2021年8月1日日曜日

235 よるべないものたち:メランジュ

 地質学用語にメランジュというものがあります。メランジュは寄る辺ない状態です。都市への一極集中、特に現在のCOVID-19で作り出されつつある人間関係を象徴しているように見えます。


 メランジュ(Melange)という用語で表される地質帯があります。以前にも紹介したことがあるかと思いますが、改めて説明しておきましょう。

 メランジュとは、さまざまな成因の岩石(堆積岩、火成岩、変成岩)や、形成条件(変成作用や火成作用などの条件)の全く異なった岩石が、サイズもさまざまな岩石ブロックとして、泥岩や蛇紋岩の中にバラバラに混在しています。その分布にも、ざまざまな広がりがありますが、地質図に示せるほどのサイズのものに限定されています。

 メランジュのでき方にはいくつかあるのですが、地質学的に重要なのは、地殻深くまで達した巨大な断層(構造線とも呼ばれます)によって、深部の岩石が持ち上げられていることです。そのような構造線ができる地質学的な時期、できる地質場に特徴があったとすると、メランジュから大地の変動の歴史とその特徴を読み取ることができます。

 断層に沿って蛇紋岩中に異質が岩石が取り込まれていることもよくあるのですが、小規模なものはメランジュとはされませんが、サイズに関係なく、形成された時期やできている地質場によっては、メランジュの一部と考えていい場合もあります。大規模なものであっても、地表には一部しか露出していない場合もあります。

 北海道では夕張山地がメランジュ帯として有名です。夕張山地は、蛇紋岩の中に玄武岩、チャート、石灰岩、砂岩、泥岩などの多様が岩石のブロックがあります。それらの岩石は、沈み込みだ海洋プレートが変成作用を受けたもので、浅いところ(低圧型変成作用)から中間(中から高圧型変成作用)、そして最も深部(低温高圧型変成作用)で変成作用を受けたものです。また、海洋プレートの上に溜まった堆積岩(砂岩、泥岩、石灰岩、チャートなど)も取り込まれています。基質となっている蛇紋岩は、マントルの岩石(カンラン岩)が、巨大な断層で水が供給されてできたものです。蛇紋岩は、カンラン岩より密度が小さく、すべりやすく、変形しやすい岩石なので、断層に沿って上昇していきます。そのとき、地殻を構成していた途中にあった各種の岩石を、取り込んできました。これが典型的な蛇紋岩メランジュのでき方です。

 メランジュを構成している岩石類は、全く関係をもたない関係となります。今回は、このような関係について考えていきます。

 ある本を読んでいる時、「よるべない人」という言葉を見ました。以前は見かけることがあったのですが、最近全く聞いたことがない言葉でした。中でも記憶に残っているのは、昔聞いていた加川良のフォークソング「鎮静剤」に出てきた歌詞を思い出しました。シンプルなメロディーで、淡々といろいろな女性のことを歌っています。その中に、「よるべない女」という言葉がでてきました。

 「よるべない」とは、「寄る辺ない」と書きます。身を寄せるところがない、身寄りがないなどという意味です。かつて「寄る辺ない」という言葉が、いろいろな文章や場面で使われていましたが、最近はほとんど見ること、聞くことがありませんでした。それを本で見たので、新鮮さを感じたのかもしれません。そして、「寄る辺ない」とは、まるでメランジュのようだとも思いました。

 昔も「寄る辺ない」人は、人口密集している都会(江戸や大阪など)には多数いたはずです。そのため、都会では、「寄る辺ない」という言葉を使う機会が多かったのかなと思います。ところが近年では、都会への人口の集中によって、若者や高齢者など「寄る辺ない」人たちが、昔よりずっと都会では増えてきているはずです。「寄る辺ない」人に関する出来事やニュースは増えているはずです。なのに「寄る辺ない」という言葉を聞かなくなりました。

 どうしてでしょうか。かつての日本の多くの人は、家族や親族を中心とした地縁組織の中で暮らしていました。「寄る辺ある」関係が当たり前でしたが、都会では地方から流入してきた人の集中が起こり、「寄る辺ない」人が多く暮らすようになってきました。そのような人たちに対して、「寄る辺ない」が使われてきたのではないでしょうか。

 都会の「寄る辺ない」人たちにも、故郷には家族や親族がいるでしょうし、都会でも多数かどうかはわかりませんが、親しい友人などがいるはずです。

 現在の一人暮らしの若者たちは、SNSを主な手段として、友人関係を継続しているように見えます。SNSは便利ですが、自身や友人で興味を持たない話題には流れていても、届きません。多くの人が接する情報からも「寄る辺ない」状態になっていきそうです。

 SNSの交流を中心になり、対面しない関係が長く続くと、人間関係が希薄になります。深く付き合うためには、対面での人間関係を構築していなければ、一定以上の関係にならないように思えます。SNSだけ、リモート状態だけの関係では、それなりに親しくなっていけるでしょうが、相手の感情の機微が捉えにくくなるのではないでしょうか。

 現在、多くの大学では、遠隔授業の実施で、人的交流がかなり減った状態が1年半ほど継続しています。現在の1、2年生をみると、たまにある対面授業でもどこかよそよそしく見えます。聞くと遠隔授業では学生同士の交流が少ないので友人関係が築けないといいます。3、4年生は、すでに対面によって構築されている人間関係があるので、遠隔授業やリモートになっても、人間関係は維持されているようです。「寄る辺」ができるかできないかは、対面で付き合うことが重要だと思います。「寄る辺」は、友と行動や議論などをする体験によって生まれるのだと思います。

 メランジュの中の岩石類はバラバラで「寄る辺ない」状態です。しかし、地質学は、それぞれの岩石がもともと持っていた成因や形成条件などで生まれきた「寄る辺」の関係を解き明かしてきました。蛇紋岩は、地球深部での「寄る辺」を、断層とともに破壊して「寄る辺なさ」を生み出しましたことになります。しかし、その蛇紋岩や構造線の形成メカニズムを解き明かすことで、「寄る辺」関係を読み解くこともできます。人の「寄る辺」は、対面、つまり人間として近接した関係で生まれるようです。


・コロナとエアコン・

大学は、先週で前期が終わります。

今週から定期試験の時期なのですが、

7月上旬まで遠隔授業だったので

定期試験の中止の決定がすでに出されています。

一番暑い時期に定期試験は、

問題があると思っていたので今回は良しとしましょう。

大学の大きな教室には順次、エアコンが設置されています。

ただし、エアコンを入れていても、

現在は、コロナ対策で窓を全開するので、

あまり意味をなさいないようですが。

本州の教室ではどうしているのでしょうかね。


・教訓I・

加川良の「鎮静剤」で検索すると

このエッセイで示した曲を聞くことができます。

少々昔の歌詞なので今なら差別的表現になるでしょうか。

加川良さんはフォークソング歌手でした。

1970年代の反政府運動の時からずっと

最近まで唄い続けてこられました。

しかし、2017年4月に亡くなられてしまいました。

加川良の「教訓I」は時代は異なりますが、

その分を差し引いて考えると、今にも通じる歌詞です。

杏さんが「教訓I」をカバーしています。