2016年4月1日金曜日

171 Anthropoceneは必要か

 地質学は、地球が経てきた時代を、45億年前から現在まで、いくつもに区分して使っています。地質学は、過去を探る学問でもあるのでが、未来を見通す道具として有用なものになります。

 地質学があつかう時間は、約45億年におよぶ長いものです。そして現実に流れる時間の物理学の扱うように可逆性はないものです。一度きりの現象となります。そんな時間の流れの中で、地球に起こったさまざまな現象を解き明かしていくのが地質学です。
 人類は500万年前にチンパンジーから分かれました。私たち人間にとっては、気の遠くなるような500万年という時間でも、地質学的時間スケールでは500万年/45億年となり、地球の歴史の中で占める割合は、ほんの0.1%ほどにしかなりません。ですから、地質学者は、現在の歴史学があつかっている時代を「つい最近」と考えてしまいます。
 これは、間違った考え方だと思います。時代を区切るとは、時間を区切るに足る根拠が必要なはずです。これまで、時代の区切りは、地球規模の大きな変化が起こった時期に置かれてきました。地球規模の大きな変化とは、環境、生物相、岩相などで、広域に見られる現象です。それぞれの変化は、独自のイベントとして識別され、因果関係や連続性がないものであるべきです。さらに重要なことは、その変化が地質学的記録として読み取れるものでなければなりません。この区切りの考えには、地球における変化に重きが置かれ、時間間隔には左右されないものです。
 これらの条件を満たし、地質学者の合意を得たものが、時代区切りとなります。
 時代区分は、定期的に地質学的根拠の正当性がチェックされ、必要に応じて変更がなされています。時代境界の年代値がより正確になったときなどは、問題もなく、迅速に変更されます。しかし、時代区分の再編や新規の区分の導入には、充分な検討必要になります。それまでの学問の蓄積と継承を考えて、整合性をもっていなければなりません。そのため、全く新しく提唱された時代区分がすんなりと合意されることがありません。そして、今では意味をなさなくなった時代名称(たとえば三畳紀、古第三紀、新第三紀など)も、そのまま残されたまま使用されています。大きな時代区分の提唱、承認には、十分な議論が必要になります。
 そんな中、現在、新しい時代区分が提唱され、議論されています。
 Anthropoceneという言葉を聞いたことがあるでしょうか。Anthropoceneは、新しく提唱された時代区分で、日本語としては「人新世(じんしんせい)」という言葉が使われているようですが、学術的にはまだ正式に認められていないものです。
 Anthropoceneとは、オゾンホールの研究でノーベル賞を受賞したクルッツェン(Paul Crutzen)が、2000年に提唱した言葉です。「anthropo」とは「人間」の意味で、「cene」とは「新しい」という意味です。一番現代に近い、最近の時代を、Anthropocene、人新世として、区分しようという提案です。近年、人類が地球の生態系や環境に大きな影響を及ぼすようになってきたため、新しい地質時代として区分した方がいいという考えによるものです。
 今年1月にはScineceという科学雑誌でも話題になり、1月末には国立科学博物館で人新世にかんする国際シンポジウムがおこなわれ、最近(2015年3月12日)もNature(519号)でもニュースにされています。現在、地質学でもホットな話題となっています。
 人新世は、新生代の第四紀は、更新世(158万年前から)と完新世(1万1700年前から)に区分されるのですが、その次の時代に位置づけられることになります。人新世が確定すれば、スタートの年代で、完新世は終わります。そして、次なる人新世がはじまり、現在の人新世、そして未来へと続きました。地質学的には、時代境界をどこに置くか、識別すべき根拠が地層に残されているか、などが吟味され、研究者の合意が得られれば、承認されていくはずです。
 人新世のはじまりの年代として、いくつかの提案がなされています。古いものから順に示すと、約1万2000年前、AC1610年、AC1964年などの3つが主なものです。
 約1万2000年前は、新石器時代あるいは農業のはじまりとされる時代ですが、完新世と同じ時期なので、これでは完新世の名称変更となってしまいます。現在では、完新世が定着しているので、今までの慣習上、名称変更はあまりしないほうがいいはずです。ですから、この時代区分はないことになります。
 AC1610年は、二酸化炭素の濃度が急激に低下した時期です。18世紀中頃からはじまる産業革命以降、大気中の二酸化炭素は増加していきます。この増加は人為だとされていますので、増加の前の自然状態の二酸化炭素濃度の中に、できるだけわかりやすい区切り見つけて設定しようというものです。二酸化炭素が増加に転じる前にあった、目立って低い時代として1610年を区切りとしようという提案です。
 AC1964年は、人類の核実験の影響に基づく時代区分です。人類は、1945年7月16日、アメリカ合衆国が人類史上初の原子爆弾を製作して実験(トリニティ実験)ました。そして、1945年8月6日に広島で最初の使用されました。この年以降、大気中に人工的な放射性物質が放出されました。1951年までは試験場の付近だけで検出された放射性物質が、1952年から1980年までは、地球的規模で放出され検出されています。1964年にこのような放射性核種(主に炭素14)の濃度が最大値になり、その後急激に減衰していく時代です。実際の地層や氷床から放射性物質が検出されています。
 ただし、炭素同位体による年代測定のデータとして、「今から○○年前」の「今」を、1950年に設定して使用されています。その時代から、大気中の炭素同位体組成が、人為によって変化していくため年代測定に誤差が生じるから定められ、実用されていて、データが蓄積されています。しかし、今回の提案は、1964年です。少々混乱を招く年代設定となります。
 いずれの提案も、人類が地球規模でなしたことが、地層や氷床中の記録として識別できます。どの提案も、それなりの根拠があります。ただ考えるべきは、地質学的に重要性があり、区切りを設けるレベルのものかどうかという判断が必要です。それが地質学的に他の時代と対等の重要性を持つかどうかです。提案されている人新世の区切りが、完新世のもの以上に重要でしょうか。完新世を、その提唱された区切りで終わらせ、人新世を新たに設ける必要性があるでしょうか。その点を十分考えるべきでしょう。
 私は、完新世で十分に用をなすのではなかと考えています。そして、完新世に人新世の意味合いを加え、必要があるならば、細分程度にすべきでないでしょうか。完新世はすでに定着している用語で、流布しています。それを書き換えるのは、今までの時代区分の習慣に馴染みません。
 あまりに性急な時代区分の提唱は、後の学問に大きな影響を与えます。今回の新しい時代区分の導入の機運は、明らかに人類の文明、科学技術至上主義への警鐘を鳴らそうという意図があります。そこには、時代区分における科学的合理性はないように見えます。科学と政治的主義主張は、分離すべきです。地質学で人新世を用語として承認する作業は、今年の国際地質科学連合の国際層序委員会(International Commission on Stratigraphy)でおこわれるようです。理性的、冷静なる判断を期待しています。
 さて、私には、完新世(あるいは人新世でもいいのですが)に、地質学がもっている重要な機能を適用していくことの方が、重要だと考えています。地質学とは、地球の過去を総合的に(学際的に)記録し、そこから一般則、普遍則を導こうする学問です。その普遍則は、45億年という時間軸を基準に記述されています。地質学が導く普遍則は、古生物から現世生物にも当てはまるものもあるでしょう。大気や海洋循環などの表層環境の変遷、プレートやプルームのテクトニクスなどの地球内部の運動像、太陽や月、隕石などの地球への影響など、長いスケールの時間軸で語られるものもあるでしょう。その区切りの呼び名として、時代名が存在します。
 時代名も重要ですが、底流として存在する思想「長い時間軸で記述された地質現象の普遍則」が重要です。なぜなら、その時間軸を、現在から延長すれば、未来へと伸ばすことができるからです。未来を見通す総合科学的な視座を得ることができるのです。その意味で完新世(人新世)は、人類がなしている現象の未来予測として、重要な意味があります。その点を忘れないようにしたいものです。

・科学的合理性・
時代名称は、科学の進歩とともに変わっていいもです。
いや、変わるべきものです。
やがて歴史が詳細に記述できれば、
完成する日がくるでしょう。
それまでは変わり続けていいのです。
ただし、科学的合理性があればの話です。
人間側の都合で変化をさせれば、
将来の科学できっと修正されるはずです。
その原則も、当然、科学的合理性のはずです。
現在に生きる同時代人として、できれば、
未来人に恥じない判断をしたいものです。

・入学の季節に・
いよいよ4月になりました。
北海道は、例年にない暖かさです。
4月1日が大学の入学式ですが、
今年は、久しぶりに雪のない入学式になりそうです。
新しい学生たちに、会えるのは楽しみです。
彼ら彼女らは、緊張におののきながらも
期待に胸膨らませているはずです。
少しでも緊張を和らげ、
期待に応えるようにしたいと思っています。
大学や学部、学科、それぞれに行事を用意しています。
少しも多くの仲間づくりをして、
一日も早く、馴染んでいただければと思います。