2005年3月1日火曜日

38 タイタンから還元論的拡大へ(2005年3月1日)

 前回は、石ころから還元論を展開しました。今回は、石ころから地球、そして天体へと還元論を展開していきましょう。

 1月から2月にかけて、科学の世界では、タイタンの話題が盛んに語られていました。ご存知かと思いますが、探査機がタイタンに着陸したためです。タイタン(Titan)とは土星の最大の衛星のことです。タイタンには大気があります。惑星以外の天体にそれも大気を持つものとに、人類は初めて人工物を着陸させ、探索がされたのです。その探査の概略は次のようなものでした。
 1997年10月15日にアメリカのケープ・カナベラから打ち上げられたNASAの土星探査機カッシーニ(Cassini)は、7年近い歳月をかけ2004年7月に土星に到着して、土星の探査を現在も続けています。このカッシーニにはヨーロッパ宇宙機関(ESA)のホイヘンス(Huygens)と呼ばれる小さな探査機(probe)が搭載されていました。ホイヘンスは、カッシーニにから土星の衛星タイタン(Titan)に打ち出され、パラシュートでゆっくりの地表に落ちていき、2005年1月14日に地表に着陸しました。タイタンの大気圏突入(11時13分)からカッシーニへのデータ転送が途切れるまで(15時44分)まで、4時27分間分のデータ収集をして、母船のカッシーニ経由で地球にデータを送りました。カッシーニから見てホイヘンスがタイタンの地平線に消えたので、それ以降のデータの転送はできませんでした。
 得られたデータから、いくつか面白いことがわかってきました。まず最初に送られてきた画像には、着陸地点の景色が写っていました。その景色の中には、数cmから10数cmの石ころが転がっています。また落下中、上空から撮った写真には、陸と海、海に注ぐ短い川などが映っていました。解析されていくにつれて、着陸地点には硬い表面の下に泥のような柔らかいものがあり、川の中の島や泉などが見えてくるようになってきました。
 以上が現在前のタイタンの探査の概要です。しかし、このエッセイの目的は探査を紹介留守ことではありません。実は、ここでさりげなく使ってきた語句をよく考えると、常識と非常識が混在していることがわかります。つまり、地球では普通に使っているもので、違和感なく読めたと思います。しかし、その語句の意味するところはだいぶ違っています。
 たとえば、地表という言葉ですが、地表の「地」とは、地球の「地」です。月なら「地表」であはなく、「月面」と呼んでいます。では火星なら「火面」、水星なら「水面」、金星なら「金面」、そしてタイタンなら「タイ面」とでもいうのでしょうか。ややこしくなります。英語ではsurfaceで混乱はないのですが、日本語では混乱を招きます。
 硬いことを言わないでという言い方もできるのですが、「地表」という言葉は、地球の表面の延長線上に置かれます。つまり、ある限定された意味で、あるいはある常識に基づいて使っている言葉であるということになります。そして、その常識から、「石ころ」は地球の岩石を想定していきます。ここに、大きな落とし穴があります。
 地球の「地表」は、大地か海になります。地球の大地は、物質でいうと岩石か土、砂、まれに氷のころもあるでしょう。海なら水になります。岩石や砂は、珪酸塩を主成分とする固体で、土は珪酸塩と有機物水を主成分としてます、水とはH2Oの液体のことです。しかし、タイタンの場合、この常識が通用しないのです。
 それは、タイタンの天体の成分が地球とは、かなり違っているからです。タイタンの中心部には岩石の核があり、地球のマントルに当たるところが、H2Oの氷になっています。
 このような成分になっているわけは、タイタンあるいは土星が誕生した環境が、素材としてのH2Oの氷があったためです。地球より太陽に近いところでは、H2Oは気体です。地球や火星ではH2Oは液体です。気体や液体は、小さな惑星の主成分にはなりません。太陽から遠く離れていることで、H2Oが気体や液体ではなく、固体の氷として存在すると、天体の主成分として重要な働きを持ちます。タイタンは、そんな環境で生まれたのです。
 タイタンの表面温度は、マイナス180℃になっています。H2Oはもちろんすべて氷になっています。ですからタイタンの大地は、硬い表面があるのですが、H2Oの氷からできているのです。タイタンの表面に転がっていたのでは、「石ころ」ではなく「H2Oの氷の破片」だったのです。
 タイタンの大気は、窒素を主成分としています。メタンの雲が極付近には見られます。また、大気中には光を通さないオレンジの色の成分が含まれていいて、それは有機物の分子だと考えられています。ですから、タイタンでは、有機物を含んだ「メタンの雨」が降り、有機物をたくさん含んだ「メタンの海」あるいは「メタンの川」があります。そして、陸地は「H2Oの氷」の大地が広がっているのです。ですから、タイタンの表面の海や川、泉、島などは、液体のメタンが織り成したタイタン固有の地形なのです。
 このようにしてみてくると、地球で用いている語句を、タイタンに直接用いるのには注意が必要だということです。少なくとも常識的な定義では使えないことになります。
 今回のように、人は新しい世界を見つけたとき、今までの常識を変更することに迫られます。そんなとき人は、2つの方法でこのような問題を解決してきました。ひとつは、今までの常識とされてきたことがらを、還元論的に拡大解釈していくことです。もうひとつは、まったく別の概念体系を作り出して、新たな常識を打ち出すことです。
 西洋人が、アフリカやアジア、アメリカなどにいろいろな民族や文化などがあることを知ったとき、西洋人は、あまりにも異質な民族や文化は、別の概念体系を用いました。「人」は西洋人だけにして、その他の有色人を別体系に位置づけました。そのため黒人を奴隷として扱うことも是とする論理を用いたのです。
 天動説から地動説に変わったとき、キリスト教的世界の人たちは、地球を世界の中心にした考えから、太陽を世界の中心にした考えにシフトしました。これは、世界の中心を地球から太陽へとシフトが、還元論的に拡大解釈してなされた例といえます。一方、科学者たちは、天体の運動を力学的に解き明かそうという別の概念体系を作り出し、物理学という普遍化への道へと進みました。
 還元論的拡大と別概念の導入は、どちらにも一長一短があります。歴史的にみても、人は両者を使い分けてきました。しかし、還元論的拡大は、意図的に使えば、特別な自体が起こらなくても、できるというメリットがあります。これをうまく使えば、地球でつくられた概念も他の天体に還元論的拡大が可能となります。つまり、思考実験でも試してみることができるのです。だたし、拡大しているという前提を常に意識しておく必要がありますが。
 地球の「空気」と呼ばれる大気は、特別なものになります。「空気」とは、窒素を主成分として酸素を20%を含んだ成分をいいます。このような成分は私たちが知っている天体の大気ではどこにもない性質です。しかし、窒素を主成分とするという大気は、タイタンの大気にもあります。その点ではタイタンの大気は地球の大気に似ています。もし、「空気」を窒素を主成分とする大気としたとき、地球もタイタンも似ているといえます。
 地球では、H2Oが液体、気体、固体を変わりうる条件を持っています。タイタンではメタンが同じ役割を果たしています。ですから、タイタンでは、メタンの固体が雲や氷になり、液体が雨や川、泉、海になり、気体が大気の成分として、環境変化(自転や公転、緯度など)によって、相互に変化しながら変動しています。地球の表層のH2Oの営みを、タイタンではメタンが果たしているといえます。
 地球の大地の営みでは、条件さえ整えば、ある場所で石がとけてマグマができます。タイタンではマントルや地殻がH2Oの氷ですので、深部に熱があり、ある条件になれば、H2Oがマグマとして噴出することが可能です。そこでは、岩石ではありませんが、H2Oの氷が大地の営みをおこなっているはずです。
 このように還元論的拡大をしたとき、地球とタイタンはかなり見ていると見ませます。
 現在のところタイタンに海は確認されていませんが、ホイヘンスが着陸した地点の硬い表層の下には、柔らかい泥のようなものがあるようです。それは、液体のメタンと固体のH2Oあるいはメタンの混合物によってできているのかもしれません。条件によっては、メタンの海ができるのかもしれません。
 海があるとなれば、生命の誕生は起こるのでしょうか。地球的常識では、生命に必要な元素として、炭素、窒素、水素、酸素などが必要です。しかし、DNAを構成する元素としてリンが不可欠となります。大気、海洋、大地を考えたとき、リンは大地の岩石中に含まれています。ところが、タイタンでは、肝心の大地は、H2Oの氷でできています。ですから、リンの調達がなかなか困難になるでしょう。でも、これは地球の常識に縛れた考え方です。なにも、地球の生物が、すべてではないはずです。もっといろいろなタイプの生物がいてもいいはずです。少なくとも科学的想像の範疇ではありえます。
 そうなるとタイタンには地球のタイプとは違った生命が発生していてもいいはずです。残念ながら今回のホイヘンスの探査ではわからなかったのですが、可能性はあるのです。ですから、数ある土星の衛星の中からわざわざタイタンが選ばれたのです。このような視点で考えると、太陽系にもまだまだ生命の可能性がありそうです。
 ただ、もし私たちが別の生命に出会ったとき、還元論的拡大と別概念の導入のどちらをするのでしょうか。その生物のタイプによって、大きく変わるでしょうが。

・非常識と常識・
 前回予告をしたのですが今回のエッセイでは、石ころの弁証法を書くつもりでした。しかし、タイタンのニュースを見ていて、還元論を再度、展開しました。タイタンのニュースを聞いたり、読んだりしながら、あまりにも還元論的拡大にぴったりだなと思えたからです。
 この還元論的拡大は、思考実験としては非常に有効なものです。私たちは、常識に囚われて、常識以外の答えがあると、ついつい間違いだと無意識に判断してしまいます。しかし、その常識を飛び越えたとき、大きな飛躍が生まれることがあります。
 私たちは、常識の現実社会世界に生きています。そして、常識があるからこそ、日常生活を送れるのです。非常識な人がそんな常識で成り立っている社会に中に一人でも混じっていると、その集団はかき乱されます。
 そのような現象が、どうも最近は多く見られます。たとえば児童生徒や学校への襲撃などは、社会的弱者へ暴力の対象を向けているといえます。これは、常識では判断できない、何かがそこにあります。このような現象は、非常識な人が常識集団に紛れ込んでいるとみなせるのではないでしょうか。
 非常識の利用は、思考実験という頭の中だけにしておきたいものです。