2018年1月1日月曜日

192 夢のはなし:若い頃の私に

 今年は、少々長い夢の話ではじめましょう。年齢のせいでしょうか、過去を振り返ることも多くなりました。過去の自分の生き方を考え、今の自分のあり方、残された時間の使い方を、考えるようになりました。

 初夢とは、元旦に見る夢のことです。元旦は大晦日が終わった0時からはじまります。大晦日には夜更かしをしていることも多く、元旦になってから寝る人もいることでしょう。その時に見た夢は、初夢とはいわないそうです。元旦の夜から2日にかて見るのを、初夢というそうです。私はこのエッセイを2017年の年末に書いています。ですから、2018年の初夢は、まだ見ていません。以前見た夢で、妙に記憶に残っているものがあります。それを紹介していきましょう。
 それは、若い時の私自身を、高所から見ている自分がいるという不思議な夢でした。博士課程の大学院生の頃でした。研究を進めることにもがき苦しみ、将来に不安を抱えて、こんな生き方、こんな日々を過ごしていいのかという不安に苛まれている時期でした。その時期は、研究テーマに強く興味があり、少しずつですが成果を挙げていました。しかし、周りのいろいろな大学院生と比べると不安がありました。すごく優秀で能力のある先輩たち、こつこつと成果を挙げ続けている同輩、すごく精力的に研究を進めている後輩たちもいました。周りの優れた大学院生たちをみていると、研究者としてやっていけるのかという不安を抱えている時期でもありました。
 話題が変わります。
 このエッセイは、2002年1月からはじまりました。16年目となりました。その間に、博物館から今いる大学に転職をしました。そして、少し前に還暦も迎えました。転職の前と、還暦前後など人生の節目節目で、人生を深く考えることになりました。いずれの時も、生活の安定した時期でもあったのですが、今後の自分の生き方を、深く考えたり、岐路であったり、人生設計を再考することにもなりました。
 それまで自分のやってきたことや興味を持ってきたテーマを振り返り、自身の今後の進む方向を考えました。自分にどのような能力があり、自身にはどのような研究に向いているのか、これまでのキャリアを活かしながら、自分の興味も満たすものは何か、という過去と今、そして将来について考えました。
 大学院生(夢で見た時代の自分)の時、研究の面白さと大変さ、そしてその道で食べていくことの難しさにも気づいた頃でした。地質学で自分が興味をもって分野で、能力と適正があるのかに疑問が生じていました。また、研究者として定職を手に入れる大変さ(オーバードクター問題があった時期)も感じていました。特別研究員の頃は、先端の研究を進めていく楽しみを味わっていましたが、一方では世界を一流の研究者を相手にする時の体力、精神力の消耗の激しさも感じていました。
 その後、博物館の学芸員として勤めることになり、これからも地質学も進めていく覚悟を決めたのですが、職務上、市民への地質学に関する科学教育を行う必要性がありました。科学教育も片手間ではできるものではなく、それなりに精力も時間をかける必要ありました。そんな時、科学教育で新しい試みをしてみたいというテーマもでき興味を覚えてきました。さらに、科学教育を進めるにあたって、他の学芸員や地域の人々と共同研究として研究することの楽しさ、新しい研究手法(インターネットの利用、障害者と連携、子どもへの長期教育など)を使うことへの興味も生まれました。地質学とは全く違った、科学教育という新しい分野で、研究をしていくことへの好奇心も湧いてきました。
 大学の教員に転身するとき、年齢的にこれが最後の転職となる考え、どのような地域、どのような環境で、何をするかを、深く考えました。
 地域として、私は都会が嫌なので、自然の残っている田舎で職を探しました。ただし家内との相談が必要で、都会と田舎の折衷した地域となりました。
 環境としては、学生がいて教育の実践ができるところ、理系ではなく人文系の大学が希望でした。なぜ人文系かというと、次の地質哲学を始めたいということがあったからでした。
 何をするかは、地質学と科学教育の他に、新たな研究分野として、地質哲学(地質学が扱っている素材、概念への深い思索)を進めたいと考えていました。ですから、科学(地質学)、教育(科学教育)、哲学(地質哲学)という3つの大きな興味を並行して進めていくことが、残された研究者人生でのライクワークとなるテーマにしたいと考えました。
 10ヶ所以上の応募の末、30人以上の応募者をくぐり抜けて、今の大学に運良く就職できました。でも世の中は、なかなか思い通りに進みません。
 大学では、似た分野で興味を持つ人がいなかったので、共同研究という形態はとれないことがわかってきました。一人で研究を進めることになりました。もちろん理系の設備はないので、純粋な地質学をすることはもともと諦めていました。そのかわり、地質学もシンプルな野外調査を中心としたものを考えていましたが、そのテーマは大学の生活が落ち着いてからとしました。このような状況で大学の教員としての生活が始まりました。
 テーマは考えた結果、博物館で進めてきた自然史学に基づいたものをすることにしました。素材としては、石や砂です。それらが存在する川(一級河川を中心)、海岸、火山(活火山を対象)としました。川原の石や川、海などにある砂を扱うことにしました。これらは地質学的素材ですが、これまで研究対象にあまりならないものでした。しかし自然史学の対象としては、一番ふさわしいものと思えました。
 地質哲学という、だれも考えていない分野を進めていこうと張り切ってました。それは、地質学で重要な成果をもたらした地層や露頭を見ることで、地質学的概念を深く考えていきたい思っていました。
 このような研究の興味を継続して、大学に来て15年が過ぎたとき、還暦を迎えました。そこでまた、自身の行先を深く考えました。大学教員として残された8年間を、いかに過ごすかということでした。
 研究論文は、これからもテーマのある限り書き続けるのですが、それを集大成していきたいと考えました。できれば毎年成果をまとめて本を執筆していこうと考えました。無謀かもしれませんが、とにかくやってみようと思いました。出版は、PDFの電子書籍にすれば、手軽に公開もできます。また少しの部数であれば、少額でオンデマンド印刷できることも知りました。成果を本にしていくことが、還暦になった時に考えたことでした。
 ライクワークとして「地質学の学際化プロジェクト」として可能な限り出版していこうと考えました。昨年度(2016年)には、第1巻地質哲学1「地質学における分類体系の研究」、そして昨年度末には第2巻総説(科学教育1)「自然史学の確立と自然史リテラシーの育成を目指して」を出版することができました。幸い研究費がついて製本して上梓することができました。
 本一冊をまとめるのは大変な作業なのですが、内容は自分の興味をもって進めてきたことなので、楽しい作業でもあります。そしてなにより、個人でも、ライフワークの成果を出版できる時代になったことは、非常にありがたいものです。
 さて、最初の以前見た夢に、話はもどります。
 若かりし頃の自分を見ていた私は、夢の中で、自分自身に向かって「そのまま進めばいいんだ」と届くはずのない声をかけていました。そして、「悩むことも大切だ」とも、声をかけていました。悩んでいること、そこには深く考えるという姿勢があります。「それが大切なんだ」と。そして、目が覚めました。その夢は、今もはっきりと覚えています。
 地質学の研究としては、興味が変わってきたこともあって、ほとんど学界に貢献できませんでした。しかし、興味を持っていることを一所懸命におこない、成果を出し続ければいいのです。興味を持っているものが変わってきても、一所懸命にやり続ければいいのです。そうすれば、一生楽しめることを、若い時分に伝えたかったのです。
 今までの人生の経験から、私は科学的な新知見を見出すことより、新しことを取り込み、面白いと思えることは、長く継続することをしてきました。科学教育の一環として、文章を書くことに楽しさを覚え、熟練してきました。興味のあることを、わかりやすく文章化していくという能力が身につきました。
 優れた才能のある研究者たちには、かなわないことはわかりました。しかし、幸いなことに自身の得意とすることを見つけることができました。それは大学院の時代に、なにより地質学の道を進むこをと諦めなかったこと、努力を継続してきたこと、深く悩むことで深く考える力が身についたからでし。さらに、何度も転身して新しいことを始めるのが楽しくなったこと、書くことができるようになったことでした。現在の自分は、若い頃から歩んできた集大成として、存在しているのだということを教えてくれる夢でした。
 夢の中の若い頃の自分と、今の自分、そしてこれまで人生を振り返るという昨年みた私の夢の話でした。

・年賀状・
明けまして、おめでとうございます。
皆さんは、年賀状をそれくらい書かれているでしょうか。
今でも私は、紙の年賀状を出しています。
少しずつ減らしているのですが、
今年から、縁の薄くなりそうな方には、
今後年賀状を出さない旨の年賀状をお送りしました。
今まで出していた多くの人に、
その年賀状を送ることにしました。
人生の終わり方を考えたためです。
もし気になるようでしたら、
ホームページを見ていただければ
その一部を公開しています。

・一所懸命・
人生を考えるということは、
納得のできる生き方をすることだと思います。
でも、納得は後にすることですから、
今は、与えられた条件で、
一所懸命に考えるしかありません。
その結果がどうであろうと、
次の段階、条件で、一所懸命を
繰り返していくしかありません。
それが私の生き方となりました。