2004年1月1日木曜日

24 一流の研究者(2004年1月1日)

 新年にあたってある研究者の話をしていこうと思います。私が尊敬している研究者です。そんな研究者とのやり取りを私のメモと先生への手紙から再現したいと考えています。
 ある日、自宅に帰るとO先生から別刷り(雑誌に掲載された論文のコピーのこと、抜き刷りともいいます)と挨拶の手紙が届いていました。以前から、一緒に地層境界について、論文を書きましょうという話をしていたのです。
 それは、今考えると2年前のことです。中国の調査に2度一緒に行くことになり、そのときに、私の考えている地質の哲学に関する考えと、そのはじめの取り組みとして、地層における時間と境界に関することを取り組むという話をしていました。その考えに先生も共鳴いただき、一緒の研究しましょうという話をしました。私は、概念的な部分を論文にし、そして先生は現実の先カンブリア紀とカンブリア紀境界(V-C境界とよばれています)の境界についての考えをまとめ、できれば新しい境界を提唱するという約束でした。
 先生は、昨年は体調を崩されたのですが、復調なされ、また研究を始められました。もう70歳はとうに過ぎておられます。そんな高齢にもかかわらず、こつこつと研究を続けられ、約束の論文を書かれたのです。その報告の別刷りが送られてきたのです。
 正式版は、近々学会の雑誌に投稿される予定だと書かれていました。この別刷りと手紙を読んで、自分自身のふがいなさを思い知らされました。目標としていた地質哲学に関する研究が進んでいないのです。データは集め、アイディアは漠然と持っていました。しかし、なんの形にもまだまとまっていないのです。
 高齢の先生は、大学も定年されて、研究室も持たないのに、しかも大病の後なのに、あきらめることなくこつこつと研究を続けられたのです。すばらしいことです。研究者の目指すべき真の姿を見せ付けられたような気がします。一流の研究者とは、O先生のような人のことをいうのではないでしょうか。一流とは、こういう不屈の精神力、継続性をいうのではないでしょうか。そして目指したものは、ものにしてしまうのです。
 研究条件や体調がよくなくても、その環境に応じて研究を継続されているのです。このような精神性の高さが一流の証ではないでしょうか。この別刷りのお礼と、私の近況と約束がまだ守られてないお詫びと、そして約束の履行のための決意を込めて、次のような手紙を先生に書きました。

Oさま

拝啓
(時候の挨拶は略)
 昨夜、論文の別刷りを頂戴いたしました。ありがとうございました。早速読み始めましたが、大作なので、読むのにもう少し時間がかかりそうです。ところで、昨日の北海道新聞の夕刊で、カンブリア紀の生物たちのイラストつき解説が2面の見開きカラーで展開され、O先生やTさんの名前を見かけました。なんという偶然でしょうか。また、すでにご存知かも知れませんが、8億年前の氷河期に関して、かなりの科学的な進展がおこっています。「全地球凍結」"Snowball Earth Model"というものについてです。ナミビアが舞台となっています。Paul Hoffman博士を中心に研究が大きな展開を見ています。その様子に関して、川上紳一氏が「全地球凍結 」(集英社新書)という本を書かれました。ご参考になれば。
 約束の論文に関してお詫びします。まだ、私が書くといっていた部分ができていません。この大学に来て、2年目で、その間に書いた論文が、2編しかありません。自分の環境の変化というのは、言い訳に過ぎませんが、昨年投稿して今年の春に掲載されたのが、博物館時代の長期科学教育に関する仕事で書いたものです。また、こちらに来て一人ではじめた科学教育に関する仕事は、途中経過ですが、論文を紀要に書き、昨日渡したばかりです。あと2編ほど科学教育に関する論文を、この半年ほどで書く予定をしています。
 「地層境界」に関する論文に関しても、気にはしていますが、なかなかはかどりません。O先生は大病をされたのに、仕事をされているので、頭が下がります。私も、忙しいという言い訳をすることなく、O先生を見習って、こつこつと仕事をこなしていきたいと思います。
 私の近況をお話します。言い訳ではなく、このような仕事も大切であると考え、多くの労力を注いでいるということです。
 私は、この1年半に、カナダのニューファンドランドのV-C境界をみました(2002年7月)。その他に、イギリスのスコットランドの古生代(2002年9月)、ウェールズの古生代をみました(2003年9月)。どれも、アパラチアンのIapatus海の両側の古生層を見ることになりました。私は、現地にいっても、本格的な地質調査をするというより、その地層にじかに触れ、なにか感じるものがないか、あるいは地質の典型とされるところを、現代風の地質学を身につけた私が見たとき何を感じるか、ジェームス・ハットンがみたものと同じ地層を今の私が見たらどう感じるか、そんなことに注目してフィールドワークをしています。
 これは科学ではないというそしりを受けそうですが、これには私なりの理由があります。今まで還元主義的に科学が進んだおかげで、多くの自然の真理を解明しました。しかし、還元主義的に自然を見すぎたせいで、総合的、総括的、全体的あるいは感覚的に自然をみるという姿勢を、現代の科学者がなくしてしまったような気がします。科学者全員がそんな姿勢をとれというのではありません。誰もする人がいないから、だれかがそんな姿勢で自然、地質をみる研究者がいてもいいのではないかという気がしています。
 もしそんなことをしたとき、その地質学者はいった何を見るのでしょうか。そんなことを還元主義の弊害や限界が議論されているときにこそ、そんな総合的視点でみることが必要な時期が来ているのではないでしょうか。
 しかし、現在の業績至上主義の風潮な中にあって、このような悠長なことをしようという奇特な研究者がいるはずもありません。ですから、あえて、私がやろうと考えています。もしかするとそこからなにか新しい、地質哲学の芽が生まれるのではないかと考えています。
 このような経験を伝えることは、市民にとっても非常に新鮮ではないでしょうか。そんな考えの下に、ERSDACという組織が管理するASTERという地球観測衛星の画像と、私が撮影した地表写真、そして地質紀行文をあわせてホームページで公開するということを、今年の1月から、月一回のペースでおこなっています。これも、12月で区切りになります。
 大学の教育に関しても、生涯学習に関してもっと寄与すべきであると、私は考えています。大学の教養をもっと公開すべきだと考え、こちらに赴任してすぐに、私が担当している講義を、市民向けに公開する方法論に取り組みました。2年計画で、4コマ分の講義を毎週メールにして公開しています。これは、現実の大学の講義と同時進行しています。大学の講義で行った内容をテキストにして、メールで配信しています。大学の講義1回分が、テキストにすると2週分くらいの量になります。ですから、休みなく毎週メールを送り続けると、ちょうど半期で現実の講義と同じ分量を送ることができます。現在、このメールを約2500名の人が読んでいます。このような試みを昨日投稿した論文では方法論として提示しています。これも、毎週欠かさず継続し、来年3月で区切りとなります。
 もうひとつの試みは、視覚障害者の方とメールを交換し、障害者との協力によって、科学教育の方法論に何らかのフィードバックをするという試みを行っています。これは、まる3年ほどになりますが、毎週メールで雑誌を配信しています。その間、相手の視覚障者は、別の人に代わりました。100名程度の方がこのメールを読まれています。これもそろそろ区切りにしようと考えています。こんな内容を、終了後、論文にする予定でいます。
 さらに、北海道の地質について新しいテーマに取り組んでいます。それは、上で述べた内容とも関係があるのですが、どうせやるなら誰もやってないものを目指しています。誰もやってないことで、やっている自分が面白いもの、そして誰もが私がやっていることを面白いものと思え、自然科学でもちゃんとした科学になるようなものがないか考えています。
 贅沢な目標ですが、そのためには、今まで地質学者が素材にしてこなかったものを取り扱おうと思っています。それは、川原の石ころや砂です。堆積学や水理学ではある程度扱ってきましたが、自然科学として地質学者が取り組みは、最近みかけません。市民にとって川原の石や砂は、無条件にわくわくさせられるものです。動植物と同等の面白さがあり、市民にも魅力があるものです。この面白さを損なうことなく、科学にできないかということです。
 岩石の薄片はみんながきれいだと思いますが、同定や岩石鉱物の説明となると、とたんにつまらなくなる。星座や惑星は見ていて楽しいのですが、詳しい説明となると、とたんにつまらなくなる。そんなつまらなさをなんとか乗り越え、面白いまま伝えることができないかという挑戦です。
 そのために、素材は北海道の1級河川(13あります)すべての砂と石を系統的に収集するつもりです。3年計画で進めています。まだ、今年の春からはじめたばかりです。5つの1級河川を今年は調査しました。その実物データを収集し、デジタルデータをホームページで公開しています。問題は、それが科学にできるかどうかです。これには、今、知恵を絞っています。
 こんなことを、大学の講義以外に取り組んできたため、忙しくしています。でも、楽しくやっています。地質哲学の序章にあたるところは、大学の講義で取り組み、メモができています。それだけで、本4冊分くらいの量になりそうです。
 長々と私の近況を書いてきましたが、「地質境界」について、興味はまだ続いています。ですから、なんらかのまとめを早いうちに行いたいと考えています。
 これから寒くなってきますが、ご健康にはくれぐれもお気を付けください。
敬具

・謹賀新年・
 私はO先生に、上のような手紙を書きました。この手紙から2ヶ月ほどたちましたが、残念ながら、まだ「地層境界」の論文は書いていません。しかし、この手紙のあと、予定の論文を一つ投稿し、もう一つは論文も書き上げ、現在共同研究者に回覧中です。あと一つは、半分ほど書きました。予定通り、研究は進んでいます。
 でも、私は残念でなりません。自分自身の不甲斐なさをつくづく感じています。私自身が誰もやっていないことをやろうと考え、私の考えに共鳴されたO先生が、それにあわせて貴重な時間をこの研究に捧げておられています。申し訳ない思いでいっぱいです。しかし、これは中途半端にやっつけ仕事のようにこなすことは、O先生にもっと失礼だと思います。時間がかかっても、私なりに満足のいく内容に仕上げたいと考えています。これは、私の新年の決意でもあります。
 皆さんの新年の思い、一年の計はありますか。別に一年の計をもって計画がスタートするものばかりではありません。でも、なんとなく改まった気持ちで行うときには、元旦のような「きっかけ」を利用するのも手かもしれません。要はなんとか計画や夢を実現させることです。そのためには、それに向けての気持ちや集中力、モチベーションを高めることです。
 では、この一年もよい年になるように。