2014年12月1日月曜日

155 岩石と弁証法

 自然科学と哲学の結びつきは、一見すると不思議かもしれません。しかし、思想の歴史をみると、古代から自然科学と哲学は密接な関係がありました。現代社会だからこそ、科学と哲学の結びつきが重要であると考えられます。

 今年の10月に出た私の論文のタイトルは、「岩石の多様性形成の要因とその弁証法的意義について」というものでした。自然科学の一分野である地質学に関する「岩石の多様性形成」という用語と、哲学の「弁証法的意義」というものが、どう結びつくのでしょうか。これが今回のテーマです。
 科学と哲学の結びつきは、現在は希薄になっているように見えます。科学哲学というものがありますが、哲学者がおこなっているもので、自然科学に従事する人が哲学をしているわけではありません。現代では自然科学が複雑化、細分化したことで、自然科学と哲学の乖離が起こってきたのです。これは決していい状況ではないと思います。改善するための実践例となるのが、今回の私の論文になると思っています。
 かつて自然科学と哲学は、ギリシア時代から近世まで、密接な関係がありました。科学者が自然科学をおこなっていませんでした。そもそも、科学者という職業もなく、科学者と呼ばれる人もいませんでした。科学は自然哲学として、自然哲学者たちが取り組んでいました。
 たとえばデカルトは、1644年に出版した「哲学の諸原理」という本の中で、微粒子が集まり元素ができ、そこに渦が生じてやがて太陽系が形成されたいう、太陽系の起源に関する仮説を提示しました。もちろん当時は思索の一貫として考えられていたので、科学的な証拠、つまり観測や実験などの根拠となるものを示すことなく、仮説を述べるにとどまっていました。説得力のある仮説には論理性が必要で、そこに哲学的な緻密な考え方が色濃く出ていました。
 自然哲学がもっていた、自然の事物、事象に関する疑問を、なんらかの論理的な仮説で説明しようという姿勢は、今も変わらず自然科学に踏襲されています。哲学の実証性の不足部を補うために、証拠による論証、検証、再現性などをもとに、科学の方法が生まれてきました。哲学の論理性と証拠に基づく実証性を基本原則として自然科学が進んできました。ただし、深い思索の部分は薄れていきたような気がします。
 哲学は先人の思考や歴史を背景に、新しいものを加えて思索が組み立てられていきます。哲学者は先人の知性を経由して物事を考えていくことになります。哲学者は、自然科学者にない多様な対象に広い視点で、深い思索をおこないます。
 エンゲルスの「自然の弁証法」は未完の草稿ですが、以前岩波文庫にあったものを読みました。断章でしたが、自然科学の広い範囲を横断的に概観していこうという姿勢、構想を感じました。現在のように専門化、細分化している科学で、このような大領域に挑戦できる人はいるのでしょうか。そんなことをできる人は、まずは博覧強記でなければなりません。科学を網羅した上で深い思索、独自の視点も持つことができる人でなければなりません。なかなか難しい挑戦ではないでしょうか。理由は知りませんが、エンゲルスの「自然の弁証法」は未完でした。
 現在では、細分化された自然科学の専門家が多数います。自然科学に従事する科学者が、哲学を論じることは非常に稀なことです。その専門の範疇で深い思索を進めている人は、何人もいるのではないでしょうか。そのような研究者の発言は重要だと思います。
 私は学生時代、井尻正二の「科学論」を読んで地質学の範囲であれば、それを目指す人もいたのだということを思いました。都城秋穂の「科学革命とはな何か」にも非常に感銘を受けました。両者はタイプも思考も違いますが、地質哲学の巨人でもありました。生物学の分野でも「生物哲学の基礎」という大部の名著があります。多分、どの自然科学の分野でも、そのような知の巨人はいるはずです。
 さらにいうと、科学者で深い思索に興味ある人は、もっと哲学的見解を語っていいのではないかと思います。科学者は、自分が興味をもっている対象や事象に、深く考えているはずです。狭くてもいいから、科学者だからこそ語れる自然観や時間の見方などがあったいいはずです。地質学者は、嫌というほど過去の時間に関わっています。そこで感じ、考えてきたものを、もっとアウトプットしていいはずです。領域の狭さ、対象の特異性などに関係なく思索の結果を出すべきです。自分の見方や概念を抽象化させ昇華させていけば、狭くてもそれなりの哲学になっていくのではないでしょうか。
 もちろん誰もが深い思索ができるわけでもないし、興味を持っていないかもしれません。なかには異質な見方、変な考え、トンデモナイ理屈などもあるかもしれません。それも考えの多様性を育むために必要な土壌なのかもしれません。本流になりえない思索は、淘汰されていくでしょう。科学者の考えたものの中には、きっと今までにない斬新な見解、重要な考えなども、多数あるはずです。
 それぞれの分野の巨人が、多数の専門的思索を、総括的、網羅的にまとめていくときの素材なるはずです。自然科学の分野ごとの哲学があれば、科学哲学者あるいは哲学者が分野ごとの哲学を素材により大きな体系系をしていくことになるはずです。科学者による自然科学の思索は、現代の「自然哲学」として、新しい哲学的潮流が生まれるのではないかと思っています。
 井尻氏や都城氏のような高みにはたどり着けなくとも、だれもが、もちろん私自身も含めて、興味があれば思索を深め、アウトプットすることは重要だと考えています。自然科学、特に地質学と哲学の結びつきを考えていくことを、私は、現在の職についてからのライフワークにしようと思っていました。現在の職についてもう12年半が経過しました。少しずつですが、思索を深めた結果もアウトプットしてきました。この論文もその一環でした。ただし私の「大きな野望」からすると、本来の目的ではなく、その前段階の産物で、数年前に考えたものをやっとまとめたものです。
 最後に私の論文をの内容を紹介しましょう。岩石の多様性の本質を突き詰めていくと、どこにたどり着くのか、というのが論文のテーマでした。多様性を突き詰めるというのは、多様性を生み出している本質的な要因を見極めていくことです。岩石の多様性では、起源や成因がもっとも重要だと考えられます。岩石の成因を突き詰めていくということは、時間を遡っていくことになります。結果として、どのような成因に達したかというと、地球でできた岩石では火成岩で、それも地球初期に存在したといわれるマグマオーシャンに由来した岩石にたどり着きました。その岩石とは、マグマオーシャンが固化した「地球最初の火成岩」になります。
 今度は、「最初の火成岩」から時間を進めていくと、火成岩を起源物質(固体)として、マグマ(液体)を経由して、別の火成岩(固体)に変わっていきます。この過程は、弁証法的発展過程を内在しているように見える、というのが論旨でした。
 弁証法とは、ある命題(テーゼ、正)と、それを否定する命題(アンチテーゼ、反)、それらを本質的に統合した命題(シンテーゼ、合)になるというものです。新旧の命題は、対立し合いながら関係しています。反から合へ止揚(アウフヘーベン)となり、より発展した命題となります。この弁証法的発展過程によって、火成岩の進化発展過程を説明できるのではないかということです。
 これがいい思索はどうかはわかりません。このような「小さな考え」を出しあいながら、地質哲学の素材になればと思っています。私の思索が、本当に素材なるか、残るかは時代が決めていくのでしょうが。

・手本の巨人・
井尻氏は32歳で「科学論」を書いたそうです。
こんな深い考えを進めていました。
若い時の頭の柔らかい時に
斬新な思索に至ることもあるでしょう。
一方、都城氏は大家になってから
「科学革命とはな何か」を書かれたものです。
学問を極めた後に深い思索に至ったのでしょう。
いずれもいい思索のアウトプットの手本となると思います。
私は、地質学の先端の研究からは外れましたが、
かろうじて地質学につながっています。
地質学の素材をもとに考えを深め、
アウトプットすることは重要だと考えています。
なにより野外調査をしながら、そして露頭を見ながら
地質学や自然の本質に迫ることは面白いです。
野外で壮大な自然に思いを馳せることを楽しんでいます。
まあ、私は手本にならないので気楽に進めています。

・成功体験・
いよいよ今年もあとひと月となりました。
私は10月あたりから、忙しない日々を過ごしています。
今年は特に忙しなさが強く感じます。
いくつもの校務と論文締め切りなどが
重なったためでもありますが、
学生の数の多さと、長文を書く基礎的能力が
少々足りない気がしています。
学生は真面目で、優しいのですが、
どうも拙い、幼い感じがします。
ぜひ卒業研究で基礎力や成功体験を
味わってもらいたいものです。
そのためには、きつい先生になっていようと思います。
社会にでると、切って捨てられることもあるのです。
失敗、やり直せるのは大学までです。
頑張ってもらいたいものです。