2003年8月1日金曜日

19 地質学的時間(2003年8月1日)

 人間の歴史における時間と地球の歴史における時間は、人間の時間が速く流れ、地質学の時間がゆっくりと流れると思ってしまいます。ゆっくりとしたことが地球の日常的出来事であるということです。しかし、視点を変えていくと日常的が二転三転していきます。

 岩石や地層の形成に要した時間は、一般には長い年月がかかっているように思われます。しかし、必ずしもそうではありません。多くの岩石や地層は、地質学的な時間で見れば、ある時に、ある作用によって、非常に短い時間、つまり人間が見ても「あっという間」にできたといってもいいような時間で形成されているものがあります。それは例外的ではなく、かなりの量に及びます。
 そんな例をいくつか紹介しましょう。
 ごくわかりやすい例では、溶岩です。溶岩は火山が噴火して流れ出たマグマが固まったものです。このようなマグマが固まる現象は、非常に短い時間で起こります。海底でも溶岩の活動があります。海底は地表よりもっとはやくマグマが固まります。海底は玄武岩のマグマでできていることを考えると、その量は、地表の7割が「あっという間」の出来事の繰り返しでできたことになります。
 地層は、数百年や数千年に一度しか起こらないような大洪水や大地滑りなどによって、大量に運ばれてくる土砂によって形成されます。非常に稀な大洪水や大地滑りでも、その現象自体は、数時間や数日の時間で起こり終わってしまう現象です。地質学的な見方をすれば、まさに「あっという間」の現象です。
 地層の積み重なったガケを見たことがあると思います。多くの教科書では、それらの地層がたまるには、長い時間かかったと説明されています。しかし、見方によっては、それほどの時間を要せず、あっという間にできたともいえます。
 あるガケを想定しましょう。50メートルの厚さの地層が見えるガケがあるとしましょう。そのガケは、平均すると1メートルの厚さの地層からできているとしましょう。つまりここには、50枚の地層があるわけです。さて、この地層をためるのにどれくらいの時間がかかるのでしょうか。
 地層ができるのには、例えば5,000年に一度の大洪水や大地滑りなどの現象によってできるとしましょう。するとこのガケ全体をつくるには、5,000年×50枚で、25万年の時間がかかったことになります。かなりの時間がかかってできたことになります。
 つぎに、物質をためるだけの時間が考えましょう。上で述べたように、一つの地層をつくるために必要な土砂は、ほんの数日の事件でできます。例えばその事件を1週間、7日間かかるとしましょう。その地層が50枚あるのですから、7日×50枚で、350日です。つまり、約1年分の時間があれば、この地層をつくる物質が集めることができることなります。いいかえると、この地層をつくっている物質は1年分の時間で集まったもの、あるいは1年分の時間しかここには記録されていないことになります。まさに「あっという間」の出来事となります。
 この「あっという間」というの非常に情緒的な表現ですが、地質学的に時間差が検出できないという意味です。年代測定では、調べる時代や測定方法によりますが、「あっという間」とは、古い時代では数万年、新しい時代では数百年の時間は、検出限界以下、つまり誤差範囲といえます。
 ここまでは、地層を物質といいう面からみてきましたが、時間という面から見ると、地層はまったく別の見方ができます。時間でみるときに大切なのは、物質のないところです。地層と地層の間の、ものがほとんどない境界にあたるところに、じつは時間が詰め込まれているのです。
 地層というのは、往々にして、物質面からしか見ませんが、時間という面から見るとまったく様相を異にします。時間から見ると、地層として見えているところは、つまりは、物質に置き換えられているところは、ささやかな一部にすぎず、時間の本体は、物質に見えてない部分にあります。
 地層の中に流れている時間の本質は、大部分が物質をためない穏やかな時間、つまり「日常」なのです。数百年や数千年に一度のような非日常的時間が、地層の物質的部分を構成しています。日常的時間は物質に置き換えられないのです。ですから、地層の物質面からは、日常を読み取るではなく、非日常を読み取ることになります。
 地質学では、地層の中から見つかる構造、岩石片、化石などから、その当時の歴史や環境を読み取ります。でも、これは、非日常的現象でできた非日常的時間を地層から読み取っているのです。地質学者でも、この事実をついつい忘れてしまっています。地層から読み取れのは、当時の日常的なものだと勘違いしてしまっているのです。地層の中の物質には、非日常が織り込まれ、物質になっていない境界部に日常が織り込まれているのです。
 視点を広げると、逆の結論がでてきます。累々と続く地層は、数百年や数千年に一度のような稀な現象でも、地質学的時間で見ると、何度も繰り返し起こっていることを示しています。もしかすると、上で述べたような議論は、人間の時間スケールでのものであって、地質学的時間で見ると、人間にとって非日常的現象が、日常的現象になっているのかもしれません。地層は地球の時間では日常的現象としてつくられたものとみなすことも可能です。
 さらに視野を広げると、またまた逆の結論がでてきます。上で述べたガケも地球の表層のごく一部に過ぎません。地層をためるという現象も、地球全体に及ぶ現象ではなく、局所的におこるものです。地層をためる場とは、同時代の地球では、陸の近くの海だけで、それは地球の表層のほんの一部なのです。ということは、この地層の形成自体が、局所的な一時代、一地域の特殊なものに収斂させられるかもしれません。つまり、日常的というとり非日常的なものといべきなのです。
 などなど、視点を変えることによって、日常と非日常の判断が、次々と入れ替わります。さてさて、「日常的」とは、「非日常」とは、いったい何を意味するのでしょうか。わからなくなてきました。

・初心と感謝・
 この「Terra Incognita」は、今回で19号になります。毎月はじめに発行しています。御存知かもしれませんが、この月刊メールマガジン「Terra Incognita」には、前身があります。それは、「地球のつぶやき」というもので、不定期に、ある特定の人だけに発行していました。50名まで限定のメーリングリストで発行していました。その「地球のつぶやき」は7号発行しました。これも、ホームページに公開しています。その第1号は、2001年9月20日に発行されています。やく2年前のことになります。
 このエッセイを書きながら、その当時、あるいは「Terra Incognita」の初心を思いこしていました。
 私は、この「Terra Incognita」を書くのを楽しんでいます。少し高度な地質学あるいは哲学的内容になっていますが、自分のいちばん面白いと思っているところを盛り込んだものです。内容としては、今までの地質学が気づいてない視点、見落としている視点など、あるいはどうでもいいことにこだわりながら書き続けています。自分自身で、深く、しつこく考えています。これは、私自身のオリジナルな考えです。
 もしかするとピンとはずれなこと、もしかすると非常識な考えかもしれません。もしかすると同じことをどこかで誰かが言っているかもしれません。でも少なくとも、私は、それを知りませんので、独自に考え出したものです。
 インターネットの発達した現在、情報は氾濫しています。ですから、がんばって探せば、必要な情報はどこかにあります。あるときは、その情報量に圧倒される程充実したものがあります。もちろん、私もインターネットを重要は情報源としてます。
 こんなインターネット時代で重要なことは、オリジナリティ、独創性の発信ではないでしょうか。自分しか創り出せないものを発信する。これがインターネットにおけるアイデンティティではないでしょうか。もちろん、独創性を発信することだけでが、独創性の確立、確認ではないでしょう。独創性の発揮は、なにもインターネットだけが発信手段ではありません。人それぞれさまざまな方法があっていいと思います。でも、インターネットは手軽な情報発信装置です。ですから、私は、自分の方法として、いまのところインターネットが重要な手段となっています。
 私がメールマガジンとして発行しているのは、自分自身の考えをまとめ、独りよがりでなくするために、読者を想定しています。それは不特定ひとりでいいのです。そんな読者にたいして私の考えを発表しています。反応はなくていもいいのです。購読している人がいるという事実が、私の不特定ひとりの読者の前提となっています。もちろん、意見、議論は大歓迎です。
 私のわがまま考えを聞いてくださっている方々、ありがとうございます。これからも御支援よろしくお願いします。御支援といっても、購読し下さるだけでいいのですよ。