2008年1月1日火曜日

72 進歩よ止まれ:ムーアの法則(2008.01.01)

 明けましておめでとうございます。昨年の御愛読ありがとうございました。今年も、よろしくお願いします。今年最初のエッセイは、科学の進歩と自分の進歩について考えてみました。

 ITやコンピュータの世界は、日進月歩で進歩しています。半年ごとにパソコンの新機種が発売され、その性能は増していきます。ありがたいことに、値段はそれほど変わりません。このような新機種の定期的な発売が、当たり前に思えるほど、IT関連の技術はとどまることなく発展しています。
 私事になりますが、私のコンピュータとの付き合いを紹介していきます。
 私が、はじめてコンピュータを使ったのは、修士課程の大学院生としてO大学のO研究所にいた時です。EPMAと呼ばれる鉱物の化学組成を分析する装置を使っていました。その装置によって測定した数値データを処理するために、大型計算機を使った時がコンピュータとの最初の出会いでした。
 その研究所には鉱物の分子動力学(Moleculer Dynamics、MDと略されています)の実験を計算機を使ってされているM先生がおられました。M先生が作成されたEPMA用の補正計算のプログラムを使用させていだきました。その大型計算機は、M先生が一人で使われていたものでした。四六時中、大型計算機はMDの計算を続けていました。大型計算機を中断する方法を聞いていたので、私の補正計算を終われば、またMDの計算をスタートさせるということで、使用させていただきました。
 分析装置からの未加工のデータは、紙テープに打ち出されていました。紙テープを大型計算機のテープリーダに読み込ませて、計算をさせていました。地質学で野外調査を主な手法としていた私が、はじめて出合ったコンピュータは、富士通の大型計算機でした。今思えば、少々変わったコンピュータとの出会いかもしれません。
 その後、H大学の博士課程に進んだ頃には、パソコンが普及し始めて、NECのPC9800やPC8800シリーズが大学の研究室に導入されはじめていました。やがて、私もパソコンを購入できるようになりました。はじめは、BASICという言語で、プログラムを自分で作成をして、計算をはじめました。自分が出したデータや、比較検討のために文献から集めた大量のデータを入力して、グラフにしてプロットすることも行っていました。しかし、成果発表のための図は手書きでしたし、コンピュータを使って打ち出した図も、手で清書していました。
 この時期が、文章(英語論文)を、タイプライターで打つかワープロで書くかの狭間の時代だったようです。私の最初と2番目の論文は、タイプライターで打ちました。その後は、WordStarというパソコンのワープロを用いて、3編目と博士論文を書きました。当時、私は研究室ではじめてワープロを使って博士論文を仕上げたことになりました。
 WordStarにはスペルチェックの機能があり、博士論文の副査のH先生から、ミス・スペルがない論文なので驚いたといわれました。今では、スペルチェックは、ワープロには当たり前についている機能ですが、当時は知らない方もおられ、驚かれました。本当は、研究内容で、驚かれるべきなのでしょうが。
 その頃より後は、私、少なくとも理工系の研究者は、コンピュータなしで研究がやっていけない時代へと変化しました。分析装置の制御、データ処理、データ整理、グラフ作成、画像処理、作図、作表、文章作成などの研究や論文作成にかかわることだけでなく、学会の連絡や学会発表、研究者同士の連絡も、インターネットやメールを使っています。その窓口は、すべてコンピュータとなっています。
 研究者の必需品ともいうべきコンピュータは、日進月歩としていますから、研究をするにしても、研究成果をまとめるにも、学会へ報告するにも、新しいシステムやアプリケーションがでてくれば、対処しなければなりません。分析装置が導入され、それが新しいシステムやアプリケーションで動くのであれば、いやおうなしに、進歩につき合わされていきます。
 私は、コンピュータの専門家ではないですが、その進歩には驚かされます。コンピュータの進歩のスピードを考えた人がいます。Intelの創業者の一人であるゴードン・ムーアが最初に提唱したものです。彼らの名前をとって、「ムーアの法則」と呼ばれていますが、ICやLSIなどの集積回路の集積密度は、18から24ヶ月ごとに倍になる、という経験則です。現在までの数値をみると、2年で2倍になっているように見えます。これは、進歩という視点でみても、驚異的なスピードといえるものです。
 高速のコンピュータを必要とする人にとっては、技術の進歩は福音になります。でも、まだ使えるはずのコンピュータを数年ごとに買い換えて使い捨てるような風潮は、果たしていいことなのでしょうか。多分多くの人は疑問を感じているはずです。使い捨てを育むような思想が、将来のために資産を食い尽くしそうな気がします。
 でも、研究者は、成果を出さなければなりません。そのために必要悪ともいうべき、進歩への対処が迫られます。たとえ現状の環境で満足している人にとっても、常に自分の仕事に使っている道具であるコンピュータは、壊れる心配があります。もし壊れて本体を買い換えれば、新しいコンピュータには、新しいシステムやアプリケーションが入っています。それを使わざる得ない事情もあります。
 コンピュータが普及して間もない頃は、自分のやりたいことを、コンピュータがあるいはアプリケーションが行えない、できても遅いという不満がありました。その頃は、もっと速く処理ができないかと、ユーザは願っていました。ユーザの希望を受け入れてバージョンが続けられ、それを待ちわびて進歩を喜んで迎え入れていました。
 現在では、コンピュータは充分な能力を持っているのではないでしょうか。ですから、進歩より、耐久性を持って欲しいものです。「進歩よ、止まれ」、「コンピュータよ、耐久品になれ」といいたい気分です。
 私は、現状のコンピュータの能力で充分満足していますし、やっていけます。今まで使っているアプリケーションが動く限り、それで不自由はないのですが、もしコンピュータが壊れれば、新しいものに買い換えなければなりません。その時、新しいバージョンのシステムが導入されることになります。
 私は、新しいシステムを気にしながらも、4年前に購入したパソコンを古いシステムで使っています。今、使わなければ仕事ができなくなるアプリケーションが、新しいシステムに対応しているかどうか不明です。さらに、今まで使っていたアプリケーションだけでなく、蓄積したデータ、過去のファイルが使えなくなると、おおいに困ります。
 そのために、常にファイルの互換性には気を配っています。文章はできる限りテキストファイルにしています。データも、MSエクセルやMSワードのシンプルなファイルしていますし、ホームページもHTMLだけのシンプルなものにしています。しかし、どうしても特別なファイルを扱わなければならないこともあります。例えば、ドロー系や数値地図用のアプリケーションなどですが、新しいシステムで動くという保証がないものもあります。
 かつては、初期の日本語ワープロは、単漢字で入力していました。今のワープロは、スペルミスだけでなく、日本語の間違いを指摘してくれます。必要とあれば、類語も出してくれます。各種辞典や百科事典も利用できます。データベースも利用できます。フリーの百科事典であるウィキペディア(Wikipedia)もあります。こんなに、大量の情報が手軽に利用できるとは、初期のパソコンを使っていた時代からは、想像もできません。隔世の感があります。
 非常に便利になったのですが、では、私の研究は、ムーアの法則に則って、深まりを増したでしょうか。いや、実際のところ、薄まってきたのような気がします。今は、年に数編の論文を書きますが、以前は1年から数年に1編しか書かなかった時期もありました。このような時期は、論文を書くより、研究をすること、考えることに時間を割いていたような気がします。そして、自然の不思議さを研究することに、わくわくしていました。そして、自然の奥深さに感動していたような気がします。
 研究や論文に対する思い入れは、時間を書けた分、大きくなっていたようです。時間をかけて研究していた時代の論文には、好奇心や研究への強い気持ちが込められているのかもしれません。業績や評価からすると、こんなのは数字に表れない、取るに足らない些細なことかもしれません。でも、使い捨てのコンピュータのように、義務的な研究、早く論文にできる研究、論文数だけを考えた研究、論文を書けば終わりの研究、になってきているような気がします。
 これは、単なる過去へのノスタルジーや単なる思い過ごしでしょうか。でも、せめて年の初めくらいは、今までの自分の仕事への取り組み方、思い入れの強さ、初心などに、考えをめぐらせることも必要かもしれませんね。

・母の訪問・
年の初めは、心も改まるような気がします。
気がするだけかも知れません。
我が家はあわただしい、暮れと正月を過ごします。
それは、母が暮れから我が家に来て、
正月の元旦に帰るためです。
元旦は交通機関がすいているのと、
母は、我が家と自宅でも正月が祝えるからです。
ここ数年、母と我が家の恒例になっています。
暮れには、母を連れて、近くの温泉のはしごをすることになります。
冬の北海道は、雪と温泉だけはこと欠きませんから、
いっぱい味わってもらいたいものです。

・進歩もほどほどに・
私は、DOS、そしてある時期はMacを使ってました。
しかし、いろいろな理由から
現在は再びWindowsに戻りました。
ただし、Windowsは、もちろんVistaではなく、XPです。
今年購入したノートパソコンも
わざわざXPバージョンのものを購入しました。
現在メインに使っているデスクトップのパソコンの容量が
そろそろいっぱいになってきました。
外付けハードディスク500GBと1TBをつけて
データ保存とバックアップ用として使っています。
コンピュータのハードディスク(150GB)には
アプリケーションと必要なデータ、ファイルだけを入れています。
その空き容量が、だんだん残り少なくなってきています。
ですから、将来を考えると、不安ですが、
まだ、即座に乗り換える気がしません。
今使っているソフトが動くことを確かめてからです。
そんなとき、いつも思うのは、パソコンに関して、
ムーアの法則を、本当に多くの人が喜んでいるのかという疑問です。
それとも、私たちは、進歩という魔法で踊らせているに過ぎないのでしょうか。
道具の進歩は、喜ぶべきことなのですが、
ほどほどがいいのではないでしょうか。