2019年12月1日日曜日

215 多様性の中のバイアスのトラップ

 多様性を知ることは重要です。たとえ、多様性が、これまでの成果を覆えしても、歓迎して受け入れるべきです。しかし、多様性には、バイアスというトラップが隠れているかもしれません。注意しましょう。

 今年のノーベル物理学賞では、系外惑星の発見者であるマイヨール博士とケロー博士にも与えられました。そんな頃、必要性があって、系外惑星について調べていました。2つの出来事が重なるタイミングでした。そこで、考えたことがありました。
 かつて、私たちが知っていた惑星系は、太陽系だけでした。太陽系の惑星の形成過程や現状を説明するために、研究者たちは、モデルを試行錯誤しながらつくってきました。多体問題やカオス、複雑な過程などの困難さなどを解いていかなければなりませんでした。最近では、コンピュータの発達で、複雑な過程のシミュレーションもできるようになってきて、惑星系の形成の概要や、課題なども整理されてきました。ところがそんな矢先に、系外惑星が発見されました。
 観測が進むについて、驚きに満ちた発見が連続しました。恒星のすぐ近くを回る木星のような大きなガス惑星(ホットジュピターと呼ばれる)や、異常に離心率の大きな軌道をもった惑星(エキセントリック・プラネット)など、多様な惑星が発見されてきました。岩石の地面をもった惑星や、遠くを回る惑星、地球のようなサイズの惑星も、数は少ないですが発見されてきました。恒星の近くを回っている大きな惑星の数が、多数派、主流派でした。
 地球に似た系外惑星は、少数でしたが、見つかったことは重要です。地球は宇宙において、唯一の例外的な存在ではなく、他のところでも、形成されうることが検証できたことになります。ただ地球のような惑星は、宇宙で普遍的な存在ではなく、特別なもの、特異な惑星であることは、現状の発見数から推定できそうです。
 そうなると、これまで培ってきた太陽系の惑星形成に関するモデルが、他の惑星系には、まったく適用できないか、適用できてもほんの一部の惑星系(私たちの太陽系)のみにしか使えないものになったてきたのです。
 ところが、この考え方にはバイアスがあるので、注意が必要です。
 系外惑星の探査では、遠くの恒星の前を横切ったときの明るさの差や、恒星のブレをドプラー効果を利用して検出することで、惑星の特徴(サイズや質量、軌道など)を見積もっていました。いずれの方法でも、恒星に近い惑星、それも大きなものが見つかりやすくなります。その効果は遠い恒星ほど強くなります。遠くにある恒星系や小さな惑星は、発見されにくくになります。これがバイアスになります。つまり、地球のようなサイズや軌道上の惑星は、発見されにくくなります。地球に似た惑星の発見された数が、少ないとしても、それは惑星系の平均的な姿ではないという、バイヤスのかかった姿となります。
 次に、ものと定義についてみていきましょう。子どもでも、犬や猫は認識できます。大きな猫、小さな犬がいても、鳴き声がわからなくても、色が違っていても、その違いを区別することができます。これは、犬や猫の概念を身につけているからです。
 犬という概念をどうして身につけていくのでしょうか。小さい子どもに、犬がいれば、それを「わんわん」や「犬」として親や大人が伝えます。それをいろいろな犬で繰り返していきます。絵本やテレビ画面でも、繰り返し学びます。多数の事例の学習から、色やサイズ、動き、音声などに関して、一定の多様性を含んだ犬の概念が生まれてきます。そのような概念が生まれると、はじめて見たパターンの組み合わせであっても、いくつかの条件を満たしていなくても、犬が区分できるようになります。
 では、その犬という概念を、言葉で定義できるでしょうか。なかなか難しい作業でしょう。犬といっても、サイズも、色も、毛並みも、鳴き声も、行動も、多様です。さらに、自分が知っている犬の色などは、これまで見た経験に基づいて、定義の範囲が定められています。しかし多様な犬を見るという経験をすると、犬の定義が広がっていくことになります。やがて気づいたら、その定義では、狼や近縁種の境界を侵害していることになるかもしれません。多様な犬をみることで、犬の定義が、犬を限定することができないという矛盾が生じます。この犬の例では、多様性を取り込む、定義が拡大し、類似物との区別がつかくなっていくことがわかります。
 では、犬の多様性の例を系外惑星の発見に適用するとどうなるでしょうか。地球に似た系外惑星を見つけようとすると、どこまでが地球の類似天体とするか、どこからが地球とは異なるとするのか、という定義が曖昧になっていくことになります。
 系外惑星の原点にもどって考えていくと、第2の地球を探すというモチベーションがありました。生命が誕生しているかもしれない惑星を探すことでもあります。その最初の条件として、水が存在する軌道域(ハビタブルゾーン)に地球タイプの惑星があるかどうかが、重要とされています。
 これは、地球型生命の誕生のための条件として水が不可欠だとみなしてきたためです。しかし、水が惑星表面にないと、生命は誕生しないのでしょうか。地球では確かに水が海として惑星表面にあり、生命がいます。これは地球での生命誕生、もしくは生存においては必要な条件であったのかもしれませんが、多様性の一つかもしれません。
 水の存在だけを問うのであれば、太陽系でも氷衛星の地下には液体の水があることが検証されています。そこには生命がいるということまではいっていませんが、可能性は否定されてはいません。探査が及んでいないだけです。つまり、あまりも少ない事例で必要条件を設定をしていくと、太陽系惑星の形成モデルは系外惑星の多様性に対応できないという轍を踏むことになります。生命の誕生、存在のための条件を限定しすぎてはいけません。
 また、犬の定義では、身近な犬から多様性の範囲が限定されていました。もし、わんわんとしか鳴かない犬しかみてないとしたら、それ以外の鳴き声の生き物は、犬に分類しないでしょう。もし、遠吠えを聞いたことがない子どもが、その遠吠えをする犬をみたら、狼に分類するかもしれません。系外惑星でも同様でしょう。多様性を謙虚に受け入れましょう。
 多様なものが見つかると、その概念、定義が広がります。また、一部のものから抽象された定義は、新たな多様性の発見で、大きく変更、修正が迫られます。しかし、そこには、なんらかの限界(経験や技術)により、バイアスが生じてしまうことがあります。そのバイアスは目に見えないものなので、トラップとなります。多様性を知ることと共に、一部しか見ていないというバイアスがあることを意識しておくことが重要でしょう。

・思索への・
今年最後のエッセイとなりました。
地質学に関係することだけでなく、
広く考えたこともエッセイしました。
もちろん私は地質学者なので、
地質学に関連した事例や事柄などからの
発想や考察になります。
地質学を巡ったものになるのは、
私のアイデンティティでもあり、
取り柄にもなるはずです。
それにしても、ものごとを深く考えることが多くなりました。
それは、年齢に相応のことでしょうか。
それとも、哲学に興味が深まっているためでしょうか。
両方かもしれませんね。

・師走の声が・
師走の声を聞くと、どうしても私は焦ります。
昔の人も走り回っていたのでしょうが、
今はどうなのでしょうか。
私は、クリスマスも、暮れも特別なことはしません。
年賀状も年々その数を減らしています。
定年までには、仕事上の挨拶状は
ゼロにしたいと考えています。
限られた集中力を、自分のことだけに
専念させいたと思っているためです。

2019年11月1日金曜日

214 鍾乳石のカオスとフラクタル

 鍾乳石は、単に柱があるのではなく、その形状や表面に、模様がいろいろ形成されています。その模様は、ひとつひとつは異なっているのですが、どこか似たものがあります。カオスとフラクタルには不思議な魅力があります。

 音楽には、人に安らぎだけでなく、気分を変えてくれたり、さまざまな感情を湧き起こす力があります。音楽のどこにそのような機能があるのでしょうか。なかなか難しいテーマでしょう。誰もがいいと思える音楽、誰もが楽しくなるような音楽、誰もが心を癒やされる音楽があります。クラッシクとして現在も演奏されるもの、懐メロとして残っている楽曲、現在ヒットしている音楽もその候補でしょう。しかし、時間経過に耐えられるかどうかは不明ですが。
 多くの人がいいと思える音楽は、簡単に作れるわけではありません。AIを用いて、そんな音楽を目指している人もいるでしょう。でもまだその域まで達していないようです。もしAIあるいは誰かが、意図的に誰もがいいと思える音楽をつくることができれば、それは必ずヒットする楽曲ができることになります。その人は、有名になったり、大儲けできることでしょう。音楽を作っている人は、多くの人に届き、ヒット曲を生み出すことを目指しているのでしょうが、現実にはそうはいっていません。たとえ作った本人がいいと思っていても、他の多くの人にいいと思ってもらえるかどうかは、別の問題なのでしょう。そこに感性だけでなく、宣伝効果、集団心理や社会心理などの要因も関わってきそうです。
 さて、自然な中にも、誰もが心地よく思える造形がいろいろあります。自然の造形の中で、対称性や繰り返し、リズムなどがあると、美しいと感じます。美しさより、もう一歩踏み込んでいくと、対称性やリズムを持ちながらも、少しずつ乱れていくとき、その違和感に不思議さを感じることがあります。その典型を鍾乳洞に見ることができます。
 鍾乳石は、地下水の中で炭酸カルシウムが沈殿してできていきます。地下水ですから流れています。流れの作用と、大きな石灰岩の存在とが前提条件がですが、沈殿は水の流れの泣けで形成されます。流れの条件に応じて、沈殿の量や形状が定まっていくはずです。水は流れているので、波動が生じます。波動は水量、スピード、流れのサイズなどに応じて変化しているはずです。沈殿は、それら多様な条件の影響を受け、波動が変化すれば対応するでしょう。もちろん変化が起こらないところもあるでしょう。少しずつ変わるところ、急に変わること、変化してから安定するところなど、変化にもバリエショーンがあるでしょう。その条件を要素還元的に考えるのは困難ではないでしょうか。
 鍾乳石には、変化の多様性の結果が残されています。同じリズムの繰り返し、またそこから別のリズムに変わっていくもの、また同じものへと戻るもの、変わらず変化し続けるものなど、いろいろなリズムの変化を鍾乳石の模様に見ることができます。
 例えば、秋吉台の黄金柱は何本かの筋が集まっているように見えます。上から流れ落ちる水の異なったリズムでの沈殿でできています。しかし、石柱には、さままざまな模様がありますが、模様は連続して変化しているのですが、どこか共通したリズムがあったりします。このような予想できない変化の中にカオスを感じます。
 カオスとは、なんらかの規則性は存在しているのですが、どうなるかは、実際に計算や実証していかないとわからない現象です。初期値の鋭敏性や計算上の誤差の蓄積、誤差の増幅など、事実上、予測不能であるものをいいます。ただし、決してデタラメ、ランダムということはなく、法則や規則性があるものをいいます。決定論的現象ではあるのですが、経験論的に検証していかないと答えがえられない、予測不能性をもっています。考えれば不思議な現象です。通常の因果律が成り立たない現象が起こっていることになります。
 ところが、カオスは、何も特別な現象ではありません。例えば、水の流れにもカオスがよく見られます。川面の流れがつくる模様をみていると、同じ場所では似た渦ができていますが、その渦は一定せず、しょっちゅう変化していきます。しかし、同じ場所では何度も同じ渦が繰り返し生まれていきます。規則性はあるようですが、その規則性が不規則に現れています。
 鍾乳石の模様と同じようなカオスを感じます。さらに、リズミックな繰り返しの中に似たリズムがスケールを変えて現れることがあります。そこにはフラクタルが見えます。
 フラクタルとは、似た規則性(模様)がスケールがいろいろなスケールを変えて繰り返し現れることです。河川の流れは土砂のサイズと水量、傾斜などがその形を決めていると考えられます。それが似た比率の値をとれば、公園に雨の後にでた流れの模様と、人工衛星でみた大河に似た模様を見ることができます。スケールは全く違いますが、似た形状ができます。スケールがわかるものがないと、どのスケールの現象がわからないくらい似ています。そのようなものを自己相似形といいます。
 例えば、秋吉台の百枚皿は、同じような皿状の池が多数あります。上流から流れてきた水が、小さいなプールにたまりその縁に沈殿します。そこから溢れた水が次のプールになります。そのプールの縁にも沈殿ができます。そのような繰り返しで多数の皿ができているところです。それぞれの皿のサイズや形、深さ、縁の模様は異なっています。しかし、なぜか似た形状の皿が多数できています。共通性、フラクタルを感じます。
 鍾乳洞は、単に穴がある、鍾乳石があるだけんでなく、そこにある繰り返し模様に美しさを、カオスとフラクタルに不思議さを感じているようです。鍾乳石はフラクタルとカオスの造形なのでしょう。

・晩秋の紅葉・
10月下旬になって、里には一気に晩秋がきました。
雪虫が何度か飛び交いました。
紅葉も一気に艶やかに染まりました。
早くから紅葉しているものもあるので、
落ち葉はだらだら散っていましたが、
最後の紅葉は一気でした。
冬ももうすぐで、間近に感じます。
11月中旬に今年最後の調査にでます。
雪が心配なのでどうなんなのですが、
冬タイヤにするかどうか迷っています。

・北海道の冬・
大学は、淡々とした日常を繰り返しています。
初雪から根雪になると、
北国に人々は、室内での生活が多くなります。
私も野外調査以外では、
室内での生活時間が多くなります。
北国は、昼の時間も短くなります。
北海道は、明石よりだいぶ東にあるので
時刻より太陽が早く出、早く沈みます。
いつもの時間に自宅を出ても
日はまだ登っていないとき歩きます。
いつもの時間に大学を出ても、
日が落ちて真っ暗中、歩いて帰ります。
そんな冬が間近です。

2019年10月1日火曜日

213 森鴎外とナウマンの論争

 津和野は小さな谷間の町です。古い町並みはきれいに整備されています。地質調査の途上、豪雨だったので、津和野の博物館を見学しました。その時、鴎外とナウマンという地質学者に、接点があることを知りました。

 8月下旬に山陰東部を調査しました。津和野で調査したい露頭がありました。九州北部に洪水を起こした前線が、島根西部にも伸びており、激しい雨が降っていました。豪雨で野外調査はできず、雨でも見学できる観光施設へ行くことにしました。森鴎外博物館があったので、見学することにしました。博物館の見学者は私一人でした。時間があったのでのんびりと見学することができました。
 そこで思わぬものを見つけてしまい、驚きました。森鴎外とナウマンが論争をしていたという記述でした。その様子を福元圭太(2004)「国家と個人のはざまで:一「鴎外・ナウマン論争」をてがかりに一」という論文を参考に紹介していきます。
 森鴎外(1862-1922)は、文学者として有名です。しかし、本業は軍医で、軍人としても明治政府に奉職していたこともよく知られています。鴎外は、津和野に生まれ、父とともに弱冠10歳で上京しました。親戚の西周宅に寄宿しながら、ドイツ語を学び、13歳のとき年齢を2歳ごまかし東大医学部の予科、そして15歳で東大医学部の本科に入学しました。4年で卒業したとき弱冠19歳6ヶ月の若さでした。秀才だったようです。卒業後、陸軍省に入り陸軍病院に勤務しました。その時、ドイツの陸軍衛生制度を調査して、政府から陸軍の衛生制度調査と軍陣衛生学の研究のために、ドイツ留学を命じられました。その時まだ22歳でした。
 ドイツ語を学んでいたのですが、ドイツに入った時、ドイツ語が十分理解できていたそうです。1884年(明治17年)10月から1888年(明治21年)9月まで、4年間にドイツに留学していましたが、ライプチッヒ(1年)、ドレスデン(5ヶ月)、ミュンヘン(1年1ヶ月)、ベルリン(5ヶ月)と、ドイツの国内を移動しながら、何人かの師について学んできいきました。26歳で帰国しています。
 一方、ナウマン(1854-1927)は、ドイツで地質学を学び、1875年(明治8年)、20歳で来日し、10年間、日本の地質学に貢献し、地質調査をしました。東大の地質学教室の初代教授、地質調査所の設立、調査責任者などに就き、帰国後も、1887年には日本の地質図を作成したり、「日本列島の構造と起源について(Über den Bau und die Entstehung japanischen Inseln)」の出版し、フォッサ・マグナ説を提案したりして、日本の地質学の研究を進めました。日本の地質の基礎を築きました。後に関東大震災で東大図書館が消失したとき、自分の蔵書を寄贈しています。
 鴎外はドレスデンに1885年10月11日から1886年3月7日まで滞在していましたが、移動する前日の6日に、ドレスデン東亜博物学・民俗学協会の年次講演会に出席しました。その時、ナウマンと顔を合わせています。その邂逅が、鴎外とナウマンの論争に発展していきます。
 ナウマンは、発展途上の日本で、10年間の仕事を終え帰国してすぐの頃の講演でした。大仕事を終えて意気揚々の頃で、自身が心血を注いで貢献してきた国への親心もあったと思います。ただしナウマンは血の気も多かったようで、来日中の1882年に、部下が妻と浮気したとして白昼に乱闘をし、罰金を払っています、
 一方、鴎外はナウマンより8歳年下でした。ライプツィヒで過ごした後、2つ目の都市としてドレスデンで5か月ほど生活した最後の日でした。留学から1年半がたっているので、ドイツの生活にも馴れ、自己主張もできるようになってきたのでしょう。日本陸軍からの大きな期待、日本の将来への大きな抱負をもっていたのでしょう。
 ナウマンは、講演会で日本を批判するような発表をおこなっています。批判の内容は、日本の開化は自発的な行為ではなく、外国の圧力によるというものというものだったそうです。ナウマンは講演後も、雑談で日本を批判するような冗談をいくつもいっていたそうです。鴎外はナウマンのこのような発言に対して、その場で反論の演説したと「独逸日記」に書いています。
 社交的な場だったので、その場は論争は収まったようですが、論争は舞台をミュンヘンの新聞「Allgemeine Zeitung」に移し、再開されました。まだまだ小国日本に関する論争が、大新聞での取り上げられ、国民に知らせるというジャーナリズム、そして論争を受けれたドイツの知識人の度量の広さには、感服します。
 小堀桂一郎「若き日の森鴎外」によると、鴎外とナウマンの論争の論点は、日本人の起源およびアイヌ人の待遇、衣食生活の粗末さ、健康状態、風俗習慣、油絵技法の日本画への影響、仏教と伝説、旧態の近代化運動の是非、日本の将来の8つだったそうです。中でも、「日本の近代化運動の是非」と「日本の将来」が大きな争点となっていたようです。
 ナウマンの日本批判は、外圧によって開国した日本が、西洋文明を安易に表層的に受け入れている点、伝統文化を日本人自身が否定している点でした。鴎外は、西洋文明の導入が自然で合理的で自然なものであり、重要なことは、何を西洋化し、何を日本の伝統文化として評価するか、という点にあるとしました。
 日本に近代化や将来について、ドイツの紙上で議論したのは、両者とも日本を思ってのことでしょう。ナウマンは、模倣だけでは日本はやがて衰退すると憂います。鴎外は西洋文明の導入が合理的で自然であったことを主張します。ナウマンの指摘はもっともなところがあります。しかし、講演や宴席での乱暴な発言には問題があったのかもしれません。また、鴎外の反論は必ずしも的を得たところばかりではないようです。学ぶべきこととして自由と美と主張しましたが、それ以外にも当時の日本は多くのことを西洋から学びました。
 両者の思いが一日だけの邂逅で衝突したのです。鴎外は早熟の秀才でしたが、その才能は晩年まで衰えることなく、国家のために、そして文学へと活用されました。若きナウマンは、日本を広く精力的に歩き回り日本の地質の基礎を築きました。
 明治の若き知性のぶつかりも、いずれも日本の思っての論争でした。このような明治の日本を憂慮しての公開の場での論争は活かされたのでしょうか。両者の思いとは裏腹に、日本は富国強兵を強く進め、やがて1894年から日清戦争に入っていきました。このような時代の流れは悲しいものです。現在の日本には、健全なジャーナリズム、知的な論争土壌は育ったのでしょうか。少々が不安があります。

・安野光雅・
津和野は小さな町です。
こじんまりとまとまっていて、なかなかいい街です。
実は、翌日、別の美術館があることを知りました。
安野光雅美術館でした。
彼の絵本は、若い時、よく見ていて、
何冊も集めていました。
その美術館が津和野にあることを、
出発の日に知りました。
チャンスがあれば、趣味として
安野光雅美術館を見学したいものです。

・季節は秋へ・
北海道は、9月中旬から急激に秋めいてきました。
9月には早くも大雪の方で初雪のニュースも流れました。
木々も少しずつ色づいてきました。
朝晩の寒いときは、何度かストーブをたきました。
通勤中のコートは、インナー付のものになりました。
北海道は、早くも夏も終わり秋へと向かいます。
まだ私の北海道の調査が残っています。
峠道に雪が降らないように願っています。
もう少し夏タイヤで走りたいものです。

2019年8月19日月曜日

212 両忘:未解決問題に挑む

 相対立することは、よくあります。結論がでないのであれば、未解決として、先送りできばいいのですが、そうもいかないことが多々あります。未解決問題の対処に、両忘という考えがあります。両忘をした孤高の天才数学者がいます。

 数学の世界は、大部分の場合、正誤をはっきりさせられるものから構成されています。また、解をもたない場合もありますが、その時にもはっきりとした「答え」があります。例えば、
  f(x)=a・x
という方程式を考えましょう。
  a=0 かつ f(x)=1
であれば、この方程式は、xについての解はありません。そのような場合、「不能」という「答え」になります。また、同じ方程式で、
  a=0 かつ f(x)=0
となる場合、xについての解は定まらないので、「不定」という「答え」になります。
 数学では、解がなければ「不能」、解が定まなければ「不定」という「答え」があることになります。それ以外で、まだ解がわかっていない、まだ証明がされていない問題は、「未解決」となります。問題が未解決とはっきりしているので、あとは解く努力がなされることになります。
 フェルマーの定理やポアンカレ予想など、有名な未解決問題がありました。フェルマーの定理は、1995年にアンドリュー・ワイルズによって、正しいことが証明されました。ポアンカレ予想は、2002年にグリゴリー・ペレルマンよって解かれました。ワイルズに関する本を読んだのですが、フェルマーの定理の証明は、取り組んでいたことを隠していました。まともな数学者は、フェルマーの定理などには挑まなかったようです。証明を投稿した後も、検証の過程で課題が見つかったのですが、なんとか解決することができました。
 数学には、他にも未解決問題は多数あり、有名なものでは、P≠NP予想やリーマン予想などがあります。ポアンカレ予想やP≠NP予想、リーマン予想などは、未解決な「ミレニアム問題」として、2000年に7つ提示されました。ポアンカレ予想以外の他の6つは、今も未解決のままです。数学では未解決問題は存在しますが、「未解決」であるとわかっているので、まあ白黒はついていませんが、「灰色」とはっきりとしているといえます。
 ところが、世の中、物事には、白黒がはっきりしないことが多々あります。ある状況に関しての苦楽などの感じ方は、自分自身のことであっても変わります。同じ状況であっても、精神的に安定していれば楽しく思え、精神的に疲れていれば苦に思えることもあるでしょう。行為の善悪でも、ある人の行為が、見る人によって、善いことと映ったりしたり、悪いことと見えることもあるでしょう。これは、状況や考え方などにより、判断基準がいろいろありうるためでしょう。
 さらに言えば、万人に一致した基準があったとしても、その基準に白と黒の間に漸移する灰色の部分があれば、灰色とはいっても濃淡があるので、人によって想像している灰色は違っているでしょう。灰色の濃淡部を定量化できればいいのですが、世の中の物事の判断には、定量化できないことが多くあります。ところが、灰色であっても判断をしなければならなかったり、議論して結論を出したりしなければならない場面もあります。そんなときは、困ってしまいます。
 議論する時には、どうしても自分の基準が中心にあり、そこから相反する人の意見をみてしまいます。相反する意見の側には、別の基準があるはずです。人の基準より、どうしても自身の基準に従ってしまいます。
 決着の見ない議論をしているときは、参加者全員に消耗してしまいます。時には、相手に対して、感情的な不快感や敵意さえ抱いてしまうこともあるでしょう。行き詰まった局面を、どのようにして解決すればいいのでしょうか。数学の世界なら、未解決問題として先送りすことができました。しかし、社会や組織などの現実においては、先送りできない課題もあります。
 禅の世界にひとつの考え方があります。「両忘(りょうぼう)」という考え方です。これは、対立する両者の論点を、忘れてしまうこといっています。善も悪も、苦も楽も、一旦忘れ去ってしまいます。そうすることで、相対立する場から脱出することができます。執着や確執、感情も、いったんゼロにリセットします。
 その後、ゼロから再度、皆で考えていきます。あるいは、そもそも異なっていた基準についての話し合いから、はじめることも可能でしょう。一見、遠回りに見える考え方かもしれませんが、もしかすると、そのほうが近道なのかもしれません。
 さて、数学の未解決問題に戻りましょう。ポアンカレ予想を説いたペレルマンに関する本を読んだり、NHKのドキュメントも見たことがあります。彼は、小さいときから天才的で、大きくなってからもその能力は継続していました。数学者として、人との関わりも普通にもてていました。
 ところがポアンカレ予想を証明の公開のあたりから少々変わった行動をするようになりました。証明論文は、査読があるような学術雑誌ではなく、arXiv(アーカイヴ)というサイトに、2002年11月に投稿されました。arXivは、理数系の論文を無料で投稿でき、無料で閲覧できるところでした。そこは、一般的な査読のある学術雑誌のような公式の場ではありませんでした。また、ペレルマンは証明したことを講義で説明をおこなったこともあるのですが、専門が違っていたり、物理学の手法を使っていたりしているので、聞いた数学者にも全く理解できなかったようです。
 非常に難しい問題の証明だったので、ペレルマンの論文が正しいかどうかを、3つの数学者チームが長い時間をかけて検討しました。その結果、2006年に正しいということが報告されました。
 ミレニアム問題には、クレイ数学研究所から、懸賞金(100万ドル)がかかっていました。ポアンカレ予想にも懸賞金がかかっていたので、ペレルマンに、それ送ることが決定していました。さらに、数学のノーベル賞ともいわれているフィールズ賞も、ペレルマンに与えることになっていました。しかし、「自分の証明が正しければ賞は必要ない」といって、いずれも辞退しました。フィールズ賞の辞退は初めてのことでした。懸賞金もフィールズ賞も、数学者にとって、願っても得られない大金あり、数学の世界での一番の栄誉です。しかし、ペレルマンには、金も賞も「両忘」となったようです。
 ペレルマンは、2005年12月にそれまでいた研究所に退職届を提出した後、顔を出していません。そして世間からも姿を隠しました。研究所退職後、世間との交流をまったく断っているようです。彼は、なにものにとらわれない、孤高の数学者になったようです。今も未解決問題に挑んでいるといいのですが。

・野外調査・
このエッセイは予約配信しています。
現在は、野外調査に出ていて、
終盤に差し掛かっています。
今年の野外調査は、山陰地方にでています。
昨年も同じところへ行く予定を組んでいました。
ところが、前日起こった北海道胆振東部地震と
その後の全道停電でいけなくなりました。
地震の直前には、台風による被害もありました。
昨年、北海道は散々な目に会いました。
昨年のことですが、ずっと前のような気がします。
今年は、無事調査が終わることを願っています。

・数学・
高校時代までは数学は、
好きで得意でもあり、興味もありました。
しかし、大学に入った頃、一気に興味が遠のきました。
受けた数学の授業では、
応用は各自おこないなさい。
時には、証明については
各自でおこなっておきなさい、というものでした。
大学に入って、気の抜けていた私は、
受験生のときには、全く接することができなかった
野外へと興味が移っていました。
数学は、少しさぼるとついていけず脱落しまし。
北海道の自然の素晴らしさに魅入られました。
それ以降、自然に接する野外調査が
研究の中心になっています。

2019年8月1日木曜日

211 ブーム:科学として残るもの

 どんな時代にも、どんな分野にもブームがあります。科学にもブームがあり、現在も起こっています。ブームには、以降当たり前として定着するものも、一過性に終わるものが多々あります。中には禍根を残すこともあります。

 私は、ブームはあまり好きではありません。なぜなら、一時的なもので、継続性がないからです。社会に生きていく上で、ブームも最低限のことはフォローする必要もあるでしょうが、私はできる限り近づきたくはありません。
 ブームの最たるものとして、ファッションが挙げられるのではないでしょか。大学にいると、若者のファッションが目に入ります。そのファッションはいかがなものかと思えるもの、いくらなんでもと思えるものあります。まあ、ファッションのブームですから、目くじらを立てることはないですが。
 古いところでは、ルーズソックスや厚底靴などもありました。今は、「前だけイン」(シャツの前だけをズボンやスカートに入れる)や「チューススカート」(短いスカートなどの上にスケスケの生地のスカートを合わせてはく)などがはやっているようです。ファッションで「いかがなものか」と思えるものは、ブームが去ると再び流行ることはないようです。一方、多くの人がブームで流行って、いいな便利だなと思えるものもは、何度か繰り返して流行ります。夏になるとホットパンスやショートパンツ、ミニスカートなどは、毎年、着ている女性を見かけます。
 研究の世界、もちろん地質学の世界でも、ブームがあります。
 あるアイディアが導入されたことでブームが起こることがあります。例えば、中生代白亜紀の終わりに恐竜が絶滅したという事件がありました。その時代はK-Pg境界と呼ばれ、かつては何らかの地球内の異変によって引き起こされたと考えられていました。ある論文で、隕石の衝突によって起こったという説が提唱され、その後、ブームになりました。多くの地質学者が、自分のもっているスキルを、世界各地のK-Pg境界の岩石に注ぎ込んで、論文が量産されました。当時は、K-Pg境界の論文は話題性があったので、書けば研究雑誌に掲載され、参照されることも多く、一大ブームになりました。それらのブームとなった研究のおかげで、今では子どもでも、恐竜絶滅は隕石衝突によるということを知るようになりました。
 K-Pg境界の研究は、当時の最先端の分析技術や素材へ収集のアイディなどが投入されたので、この時代境界は、他のどの時代境界よりも、多様なものの分析や年代が精度良く出されていました。最先端ではありますが、新規の技術や装置によるものではありませんでした。絶滅が隕石によるという概念が導入され、それを証明するために、既存の最先端技術や、多くの人材やを投入して、調査や分析がなされました。その成果は、今も残されています。
 これまで未開拓地に科学の手が伸びた時、一気にブームが起こることがあります。例えば、アポロ計画では11年間で6回に渡って月面を調査し、総量381.7kgの試料が持ち帰られました。現在でもその試料は、ヒューストンにある研究所に保管されていますが、研究者にも試料が提供され、月に関する研究が一気に進みました。1960年代から1980年代にかけて大量データや文献が公表され、月に関する研究がブームになりました。一気に月が科学的データをともなった実態が明らかにされました。1991年には「Lunar Source Book: a user's guide to the moon」という分厚いデータ集(736ページ)が出版されました。一つの地域で、これだけ各種のまとまったデータが公開され、整理されたのは、当時としては稀なことでした。
 新しい技術や手段が導入された時にも、研究が一気に進みブームとなることがあります。現在の日本の地質学でブームが起こっています。それは、ジルコン粒子による年代測定です。ジルコンというのは、花崗岩質のマグマからできる結晶(鉱物)です。丈夫な鉱物で、火成岩が風化や侵食を受けても、もとの成分を保持したまま、砕屑物として堆積岩の構成物になります。このような堆積岩の中のジルコンは砕屑性ジルコンと呼ばれています。古い火成岩でも、堆積岩になってからでも、変成作用を受けることがあります。変成岩になっても、ジルコンの内部には、火成作用のときの情報が残されることがあり、その外側に変成作用で形成された部分もできます。そのようなジルコンを取り出せれば、火成作用と変成作用の両方の時代の記録を、読み取ることが可能になります。ただし、ジルコンを岩石から分離し、分析するまでの手間はかかります。大変な作業を経て、これまで変成作用を受けてマグマが固まった年代が不明になっていた火成岩の年代や、侵食されてなくなってしまった造山帯を砕屑性ジルコンから復元をする研究が、日本で最近ブームになっています。そして、この成果として生まれた、新しい造山運動のモデルは定着していきつつあります。
 一方、間違った概念(モデル)や技術によるブームも起こることもあます。最近ニュースにもなりましたが、「優生学」です。優生学とは、人類の遺伝的素質のうち、悪質の遺伝形質はなくし、優秀で健全なものだけを残そうとする考えです。戦前はナチスドイツが悪用し、日本では戦後も適用していました。現在でも、家畜や作物などの品種改良では、有用な遺伝的形質を遺伝子操作で利用する技術は実用されています。それを人間に適用するのは、倫理的には大きな問題となるはずです。しかし、人工授精などの分野では、遺伝子操作されたデザイナーベイビーとして、最先端の技術で行っているところもあるようです。
 科学のブームにも、一過性であまり成果の残らないものも、技術や方法、概念として定着するものもあります。時には、科学的に間違ったブームもあります。できれば、研究者としては、将来に成果として残るブームを生み出すようになりたいと思っているはずです。
 多くの研究者は、発案者や提唱者は無理だとしても、せめてブームには乗り遅れないようと思っていることでしょう。ブームに乗ることは、実は案外楽なことです。なぜなら、自分で独創的なアイディアを生み出す必要がないので、素材や対象を変えてアイディアやモデル、技術を適用すればいいだけだからです。多少の努力は必要でしょうが、発想力は必要ありません。
 しかし、乗っているブームは本当に将来に残るものでしょうか。もし科学として禍根を残すようなものであれば、それに加担したことになります。確実に重要だとして残るものだけでなく、残るかどうか曖昧なものもあるでしょう。そしてブームの中にも、重要な成果なるものと、多数の成果の一つに過ぎないものもあるでしょう。
 科学的裏付けが背景にあるよう見え、社会的に取り組んでいるテーマや問題に関するブーム(?)として、地震予知、原子力安全性、温暖化問題、SDGs(持続可能な開発目標)などがありますが、10年後、100年後、それらは成果を上げて、課題解決され定着しているでしょうか。それは、時代が判断を下すことになります。
 最初に述べたように、私はブームは好きではありません。かと言って、自身で新しいブームを生み出すこともできないと思っています。研究の上で重要な成果で関係するものはフォローしていきますが、自分がそのブームに参加することはもはやないでしょう。学生たちのファッションを眺めるように、科学や社会のブームも、遠目で見ていくことになります。ただただ自分の中にある、ブームではなく継続的に熱中しているものに専念していきます。
 例えば、科学や地質学、特に自分自身の研究に関わる話題を、深く掘り下げて考えていくことです。このエッセイも、その発露の一つです。また一連のテーマで書いていく論文は、自分自身でのブームなのかもしれません。これらは、一生続けていきたいものですね。

・猛暑・
7月末から蒸し暑い日が続いています。
ぐったりしています。
学生は定期試験を受けています。
ただし、教室は今年からエアコンが設置されたので
なんとか大丈夫でしょう。
他にも図書館や学生が集まれる場所にはエアコンが入っています。
しかし、研究室は入っていません。
まあ、私の大学では多くの教員は、
研究室にいる時間は短いなので
不在の時間が長いので無駄なのかもしれません。
私は、月曜から土曜まで、早朝から夕方まで滞在しています。
通常、研究室にいます。冷房が欲しいのですが、
数人のためにつけることはできないでしょう。
だから、西日の当たる真夏の午後は早く帰ることになります。
まあ、ぐちをいっても仕方がありません。
午前中に集中して進めていきましょう。

・オンデマンド出版・
今年の出版計画は順調です。
ただし、研究費が採択されなかったので、
自前の研究費で出版することになりました。
今までの印刷屋さんではできなくなり
オンデマンドの業者さんですることになりました。
まだ、仕上がりは見ていないので、
途中の作業や本の仕上がりはわかりませんが、
今後、このスタイルでの出版になるかもしれませんね。

2019年7月1日月曜日

210 天職:畢生の仕事

 仕事には、rice work、like work、life workの3つの側面があります。この3つをどう共存させるか、働く人の気持ちがもっとも重要です。畢生の仕事が天職になればいいのですが。

 ライフ・ワーク(life work)という言葉は、よく聞き、よく使う言葉です。「一生をかけてする仕事」とか、「畢生(ひっせい)の仕事」とも訳されることがあります。life workは、若い頃はあまり気にしない言葉ですが、仕事を退職するころ、あるいは人生の終わりが近づいてきたころ、ふと頭に浮かぶ言葉ではないでしょうか。life workは、自身の人生でもっとも長く継続している仕事になるはずです。もし、点々と職場や職業を変えていたとしても、自身の中で目指しているものが統一されていれば、職歴を通じて全体がlife workとなるでしょう。
 ライス・ワーク(rice work)は、以前誰かが使われているのを聞いたことがありますが、聞き慣れない言葉かと思います。「ご飯を食べるための仕事」、「飯のタネ」とも訳すことができそうです。誰でも、食うためには、働らかなくてはなりません。食うための仕事のことを意味します。
 ライク・ワーク(like work)は、特別な言葉ではなく、ごく普通の言葉です。文字通り「好きな仕事」のことです。今回は、この3つのrice work、like work、life workについて考えていきます。
 現在では、ブラック企業が問題となっています。勤務時間を大幅に超えて長く働くこと、正当な賃金が支払われないなど、大学でも学生に注意を喚起しています。大学という職場自体でも、ブラックにならないように注意喚起がなされています。多く人が経験していることでしょうが、好きなことであれば、何時間でもそれを続けていきます。大人も子どもも関係なく、時間を忘れて集中していきます。ところが、同じような仕事であっても、riceのための仕事と考えると、辛い仕事、早く終わりたい時間となります。それが長時間労働や残業手当がつかないとなると、ブラックな仕事となります。
 例えば、会社の創業時は、多分超過勤務当たり前、残業費ゼロ当たり前のブラックな働き方をすべての社員がしているのではないでしょうか。でも、それはriceよりlikeが勝っていて、会社を成り立たせつために使命感や熱意をもっていたので、本人も会社も、その仕事をブラックに思わなかったのでしょう。その会社が大きくなり、riceのための人が加わると、likeだけの体質は変えなければなりません。それが社会や会社の運営で、あり方なのでしょう。もちろん、会社としてブラックな仕事や働き方は問題ですし、改善すべきでしょう。2つの例を示しましたが、同じ仕事でも、自分自身がどう思うか、気持ち次第で全く違った面がみえます。
 life work、rice work、like workと並べて、これらすべてのworkが一致していることが、理想なのでしょう。そのような仕事をもっている人は稀でしょう。「天職」という言葉があります。「天から命ぜられた職」や「神聖な職務」などの意味もありますが、「生まれながらの性質に合った職業」という意味もあります。このエッセイでは、「生まれながらの性質に合った職業」という意味で使います。天職は他人が判断することもあるでしょうが、自分自身がこれが天職と思えるかどうかを考えていきましょう。先程の例のように、考え方を変えることで、3つのworkを一致させ、天職を得ることは可能なような気がします。
 天職をはじめから持っている人はいません。実際に職業についたとき、それが生まれながらに、自分に合っているとわかる仕事などはないと思います。
 例えば、小学校の先生や保育士になりと思い、資格を取るために大学や短大などで勉強をしていきます。基礎や専門について学び、実習もしていくことになり、大変なことも辛いこともあります。一般の職業でも、はじめて会社に入って仕事をはじめる時、新人として研修や訓練を受け、配属が決まっても先輩について、そのポジションですべきことを少しずつ習って覚えていくはずです。そんな訓練を経て仕事を身につけていくことになります。つまり、天職は最初からアプリオリにあるのではなく、実際にその仕事について、ある程度経験してみてはじめて天職と思えることになるはずです。
 天職と思える期間、時間はどうでしょうか。仕事はすべて技術や手順が必要なので、最初から一人前になることはないはずです。仕事は複雑なところがあったり、ある程度の技能が必要なものには、人にとっては向き不向きが生じるかもしれません。、向いている人が1年で習熟することでも、向いていないとしても3年、5年と続けれていけば、上手にはできなくとも、失敗しない程度の技術や技能が身につくのではないでしょうか。長く続ければ、多くの人が一人前になれるかと思います。長く続ける忍耐は、その仕事へのlikeな気持ちがないとできないでしょう。仕事に向いた能力や才能があったとしても、likeでないと長続きができませんし、それがriceにならなければ、一生の仕事にはなりません。
 多くの人は、まずはriceのために職につくはずです。もちろんそれがlikeな職でありたいと多くの人が思っているでしょう。今の時代、最初からlikeな仕事がriceになるのは、一部の人だけかもしれません。でも、多く人が現在の職をlikeと思わず、riceのためでだけと思って就いているのでしょうか。大変さの中にもlikeを見出し、大変さ、辛さとどこかで折り合いをつけていると思います。そして、長年その職業についていると、どんなに大変であっても、どんなに辛いものであっても、そこにはriceだけでなく、likeを見出しているのではないでしょうか。長い職業経験を経てriceとlikeが、混沌となり一致した状態になったとき、life work、畢生の仕事となり、天職と思えるのではないでしょうか。
 つまり、天職と思えるかどうかは、自身の気持ちしだいということになります。天職にするには、それなりの努力も時間も必要ですが、riceを確保でき、嫌いではなく、普通よりややlikeの仕事がスタートなのでしょう。あとはその仕事を続けることで、likeが多くなってくればlife work、畢生の仕事にできるのではないでしょうか。それが天職への道かもしれません。
 私は今の研究を進めながら、それを集大成することがlike workになっています。若い人たち(学生)を少しでも自身をもって社会に送り出せることをrice workにしています。大学教員ですから、研究もrice workで、若者を教育することもlike workです。そんな職場で、いく種類かの仕事で、likeとriceが混沌している状態となっています。ですから、現在の私の仕事は、畢生の仕事であり、天職なのでしょうね。

・エルニーニョ・
6月は前半は、いい天気が続いていたのですが、
後半は不順な天候となっていました。
思っていたほど暑くなることはなく、
涼しい6月となりました。
7月は、どうでしょうか。
現在、エルニーニョになっているようなので、
平年とは少々違ってくるのかもしれません。
通常であれば北海道は冷夏になるようなので、
最近はエルニーニョの状態も変化しているようです。

・野外調査・
5月から6月にかけて
前期の野外調査のシーズンになっていました。
主に道内を4回にわたって調査しました。
6月29日から30日が最後となりました。
7月は大学の行事がいろいろあり
週末を利用して出かけることが難しくなります。
次は8月下旬から11月上旬までが
後期の野外調査のシーズンとなります。
毎年いくつもの目的をもってい調査をしているので、
ここの成否はいろいろです。
野外調査にでると、気分転換でき、英気を養える
という捨てがたい大きなメリットがあります。

2019年6月1日土曜日

209 地層の成因:スケーリング則の逆用

 思考実験は、非常の有効な道具になります。問題はどう使うかなのですが、うまくいく、いかないがあります。しかし、チャレンジしないことには、はじまりません。さてこの地層の思考実験はうまくいったでしょうか。

 地層がでている大きな露頭があるとします。その地層の成因を考えるという思考実験をしましょう。
 地層とは層が繰り返しているものです。ですから地層では、似た層が繰り返されていること、層の構成物が土砂で似ていること、層内の土砂は粗いものから細かいものへという変化が似ていること、など類似性が目立っているようです。でもよく見ると、類似性だけでなく、層ごとに違った特徴もあることがわかります。層の厚さ、色合い、構成物の種類やその量比も、層によって違っています。地層には、層ごとに個性や特異性があることもわかります。地層の成因を考える時、このような類似性と特異性のできかたも説明できなければなりません。
 まず、類似性を考えていきましょう。類似性としては、構成物が土砂であることが一番の特徴で、そして本質的に見えます。構成物は、地層をつくる素材であり、素材が成因の重要な要素となります。土砂がたまっているのは、砂漠や砂丘、水底です。砂漠や砂丘では岩や砂だけで、土はなさそうですし、繰り返し層をつくっているとは思えません。では、水底とすると、水の流れる川沿いの河原や河口、海底が思い浮かびます。私たちは、川が土砂を山から運んでいることを、体験から知っています。ただし、河原や河口は、広く層を成すような、そして何度も繰り返えし層をなすような場所ではありません。
 ですから、河口のさらに先の海の底、見えにくいところが候補になりそうです。では河口付近の海で繰り返し土砂がたまるようなことはあるでのしょうか。日常的な場面では、そんな状況は考えられません。でも、数10年、数100年に一度しかないでしょうが、大洪水が起これば、川沿いや河口付近の土砂を一気に大量に海底に流していくことができます。一度の大洪水で、河口周辺の海の広い範囲に土砂がたまりそうです。大洪水が起これば、一層の地層をつくることができそうです。
 さて、ここまでひとつの地層をつくための想像、推量でしたが、そこにはいくつか重要な考え方が含まれていました。
 洪水は同じ場所では稀なことですが、広く見ていくと、河川の氾濫や大洪水は日本だけでも、毎年何件もニュースになります。そのうち大規模な災害をもたらすものも、数年に一度はくらいはあります。ひとつの地域では稀な現象であっても、日本から地球全体にまで広げると、当たり前の現象となります。つまり、現在の地球では、洪水による土砂の海底への堆積は、頻繁に起こる当たり前の現象と考えてよさそうです。
 ここでの考え方は、局所的には稀なことでも、面積を広げ、広域で見ると当たり前のことになることを意味しています。統計的に扱う集団が小さければ稀な事象だったとしても、扱う集団を大きくすると、稀な現象とは言えなくなるということを意味します。空間におけるスケーリング則を逆用したものと見なせそうです。
 スケーリング則とは、ある条件で法則が成り立っている場合、その条件が大きく異なった場合でも正しいものとみなせそうだということです。逆に条件を限定すると、スケールの小さいものは頻繁に起こり、大きなものは稀にしか起こらないということです。当たり前のことが1年に一度だとすると、とんでもないことは100年に一度の頻度となります。この関係がスケーリング則となります。このスケーリング則を逆用すると、ある地域で稀なことでも、空間を広げることで、稀なことではなく、ありふれたことと見させることになります。
 一つの地層が上で述べたようなでき方だったとすると、地層は繰り返されています。一連の地層は、ひとつの場所(堆積場)でできたものです。ひとつの地域では、大洪水は稀な現象ですが、それが繰り返されることになります。時間の間隔を長く取ることで、このような稀な現象を、当たり前の現象にできます。地質学的な時間、地球史的な時間で見ると、河川があれば、大洪水は繰り返されると考えることができます。そう考えれば、地層の繰り返しが説明できます。これは、時間におけるスケーリング則の逆用となります。
 人の視野や時間スケールで見ているために、大洪水という現象は稀に見えたのです。空間や時間のスケールを広げることで、稀ではなく、当たり前になるということです。
 さらに重要なことがあります、層の厚さや色合い、構成物の種類、量比などの地層内の差異や多様性も、同じメカニズムで説明できます。洪水でもたらされる土砂は、河川の河岸や河口に堆積していたもので、すべて河川の侵食、運搬、堆積作用によるものなので、その構成物の種類に違いや量比などは、一定しているわけではありません。土砂の種類や量比には、多様性が生じる必然性が自然にはあります。また、土砂が堆積する場でも、洪水でどこに、どの程度たまるかは、洪水しだいで変化します。仮に同じような土砂が、同じような規模の洪水があっても、土砂が流れる流路やたまる場所が異なれば、海底の定点でみると、土砂の成分や構成比、量に違いが生じることになります。定点で見るという意味は、露頭では断面を見ているということは、堆積場の垂直断面ですから、堆積場のある地点をみていることになります。洪水によって堆積するという機構自体に、多様性が形成されるメカニズムが組み込まれていることになります。
 このような成因であれば、地層に見られる類似性と相違性の説明できます。実際の地層の成因はどうかは、地質学の科学的検証になりますので、思考実験では、ここまでです。
 この多様性と類似性の成因を客観的にみると、さらに別のものが見えてきます。多様性と類似性が地層にどう反映されるでしょうか。もし多様性が強ければ、層ごとの個性が強くででることになるはずです。例えば、層の厚さの変化、構成物の多様さ、量比の変化などが大きく変わってくるでしょう。上記の成因でいえば、土砂の供給量にバラツキがある、海底での土砂の流路の変化が激しい、などの原因が考えられます。このような疑問は、同じ地層を広域でみていけば、答えが出るはずです。
 もし類似性が強い地層であれば、安定した土砂の供給地(後背地といます)があり、安定した河川の堆積、安定した海底での土砂の流路があったことになります。類似性はすべて安定性の反映となります。ただし、この安定性が本物かどうかは、やはり広域に同じ地層を追いかけることで明らかになります。
 もし地層の差異と類似性が数値化できたとすれば、後背地の安定性や流路の安定性などを定量化できるかもしれません。現実は、なかなか難しいと思いますが。
 ここで用いた考え方は、スケーリング則でした。ただし、今回の思考実験では、スケーリング則を時間や空間を何階層にもわたってみています。地層の構成要素はmmスケール、層の厚さはcmスケール、地層の繰り返しはmスケール、地層の広がりや対比、堆積場や河川は数10kmスケール、さらには地球スケールまで空間スケールは階層化していました。また時間スケールでは、洪水現象や堆積物の沈降の期間は日のスケール、洪水の頻度は数100年のスケール、露頭の地層の形成は数100万年スケールという時間スケールを階層化していました。だたし時間スケールの階層化は過去へしか伸びません。ただし、億年前というスケールまで非常に広い階層への適用は可能です。
 さらに多様性と類似性という普遍的概念にも、スケーリング則をメタ的に適用しました。広く階層の違った要素に対して、多階層への多重的にスケーリング則を利用していたことになります。
 さてさて、こんな思考実験はいかがでしたでしょうか。最後の考え方も多階層的でしたね。

・初夏の訪れ・
北海道では着実に季節がめぐり、
初夏になってきました。
快適な季節です。
今年は快晴の日々が多いので、
快適さが一段と際立っています。
たし、春は特に天候不順で、
寒い日と暖かい日の気温の変動が激しかったです。
初夏は安定しているようです。
このまま夏になればいいのですが、
どうなるでしょうか。

・道内調査・
5月から6月にかけては、
道内の野外調査を何度か計画しています。
昨年に続いて2年目の道内調査です。
すでに道北へ2度でかけました。
6月は道東と道央を考えています。
7月は校務がいろいろ詰まっているので
調査にでることはできません。
9月上旬は山陰で、それ以降は、
再度の道内の調査を予定しています。
どこにいくかは、調査の結果、次第です。

2019年5月1日水曜日

208 忘筌:しがらみが令和を区切る

 時間は、区切りがなく連続的なものです。そこに区切りをつけるのは、天文学であれば客観的に決まります。人が時間を区切る時、そこには常に忘筌があるようでしょう。

 禅に忘筌(ぼうせん)という言葉があります。忘筌は、中国の「荘子」の「外物篇(がいぶつへん)」からとられたものです。
  筌者所以在魚、得魚而忘筌
 (筌(せん)は魚(うお)に在る所以(ゆえん)なるも、魚を得て筌を忘る)
という文章からです。ここで筌とは、細くけずった竹で編んだ魚をとるための道具です。ロート状になった口があり、返しなどをつけることで、入った魚が出れなくなるような形をしています。現在でも利用されている道具です。「せん」あるいは「うけ」と読まれることがあります。
 その意味は、魚りを取りにいったので、魚は持って帰るのですが、道具である筌を忘れているという意味です。最後の「得魚忘筌(とくぎょぼうせん)」という四字熟語にもなっています。
 荘子には、続く文章があります。
  蹄者所以在兎、得兔而忘蹄
 (蹄(てい)は兎(うさぎ)に在る所以なるも、兎を得て蹄を忘る)
ここの「蹄」は、ウサギを生け捕りにするための道具です。意味は、ウサギをとって帰るのですが、蹄を忘れるということです。忘筌と同じことを言っています。さらに重ねて、
  言者所以在意、得意而忘言
 (言(げん)は意に在る所以なるも、意を得て言を忘る)
言とは言葉や文章のことで、それは意を表すため手段、道具なのですが、言を忘れるということです。
 同じ比喩が3つも続いています。この忘筌は、道具である筌を忘れるな、という戒めと解釈することあるようですが、本来は反対の意味のようです。それは、続く文章からわかります。
  吾安得夫忘言之人、而與之言哉
 (吾、安(いず)くにか夫(か)の忘言(ぼうげん)の人を得て、之と与(とも)の言わむや)
と続きます。どうにかして忘言の人と共に、語り合いたいものだ、という意味の文章です。これが続くので、目的を重視して、手段を忘れるほど、意識しないほどになれという意味になるようです。
 もともと目的(魚や兎、意)が重要だったはずなので、道具や手段(筌や蹄、言)は必要なのですが、手段にこだわるな。手段にかまけて、目的を忘れてはいけないという意味になるようです。ついつい、道具や手段が多様で工夫が必要なので、そこにこだわってしまうことがあります。しかし、重要なのは目的であって、手段にだけとらわれてはいけないということです。手段より目的が重要だという、戒めの言葉になります。
 さて、話題はまったく変わります。時間の流れについてです。
 時間の流れは、連続的で切れ目はありません。多くの人は、時間が連続していることは、理解しているはずです。ところが、デジタル時計を見ていると、秒針や分針の刻み、あるいは表示の数字の変化を見ていると、時間はついついてデジタルのように区切りをもって進んでいくように見えてしまいます。しかし、時間は連続していて、そこには区切りなどありません。時間は、必要に応じて、人が区切っているにすぎないのです。
 時間の区切りとして、もっとも身近なものは、日付の変わり目です。現在の日付は、ある日の太陽の南中から次の日の南中までのちょうと中間を、24時、あるいは0時として、日付の区切りとしています。このような決め方は、南中を正午12時とすれば、その12時間後なので、地球のどこでも、天文学的に正確に日を区切ることができます。これは、非常に客観性があり、人為的であっても、よい区切りだと思います。
 では、1年のはじまりの日、つまり1月1日は、客観的に決められているのでしょうか。現在の暦は、グレゴリオ暦というもので、その起源は古代ローマ教皇グレゴリウス13世が復活祭の季節を一定の範囲にするために、ある時から用いられるようになったの起こりだそうです。現在の暦は、グレゴリオ暦によって決め、世界的に統一され、同じものを用いています。暦の規則に従って時間(閏(うるう)秒)や日にち(閏日)などを導入していますので、世界で統一された月、日、時刻が決まっています。
 年の区切りを天文学的に考えるのであれば、冬至や夏至、秋分や春分など、客観性のある時刻に、はじまりの日を置くべきでしょう。しかし、1月1日は、天文学的に決められたものではなく、人の都合によって決められてきました。時間は、どうも昔から、ある時代の一部の人たちの都合によって区切られてきたようです。
 年の区切りが人の都合ですから、時代の境目も、もちろん人が決めています。何年何月何日から、ある時代がはじまるということになります。昔の中国や日本の元号と呼ばれるものは、権力者や政治家が、自分たちの都合によって決めてきました。
 元号といえば、「令和」という新元号が、今日からスタートします。世間(多数のメディア?)では、大騒ぎになっていることでしょう。4月1日の元号の名称の発表の時にも、世間は大騒ぎをしました。
 しかし、元号を変えること(改元)には、賛否両論があります。
 賛成の意見として、日本古来の伝統を守り、新しい天皇の時代になったことを祝う、時代を語るのに便利などなど、いろいろとあります。特に今回の元号は、古典文学の万葉集からとったということで、日本の伝統を重んじる方針が示されました。
 一方、反対の意見としては、官公庁では改元のために書類のすべて修正が必要になり大変な手間だったり、年代や期間を計算するのに一度西暦変更して計算する面倒があったりなど、いろいろな理由があります。
 元号の存在も改元について、賛成論者の意見は否定はしませんが、年代を計算するときは、西暦が便利なので否定論者の意見も理解できます。また、元号にはそれぞれの時代感覚が、人それぞれにできているので、心の問題としてあっていいかとも思います。
 例えば、平成と昭和を生きてきた日本人が多いので、元号と生活が強く結びついていますので、同時代人に共通の生活感、経験、記憶などが生まれます。次の令和になれば、新たな経験が生まれ、時代共通のイメージができてくることになるはずです。
 今生きている人の多くは生まれていなかった戦前や昭和初期、大正などの時代でも、身近な親族にその時代を生きた人がいれば、自身に経験がなくても親近感もわき、元号のイメージが形成されることもあるでしょう。しかし、日清日露の戦争のあった時期くらいになると、近い時代ですが、面識のない祖先が生きた時代になり、元号の感覚や実感は全くありません。明治初期や江戸時代の元号は、教科書などから作られたイメージになっていきます。
 元号とその年号は、人が過去を振り返るときに、記録の呼び起こしの装置として便利です。特に改元の時期などは、その記憶を思い起こさせる情報を、メディアは一杯流しています。それも記憶を新たにするきっかけになのでしょう。
 元号に対する私の意見や、一般の改元に関する是々非々もさておき、改元は何のためであったのかを、考えていくべきではないでしょうか。過去には、元号はいろいろな政治や権力の都合で決められてきたのですが、現在では1979年(昭和54年)に成立した「元号法」によって決まっています。ですから民主的に、つまり万人のために決められた法律となります。
 ところが、この法律の成立にも、詳細ははぶきますが、多分に人の都合によって決められているようです。幸いなことに、暦も1月1日の年のはじまりは、今では、客観的に「しがらみ」にとらわれることなく決まってきます。元号もそうであることを願いたいのですのが、元号の決定も、人の都合によっているようです。
 今回の改元、元号の名称の決定に至るまでの経緯をみても、一部の人によって決められてきました。改元が法律という約束事として決まっているのであれば、それに従えばいいのですが、一見民主的に見せようとしていますが、明らかに一部の人たちで決められていきました。一部の人たちが、新たな元号を導入すること、名称を決めることなど、元号をなにかに利用しているように見えてしまいます。
 もし元号という時代の区切りを決めるのであれば、そして日本の固有の伝統というのであるのなら、多くの人のため(目的)であるべきでしょう。多くの人のためが「目的」であるのなら、一部の人のしらがみ、政治の道具、駆け引きの手段にするのは、「忘筌」になるのではないでしょうか。
 改元の騒ぎの中に、忘筌を見ました。

・休日と研究・
発行日の5月1日は、ゴールデンウィークのま只中です。
このエッセイは、予約送信しています。
夫婦で4泊5日間、北海道の田舎に滞在しています。
ゴールデンウィークの半分を休日にしました。
北海道の田舎の春を満喫しようと考えています。
後半は通常の研究にもどろうと思っています。
長い休みの期間は、研究に最適です。
半分休日で、半分研究のような生活になります。
ですから、このエッセイの配信されるころは、
旅先から自宅へ向かう日になっています。
天気がよければいいのですが。

・5月病・
今年のゴールデンウィークは
大学もカレンダー通りに休日になります。
そのため10日間という長い期間になります。
こんなに休みが長いと、
例年より新入学の大学生が
「5月病」に陥る危険性が増えます。
大学でも、事前に学生に案内を出したり、
5月講義再開の時に対策を
アナウンスをしているのですが、どうなるでしょうか。
少々心配ですが、見守っていくしかありません。

2019年3月1日金曜日

206 物忌と直毘:心の切り替え

 日常生活で、煮詰まる状態が生じることがあります。時間に追われていると、その間で完成度を上げることに最大限の努力をします。時間があれば新たな心になって、再度取り組むと、よりいいものになりそうなのですが。

 人生において、生活が大きく変化する機会としては、人生の初期には幼・少・保・中・高・大学への入学と卒業、就職が大きなものでしょうか。成人後は、結婚、出産、転職、退職などがあるでしょう。1度ではなく何度も繰り返される転機もあるでしょう。人生の初期の転換は、ある時期が来たら、好むと好まざるかかわらず、必然的に起こってしまいます。日本中で、一斉にある年齢や階層の人に、その時期が訪れてしまいます。一種の風物詩ともいうべきものにもなります。人生における新天地は、その人の希望をどの程度叶えているかは不明ですが、新たな門出、転機であることには違いありません。3月から4月は、そのような時期でもあります。いずれも受動的です。自身が切り替えたい時に、切り替えることは難しいでしょう。
 しかし、成人し社会に出てからの転機は、自身の考え、思い、タイミングで迎えることが可能となるでしょうか。でも、多くの人は、なかなか自身の意思で転換するのは難しいかもしれません。特に会社などの組織に属していると、組織の意思による切り替えはあっても、自身で時期を選ぶことはなかなかできません。
 人には自身が望む時期に、切り替えをすることが必要ではないでしょうか。立場や身分などは、自身の都合で変えることは難しいのですが、自身の精神的な切り替えであれば、時期を選ばずに可能ではないでしょうか。一時的に非日常の世界に自身をおくことで、切り替える方法があります。
 その方法は、身体も常とは改まった状態、心も異なる状況に置いて非日常の中で過ごします。そのような非日常を受け入れて、一定期間過ごした後、日常の生活に戻れば、精神の切り替えができるというものです。自身の精神世界での行為であれば、時期や場所を選ぶことなく、心を切り替える機会がつくれるはずです。もし心の切り替えができれば、以前見ていたものが、新たな見えかたがするかもしれません。
 それに近い状況を、現在、私自身で意図的につくり出しています。最近まで、長い期間に渡って本の執筆をしていました。その間、頭は本のことで一杯になった状態が続きます。一通り素稿ができた時、安堵感とともに、頭の中に本の内容で一杯になった状態で、煮詰まった感じがします。続いて文言の修正や構成の見直しなど、校正作業に入っていくことになります。これまでも同じような状態で、執筆から推敲をしていました。それは、時間が限られていたからです。
 実は、執筆からすぐに推敲に入っていくと、頭の切り替えができていないので、なかなか大胆な修正、大規模な変更がしにくい状態になっています。ですから、完成度というより、少修正、誤字脱字などの推敲になっていきます。そんな時、まったく別の仕事を一時することで、頭が切り替えられれば、自分の書いた文章であっても、客観的に眺めることができます。このようなことは、多くの方が経験しているのではないでしょうか。
 昔、自分が書いた論文を時間がたってから読み返すと、客観的にみることができます。自身の論文ですから興味深く読めるのですが、文章や書き方に関しては修正が必要だと感じることが多々あります。このような発見ができるのは、時間をおいて、心を切り替えたため客観的な視点が持てるようになったからではないでしょうか。これは、私の独自の方法ではなく、多くの人が同じような経験をしているのではないでしょうか。昔から人は、そのような心の切り替えの方法を、意図的に用いてきました。
 例えば、物忌(ものいみ)という昔からの風習があります。神事として、あるいは凶事があったりすると、ある期間、つつしみをもって、身を浄めた生活をすることを物忌といいます。神官だけでなく、今でも市民も同じような物忌を行っています。親族が亡くなったときなど、喪中として賀状のやり取りを遠慮するというのは、この物忌の風習が残っているからでしょう。当事者以外にとっては形式的かもしれませんが、生活や習慣に根付いている物忌は、それなりの効用はあるようです。
 物忌の期間を過ぎて、普通の生活にもどることを「なおび」といいます。直毘、あるいは直日と書きます。古くから人は、物忌に入ったあと、直毘として戻ることで、心を切り替え、生活に区切りをつくっていたのでしょう。多分、精神的に大きな変化が起こった時の対処法として、物忌と直毘は用いられるようになってきたのでしょう。
 精神的に大きなダメージ、変化があったとき、一旦物忌として心身を非日常に置くことで、心を落ち着かせていきます。現代社会では、1年や数年に渡る物忌はできなくても、数日、数週間、数ヶ月の短い時間であれば、物忌の期間に精神を落ち着かせ、心を切り替えができるはずです。その後、新たな気持ちで直毘で日常にもどることで、意図的にダメージ回復、心の切り替えを行っていたのではないでしょうか。昔からの、いい方法心のリセット方法ではないでしょうか。
 直毘は、古事記や日本書紀にも、神の名前として登場しています。古事記では神直毘神(かみなほびのかみ)と大直毘神(おほなほびのかみ)として、日本書紀では神直日神(かみなほひのかみ)と大直日神(おほなほひのかみ)として登場しています。古事記では、黄泉の国で穢れたイザナギが禊(みそぎ)をして生まれた神となっています。直毘は、もともとは神道の考え方のようです。
 物忌や直毘は、宗教的な意味合いが濃いものですが、このような精神の切り替えの方法と考えれば、有効な方法に思えます。心や生活を非日常の期間を過ごし、再度もとの日常に戻ってくるという、一種の心の転換方法として使えます。論文の後日読み直すとより客観的に見れるようになったもの、この心の転換を行ってことになっているはずです。理にかなった方法ではないでしょうか。
 そのような考えから、先日、書き終わった文章を、一旦寝かすことにしました。2週間ほど別の論文の準備をすることにしました。その間、これまでの論文の整理と今後の方針、そして次の論文の位置付けに1週間、複雑な地質図を作成とソフトの習熟に1週間を費やしました。さらに、1週間ほど帰省も入りました。合わせると、3週間ほど全く別の状態に頭をもっていきました。この期間を物忌とすれば、これからいよいよ以前の文章の作成が直毘として、日常に戻ることになります。
 さてさて、本当に心のリセットはできているのでしょうか。推敲すべき文章に戻れば答えがでることでしょう。

・無為も有為に・
いやはや、もう3月です。
月日の流れは速いものです。
速い時間の流れに対抗する手段があります。
無駄をなくし、無為な時間をなくすことです。
さらに言えば無為の時間も有為な時間にすればいいのです。
常に何事かを目的を持って成し続けていればいいのです。
今回の物忌のように他のことを成していれば、
本の執筆におては、有為となります。
その間に遊びの時間を入れることも
心の切り替えという意味をもたせれば、
その間も有為となります。
なにやら屁理屈ぽく聞こえますが、
残された時間が減っていくことを感じると
そのような気持ちになってしまいます。

・帰省・
京都に帰省したのですが、
その間に暖かい日と寒い日があり、
まして京都の昔風の家にいたので
寝る場所も寒く体調を崩しそうでした。
でも、その間に咲き始めた梅をみることができ
久しぶりに家族や親族に会うことができました。
弟も久しぶりにあって一杯やることができました。
しかし、移動だけでなく、寒い実家と
いろいろ所用をしたので、疲れていたのでしょう
帰宅した日はぐっすりと寝ることができました。

2019年2月1日金曜日

205 視読:子ども時代の教育で

 読書は現代人にとって必要不可欠なスキルとなっています。私が受けた教育では、速読の技術は学びませんでした。しかし現代の若者は、ネットの検索でその技術を身に着けているのかもしれません。

 団塊ジュニアが大学に入りだす年齢に達した1993年の大学・短期大学(以下大学と略します)生数が約240万人になり、2000年には約275万人、大学進学率がはじめて50%を超えた2009年には約285万人となっています。多少の増減はありますが、学生数は横ばいのようです。2018年度の大学生数は291万人、進学者数は58万人となっています。
 一方、大学・短大(以下大学と略します)への進学率は、年々伸びています。2018年度の統計では、57.9%の人が大学に進学しているとのことです。高度経済成長期以前は、大学進学率は10%以下でしたが、年々増えてきて、近年では世代の半数が大学に進学しています。重要なのは、進学者数ではなく、進学率は増えていることです。18歳人口は1990年中ごろから減っているのに、進学率が上昇しているのは、その世代がますます大学へ進学していることになります。
 進学率の伸びは、社会が豊かになってことが一番の原因でしょうが、医療の発達などで平均寿命も伸びているので、社会にでる年齢も遅くてもいいし、現代社会への適応を考えると、長い教育期間も必要になっているなど、さまざまな要因があるのでしょう。
 教育は、若い時期、学びが身につきやすい年齢で、基礎的なスキル、例えば読み書き計算など、また基礎的な知識を身につけることは有効です。これは理にかなったもので、国策として進めていくべきで、日本では9年間が義務教育となっています。現代では、世代人口の半分が大学までの16年間を学ぶことになってきことになりました。
 大学の教育が必ずしも昔と比べてレベルが上がったかいうとそうでもなさそうです。大学進学者の中には、大学以前の学び直し、リメディアル(Remedial)教育も必要な学生も一定数います。もちろん、しっかりと学んできた学生は、それなりのレベルを保っていますが。
 私が教育を受けた時期は、団塊世代やポスト団塊世代よりあとの世代(しらけ世代ともいう)なので、受験戦争の影響は残っているのですが、団塊世代が起こしてきたさまざまな社会問題(例えば学生運動など)の余波がまだ残っている時代に教育を受けていました。良かった点も悪かった点もありました。当時受けた教育を評価することは、何年たっても、なかなか難しいものです。
 しかし、そんな教育の中で今も残念に思えるスキルがあります。これは若い時に身につけるのは簡単ですが、大きくなってからは非常に難しいスキルのようだからです。私は、中年以降になって、何度がチャレンジしたのですが、その度に挫折しています。
 それは読書です。小学校で文字を読み書きを習います。「読み」の中に読書もあります。読書についても、小学校から高校までの教育で指導を受けました。そして、読書感想文なども宿題になったこともあります。読書をした前提で、考えること、書くことなどに終始していてように思えます。読書の方法については、十分な教育がありませんでした。
 読書の方法として、音読(声に出して読む)と黙読(声を出さず頭のなかで音声化して読む)などは、小学校で教育を受け、すべての人はできるようになっています。しかし、読書には、もう一つ目読(もくどく)、あるいは視読(しどく)というものがあります。黙読と目読は同じ意味という解説もありますので、ここでは「視読」をもちいましょう。視読とは、頭の中で声を出さず、音声化しないで読む方法です。この方法は、文字を見て意味を理解しながら文章を読んでいく方法で、非常に速く文章を読めることになります。速読といわれている方法は、この視読のスピードを上げていく訓練をすることなります。私も何度か挑戦したのですが、うまくいきませんでした。
 多分、私は、読書が好きだったので、黙読の習慣が強く身についてしまい、それを変更することができず、手遅れになってしまったのだと思います。ところが、我が家の長男が小学生の時、頭の中で声を出さないで読むといいとアドバイスしたことがあります。しばらく練習したら、そのような読み方ができるようになったようです。読書スピードが一気に上がりました。もちろん書いてある内容がすでに知識としてあり、文字がすべて理解できる内容のものです。児童書などは、非常に速く読めるようになったといいます。次男もそうるようにいうと、簡単にできたようです。ただし、次男は読書があまり好きでないようです。視読の技術が現在も生かされていればいいのですが。
 私も視読できるようになりたいのですが、黙読の習慣が抜けません。頭で声を出してしまうため、どんなに努力してもスピードアップができません。通常技術は熟練すれば上がり、スピードアップも期待できるのですが、読書スピードは、若い頃も今も全く変わりません。声に出すため、一定以上には速度が上がらないためのようです。このスキルは、ちょっとした意識を向けるだけで画期的速度が上がるので、若い人はぜひ身につけるといいです。年齢を経るにつれて、読みたいもの、読まなければならないものが増えるので、速読できれば大きな福音になります。
 ところが、最近の若者たちは、実はもう視読を身につけているのかも知れません。スマホやネットなどの検索し、情報を読み取るスピードは、黙読ではなく視読をしている速度のように見えます。道具が、視読を促しているのかも知れません。教育でする必要もないのでしょかね。

・慌ただしさで・
あっという間に1月も終わりました。
大学は、冬休み、講義、定期試験、卒業研究の発表会など
次々の学事スケジュールが進みます。
そんな慌ただしいに、学内ではセンター試験があり、
次には一般入試が始まります。
そんな慌ただしさで1月は過ぎてしまいます。
2月上旬は成績評価と入試があるので
その慌ただしさは残りますが、
3月まで一番研究に没頭できる時期でもあります。
やりたいことがいろいろ溜まっています。
でも、この時だけに集中しようなどと思っていると
なかなかはかどらないのは経験済みです。
やるべきことを、やるべき時にやり続けることが
一番効率的なのでしょうね。
でも精神的に開放されます。

・研究計画・
2月は大学の競争的研究費の申請の時期になります。
いつもこの時期、来年度の研究計画を考えます。
研究テーマと野外調査がセットなので、
直近の計画として、2月に考えます。
研究テーマは、来年度の執筆予定の論文と直結しています。
いつ、どこに、どの程度の期間、調査に行くかを考えていきます。
今年度は、予定変更で道内の調査を頻繁に行いました。
そしてその重要さと手軽さを味わい、
来年度道内調査を入れることにしました。
本州での長期調査を1度、予算のゆる範囲で、
道内での調査を複数回行うことにしました。
来年の研究計画を考えている時はワクワクしています。

2019年1月1日火曜日

204 不立文字の多義性

 今年最初のエッセイは、文字にできないことについてです。言葉できないことも、多々あるはずです。大切なことであっても、言葉にすると多義性が生まれてくることがあります。ですからそれは感じ、悟るしかありません。

 人は、さまざま物事や感情、思いなどを伝えるために言葉を利用しています。言葉とは不思議なものです。鳥類や哺乳類のように、鳴き声でそれなりのコミュニケーションをしているものもいます。人の言葉を話す鳥もいます。ただし、自身の意図を言葉として組み立て、他者がその意図を解することができるのは、人だけです。人が操る言葉を、ここでは「言語」と呼びましょう。
 人と他の生物、特に類人猿との差をDNAでみていくと、非常に小さいといわれています。ところが、両者の形態や機能における差は、非常に大きなものに見えます。この意味するところは、人の特徴である言語の獲得は、遺伝的には大きな差ではなく、ささやかな差と推察できます。
 人の進化として、600~700万年前に脳容積の増大と二足歩行が起こります。その後、複雑な音声を生み出すために必要な、口腔(口の中の空間)と咽頭腔(喉と声帯の間の空間)が直角になって、咽頭が下に移動するという生物学的変化がありました。これらの生物学的変化は、DNAに記録されているはずです。この変化の結果、人は4~5万年前に言語を操れるようになったといわれています。言語の獲得は、人類の歴史からすると、それほど前ではないということです。
 コミュニケーションの手段として言語を手に入れて(発明、発見?)以降、文明の発達、人の活動の多様化にともない、言語は複雑化、高度化を遂げてきました。その変化は、現在も継続中です。ただし、言語能力の変化は、DNAに遺伝情報として書き込まれた変化ではなく、文明や文化として学習することで継承してきたと考えられます。文化とともに言語を修得するために、子どもの教育には、多く時間が必要になってきました。現在では、文化の複雑化、高度化によって修得には、ますます長い期間が必要になってきました。
 一方、文化や知的資産を伝達、継承するために、言語を文字にして書き留めてもきました。文字が紙に記録され、それが長く保存されることで、資料となり、歴史が編まれてきました。言語はコミュニケーションをとるため、そして文字は人の知的営みを記録し資産とするために、重要なツールとなりました。言語が人という種を特徴づけ、そして地球で繁栄を遂げるのに、重要な特性であったことは確かです。
 知的資産とは、言い換えると言語化できるものということになります。では、そこからこぼれ落ちたものはないでしょうか。ここからが本題となります。
 「不立文字」と書いて、「ふりゅうもんじ」と読みます。禅の言葉で、
「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」
(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん、
じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)
という言葉の一部になります。言語や文字で伝えることのできないもの(不立文字)があり、それは書かれたり伝えられたりしたもの以外から学ぶもの(教外別伝)であって、それは自身の心で直感的につかみとるべきもの(直指人心)で、その本質をつかみとれば悟を得たことにとなる(見性成仏)ということです。昔の賢人は、言語にはできないけれども、大切なことも多々あると考えたのです。達観ではないでしょうか。それは、一部の人にしか悟れないものでしょうか。いろいろな悟りがあり、その一端は多くの人は経験がしていることと思います。
 科学は論理性を重んじます。論理なき科学はありえません。ここでいう論理とは、数式を含む言語によって構築されたものです。しかし、論理が人類の知恵や創造性のすべてを網羅しているのでしょうか。論理化できない「なにか」も多々あるはずです。多くの人は、それを知っています。ただし、その論理化できない「なにか」には、多くの人が共通に理解できるものと、共通理解が成り立たないものがあります。
 「なにか」を伝える(訴える)芸術作品を例にみていきましょう。これは、一部の芸術家のみが使用できる手段ですが、すぐれた作品は、多くの人に「なにか」を訴えています。絵や音楽などのように、言語化できなくとも、感情を動かす(感動させる)ことができます。動かされる感情には、多くの人が共通して抱くものもあります。これは共通理解を生み出す作品でしょう。
 一方、芸術作品の中には、人によって、あるいは精神状況によって、異なる感情を生み出すものもあります。例えば、ダビンチのモナリザや能面の表情などは、見方によって、条件によって、いろいろな感情の生みます。つまり共通理解は成り立たず、理解に多義性が生まれることになります。
 また言語できるものにも、芸術作品としての小説や詩歌などにも、論理的に解釈が難しいですが、感動させるものもあります。その感動にも、共通理解の生まれるものと、多義理解を生むものもあります。
 では、それらが「なにか」のすべてでしょうか。大切なことにも、一部の人にしか理解できない「なにか」もあるかもしれません。それが不立文字たる悟りのようなものでしょう。悟りというと一部の努力した人にのみに適用できないものに思えますが、
 身体的なものを思い浮かべるとその例となるでしょう。身体的なものではコツというとわかりやすいかもしれません。例えば、自転車に乗れる瞬間などは、突然そのコツが体得(教外別伝)できます。そのコツは体が覚えており、長年自転車に乗っていなくても、体は忘れません。
 ここで示したコツは技術や体感での例ですが、より深い思索、より抽象的概念などの理解においても、このような「なにか」があるのではないでしょうか。それは教わるものではなく(教外別伝)、自身が感じること(直指人心)で悟れる(見性成仏)もののはずです。多分、その「なにか」とは、一通りに解釈されるものではなく、時と場合によって、さまざまな見え方がする多義性を持つものでしょう。
 私は、なかなかその境地に立てませんが、まずは文字にできない不立文字があることから、スタートですね。

・年頭の挨拶・
あけましておめでとうございます。
旧年中はこのメールマガジンの購読をいただき、
ありがとうございました。
本年も購読をよろしくお願いします。
昨年1年は、研究に没頭できる有意義な年となりました。
成果は例年並でしたが、集中できる時間が確保できたので、
達成感、満足感は例年にない充実したものとなりました。
願わくば、新しい1年も同じようでありたいものです。

・そこに「なにか」が・
このエッセイは、地質学やその周辺にある感じたこと
文字によって、できるだけ「論理的」に示しすことを意図してきました。
しかし、新年最初のエッセイは、その論理性の限界と
その先に文字にできない何かがあるのではないか
という内容になりました。
文字化できないものを、文章で論理的に示しました。
表現と内容が矛盾しているのですが、
そこに「なにか」があるように思えます。