2014年10月1日水曜日

153 斉一説の破れ:多様な未来の選択

 過去の地層や岩石には、その時代にしか見つからない、固有のものがあります。その原因の多くは科学的に解明され必然性がありますが、それは斉一説に基づかないものです。化石からみている生物の進化も、斉一説を破っているのです。

 今回は、斉一説(uniformitarianism)というものを考えていきます。斉一(せいいつ)とは、整い、そろっている、一様であるいう意味です。斉一な考え方をすることが斉一説でが、歴史的な意味合いを持った言葉です。斉一説は、地質学で生まれてきたものですが、その後自然科学や社会に大きな影響を与えたものです。
 科学における斉一説とは、物理化学的な原因に基づいた自然現象は、起こった時間、時期、時代に関係なく、今も昔も同じ原因が出現すれば同じ結果が起こっていたという考え方です。
 少々難しい言い方をしましたが、水が凍るのは、気温が0℃を下回った時です。その現象は、どの時代でも同じように起こっているというものです。斉一説をとらない考えだと、過去の現象は「今とは違った条件で起こった」という考えで説明してしまえます。
 例えば、過去に氷河期があっということが、地質学的証拠から判明したとしましょう。氷河期の原因は地球の平均気温が低かったからだと考えるのが、斉一説の考えです。斉一説を採らない考えでは、かつては水の凍る温度が今より高く15℃だったとか、地球の表層は水以外の凝固点の高い液体の海があったとか、条件にこだわることなく、原因を示すものです。昔は今とは違うとか、偶然、超自然の作用、神の力など、自由に前提をもうけて説明していくことになり、科学的とはいえません。
 氷河や氷の例を挙げると、科学的でない方の説明は不自然だとか、荒唐無稽なと思えますが、日常ではめったに経験しない非常に稀な自然現象であれば、このような考えが普通におこなれていたことがありました。例えば、火山噴火や大規模な地震や巨大津波、大災害などはまさに天変地異というべき現象、さらに地球形成や生命誕生、化石の形態変化などは、神のなしたことなどと説明されてきました。心情的に理解できる原因でもあります。
 地層から出てくるある種類の化石(例えばアンモナイト)は、地層の種類が違うと、形が異なった化石がみつかるということがわかってきました。このような現象は、今の考えでは、時代が違う地層なので、進化した別の生物だという考えで説明されています。ところが、宗教的な考えでは、生命の誕生は神様がおこない、生物の進化や生物の種類の違いは、聖書に書かれているノアの大洪水のような天変地異が何度か起こったためだという考えで説明されていました。地層形成も天変地異として説明されてきました。
 天変地異説(あるいは激変説、catastrophism)はキリスト教社会では普通の考えでしたが、17から18世紀には産業革命にともない、土木工事や鉱業採掘がヨーロッパ各地でおこなわれ、化石や地層に関する知識が増えてきました。その結果、それまでの化石や地層に関する激変説では説明できない証拠や現象がいろいろ見つかってきました。ハットン(James Hutton、1726.6.14-1797.3.26)は、地層の形成メカニズムを斉一説の考えで説明しました。その考えを整理して広めたのが、ライエル(Charles Lyell、1797.11.14-1875.2.22)でした。
 斉一説の出現により、地層の形成メカニズムや化石の意味が理解されてきて、近代の地質学が確立されてきました。近代地質学により地層と化石が理解され、地球が経てきた時間が長いことがわかってきました。その時間が、ダーウィン(Charles Robert Darwin, 1809.2.12-1882.4.19)の生物進化の根拠となりました。
 西洋の科学は、キリスト教の呪縛から逃れ、斉一説に基づいた考え方で、自然界の理解がされるようになってきました。それが今の科学や技術の進歩につながっています。ですから、現代の科学では、激変説、あるいは不可知の原因は、極端に忌諱(きい)してしまう傾向が現代でも残っています。
 斉一説というひとつの考えが長く使われてくると、多様な自然現象のなかには、激変説で説明すべきこと、つまり斉一説の破れも見つかってきました。
 その好例が、恐竜の絶滅です。今では、中米のメキシコのユカタン半島に隕石が落ちたため、地球規模の大絶滅が起こったというものです。この時も地質学者から激しい反論がありましたが、今ではほとんどの地質学者は隕石説を支持しています。このことは、斉一説の現代科学に、激変説が組み込まれたことになります。
 斉一説の破れは、意識されることはありませんでしたが、地質学ではいろいろな事例がありました。限られた時代だけに産出するストロマトライト(化石の一種)や縞状鉄鉱層、堆積性ウラン鉱床、赤色砂岩などの堆積岩があることが知られています。これらの岩石は、時代を特徴づけるものとして認識されていました。時代固有の岩石の存在は、その時代になんらかの環境変化が起こったことを意味します。その変化は、その時代にだけで不可逆なものです。実はこのような岩石は、斉一説を破っているという重要な意味があったことに、気づかれていませんでした。
 例えば、太古代から原生代にかけてだけに見つかるアノーソサイト、太古代に特徴的に産するコマチアイトは、いずれも火成岩の一種です。アノーソサイトもコマチアイトも、今よりも高温のマントルでマグマが形成されたとされています。ある時代に達成された条件で不可逆な変化が起こり、ある現象(この場合マグマの形成)が起こったものです。現代では決して起きない現象です。これは、斉一説の破れといえますが、その原因は納得できるものです。できたての地球は高温であったのが、時間とともに地球が冷却し、マントルも冷却しています。この地球の冷却が、ある時代固有の岩石を生み、斉一説の破れをもたらしているのです。それてその破れは連鎖して、不可逆な変化が地球に行き渡ることもあるでしょう。
 宗教的な原因は否定をしているのですが、生命の誕生、生物の進化は斉一説を破っているのです。すべてはある条件が整った時の一度限り、あるいはその時期、その場限りの不可逆な出来事だったのかもしれないのです。どこか重要なポイントで条件がそろわなかったら、今とはまったく違った世界になっていたかもしれません。
 しかし、斉一説の破れは、予定調和ではない、その時、その場でいろいろな選択や組み合わせが起こり、多様な未来を生み出すことになります。
 もうひとつ地球の同じ条件の惑星があったとしたら、生命の誕生、生物の進化は、起こったのでしょうか。現在の地球生物と同じような自然体系が出現したでしょうか、それとも想像も出来ないような奇異な自然体系になっていたでしょうか、あるいは不毛の惑星でしょうか。その答えは、斉一説の破れの彼方にあるのでしょう。
 斉一説は、宗教の呪縛から逃れるため、激変説に対抗するためだけでなく、科学の進歩に重要な役割を果たしてきました。しかし、その考えにこだわり過ぎるのは、逆に後退をもらたすかもしれません。現代のように斉一説の存在を意識せず、無意識にその破れを見つけ、真の因果関係を探ることの方が重要なのでしょう。

・アイディア・
斉一説は、以前にもこのエッセイでも
何度か取り上げたのですが、
夏に論文書いている時に、
斉一説の破れということを思いつきました。
斉一説は地質学において重要な考え方です。
激変説の復活としてK-T境界の隕石説が有名になったのですが、
激論を交わすことなく知られてきた、
ある時代固有の地層は岩石、生物進化、そして生命誕生すらも
斉一説の破れとみなすことができます。
そんな思いつきをしたことが、今回のエッセイとなります。
なかなか面白いアイディアだと思いませんか。

・生きるということ・
今年の夏休みはあっという間に終わった気がします。
私の夏休みは通常は前期の成績提出(お盆明け)から
後期の講義がはじまる(9月下旬)までです。
しかし、今年は、気付けば、9月の後期の授業がはじまっていました。
そんな年もあるかもしれませんが、
年々大学の校務が忙しくなっている気がします。
これは、大学だけでなく、どの会社、組織、社会でも
同じことが起こっているのかもしれません。
経済発展が滞るということは、
このようなガンマンをすることなのかもしれません。
それは必要なことだと思えます。
生きるために必死なること、失敗すると生活に支障をきたし、
時には生死にかかわるという生き方が必要だということです。
すべての生物が日々直面していることでもあります。
私たちも生きることに切実になるべきなのでしょうね。