2006年8月1日火曜日

55 一枚の地層に:地球に流れる時間(2006年8月1日)

 以前、沖縄に行ったときに見た地層の写真を、必要があって詳しく見直しました。そんな時ふと、ひとつの地層のでき方から、地球の時間へのいろいろな思いが巡りました。

 地層というの、どんなものを想像しますか。だれもが、どこかで、地層を見たことがあるでしょう。海岸に広がる地層、川底に見えている地層、山の崖に出ている地層、道路の工事でできた崖、どこかで地層をみたことがあるはずです。あるいは、地層で、化石探しをした人、鉱物を探した人、授業で習った人は、地層を詳しく見たことがあるはずです。でも、人それぞれに、思い描く地層は違っているでしょう。
 思い浮かべた地層の様子も、人それぞれでしょう。ある人はその層が水平でしょう。またある人は垂直でしょう。あるいはぐにゃぐにゃに曲がりくねったものかもしれません。しかし、思い浮かべた地層として共通しているのは、何枚もの層が重なったものでしょう。それらひとつひとつの層は、どのようにしてでき、何を物語っているのでしょうか。一枚の地層から考えていきましょう。
 地層とは、どのようなものでしょうか。詳しく見ていきましょう。まず、私の思い浮かべた地層を紹介しましょう。沖縄の東海岸で見た四万十層群嘉陽層とよばれている地層です。この地域の地層は曲がりくねっているのですが、海岸でみた地層を詳しく見ていきましょう。
 海岸の崖で写真にとったものは、水平よりやや陸側に傾いている地層でした。見える範囲はすべて地層の崖です。地層全体の厚さにする、数100mはありそうです。地層の枚数は100枚どころではありません。層の厚さは色々ですが、40~50cmほどの厚さものが多いようです。その中の代表的な一枚の地層をよく見ていきましょう。
 ここで注目した地層は、上の方が粒のあらい砂からできています。砂の部分は、表面が茶色く風化していますが、割れたり新鮮な面を見ると、中は灰色の砂岩となっています。砂岩の部分が地層の大部分を占めています。一番下には、黒っぽい緻密で粒の細かい泥岩からできています。泥岩の部分は、もろくて侵食を受けやすく、くぼんでいます。泥岩の部分は、4~5cmほどで、厚さは場所によって違っていますが、10cmにはなりません。
 砂岩から泥岩の境界は、はっきりしないで移り変わっています。ところが泥岩から砂岩への境界は、明瞭ではっきりと変わっています。ただし、その境界の面は、必ずしも平らではありません。時には砂岩が泥岩をかなり削り込んでいるように見えるところもあります。
 遠めで見ると、このような平均的な様子が、地層から伺うことができます。地層は自然のものですから、このような平均的でないところもたくさんあります。たとえば、地層の厚さはまちまちです。1m近いところもありますし、10cmもないようなところあります。砂岩ばかりの層もありますし、泥岩だけのところもあります。小石がたくさん混じっていることもあります。このように平均的ではないところも、地層にはたくさんあり、多様な様子がうかがえます。
 遠めで見ると、同じような地層が繰り返して連なっているようにみえ、一般的な地層を示すことができますが、近づいて詳しく見ると、どうも一様でないこともわかります。では、このような一見一様にみえる繰り返しで、中身はさまざまな多様性を持っている地層を、どのようにすればつくることができるのでしょうか。
 地層を構成している砂や泥、時には小石は、石が砕かれ、小さくなったものです。そのような作用が行われるのは、陸地です。風化や浸食によって大地を形成している岩石が砕かれてきます。川によって、砕かれた岩石が運ばれていきます。石は小さく砕かれ、やがて砂や泥のような細かい粒になります。
 川は上流から下流に向けて、その作用をしていきますが、川が下流で流れや緩やかになると、大きな粒は運べなくなり、川原に堆積します。下流域では細かい粒だけが運ばれます。ところが海に注ぐ川は、にごった水ではなく透き通っています。ですから、目に見えるような粒は、ほとんど、川が海のたどり着くまでに、川で堆積してしまっているのです。しかし、川原のどこにも海岸で見たような何枚も繰り返すような地層ができていません。ですから、通常の川の営みでは、このような地層ができそうもありません。
 砂や泥、時には小石が運ばれ、地層ができそうなときとは、どのような時でしょうか。すぐに思い浮かべられるのは、洪水や土石流です。激しい洪水や土石流であれば、大きな石でも流してしまうことがでるはずです。洪水や土石流も平野部にでると、そこに川が広がって、土砂を堆積してしまいます。にごった水は海まで達しますが、多くの土砂は平野に堆積します。今ではダムや堤防で平野の洪水は減りましたが、今年の梅雨の大雨のように短時間でたくさんの雨量があり、それが想定以上のものになると、自然の川の営みが復活します。このようにして、扇状地や平野が、形成されていることは、社会科や地理の時間に習ったものです。
 でも、これは土砂が場所によって不規則にたまることができますが、規則正しい地層のようなものや、泥まで整然と溜まるには、どうもいい仕組みとはいえません。また、数mの地層なら洪水の繰り返しでできそうですが、数100mの地層の積み重ねは、できそうもありません。
 砂(時には小石)から泥がゆっくりと溜まるには、土石流や大洪水が、海底まで達し、その後は穏やかに泥を堆積すればいいのです。あるいは、洪水で河口の沿岸に溜まった土砂が、地すべりでさらに深い海に流れこんでいけば、一枚の地層ができそうです。そのような場が、大陸棚にでもあれば、繰り返し地層ができ、数100mの地層の連なりもできそうです。
 地すべりの位置は色々なところで起こるでしょう、地すべりによって土石流ができ、その本体が流れてくれば、小石まである砂がたまり、土石流がおさまれば、やがて泥がゆっくりと沈殿しているでしょう。
 あるいは、同じところで土石流の本体が通ると、すでに溜まっていた地層の上部を削り取ってく行くこともあるでしょう。もし、土石流の少し離れたところを通れば、砂のほとんどない泥だけの層ができるでしょう。
 このような土石流が頻繁に起こるような場所が、今回想定した地層の堆積場所となりそうです。でもそのような土石流が起こり地層が溜まるという事件は、頻繁に起こりそうもありません。大きな地震をきっかけにして海底地すべりが起こったり、未曾有の大洪水で海まで大量の土砂が流れ込むとかの事件です。このような事件は、めったに起きそうもありませんが、長い時間間隔でみれば、きっと起こりそうなものです。ですから、ひとつの場所で考えると、何十年、何百年、あるいは何千年に一度のような出来事によって一つの地層ができることになります。
 海底に流れ込んだ土砂は、一気にたまります。学校の理科の実験で、ペットボトルに土砂と水を入れてかき混ぜると、重い小石や砂が早く沈んで、細かな泥が沈むには時間がかかりまず。でも、数時間、あるいは一晩も置いておけば、泥も沈んで、水は透明になります。海では、ペットボトルより大規模で、波や水の流れがあるため、もっと時間がかかると思いますが、せいぜい数日すれば、溜まるべきものは地層として沈むはずです。
 一つの地層は、大地に流れている時間からすれば、あっという間にできてしまうということになります。大半の時間は、泥と砂の間に挟まれていることになります。ですから、地層とは、テープレコーダーのように時間を連続的に記録しているのではなく、ある事件を記録してカードのようなものなのです。そんな事件の記録カードを積み重ねたものが、地層なのです。
 海底に流れていたはずの大半の平穏な時間は、ほとんど記録されていないのです。これは、過去の記録のされ方としては、ごく普通のことなのです。私たちの昔の記憶もそうなっているます。記憶に残っているのは、自分にとって、事件的な出来事が多いはずです。毎日同じようにしていることや振舞っていることなど、日常ともいうべきことは、ほとんど忘れ去れています。大地の記録も同じなのです。事件によって大地に物質して刻印されたものだけが、記録となります。
 最初に思い浮かべた地層は、上に砂があり、泥へと連続的に変化してきました。ですから、この地層は、もともと溜まった時は上下が逆転します。周辺の地層は曲がりくねっているといいましたが、ここでは地層が完全に逆転しているのです。これも大地に流れている長い時間によって形成されたものです。硬い岩石でも割れて砕けることなく、ゆっくりと時間をかけていけば、地層を崩すことなく、くねくねに曲がったものが形成されるのです。大地の歴史には、短時間のダイナミックさ、長時間のダイナミックさ、そして大半の何もおこらない平穏が時が流れているのです。大地の時間とは、不思議なものです。そんなことを私は地層から感じました。

・夏休み・
北海道はやっと夏らしい暑い日が訪れました。
7月は停滞した梅雨前線の影響で
北海道も雲の多いどんよりとした天気が続きました。
大学も夏休みになり、学生が減り、静かになりました。
でも、教員は汗をたらたら流しながら、
採点と成績の整理に追われています。
でも息抜きのために、私は、
2日~4日はアポイ岳
8日~9日は登別のクッタラ湖
に出かけます。
アポイ岳は7月の連休に調査に行こうとしていたのですが
次男が水疱瘡を発病したので行けなかったものです。
クッタラ湖は、今年の春にいったのですが、
大量の積雪で、いけなかったところです。
今回は、遣り残したところの調査となります。
本当は、8月上旬は忙しい時期なのですが、
定期試験が終わって、やはり少しはリフレッシュしたいので、
出かけることにしました。
しかし、そのために、忙しくなりますが、仕方がありません。
がんばりましょう。