2022年11月1日火曜日

250 地層の上下判定にある論理性と感性

 論理性と感性とは、異なったものです。論理性は知識を学び、身に着けために実地での体験が重要です。感性を鍛えるにも、実地での経験が必要です。手段は同じですが、相反する結果となっていくようです。

 論理的と口でいうのは簡単です。しかし、物事や発言が、論理的に正しいかどうかを確かめるのはなかなか大変です。論理学という学問があります。言語や文章の概念や言葉を記号にし、数学的演算の規則性を適用していくものです。記号化できる文章や言葉(述語論理といいます)であれば、論理的かどうかを判定することができます。
 このような論理学的作業が、日常生活の場でおこなわれることはありません。会話をしている時など、内容の論理の真偽を考えることはありません。話し手の意図や心情などを汲み取り、意味を考えながら、会話の流れや連続性に注意が向いているはずです。普段、形式的な論理を追求することはないでしょう。論理の真偽より、話しの「内容」を理解したり、その整合性に注意を払っているはずです。直感的、感覚的に対話をしているはずです。
 場合によっては、会話の内容が正しいかどうかを、じっくりと考えて判断していかなければならないこともあるでしょう。しかし、その判断は、論理的形式の真偽ではなく、時には論理形式的には間違っていても、意味している内容の真偽が重要になるはずです。
 内容が正しいかどうかは、証拠や根拠があるかどうか、そして証拠や根拠が正当かどうか、が重要になるはずです。そのような判断を短時間で、会話では瞬時におこなっているはずです。
 高度な判断、多様なプロセスを瞬時にするという訓練が積まれ、できるようになっています。ただし、思考の方法や判断の結果は、人それぞれの知識や経験、視点、思考によって大きく左右されてしまいます。
 そんな例として、水平な地層について考えていきましょう。「この水平な地層は、下の層が先に溜まって、上にいくほどより新しい地層になっている」、と言った人がいたとしましょう。この会話で、話している文章上の形式的論理性を考えることはないでしょう。実物を見て、会話の意味を考え、その内容が正しいかどうかを考えていくことになります。その時、自分が地層を見た直感的判断と合致しているかどうかが、判断基準となります。
 地層に詳しくない人同士の会話なら、それで終わるかもしれません。もし聞いた人が、地層をよく知っているのであれば、「現在の上下は、できたときの上下とは限らない」ということに気づくはずです。多くの人は、地層が海底で堆積し、陸地で見えるようになるためには、地質学的変動を受けていることを知識として学び、理解しているはずです。
 その知識から、変動過程は、ゆっくりとしたものですが、激しいもので、海底に溜まったものが陸地に持ち上がっているということは、その間に激しい変動があったことが、想定できるはずです。水平な地層であっても、海底の堆積状態が、そのまま保存される場合は、稀であることもわかるはずです。その結果、見かけの上下と、形成時の上下の一致は保証されない、と判断できるはずです。自身で気づかなくても、上述の簡単な説明で理解できるはずです。
 地層の現在の上下関係はかりそめののもで、形成時(真)の上下関係は、別の証拠を求める必要があります。真の上下を確認するには、さらに知識と経験が必要になります。
 上下判定には、ひとつの地層内での粒子の大きさの変化、また上下に非対称の構造、地層間では地層境界の状態、境界部の構造などの手がかりがあります。一般的地層の形成モデルをもとに、上下の判定に必要な知識を動員して、野外の地層の上限を論理的に見極めていきます。
 上下の判定のための証拠を探す時、知識とその応用において論理性が発揮されます。その論理性は訓練によって身につけることになります。そして熟練すれば、どんな地層を見ても、上下を判定できる証拠を探すことができるようになります。
 ある露頭では、上下が逆転していることも見抜けます。このような逆転地層は、地層のこと知らない人には、常識に反し、非論理的に見えるかもしれません。しかし、逆転を示す論理と証拠を示せば、納得できるでしょう。これは説明されている人も、論理性を共有しているからです。それは形式的な論理ではなく、証拠や根拠などが正しいと判断する論理的能力を持っているということです。これは広い意味の教養になるのではないでしょうか。
 さらに重要なのは、現在の露頭にある地層に至るには、流れている長い時間と激しい大地の営みがあることに気づくことです。現在の地層の背景にある悠久の時間、激しい変動を感じることは、感性や感慨に当たるもので、論理性から導かれるものではありません。
 地層をより深く理解するためには、感じる感性が必要になります。地層の逆転現象は、地質学的に重要な意味を持つことがありますが、逆転地層から感じる思いを持つためには、実体験をもって感性を鍛えなければなりません。
 論理性を身につけるのとは、異なった訓練が必要になります。まずは、野外でいろいろな地層を見ることで、いろいろな自然に触れることでしょう。そして、多様な地層があること、多様な自然があることを体験し、その感じる力を養っていくことではないでしょうか。
 論理性と感性は目指す方向性は異なっていますが、野外での経験を積むという方法は同じです。

・論理学・
論理学はなかなか難しく、奥深いものです。
原理原則はわかるのですが、
いろいろ公理からの展開や証明など
応用がなかなか難しくて
何度か挑戦したのですが挫折しています。
科学の考察や証明過程には
論理学は必要になるかもしれません。
背理法や対偶は真などを
日常生活で利用することはないでしょう。

・冬近し・
10月下旬から北海道は一気に寒くなってきました。
山はもう何度も白くなり、
峠の雪情報も何度も聞きました。
いよいよ冬がはじまりました。
今年は、紅葉もまだらに進み、
雪虫も大量発生をみていません。
いつもの冬の訪れとは少し違っているようです。
でも、こんな季節の移り変わりもあるでしょう。