2010年11月1日月曜日

106 知られえぬこと:不可知論

 科学は、前提に基づいて、論理的な手続きによって仮説が立てれられます。そもそもその前提が正しいのか、あるいは仮説が本当かどうかは、「知られえぬこと」です。そのような「知られえぬこと」である不可知論は、有限と無限の境界を示しているのではないでしょうか。

 山里では、秋祭りが各地で行われています。時間さえあれば見学に行っています。先日も4年に一度開催される高知県高岡郡津野町にある高野の回り舞台で行われた歌舞伎を見に行きました。自宅から30分ほどでいけます。今年、高知県では、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」に連動した「土佐・龍馬であい博」が各地で介されています。本来なら歌舞伎を行う4年目は来年にあたるのですが、「であい博」にあわせて1年前倒しでの開催となりました。おかげでた、またま近くに滞在していた私も、見学することができました。
 この歌舞伎が行われた廻り舞台は、国の重要有形民俗文化財に指定されているものです。それが歌舞伎の最中に実際に回転されて舞台が変えられます。そのため、常に手入れされて使えるようにされています。
 地元の人が多くの人が集まり楽しんでいる行事は、地域外の者がいっても、充分楽しめます。私は、時間があれば、地元の人と話をします。そんなとき、行事についていろいろ聞くこともあります。よく知っている人もいるし、ほとんど知らない人もいます。いつから、なぜ、それをするのかのようなことを聞いても、分からないことがあります。でもそんな会話も、行事の楽しみの一部となります。
 聞いて分からないことが、あとでインターネット検索して調べると、「そうだったのか」と理解でき、納得できることがあります。しかし、そんな記録や解説がないとき、自分が仕入れた数少ない情報から、自分なりの推定をしていくしかありません。それは、非常に不確かで危ういことです。自分でもよくわかっていますが、そうするしか理由を考えられません。
 科学の世界でも同じようなことが、よく起こります。特に限られた情報しかない場合がそうなります。私は地質学を専門としています。地質学は、過去に形成された岩石などを素材にして、過去に起こったことを物理、化学、生物学的現象として推定しようとするものです。その推定は、あくまでも、得られた情報や証拠による、その時点で科学的にある程度根拠をもったもの、「もっともらしき」ものです。
 しかし、本当のところ、つまり真実は、知りえないものです。
 地質学は、時間あるいは歴史という不可逆的な流れのなかで、すでに起こってしまったことを推定しています。たとえ昔の事象であっても、何らかの因果や必然が介在するはずです。たとえ人が知りえなくとも、背景には必然性があるはずです。しかし、再現性のない過去の事象は、推定するしかありません。
 このような不確かさは、過去のものを対象にする地質学だけでなく、自然を対象にする自然科学の多くには、その達成した成果の中には、不確かさが多数紛れ込んでいます。その推定を、科学は現在のところ一番「もっともらしい」という切り口で語っているに過ぎません。新たなデータ、情報、証拠が出てくれば、科学はよりよいものへと書き換えられていくのです。古典力学から相対性理論へ、天動説から地動説へ、地向斜論からプレートテクトニクスへ、そしてプルームテクトニクスへと。これが科学の進歩のしかたで、科学自体の正しいあるべき姿でもあります。
 ところが、再現性のない過去の事象を推定するとき、論理的に完結できない論理にならざるえません。その論理は、不確実性を伴います。そこに不可知論的な、不安を感じるのは、私だけでしょうか。そこには、もしかしたら、人智では知りえないものがあるのかもしれません。
 一方、論理学や数学のような緻密な積み上げ可能な学問体系では、いったん証明されたものは、どんなに古い、たとえギリシア時代の証明であろうとも、前提や仮定、条件が成立する限り、それは正しいことであり続けます。ピタゴラスの定理が今でも正しいのは、そのいい例です。
 人智では知りえない、答えられないような議論を不可知論といいます。不可知論は、英語で「agnosticism」と呼ばれています。agnosticismは、agnosticという言葉から由来しています。agnosticの語頭の「a」は否定の意味を持ち、gnosticは、ギリシア語を語源とする「知識」を意味します。その知識は、ただの知識ではなく、人間を救済に導く究極の知識です。そこからagnosticは、「知られえぬ」という意味になっています。
 新約聖書の「使徒行伝」の中でパウロが各地に伝道をするなかで、アテネの様子を伝える場面で、
「実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られえぬ神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう」(17章23節)
という一節があります。
 その節を引用しつつ、「知られえぬ神に(agnosto theo)」と刻まれた祭壇のことを語りながら、自己の立場を語った1869年のハクスリー(Thomas Henry Huxley、1825.05.04-1895.06.29)の講演があります。不可知論という言葉や考え方は、その講演が由来となっています。その講演は、チャールズ・ダーウィンの進化論を支持するものでした。その背景には進化論が、キリスト教の教義に背くような内容があったので、その支持には、難しい配慮が必要でした。
 不可知論的には、進化論で進化の現象を認識し説明しえますが、その背後には科学的には考えられない実在や力、「知られえざるもの、the Unknowable」(神のこと)を前提するとしています。つまり、進化という現象を科学的に認識したり、説明することは可能ですが、進化を起こしている存在は、人には科学的なアプローチは不可能なので、「知られえざる」ものとしようというのが、ハクスリーのとった不可知論の立場です。「知られえざる」ものは、無限の大きさをもつ存在でもあります。時代の経過、科学の進歩によって、不可知論は拡大していき、神や絶対者だけでなく、死後の世界、理性や事物の究極の実在などに対しても、語られるようになりました。
 科学は、実用的な面で、いろいろな便利さをもたらしてきました。このような科学や技術の進歩は、後退することなく進み続けます。科学の論理体系の世界も同じように進み、その領域を広げてきました。
 一方、不可知論的世界は、決してその領域を減らしているわけではないような気がします。科学の成果や論理、証明がひとつひとつ数えられるように、科学は有限です。有限の科学をいくら拡大していっても、無限の不可知論は縮小することはありません。無限から有限を引いても無限は減ることはありません。
 科学は、不可知論を超えることはできません。これは、人間の理性には限界があることを、表しているのかもしれません。不可知論は、有限と無限の境界を教えてくれているのかもしれません。
 いくつもの地域の祭に参加していると、なぜか分からないけれども、そうするということがあります。その儀式は、守られ現在に至っています。そこには伝統や歴史を守る強さと、日常に即した融通無碍の可変性もあります。
 先日参加した祭は、始まりから雨が降り始めました。そのときに対処法は、だれも知らないようでした。しかし、祭は、公民館のホールに急遽移され、何事もないかのように、進行しました。だれも公式にアナウンスすることなく、現物の人は口コミで公民館に集まります。不思議なものです。
 守るべき伝統も、必要に応じて、変化します。踊りを担当している人で、どうも踊りたくないような口ぶりの人もいたようですが、その人が、「来年から雨が降っても、踊らなぁいかんようになったのう」といってました。ここに新しい伝統ができたようです。
 人は守るべきものと変えるべきものに対して、こんな融通無碍に振舞えるのです。不可知論的領域も、そんな融通無碍で乗り込めるかもしれませんね。そうすれば、ますます楽しみが広がりそうです。

・知られえるもの・
科学をしていると、
自分の考えている前提の中で、
証拠は十分か、論理に矛盾がなかなど、
論理性を考えています。
しかし、前提だ正しいかどうか、
自分が知りたいことが「知られえる」ものかどうか、
非常の本質的なことを忘れしまいます。
しかし、不可知論的な場は、
議論しても結論がでないから不可知論なのですが。

・無神論・
不可知論と無神論は
混同されることがありますが、
明らかに、違います。
不可知論的には、
無心論は神の不在を証明しない限り成立しえません。
ですから、神に不在は実は論理的は、
非常に証明がこんなです。
実際には不可能です。
だから、神は不可知論的存在となります。