2002年2月7日木曜日

01 地質学的関係(2002年2月7日)

 地質学的には、同時または短い時間での一連の作用によって形成された岩石があります。このような地質学的区分を、堆積岩では地層(その規模は各種あります)、火成岩では岩体、変成岩では変成相といいます。ここでは、呼び方を問題にしないので、グループと呼びましょう。
 では、次ぎにグループの関係を見ていきましょう。あるグループで一連のでき方でできたものの関係として、どのような可能性があるでしょうか。
 まず、連続と不連続があります。連続にも物質的連続と時間的連続があります。物質的連続と時間的連続な場合、物質的には連続だが時間的には不連続である場合や、逆に、時間的には連続だが物質的には不連続である場合があります。また、不連続とは、物質的にも時間的にも不連続となります。
 物質的連続と時間的連続な場合は、グループ内のある岩石とになります。火成岩では岩体内のある岩石種や溶岩流、変成岩では変成相内のある岩石種、堆積岩では単層、となります。つまり、地質学では、物質的連続と時間的連続な場合を、グループ内での最小の区分の単位としています。つまり、物質的連続と時間的連続というのは、その内部に区分の基準が存在しない、つまり同一であると認定できる基本単位ということです。
 物質的連続と時間的連続な場合のうち、物質的には不連続を持たずに変化していく場合は、「漸移(ぜんい)」といいます。このような場合、境界をどこにするかが問題で、自然は連続しているのに、人為的に境界を設けて区分する場合があります。ここに問題が生じます。これは、別の機会にします。
 上で述べたような何らかの不連続を含む関係を、岩石の基本的な起源として区分される堆積岩、火成岩、そして変成岩で、そのような関係に置き換えることができるか、見ていきましょう。
 堆積岩では、物質的には連続で、時間的には不連続である場合を、「ハイエイタス(無堆積)」といいます。時間的には連続で、物質的には不連続である場合は「整合(せいごう)」といいます。物質的にも時間的にも不連続の場合、「不整合(ふせいごう)」といいます。
 火成岩では、時間的には不連続である場合は、同一グループ内では生じません。それは、火成岩は、マグマからできているからです。マグマにおいて、時間の経過は、温度変化として現れます。ですから、時間の不連続があると、物質的には不連続を伴います。時間的には連続で、物質的には不連続である場合は、「層状(そうじょう)構造」や「流理(りゅうり)構造」ができます。層状構造は、深成岩で同時期形成された鉱物がマグマ溜りの中で層状に繰り返して形成されることです。流理構造は、火山岩で不均質なマグマが流動しながら固まった場合に形成されます。
 変成岩では、岩石の区分と変成作用の違いをもたらします。物質的には連続で、時間的には不連続である場合は、「複変成(ふくへんせい)作用」といいます。複変成作用とは、同じ岩石に変成作用が2度以上にわたって起こったことです。時間的には連続で、物質的には不連続である場合は、同一の変成相ですが別種、つまり岩石名の違いとして現れます。変成岩は、変成を受ける岩石(原岩(げんがん)といいます)の種類を問いません。ですから、同一変成相でも、各種の岩石を混在しているのが、一般的です。物質的にも時間的にも不連続の場合は、複変成作用によって別の変成岩ができていることを示しています。これも、複変成岩ではごく当たり前に起こることです。
 今まで見たきたものは、何らかの成因関係があった場合ですが、つぎは、全く起源やでき方が無関係なものが接している場合をみていきましょう。
 2つのグループに接触関係の形成には、2つの可能性があります。第1は、一方的にあるグループの方が他のグループに接していった場合です。第2は、両者とも別々に形成されたものが、全く別の時期の別の作用で接するようになった場合です。
 地下深部で形成されたマグマが上昇するとき、他の岩石や地層を突き貫けています。その時、第1の可能性の関係が形成されます。このような関係を、火成岩を中心としてみると、「貫入(かんにゅう)」といい、堆積岩を中心としてみると、「非整合(ひせいごう)」といます。
 第2の可能性の場合は、断層(だんそう)といいます。断層関係は、地質学的関係としては、一番多いかもしれません。規模を問わなければ、至るところ断層だらけです。地質図を見れば、断層のない地域はありません。大きな地層の出ていている崖(露頭(ろとう)といいます)をみれば、小さいものならいくつも断層を発見できます。日本列島を宇宙から見ると、中央構造線やフォッサマグナなどの巨大な断層が見ることができます。
 異質のグループが接している場合、そこには不連続が生じます。それは、地質学の世界ではごく普通の現象なのです。それが、その地域の地質を複雑にしていきます。でも、そのおかげで、地質学者の出る幕が生まれてくるのです。

・はじめまして・
 「Terra Incognita 地球のつぶやき」を購読いただきまして、ありがとうございます。以下に、すこしこのメールマガジンの発行趣旨を説明します。
 "Terra Incognita"とは、ラテン語です。"Terra"とは大地や地球の意味です。"Incognita"は未知の知りえないという意味です。
 そんな地球の未知なる部分を、地球は少しだけ小声でつぶやいてます。私たちは、ほんの少しだけ、未知の地球の素顔を垣間見ることができます。そんな「地球のつぶやき」を、私が聞き取って伝えます。私自身の聞き方ですから、人とは違ったように聞こえるかもしれません。でも、これに関して大いに議論しましょう。必要とあれば、議論もメールマガジンで展開していいかもしれません。
 日本では、地球科学に関する限りは、ハイブローな(つまり学術的にも内容的にも妥協しないもの)内容のエッセイは、あまり見かけません。でも、欧米では、スティーブン・J・グールドや一線級の研究者が、市民向けに、ハイブローなエッセイを書いています。日本では、書籍にすると、売るために、議論の複雑さ数式などを犠牲にして、いいたいことを伝えきれずに書かれた書籍が多すぎます。けっして、専門化向けの自己満足的エッセイではなく、わかりやすさを追求しながら、内容や専門性を犠牲にすることなく、議論していきたいと考えています。そして、二番煎じやどこかの聞きかじりでなく、私自身が聞き取った内容で、議論を展開していきたいと考えています。そのため、メールマガジンではあまりふさわしくないのですが、月刊という息の長い連載エッセイを企画しました。
 もしかすると、そんな議論が、地球のより深い理解に繋がるのではないでしょうか。そんな気持ちで、このメールマガジン「Terra Incognita 地球のつぶやき」を発行してきます。

・本誌の前身「地球のつぶやき」・
 このメールマガジン「Terra Incognita 地球のつぶやき」には前身があります。それは、「Monolog of the Earth 地球のつぶやき」というメールマガジンでした。限定100名に対して、この「地球のささやき」(購読は、http://www1.comonitei.com/earth/regist.html)の姉妹篇である「Monolog of the Earth 地球のつぶやき」を非公開で発行してきました。もともと、この「地球のつぶやき」は、「地球のささやき」の読者で著者にメールを下さった方に対する私の感謝の気持ちとしてお届けしていたものです。「地球のつぶやき」は不定期ですが、月一回程度の発行をしてきました。現在まで、No.7が発行済み、廃刊としました。でも、その感謝の気持ちを忘れないないためにも、当初の名称の「地球のつぶやき」を副題として残しました。以下に「Monolog of the Earth 地球のつぶやき」の目次を紹介していきます。
1 サラとの対話(14kb)
2 組織について(14kb)
3 分類と類型(13kb)
4 地質調査(9kb)
5 教育(6kb)
6 オッカムの剃刀(10kb)
7 地質学的終焉(18kb)(本号)
もし興味おありでしたら、ホームページにバックナンバーを掲載しています。ので、ご覧になってください。
 「地球のつぶやき」では、エッセイ以外に、読者へのLetterのコーナーもあり、そこでは、私の個人的なことや経歴など、なかり踏み込んだ内容が書かれていて、全体として、かなり大量の文章量となっています。もし、著者である私自身の生い立ちや、なぜ地質学を研究しているのか、どんな経歴なのか、などが気になる方、興味ある方は、かなり立ち入ったことまで書かれていますので、ホームページでバックナンバーをご覧ください。もしかすると、私のことがかなり理解できるかもしれません。

2002年2月6日水曜日

special7 地質学的終焉(2002年2月6日)

 すべてのものごとには、「終わり」があります。「終わり」の存在は、人類の歴史を紐解けば、多くの現象において、簡単に見出すことができます。また、地質学においても、「終わり」がある現象を、多数見出すことができます。人は「終わり」を望むことは、少ないでしょう。なぜなら、「終わり」ですべてが「停止」するからです。でも、その「終わり」が、いわゆるハッピーエンド(幸福な終焉)であれば、少なくとも、人には望ましい「終わり方」ではないでしょうか。地質学では、「終わり」があるといいましたが、どのような「終わり」があるのかを見ています。地質学のあるいは私独自(?)の「終焉観」を紹介しましょう。
 地質学とは、過去に起こった地質現象を調べ、その地質現象を再現し、その現象における本質(原因、起源、条件、法則、原理、変化則、必然性など)を解明する学問です。そこで重要なのは、「過去に起こった」ということです。すべて、終わってしまった現象なのです。
 化石は、かつて生きていた生物の遺骸の一部です。地層は、過去に起こった大規模な土石流や洪水で河川から運ばれた土砂がたまったものです。火山岩は、かつての火山噴火の際、流れ出た溶岩です。変成岩は、地下深部で高温高圧にさらされて変化し、地表にもたらされた岩石です。
 地質学の見ている「終わり」は、けっして、幸福な終焉(ハッピーエンド)とは思えません。でも、それは、人間の尺度あるいは情緒による見方です。幸福な終焉な現象は、地質学的には検出しづらいものです。つまり、不幸な終焉(アンハッピーエンド)が、地質学的には記録されてされていくのです。人間的な尺度で見ると、記録に残るという点においては、不幸な終焉の方が、幸福な終焉となっているのです。皮肉なものです。人間の情緒と地質学という異質の論理が組み合わさることによって、幸福より不幸のほうが幸福であるという、一種の詭弁のような警句(?)が出てくるのです。
 さて、話を地質学に戻しましょう。地質学とは、すべて、ある原因で起こった地質現象の「結果」、つまり終わってしまった現象を見ているのです。ですから、地質学で解き明かすべきものは、普通ではない「異変」の「終わり」の原因なのです。化石は死という不幸を、地層は洪水という天変地異を、火山岩は火山噴火という異常事態を、変成岩は岩石が地下深部にもたらされまた地表に持ち上げられたというダイナミズムを、探ることになります。地質学とは、「異変」を解明する学問といえるかもしれません。言い換えると、地質学的時間という非常に長い時間スケールでは、地表の「日常」は、地質現象としては残りにくく、「異変」しか記録しないものなのです。
 「異変」の例を、化石でみていきましょう。生物の個々の死が、化石となります。その死が集団や種全体の死となると、地質学における刻印も深くなります。その生物集団や種が絶滅する何らかの共通する原因があたったはず、と考えるわけです。また、集団における絶滅の規模が、全生物種の何割にも及ぶような事件だとすると、地球環境に急激な変化が起こったと考えられるわけです。全地球におよぶ原因とは何か、という謎解きに地質学的議論はおよびます。例えば、巨大隕石の衝突(約6500万年前におこった)、海洋の大規模な酸欠状態(約2億7000万年前)、全地球の凍結(約7億年前)などは、地質学的「大異変」として、深く刻印されています。このような超一級の「異変」も、長い地質学的時間スケールでは、一度限りの出来事ではなく、何度も起こっているのです。そして「異変」の規模が大きければ大きいほど、記録の刻印は明瞭となります。
 地質学とは、「異変」という「非日常」を調べる学問ということができます。しかし、近年、「日常」に目をむけ、「日常」のなかのささやかな「異変」を読み取るという試みもなされています。地質学の世界でも層状チャートとよばれる堆積岩のように、深海の「日常」を記録している地層もあります(「地球のささやき」の「3_21 層状チャート」を参照)。層状チャートは地質学においては主要な構成要素ではないですが、「日常」を記録する重要な存在として認識されつつあるのです。
 地質学においては、終焉とは、不幸なる終焉のみが記録されています。しかし、その不幸な「異変」が激しければ激しいほど、地質学的刻印は大きくなるのです。人間が望むのは幸福なる終焉です。でも、幸運な終焉は地質学的には記録にも残らない「日常」なのです。「日常」を記録するには、層状チャートがして見せたように、できるだけ長い日常を繰り広げることによって、他力でありますが、何らかの「異変」の刻印を刻むチャンスを広げることなのです。「異変」の刻印を「日常」的内部に持つこと、これが層状チャートが地質学的記録にとった戦略です。チャートはなにもしません。少しずつ日常を積み重ねていくのみです。

・終わりは突然に・
 「地球のつぶやき」としての、エッセイは、これを最後とします。つまりこれが最終号です。そのために、今回のテーマ「地質学的終焉」を選らびました。日常を重ねることによって、非日常を取り込むという戦略を本誌でもとります。
 現在まで、限定100名ということで、35名の方に、この「地球のささやき」の姉妹篇である「地球のつぶやき」を非公開で発行してきました。もともと、この「地球のつぶやき」は、「地球のささやき」の読者で著者にメールを下さった方に対する私の感謝の気持ちとしてお送りしていたものです。
 でも、本誌の終焉は、「Terra Incognita」というメールマガジンに移行することによって、「刻印」を残します。今回から非公開から公開に変更します。「Terra Incognita」は、「まぐまぐ」の公開のメールマガジンとして、「地球のつぶやき」と同様の発行形態、月刊誌として発行していきます。興味のある方は、以下のサイト
http://www1.cominitei.com/monolog/regist.html
からか、あるいは「まぐまぐ」のサイエンスのコーナーから購読をしてください。
・転進・
 4月1日付けをもって、私は転職します。それは、さまざまな理由の集積結果であります。非常に個人的、私的ことですが、そんなことを報告することで、この「地球のつぶやき」の最終号の最後とします。少し長いですが、転職にいたる顛末を記した文章を載録します。興味のおありの方は一読を。

以下「私が転職する理由」の載録(原文のまま)
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私が転職する理由
2001年12月1日 小出良幸 記

 私こと、小出良幸は、2002年3月30日をもって現職から転職する。
 その理由を、文章にして、以下に記す。こんな役にもたたないことを、公開の場に記するのは、明らかに自己満足に由来している。
 でも、もし、この口上を身に染みる人がいれば、大いなる喜びといえる。
 以下、私からの長い長い別離と旅立ちの辞である。

転職に当たって
 私は、2002年3月31日をもって神奈川県立生命の星・地球博物館を退職し、4月1日から札幌学院大学に転職する。
 公務員から私立大学への転職だから、何人かの人から、身分や給料、将来性などの条件を考えて、「本当にそれでいいのか」ということを聞かれた。私は「いい」と答えた。それには、当然、いくつかの理由がある。その理由を、口頭で説明すると長くなるし、多くの人は話しの種に聞く人だけなので、さらりと「私は新天地が好き」といっている。でも、本当に興味がある人には、しっかりと説明しなければならない。その説明が長くなるので、文章にして、「ここに理由を書いてある」と教えようと考えた次第である。
 まず、理由説明の前に、札幌学院大学についてである。
 札幌学院大学は、1946(昭和21)年6月に、札幌文科専門学院(経済科・法科・文科として創立され、1978(昭和53)年4月に、札幌短期大学と札幌商科大学がキャンパス統合(江別市)され、1991(平成3)年4月に今度私が行くことになった社会情報学部(社会情報学科)と経済学部(経済学科)が設置れた。現在、商学部、経済学部、人文学部、法学部、社会情報学部の5つがあり、夜間として商学部第二部が、大学院として法学研究科と大学院臨床心理学研究科がある。社会情報学部は1学年200名定員で、全学で1学年1,190名、総数4,500名程度の学生がいる。
 私は、社会情報学部の地学(全学共通科目、昔で言う教養科目)の教員として採用された。身分は教授である。

 次に、本題の私が転職する理由である。
 まず、理由は一つではなく、いくつかある。
理由1. 博物館には10年間勤務するつもりであって、その10年が経過した
理由2. 博物館における研究職としての生き方を示したかった
理由3. 転職の場は、ある限定した研究機関にした
理由4. 自分がやりたいことができる時間をつくりたかった
理由5. 自分と家族に一番いい環境で生活する
の5点である。
 その理由を詳しく述べる。

理由1. 博物館には10年間勤務するつもりであって、その10年が経過した
 実はこれが一番重要な動機である。
 私は、日本学術振興会特別研究員として籍を置いていた岡山大学地球内部研究センターから神奈川県の公務員として転職してきたとき、現在在籍している神奈川県立生命の星・地球博物館はまだなく、自然系博物館開設準備室であった。あったのは、25年前からある、神奈川県立博物館であった。当時の所属は、神奈川県立博物館の研究職だが、兼務辞令として、博物館開設準備室勤務があり、教育庁の準備室に常勤していた。しかし、博物館に机だけはもらい、そこで、時々行っては研究をやっていたが、実質は準備室と自宅で仕事(研究)をしていた。
 新設される博物館は、日本のスミソニアン博物館を目指すとして、研究を充実するのだという構想のものとに進められた。そのため、最新の装置を導入することになっていた。高精度2次イオン質量分析(SHRIMP)と呼ばれる装置で、当時世界に一台しかなかったが、その販売が始まったばかりだった。それが、使える人として私は呼ばれたのである。ただ、その装置が導入されるのは、開館後であるから3年間は、設立のための準備に専念しなければならい。だから、約4年間は、研究を片手間でしなければならない。主は博物館開設のための事務的仕事だった。もちろんそれに専念した。
 神奈川県に来て7年目に、研究の主体や興味が、科学から科学教育へ移っていることに気づき、8年目に人生設計をやりなおしてみた。人生設計では、今までの神奈川県における希望と実際に自分が過ごしてきたこと、そしてこれからの目標や希望を整理してみた。
 そこで、自分の興味が、科学もおこなっていたが、教育と科学の狭間を埋めること、博物館の地質学の新しいあり方を示すことに興味が移っていることが判明し、それを主要な研究と位置付け、10年間の集大成することを目標と定めた。その集大成が、11年目のあたりほぼできそうであるという見通しが立った。
 問題は次の人生の設計である。現在の博物館の環境は、非常に快適で、今後もそれなりの発展をさせられる気もする。しかし、今後10年間を考えたとき、今まで過ごしてきたような、未知のスリリングな人生ではなく、予想のつく人生であるような気がした。
 私にとって、自分の研究者的可能性が、まだ他分野あるいは境界領域、または地質学でも別のアプローチなどにおいて、まだまだあるのではないかと考えた。私の年齢からして、頭の働きそうなのは、あと20年間くらいであろう。だからその20年間を安穏として生きるよりも、その20年間を新天地で生きることを決断した。その新天地で、新たな自分の可能性にチャレンジしたいと考えた。その結果が、今回の転職となったのである。

理由2. 博物館における研究職としての生き方を示したかった
 現在、私の属する博物館の研究者の移動は、定年による移動だけで、ずっとこの博物館にいるという暗黙の了承があるように見える。しかし、研究者は、自分の能力や興味に応じて、転職をすべきだと、私は考えている。それが、日本の研究者の層の活性化に繋がるし、この流動に適応できない研究者は、研究職から去るか、あるいは一つのところに留まる優位性を対外的に常に示しながら、研究を続ける必要が出てくる。それも、やはり、研究の活性化に繋がる。
 どの職場でも一緒だと思うが、給料泥棒のような研究者が多すぎる気がする。「定職」についても、常に研究者の勤務状況、つまり十分研究しているかどうかを評価するシステムが働く必要がある。それは、論文の数でもいいし、あるいは別の評価法が必要ならその評価を独自に開発し、社会的にあるいは学会、専門集団で、評価できるものとして提示すればいいのである。それが、できなければ、その研究者は、研究してないと、対外的には評価される。それは、しいては失業に繋がるというシステムが必要であろう。そのような流動する研究者として生きる、という実例に博物館でなりたいと考えた。
 一般に、研究者としては、学会的に評価される論文を書くことが一番手っ取り早い、実績となると考えられる。そのため、たとえば、博物館から流動する研究者になるために、10年間は業績を作るために、必死で研究し、論文書くことになるはずである。現状の学芸員のような十年一日のような研究生活はできないはずである。
 私はこの11年間に、私自身が第一著者である論文は34篇、うち査読つき論文11篇を書き、著書13冊、うち出版社からの本3冊という実績をつくった。私は、このような実績をつくって流動する研究者を目指した。
 これが博物館の研究者の生き方の見本とはいわないが、後輩もしくは同僚学芸員たちに、僭越ながら、研究者としてのあり方の一つの例を示したいということも、転職の動機の一つである。
 さらに、自分が現在占めているポストを、他の新人研究者に空けることが、上記の理由から、博物館の活性化に繋がるのではないかと考えている。博物館に、私の行為が共感を呼び、後に続く研究者が出ることを望む。

理由3. 転職の場は、ある限定した研究機関にした
 家庭をもっているので、定収入を得る見込みもなく退職して、次の職を探すことはできない。就職先は、研究職である。従って、他の博物館や大学などの研究機関である。そのため、現状で自分の専門や能力、環境などの条件があった公募を探し、応募することである。そのとき、なんでも応募するのではなく、自分の好みにあたところのみに応募することとした。
 その好みとは、研究あるいは自分が自由に使える時間が、十分取れる環境であることである。会議や公務で振り回されない環境である。
 現在、国立大学は改革の真っ最中で、そのために会議が多いと予想される。国立大学、それも地方大学はもっと大変なので、応募はやめる。ただ、学風で好みに合うのは京都大学だけは、例外として(その理由は学風である。学風の由来は「京都帝国大学の挑戦(ISBN4-06-159896-3 C0137)」)、公募に応募したが、駄目だった。
 国立で可能性があるのは、改革の終わった研究機関である。国立極地研究所もその一つであるので、応募したが、駄目だった。
 他の選択肢は、公立(県立、市立)大学、もしくは私立大学となる。一番の理想は私立大学である。私立大学は、学部を問わず、新天地として自分にできそうな分野であれば応募した。情報学部は望むところである。新たな展開が予期でそうでだからである。
 文教大学の情報学部3度応募、大阪工業大学1度、姫路工業大学1度である。
 そして、今回、札幌学院大学社会情報学部の地学の教官に応募し、採用された。教授もしく助教授の公募に30名弱の応募があり、その中から私が採用された。

理由4. 自分がやりたいことができる時間をつくりたかった
 自分がやりたいことは、新たな展開による研究と本を書くことである。そのためには、給料をもらうためのノルマが少なく、自分の時間が今より確保できる環境が欲しかった。
 新たな展開による研究とは、まだ、決めてない。転職後、現在の続きの研究や公務をしながら、置かれた環境とインタラクションしながら、あたらな研究テーマを探していきたい。楽しくてわくわくしている。人生設計のときにも述べたが、新しいことを始めるには、40歳代が最後のチャンスとなると考えている。全く新しいテーマや分野に開拓しながら進むには、好奇心、体力、精力、精神力が必要である。そのためには、若さが必要である。それは、私は40歳代としている。
 50歳になる前には、テーマをきめて、50歳台にはその条件作りを終えて、進んでいたい。幸い、45歳で転進できたので、5年間の間に、新しいテーマを決めてスタートし、条件作りする期間が用意できた。
 私は、修士課程で北海道大学理学部から岡山大学温泉研究所に行ったとき、博士課程で北海道大学理学部に行ったとき、研究生で岡山大学の地球内部研究センターに行ったとき(2年目から学術振興会特別研究員となる)、学術振興会特別研究員から博物館に来たときそうであったように、新しい環境にはいれば、新たなエネルギーが沸いてきて、新しい環境で新しい研究テーマが生まれてきた。今度の新天地でも、そうなること望んでいる。いや、そうする。それが楽しみで、転職したのであるから。
 次にやりたいことは、本を書くことである。その本として、子供向けの地球科学の本、地球科学の普及書、専門書、自然史教育学の本、が現在考えているテーマである。
 子供向けの地球科学の本は、予定では5巻完結のテーマがある。まだ、目次だけではあるが。
 地球科学の普及書は、現在ある「石ころから覗いた地球誌」の続編を書くことである。「石ころから覗いた」3部作として、「石ころから覗いた宇宙誌」「石ころから覗いた生命宇宙誌」があるが、ある程度草稿は書けている。それを、完結したいと考えている。
 教科書であって教科書的でない専門書として、岩石学と同位体地球科学の本を書きたい。それは、吉田武著「オイラーの贈物(IABN4-87585-153-X C3041)」や「虚数の情緒(ISBN4-486-01485-5)」がその手本となるものである。
 そして、現在行っている科学教育の集大成として、自然史教育学の理論と実践書の2冊である。
 このような著作のために、十分の執筆時間が欲しいのである。

理由5. 自分と家族に一番いい環境で生活する
 私は、もともと田舎で生活したいと考えている。当初は、地方都市と漠然と考えていた。しかし、近年のインターネットの発達により、田舎でも最低限の収入、電気、水道、電話という必要条件さえ満たせばよいというようになった。いや、田舎ほどよいと考えるようになっていった。
 私自身にとっても、家内や子供たちの生活、生育環境として、都会より田舎がいいと考えている。だから、公募への応募もそのような条件を満たすところとなる。そして、今度の転職が、現在の私の人生設計では、最後の展開となるかもしれない。この地が、一生を終(つい)の地として、一番いいと思うところでなければならない。
 文教大学に何度も応募したのは、現在の湯河原の住居から通勤可能あるためである。また、それ以外の応募大学も、私の望む環境を満たすところが近くにあったのである。今回の札幌学院大学は、札幌とは言っても江別市で、野幌森林公園の周辺で、自然のあるところでもある。それに、なんといっても私は札幌に十年間すんでいたので、その住みやすさは知っていたのである。札幌あるいは江別は、理想ではないが、ベターな地域である。家族にとっては、私の望む田舎よりベターであろう。そして、何年かの借家住まいをした後、ベストの終の住まいを作ればいいと考えている。

さいごに一言
 以上、私の転職の理由やそれにまつわることを長々と述べてきた。
 ご理解いただけであろうか。理解できようが、できまいが、私が選んだ道である。私が転職した理由であるので、客観的であろうが、独善的であろうが、心のままである。
 批判や意見より、こんな人もいるという温かい目で、私の新天地への船出を見守って欲しい。
 今、私は、あれもやりたいこれもやりたい、という思いでいっぱいである。
 少なくとも私は、どこで難破しようが本望である。
 See you again, anywhere, anytime.