2016年10月1日土曜日

177 洗心と思遠

 和歌山のある寺を参観したときに、2つの語句が目に入り、心に届き、今も残っています。ひとつは簡単に理解できるものですが、もう一つはわかりやすい言葉なのですが、いまだに答えが出ていません。時間をかけて、これからも考えていくことにしました。

 和歌山に調査にいった時、朝早目に宿をでて、移動をしていくことになっていました。朝から日差しが強く、その日も暑くなりそうでした。そんな道すがら、涼し気な森に囲まれた寺がありました。その寺は由緒正しそうで、少し見学していくことにしました。
 駐車場の近くあった説明文を読みました。すると、この寺は、由良町にある臨済宗妙心寺派の鷲峰山興国寺(もとは西方寺と呼ばれた)で、国指定の重要文化財が3つもあるとのことです。安貞元年(1227年)に建立された、由緒正しき寺で、1258年に法燈(ほっとう)国師が、この寺を禅宗に改宗しました。その後、「関南第一禅林」として、非常に栄え、多くの高名な弟子を輩出したそうです。
 そんな寺の縁起を読みながら、駐車場のすぐ脇にある大きな山門から入りました。山門をくぐると、森に囲まれた緩やかな石畳になった参道を登っていきます。きれいに掃き清められ、手入れの行き届いている様子がわかります。
 小さな流れがあり、そこにかかる橋の欄干に「洗心」という文字が彫られています。「洗心」は、寺の橋や手水(ちょうず)などでよく見かける言葉です。仏教で古くから使われている言葉です。禅の世界では、特によく使われているようです。手水では手と口を清めますが、「洗心」には、心の塵を洗い落とし、清めるという意味があります。手や口を清めるという行為をしながら、実は心も清めているというところが重要だと思います。
 「洗心」はいい言葉です。そして、書かれている場所も、行為を伴っているので、意味もわかりやすいものです。だから、すなおに心に染みてくる言葉ではないでしょうか。
 さて、橋を渡り、清められた気持ちで参道を進みました。まったく人っ気のないお寺でしたが、途中でお参りを終えられた女性が参道を下りてこられました。そして、すれ違う時、笑顔で会釈されました。口元が動いて挨拶の言葉を出されていたようですが、その笑顔と会釈だけで気持ちは伝わりました。こちらも自然と笑顔で会釈を返してしまいます。これは、「洗心」の賜物でしょうか。
 参道を進んで、急な階段を登り、再度山門をくぐると、広い境内とその奥に大きなどっしりとした本堂がありました。本堂の前には広い庭があり、本堂まではまっすぐに伸びた石畳があり、その周囲には砂利が敷かれています。そこもきれいに掃き清められて、手入されている様子がわかります。
 本堂の中には入ることはできなかったのですが、本堂の周りを見ることができました。その時、本堂の裏に建っている開山堂への渡り廊下がありました。その入口の棟木に掲げられた額(扁額、へんがく、といいます)がありました。そこに書かれていた文字が強く心に残りました。
 扁額には、「思遠」と白い文字で明瞭に揮毫(書くこと)されています。「思遠」は、どう読めばいいのでしょうか。その読みは「おんえん」、「おんとう」、「しえん」、「しとう」などいろいろと読みをあててみたのですが、なかなか語呂のいいものがありませんでした。文字通りの意味であれば、「遠くを思う」ということになるのでしょうか。私には、本来の意味だけでなく、読み方すらも、わかりませんでした。
 そして扁額には、雅号でしょうか、署名がありました。署名は、草書でしょうか、くずした文字で書かれていて、読めませんでした。誰の書かもわかりませんでした。
 扁額の「思遠」は、心に残った簡単な言葉なのですが、読みも、意味も、作者もわからない、謎としてさらに心に刻まれました。
 「思遠」に込められた意味は、はたしてどういうものなのでしょうか。
 その後「思遠」という語をいろいろと調べました。津田さち子さんという作家が書かれた「思遠」という本があることを発見しました。この本は「思遠」について書かれているようです。早速、購入して読みました。しかし、この本はエッセイ集で、その一つとして「思遠」と題されたエッセイがありました。本を読んで、作者の津田さんも、この扁額をみて、同じように衝撃を受けたそうです。不思議な縁を感じました。
 まだそれほど情報を得ていないのですが、津田さんの本からいくつかことがわかってきました。「思遠」は「しおん」と読みます。そして、扁額は、仙厓(せんがい)和尚の墨跡(書いたもの)だそうです。
 仙厓は、以前から興味をもっていた僧侶で、少し調べたことがありました。有名な書に「○△□」や「○」(円相図と呼ばれています)があります。円相図には、その横に「これ食ふて茶のめ」という一文が添えられています。仙厓にはこのような判じ物のような書がいくつもあります。しかし、そこには洒落の利いたものが多いようです。
 以前から仙厓和尚にも興味を惹かれていたのですが、ふと立ち寄った寺で、思うわぬ出会があったのです。ただし、その出会いの瞬間は、「思遠」の文字に興味を惹かれたのであって、仙厓に気づいたからではなかったのですが。でも、そこに不思議な縁を感じますが、まあ、仙厓について、別の機会にしましょう。
 「思遠」は、ありふれた言葉のように見えますが、調べても詳しい説明が、まだ見つかっていません。ひとつだけ、東福寺の三門前に四角い形で「思遠の蓮」が生えている「思遠池」があることがわかりました。しかし、蓮や池に使われた「思遠」に、どのような意味が込められているのかは、まだわかりません。津田さんは、長年かかっていろいろ思索され、「思遠」は「非常に優れた仏教への憧れ」と考えられていたようです。
 夏の朝、興国寺を訪れた時、「洗心」と「思遠」という2つの言葉が、心に残りました。「洗心」は、その文字が書かれている所(橋や手水)で、水は洗い清めるという行為の時に目にする言葉です。非常にわかりやすく、心にしみる言葉です。一方、「思遠」は、言葉の意味としては、当たり前のような意味に見えます。この言葉は、この寺だけなく、大きな寺の池にも使われているものです。しかし、この寺では、扁額は名のある禅僧が書いたものにもかかわらず、本堂の裏の別院に渡る廊下というわかりにくいところに、さり気なく掲げられています。その意味もよくわかりません。
 心に残る2つの言葉を紹介したのですが、わからない「思遠」の方が、謎としてずっと心のどこかに居座りそうです。

・熊楠・
最近、南方熊楠に興味をもって
彼の思想をなぞっているところです。
熊楠は、仏教の大乗仏教の密教を
思想の中心に据えています。
彼のような西洋科学に精通した人間が、
西洋科学の弱点を
密教という東洋思想で克服しようとしていました。
気にならないはずはありません。
これまで、仏教あるいは広く宗教は、
科学には、無縁だと思っていたのですが。
熊楠の思想をみていくと、
そうではないように思えてきました。
科学を営み、思索を深めていくには、
哲学的視点が必要になると思います。
私には、その延長線上に
熊楠も仙厓和尚も存在するような気がしています。

・仙厓・
仙厓の言葉には、面白いものがいろいろあります。
その中の一つに、次の有名な言葉があります。

六十才は人生の花
七十才でお迎えがきたら「留守だ」と言え
八十才でお迎えがきたら「まだ早すぎる」と言え
九十才でお迎えがきたら「そう急ぐな」と言え

というのです。
人生は長くて、いくつになっても
生きてすることがるんだという気概を感じます。
仙厓は88歳で遷化(せんげ、亡くなること)しましたが、
少々「急いだ」ようですね。