2006年9月1日金曜日

56 盲点を見る:背理法(2006.09.01)

 素晴らしいアイディアの思いつくには、数学の世界で使われるているものを使ってみることもいいましれません。

 世の中には素晴らしいアイディアがあります。そんな素晴らしいアイディアに触れたとき、感動してしまいます。そんな素晴らしいアイディアを思いつく人の偉大さを思いながら、そして自分もそんなことを思いつきたいなと考えてしまいます。そんないいアイディアを簡単に思いつくことはなかなか難しいこともわかっています。簡単に思いつけるようなものであれば、感動するようなものにはならないでしょう。
 素晴らしいアイディアを思いつく方法はないでしょうか。一般的な方法はありません。素晴らしいアイディアは、数学の中でたくさん見つけることができます。ですから数学の素晴らしいアイディアをたくさんみていき、そこから上手くいく方法を見つけ出せばいいのです。数学では、そのような方法を一般化していますので、それを利用すればいいのです。
 「素数は無限個ある」という証明に、私が感動したアイディアがあります。
 「無限個ある」ということを証明することは、非常に難しいことです。ひとつひとつことで「ある」ということを証明していっても、無限個あるはずなのですから、証明に終わりがなく、結局は証明できません。つまり正攻法で証明をしようとしても、証明できないのです。
 まあ前置きはこれくらいにして、証明を示しましょう。
(証明)
有限個の素数p1、p2、・・・、pnしかないとする。
そのとき
X=p1×p2×・・・×pn+1
となるような自然数Xの素因数分解を考える。
Xは素数ではないから
p1、p2、・・・、pn
のどれかで割り切れるはずである。
ところがXはどの素数で割っても1余ってしまう。
これは最初の有限個あるという前提と矛盾する。
したがって、素数は無限個ある。
(QED)
どうですか。非常に短い証明ですが、論理的に成立しています。
 この証明方法は、最初に「素数は無限個ある」という命題が成り立たないと仮定しています。ですから、「有限個の素数しかない」という前提から出発しています。その前提で証明のプロセスを進めていき、最終的に矛盾が生じることを示していくのです。
 矛盾が生じたとすれば、どこかに論理的におかしいところがあるわけです。もし証明のプロセスにおかしいところがないのであれば、おかしいのは最初の仮定です。このようにして証明したいないようを否定した仮定が、間違っているということをし示して、証明するという理屈です。
 ここでは、「有限個の素数しかない」という仮定が間違っていることになります。「有限個の素数しかない」が間違いであるのなら、「素数は無限個ある」ということになるという証明です。
 このような証明法を、背理法と呼びます。
 背理法とは、上手くいけば、上で示したような素晴らしいものが生まれます。しかし、これを思いつくのは非常に困難です。なぜなら、人間の普通の考え方からはなかなか生まれないものだからです。逆にいうと数学のような論理の世界だからこそ、思いつけ、素晴らしいと思えるのかもしれません。
 背理法のように、素晴らしい思えるものが、数学の世界にはたくさんあることがわかります。
 別の例を示しましょう。
 ある数列を探るゲームです。ある規則で並べられた3つの数字があります。その規則は、出題者(私)が決めて、私だけが知っているものです。その数字の規則を知るために、質問者(読者)が、自分が考えた規則で作られた数列を提示することができます。出題者は、質問者の数列が正しかかどうか、YesかNoだけで答えるとします。
 ではゲームをはじめましょう。
  2 → 4 → 8
規則にしたがった数列です。
いくつかの質問者の例を示し、私の答えを示しておきましょう。
  4 → 8 → 16:Yes
  8 → 16 → 32:Yes
  2 → 4 → 6:Yes
「おやっ」と思われた方がいると思います。そんな方は、すぐに別の規則を思い浮かべたでしょう。
  1 → 2 → 4:Yes
「なんだ、これは」と思われたことでしょう。
  1 → 3 → 5:Yes
「ああ、もうわからない」となっていませんか。
 私が思い浮かべた規則は、「整数を小さいものから大きいものへと順に並べる」というすごく簡単なものでした。
 このゲームで伝えたかったのは、日常や自然のなかの規則を探ろうとするとき、答えが事前わかっているわけではありません。ですから、答えを得る方法として、なんらかの答え(この場合は規則)を予想して、その答えに合うものを考えて質問すると、例のように単純な規則にたどり着くのは、難しいということです。
 もし上の例のように、2の何乗という規則を思い浮かべて、その規則の範疇で質問をする限り、私はすべてYesと答えます。それで、質問者は2の何乗という規則が正しいと、確信してしまいます。でも、それは、間違った答えなのです。そのんなことをこのゲームで伝えたかったのです。
 可能性をすべて、網羅的に考えないと、正しい答えにはたどり着けないのです。増加する数は、偶数も、2の指数乗も含んでいます。
 正しい答えにたどり着きたいときは、いろいろな規則を想定して、その規則に基づいて質問を繰り返すだけでなく、その規則が間違っている場合、つまりNoとなるような場合を想定して質問すれば、遠回りかもしれませんが、確実にもれなく答えにたどり着くはずです。時には、一番の近道となる場合があるかもしれません。
 このような考え方は、一種の背理法といえます。単純で算数のゲームのような論理の世界でも、このようは背理法を思いつくのは、大変なのに、自然の中の規則性を探るとき、反証性を考慮に入れることは非常に困難です。
 多くの人は、規則にあった正しい場合を前提として、質問をするということが、認知心理学の分野で検証されています。つまり、規則に反するものを考えて、規則を探ろうとするのは、人にとって非常に難しいことなのです。
 数学や論理学で用いられている論理体系を、日常や自然界に用いるのが難しいかもしれません。背理法の他にも、数学的帰納法や対偶などは、なかなか難しい考え方ですが、一種の盲点を取り除いてくれる役割を果たします。何かものごとを探るのに、行き詰ったとき、背理法や帰納法などの方法を用いると、答えを得られることがあるかもしれません。これ上手くいったとき、素晴らしいアイディアとなるかもしれません。でも、それが大変なのですが。

・四国城川へ・
いよいよ9月になりました。
8月の蒸し暑さと比べる、
北海道は乾燥してきてだいぶ涼しくなってきました。
強い日差しの下は暑くても、
日陰を通る風は心地よいものとなっています。
私は、9月2日から6日まで、
愛媛県西予市城川に出かけています。
帰りに東京で別件で1泊します。
城川へ出かけるのは、毎年のことで、
今年もでかけることになりました。
今回は博物館にじっとしていて、
室内作業することになります。
まだ城川は暑いかもしれませんが、
四国の山国の静かな自然を味わって仕事ができます。
それで心がリフレッシュできるはずです。
ただ心配は、私の滞在中、よく台風に見舞われます。
ですから、それだけが気がかりです。