2016年8月1日月曜日

175 実感と理屈の時間

 時間について考えていきます。地層を素材に、私たちが時間をどのように理解しているのかを見ていきます。どうも実感と理屈、過去の未来には、いくつかの感じ方の違いがあるようです。

 地層を思い浮かべてください。頭に描かれている地層は、砂(岩)の部分と泥(岩)が繰り返されているものだと思います。地層を詳しく見ている方は少ないかもしれませんが、一般的な特徴として、砂から泥へは連続的に変化していき、泥から砂は明瞭な境界があります。これが、日本でよくみられ、多くの人が想像する典型的な地層になります。
 地層は海底で長い時間をかけて固まったものです。ところが、実際に形成されときは、海底を流れ下る土石流(タービダイトといいます)によって、一気にできてしまいます。まず粗い砂が沈み、続いて細かい粒子の砂が、そして泥や粘土の微粒子がゆっくりと溜まってきます。この間、数時間から数日、長くても1、2週間たてば濁っていた水も澄んでいきます。小学校の理科の時間におこなった実験を思い出してください。
 そして、次の土石流が流れてくるまでは何もたまらない状態です。ただし、自然界のことですから、川や海流に乗ってくる細かい泥、風に流されてくる火山灰など、細かい堆積物が少しですが溜まります。その量はほんの僅かです。しかし、流れている時間に大部分は、あるかないかのその薄い層に存在することになります。そして、そこが地層の境界でもあります。このような土石流によってできた地層をタービダイト層と呼んでいます。
 ここで注目したいのは、長い時間が地層の境界に流れ、そこには堆積物がほとんどないということです。海底で地層を形成するような大規模な土石流は、めったにない現象です。数百年、数千年に一度の現象です。つまり地層を構成する大半の物質は、あっという間に堆積し、そして物質がほとんど堆積しない長い期間によって、地層境界ができていることになります。
 このような時間と物質の視点でみると地層とは、不思議なものに見えます。
 さて、今日の話題は、私たちが感じる時間についてです。ここまで述べてきたように、数百年や数千年という長い時間であっても、筋道を立てて話しをすれば、理解できると思います。ただし、その理解は、頭での理解ではないでしょうか。地球の過去の時間は、自分の体感を越えたスケールになってしまい、理解できても実感できないのではないでしょうか。言い換えるとどんなに長い時間であっても、理解することはできます。数年や数十年という時間であれば、体感的にはすごく長く感じます。それを超えると、数百年、数千年、あるいは数億年といえども、数値でしなかいので、長くは感じません。数億年のスケールで考えると、数百年、数千年は短く感じてしまいます。
 人は、日常の時間として1秒、1分、1時間、1日、1年というオーダーで過ごしています。それらの時間は、身近なものとして、実感、体感できます。時間を比較すれば、長短として感じることもできます。実感は、「現在」という時間を、人が心身で感じているからでしょう。ですから、心身で感じる時間は、そう長いスケールにならないでしょう。明らかに過去の長い時間とは違ったスケールでの認識になっていきます。
 さて、未来の時間はどうでしょうか。未来の時間は、まだ体験していなのですが、頭の中では存在しえます。その時間は、理論や、予測、仮説に組み込まれたものなら確実性は高そうです。
 例えば地質学では、プレートの現在の運動と現在の大陸配置から、未来の配置を推定しています。これは、時間軸を過去に向ければ、過去の地質情報から検証可能です。このような過去で検証された未来予測は、ある程度根拠があるように思えます。このような未来予測の信頼性は、その予測手法を過去に延長したら観測事実と一致したという方法が多用されています。
 ただし、地質学に流れる時間は、万年、億年のスケールの時間ですので、これは体感ではなく、理屈での理解となります。
 最近スケールの違う未来予測をよく耳します。地球環境問題においてです。温暖化の未来予測は、「2100年には」とか「100年後には」とかの値で語られます。その数値をみて、私はもう生きていないのではなかいという感想を多く人が持つでしょう。しかし、理性的に考えると、自分の子どもや子孫、ひいては人類の未来のためにという崇高な考えをもつことができます。さらに、自分がいないであろう未来の他者のために、現在を我慢していこうとさえします。このような他愛行動はすばらしいものです。
 長い時間スケールであれば、実感を越えて、理屈で理解していくことになります。理屈で理解する時間は、頭のなかの作業で、過去も未来も同じ長さとして処理できそうです。私たちは、理屈で理解する時間には、過去も未来も同じ長さとして捉えられそうです。
 一方、実感できる時間、たとえば10年は、過去の10年と未来の10年は、同じ長さに感じるかどうかです。私には、過去が短く、未来が長く感じます。理屈での理解であれば、過去も未来も、物理的には同じ10年です。さらにいずれも「現在」にいる自分には、体験不可能な存在です。つまりは、過去も未来の10年も、頭の中で作り上げていくしかない時間なのです。
 ただし、過去は動かせない確定されたものです。ところが未来は不確定で、「現在」の自分の行動によって、変更が起こりうる時間となります。そのような不確定さがあるためでしょうか、実感として未来の10年の方が長く感じのかもしれません。
 10年という時間は、過去と未来では実感という点で、どうも違うようです。同じ時間でも、未来は長く、過去は短く感じるようです。それを前提に考えていくと、先ほど述べた、未来予測という点で問題が生じます。未来予測では、検証材料に過去を用います。過去で検証した結果、この未来予測は正しいとされます。その時の説明は、過去の10年はこうこうで、未来の10年のこうなりそうです、という予測になります。過去10年は短く感じ、未来の10年は長く感じるのです。ですから私たちは未来に対して楽観的になるのかもしれません。
 実感できる時間と理屈で理解する時間があり、スケールの長い時間に対しては理屈で理解し、短い時間は実感に基づいて理解できます。たたし、短い過去の実感では短く感じ、数年、数十年先、100年先は非常に遠く感じているようなのです。未来は短い時間も、長く感じるのです。私たちは、そんな不思議な時間世界の住人なのです。

・暑くない夏・
大学は試験期間になっています。
幸いまだ、暑くてたまらないような日はありません。
試験を受ける人間には涼しい方がいいのです。
現在まで、暑くてたまらないような日はなく
夜には窓を閉めなければ寝れないほどの日が続いています。
暑いのが苦手な私には、助かります。
でも、農業にはこの天候はどうなのでしょうか。
北海道は農業が重要な産業ですので、少々心配です。

・世情・
最近、天気や内外のニュースなどを
詳しく見る機会がかなり少なくなっているので、
最近とみに世情に疎くなっています。
まあ、それでも日常生活には支障がありません。
社会の動向は大切ですが、
時間に追われる人間にとっては、
「現在」が一番の関心事になります。
そんな人間が、時間や未来の話しをしても
説得力はないのでしょうかね。