザンヌ大学図書館、ミシガン大学、テキサス大学、ヴァージニア大学、ウィスコンシン大学、コーネル大学など、25の機関の図書館が参加しています。今回、日本で最初に慶應義塾図書館がそのプロジェクトに参加したということです。
 Googleブック検索に登録されている書籍は、著作権があるものは、図書カードのような書籍の情報が登録されます。さらに、版権を持つ出版社が提供する書籍の抜粋や数ページを閲覧可能にして、書籍販売を促進をすることも目的となっています。入力された検索語を含む文章の一部を示され、ユーザーが購入するときの参考とできます。著作権保護期間が終わっているものは、全文を見ることができます。
 古い本を大量に保管していのは、古くから続いている図書館です。本を傷めずにスキャンするには、特別装置が必要で、手間も資金も必要です。それをGoogleが提供しているのです。
 日本の文献も、慶應義塾図書館がもっている明治以降だけでなく、もっと古い文献や図書も、デジタル化してもらいたいものです。古い古典に属する文献は、他のプロジェクトで行われています。しかし、データが一元化されていることが望ましいです。
 しかし、データの一元化は、どのような組織がおこなうかは、大きな問題です。現在Googleという民間企業が大規模におこなっています。Googleは御存知のように、インターネットの検索エンジンで急成長した企業です。Googleでは、さまざま新しい試みも行っています。その多くは、ユーザーからは料金をとることなく、企業からの広告収入で利益を出している企業です。
 Googleは世界的な企業で、サーバも安全のために、いたるところに分散して、多重にバックアップもされています。多分、世界でもっとも大きなサーバとデータを保持しているのではないでしょうか。そこに、図書館の書籍情報が加わることは、世界中のユーザーにとって非常にありがたいことです。
 このような大規模な事業は、Googleだからできることなのかもしれません。データベースの構築だけでなく、サーバの維持管理にも膨大な手間と費用、ノーハウが必要になるはずです。いまのところ、このようなことを、採算を考えずにできるのは、Google以外にはないのでしょう。
 どんなに大規模なサーバをもっていたとしても、世界中に関連会社があるとしても、Googleは一企業です。経営が成り立たなくなれば、このような文化的な事業は、終わってしまうかもしれません。倒産すればデジタルデータなど一瞬で消えてしまいます。
 かといって、一国の公官庁に、このよう大規模な国際的なプロジェクトを行うことは、荷が重いはずです。そして何ヶ国にも及ぶデータを、一元管理することは、なかなか困難でしょう。
 以上のような現状を考えると、Googleが進めるのはいいことでしょう。継続性を考えると、それでいいのかという不安もがあります。それがジレンマでもあります。とりえずは、Googleブック検索図書館プロジェクトが進行していくのを見守っていきましょうか。

・ブック検索・
Googleブック検索は
http://books.google.co.jp/
にあります。
しかし、残念ながら、全文閲覧ができるものは、
日本語では、なかなかひっかかりません。
まあ、これから時間が立てば、いろいろ増えてくるでしょうが、
著作権切れの読みものは、青空文庫のほうが、
充実しているかもしれません。
海外の文献は、古いものがたくさん全文閲覧できます。
ダーウィンやニュートンの文献も、見ることができます。
もちろん、このような古典と呼ばれる文献は、
新しい印刷物で読むことができます。
しかし原本を見るというのも時には必要です。
また楽しいものであります。
そのような原本は、古くからある図書館で保管されています。
文献が貴重になればなるほど、一般の閲覧は制限されます。
でも、デジタルであれば、一度記録すれば、
閲覧で痛むことも劣化することもありませんから、
自由にだれでもみることができます。
そのような意味で、Googleのプロジェクトは、非常に楽しみでもあります。

・アナログ情報・
海外の地質調査を見に行くと、いつも思うのですが、
デジタル化進んだ現代でも、
やはりアナログの情報も多いということです。
そんな地域の地質に関するアナログ情報は、
地元の博物館などの関連施設には、情報がたくさんあります。
その情報は、現地でしか手に入らないものです。
ですから、ある地域での調査は、
現地の野外調査をするだけでなく、
文献や資料の収集も同時にすることになります。
それは大変でもありますが、
知的好奇心を湧きおこすことでもあります。

2007年8月1日水曜日

67 知識と知の会得(2007.08.01)

 インターネット上の情報は簡単に手に入ります。しかし、その簡単さが落とし穴になっているかもしれません。知とは、知識を編集する過程において、手間をかけ深く考えることによって身に付くのではなでしょうか。

 あるテーマについて調べたい時、皆さんはどうしますか。
 例えば、生物の進化について調べることにしましょう。まずは、高校の生物で習ったことを思い出すのではないでしょうか。手元に、高校の教科書や参考書があれば見ることもできるでしょう。もっと詳しく調べたければ、図書館や大きな本屋さんにいって関連する本を探して読むでしょう。
 これは、多くの人が今もおこなっている一般的な調べ方です。最近では、インターネットをうまく使って調べていく人も多くなってきます。インターネットを含むネットワークの検索が、今では調べ物の中で重要な手段を占めているかもしれません。
 IT嫌いの人も、今やネットワークなしで社会生活を送ることはできません。ここでいうネットワークとは、インターネットはもちろん、携帯電話、銀行やカード会社のオンライン、交通網の安全や運行管理のために情報収集など、コンビニエンスストアやスパーマーケット、書店の在庫や流通情報の管理などなど、無駄なく、効率よく情報や物資、人員を移動、管理するために利用されています。その手段も、有線や無線回線、あるいは一般の電話の公共回線から専用回線、海底ケーブル、人工衛星を使うものまでいろいろあります。ですからネットワークを利用しないで生活することは不可能ともいえます。
 でも、ネットワークやITを上手く利用すれば、多くの情報を得ることも可能となります。インターネットなどを利用すれば、大量のそして上質の情報も得ることができます。しかも、ネットワークにつながっているコンピュータや携帯電話さえあれば、検索すれば、それらの情報を手軽に得ることができます。
 学生たちに「進化」というテーマで調べてレポートを書きなさいと指示したとしましょう。ここで架空の2名の学生に登場してもらいましょう。
 ひとりは、コンピュータが好きで、いつもインターネットを渡り歩いて楽しんでいる学生A君です。もう一人は普通の学生です。もちろんコンピュータもインターネットも使えるのですが、必要がないとわざわざ使わない学生B君としましょう。
 A君は、早速レポートのテーマである「進化」についてインターネットを使って調べることにしました。A君は、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」でとりあえず調べました。ここにくれば、かなり専門的な知識が体系的にまとめられていることを、彼は知っています。
 ウィキペディアで「進化」を調べると、A君の予想通り、いろいろ情報が手に入りました。これを利用して編集すれば、レポートはできると考えました。A君は、その充実した内容の文章を、ワープロにコピー・アンド・ペーストし、適当に入れ替えたり、削除したりして、編集することにしました。
 でもこのままじゃ、自分の文章でないとわかっているので、A君は、最初と最後にその情報を読んだときに考えたことを、数行ずつ付け加えることにしました。そして、A君は、あっという間に、専門家も顔負けのレポートが仕上げてしまいました。
 一方、B君は、もともと進化に興味がありました。ですから、彼は、この機会にできる限り進化について調べて見ようと思いました。A君が大学のコンピュータ室にいった頃、B君は大学の図書館にいって、図書館の検索用のコンピュータで調べて、本に当たることにしました。
 実際に私のいる大学の図書館で「進化」をキーワードにして検索すると、図書727件、雑誌26件、論文13件もヒットします。私の大学は文系の大学ですから、理系の文献は極端に少ないのですが、これだけでてくるのです。
 B君は、コンピュータの検索結果のページを次々と繰りながら、大量のリストの眺めながら、大量すぎるリストにうんざりしました。彼は、リストを眺めながら、進化論はダーウィンが最初に考えたと高校時代に習ったことを思い出しました。
 進化とダーウィンについて調べてみようと考えました。キーワードを「進化」と「ダーウィン」の2つにして検索してみました。すると図書で34件に絞ることができました。4ページに減ったリストを調べながら、B君は、ダーウィンは進化論を「種の起源」という本で書いたことも思い出しました。
 そこで、彼は、「ダーウィン」と「種の起源」をキーワードにして検索したら、単行本と文庫本が、この図書館にあることがわかりました。文庫本のある場所がわかり、それを彼は手にすることができました。
 その頃、A君は編集作業を終わり、自分の文章をどこに何に書き加えていこうか考えていました。
 B君は、原典ともいうべきダーウィンの「種の起源」は上中下の3冊になっていました。とりあえず上巻をとりだして、ページをパラパラめくりながら、文字ばっかりで読むのが大変だなと思いました。
 でも、本の扉に書かれたタイトルをよく見ると「自然選択の方途による種の起源」となっていることに気づきました。それをみて、B君は、ダーウィンが自然選択によって生物に変化が起こり、それが新しい種を生み出し、進化をすると考えたのじゃないかなと思いました。上巻の目次をみても、どうもそういうことを書きたかったようだと思いました。
 「訳者まえがき」で、「種の起源」という本は、6版まで書き換えられているけど初版を訳したものだと知りました。次に、ダーウィン自身の書いた「種の起源」の「序言」を読んでみました。すると面白いことが書かれていました。興味が出たのです、関連する内容を訳者の解題でも書かれているので読みました。
 そのころA君はレポートを仕上げて、印刷をしていました。
 B君の興味をもって読んだ内容は、どうも次のようになっていることを知りました。
 ダーウィンは、進化に関するアイディアを1837年い思いついたようです。そのアイディアを1844年に300ページ以上にもなる概要としてまとめ、1857年アメリカの植物学者のグレー宛てにまとめたことを示した手紙を書いていました。その後、完全版とも言うべき、すごい量になるはずの大著の準備をはじめていたようです。
 ところが、1858年、ウォーレスという博物学者が、ダーウィンに論文を送ってきて、ダーウィンの恩師である地質学者のライエルに渡して学会報に出して欲しいといってきました。その論文は、ダーウィンが得た考えと同じ自然選択による進化を書いたものでした。
 ライエルとフーカー博士の計らいで、リンネ学会で1858年7月1日にウォーレスとダーウィンの自然選択が発表され、リンネ学会報の第3巻として印刷されました。ただしダーウィンの報告は、1844年の概要からの抜粋とグレーあての手紙の一部が論文の代わりに印刷されていました。このような配慮のおかげで、かろうじてダーウィンが進化論の考えで先を越されずにすみました。そのため、ダーウィンは、まとまったものを早急に書き上げ出版しなければならなくなりました。大著の準備を一切なげうって、ダーウィンが抄本と呼んでいる「種の起源」が、翌年の1859年11月に出版されました。
 そんな事情が、ダーウィン自身の序論や訳者の解題で紹介されていました。B君は進化論の内容よりも、ダーウィンとウォーレスのアイディアの優先権争いが面白いと思いました。今まで偉い生物学者だと思っていたダーウィンが、自分のアイディアの占有権をめぐってうろたえていることを文章から感じました。人間ダーウィンがそこにいるように思えました。
 なぜ進化論の提唱者としてウォーレスの名前が残ってないのだろうと不思議に思いました。しかし、その方向に進むと話が、進化からはずれるので、さらにダーウィンの「種の起源」について調べていくことにしました。
 そころA君は、印刷の終わったレポートを、大学のレポートボックスに投函をしていました。B君のレポートの作成には、まだまだ時間がかかりそうです。
 A君とB君の調べ方を見ていて、大切なことがいくつかあります。
 第一に、両者とも既存の知識を探していることです。研究者でない限り、自分で生物に進化について調べようという人はいません。誰かがすでに調べたことや、学問の世界で定説になっていることを調べるはずです。そのプロセスが調べることの始まりです。
 第二に、既存の知識を得て、そのデータを元に、自分の考えを作り上げていくのに、両者の違いがあることです。
 確かに見た目には、A君のレポートは充実していて、まとまったものになっているかもしれません。でも、A君はがんばって調べものをしてレポートを書いたのではなく、適切な知識の貯蔵庫があり、それを利用することでレポートを仕上げたのです。A君は既存の知識を得る点のみを要領よくやって、そこに自分の考えらしく見せるために最初と最後に自分の文章をつけて、レポートを終わらせたのです。もともと情報がデジタルですから、編集が楽で、レポーを簡単に終わらせて、出したのです。多分A君は進化について、短時間の一過性のことですから、レポートを仕上げ提出すれば、すぐに忘れてしまうことでしょう。知識は一時的に得たのですが、それを編集しただけで終わらせて、実際には自分の考えを作り上げるプロセスがほどんどなく、自分自身のものにはならないでしょう。
 もし、テーマを出した教員が、ウィキペディアの存在やインターネット内の知識の質を知らなければ、A君はすごくがんばってレポートを書いたと評価するかもしれません。しかし本当は、A君が偉いわけではなく、ウィキペディアがすごいのです。
 一方、B君は、図書館に行っても、カードや図書館の検索システムで調べ、そして本にいきついて、本を広げてどこに自分の必要な知識があるかを調べていきました。これから、自分のテーマをさらに深めるために、必要ならいくつかの本を借り出し、関連する部分を熟読して、重要な部分はメモをしていくはずです。
 B君の調べ方では、行動をともない、それなりの時間が必要となります。A君と比べれば、一見無駄に時間を使っているように見えます。でも実は、調べる行動に時間をかけている間に、B君は考えているはずです。それが実は一番重要な自分の考えを生み出す時間を確保していることにならないでしょうか。断片的に仕入れた知識をどうまとめるのかは、自分がどのようなテーマを持って調べているかによって違ってくるはずです。そのテーマ自体を時間をかけて調べている時に深めていくのではなでしょうか。
 第三に、最終的に知識が知として身に付くか付かないは、どれだけ深く考えたかということに関わるのではないでしょうか。
 A君はいい評価をとるかもしれません。でも本当に考えることをほとんどしなかったので、評価ほどには知識は知としては身に付いてないはずです。
 B君は既存の知識を得る過程で、自分のテーマを絞り、ダーウィンと進化論について考えました。進化に関する多数ある知識の中から、テーマに関係のあるものを選択しました。そして、ウォーレスというダーウィンと同じ考えを持った同時代の人がいること、ウォーレスの論文によって、ダーウィンがあわてて書いた本が「種の起源」であること、本当は文献や事実を多数集めた大著を書きたかったがそれが世に出ることはなかったこと、などの知識を得て、彼は進化論のできかたについていろいろ考えされられたはずです。またレポートを書く時もいろいろ悩みながら長い時間をかけていくはずです。
 A君からすれば、B君は要領の悪い人となります。しかし、今後、A君は進化という言葉を聞いても、書いたレポートのことすら忘れているでしょう。ところが、B君は進化という言葉をきくと、自分が調べた知識だけでなく、そのプロセス、そのとき考えたことを思い出すことでしょう。ダーウィンやウォーレスのことを、人生訓とするかもしれません。そこにこそ、知識から知とするプロセスがあるのではないでしょうか。
 楽して得た知識はなかなか身に付かないということではないでしょうか。急がば回れということでしょうか。

・基礎文献・
情報は十分すぎるほどあります。
ダーウィンの進化論は、
ケンブリッジ大学のインターネットのサイトの
The Complete Work of Charles Darwin Online
http://darwin-online.org.uk/
というところに、進化論のすべての版の
文字データと書籍の画像が公開されています。
インターネットのおかげで
ケンブッリジ大学まで行かなくても
基礎文献が入手できる時代になりました。
素晴らしいことです。
進化論が誕生して150年以上もたっています。
でも、生物はどうして進化するのか、
なぜ今のような種構成になっているのか、
いろいろな進化論があるがどうれが本当なのか、
まだまだ解決できないことが多数あります。
本当に生物の進化は解決できるテーマなのでしょうか。
インターネットをいくら探しても
その答えはありません。
考えることによってのみ、答えが得られるはずです。

・秋田青森・
8月1日から7日まで秋田から青森の海岸を巡ります。
何度か訪れているのですが、
最近はしばらくいっていません。
ですから、景観撮影と砂、岩石の標本をとってこようと考えています。
目的は、なんと言っても、その地の自然に直接触れ、
感じることが一番重要なことだと考えています。
さてさて、野外調査となると、天候と問題ですが、
8月の青森はねぶた祭りの混雑も気になります。
これは私にはどうしようもありません。
祭りはさっと通り抜けて混雑を避けようと考えています。
ただ、私は予定通り行くしかありません。

2007年7月1日日曜日

66 本当のこと:真理は本当にあるのか(2007.07.01)

 「本当のこと」とは、どういうことでしょうか。本当のこととは真理と呼べるのでしょうか。哲学的なことではく、実用的に、そして役に立つ「本当のこと」について考えてみました。

 ある人が、今まで誰も見たことがないこともの、例えば生きている恐竜を見たとします。自分自身が見たことですから、恐竜が本当に存在していること、自分は「本当」だと信じているわけです。しかし、その恐竜を見たことがない人にとっては、「現代に恐竜なんでいるはずがない」、「ありえないこと」、「信じられないこと」となり、信じるはずがありません。
 この自分の他人の間には、大きな境界というか壁がありそうです。その壁を乗り越えるためには、どうすればいいでしょうか。
 「本当のこと」というと、あまりに漠然としすぎています。でも、真理というとあまりに哲学的過ぎるような気がします。自分の考えていることが「真理」と呼ぶには、多く人が少々抵抗があるはずです。
 まあ、抵抗していてもしかたがありませんから、「真理」の意味を、国語辞典でひくてみました。
1 本当のこと。間違いでない道理
2 意味のある命題が事実に合うこと
3 論理の法則にかなっているという形式的に正しいこと
これら3つが、真理の意味としてありました。少々複雑な言い回しですが、一応、内容は理解できそうです。でも、整理していきましょう。
 今まで述べてきた「本当のこと」は真理としていいようですが、「間違いでない道理」かどうかは、少々難しい問題です。道理とは、「論理」ともいうべきことです。論理があっているか間違っているかは、論理の構成が正しいかどうかで確かめることができます。
 しかし、スタート、つまり最初の情報や証拠が不確かだと、どんなに論理の過程が正しくても、間違った結果になってしまいます。いってみれば、論理以前の問題が、そこにはあるのです。
 「本当のこと」かどうかは、まず自分の感性、つまり主観的が、あるものことを、今回の例では「生きている恐竜を見た」ですが、それを受け入れられるかどうかがスタートとなります。恐竜の場合、「私は見た」ということが、スタートになります。
 「私は見た」は、自分にとっては主観的なことなので、本当はウソであろうが、マコトであろうが、「本当のこと」と「信じること」さえできれば、スタートすることができます。このスタートを、他人がとやかくいう筋合いではありません。
 実は、これが非常に大切なことだと思います。他人にとっては荒唐無稽なことでも、自分が信じることができれば、「主観的に本当のこと」は存在します。「生きている恐竜を見た」から、「恐竜はいる」と自分は信じることができます。
 新発見も大発見も、すべてここからスタートします。ですから、他人は、ある人の主観に基づく考えを、ヤミクモに否定すべきではありません。まずは聞くこと、そして論理に間違いがないかをよく考えるべきです。論理に間違いなければ、一応論理、道理としては成立しえます。
 そのような「他人の主張を聞く」という土壌がないと、新しいことがなかなか受け入れられませんし、生まれません。進歩や革新的な発見、発明は、案外非常識なことから生まれることがあるからです。
 とはいえ、「主観的に本当のこと」として自分だけが信じていることであっても、できれば他人にも信じてもらいたいはずです。あるいは、自分にとっても信じがたい「生きている恐竜」を見てしまったとき、自分自身でそれが目の錯覚や見間違いでないと納得するためにも、客観的な視点は重要となります。
 客観的に「本当のこと」にするためには、多くの人が信じられるように、できればすべての人が本当だと思えることにすることです。こうなれば、より普遍的「真理」というべきものに近づけるでしょう。もちろん自分自身ももっと信じられるものになるはずです。
 では、「客観的に本当のこと」とは、どのようにして決めたり、評価すればいいのでしょうか。
 その方法として、先ほど示した辞書にあった2つの意味、
2 意味のある命題が事実に合うこと
3 論理の法則にかなっているという形式的に正しいこと
を用いれば、検証できそうです。
 「意味のある命題が事実に合うこと」とは、ある命題(論理)が、「事実」で裏づけされているかどうかを、検討していくことです。論理が「事実」にあっているかを、演繹的に調べていくということです。
 ところが、この「事実」というのが、あいまいなのです。「事実」とは、実物、実験、現象などなんでもいいから、他人が客観的に判断できるための情報があり、それが事実といえる「証拠」なることを示せばいいのです。いくつか一般的な例をみていましょう。
 化石のような実物なら、他人にその実物を示し、自由に調べられるようにしてあげればいいのです。実物さえあれば、誰でも納得するまで検査や分析できます。もし、ひとつしかない化石なら、遠くの第3者が追試や分析しなくても、客観的に正当に評価できる測定値、写真、統計など定量的データを示せばいいのです。もちろん、そこには捏造などあってはなりません。「生きている恐竜」なら、恐竜を見つけて捕まえてくるとか、見つからないのなら、足跡、糞、食い跡、巣や卵の殻など、「生きている恐竜」でないと残せないような実物を探して示すことができればいいのです。もしそのような実物の証拠が見つかれば、自分も納得できますし、他の人も説得できるでしょう。
 実験による「証拠」は、第3者が同じ実験を別のところでして(追試といいます)も、同じ値や結果が出てくるものでなければなりません。つまり、再現性があるものでなければいけないのです。なんらかの現象を証拠とするなら、第3者が追試や分析可能な再現性がある現象でなければいけません。もし、一度しか起きなかった現象なら、実物と同じように、第3者が追試や分析できませんから、客観的に評価できる定量的データを提示したものでなかればなりません。
 証拠の提示とは、再現性のあるものか定量的データによって、第3者が客観的に判断できるようにすることになります。このような証拠があれば、「客観的に本当のこと」にできるようになります。
 次の「論理の法則にかなっているという形式的に正しいこと」とは、あるものごとや考えが、論理という形式を満たせば、それは、「真理」としていい、ということです。
 論理性をもつかどうか、つまり、論理的であるかどうか、という点だけを重視して評価する方法です。これは、比較的簡単に評価できます。論理学のような学問もあり、論理構造をみれば、論理的かどうかを、見分けることができます。
 以上まとめると、「客観的に本当のこと」、つまり「真理」は、
・証拠の提示
・論理性
によって、見分けることができるということです。
 ただしそれは、まさに「真理」という「形式をみたしている」のであって、本当に「真理」かどうかは、長い時間を経て、歴史のなかで、多くの人が検証して、裏づけをする必要があります。
 私は、普遍的に「本当のこと」など、存在しないと思います。なぜなら、「証拠」は、かなり主観的な提示のされ方をします。そして、その「証拠」が「客観的」かどうかは、その「証拠」を見た人が「主観的」に判断します。そこには、残念ながら、論理は介在しません。ですから、前に述べたように「主観」が重要になるのです。
 現状では、どんな「真理」でも、「本当の真理」に近いだけの「一番もっともらしいもの」にすぎないのです。しかし、当面は、それを「真理」とするしかないようです。人は、まだまだ賢くないのですかね。

・露地もの・
6月の北海道は、初夏にあたり、いろいろ行事の多い月でした。
新緑と花々が咲き乱れる季節でもありました。
そして、露地ものの農作物も取れだします。
今年の札幌の6月は、非常に雨が少なかったように思います。
1度か2度は激しく降りましたが、総雨はが少ないように思います。
農作物に影響が出なければいいのですが、少々心配です。
そろそろメロンの季節です。
夕張のメロンは高くて我が家では買えませんが、
他の地域のメロンでも、おいしいものはあります。
それを母や親族に送るようにしています。
ですから、メロンのできも心配です。

・教員も待ち望む夏休み・
大学では7月になると、学生たちがそわそわします。
それは、前期の成績や評価がどうなるか。
自分の出席は足りているのか。
試験はどんなのがでるのか。
などなど、学業に関する心配で、学生はそわそわします。
もうひとつの理由は、8月から9月終わりまでの
2ヶ月に及ぶ夏休みをどう過ごすかが考えているからです。
アルバイトをするのか、どんなアルバイトにするのか、
ふるさとにいつ帰るのか、友人とどこに旅行にいこうか、
ふるさとの友人と会えるのだろうか、
などなど、夏休みのことを考えて、そわそわします。
しかし、一番夏休みの待ち遠しいのは、
学生より教員かもしれません。
私は夏休みでも毎日に研究室にでています。
しかし、授業がなくなり、校務も大半なくなるので、
自分のやりたいことを最優先にできます。
野外調査に出ることもできます。
今までやり残していたデータもやっと整理できます。
ですから、教員は学生以上に
夏休みを待ち望んでいるのかもしれませんね。

2007年6月1日金曜日

65 ものづくりの基本:天地材工(2007.06.01)

 産業革命以降、科学と技術の飛躍的な進歩によって、大変便利で快適な生活を送れるようになりました。その半面、自然や環境に大きな影響を与えるようになりました。そのような科学や技術のありようを考えてみました。

 私が担当している大学の実習で、近隣の小学生を集めて、子どもができて、楽しめるイベントを、企画し、実施するというものがあります。イベントでは、科学の原理をつかった実験を2種類することになっています。どのような実験にするのかを、学生全員が案を出して、そのうち4つに候補をしぼりました。実際に4つの実験を試してみて、どれにするかを決めるという手順をとりました。
 それぞれの実験は、本やインターネットで調べたものを参考にして、準備し、おこなうのです。マニュアルどおりにすれば簡単にできそうに見えて、実はなかなか思うようにできません。ダメになった理由を考え、対処しなければなりません。そのような試行錯誤の時、人は、知識や智恵を目いっぱい使っています。そして問題が解決し、実験が成功した時の喜びは、何事にも変えがたいものです。次には、いろいろ工夫をして、よりいいもの、より面白いものを考えていくようになります。
 人は、ものづくりをしている時、一見単調な仕事をしてるいるようにみえるのですが、智恵を使うこと、新しい工夫をしていくことを学んいるのだとわかります。
 そのようなものづくりを通じた一連の学習プロセスは、現代人だけでなく、人がものをつくるということをはじめたときから、生じたことではないでしょうか。つまり、進化してヒトとなった時から、ものづくりと智恵とは密接に関係してきたと考えられます。
 職人、あるいは技術者は、ものづくりの最先端にいる人たちです。彼らは、単に上手にものをつくるだけでなく、よりいいもの、より完成度の高いものを目指して、日夜、努力しているはずです。職人の智恵の結晶ともいうべき言葉があります。「天地材工」というものです。あまり聴きなれない言葉だと思います。
 たて15cm、横15cm、高さ20cmの石に文字の彫りこまれた石印が、中国の福建省から発見されました。その石印には「天地材工」と彫られていました。その石印の横面には、「天有時 地有氣 材有美 工有巧 合此四者 然後 可以 為良」という文が刻まれていました。「天に時有り、地に氣有り、材に美有あり、工に巧有り、此の四者を合せて、然る後に、もって良と為すべし」と読み下せます。
 石に彫られた文は、周禮(しゅらい)の一節をとったものでした。周禮とは、儒家が重視する十三経の一つで、儀礼と礼記と共に三礼の一つとされるものです。周禮は、周王朝時代に書き残したものとされているのですが、実際には戦国時代以降のものと見られています。
 周禮は、官僚制度を記述しています。官職を天・地・春・夏・秋・冬の六官に分け、さらに細分され、合計360の官職について述べているものです。冬官篇はなくなっているのですが、代わりに「考工記」で補われています。その考工記の中に、石印の一節があります。
 石印の文の意味は、次のようなものです。
「天には時(時代や時期、季節)があり、地には気(地域の影響や風土)があり、材料には良好なものがあり、工匠(技術や職人)にはすぐれた技がある。これら4つが合わさったとき、必ずや良いものができるのであろう」
という意味です。
 つまり、天地材工がひとつになったとき、はじめてすぐれたものができるというのです。石印は、職人の心得、あるいは心意気のようなものを彫っていたのではないでしょうか。この考え方は、ものづくりをするときの真髄ではないでしょうか。
 例えば、日本の家屋をみても、地域ごとの特徴のある形式を持っています。それぞれの地で、季節変化や風土に合わせて、職人がその地でとれる最適な素材を用いて、最良の技術を用いて作り上げてきた集大成のはずです。
 ところが、現代の日本の都市、いや世界中の近代都市では、どれも似たようなビルディングになっています。ビルディングの素材は、鉄とコンクリートを主としています。
 かつて日本では、鉄は砂鉄が主たる起源で、産出量はそれほど多くはありません。ですから、鉄は道具のために利用されていました。現在のように大量の鉄が使えるようになったのは、海外の鉄の産地から輸入できるようになったからです。そのためには輸送手段および経済の発達が不可欠です。その背景には科学と技術の発展は不可欠です。
 コンクリートのもとはセメントで、セメントは石灰岩からつくられます。石灰岩は日本にもたくさんある資源です。しかし、石灰岩は、かつては石積みや石材として利用されることはありましたが、加工してセメントにされることはありませんでした。そのためには科学や技術の進歩が不可欠です。
 セメントと鉄によるビルディングは、科学と技術の進歩、そして世界中との交易が活発になったために、可能となったのです。それが全世界で行われるようになったため、都市にはビル群ができるようになったのです。
 現代のコンクリートと鉄の建造物は、天地材工とは、違った思想のもとに造られている気がします。現在の技術とは、世界中を流通する資源を用いて、大型の機械を使ってなされるものです。
 天地材工とは、産業革命以前の農業に基盤を置いた手工業の時代背景の下に生まれています。19世紀前半の産業革命以降、科学や技術が進歩し、効率、経済性、便利さなど追求した結果、量産可能な機械工業が可能となりました。そうなると手工業時代の思想は利用できなくなります。工業時代の新しいものづくりの思想が必要となります。しかし、そのようなものは、まだできていないようです。
 進歩は必要です。技術の粋を集めた建築物は、何年使えるでしょうか、どれくらいもつのでしょうか。法隆寺のように木造でありながら、地震や雨などの湿気に耐えて、1000年以上もつものがあるのでしょうか。ピラミッドや万里の長城のように何千年も残るでしょうか。これらはすべて人力のみによって作り上げられたものです。
 ここで挙げた例は、もちろん例外的なものかもしれません。日本の多くの木造建築は、せいぜい100年しか持たないでしょう。しかし、古来からある日本、あるいは世界各地の住居は、天地材工で作られてきました。
 日本では、100年しかもたない木と紙と土の住居でも、100年すれば、木や紙は植物として復元しています。土は、水の豊かな日本では、土壌として十分形成されます。材料はすべて自然界で循環し復元しています。自然に摂理にかなったものづくりです。これは、天地材工という思想を象徴するものでしょう。
 20世紀後半になって、産業革命以降目指してきた工業化社会が目指す方向性に疑問が生まれてきました。利便性を追求することで生じたいくつも問題が、顕在化しました。人に優しい、本当の豊かさを考えた、環境や自然への負荷に配慮したものづくりが必要だと気づくようないなりました。
 かつての天地材工で象徴されたように、21世紀にふさわしいものづくりの思想転換が必要となったのです。産業革命以降200年間目指してきた科学と技術の集大成として、目指すべきものづくりの思想は、どのようなものでしょうか。
 ビルディングは、工業的に作られて均質な資材、機械、そしてそれを実行する費用があれば、特別な熟練がなくても、天地材工でなくても、どこでも同じ品質で同じ強度のものがつくれます。それが科学や技術のすぐれたところです。職人の手先の技術だけでは、もはや巨大なビルディングはつくれません。大型機械を用い、多くのコストとエネルギーをつぎ込まなければなりません。工業時代の技術は、天地材工という特殊性を排除することを目ざしてきのかもしれません。
 工業時代の是非を問う以前に、結果として現代はそうなっています。これをいまさら否定しては、現代社会はなりたちません。現在の科学や技術は、今までものづくりのためだけに、手順書やマニュアルはつくっていました。しかし、それでは充分でないことに気づいたわけです。
 非常に広範な自然や環境まで配慮した工法を考えるようになりました。そのための知識は増えてきています。知識は蓄積され一方で、要約されることなく、どこを探せはいいのかわからなくなるほどです。
 現代の科学技術の叡智を、天地材工のようなわかりやすい言葉にできないでしょうか。均質な資材、機械、そしてそれを実行する費用によって、同じ品質ものができます。そしてこれに加味して、人間や自然を強く意識したものづくりを目指しつつあります。現代の科学や技術で必要なことは、現代の「天地材工」のような叡智を集約し、ものづうくかかわる多くの人がわかる形にすることではないでしょうか。
 考工記には、上で示した文章の後に「材美工巧 然而不良 則不時 不得地氣也」と続きます。これは、「良質の材料があり、工匠に技があっても、良いものができるとは限らない。時代や適していなかったり、その地の風土があわなかったりするからである」という意味です。
 もしかするとこれは、現代にも当てはまるのではないでしょうか。「時」と「気」とは、時代、季節、風土、気候など、自然や人間と広く解釈して、それらに配慮したものづくりが必要であると読めば、天地材工は今も活きている言葉なのかもしれません。

・6月は・
もう6月です。
北海道はいい季節になってきました。
地元の農作物で路地ものがではじめてきました。
いまはグリーンアスパラがシーズンとなっています。
大学生協の食堂でもアスパラガスを使ったメニューが並んでいます。
北海道は祭りのシーズンとなります。
ヨサコイ祭り、ライラック祭りなどがはじまります。
学校の1年生、新入社員も新しい環境になれて、
落ち着いてきたころかもしれません。
でも、気を抜いてはいけません。
馴れてきたからこそ、充実されていくべきときです。
それを怠ると、進歩は望めません。
これから力を蓄え、実力を付けていく時期です。

・模索の時代・
本エッセイも書いたように
現代のものづくりは、20世紀後半あたりから、
大きな岐路に立っているような気がします。
利潤、快適さ、経済性の追求などの強烈な目的意識から、
人間にとっての本当の価値や豊かさ、
地球や自然全体にとっての総合的な評価などを
深く考えるようになってきました。
どうも人間自身が19世紀から20世紀にかけて
科学と技術を用いて追求してきた価値観が
大きく変化してきているようにみえます。
今はまだ模索の時代です。
19世紀から20世紀へのあまりに急激な変化を振り返り、
もう一度原点に立ち戻る必要があるのかもしれません。
そのものづくりは、なぜ必要なのか、なんのためなのか、
ものづくりによって起こるはずのまわりへの影響を配慮すること、
などなど、昔から人が持っていた心を前面に出して
使うことが必要なのでしょう。
今はその方法を模索をしているのでしょう。

2007年5月1日火曜日

64 帰納と演繹:コッホの原則(2007.05.01)

 演繹と帰納という方法は古くからあります。そしてその方法は、昔も今も、科学では、今も活躍しています。しかし、それを用いる個々の場面では、さまざまな改善、進化を求められています。

 今年のインフルエンザは、4月になってからも流行っているようです。私の担当のゼミの1年生も順番にかかっています。幸いにも、今のところ、私や家族には、インフルエンザはまだでていません。
 一時期話題になった新型肺炎とも呼ばれているSRAS(重症急性呼吸器症候群、Severe Acute Respiratory Syndrome)は、今のところ大流行にはなっていないようです。SRASは、科学や医療が進んだ現在であっても、突然流行しする未知の病気として、話題になったのも記憶に新しいところです。
 SRASは、2002年11月に中華人民共和国の広東省で発生しました。WHOは2003年3月12日、世界に向けてSRASに対する警報を出しました。2003年7月に新型肺炎の制圧宣言が出されるまでに、8,069人が感染し、775人が死亡しました。その後、10数名の感染患者がでましたが、そのほとんどが実験施設での感染で、流行とはなっていません。
 現在では、SRASの原因は、新種のコロナウイルスであることがわかっています。このウイルスが原因だとわかる前は、もう一つメタニューモウイルスが病原体として候補に上がっていました。どちらのウイルスが原因を決めるために、サルを使った感染実験が行われました。別々のサルにどちらかのウイルスを与え、SARSを発症するのはどちらかを決めるわけです。そして、コロナウイルスこそが、SRASの原因の病原体だとわかったのです。
 SRASの原因を決めるプロセスは、きわめて論理的です。この方法は、「コッホの原則」というものに基づいています。病気の原因として、ウイルスなどの微生物があるということが、それほど古いことではありません。コッホの原則の法則に基づいて科学的に決められるようになったのは、19世紀の終わりになってからです。
 それ以前のヨーロッパでは、病気の原因として、多く分けて2つの説がありました。ミアズマ説(瘴気説とも呼ばれる)とコンタギオン説(接触伝染説とも呼ばれる)の2つでした。
 ミアズマ説は、古くはギリシア時代の紀元前4世紀頃から、汚染された瘴気(ミアズマ)に、ヒトが触れることによって病気になると考えられていました。「ミアズマ」とは、現在の言葉でいうと「外因性の原因物質によって病気が発生する」とでもいうもので、現在でいう病原体の基礎概念にも適用できます。しかし、ミアズマ説は、原因物質が気体のような瘴気を想定したので、19世紀終わりには否定されました。
 14世紀から16世紀にかけて、天然痘やペスト、梅毒などがヨーロッパで大流行しました。そのような流行性の病気から、1546年、ジローラモ・フラカストロは、コンタギオン説を提唱しました。「病気を媒介する何か」として、「生きた伝染性生物」に接触することで発病し、他のヒトにも伝染すると考えました。フラカストロは、患者との直接接触、何らかの媒介物、離れた患者(空気感染)もの、の3つの感染方法があると考えました。
 しかし、フラカストロの生きていた16世紀では、伝染性生物を科学的に証明することができませんでした。証明が可能になったのは、19世紀になってからでした。
 証明するための技術として、17世紀にレーウェンフックが改良した顕微鏡が挙げられます。顕微鏡を使うことによって、目に見えない微生物を発見できるようになりました。しかし、顕微鏡を使った当初の研究は、博物学的なもので、病気の原因究明につながるとは考えられていませんでした。18世紀の終わり頃まで、細菌を分離して純粋培養する技術がなかったためです。
 19世紀になって、ルイ・パスツールは、細菌の液体培養法を確立しました。パスツールは、発酵の研究から生物の自然発生説を唱え、その後微生物が作り出す腐敗物質が、毒素としてヒトを病気にするという説を唱えました。細菌こそが、コンタギオン説の「生きた伝染性生物」の本体であるという説を示したのです。
 ところが、パスツールの液体法では複数の細菌が混じったままの状態でしか培養できず、病原菌を単独で分離して、培養することができませんでした。科学的に病気の原因が、細菌であることを科学的に証明ができませんでした。
 病気の原因が細菌であることを、科学的に証明するには、
1 ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
2 その微生物を分離できること
3 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること
4 その病巣部から同じ微生物が分離されること
という4つの条件を満たす必要があります。これを「コッホの原則」と呼んでいます。
 これらの条件は、少々難しい言い方をしていますが、微生物を原因、病気を結果、という言葉に変えるとわかりやすいかもしれません。「コッホの原則」を言い換えると、次のようなものになります。
1 ある一定の結果には一定の原因が見出されること
2 その原因を分離できること
3 分離した原因は別の対象でも同じ結果を起こせること
4 その結果から同じ原因が分離されること
となります。
 2や3の「原因の分離」は、わかりにくいかもしれませんが、原因のなかに他の要素がないものことを示すものです。もし、原因がいくつかの要素になっていると、そのどれが真の原因なのか、それともいくつかのものが原因なのか、それとも要素すべてが組み合わさって一つの原因となるのか、などのいろいろな可能がでてきます。これは、科学的探究として、まだ、完全に原因究明ができてないことになります。ですから、原因が一つのものにたどり着くまで、追求しなければなりません。そのような意味で、「原因の分離」を理解してください。
 上の4つの表現は、少し考えれば、帰納(1と2)と演繹(3と4)という科学の方法そのものだということがわかります。コッホの原則とは、科学の基本的な法則に則っているということになります。
 ただし、病気の場合は、相手が微生物という非常に小さい対象であるために、証明が難しくなります。
 この4つの条件のうち、最初の3つは、ヤコブ・ヘンレが1840年に発表した考え方です。ですから、最初の3つだけをとって、「ヘンレの原則」と呼ぶことがあります。
 ヘンレは、ドイツのゲッチンゲン大学で、組織学教授として教鞭をとっていました。その学生に、ロベルト・コッホがいました。
 コッホは、ゼラチンなどで固めた固体の培地で、細菌の培養法を確立しました。固体培養法によって、病原菌と他の細菌の混じり合った中から、それぞれを独立した別のコロニーとして切り分けて分離し、純粋培養を行うことができ、原因を分離できるようになったのです。
 ゴッホは、原則に基づいて、自分の固体培養法で病原体探しをしました。そして、1876年に、炭疽症の動物から炭疽菌を分離し、「コッホの原則」の1から3の満たしていることを示しました。この後、炭疽菌によって実験感染した動物の体内から炭疽菌が分離できることも証明し、「コッホの原則」の4も満たすことができました。
 さらにコッホは、1882年に、ヒト結核の病原体として結核菌を分離しました。その後、多くの研究者が、この手法と考え方を用いて、主要な伝染病の病原体が発見されていきました。
 コッホの原則をみると、科学的な証明とは、考え方とそれに見合う技術が必要だということがわかります。
 20世紀になると科学技術は飛躍的に進歩します。すると、見つけやすい病原体は、ほぼ見つかってしまいまいました。そして、残されたものは、コッホの原則が適用しにくい病原体となっていきます。現在では、コッホの原則をすべて満たす病原体が見つかることの方が、少なくってきています。
 例えば、ヒトに病気を起こす微生物が実験動物では病気を起こさない場合、人によって病原体が検出されない場、微生物がいても発病しない場合、などがあります。そんな中で、SARSでは、コッホの原則がピタリと適用できた例でした。
 かつて伝染病に対して人は、体力や抵抗力などの、人が生物としてもともともっている肉体的な強さという原始的な方法で対処してきました。そのために人類は多くの犠牲を払ってきました。でも結果として、免疫や淘汰などという生物学的な試練を人類はくぐり抜けてきのでした。現在では、病原菌と最前線で戦うのは、個人の肉体ではなく、科学や技術、あるいはそれに従事する専門家です。
 コッホの原則が適用できない病原菌が、あるいは科学や技術がすぐに使えない病原菌が、進化してきたとしたら、人類にもさらなる進化が求められるかもしれません。それは、技術だけでなく、考え方や智恵での進化が必要なのかもしれません。そんな日が近いことをSRASは予告しているのかもしれませんね。

・鳥インフルエンザ・
2007年になって、宮崎県清武町や日向市、岡山県高梨市で
鳥インフルエンザがニワトリに流行った時、
大量のニワトリを殺すことで、人へと影響が及ぶ前に防止しました。
鳥のインフルエンザが、いつ人に感染する
病原菌に進化するともわからないからです。
発生地点の5~10km範囲のニワトリを
すぐに処分するという過激な対処方法も提案されています。
その時の鳥インフルエンザが
人間に感染する能力をもつかどうかは、不明でもです。
そのような対処は、ある種の鳥インフルエンザが
人間に感染するという事実が知られているためです。
例として適切かどうかわかりませんが、
犯人として灰色のものはすべて犯罪者として処分する、
というような構図に見えてしまいます。
灰色中に何人かの犯人は紛れ込んでいました。
ですから予防的に、灰色は黒とみなしておくのが安心です。
人間の命とニワトリの命、
それも人間が食べるために飼育している鳥の命を比べれば、
明らかに人間の命を優先します。
私も人間ですから、その気持ちはよく分かります。
そして疫学上、そのような対処が、
大流行を未然に防ぐために、有効なのも理解できます。
しかし、一歩下がって眺めると、
人間は、生き物それぞれに、命に重さをつけているような気がします。
それは今まで神の領域の振る舞いでした。
人間も生き物ですから、食べなければなりません。
水と塩以外は、すべて生物を食べているわけです。
ですから、食うために殺すのはやむ終えないし、理解もできます。
しかし、灰色の状態のものを、大量に殺すのは、何か、腑に落ちないのです。
だからと言って方法があるわけではないのですが。
悩ましいものです。

・ゴールデンウィーク・
今年のゴールデンウィークは、前半と後半に分かれています。
5月最初の平日の2日間を休日にできる人は、9日間の大連休となります。
私は、大学の講義があるので、大連休にはできません。
しかし、後半の連休には、2泊3日で道南に出かけるつもりです。
道南の火山である恵山に登山をするつもりです。
しかし、遠いので、行き帰りに2日使います。
2泊3日ででかけても、中の1日だけが、登山日となります。
もし天気が悪ければ、困ったことになります。
そこしか予定が取れませんから、仕方がないです。
天気ばかりは、予定ができませんから。

2007年4月1日日曜日

63 過ぎ去った時間:過去を探るということ(2007.04.01)

 私たちが過去を知ることは、非常に困難なことです。それもとても古い昔のことを知るのは、多分、限りなく不可能に近いことかもしれません。それでも私たちは過去を知りたいのです。

 気の合った友達と話をしている時、楽しみにしているテレビ番組を見ている時、夢中でゲームをしている時などは、あっという間に過ぎさってしまいます。ところが、つまらない授業や会議、歯の治療、親や上司の説教を聞く時は、同じ時間でも非常に長く感じます。楽しい時間はあっという間に過ぎるのに、つまらない時間はなかなか過ぎてくれません。人が感じる時間というのは、心の持ちようで、大きくスピードが変わるようです。
 もし、時間という概念がなければ、ある会合を楽しいと思って参加している人は、いつまでもこの会合を続けたいと思うでしょう。しかし、その会合を義理や付き合いで出ているため退屈だと思っている人とっては、一刻も早く終えて、別のことをしたいと思うでしょう。どちらの希望を優先しても、他方には不利や不満となります。そんなとき、時間という概念があり、決められた時間でその会合を行うことにすれば、両者の不満が最小限で会合を行うことができるはずです。
 感じる時間ではなく、客観的な時間は、人間生活にとって必要です。文明社会では特に重要です。時間とは、正確に一定のスピードで流れていくことが必要です。現在、時間の流れるスピードは一定で、場所や時代が違っても、変化することはないと考えられています。
 時間は、幸運なことに平等に流れています。貧富の差によらず、住む地域にもよらず、朝も夜も、いつの時代でも、一様に流れているはずのものです。人だけでなく、すべての生き物、そして宇宙全体で、時間は一様に流れているはずです。
 現在、時間は、2つの概念で使われています。一つは、時間の流れの中である点(時点といいます)を意味する場合です。日常的には、カレンダーで示されるような年月日や、時計から読み取れる時刻です。もう一つは、時間の流れにおける、ある期間を意味することもあります。時間の長さや時間間隔などということもできます。
 両者の概念をひとつの方法で表すために、時間軸というものを考えることができます。時間軸は、一次元の直線とみなせます。時刻とは時間軸におけるある点(座標)を意味し、期間とは時間軸における2つの座標の区間(間隔、範囲)を意味します。
 物理学では、時間が正確に定義されています。つまり物理学の時間軸は、非常に正確に定められているのです。国際単位系(SI系)では、1秒は、「セシウム133原子(133Cs)の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射の 9,192,631,770周期にかかる時間」と定義されている。つまりセシウムという原子がある条件で発する電磁波の周波数、つまり約100億回の波が伝わるの期間を、1秒としています。セシウムの放射は非常に正確で、原子時計としても利用されています。
 物理学で扱われる時間は、時間軸のどこでも、軸を逆に進んでも成り立つものがほとんどです。例えば、ニュートンの運動方程式は、どこをスタートにしても成り立ちます。これは時間に対して相対的であるといいます。また、方程式で示されるような現象をビデオに撮って見た時、正常な再生の映像と、逆回した映像とは区別できません。このようなものを時間に対して対称であるといいます。ニュートンの運動方程式だけでなく、相対性理論も量子力学も、物理学の基本法則の多くは、時間に対して相対的で、対称となっています。
 一方、年月日や時刻は、同じ厳密な時間軸でも、絶対軸として読み取られるものです。地質学は、時間の絶対軸を研究する学問といえます。絶対軸の時間とは、繰り返すことのない唯一無二の時間となります。過去のある時点と別の時点を入れ替えることはできません。このような絶対軸での時間の流れを「時間の矢」という表現をすることがあります。
 このような一方向に流れる時間を根拠付けるものとして、熱力学第2法則とがあります。これはエントロピー増大の法則とも呼ばれているものです。エントロピーとは、「乱雑さ」と表現されているもので、エントロピーは時間と共に増加するもの(あるいは不変)で、減少することはありません。ですから、自然界で流れる時間は、一方向にしか流れず、逆回しはできないということです。
 このような絶対軸における時間の流れは、私たちの実感に合います。絶対軸の時間は、人や自然の歴史としても現われます。二度と繰り返すことのないことの連続です。そこには、明瞭は時間の矢が存在します。
 以上述べてきたように、時間の流れは、誰もが感じ、誰もが存在を信じています。しかし、時間は、手で触ることはできません。目で見ることもできません。なのに私たちは、時間があると信じています。私たちは、なぜ、時間を信じているのでしょうか。本当に時間などあるのでしょうか。
 日常的な時間の流れは、太陽の位置などで感じ、。植物や季節の移ろいで、月日の過ぎていくのを知ります。時計も同じです。機械的な針の進み方が時間を示しています。時計の針の移動で正確に知ることができますカレンダーの日付が進むことで、1日、1月、1年の経過を正確に知ることができると思っています。
 このような時間は、すべて自然現象やものごとの変化を通じて感じていることになります。実は、私たちは時間を直接感じているのではなく、変化から間接的に時間を感じているのです。私たちが時間と思っているのは、変化なのです。
 その変化とは、自然の変化です。つまり、まず自然の変化があり、それを時間という座標軸で見ているということのなのです。人が時間という概念を導入したので、変化を絶対軸で並べようとしているだけなのです。
 人が絶対軸を用いて時間を記録していなかった頃、つまり自然の歴史の大部分の期間は、変化だけが存在したのです。
 ある時間軸の座標点で起こった自然における変化とは、物質の量や質が変わることです。その変化が記録され、現在まで残され、私たちの手に入ったものだけが、過去を知る素材となります。さらに、変化の記録が、過去の出来事して意味を読み取れたものだけが、過去の時間を読んだこととなります。私たちは、非常の多くのフィルター越しにしか、過去の時間を見ることができないのです。
 変化が自然において起こるのは、ある臨界状態を越えた時です。そのような変化は、定常的、連続的に起こることもあります。例えば、季節の変化による年輪や炭酸カルシウムの沈殿による鍾乳石の成長などは、定常的で連続的な変化が起こります。あるいは、不定期に、不規則に、程度もさまざまに起こる変化もあります。時々起こる海底地すべりでできる一枚の地層、地震によってできた断層、火山の形成などは、不定期で不規則で、規模もさまざまです。
 過去の時間は、このような変化の結果を素材して読み取るわけです。自然の変化で記録されているものは、どうしても断片的になります。連続的な時間、流れる時間などを読み取ることは不可能なのです。過去にもあったであろう流れている時間を知ることはできないのです。ですから、人が過去の歴史を完全に知ることなど、到底不可能なことなのです。
 ものごとの変化の臨界点は、いつ、どこで、どの程度のものが起こるは、必ずしも定まっていません。過去を探る素材は、人が望んで得られるものではいありません。現在に存在するものの内、人がなんとか手にできたものだけからしか、過去を探ることができません。私たちは、過去に対して、非常にわずかものしか手がかりがないのです。私たちが知ることのできる過去とは、記録に残った変化で、読み取れたものだけなのです。
 私たちは、現在という時間しか感じません。未来の時間を感じること、読み取ることは不可能です。過去の時間でも、上で述べてきたように、ほんの断片しか知りえません。
 流れ去った時間など、本当に存在したものなのでしょうか。時間など本当にあるのでしょうか。

・移動の季節・
4月は、新天地への移動の季節です。
皆さん自身には、移動があったでしょうか。
私も現在の職場に来て、早6年目に突入しました。
物理的な移動は、しばらくはないでしょうが、
組織の改変などで、肩書きや立場は変わります。
私の移動は、昨春あったばかりなので、
少なくともあと3年は、この状態続くはずです。
しかし、組織では人が去り、新しい人が加わります。
新天地に向かうと不安や緊張もあるでしょうが、
そこが選んだ地であれば、希望や期待の方が大きい人もいることでしょう。
現状維持の人にとっても、周囲の人が移動すれば、
その組織自体も変化します。
いずれにしても、春のこの時期は変化がある年です。
今年は、北海道も暖冬だったので、
雪の中の移動ではなく、春らしい天気の中の移動となります。

・沖縄・
このメールマガジンが配送される頃には、私は、旅行から帰っています。
実はこのメールマガジンは、旅行に出かける前に書き、
配送手続きしたものです。
私は、3月25日から31日まで、沖縄に滞在していました。
自炊ができる長逗留専用のホテルに滞在していました。
私は、沖縄の付加体の地層と石灰岩(鍾乳洞)を
再度よく見て見たいというのが希望です。
家族は、美(ちゅ)ら海水族館と海水浴です。
長逗留ですので、それぞれの希望が満たせるといいのですが。

2007年3月1日木曜日

62 信頼と信念:ピグマリオン効果(2007.03.01)

 人は信頼され、そして自分を信じると、通常以上の苦労をしても、ものごとを達成できます。そこには、ある心理的効果が働いています。

 私が大学生の4年生で卒業論文として野外調査をしている時のことでした。枕状溶岩という形態の岩石が、広く分布している地域を調査していました。このような岩石のできた時の状態、分布状況を産状と呼んでいます。
 枕状溶岩とは、玄武岩質のマグマが海底で噴出したときにできる特有の産状でした。溶岩は高温ですが、海水は低温です。マグマが海底で噴出すると急激に冷やされます。マグマが冷えると岩石になります。岩石は断熱効果が高く、外側が冷たい海水に接していても内側は熱いマグマのままでいます。マグマが噴火で後から後から続いて押し上げてきます。すると、表面の岩石は内圧に負けて割れます。その割れ目からマグマが海水中に流れだします。流れ出すマグマは、チューブに入った歯磨きが押し出されるようにでてきます。もちろん海水中ですからすぐに表面は固まります。そのような繰り返しが、海底火山では起こっています。
 できた岩石は、丸い円柱状の石として積み重なります。まるで枕が並んでいるようなので、枕状溶岩と呼ばれています。海底を形成している岩石は、すべてこのような海底火山によって形成されたものです。海底での火山噴火は、ほとんど枕状溶岩の産状となるのです。
 過去に海洋地殻を構成した岩石が、陸地に化石のように残されていることがあります。そのような化石の海洋地殻を、オフィオライトと呼んでいます。私が卒業論文で調査していたところは、オフィライトの内、海底に近い枕状溶岩がたくさん出てくる地域だったのです。しかし、地殻変動の激しい地域で、その枕状の形が非常に分かりにくくなっていました。
 毎日悩みながら、露頭にへばりつくようにしてみていくと、その形がなんとなく見えるようになって来ました。
 私の調査地域は中心部に、ダム工事の現場がありました。工事で山が削られて崖になったところが、ひときわ見事で、誰がみても枕状溶岩と認められるようなものでした。しかし、それ以外のところでは、大半が産状が分かりにくく判別の困難なところでした。
 最終的には、試料を持ち帰り、光が通るほど薄くして(薄片と呼びます)、顕微鏡で確認するまで、溶岩かどうかも確信できないものもたくさんありました。そのため100枚以上の薄片を作成していき検討しました。
 そのような努力の背景には、指導教官がすぐれた野外調査の持ち主で、励ましてくれたことがありました。誰でも、訓練を積めば、枕状溶岩を見抜くことができるのだということを強調していました。そして私にもそれはできるんだということを期待してくれていました。
 私は、枕状溶岩を判別することが困難な地域で苦労したために、他の地域で枕状溶岩を見る時は、かなり判別する能力ができていました。他の人が見分けられないところでも、枕状溶岩が見分けることができ、それの他の人に説明できるほどになりました。
 さて、話はいったん中断して、一見関係のないギリシア神話の話をします。
 ギリシア神話にキプロス島のピグマリオン(Pygmalion ピュグマリオンとも書かれます)という彫刻家が出てきます。その腕は超一流でした。しかし、結婚もせずに過ごしていました。結婚をしなかったのは、彫刻家として彼の目で見ると、どの女性も欠点があり、美的に満足できないためでした。
 そこで、自分が満足のできるような女性の彫刻をつくることにしました。彼が作ったその像は、完璧ですばらしく、生きた女性で足元に及ぶようなものはいないできでした。あまりの素晴らしさに、ピグマリオンはその彫刻に恋をしてしまいました。そしてその像に、服を着せたり、アクセサリーをつけたり、寝椅子に横たわらせたりして、まるで生きている女性のよう遇したのです。
 キプロス島の祭りの時に、祭壇に現われたアフロディーテ(愛と美の女神)にピグマリオンは、「像の乙女を私の妻として下さい」と願い出ました。その願いは叶えられ、像は生きた女性になり、二人は結婚しました。(以上ブルフィンチ作のギリシア・ローマ神話より)
 この神話は、西洋では結構有名で、人形偏愛症を意味する用語ピグマリオン・コンプレックスやピグマリオン効果などの用語を生み、いまでも使われています。
 ピグマリオン効果とは、心理学者ローゼンタールが、アメリカで実験したことが起源となっています。その実験とは次のようものでした。
 小学校である検査をしたところ、特定の児童たちの成績が、今後数ヶ月に延びるという結果が出たことを、新しいクラス担任だけに知らせました。そして数ヵ月後、成績を見てみると、本当にそれらの児童の成績は伸びていたというものでした。
 これだけなら何の問題もないのですが、実は、その検査はウソで、成績が伸びるとされた児童も、無作為に選ばれたものでした。どうしてこのようなことが起こったのでしょか。
 ウソの情報を教えられた担任が、伸びるとされた児童たちに期待をし、児童たちも期待されていることを意識した相乗効果ではないかと考えられています。このような効果をピグマリオン効果と呼んでいます。
 現在ではこのローゼンタールの実験には不備があったことがわかり、彼の実験結果自体は信じられていません。しかし、子供の能力に期待してその能力を信じるという指導者の態度は、重要で効果があるという認識はできました。それをピグマリオン効果と呼んでいます。
 私の枕状溶岩を見分ける能力を身につけたもの、実は指導教官のピグマリオン効果かもしれないと思います。
 卒業論文の他の同級生たちは、石を見分けるのに苦労をしていませんでした。私も、最終的には見分けられるようになりましたが、そこに至るまで他の人と比べると、かなりの努力を要しました。思い起こせば、人並み以上の努力をしていたことになります。しかし、私にはできるという根拠のない期待と、私はできるはずというこれも根拠ない自信がありました。それを支えに、人並以上の努力をすることを苦労と思わないでいました。そして最終的に枕状溶岩を見分けることができました。これは、ピグマリオン効果といえます。
 私の枕状溶岩には、後日談があります。卒業研究を終えた私には、枕状溶岩に対する異常なまでの執着と自信がありました。修士論文でまったく違う地域の枕状溶岩を研究することになりました。そこで実は同じ苦労をすることになったのです。
 私は、枕状溶岩の産状判別には、だれにも負けないほどの能力をもっていると自負していました。しかし、所変われば石も変わります。新しい調査地域で初夏に調査を始めたら、まったくといっていいほど見分けることができませんでした。たくさん薄片を作ってみたのですが、野外で見たものと一致しません。
 しかたなく、近くの大学で先生をした先輩のWさんにお願いして、顕微鏡を見てもらい、指導を仰ぎました。本当は野外で指導をしてもらいたかったのですが、そうもいかず、顕微鏡での指導でした。顕微鏡で石の種類は分かりますが、産状まで見分けることはできません。しかし、その時Wさんからは、野外調査の心得を教えていただきました。
 その心得とは、努力さえすれば産状は野外できっと見分けられるはずだというものです。もし見分けられなかったら、数cm間隔でもいいから、違うと思う石があればすべてとってきて顕微鏡で確認しなさいというこでした。Wさんも、野外調査をして最初は分からなかったときに、そのように詳細に調べることで分かるようになったとのことでした。ですから私にも、そのようにすれば、産状が分かるようになる、ということを教えてくださいました。
 その教えどおり私は、調査地域のメインとなるルートを決め、そのルート石は絶対に見分けて見せるという決意のもと、野外調査に戻りました。最初はなかなか分かりませんでしたが、後になるにつれて判別できるようになりました。Wさんのいうことは本当だと思いました。これもピグマリオン効果でしょう。
 この話にはオチがあります。調査の結果分かったことですが、調査地域の南側には大きな花崗岩が貫入しています。その花崗岩の熱によって玄武岩が変成作用を受けたため、初期の産状が見えにくくなってたのです。その影響を最初気づかなかったため、産状の判別が混乱して、分からなくなっていたのです。
 二人の指導者には、いい経験をさせていただきました。あなたならできるという信頼、私はできるという信念があれば、人以上の苦労をしていても、それは苦労ではなくなり、やがて目標にたどり着けるということです。自分ならその先にあるものが手に入れられるという信念こそが、そこまで至る苦労を苦労と思わなくさせる効果があります。指導者の信頼とそれに応えるようとする人の信念があれば、大きな効果が生まれることを身を持って体験しました。

・役割変更・
いよいよ3月です。
学校では年度の終わりとなります。
2次入試、採点、卒業式など、3月は何かとあわただしいのですが、
私にとっては、一番まとまった時間が取れる時期でもあります。
この時期でないとできないこともあるので、それを今一生懸命やっています。
たまった試料の整理、新しいプロジェクト2つのスタート
来年度の講義の再構築など、考えるとできること以上を
成そうとしているような気もします。
しかし、どれもやらなければならないこと、やりたいことであります。
励ましてくれる指導者や信頼してくれる指導者は、
今は周りにはいなくなりました。
師が自分の周りからいなくなるということは、
自分もそれなり高齢になったということです。
そして私の周りのいるのは、同輩や後輩たちです。
彼らも今では学生たちの指導者となっています。
私がそのような指導者にならなければいけないのです。
そんな年相応の役割の変更が起こっているのですね。

・ピグマリオン・
ギリシア神話にはピグマリオン(Pigmalione)という同姓の人が二人います。
一人は、今回紹介したキプロス島の彫刻家です。
もう一人のピグマリオンは
ティルス(Tyrus、レバノンの南西部の地中海に面する都市)の王です。
このピグマリオンは、女王ディドネ(Didone、カルタゴの建設者)の兄です。
いくつかの資料では、この二人が
ごっちゃになって混乱しているものもあります。
ピグマリオン効果のピグマリオンは、もちろん前者です。
バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』は、
この神話を題材にしたものです。
そしてこのバーナード・ショウをモチーフにして
映画「マイ・フェア・レディ」がつくられました。

2007年2月1日木曜日

61 推定と創造:地質図に織り込まれた4次元(2007.02.01)

 野外調査をするとき、地質学者はどんなことをしているのでしょう。そして野外調査をしたデータは、どのような処理がされるのでしょうか。

 地質学者の仕事の始まりは、野外で調査をすることです。地質調査では、大地を構成している石や地層がむき出しになっている川底や崖を詳しく調べてきます。柔らかい地層では掘り出すこともあります。そのような石や地層が出ているところとを、露頭といいます。
 調査をするとき、地質学者は露頭に向かってとして、いったい何をしているのでしょうか。もしろん露頭を構成している石や地層を詳しく眺めていきます。
 以前、私は、先生から、大きな露頭に向かうときの心構えを教わりました。まず、タバコの一本も吸う間くらい、露頭の全貌を離れてじっくりと眺めなさいということでした。遠目で大きな露頭を眺めると、細かいことは見えません。でも、大きな変化は見ることができます。大きな露頭での大きな変化は、その露頭だけの現象でなく、より広域の現象となる可能性が大きいからです。
 では、変化とは何かでしょうか。変化を知るには、まず普遍を知らなければなりません。普遍とは、その露頭を代表する石を見つけ、よく観察することです。そして、次に、なぜ変化をしているかを見ていくことになります。もちろん、代表的な石を目的に応じて、採取していきます。変化とは、普遍でないこと、連続していないことです。不連続には、境界がある場合と漸移する場合があります。いずれも変化です。
 漸移して変化する場合は、連続的に試料を採取して、その変化の原因や成因などを探っていきます。
 境界がある変化は、地層面、侵食面、不整合面、断層面などで起こります。境界面が重要な意味を持つことになります。そのため、境界面を測定していかなければなりません。面とは、3次元空間に存在する2次元の曲面もしくは平面です。
 平面の場合は、走行と傾斜と呼ばれるものを、クリノメーターという道具で測定します。傾いた地層面があるとします。その地層面の水平線を求めます。その水平線の方位(走行)を測ります。次に、その水平線に直行する下る方向の傾斜の線の方向と角度をクリノメーターで測定します。
 クリノメーターには、コンパス(方位磁石)の針と傾けると自由に動く針がついています。ただ普通のコンパスとは違って、コンパスの文字盤には、東西が逆に書かれています。クリノメーターを向けた方向は、北のコンパスが指す文字の位置で読み取ります。何も考えなくても、クリノメーターを向けた方位が正確に読み取れます。ですから測りたい面の水平線を見つけて、その方向と平行にクリノメーターを当てると、地層面の方位、つまり走行が読み取れます。
 また、自由に動く針は、クリノメーターを横に立てて使うと、常に下を向きます。その針をぶらぶらさせた位置で文字盤に書かれた、角度の目盛りで読みとれば、面の傾斜角を測定をすることができます。
 クリノメーターの動作原理と使用法は、文章で書くと分かりにくいのですが、実際に操作してみるとそれほど難しくはありません。今では、電子クリノメーターもできてきました。そしてデータも記憶してくれます。あとでコンピュータに取り込むこともできます。
 走行傾斜を測るときの問題は、地層面が平ではなく、でこぼこしていたり、曲がっていることがあるため、その崖の一般的な面を決めることの方が難しいほどです。馴れれば、それほど難しくはありませんが、最初のうちは戸惑います。その馴れが、経験というものでしょうか。
 野外調査で重要なことは、一つの露頭でもよく見ると、多数の地層、侵食、不整合、断層などの面があります。そのうちどれが地質学的に重要であるかの目星を、野外でつけておかなければなりません。できるだけ早い段階に、その目星をつけておくと、露頭の観察でも、重要な点に絞った調査ができ、効率的になります。
 地質学を始めた頃は、私もどの面が重要かわからず、苦労したことがあります。そして室内で作業や実験をして、重要性に気づいて再び調査をしたこともあります。これも経験でしょうか。先生の言葉は、この目星をつける極意を教えてくれていたのかもしれません。
 さて、クリノメーターを使って、大地にある地層、侵食、不整合、断層などの面情報を、広域にわたって記録していきます。野外調査によって得られた走行傾斜の結果を、地図に多数プロットしていきます。面の情報は、地図の上では2次元ですが、もともと3次元情報を読み取ったものです。ですから、3次元的に復元することができます。大地で3次元的とは、地形図が大地を2次元的に表しているものだとすると、3次元目は天地であります。地とは、地下への分布です。天とは、今は削剥や侵食で見ることができませんが、もとはあったはずの石のことになります。
 地下の分布を考えていきましょう。地質学的に重要と思われる面をなんとか見つけたとしましょう。丹念に調査すれば、地図上に調べた露頭ごとに境界線を表すことができます。もちろん露頭がなくて見えないところにも、境界線はあるはずです。
 そのような見えない境界線を正確に推定するには、地質図学という手法で、図面上で求めることができます。
 例えば、お菓子のバームクーヘンがあるとします。バームクーヘンには年輪状の輪があります。この輪ですが、包丁でさまざまな方向に切ってみると、切りようによって、輪に見えたり、放物線に見えたり、直線に見えたりします。地質図学とは、露頭で見た地層の切り口から、地層のもともとの分布を再現したり、境界面がどのように続いているかを推定する方法です。この地質図学は幾何学的なものですから、科学的で客観性があります。
 地形は、地層や石ができてから侵食を受けたものです。ですから、バームクーヘンの年輪模様が地層面にあたり、切り口が露頭あるいは地形などに当たります。ちょっとやってみるとわかるのですが、正確に図学でたどるのは、なかなか大変です。しかし、規則正しく地層が広がっていれば、つまり走行傾斜が変わることがなければ、地質図学は非常に有効です。今ではコンピュータのソフトウェアで行うことも可能です。
 狭い範囲で走行傾斜が安定していても、広域で見ると、走行傾斜はかなり変動することがあります。また、地質学的な境界面には、もともと不安定な面があり、図学では境界線を描けないものもあります。例えば、マグマが貫入したり流れたりした面、断層面、不整合面など、面自体がでこぼこしているものもあります。ですから、どうしても実際の地質図では、図学が通用しないところもあります。
 となると、一応図学を理解しながら、あとは実際に確認した境界面をたどりながら、一番矛盾のない境界線をフリーハンドで描いていくことになります。図学の推定にもとづいて、境界線を野外で新たに探すことも必要となることがあります。それでも辻褄があわなければ、推定断層などの不連続の境界をつくり、描かれることがあります。
 他の地質学者がみて、わかやりすいもの、筋の通っているものが、いい地質図となります。それは、経験や熟練の賜物となります。もちろん地層面などの境界線は、実在すべきものです。ですから、真実は一つのはずです。でも、残念ながら人間は、地下を覗くことができません。できることは、せいぜい地表を歩いて走行傾斜を測るだけです。地下の情報や境界面の地下への広がりは、推定しかできません。
 地質図を作成するということは、想像ではなく、ある根拠に基づいた推定となります。地質図学が使えるところは、その推定の精度は高くなります。そして精度のいい地質図ができれば、そこから地質断面図を作成することが可能です。地質断面図とは、地下へ境界面がどのように延長するかを推定するものです。それは、いよいよ必要となれば地下を探ること(掘ってみたり、ボーリングするなど)で、検証可能なことです。ですから、想像ではなく科学的な推定となります。
 では、天への分布はどうなるでしょうか。地下と同様に、地質図学によって今は亡きものを推定することになります。しかし、もう地層や石はなくなっているのですから検証はできません。ですから残念ながら永遠に検証できない推定となります。
 さて、地質学者は何のために地質をつくるのでしょうか。いろいろな目的がありますが、最終的には大地の歴史を探ることになるはずです。その地層や石は、いつ、どこで、どのようにしてできたのか、ということを解明することです。
 地質図は、2次元の図面でしたが、そこには3次元の情報が盛り込まれていました。しかし、地質図はもっと奥が深く、大地の歴史という時間の流れを読み取ろうという目的があります。時間が第4番目の次元として地質図にはあります。地質学とは、地表の野外調査から、天や地を推定し、過去を探るという4次元の復元を目指す学問です。過ぎ去った過去は、二度と繰り返すことはありません。地質図は、その過去の時間を、地質学推定から創造していくことを意味しています。

・4番目の次元・
私はかつては、上に示したような野外調査をしていました。
今でも、露頭や石を一杯見ますが、露頭で観察と共にすることは、想像です。
その想像は、大地の生い立ちに向けたものであったり、
大地の神秘を解明した科学者への思いであったり、
人と自然へのかかわりであったり、
地球や生命、宇宙の営みであったりします。
そんな多様を思いを感じるために、
歴史的に有名な露頭や、自分が重要だと思う露頭に立ちます。
感じてそして想像するのです。
少し地質学の本来の手法とは違いますが、
4番目の次元を目指す点では、同じだと考えています。

・野外調査のデジタル化・
今ではデジタルのクリノメーターができています。
そのデータはコンピュータに日時と共に取り込むことができます。
あるいは野外で地図をGPS付のPDAに入れ、
測定したクリノメーターのデータを入力するソフトもあります。
デジタルクリノメーターは、地層に当てるだけで走向・傾斜が
コンパスの針の振れが収まるまで待つという
煩わしさからも開放されます。
またそれらのデータをコンピュータで取り込み、
境界面の地質図学を使って自動で計算してくれるソフトもあります。
このように野外調査のデジタル化も進んできました。
何もかもデジタル化で地質学者の出番が
なくなっていくように思えますが、
人間にしかできない作業に
重点が置けるようになったと見るべきでしょう。
普遍と変化を読み取り、境界を見極めて測定点を決め、
境界の重要度を判断するのは地質学者の仕事です。
その重要性はどんなに時代が進んでもなくなることはないでしょう。
そして大地の生い立ちを解明するということも
地質学者しかできないことでしょう。
地質学者が他の分野んの科学者と比べて苦労していた点を
最新機器が手助けしてくれているのです。

2007年1月1日月曜日

60 自明の是非:複雑なものは複雑なまま(2007.01.01)

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 日ごろ当たり前と思っていること、誰でもわかるはずと思っていることで、本当はわかっていないときがあるのではないか、ということに思い至りました。そんな話です。

 富士山は、カレンダーの1月の写真としてよく使われています。たしかに悠然と風格があり、独立峰として孤高の美しさを感じます。多くのプロやアマチュアのカメラマンが、いまだに富士山を被写体にしているのは、尽きない魅力があるからでしょう。
 日本人なら、写真を示せば、説明がなくても、富士山であることが誰でも分かります。富士山の雪の状態や、周辺の景色から季節もすぐにわかります。ほんの一枚の写真から、非常の多くの情報を、私たちは読み取ることができます。富士山の写真をみせれば、富士山であること自明です。しかし、本当に自明なのでしょうか。
 例えば、北海道に住む小学生に、富士山の写真を見せたら、羊蹄山(ようていざん)と答えるかもしれません。なぜなら形が似ているからです。一目瞭然と思える写真でも、似たような形のものがあると、誤解を招くこともありうるということです。富士山は、日本人なら誰もが知っていると思うのは、早計です。
 普通の北海道の小学生は、富士山を見たこともないでしょう。大きくなって、経験や知識を得た後、そのような自明という前提を持つようになっていくはずです。
 富士山を小さい頃から見ている日本人は、日本でも少数派ではないでしょうか。とすれば、日本人の多くは、いつか、どこかで、「これが富士山だ」という理解をしたはずです。その経験を経てない人には、「自明」という前提は通じないのです。その経験の有無を確かめた上での自明なのです。自明にも前提があるのです。つまり、「誰でも自明」とは、必ずしも「自明ではない」のです。
 富士山は、非常に単純な例でした。いいたいことがわかりにくでしょうから、もう少しわかりやすい例を出しましょう。わかりやすい例とは、複雑な場合です。
 富士山の地質学的生い立ちを説明するときを考えましょう。生い立ちを言葉であれこれ説明をするより、富士山を構成する火山岩や火山噴出物など、活動年代の違うものを、地層境界として入れた断面図を示すことがよくあります。そんな地質断面図があれば、「富士山は、図のようにいろいろな時代に火山活動をした結果、今の形になりました。このようなものを成層火山といいます」と、説明すればよくわかります。
 必要なら図を指し示しながら、「断面の下から、小御岳火山は約70万年前から活動し、古富士火山が約8万年前に、そして現在の富士火山(新富士火山)が1万年前から活動しました」、あるいはそれぞれの石の性質や、火山灰がどこまで飛び散ったのか、溶岩の流れがどこまで達したのかなどを、一つ一つをそれぞれの図や写真を示しながら説明していけば、富士山の形成史がよく理解できるはずです。まさに百聞は一見にしかずです。
 では、図がなければ、説明できないでしょうか。もちろん図がなくても順番に丁寧に説明していけば、複雑なことでも説明できるはずです。でも、図を指し示すことによって、その複雑なプロセスを簡単に説明してしまってないでしょうか。そこに問題があるのではないかというのが、私の考えていることです。
 科学の世界では、説明のために図やイラストが多用されます。一般向けの科学雑誌では、写真やイラストのないものはありません。イラストを中心とした「ニュートン」のような月刊誌もあります。イラストがあればわかりやすいし、説明を読まなくても、わったような気になります。そう、わったような気になるのです。そこには、本当にわかった場合、本当はわかってないのにわかったような気分になっているだけ、の2つの場合が混じっているはずです。
 科学だけでなく、新聞や雑誌でも、説明のために図やイラストなどが当たり前に利用されます。あるいは図がなければ、説明できないものもあるかもしれません。
 デジタル製品や家電製品の取扱説明書などは、イラストや写真入りで、わかりやすく説明されています。デジタルカメラの説明では、各部分の名称からはじまって、バッテリー充電からはじまって、簡単な撮影、再生、保存、印刷などの方法を図入りで示し、そのカメラが持っているもっと高度な性能を活かすための操作法、トラブルがあった時の対処法などもイラスト入りで詳しく説明されています。昔の取扱説明書と比べれば、格段に分かりやすくなりました。それは、ソフトウェアの説明書のように、実際の画面に現われる図が付けられて、説明不足による操作ミスがないように配慮されています。
 図をみることで一目瞭然だから、説明するまでもないということですが、本当に、図を見て説明抜きでわかるのでしょうか。その「わかった」には、誤解はないでしょうか。
 説明とはある程度前提をおきます。特に科学の世界では、科学的素養をもっていることを前提とします。その素養とは、いろいろなレベルのものがあります。例えば、大学の専門教育では、大学の教養的なもの、専門の基礎となるような素養のあることが前提で進められることになります。大学の教養課程では、中学校・高校レベルの素養を持っているという前提の上で講義を進めます。理系の学生では、分数や少数の扱い(微積分も)や、元素記号、等速直線運動と加速度、生物の分類、地球の内部構造などは、基礎素養としてすでに身につけているものとして前提に講義が進みます。まあ、最近はそうでもないこともあるようですが。そもそも教育とは、あるいは知識とは、そのような知的積み上げのものに成立しているはずです。
 一般的な科学雑誌では、一般市民が対象ですので、大学の教養のような知的前提は置けませんが、科学に興味があるという前提をおきます。その前提があれば、できるだけわかりやすくと心がけられますが、数字やグラフ、少々複雑な内容も伝えられます。でも、そこには読者の理解したいという意欲をもっているという前提があるからです。考えてみると、伝え手はすべて、なんらかの知的レベル、前提を置いた聞き手を想定して、説明をしています。
 もし複雑な内容を伝えたいとしましょう。相手の素養の程度がわからないときは、できるだけ簡単なレベルからの内容を前提で進めることが無難でしょう。もし、伝える手段が会話あるいは文章だけであれば、想定している聞き手にわかってもらえるように、非常に基礎的な知識、内容を確認しながら、丁寧に説明していくでしょう。そして相手が説明の順番に内容を理解しながらついてきているかを確かめていくはずです。
 最初から図やイラスト、グラフなどが利用できるのであれば、それらを指し示しながら「内容をわかりやすく」説明をすることができるでしょう。もしいい図があれば、その図を見せれば、「説明など最小限にして」、理解してもらえるでしょう。時には、図を見れば、一目瞭然、自明として説明などいらないかもしれません。
 と、普通ならこのように図の効用が示せるのですが、実はそこに落とし穴がないでしょうか。難しい内容を、いい図があれば説明抜きにわかってもらえるというのは、伝え手の思い過ごしではないでしょうか。複雑な内容であるからわかりにくのであって、図があるからといって、内容が単純になるわけではありません。わかってい人(伝え手)が見るから、その図はわかりやすいものであるかもしれません。
 何も知らない人(聞き手)にとっては、初めてのわけのわからないことです。もし、一目瞭然の図があり、それからすぐに内容を理解できるということは、非常に単純にその内容を説明できるということではないでしょうか。つまり自分の理解が足りないのかもしれません。伝えたい内容はそもそも複雑な内容ではないということです。
 もし本当に複雑な内容であれば、聞き手は図を見ることによって内容を単純なことと誤解している可能性があります。複雑な内容なら、図からも複雑なものであると理解できなければなりません。そのためには、たとえ図を使ったとしても、丁寧な説明が必要ではないでしょうか。複雑な内容は、複雑なものとして説明しべきではないでしょうか。その複雑さを伝えるために図が利用されていればいいのですが、複雑なものを単純かのよう誤解を与える利用をしていないでしょうか。もしそうなら図の使用は間違ったものとなっています。
 最初に単に富士山の写真を見せたものと、富士山の地質学的生い立ちの例を出しましたが、明らかに地質の生い立ちの方が複雑な内容です。富士山の写真ですら、前提が通じなければ誤解を招きました。より複雑であるはずの地質断面による生い立ちが、図を見ながら説明したらわかりやすいといいましたが、そこにはもっといくつもの複雑な前提を置いているはずです。
 例えば、断面図はあくまでも推定されているものであること、地層の重なりはできた時間の順番を示し、その順番が断面として現れるというなどの前提をおいています。
 断面は、地表調査の結果、描かれるものです。もし、地表のどこにも現れていない層があれば、それは推定できません。また、断面の境界線が本当にそこを通るというのは、現実でもないし、確実でもないということです。断面図はあくまでも、そこを調べた地質学者が推定したものなのです。そのような不確かが前提とされている断面図なのです。
 断面に現れる順番ができた順番を現るという「考え」は、これは地層累重の法則と呼ばれるものです。下の地層や先にでき、上の地層が後にできます。下が古く、上が新しいのです。このようなことは、当たり前のように思えますが、実はこの地層累重の法則は、ステノ(Nicolas Steno、1638-1686年、デンマーク生まれ)によって発見されたものです。この前提は、科学的に検討されたものなのです。
 そのような学問的前提を聞き手に自明として求めるのは、いいことでしょうか。まして火山で断面図や地層累重の法則が利用できるには、火山に関するいろいろな知識を持った上で理解できるもののはずです。それを図を見たから説明なしに理解できるとは思えません。北海道の小学生に富士山の写真をみせて、富士山を自明として説明をしてくようなものです。子供たちは、羊蹄山の生い立ちを思ってしまっていることでしょう。
 前提抜きに語られたおかげで、重要な地質学的前提を理解せずに、「わかったような気」になっているのではないでしょうか。説明は、現状の一番最もらしいことに過ぎず、もしかすると新しい発見で簡単に書き換えられることもあるということも、一緒に理解すべきではないでしょうか。
 ここで示した例が、私の言いたいことを伝えるためにいいかどうかわかりません。でも、私の言いたいのは、図を利用することで、複雑なことを単純に伝えてしまってないかという不安、前提を間違ってしまうと、自明が通じなくなるという不安があるということです。
 自明が通じてないなら、理解できない聞き手を生みます。もし複雑なものが単純だと伝わっていれば、誤解をした聞き手を生み出しているかもしれませんす。もしかすると、わからない聞き手をつくりより、誤解した聞き手を生むほうが、問題かもしれません。それは、聞き手に、不利益を与えるかもしれないからです。
 大学の授業では、レジメを使ったり、黒板も使うことができますから、必要に応じて図を描くことがよくあります。私は、いつも図を描くようにしています。図を描きながら説明をしていきます。そして、「この図からわかるように」といいながら、講義を進めることが、ごく当たり前にあります。今までそれにあまり疑問を感じなかったのです。
 今回、上で述べたような疑問を感じたのです。人に複雑な内容を伝えるときは、複雑であるということも、内容とともに伝わらなければならないというこに、気づいたのです。これは、非常に大切なことをだと思います。そして、これを行うのは非常に大変な労力が必要だということも悟りました。伝える側も聞く側も大変です。
 伝える側の私にできることは、複雑な内容の説明には、逃げ道、近道、迷い道となるような図に頼りすぎず、遠回りでも、わかりにくくても、ただ着実に、一歩ずつ説明していくしかないのです。誠意を持って、着実にやるしかできないです。
 これが、私が気づいたことでした。そして、これに気づいたからには、これから人に伝えるときに大変になるということです。まあ1年の計として元旦に考えることとしては、少々重過ぎる課題だったかもしれませんが。

・前提・
今回の話にも出てきましたが、
すべての説明には、聞く人に、どこかに前提をおきます。
しかし、インターネットのWEBやメールマガジンのようなものは、
作者側に想定した読者を置くことがあっても、実際の読者は不特定多数です。
ですから、どんな前提も置けないのが本当のところです。
伝える側は、できるだけわかりやすく説明することが求められるわけです。
メールマガジンの性格上、文字だけで説明しなければならないのです。
図が使えれば一目瞭然なのに思うことがたびたびあります。
でも、それは明らかに近道を選ぼうということになります。
丁寧に説明すれば、きっと伝わるはずです。
その前提がなければ、誤解を与える危険性があのですから。
ですから、できるだけ丁寧に説明するようにしていきます。
このメールマガジンの想定読者は、大人です。
ある程度の漢字、言い回しなど、大人なら理解できる日本語を利用します。
そして、複雑なことも理解しようと読んでくれる読者であると信じています。
それが私の前提としている読者です。
でも、これは私の側の都合で、作り上げた読者像です。
メールマガジンの性格からして、
この想定読者は、そんなに外れたものではないでしょう。
もちろん、想定読者に合わない方もおられるかもしれません。
しかし伝え手としては、見えない読者には、なかなか対処できません。
でも、精一杯誠意を持って、
回り道でも手を抜くことなく努力することなのでしょう。

・年の初め・
毎年迎える正月ですが、
正月には過ぎた年、来る年について考えてしまいます。
そして昨年の反省とともに、今年の決意を固めます。
そして挫折を経験します。
そんな繰り返しをしています。
だったら最初から高望みしなければと思ってしまいます。
元旦とは、2006年と2007年という人為的に決めた時間の境目です。
国境なども人為的に決めたものです。
境界に立つと、人は、ものを思ってしまうようです。
人がつくった境界なのに、いや人がつくった境界だからこそ、
何かを考えてしまうのかもしれません。
年の初めとは、時間の区切りとして境界で
もの思うところなのかもしれません。