2006年1月1日日曜日

48 未来を目指して:未来予測は可能か(2006.01.01)

 明けまして、おめでとうございます。一年のはじめには、その年に何をしようか、どう過ごそうかなどいろいろ思いを巡らせます。これから来る一年という未来を予測しながら立てられた目標もあるでしょう。今年は未来予測の話題からはじめましょう。

 未来とは「未だ来てないとき」ですから、どうなるか分からないものです。でも、未来を知りたいのは誰でも同じです。避けることのできない未来で、自分に不利になるような未来ならあまり知りたくないと思うでしょう。未来とは、知りたいような、知りたくないような、それでも怖いもの見たさで覗きたい気がする不思議なものではないでしょうか。
 もし、未来が知ることができ、その未来を変更できる可能性があるのであれば、知りたい気がします。いや、悪い未来なら早めに知っておいて、回避する努力をしたほうが賢明ではないでしょうか。
 では、現実に未来予測はできるのでしょうか。ここでは、未来予測というのは、占いや超能力者の予言などではなく、科学的に可能な予測について考えていきましょう。しかし、不確かさも、そこにはもちろんあります。それも考慮したものです。
 実は、未来予測は、ある状況下では、誰でもしていることなのです。ある状況下とは、因果関係がはっきりとしているときです。
 信号のない道路を渡るときを考えてみてください。普通の人は、道路を渡るときは、車が来ないか左右を確かめてから渡ります。このとき何をしているかというと、自分が道路を渡る間に車とぶつからないかを予測しているのです。遠くに車が見えても、自分が渡る間に近くには来ないと予測できれば渡るはずです。大抵の人はこれをしているはずですから、未来予測を無意識にしていることになります。
 そのような予測ができない人は、道路をいつまでたっても渡れないか、車は来ないものと決めて渡っているはずです。予測が不得意の人は、道路をいつまで経っても渡れないので、行動範囲は非常に狭くなっていくでしょう。また、予測などしないで生きている人は、今はもう事故で死んでいるか、今生きている人は非常に幸運な人生を送っていることになります。
 この例だけでなく、人が行動するとき、あるいは動くというときは、誰もが未来予測をしているといえます。階段を登るときも、段を予測して足を上げています。曲がり角があれば、その位置と角度を予測して曲がっているでしょう。そうしないと行動できないといえます。
 このような未来予測は、人間だけがしていることではなく、動物や生き物でも、極普通におこなっていることなのです。肉食獣が向かって迫ってくる状況の草食獣を想像してください。このとき草食獣は、肉食動物に向かうものはいないはずです。そんな草食獣は、肉食獣の格好の獲物として、この世からもういなくなっていることでしょう。肉食獣が迫ってくれば、草食獣は逃げます。少なくとも向かってくる方とは反対側には逃げるでしょう。もっと予測をうまくするものは、肉食獣が追いつきにくように進路の変えながら逃げるでしょう。これは、未来予測です。
 哺乳類だけではありません。土の中の種が芽を出すとき、重力を感じて重力の方には根を伸ばし、芽は重力と反対側に伸ばすでしょう。種は、重力を感じて、養分や太陽の光がどこにあるのかを予測しているのです。生物の感覚器官の多くは、未来予測のための道具ともいえるのはないでしょうか。
 遠くの車を意識しないで行動すると起こる未来は、自分にとって不幸であることを直感的に予測しています。その不幸な未来を回避するために、遠くの車のスピードを予測し、自分の道路を渡る時間を予測し、それら予測の基づいて行動することができます。敵から逃げないと起こる未来予測は、不幸な未来です。それを避けるために、草食動物は相手のスピードと自分の脚力から逃げる方向を本能的に判断して行動します。種にとって太陽は光合成をし、栄養をため、子孫を残すために不可欠です。また、同時に水や土壌にある栄養も不可欠です。そのような生きるために不可欠なものを得るには、自分のおかれている位置を重力から上と下を判断できるということを、種は利用しているのです。
 このような例は、因果関係がある程度はっきりしている場合です。因果関係が明らかな場合は、未来予測ができるということを示しています。因果関係がはっきりとした未来なら、予測はある程度可能ですが、予測された未来は、確定したものではありません。予測された未来が自分の望むものであれば、よりよいものへと改善できるし、望まないものであれば、いいものへと変更することも可能です。予想される因果関係を破ることも可能なの場合、未来予測が有効となります。
 因果関係のはっきりしないものは、予測が難しくなります。しかし、複雑で予測不可能な未来であるからこそ、そんな未来の予測を、多くの人が昔から望んでいたのでしょう。それが占星術や各種の占いなどを発展してきた原因でしょう。
 科学で扱う未来には、因果関係がはっきりしているものから、不明瞭なものまであります。でも、それなりの確かさや不確かさを持ちながらも予測することは可能となっています。
 因果関係がはきっりとしているものとして、理論予測があります。時間変化の理論がわかっている場合です。過去から現在まで、一定の計測可能な状態で変化しているものごとで、その理由あるいは理論がはっきり分かっているものです。一定の計測可能なというのは、検証可能という意味です。そしてその理論は、未来に延長しても維持されると考えられるものであれば、未来予測は可能となります。
 物理法則には、そのような理論予測できるものがたくさんあります。しかし、その予測も、理想的な条件を設定していることがあり、現実には誤差や不確かさが紛れ込んできます。摩擦や空気の抵抗、重心の位置、物質の表面の状態、物資の均質さなど、現実にはさまざまな誤差が紛れ込みます。ですから、長時間かかる現象、何回も繰り返される現象では、理論は正しくても、誤差が蓄積していって予測からだんだん外れることも起こります。
 個々の生物が関係する現象や、地質学、気象学、海洋学などが扱う自然現象は、個々の原理は物理や化学に起因する原理でも、大きな自然としてみると、なかなか一筋縄でいかないものがたくさんあります。つまり、誤差や関与する条件が多すぎて、非常に複雑になり、理論化ができない現象です。
 しかし、もし地球に関する科学で精度のよい理論予測ができれば、それは、非常に面白いものとなるはずです。そんな理論予測の例としてプレートテクトニクスというものがあります。プレートテクトニクス理論に基づくプレートの移動は、非常に精度良くできる予測です。それは、年間数センチメートルという非常にゆっくりとした観測された動きに基づいています。小さいな動きの積み重ねが、何百万年、何千万年という単位の未来予測を可能とします。その予測の時間単位が長すぎて、有用なのかどうか分からないほどです。
 その他に、傾向予測というものがあります。理論ははっきりとしていないですが、そうなる傾向が、経験的に起こりそうだと分かることもあります。地震や火山は、いつ、どこで、どの程度ものが起こるかを、事前に正確に予測することはなかなか困難です。正確な規模や日時、場所がわからなくても、だいたいの検討はつけられます。
 地震ならば、大地の圧力が常にかかっている地域で、ある場所で大きな地震があり、別のところではまだ大きな地震がないときは、おなじ圧力がその地域の岩石に蓄積されているはずです。その圧力が岩石の強度の限界に達っすれば、破壊が起こります。まだなのに地震が起こっていないのであれば、いつ起こってもおかしくありません。また、過去の現象からもその事実は裏づけされるでしょう。そこから、どの程度の地震が、どの程度の時間間隔で、その程度の確率で起こるかを予測しています。あまりに誤差が大きくて対処ができないほですが、これは、地震発生の危険度として考えることができます。
 火山でも、一般的な火山は、あるプロセスを経ながら、火山として一生を過ごします。そのプロセスに要する時間や規模は、まだ詳細は十分解明されていませんが、概要は分かっています。例えば、富士山のような大きな成層火山は、やがては山体崩壊を起こすような噴火をして、カルデラを形成し、あとは中央や外輪山での火山活動となります。しかし、火山のある場所、プレート運動などによって、地域差もあり、本当にそのような一生を送るという保障はありません。あくまでも一般論としてです。でも、一般論に基づいて、富士山は今後もまだ活動する火山であると考えておいて対処した方が、危険回避できる可能性が大きくなります。
 今問題になっている温暖化や温暖化を原因とする気候変動は、理論ではなく、傾向といっていいものかもしれません。本当に温暖化が起こっているのか、温暖化によって本当に気候変動が起こるのかなどは、まだ不確か部分がたくさん含まれています。研究者によっても気候変動の予測もかなり違いがあります。そもそも温暖化自体も疑っている研究者もいます。しかし、危険が予測できるのであれば、たとえ起こるかどうかわからなくても、予想に基づいて回避策をとったほうが安全でしょう。
 その対策が間違っていれば困りますが。現在の温暖化の対策は、二酸化炭素の排出量の削減です。二酸化炭素こそが、温暖化という未来予測の重要な根拠となっており、現在もこの傾向は続いています。つまり、二酸化炭素は、実際に人類は大量に排出しているので、化石に燃料の使用を減らそうという考えが間違っていません。たとえ未来予測が間違っていても、問題はなく、化石燃料の温存につながります。
 最後に、未来予測は不能なのですが、確率的に、歴史的にきっと起こりそうなものがあります。もちろん理論はありません。そんな現象として、地磁気の逆転、隕石の衝突、生物の絶滅などがあります。
 地球の地層に記録された歴史を見ていくと、地磁気が何度も逆転しているこがわかります。その原因はまだ十分解明されていませんが、今後も地球は地磁気の逆転を起こしそうです。なぜならこれから地磁気の逆転が起きないという兆候はどこにもないからです。そのとき、どんなこが起こるか、あまり十分は予測はされていません。また、研究者の間でも、あまり議論されていないことです。ですから、現在、地磁気の逆転という現象の予測も対策も、公的には誰も対策していません。
 また、隕石の衝突も小さなものは、しょっちゅう起こっています。日本でも数年に一度は、ニュースになるような隕石落下の事件が起こります。もし、このような衝突が、大きな隕石によるものであったら、その被害は甚大なものになります。恐竜の絶滅を思い起こしてください。恐竜の絶滅は、直径10kmほどの隕石が地球にぶつかったため、起こったと考えられています。もし同じ規模ものが起きれば、人類も滅亡することでしょう。しかし、その対策は、まだとられていません。観測体制すら未だ完備されていません。
 生物の絶滅も必ず起こると考えられます。何億年も生き続けてきた生物は稀です、多くの種は、絶滅してきたことを地球の歴史は教えてくれます。その中で、人類だけを例外だと考える甘い人はそうそういないでしょう。しかし、生物がなぜ絶滅するのかは、本当のところはよく分かっていません。生存競争、環境変化、いろいろな原因があるのでしょうが、この生物はこの原因で絶滅したというのが分かっているのは、案外少ないのです。ですから、人類もあるとき突然絶滅へと向かうことだってあるかもしれません。それに対して私たちは、今のところ、何もするすべをもっていません。
 このような科学的な未来予測は、まだまだ不十分です。しかし、もし科学的に未来予測ができたとすると、非常に論理的であるが故に、その結果は感情や温情などない非常の厳しいものとなります。そして、その予測された未来が、自分や人類に対して、過酷で耐えがたいものであったら、なんとか現在から、その危機を回避する手段を講じるべきでしょう。それこそ人類の知恵の見せ所ではないでしょうか。

・私にとってのメールマガジン・
 明けまして、おめでとうございます。
 2002年2月より、このメールマガジン「Terra Incognita 地球のつぶやき」はスタートしました。しかし、その前身は、2001年9月20日から「地球のつぶやき Monolog of the Earth」として、不定期ですが、100名限定の読者に配信し、7回まで公開していました。その頃から数えると5回目の新年となります。
 思い起こせばいろいろな状況を経ながら、このマガジンを発行してきました。月に一度のことですから、それほど大変でないように思えます。確かに時間的余裕があり、書きたいことがあれば、2、3時間もあれば、発行できます。しかし、忙しさにかまけて、ついつい時間がない時もあります。そんなときは、あせりながら書いたこともあります。
 現在では、いくつもネタ、つまり書きたいことが溜まっています。ただ、時間があるかどうかは、別です。その時その時の状況によって、発行の状況は違ってきます。このような状況の違いが、私にとっては思い出深いものとなっているのでしょう。
 メールマガジンは、もちろん読者がいるので成立するシステムです。しかし、もしかすると、書くことを義務付けられることによって、自分自身が一番儲けているのかもしれません。
 私にとってこのメールマガジンは、深く考えるということをいろいろ試行錯誤する場となっています。ですから、私は少なくとも毎月一つのことは、深く考えることを義務付けられているのです。どんなに忙しいときでも書き続けるということは大変ですが、そのノルマを果たせることを意味しています。だから、このメールマガジンは、私にとって非常にありがたい存在であります。そして、その先には読者がいるという緊張感が、いい加減さを戒めます。
 年頭にそんなことを考えました。これは、未来予測ではなく、現状の確認でしょうかね。