2017年10月1日日曜日

189 継続と転身:三日三月三年

 継続することは重要で、誰もが唱え、そして実践してきているはずです。しかし、目指しているものからの転身、転向することも、重要となることもあるずです。転身経験が武器になることもあるはずです。私の経験を紹介しましょう。

 よく4年生の学生に言う言葉があります。「続けなさい」と。就職先として選んだところで、少なくとも3年間は経験を積むようにしたほうが、キャリアになるよ、といっています。「三日三月三年(みっかみつきさんねん)」という言葉があると伝えます。これは、芸事修行の心構えを説いた言葉のようです。3日我慢できれば、三ヶ月は耐えられる。三ヶ月耐えられれば、3年は継続できる。3年継続できれば、その体系の概要を把握できる。このような意味でしょう。
 3年の「3」のとい数値が意味を持つのではなく、日、月、年という、それぞれ違った継続が、意味を成すということです。それだけの継続をしてみなさいということです。
 それは、自身の今までの体験に大きく関わっているからだと思っています。
 私は、大学教員として、あるいは研究者として、これまで15年、今の職場で働いてきました。今後も多分、この職を継続していくことだと思います。大学教員としては15年ですが、大学院を卒業して研究者としては、30年ほどを過ごしてきました。しかし、振り返ると、研究者としてテーマや対象としてきたことが、点々と変わってきました。これから自分の話をしていきます。
 大学で学部生になってから専門科目を学ぶことで地質学に興味を覚えて、学部で卒業論文をはじめてから、研究というものをもっと深めたいと考えました。その時は日高山脈のオフィオライトを研究していました。主な手段としては、野外調査と岩石記載が中心でした。
 大学院(修士課程)に入学すると、指導教員が変わり、私は日高山脈を続けたかったのですが、テーマは同じですが、対象地域の変更がありました。地域が岡山北部舞鶴構造帯のオフィオライトになりました。手段は野外調査と岩石記載のほかに、岩石鉱物のいろいろな化学分析を行っていきました。
 博士課程でも大学と指導教員を変わったのですが、これは自分自身でテーマを拡大して継続していくことにしました。手段は同じでしたが、調査地域を最大に拡大して、西南日本内帯舞鶴構造帯のオフィオライトを対象しました。
 その後、特別研究員として、環境や自分の意識を変革するために、別の組織で全く別のテーマで研究をすることにしました。岩石の鉛同位体の超精密測定の確立でした。
 いずれも地質学における研究として、それなりに成果を挙げてきたかと思っています。しかし、特別研究員から博物館の学芸員となったとき、転機が訪れました。博物館では、研究だけでなく、教育も重要だとということを気付かされたからです。博物館では、当初、私は研究を進めることを主眼にしてました。ところが、博物館の業務として市民への科学普及活動、科学教育に携わっていくうちに、重要だということがわかってきました。重要性に気づいたのですが、教育学や科学教育学の訓練を全く受けていなので、やりかたが全くわかりません。教育学や科学教育の専門書はありますが、博物館の科学教育に関するものは殆どありませんでした。でも、現場ではいっぱい実践が行われていました。
 そこで、私なりの科学教育を試みてみようと思い、教育も実践とともに、研究の一部と考えようと思いました。幸いそれまで地質学を研究テーマと10年近く進めてきたので、地質学を素材とした教育をすればいいと考えました。そのようにして地質学と地質教育として、研究と教育を実践してきました。
 博物館は、古くからあった県立博物館を、まったく新しく改組して自然系博物館を新設することになっていました。ですから、従来からあった博物館の学芸員とともに、新設博物館の準備室の所属としても働きました。その間3年でした。新規開館後は、準備室の兼務がなくなり、学芸員として勤務になりました。
 私の気持ちの中では、当初、研究が主で教育が従での意識でしたが、研究と教育が同等になり、やがて教育の比率が大きくなってきました。そして博物館での科学教育が面白くなってきました。
 しかし、それまで、数年ごとにテーマや所属を変更してきたためでしょうか、博物館がオープンして5、6年ほどたったとき、研究と教育のバランスが教育に大きく傾いていった状態を感じて、それらのバックボーンとして哲学が重要ではないかと考えるようになってきました。そして、当時の私のように「研究<<教育」という研究者がいてもいいのですが、私の理想としては、「研究=教育=哲学」を併せ持った研究者が理想ではないかと考えるようになりました。既存の科学体系でいうと「地質学=科学教育=科学哲学(地質)」ということになります。
 博物館での経験から地質学のより大きな「自然史学」という視座で体系していこうと考えています。できれば、今後、地質学を中心とした「地質哲学」に力を入れたいと思いました。実は「地質哲学」という体系はありません。私が独自に構築していきたいと考えています。ですから、私の目指す体系は、「自然史学=自然史学教育=自然史学哲学」となります。これら全体を「現代版自然史学」の体系化として、さらには理想的研究者像として「現代版自然史哲学者」を目指したいと考えています。夢は大きすぎますが。
 新しいことをするとき、これまで環境が変わってきたり、変えてきました。物理的に居住地や職などを変わったのです。テーマを変えるだけでは、大きな刺激にならず、環境が変わることが大きな要因となるからだと思います。環境が変われば、自身を追い込みながらも、新たなモチベーションを生み出すことになると考えました。それが今から15年前でした。
 大学では、「研究=教育=哲学」として、哲学も重要な位置づけで、研究と教育でも成果を出しつづけることを目標にしています。細々とながらですが、成果を出し、地質哲学でも論文を書くようになってきました。まだまだ道は遠いですが、やりがいを感じています。
 ここまで述べてきたように、私は、数年の単位でテーマや環境を変えてきました。しかし、転身する時は、前のキャリアを最大限に利用してきました。これは処世術でもあるのですが、自分の人生における経験を活かす生き方ことは重要だと考えているからです。キャリアが長く、そして変化に富んだものであればあるほど、他に誰ももっていないキャリアになっていきます。
 もし、自分の選んものが、すぐに嫌になるようなら、それは自分が本当にやりことでないことでないかもしれません。あるいはやりたいことかもしれませんが、自分には向いていないのかもしれません。合わないことなら3日でやまてしまうのでしょう。でも三ヶ月続くようなら、3年は継続してみる価値があるはずです。「三日坊主」や「石の上にも三年」という言葉も同じような教訓なのでしょう。学生たちには私の思いが、どの程度届いているのでしょうかね。

・教職希望・
大学4年生はほぼ就職決めていますが、
教職希望の学生は、まだ発表がないので、
不安な学生もいるはずです。
でも、教員を目指すことを決めたのであれば、
正式採用がだめなら臨時採用で先生の道に進むことです。
それが、自分の信念にあった生き方のはずです。
でも若者も悩みが多いのです。
本当に先生としてやっていけるか。
本当に自分に先生が向いているか。
そんなとき、正式採用より臨時採用で経験していくことも
良いのかもしれませんね。
決して人生を遠回りしたわけではないはずですから。

・ストーブ・
北海道は9月末に一気に寒さが増しました。
初雪の便りも聞こえます。
わが町から見える山並みにはまだ冠雪はみられませんが。
でも、朝夕は冷え込みむようになりました。
我が家では、ストーブを炊きはじめました。
今年の秋は一気に来ています。