2019年8月19日月曜日

212 両忘:未解決問題に挑む

 相対立することは、よくあります。結論がでないのであれば、未解決として、先送りできばいいのですが、そうもいかないことが多々あります。未解決問題の対処に、両忘という考えがあります。両忘をした孤高の天才数学者がいます。

 数学の世界は、大部分の場合、正誤をはっきりさせられるものから構成されています。また、解をもたない場合もありますが、その時にもはっきりとした「答え」があります。例えば、
  f(x)=a・x
という方程式を考えましょう。
  a=0 かつ f(x)=1
であれば、この方程式は、xについての解はありません。そのような場合、「不能」という「答え」になります。また、同じ方程式で、
  a=0 かつ f(x)=0
となる場合、xについての解は定まらないので、「不定」という「答え」になります。
 数学では、解がなければ「不能」、解が定まなければ「不定」という「答え」があることになります。それ以外で、まだ解がわかっていない、まだ証明がされていない問題は、「未解決」となります。問題が未解決とはっきりしているので、あとは解く努力がなされることになります。
 フェルマーの定理やポアンカレ予想など、有名な未解決問題がありました。フェルマーの定理は、1995年にアンドリュー・ワイルズによって、正しいことが証明されました。ポアンカレ予想は、2002年にグリゴリー・ペレルマンよって解かれました。ワイルズに関する本を読んだのですが、フェルマーの定理の証明は、取り組んでいたことを隠していました。まともな数学者は、フェルマーの定理などには挑まなかったようです。証明を投稿した後も、検証の過程で課題が見つかったのですが、なんとか解決することができました。
 数学には、他にも未解決問題は多数あり、有名なものでは、P≠NP予想やリーマン予想などがあります。ポアンカレ予想やP≠NP予想、リーマン予想などは、未解決な「ミレニアム問題」として、2000年に7つ提示されました。ポアンカレ予想以外の他の6つは、今も未解決のままです。数学では未解決問題は存在しますが、「未解決」であるとわかっているので、まあ白黒はついていませんが、「灰色」とはっきりとしているといえます。
 ところが、世の中、物事には、白黒がはっきりしないことが多々あります。ある状況に関しての苦楽などの感じ方は、自分自身のことであっても変わります。同じ状況であっても、精神的に安定していれば楽しく思え、精神的に疲れていれば苦に思えることもあるでしょう。行為の善悪でも、ある人の行為が、見る人によって、善いことと映ったりしたり、悪いことと見えることもあるでしょう。これは、状況や考え方などにより、判断基準がいろいろありうるためでしょう。
 さらに言えば、万人に一致した基準があったとしても、その基準に白と黒の間に漸移する灰色の部分があれば、灰色とはいっても濃淡があるので、人によって想像している灰色は違っているでしょう。灰色の濃淡部を定量化できればいいのですが、世の中の物事の判断には、定量化できないことが多くあります。ところが、灰色であっても判断をしなければならなかったり、議論して結論を出したりしなければならない場面もあります。そんなときは、困ってしまいます。
 議論する時には、どうしても自分の基準が中心にあり、そこから相反する人の意見をみてしまいます。相反する意見の側には、別の基準があるはずです。人の基準より、どうしても自身の基準に従ってしまいます。
 決着の見ない議論をしているときは、参加者全員に消耗してしまいます。時には、相手に対して、感情的な不快感や敵意さえ抱いてしまうこともあるでしょう。行き詰まった局面を、どのようにして解決すればいいのでしょうか。数学の世界なら、未解決問題として先送りすことができました。しかし、社会や組織などの現実においては、先送りできない課題もあります。
 禅の世界にひとつの考え方があります。「両忘(りょうぼう)」という考え方です。これは、対立する両者の論点を、忘れてしまうこといっています。善も悪も、苦も楽も、一旦忘れ去ってしまいます。そうすることで、相対立する場から脱出することができます。執着や確執、感情も、いったんゼロにリセットします。
 その後、ゼロから再度、皆で考えていきます。あるいは、そもそも異なっていた基準についての話し合いから、はじめることも可能でしょう。一見、遠回りに見える考え方かもしれませんが、もしかすると、そのほうが近道なのかもしれません。
 さて、数学の未解決問題に戻りましょう。ポアンカレ予想を説いたペレルマンに関する本を読んだり、NHKのドキュメントも見たことがあります。彼は、小さいときから天才的で、大きくなってからもその能力は継続していました。数学者として、人との関わりも普通にもてていました。
 ところがポアンカレ予想を証明の公開のあたりから少々変わった行動をするようになりました。証明論文は、査読があるような学術雑誌ではなく、arXiv(アーカイヴ)というサイトに、2002年11月に投稿されました。arXivは、理数系の論文を無料で投稿でき、無料で閲覧できるところでした。そこは、一般的な査読のある学術雑誌のような公式の場ではありませんでした。また、ペレルマンは証明したことを講義で説明をおこなったこともあるのですが、専門が違っていたり、物理学の手法を使っていたりしているので、聞いた数学者にも全く理解できなかったようです。
 非常に難しい問題の証明だったので、ペレルマンの論文が正しいかどうかを、3つの数学者チームが長い時間をかけて検討しました。その結果、2006年に正しいということが報告されました。
 ミレニアム問題には、クレイ数学研究所から、懸賞金(100万ドル)がかかっていました。ポアンカレ予想にも懸賞金がかかっていたので、ペレルマンに、それ送ることが決定していました。さらに、数学のノーベル賞ともいわれているフィールズ賞も、ペレルマンに与えることになっていました。しかし、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」といって、いずれも辞退しました。フィールズ賞の辞退は初めてのことでした。懸賞金もフィールズ賞も、数学者にとって、願っても得られない大金あり、数学の世界での一番の栄誉です。しかし、ペレルマンには、金も賞も「両忘」となったようです。
 ペレルマンは、2005年12月にそれまでいた研究所に退職届を提出した後、顔を出していません。そして世間からも姿を隠しました。研究所退職後、世間との交流をまったく断っているようです。彼は、なにものにとらわれない、孤高の数学者になったようです。今も未解決問題に挑んでいるといいのですが。

・野外調査・
このエッセイは予約配信しています。
現在は、野外調査に出ていて、
終盤に差し掛かっています。
今年の野外調査は、山陰地方にでています。
昨年も同じところへ行く予定を組んでいました。
ところが、前日起こった北海道胆振東部地震と
その後の全道停電でいけなくなりました。
地震の直前には、台風による被害もありました。
昨年、北海道は散々な目に会いました。
昨年のことですが、ずっと前のような気がします。
今年は、無事調査が終わることを願っています。

・数学・
高校時代までは数学は、
好きで得意でもあり、興味もありました。
しかし、大学に入った頃、一気に興味が遠のきました。
受けた数学の授業では、
応用は各自おこないなさい。
時には、証明については
各自でおこなっておきなさい、というものでした。
大学に入って、気の抜けていた私は、
受験生のときには、全く接することができなかった
野外へと興味が移っていました。
数学は、少しさぼるとついていけず脱落しまし。
北海道の自然の素晴らしさに魅入られました。
それ以降、自然に接する野外調査が
研究の中心になっています。

2019年8月1日木曜日

211 ブーム:科学として残るもの

 どんな時代にも、どんな分野にもブームがあります。科学にもブームがあり、現在も起こっています。ブームには、以降当たり前として定着するものも、一過性に終わるものが多々あります。中には禍根を残すこともあります。

 私は、ブームはあまり好きではありません。なぜなら、一時的なもので、継続性がないからです。社会に生きていく上で、ブームも最低限のことはフォローする必要もあるでしょうが、私はできる限り近づきたくはありません。
 ブームの最たるものとして、ファッションが挙げられるのではないでしょか。大学にいると、若者のファッションが目に入ります。そのファッションはいかがなものかと思えるもの、いくらなんでもと思えるものあります。まあ、ファッションのブームですから、目くじらを立てることはないですが。
 古いところでは、ルーズソックスや厚底靴などもありました。今は、「前だけイン」(シャツの前だけをズボンやスカートに入れる)や「チューススカート」(短いスカートなどの上にスケスケの生地のスカートを合わせてはく)などがはやっているようです。ファッションで「いかがなものか」と思えるものは、ブームが去ると再び流行ることはないようです。一方、多くの人がブームで流行って、いいな便利だなと思えるものもは、何度か繰り返して流行ります。夏になるとホットパンスやショートパンツ、ミニスカートなどは、毎年、着ている女性を見かけます。
 研究の世界、もちろん地質学の世界でも、ブームがあります。
 あるアイディアが導入されたことでブームが起こることがあります。例えば、中生代白亜紀の終わりに恐竜が絶滅したという事件がありました。その時代はK-Pg境界と呼ばれ、かつては何らかの地球内の異変によって引き起こされたと考えられていました。ある論文で、隕石の衝突によって起こったという説が提唱され、その後、ブームになりました。多くの地質学者が、自分のもっているスキルを、世界各地のK-Pg境界の岩石に注ぎ込んで、論文が量産されました。当時は、K-Pg境界の論文は話題性があったので、書けば研究雑誌に掲載され、参照されることも多く、一大ブームになりました。それらのブームとなった研究のおかげで、今では子どもでも、恐竜絶滅は隕石衝突によるということを知るようになりました。
 K-Pg境界の研究は、当時の最先端の分析技術や素材へ収集のアイディなどが投入されたので、この時代境界は、他のどの時代境界よりも、多様なものの分析や年代が精度良く出されていました。最先端ではありますが、新規の技術や装置によるものではありませんでした。絶滅が隕石によるという概念が導入され、それを証明するために、既存の最先端技術や、多くの人材やを投入して、調査や分析がなされました。その成果は、今も残されています。
 これまで未開拓地に科学の手が伸びた時、一気にブームが起こることがあります。例えば、アポロ計画では11年間で6回に渡って月面を調査し、総量381.7kgの試料が持ち帰られました。現在でもその試料は、ヒューストンにある研究所に保管されていますが、研究者にも試料が提供され、月に関する研究が一気に進みました。1960年代から1980年代にかけて大量データや文献が公表され、月に関する研究がブームになりました。一気に月が科学的データをともなった実態が明らかにされました。1991年には「Lunar Source Book: a user's guide to the moon」という分厚いデータ集(736ページ)が出版されました。一つの地域で、これだけ各種のまとまったデータが公開され、整理されたのは、当時としては稀なことでした。
 新しい技術や手段が導入された時にも、研究が一気に進みブームとなることがあります。現在の日本の地質学でブームが起こっています。それは、ジルコン粒子による年代測定です。ジルコンというのは、花崗岩質のマグマからできる結晶(鉱物)です。丈夫な鉱物で、火成岩が風化や侵食を受けても、もとの成分を保持したまま、砕屑物として堆積岩の構成物になります。このような堆積岩の中のジルコンは砕屑性ジルコンと呼ばれています。古い火成岩でも、堆積岩になってからでも、変成作用を受けることがあります。変成岩になっても、ジルコンの内部には、火成作用のときの情報が残されることがあり、その外側に変成作用で形成された部分もできます。そのようなジルコンを取り出せれば、火成作用と変成作用の両方の時代の記録を、読み取ることが可能になります。ただし、ジルコンを岩石から分離し、分析するまでの手間はかかります。大変な作業を経て、これまで変成作用を受けてマグマが固まった年代が不明になっていた火成岩の年代や、侵食されてなくなってしまった造山帯を砕屑性ジルコンから復元をする研究が、日本で最近ブームになっています。そして、この成果として生まれた、新しい造山運動のモデルは定着していきつつあります。
 一方、間違った概念(モデル)や技術によるブームも起こることもあます。最近ニュースにもなりましたが、「優生学」です。優生学とは、人類の遺伝的素質のうち、悪質の遺伝形質はなくし、優秀で健全なものだけを残そうとする考えです。戦前はナチスドイツが悪用し、日本では戦後も適用していました。現在でも、家畜や作物などの品種改良では、有用な遺伝的形質を遺伝子操作で利用する技術は実用されています。それを人間に適用するのは、倫理的には大きな問題となるはずです。しかし、人工授精などの分野では、遺伝子操作されたデザイナーベイビーとして、最先端の技術で行っているところもあるようです。
 科学のブームにも、一過性であまり成果の残らないものも、技術や方法、概念として定着するものもあります。時には、科学的に間違ったブームもあります。できれば、研究者としては、将来に成果として残るブームを生み出すようになりたいと思っているはずです。
 多くの研究者は、発案者や提唱者は無理だとしても、せめてブームには乗り遅れないようと思っていることでしょう。ブームに乗ることは、実は案外楽なことです。なぜなら、自分で独創的なアイディアを生み出す必要がないので、素材や対象を変えてアイディアやモデル、技術を適用すればいいだけだからです。多少の努力は必要でしょうが、発想力は必要ありません。
 しかし、乗っているブームは本当に将来に残るものでしょうか。もし科学として禍根を残すようなものであれば、それに加担したことになります。確実に重要だとして残るものだけでなく、残るかどうか曖昧なものもあるでしょう。そしてブームの中にも、重要な成果なるものと、多数の成果の一つに過ぎないものもあるでしょう。
 科学的裏付けが背景にあるよう見え、社会的に取り組んでいるテーマや問題に関するブーム(?)として、地震予知、原子力安全性、温暖化問題、SDGs(持続可能な開発目標)などがありますが、10年後、100年後、それらは成果を上げて、課題解決され定着しているでしょうか。それは、時代が判断を下すことになります。
 最初に述べたように、私はブームは好きではありません。かと言って、自身で新しいブームを生み出すこともできないと思っています。研究の上で重要な成果で関係するものはフォローしていきますが、自分がそのブームに参加することはもはやないでしょう。学生たちのファッションを眺めるように、科学や社会のブームも、遠目で見ていくことになります。ただただ自分の中にある、ブームではなく継続的に熱中しているものに専念していきます。
 例えば、科学や地質学、特に自分自身の研究に関わる話題を、深く掘り下げて考えていくことです。このエッセイも、その発露の一つです。また一連のテーマで書いていく論文は、自分自身でのブームなのかもしれません。これらは、一生続けていきたいものですね。

・猛暑・
7月末から蒸し暑い日が続いています。
ぐったりしています。
学生は定期試験を受けています。
ただし、教室は今年からエアコンが設置されたので
なんとか大丈夫でしょう。
他にも図書館や学生が集まれる場所にはエアコンが入っています。
しかし、研究室は入っていません。
まあ、私の大学では多くの教員は、
研究室にいる時間は短いなので
不在の時間が長いので無駄なのかもしれません。
私は、月曜から土曜まで、早朝から夕方まで滞在しています。
通常、研究室にいます。冷房が欲しいのですが、
数人のためにつけることはできないでしょう。
だから、西日の当たる真夏の午後は早く帰ることになります。
まあ、ぐちをいっても仕方がありません。
午前中に集中して進めていきましょう。

・オンデマンド出版・
今年の出版計画は順調です。
ただし、研究費が採択されなかったので、
自前の研究費で出版することになりました。
今までの印刷屋さんではできなくなり
オンデマンドの業者さんですることになりました。
まだ、仕上がりは見ていないので、
途中の作業や本の仕上がりはわかりませんが、
今後、このスタイルでの出版になるかもしれませんね。