2008年12月1日月曜日

83 ベリンガー事件と造形力説:化石の認識(2008.12.01)

 化石が昔の生き物の一部というのは、当たり前の考え方に思えます。ところが、その考え方にいたるまでには、紆余曲折がありました。その紆余曲折の原因として造形力説があります。造形力説を象徴するようなべリンガー事件が起こりました。それらを紹介しながら化石の認識に関する歴史をみていきしましょう。

 化石とは、字のごとく「石に化けてしまう」ことです。何が石に化けるかというと、もともと石でないものです。化石の代表として上げられるのが、貝の殻や歯、骨などがあります。
 化石は、英語でfossilと書きますが、ラテン語のfossilisがその語源となっています。ラテン語のfossilisは、「掘り出されたもの」という意味で、現在の化石の意味とはかなり違っています。
 もちろん現在では、化石やfossilを「掘り出されたもの」という意味に使われることはありません。今では、小学生でも、化石は昔の生物が石になって発見されたものだ、ということを知っています。その考え方は、直感にあっています。
 たとえば、山奥の地層の中から貝化石がでてきたとしたら、どうして山で貝化石が見つかったと考えましょう。貝化石が、今は海に住んでいる貝が持っている殻に似ていることは、誰でも一目見ればわかります。その類似性に注目すれば、この地層自体が海でたまったものであること、そしてその中に海に住んでいた貝も一緒に埋もれてしまったこと、体の身の部分は腐って硬い殻だけが残ったということを、容易に連鎖的推測ができるはずです。この話を子供にしても、十分理解できるでしょう。
 昔の人も、同じような発想を持っていました。
 中国では、顔真卿(がんしんけい、709~786)や朱子(しゅし、1130~1200)の書いた書物の中に、「化石は過去の生物の遺骸である」という意味の文章があります。ですから、今の同じような化石の認識を持っていたのです。
 ギリシア時代にも、タレス(Thales、BC640~546頃)やその弟子のアナクシマンドロス(Anaximandron、BC615~547)は、化石が過去の生物の遺骸であるという考え方をしていました。また、クセノファネス(Xenopanes、BC570~475頃)は、山の地層から見つかった貝化石から、そこがかつて海であったと考えていました。
 このように過去の知識人たちは、上で述べたような素直な発想で化石をみて、妥当な推測をしていました。
 ところが現在の科学の源流となっている西洋では、そのような認識が長く失われていました。その原因の一つとして、西洋の宗教的背景が挙げられます。化石への間違った認識に至ったのは、宗教の呪縛ともいうべきものがあったためです。
 アリストテレス(Aristoteles、BC374~322)は、化石の起源として「造形力説」という考え方を示しました。造形力説は、神秘的な特殊な力によってつくられたという考え方です。化石は、「自然のいたずら」や「神のたわむれの作品」などとする説が中世のヨーロッパでは主流となってのです。
 宗教の教義は聖書、それ以外の学問はアリストテレスの考え方が、キリスト教に取り入れられました。この化石の起源の造形力説も、宗教的な背景を支持するものとして、キリスト教が勢力を持っていた間、西洋で主流の考え方として信じられていました。
 西洋社会が宗教の呪縛から解き放たれつつあったルネッサンスころには、少しずつ化石の認識が変わってきました。レオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci、1452~1519)は、陸で発見した貝化石を、かつて海にすんでいた海生生物が地層にうまり、地殻変動で陸地に上がったという推定をしていました。彼の手記には、その記録が残されています。また、「鉱物学の父」と呼ばれたアグリコラ(G. Agricola、1494~1555)は、1546年に「化石の本性について」を出版して、化石を生物の遺物としていました。
 さらに時代が進んで18世紀になると、西洋では産業革命が起こります。それに伴って大規模な土木工事がおこなわれるようになり、各地で化石が発見されるようになりました。それに興味を惹かれる研究者もでてきました。多くの観察事実から化石の正しい認識への道を歩む一方、造形力説を信じている人たちはまだたくさんいました。そんなとき、造形力説の衰退を象徴するようなベリンガー事件がおこりました。
 ドイツのヴュルツブルク大学の教授ベリンガー(J. B. A. Beringer、1670~1740)は、三畳紀の石灰岩層に含まれている化石を研究していました。同大学の地理と数学のロデリック教授と大学図書館の司書のエックハルトは、ベリンガー「我々に対しあまりにも横柄で見下した態度をとった」ため、腹を立てたていました。そこで彼らは、ベリンガーに復讐するために、3人の青年を使って、石灰岩を削って偽の化石をつくりました。偽化石をベリンガーが調査で調べそうなところに埋めておきました。
 偽化石の中には、クモ、カエル、ハチ、カタツムリ、トカゲや鳥、ナメクジやミミズなど、およそ化石になりそうにないものや、輝く太陽や月、星、彗星の化石、ヘブライ語の文字の化石など信じられないものも含まれていました。
 ところが、ベリンガーは、これらすべてを本物と信じて疑問を持たなかったのです。化石の一部は生物の遺骸に由来すると考えていましたが、残りの多くは、「神の気まぐれないたずら」という「造形力説」で解釈していました。また、化石に明に残っていたノミの跡さえ、神がふるったノミの跡と信じていました。一方、ロデリックとエックハルトは、贋作という悪戯が行き過ぎたので、偽造の過程を示したり、偽造した石を送って贋作を知らせたのですが、それすら、自分の手柄を妬んで、貶めるためだと考え無視しました。
 彼は、その成果を、1726年に「リトグラフィエ・ヴュルセブルゲンシス」(Lithographiae Wirceburgensis、ヴュルツブルク産化石の石版図集と呼ばれることがあります)を出版しました。
 その後すぐに、この贋作事件は発覚し、べリンガーは名誉毀損の訴え、裁判沙汰になりました。ロデリックはヴュルツブルクを離れ、エックハルトも司書をやめざる得ませんでした。べリンガーの名誉は失墜したでしょうが、その後も大学で教鞭をとり続けたようです。
 ベリンガー事件の犯人は裁かれ処分を受け、べリンガー人も名誉を傷つけられました。しかし、この贋作事件のそもそもの犯人は、化石が造形力説によって形成されるという考え方がではないでしょう。ある考え方を信じ、それに基づいて行動していくと、たとえその考えが間違っているという証拠が一杯あったしても、見えなくなってしまうのです。「あなたは間違っていますよ」という助言があったとしても、それすら疑ってしまうのです。思い込み、あるいは思い入れには、注意が必要です。常に冷静に、そして公平に周りをみる目が必要です。心しなければなりません。
 このような贋作事件は、造形力説が生み出したものですが、18世紀には、斉一説やそれに基づく進化論の登場によって、造形力説が終焉を迎えます。その話は、別の機会にしましょう。

・日本の化石・
日本は、中国の影響によって本草学が
古くから伝わっていてました。
本草学の対象に、化石も含まれていました。
しかし、本草学の中には、現在の化石という認識はありませんでした。
ですから、日本では、化石に対する認識はなかったのです。
日本語の「化石」は、平賀源内などによって用いられ、
木や葉の石になったものの俗称だったそうです。
明治初期より鉱山関係者で化石という言葉や認識が
普及し、定着してきました。
日本の化石の認識は、西洋より遅れていたのです。

・師走・
11月の週末に我が大学の推薦入試が行われました。
もうそんな季節になったのです。
大学では、来春のための準備が着々と進んでいます。
そして、大学を目指す若者は、
必死で入試に臨んでいるわけです。
そんなひたむきな若者の姿をみると、
教員の心に響くものがあります。
応えるべき教員も誠意をもって
入試に当たらなければなりません。
そんな忙しさを感じる師走です。
このエッセイが今年の最後の号となります。
今年一年このメールマガジンの購読ありがとうございました。
来年も継続していきますので、よろしくお願いします。

2008年11月1日土曜日

82 生きていた証を残すには:存在証明(2008.11.01)

 生きているということについて、ここ数回のエッセイで考えています。今回は、「生きていた証」について考えていきます。「生きていた証」と「生きている証」は、言葉としては似ていますが、実はその意味には大きな違いがあります。「生きていた証」を残すことの難しさと重要性について考えていきます。

 「80 生きているとは:生命の定義(2008.09.01)」と「81 生命の宿るもの:生命論(2008.10.01)」で、「生きている」ということについて考えてきました。「生きている」とは、生物学的に考えても、なかなか難しい問題でした。そして、哲学的にも同様に難しい問題でした。
 ヨーロッパでは、近世まで、宗教を絶対的なものと考えている社会でした。宗教的な社会では、信仰によってのみすべての「真理」が得られると考えられていました。このような1000年以上にわたる伝統的な考え方は、スコラ哲学として体系化されていました。
 ところが近世になり、デカルトが「方法序説」(1637)の中で、「我思う、ゆえに我あり」(Cogito ergo sum:ラテン語)という言葉に象徴されるように、「自己を確立しろ」と唱えました。ラテン語の「コギト・エルゴ・スム」が有名ですが、実は「方法序説」はフランス語で書かれていました。当時の学術書はラテン語で書かれるのが慣例でしたが、デカルトはあえて母国語であるフランス語で書いたのです。「コギト・エルゴ・スム」は、デカルトの親友のメルセンヌ神父がラテン語訳した言葉なのです。閑話休題。
 デカルトの「コギト・エルゴ・スム」の意味するところは、真理の追究を、人間が本来持っている理性(自然の光と呼んだ)によっておこなうべきだという姿勢を表すものでした。それに共感して、宗教から自己を解き放ち、自己の確立が、この時からはじまったのです。
 では、自己が確立されると、次に何がおこるでしょうか。それは、「自分は何のために生きているのか」という自己の生存の目的が重要になってきます。つまり、自分が「生きている証(あかし)」を求めるようになるはずです。「生きている証」とは、自分の「存在証明」であり、「生きがい」ともいえます。言い換えると、一種の自己顕示ともなります。
 「生きている」とは、物理的、生物学的に考えれば、自分自身のために、自身の肉体を未来においても存続することで、「生」を少しでも永らえる活動といえます。そのためには、食べなければなりません。「食べる」とは、見方を変えると、今の空腹を満たすという意味のほかに、未来に向けて自己の生を永らえるという重い意味もあります。
 人が自分自身を生き永らえるための原動力となるものこそが、「生きがい」と呼ぶべきものではないでしょうか。そして、本当の自己の「生きがい」の発見は、自己の確立から始まるのです。デカルトの「コギト・エルゴ・スム」には、そのような意味があると思われます。
 「生きがい」が昂じると、自分が「この世」に生きているという証を、他人に示したくなります。自分の「存在証明」は、対外的に社会に対しておこなうのですが、最終的には自分の心における満足感を得るためのものです。「死」が訪れれば、自分の「存在証明」は、無になってしまいます。
 「生きている証」とは、生きている自分自身のためで、個人の生存期間しか保持できないものです。ところが「生きていた証」は、生が過去になってから、つまり当人が死んでからのことです。「生きている証」は、本人の死とともにすべて消えていきます。「生きていた証」は、本人の意志に関わりなく、残ったり消えたりします。そこには、必然だけでなく、偶然も働きます。本人が生きている間に「生きている証」を残す努力をいくらしても、後の時代にまで、「生きていた証」が残るかどうかはわからないのです。
 たとえば、ある研究やある作品などとして「生きている証」が示されたものは、後の時代に「生きていた証」として残るかどうかは、本人には判断できません。同時代の人にも判断できません。その時点で、どんなに「生きている証」が評価されていても、10年後、100年後、1000年後に同じ評価が下されているとは限らないのです。100年前の研究や作品、1000年前の研究や作品で、現代に残っているものが、どれほど少ないかを考えれば、「生きていた証」が残ることの難しさがわかります。
 逆に本人が生きているときに「生きていた証」としての評価が低くても、後の時代にその重要性が高く評価され、歴史に名を残すこともあります。
 ドイツ人の気象学者ウェゲナー(A.L. Wegener, 1880~1930)は、1912年に、「大陸と海洋の起源」のという著書の中で、「大陸漂移説」を唱えました。彼の大陸漂移説の根拠として、大西洋の両岸の海岸線の類似性、氷河や古気候の連続性、南半球の古生代末の化石の共通性などを挙げ、大陸が分かれて現在の位置に移動したことを主張しました。
 現在の科学の基準と照らし合わせても、この根拠は立派に通用するものです。
 大西洋をはさんで南アメリカ大陸とアフリカ大陸の海岸線の形が似ているのは、地図を見れば誰でもわかることです。しかし、当時の地質学者たちは、それは偶然の産物としました。
 また、氷河の痕跡や古気候も、同緯度、似た標高であれば、氷河はできるし、似た気候帯もできるのだから、それが大陸が移動したという根拠にはならないとされました。
 化石は、当時も重要な根拠でした。化石は、現在でも離れたところの地層を対比するために使われる地質学の基本的な手法でもあります。当時の地質学者も、当然両大陸に似た化石があることを知っていました。しかし、大陸は動くはずもない考えていた地質学者たちは、「陸橋説」で説明していました。
 陸上植物や陸上動物などが移動するためには、陸地が必要です。海で隔たった大陸で似た化石があるのならば、大陸間を橋のように細くてもいいから一時的に陸地つづきであったと考えたのです。そのような陸地の橋を陸橋と呼んだのです。陸橋説は、地質学ではよく使われている説明方法で、実際に一時的に陸続きなっていた地域もあり、実用的でもありました。実際には、大西洋はあまりに広く、陸橋の証拠もありませんでした。当時は海底の情報がなく、消えた陸橋の痕跡なというような反論をすることもできませんでした。
 地質学者ではなく気象学者だというハンディだけでなく、ウェゲナーの不幸であった点は、当時の地質学者が、そろって大陸漂移説を否定するか無視をしたことでした。反論としては、ウェゲナーの漂移説の最大の問題点である大陸移動の原動力が証明できないことが指摘されました。ウェゲナーはマントル対流を理由としてあげていましたが、証拠がなく説得できませんでした。
 ウェゲナーは、大陸漂移説が評価されることなく、1930年におこなったグリーンランドの5回目の調査中に遭難して、50歳で死にました。翌年遺体が見つかりました。ウェゲナーの死とともに、大陸漂移説は正当な評価を受けることなくこの世から忘れ去られたのです。
 ところが1950年代に、プレートテクトニクスの出現によって、ウェゲナーの大陸漂移説は復活し、評価されました。今では、当時ウェゲナーを批判した多数の地質学者の名前は歴史から消えましたが、ウェゲナーの名前は歴史に残り、今も彼の書いた「大陸と海洋の起源」は再出版され、何度も翻訳され、多くの人に古典として読まれています。
 ウェゲナーの「大陸と海洋の起源」は、自分が生きている間は、非難の矢面に立たせる「生きている証」であったのです。しかし、「大陸と海洋の起源」を書いたからこそ、彼は「生きていた証」として蘇ったのです。同じ本が、ウェゲナーに時間経て批判と賞賛の両方を与えたのです。
 「生きていた証」は意図して残ることはできませんが、「生きている証」は意図して残すことはできます。生きている人間にとって、「生きている証」を残す努力はできるのです。人間社会において「生きている証」を残さないことには、「生きていた証」として残る可能性はゼロに近いのです。もし、「生きている証」を残せば、そこには、「意図しない評価」が生じることもあります。だから、私たちは、対外的に自分の「存在証明」を残し続けていかなければならないのです。
 ところが自然界は、意図しされた存在証明などありません。そこには意図されない存在証明しかないのです。古生物学という学問は、過去を探る手法として、化石を用います。古生物学では、過去の生物の一部を「生きていた証」として用いて研究をしていきます。化石は、生物が生きていたという証拠になります。生物の死が、科学の素材となるのです。しかし、化石なった生物は、意図して死んだわけではありません。でも、その死が無駄になることなく、存在証明として、私たちの科学で蘇ったのです。死が資料として、本人は「意図しない評価」が生じるのです。古生物学とは、死の蓄積の上に築かれているのです。化石の元になった生物の死は、古生物学にとってなくてはならないものとなっています。
 化石は、生物が、その時代に、その地で、生きていたという存在証明です。存在証明こそ「生きていた証」なのです。

・累々たる死・
以前、私は自然史博物館に勤務していました。
博物館には、恐竜の化石、大きなアンモナイト化石、
動物の骨格、剥製、植物の押し葉標本、昆虫の標本など
わくわくするようなものがいろいろありました。
もちろん今も展示されています。
考えてみると自然史博物館とは、死の蓄積、展示所ともいえます。
見事な死体が、子供たちや市民に、
昔の不思議な生物、現在の多様な生物を教えてくれるのです。
展示場でそのような状態ですから、
収蔵庫は、もっと死が満ち満ちています。
累々たる死の山が、彼らが生きていた証として
科学を進めているのですね。

・秋も終わり・
北海道は、いよいよ秋も終わりに近づいてきました。
近隣の山並みにも、初冠雪がありました。
通勤途中の道から、白くなった山並みを見ることができました。
里でも、冷たい風が吹くようになってきました。
例年、札幌市内では、10月下旬から11月上旬に初雪が観察されます。
もう11月ですから、いつ初雪があってもおかしくない状態です。
朝夕の通勤で寒さがこたえるようになって来ました。
冬のコートを着なければならないほど
冷え込みに強くなりました。

2008年10月1日水曜日

81 生命の宿るもの:生命論(2008.10.01)

 生命という言葉、なにか生物の違ったニュアンスがあります。生物が実体があるのに対して、生命は生物の中に宿っている目に見えない何かのような意味合いに使っています。生命という不思議なものについて考えていきましょう。

 生物の定義は、なかなか難しいものです。前回のエッセイでも取り上げたように、生物なら満たすべき条件を示すことは可能で、多くの生物はその条件を満たしています。たとえば、個体、代謝、複製、進化というキーワードを、必要条件としてして挙げることはできます。
 しかし、本当にそれで生物の定義を完全にできたかどうかは、怪しいものです。なぜなら、生物の十分条件を挙げることができていないからです。「生きている」ということは、先にあげた必要条件でだけではすまない、やはり神秘的な部分があります。その神秘的なものを「生命を宿す」などと表現しているのではないでしょうか。生物は「生命を宿す」ものといえます。「生命を宿す」かどうか、つまり生きているかどうかは、直感的にわかるようなものもあるのですが、生死の境界があやふやな生物もいます。
 生物も生命と呼ぶと、とたんに曖昧模糊としたものになりそうです。このような疑問は、私だけのものではなく、昔から悩んできたものです。たとえば、「霊魂」という言葉があります。霊魂とは、「身体内にあってその精神・生命を支配すると考えられている人格的・非肉体的な存在」(広辞苑)として、生きているものにあり、死ぬと肉体から抜けていくものと捉えられていました。人間だけに霊魂があるのではなく、生物全部にあるという考え方もあります。
 このような生命について考えることを、生命論(あるいは生命観)と呼ばれてきました。もちろん、生命をどう考えるかは、科学の発展によって変わってきます。
 西洋では、そのような霊魂の存在を認める立場で、生気論(活力論ともいう)という考え方がありました。生気論は、古くからある考え方で、生物に非物質的な「生命力」と呼べるようなものが存在していて、無機物とは異なった現象をおこすという考え方です。
 生命論には、三大問題がありました。
1 無機物からの生物の発生が可能か
2 個体発生は前成か後成か
3 生物の種は不変か、それとも進化するか
の3つです。今では、これら3つの問題は、生物学の問題として解くことになります。かつては、この3つの問題でどの考えをとるかは、キリスト教の教義にかかわる重要な問題でした。キリスト教では、神が生物をつくり(1は生物の発生はない)、個体発生は前成説で、種の不変という立場でした。
 1の問題には、2つの側面があります。ひとつは生物の起源と、もうひとつは個々の個体の発生の問題です。
 個体発生において、無機物から生物が発生することを自然発生といいます。生物の自然発生については、L.パスツールが1862年におこなった有名な「白鳥のくびフラスコ」の実験によって否定されています。空気だけが出入りする長く細いフラスコを使って行われた巧みな実験です。フラスコの中に生命が自然発生しそうな条件(栄養や環境条件)を与えたのですが、生物は発生しないという実験でした。この実験によって、個体の自然発生がないという決着がつきました。
 では、生物は自然発生をしないのなら、神がつくったのかということになります。現代の科学は、それは否定してます。しかし、残念ながら生物の起源について完全な答えは、まだ出ていません。ただ、1936年、オパーリンによって科学的研究の方向性が示され、1953年におこなわれたユーリーとミラーの原始生物の誕生に関する実験によって、生物起源も科学的に探究できる可能性が示されました。以来、いろいろな実験が行われ、生物起源に迫ろうとしています。しかし残念ながら、科学的に生物起源のシナリオは、まだ完成していません。
 2の問題の中にあった前成と後成というのは、聴きなれない言葉です。生物の個体発生のときに、成体の原型が卵・精子あるいは受精卵にすでにあるというのが前成で、もともと特別は構造はなく受精後いろいろな器官ができて最後に成体になるというのが後成です。
 2に関しては、キリスト教の重要な論理的指針をつくったアリストテレスは、後成説をとっていました。顕微鏡ができて、受精卵の観察ができるようになると、後成説を示す証拠が見つかってきました。ですから、現在の科学では、前成説は否定され、後成説となっています。
 3の問題については、ダーウィンの「種の起原」(1859年)よって進化の考えが提示されて以来、科学は多数の化石などの証拠から進化が起こっていることを示しました。
 でも、よく考えると、これら3つの問題も、実は生物の必要条件を検討していることになります。科学とは、必要条件を求める行為なのかもしれません。
 科学の発展にともなって、17世紀ころの西洋では、生物は一種の機械とみなす「生命機械論」が生まれてきました。生命機械論とは、生物の現象を最終的に物質現象として理解していこうという立場で、今の科学のアプローチと同じものです。
 デカルトは、「人間論(1633年に書かれたのですが、この年のガリレイ宗教裁判を知ってその発表を断念しています)」や「方法序説(1637年)」の中で、生命機械論を展開しています。「方法序説」では、動物を「ゼンマイをまいた自動機械」と書いています。ですから、霊魂の存在を議論することなく、生物を機械として解明していこうという考え方でした。魂(アニマ)の存在は認めながら、植物も動物も人体も機械と同様の物体であるとしました。そして、最終的には、科学と宗教を分離しようという主張になります。
 その後も、生命機械論は受け継がれ、ラ・メトリーの「人間機械論」(1748年)では人間の霊魂をも否定し、生命機械論を徹底していく立場のありました。当時、このような生命機械論は、少数意見で、反キリスト教の危険思想でもありあまり受け入れませんでした。
 18世紀後半から現在まで、生命機械論は還元主義的機械論となっていきます。生命現象は、究極には物理的、化学的現象であり、物理的、化学的法則によってすべて解明できるという考え方です。そこでは、特殊な生命力や霊魂などというものは認めていません。
 さらに、F.ウェーラーは1828年に無機化合物から尿素を、A.W.H.コルベは1845年に酢酸を合成しました。それまで生物しかつくりえないと考えられてきた有機物が化学的に合成されたのです。これらの実験によって、ますます、生命力や霊魂などが必要でないということになりました。
 19世紀後半に、エンゲルスが弁証法的唯物論の立場での生命観を論じ、その考え方が、20世紀の唯物論者に引きつがれた。そして今の科学へとつながります。
 もちろん、そのような考え方に批判的な立場もあります。たとえば、デュ・ボア・レーモンは、機械論的立場を取りながらも、宇宙の究極には不可知の問題が残るはずだとして、単純な唯物論的理解を批判した。20世紀初頭になると、各種の現代的な生命論が現れました。H.ドリーシュは、1899年に生気論に立つことを表明し、「有機体の哲学」(1909年)で新生気論を展開し、動物の調和した現象を成り立たせる超物質的原理が存在するとしました。ほかにも、J.C.スマッツやJ.S.ホールデンの全体論(holism)、ベルタランフィの有機体論などが現代の生命論としてあります。
 20世紀後半には情報理論の分野が発展してきて、生物学にも広く適用されてきました。そのから、生物の個体を自動制御機械とみなすような考えもできてきました。たとえば、ウィーナーによる生体を自動制御のシステムと見なすサイバネティックスや、ベルタランフィの一般システム理論、人間を一種の有限自動機械(ファイナイト・オートマトン)とする見方などが、広がってきました。
 今後も、生物に関する現象は、科学の進歩によってますます詳しくわかっていくはずです。しかし、やはりどうしても解けない、理解しがたい存在して「生命」は残るような気がします。生物を生物たらしめるなんらかの存在、まさに生命力や霊魂のような存在を認めるか否かの選択に、最終的になりそうです。

・授業スタート・
わが大学も、いよいよ後期の講義が始まりました。
またあわただしい日々が続きます。
わが大学は、他の大学に比べて、
後期のスタートが1週間遅くなっています。
でも、いよいよ講義が始まります。
これが大学の日常といいうべきものでしょうが、
やはり長い休みから講義が始まるときは、
つらいものがあります。
これが重要な本務ですから手を抜くことができません。

・秋・
今年の夏は例年なみの気温でしたが、
9月の中旬から北海道は、
急に冷え込みだしました。
朝夕は寒く、上着がないとすごせないほどです。
まだストーブはつけていませんが、
寒がりの人たちは、もうつけているかもしれません。
ところが、我が家の次男は、まだ半袖でいます。
家内がいくら言っても半袖を着ようとします。
風呂上りには、暑いといって、上半身裸です。
とうとう家内が半袖をすべてしまってしまいました。
本当に暑いのかもしれませんが、
いくらなんでも、半袖はみるからに寒そうです。
風邪をひかなければいいのですが。

2008年9月1日月曜日

80 生きているとは:生命の定義(2008.09.01)

 生きているということについては、哲学的な問題として取り上げられますが、今回は、生物学的な見方をしていきます。生きていることについて考えるとき、いたるところに落とし穴がありますから、注意して考えなければなりません。

 「生きている」ということは、どういうことでしょうか。なかなかの難問です。多くの哲学者が、その答えを求めて悩んできました。悩んだ末に出された答えは、難解です。だれでもがわかるようには、提示されていません。そんな難問に、気軽に取り組むと、迷路に入り込んでしまいます。そこで、「生きている」目的を問うのではなく、「生きている」ことを定義してみることにしましょう。
 「生きている」ということは、いろいろな考え方ができるでしょう。ここでは、生物が無生物とは違う点として、共通に持っている特性のことにます。生物共通の特性には、いろいろなものがありそうですが、「生命」をもっているということと言い換えられそうです。
 ここでは、「生きている」ことを考えのですが、それを「生命」の定義と置き換えて考えていきましょう。では、その「生命」とは何か。
 私たちが知っている生命は、地球の生命だけです。地球の生命でも、その営みは炭素を中心としておこなわれ、なおかつ私たちが生命とみなせるものだけです。もしかすると、地球には私たちが知らない、あるいは知り得ない生命がいるやも知れません。
 生命の中で私たちが扱うことができるのは、「(地球)生物」だけです。これ以外の「ガイア(地球生命)」や「地球外生物」、「デジタル(人工)生命」などは、生物学の対象となりません。なぜなら、実体が不明で、実証的な科学では扱えないからです。
 それでは、「生命」の定義をみていきましょう。
 生物学辞典では、生命とは、「生物の本質的属性」で、それは「すべての生物がもっている共通の性質」となっています。これは、このエッセイの前提としてていることですが、答えにはなっていません。
 上の文章でも、生物学辞典の定義でも、「生物」という言葉がでてきました。「生物」は、当たり前に使っている言葉ですが、この言葉も調べておきましょう。生物学辞典で、生物とは、「生命現象を営むもの」とあります。
 この「生命現象」の生命は、上の定義では、「生物の本質的属性」となっていました。「生命」と「生物」は、お互いに相手が定義に依存していて、独自に定義ができていません。つまり、両者が一種の循環論法を用いていることになります。これは、生命および生物の定義が、完全なものではないこと、あるいは非常に難しい問題であることを反映しています。この問題は、長く人類を悩ましてきたことを反映しています。しかし今や、その答えを、不完全ながら出すことが可能になってきました。
 定義を述べる前に、少し考えておくべきことがあります。それは、私たちは、生命というものをなんとなく見分けることができるのではないかということです。定義などできなくても、私たちは、なんとなく直感的に生命を感じとることができます。もしそうなら、わざわざ定義などする必要はありません。
 たとえば、じっとしている茶色い犬と、その犬にそっくりな置物があるとします。両者には、共通点がたくさんあります。茶色い、動かない、4つ足があるなどというようなものを、多数挙げることができるでしょう。両者の決定的違いは、遠目ではわからないかもしれませんが、近づいて見るとわかります。小さな違いは探せばいくらでもでてくるでしょうが、その違いの中には本質あるいは生命にかかわるものが混じっているはずです。それが、私たちには直感的にわかるようなのです。私たちには、犬は生きていて、置物は生きていないという決定的で本質的な違いがわかるのです。
 次の例です。寝ている猫と死んでいる猫がいるとします。これらの違いも、よく見ればわかります。その違いは、探せばいくらでも出てくるでしょうが、私たちには、生きているか死んでいるかが、直感的にわかります。「生きている」、つまり生命があるかないかは、定義など知らなくても、私たちには、直感的にわかるのです。
 実はそこに、落とし穴があります。犬や猫のように、私たちに身近な、あるいは近縁な生物の「生命」のあるなしは見分けやすいのですが、縁の遠い生物では見分けづらくなっていきます。
 植物の枝を切ったします。その枝を生育できる環境に挿せば、挿し木として生命活動をします。しかし、ほったらかしにしたらその枝は枯れてしまいます。では、この枝の、生きていると死んでいるの境界はどこにあるのでしょうか。なかなか難しい問題です。
 タバコやトマトの葉に斑点ができ、奇形でよじれ、成長が悪くなるタバコモザイク病というものがあります。その原因は、現在では、タバコモザイクウイルスであることがわかっています。そのウイルスは、1935年アメリカの生化学者スタンレーが化学的に抽出しました。抽出したものは、なんと高分子の「結晶」となりました。「結晶」というものは、無生物の特徴でもあります。この一見、無生物にしか見えない結晶を、タバコの葉にすりこむと、結晶が溶けて生命活動をはじめ、増殖していきます。そして、葉にタバコモザイク病を起こします。
 ウイルスには、DNAやRNAだけを持ち、タンパク質の外皮に包まれているだけというタイプのものもいます。他の生物などとは、全く違ったシステムで「生きて」います。ウイルスは、他の生物に寄生するまで、生命活動をすることなく、変化することもなく、無生物のような振る舞いをします。ところが、他の生物に寄生し、いい環境が与えられると、活動を開始し、栄養を摂取し、子孫をつくるという生命現象が見られます。
 ウイルスがあまりに異質ですから、生物ではないというウイルス学者もいます。しかし、ウイルスが活動しているときは、明らかに生物としての働きをしています。そのメカニズムは、生物に共通する仕組みによって解明されています。ですから、ウイルスも、特殊な様式を持った生物と考えるべきでしょう。なんといっても、ウイルスを研究しているのは、生物学者なのですから。
 では、改めて生物の定義をしていきましょう。
 生物は、思っている以上に多様です。生物と呼ぶからには、多様性の中にも、何らかの共通する機能や仕組み、方法などをもっているはずです。その共通する働きの総体を「生命」と呼んでいるはずです。すべての生物に適用できる定義はできそうにありませんが、大部分の生物に適用できそうなものならば可能です。
 生物の定義としては、いろいろな表現のしかたがありますが、
・入れ物にはいっている
・食べる
・コピーをつくる
・変化する
という4つの項目をすべて満たすものということになりそうです。
 生物は、「入れ物にはいっている」とは、外界と隔壁をもって区分されているということです。外界との隔壁は、生体膜とよばれるものからできており、材料は脂質です。生物学では、個体と呼ばれます。この個体が定義できることによって、実体が存在できます。実体があれば、科学の対象となります。じつは、個体という概念は、生物の定義に含まれていないことがあります。しかし、生物を語るときに、最初に個体を確立しておくべきだと思います。
 「食べる」とは、「代謝」とよばれます。栄養を摂取し、いらくなくなったものを排出するところまでを含みます。代謝を考えるとき、個体の内外の物質の出入りが基準となります。代謝とは、物理的な言いかたをすると、外から個体内に物質を取り入れ、エネルギー変換をし、外に不要な物質を排出する能力ともいえます。代謝の結果、個体は恒常性(ホメオスタシスと呼ばれます)を維持ことができます。代謝では、限られた種類のアミノ酸からできている多様なタンパク質が働いています。タンパク質は、DNAに書き込まれている遺伝情報を元に合成されます。
 「コピーをつくる」とは、自分と同じ個体のコピーができるということです。つまり、人間的にいうと子供を作るということです。人間のようにオスメスの2種がいなくても、生物によっては、1つの個体が2つに分かれることで、複製をつくることもあります。複製の材料は、4種のヌクレオチドからできているDNA(デオキシリボ核酸)とその部分的コピーであるRNA(リボ核酸)が担っています。
 「変化する」とは、環境の変化に応じてゆっくりとですが、世代を重ねるとともに個体の特性が変わっていくことです。適応とも呼ばれています。どんなに環境が変化しても、いずれかの生物が、その環境に適応していきます。一連の個体が、適応を続けて、DNAにその特性が記録されていくようなメカニズムを、進化といいます。進化があることによって、多様な生物種が形成され、地球の変化に対応して現在まで生物が生き延びてこれたのです。
 これら生物の4つの定義は、完全なものではありません。すべての生物が、4つの条件を必ずしも満たしているわけではありません。生育環境が整わないと代謝をまったくしない種や、複製の仕組みを個体の中に持たないウイルスは、活動していないとき、生物の定義を満たしていません。しかし、彼らも、生物の仲間です。
 一方、生物の定義をいくつか満たす無生物もあります。たとえば、鉄サビは、鉄という「食料」に、水と酸素という「環境」が整えば、自己触媒作用という「代謝」によって、酸化鉄という仲間が「増殖」していきます。もしそれが鉄サビであることを知らなければ、まるで代謝をして複製をおこなっている生物かのようにみえます。でも、これは、無機的な化学反応であって、生命活動ではありません。
 多くの生物は、この4つの条件を満たしています。ですから、生物とは、これら4つの条件を「ほぼ」満たしている物質の総称となります。条件の総称を生命と呼べばいいのです。生物の厳密な定義ができないので、それを反映して、生命も厳密に定義できないのです。生物と生命は循環論法の関係にあるのではなく、生物の定義が不完全なために、それに依存すべき生命が定義できないのです。なぜなら、実態のある生物だけが、科学の対象となるからです。
 生物とは、ある物質に特有の性質を持っているものをいいます。その特性こそが、生命と総称されるものです。物質という実態を伴う性質の解明から生物の定義ができれば、その定義の総体を生命と呼べばいいのです。これが科学的なアプローチといえます。でも、その道は遠そうです。

・生命論・
生命とは、なかなか一筋縄ではいかない厄介なテーマです。
非常に抽象的、概念的なものでもあります。
その抽象的、概念的な生命を宿している状態を
「生きている」といってるわけです。
だから完全な定義もできないのです。
生命に対する科学的なアプローチは古くからなされてきました。
生気論や生命論などと呼ばれています。
機会があれば、それについても紹介してきます。

・調査行・
北海道は、8月上旬は暑かったのですが、
お盆ころから涼しくなってきました。
8月下旬には、秋の気配が漂うような
気候となってきました。
今年の北海道は、ここ数年の暑い夏と比べれば、
非常に快適な日々となりました。
私は、例年のように9月になったら1週間ほど調査に出かけます。
今回は能登半島から飛騨の方に抜けていくコースになります。
一人旅で、いろいろ地質を見てきたと思っています。

2008年8月1日金曜日

79 人は何を信じるか:信憑性と信頼性(2008.08.01)

 人が信じるのは、信憑性があるかです。多くの人が信じているからといって、正しいというわけではありません。人は何を信じ、どれを信頼すればいいのでしょうか。

 以下に3つの事例を紹介します。その事例から、考えていただきたいことがあります。
 まずは、コンドン・レポートからの事例です。
 コンドン・レポートというの御存知でしょうか。コロラド大学教授のエドワード・コンドンが、アメリカ空軍の依頼を受けて、1967年にコンドン委員会を設立して調査をはじめ、1969年に報告書をまとめました。その報告書の通称が、コンドン・レポートです。
 コンドン・レポートの事例37(Case 37)として、次のような内容ものがあります。
 1967年のある夜、アメリカのジョージア州でパトロール中の2名の警官が、フットボールのような明るい赤色のUFOを目撃しました。警官らは、パトカーで州の外まで追跡したが、見失ってしまいました。ところが、彼らが帰ろうとしたら、またUFOが出現して、今度は警官らを追跡しはじめました。最後に、UFOは、木の高さの2倍ほどの位置に停止し、色をオレンジから白に変え、徐々に消えていったそうです。その後、このUFOは4日間にわたってこの地区に出現しました。ハイウェーで車を追いかけたり、森林パトロールの飛行機に追跡されたりしました。後で調べたら、11の町の警官たちに目撃され、写真まで撮られていたことがわかりまし。
 連絡を受けたコロラド大学の研究者が、現場に急行しました。そして、研究者自身も空で停止しているUFOをみつけました。そのUFOは、マイナス4.2等星に匹敵する明るさでした。最終的に研究者は、そのUFOと呼ばれていたものが、金星であることを確認しました。
 実は、コンドン・レポートとは、UFOに関する調査をまとめたものだったのです。その報告書では、このような多数の事例を調べた結果、「UFOが地球の外からやってきたという説には、何の証拠も認められない」という結論をだしました。
 次の事例は、「地球が丸い」ことの証明です。
 多くの人は、「地球が丸い」と思っています。しかし、それを証明しなさいというと、なかなか証明の方法は思いつけません。「地球が丸い」ことを示す証拠は、学校で習ったはずです。でも、その証拠や証明方法を忘れて、結果だけを記憶して、正しいと信じています。自分で証明を思いつけない人に、「地球が丸い」ことの根拠を尋ねると、多くはアポロやスペースシャトルから撮った写真や映像を示すことでしょう。写真には、暗い宇宙い間に浮かぶ、青くて丸い地球が写っているはずです。多くの人は、写真のようなイメージを根拠に、「地球が丸い」と信じていることになります。
 「地球が丸い」のを直接見た人は、宇宙飛行士以外いません。しかし、多くの人は、自分が宇宙飛行士でもないのに、「地球が丸い」と信じています。丸い地球を見た宇宙飛行士が撮影した画像をもとに、多くの人は「地球が丸い」と思っているわけです。これは、一種のまた聞きの情報を基に判断しているようなものです。
 3番目の事例は、原子の存在です。
 多くの人は、原子の存在を信じています。学校教育で原子があることを教わります。しかし、だれも肉眼で原子を見た人はいません。なぜなら、見えないほど小さいものだからです。原子のイメージは、模型やイラストによるものだと思います。原子の存在の証拠は、信じるに足るものだったでしょうか。証拠に、自分自身が独自に判断できる情報があったでしょうか。
 多分、探して見つかるのは、証拠ではなく、原子が存在するという論理だけではないでしょうか。人は、見たことのないものでも、論理とそれに基づく傍証があれば、信られるのです。
 以上、3つの事例を紹介しました。1番目のUFO以外は、2番目の地球が丸いも3番目の原子の存在も、科学では正しいと考えられています。それらは、多数の証拠あるいは傍証と理論から、すでに科学では存在が確立されているものです。
 ところが、聞いた人が、信じてしまうような気になるかどうかの程度ともいうべき、信憑性には、違いがでます。
 3つの事例について、次のような問題が出たとしましょう。
問題 次の3つの中で一番もっともらしいのは、どれでしょうか。
1 (事実を知る前の)UFOを目撃した警官の説明:本人たちの経験談
2 地球が丸いのを知っているという人の説明:写真の提示
3 原子が存在する証拠を知っている人の説明:イラストの提示
 説明を受ける人は、どれも見たことのないものです。3つの例は、いずれも自分が実体験したことのないものです。間接的な情報や証拠によって、もっともらしさを競うのです。
 これら3つの場合で、予備知識もなく先入観もない人が、それぞれの証人から説得されたら、どれを、一番信憑性が高いと思うでしょうか。多分、先入観のない人は、1 UFO、2 地球が丸い、3 原子の存在、という順に、信憑性が高いと答えるでしょう。
 では、なぜこのような信憑性に違いが生まれるのでしょうか。それは、証拠の提示する人と、証拠の質が違っているためだと考えられます。それぞれの事例で書き出してみると、
1 提示する人:多数の警官、証拠:直接体験した経験談
2 提示する人:知っているという人、証拠:写真
3 提示する人:論理を知っている人、証拠:イラスト
となります。
 UFOは、社会的に信頼がある警官が、それも多数目撃したということが、信憑性を増しています。もし、これが、どこかの未開の部族の人たちが、同じ証言をしても、その信憑性は上がらないでしょう。証拠がたとえ経験談であって、その信憑性はゆるぎないものとなります。つまり、同じ人間でも、肩書きや、社会的立場によって、同じことを話しても、信じてもらえるかどうかに大きな違いがあるのです。
 それに比べ、普通の人が一人で説得する2と3の事例の場合、証拠の質の違いが信憑性の違いを生みます。地球の写真も、原子のイラストも、いずれもサイズの変換が行われていて、実物ではありません。ですから、事実(実物)を証拠にしているわけではありません。
 写真は、現実をありのままに写し撮ります。大きなものは遠くから、小さなものは近づいて撮れば、一枚の写真のサイズに写すことができます。
 一方原子は、もともとだれも実物を見たことがないものですから、何らかの情報を元に、頭でイメージして描いたものです。どんなに写実的に描いても、それは架空のものになります。
 実物に依拠するものと架空のものとで、証拠の優劣が生まれます。実物以外の証拠は、証拠の質によって、信憑性に差ができます。
 以上述べてきたように、人がものごとの信憑性を判断するとき、提示した人、提示した証拠の質に大きく左右されるます。これを悪用すると、いかさま商法もできます。
 人は、案外簡単にだまされます。そして、見かけや、見栄え、肩書きなどの本質的でないものに、信憑性を見出します。ですから人の弱点を補うために、証拠との論理にもとづかなればなりません。
 証拠には、見えないもの、断片的なもの、数字でしか示せないもの、痕跡でしかないもの、再現できないものもあります。証拠の違いによって信憑性に違いがあるとしても、信頼性とは違うものだという理性的な判断が必要です。そこに、人の肩書きや、証拠の過多のようなものに左右されない強い心(理性)が必要です。
 最終的に信頼できるものは、筋の通った論理があること、その論理の根拠となる証拠があるものです。どんなに見かけの信憑性があっても、論理と証拠がなければ、信頼性がありません。逆にどんなに信憑性がなくても、論理と証拠があれば、信頼性があります。

・UFO・
コンドン・レポートは、UFOに関するものです。
UFOとは、空軍の公式用語では、
「正体を確認できない飛行物体」のことを意味します。
一般には異星人の乗り物の総称として
使用されることが多いのですが、
厳密には、違っています。
もし公式な用語としてUFOを使うとすると、
UFOはざらに存在することになります。
その飛行物体が、何かわからないまま飛び去ったとしたら、
それは、UFOであり続けます。
もし、UFOとされたものが、子供が手を離してしまった風船で、
風船だと判明した時点で、UFOでなくなります。
異星人の乗り物だと判明したら、UFOではなくなります。
御注意ください。

・夏休み・
夏休みになりました。
北海道の小・中・高学校の夏休みは、
7月25日から8月18までです。
4週間もない短い夏休みです。
まあ、7月下旬から8月上旬が一番暑く、
それ以外は、過ごしやすい時期ですから、
勉学に当てていいはずです。
大学は、9月まで休みになります。
北海道で一番いい時期を、休みとして学生は満喫します。
大学と小・中・高学校の夏休みには大きな違いあります。
この制度は、いいのでしょうか、それとも悪いのでしょうか。
判断に悩むところですね。

2008年7月1日火曜日

78 演繹と帰納との狭間:科学の柔軟性(2008.07.01)

 このエッセイで、今まで何度か帰納法と演繹法について、取り上げてきました。今回、再度、帰納と演繹を取り上げて考えていきます。

 以前、このエッセイで、「化石は、過去の生物の一部である」という命題の真偽を明らかにすることは、論理的に不可能だということを示しました。「化石は、過去の生物の一部である」は、多くの人は当たり前だと思っています。しかし、論理的には証明できないのです。
 偽であるという証明は、反例を一つ示せばいいので、簡単です。現在のところ、まだ反例を示されていないので、偽の証明もできていません。一方、真であることを示すためには、すべての化石が、過去の生物であることを示せない限り、証明は終わりません。真であることを示すのは、現実的には不可能なので、真という証明もできないわけです。かくて「化石は、過去の生物の一部である」という命題の真偽は、判定できないということになります。
 ところが、科学では、「化石は、過去の生物の一部である」という命題は、「多分、真である」と扱われています。
 ある時代の貝化石で、現在生きている貝の殻とそっくりなものがあったとします。これを、「化石は、過去の生物の一部である」の一つの証拠(本当は証拠ではありませんが)とします。さらにいろいろな時代の貝化石が見つかり、同じように現生の貝と似ていました。すると証拠は増えいきます。動物の骨の化石でも同じことができたとしました。さらに、植物の葉、種、花粉、プランクトンなどなど・・・。証拠は、いっぱい見つかってきました。
 化石と現在の生物の類似性を示す大量の「真」らしき証拠(傍証というべきもの)によって、古生物学では、「多分、真である」として扱われています。これは、アナロジー(類似)と枚挙的帰納という手法が用いられています。一種の帰納法です。帰納法は前回のエッセイで紹介したように、論理的には、事例をどれだけ増やして(化石と現生生物のアナロジーの枚挙)も、前提が真であっても、結論が真であることは保障されていません。これを「真理保存性がない」と呼んでいます。帰納法という手法は、もともと真理保存性がないという欠点を持っているのです。
 しかし、帰納法は、科学においてて常套的に利用されています。科学における一番重要な場面は、仮説を作る段階です。アナロジーをうまく使えば、似た別のものへも論理を拡大できる可能性があります。また、枚挙的帰納法も、個々の事例を集めて、何らかの一般則を見出すことできます。あるいは、アブダクションと呼ばれる帰納法は、ある事例を、何らかの仮定を立てると上手く説明できるようなものもあります。このように帰納法は、仮説をつくるためには非常に有用となります。つまり帰納法には、正しさは保障されませんが、新しいものを生み出すという、捨てがたい利点があります。
 現実に、科学は、真理保存性がない帰納法に基づいて、進められています。これでいいのかという不安があるのですが、仮説を立てるという利点があるので、今のところ利用されています。
 一方、演繹法は、論理的に正しいことが分かっています。例えば、
・「化石」ならば「昔の生物」である。この石は「化石」である。ゆえにこの石は、「昔の生物」である:一般的に書くと、AならばB、Aである、ゆえにBである、というモードゥス・ポネンスと呼ばれる
・「化石」ならば「昔の生物」である。この石は「昔の生物」ではない。ゆえにこの石は「化石」ではない:AならばB、Bでない、ゆえにAでない、というモードゥス・トレンスと呼ばれるもの
・すべての「地層の中の貝殻」は「化石」である、そしてすべての「化石」は「昔の生物」である。したがってすべての「地層の中の貝殻」は「昔の生物」である:AはBである、BはCである、ゆえにAはCである、という三段論法の一種でバーバラと呼ばれるもの
などがあります。
 これらは、どれも論理的に正しいものです。前提(「化石」ならば「昔の生物」である)が真なら、結論(この石は、「昔の生物」である)も真となります。演繹法においては、真理保存性があるということです。でも、個々で挙げた例を見てもわかるように、論理的に正しいことではあっても、新しいことが何か分かったわけではありません。当たり前のことを、回りくどくいっているに過ぎません。科学的には、演繹法は新しい知見を発見することがないわけです。
 もちろん、何らかの法則や理論がわかっていれば、それを未知のものに適用していくことは可能です。つまり応用する場合には利用できます。しかし、演繹からは、新しい法則や理論を生まれるわけではないのでが、正しさは保障されので応用には便利です。
 演繹法と帰納法のどちらにも長所と短所があって、歯がゆい思いをします。二つをうまく組み合わせて、多くの科学がなされています。帰納法にによって、何らかの仮説を導き出し、その仮説が正しいかどうかを、演繹法によって確認しようというものです。この方法を仮説演繹法と呼んでいます。
 例えば、白亜紀の地層から歯の化石が見つかったとします。その歯の化石と現生の生物とを比べてみると、肉食の爬虫類(例えばトカゲ)の歯のものとそっくりでした。ですから、白亜紀には今のトカゲと似たような「昔の生物」がいたというアナロジーという帰納法による仮説が立てることができます。さらに、肉食の爬虫類、つまり食べる肉食動物がいたのなら、食べられる草食動物もいたはずというアブダクションと呼ばれる帰納法による仮説をたてます。そのような仮説から、同じ時代の地層から餌となった草食動物の化石もみつかっていいはず、という仮説演繹法ができます。
 実際に探してみたところ、草食の爬虫類化石が見つかったとしましょう。この仮説演繹法で、一種の「予言」をおこなったわけです。「予言」のとおり化石が見つかったわけです。仮説が正しかったから、「予言」も正しいという演繹法による真理保存性を利用したものになります。この「予言」は、重要です。いくつも「予言」できれば、それはいろいろな新しい知見を見出せるわけです。帰納法の新しいものを見出す長所と、演繹法の正しさを組み合わせて用いているわけです。これは科学でよく用いられている手法です。
 ここに実は、だまされやすい罠があります。仮説の予言による検証の過程が、実は演繹法ではなく、帰納法になっているのです。帰納法ですから、仮説が検証されたわけではないのです。
 上の話を単純化して書くと、A(仮説)ならばB(予言)である。Bである。ゆえにAである、となっています。A:白亜紀に肉食爬虫類がいればそれに食べられていた草食動物がいるはずだ(仮説)。B:餌となった草食動物の化石が見つかるはずだ。草食動物の化石が見つかった。ゆえにその草食動物は肉食動物の餌であった。というような論理になるわけです。
 AならばB、Bである、ゆえにAであるは、モードゥス・ポネンス(AならばB、Aである、ゆえにBである)でも、モードゥス・トレンス(AならばB、Bでない、ゆえにAでない)でもない、似て非なる論理形式になっています。この仮説演繹法の形式は、正しい演繹法ではありません。
 これは、よく考えるとおかしいことがわかります。草食動物の化石は、見つかったのは事実です。しかし、その草食動物が、必ずしも見つかっている肉食動物の餌であったかどうかわかりません。別の草食動物を食べていたかもしれないわけです。この例のように、仮説演繹法には、反例が存在する可能性があるので、正しい演繹法の条件を満たしていません。ですから、得られた結論は、真とはいえないのです。
 ところが、科学は仮説演繹法を大いに利用しています。なぜなら、科学は現時点で一番もっともらしいものをとりあえず採用していく営みだからです。もし、あとで、間違いであることが判明すれば、修正や訂正、あるいは新しい仮説に乗り換えればすればいいのです。重要なことは、科学には、このような論理的には、解決不可能な困難さを内包しているということを、理解しておくことです。
 科学のこの不確かさが、もしかすると科学の柔軟性といえるのかもしれません。この柔軟さがなければ、この世は科学が解き明かした数少ない真理だけしかありません。不確かさだけで確認されていくことになります。この世は分からないことだらけです。昔正しいとされていた理論だって、今では間違いだというものも、例を挙げるまでもなく、一杯あります。科学とは、現在一番もっともらしいものに過ぎず、よりよいものが現われれば、それちらに趨勢が流れていけるわけです。この柔軟さが、科学の営みの中で、もっとも重要な属性なのかもしれません。

・科学哲学・
ここで述べたようなことは、
哲学、特に科学哲学の分野で議論されているものです。
そして、未だに結論がでていない、非常の難解な内容です。
私もまだ勉強中で、全貌を把握している訳ではありません。
ですから、エッセイに間違いを含んでいるかもしれません。
しかし、非常に重要なことを議論しているように思います。
科学者の中には、科学哲学は生産的なく、
科学のアラ探しばかりしているように見えるので
毛嫌いしている人もいるようです。
しかし、論理性を追求する科学であるから、
科学の営み自体も論理的であるべきです。
そして、そのような論理的欠陥をあることを
理解しながら科学するとしないのでは、
大きな転換期への対処が変わってくるかもしれません。
そのような欠陥を知っていれば、
大発見の兆しや、理論の大転換のときに、
科学者として身の処し方を誤ることがないのではないでしょうか。
科学は、上で述べたような論理的欠陥を抱えながら運用です。
ですから、少々乱暴な言い方ですが、
科学とは、どんな仮説もありで、仮説演繹法による予言で
確度を少しでも高めていくことを繰り返すことではないでしょうか。
そして反例がでれば、潔くその仮説は捨て
よりよい新たな仮説を生み出でばいいのです。

・将来の目標・
7月になりました。夏です。
本州はまだ梅雨明けしていないようですが、
北海道は夏らしい爽快な季節となりました。
もちろん晴れて暑い日、蒸し暑い日、雨の日もあります。
このような季節の移り変わりが、
北海道では、より明瞭に感じられる気がします。
大学の講義も、前期もいよいよ終盤となってきました。
学生たちは、定期試験と夏休みのことを
考えるようになって来ています。
私の所属する学科は、設立3年目です。
3年生は実習、1、2年生は集中講義です。
来年には、教員採用試験を受ける4年生ができます。
少々忙しく、落ち着かない夏休みですが、
将来の目標に向かって学ぶ姿はいいものです。

2008年6月1日日曜日

77 帰納法のトラップ:間違った直感(2008.06.01)

 科学でよく用いられる帰納法という手法があります。しかし、この帰納法は、論理的に正しい手法ではないことが分かっています。今回は帰納法について、考えていきましょう。

 ごく普通の方法やよく使っている方法だとしても、その方法が正しいとは限りません。さらにいうと、それらの方法によって得られた結論が、直感的にも正しく思えるものであっても、正しいとはいえないことがあります。そのような方法のひとつに、帰納法があります。身近なところに落とし穴があります。それに気づいていない科学者も結構いるようです。
 岩石を分析し、得られた化学組成データを扱う時の話を、以前にもしたことがあります。今回も、その話を使って考えていきます。
 火山岩はマグマが固まったものです。ですから、岩石はマグマの組成をそのまま反映していているはずです。一連のマグマから形成された火山岩から、もとのマグマの化学組成の変化を探ることが可能になります。
 厳密にいえば、火山岩の化学組成は、マグマ「そのもの」ではなく、揮発性成分とよばれる固体にならないガスや液体は抜けています。その揮発成分だけが足りない化学組成を火山岩は表しているわけです。しかし、抜けていく量は固体なったものに比べると微々たるものだったり、成因を考える上で重要でなかったりします。それに火山岩からは抜けてなくなっているし、ないものを調べることができませんので、特別な場合を除いて、あまり考慮されません。
 さて、ある火山から代表的な火山岩をいくつかとってきて、化学分析をしましょう。火山岩の化学組成は、含有量が多い成分から、10種類程度の元素で代表することができます。多くの火山岩の場合、珪素、チタン、マグネシウム、マンガン、鉄、カリウム、ナトリウム、リン、水素、酸素などで、ほぼ100%近くになります。岩石を構成する鉱物は、すべて酸化物になっています。ですから化学組成も、それぞれの元素に酸素をつけた酸化物の形式で示されます。SiO2、TiO2、MgO、MnO、FeO、Fe2O3、K2O、Na2O、P2O5、H2Oとなります。鉄は、酸化状態で2種類あるので2種類の成分として表現されることがあります。
 今回とってきた火山岩で、それぞれの化学組成が得られたとします。SiO2の値を横軸に、縦軸にFeO/MgOの比をとって、それぞれの火山岩の値を図示していきます。すると、SiO2の増加にともなって、FeO/MgOの値が増加していくようにデータが並んだとします。
 その並び、つまりきれいな直線状の関係が見えました。このデータの並びを研究者が見たら、マグマに起こった変化が、火山岩の化学組成に反映したものだと考えるはずです。SiO2が少なくFeO/MgO比が小さい岩石は、マグマの温度が高い時にでき、マグマの温度が下がると共に、SiO2が多くFeO/MgO比が大きい岩石が形成されてきたと考えます。
 岩石学を学んだ研究者ならそう考えます。なぜなら、マグマから生じる結晶は、高温ではSiO2が少なくFeO/MgO比が小さいものであるという一般的な傾向があるからです。
 一般化すると、ある成分Xと別の成分Yを軸にしてグラフを作ります。その図で、データはきれいに並んだとしましょう。研究者がこの図をみたら、何らかの傾向や規則性があると考えるはずです。このようにあるいくつかの例から、一般的な傾向や規則性を見抜くときに用いる方法を、帰納法と呼びます。
 帰納法とは、ある限られた実例(今回の場合は分析された化学組成)から、規則性を導き出したものです。そして、その規則性を検証しながら、法則化していきます。上の例は、帰納法によって「普遍的法則」を見出すというものでした。科学の現場では、帰納法は、ごく普通に使われている方法です。
 では、帰納法は論理的に正しい方法なのでしょうか。実は正しいとはいえないのです。
 「普遍的法則」となった科学の法則は、「すべての○○は、××である」という普遍命題の形式で示されます。上の場合では、○○には「同じマグマからできた火山岩」が入り、××には「一連の化学組成の変化」という内容がはいります。
 その規則に合うもの(合致例)として、「A火山の噴火でできた火山岩は、一連の化学組成の変化が認められる」や「B火山の噴火でできた火山岩でも、一連の化学組成の変化が認められる」、同様に、CでもDでも・・・・となります。このような合致例を増やせば、その法則の確からしさは増していきます。多くの人(研究者も含めて)そう考えます。これを、「確証性の原理」と呼びます。これは、直感的にも正しいものと思えます。
 ドイツの論理実証主義の哲学者カルナップは、「帰納法が、蓋然性(がいぜんせい)を高める」という「帰納論理」を提案しました。蓋然性とは、「いろいろの点から見て、そうなることが十分に予測できること(度合)」という意味です。
 しかし、18世紀、スコットランドのエディンバラ出身の経験主義の哲学者ヒュームによって、帰納法による推論は、たとえ前提が正しく(真)ても、必ずしも結論が得られるという論理的な必然性がないことを示しました。
 その論理は、案外簡単に理解できます。論理学では、ある命題が真なら、その命題の対偶(たいぐう)も真になります。「すべての○○は、××である」の対偶は、「すべての××でないものは、○○ではない」となります。
 上の化学組成の例で言えば、すべての「一連の化学組成の変化」をしないものは、「同じマグマからできた火山岩」ではない、となります。こんな例は、でたらめな岩石をとってきて、その分析値を示せば、大抵は、「一連の化学組成の変化」はせず、ばらばらになります。ですから、「同じマグマからできた火山岩」ではないというのは真です。対偶の例を挙げることは、実は余り意味がないのです。少々わかりにくかもしれませんね。もう少しわかりやすい例を挙げましょう。
 例えば、「すべてのマグマは、熱い」という命題が真だとします。するとその対偶は、「すべての熱くないものは、マグマではない」となります。少々複雑な言い回しですが、述べていることは正しいです。
 「火山岩」は冷たいから、「マグマではない」。「冷たい深成岩」、「冷たい玄武岩」、「冷たい花崗岩」・・・とマグマに関連する仲間を考えて例を増やしていくと、正しさを増しているように見えます。これが、確証性原理や帰納論理です。
 しかし、この対偶の「すべての熱くないもの」とは、温度をいっているだけですから、マグマだけでなくてもよいわけで、何でもいいのです。「ぬる目のお風呂」、「冷たいプール」、「人肌のお燗」、「よく冷えたリンゴ」もマグマではありません。これらすべて、対偶の例を出したことになります。しかし、こんな例をいっぱい出して、確証性や蓋然性が増すでしょうか。もちろん増しません。つまり、いくら帰納法による例を増やしても(データを増やしても)、その確かさが増すとはいえないのです。
 有名な例として、「ヘンペルのカラス」というものがあります。ドイツの科学哲学者カール・ヘンペルがいったもので、「すべてのカラスは黒い」という命題からはじまります。この命題を証明するために、カラスを調べることなく、証明しようと考えます。この命題の対偶は「すべての黒くないものはカラスでない」となります。こんな例は、いっぱい挙げていけます。それこそ、山ほどあります。「白い白鳥」、「鶯色の鶯」、「赤いリンゴ」、「青い空」、「白い雲」・・・など。いくら例を増やしても、もとの命題の確証度を上げる役には立ちません。もし、この世のすべての黒以外のものをチェックできるのなら、この方法で確証度を高めることができますが、明らかに黒いものより、黒くないものの方が多いですから、現実には不可能です。つまり、対偶で証明はできないのです。
 帰納法は、あくまでも仮説を導くための手段にすぎず、仮説を検証するための方法ではありません。ただ、帰納法から、仮説を否定するための方法は導き出せます。先ほどは、合致例を出しましたが、合わない例(反例)を一つでも出せば、仮説を葬りさせられます。帰納法自身で、帰納法の正しさは示せませんが、間違いを示すことはできます。
 案外、このようなことを科学者たちは知りません。科学的な論文でも、帰納法の誤用が見られます。データから帰納的にある規則性が見えたとき、その規則性の原理を見出すことが、論文の本当の意義になるはずです。しかし、規則性を見出したことの重要性や、その規則性の意義を論じる論文もよく見受けられます。科学的意義がないとはいいませんが、中途半端で科学的な結論をいったわけではありません。
 帰納法は、インスピレーションを得たり、何らかの仮説を立てるためには、非常に効果を発揮します。しかし、その次のステップとして、その仮説を証明することが重要です。それが、実は科学の本質なのかもしれません。帰納法は科学において、武器ともなりますが、大きな罠、トラップともいえます。諸刃の刃です。使い慣れた帰納法のトラップには、くれぐれもはまらないように注意が必要ですね。

・反証可能性・
イギリスの哲学者ポパーは、
反例をだすことが可能かどうか(反証可能性)を、
純粋な科学的方法の必要条件だと提唱しました。
ポパーのいう意味では、
帰納法は科学的方法としては、
間違いを知るのに役立つ方法ですが、
帰納法自身には、証明を完結できる能力がないとなります。
一種の不完全性を示しているようにみえます。
私は、まだ、論理学の初学者なので、
この見方が正しいかどうかよくわかりません。
でも、これは重要なことだと思います。

・演繹法・
帰納法と対になって使われるのが、演繹法です。
演繹法は、論理的には正しい方法です。
しかし、演繹法には前提となる原理や法則
つまり正しいとされているものが必要になります。
では、正しい原理や法則をどのようにして導けばいいのでしょうか。
それは、実は重要な問題だと思います。
そのような原理や法則が確立されていないから、
科学は変化していくのかも知れません。
これについては、別の機会に考えたいと思っています。

2008年5月1日木曜日

76 高邁なる知の落とし穴:ソーカル事件(2008.05.01)

 自分にはわからないような難解なこと、良く理解できないが著名人の言っていることを、知ったかぶりで人に言うことはないでしょうか。人には、知的にみせたいという見栄もあるし、顕示欲もあります。しかし、高邁にみえるような知に、実は落とし穴が待ちかまえているかもしれません。

 人が文章や本を書くとき、研究者なら専門書や教科書を書いたりするとき、ついつい背伸びしてしまうことがあります。例えば、自然科学の内容なのに、古典の一節を引用したり、哲学者の言葉を引用したりすることがあります。引用だけでなく、専門の違う分野の術語、科学的な内容なのに文学的な表現を用いたり、哲学的な術語を用いたりすることがあります。本当の教養として身につけているのであればいいのですが、付け焼刃の知識であれば問題です。文章を高尚に、あるいは高邁にみせるためにとった、無意識な演出かもしれません。しかし、それが行き過ぎると、とんでもないことになってしまいます。今回は、そんな話題です。
 私は、地質学や科学教育を専門としています。しかし、最近は地質学の対象である地層や岩石、それらを研究する方法論、地質学固有の思考方法をより深く考えるために、哲学的に踏み込んでいます。ですから、哲学や論理学などの今までとは違う分野の学問をかじっているわけです。そうすると、地質学の論文の内容であっても、ついつい哲学的な内容や術語の使用して書いてしまいます。自分がしっかりと身につけた範疇で行っている分には、何も問題がありません。しかし、「背伸び」をしたり、「生半可な」知識を振り回すと、そこには思わぬ落とし穴が待ち構えています。これは、心しなければなりません。
 「ソーカル事件」というのを聞いたことがあるでしょうか。欧米では大きなニュースになったのですが、日本ではあまり知られていない事件のようです。ソーカル事件は、ある分野の哲学界や思想界を根底から覆す大事件だったのです。
 ニューヨーク大学の素粒子理論を専門とするアラン・ソーカル教授(Alan Sokal)の論文が、1996年の「ソーシャル・テキスト」という雑誌に掲載されました。その論文が、「ソーカル事件」とよばれるものの発端でした。
 「ソーシャル・テキスト」誌は、当時、人気が高く、著名で、査読者もついている人文学系の雑誌でした。ソーカルの論文は、「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」(Transgressing the Boundaries: Towards a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity)というもので、タイトルからも、内容は難解そうにみえます。
 ソーカルは、1994年11月に「ソーシャル・テキスト」に、その論文を投稿しました。彼の論文は、ポストモダンやポスト構造主義と呼ばれる研究者たちによって査読され、多少の修正の後、1995年5月には受理されました。受理とは、内容に精通した研究者が、その論文を読んで、学術的価値があり、その雑誌への掲載にふさわしいという判断が下されることです。つまり、その論文は、学界がある意味で内容保障したということになります。そして、1996年春に、ソーカルの論文は「サイエンス・ウォーズ」という特集号に掲載されました。
 論文の内容は、ポストモダン哲学を批判した論説に対する反論を展開するものでした。彼の論文は、200以上の文献を引用し、大量の注をつけ、本文でも多くの著名な哲学者や思想家の先行研究を引用しています。ソーカルは、ポストモダンに属する高名な哲学者や社会学者の研究を支持しながら、数学や物理学の理論と関連付けて論じました。このような書き方や論文の形式は、他の哲学者、思想家たちもよく行っているものでもありました。つまり、形式的には充分論文の態をなしていました。
 以上は、一般の学術論文が作成され、関連の雑誌に投稿され、掲載されるまでの経緯と同じです。しかし、ソーカルの論文が掲載された3週間後、彼はリンガ・フランカ誌に、その論文がパロディによるいたずらだと暴露したのです。これが「ソーカル事件」と呼ばれるものの核心部です。
 実は、彼が書いた論文の内容は、多数の先人の研究者の論文を引用しながらも、科学的にはまったくでたらめな論理で構成されていました。理数系の専門課程の学生ならだれでもわかるような数学的、物理学的な間違いを含み、でたらめな論理展開、いい加減な科学知識などを、ジグソーパズルのように組み合わせただけのものでした。
 ソーカルは、パロディだと暴露してすぐ、「境界を侵犯すること:あとがき」(Transgressing the Boundaries: An Afterword、これは前の論文と韻を踏んでいます)という論文を、「ソーシャル・テキスト」誌に投稿したのですが当たり前の結果ですが、掲載を拒否されました。その論文では、なぜパロディを書いたのかを詳しく説明するものでした。それで、別の雑誌に投稿され、1996年秋に掲載されました。これらの時間の経過をみると、ソーカルは充分な準備をして、この事件に臨んでいたことが伺えます。
 その翌年の1997年10月に、ソーカルは、ベルギー人の数理物理学者ジャン・ブリクモンとの共著で、「知的詐欺」(Impostures Intellectuelles、『「知」の欺瞞』というタイトルで翻訳されています)という本を書きました。その本では、ポストモダン、ポスト構造主義で中心的な役割を果たしていた思想家たちが、自然科学用語をいかに、いいかげんに使っているかということを、ひとつひとつ引用しながら、具体的に、そして詳細に批判していきました。
 この事件は、舞台となったフランス、パリを中心に、アメリカやイギリスの学界を巻き込んで、世界中で話題になりました。しかし、残念ながら日本で一部の研究者には取り上げられましたが、大きな騒ぎとはなりませんでした。
 ソーカル事件は、なぜ起こったのでしょうか。それは、一つには、ある分野で、その専門を越えた内容にそれなりの形式で言及した論文は、もしかするとわかりにくさゆえに、高尚あるいは高邁な内容に見えるということです。まして、他の専門分野の人が、自分の得意とする分野(例えば物理学)の内容を用いて、別の分野(例えば哲学)の先行研究を充分理解して、形式を満たしていれば、査読者すら、いとも簡単にその罠にはまってしまうということです。
 ソーカルは、自分のパロディによって「無意味な主張や馬鹿げた意見、知ったかぶり、まがい物の教養をひけらかすこと」や「ずさんなものの考え方と薄っぺらい哲学」を「馬鹿馬鹿しい」ことだと示したといっています(田崎晴明氏のホームページより http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/)。
 そこまでひどくなくても、私が「背伸び」や「生半可な」と表現した中に、ソーカルが、「馬鹿馬鹿しい」といっているものが多少なりとも含まれているかもしれません。これは教訓とすべきでしょう。
 読む側からすると、難しい内容の場合には、注意が必要だということです。私も哲学の関連を本を読みますが、わかる内容と、わからない内容のものがあります。わかる内容とは、多分だれでも間違いなく共通に理解に達しているはずです。
 一方、わからない内容には、注意が必要です。自分自身の基礎知識や論理的な訓練不足、あるいは読み込み不足などがが一番の理由としてあるはずです。そうであれば、自分自身がもっと努力し勉強していく必要があります。多くのわかならない場合は、それが理由でしょう。
 しかし、ソーカル事件が示したように、わからない内容には、内容が間違っていたり、書いた本人すら理解していなかったりする場合もあります。しかし、有名な人が書いたから、立派な雑誌に載っているから、わからないのは自分のせいだと思ってしまいます。私自身、このような状況はよくあります。
 「ソーシャル・テキスト」に掲載されたソーカル論文の査読者、そして雑誌で論文を読んだ人も、物理や数学を理解せず、素養が足りないため難しそうだから理解しようとせずに、そのような記述の部分を読み飛ばしたのでしょう。だから雑誌に掲載されたのです。
 書く側にすれば、専門外の聞きかじりの生半可な知識を用いれば、論文の価値が上がるような錯覚が生じます。それに満足して、ついついいろいろ知ったかぶりの知識や、背伸びをした語句をちりばめてしまうことがあります。ソーカルによれば、ラカン、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズ、ガタリなど、専門家でもない私でも名前は知っているポストモダン、ポスト構造主義の思想の大御所たちも、自分の論文の中で、生半可の科学知識も用いていると指摘しています。
 ソーカル事件は、重要な教訓を残しました。その教訓とは、まず自分がわかっている範囲、あるいは理解しているレベルを、わきまえることです。その範疇を越えては、引用してはいけないということです。さらに、自分の知っていること、わかっている範疇でしか、アウトプットをしてはいけないということです。一見なんとなくわかったような気がする専門外の知識を、ついつい使うのは、間違いの元凶です。
 一見高邁に見える知には、大きな落とし穴があります。ソーカル事件は、それを教えてくれています。くれぐれも注意が必要です。これは、自戒でもあります。

・日本では・
ソーカル事件が、なぜ日本であまり話題にならなかったのでしょうか。
ほんの10年ほど前の事件です。
その事件は、思想界の根底を覆すような内容であったはずです。
なのに、ラカン、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズ、ガタリなどの
思想は、今も活きていて、読まれ、議論され、研究されています。
私は良く知りませんが、この事件を深刻に受け止めた方も
日本にきっといるはずです。
当事者なら、自分の今までの研究の柱を否定されたようなものです。
自分の研究の意義やアイデンティティを失われた人もいるはずです。
その人たちが、その後どのような対処をしたのか、知りたいものです。
単に興味本位ではなく、もし自分がその立場だったら
どうしているだろうかと考えてしまうからです。
もし私なら、何とかして、反論するでしょうか。
それとも、改宗して方針転換するでしょうか。
臭いものにはフタをして、無視を決め込むでしょうか。
今のところ、対処の方法はわかりません。
今後も研究生活を続けるのであれば、
なんらかの決意し、態度表明をしなければ、
やっていけないような気がします。
今回、私は当事者でないのですが、
くれぐれも、落とし穴には注意が必要です。

・ゴールデンウィーク・
いよいよゴールデンウィークです。
札幌でも桜が咲きはじめ、
花繚乱の季節となりました。
私は、春につられて、ニセコに出かけることにしました。
2週間ほど前にペンションに電話したら、
まだあいていて、予約できました。
今回は、ニセコの火山に登ってきたい思っています。
しかし、知り合いが、春スキーをニセコにし行くといいます。
どうもお互いの季節感がずれているようです。
もしスキーができるなら、山に登るのは、無理です。
山に雪があるようなら、麓で北国の春を楽しむことになります。
まあ、火山は遠くで眺めるという手もありますから。

2008年4月1日火曜日

75 帰納法と演繹法:無意識での適用(2008.04.01)

 研究をするとき、当たり前で科学的な方法だと思って使われているものがあります。今回取り上げる帰納法と演繹法もそのひとつです。当たり前に見える方法でも、よくよく考えていくと、論理的には正しくないものがあります。科学者でも、そのようなミスを簡単に犯してしまいます。ですから、論理的に正しいかどうかは、常に気を配らねばなりません。

 科学をおこなうときによく使われる手法として、帰納法と演繹法があります。帰納法とは、多数の実験や観察などによって得られたデータをもとに法則や原理を見出すものです。一方、演繹法は、最初に法則や原理があり、それをもとに個別の現象や他の法則や原理を、論理的な推論で導き出そうというものです。この両者を組み合わせて、多くの科学的な営みがなされています。
 地質学者が、ある火山を調べるとします。研究の目的によっていろいろな調査方法がとられますが、一般には、次のような調査がされていきます。
 火山全体を丹念に歩き、観察できる限りの露頭を調べます。露頭では、どのような岩石が、どのようにあるかを調べていきます。そして各露頭のデータから、広域的な火山岩や火山砕屑物の特徴や分布、噴出順序などを明らかにしていきます。
 簡潔に書きましたが、もう少し説明すると、露頭での作業は、次のようになります。
 「どのような岩石」というのは、野外で岩石を観察して、分類し、名称を決めていくことです。野外の肉眼での観察だけで正確に分類が決められなくても、可能な限り特徴を見分けていき、他の岩石と区別できるようにします。時には、正式な岩石名ではなく、その調査のためだけの独自の名称(フィール名と呼ばれています)をつけて区別されることもあります。野外で正確な分類名を決めるためには、事前にいろいろな火山岩を見て経験を積んでいかなければなりません。もしフィールド名でいいのなら、注意深く、根気よく観察できる人なら、はじめてみるような石でも分類は可能です。
 「どのように」とは、分類されたそれぞれの火山岩の関係(前後関係や接触関係など)を調べ、それらをもとに溶岩や砕屑物の噴出順序を調べていきます。このようにして露頭ごとの特徴(産状と呼びます)を記録していきます。
 それらの露頭ごとのデータに基づいて、分類された火山岩や砕屑物が、地図上で分布する範囲を調べ、噴火した溶岩の順序と性質を明らかにして、火山の噴火史を解明していきます。
 野外調査だけではデータが足りませんので、ここまでたどり着くのは困難です。そのために、野外で記載され採集された試料を、研究室に持ち込み詳細に調べられます。岩石を光が通るほど薄くして、岩石専用の顕微鏡で観察します。顕微鏡レベルでのマグマの性質や固まる時の結晶化の順序、マグマだまりの様子などを推定していきます。
 さらに、試料の化学分析もしていきます。得られた化学分析のデータを、解析していきます。いくつかの化学成分を基準にして、岩石の化学組成の変化傾向を見ることが重要になります。縦横の軸に化学組成をとって、グラフであらわすことで、その変化傾向を視覚化していきます。
 例えば、横軸に火山岩の主成分である二酸化珪素(SiO2という化学組成、火成岩や多くの岩石の主成分でもあります)をとり、縦軸に連続的な変化がみえる化学成分(例えば、酸化マグネシウムMgOや酸化鉄FeO、あるいはそれら比率、アルカリNa2O+K2Oなど)をとり、データをその図に入れてきます。今ではコンピュータで簡単に書けるようになりました。
 そのような化学組成の連続的な変化を、地表にマグマが噴出した順にみていくと、マグマだまりでのマグマの変化を捉えることができます。
 なぜマグマの化学組成が変化するかというと、マグマが冷えるためです。マグマだまりは熱いのですが、周りの岩石は冷たいままですので、マグマはだんだん冷めていきます。今まで液体として溶けていた成分が、液体ではいることができる固化していきます。その時、結晶がでてきます(晶出といいます)。
 でてきた結晶が、マグマと比べて重かったり、軽かったりすると、マグマだまりの底や天井に集まります。するとマグマからそれらの結晶の成分が取り除かれることになります。冷却と共に化学組成を変化させていくマグマが、溶岩として流れていくことになります。溶岩を噴出した順にみていくと、時間と共に、マグマがマグマだまりでどのような化学変化を起こしたかを調べることができるわけです。火山岩の化学組成のデータをうまく活用すると、けっして見ることのできない、過去のマグマだまりを再現することが可能となります。このように、化学組成は、火山を調べる時に重要な基礎データとなります。
 余談ですが、昔は化学分析をすべて手作業でしてきました。充分な熟練を要し、馴れないと、とんでもない分析値が出てきたりしました。1週間から10日がんばっても、やっと数個の試料が分析できるだけでした。非常に手間がかかる作業なので、厳選され、必要十分な数の試料だけが化学分析されていました。分析値を用いた後の研究でも、数点や10数点で、火山岩その傾向を見抜くことになります。ところが、現在では分析装置を用いますので、誰でも、大量に、簡便に、そして正確に化学組成のデータが得られるようになって来ました。ですから、大量に得られた分析データで議論することが可能になりました。言い換えると、ひとつのデータの吟味や重みやなくなってきたような気がします。まあこれも時代の流れです。
 さて、横軸に二酸化珪素、縦軸に酸化マグネシウムのグラフに、データをプロットしたものができたとしましょう。
 さて、ここから今回の本題です。野外で観察した溶岩の噴出順序でグラフを見ると、時間が経過すると、二酸化珪素の量が増え、酸化マグネシウムの量が減っていくことがわかりました。つまり、マグマだまりでは、マグマの成分が、時間とともに、二酸化珪素が増え、酸化マグネシウムが減っていくという変化が起こった推定できます。地質学者は、たぶんカンラン石がマグマだまりで結晶化して、下に沈んでいったため、このような変化が起こったと考えることでしょう。
 溶岩の化学組成から推定したマグマだまりの化学成分の時間変化には、帰納法と演繹法が利用されています。
 グラフ上にプロットされたデータはあくまでも一つの点にすぎません。それが「マグマの組成変化」と呼ばれるとき、化学組成は連続的な変化として捉えられています。つまり、点を線と読み替えるという帰納法が使われています。
 数学的には、位置を示す点が、いくら増えても連続した線にはなりえません。その様子を視覚化するのは、簡単です。どんなに多数の点が集まっていても、グラフを拡大して、点の大きさを小さくしていけば、不連続であることはすぐにわかります。しかし、多くの点が、そのように並んでいるように見えるのは、きっと何らかの規則性があるはずだと考えます。その考え方が帰納法です。多数の個別的事例から普遍化をしていくわけです。
 演繹法は、地表で採取された火山岩の化学組成の変化が、マグマだまりの変化と推定しているところです。この例では、地表の火山岩しかありませんから、地下のマグマだまりに直接結びつける論理的な必然性はありません。でも、多くの火山で、似たような変化が観察されて、このような演繹法が利用され、うまくいっているのだから、今回例に出した火山でも一般則として演繹的に適用してよいだろうということが、意識せずに行われているのです。
 では、演繹法で用いられる一般法則は、どのようにして生み出されるのでしょうか。今回の例では、かつて行われた帰納法によって導き出された法則や経験則が、適用されている訳です。それを完成させるには、火山とマグマだまりの両方の関係がはっきりとわかっている場所があればいいのですが、確実なものはほとんどありません。マグマだまりが地表に出ている例は、いくつかあり、その解析から帰納されています。溶岩とマグマだまりを関連付ける例がもしあったとしても、その例がどの火山でも適用できるという根拠はありません。
 すべての自然科学ではないでしょうが、自然を直接調べるような科学では、このようなに多様な個別事例から、新たな普遍を導きだす方法は、極普通におこなわれています。私も論文を書き、査読者も納得しています。このような考え方は、ベーコンやホッブスが唱えた経験主義的なものの考え方を用いています。一方、演繹的な手法は、前提さえ正しければ、論理的な手続きは筋の通ったもので、デカルトやスピノザなどが考えた合理主義的方法であります。
 現在の科学は、このような演繹と帰納が複合、あるいは相補されている一種の論理実証主義にもづいた方法を用いています。では、このような方法が本当に正しいのでしょうか。実は、問題があることは、今までの経過を見てくればわかるでしょう。
 演繹法の問題は、突き詰めていくと最初の原理原則、数学でいえば公理にあたるものが必要で、その正否は演繹法、あるいは帰納法を用いても示すことができません。逆に、前提さえ正しければ、推論規則を厳密に適用された演繹法による結論は正しいものといえます。
 帰納法の問題は、惑わされやすいのですが、データをいくら集めても証明はできないということです。どんなに正しいデータを多数集めても(前提が真であっても)、結論に論理的必然がないということです。このような帰納法の問題は重要ですが、研究の現場ではあまり配慮されていません。それについての詳細は、別の機会にしましょう。

・帰納法・
帰納法の問題は、カール・ポパーが
「科学的発見の論理」ですでに指摘しています。
それでは科学者も困るので、帰納法の正当化として帰納論理があり、
「帰納法が蓋然性を高める」といういいかたがされています。
しかし、その帰納論理も、論理的に否定できます。
少々ややこしい話になるのですが、別の機会に詳しく説明します。

・旅行・
いよいよ4月、春です。
大学も別れの季節が終わり、出会いの季節になります。
学校では、3月から4月への変化は大きく、
大学にいる人間も心を一新して望むことになります。
そんな3月下旬に、私は家族で
京都から北陸の海岸沿いに旅行に行きました。
私はもちろん調査ですが、家族は観光旅行です。
実は、このエッセイは、出かける前に書いたものを
まぐまぐで予約して配信しています。
ですから、どのような旅行であったかは、
ここで示すことはできません。
でも、私も家族も楽しんでこようと考えています。

2008年3月1日土曜日

74 二分法:2から3への決断(2008.03.01)

 決断をする時、その選択肢は少ないほうが、悩みは少なくてすみます。最小の選択肢は、2つです。しかし、人間はたった2つの決断にも悩むことがあります。それは、自然を相手にしても同じなのです。

 ディコトミー(ダイコトミーと発音されることがあります)という言葉を聴いたことがあるでしょうか。英語に詳しい人でないと、聞いたことがないかも知れません。ディコトミーとは、英語のdichotomyと書かれるものです。日本語では、「二分法」と呼ばれているものです。
 二分法とは、テストなどでは○か×、質問でYesかNoなどの二者選択をする考え方です。思考法としては、非常に単純な、誰でも理解できるものです。二分法は、選択肢が2つなので、命題が2つのどちらからにしかならないもの(論理的には互いに排斥し合うといいます)でなければなりません。普通に使えば、論理的で決断するときには便利なものです。しかし、誤用するととんでもない選択をすることになります。
 二分法における有名な誤用の例として、魔女狩りの論理があります。それ次のような手順に行われます。まず「お前は魔女か、魔女でないか」という二者選択の質問をします。「はい」といえば、魔女として処刑されます。「いいえ」と答えると拷問されます。拷問の後、「お前は魔女か、魔女でないか」という二者選択の質問がされます。これを「はい」と答えるまで、繰り返します。いくら拷問をしても「はい」と答えない人は、「これだけの拷問に耐えられるのは、魔女に違いない」として、処刑されます。
 このような誤用であれば、すぐに間違いに気づきますが、少々わかりにくい誤用があります。例えば、ある人に「あなたは、男か女か」と問うのは正しい二分法の使い方です。しかし、「あなたは、男らしいか、女らしいか」と問うのは間違っています。あるいは、「戦争か平和か」、「暴力か話し合いか」、「平等か差別か」、「金持ちか貧乏か」と問うのは正しい二分法といえるでしょうか。一見相反する対立している選択肢にみえますが、よく考えると、それ以外の選択肢があることがわかります。
 地層を用いた例を出しましょう。通常の地層は、海底で堆積します。地層が堆積する時には、海底だとはいえ、重力の作用を受けます。重力のかかる方向によって、地層の形成時の上下が決まります。地層はほぼ水平にたまります。ですから、地層面にたして垂直方向が上か下になります。これは、すべての地層の上下があることを意味します。
 地層が形成後にどのような作用を受けたとしても、形成時の上下関係は変わることはありません。ある崖でたとえ地層が垂直に立っていたとしても、地層面が堆積時の水平方向になり、その堆積面に対して上下関係が決定できるはずです。もし、ある崖の地層の上下が現在の重力に対して逆を向いていれば、その地層は現在の位置に来るまでに何らかの作用で逆転したということになります。
 ある崖に地層があるとしましょう。その地層は、崖に向かって、右方向に45度傾いています。つまり、地層面が45度傾いた地層が重なっているわけです。その崖の地層は、断層や不整合などの不連続はなく、規則正しく連なっているとします。
 地層を前にして、「この地層の形成時は、どちらが上か下か」を問うことができるはずです。この問いは、正しい二分法だといえます。その地層ができた時の上下関係はもともとあるはずですから、注意して観察すれば、上下の判定できるはずです。
 地質学では、いくつかの手がかりを用いて、上下判定をします。一番良く使われる方法は、級化構造とよばれるもので、堆積物の粒度変化をみるものです。地層を構成している堆積物の粒は、大きさが変化することから探る方法です。海底に土砂が流れ込んだ時、水の中で、重力の影響を受けながら、粗い粒が速く沈み、小さい粒ほどゆっくりと沈みます。ですから、一層の地層の中では、粗い粒が下、細かい粒が上になっているはずです。その粒度変化が見出せれば、地層の上下関係が判定できるわけです。
 崖でどれか一つ地層で、確実な上下判定ができれば、断層などがない限り、その上下関係は、一連の地層のすべてに適応できます。この例の崖には断層などはないとしていますので、崖の地層全体に上下関係が適用できます。
 地層の上下の二分法は、理論的には非常に簡単そうにみえますが、現実の地層を前にするとなかなか簡単にはいきません。そのため、地層の上下判定の手がかりとして、級化構造以外に、荷重痕(ドーロキャストと呼ばれる)や、斜交葉理(クロスラミナ)、底痕(ソールマーク)、フルートキャスト、漣痕(リップルマーク)、生痕化石などが考えられています。いろいろな判別方法があるのは、簡単そうなのですが、実はそう簡単には判別がつけられないこともあるということです。その困難さは、自然の妙というか、複雑さでもあるのでしょう。
 地層の上下判定ができた結果が、大きな研究成果につながることもあります。日本の有名な例として、小澤儀明の研究成果があります。彼は、大学の卒論(1923年)で、山口県の秋吉台を調査しました。秋吉台の石灰岩の中に含まれているフズリナの化石を調べていました。フズリナの化石の種類から、時代を決めることができます。研究を進めていくと、秋吉台の標高の高いところに古い化石が、低いところに新しい化石があることが発見できました。これを手がかりにして、彼は、秋吉台の地質構造が大きく逆転していることが発見しました。彼の卒業論文の結果は、世界的な大発見として評価されました。
 さて、二分法にもどりましょう。地層は、どちらかが上か下かになっているはずです。問題としては非常に単純明快で、二分法が適用できます。地質学者は、地層を調査する時は、まずは上下判定をしなければなりません。それは、地質学の教育を受けた時、最初に学ぶことでもあります。ですから、単純ですが、非常に重要な二分法による判定をしなければなりません。しかし、その判定ができないことも多いのです。そんな時は、どうすればいいのでしょうか。
 私は、あるいは多くの地質学者がするであろうことは、二分法の問題でありながら、「上」と「下」の選択肢の他に、「未定」(あるいは保留)という選択肢を急遽設けることです。「えい、ままよ」と、2分の1の確率に頼って、不確かな選択をするより、「未定」の方がいい選択といえるからです。そして、近隣の崖で、なんとか地層の上下判定をできないかを探ります。もしできれば、その結果を、問題の崖に適用してよいかを判断するわけです。これは、直接に結論を出さずに、間接的に結論を導くという、あまりよい方法ではありません。しかし、間違いの危険性を冒すより、少なくともある程度は根拠のある選択といえます。
 ここでは地層を例にしましたが、ものごとを決断する時、それが二分法が適用できる場合であっても、判断が下せない時がよくあります。そんな時は、無理やり決断をしてしまうより、二分法に「未定」を加えた、三分法(trichotomy)に無意識にしていることがあるのではないでしょうか。もちろん、決断すべき時に決断できないのは、優柔不断なことです。しかし、根拠ない選択や納得できない決断をするより、二分法を三分法にする決断の方が、もしかすると大切なこともあるのかもしれません。

・二分法的な気分・
いよいよ3月です。
北海道も一番寒い時期は過ぎました。
今年の冬は前半は暖かかったのですが、
後半は例年通りに寒さや降雪がありました。
3月ともなると大学は、
入試や入試判定、卒業判定、単位認定などの
決定が下るシーズンでもあります。
そして、大学は卒業と入学、
学生は卒業と入社、あるいは進級を迎えます。
そんな年度の変わり目には、
喜びと悲しみ、期待と不安、歓喜と失望、
愛はする二分法的な気持ちが、大学の中を飛び交います。
3月は、そんな季節でもあります。

・卒業研究・
明治から昭和の戦前ことまでは、
卒業研究がそのまま学術的価値が評価され、
その内容は、学会誌に掲載されるほどのものがざらにあったようです。
当時の卒業研究は、非常にレベルが高かった、
つまり学生の能力が高かったといえるのでしょう。
それは、当時の日本の地質学がまだ黎明期で
調べられていない地域も多く、
大発見もしやすかったのでしょう。
しかし現在では、そのような卒業研究をするのは
なかなか困難になっています。
卒業研究とは、大学を卒業するために必要なものであって、
学術的価値はそれほどではないのが現状ではないでしょうか。
学術的価値よりは、野外調査の経験や
研究をまとめるまでのプロセスを学ぶという
教育的意義が重視されています。
今や、野外調査だけで論文が書ける時代ではなくなりました。
試料やデータを持ち帰り、分析や解析をして、
いろいろな機器やテクニックを使わなければ、
研究成果を挙げられなくなりました。
これは、科学の進歩であるのでしょうが、
徒労感や虚しさ感じてしまうのは、私だけでしょうか。
もちろん、昔と今の若者の体力や、調査の条件は違うでしょう。
しかし、1年間、まじめに卒業研究に取り組んでいる
現在の学生の労力や時間、データ量は、
決して昔に劣っているわけではないと思います。
学生が卒業研究にかける情熱や熱意は、
今も昔も変わらないものがあると思います。
その情熱を評価対象にしたいものですね。

2008年2月1日金曜日

73 化石は過去の生物?:実在と実証(2008.02.01)

 実証できることと実証できないこと、あるいは実在していたのか実在していなかったのかについて、長年考えています。しかし、なかなか答えの出ない難解な問題です。その一端を紹介しましょう。

 化石は、定義の上では、昔の生物の遺骸や生活の跡などをいいます。化石は、言葉に反して、必ずしも石でなくて(石化していない)もいいことになっています。まあしかし、古い化石は、一般的には石化していますが。
 恐竜の歯の化石があるとします。大きさは10cmほどあるとしましょう。かなり大きな歯の化石です。この歯の化石を現在の生物と比べると、これほどの大きさをもつものは、そうそういなはずです。大型の肉食動物の犬歯にあたるサイズです。もし、そのような現在の生物と比べて、形も大きさも違っているとしたとき、この化石をさらに調べるには、どうすればいいでしょうか。
 比較形態学(あるいは比較解剖学)の考え方を適用すれば、生物を判別する時には、構造や形態を生物種ごとの差や共通点を重視することになります。差や共通点には、そのものの大きさより、形態の各部位の比率の方が重要になります。
 サイズだけに、着目するのではなく、歯の形態をよくみるということです。表面の模様や、稜のぎざぎざ、反り具合、根本から先端への太さの変化などに着目して、特徴を比べていくということです。もしこの化石の歯が、大きさは違いますが、ある爬虫類の歯に似ているとしましょう。大きさが化石より、ずっと小さくても、その爬虫類との類似性に着目していくことになります。
 もし、この化石が、今まで見つかっている爬虫類のどれとも違うものであっても、あるいは最初に発見された種類の歯の化石であっても、どのような動物のものであったかを、比較形態学からある程度推測することが可能になります。
 このような比較形態学による知識の蓄積、あるいはいろいろな化石への記載の集積があれば、まったく今まで未知の新しい化石であっても、それなりに信頼できる生物像も確立されていきます。例えば、先ほどの歯の化石が、「新種の肉食恐竜の歯だ」という判定も可能になります。
 さて、このようなアプローチの方法は、動物だけでなく植物に対しても、生物全般に対してとられているものです。まあいってみれば古生物学の典型的な化石同定法というべきものです。このような手法のおかげで、たとえ新種であっても、たった一つの歯の化石から、大きな恐竜の骨格が復元され、イメージ図さえも描かれていきます。
 乱暴ないいかたですが、化石の研究とは、比較や類似の集積から成り立っているといえます。数学のように緻密な論証を積み上げた論理のように見えません。では、上で述べたような化石の同定手法を見た時、どこまで確かな方法、あるいは信頼できる方法だといえるでしょうか。古生物学者は、「当たり前の方法なのに、いまさらなにを」といわれるかもしれません。でも、私は、そんな当たり前のことに、疑問を感じてしまうのです。
 化石とは、定義上では、過去の生物の生活痕も含みますが、生活痕を一緒に扱うとややこしくなるので、ここでは、化石を過去の生物一部として話を進めましょう。
 そもそも生物か無生物かは、生きていてこそ、はじめて生物と判断できます。無生物とは、生きてはいないものです。化石の歯は、生物の器官として特徴のある形態を持っていますが、今生きている生物ではありません。なのに、どうして、生きている生物の一部であったのかを判断できるのでしょうか。
 別の例を出しましょう。貝殻の化石が、かつては生きていた貝の殻ということを証明できるかどうかです。もっと単純化していえば、海岸で見つけた貝殻は、もともと生きていた貝の一部だと、どうやって証明するかとういうことです。私には、これは難しい問題にみえます。
 死体の一部から、全体像、あるいは機能していたであろう全メカニズムを含む総体(まだ生物とは判定されていないもの)と、生物(生きているもの)との間の「失われた鎖」を見つけることはできるのかということです。
 実証主義の立場でいえば、「失われた鎖」を実証することは不可能です。サン・シモンによれば、実証主義とは「観察された事実」だけによって理論をつくりあげるものだからです。実証主義による手法とは、一種の帰納法とみませます。
 生きている貝と、海岸に落ちている貝殻には、多数の類似性はあります。しかし、「類似」と「同一」とは違います。生きている貝と貝殻における一番の違いは、「生きているか」どうかです。実証的立場に立つのなら、貝殻の生きていたという事実を見つけられるかどうかです。生きている貝が死んで貝殻になるのを見届けられたものだけが、生きていた貝と貝殻が「同一」であるとみなせるものでしょう。それ以外は、どんなに「類似性」が一杯あっても、「同一」にはなりえません。ですから、貝殻が生きていた貝であったという事実を示して実証することは不可能です。
 実証主義に対して、批判はあります。そもそも「事実」などというものが、本当に存在するのかという批判です。カール・ポッパーは、「事実」を観察することや収集すること自体が、もはや何らかの考え方や仮説に基づいたものであって、信頼に足るものではないと考えました。ですから、そのような事実をいくら集積しても、帰納的に理論を生むことはできないし、事実によって理論が証明されたとはいえないとして、実証主義を批判しました。
 今まで苦労してデータを集めても導き出してきた事実すら、信頼ならんというのです。しかし、ポッパーは、信頼すべき方法も提示しています。まず、ある仮説が科学的かどうかの基準として「反証可能性」を持っていること、そして反証のための「テスト」を受けて耐えた仮説ほど信頼性が高いとみなすのです。反証可能性とは、ある仮説をだしたとき、その仮説が間違っていることを示せるような実験や観察などを提示できるかどうかです。
 先ほどの貝殻が生きている貝の殻でないことを示すには、自然界で起こりうる無生物による作用で、貝殻そっくりのものできる可能性を反証として示せばいいのです。でも、そのようなものはすぐには思いつけませんし、ありそうにもありません。「反証可能性」を示すことができません。となると、先ほどの仮説、「貝殻は生きていた貝の殻」であるというのは、信頼できない仮説なのでしょうか。多分、いやきっと「本当」だと思います。でも、こんな当たり前ことが、納得するような説明ができないのです。
 実証主義あるいは反証主義にこだわっていると、前に進めなくなります。単純に、私たちが感じ、見て聞きし、経験している通りのもの(事実)が、存在していると考えればどうでしょうか。これならば、案外簡単に貝殻がもとは生きていた貝であったことや、歯の化石は今はもういない恐竜のものであったことも、解決できます。これは、実在論(素朴実在論と呼ばれる)の立場になります。
 そこまで素朴あるいは楽観的に考えると、あまりに主観的過ぎるので、もう少し客観的になるべきでしょう。こうすればどうでしょうか。
 私たちが知覚し経験していることを、計測、測定、分析などの再現性のある、科学的にみえる操作を経て、多数の類似のものと比較対照し、抽象や捨象することで客観性を出すのです(広義の実在論あるいは批判的実在論の立場)。こうすれば、科学的な手続きを経た多数のデータを比較検討して導き出したもの、つまり多数の「類似性」という事実は、「同一」に転化できるのです。多数の類似性という客観的事実、が同一の実在を保障するとみなすのです。
 これもやはり、いくら多数のという条件をつけても、「類似性」から「同一」というところに論理の飛躍があります。
 貝殻とは生きていた貝の殻であり、歯の化石が昔生きていたはずの恐竜のものだといいたいのです。もっとえば、化石とは昔の生物であったということを証明したのです。古生物学者は当たり前だと思っている論理が、納得できないのです。納得するための方法は、あるのでしょうか。
 私には今のところ納得のできる解決策は、まだ見出せていません。私なりに、このテーマをもっと考えていきたいと思っています。

・長年の疑問・
今回のエッセイは、もともと化石と生物の関係について
考えていることを書くつもりでした。
そしてその視点を、実は不可知論に置くつもりでいました。
しかし、実際に書き進めていくと、
実在論と実証論へと話が展開していきました。
実は、化石が生物であったのかどうかという問は
長年私の中にありました。
その中には、生物と生命というものについて定義、
あるいは生命とはという命題もありました。
当たり前に思えることが、深く考えていくと
どうも当たり前ではないことに気づきます。
そうなると、地質学の根底を疑いたくなります。
化石によって気づかれた過去の地球の姿、イメージは
単に空想上のものに過ぎないのかもしれません。
そうならないことを祈りつつも、
納得できる答えをまだ得られないでいます。
まだまだ道は遠そうですね。

2008年1月1日火曜日

72 進歩よ止まれ:ムーアの法則(2008.01.01)

 明けましておめでとうございます。昨年の御愛読ありがとうございました。今年も、よろしくお願いします。今年最初のエッセイは、科学の進歩と自分の進歩について考えてみました。

 ITやコンピュータの世界は、日進月歩で進歩しています。半年ごとにパソコンの新機種が発売され、その性能は増していきます。ありがたいことに、値段はそれほど変わりません。このような新機種の定期的な発売が、当たり前に思えるほど、IT関連の技術はとどまることなく発展しています。
 私事になりますが、私のコンピュータとの付き合いを紹介していきます。
 私が、はじめてコンピュータを使ったのは、修士課程の大学院生としてO大学のO研究所にいた時です。EPMAと呼ばれる鉱物の化学組成を分析する装置を使っていました。その装置によって測定した数値データを処理するために、大型計算機を使った時がコンピュータとの最初の出会いでした。
 その研究所には鉱物の分子動力学(Moleculer Dynamics、MDと略されています)の実験を計算機を使ってされているM先生がおられました。M先生が作成されたEPMA用の補正計算のプログラムを使用させていだきました。その大型計算機は、M先生が一人で使われていたものでした。四六時中、大型計算機はMDの計算を続けていました。大型計算機を中断する方法を聞いていたので、私の補正計算を終われば、またMDの計算をスタートさせるということで、使用させていただきました。
 分析装置からの未加工のデータは、紙テープに打ち出されていました。紙テープを大型計算機のテープリーダに読み込ませて、計算をさせていました。地質学で野外調査を主な手法としていた私が、はじめて出合ったコンピュータは、富士通の大型計算機でした。今思えば、少々変わったコンピュータとの出会いかもしれません。
 その後、H大学の博士課程に進んだ頃には、パソコンが普及し始めて、NECのPC9800やPC8800シリーズが大学の研究室に導入されはじめていました。やがて、私もパソコンを購入できるようになりました。はじめは、BASICという言語で、プログラムを自分で作成をして、計算をはじめました。自分が出したデータや、比較検討のために文献から集めた大量のデータを入力して、グラフにしてプロットすることも行っていました。しかし、成果発表のための図は手書きでしたし、コンピュータを使って打ち出した図も、手で清書していました。
 この時期が、文章(英語論文)を、タイプライターで打つかワープロで書くかの狭間の時代だったようです。私の最初と2番目の論文は、タイプライターで打ちました。その後は、WordStarというパソコンのワープロを用いて、3編目と博士論文を書きました。当時、私は研究室ではじめてワープロを使って博士論文を仕上げたことになりました。
 WordStarにはスペルチェックの機能があり、博士論文の副査のH先生から、ミス・スペルがない論文なので驚いたといわれました。今では、スペルチェックは、ワープロには当たり前についている機能ですが、当時は知らない方もおられ、驚かれました。本当は、研究内容で、驚かれるべきなのでしょうが。
 その頃より後は、私、少なくとも理工系の研究者は、コンピュータなしで研究がやっていけない時代へと変化しました。分析装置の制御、データ処理、データ整理、グラフ作成、画像処理、作図、作表、文章作成などの研究や論文作成にかかわることだけでなく、学会の連絡や学会発表、研究者同士の連絡も、インターネットやメールを使っています。その窓口は、すべてコンピュータとなっています。
 研究者の必需品ともいうべきコンピュータは、日進月歩としていますから、研究をするにしても、研究成果をまとめるにも、学会へ報告するにも、新しいシステムやアプリケーションがでてくれば、対処しなければなりません。分析装置が導入され、それが新しいシステムやアプリケーションで動くのであれば、いやおうなしに、進歩につき合わされていきます。
 私は、コンピュータの専門家ではないですが、その進歩には驚かされます。コンピュータの進歩のスピードを考えた人がいます。Intelの創業者の一人であるゴードン・ムーアが最初に提唱したものです。彼らの名前をとって、「ムーアの法則」と呼ばれていますが、ICやLSIなどの集積回路の集積密度は、18から24ヶ月ごとに倍になる、という経験則です。現在までの数値をみると、2年で2倍になっているように見えます。これは、進歩という視点でみても、驚異的なスピードといえるものです。
 高速のコンピュータを必要とする人にとっては、技術の進歩は福音になります。でも、まだ使えるはずのコンピュータを数年ごとに買い換えて使い捨てるような風潮は、果たしていいことなのでしょうか。多分多くの人は疑問を感じているはずです。使い捨てを育むような思想が、将来のために資産を食い尽くしそうな気がします。
 でも、研究者は、成果を出さなければなりません。そのために必要悪ともいうべき、進歩への対処が迫られます。たとえ現状の環境で満足している人にとっても、常に自分の仕事に使っている道具であるコンピュータは、壊れる心配があります。もし壊れて本体を買い換えれば、新しいコンピュータには、新しいシステムやアプリケーションが入っています。それを使わざる得ない事情もあります。
 コンピュータが普及して間もない頃は、自分のやりたいことを、コンピュータがあるいはアプリケーションが行えない、できても遅いという不満がありました。その頃は、もっと速く処理ができないかと、ユーザは願っていました。ユーザの希望を受け入れてバージョンが続けられ、それを待ちわびて進歩を喜んで迎え入れていました。
 現在では、コンピュータは充分な能力を持っているのではないでしょうか。ですから、進歩より、耐久性を持って欲しいものです。「進歩よ、止まれ」、「コンピュータよ、耐久品になれ」といいたい気分です。
 私は、現状のコンピュータの能力で充分満足していますし、やっていけます。今まで使っているアプリケーションが動く限り、それで不自由はないのですが、もしコンピュータが壊れれば、新しいものに買い換えなければなりません。その時、新しいバージョンのシステムが導入されることになります。
 私は、新しいシステムを気にしながらも、4年前に購入したパソコンを古いシステムで使っています。今、使わなければ仕事ができなくなるアプリケーションが、新しいシステムに対応しているかどうか不明です。さらに、今まで使っていたアプリケーションだけでなく、蓄積したデータ、過去のファイルが使えなくなると、おおいに困ります。
 そのために、常にファイルの互換性には気を配っています。文章はできる限りテキストファイルにしています。データも、MSエクセルやMSワードのシンプルなファイルしていますし、ホームページもHTMLだけのシンプルなものにしています。しかし、どうしても特別なファイルを扱わなければならないこともあります。例えば、ドロー系や数値地図用のアプリケーションなどですが、新しいシステムで動くという保証がないものもあります。
 かつては、初期の日本語ワープロは、単漢字で入力していました。今のワープロは、スペルミスだけでなく、日本語の間違いを指摘してくれます。必要とあれば、類語も出してくれます。各種辞典や百科事典も利用できます。データベースも利用できます。フリーの百科事典であるウィキペディア(Wikipedia)もあります。こんなに、大量の情報が手軽に利用できるとは、初期のパソコンを使っていた時代からは、想像もできません。隔世の感があります。
 非常に便利になったのですが、では、私の研究は、ムーアの法則に則って、深まりを増したでしょうか。いや、実際のところ、薄まってきたのような気がします。今は、年に数編の論文を書きますが、以前は1年から数年に1編しか書かなかった時期もありました。このような時期は、論文を書くより、研究をすること、考えることに時間を割いていたような気がします。そして、自然の不思議さを研究することに、わくわくしていました。そして、自然の奥深さに感動していたような気がします。
 研究や論文に対する思い入れは、時間を書けた分、大きくなっていたようです。時間をかけて研究していた時代の論文には、好奇心や研究への強い気持ちが込められているのかもしれません。業績や評価からすると、こんなのは数字に表れない、取るに足らない些細なことかもしれません。でも、使い捨てのコンピュータのように、義務的な研究、早く論文にできる研究、論文数だけを考えた研究、論文を書けば終わりの研究、になってきているような気がします。
 これは、単なる過去へのノスタルジーや単なる思い過ごしでしょうか。でも、せめて年の初めくらいは、今までの自分の仕事への取り組み方、思い入れの強さ、初心などに、考えをめぐらせることも必要かもしれませんね。

・母の訪問・
年の初めは、心も改まるような気がします。
気がするだけかも知れません。
我が家はあわただしい、暮れと正月を過ごします。
それは、母が暮れから我が家に来て、
正月の元旦に帰るためです。
元旦は交通機関がすいているのと、
母は、我が家と自宅でも正月が祝えるからです。
ここ数年、母と我が家の恒例になっています。
暮れには、母を連れて、近くの温泉のはしごをすることになります。
冬の北海道は、雪と温泉だけはこと欠きませんから、
いっぱい味わってもらいたいものです。

・進歩もほどほどに・
私は、DOS、そしてある時期はMacを使ってました。
しかし、いろいろな理由から
現在は再びWindowsに戻りました。
ただし、Windowsは、もちろんVistaではなく、XPです。
今年購入したノートパソコンも
わざわざXPバージョンのものを購入しました。
現在メインに使っているデスクトップのパソコンの容量が
そろそろいっぱいになってきました。
外付けハードディスク500GBと1TBをつけて
データ保存とバックアップ用として使っています。
コンピュータのハードディスク(150GB)には
アプリケーションと必要なデータ、ファイルだけを入れています。
その空き容量が、だんだん残り少なくなってきています。
ですから、将来を考えると、不安ですが、
まだ、即座に乗り換える気がしません。
今使っているソフトが動くことを確かめてからです。
そんなとき、いつも思うのは、パソコンに関して、
ムーアの法則を、本当に多くの人が喜んでいるのかという疑問です。
それとも、私たちは、進歩という魔法で踊らせているに過ぎないのでしょうか。
道具の進歩は、喜ぶべきことなのですが、
ほどほどがいいのではないでしょうか。