2001年12月25日火曜日

special5 教育(2001年12月25日)

 教育というと、学校教育を頭に浮かべます。しかし、それがこの世の教育のすべてでしょうか。もちろん、学校教育は、教育のほんの一部に過ぎません。
 人が生まれてから、死ぬまで、どのような教育を受けるでしょうか。
 赤ちゃんが、まず最初に教育を受けるのは、両親、特に母親からの教育です。次に、幼児に対する教育があります。それは、人間としてのフレームワークにあたる言語、運動、行動、習慣など生きることや生活全般にわたる基礎的教育を受けます。
 3歳から6歳になると、基礎的な教育に並行して、幼稚園での集団、社会生活を伴った教育が始まります。
 7歳から12歳までは小学校で、13歳から15歳までは中学校で9年間の義務教育を受けます。16歳から18歳まで高等学校、19歳から20歳あるいは22歳まで、短大、専門、大学で教育を受けます。人によっては大学院で23歳から27歳まで高度な専門教育を受けます。20代で、ほぼ学校教育は終わります。そして、学校教育の卒業卒業をもって、親から独立して一人立ちをするはずですが、最近はそうでもないようです。
 大学を卒業して会社に入った人や、30歳以降の人は教育を受けないのでしょうか。違います。会社では、会社の研修や管理職に着くための研修を受けます。資格や仕事のために各種の専門書やハウツーものの本を、独学で読むこともあるでしょう。また、趣味や転職、転進のために、その関連の社会人学校や通信教育、カルチャーセンター、専門学校などに通うこともあるでしょう。
 定年後、会社勤めの時にできなかった趣味や生き甲斐のために、さまざまな活動を始めます。そのときも、多分、なんらかの勉強をしながら新しいことを始めるでしょう。
 平均年齢で考えれば、家庭教育が約20年間、学校教育が約16年間、企業・会社教育が約40年、社会教育(最近では生涯学習と呼んでいます)は70~80年間となります。教育を受ける期間では、社会教育が一番付き合いの長いものといえます。社会教育を定例的に行っているのは、市町村や各種団体の催す講座や大学の市民公開講座、博物館、図書館、公民館などの生涯学習施設での講座などがあります。このような講座は、学校教育と比べると、その量や内容、質において、あまりに多様性に乏しいといえます。既存の講座も常に定員をオーバーするような状況がざらです。つまり、需要を満たす供給がなされてないのです。
 このような現状では、人生において一番長い付きあいとなる社会教育が、あまりにも貧弱としかいいようがありません。もと選択肢の幅を広げる方法や制度を早急に考える必要があるのではないでしょうか。
 教育は、受ける側からは受動的であり、学習は能動的なものとなります。そのため、同じような成果、結果となっても、学習のほうが教育より、受ける側の主体性が活かせます。また、1990年代から始まった、生涯学習の風潮とあいまって、行政としても生涯学習の重要性が認識されるに至ってます。
 生涯学習は、子供から成人、そして老人まで、さまざまな階層に必要なものです。そして、その基本が学習という自発性に基づくものです。このような動機を持つ人が増えることは、日本の基本的な知的能力を高めるのに非常に役に立つのではないでしょうか。学校教育の危機が叫ばれて久しいですが、学校教育が人間教育のすべてでないとすれば、生涯学習こそが、今後充実すべき方向性ではないでしょうか。
 そこで必要となるのが、施設(場)の充実と機会の増加でしょう。新設の施設を作るのはもとより、従来の施設の改善、人材の充実をはかるべきでしょう。そして、学校教育以外に、生涯学習施設で十分な実力を付けた人間が、次世代の社会人や研究者として活躍できる道を作るべきではないでしょうか。現在の学校教育では、画一的で、能力のそろった人材は育成することができるが、非常に個性あるいは一部の分野だけに秀でた能力は消されていきやすいのです。成績にとらわれず本人の興味の赴くまま、限界なく学習する機会を与える必要があるのではないでしょうか。その中には人類にとってかけがえのない才能、天才、発見、発明があるのではないでしょうか。

・親として、人間として・
 私も、子を持つ親として、教育は気にかかります。学校教育は大切です。現代社会において、学校教育が果たしている役割は大きいです。しかし、学校教育では、果たしきれない役割もあります。それを補うのが家庭教育でしょう。また、学校教育を卒業した人間には、あるいは家庭から独立した人には、自分自身あるいは社会から学ぶ生涯学習が、長い人生においては重要です。
 今の私にとっては、学校教育で学んだ何倍かのものを、社会からあるいは自力で学んでいます。現代社会では、学習(生涯学習)は不可欠です。でも、それもこれも、知りたいという好奇心のなせる技です。この好奇心が尽きる時が、学ぶ姿勢がなくなるときかもしれません。さてさて、私の好奇心はいつまで続くのでしょうか。長く続くことを願っています。

・ありがとうございました・
 この1年間、「地球のささやき」および、この「地球のつぶやき」を購読いただき、本当にありがとうございました。そして、多くのメールをいただき、本当に助かりました。意見や質問から、議論にまで発展したこともありました。私にとっては、大変勉強になり、非常に有意義でした。これからも、懲りずにメールを下さい。よろしくお願いします。
 最後になりましたが、皆様、よいお年をお迎えください。

2001年12月19日水曜日

special4 地質調査(2001年12月19日)

 地質調査、特に一人で行う野外調査は、シンプルなものです。しかし、調査には不可欠なもの、つまり必需品がいくつかあります。調査用具から地質調査とはどんなものか見ていきましょう。
 地質調査では、野外、それも道なき道や沢を遡上することもありますので、行く環境に応じて、必要な装備や服装を整えていきます。野外を歩ける装備をした上で、地質調査に必要なものとして、ハンマー(かなづち)、筆記用具(ノート、えんぴつ)、クリノメーター、ルーペ、地図などがあります。そのほかにも、長年野外調査をやっていると、それぞれの好みや、調査の特殊性によって、さまざまなものが、ポケットやザックの中に入っていきます。
 装備について少し詳しく紹介しましょう。
 ハンマーは、どれでもいいというわけではありません。対象とする地質によって、軟らかい未固結の地層を調べるときは、ハンマーよりスコップが必要です。また、固結していても、やわらかければチゼルハンマーというものを使います。チゼルハンマーは、叩く側は普通のかなづちの同じですが、その反対側が「たがね」のように細く平らになっています。チゼルハンマーは、地層を削ったり掘ったりするのに便利です。一方、硬い岩石を相手にするときは、ピックハンマーというものを使います。チゼルハンマーと違って、叩くほうと反対側は細くとがっています。そして、岩石の標本を取るとき楔(くさび)のようにして使うこともあります。
 でも、地質調査で使うハンマーと一般のハンマーの違いは、その頑丈さです。硬い石を何度も叩くので、大工道具で使うようなハンマーではすぐにダメになります。岩石専用のハンマーがあります。大先輩たちは、登山で使うピッケルをつくっている人に、岩石専用のハンマーを打ってもらったりしていました。現在では欧米の有名メーカーのものを使っている人が多いようです。
 ノートはポケットに入る小さいもの(A5版、B6版程度)をよく使います。できれば、表紙が固いもの(ハードカバー)が、手で持って書くときは便利です。筆記具は、鉛筆が一番使いやすいようです。川に落としても、浮きますし、少々濡れても書けます。私は、最初は鉛筆でしたが、後には、安いシャープペンシルと4色ボールペンを併用していました。
 クリノメーターとは、地質調査に使う特殊な道具です。普通の方位磁石(コンパス)が、その中に入っていています。クリノメーターは、コンパスの役目を果たすのですが、使い方も仕組みも少し違います。普通のコンパスは、北(N)を前に向けると、手前が南(S)、右が東(E)、左が西(W)となっています。しかし、クリノメーターは、北と南は同じですが、右が西、左が東と逆になっています。これは、クリノメーターを向けた方向の方位が、即座に読み取れるようにしているためです。クリノメーターを向けた方向は、N極の指している方向です。それを北から東へ30度(N30°Eと表記)というように、メモリに振られた数字を読むだけで、すぐにわかるようになっています。
 さらに、クリノメーターの中には、自由に振れるもう一つに針がついてます。これは、磁石ではありません。磁石と同じ軸に取り付けられています。クリノメーターを横にしたとき、その傾斜の角度が測れるようにしてあるものです。この針専用の目盛りもふられています。
 このクリノメーターで何をするかというと、地層の構造を記録するのに使います。もちろん、方位を知るためにも使うのですが、地層の走向(そうこう)と傾斜(けいしゃ)というものを測定することが一番の目的です。地図の上で、地層を表現するために、地層の境界面(地層面といいます)を、その地層の構造として記録します。
 3次元空間で一つの平面を表現するためには、2個のベクトルで表記ができます。そのベクトルの方向を、磁北と重力方向(地球の中心に向かっている。つまり下)を基準にして測ります。地層と水平面の形成する線(走向)と、走向と直行する面と地層面の形成する線(傾斜)によって測ることにします。それを、図示することによって、地質図を書いていきます。
 このような走向と傾斜を正確に求めますと、見えない地層の延長も、幾何学的処理(地質図学といいます)によって求めることができます。つまり、点から面へ、面から3次元へと処理を拡大することができます。実際には、地質図は、2次元で書かれていますが、3次元の前提があって、それを2次元で表記にしているだけです。
 調査道具だけでも結構な量になるのに、人里離れたところへ行く時は、キャンプ用具や食料なども一人で運ばねばなりません。でも、今は、そんな秘境のようなところはあまりなくなりましたが、やはり、長期にわたる調査には、多くの物資が必要となります。
 大変なのは、帰りです。調査の結果として、資料(岩石)が増えていきます。普通の登山では、食料のぶんが減っていくので、帰りは、荷物が軽くなって楽になるのですが、地質調査では、一人では持ちきれないほどの、資料をいかにして持って帰るかが問題となります。

・地質調査の達人たち・
 10月に出して以来、久しぶりの「地球のつぶやき」です。
 今回は地質調査について紹介しました。先輩達は、非常に苦労をして地質調査をしていました。それこそ、仙人のような人もいました。逸話ではなく、そのような仙人のような行動を目の当たりにことありました。いくつかの逸話を紹介しましょう。
 北海道の調査、それも日高山脈などの調査は、当時は人家が全くないところで行うのが普通でした。その前提でお読みください。
 普通は、一人で何日も調査に入るということはなかなかできません。でも、ある達人は、米とミソとキャベツ1個で、2週間も一人で調査してきます。当然、食料の多くは、現地調達が前提です。
 ある達人は、昼食時には、常に焚き火をします。それは寒いときはもちろん、暑いときもします。虫よけの意味もあるのですが、習慣になっているのです。そして、素晴らしいことに、どんなに雨が降ってもその習慣は止めないのです。岩陰や、大きな木の根元などで、焚き火をするのです。そして、材料がどんなに濡れていても焚き火をしてしまいます。もちろん雪の上でもです。もっているのはタイラー1個だけです。燃やす材料は、そのへんあるものです。ダケカンバの樹皮や落ち葉を利用して、焚き付けや雪の台にしたりしています。
 もちろんキャンプのときには、焚き火が不可欠です。達人たちの焚き火は、朝でもオキとして火が残っており、朝にはすぐに火が焚けるのです。
 またある達人は、常に昼寝をします。昼に1時間ほど休むのですが、昼食を食べ終わると、すぐにごろんと横になって、昼寝をしてしまいます。そして、30分ほど寝て、また調査をします。体力温存でしょうか。でも、体力が日高山脈のような険しい地域を調査するときには、一番大切なものです。
 ある達人は、昼食時に、弁当を3分の2しか食べません。理由を聞くと、もし遭難したとき、その3分の1で生き延びれるかもしれないと言います。なるほどと感心したことがあります。そして、残りの3分の1は、おやつのようにして食べます。おやつ以降に遭難したらどうするのでしょうか。達人にならって、私は、非常食(カロリーメイト2箱とチューブ入りのコンデンスミルク1本)を、常にザックに入れていました。
 発展途上国や極地(高所、南極、人跡未当地域)などを調査する地質学者は、日本にまだいます。でも、そのようなハードな地質調査をする、あるいはできる地質学者の数は、そんなに増えてないと思います。それは、大学の教育の変化です。このようハードな調査を要求する大学は、少なくなりました。私が学生の頃は、全員が地質調査をして地質図を書くことが、必修でした。たとえそれが、鉱物学の卒業論文でもです。
 そのような能力を求めたのは、就職先の多くが、地質コンサルタントや、石油会社などだったからです。そのような業種は、野外で地質調査をできること、そして海外などの未地のところでも、自分なりの地質が把握できる能力を必要としたのです。でも今は、そのような時代は終わったようです。
 コンピュータや環境アセスメント、野外調査も物理探査やボーリングなどが中心で、道具を使いこなす能力を要求しています。
 さて、今後の資質調査はどう変貌していくのでしょうか。私は、もはや古典的な地質屋さんなのでしょうか。

・月に1回の発行を目指して・
 「地球のつぶやき」は不定期に出すことにしていたのですが、そうするとついつい出すのが億劫になってきます。こんなことになるならと、ほぼ定期的に発行しようかと考えています。目安として月1度程度にしようと思っています。ほぼ定期的ですので、もともとも方針に従い、なにか記念すべきことがあれば出すようにします。
 そして、この「地球のつぶやき」は「地球のささやき」の姉妹版で、「地球のささやき」に載せにくいような内容を中心にしています。ですから、ネタがうまく見つかるかどうかが心配です。
 でも、今回から、はじめてみようかと思います。