2023年11月1日水曜日

262 普遍の時間の淘汰:マグマミキシング

 ささやかな痕跡的な違いをもとに、普遍的な考えを抽象していくことは、科学の醍醐味です。普遍的な考えが残るかどうかは、時間の淘汰に耐えていくことが必要になります。


 もうかなり昔のことですが、博士論文の執筆の頃を、ふと思い出しました。当時は持っている限りの体力も精神力もつぎ込んで、研究を進めていきました。長期にわたる野外調査、何度も他の施設にいって大量の化学分析をするなど、いろいろと努力を積んできました。
 博士論文の執筆の大詰めの半年間ほどは、大学の研究室に週の半分以上は泊まり込んでいました。大変でしたが、充実した日々でした。しかし、もう二度とできないでしょう。
 理系の研究室は、だれかが実験をしていることが多いので、まるで不夜城のように、建物のどこかには灯りがついていました。それでも、週末や月曜日、特に年末年始などは、夜が更けると、灯りの数は少なっていきました。
 日にちや曜日感覚がなくなったかのように、研究に打ち込む日々でした。今では、そのような体力や精神力はなくなりました。その代わり、要領はよくなっており、短時間での集中を、毎日こつこと重ねることで、研究を進めていく方法を取るようになりました。
 さて、その博士論文のテーマですが、論文3編分ほどの内容から構成されていました。中でも、縁海でできたオフィオライトでマグマミキシングを見出したことが、重要な成果だと考えています。
 素材であるオフィオライトとは、昔の海洋地殻を構成していた岩石です。縁海とは、沈み込み帯の先に日本のように火山列島(地質学では島弧と呼ばれています)ができます。列島の大陸側に海(縁海)できます。縁海でできたオフィオライトであることを示した。マグマミキシングとは、種類の異なったマグマが、マグマだまりの中で混じり合うことです。縁海のオフィオライトでマグマミキシンがあったことを明らかにしました。
 調査地域は、玄武岩が広く、他にも斑レイ岩やカンラン岩が変化した蛇紋岩が分布していた地域でした。玄武岩を中心に研究を進めていました。ただし、古い時代の岩石なので、変成作用や変質作用を受けているので、もともともっていた化学組成とは、かなり変わってしまっています。そこで着目したのは、変成・変質でも変動しにくい化学成分と、残されている結晶(残存鉱物)を用いることで、火成岩としての特徴を調べていきました。
 オフィオライトは、約3億年前ころの海洋地殻であることが年代測定でわかりました。日本列島がまだ存在しない時代の海洋地殻ですが、島弧の後ろ側に広がっている縁海でできた火山岩で、マグマだまりでマグマミキシングが起こっていたというのが結論でした。
 典型的な海洋地殻や島弧の岩石は、化学的に区別がつけることもできます。そして変成・変質を受けていない島弧の火山岩では、マグマミキシングが見つかっていました。オフィオライトで縁海起源であること、そこでマグマミキシングが起こっていることなどは、当時の化学分析の精度ではわかっていませんでした。広域に地質調査した結果、明らかな海洋地殻(東側)、明らかな島弧(中央)、そして不確かながら縁海の痕跡が見つかりました。
 根拠としたのは、残っている結晶(単斜輝石とクロムスピネル)の各種の化学分析でした。あるタイプの玄武岩で、残っている結晶の成分(クロム)の濃度が、外から中心に向かって、多くなったり少なくなったりを繰り返していることがわかりました。波状累帯構造と呼ばれるものです。
 マグマのクロムの成分に変化があったことを意味します。クロムは一番最初に結晶に配分される成分なので、増えるということは、新たにマグマが供給されてきたことを意味しています。ある程度結晶を出したマグマ(分化したマグマ)に新しいマグマ(未分化のマグマ)が供給されると、クロムを含んだ結晶(クロムスピネル)が再度できはじめたり、輝石のクロムの濃度が増えたりします。輝石のクロムの組成変化も、それで説明できました。
 他に、残っている輝石の結晶を分離して、同位体分析(ストロンチウム同位体組成)をしました。年代測定(Rb-SrとNd-Sm年代測定)をするためでもあったのですが、ストロンチウム同位体は変成・変質を受けますが、残っている結晶であれば、影響を排除できます。
 マグマからできた輝石の同位体組成は、マグマの性質を反映しています。マグマはマントルの性質を反映しています。ストロンチウム同位体が、現在の海嶺の玄武岩と比べると、海水の影響を受けていることがわかりました。これは沈み込みの影響で、縁海のマントルに海水成分が加わったと考えました。
 このような分析の結果から、縁海でのマグマミキシングという結論にたどり着きました。考え方は間違っていないはずですが、分析結果については、正しいかどうかは、不安は残るところです。当時の鉱物分離や化学分析の限界に近いところでえた結果からの判断でした。
 岩石の砕いて、汚れているところをすべて除去しています。分離した輝石は、極力、変成・変質した部分は除去していました。少ない試料の量での分析になってしまいました。ですから、分析精度のぎりぎりのところでえたデータの判断となっています。しかし、その結晶の分析精度は保証できます。
 しかし、試料の汚染部分をすべて除去したと思っていますが、見えないものが残っていた可能性も拭いきれません。試料の汚染の不確かも考えると、限界に近いところで判断となります。もしろん、現在の装置や技術をもってすれば、白黒の決着はついたはずです。当時の状況としては、致し方ないものだと思います。
 研究結果は、学問の時流や技術水準を反映しています。ある地域の地質学的素材をもとにしていますが、普遍的一般論を導くという点は、達成できていると思います。しかし、その成果は、時間の淘汰には耐えられませんでした。
 地質学的見方は、もっと大局的な現象に着目しています。多様な島弧の形成メカニズムや地球史上の島弧の役割や位置づけの理解という捉えかたに変わりました。
 島弧でのマグマミキシングは、今では常識になりました。縁海にもいろいろな条件のものがあります。化学組成の微妙な差より、島弧の火成岩の存在と沈み込み帯で形成された高温高圧変成岩の存在が、今では重要とされています。地質帯を代表する岩石の地質学的配置という大局によって決定されていきます。とはいっても、地質学的配置すらも必ずしも当てにならないほど、大地の変動は激しいものですが。
 研究においては、痕跡的な違いに着目して、そこから地質学の普遍性を抽象していくことが、重要であり、醍醐味でもあります。ですから、ささやかな痕跡も疎かにできません。一方、大局的見方が、普遍性を駆逐して、すべてに優先することもあります。
 博士論文では、ささやかな痕跡にこだわりながら、普遍化していきました。この方法論は正しいものでした。しかし、今では、そんな普遍性からの結果より、大局が優先されています。これは地質学の学問における時間の流れが、このような普遍性を重要としなかったのでしょう。
 当時の状況で、あれだけの野外調査をして、あれだけのデータをだし、あんなささやかな痕跡に気づき、そして普遍化をしてきたことは、十分な評価に値すると思います。当時の努力と成果をほめてやりたいと思います。しかし、当時の結果は、時間の淘汰に耐えられませんでした。

・詮なきこと・
このようなエッセイを書いていたのは、
ノスタルジーではありません。
ある時点で重要だとされていることが
時間の淘汰に耐えられるかどうかは
その時点では判断できないものです。
どの程度の手間をかけて、取り組むべきテーマかは
その時の研究動向から判断すべきでしょう。
現時点なら、ささやかな痕跡より、
大局から攻めていくでしょう。
今の技術ならもっと精度よくデータだせるはずです。
過去の成果を、現在の基準で評価をするのは
詮なきことでしょうね。

・野外調査・
先月末に道東調査に出ているので、
このエッセイは、予約配信をしています。
今年は、雪が早く峠に降っています。
峠越えが心配になります。
もう一度野外調査を予定しているのですが、
峠越えのないように、
今月中旬の野外調査は、道南にしました。
これが今シーズン最後の調査となります。
山間部での調査もあるので、雪が心配です。
まあ予定を立てる時は、雪まで予想できません。
あとは与えられた天候で、
できる範囲で調査をするしかありません。