2014年4月1日火曜日

147 研究するということ:修行と知恵

 研究するということは、どのような資質、能力を持たなければならないのでしょうか。それを身につけるために、「修行」をしていきます。修業期間に研究者としての能力とともに、知恵も養っていく必要があるようです。

 STAP細胞の論文が大きな話題になりました。当初、その研究成果の重要性もさることながら、中心となったのが若い女性研究者であったことも、ニュースを盛り上げました。さらに、容姿や着衣が目を引くことから、ますますワイドショーやメディアが連日が取り上げ、彼女は、時の人になりました。
 その後、ご存知のように、状況が一変しました。画像や本文の類似性や実験の再現性に問題があるとして、一気に疑惑が浮上してきました。持ち上げられていたその研究者は、一転してメディアから叩かれるようになりました。
 私は、ニュースは、新聞とネットくらいしか見ていません。それも自分の関係しないところは、さらりとしか見ませんので詳しい内容は知りません。家内と話をしていると、ワイドショーを見ているので家内の方が詳しいでした。真実は、まだ藪の中でしょうか。
 真相はわかりませんが、研究者になるということはどういう過程(修行)を経るのか、研究者になるためにどのような技量(知恵)を身につけていくのか、などについて考えました。
 当然のことながら、一人前の研究者になるには、多くの努力と時間をかけて修行をしていきます。その修業を通じて、いくつか身につけなければならないことがあります。研究者としての「知識」と「技術」、そして「知恵」ではないでしょうか。以下では、この3つの点について見ていきます。
 ただし、私が学んできて、体験してきた、理系的な研究修行ですので、分野が違うと様相が異なることがあるでしょう。ひとつの例と思ってください。
 まずは、自分が興味を持っている分野で、必要となる基礎から応用まで、さらに最先端までの「知識」を、体系的に学ばなければなりません。
 その分野の経験が少ない初学者は、「基礎知識」で少なくとも2、3年かかります。これが学部の専門科目の修得になるでしょう。多くの大学では、最初の2年間は一般教養のような広い学問やスキルを身につけながら、専門分野の基礎となりそうな内容や実験などの講義あります。その後、専門分野を定めて、より深い専門の知識を学んでいきます。卒業論文や卒業研究では、テーマを定めて、1年以上の時間をかけて、専門知識をいかしながら、テーマを深めていきます。まあ、大学や学部、個人によって、その深まりはさまざなまでしょうが。
 「より高度な体系的知識」から「最先端の知識」を身につけるのに、さらに2、3年かかります。修士課程の時期となります。この期間に、その分野においてなんらかの成果を挙げられるようなテーマを進めてきます。ただし、成果の重要性よりも研究という過程を一貫してやり遂げるという体験が大きな目的となります。
 次に、実際に本格的な研究を行なう段階になります。最先端の知識を常に吸収しながら、その分野でそれなりの重要性を持った研究テーマを進めていきます。それが、博士課程です。この期間に、論文や学会発表をしながら、自分の成果を公開して、科学者コミュニティにデヴューしていきます。数回の学会発表や論文投稿などを経て、博士を取得します。
 最新の知識は、自分の指導教官だけでなく、同じ道を志している同輩や先輩との交流からも得られることも多いはずです。最先端の知識は、自分自身で見つけ出したり、科学の人的ネットワークからもギブアンドテイクしていきます。最新の知識の収集は、研究を続ける限り、努力を継続していかなければなりません。
 知識の修得や収集と並行して、研究を進めるための「技術」を身につけなければなりません。科学の分野では、データ収集の調査、分析方法、各種の装置を使用法、データ処理技術などを体験的に学んでいきます。これらをマスターして、装置を安心して使用させてもらい、データ精度の信頼性を持つためには、3、4年はかかりそうです。博士課程になると新しい装置の工夫や、新たな使い方などを考案するなど起こるでしょう。そんなとき基礎知識や体系的知識が役立ってきます。
 つまり、修士課程までの大学院生くらいの期間(3、4年)は、「知識」や「技術」を修得するための修行をして、研究の方法を身につけていきます。博士課程では、研究者としての予行演習を行いながら、一人前の研究者としてコミュニティ参加も含めて修行してきます。車の教習でいれば、教習所内での練習は修士課程で、仮免での路上練習が博士課程です。
 最後に、重要なのが、「知恵」です。知恵とは、定義の難しいものです。科学的な考え方や科学を行なうために姿勢、あるいは科学者の良心や倫理観にもどついた規範意識なども含むでしょう。意図して身につけていくものではないのかもしれませんが、教えられるものでもありません。講義も教科書もありません。修行という実践の中から学んでいくものです。つまり、自分自身が研究するということを通じて、研究というもの、研究者というものは、どういうものなのかということを、無意識に身につけていきます。
 これがなかなかやっかいなものです。考え方は自分の思想を、姿勢は生き方を、良心は個人の個性を、倫理観は社会などを、強く反映したものでもあります。一般論ではくくれない場面も多いでしょう。
 修士課程や博士課程では、指導教官が必要になります。先生の後ろ姿から、知恵を学んできます。ですから教え子には、指導者の個性が反映されることがあります。例えば、先生が、論文wp書くためにデータや成果を強く要求する人なら、教え子は多数の論文を書くことが研究者として重要な資質と思ってしまうでしょう。一方、論文の量よりデータの信頼性や再現性を重視したり、テーマの重要性や社会的貢献を意識するような先生なら、教え子もそのような点に注意するでしょう。
 だれが考えても後者のような指導者が優れているようにみえるこかもしれません。しかし、現実には、両方の条件を満たさなければ、「一流の研究者」として生き残れません。そんな研究者は、ほんの一握りの人たちだけになります。多くの研究者はどちらか(あるいは研究をしない研究者)にシフトしていきます。そして、現在、多くの研究者は、成果や業績を重視しなければならない前者になるべく追い込まれています。
 定期的にあるいは多数の論文を書くために、ついつい以前のデータを、さも新たに出したデータと繕ったり、同じ内容なのに見かけを変えて論文にしたりすることがあるかもしれません。
 最初の一歩は許される範囲であっても、繰り返しによってエスカレートしていくと、境界を越えていることがわからないまま、引き返すことにできないところに行ってしまうこともあるでしょう。ですから、最初の一歩へと良心や、客観的に見た時、境界線を越えているという倫理観が歯止めにならなければなりません。できれば、最初の一歩を踏み出さないことが重要になります。そのためには「知恵」が必要です。
 STAP細胞の中心となった研究者も、権威ある大学の研究者との共同しており、日本でもっとの信頼される研究組織で若手の研究リーダーとして過ごしていました。STAP細胞は、世界でも最先端の革新的内容でもありました。これを一流科学雑誌に公表できれば、すべての人を納得させられ、今後の道もすばらしいものとなるはずです。そして、その道へたどり着きました。その道は、間違いのないものだったのでしょうか。もしそうなら、本人が一番知っているはずです。どこで踏み外したのかを。
 どんな状況であっても、良心や倫理観のような「知恵」は必要です。しかし、その研究者だけでなく、多くの最先端の研究施設で追い込まれるような心境で、日々の研究を進めている人も多くいると思います。残念ですが、多くの若手研究者は、彼女の心境が理解できるのではないでしょうか。
 本来、研究とは、強いモチベーションを持った人が行なっていくはずです。そのモチベーションとは、好奇心だと思います。自分の好きなことをしているのだということが、厳しい修行期間を耐えさせ、厳しい成果ノルマを乗り越えるための一番の原動力です。研究者の心のなかで、好奇心が、研究環境や社会条件の重圧より優っている限り、良心や倫理が正常に機能するでしょう。
 幸い私は、今のところ好奇心が優っています。今のポジションが、文系私立大学なので、研究成果よりも、校務や講義をつつがなくこなすことが重視されています。まあ、これも経営上しかたがないことです。そんなんかで、私には、研究が仕事でもありライフワークでもあるので、毎年2編の論文を書くことにして、研究計画を立てています。研究条件はよくありませんが、追い込まれながら研究をする状況ではないという利点があります。
 問題は、研究する時間がだんだん削られてきていること、テーマの科学的重要性や社会的貢献度などがあるかという点です。私の興味を中心としたことが論文となっているので、役になっているかどうかはわかりません。ただし、一人で行う研究が多いので、周りや社会に影響されることなく、自分の良心や倫理に基づいて研究できます。それが一番の良い点かもしれません。貢献はしていないが、害もないというところでしょうか。

・四国の調査・
先日、四国の調査をしてきました。
多くのところは、以前巡ったところでした。
一部、新たに巡ったところもありましたが、
基本的には再確認の作業でした。
5泊6日だったのですが、中一日、
激しい雨と風で調査が殆どできませんでした。
それ以外は順調に調査できました。
まあ、満足のできる調査となりました。

・早い春と遅い春・
高知を調査している時、
高知城の桜が日本で一番最初に
開花宣言をしたというニュースをききました。
沖縄や鹿児島より早く咲いたのか少々不思議でした。
なにかの前提条件を聞き逃したのかもしれませんが。
到着時は、桜は満開ではありませんでしたが、
帰り、高知市に近づくと桜が沢山咲いていました。
山間ではウグイスの鳴き声もききました。
3月末に北海道に帰ってきました。
道路の雪ははとんど融けていますが、
畑や牧草地はまだ真っ白です。
風が吹くと、雪の上を吹き渡る風はまだ冷たいです。
今年の北海道の春は少々遅めになりそうです。