2010年12月1日水曜日

107 poit of no return:科学の立つ位置

 地球温度化は日本では常識になっていますが、世界ではいまだに問題として激しい論争がなされています。科学では論争はつきもので、論争こそが科学の本分ともいえます。その科学に背負いきれないものが乗かってくると、科学の本分が働かなくなる状況が生じます。引っ込みのつかない、もう戻れない状態「poit of no return」になっているような気がします。

 IPCCとは、英語の「Intergovernmental Panel on Climate Change」を略して呼ばれています。IPCCは、日本語では「気候変動に関する政府間パネル」と呼ばれています。多くの国の研究者が組織的に、地球温暖化についての科学的成果をまとめ、評価し、各国の政策担当者に示すことを目的にしています。
 IPCCは、1988年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)により設立された組織です。3つの作業部会に分かれて作業をおこない、最終的に統合報告書が作成されます。「気候システム及び気候変化の自然科学的根拠」を検討する第1作業部会、「社会経済及び自然システム」を検討する第2作業部会、「気候変化の緩和」を検討する第3作業部会の3つです。
 IPCCは、その評価結果を報告書として公開しています。1990年に第1次評価報告書が、1995年に第2次評価報告書、2001年に第3次評価報告書、2007年に第4次評価報告書が、公開されました。私も授業で使うために第4次評価報告書のダイジェスト版をみたりしました。
 ご存知のように、地球温暖化に関するドキュメンタリー映画と著書「不都合な真実」のアメリカ合衆国元副大統領アル・ゴアとともにIPCCは、ノーベル平和賞を受賞しました。その理由は、「気候変動問題に関する活動」を評価されてのことです。2007年の報告書が承認される直前の受賞報道で、日本でも大きくニュースに取り上げられました。
 IPCCは、研究者を中心とする組織ですが、研究をするための組織ではなく、研究成果(査読制度をもつ雑誌に掲載された論文)をとりまとめ、評価するための組織です。報告書を作成するプロセスは、非常に厳密になされているはずです。なぜなら、その報告書が、気候変動に関する国際的な政治動向や政策決定に重要な役割を果たしているからです。
 IPCCは、そもそも「人為起源による」気候変化や影響を調べて、それへの対処を、科学的、技術的、社会経済学的に評価を行うことが目的です。「温暖化ありき」を前提として、その対策を考えることを使命としています。
 温暖化の根拠や動機なっているのが、近年地球の平均気温が急上昇しているという結果です。その結果はあるグラフが端的にあらわしているので、よく利用されています。それは、多くの人が目にしたことのあるグラフで、ホッケースのティックのような形をしているので、「ホッケースティック」曲線と呼ばれています。
 このグラフは、アメリカの古気候学者のマイケル・マンが、1998年に科学雑誌「Nature」に報告したものです。紀元1000年から2000年までの地球の平均気温をまとめたもので、1900年代になってから急激に温暖化が起こっていること示しているグラフとなっています。
 このグラフの作成には、地球の平均気温が必要ですが、そのような気象データは、1000年分もありません。そこでマンは、木の年輪を利用して気温変化を見積もる方法を採用して過去の気温を復元しています。
 この復元が議論の的となりました。この復元に用いたデータや、その計算方法を公開するように、温暖化懐疑派は要求したのですが、公開されませんでした。他のデータや計算方法にもいくつかの問題もあり、論文誌上でも議論となりました。なおこの「ホッケースティック」曲線は、第4次評価報告書には載っていません。他にも都市化による温度上昇に関する基礎データと計算法、気温測定地点の状況、平均化のための計算方法なども、公開を拒否するなどいろいろと問題もありました。
 このようなやり取りが繰り返され、温暖化肯定派(とくにIPCCの中核に近い研究者たち)と温暖化懐疑派たちのあいだで、感情的な対立が強く生じました。
 そこに、2009年11月19日、不正と見られても仕方がないような作為を示すメールや文書が、クラッキングによりインターネット上に流出しました。日本ではあまりメディアで伝えられることがなかったのですが、海外のメディアでは、大きなニュースになったり、いくつかの書籍も出版されて、その事件はクライメートゲート(Climategate)事件と呼ばれるようになりました。
 温暖化肯定派は、それらの問題の処理がいろいろなされていますが、部外者的に立場でみると、温暖化を示すデータ、根拠、科学的取り扱いなどに、どうもあまりフェアでなかったような行為もあったようです。
 私が、このエッセイでいいたいのは、温暖化肯定派か温暖化懐疑派を論じることではなく、科学の成果と利用についての考え方です。
 IPCCという影響力をもつ組織があり、それが実際に政策に関与し、そのフィードバックとして研究費や環境産業、排出権取引など金銭が介在する世界を生み出しました。このような世界が、科学の成果や評価に影響をおよぼさなければいいのですが、それはなかなか難しいようです。そのような土壌のもとで、温暖化のクライメートゲート事件が起きたのです。大きな組織、予算、研究費などが絡まないものであれば、このような事件は起きなかったでしょう。起きたとしても、学界内のスキャンダルに過ぎないものだったはずです。
 科学は、そもそもの大前提として、フェアに起こなわれるべきものです。論文の成否(受理か却下)と、その成果を他の研究者が採用するかしないかによって、科学の成果が広まるか無視されるかになります。もちろん反論による議論をすることも起こります。しかし、それらは科学の土俵で手続きを経て行われます。そこには、権力、費用、栄誉などが前面にはでることはありません。また、そのデータや処理の吟味や評価は、データを出した研究者はもちろんですが、批判者に対しても、公開し、批判を受けていく必要があります。これが科学の代謝、あるいは進歩を促します。
 ことが数人の当事者間であれば、それほど問題はこじれず、より確からしい結果へと更新が起こるはずです。こじれたとしても、それ以上大事になることもなく、時間とともに忘れ去れていくでしょう。
 IPCCのように大きな組織で政治や金も動く状況になれば、批判者はでてくることでしょう。また、その本質に問題があるという指摘するようなグループに対して、なかなかフェアに対処できないこともあるでしょう。
 でも、もし「温暖化が間違い」となったら、IPCCとしては、大変なことになります。なぜなら「温暖化ありき」でスタートした組織で、今では国家の政策、国際社会をも巻き込んだ運動となっています。日本でもメディアの前で多くの科学者が、温暖化を主張し、反温暖化派を批判しています。その背後にはIPCCがいて、第4次評価報告書があります。今さら、「温暖化が間違い」となっても、責任をとれる状況は逸しています。
 地球温暖化の予測で、「poit of no return」というものがあります。これまでに、対処しないと深刻な事態が起こるという地点です。でも、IPCCにおける「poit of no return」は、始まった時点に過ぎていたのかもしれません。
 このように、科学が政治や経済と結びつくときは、注意が必要です。まして目標や目的が決まって巨大な組織、政策、予算が動きだしてしまうと、なかなか変更はむつかしくなります。いった進みだした方向性に基づいて技術は、投資に見合った進歩を急激に起こします。戦争による武器の進歩、原子爆弾の開発がそのいい例でしょう。
 科学のいい点は、やがて間違いは正されるということです。これは、科学の歴史をみれば明らかです。ニュートンやアインシュタインのような科学の巨人ですら、その洗礼は受けています。また、多数派が勝つとは限らないことです。創造説、エーテル説、地向斜説などかつては、主流となっていた説も、後には否定されることもあることは歴史が教えてくれます。
 私は地質学に携わってきましたから、地球の温暖化は、地球史では当たり前に繰り返し起こるできごとに見えます。時間スケールを変えてみると、繰り返し氷河期が訪れていること、今は氷河期に向かってもおかしくない時期であること、新生代後半は寒冷化に向かう時期と読み取れることも知っています。これは、私だけでなく、地質学者ならだれでも知っていることです。多くの研究のグラフもそうなっています。
 科学は、人間の営為です。栄誉や評価、研究費は、研究者ならだれでもが欲しがります。研究者も人間ですから、感情があり、対立が起これば、不正行為、犯罪も起こりえます。これも、過去の事件を上げるまでもなく、いろいろありました。これは、人間の業(ごう)ともいうべきものかもしれません。
 温暖化派も反温暖化派も当事者には、もはやもつれた糸をほぐすことは困難かもしれません。利害のない別の科学者たちが、淡々と科学のやり方に従って成果を積み重ね、新たな糸を紡ぐしかないのかもしれません。
 温暖化が起こるかどうか、それはいずれ自然が答えを出すはずです。その頃には当事者の科学者たちはいないかもしれませんが。

・寒さ・
いよいよ山里は寒くなってきました。
車のフロントガラスも
朝は凍るようになって来ました。
ストーブを毎朝夕つけるようになりました。
夏の寒さがそれほどでもないところなので、
冬の寒さは厳しそうです。
私は、そんな寒さにもめげず、
地域のイベントがあれば、
できる限り参加しています。

・反対派を大切に・
世の中が一色に染まり、
それ以外は異端として排除されることはよくあります。
反主流派が主流派を批判するのは世の常です。
このような運動形態は人の社会の定常的な動態かもしれません。
主流派は自分の弱点を見るために反主流派の意見を知る必要があります。
なぜなら、反主流派こそが、
主流派論理の一番の理解者だからです。
その上の批判なのです。
温暖化懐疑論者の重要サイト:Climate Audit
http://climateaudit.org/
(感情的なものだけでなく、科学的な議論もなされています。どんなセレクトもせず、すべて公開の場で議論がなされているフェアさがあります。非常に活発な発言が行われています)
Watts Up With That?
http://wattsupwiththat.com/
(かつてはアメリカの気温測定点の現地調査をして、その実態を公開するということを中心に行っていました。ひどいところがなかりあったようです)
なども時には見る必要があるかもしれません。

2010年11月1日月曜日

106 知られえぬこと:不可知論

 科学は、前提に基づいて、論理的な手続きによって仮説が立てれられます。そもそもその前提が正しいのか、あるいは仮説が本当かどうかは、「知られえぬこと」です。そのような「知られえぬこと」である不可知論は、有限と無限の境界を示しているのではないでしょうか。

 山里では、秋祭りが各地で行われています。時間さえあれば見学に行っています。先日も4年に一度開催される高知県高岡郡津野町にある高野の回り舞台で行われた歌舞伎を見に行きました。自宅から30分ほどでいけます。今年、高知県では、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」に連動した「土佐・龍馬であい博」が各地で介されています。本来なら歌舞伎を行う4年目は来年にあたるのですが、「であい博」にあわせて1年前倒しでの開催となりました。おかげでた、またま近くに滞在していた私も、見学することができました。
 この歌舞伎が行われた廻り舞台は、国の重要有形民俗文化財に指定されているものです。それが歌舞伎の最中に実際に回転されて舞台が変えられます。そのため、常に手入れされて使えるようにされています。
 地元の人が多くの人が集まり楽しんでいる行事は、地域外の者がいっても、充分楽しめます。私は、時間があれば、地元の人と話をします。そんなとき、行事についていろいろ聞くこともあります。よく知っている人もいるし、ほとんど知らない人もいます。いつから、なぜ、それをするのかのようなことを聞いても、分からないことがあります。でもそんな会話も、行事の楽しみの一部となります。
 聞いて分からないことが、あとでインターネット検索して調べると、「そうだったのか」と理解でき、納得できることがあります。しかし、そんな記録や解説がないとき、自分が仕入れた数少ない情報から、自分なりの推定をしていくしかありません。それは、非常に不確かで危ういことです。自分でもよくわかっていますが、そうするしか理由を考えられません。
 科学の世界でも同じようなことが、よく起こります。特に限られた情報しかない場合がそうなります。私は地質学を専門としています。地質学は、過去に形成された岩石などを素材にして、過去に起こったことを物理、化学、生物学的現象として推定しようとするものです。その推定は、あくまでも、得られた情報や証拠による、その時点で科学的にある程度根拠をもったもの、「もっともらしき」ものです。
 しかし、本当のところ、つまり真実は、知りえないものです。
 地質学は、時間あるいは歴史という不可逆的な流れのなかで、すでに起こってしまったことを推定しています。たとえ昔の事象であっても、何らかの因果や必然が介在するはずです。たとえ人が知りえなくとも、背景には必然性があるはずです。しかし、再現性のない過去の事象は、推定するしかありません。
 このような不確かさは、過去のものを対象にする地質学だけでなく、自然を対象にする自然科学の多くには、その達成した成果の中には、不確かさが多数紛れ込んでいます。その推定を、科学は現在のところ一番「もっともらしい」という切り口で語っているに過ぎません。新たなデータ、情報、証拠が出てくれば、科学はよりよいものへと書き換えられていくのです。古典力学から相対性理論へ、天動説から地動説へ、地向斜論からプレートテクトニクスへ、そしてプルームテクトニクスへと。これが科学の進歩のしかたで、科学自体の正しいあるべき姿でもあります。
 ところが、再現性のない過去の事象を推定するとき、論理的に完結できない論理にならざるえません。その論理は、不確実性を伴います。そこに不可知論的な、不安を感じるのは、私だけでしょうか。そこには、もしかしたら、人智では知りえないものがあるのかもしれません。
 一方、論理学や数学のような緻密な積み上げ可能な学問体系では、いったん証明されたものは、どんなに古い、たとえギリシア時代の証明であろうとも、前提や仮定、条件が成立する限り、それは正しいことであり続けます。ピタゴラスの定理が今でも正しいのは、そのいい例です。
 人智では知りえない、答えられないような議論を不可知論といいます。不可知論は、英語で「agnosticism」と呼ばれています。agnosticismは、agnosticという言葉から由来しています。agnosticの語頭の「a」は否定の意味を持ち、gnosticは、ギリシア語を語源とする「知識」を意味します。その知識は、ただの知識ではなく、人間を救済に導く究極の知識です。そこからagnosticは、「知られえぬ」という意味になっています。
 新約聖書の「使徒行伝」の中でパウロが各地に伝道をするなかで、アテネの様子を伝える場面で、
「実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られえぬ神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう」(17章23節)
という一節があります。
 その節を引用しつつ、「知られえぬ神に(agnosto theo)」と刻まれた祭壇のことを語りながら、自己の立場を語った1869年のハクスリー(Thomas Henry Huxley、1825.05.04-1895.06.29)の講演があります。不可知論という言葉や考え方は、その講演が由来となっています。その講演は、チャールズ・ダーウィンの進化論を支持するものでした。その背景には進化論が、キリスト教の教義に背くような内容があったので、その支持には、難しい配慮が必要でした。
 不可知論的には、進化論で進化の現象を認識し説明しえますが、その背後には科学的には考えられない実在や力、「知られえざるもの、the Unknowable」(神のこと)を前提するとしています。つまり、進化という現象を科学的に認識したり、説明することは可能ですが、進化を起こしている存在は、人には科学的なアプローチは不可能なので、「知られえざる」ものとしようというのが、ハクスリーのとった不可知論の立場です。「知られえざる」ものは、無限の大きさをもつ存在でもあります。時代の経過、科学の進歩によって、不可知論は拡大していき、神や絶対者だけでなく、死後の世界、理性や事物の究極の実在などに対しても、語られるようになりました。
 科学は、実用的な面で、いろいろな便利さをもたらしてきました。このような科学や技術の進歩は、後退することなく進み続けます。科学の論理体系の世界も同じように進み、その領域を広げてきました。
 一方、不可知論的世界は、決してその領域を減らしているわけではないような気がします。科学の成果や論理、証明がひとつひとつ数えられるように、科学は有限です。有限の科学をいくら拡大していっても、無限の不可知論は縮小することはありません。無限から有限を引いても無限は減ることはありません。
 科学は、不可知論を超えることはできません。これは、人間の理性には限界があることを、表しているのかもしれません。不可知論は、有限と無限の境界を教えてくれているのかもしれません。
 いくつもの地域の祭に参加していると、なぜか分からないけれども、そうするということがあります。その儀式は、守られ現在に至っています。そこには伝統や歴史を守る強さと、日常に即した融通無碍の可変性もあります。
 先日参加した祭は、始まりから雨が降り始めました。そのときに対処法は、だれも知らないようでした。しかし、祭は、公民館のホールに急遽移され、何事もないかのように、進行しました。だれも公式にアナウンスすることなく、現物の人は口コミで公民館に集まります。不思議なものです。
 守るべき伝統も、必要に応じて、変化します。踊りを担当している人で、どうも踊りたくないような口ぶりの人もいたようですが、その人が、「来年から雨が降っても、踊らなぁいかんようになったのう」といってました。ここに新しい伝統ができたようです。
 人は守るべきものと変えるべきものに対して、こんな融通無碍に振舞えるのです。不可知論的領域も、そんな融通無碍で乗り込めるかもしれませんね。そうすれば、ますます楽しみが広がりそうです。

・知られえるもの・
科学をしていると、
自分の考えている前提の中で、
証拠は十分か、論理に矛盾がなかなど、
論理性を考えています。
しかし、前提だ正しいかどうか、
自分が知りたいことが「知られえる」ものかどうか、
非常の本質的なことを忘れしまいます。
しかし、不可知論的な場は、
議論しても結論がでないから不可知論なのですが。

・無神論・
不可知論と無神論は
混同されることがありますが、
明らかに、違います。
不可知論的には、
無心論は神の不在を証明しない限り成立しえません。
ですから、神に不在は実は論理的は、
非常に証明がこんなです。
実際には不可能です。
だから、神は不可知論的存在となります。

2010年10月1日金曜日

105 時間と物質の対比:無に宿る時間

 ものごとを分かりやすくするために、平均値を用いることがあります。しかし、平均では見えないものがあります。地層には、過去の時間が記録されています。地層の記録には、複雑な背景が隠されています。平均してしまうと、地層の真の姿が見えてきません。私は、そんな時間と物質の対比の複雑さに、興味があります。

私は、マグマが固まってできた火成岩、その中でも海洋底を構成していたであろう岩石群(オフィオライトと呼ばれます)を調べていました。火成岩の岩石全体(全岩といいます)や鉱物の化学組成を用いて、オフィオライトの成因や起源について研究していました。一般にオフィオライトは、変成作用を受けて、変質も風化もしています。火成作用を探るために、できるだけ変成や変質、風化の少ない(新鮮といってます)岩石の採取が、重要になります。私は、オフィオライトの岩石学的研究の後、鉛の同位体分析の開発も専門としてきました。
オフィオライトの地質調査では、堆積岩や化石が出る層を伴うこともあります。しかし堆積岩は、分析対象になりません。ですから、堆積岩は記載して試料採取はしますが、分析対象にすることはありませんでした。
博物館に勤務してから、子供や市民は、火成岩より、地層や化石に圧倒的な興味を持ちます。ですから、博物館の学芸員としては、そのような市民の希望にそった観察場を提供することが多くなります。幸い、私がいた県には、いろいろな時代の地層があり、化石がたくさん出るところもあったので、そこで観察会をすることがよくありました。また、神奈川県の地学図鑑とデータベースをつくるために、県内各地を堆積岩もくまなく見てまわる機会もありました。
その結果、地層に不思議さを感じるようになり、興味も出てきました。
今では、地層の不思議さについて考えていくことが、研究対象になっています。現在の調査は、地層がよく見られるところを選ぶようになっています。今まで、興味がなかったものが、今では興味の対象となっています。私の興味の転換も不思議ですが、これは別の機会にしましょう。
今回は、私が感じている地層の不思議さの一端を紹介しましょう。
まず、想像してみてください。その地層の見える崖があります。このような崖を露頭といいます。露頭には何層も重なる地層があります。向かって右に傾いている地層で、似たような層が何枚も何枚も重なっています。
ひとつひとつの地層(単層と呼びます)の内部を詳しく見ると、それぞれ違いはありますが、共通した特徴もあります。単層内で、粒の粗い砂岩から、粒の細かい砂岩、やがて泥岩、粘土岩へと徐々に変わります。泥岩から砂岩へは明瞭な境界をもっています。そのような形状(産状といいます)から、地層の形成時の上下関係が判定できます。右側の地層が上に溜まっていったようです。それに、この露頭では、所々に化石も見えます。
この地層の重なる露頭は、長い時間を経過して溜まったはずです。何枚もの地層ができるのには、長い時間が必要です。ですから、地層の枚数が多いほど、たくさんの時間が費やされたに違いありません。その地層にはどれくらいの時間が織り込まれているのでしょうか。どれくらいのスピードで形成されるでしょうか。それらは、科学的に検証できるのでしょうか。このようなことについて考えていきましょう。
露頭に見えている地層だけが、本来堆積した地層のすべてではありません。露頭がなく地層が見えなくても、地下にも広く分布しているはずです。あるいは、もともとはあったものが、浸食を受けて、なくなっているはずです。なくなったものの復元は難しいですが、見えないものは地質学の手法を用いれば、推定することができます。
まずは、その地層に適切な、地層名をつけましょう。A層としましょう。その露頭のものと似た地層が、どこにあるかを調べます。近くから地質調査をして、そのA層の分布を調べていきます。分布がわかれば、地形図の上に、地層分布図(まだ地質図ではありません)を描くことができます。
地質調査では、A層の分布だけでなく、地層の構造(地層面の傾きと向いている方向や褶曲や断層、不整合など・・・)も、いっしょに調べていきます。A層の分布と地質構造を詳しく調査していくと、図学的な手法(地質図学と呼ばれます)によって、地層の3次元的な空間分布をかなり正確に求めることができます。
露頭で見えている地層の厚さ(層厚といいます)は、ほんの一部です。層厚とは地層の本来の厚さで、露頭で見ている厚さは、地層が傾いていたりすると、本来の厚さとは違って見えること(見かけの層厚)があります。地層の構造が分かれば、見かけの層厚にだまされることもありません。
地質図学の手法を用いれば、露頭がなくて見えないところでも、地下にある部分でも、本当の層厚を推定することができます。削剥を受けて、分からない層厚の部分ももちろんでてきます。しかし、現在ある証拠から現状の地層については、論理的に確実に存在する層厚(最小限の層厚)を見積もることはできます。
A地層の厚さは100mだ、ということがわかりました。幸い、すべての単層を確認できたとしましょう。単層は数えると、100枚ありました。平均層厚は1mとなります。せっかく単層の数が分かっているのですから、一番下の地層から順番に番号をつけましょう。
もちろんすべての地層が平均の厚さをもつわけではなく、さまざまな層厚のものがあるでしょう。平均は平均です。必要とあれば、統計的に偏差や分散を示せば、ばらつき具合を示すことができます。
A層内に、断層や不整合などの不連続がないとすると、その厚さは、たまったときのもともとの厚さを示しているでしょうか。古い時代の地層は硬い岩石になっています。ですから、軟らかい堆積物としてたまった地層が硬くなるとき(続成作用といいます)、粒子の間にあった大量の水が排出されて、圧縮されます。固結した地層の厚さは、もともとのもとよりかなり減ります。が、そのあたりのことは、ここでの議論とは関係がありませんので、省きましょう。
地層の溜まる時間やスピードを調べるには、時間を示す指標が必要になります。そのために、化石(相対年代といいます)や放射性年代(絶対年代)の手法が利用できます。今では、化石の年代と絶対年代はかなり密接に対応がなされていますので、時代を判別できる化石(示準化石といいます)が見つかれば、かなり正確に時代を決めることができます。
さて、A層のNo.20とNo.70の単層から、化石が見つかりました。その化石から時代を調べたところ、No.20が約10万年前のもので、No.70が約5万年前のものだったとしましょう。
5万年の間に50枚の地層が溜まったことになりますから、一枚の地層ができるのに、平均的には1000年かかっていることになります。もちろんこれも「平均」です。もし、地層がある一定のスピード(平均的スピード)で溜まっているとすると、地層が溜まるのにどれくらい時間かかっているかの見当がつけられます。
50枚の地層は、もともと100枚あった地層の半分ですから、A層は、100mの層厚がありましたから、100枚の地層がたまるのに10万年かかったと見積れます。
また、一枚の地層は平均すると1mの層厚ですから、それが溜まるのに1000年かかったことになります。地層の堆積スピードは、平均毎年1mmのスピードで溜まることになります。もちろん、これも「平均」です。
さて、ここでおこなった堆積スピードの推定は、正しいでしょうか。「平均毎年1mmのスピード」には、明らかな間違いがあります。
それは、一枚の地層が溜まる過程に、その秘密があります。地層は、毎年少しずつ溜まるのではなく、一枚の地層が一気に溜まるのです。このような地層の溜まり方は、特別なものではなく、砂岩から泥岩からできている地層の多くは、このようなでき方をしていることが分かっています。その典型は、日本でよく見られるタービダイト(乱泥流とも呼ばれる)と呼ばれる地層です。
タービダイトのような地層は、海底の土石流や地すべりのような激しい現象によって、一気に溜まります。数時間、あるいは数日で砂岩から泥岩までがたまります。数日などの時間は、地質学的には同時とみなせるほどの時間となります。
一層1000年という堆積の時間のほぼ「すべて」は、この地層と最上部の粘土岩と上の地層の砂岩の間に、「ある」のです。しかし、時間を記録しいてる物質は「ありません」。地質学的時間は、地質学的物質には、記録されていないのです。時間のすべては、物質的「無」に、宿っているのです。地層とは、事件や現象の記録です。「瞬間」の記録なのです。すべての時間は、無に宿るのです。
地層では、時間が物質に一定の割合で置き換えられているわけではないのです。大部分の時間は、物質には置き換えられていないのです。大部分の時間は、地層の境界に折りたたまれていることになります。
地層における時間と物質(堆積物)の対比関係は、複雑です。それを平均にしてしまうと、複雑さが見えなくなります。私は、そんな複雑さに興味があり、それを見たいのです。

・チャート・
タービダイトのような堆積物は、
上で述べたような成因を持ちます。
しかし、チャートとよばれる岩石は、
実は、時間と物質の関係が
1対1に近い関係を持っています。
チャートは、深海底に降り積もった
マリンスノー(プランクトンの死骸)の有機物が分解して
珪質部分だけが溜まって岩石になったものです。
ですから、チャートについては、
1000年で1mmなどという推定も可能となります。
私は、チャートにも、タービダイトに不思議を見ます。

・里帰り・
このメールが届く頃、
私は、京都に里帰りしています。
ちょうど祭の時期です。
高校を卒業して以来、
ふるさとの祭を見たことがありません。
その祭にあわせて里帰りします。
約30年ぶりです。
母からちょうちんを上げる役があるので
出てくれといわれています。
もう知らない人ばかりなのですが、
母にとっては、ここが生活の場なのです。
せいぜい親孝行しましょう。

2010年9月1日水曜日

104 Jupiter:一人じゃない

 今年の夏は暑かったので、時々高原に避暑にいきました。ただ涼みに行ったのではなく、まだ周ってないところを見てきました。そのときに、たまたま聞いていた音楽に心に残りました。音楽と心について、今回は考えてみました。


私は、現在、1年間のサバティカルで、愛媛県の山奥に滞在しています。そこでテレビもラジオもない生活を送っています。新聞もとっていません。土曜、日曜も関係なく、役場の総合支所内にある執務室に、朝から夕方までいます。
通常の生活を振り返ると、こんな一日を過ごしています。5時過ぎに起きて、朝食をとり、6時過ぎに自宅を出て、20、30分ほどかけて歩いて総合支所の執務室にいきます。そして一日、仕事をします。5時過ぎに執務室をでて自宅まで歩いて帰ります。帰宅したら、炊飯器をセットして、温水プールにいきます。7時くらいに帰ってきて、夕食の準備をして、食べます。食後しばらく休んだら、もうすることがないので、寝床に入り、眠くなるまで、本を読みます。
日常生活の時間と睡眠、プールの時間を除くと、24時間の大部分を研究に費やして過ごしています。淡々とした単調な研究生活を、一人で毎日繰り返しています。独身の研究者時代に戻ったようです。こんな生活に満足と幸せを感じています。
情報源や外部との連絡のために、インターネットにつながる環境だけは確保しています。そのインターネットを通じての各種の情報収集はできます。インターネットは使いようによっては、さまざまな使い方ができますが、現在の私のような一人の世界に篭って集中するという生活をしていると、情報を極力排除するという選択も可能です。自分の必要に応じて情報の入力量を調整できるのが、現在の環境の最大のメリットかもしれません。
ニュースはインターネットのニュースサイトのヘッドラインだけで充分で、必要に応じて詳細を見ればいいのです。テレビも北海道の自宅にいるときは、時間つぶしもかねて結構な時間、見ていましたが、こちらに来てまったく見なくなりなりました。
ただ娯楽として、音楽や映像を見たくなることがあります。そんな時、YouTubeなどの動画サイトをみます。検索すれば、たいていの見たいものがあります。このごろは、昔聞いていた懐かしい歌手の映像をみることが多いです。
話は変わりますが、先日、天狗高原というところにでかけました。天狗高原は、私が住む町にある大野ヶ原の東延長にある高原で、カルスト地形をみるにはいいところです。高知県(津野町)と愛媛県(久万高原町)の県境になります。ある朝、青空が蒼く、ついつい天気に誘われて、急遽、天狗高原に出かけることにしました。
数年前ですが、天狗高原にある天狗荘に、家族で泊まったことがあります。しかし、あまりじっくり見ることなく、そのまま四万十川の源流に向かって、山を降りてしまいました。今回は天狗高原をじっくりと見ようとしました。以前にはなかったセラピーロードという散策路が、新たに(2007年より)にできていました。その道を1kmほど歩いたのですが、なかなかいいコースで、山頂からの道とも交わっているようです。4km以上もコースがあり、ルートもいくつかあります。
下界は残暑がきびしいのですが、1000m以上の標高のところにくると、すがすがしい気候です。支所を出たときには晴れていたのですが、天狗高原に来ると、残念ながら、雲がかかってしまいました。山の天気は変わりやすいものです。少々残念で、心残りですがしかたがありません。
天狗高原は、ススキの穂が出はじめていました。そろそろ秋が始まっていました。非常に心地よいところなので、また来こようと思いました。秋が深まったら、今度はじっくり歩きに来くることにしましょう。
天狗高原を車で走っているとき、ある曲を流して聞きました。いい曲だと思いましたが、以前に感じたとの同じ心持ちには、なぜか、なれませんでした。そんな心持ちになりたくて、かけた曲だったのですが。
天狗高原に出かける1週間ほど前に、市内の最高峰の山に登るために大野ヶ原に出かけました。そのとき車で流れていた音楽が心に染みました。ついつい何度もリピートして聞いてしまいました。いつも車で流れる曲は、自分で選んだものです。ですから知っている曲ばかりで、その曲ももちろん何度も聞いたことがあります。なのに、その時、なぜかある曲にだけ、聞き入ってしまいました。
その時流れていたのは、平原綾香さんの「Jupiter」という曲でした。たまたま大野ヶ原の高原の心地よい道を走っているとき、その曲の出だしの「Every day I listen to my heart 一人じゃない」という歌詞が、どうしたことか、心に深く入ってきました。毎日一人で生活をし、一人で研究に向かい、一人で調査も出かけていきます。なのに「一人じゃない」という歌詞が、心に飛び込んできたのです。そうです。一人で生きているようですが、一人で生きているわけではないのです。
今まで、この曲の歌詞をあまり深く考えずに聞いていたのです。この曲は、数年前に流行ったので、多くの人が知っているはずです。私も聞いていました。しかし、フォルストの組曲「惑星」の「Jupiter」に歌詞をつけたということと、広い音域を歌っていること、などついつい話題の部分に注目してしまい、その音楽の中身を聴くことをしていなかったのでしょう。それまで歌詞をじっくりと聴いたことがありませんでした。
なによりそれを聞いていた私の心理状態が、その音楽の歌詞を聴く状態で、なおかつ受け入れる状態になっていたのでしょう。何度も繰り返し聞くうちに、その曲にはいい言葉がちりばめられていることに気づきました。もっと、はやく気づくべきなのかもしれませんが。
天狗高原は、大野ヶ原と連続していて、似たようなカルスト地形の高原です。景観としては、似ています。大野ヶ原以上にカルスト地形が広がっていて、壮大です。そんな天狗高原で、同じような気分を味わいたくて、その曲を聴いたのですが、なぜか同じような心持になれませんでした。
周りの環境を整えたしても、同じ心境に達せなかったのはなぜでしょう。
このエッセイを書くために、YouTubeで平原綾香さんの歌うJupiterをいく種類か聞きましたが、いい曲であることはわかるのですが、同じ気持ちにはなりませんでした。唯一似た気持ちになったのは、Jupiterの音楽を聴きながら、歌詞をディスプレイに表示して読んだときでした。その理由は、いまだに分かりません。
このエッセイでは、心の問題を何度か取り上げていますが、心はなかなか難解で、私の手に負えないものです。ちょっとしたことをきっかけに、心が大きく波打ったり、いつもと同じものが、心に大きく響いたりすることがあります。逆にどんなに努力しても、心が応えてくれないこともあります。今回もそんな経験でした。心とは、私にとっては、御しがたい不思議な存在です。
この1年間の目標としていることを達成するために、集中し、努力し、毎日、四苦八苦しています。そして、当初計画していたように、論文を書きだめること、四国の地質を広域調査すること、町内と近郊の調査をすることに精進しています。その目標を達成するために、可能な限りの時間を集中するために、一人で過ごすことが多くなります。傍目には、淡々とした単調な時間が過ぎているように見えます。一人で生活をしているように見えます。しかし、実は多くの人の影響を直接、間接に受けて生活しています。人が、生活をし、生きていくのは、「一人じゃない」ことを痛感させます。
そろそろサバティカルの折り返し点となります。サバティカルの目的を達成し、夢に近づきましょう。その遂行が、私の人生設計の中で重要な部分を占めていくはずです。自分の力を信じて、今日も淡々と生きていきましょう。
「夢を失うよりも
悲しいことは
自分を信じてあげられないこと」(Jupierより)

・ポータブル・カーナビ・
車は借り物で、カーステレオはついていますが、
カセットですので聞くことができません。
ラジオも付いていますが、山奥なので電波が入りません。
私の持っているポータブル・カーナビは
音楽も流すことができます。
8Gbのメモリースティックに
大量の音楽データ(MP3形式)を入れています。
ポータブル・カーナビは
SONYのnav-uシリーズのNV-U35です。
このカーナビは、なかなか便利で、
歩くときも自転車でも使えます。
地図も最新版が入っています。
なんといっても私が一番便利に感じているのは、
GPSのトラックデータをメモリーに
保存できることです。
そのデータをパソコンに取り込んで、
地図で表現することができます。
調査のときは一応ハンディGPSも車に置いて
併用していますが、
もう車では必要ないかと思っています。
このカーナビは、なかなか便利です。

・ノスタルジー・
私が子供の頃にはじめて聞いた音楽は
当時流行ってきた歌謡曲です。
そのころの歌手を映像として
YouTubeでみることもできます。
思春期を過ごしたころのアイドルの映像も
YouTubeで見ることができます。
フォークソングやロックも聴くこともできます。
そんな古い映像をみていると
ノスタルジーに浸ってしまいます。
ただ、私と同年代や前後の世代の歌手ばかりなので、
最近の映像をみると、その高齢化に驚いてしまいます。
もちろん自分も同じように年をとっているのですので、
お互い様です。
月日の流れは止めることはできません。
有効に使うのみです。

2010年8月1日日曜日

103 先見性:地質学の巨人

 夏休みになると、お盆近いせいでしょうか、この時期にに死んだ人をついつい思い出します。一人は指導教官の死、もうひとつは今回紹介する地質学の巨人、都城秋穂氏です。今回は、都城氏の業績の一部と私とのかかわりを紹介します。


 私は、大学院生の頃、DSDP(深海掘削計画:Deep Sea Drilling Project)のデータを集めていました(このような作業をcompileと呼ばれます)。DSDPの分厚い報告書が大学の図書室にあり、目的のデータがないか探すために、すべてに目を通しました。DSDPの初期のころは、火成岩のデータも少なく、苦労して本を見た割りにデータが少ないなという思いと、データ処理の手間はそれほどかからないで楽だなという相反する気持ちがありました。その後、海洋底の火成岩に関して大量のデータが出るようになったころには、データ収集はやめていました。
 では、なぜ、その頃データを集めていたのかというと、学生から院生のころにかけて、オフィオライトというものを研究テーマにしていたからです。オフィオライトとは、過去の海洋地殻を構成していた岩石群が、陸上に持ち上げられたものだと考えられていました。もちろん、最初からオフィオライトが、昔の海洋地殻だとはわかっていたわけではありませんでした。20世紀中ごろ以降になっ海洋底の岩石に関する情報がでてきたので、やっと認識されてきました。
 オフィオライトが岩石群だといったのは、一種類の岩石ではなく、何種類かの岩石からできているためです。まず一番下には、カンラン岩(オフィオライトでは蛇紋岩になっていることが多い)があり、斑レイ岩、岩脈群(玄武岩からできている貫入岩)、枕上溶岩(玄武岩)、そして一番上にチャートがセットになっているものです。このような岩石が、順番にきれいに重なっているのではなく、あちこちが断層で切られています。ひどくばらばらになったり、欠けている岩石があるものは、ディスメンバード(dismembered、分割という意味)・オフィオライトと呼ばれています。
 私が調査していた北海道の日高も岡山の井原もディスメンバード・オフィオライトでした。
 オフィオライト(Ophiolite)の「Ophi」は「蛇」のことで、「lite」は岩石につける語尾です。「Ophi」は、オフィオライトで一番特徴的な岩石は、蛇紋岩でした。蛇紋岩は、日本語ですが、岩石の表面が蛇の模様のように見えることからつけられた名前です。
 19世紀にブロンニャール(Brogniart, A., 1813)がアルプスの蛇紋岩や輝緑岩(変質した玄武岩や粗粒玄武岩のこと)に対して、用いた名称です。その後、20世紀初頭にシュタイマン(Steinmann, G., 1927)は、蛇紋岩、枕状溶岩、チャートを3つを含んだ岩石群をオフィオライトと呼びました。このような3種の岩石を「シュタイマンの三つ揃」(Steinmann's trinity)と呼ばれていました。
 そのようなオフィオライトが、世界各地から見つかっていました。私が学生のころ、日本で一番はっきりとオフィオライトであることが示されていたのは、石渡明さん(現在東北大学教授)が調べられた京都府の夜久野オフィオライトでした。私は、修士論文でその西の延長にあたる岡山の北の井原で調べることになりました。そして、対比するために、石渡さんの試料をいただいて、分析をして年代を決めて、共著の論文も書いたこともありました。
 その後、日本でも、いろいろなところからオフィオライトが認識されてきました。いろいろ研究が進むにつれて、オフィオライトの位置づけが変わり、オフィオライト=海洋地殻を強調されることが、あまりなくなってきました。
 私がオフィオライトの研究を始めたとき、都城氏の記念碑的な論文がでていました(Miyashiro , 1973)。
 私は、大学4年生から卒論に取り組むとき、卒論の野外調査の場所が、日高山脈西縁のオフィオライトだったので、重要な関連があるとして、指導教官に読むようにいわれた論文でした。都城氏の論文とそれに関連するものを、自分なりに総括して、ゼミで発表しました。ですから、非常に都城氏とトルードスが非常に印象に残っています。そして、都城氏の先見性にも、その科学に対する姿勢にも感銘を受けました。そしれ彼の書いた書籍や論文を注目して読むようになりました。
 当時世界でも研究が進み、典型的なオフィオライトとされていているものがいくつかありました。カナダ、ニューファンドランドのベッツ・コブ(Beds Cove)のオフィオライト、キプロス島のトルードス(Troodos)のオフィオライトなどは、有名で海洋地殻と対比もなされていました。
 ところが、都城さんはこの論文で、オフィオライト=海洋地殻という当時の常識にとらわれることなく、化学組成の観点から見ました。すると、トルードスのオフィオライトは、化学組成からは海洋地殻ではなく、列島(地質学では島弧と呼ばれています)周辺の火山活動、たとえば縁海(島弧の沈み込み帯とは反対側にある海)ようなとことでできたと考えた方がいいという主張をしました。
 化学組成は、マグマができた形成場の特徴を反映することが、現在では「常識」になっていますが、当時はまだそのような考えをオフィオライトに適用する研究者はあまりいませんでした。しかし日本列島の火山をよく知っていた都城氏は、トルードスのオフィオライトの火山岩の化学組成を見たとき、3分の1は島弧固有の化学組成(カルクアルカリ岩系と呼ばれている)を持っていたり、小笠原諸島のような出来たての島弧(未成熟島弧)にでる特異な岩石(ボニナイトと呼ばれている)が、トルードスでも見つかっていることに気づきました。
 化学組成で形成場を識別するために、いくつかの指標の成分を軸(三角形の頂点にすることもあります)にして、形成場の領域として区分されます。今では「地球化学的判別図」とよばれて、ごく普通に使われているものです。図の作り方は、現在活動中の地質学的に特長のある形成場(海嶺、海山・海洋島、成熟した島弧、未成熟な島弧、縁海、大陸内火山など)の化学分析値を集めてプロットして、典型的な区分ができる成分の組み合わせを見つけます。そして、そこにオフィオライトのデータをプロットして、どのような形成場になるかを見極め、その類似性からオフィオライトの形成場を判別するものです。
 都城氏は自分で独自の判別図を考え出し、トルードスのオフィオライトが、中央海嶺の火山岩ではなく、島弧のものに似ていることを主張しました。非常に論理的で、今でも当たり前の主張なのですが、世界中から反論が続出しました。しかし、都城さんは、それらに対して、孤高に反論をしました。10年近くにわたって(今も反対の人がいます)、多くの人が反論しましたが、徐々に都城説を支持する人がでてくるようになりました。
 現在では、トルードスは、未成熟な島弧でできたとされています。さらに、オフィオライトの多くは、沈み込み帯の上で形成された島弧に関係する火成活動によってできていることが、研究者の認識になってきています。都城氏は、その現世と過去の類似性によって成因を判別する手法を、世界に先駆けてオフィオライトに導入したのです。
 「地球化学的判別図」という方法論は論議学的には正しとはいえませんが(帰納法の真理保存性)、経験科学としては実用的な方法です(自然の斉一性の原理)。都城さんの先見性は、すごいものだったのです。そして、都城氏の科学に対する信頼、信じた結果に対する信念、そしてそれを主張する勇気は立派です。
 都城氏は、2008年7月22日に自宅のあるオルバニー市郊外のサッチャー公園を奥さんと散策中、写真を撮りに出かけたまま帰ってこられませんでした。捜索した結果、崖から転落してなくなっておられたことが、24日に明らかになりました。当時87歳でした。
 死後都城氏のパソコンから遺稿が発見されました。その遺稿は「地質学の巨人 都城秋穂の生涯」という3巻の本にまとめられます。3巻のうち2巻は既刊ですが、3巻目の「戦後日本の地質学の軌跡」が現在編集中です。
 都城さんは、1967年から、コロンビア大学そしてニューヨーク州立大学に勤務されました。オフィオライト以外にも都城氏の偉業は枚挙に暇がありません。詳細は、上述の本に譲ることにします。
 私は、都城氏にはお目にかかったことがありません。ある研究所にいたとき、都城さんも滞在されていたことがあったのですが、会うことなくすれ違っていました。今思えば残念なことでした。彼のような知性も能力もないので、まねをすることできませんが、せめて科学に対す真摯な姿勢だけは学び、実践したいものです。
 夏休みになると都城氏のことを思い出すようになりました。

・死を越えて・
都城氏とは面識もなく、
論文や著書を私が読むだけの一方通行でした。
2年の歳月が流れて、今彼の遺稿集を手にして、
この文章を書きました。
はじめに書いたもう一人の死とは、
修士課程時代の指導教官で
その後もずっと恩師であった田崎耕市氏です。
以前そのことについては、
エッセイで書いたことがあります。
田崎氏は、2002年8月19日に亡くなられました。
数えると22年に及ぶ付き合いでした。
家族づきあいをしていましたが、
今は、それも途絶えています。
死者を思い出すのはつらい反面、
彼らとの生前の思いでや生き方、
私との約束、そして私が心に誓ったこと
などをいろいろと思い出します。
そんな身近な人の死が、
歳を経るともに増えてきます。
彼らと培った多くの記憶が
私自身の経験の厚みとなっているのでしょう。
残された者は、彼らの死を糧にして
生きていくべきなのでしょうね。

・夏休み・
この文章が皆さんのお手元に届く頃、
私は、夏休みで北海道にいます。
移動は飛行機ですが、
夏休みは料金が高く、
好きに時期を選ぶことができません。
お盆をはずして、子供たちの夏休みの期間として、
7月末から8月上旬になりました。
この頃は北海道も暑く、
北海道のよさがあまり味わえないかもしれません。
電話やメールでは連絡していても、
久しぶりに家族と会うのは、楽しみです。

2010年7月1日木曜日

102 可能性と挑戦:心から石を楽しむ

 新たなことに挑戦するのは、結構、覚悟がいります。しかし、挑みさえすればなんとかなるという可能性が保障されていれば、挑戦する勇気がわきます。挑戦しなければ、成果も達成感、満足感もありません。たとえ失敗に終わっても、挑戦しない後悔より、結果への後悔のほうが諦めがつきます。私は、なんとかなるという可能性を信じています。それは、可能性を信じた挑戦の経験が何度かあるからです。


 6月上旬、吉野川の上流を調査しているとき、非常に心地よい川原がありました。
 吉野川の上流は、南から北に三波川変成帯を縦断して流れ、やがて中央構造線にぶつかり東に流れを変え紀伊水道の海に出ます。三波川帯を流れる吉野川は、険しい山の中を流れています。道路は切り立った崖の中腹を縫うように走っています。道路から川原まで、かなりの高さがあります。しかし、ところどころラフティングや生活のためでしょうか、川原まで降りる道ができています。そんな道を伝って降り立ったところにその川原はありました。そこは、昼食も兼ねて、調査をするために降りた川原でした。平日の昼間、快晴の川原は、日差しは強かったですが、川風がふき、非常の心地よいところでした。三波川変成岩の露頭に腰をかけ、きれいで心地より冷たさの水で手を洗い、2時間ほど前にコンビニで買ってきた、おにぎりと生ぬるい飲み物で昼食をとりました。そのおいしさは格別でした。
 同じような心地よさを、5月に四万十層群が出ている高知県の海岸ぞいでも味わいました。
 そこは、長い砂浜が広がる海岸でした。日差しが強く、5月だというのに、汗が湧き出るような暑さでした。砂浜の右手の方に、目指す四万十層群の露頭がありました。ウミガメが産卵をするようなきれいな砂浜を一人歩きながら、露頭に向かいました。歩いている途中で、小さい川が伏流したものが海岸沿いで再び流れができていました。そこでは、染み出した水が作る流れの模様や漣痕(リップルマーク)ができたりしていました。水の流れがつくる模様は、以前火星の河川の跡と似ているように思え、なかなか興味深いものでした。そして、磯の露頭にたどり着くと、直立した四万十層群の地層がありました。それを観察しながらも、足元のシェルサンド(貝殻砂)に目がいきます。そんな暑い海岸で非常に心地よい満足感を得ました。
 以前、地質学の成果を上げるために野外調査をバリバリと行っていたころは、興味の中心は、露頭の岩石であり、なぜそこにその岩石があるのか、その露頭から何が読み取れるのか、ここ地質学上の問題で何が重要なのか、などなど科学的興味を中心に考えることで頭が一杯でした。もちろん、それはそれで、私自身は、石に興味を持ち、石を見ることを楽しんでいたのです。
 そんなころの私が、この川原で昼食をとっていたとしたら、砂浜を歩いていたら、どんな気持ちでいたことでしょうか。多分、心地よさを感じるよりも、好奇心の方が勝っていたことでしょう。あれこれと地質学的興味に思いをめぐらしながら、昼食をとるのもまどろっこしく感じながら、あるいは長い砂浜と暑さに厭厭としていたことでしょう。一刻も早く露頭に張り付きたいと思っていたことでしょう。
 大学生時代、地質学を目指す前は、山登りが好きで、一人で山にはいっていました。難しい山を登るのではなく、人気のない低山を、一人で登ることを好みました。また、帰省すれば、神社仏閣などの観光地を一人で巡っていました。山に登りながら、観光地を巡りながら、いろいろと自然を眺めは楽しんでいました。
 地質学を目指すことを決めて、学部の専門教育を受け、野外調査の手ほどきを受け、実際に地質調査のために野山に入るようになりました。趣味の山登りから、目的をもった野外調査へと変わり、趣味で山登りなどしなくなりました。目的もなく山を歩くなどという余裕はなくなりました。卒業論文を書く4年生になると、テーマを持ちひとりで野外調査をするようになっていました。修士課程で研究を続けるころには、露頭は研究素材であり、地質学的情報を読み取るべき対象となっていたのです。それでも、山に入ると自分の居場所に来たように、ホッとするような心持になるようになっていまた。
 地質学に専念していたころ、山の崖っぷちの道で、片方に崖があり露頭があり、他方には雄大な景色が広がっていたとしら、興味はもっぱら崖に向かっていました。自分でも不自然な興味だなと思いながら、学術的好奇心には勝てず、崖の石を見ていました。
 そんな好奇心むき出しの志向を持つようになるまで、2、3年で歳月ですみました。そして、そんな好奇心を持って、研究者生活を長年続けていました。
 その後、地質学プロパーの研究テーマをやめることにして、現在の大学に職を選びました。自然をしっかり感じること、そこから深く考えていくこと、そして感じ、考えたことを人に伝えることをライフワークのテーマに定めました。そのために努力を重ねて、上で述べたような心持ちになるには、4、5年以上かかりました。それ以前は、博物館に11年間勤務していたのですが、そこで子供たちに素直に自然に触れるということが重要である説いていました。説きながら、自分にはなかなかできないという思いがあり、ジレンマも感じていました。そんな緩衝時間も入れると、自然回帰には、10数年の長いリハビリ期間が必要だったことになります。
 若い時代に新たな道を歩みだし、その道の専門家になるためには、数年で大丈夫でした。集中的にのめり込めば、心もそれに伴って比較的短時間で変貌できます。
 年をとるとともに、新たな道へ進み、その道の専門家になることは、要領を得ているせいでしょうか、決心さえすれば、数年でできます。
 自分の体験がいくつかあります。鉛の同位体分析ができる実験室を独自に作り上げるというというので、ゼロからスタートしたのですが、3年で非常に精度のよい実験システムを作り上げることができました。
 ある業者から廃棄物に関する相談を受けたことがあります。それを調べていく過程で面白いことがいくつか分かり、廃棄物学会に急遽入会し、学会での発表と雑誌への論文投稿をしたことがあります。まった違った分野ですが、今までの地質学の岩石学を利用したある廃棄物への考察となりました。それが真新しかったのでしょうか、発表後、いくつかの企業の方々が来られていろいろな質問を受け、名刺をもらいました。地質学の学会では発表への質問を公の場で受けることがありますが、企業の人から個別に質問を受けることはめったにないことで少々戸惑いました。しかし、それなりに関心を引いた内容だったのでしょう。これは、ほんの1年ほどの出来事でした。
 そのような経験から、興味が持ち、集中して取り組めば、ある程度の成果を出すようになるには、それほど長い時間は必要ないということがわかってきました。どんなに年をとっても、新たな道を志し、成果を上げることが可能であるということです。
 ただし、理性ではなく、心からそれが味わい楽しめるのには、もしかすると長い時間がかかるかもしれません。でも、それとても、時間さえかければ可能であるということです。
 このエッセイで私がいいたいのは、これなのです。興味を持てば、どんな道にでも、いくつになっても進むことができ、そして成果を上げることが可能であるということです。そして、少々時間がかかるかもしれませんが、それを心から楽しめるようにもなるということです。この可能性さえあれば、それをよりどころに、人は新たな挑戦ができます。もちろんそれは10年単位の作業となります。それなりの決意、決心で望まなければなりません。でも、可能性は誰にでもあるのです。
 ライフワークのように今後の生涯をかけて何かをしたいと願うとき、どのような姿勢がいいかわかりません。必死に死にもの狂いで、ライバルに負けないようにする人もいるでしょう。成果を上げること、名声・評価を得ることに、重点を置いている人もいることでしょう。私は、できるなら、仕事は、楽しんでやりたいと思っています。もちろんすべてが楽しいはずはなく、つらいことの方が多いことも分かっています。でも、楽しいと思える瞬間があれば、たとえリタイヤしても、ずっと続けられるはずです。そんなライフワークでありたいと思います。
 三波川変成帯の吉野川の川原で、心地よく、泥質片岩の露頭が見られました。また、川原には上流から来たであろう転石の緑色片岩、砂質片岩、まだ変成度の低そうな火成岩類、堆積岩類もありました。そんな種類の違う石を露頭の泥質片岩の上に置いて、楽しみながら写真を撮ることもできるようになっていました。
 また、少し上流の大歩危の川原で面白光景を見つけました。雨によって流れた小さな流木(地質学者は全く注目しません)が川原にあり、その向きが、増水したときの流れそってきれいに並んでいました。そんな流木の並びを美しい、面白いと思えました。
 私は、地質学を背景とした立場は守っていますが、いろいろな分野にテーマや興味を変えてきました。そしてそれぞれのところで、心から楽しさを味わえるようになるすべを学んできました。しかし、今回のライフワークへの道はなかなか険しく長いものです。やっと心は向いてきたのですが、成果がなかなかでません。そんなとき、地質学プロパーへの名残や憧憬が湧くことがあります。しかし、選んできた道ですから、後悔はありません。願わくは、選んだ道で成果を少しでも残したいと考えています。

・心地よかったところ・
今、その心地よいところを
写真でみてみると、
特別変わったところではなく、
どこにでもあるような川原、海岸でした。
私のその時の心持ち、天候、体調、
そしてその場所がなんらかの作用をして、
心地よいという気持ちを、生み出したのでしょう。
参考のために、ホームページにその付近の画像をつけておきます。
気になる方は覗いてみてください。

・帰京・
このエッセイが出ることは、
私は京都にいます。
里帰りをしています。
四国から京都は半日の行程です。
時間でいえば、北海道の自宅に帰るのと大差ありません。
しかし、料金は、半額以下で帰れます。
なかなか実家に帰る機会がないので、
今年ぐらいは、何度か帰ろうと考えています。
そして、学生時代にしたように、
観光地の神社仏閣を巡りたいと考えています。
もちろん、地質がらみになる部分は多々ありますが、
仕方がありません。
好きな道ですから。

2010年6月1日火曜日

101 田舎暮らし:実物と仮想

 現在、田舎暮らしをしながら、研究をしています。田舎暮らしの潤いの中で、ふと考えることがありました。おじさんバンドの懐かしい音楽をきっかけに、昔好きだった音楽の動画を見ました。そのとき、実物と仮想ということについて考えました。


 私は、今、田舎暮らしをしています。研究休暇ですから、田舎暮らしは手段であって目的ではありません。一番の目的は、研究することです。私は、この1年間の研究休暇にライフワークの骨子なるものを、つくり上げたいと思っています。そのために重要なのは、深く考える姿勢だと思っています。そんな気持ちで、私の日常生活を振り返ってみました。
 私の田舎暮らしは、日常的には自宅と職場(旧役場)の往復、そしひて夕方は、温泉プールで風呂を兼ねてひと泳ぎすることです。自宅では、寝ることと食べることなど、生活の基本的な部分だけをしています。まあ、日常生活といっても、研究を中心にするために、そぎ落としたものとなっています。大部分の時間は、職場で過ごしています。
 ちなみに、現在の生活ではテレビもラジオも持っていません。新聞も取っていません。自宅では、食事をして、あとは本を読みながら寝るだけです。夜9時には床に入っています。そして朝は4時か5時には目がさめて、また読書をしてから5時半ころ起きて食事をして6時過ぎに自宅を出るという、実に淡々とした生活をしています。でも、はこんな生活は、苦でもなく、快適です。私には、田舎暮らしが合っているようです。
 新聞はとっていないのですが、昼食が外食なので、そのとき店で読んだり、インターネットのニュースを見たりしているので、最新のニュースはそれなりに知っています。私は、テレビやラジオ、新聞がなくても過ごせます。逆にテレビやラジオをだらだらと見らり聞いたりしないので、時間が有効に使えるような気がします。
 でも、人間ですから息抜きも必要です。私の息抜きは、よく出かける野外調査と町の行事や、付近の名所を見て回ることです。
 先日行った祭の会場では、アマチュアのおじさんバンドのコンサートが行われていました。身内や友人は聴いていましたが、他の客は少し聞いては別のところを見に行ってました。彼らが歌っていた曲は、昔、よく聞いた曲で非常に懐かしい思いをして、私は長らく立ち止まって聞い入っていました。彼らをおじさんバンドと呼んだのですが、彼らと私は同世代で、自分も年をとっていることを感じさせます。
 音楽というのは不思議なものです。ある曲を聴くと、心が震えような思いがこみ上げたり、音楽があった時代の情景やその曲をよく聴いた友人などの記憶が沸き起こっています。音楽はいいですね。そんな昔の音楽や映像も、今ではYouTubeなどで見たり聞いたりすることができます。たとえそれがあまり上手でなくても、映像や音はそれほどよくなくても、心にしみることがあります。ふとした折にそんな映像を見ます。また、以前にデジタル化してあった音楽をパソコンやMP3プレイヤーで聞くことがあります。自宅と職場の間の山道の2km弱を歩いているのですが、そのときはMP3プレイヤーで音楽やPodcastを聞いています。アナログでもデジタルでも同じような感動を受けます。しかし、デジタルの便利さを田舎暮らしでは最大限に利用しています。
 今や電話回線(私はDOCOMOのデータ通信カードを使用)とIT機器さえあれば、都会でなくても、変わらない情報が手に入ります。買い物もインターネットを経由して、本も商品もたいていのもは手に入れることができます。外国からの買い物さえできます。最新の情報や商品が得られるとすれば、私のような田舎暮らしのほうがいいのかもしれません。
 ただ、問題は、実物を見ずに買うことになり、本などは思っていた内容と違っていたりすこと、あるいは以前購入していた本をタイトルをうろ覚えだったので再度買ってしまうということなどもあります。私の場合、本でよくあります。ひどいとき同じ本を3冊も買っていました。もうその本は読んでいたのにです。
 ですから、実物を見ずにバーチャル(仮想)だけの情報に頼りすぎるのもよくありません。特に自分の専門分野の地質学だけでは、野外の露頭で実物あるいは野外での体験、実感というものを重要だと思っています。そのために野外調査をしています。
 実物はすたれることのない重要性があり、仮想は非現実的で危ういところがあるのではないかと考えてしまいます。このような実物と仮想に対しする考え方は、多分、多くの人も持っているのではないでしょうか。
 でも、少し考えるとわかるのですが、言葉としては「実物と仮想」の対比は歴然としてあるのですが、実際はそんな単純ではないことが分かります。仮想と現実の境界がどこにあるのかは、非常に曖昧ではないでしょうか。
 たとえば石が出ている露頭は、実物です。それは人間の意志や意図とは関係なく存在します。では地質学者が露頭記録のために、試料を採取し、露頭をスケッチ、カメラで記録したとしましょう。試料は後に実験室で薄片にして顕微鏡でみたり、化学分析をしていきます。
 露頭は実物で、自然のままのものです。それを地質学者はある目的で調べているわけです。露頭こそ自然の実物そのものです。では標本は、露頭の一部ですが、すべてではありません。また、地質学者が採取するものですが、目的に基づいて標本をとります。ですから、自然そのものではなく、意図された切り取り方をされた実物となります。
 地質学者が行うスケッチは、手書きですからアナログ的ではありますが、実物ではありません。地質学的情報が中心となり、自分の目的にあったものをみて、それを中心にスケッチされます。目的になくても、大きな構造などは記入されるでしょうが、小さな構造、目的に沿わないものは、たとえ見えていたとしても、スケッチには残さないことがよくあります。こんな目的にそった間引きしたスケッチは、仮想の範疇に入りうると思います。
 デジタル写真はどうでしょうか。露頭を機械的に忠実にデジタル化したものです。最終的に、0と1に変換された情報となります。デジタル写真とアナログカメラでとった写真は一見すると違いがないのですが、もとをたどると違うものです。アナログ写真を拡大していくと、だんだん像がぼやけていきます。
 一方、デジタル写真は、パソコン画面で拡大していくと、最終的にぎざぎざの一つの色のついたドットとなります。ひとドットの色情報を0と1の連なりで記録しているわけです。そんなドットを見ていたら仮想にしか見えません。
 アナログ写真もデジタル写真も記録手法や原理は違いますが、自然から明らかに情報を抽出しています。抽出という点で言えば、スケッチも同じです。試料も、露頭からの抽出という作業を経ています。その試料から得た薄片、分析値は、非常に高度な抽出作業を加えたことになります。
 そんなことを考えていると、自然のもの、実物から少しでも抽出作業をすると、もはやそれは実物とはいえなくなる、という解釈ができます。その一線は重要でしょう。でも、地質学をするには、自然の中で自然を自然のまま受け入れてばかりいては研究は進みません。上のいったような抽出をして、抽出した情報から、その露頭はどのような起源、履歴があるのかなどを調べることができます。自然(露頭)から抽出した情報から、その自然の素性を調べることになります。そして、自然の深い理解につなげていくわけです。
 自然としての露頭は、厳然とした自然といえるます。そこから人間がなんらかの意図をもって情報を抽出したら、それは仮想化になるとみなせる。人間の能力が限られているので、抽出した情報からしか自然の本質が見抜けません。仮想化は、仕方がないプロセスなのかもしれません。
 実物は重要です。しかし、実物からの抽出の仕方や、抽出した情報も、実物の理解のためには、必要不可欠です。人間にとっては、両方とも優劣の付けがたい重要性があります。自然だけが大切で仮想はよくないという主張は、人間の本質を理解していない不自然なものといえるかもしれません。
 さて、私が接している田舎暮らしは限りなく実物的です。一方、IT化された生活も送っていますが、それは限りなく仮想的です。おじさんバンドのアナログ的な音楽に感動して、インターネットの動画やMP3プレイヤーから昔懐かしい音楽をデジタルで聞いて懐かしんでいるのです。どちらも私の日常生活です。そのんな日常生活を背景にして、いろいろなことを考えている日々です。

・臨場感・
このメールマガジンが届くころ
私は1週間ほど野外調査の最中です。
この調査も、実物からの仮想化作業となります。
しかし、私の野外調査において忘れてはいけないのは、
自然の中でしか味わえないもの、
臨場感、実感、体感を
実物や野外から味わうことです。
そんな繰り返しは、
自然から逃れることのできないはずの人間が
IT化の波に飲み込まれないための
ささやかな抵抗なのでしょうか。

・変わることを受け入れる・
私が若いころに聞いていた音楽は
フォークソングでした。
そのころの歌い手が今も歌っているのは
幸せなのかもしれません。
なぜなら、同じ時代の空気を味わったものとして、
共感できるなにかを
彼らから感じることができるからかもしれません。
長い年月のうちに、彼も変わっていきます。
あるときはその変化を受け入れることができず
離れたこともありました。
でも、何らかのきっかけに
また受け入れることができます。
彼らは、同じ曲でも、昔と今とでは違った歌い方をしています。
これは私が変わったからでしょう。
人間は変わるものです。
その時々で感じることも変わってきます。
その変化を受け入れ、
その変化を再度周りを見なおすると、
違ったものが見えてくることを
彼らから教わりました。

2010年5月1日土曜日

100 検証不能の過去を分ける:自然分類

 現在、論文を書いています。生物と石の分類についての論文です。この論文は、実は地層形成についての総説を書き進めていると、内容が多くなってきたので、いくつかのパーツに切り分けていったとき、生じたものです。石の分類と生物の分類は、このエッセイでも何度か取り上げたことがあるのですが、一見全く違った対象であるかに見えます。しかし、両者は同じ自然分類を目指すものです。その先にあるのはやはり人為分類なのです。

 石と生物は、無機物と有機物、生きてないと生きている、硬いと柔らかい、などなど、いくつもの違いを挙げることができます。しかし、分類を考える場合、なんといっても一番の違いは、各分類群に、明瞭な境界があるかどうかです。生物は種という明瞭な境界があるのに対し、石は境界が不明瞭です。
 生物はどんなに姿、形、模様が似ていようが、種が違えば別物(別種)になります。種の判定は、子孫を残せるかどうかで、確実に判別可能です。種こそが、生物における分類のための本質的な属性となります。
 種の判別のための基準(生物の種の定義)はあるのですが、それを適用するのは、栽培種や飼育種でない限りなかなか困難ですから、実際には、形質を利用して区分されていきます。
 生物の種を認定するとき、似た種と詳細に比較して、色や形態(形質といいます)を、顕微鏡をも使って調べていきます。その上で新種という分類が決定されていきます。まあ、これは分類にいたる便宜的な方法として活用されていますが、種は、人間が間違いを犯そうが、どんな分類をしようが、ア・プリオリに(a priori、先験的に)存在するものなのです。生物の分類において、種こそが、本質的属性として着目すべきものです。
 生物の色は、区別はなかなか難しいです。ただ、色だけを手がかりにすることはありませんし、色見本を使えば、なかり細かく識別して客観的な区分は可能です。形態も言葉では表現しづらいですが、スケッチや写真を利用すれば、その特徴を示すことは可能です。
 生物は、できるできないに関わらず、種の判別方法として、子孫を残せるかどうかという決め手があります。どんなに便宜的に形質によって分類しているといっても、定義の上での決め手がありました。本質的属性として種が、そもそも存在しているのです。人間には見分けられないかもしれませんが、同種同士の生物は見分けて、子孫を残しているのですから、種はあるはずです。
 石を分類するとき、一番目に付く特徴である形や色を手がかりにしようとするのは、あまり適切でありません。なぜなら、石の形や色は、形成後、変化してしまうことがあるためです。色や形は簡単に変化してしまい、石の本質的な属性とはいえないからです。分類するのであれば、石の本質を示しているような属性を見つけて、それを手がかりにして分類しなけばなりません。では、石の本質的属性とは、どのようなものでしょうか。
 本質的属性にたどり着くために、重要な属性があります。それは、つくり(組織)とそれを構成している鉱物だとされています。組織と鉱物は、その石がでたときに形成され、そのときのまま状態を保持しているはずです。組織や構成鉱物は、石が割れたり削れても、時間がたっても、もともとの石の部分さえ残っていれば、判別できるからです。これが石の重要な属性であると考えられますので、そこに着目する必要があります。
 石の組織は、言葉での表現は難しいですが、代表的な組織には名称が与えられています。そして、言葉で表現しにくいときは、スケッチや写真で示すことができます。私が学生のころは、1年かけて岩石専用に顕微鏡の使い方を習った後、岩石のスケッチを伴った記載をするための実習講義をいくつか受けました。今はどうなっているのでしょうかね。
 顕微鏡がなくても肉眼でも、鉱物の種類は、ある程度大きなものであれば、判別できます。調査にはルーペを持っていきますから、野外でも代表的な鉱物は、大体判別可能です。もちろんそれなりの訓練と経験は必要ですが。
 石の組織と構成鉱物が判別できれば、石の重要な属性を記述することができ、それに基づいた分類が可能となります。
 この重要な属性に基づいて、石の名前をつけることができます。しかし、詳しく調べれば、石のつくりや鉱物に基づいていても、いろいろな分類が可能なはずです。生物の種のように、石にはたどり着くべき目標地点はあるのでしょうか。それがなかなか難しい問題でもあります。
 大枠の目標はあります。それは、石の起源と形成プロセスに基づいた分類です。
 起源とは、火成岩(深成岩か火山岩か)、変成岩、堆積岩という基本的な石のでき方です。これは、比較的簡単で、だれも理解できる属性で、本質的属性というべきものです。
 さらに、それぞれの起源ごとに、詳細な区分が成されます。そこで注目されるのが、一連の形成プロセスになっているかどうかです。
 この形成プロセスはいろいろな時空規模で考えられます。たとえば、火山を例に取ると、ある火山活動で、一度の噴火で噴出したものかどうかが最小の単位となります。その噴火では、溶岩もあるでしょうし、火山噴出物もあるでしょう。それが一致させることはなかなか困難ですが、起源としてはっきりと時空をもったものであるはずです。次に、一連の火山活動(同じ時期)で噴出したものかどうか。さらに同じ火山体で噴出したものかどうか。同じような活動場(一連の火山列)で形成されたものかどうか。プレートテクトニクスにおいてある時期に一連の形成場(たとえば島弧や中央海嶺、ホットスポットなど)でできたかどうか。
 このような成因的な関連性がある形成プロセスこそが、本質的な属性となります。石の本質的属性で、形成プロセスは、なかなか見分けるのが困難な場合があります。時代が古くなるにしたがって、石からは、それらの情報が消えていき、読み取りづらくなるはずです。もちろん、それを見つけられるかどうは、生物の種と同じで、人間側の問題です。
 生物の種、石の成因と形成プロセスは、いずれも分類のために不可欠な本質的属性です。このような本質的属性は、それぞれのもの(生物と石)がア・プリオリに持っているですから、それに基づいた分類ができれば、人間の恣意が入ることのない「自然分類」といえます。
 でも石では、石の成因と形成プロセスだけでは、あまりに大雑把過ぎる分類であまり区分されたことになりません。同じ区分の中には、見かけの違う石がかなり入っています。それを細分する必要があります。その先は、人為分類となります。もちろん人為分類でも、客観性を持たせるために、定義を明確にして、だれでも再現して、適用できればいいのです。
 生物の場合は、種を階層化するときに問題が生じます。種は似た形態や遺伝子などの分子化学的データで、その類似関係を調べることができます。それらを近縁なものをグループ化して、種の上位の階層をつくり上げていきます。種の上の属から、科、目、綱、門、界、ドメインという階層のピラミッドが形成されています。
 それらの階層は、「進化」という形成プロセスによってつくられたきたと考えられています。しかし、それが問題なのです。生物の進化はあったのでしょうが、それを種の分類のときのように、決定づけるための方法論が用意されていないのです。階層化の定義も定かではありません。もちろん、階層化したときのデータと方法論はあります。そのデータと方法論が、進化を意味するという保障はないのです。
 過去に進化は確かに起こったのでしょう。しかし、それを検証する手がかりは、不完全です。それは石の形成プロセスを考えるときのハンディと同じものです。過ぎ去った時間という不可避の検証不能のハンディです。自然分類を目指して行われているはずの階層の体系化は、実は人為分類の可能性を秘めています。
 生物と石の分類について考えながら、私は、悩み多きゴールデンウィークにを過ごしそうです。

・定住者の視線・
愛媛にきて早、1月が過ぎました。
生活にもなれ、日常生活のパターンもできてきました。
なんといっても研究三昧の生活が送れる幸せを感じています。
そして、1年に渡って地域の祭やイベントを味わうことができます。
それは、観光客の視点ではなく、
定住者の視線で味わうことができます。
それも楽しみの一つになってきました。
都会では忘れられてしまった
風習、信仰などが、この地には息づいています。
それは、観光用ではなく、
実用物として今なお利用されているものがたくさんあります。
そんな人々にまじって生活しています。

・ものにすること・
論文は書いているのですが、
なかなか完成に至りません。
文章量は日々増えています。
頭も一杯使っています。
知的刺激に富んだ日々を過ごしています。
それをなんとかものにすること(論文化)が
当面のそして一番重要な目標です。
そして5月からは地質調査も進めていきます。

2010年4月1日木曜日

99 パスカルの賭け:期待値

 確率は、確実さの程度を表していて、確実さも不確実も意味します。確率が分かっても、そこには絶対がないため、不安がつきまといます。その不安が、ギャンブルのキケンな匂いや、不思議な魅力にもなっているのかもしれません。確率は、うまく利用すると、益をえることができます。自分の将来の意思決定を確率に頼るのは、いいことでしょうか、悪いことでしょうか。それは、その選択後をどう生きるかによるのかも知れません。今回は、そんな選択を期待値から考えました。

 「もし、○○だったら」とか「あの時、○○していたら」などという後悔を、多くの人はしたことがあるでしょう。もちろん私も、その一人です。このような後悔をいくらしても、過去は変えることはできませんから、無為なことかなかもしれません。
 では、未来はどうでしょうか。未来は、まだ来ていない未知ものでから、どうなるかわかりません。過去はもはや変えることはできませんが、まだ起こっていないからこそ、未来は、ある程度、変えることができるはずです。少なくとも、自分自身の選択は、自由に変えることができます。その選択をしても、思い通りの未来は、周りの状況や環境など、自分自身の選択だけでは変わらないものもあります。だから、未来は、不確実で予想しがたいものでもあります。でも、うまく選択をして、少しでも望ましい未来を迎えることができれば、もうけものです。
 そんな未来選択を、科学に基づいて選択し実践した人がいました。彼が選択の基準に用いたのは、「期待値」というものでした。
 期待値とは、統計学、あるいは確率論上で定義されているものです。それぞれの確率変数と確率をかけたものの総和のことです。といっても、なかなか分かりにくいですね。例を挙げて説明をしていきましょう。
 サイコロを振ったとき出る目の数は、いくつになるかということを例にして説明しましょう。期待値とは、出る目の数が、いくでなると期待できるかということです。サイコロをふったときにでる目の数は、1、2、3、4、5、6の6つです。それぞれの目の数が、確率変数になります。サイコロでは、それぞれの目の出る確率は等しくて、1/6となります。
  (出る目の数×確率)
を6つの目の数ごとに計算をすればいいわけです。期待値は、次の式で求めることができます。
  1×1/6+2×1/6+3×1/6+4×1/6+5×1/6+6×1/6
   =(1+2+3+4+5+6)×1/6
   =21×1/6
   =3.5
 3.5という期待値は、1から6の目の数のちょうど中間の値となり、常識とも合致します。トランプのポーカーなどでも、同じように期待値を計算できます。ルーレットも同じようにできるでしょう。もちろん、そこに作為やイカサマがないという前提はつきますが。
 確率は、早熟で多彩な天才ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623-1662)によって、学問化とされたといわれています。そもそもの始まりは、パスカルがシュバリエ・ド・メレ(Chevalier De Mere)から、サイコロ賭博に関する相談を受けたことでした。なお、Chevalierはフランス語で「騎士」という意味ですので、騎士のド・メレというべきかもしれません。
 ド・メレの相談は、次のようなものでした。
 「1つのサイコロを4回投げて、6の目が出れば自分の勝ち」という賭けをしたときは、自分が勝てた。次に、「2つのサイコロを24回投げて、6、6のゾロ目が出れば自分の勝ち」という賭けをしたときは、勝てなかった。ド・メレの考えでは、両方とも自分が有利な賭けのはずだったのになぜ負けたのかという質問です。
 ド・メレの考え方は、「6の目が出る確率は1/6」で、「6-6のゾロ目が出る確率は1/36」だから、それぞれ4と24回投げたら、
  1/6×4回=4/6=2/3
  1/36×24回=24/36=2/3
となり、同じ確率で起きるはずなのに、なぜ1つサイコロでは勝てて、2つでは負けたのか、という疑問でした。
 ド・メレの疑問は一見まっとうなものに見えます。これは、ギャンブルや統計学の歴史においては、非常に有名な質問となっていて、「ド・メレの2つのサイコロ(ダイス)」と呼ばれています。
 パスカルは、友人である有名な数学者のフェルマー(Pierre de Fermat、1601-1665)と手紙のやり取りをしながら、この質問を考えていき、やがて確率計算の基礎をつくりました。
 ド・メレの質問に対して、パスカルは、ある目が出る確率から計算するのではなく、出ない確率から計算するのだということを示しました。その答えは、以下のようなものです。
 1個のサイコロで、6が出ない確率は5/6で、それを4回やるのだから、4倍ではなく、5/6を4回かけること、つまり4乗になります。
  (5/6)^4=0.48225...
ですから、4回ふって1回でも6の目が出る確率は、
  1-(5/6)^4=0.5177...
となり、6が出る方が1/2より大きくなるので、出る方に賭けたほうが有利になります。
 一方、2個のサイコロで、6、6のゾロ目が出ない確率は35/36です。それを24回繰り返すので、24乗することになります。
  (35/36)^24=0.508596...
ですから、24回ふって6、6のゾロ目が1回でも出る確率は、
  1-(35/36)^24=0.49140...
となり、6のゾロ目が出る方が、1/2より小さくなるので、出ない方に賭けたほうが有利になります。
 ド・メレの質問に答えるだけでなく、天才パスカルは、もっと先へ進んでいきます。それは神の実在という問題に確率を導入します。そこで利用したのが、期待値です。
 パスカルは、理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増すという考えました。その背景には次のような期待値を求める計算があったはずです。
 神が存在するという確率をGとします。Gは1から0の間の値となります。存在しない確率は1-Gとなります。
 確率変数として、神の存在を信じる場合と信じない場合の数値を想定します。
 神存が在している場合、信じれば、天国にいけるはずですから、その確率変数は、利益が最大になるでしょうから、+∞となります。信じなければ、大きな罪を犯して地獄に落ちれば-∞、地獄へ至るほどの罪でなければ辺獄(へんごく)か煉獄(れんごく)にいきます。その確率変数を、-N2としましょう。
 神が存在しなければ、それほどひどくないでしょうが、何らかの有限の値となるでしょう。神が存在しないのに神を信じれば、損をしたことになりますので、その確率変数は-N1としましょう。逆に信じなければ、損することがありませんので、+N3としておきましょう。Nは、大きさはわかりませんが、有限の値となります。ややこくしなってきたので、確率変数の表にしておきます。

      神は存在する  神は存在しない
神を信じる   +∞      -N1
神を信じない -∞/-N2     +N3

 神が存在するか、しないかは、わかりません。神の存在や不在は、いまだに証明されていませんから、確率Gが1でも0でありません。となれば、期待値にを計算ができます。まず、それぞれの場合で期待値を計算すると、次のような表になるはず。

      神は存在する  神は存在しない
神を信じる   +∞      -N1(1-G)
神を信じない  -∞      +N3(1-G)

神は存在する場合、神を信じれば期待値は+∞、信じないと最悪のときは、-∞となります。存在しない場合、神を信じれば期待値は有限の損-N1(1-G)となり、信じないと有限の得+N3(1-G)となります。神の存在や不在が不明ですから、神を信じた場合と、信じない場合の期待値を計算しましょう。
 最終的に、神を信じるか信じないかは自分の未来選択として選ぶことができます。2つの場合の、期待値は、

神を信じる   +∞-N1(1-G)=+∞
神を信じない  -∞+N3(1-G)=-∞

となります。神を信じた場合、全体の期待値は、+∞となります。信じなければ、-∞です。だから、パスカルは神の存在を信じることにしました。
 これは、「パスカルの賭け」と呼ばれているものです。「パスカルの賭け」は、パスカルが書き溜めていた「パンセ」の中に書いているものから、後世に整理されたものです。
 さて、今回取り上げた「パスカルの賭け」の期待値には、確率変数に無限が入っていきました。確率変数に無限の値がどこかに入ると、他の項はあっても、その無限が最終的な値を決めてしまいます。これが重要です。
 確率や期待値の求め方は動かしがたいものですが、確率変数は人生の選択の場合、価値観が入ることがあります。その価値観は人ぞれぞれです。何に価値を見出すかで確率変数は変わります。
 私は、4月1日から愛媛県西予市城川町地質博物館に、大学のサバティカ(研究休暇)で、1年間滞在することになりました。ちょっと変わった地質調査とその成果を踏まえ科学教育の手法開発を、主要なテーマとしています。今までも、地質調査も年に一度だけですが行っていましたし、科学教育にも取り組んでいました。同じような研究テーマを今まで行ってきました。ですからわざわざ行かなくても、在宅(とはいっても大学の研究室ですが)で、いつものように研究してもという選択肢もありました。
 しかし、私は敢えて単身赴任を選択しました。それは、環境を変えること、少々の不自由があったほうが、刺激が大きくなり確率変数が上がるのではないかという期待をしたのです。もちろん確率変数が+∞とはいかないでしょうが、在宅でおこなうよりは、大きな値となると思っています。
 でも、所詮、期待値ですから、そうなるかは、自分自身の努力に負うところが大きいはずです。このように自分を追い込んで、1年間城川に篭ります。もちろん、このエッセイは、その間も継続していきます。

・私の期待値・
このエッセイは、今後も継続してきます。
地質学を背景にしたテーマを、
淡々と深く追求していきたいと思っています。
滞在中の様子は、またどこかで示していきたと思っていますが、
まだ未定です。
もちろん示すことが目的ではないので、
手短にできる方法を選びますが、
なんらかの形でお伝えできればと思っています。
次回にでも紹介しようと思っています。
まあ、その期待値は、「+」なるだと思っています。

・地質博物館・
愛媛県西予市城川町地質博物館に私は1年間
お世話になりますが、
実際の執務は、城川総合支所(もと城川町役場)の
2階に間借りするようになります。
そのわけは、地質博物館には電話回線がきていないことと、
DOCOMOの携帯電話網も使えないためです。
私にとってインターネットは重要な研究手段でもありますので、
ネットワークに繋がることが不可欠です。
そこで、DOCOMOのデータ通信カードを契約して
携帯電話網が繋がる総合支所で主な研究をすることにしました。
空き部屋の個室も借りことになりましたので、
落ち着いて思索に入ることできそうです。
到着したまずは、挨拶、そして新生活のために準備となります。
しばくは、ばたばたしそうですね。

2010年3月1日月曜日

98 一部から全体へ:化石へのバイアスの混入

 化石は、過去の生物や環境を探る上で重要な手がかりです。化石から、過去の生物の情報が読み取れるはずです。しかし、化石は過去の生物の「一部」にすぎません。一部から生物の個体「全体」を想像するわけです。一部になるときバイアスがかかっていると、全体に歪みが生じます。そんなバイアスについて考えていきましょう。

 以前の私は、野外調査をしていても、非常に専門に特化した研究をしていました。化石には興味もなく、そもそも化石が出るような地層ではなく、火成岩や変成岩を中心に調査をしていました。その後も、化石を採集したり、研究することもしていません。ただ、化石への興味が最近高まっていいます。
 きっかけは、市民の化石への興味の強さでした。以前勤務していた博物館では、観察会や講座を開催し、化石の産地に子供たちを連れて行くことがよくありました。露頭では、子供たちは、化石が採れるとなると喜びをします。大人も、ついつい興をそそられて採取をはじめ、最後には子供が飽きても大人が採取を続けているという光景を何度も見かけました。化石には、多くの人の興味をそそる何かがあるようです。
 現在も私は、化石を研究しているわけではありませんが、化石のでき方、化石が持つ地質学における意義、化石からどのような情報がいかにして読み取られるのかなどという、化石の本質ともいうべきテーマは気になっています。ですから、化石の本質に関する情報を気にしています。
 そもそも化石とは、昔の生物の体の一部や個体そのものが残ったものです。また、生物がなにかした跡、たとえば移動、住居、排泄などの生活していることによってできたなんらかの痕跡(生活痕)も化石とされています。
 これらの化石から得られた情報に基づいて、生物の系統や進化が構築されています。ですから、生物の歴史を語る上で化石はなくてはならない証拠となっています。特に保存のよいものは、過去の生物の情報だけでなく、その生物がすんでいた場所や環境の情報も与えてくれます。
 化石は時代を遡るにつれて減っていきます。それは、長い時間を大地の中で過ごすということは、喪失の危険性にさらされていることになります。さらに、古い時代の生物ほど、単純な体性であるため、化石になりにくいという条件も重なります。
 多くの化石が見つかりだすのは、カンブリア紀前後からです。ただし、カンブリア紀でも一部地域の保存のよい限られた化石によって、重要な情報を読み取るしかありません。では、その保存のよい化石は、当時の生物の情報を完全に保存しているのでしょうか。
 化石とは、字のごとく、石です。もちろん特殊な場合として、有機物を含む軟体部を残した化石が見つかることがあります。それは例外であって、まして古い時代にはそのような化石はありません。化石とは、一般に石化した生物の痕跡なわけです。もちろんカンブリア紀の保存のよい化石も石化しています。
 骨や歯、貝殻などの硬質のもの、あるいは種や花粉などの分解や腐敗に比較的耐えやすい部位で分類ができるようなものであればいいのですが、生物の初期のころ、カンブリア紀直前や古生代の初期の生物には、そのようなものがまだ形成されていませんす。ですから、軟体部が印象(形態が母岩にスタンプのように残っているもの)や、一部が石化して残っているにすぎません。いってみれば、非常に限られた情報しか見ていないわけです。
 古い化石では、生物を構成した生体物質はほとんど残ってなく、その形態や形質のみが手がかりとなっています。たとえ一部分であったとしても化石は、生物の進化を考える場合、重要な手がかりになります。いや、それしか情報はないのです。
 化石には、いくつかの不安が残ります。化石は、個体のすべてではなく、一部にすぎないということに起因します。一部から全体を類推するとき、その一部がどのような一部であるかが特定できないと、系統的なバイアスがかかることがあるからです。
 たとえば、大きな個体、種ほど化石に残りやすいという傾向(過程の本当ではありません)があったとしましょう。化石だけから昔の生物を見ると、昔の生物は小さいものより大きな生物が多くいたかのように見えてしまいます。そのような傾向を事前に知っていれば、間違った過去の様子を補正はできるかもしれませんが、知らなければ一部から構築した全体像は偏ったものになります。
 化石は、主として堆積岩の中で石化したものが産出します。石化するには、長い時間がかかります。堆積岩も、もともとは水をたくさん含む堆積物です。石化する前には、有機物などの軟体部の腐敗が起こっていきます。体の部位で、どのような順番で腐敗が起こるのかが問題です。部位によって腐敗には順番があるのか、それともばらばらに起こるかという点です。これが上で述べた一部から全体への不安の生み出しているものです。
 腐敗が組織や部位に関係なく、ばらばらに起こっているのなら、化石のデータも、統計的にランダムなものとして処理可能です。ところが、腐敗に系統的な順番や傾向があるとすれば、どちらかの方向に情報がシフトしているかもしれません。もしそうなら、私たちは知らないうちに、バイアスのかかった偏った部分の情報から、全体を類推して、系統図を構築しているのかもしれないのです。それは、真ではない歪んだ系統図です。
 そのような疑問を解決するために、イギリスのレスター大学のサンソン(R. S. Sanson)たちは、化石化作用(taphonomyといいます)に関する実験をおこないました。その結果は、Natureの2010年2月11日号に掲載されました。
 実験は、実際の生物を腐敗させ、時間とともにどのようなところが腐敗していくかを調べていくものです。2種の動物を使っています。ナメクジウオ(学名Branchiostoma lanceolatum)とアンモシーテス(学名Lampetra juviatilis、ヤツメウナギの幼生)です。その2種を使った意図は、脊索動物門に属していて、なおかつ両者とも形態がどことなく似ています。しかし、分類体系の門の下位の亜門のレベルで違っています。ナメクジウオは頭索動物亜門(ナメクジウオ綱ナメクジウオ目)で、アンモシーテスは脊椎動物亜門(無顎上綱頭甲綱ヤツメウナギ目)になり、かなり違った分類体系に属していることになります。系統的には、亜門を越えていますが同一系統で、ナメクジウオが共通祖先側に、ヤツメウナギがより後生側に位置しています。
 両者の分類学上重要な形質を選定して、腐敗でどのように消えていくかを調べる実験です。大量の個体を壊すことなく死体にしたあと、バクテリアによる分解がない環境で、25℃(比較のために15℃でも実験している)で最大200日間、保存して腐敗状況を調べています。時間ごとに個体を取り出し、その形質ごとの分解の程度を統計的に調べています。
 その結果、腐敗は形質によらずランダムに起こるのではなく、順序だって起こることがわかりました。その順序は、系統分類において重要となるような形質がもっとも不安定で、早く腐敗していきます。つまり後生の系統にでてきた形質がより早く分解するということです。祖先が持っていたような共通の形質は、腐敗に強いく最後まで残るのです。
 実験結果は、一般化して考えると、困ったことに、古い系統に見間違うように腐敗が進んでいくということを意味します。この実験では、2種類の動物を実験対象にしていますが、もしこのような傾向が全動物、あるいは全化石に起こっているとすると、私たちが現在もっている化石に基づいた系統図はシフトたバイアスがかかっている可能性があります。今までなされた化石による系統分類は、全体的に系統の根元方向にずれが起こっているかもしれないのです。
 このシフトが化石に起こっていることが分かったとしても、化石からそれを修正する手段は、今のところなさそうです。今後、現在の生物で、分解のスピード、順序などを調べて、なんらかの規則性が導き出されれば、補正をすればいいのかもしれません。しかし、腐敗の環境は多様でしょうし、もしかすると、今回の実験結果も、ある条件だったからそのような腐敗傾向が生じたのかもしれません。別の条件だったら、別の傾向が出てくることもあるかも知れません。これからも研究を進めなければなりませんが、サンソンは重要な指摘を実験からしたことには違いありません。
 生物が進化しているかは、小さな変化は確認できても、大きな変化(大進化)は、未だに実証しずらいテーマとなっています。大進化への重要な根拠となっているのが化石の証拠です。今回の研究によって、進化の順番は大きく変わることはないでしょうが、系統樹がかなり歪んで、古い方、先祖側にいくようにバイアスがかかっていることがわかりました。でも、バイアスを正確に取り除くことはなかなか難しいようです。化石によるものは、そのようなバイアス付系統樹であると知って使っていくしかないようです。

・悟れる日・
この間、新しい年がきたと思っていたら、
もう3月になりました。
4月も目の前になりました。
4月に向けて多くの人は動き出しています。
月日の流れるのは早いものです。
組織にいると、その組織の定例の行事はこなして、
歳時記のように季節の移り変わりを感じています。
なのに、やはり時間は早く流れていきます。
そんな流れに翻弄されないように
生きていたいのですが、
まだまだ修行が足りないようで、
日々時間との格闘をしています。
悟れる日はまだまだのようです。

・開き直った気分・
4月には愛媛県に単身赴任をします。
その準備を2月からしています。
家族、職場、研究の準備は大部済ませました。
ただ、身の回りの準備がこれからです。
まあ、研究の条件さえ整っていれば、
いざとなったら、身一つだけでいき、
あとは現地で調達してもいいのですから。
そんな開き直った気分にもなります。
まあ、まだ時間があるのですが、
準備を進めていきます。

2010年2月1日月曜日

97 暗黙の前提:常識を打ち破れ

 人は、ついつい常識的に考え、行動します。しかし、時には常識や暗黙の前提を打ち破ることが必要です。そこに大きな飛躍がうまれ、新しい創造の世界が生まれます。それには、まず、自分自身の可能性を信じ、広げる努力が必要でしょう。

 先日、研究室で原稿の内容や構成を考えてました。昼になったので、大学の生協に昼食にいきました。そして、帰ってきて、その原稿の続きに取り掛かりました。一段落して、ふと「今日、昼食を食べたのかな」と疑問が沸いてきました。なぜならお腹が、すいていないのです。でも、どんなものを食べたのかが思い出せませんでした。そして、夕方、自宅に帰って、夕食のメニューがカレーであるのをみて、昼食にカレーを食べたことを思い出しました。少々驚きました。自分に認知症が出たのか心配になりました。
 同じようなことが、私に常に起こっているのです。私は、毎日、片道1時間ほどの道を徒歩で通勤しています。日々の天候や季節の移ろいなどの違いがあるはずのですが、同じ繰り返しなので、特別なことがないと、その違いを意識せずに歩いています。
 同じことを繰り返しをしていると、無意識にその行動をしているこということです。これは、認知症ではなく、意識にあまり上ることなく行動すると、その行動が記憶にも残りにくいことを意味しています。多分、同じような経験が誰にでもあるのではないでしょうか。
 古いことはよく覚えているのに、つい先日やさっきのことが思い出せないことがよくあります。ですから、私にとって、今回はじまったことではなく、日ごろ起こっていることといえます。毎日繰り返している食堂で食べるという一連の行為のように、ほとんど意識に上ることなく、記憶にも残らないような状態で行っていることがあるはずです。
 複雑ですが、パターン化した行動を無意識にできることは、人間として重要な能力なのかもしれません。でも、そのようなパターン化されてしまった行動や思考が、思わぬ落とし穴にはまる危険性を持っています。それは、不注意による安全管理や事故防止などという、マイナスを生じないための対策のためではなく、生産的なプラス面を生むためにもそのようパターン化された行動や思考は、注意が必要です。
 次の問題を考えてください。
----------------------------------------------------------------------
問題
 下のAとBで、正しいのはどれちらでしょうか。
A 1+1=2
B 1+1=10
----------------------------------------------------------------------
 だれもが、Aを、正しいと答えるでしょう。小学校の1年生でも、同じ答えを選ぶでしょう。だれも、Bが正しいなどと考えることはないでしょう。これは、常識的な選択です。常識的な考え方は、決して悪いことではありません。最初にも述べたように、常識に基づいた行動、常識的な判断は、だれもが使っているものです。それは、生きていく上で欠かすことのできない、重要な能力でもあります。
 でも、その常識が足かせになる場合、あるいは害になる場合もあります。その例が、上の問題にも隠れています。
 上の問題のように、だれもが同じ答えを選ぶということは、それが本当に正解である場合も、もちろんあります。しかし、よく考えてください。皆が同じ考え方をするということは、皆が常識的でパターン化された思考に陥っているということでもあります。
 パターン化された思考とは、暗黙の前提、常識を自分で勝手に設け、その前提、常識に基づいて考えているということです。そんな状態に陥ると、創造的な考え方がなかなかできないのです。
 上の問題では、なんの但し書きもついていません。ですから、本来であれば、自由に考えていいわけです。問題全体に「もし、○○だとしたら」という但し書きをつけて、その上でAが正しいとすべきでしょう。それが論理的なやり方のはずです。
 論理的な考え方でいえば、但し書きをつければ、Bの方が正しい場合もあるはずです。たとえば、こんな但し書きをつけたとしましょう。
「数学の規則に従い二進法だとしたら」
 二進法とは、数字でいえば、0と1だけの世界です。1+1を計算すると、桁がひとつ繰り上がり、10という値になります。Aは二進法で考えれば、2以上の数がないので、Bの式は2という定義されない規則違反をした正しくない式となります。ですから、Bが正しい式となります。
 二進法はコンピュータが利用している単純な計算の仕組みです。ところがコンピュータは、今や人間にはとてもできない計算、作業、データ蓄積をこなします。インターネットでは世界中に膨大なデジタル空間が広がり、その大きさ、増殖率は想像を超えるものがあります。今では、コンピュータのない生活はできないほど、多くの現代人がその恩恵を受け、依存しています。
 0と1が築き上げている広大なデジタル世界は、二進法というアイディアを創造し、それを使ってきたから生まれたのです。このように新たな世界を創造しうるかどうか。そのためには、自由な発想が必要なのです。
 このエッセイで私がいいたかったのは、自分自身で、暗黙の前提、常識を設けてしまうと、その前提から逸脱することが困難になるということです。暗黙の前提が心にできてしまうと、創造性の空間が縮小されてしまいます。縮小された空間で新しいことを考えようとしても、どんなにがんばっても空間を逸脱できるアイディアはでてこないのです。
 では、暗黙の前提、常識から開放されましょう。
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問題 下の式の中で、それだけが正しい前提条件は何でしょうか。
A 1+1=2
B 1+1=10
C 1+1=11
D 1+1=1-1
E 1+1=0
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 いくらでも、解答は例をつくることはできます。たとえば、以下のような前提条件はどうでしょうか。その式だけが正しくなります。
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解答例(前提条件)
A 数学の規則に従い三進法以上の進法だとしたら。
B 数学の規則に従い二進法だとしたら。
C +と=いう記号が数学でいう加法と等号ではなく、=は+の両側のものを並べて書くという記号だとしたら。
D =という記号が数学でいう等号ではなく、別の記号で書くという記号だとしたら。
E =という記号が数学でいう等号ではなく、2進法の一桁目だけを示す記号だとしたら。
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 これは一つの例であって、これだけが正解ではありません。想像力を働かせれば、いっぱいの正解があるはずです。
 このような暗黙の前提、常識から開放の必要性は、生き方にもいえます。「自分は、こんな人間だから」とか、「自分は、こんな性格だから」といってしまって、あきらめたことがありませんか。
 「私は、文系だから、計算は苦手」という人がよくいます。しかし、そんな人が、ワリカンの計算がすぐにできたり、お釣りの計算が早かったり、昔の買ったものの値段をよく覚えていたりすることはありません。もしかすると、本当は計算ができ、数字に強いかもしれないのに、計算が苦手と思ってしまい、自分の可能性を閉ざしていることはないでしょうか。
 そこまでと思って挑戦をやめれば、それ以上成長できません。理系や文系などというとらわれた考えではなく、ものごと広く考えるトレーニングをすべきでしょう。自分で自分に枠をはめることは、自分で自分の成長や才能に、見切りをつけることになります。自分で、自分の可能性を引き出してやらないと、他人はやってくれません。そうしないと、大きな創造性は生まれません。自分で、自分の可能性を信じ、時と場合によっては、常識を打ち破る勇気が必要ででしょう。私もそうありたいと願っているのですが。

・落としどころ・
いよいよ1月も終わり2月です。
大学も後期の講義は終わり、
あとは定期試験です。
今年から大学の講義の時間数が15講と定期試験となりました。
なかなか大変です。
その分、採点、集計、評価の時間が短くなっていきます。
その講義時間延長と評価までの時間短縮は
教職員にしわ寄せがきます。
学生がそのように充実した授業を望んでいるのなら
教職員はそれに応える必要があります。
もちろんそういう学生もいますが、
たんに単位が取れればいいという学生も確かにいます。
そのあたりの兼ね合いが難しいところです。
実情に応じた対処、要求に応じた供給、労力と効率、
それらの落としどころが問題です。

・準備・
4月から1年間、単身赴任で四国に出かけます。
その準備を少しずつしています。
私の引越し準備もさることながら、
残される家族に対して、
今まで私がしていたことを
残された家族だけでもできるように
しておかなければなりません。
問題が起きたときの対処も重要ですが、
起きないようにする対処も大切です。
その準備が結構大変なのです。

2010年1月1日金曜日

96 人に届くように:科学の意義と責務

 明けまして、おめでとうございます。一昨年につづき昨年も、あまりいい年ではなかったようです。今年こそいい年なりますように祈っています。年頭のエッセイは、昨年から気になっていた科学をする意義、科学者として責務について書くことにしました。明るいものをと考えていましたが、書いていくうちに、重たい話になりました。しかし、これは今後の私の科学する姿勢となりそうです。

 一昨年のリーマンショック以来の不景気で、社会も経済も低迷を続けています。そのような社会状況の一新を期待して、昨年、政権交代が起こりました。新政権は、時間のない中、「事業仕分け」という公開の場での予算内容の検討をおこないました。その内容に関しては、賛否両論だけでなく、さまざまな意見や考えがありました。
 私が所属するいくつかの学会では、事業仕分けによって科学技術に関する予算の縮小や凍結などへの反対の声明や復活のための要請が、会長名で提示され、会員にも賛同を求められました。私は支持する声明も反対する声明も出しませんでしたので、沈黙は賛意を表していることになるのでしょう。私は、消極的に賛成したことになります。もって回った言い方をしましたが、私は条件付ですが、科学や技術に関する予算が、今後も継続することに賛成です。
 大局的に見て、日本のような資源の乏しい国において、科学、技術などの知的資産を充実して、世界の国々に伍する必要があります。日本では理科離れがいわれてはいますが、国際的に見ても、今も十分、民度や教育レベルも高く、国際的にもトップクラスにいることは間違いありません。今でも日本は、世界で科学や技術をリードする任務を負っている国だといえます。
 国家戦略の重点項目として、科学や技術などに関する基礎研究、応用研究に予算を配分すべきだと思います。ですから、科学分野の学界に属するメンバーであるという利害関係を除いても、私は科学や技術の予算を削減するのは反対です。
 その立場であることを前提として、次に話題を進めていきたいと思います。
 以前、私のエッセイの読者から次のようなメールをいただきました。
「岩石の最古年代が分ると、人類にどのような影響があるのでしょうか。」
というものでした。
 地質学者の側からすると、これは重要な成果であると無意識に思ってしまいます。しかし、市民からすると、ごく普通の疑問ではないかと思います。これは非常にシンプルですが、重要な質問だと思います。真摯に受け止め、考え、答える責務があります。
 「最古の岩石の年代が発見された」というのは、科学の成果です。最古の岩石の発見は、地殻の歴史がいつからはじまるか、どのようにはじまったのかを示す重要な情報となります。これが、地質学者の一般的な答えになるでしょう。
 同じ趣旨の質問は、ありとあらゆる知的営み、たとえば、演劇や絵画、音楽、文学などの芸術的成果(作品)にも、エンターテイメントの成果(作品)にも発することができるはずです。そして提示者は科学者と同じように真摯に考える必要があると思います。
 それらの知的営みは、多かれ少なかれ市民に影響をあたえるはずです。たとえば、エンターテイメント作品は、つくられた時点では、楽しんでもらいたい、多くの人に見てもらいたいを思って世に出されたはずです。そして、市民にそのような需要があるから、商業的なエンターテイメントが成立しているのです。そして、エンターテイメント作品は、市民に多かれ少なかれ影響を与えます。
 生死をかけて、その営みに取り組んでいる人々もいるかもしれません。でも、提示者がどんなに思い入れても、その成果(作品)は、他人に生死を分かつような影響を与えることはないはずです。たぶん、多数の市民の生活を左右するほどの影響を与えることすらないでしょう。
 このような知的な営みが、生死にかかわらないから不要かというと、そうではありません。生活から、芸術や音楽、文学、エンターテイメントが消えてしまったら、味気ない生活になっていくでしょう。生活に潤いや豊かさをもたらすことが、役割りとなっています。そう考えると、知的な営みは、人類にとって重要な資産であり、その蓄積こそが文化ではないでしょうか。その蓄積の結果が、文明となっているのではないでしょうか。
 知的営みの中でも、科学や技術は、芸術的な営みと比べると、より生活に密着している場面が多くなっています。たとえば、携帯電話やコンピュータの進歩は、生活を豊かに、便利にしてくれます。このような成果の重要は、だれでもすぐに理解できます。
 コンピュータや携帯電話も、もともとは庶民生活とは全く関係のない、技術者の自己満足の話だったかもしれません。最初のコンピュータや携帯電話が出した成果も、そんなにお金と手間をかけなくても、人が手作業や従来の方法でやったほうが安上がりで、早くできることだったかもしれません。でも、今では、コンピュータや携帯電話でしかできないことだらけになりました。技術も文化や文明を担っているのです。
 技術に比べると、科学、特に基礎的な科学は、その意義が見出しにくくなっているかもしれません。どのような技術にも科学が必要になります。技術の進歩の背景には、科学がなくてはなりません。技術の背景に科学が必ず存在します。技術は科学に実用性を付加したものです。小さな科学と技術の成果の積み上げによって、現在の便利さを作り上げてきたのではないでしょうか。科学は、過去からの積み上げがなければ、進歩はありません。現代の人類の繁栄、豊かさ、安全さは、すべては過去の科学と技術の成果の上に成り立っているはずです。科学は技術の根幹をなしているので、文明社会において必要不可欠です。文明の発展を支えるためには、科学の進歩しなければなりません。
 いまや技術は、先進国において日常生活の根幹を担っています。医療や交通など、技術は、生死を分かつ任務をも担っています。ですから、技術はいまや生活にはなくてはならないものとなっています。そして技術の進歩を支える科学も必要不可欠になっています。そのような意味で、どんなささやかな科学や技術の成果も、間接的かもしれませんが、人類の繁栄に役に立つ可能性があると思います。ですから、大切にしていく必要があるはずです。
 実際、科学には、人類の進歩にすぐに役に立たないものも多々あります。特に基礎研究には、そのようなものが多いはずです。それらの中には、今すぐに役に立たなくても、後に役に立つかもしれないものも、多々あるはずです。
 「最古の岩石」も、そのような成果の一つかもしれません。もし、もっと古いものが発見されたら、世界で2番目に古い岩石となり、その学術的価値は半減してしまうでしょう。もっと古いものが見つかれば、3番目、4番目に落ちていくでしょう。最終的に古い時代の多数の岩石の一つとして、基礎データと記録されていくことでしょう。ですから、「最古」などというものは、これはある分野の科学者たちの一時的な自己満足にすぎないようにみえます。ただ、基礎科学は知識、基礎データを積み上げている部分があるので、たとえ3流の成果だとしても、基礎データあるいは初期の試行錯誤の一つとして、一時的でしょうが、その痕跡をとどめていいきます。
 多くの芸術もエンターテイメントも、時間が立てば、忘れられ、消えていくものが多数できてます。一握りの作品だけが、人類の財産として残っていきます。科学も同じ側面をもっています。現在出されている大半の基礎研究と呼ばれる成果は、一時的なもので、100年後、いや10年後には、利用されるようなものは、ほとんどないはずです。
 ただ、科学の成果は、後の時代に、その成果の重要性が見出されることもあります。データは後の時代では使い物にならないくらい精度の悪いものとなるでしょうが、考え方や論理は、後の時代にも活きていくものがあります。できれば、そうなるように願って、科学者は、研究し、成果を出し、公表しているわけです。そして、それらを知的資産として蓄積してかなくてはなりません。
 そこで、国の予算を使って科学するという意味を、再度、問います。
 現代は、失業者が多数いるような社会、明日の生活に困っている人が多数いる時代となっています。つまり生死がかかってる人を前に、生死にかかわりのない基礎研究に、膨大な予算や人材をつぎ込むのか、という疑問に科学者はどう答えればいいのでしょうか。
 あと、数年先、人々の生活に余裕が出てきたとき、再度予算を当ててはだめでしょうか。もし、今すぐ日本がやらかなったら、その成果が他の国の科学者によっておこなわれてしまうことになるでしょう。そうなると、もはやわが国でその研究はする必要がなくなります。人類全体としてみれば、科学は、緩急はあるでしょうが、日本がなくても進んでいくはずです。日本がやらなくても、他の国がその成果をだしてもいいはずです。日本が先頭にいる必要性はあるのでしょうか。特に基礎科学での必然性を主張できるのでしょうか。
 科学的好奇心に基づいた純粋な気持ちだけでなく、科学者の心の中に、「最初」、「最大」、「最古」などの「最」を求め、歴史に名を残したいという欲はないでしょうか。科学者には、多かれ少なかれ、そのような気持ちをもっているはずだと思います。私にもあります。科学者も人間です。好奇心というきれいごとだけで動くという単純なものではないはずです。欲を持つなとはいいません。しかし、科学はきれいごとだけではおこなっているのではないことも、忘れてはいけないと思います。
 その研究は、今本当に、火急のこととして必要としているのでしょうか。今の日本で、日本だからしなければならない必然性を、ぜひとも説明しなければなりません。
 今までの研究の歴史、研究実績、人材、設備などは、今、予算をあてて継続するために重要なアドバンテージでしょう。でも、他の国との共同、競争、自分の業績、今までの研究計画の継続などのしがらみは、個人的な欲ではないでしょうか。そのような欲を除き、本当に科学として、今、この時期に、日本でおこなうべきなのかどうかを、胸に手を当てて考えてみるいい時期かもしれません。欲を排除し、人の生活への手当てをけずっても、すべきことがあるという理由を提示すべきだと思います。
 それでも必要だと思える主張ができた暁には、国はぜひとも予算を出すべきだと思います。ただし科学者は、苦しい生活をしている人にまわすべき費用を自分は使用しているのだという使命感、責務を負っていることを自覚して取り組むべきでしょう。その成果は、科学者集団内での発表で満足することなく、市民に届く努力を継続的にしていく必要があります。科学者には、その主張と報告がまだまだ足りない気がします。少なくとも市民は届いていないと思います。私も、それに心して、これからの科学に取り組んでいきたいと思っています。これが、今年の私の年頭に考えたことです。

・変化の年・
明けまして、おめでとうございます。
今年こそは、いい年であることを願っています。
私は、今年、いくつかの節目を迎えます。
私の所属する大学の学科が最初の卒業生を出します。
彼らは第一期生として私たち教員と一緒に
学科をつくり上げてきた仲間のような存在であった気がします。
そして、教員として、彼らに
いろいろ教えられること、学ぶことがありました。
また私は、4月から、四国に1年間滞在することになっています。
当初の人生設計では、2年前に家族で行くつもりでしたが、
時期がずれ、単身赴任となります。
単身赴任になったのは、
長男が来春から中学生になります。
中学校は3年間しないので、
転校で別の中学校にいくのは
大変だと思ったからです。
私には変化の年となりそうですが、
その変化を楽しんでいきたいと思います。

・今年もよろしく・
昨年一年の12回のエッセイ、
95回にわたって継続してきた
エッセイを振り返ってみると、
本当に私は成長しているのかという気持ちがしています。
一月に一度は一つのテーマを掘り下げて
考えていきたいと思って、
このエッセイを書いてきました。
このエッセイをメールマガジンとして公開しているのは、
ただ、読者にも、地質学者が、科学や地質学について、
深く考えていくことがどのような視点を
提示するのかということを問うています。
そして、読者がいてくれるということが、
私の継続へのモチベーションとなると考えているからです。
さらに、エッセイの継続、蓄積が
私自身の知的資産となることを願っているからです。
今年も、本エッセイとのお付き合いをよろしくお願いします。