2018年2月1日木曜日

193 若者よ、失敗を恐れるな、糧となる

 どんなに偉人、天才と呼ばれた人であっても、皆同じような苦労や失敗をしています。失敗を恐れず、立ち向かうことです。失敗こそが今後の人生で大きな糧となります。これは自身で経験から学ぶことなのでしょう。

 大学の教員をしていると、常に若者と接すっしています。若者が大学の4年間での学びを手助けするのが、教員の仕事でもあります。しかし、大学に来る若者の中には、実家を離れての一人暮らしの自由さで弾けていくもの、新しい友人関係やクラブやサークル、趣味など興味のあることにのめり込むもの、アルバイで得たお金に魅力を感じているもの、そんな若者も結構な比率で見かけます。学生は、大学では学びという本業があるので、そのような目先の楽しいものについついのめり込んで、本業をなおざりにする若者もいます。それがもしかすると将来の本業になることもあるかもしれません。でも、なぜ大学にいるのでしょうか。高い授業料はなんのためなのか。アリストテレスは、「私は敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者を勇者と見る。自分に勝つことこそ、もっとも難しいことだからだ」といっています。目先の楽しさは、人生においての大敵になります。それに打ち勝ち、本業に向かうことこそ、大学生の本分でしょう。
 大学は最高学府なので、学びの手助けをするのが、教員の主たる仕事です。しかし近年では、多くの時間を、挫けそうな若者に手を差し伸べるために費やしているように思えます。それは、決して無駄ではなく、若者が成長し、変化し、立ち直っていくのを見るのが、やり甲斐にもなり、楽しみでもあります。もしかすると、失敗体験は、その若者にとって、学問以上に、重要な人生の学びになるかもしれません。アインシュタインも「失敗をしたことがない人間は、新しい挑戦をしたことがない人間である」といいます。私も、挑戦することが重要で、失敗を恐れてチャレンジしないと、何も得られないことも学んできました。
 若者は、大学の4年間で、それぞれの目標に向けて、いろいろな学びや経験を積みながら、成長して、卒業していきます。大学の学びが、今後の人生でどの程度役に立つかわかりませんが、若い時苦労して得たものは、将来きっと役に立つと思います。ゲーテはいいました「若くして求めれば、老いて豊かである」と。私も、長い人生で多くの失敗をしてきました。その苦労は現在の自分を支えています。
 大学の教員の目は、常に在学中の若者に向かいます。その繰り返しが、大学教員の日常となります。私自身は変わらないのですが、若者が常に変化していくので、常に新鮮な気持ちにさせられます。ただし、私は着実に年齢を重ねていきます。気づかぬうちに還暦も過ぎてしまいました。
 私が教員として若者たちに接する時に誇れることは、多様な失敗を経験している点にあるのはないかと思います。年齢とともに失敗は多くなるので、これが、老人の誇れる点です。現在の若者の悩みと同じものはないのですが、多数の失敗経験があると、そこには似た経験があります。ですから、そちらにいくと失敗するよ、というアドバイスはできます。それでも、どの選択をするのかは、若者自身に託されています。苦労しない側、逃げる側に失敗が多くあるので、ついつい若者はそちらを選択してしまいます。そして、失敗をします。アインシュタインは、「常識とは、18歳までに積み重なった偏見でしかない」といっています。私もそうでした。でもそこから、何を学ぶか、が重要です。
 私の失敗体験から些細な余談を。忘れ物とスケジュール管理のミスです。修士課程に卒業式の日にちを間違えて会場にいったこと、免許の書き換えにいって免許証を忘れていったこと。手痛い失敗は、二度としたくないので、防止策を講じました。忘れ物をなくすために、身につけるもの(財布:常に免許証はここに、スマホ、カギ類、ペン)は、いつも衣類の同じポケットに入れること、帰宅後、それらは、自宅でいつも同じところ保管し、自宅を出る時に同じポケットに入れることにしています。スケジュールは、自作のカレンダーにすべてを記入し、管理してます。カレンダーは、ノートと共に常に持ち歩くようにしています。記憶に頼ることは止めて、記録で対応することにしました。デジタルにしようとしましたが、うまくいきませんでした。余談でした。
 私にとっても大学の4年間は、将来もわからないのですが、受験から開放され、好きなことを学びたいという気持ちに溢れてました。しかし、なかなか自力では学べませんでした。4年間の大学の生活の中でも心に残っていることは、大変な思いが多かったのですが、学びの苦労と楽しみと師との出会いがありました。大学での学びに対しては、それなりの努力をしました。学びの苦労の末の楽しみの体験が、私を研究者の道へと導きました。考えると学びの苦労と楽しみは、苦労することが方が多く、楽しみの方が少なかったと思います。ゲーテは「『やる気になった』というだけでは、道半ば」といいます。苦労して、努力を継続した先に楽しみがあります。そして、何人かの師との出会いも重要でした。学部時代、修士課程時代、博士課程時代、オーバードクター時代、特別研究員時代、博物館時代、それぞれの時代に師に会いました。その出会いで学問の面白がさ継続され、その道を進むことができました。
 学ぶために苦労することに、どうも麻薬的な魅力を感じているようです。そして今の私の学びでは、日常的に苦労を継続することが当たり前になり、楽しみの方を感じるとすぐに、次の苦労を求めているような気がします。大学の後期の授業終わった当たりから、苦労しながら研究することが楽しみになってくる時期です。毎日が、研究できることでワクワクしています。一種の躁状態なのかもしれません。
 若者は、4年間の大学生活の後、期待と不安に胸を一杯にしながら、社会にでていきます。若者にとっては、大学とは人生のいち場面、長い人生の一部にしかすぎません。しかし、その期間での学び、失敗の経験、仲間と師との出会いは、私にとっては、非常に重要なものになっています。私は、その大学生だけでなく、さまざまな時代、多くの師に手助けをいただきました。私が大学教員になり、若者と接するようになったのは、師への恩を若者へと返していくことになっているのかと思うようになりました。
 若者よ、失敗をすることは、痛い。だが、それを恐れてはいけない。アインシュタインはいう「チャンスは、苦境の最中にある」と。

・頑張れ、若者たち・
2月です。大学も後期試験が終わりました。
2月から3月にかけて、大学4年生が公式行事は
卒業式だけです。
ただし、実際には4年生は、いろいろことに向かっています。
ある時は、卒業旅行や最後の自由を謳歌します。
それは、大学生活を最後まで味わいつくそう
としているのでしょうか。
企業の研修に参加したり、
教員となるものは、スキルを少しでも身につけようとします。
社会に出る時に不安を少しでも解消するためでしょうか。
どんな2ヶ月を過ごしても、
若者には、4月は同時にきます。
そこからは大学や教員の助けはありません。
自身の力で生きていくことになります。
頑張れ、若者たちよ、と、
この時期いつも思ってしまいます。

・ジレンマ・
一人の人間に与えられた時間や
できることは限られています。
大学教員が、問題を抱えた若者に真摯に対応するということは
それだけ多くの時間と精力を、
ひとりに注ぎこむことになります。
その分、他の若者への時間や精力が減ってきます。
もし、少しの手助けをしてあげるだけで、
大きく変われるかもしれない若者が多数いるかもしれません。
時間や精力の配分のジレンマに常に悩まされます。
答えのないジレンマなのでしょうね。