2003年12月1日月曜日

23 軽石から危うい普遍的認識へ(2003年12月1日)

 石狩川の河口に砂をとりに、家族でいきました。場所がわかりにくいところだったのですが、なんとか河口にたどり着きました。そこは、釣りの人が何台かの車を乗り入れていましたが、昼前には釣れなくなったのか、みんな引き上げていきました。私は砂の採集のために、家族は石狩川の河口の砂浜で遊ました。そのときに思いは巡りました。

 石狩川の河口で、漂着物の中に多くの軽石を発見しました。いろいろなものが混じっているようでしたが、もはや転石となっているので、その由来は定かではありません。軽石は、産地から移動することによって、その由来が不明になってしまいます。その由来がもし確定できるとなると、軽石自身に由来を示す何か強烈な個性、特徴、つまりは情報が記録されていることになります。このようなことは、当たり前に起こるのことなのでしょうか。
 もし、由来が記録されているとしても、人間が読む努力をしなければ、読み取れないでしょう。そのような努力を費やすからには、なんらの目的が必要でしょう。その目的が大きければ大きいほど、ささやかな情報でも読み取られる可能性があります。当たり前のことかもしれませんが、目的があると、軽石自身は何の変化もしませんが、軽石から読み取れる情報は、多くなってくるのです。
 情報とは、目的によって量や価値が変動するのです。軽石は軽石として語りはしません。人が読み取る努力をどの程度するかによって、読み取れる情報量が違うだけなのです。これは、人間の認識のレベルが目的によって自由に変化させることができるからなのでしょう。
 だから、私が、この軽石に由来だけではなく、なんらかの目的で情報を読み取る努力をすることによって、軽石に対する私の認識のレベルが上げられることになるのです。もしその認識において、他の人があまりなさないが、面白い認識があるとすれば、私の軽石に対する認識を他の人に伝えれば、それは価値ある認識となるのではないでしょうか。目的とその到達認識の価値、これが重要です。
 では、軽石をきっかけとして、より普遍的な認識が得られたとしたら、もはや目的すらその普遍的認識の前には重要性をなくしているということだって起こりえます。すると、軽石と目的も、たんなる普遍的認識へのきっかけにしか過ぎないのかもしれません。では、その普遍的認識となんでしょうか。多くの人がその重要性を認められるものであるはずで、なおかつそれは一朝一夕にはたどり着けないようなものであるはずです。
 そんな目で、もう少し、軽石に目を向けてみましょう。
 地質学も科学技術の進歩によって、化学分析の技術も上がってきています。最新の技術を使えば、元素によっては、n(ナノ)のレベルの成分量でも認識する精度に達しています。ナノとは、1グラムの石の中に、10億分の1グラムの量の成分も分析できるということです。
 このような、微量の元素や化合物までを正確に測ることによって、もしかすると、その軽石しか持たない情報ににたどり着けるかもしれません。あるいは、んもっと一般的に石ころごとの個性を記述することができるかもしれません。そのような個性を見つけることは可能かもしれません。つまりは、それぞれを個体識別ができるかもしれないのです。
 では、そのような個体識別に番号をつけたら、どの程度の番号の数が必要でしょうか。すべてのものに個体識別番号をつけるとしましょう。すべてのもとは、さまざまなものがあるでしょうが、平均1グラムであると仮定しましょう。もっと小さいもの、もっと大きいものがあるかもしれません。問題があるようなら、この平均質量を変えてやり直せばいいのです。桁数を考えてみるのです。これで、問題はいった何グラムくらいのものがあるだろうかという問いに変換できました。
 ここで、指数というものを使うことになります。指数とは10の2乗とか3乗とかいうもので、10の2乗とは100のことで、10の3乗とは1000のことです。つまり、乗(じょう)とは、1の後ろにいくつゼロがつくかということを意味しているわけです。ここでは、テキストだけで記述する必要があるので、10の2乗を10^2、10の3乗を10^3と書くことにしましょう。
 では、地球について考えていきましょう。地球の質量は6×10^24キログラムです。これをグラムであらわすと、6×10^27グラムとなります。つまり、6×10^27個の個体識別番号があればいいことになります。
 次に、地球よりもっと大きな存在である太陽系について考えてみましょう。太陽の質量は、2×10^33グラムです。太陽系には惑星やその衛星、彗星、惑星間物質などもあります。でも、太陽系物質全体として、太陽の質量の0.1%くらいにしかなりません。ここでの話は、個体識別番号がどれくらい必要かという問題なので、多めに見積もって太陽の2倍ということにしておきましょう。太陽系の質量は、4×10^33グラムとなります(ここでは桁を考えていますので有効数字を1桁で考えます)。太陽系には4×10^33個の個体識別番号が必要となります。
 さらに広げましょう。私たちの銀河はどれくらいの質量をもつのでしょうか。銀河には、数千億個の恒星があるとされています。だから多い目に見積もって一桁多く1兆個としましょう。また、まだ見つかっていない暗黒物質もあるようですから、さらに一桁増やし10兆個の恒星分の質量があるとしましょう。指数で書けば、1×10^13個となります。太陽は、ごく普通の平均的恒星とされています。でも、多い目に見積もり、太陽系の10倍が平均的な恒星の質量としましょう。4×10^34グラムの質量となります。私たちの銀河には、4×10^34グラム×1×10^13個で、4×10^47グラムとなる。つまり、私たちの銀河には、4×10^47個の個体識別番号があればいいことになります。
 さて、最後に宇宙全体に、この話を広げておきましょう。宇宙には、銀河が多数あり、それが模様をなしていると考えられています。その銀河の数は、やはり数1000億個とされています。ここでも、多い目に見積もり、1兆個としましょう。すると宇宙の質量は、銀河の質量×銀河の数でから、4×10^47グラム×1×10^12個、つまり4×10^59グラムとなります。宇宙、つまりこの世の個体識別には、4×10^59個の数があればいいのである。
 このさい、徹底的に増やしていきましょう。つまり、個体識別番号をの最大値を考えておき、その数がとてつもなく大きくて扱いきれないようなものなら、私たちには、この世のすべてを個体識別して記述する術はないということなります。では、そんな最大値を推定しておきましょう。
 この個体識別の話は、もともとは、1グラムの石に細分することからはじめました。しかし、石ころには、多くの鉱物があり、鉱物は原子のきれいに並んだ結晶である。だから、この際、原子ひとつずつに個体識別番号をつけ、その数と並びを記述すれば、鉱物が記述でき、そして鉱物の集合が1グラム石ころとなります。
 つまり、宇宙のすべての原子ひとつずつに個体識別番号をつけてしまえばいいのです。宇宙には何グラムの物質があるかは上の話でわかった。次にすべきことは、1グラムの石が何個の原子からできているかという問題なります。
 ここでも、多い目の数を見積もっておきましょう。一番軽い原子は、水素です。その重さは、6×10^-24グラムほどです。マイナスのついた指数は、小数をあらわし、ここでもゼロの数を意味しています。0.1は1×10^-1、0.01は1×10^-2となります。
 したがって、1グラムの石の中には、1グラム÷(6×10^-24グラム)で、2×10^25個となります(ここでも桁数しか考えていません)。これを、先ほど求めた宇宙の質量にかければ、4×10^59グラム×2×10^25個で、答えは、8×10^84個となります。つまり、10^85個ほど個体識別番号を用意しておけば、この世のすべてのものに対して個体識別が可能となります。
 この世のすべてにものについて個体識別番号は85桁の数があればいいいのである。これは、私たちが馴染みある数字で考えました。つまり10進法です。もし、アルファベット(26文字)と数字(10文字)とをあわせて36文字を使用すると、つまり36進法にすると、55桁ですみます。
 もしこれを二進法であらわすと282桁となります。これくらいの大きな桁になると、少々の見積もりに誤差があっても、大きな違いとは見えなくなってきます。だから、コンピュータで扱いやすい二進法にすればよいのです。
 282桁の数は、考えてみれば、少ない数のように思えます。技術計算や暗号など、コンピュータがあつかっている数は、もと大きなものもあります。だから、現状のコンピュータでも十分処理可能なものといえます。
 私が拾った軽石すべてに個体識別をつけるの簡単です。そして、技術の進歩によって、その由来もわかったとしたら、個体識別番号にその氏素性をいっしょにして記録することも可能でしょう。しかし、問題は最初の話に戻ります。目的、つまり何のためにそれをするのかということです。
 私は、今回拾ってきた軽石は標本として、試料番号をつけました。それは、石狩川河口で2003年11月1日に見つけた試料として、他の軽石と識別するためにでした。他との識別のために番号をつけるのです。それは、アルファベットと数字の入った11桁の数であす。55桁の数と比べたら少ないものです。でもその識別番号がないと、情報と試料が一致しなくなります。試料と結びつかない情報は、私の場合、価値がなくなります。
 さて、ここで次の問題が出てきました。試料から情報を読み取ることができます。しかし、その情報は試料を扱っているものにとっては、実物から遊離しては価値のないものとなります。したがって、実物と情報はつねに対応しておかなければなりません。
 ところが、普遍的認識にいたるとき、たとえば、石ころをつかって、地質学の論文を書くとき、研究者自身は試料と情報は決して遊離させていけなのですが、普遍化するとき、情報の素性さえ確かであれば、情報は試料から遊離していいのです。あるいは、試料の個別の存在が薄ければ薄いほど普遍性が大きいともいえます。
 「情報の素性の確かさ」は、研究者の良識、あるいは倫理が保証しているものです。これがなければ、普遍的認識は崩壊してしまいます。じつは、こんな危ういものに私たちの認識が依存しているということになります。いってみれば、研究者の性善説に乗っかった上での普遍化なのです。
 この研究者の性善説という神話のごときものは、何度も崩壊しています。最近の日本で誰もが知っている例では、考古学の石器偽造事件です。この事件は、ひとつの事件ではなく、日本の考古学全体の体系に疑問視されるようになったのす。あるいは、科学者の自体の倫理も問題にされるべきであるとうことになのです。
 さてさて、インターネット時代になり実物をもってない情報発信、倫理感をもたない人からの情報発信がはじまっています。こんなとき認識を深めるためには、なにをよりどころにすればいいのでしょうか。問題です。
 軽石の話題は、まだまだ巡りそうですが、ここまでにしましょう。多くは「名もなき」軽石なのでしょう。そんな名もなき軽石のささやきから、聞こえたのは、こんな人類の危うい認識への警鐘であったのです。

2003年11月1日土曜日

22 災害と倫理:北海道の被災地を調査して(2003年11月1日)

 紅葉真っ盛りの10月上旬に、日高山脈を横断してきました。行きは西から東に日勝峠を越えていき、帰りは東から西に狩勝峠を越えてきました。横断の目的は、河川の地質調査でした。いろいろ考えたすえの調査行でした。

 今年、2003年の北海道の夏は、冷夏でした。それに加え、日高や十勝地方は、8月10日の台風10号、9月26日の十勝沖地震がありました。この地域は、繰り返し、大きな災害にみまわれたのです。そんな地域を調査することに、私は、躊躇していました。
 災害は誰にとっても嫌なことです。そんな災害を防いだり、事前に予測したるするために、科学、あるいは学問は重要な役割を果たします。
 地震はなかなか正確な予測できません。1993年の北海道南西沖にしろ、1995年の兵庫県南部にしろ、2001年の芸予にしろ、2003年の宮城県北部にしろ、予想してないところで地震が起き、大きな被害を出しました。今回の十勝沖では、マグネチュード8.0という大きさに比べて、専門家も驚くほど、被害が少なかったのです。それは、予想外の幸運でした。
 火山噴火は、日本ではかなり予測できるようになりました。そして、人災がだいぶなくなってきました。人が火山噴火で直接死ことは、かなり減ってきました。そして、火山噴火に伴う防災も進んできています。
 台風も同様に、かなり精しく予測できるようになってきました。ですから、ある程度台風には備えることができます。
 ところが、北海道のようにほとんど台風の被害を受けることがないような地域では、どんなに人間が防災を知っていても、滅多にないことなので防災の効果を発揮できないこともあります。これは明らかに人災です。
 また、数年あるいは10年に一度の台風が襲来すると、今まで自然物があまり受けたこと状態におかれるため、予想以上の被害を受けることがあります。沖縄など、台風が年に何度も来るようなところでは、台風で大規模な自然災害は起こりません。ところが北海道では、同じような台風でも今回のような大災害になります。そんな時、自然が受けた被害が、そのまま人間の生活に被害を与えることもあります。今回の台風で、北海道にはそんな被害が多く見られました。
 そんな被災地である日高と十勝地域を10月10日から13日まで4日間、調査してきました。調査の目的は河川の地質調査でした。私のここ数年の研究テーマとして、北海道の一級河川、13個をすべて調べることにして予定を組んでいました。その一環でした。
 計画では、今年の秋には、日高の沙流川、鵡川を調査する予定でいました。ところが、台風10号の襲来で、両川は大きな被害を出しました。沙流川では、行方不明者1名がまだ見つからないまま、約2ヶ月たった10月6日に捜索が打ち切られました。台風の被害から復旧してない道路がありますし、漁業ではいまだに被害が出ています。
 沙流川と鵡川はそんな被災地なので、私は予定していた調査を来年に延期するつもりでいました。被災者に対して、学術的調査とはいえ、自分の興味で調べることは、失礼だと思っていたからです。実は、同じ思いを有珠山でしたことがありました。
 2000年11月に、私は個人的に有珠山を訪れました。2000年3月の有珠山の噴火から、7ヶ月くらいしかたっていないころでした。7月末には避難指示の解除がなされ、8月末には避難所がすべて閉鎖されました。しかし、噴煙がもくもくと立ち上がる中、やはり洞爺湖温泉も、温泉街特有の華やかさもなく、どこか落ち着かないような不穏さがありました。
 そして、忙しく復興や冬の準備をしている人たちを見ていると、いくら研究のためとはいいながら、自分自身の興味の延長で被災地を見ることに羞恥を覚えました。そんな気持ちをもって有珠山の噴火の被災地に赴いた自分が恥ずかしくなり、何もみずに、すごすごと引き返した経験がありました。
 多くの火山学者は、自分が研究してる火山の噴火は、一生に一度も経験できないような現象です。ですから、火山学者は、自分の研究地域の火山でなくても、自分の研究の参考にするために、火山が噴火を起こすと調査に行くことがあります。そして、研究者は研究者のネットワークで、一般の人が立ち入れないところも入り調査することができます。もちろん研究をして、火山予知や防災に役立つようにすることは必要不可欠です。そして、研究者として経験を積み、知識を増やすことも大切です。
 それもすべて了解した上で、研究者としての倫理を問いたいのです。研究者としてというより、人間としての最低限のモラルといっていいかもしれません。研究とはいえ好奇心に基づく行動と、人間としてモラルの間のどこで線を引くかという問題です。研究者といえども人間です。自分に興味があるから、出かけていくのです。でも、研究のために必要なことと、興味本位、いってみれば野次馬根性の間のどこに一線を引くか、越えてはいけない一線がどこかにあるはずです。私自身、その整理をせずに有珠山にでかけ、引き返す羽目になったのです。
 今回も、台風の被災地である鵡川と沙流川の調査は、8月中はやめるつもりでいました。それは、自分の心の整理ができなかったからです。9月中旬くらいまで迷いながら、やっと結論を出しました。調査に行こうと決心しました。
 被災地を、自分の地質学者としての目でみて、何らかの形でアウトプットする必要性を感じたからです。その決心のきっかけとなったのが、北海道の地質学者ためのメーリングリストでのあるメールでした。
 十勝沖地震では、札幌でも液状化現象がおこり、傾いた家がでたこともあり、ニュースになっていました。だれか専門家が調査しているだろうと、みんな思っていたのでした。しかし、だれも調査していないことに産業技術総合研究所北海道センターの地質学者のOさんは気づかれました。液状化現象を、Oさんが記録するために、急遽現地に赴き、調査されました。そして緊急の調査の内容は、地質学者にメーリングリストとホームページを使って公開されました。
 これは、非常に重要なことだと感じました。直後でないと収集できない情報を、専門家でないと収集できない情報を、記録として残すことは大切です。公的機関の人間としてOさんが、それを責務と考え、急遽調査され、報告されたことは、素晴らしいことだと思います。このような情報は今度の対策に不可欠なデータとなるはずです。
 このメールとホームページをみて、私がもっている地質学者としての能力を使うべきであると考えました。そして、地質学者として、自分のできる方法で記録を残すべきではないかと考えました。今回の被災地には、他の地質学者が入っていはずです。しかし、私のような見方で被災地を見ている地質学者がいないかもしれません。そうならば、私しかとれないデータがあるかもしれません。
 もともと、私は、その周辺を調査するつもりでした。その機会を利用して、地質学者として、記録に残すことが大切だと思い直したのです。もちろん、公式に行くわけではありません。個人の研究というレベルで行きます。いってみれば興味の延長線です。でも、その記録をしっかりとデータとして残し、公開していけば、その情報は、どこかで、だれかの役に立つ可能性があります。
 もし、誰も調査していない地域や情報、見方がそこに含まれているのなら、その情報は重要な意味を持つかもしれません。ですから、被災地の人に配慮しながら、専門家の目で、記録することが大切だと思いました。
 私は、沙流川と鵡川を河口から最上流まで、十勝川を中流から上流まで、川沿いの地質学的調査をしました。私は、人と川のかかわりにも興味があります。そんな視点で、被災地の川と人、そして人の営みを駆け足ですが見てきました。
 そして感じたことは、2ヶ月たったいまでも、思った以上に台風の爪あとは残っているということでした。
 河川沿いの道路や遊水地の施設は、まだ破壊されたままものがかなりありました。道路では鵡川中流域の川沿いにある富内から福山間を通ろうと予定していたのですが、まだ復旧されないまま通行止めになっていました。遊水地はひどいままでした。遊水地ですから、洪水時には水没し、破壊される可能性があります。覚悟の上の施設だからそれはそれでいいのですが、やはり、その被害の状況をみると、水害の恐ろしさ、威力に恐怖を覚えます。河川内の木々は、なぎ倒され、流木がからまっていました。河口付近やダム湖にたまった流木は、周辺に山積みされたままになっていました。そんな生々しい災害現場を見せ付けられました。海に流れ込んだ流木が魚網にかかり、目的のシシャモより流木のほうが多くかかるという事態も起きています。
 しかし、人々はたくましく生きていました。これが救いでした。
 私が泊まった宿泊施設では、被災地であるにも関わらず、通常の営業をしていました。十勝では芽室町に泊まったのですが、チェックインをした後、一枚の紙を渡されました。余震がまだ多発しているために、地震があった時の注意が書かれていました。私が住んでいる江別でも、震度1程度ですが、未だに余震を感じることがあります。被災地の宿泊施設では、大きな地震があれば余震は当たり前というように通常の営業していました。
 でも、この宿泊施設は、地震前は連休のため満室で予約できなかったのです。地震が起こってから予約を入れると空き室が2つも出ていたのです。顔には出してなかったのですが、かなりのキャンセルによる被害があったと思われます。台風でも同じような被害があったでしょう。
 観光地は、すでに観光地の顔を取り戻していました。その裏には、まだ被害さめやらぬ現場を見て見ぬ振りをしている観光客、被害を当たり前として受けて止めて営業をしている観光業の人々、そして懸命に復旧をしている土木業の人々、さまざまな顔が見えました。
 みんな災害以前のような昨日を取り戻すために、今日を働き、明日のために復旧をしていました。そんな人々たくましさを、見せ付けられました。

・倫理ということ・
 この文章は、実は別の目的で書いたものです。しかし、ある公的組織は、この文章の内容は、その組織と共同でおこなっている研究者を批判しているという意味にも取れるというので、「検閲」にかかり却下されました。
 私は、もちろん彼らの公的立場というものもわかります。そして担当の人も、私が主張しているように、良識ある研究者ばかりだけでなく、自分の興味が講じて、ついつい被災者に対して配慮を怠る研究者もいることも理解しています。お互いわかった上での立場の違いが現れた結果、「却下」となりました。
 でも、この原稿を没にするのは癪なので、このメールマガジンで紹介することにしました。私は、今でもこの文章の立場は間違っていないと思っています。
 実はこの文章、かなり自制して書いています。研究者とはいえ、意図してはしないでしょうが、無意識に被災者への配慮を怠っていないかという、自分自身の自戒をこめた文章なのです。たとえばアンケート調査で、被災者に立ち入ったことを聞いてはいないか。災害の様子を記録するために、個人の土地や家屋を配慮なく調査、撮影していないか。もしかするとそんな行為に対して、被災者は、いやな思いをしているのではないか。そんなことを配慮しているだろうか。
 その地を訪れる人はだれであれ、被災者には配慮するというのは、倫理などという難しい言葉を出さなくても、常識の範疇ではないでしょうか。でも、研究、仕事などという大義名分ができた時点で、そんな配慮がどこかへいってしまってないでしょうか。もともとは好奇心に発する研究心もあるはずです。もしちろん、公務としてしなければならない研究、あるいは研究者もいます。でも、直接その公務に近い研究ではない人は、好奇心のほうが勝ってないでしょうか。
 それを考えたとき、私は、有珠山から逃げ帰って、今回はあえて出かけてという経緯があったのです。それをこの文章では、自戒として紹介したのです。研究者でもこのような倫理が問われるのですから、マスコミに従事するする人は、もっと配慮が必要なはずです。多くの人が加熱したマスコミの無礼さ、無配慮、被災者の困惑すらネタにしてしまう傍若無人さ、こんなこんな報道はみていて不愉快になります。それは、私からいまさら言うべきことではなく、多くの人が感じていることでしょう。
 ここまでにしましょう。これ以上いうと愚痴になってしまいそうです。

・写真・
 このエッセイに対しては、ホームページで写真を公開しています。これは、上でいったホームページで公開する予定だったものです。興味ある人は、
http://www1.cominitei.com/monolog/terraincognita/22.html
をのぞいてみてください。
 写真は、鵡川上流の紅葉、鵡川河口の流木、沙流川河口近くの陥没した道路、沙流川河口近くの樹木、沙流川中流二風谷ダムの流木、沙流川中流のなぎ倒された木です。

2003年10月1日水曜日

21 自然を守る心:北アイルランドにて(2003年10月1日)

 北アイルランドの地質調査をしてきました。アイルランドは独立した国ですが、島の北東部が北アイルランドとしてイギリスに属しています。宗教上問題によるためです。
 北アイルランドへ行ったのは、世界遺産として有名なジャイアンツ・コーズウエイ(Gaint's Causeway)を訪れるためでした。そこは、アイルランドの北部の小さな田舎町、ブッシュミルズ(Bushmills)の郊外にありました。ブッシュミルズからジャイアンツ・コーズウエイまでかつては鉄道が走っていました。現在は、夏場は観光用として、小さな蒸気機関車が客車を数台引いて、数kmの道を走っていました。
 ジャイアンツ・コーズウエイは、柱状節理が有名で、世界遺産になっています。そのため多くの観光客が訪れます。
 柱状節理とは、石の規則正しい割れ目のことです。マグマが冷え固まるとき、少し縮みます。その収縮によって、節理とよばれる割れ目ができます。熱い溶岩が流れて固まるところでは、柱状節理ができることがあります。溶岩の上側と下側は早く冷えるため不規則な割れ目のとなりますが、中心部ではゆっくりと冷えるので、柱状節理ができます。
 柱状節理は、鉛筆を束ねたような角柱状の柱を並べた形になっています。また、水平方向にも割れやすくなっていて、その水平方向に6角形の断面を持っています。柱状節理のあるところでは6角柱状のサイコロような石がころがっています。ジャイアンツ・コーズウエイの節理の柱は、30から50cmの直径のもので、人には少々大きいですが、巨人の敷石としてちょうどいいのかもしれません。コーズウエイとは、石ころなどを敷いた昔の舗装道路のことです。
 ジャイアンツ・コーズウエの柱状節理は、海岸沿いで、人が訪れやすい状態で広がっています。もちろん自由に登ることもできます。昼間は多くの人が訪れます。私は、人の多い夕方と、人のまったくいない朝の二度訪れました。そして、巨人の柱状節理を満喫しました。
 イギリスは、日本と似たスケールの国土で、それほど大きくありません。しかし、国全体が牧草地化されているため、大きな森林地帯があまりありません。そんなイギリス国内を見ていると農業、牧畜の国であると思えます。そしてなにより、国民が、がつがつすることなく、儲けることより、可能な限り自給が前提で、労働の楽しみ、生きることの楽しみ方を彼らは知っているのではないかという気がします。金銭的より精神的豊かさを感じます。
 ただし、これはベルファースト(北アイルランドの首都)のような都会ではなく、北アイルランドの田舎の話ですが、ちょっと考えすぎでしょうか。
 ジャイアンツ・コーズウエ周辺の海岸線をいくつか調査したのですが、きれない砂浜は、地質が堆積岩に変わっているところにあります。火成岩のところは、岩場です。現状の海岸の状態と地質とか対応して、非常にわかりやすくなっています。
 広い砂の海岸があるところでは、大きな駐車場があって、トイレやシャワーなどの施設があり、海遊びができる環境が整っています。もちろん、施設のないところもあります。どこでも共通しているのは、海岸には、海の家も、防波堤や護岸などの人工物がなにもない、きれいな砂浜が広がっていることです。なんだかほっとします。でも、日本にも、かつてはこんな砂浜がいたるところにあったのです。今では人工物で作り変えられたコンクリートの殺伐とした海岸線となっているところが多すぎます。北アイルランドでは、多くの海岸線は自然のまま守られているのです。
 観光用として保存されている古城のビジターセンターの脇の小さな土産物屋に、変わったパンフレットがありました。それは、風力発電の施設を作ることに反対するパンフレットでした。日本だと環境に配慮したいいものという先入観で、風力発電はいいことだと思ってしまうでしょうが、こちらでそんな施設にも反対するひとがいるのです。
 反対の理由は、風力発電の施設自体が、景観や自然環境を変化させるからです。コンピュータで現在の景色に風車の乱立する景色を合成してパンフレットに示し、こうなっていいのですかと問いかけています。風力発電の是非はともかく、今のままの自然を維持しようとする努力が、地元の人たちが継続的に行っているような気がします。これは、見習うべき点ではないでしょうか。
 イギリス人は、牧畜をするためにかつては広がっていた森をすべて切ってしまいました。ですから、今では、もともとイギリスの自然は、あまり残っていません。そのせいでしょうか、「今」の現状の自然を守るために、彼らは常に努力をしています。そして、そんな「今」の自然を、心から楽しんでいます。
 イギリスでは、自然道を歩く人がたくさんいます。私も調査で海岸沿いの8kmほどの自然道を歩いているとき、何組も、長距離を歩いている人たちをみました。また、海岸線沿いを車で順番に止まりながら調査をしていると、延々と歩いているのグループを何組か見かけました。しかも彼らの多くは驚くほど軽装です。二人で歩いてるときも、小さなリュックをどちらかが持っていて、もう片方は手ぶらというような軽装なのです。それで、朝から夕方まで歩くのです。信じられないほど長距離を、身軽に歩いています。疲れたら、B&B(Bed and Breckfastという朝食つきの宿屋)がいたるところにあるので、そこで泊まればいいのでしょう。朝食を宿でしっかりと食べ、昼食は軽くすまし、夕食は町で食べればいいのです。2、3日の散策すら軽装で可能なようです。
 ナチュラル・トラストの地図をみたら、イギリスのいたるところに、そのような自然道があります。イギリス人は、自然の中を一日歩くのです。自然道は、PathとかWalkなどと呼ばれています。ナチュラル・トラストが、中心となって整備していて、わかりやすいルートになっています。自然の中を、あるいは民家の敷地の中を、牧場の中を、道路わきを、街中を縫って歩きます。わかりにくいところには、人が歩いているマークとwalkという文字が看板として立っています。車で道路を走っていると、路地や牧場など、驚くほどたくさんの看板を見かけます。
 観光名所、観光施設もなにもないところにも看板はありました。彼らは、ありのままの自然、田舎を満喫するのです。そんな休日を楽しんでいるのです。だから、そんなすばらしい「今」の自然を、イギリス人は守りたいのでしょう。
 イギリスには住んだことがないのですが、この国の田舎には、短期間でも、のんびりと滞在することは、いいことかもしれません。都会生活で汚れた心を洗い、忘れていた自然とのかかわりを教えてくれるような気がします。

・街の色・
 昨年と今年のイギリス訪問で、イギリスのイングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドの4つの国(Nation)を駆け足で巡ったことになります。そして、国ごとに、やはり個性があり、よさも違っていました。
 ひとつ面白ことに気づきました。
 イギリスの家は石がその建築材料として使われています。石は重い建築材料なので、手近なところからとってきて使われます。ということは、その地域の石の性質を石材はあらわしています。
 スコットランドは、旧赤色砂岩なので赤系統の町。北アイルランドの北部は、玄武岩とチョークなので、黒と白系統の町。ウェールズはスレートなので、灰色系統の町。イングランドは、金に任せていろいろな石が使われていますが、砂岩や素焼きレンガ(テラコッタ)などが多く多様な色をもっています。
 石は似た色あいで同じ岩石名をついていても、よく見ると個性があり違いがあります。たとえば、スレート葺きの屋根は、みんな同じようにみえますが、近づいてよく見ると、ひとつとして同じものがありません。街全体が似たような素材でつくられていると、それ自体が街の色合いとなり、落ち着いた感じを与えます。
 こんな石造りの町の中にあって、コンクリート造りの建物は味気なく見えます。やはり、伝統や歴史だけでなく、その街をじっくり眺めると、その町のありようとして、どのような建物がふさわしいかは、だれもがなんとなく感じるような気がします。
 そんな中にマクドナルドなどのけばけばしい看板はふさわしくありません。もちろんマグドナルドは、イギリスの都会でもたくさん見かけますが、その町の雰囲気を壊さないようにおとなしい色になっています。規制されているせいでしょうが、それは当たり前のことをしているような気がしました。

・平穏と不穏・
 北アイルランドでは、IRA(アイルランド共和軍)がゲリラ戦をしていると不穏なところだという先入観がありました。また、イラク戦争においてはイギリスも参戦していたので、テロの対象となるのではないかと心配していました。
 外務省の資料によれば、今は一応平穏になっているようです。1997年7月にIRAはテロ活動を停止を宣言し、1998年4月に北アイルランド和平合意(グッドフライデー・アグリーメント)が成立し、1999年12月には、英国からの権限委譲を受け北アイルランド議会が発足しました。
 その間、IRAの平和路線を不満として、過激派グループが活動しており、いろいろトラブルがあったようですが、2001年5月には、北アイルランド自治政府の権限が再開しました。2001年9月11日に、米国で同時多発テロ事件が起こりましたが、イギリスで具体的なテロ事件は起こっていません。しかし、IRAの過激派グループはテロ活動を放棄したわけではないようです。
 そんな北アイルランドにいったわけですが、物騒なところはありませんでした。町でも警官やパトカーを見かけることがほとんどありませんでした。でも、そんな先入観を持ってみているせいでしょうか、いくつか目に付くことがありました。
 ひとつは警察署の物々しさです。金網の柵に囲まれた中に警察署があります。そして監視カメラや夜間照明がついて、物々しい、異様な景観となっています。田舎の警察署でもそんな状態でした。
 もうひとつは、人々のサイレンに対する過敏な反応です。レストランで昼食をとっているとき、パトカーのサイレンがなりました。すると店にいた人が、ひどく驚いて、きょろきょろしていました。ロンドンや日本ではよくあることなで、たいして気にしませんが、ここでは、みんなびっくりする出来事なのです。

・アイルランドの食・
 アイルランドには、スタウトとよばれる濃厚な黒ビールの生産地です。なかでも一番有名なのがアイルランドのダブリンに本社のあるギネス(Guinness)ビールです。グラス一杯を1パイント(pint、568ml)といいます。
 いちど注ぎ、泡が一段落したら、グラスに満たします。表面にきれいな細かい泡が1、2cmの厚さで覆い、飲み終わるまでその泡が消えないようなものがいいようです。
 私は、日ごろはお酒は飲まないようにしていますが、イギリスにいるときは、毎日1パイントのギネスを夕食前に飲みました。それからイギリスの料理を味わいました。これはなかなか病みつきなってしまいます。
 昔からアイルランドの朝食には、さまざまな料理がならぶようです。わたしが、泊まったところでは、どこでも、ベーコン、ソーセージ、ベークドトマト、卵、揚げパン、トーストなどなかなかボリュームがありました。ほかにも、フルーツ、ヨーグルト、ジュース、シリアルなどが自由にとれるようになっていました。
 朝から、重たい朝食ですが、私は、もともと朝型の生活をしていますので、重たい朝食でも、問題はありません。私は、朝5時から6時に起きていますので、8時前後に食べる朝食ですから、空腹です。日本から行くと時差ぼけにもあまりならずに、すぐこの生活パターンになれます。
 しかし、最近は、こうした朝食をとる人は少なくなり、軽い朝食がこのまれているようです。

2003年9月1日月曜日

20 専門情報の普及(2003年9月1日)

 経済が低迷している世の中ですが、IT産業だけが、好調な売れ行きを示しています。これは、多くの人の需要が、いまだに健在であるからでしょう。コンピュータの売れ行きは落ち着いているようで、多くの人にコンピュータはいきわたってきたらかでしょうか。あとは、更新の需要、子供や新社会人での需要、教育現場での需要が主要なものになるのかもしれません。
 なかでも、携帯電話の普及とその高性能化には目を見張るものがあります。動画撮影、100万画素クラスの映像を撮れるもの、電子メールの送受信、インターネットに接続できるもの、まさにウェイラブル・パソコンとも呼ぶべきものとなっています。
 今やパソコンや携帯電話にしても、インターネットに接続できることが不可欠な機能になりつつあります。インターネット環境も、常時接続、固定料金制が定着し、通信のスピードもパソコンでは64kbが普通になり、8Mbや12MbのADSLが普及し、100Mbの光ファイバーも使われはじめてきました。
 こうなると、以前の課金制のように使用時間や通話料を気にすることなく、心行くまでインターネットの世界を楽しむことになります。もし、なにか趣味や興味を持っているものがあると、それをインターネットで調べていくと、実にさまざまな情報を接することになります。興味が深まれば、深まるほど、接する情報は、高度で専門性の高いものになってきます。
 趣味だけでなく、社会人として公の業務で、日本だけにとどまらない活動や仕事、海外や外国人との接触が多くなってきているのではにでしょうか。あるいは、社会的要請により、一般市民も、さまざまな学問が複合した学際的、全地球というような総合的な考え、学識が必要となっています。
 多くの人がさまざまな場面で、今までになかった分野の専門知識、あるいは最先端の知識、幅広い知識が必要となってきました。そのような場面に対応するには、市民も新たな学識を教養として吸収していく必要があります。そんな機会が、以前より多くなったのではないでしょうか。
 そんなとき、従来は専門書や論文などから情報を得て身につけていました。しかし、近年では、インターネットを通じた情報も重要な役割を果たすようになってきました。ところが、インターネットの情報は、玉石混交となっており、必ずしも市民自身の知識レベルにあったもの、つまり必要とするレベル、理解できるレベルの情報が供給されているとは限りません。むしろ、自分にあった情報は少ないのかもしれません。つまり、平易すぎるか、難解すぎるかです。市民の要求を満たす情報が、なかなか手に入りにくいということです。
 情報を供給する側を見ると、専門情報は専門家が発信することになります。そして、最先端の科学技術による情報は、専門家から専門家向けに発信されていす。それは、いまではインターネットを通じて行われることが多くなっています。そんな専門情報は、誰でも利用できるということを謳って公開されていることも多いのですが、煩雑な手続きや解読専用のソフトの使用、英文の専門家向けのマニュアル、会員登録など、多くのバリアがあり、気軽に市民が利用できるとは限りません。
 このように未加工の一次情報を市民が簡単に閲覧できる状態になっています。でも、そんな一次情報を利用できるのは、専門家がほとんどで、市民にはなかなか利用できるものではありません。
 つまり、専門情報を発信する側は、多くの専門情報を専門化向けに公開しています。利用できる技量、知識があれば、市民でもそれは利用可能となっています。つまり、専門的とはいえ、多くの情報は供給されいるのです。その情報は、市民でも希望すれば利用することが可能ですが、現実としてむつかしいのではないでしょうか。となる、市民の要求は、結局、満たされないことになります。
 供給される情報が充分あるのに、その情報が市民にわかるかたちに加工されることがないために、要求を満たさないのです。このようなアンバランスをなくすには、専門家が、市民のためにわかりやすく情報を発信していく、つまり市民への科学普及、科学教育をしていくしかないのです。各専門分野において、科学普及をもっとしなかればならない、という当たり前の結論にたどり着きます。
 現代では、学問は多くの分野に細分されています。最先端の特殊な分野では、非常に小数の専門家しかいないこともあります。そんな分野の科学教育をするには、少数しかいない専門家のだれかが、市民向けに解説をしなければならないのです。それが無理なら、やや専門が違っても、その情報を利用できる立場の人が、市民にわかる形に解読していくということをしなければならないのです。
 そのような方法論は、商業ベースでおこなわれる書籍のかたちでは、不可能でしょう。なぜなら、市民の要求も多様化しているため、一つの専門分野の情報を必要としている市民は、商業ベースにのるほど、多くないかもしれないからです。そんなとき、インタ-ネットの世界でその需要を満たせばいいと考えています。
 専門家の科学普及をインターネットでおこなえばいいのです。インターネットのホームページやメールマガジンなどを利用すれば、小数の需要にも対応化のです。商業ベースには乗らないものも、このようなシステムなら解決できます。
 インターネットが招いた高度情報化による問題は、インターネット内で解決できるのです。このような方法論は、なにも新しいものを必要としません。心有る専門家が、必要なのです。そんな専門家が、市民のために専門情報をわかりやすく解説すればいいのです。そこでは金銭は動きません。インターネット特有のボランティア精神が発揮されるのです。専門家も、ボランティア精神の恩恵をインターネットから得ているはずです。そもそもインターネットの発祥自身にもボランティア精神があふれていたのです。その精神を継承すればいいのです。
 こんな精神は、日本古来の「思いやり」、「無私」というような言葉で表されていた精神を、今、思い出せばいいのです。私は、インターネットで情報を発信するようになって、このような心を多くの人から学びました。こんな心を、より多くの人に広めたいと考えています。ぜひ、あなたも、そんな心を思い起こしてください。

・私の実践・
 私は、ERSDACと共同で、ASTERという資源探査衛星が撮影した画像を利用して、地質学的な視点での地球の見方を紹介しています。これも、私は、無償でおこなう科学教育であると考えています。そして、なにより私自身が面白いと思っています。そして、その私の面白いと思っていることが、日本のどこかのだれかの役に立っていればいればいいと思います。
 いまの世の中は、成果や結果を求めすぎます。地道に、心をこめて、どこかのだれか、お互い名も知らないもの同士が、知識や好奇心をやり取りすることは可能だと思います。そしてお互いそれを心を基準ですればいいのではないでしょうか。
 もしろん、このメールマガジンもそのつもりです。

・光ファイバーへ・
 夏前に、新居へ引っ越しました。同じ市内の違う町です。今まではインターネットをするのにADSLを使っていました。しかし、今回引っ越したところは、ADSLが使えません。いまさらISDNにもどる気がしません。それに、我が家にとってはADSLの大きな利点としてIP電話の利用がありました。我が家は長距離通話をすることが多く、IP電話の威力を発揮していました。電話代だけで、ADSLのもとが取れるほどです。ですから、新居でもADSLとIP電話が使えればと思っていましたが、だめになりました。
 そうなると選択肢は、光ファイバーを利用したBフレッツにするか、昔のままの電話とISDNにするかです。そこで思案の末、Bフレッツにすることにしました。それが先日開通し、IP電話、インターネット、無線LANという今まで自宅で構築していたのと同じ通信環境が整いました。
 Bフレッツは公称100Mb/sですが、実測すると40Mb/sほどです。これでも、ADSLの4倍から10倍ほどのスピードがでています。でも実際には、このスピードで通信できるわけではなく、回線のどこかに遅いところが大抵あるので、もっと遅くなるのが現状です。でも、充分早く、大学より快適なほどです。
 それに、光ファイバーにすれば、今後ADSLよりは道具として長持ちしそうです。
 スピードの増加に伴って、月々の通信費がADSLに比べて3倍ほどになります。これは痛いです。でも我が家は携帯電話は以前、一時使っていましたが、今ではやめていますので、その使用料を考えると、それほど高くなってないかもしれません。
 でも、考えると通信費やそれに関する装置も非常に安くなりました。電話代だって、昔と比べると各段位に安くなりました。多分、今やアメリカ合衆国より通信費は安くなったのではないでしょうか。これは、通信の利用が爆発的に多くなったための効果だと思います。

2003年8月1日金曜日

19 地質学的時間(2003年8月1日)

 人間の歴史における時間と地球の歴史における時間は、人間の時間が速く流れ、地質学の時間がゆっくりと流れると思ってしまいます。ゆっくりとしたことが地球の日常的出来事であるということです。しかし、視点を変えていくと日常的が二転三転していきます。

 岩石や地層の形成に要した時間は、一般には長い年月がかかっているように思われます。しかし、必ずしもそうではありません。多くの岩石や地層は、地質学的な時間で見れば、ある時に、ある作用によって、非常に短い時間、つまり人間が見ても「あっという間」にできたといってもいいような時間で形成されているものがあります。それは例外的ではなく、かなりの量に及びます。
 そんな例をいくつか紹介しましょう。
 ごくわかりやすい例では、溶岩です。溶岩は火山が噴火して流れ出たマグマが固まったものです。このようなマグマが固まる現象は、非常に短い時間で起こります。海底でも溶岩の活動があります。海底は地表よりもっとはやくマグマが固まります。海底は玄武岩のマグマでできていることを考えると、その量は、地表の7割が「あっという間」の出来事の繰り返しでできたことになります。
 地層は、数百年や数千年に一度しか起こらないような大洪水や大地滑りなどによって、大量に運ばれてくる土砂によって形成されます。非常に稀な大洪水や大地滑りでも、その現象自体は、数時間や数日の時間で起こり終わってしまう現象です。地質学的な見方をすれば、まさに「あっという間」の現象です。
 地層の積み重なったガケを見たことがあると思います。多くの教科書では、それらの地層がたまるには、長い時間かかったと説明されています。しかし、見方によっては、それほどの時間を要せず、あっという間にできたともいえます。
 あるガケを想定しましょう。50メートルの厚さの地層が見えるガケがあるとしましょう。そのガケは、平均すると1メートルの厚さの地層からできているとしましょう。つまりここには、50枚の地層があるわけです。さて、この地層をためるのにどれくらいの時間がかかるのでしょうか。
 地層ができるのには、例えば5,000年に一度の大洪水や大地滑りなどの現象によってできるとしましょう。するとこのガケ全体をつくるには、5,000年×50枚で、25万年の時間がかかったことになります。かなりの時間がかかってできたことになります。
 つぎに、物質をためるだけの時間が考えましょう。上で述べたように、一つの地層をつくるために必要な土砂は、ほんの数日の事件でできます。例えばその事件を1週間、7日間かかるとしましょう。その地層が50枚あるのですから、7日×50枚で、350日です。つまり、約1年分の時間があれば、この地層をつくる物質が集めることができることなります。いいかえると、この地層をつくっている物質は1年分の時間で集まったもの、あるいは1年分の時間しかここには記録されていないことになります。まさに「あっという間」の出来事となります。
 この「あっという間」というの非常に情緒的な表現ですが、地質学的に時間差が検出できないという意味です。年代測定では、調べる時代や測定方法によりますが、「あっという間」とは、古い時代では数万年、新しい時代では数百年の時間は、検出限界以下、つまり誤差範囲といえます。
 ここまでは、地層を物質といいう面からみてきましたが、時間という面から見ると、地層はまったく別の見方ができます。時間でみるときに大切なのは、物質のないところです。地層と地層の間の、ものがほとんどない境界にあたるところに、じつは時間が詰め込まれているのです。
 地層というのは、往々にして、物質面からしか見ませんが、時間という面から見るとまったく様相を異にします。時間から見ると、地層として見えているところは、つまりは、物質に置き換えられているところは、ささやかな一部にすぎず、時間の本体は、物質に見えてない部分にあります。
 地層の中に流れている時間の本質は、大部分が物質をためない穏やかな時間、つまり「日常」なのです。数百年や数千年に一度のような非日常的時間が、地層の物質的部分を構成しています。日常的時間は物質に置き換えられないのです。ですから、地層の物質面からは、日常を読み取るではなく、非日常を読み取ることになります。
 地質学では、地層の中から見つかる構造、岩石片、化石などから、その当時の歴史や環境を読み取ります。でも、これは、非日常的現象でできた非日常的時間を地層から読み取っているのです。地質学者でも、この事実をついつい忘れてしまっています。地層から読み取れのは、当時の日常的なものだと勘違いしてしまっているのです。地層の中の物質には、非日常が織り込まれ、物質になっていない境界部に日常が織り込まれているのです。
 視点を広げると、逆の結論がでてきます。累々と続く地層は、数百年や数千年に一度のような稀な現象でも、地質学的時間で見ると、何度も繰り返し起こっていることを示しています。もしかすると、上で述べたような議論は、人間の時間スケールでのものであって、地質学的時間で見ると、人間にとって非日常的現象が、日常的現象になっているのかもしれません。地層は地球の時間では日常的現象としてつくられたものとみなすことも可能です。
 さらに視野を広げると、またまた逆の結論がでてきます。上で述べたガケも地球の表層のごく一部に過ぎません。地層をためるという現象も、地球全体に及ぶ現象ではなく、局所的におこるものです。地層をためる場とは、同時代の地球では、陸の近くの海だけで、それは地球の表層のほんの一部なのです。ということは、この地層の形成自体が、局所的な一時代、一地域の特殊なものに収斂させられるかもしれません。つまり、日常的というとり非日常的なものといべきなのです。
 などなど、視点を変えることによって、日常と非日常の判断が、次々と入れ替わります。さてさて、「日常的」とは、「非日常」とは、いったい何を意味するのでしょうか。わからなくなてきました。

・初心と感謝・
 この「Terra Incognita」は、今回で19号になります。毎月はじめに発行しています。御存知かもしれませんが、この月刊メールマガジン「Terra Incognita」には、前身があります。それは、「地球のつぶやき」というもので、不定期に、ある特定の人だけに発行していました。50名まで限定のメーリングリストで発行していました。その「地球のつぶやき」は7号発行しました。これも、ホームページに公開しています。その第1号は、2001年9月20日に発行されています。やく2年前のことになります。
 このエッセイを書きながら、その当時、あるいは「Terra Incognita」の初心を思いこしていました。
 私は、この「Terra Incognita」を書くのを楽しんでいます。少し高度な地質学あるいは哲学的内容になっていますが、自分のいちばん面白いと思っているところを盛り込んだものです。内容としては、今までの地質学が気づいてない視点、見落としている視点など、あるいはどうでもいいことにこだわりながら書き続けています。自分自身で、深く、しつこく考えています。これは、私自身のオリジナルな考えです。
 もしかするとピンとはずれなこと、もしかすると非常識な考えかもしれません。もしかすると同じことをどこかで誰かが言っているかもしれません。でも少なくとも、私は、それを知りませんので、独自に考え出したものです。
 インターネットの発達した現在、情報は氾濫しています。ですから、がんばって探せば、必要な情報はどこかにあります。あるときは、その情報量に圧倒される程充実したものがあります。もちろん、私もインターネットを重要は情報源としてます。
 こんなインターネット時代で重要なことは、オリジナリティ、独創性の発信ではないでしょうか。自分しか創り出せないものを発信する。これがインターネットにおけるアイデンティティではないでしょうか。もちろん、独創性を発信することだけでが、独創性の確立、確認ではないでしょう。独創性の発揮は、なにもインターネットだけが発信手段ではありません。人それぞれさまざまな方法があっていいと思います。でも、インターネットは手軽な情報発信装置です。ですから、私は、自分の方法として、いまのところインターネットが重要な手段となっています。
 私がメールマガジンとして発行しているのは、自分自身の考えをまとめ、独りよがりでなくするために、読者を想定しています。それは不特定ひとりでいいのです。そんな読者にたいして私の考えを発表しています。反応はなくていもいいのです。購読している人がいるという事実が、私の不特定ひとりの読者の前提となっています。もちろん、意見、議論は大歓迎です。
 私のわがまま考えを聞いてくださっている方々、ありがとうございます。これからも御支援よろしくお願いします。御支援といっても、購読し下さるだけでいいのですよ。

2003年7月1日火曜日

18 証拠と論理(2003年7月1日)

 地質学は、自然科学の一分野です。ですから、科学である限り、証拠と論理に基づいて、その論理体系は成り立っているはずです。しかし、証拠と論理によってなりたっている世界は、本当に正しいのでしょうか。そして、本当に正しい世界を見つけるにはどうすればいいでしょうか。

 セールスマンや言葉巧みな人のいうことにつられて、ついついその誘導にはまってしまうことがあります。ものごとを深く考えていても、どうしても、自分自身でそのわなにはまってしまうことや、あるいは、他人をだますためにその論理を意図的に利用することもあります。簡単な場合は、その論理のおかしさ、矛盾を見抜くことができますが、複雑な論理、あるいは、説得力のありそうな証拠、上手な話術、などが展開されると、ついついはまってしまいます。これは、誰でも陥るわなですし、だれもが逃れなれないものなのかもしれません。
 こんな例を出しましょう。恐竜の化石の発掘現場を見せられたとします。そこには、恐竜が横たわっている化石があります。そして、その恐竜のお腹には付近には、まるでその恐竜が守っていたように、卵の化石があります。こんな化石が見つかったとしましょう。
 この化石のでかた(産状)は、恐竜が子育てをしていたという有力な根拠、証拠となります。もし子育てしていた恐竜がいたとしたら、子供の教育をしていた、つまり、かなり高度な社会性を持っていた可能性があります。それが草食性の恐竜であれば、そのような社会性は、肉食性の恐竜から自分たちや仲間を守るために、群れとしてして行動をしていた可能性があります。肉食性の恐竜、つまり攻める側かららすると、これらの防御を打ち破って、食料にするには、ティラノザウルスのように、巨大で強力になるか、小型のものは、チーターのようにスピードで対処するか、オオカミのように群れをなして戦略で立ち向かうでしょう。
 などという、論理が展開されることがあります。でも、これは、たった一つの化石の発掘から展開されたものです。もし、この化石という証拠の解釈が間違っていたらどうなるのでしょうか。すべてのストーリーつまり論理は破綻してしまいます。
 化石となるときには、土砂に卵や恐竜が埋まらなければなりません。ですかた、たまたま卵の殻のあるところに、まったく関係のない恐竜の死体が埋まって、それが発掘されたとしらどうでしょうか。あるいは、化石になった恐竜は基本的には、草食性なのですが、卵なども食べることがあり、実はその卵をたまたま食べにきたとき、土砂に埋まったのだとしたら、どうでしょうか。上で展開した論理は、成り立ちません。あるいは、後者の場合だと、まったく逆の違う論理を立てなければなりません。
 これは、比較的簡単な例でしたので、反対の解釈がすぐに了承できますが、もっと、複雑に入り組んでいると、どうでしょうか。あるいは、別の証拠がたくさん提示されたら、どうなるでしょうか。実は、いったん信じてしまうと、あるいは信じれば、信じるほど、その論理からは抜け出しにくくなります。まして、そこに利害や、自分の心情などが絡んできると、もはや、反証を挙げた側を、根拠なく批判してしまうこともあるでしょう。
 これを強烈におこなたものが、洗脳でしょう。そこまでいかなくても、思い込み、確信、信念、常識などは、もしかすると、このような状態にあるのかもしれません。
 洗脳状態に陥らないようにするには、どうすればいいのでしょうか。やはり、証拠に対しては証拠、論理に対しては論理で対処するしかないようです。今まである証拠を根拠にしていたとき、その証拠を否定するような証拠が出てきたとき、どちらの証拠が、より証拠能力があるか、あるいは別の論理を用いれば、両者の一見矛盾する証拠を説明することができないか。論理的に考えて、今まで信じていた論理がおかしいとわかれば、間違った論理を捨てる勇気が必要です。そんなチェックを、常に行えるこころの柔軟性が必要です。あるいは、この柔軟性がなくなったら、もはや洗脳されていることになります。
 その教義と運命を共にするか、常に、正しいものを求めて、正しいほうへ転進できる姿勢を持ち続けるか。これは、その人の活き方にかかわることです。これ以上は、他人がとやかくいうものではないでしょう。それ以上いって、介入すると、こんどは、自分が押し売り、洗脳する側なります。
 さて、このような論理ですが、論理ですべて解決できるでしょうか。論理とは、皆がこれは絶対正しいということ(公理、原理、前提、仮定など)から出発して、正しい手順で証明されたことだけで構築されるものです。そんな論理的に組み立てられた世界(体系、システム、系など)は、もちろん正しいはずです。
 ところが、そんな世界が、その世界の中では、正しことは(無矛盾である)判定することができないとわかったのです。それも、数学のある分野でのことでした。
 ゲーデルという数学者は、ある数学体系では、どんなに論理的に積み上げられた世界であっても、その世界の中では、無矛盾ということが判定できないということを、数学的証明したのです。大変なことになりました。この証明は、「ゲーデルの不完全性定理」と呼ばれ、その数学の分野では、この証明の正しいことがわかっています。そして、その「不完全性定理」の世界は、いろいろなところで見つかるようになってきました。
 昔から知られている例として、自己言及のパラドックスというものがあります。
「この文章は、ウソである」
というよなものです。相互言及というものもあります。
A氏「B氏の言うことは、正しい」
B氏「A氏の言うことは、ウソである」
さて、これらの文章は正しいでしょうか。短い文章ですから、その異常さに簡単に気づきます。このようなパラドックスを、より論理的に、より深く考えていったのが「ゲーデルの不完全性定理」です。つまり、論理的に正しいものだけでできている世界でも、このようなパラドックスが含まれていることが証明されたのです。
 このようなパラドックスが、複雑な論理体系の中に仕込まれていたら、複雑でなくても、巧みに論理の中に組み込まれていたら、見抜けないかもしれません。数学という非常に論理的な世界でも、なかなか見抜けなかったほどですから。
 論理的に考えるということにも、限界があるということです。では、論理や証拠にだまされないようにするには、どうすればいいでしょうか。いまのところ、人類は、「完全」な論理の体系を手にしていません。数学の世界で不完全を見抜いたのも、やはり論理でした。ですから、論理と証拠を用いるという方法が、いちばんいいようです。この論理と証拠によって、論理体系のおかしさが判明しました。ですから、面倒かもしれませんが、「不完全」かもしれませんが、論理と証拠を用いるのが一番確実でしょう。そしてろの論理と証拠を扱うのは、人間です。それも不完全な人間です。ですから、論理と証拠を頼りにして、騙されながらも、こりずに、心の柔軟性を失うことなくいることが大切なようです。やはり、最後はこころの持ちようでしょうか。

2003年6月1日日曜日

17 過去と記録(2003年6月1日)

 地質学とは、過去の地質現象で、現在に残されているものだけから、解読することが重要な作業となっています。しかし、その過去と記録の関係を考えてみると、どうも一筋縄でいかないもののような気がしてきました。

 現在とは、私たちとって、一度しか経験できないことです。過ぎ去った現在は、過去となります。過去は、2度とは繰り返されません。でも、幸いにも、私たちには、脳内に貯蔵された記憶というものによって、現在に過去を蘇らすことができます。
 しかし、脳内の記憶だけでは、あまりにも儚いものなので、私たちにとって大切なこと、重要なことは、記録として残します。私たち自分自身の最初の記録は、母がつけてくれた母子手帳の記録でしょうか。最近では、超音波エコーによる胎児の映像も残されています。この世に生を受ける前の自分の姿すら記録に残すことが可能なのです。これが私たち自身のはじまりです。
 母子手帳に医者や母が書いた文字から、超音波エコーの記録まで、自分の過去についての記録が残されるようになってきました。技術の進歩によって、親の記憶だけでなく、文字という記録になり、文字から画像となりました。なにも母子手帳だけの話だけでなく、私たちの記録は、写真という画像、8mm、ビデオ、最近ではデジタルビデオでしょうか、動画として、市民でも、よりリアルな記録を残す時代となりました。
 しかし、このような過去の記録でも、2人目、3人目の子供ともなると、記録の量はぐっと減っていきます。そして、結局は、入学式、卒業式、運動会、誕生会などの何らかの行事、事件、出来事があるときの記録となっています。考えてみると自分の記憶も、日常的のものより、非日常的な行事、事件、出来事がたくさん残っています。つまり、記録するという行為自体も、非日常的なことを主となっていきます。
 さて、こんな話からはじめましたが、記録から読み取る過去について考えて見ました。自分の生まれるより以前の出来事、つまり歴史、あるいは、文字ができる以前の歴史、ヒトとしての歴史、生命の歴史、自然界の歴史などを読み取るということは、はたして、どの程度、本当の過去をみているのでしょうか。そんなことをふと考えました。
 日本の歴史、、文明の歴史、人類の歴史、生命の歴史、地球の歴史、なんでもいいです。過去の記録しか残っていない時代を、その記録からたどるとき、過去の実体は、ほんの断片しか残されていません。
 その過去の断片も、記録に残ったものは、幸運であったものか、特別なもの、あるい特異なものであったはずです。いずれにしても、過去がそのまま残ることはありえないのですから、過去とは、「記録」という特殊なフィルターを通してしか見れないのです。
 また、その「記録」が読み取りにくいものであったら、どうでしょう。記録が、古文書、あるいは古代文字、土器のカケラ、骨の破片、地層の中の異変、岩石の中の小さな鉱物に、記録されているものだとしたら、だれでもが読み取れるものでは、ないはずです。特別な訓練を受けた、いわゆる専門家という人たちが、その記録の一部を「解読」できるに過ぎません。
 その「解読」は、完全なものとは限りません。一部しか読み取れなくても、そこから論理、推定、類推、推理、想像、でたらめ、思い込み、などによって、専門家は、ある「解釈」をします。彼らの「解読結果」、つまりあるひとつの「解釈」は、彼らの得意とする方法によって表現されます。
 そして、その「解読結果」が専門的であるなら、わかりやすく解説できる人によって、さらに「解説」されます。それは、教科書だったり、参考書だったり、普及書だったり、新聞だったり、テレビだったり、雑誌だったりします。そして、目に触れやすい、読みやすいメディアとなったものが、多くの人にとって、過去の記録となっていきます。
 過去は、多くのフィルターのもとに、現在の私たちの知るところとなるのです。もし、上で述べたどこかのフィルターに個性や特異性があると、過去の事実、真実よりも、そのフィルター自身を過去として、誤って読み取っていることもあるかもしれません。いや、もしかすると、大部分の過去は、そうかもしれません。自分自身の記憶だって、嫌なことは嫌なまま覚えるのではなく、いちばん気持ちが楽になるように記憶しているはずです。つまり、自分自身の記憶さえ、無意識のうちに改竄されているのです。同じ経験をしたもの同士が同じ記憶をもっているかというと、話してみると、結構違っているものです。
 自分の記憶ですら、そうですから、他人や時間、偶然というフィルターを通った記録が、過去の真実を伝えているとは、到底思えません。私たちの知ることのできる過去とは、このようなフィルターの集積、つまり本当の過去ではなく、虚構としての過去なのかもしれません。私たちは、過去を読んでいるつもりが、実は、フィルターを読んでいるにすぎないのかもしれません。
 ということは、過去を知ることとは、自分自身で、過去の記録を、意のままに、自分にいいように読み取ることが、いちばんの醍醐味かもしれません。こんなことをしても、過去は私たちに何も文句をいうわけではありません。せいぜいフィルターがクレームをつけるだけでしょう。

2003年5月1日木曜日

16 「本当のこと」と「信じること」(2003年5月1日)

 まず、最初におことわりします。ここでは、「本当のこと」などというものなど、あるのかという議論はしません。「本当のこと」あるいは「本当のこと」に類するものがあるかもしれないという仮定をおきます。その前提のもとで、それを求める方法として、どれがいちばんいいものか、考えていきます。
 ある「本当のこと」があったしましょう。でも、その「本当のこと」を、すべての人が、信じるとは限りません。何を信じ、何を信じないかは、人がそれぞれ個別に判断していくものだからです。ある人が信じるものがあったとき、その信じるものは、ある人にとって「本当のこと」といえるものになるはずです。
 たとえば、ここに石ころがあるとしましょう。その石ころの中には、化石があります。その化石は、恐竜の歯の一部で、ティラノザウルスのものと同定されています。ティラノザウルスとは、ご存知のように、白亜紀後期に生存していたの肉食の恐竜のことです。
 ここまでが、ある専門家が太鼓判を押している「本当のこと」だとしましょう。でも、これを信じるかどうか、また別の問題です。すこし詳しく見ていきましょう。
 まず、石ころがあるところまでは、誰もが直接確認できることですから、真理としましょう。さらに、石ころの中に、人のものではないが歯のようなものがあるところまでは、これも、確認できるから真理としましょう。
 でも、石ころの中の化石についていは、それが化石というものかどうかは、別の判断が必要です。例えば、化石というものの概念を知っていたとしても、その概念が、この石の中にある異質なもの場合に適用できるかどうかが問題です。
 この場合は、化石と判断できたとしましょう。化石と判断できたとしても、これが、歯であるかどうかは別問題です。専門家でも、意見違ってくることだってありえます。いや専門家になればなるほど、いろいろん例外があることを知っています。ですから、この化石に関しては、素人や専門家の区別なく、異論が生じえます。つまり、ある専門家は、一見歯に似ているけれど、違う生物の化石の一部、例えば魚の骨の一部としましょう、であると判断したとしましょう。
 最初のティラノザウルスと判断した専門家が信じていることと、別の専門家が信じていることは違っています。つまり、考えが積み重なっていくにつれて、「本当のこと」というものが不確かになっていきます。
 疑う気になれば、この化石の入った石だって、どこから取ってきたものか不明だし、誰かが作った贋物かもしれません。ですから、「本当のこと」などというものは、最終的には、それを「本当のこと」だと思うかどうかに、収斂できるのかもしれません。
 最初に「本当のこと」があるという前提を設けました。しかし、その前提をここでは撤回しなければなりません。「本当のこと」などというものは、不確かで、最終的には、ある人が「本当のこと」と思うかどうかにかかっているのです。
 さらに「本当のこと」とについて考えを進めましょう。「本当のこと」とは、主観的にみるか、客観的にみるかか、よって、おおきくわかれていきます。
 主観的に「本当のこと」とは、「自分」が「本当と信じること」です。一方、客観的に「本当のこと」とは、「多くの人」が「本当と信じること」です。
 主観的に「本当のこと」とは、ウソであろうが、本当であろうが、自分が「本当のこと」と「信じること」です。その内容の評価は、自分の評価だけで、ほかの人がなんと評価しようと、関係ないわけです。
 例えば先ほどの化石の例でいえば、その化石がほとんどの専門家はティラノザウルスの歯の一部だと判断しました。でも、そうではなくじゃないという一人の専門家にとっては、自分の判断の方が「本当のこと」と信じているのです。
 本当の「本当のこと」は、どちらか、あるいは、別の生物の化石かも、あるいは誰かがいたずらで作った偽者かもしません。でも、それを知りえない人にとっては、本当の「本当のこと」は藪の中です。
 主観的に「本当のこと」とは、これ以上、議論は進めません。議論できなのというのは、否定するのではなく、それを認めているからです。個人の思想、信条の自由にあたります。そして、他者の主観的「本当のこと」を認めるということは、自分の主観的「本当のこと」を認めてもらうことにつながります。
 どんなに客観的と判断しても、最終的に自分が信じなければなりません。「信じる」ということは、最終的は主観的なものです。客観的に本当でなくても、客観的にウソでもいいわけです。本当だと思い込み、疑わなければ、それは「本当のこと」になるのです。つまり、客観的に「本当のこと」も、主観的に「信じること」にできないと、「本当のこと」とはならないのです。
 ちょっと、言葉上のいいまわしがむつしくなっていますが、個人の主観的「本当のこと」を認めるという前提がないと、客観的な「信じること」も存在できないと考えられるからです。
 では、客観的「本当のこと」とは、どのようにして評価すればいいのでしょうか。その方法として、
・証拠があるかどうか
・論理的に正しいかどうか
という調べ方があります。
 「証拠があるかどうか」とは、客観的「本当のこと」が、「事実」で裏づけされていることです。多くの人が認めるような「事実」という証拠をもっているかどうかです。
 ところが、「事実」とは、言い換えると「本当のこと」という意味です。でも、ここでは客観的「本当のこと」を考えているので、この「事実」とは、同義反復になってしまいます。つまり、あいまいになってしまいます。ですから、ここでは、「事実」とは、実験、実物、現象など、なんでもいいですから、他人が客観的に判断できるための証拠を提示することとしましょう。
 実験による証拠とは、第3者が追試(同じ実験を、別の人が、別のところで試してみること)をしても、同じデータや結果が出てくるものでないといけません。つまり、再現性があるものでなければいけないということです。
 実物による証拠とは、他人がその実物を手にでき、追試や分析できることです。1個しかない実物で、第3者が追試や分析できないのなら、客観的に評価するための写真、スケッチ、測定値などの定量的データを示すことで代用することもあります。
 現象による証拠とは、何度も起きることなら、第3者が追試や分析可能な再現性があるものでなければなりません。一度しか起きなかった現象や、めったに起きない現象ならなら、1個しかない実物と同じように、客観的に評価するための写真、スケッチ、測定値などの定量的データを示すことが必要です。
 客観的「本当のこと」は、証拠の提示をすることで確かめられます。証拠とは、再現性のあるものか、定量的データなどによって、第3者が同じデータを得て、第3者独自の判断できるようにすることです。そして、どの第3者からも、同じ結果がでてくれば、それは、客観的「本当のこと」となります。つまり、客観的真理といえます。
 もう一つの「本当のこと」を調べる方法は、「論論理的に正しいかどうか」です。あることやある考えが、論理という形式を満たせば、それは、「本当のこと」としていい、ということです。論理的であるかどうか、論理性をもつかどうか、という点だけを重視して、評価するのです。そして、多くの人が、論理的であると認めたら、それは、「本当のこと」となります。
 以上、まとめますと、客観的に「本当のこと」とは、「証拠の提示」と、「論理性」によって、見分けることができるのです。
 もし、すべての人が、「自分自身の信じること」をもち、それぞれが違っていたり、統一がとれてなかったり、ウソや、デタラメだったりすると、社会は成り立ちにくく、あるいは成り立たなくなります。社会的なレベルでは、ある共通する統一的な「信じること」が必要です。
 それは、常識、世間の目、法律、憲法などの、理性に訴えかけるような何かによって、トンでもないことを「信じない」ための、ハドメとして働いているのです。
 ところが、法律によって治められている社会で、「本当のこと」とされていることでも、別の時代、別の民族、別の国、別の社会では、「本当でない」「正しくない」、「間違っている」、「違反している」ということだってありうるのです。
 昔の日本では、今ではいけないようなことが正しいこと、今はよいことが悪いこととされていたときが、ありました。
 たとえば、生まれながらに身分の違いがあったり、侍は人を殺してもゆるされたり、戦争は正しいとしていたり、動物は食べてはいけない時代があり、犬が人間より大切にしなければならない、など、今とは違ったことをしていました。でも、その時代では、それは社会的に信じるべき「本当のこと」だったのです。
 社会的レベルの「本当のこと」は、どんな時代、どんな社会、どんな国、どんな民族にも通じる「本当のこと」とはかぎらないのです。
 もっと、普遍性をもった「本当のこと」があるはずです。普遍性とは、時代、社会、国、民族の違いも越えた、つまり、どんな時代、どんな社会、どんな国、どんな民族にも共通するのでなければなりません。普遍性とは、その時点で、一番「本当のこと」らしいことといえるものです。
 上で述べたように、「本当のこと」は、「証拠の提示」と、「論理性」によって、見分けることができることができます。ただし、それは、形式をみたしているだけの確かさであって、本当に「本当のこと」かどうかは、検証できません。それに本当の「本当のこと」があったとしても、長い時間を経て、歴史のなかで、多くの人が検証して、裏づけできなければなりません。本当の「本当のこと」の追求には、長い知的検証の期間が必要です。
 いろいろなレベルの「本当のこと」を考えてきました。ここでは、個人のレベルのほうが、劣っているように感じられたかもしれませんが、それは、違います。
 一人ひとりにとっては、いうまでもなく個人の「本当のこと」が、一番大切なものです。そして、普遍的「本当のこと」においても、個人の「本当のこと」が存在するから成立するのです。
 個人のレベルでは、何を信じても、何を信じなくても、それは、自由だということです。また、他人がなにをいおうと、自分の信じることを押しとおすこと、あるいは守ること、それが、個人のレベルでは重要です。社会的にもそれを守ることが大切です。なぜなら、それが、個人の自由を守ることにつながるからです。
 自分の「本当のこと」が、一番大切な「信じるべきこと」なのです。それは、人生において見つけるべき目標でもあり、もし見つけたとしたら、自分で一番は大切なこととして、なにをさしおいても優先すべきでこととなりうるのです。
 もし、個人レベルで、「何を信じればいいのか」という疑問が生まれたとき、ここで「本当のこと」追究につかった手法は役に立ちます。
 「本当のこと」に近づく有用なやり方は、上で述べたように、
・証拠があるのかどうか
・論理的であるかどうか
を充分、吟味することです。そうすれば、その時点で、個人のレベルにおいても、重要な意思決定の方法になるに違いありません。あとは、もはやそれは個人のレベルとなった自分の判断を「信じて」、その道を進むのみではないでしょうか。

2003年4月1日火曜日

15 無限の宇宙(2003年04月01日)

 私たちは、いろいろなことを考えます。そして、いろいろと考えていく時、不思議なことがおこることがあります。たとえば、「考えること」自体について、考えるような場合です。このような考え方は、メタ(meta-)という前置詞をつけて表現されています。ここでは、宇宙とメタ宇宙について考えてみます。
 宇宙について考えていく時、宇宙の定義をすべきです。でも、じつは宇宙の定義にはさまざまなものがあるはずです。天文学的な定義は、一つの見方にすぎません。人それぞれに宇宙の定義があっていいわけです。
 科学は、定義が曖昧だと誤解を招きやすいので、定義を厳密にしていきます。ところが、宇宙などという科学では最も基本的な術語に関しては、案外、曖昧な定義しかなされていません。
 例えば、天文学辞典では、「宇宙」とは、「すべての天体を含む全空間」となっています。理化学事典では、「存在する限りの全空間、全時間およびそこに含まれている物質、エネルギーをいう」とあります。漠然としています。
 それならいっそ、広辞苑の定義のように、「世間または天地の間。万物を包容する空間」や「森羅万象」という定義のほうがしっくり来るような気がします。宇宙の定義も、こうなると好みに問題ともいえます。
 さて、宇宙の定義について考えたのですが、宇宙の定義は、頭の中で、言葉を使ってなされています。宇宙をどんなに厳密に、科学的、論理的におこなうにしても、この頭と言語という前提から逃れることができません。宇宙を定義するには、頭という場、言語という道具が不可欠となります。いってみれば宇宙とは、頭と言語の中にあるともいえるわけです。
 この考えは、ひとつの真理を示していると思います。それは、自分で知ることや感じることができてはじめて、その存在を認知することができます。そして、その宇宙を認知したことを他者に伝えるためには言語に変換する必要があります。あるいは、自分の頭の中で考える時に言語を利用しているはずです。言語も頭の中にあるわけです。つまり、宇宙とは、頭、つまりは脳の中にあると定義できるのではないでしょうか。ですから、脳の数だけ、定義が存在していいわけです。
 もし、脳がなければ、知ることも感じることもできず、存在しているかどうかすら、わからないのです。そして、いったん、脳の中に記憶として固定されると、もともとの存在や現象が、あろうが、なかろうが、脳のなかで記憶された宇宙は存在し続けていくのです。
 さて、ここからメタ宇宙にいきましょう。不思議で悩ましいメタ宇宙をひとつ紹介しましょう。無限の宇宙が誕生します。
 脳の中の宇宙は、現実の宇宙より「拡大された宇宙」をもつくることだってできます。それは、想像力と呼ばれるものによってなされます。そうなると、現実の宇宙からは、かけ離れた、もっと大きな宇宙が出来上がってしまいます。それも脳が認知してしまいえば、脳の中では存在し得る宇宙となります。
 そんな想像上の宇宙を、新たに頭の中には、作り上げることができます。
 以下文章を注意深くお読みください。
 脳の中の宇宙は、脳の数、つまり人の数だけあるはずです。現在、地球には60億以上の人がいます。ですから、現時点で60億個の別々の宇宙、プラス1個の「現実の宇宙」が存在します。「現実の宇宙」とは、天文学が研究対象としているものです。さらに加えるべき宇宙があります。400万年前に人類という種が生まれて現在にいたるまで、何人の人が存在したかわかりませんが、かつて存在した人の数だけ、宇宙があったことになります。なんと多くの宇宙があるのでしょうか。
 もっともっと考えを広げていきましょう。今、人類だけを取り上げましたが、霊長類、つまりチンパンジーやゴリラ、オランウータンにも、それぞれ脳があり、記憶があるはずです。彼らすべてに、それぞれの宇宙があると考えられます。なぜなら、彼らも頭で感じ、知り、考え、そして記憶します。このような作用をする脳には、宇宙が宿ります。
 脳は、なにも霊長類だけのものではありません。動物、植物、微生物まで、脳を想定することができます。脳という形態ではなく、感じ、知り、反応し、記憶するというような作用のするものを脳と定義すれば、それは生命活動をすることそのものと読み替えることもできます。そうすると、地球の生きとし生けるものすべてに、それぞれ宇宙があると考えていいはずです。
 さらに、生命誕生から現在まで、地球上に存在したすべての細菌、微生物から私たちまで、いったいくつの生命がこの世に存在したのでしょか。その生命の数だけ宇宙があった、そしてあるのです。
 あるいは、私たちが知り得ない宇宙のどこかに生命の宿る星があるとすると、そこに生息し、さらに生息していた生命の数だけ、宇宙の数がさらに加わります。数はわかりりませんが、多数ですが有限の個数の宇宙ができます。その数をUとしましょう。
 そのような考えを進めていくと、「現実の宇宙」とは、ほんのちっぽけな一つの宇宙に過ぎないものといえます。
 さてさて、つぎにもっとすごい数の宇宙に、はなしを展開していきましょう。今まで考えた非常に大くの宇宙は、実は私の頭の中の想像力によって作られたものです。つまり、私の頭の中という入れ物の中だけ存在する宇宙です。そして、これを読んでそうかもしれないという思った人がいれば、その人の頭の中にも同じ数だけ今宇宙が新たに形成されたことになります。そして、もし、全人類にこの考えがいきわたれば、宇宙の数は、掛ける人口の数となり、60億倍になり、つまりU×6×10^9個(10の9乗のことをこう書きましょう)となります。これをMUと書きましょう。
 これは、一種の「入れ子状態」です。その入れ子状態を考えるたのは私ですから、いまいったすべての宇宙が私の頭の中に形成されたのです。「入れ子状態」の存在を意識したとき、宇宙が爆発的に形成されます。
 その入れ子状態を繰り返し想像すると、宇宙形成の連鎖が起きます。その連鎖は、想像した「入れ子」の数が、指数となって増えていきます。このように頭の中の宇宙の数は、想像するといくらでも増えていきます。
MU^n
ここで、nは想像した入れ子の数
となります。そして、無数の入れ子を想像したとすると、宇宙の数は、まさに無限となります。
 無限の宇宙が、頭の中には存在します。その無限の宇宙をも、たった一個しかない小さな頭が飲み込んでしまうのです。
 最後にこの無限の宇宙を収斂させる方法を示しましょう。それは、どんな想像をしようが、「現実の脳」あるいは「現実の私」は、1個の「現実の宇宙」の中にいるということです。そして、私が死ねば、今考えたような無限の宇宙は、私とともに消えていくのです。
 想像力の威力と、かたやむなしさを感じます。そして、「現実の宇宙」の確かさも同時に感じます。
 これが、宇宙とメタ宇宙というものです。どうですか、宇宙が爆発しましたか。そして無限の宇宙が想像できましたか。

・想像力の威力・
 このエッセイは、Uenさんのメールに端を発しています。Uenさんは、「私の宇宙は私の脳の中」とされました。「脳内の宇宙」は、自分の感情や気持ちによって収縮し、「自分でもどうなっているのか謎の部分が一杯」といわれました。それに私が答えたメールを大幅に修正・加筆してこのエッセイとしました。
 メタ的宇宙、それは、入れ子状態の宇宙ともいえます。あるいは、ある体系をそれより外から眺めるということにもなります。そこには不思議な世界が展開されますが、こんな思索の世界を散策できるのも、私たちがもっている想像力の威力です。想像力はすばしいものです。
 例えば、こんな例を出しましょう。
 宇宙の直径は約300億光年です。宇宙を直径を1mの大きさであるとします。
 と、いったとたんに、直径は20cmほどの頭の中に、宇宙が一瞬のうちに想像できます。300億光年の大きさのものを、一瞬にして、頭の中に描き、それを外から眺めているのです。
 これが想像力の威力です。メタ的になるといことは、想像力が豊かになるということではないでしょうか。

2003年3月1日土曜日

14 常識と非常識(2003年03月01日)

 今回は、常識と非常識について考えます。地質学の世界では、両者が混在していることがあります。地質学の分野でいうと、常識が「地層累重の法則」で、非常識が「付加体」となります。
 突然、述語を出しましたが、現在、地質学の世界では、この常識と非常識が混在しています。そして、この混在のおかげで、研究者は、非常に慎重に自然をみるようになっているという話題です。
 まず、常識についてです。ここでいう常識とは、地質学だけに通用するものでなく、日常生活においても、あるいは、感覚的に常識と思えるということです。
 こんな人をよく見かけます。自分の机が、いつも書類の山となっている人です。書類の山には、そのうち読もうと思って買っておいた書籍、読みかけの週刊誌、通勤で読んできた新聞紙、ちょっと気になる郵便物などなど、積み重なっています。そして、山が崩れそうになったり、とうとう崩れたりすると、かたずけられます。捨てられないものは、保存すべき場所に収まります。そしてめでたく、机は本来の広さをとりもどします。しかし、なん日かたつと、また同じような山ができます。
 書類の山をよくみてみると、古いもの(整理して最初に置いたもの)が下にあり、新しいもの(今日置いたもの)がいちばん上に乗っています。新聞は規則的に挟まっています。新聞には日付がありますので、整理した日付から、一日にどれほど書類がたまるかわかるほどです。
 ここでいいたいのは、常に上にものが積み重なるようにして置かれるという環境では、古いものが下、新しいものが上、という規則性があるということです。わざわざ述べるまでもないほど、当たり前のことです。この規則は、非常に常識にかなったものです。ここでは、古いものが下、新しいものが上という規則性はすなおに納得できます。
 地層でも同じことが起こっています。陸から河川によって運ばれた土砂が、海に流れ込むと、今まであった海底に、新しい土砂がたまり、ひとつの地層となります。その海底も、かつて、土砂が流れ込んでできた一つの地層です。地層とは、この繰り返しによってできます。つまり、より新しいものが、古いものの上に積み重なってできていきます。地質学ではこのような規則を、「地層累重の法則」と呼んでいます。「累重」の「累」も「重」も、次々とかさなるという意味です。
 ある崖に地層が出ているとしましょう。そして、その地層は、垂直に立っています。まるで、本を立てて並べたように整然と地層がでているとします。この地層の上下を調べます。
 まず、調べるべきことは、ひとつの地層の中で、地層がたまったときの重力の方向を知ることです。どういうことかといいますと、現在の上下ではなく、地層がたまったときの上下を知ることです。
 こんな実験をするとよくわかります。ペットボトルに土砂と水を入れて、ふたをして、よく振ります。そして、静かにおいておくと、大きな石ころが、いちばん先に沈み、つぎに、粒の大きな砂から小さな砂がたまっていきます。最後に長い時間がたってから、粘土のような粒の小さなものがたまります。その粒の大きさは、下から上に向かって、大きいものから小さいものへと変化していきます。
 これは、ペットボトルの中の話ですが、一つの地層でも、同じことがおこります。このような現象(級化層理(きゅうかそうり)とよびます)を利用すれば、ひとつの地層の中で、どちらが上か下か判定できます。ひとつの地層の上下は、もちろん、その上の地層にも、下の地層にも、重力の方向は適用可能です。つまり、ひとつの地層の上下がわかれば、連続する地層全体の上下関係がわかるわけです。
 一つで不安ならば、いくつかの地層を検討して比べればいいのです。すべておなじ結果なら、めでたし、めでたしです。もし、結果がばらつくようなら、どちらかの上下判定が間違っています。実際には、簡単に上下判定もできない場合も多くあります。そんなときは、別の証拠を探します。
 上下判定に利用できるものが、いくつかありますが、生物の生活跡などは有効です。当時住んでいた生物が這った跡は、当時の海底面にあたります。海底面とは、その当時の地層の一番表面にあたります。這い跡のある面が、地層の表面と判定できます。気をつけなければいけないのは、這い跡はくぼんでいるということです。あとから覆った地層は、出っ張っています。それを間違えないようにしなければなりません。
 穴を掘って棲家とする生き物もいます。そんな生物の巣穴は、海底面から下に向かって掘られていきます。ですから、巣穴の跡があれば、上下判定ができます。
 さて、いくつかの上下判定の方法を用いて、先ほどの崖にあった地層は、右側が下、左側が上とわかったとします。すると、この地層全体の上下判定もできたことになります。ここで例としてあげた調べたい崖の右側が下、左側が上だになるわけです。となると、右側の地層が古く、左側の地層が新しいものとなります。
 ここで用いた原則が、「地層累重の法則」です。非常に常識にかなった法則です。しかし、この常識的な「地層累重の法則」が、すべての地層で、普遍的に使えるととは限らないことがわかってきました。
 それはプレートテクトニクスという考え方の登場からです。プレートテクトニクスという考え方は、地球表面でに10数枚のプレートがあり、それが、移動しているという考えです。中央海嶺で海洋プレートは生成され、海溝で海洋プレートは沈み込みます。大陸プレートは、分裂や合体はしますが、沈み込むことはありません。
 プレートテクトニクスで、海洋プレートが、大陸プレートの下に沈み込むところでは、海洋プレートの上にたまっていた地層が、プレートに伴ってもぐりこもうとします。しかし、堆積物は、軽いため、沈み込めず、プレートからはがされて、陸側のプレートにくっつきます。これを「付加」といいます。
 プレートの沈み込みが続く限り、付加は続きます。前に付加した地層の下側に、つぎの地層がもぐりこんでは、付加していきます。つまり、古い地層の下に、新しい地層が入り込むのです。それが、長い間繰り返されて、大きな地質体となったものを、「付加体」と呼びます。
 付加体で形成された地層は、堆積順序が「地層累重の法則」を守っていないのです。「地層累重の法則」を守っている地層と、守っていない地層は、見かけや構成が全く違っていることもあるのですが、ときには、砂岩から泥岩という、河川が運んで「地層累重の法則」にしたがってたまった地層と同じものものがあります。
 それに、「地層累重の法則」を守らない付加体で、上の地層と下からくっついた地層との境界は、薄いかみそりの刀も入らないないほどぴったりくっついていることもあります。だれが見ても、そこには時代のギャップ、それも逆転した(古いものが上、新しいのが下)ものがあるなどとはわかりません。でも、付加体では、そのような常識はずれのこと、非常識なことがおこっているのです。
 では、そんな見てもわからないようなものを、どうして見分けたのでしょうか。
 それは、微化石とよばれる非常に小さな化石の研究と、詳細な地質調査(センチメートル、ミリメートルのオーダーの調査や資料採集をすること)によってわかってきました。
 微化石は、顕微鏡や電子顕微鏡などで見なければ判別できないほど、小さな化石のことです。微化石の研究では、日本の研究者が大いに貢献しました。
 微化石は、コノドント(ヤツメウナギに近い動物の食物を選別し、すりつぶす器官)や有孔虫や放散虫、珪藻などがあります。このような多種多様な微化石を用いて、一枚一枚の地層の詳細な年代決定をおこなって、どの地層の間に時代間隙があるのかを見極めてきました。非常に根気のいる研究です。
 ですから、地層をみたとき、それが、「地層累重の法則」でたまったものなのか、それとも「付加体」でたまったものなのかを見分けなければなりません。地質学者は、常識と非常識を、いつも意識して、調査することが求められているのです。

・付加体・
 付加体は、上で述べたものより、実は、もっと多様なものから構成されています。もともとの構成物の順番(層序(そうじょ)といいます)でみますと、下から、海洋地殻とその上にたまった遠洋性堆積物(固まるとチャートや頁岩になります)、そして一番上に海溝付近でたまる陸源の堆積物から構成されます。この陸源の堆積物が、「地層累重の法則」でたまるものと同じ種類なのです。
 海溝の陸側は、沈み込むプレートと平行な多数の断層によって、ずたずたに切りきざまれて、プリズム状の断面をもったものとなっています(このような構造をデコルマンとよぶことがあります)。このような付加体の内部の断層は、逆断層の一種の衝上(しょうじょう)断層といます。
 ですから、付加体とは、厳密に言えば、「地層累重の法則」をやぶっているのではないのです。「地層累重の法則」を守ってたまった地層が、プレートの沈み込み帯という特殊な環境で、もともとあった構造が、ある一定の法則に則って改変されたのです。
 地質学者が地層を陸で見るときは、形成された環境を見ているのではありません。ですから、詳細ささ観察と、広域を把握する視点、つまり個々の地層を詳細に、かたや広域に周辺の地質を見るしかありません。そして、詳細で広域に及ぶ地質調査で、その地層ができた環境を割り出すことができるのです。
 付加体で形成された地層だと判明したら、そこには、かつて沈み込み帯、海溝があったわけです。つまり、そこは、かつてのプレートの境界があったわけです。それが、海洋プレート同士の境界か、海洋プレートと大陸プレートの境界かだったはずです。それは、さらに広い視点で地質を眺めれば見極められるかもしれません。
 地質学者は、地を這う調査をしながら、何億年、何十億年前の地球の姿を想像しながら、歩いているのです。

・自然の神秘・
 常識的に考えることは、楽です。すでにある考え方をそのまま、別のもに適応するだけですから。
 でも、非常識的に考えることは、最初は抵抗があります。地質学者もそうです。でも、非常識が知識として頭にはいり、野外でそんな現象を目の当たりにするとも、もはや、その非常識も、地質学者では、常識となってしまいます。
 ぱっと見て目にみえる自然の姿があります。しかし、そのもう一つ奥に隠された神秘を垣間見ることができるのです。それは、自然を知る醍醐味でもあるわけです。
 自然は、どんな神秘をもっていようとも、黙っています。見る側が、その神秘を見つける努力をしない限り、見ることはかないません。でも、自然は誰も分け隔てをしません。努力をした人には、誰にでも、その神秘を見せてくれます。
 自然は、心が広いのです。

2003年2月1日土曜日

13 地質と村おこし(2003年02月01日)

 道南に行きました。いうまでもないと思いますが、北海道の南部、渡島半島を、道南と呼んでいます。道南に資料収集にでかけました。2002年も押し詰まった12月23日から28日までです。いくら北海道とはいえ、雪があるから、無謀なような気がしたが、出かけました。そのときに感じたことを紹介しましょう。

 北海道では、2002年の夏は涼しく、そして雪も遅かったのです。そんな11月下旬、道南行きを決めました。今年は雪が少なそうだし、大学の講義の終わる12月下旬でも、道南なら、まだ雪がないかもしれない、あっても少ないのではないか、と考えたのが、ことの起こりです。
 今年は、新しい調査テーマを設定して、北海道の地質調査をしようと考えていました。しかし、実際は、あまり調査できませんでした。忙しいこともありましたが、11月にはいって予定していた調査が、2度ほど雪でだめになったせいもあります。
 道南には、調査目的の一級河川として、後志利別川と尻別川があります。その河原や河口で、石ころと砂を取ることが目的です。そして、今回は、新たなテーマとして、火山も調べたいと思っていました。火山では、代表的な岩石標本(1、2個)の採集と、たくさんの地点からの写真撮影をしたいと考えていました。
 もし、これが実行できれば、その年の夏や秋に、やり残した地質調査を、補えると思ったからです。この調査でいくつか感じたことがあります。それは、小さな市町村の村おこしについてです。
 地質学者は、どんな都道府県でも、どんな市町村でも、ほぼ調査をしています。ですから、日本列島の地質は、だいたいわかっています。つまり、どんな市町村でも、地質学者は、一度は訪れて調査したわけです。あるいは、少し村の歴史や紹介を読むと、多くの市町村で、かつては○○を採っていた鉱山跡、鍾乳洞、渓谷、滝など、地質学者なら詳しくしているはずの情報が記述されています。そんな情報を積極的にあつかって、村おこしをしてはどうか、という考えです。
 いろんな自然科学の分野がありますが、生物と同様、地質も、どの市町村でも存在します。地質とは、大地がどのような岩石、地層でできているかを調べ、その大地がどのような歴史を経てきたかを調べることです。そのプロセスとして、新しい化石が発見されたり、珍しい鉱物が発見されることがあります。
 そんなことから、その地域の地名の入った地層、化石、鉱物などがみつかることがよくあります。生物では、その村固有のもの、あるいは村の名前のついたものなどは、ほとんどないはずです。でも、地質の素材ならあるのです。そんな地質素材を積極的に使って、村おこしをしたらよいのではないか、と考えました。
 先ほども述べましたように、現在、日本の地質はほとんどわかっています。どこの岩石にはどのような鉱物資源が含まれているか、どこの地層にはどんな化石が出そうか、それが、大体わかっているのです。概略がわかっているので、もし、詳しい調査をすれば、それに鉱物や化石が見つかる可能性があります。
 現在、地質の素材で、いくつかの市町村で、村おこしをしています。そんな村おこしは、その市町村で、日本中で自慢できるような化石、たとえば恐竜の化石、村の名前のついた大型化石などが発見されている場合です。つまり、発見や、知名度がまずあり、その知名度を利用して村おこしをするということです。私の提案は、市町村の知名度を上げるために、地質学者の調査をサポートするのです。このようなことをやっている市町村もあります。
 例えば、北海道日高支庁の様似町では、カンラン岩を産する幌満があります。その温泉宿泊施設のとなりに、合宿所のようなものがあり、研究者が長期滞在するときには、自炊ですが、格安で宿泊できます。
 もし、市町村で、そんな便宜をはかれば、地質学者も、その卵の学生たちも、その施設を利用して、安心して長期の調査をすることができます。長期の調査をすることができれば、成果も上がるはずです。
 もし珍しい化石でも発見されれば、それを大々的に村おこしの素材とするのです。
 今回の調査で、最初に訪れたのが、瀬棚郡今金町です。さて、今金町といって、日本でどれくらいの人が知っているでしょうか。私も名前は知っていましたが来るのは、今回が初めてです。
 今金町を、少し紹介しましょう。北海道檜山支庁(ひやましちょう)の北部にある町です。道南全体は、渡島半島と呼ばれ、渡島半島の北部に今金町があります。内陸にあり、海には面していません。人口は7,000人弱の町です。檜山地方では江差、上ノ国についで3番目に人口の多い町です。
 と、このように紹介したのですが、あまり、記憶に残らないと思います。では、次に、今金町の地質に関する、紹介をしましょう。
 今金町は、一級河川の後志利別川が町の中心を流れています。江戸時代初期の寛永(1624~44)時代には、後志利別川上流域で砂金の発掘がされました。砂金の採掘作業のために、多くの和人が入地しました。明治時代の初期には、メノウやマンガンなどの鉱物資源が、発見されまし。また、美利河ダムの工事現場から、ピリカカイギュウの化石が発見されています。奥美利河温泉は、古くから利用されて、今も利用されています。
 どうです。このような記述を読むと、今金町に興味をもちませんか。河原で、メノウやマンガンの石ころを、あわよくば砂金の一粒も拾いたい、それがだめでも、展示室でメノウやマンガン、砂金を見てみたい、おみやげでもあれば買いたい、などと思いませんか。さらに、ピリカカイギュウて、いつの時代のどんな生きもので、それほどの大きさで、どんな暮らしをしていたのか、なぜこの地から見つかったのか、気になってきませんか。そして、一目見てみたいという気が起きませんか。
 こんな興味をもつのは、私が、地質学者だからでしょうか。もし、他の人たちも同じような感想を持つのなら、温泉つきの宿泊施設でも用意して、冬はスキー場もあり、夏は、ハイキング、キャンプ、川遊び、展示場ではピリカカイギュウや砂金、マンガンが見れ、歴史的な紹介もあり、みやげ物が買えるというようなところなら、一度行ってみたいと思いませんか。
 現実には、必ずしも、そんな期待をすべて満たすとは、思いません。でも、そんなこと、村おこしとして目指すような市町村があっても、いいのではないでしょうか。これは、地質学者のわがままな希望に過ぎないのでしょうか。それとも、だれもまだ考えたことのない画期的アイデアでしょうか。

・厳冬期の調査・
 さて、冬の北海道で地質調査するとどうなるのでしょうか。たいていは期待通りには、いきません。私は、10年間、北海道に住んでいました。そして、冬の地質調査がどんなことになるのか、よく知っているはずなのに、「もしかしたら」という淡い期待を抱いてしまいました。
 以前、厳冬期の足寄(あしょろ)での調査をしたことがありました。厳冬期でしたから、真冬日でした。真冬日とは、昼間の最高気温が氷点下のままの日のことです。もちろん、仕事ですから、日が昇ることから調査をします。地質調査の基本は、露頭を調べることです。ですから、道路だけでなく、川沿いが調査の主要なルートとなります。
 すると、どうでしょう。川の中のほうが、外気より温かいのです。考えてみれば、当たり前のことです。外気は、氷点下10数℃だったのですが、凍ってない川は0℃前後です。ですから、水の中のほうが、温かいのです。
 その調査は、まだまだ過酷でした。調査をするとき、黄色い派手なベストをつけるように指示されました。山に入ってみると、林道のあちこちに車が止まっています。こんな時期に変だと思いながらも調査をしました。ときどき、パーンという音が聞こえてきます。なんだかわかりませんでした。そして、ベストや音のなぞが、林道で、ハンターにであってやっととけました。シカの猟期だったのです。音は鉄砲を撃つ音、ベストは誤射予防のためだったのです。
 話が横道にそれました。この地質調査は、アルバイトとしてしておこなったもので、地滑り調査でした。地滑りに関すデータをとるのですが、その一環として崖で、くずれた砂がたまっている崖錐(がいすい)とよばれるところも調べることになっていました。軟らかい砂たまっているはずなのですが、ハンマーでたたくとカキーンと、岩をたたいているような音がします。そうです、ぬれた砂がカッチンカッチンに凍っているのです。
 厳冬期の北海道での調査は、大変過酷なのです。そして、夏のような成果はなかなか上がりません。でも、仕方なく調査しなければならないこともありるのです。
 そのほかにも、大学院時代や研究生時代(いわゆるOD時代)には、数々のアルバイトをこなして生活の糧を稼いでいました。ですから、懇意にしている地質コンサルタントの依頼を受けたら、断ることもできず、厳冬期の調査をした経験が数々あります。
 でも、北海道をはなれて、はや15年。本州の温かい地での冬になれたせいでしょうか。北海道の冬に、まだ順応してないようです。
 今回の道南の調査も、もちろん、ほとんど成果はありませんでした。このエッセイをふくめて、いくつかの文章を書いたこと、そして、一番の成果は、なんといっても、冬の北海道の厳しさを思い知らされたことでしょうか。

2003年1月1日水曜日

12 いろいろな見方(2003年1月1日)

 ものの考え方で、ふと考えたことがあります。
 テーブルの上に、石ころがひとつ、あるとします。
 その石を、見る人、あるいは見る視点が違うといろいろな見方ができます。ごく当たり前のことですが、いまさらながら、気づきました。
 地質学者が見たとしましょう。地質学者にも専門がいろいろあります。ですから、立場によって、石ころをみるという見方も違ってきます。
 博物館の学芸員は、その石ころをどう見るでしょうか。
 まず、学芸員は、その石ころに博物館的価値があるかどうかを調べます。石ころに博物館的価値があるというためには、博物館で、展示や保管していいような資料としての価値があることと、それに付随する不可欠な情報を持っていることが必要です。資料的価値と情報とは、不可分です。
 資料的価値とは、その石が、珍しい種類、地域、形態などをもつか、ある種類の代表的な標本であるかどうかです。
 さらに、標本には、付随する情報が不可欠です。その情報の象徴として、標本ラベルがあるかどうかです。標本ラベルとは、細かい産地の情報、岩石名、採集日、採集者などが書かれているものです。
 標本として、資料的価値と付加情報、この2点がないと、意味がないとされます。逆にこの2点を満たしていると、博物館では、この石ころは、資料となり、展示されたり、保存されます。そして、多くの人目にふれたり、詳しく研究され、博物館が存続する限り、大切に保管されます。
 つぎに、大学の研究者としての地質学者は、その石ころをどう見るでしょうか。
 まず、テーブルの上に転がっている石ころを調べようという研究者はほとんどいないでしょう。特に、野外調査をして研究するタイプの地質学者は、そのような石を、研究対象にしません。野外調査をして研究するタイプの地質学者は、野外調査し、石ころの産状(産出状況)を調べて、自分で納得して採集した石ころでないと研究対象にしません。でも、もし、博物館的資料であれば、その資料を調べる研究者もいます。実験、分析などの室内研究を得意とする地質学者です。
 もしかりに、その石ころが研究対象なったとしたら、博物館とはまったく違った取り扱いをされます。石ころは、切られ、砕かれ、溶かされたります。研究者は、知りたいことを調べるために、原型をなくしても、あるいはすべてがなくなっても気にしません。ものをそのまま大切に保管することより、ものから知りたい情報を以下に引き出すかに精力を注ぎます。
 同じ地質学者ですから、石ころを見る能力や調べる能力は、似たようなものです。そして、石ころが好きな人です。たとえば、石ころを調べるとき、平気で舐めたりします。石ころを汚いなどと思う地質学者はいません。地質学者は、みんな、石ころがすきなのです。でも上で述べたように、似たような科学者である地質学者でも、目的や見方が違うと、石ころの扱いも、価値も、全く違ってきます。
 よく考えると、地質学者の石ころへのアプローチは、「科学者的」あるいは「地質学者的」な見方にすぎません。いってみれば、非常に片寄った見方、ある階層の、あるコミュニティだけで通用する見方であります。
 その石ころに価値があるかどうかは、見方によって変わってくるはずです。事実、地質学者でも価値を見出したり、無視したりとなります。そして、価値を見出したとしても、その価値は、同じ興味を持っている同業者、コミュニティでは通用するものですが、興味ない人には、その石の価値はないにも等しくなります。
 ところが、その石ころに興味を持って、まったく違った価値を見出すことも可能です。たとえば、形が面白い、色が綺麗、思い出がある、テーブルの飾りにいい、重しとしていい、など、という見方もする人もいるでしょう。さらに別の見方をすれば、その石に美を見出し、絵画にすること、インスピレーションをえて、音楽や詩をつくること、想像力で、小説を書くこと、など、より人間的で、芸術的な視点で、眺めることができるはずです。その石ころに対する価値は、ひとそれぞれの見方によって変わってくるはずです。
 石ころを、一歩離れて眺めれば、もっと広く、深い、多様な石ころの世界があるのではないでしょうか。科学的に見て価値がなく、その地の代表する石でなくても、産地がわからなくても、いいではないでしょうか。
 その石ころ自体の存在を、まず認め、その存在自体、その石の現在の存在を評価するという立場が、地質学者としてもあってはいいのではないでしょうか。さらにもう一歩離れれば、その石ころは、もっともっと広く、深く、多様な世界があるのでないでしょうか。石ころは、もともと自然の一部であったし、今も自然の一部であるし、石ころに中にも、自然は奥深く埋もれているはずだし、そしてなにより、この石は、地球の営みにより、創造されたものなのです。
 地質学者、あるいは私は、あまりに研究や教育という視点で、石ころを、ひいては、自然、地球、宇宙を見すぎていないか、そんな気がしてきたのです。上で述べたようなすべての見方をも、地質学やあるいは私自身に、取り込むことはできないでしょうか。それほどの度量は、地質学や私にはないのでしょうか。
 地球の創造物と点では、すべての石は同じ価値があります。しかし、人間は、自分の、あるいはそれぞれの目的に応じて、石ころの価値を評価しています。そして、その価値は、あるコミュニティ内だけで、通用するもののはずなのに、そのコミュニティが特殊な能力や技能をもった階層であると、その価値が多数の人にたして一般的に通用するように敷衍されます。これは、注意が必要です。たとえば、博物館の学芸員が、この石は典型的な玄武岩だといえば、その瞬間に、その石ころは標本として価値がでるのです。地質学者が、分析に結果、世界最古の岩石である、と発表すると、その石ころはこの世で最古のものとして、価値が出ます。
 価値観には、それぞれの立場があっていいはずなのに、ある階層、コミュニティの見方が主流となると、それ以外の多様性を抑えたり、あるいは否定する作用が働きます。同じ階層、コミュニティの中でも、もちろん多様性を否定するという作用が起きます。これが、いくいくは、その階層やコミュニティの体質を硬化させていくはずです。
 その階層やコミュニティを発展させ続けるには、常に柔軟性が必要です。内部に否定や反対をする要素を含めるほどの柔軟性が必要です。その柔軟性の程度は、いってみれば、多様性を認める度量の大きさではないでしょうか。多様性を認める度量は、階層やコミュニティだけではなく、個人個人の心の中でも必要なことです。
 さて、多様性を認めて離れて眺めれば、どんな世界が見えるでしょうか。先ほどの石ころを、さらに離れて考えていきましょう。その石ころがAという岩石名になること、地球のどのような営みで創造されたか、なぜ形成されたか、などという地質学的価値だけでなく、地質学では、その石をなぜAと分類するのか、その石がなぜ分類できるのか、なぜ、価値判断をしてしまうのか、なぜ、石を認識できるのか、なぜ存在するのか、などに考えをめぐらすことも可能でしょう。そこには、地質学の本質、科学の本質、認知の本質、哲学の本質などが、隠れているのではないでしょうか。それを、地質学ではない、哲学で、認知科学だなどと、他の世界へ押しやるより、すべてを飲み込む度量の広さが必要ではないでしょうか。そして、それをも飲み込める度量をもつことは、地質学をより深くし、そして自分自身を深くしていくのではないでしょうか。
 広い見方、つまりは、いかなる見方もを認める見方。そして、その見方に、論理性、納得すること、あるいは感動することなど、「なにか」があれば、その見方は、充分価値がある評価できるのではないでしょうか。

・年頭に・
 明けまして、おめでとうございます。昨年は、このメールマガジンを購読いただきありがとうとうございます。本年もよろしくお願いします。
 インターネットでメール交換されている方は、多くの年賀メールが飛び交っていると思います。このメールマガジンは、いつも月の初めに出しているために、1月は元旦にあたります。
 年の初めですが、石ころの話からはじめました。正月には、あまりふさわしくない話かもしれません。あるいは、いつもと同じような話題かもしれませんが、お屠蘇で酔った頭を目覚めさせるために、少々頭を使ってみました。
 私は、上で述べたような見方を持ちたいと、常に思っています。昨年1年、特にその気持ちが強くなりました。ですから、このメールマガジンの話題もそのようなテーマになることもたびたびありました。
 地質学の度量を、あるいは私自身の度量をより広めたいと切実に考えています。今後も、地質学者として、より広い見方で、石ころを見ていきたいと考えています。
 本年も月に一度のお付き合いですが、よろしくお願いします。

・ある人への手紙・
 昔、博物館にいたとき、博物館実習を担当した学生さんから、メールが来ました。現在、彼女は、某国立研究所で、テクニシャンとして働いておられます。しかし、彼女の目標は、中学の理科の教師になることです。「これからも採用試験を受けることは続けようと思うのですが、年齢も上がるにつれ、新しいことへ踏み出す勇気が減り、安定を目指す方向へ行こうと焦りが出てきてしまう部分があるのです。」というメールいただきました。
 それに対して、私は、以下のようなメールを書きました。

「ご無沙汰しておりました。お元気でしょうか。私は寒い北海道で、新しい人生を歩んでおります。
 お互い、紆余曲折した人生を送っていますが、当たり前の人生より、なにか向かっていくものがあれば、たとえ遠回りでも、どんなに時間がかかっても、一生分をついやしても、狙う価値があると思います。私は、そんな人生を歩みたいと考えています。
 私の人生の目標は、有機的に連携した地質学、地質哲学、地質教育学をつくることです。それも実践と理論の両方を加味したものです。その体系化を20年かけて構築することが目標です。まあ、今までやってきたことを総まとめするような、そして新しい学問体系を構築するようなライフワークです。我ながら壮大な計画で、本当にできるのかなと思ってしまいます。でも、今の私にとって目指す価値のあるものです。
 Endさんは、教師になること自体が目的ですか。それとも、教師として、生徒にいい教育をすること、つまりは、いい教師になることが目的ですか。たぶん後者だと思います。となると、教師になりたいと思い、もし、なれたとしても、それは、目標のスタート地点に立ったことになるわけです。ですから、この目標も長い時間がかかるものとなります。
 もしかすると、私の目標のように一生かかってもたどり着かないかもしれません。でも、明日かなう夢より、一生目指せる夢のほうが、楽しい人生を送れると思いませんか。
 私のホームページは
http://www.ykoide.com/index.html
が入り口です。メールマガジンをいくつか発行しています。多くのホームページ、メールマガジンも、私の夢のステップのひとつです。もしよろしければ覗いてみてください。ではまた。」

 そう、このメールマガジンも、私の壮大なる目標の一環なのです。